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5月28日(月)~6月8日(金)まで、アメリカのロサンゼルスとサンフランシスコに行って来ます。私が渡米するのは、約6年ぶりになります。6年前のアメリカ宣教旅行は、開拓伝道をはじめる直前の時期でした。新宿福興教会は2001年9月23日にスタートしましたが、21世紀は、2001年9月11日の9.11の同時多発テロによって幕を開けたような気がします。その21世紀の幕開けと同時に教会は開拓伝道をはじめました。開拓伝道とは種まきに似ています。最初は小さな働きです。しかし、イエス様が言われたように、からし種一粒がやがて大きな木になるように、教会の働きも、その木によって時期やスケールは違っても、必ず成長します。今回アメリカに行く第一の目的は、牧会学博士号(D.Min)を授与されることです。神学の勉強は20歳ではじめ、その後16年間学び続けて来ました。その中で、神学校の卒業、神学大学の卒業、神学大学院の卒業、そして、博士課程の卒業、博士号の授与。これらは、20歳の時にまいた種の結実であり、収穫でもあります。これは、私たちの人生にも同じことが言えます。種をまいて、継続してそこに留まるならば、やがて成長し、結実し、収穫の時を迎えます。この事実は自然界の法則なのです。そして、あなたの人生における法則でもあります。この法則を忘れないで歩んで行きたいですね。また、今回はアメリカ国内で集会をし、路傍伝道をし、色々な働きをします。神様の守りと導きをお祈りくだされば幸いです。しばらく日記はお休みしますが、また帰国後には再開致しますので、今後ともよろしくお願いします。みなさんの祝福を心からお祈り致します。前回は、9.11同時多発テロが起こる直前の1ヶ月間、宣教旅行を致しました。それは、新宿福興教会を開拓する直前でもありました。今回の渡米の目的の第一は、博士号授与です。また、いくつかの教会や集会での奉仕や友人との再会も致します。ロサンゼルスやサンフランシスコ近辺の方で、オフ会(お会いすること)を希望される方はご連絡を下さい。
2007年05月28日
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世の中には、物事が思ったとおりにうまく行く人と、うまく行かない人がいます。その両者の違いはどこにあるのでしょうか?それは、受け入れているということです。さらに、何を受け入れるかといいますと、目の前のもの、目の前の人を受け入れる人です。こういうことを大切に考えない人も意外と多いですが、実は、ここに鍵があるのです。あなたは今、二人の人を見ているとします。一人は勢いがあり、素晴らしい人のように見えますが、あなたを受け入れていません。あなたを否定しています。もう一人の人は、同じく素晴らしい人のように見えますが、あなたを受け入れ、こよなく愛し、とても大切な存在として扱ってくれます。あなたはどちらの人に好意を抱きますか? 間違いなく、後者の人に対してだろうと思います。そうなのです。目の前のものや人を受け入れる人は好かれるのです。それだけで、あなたの人生の道は舗装され、祝福してもらえるのです。反対に、受け入れていない人の人生の道は険しくなり、障害が多くなります。どうぞ、受け入れる力を身につけてください。そのために、あなたが神から愛され、受け入れられているという事実を受け入れることが大切です。あなたは間違いなく神から愛され、受け入れられています。その信仰を持つことから、あなたの受容力は大きくなり、あなたのキャパシティーは飛躍的に広げられるのです。一緒にお祈りをしましょう。「神様、私を愛して下さり感謝を致します。イエス様の十字架の愛をありがとうございます。聖霊様、私と共に居て、一つになって下さり感謝を致します。イエス様のお名前でお祈りします。アーメン。」
2007年05月27日
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今の日本を見てみなさんはどう思われるでしょうか?私は、今の文化はもう変る時期に来ていると思います。ここ最近の殺人事件や変質事件等の多発は、人々の苦しみの限界も極に来ているのだと感じます。このままだったら、日本はどうなってしまうの?という気がします。平和だと言われた日本には、今やそんな伝説はどこに行ってしまったのか?と感じます。今の日本人が求めている、欠けているものは何でしょうか?いくつかのことが言えるだろう思いますが、1、絶対的な善悪の基準2、普遍的な希望3、隣人愛大きく分けてこの三つが必要です。しかし、その三つはすべて聖書の中に、キリストの中に、教会の中にあるのです。教会は、KKTすなわち、堅い、暗い、つまらないが今までの多くのイメージでした。しかし、ATTすなわち、明るく、楽しく、ためになる教会が求められています。時代は間違いなく変わります。もうギリギリのところまで来ています。その時、キリストにはすべての答えが備わっていますが、私たち教会はどうでしょうか?2007年度、日本にはリバイバルが来ようとしています。それに備えていかなくてはならないのではないでしょうか?今の日本が必要としているものは、聖書の神様の中に全て備わっています。私たちはそれを真っ直ぐに受け取り、味わい、楽しみ、それを伝えて行きたいものです。その鍵はあなたの手が握っているのです。今こそ立ち上がって、主の愛を伝えて参りましょう。祝福がありますように。
2007年05月26日
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あなたがこの世に生まれて来た目的は何でしょうか? 一言で言えば、愛されるために生まれてきたのです。しかし、その愛を阻む力が私たちの中にあります。それは罪の力です。愛を阻む要因は、多くの場合外側にあると考えられやすいですが、ほとんどの愛を阻む要因は自分の中にあるのです。愛とは、人の愛と神の愛と、大きく分けて二つありますが、まず、人の愛は、どんなに愛されていたとしても、その愛がわからないという場合があります。それは、疑心暗鬼や自己憐憫、劣等感、コンプレックス等です。罪とは的外れな状態を指しますが、まさに、愛を阻む自分の中にある要因は的外れであり罪なのです。そして、神の愛も的外れの状態が阻むのです。人生で起こる全てのことは、神があなたを愛していることの証なのです。しかし、罪はそれを見えないようにさせ、「私は不幸だ。」と考えるようにさせます。どうぞ、罪はあなたを不幸にし、滅びに至らしめます。ですから、罪を悔い改めましょう。1、神様に「ごめんなさい」を言いましょう。2、古い価値観を捨て去りましょう。3、あなたが愛されるために生まれたことを信じ、受け入れましょう。4、あなたの人生に神様をお招きしましょう。5、神に委ね、従って参りましょう。その時に、あなたの人生は幸せになり、そして、人に幸せをもたらす人になります。そうしたら、幸せは30倍60倍100倍1000倍になって行き、どんな状況の中にあっても愛を感じられる人になります。あなたを不幸にする力は、人や状況のせいではなく、あなたの中にある罪の力なのです。そして、罪を条件に悪魔も働くようになります。どうぞ、そこに目を向けてください。それがわからない限り、永久に空を撃つ拳闘をしているようなものであり、チェーンが切れて空回りしている自転車のようなものです。あなたは愛されています。あなたは愛されるために生まれてきました。そして、愛を人に分け与えるために生きていることを忘れないで下さい。祝福がありますように。
2007年05月24日
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信用とはどのようにして得て行くものなのでしょうか?それは、小さなことに忠実であるということからだろうと思います。詐欺は、それを悪用する場合があります。例えば、まず10万円を借りて、期日前には12万円にして返します。次には、50万円を借りて、期日前に60万円にして返します。そして、その額が100万円、500万円、1000万円となり、ついには、億という単位のお金を借りて、そのままドロンしてしまいます。こんな信用の築き方は決して良い事ではありませんが、私たちは、日々の小さなことを忠実に、また、全力で行うことで信用を築き上げて行く事が出来ます。あなたはどうですか? 今与えられている小さな目の前の仕事に忠実ですか?例えば、教会で与えられている下足番の仕事、駐車場の交通整理、受付、掃除、事務等、それらを小さなこととして手抜きしていることはないでしょうか?今与えられている仕事を忠実に、全力投球で行っている時に、それがその人の信用となり、より重要な仕事を任される事に繋がって行きます。教会で任された受付の仕事を、笑顔で忠実に行っていた女性が、後日、その教会にいた神学生からプロポーズされて、素晴らしい牧師夫人となったという話しを聞いたことがあります。また、教会員が嫌がる仕事を進んで行う男性がいました。便所掃除も皿洗いも喜んで行っている姿を見た牧師は、この男性を後継者の牧師としました。このような話は、いくらいでもあります。あなたは、今の仕事を小さな事として軽く見るというような過ちを犯さないように注意して下さい。今の仕事に人生を掛け、運命を掛けて行うのです。それがあなたの信用となり、あなたはかけがえのない仕事も任されるようにまでなるのです。そして、仮に評価されなくてもいいじゃないですか? 神様はそのあなたの姿をご存知であり、神様が祝福して下さい。神様が、小事に忠実なあなたに、大事をも任せて下さる様になります。そして、あなたはいつでも幸せでいれるはずです。そんな素敵な人生を歩ませて頂きたいですね。祝福をお祈り致します。
2007年05月23日
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この間の日曜日は、イスラエルの宣教をされている女性が教会に来て証をして下さいました。証は、一般的に言えば、神様がして下さったよいことを発表するということですが、やはり証は証、法廷用語です。見たこと、聞いたこと、触れたことをストレートに話すことが一番です。彼女が、礼拝の最後の時間に証しして下さった内容は、イエス様の再臨が近いということ、日本のリバイバルが近いという、預言的な内容でした。神様は生きておられて、今のまま見過ごしにされるのではなく、必ず、この日本にも、そして、福音発祥地の地であるイスラエルにも最後にリバイバルが興されると信じます。そして彼女が強調していたことは、イスラエル宣教に来てほしいという内容でした。エルサレムで私が讃美をしたら、それだけで収入になりますし、今宣教の最後の段階に入っているから、お願いしますと繰り返しておりました。私がイスラエルから帰国した直後は、心が純粋になり、宣教以外、全てのことが無意味のように感じました。しかし、日本に帰って、現実に戻りますとそうは言ってられないと言う感じもしますが、しかし、最も重要なことを思い出させてもらいました。宣教こそ、究極に大切なことであり、人の永遠を決定することですから、全てに優先されるべきことです。しかし、サタンはその働きを前進させてほしくないので、人々にその重要性を感じさせないで、軽視させるように仕向けています。あなたがもし、宣教を最重要課題と思っていないとしたら、サタンに騙されていると言ってもいい過ぎではありません。しかし同時に、日常生活をほっぽり出してしまうのも考え物です。このバランスが難しいのですが、神様の要求はあまりにも高過ぎて、私たちにはとうてい出切るものではありません。どうしたらいいのでしょうか?それは、イエス様が歩まれた道=十字架の道を歩むということです。すなわち、自分を捨て、自分の十字架を負って、主に従うということです。これは簡単に言えば、自分に死ぬということです。自分が生きていたら、きっと不満が出てきたり、自我がその働きを壊してしまいます。最も大切なことは、今ひざまづき、主に死なせて頂く事です。今日、共に、そうさせて頂きましょう。祝福がありますように。
2007年05月20日
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私は、まだまだ消防団は新入団員ですが、昨晩から今朝まで消防署に泊まって、消防隊の方々と一緒に活動致しました。それにしても、金曜日の夜と言うこともありましたし、地域柄ということもあるかも知れませんが、出動回数が多いことにはびっくりしました。夜7時~10までは、待機する場所で出動待機をしていますが、10時過ぎには仮眠します。仮眠をしていますと、出動要請の放送が入り、起しに来て来て下さいますので、慌てて着替えて車に乗り込みます。今回は、一般の人には経験出来ないような消防隊と一緒にその消火活動や救援活動に参加して、今まで客観的に、「あっ!消防車だ。」とか、「救急車が来た!」「何か、事件や事故が、火事があったのかな?」というのと全く違う経験をしました。当然現場では、一番の下働きですから、交通整理も行いました。ある時は、消防士のような格好をし、ある時は、救急隊のような格好をしていますから、通りがかりの人から、「何があったのですか?」とたくさんの人から聞かれました。しかし、消防団員は地方公務員の特別職で、新宿区長さん等と同じような扱いになるそうですが、業務上知り得たことを他の人に話してはいけないという決まりがあります。それで、その立場の苦しみが分かってきました。以前、うちの教会の目の前で殺人事件が起こった時には、テレビの報道陣もたくさん来ましたし、警察がたくさん来ていて、黄色の立ち入り禁止のテープが貼られて道を大回りしなければならなかったこともありましたし、以前、この地域に放火が相次いだこともありました。そんな時、私も「何があったのですか?」聞いたものです。そうすると、多くの人は、「言えません。」とか、誤魔化して言ってくれませんでした。もちろん、声を押し殺して、「殺人です。」と教えてくれた人もいました。それは背筋が寒くなり、動揺したことを思い出しますが、そんな、微妙な立場であることを今回初めて身を持って知らされました。今日最後に、このお話をして終わりにしたいと思いますが、人は相手の立場に立ったら、愛せない人がいないということが言えると思います。つまり、受け入れられない人がいたとします。しかし、それは、その人の全てを知らないからなのです。その人の生まれた背景や家庭環境、たどって来た道のり全てを知ったら、おそらく、「そうだったのか、こんな苦しいところを通りながらよく生きているなー、」と感じたり、愛すべき人に代わります。愛せないというのは、その人を知らないのに知っていると勝手に思い込んでいるからなのです。まずは、人は、人の見えている極一部分しか知らないということを知ることが必要なのです。知らないことを知るだけで、謙遜にされます。今回私が消防隊と一晩活動を共にして、知ったことがあまりにもたくさんありました。それは、見せかけのない、いつもと同じように活動がされましたし、私もその中の一員として見て下さいましたし、ありのままの消防隊、救急隊の働きを見て、体験させてもらいました。それによって、消防隊員の方々、救急隊員の方々、ついでに、警察の方々も尊敬するようになりました。私たちは、無知の知、自分が知らないことを知り、そして、知るならば、受け入れられない、愛せない、尊敬できない人はいなくなって来ると思います。もちろん、それでも理解が難しい極悪人もいるかも知れませんが、でも、自分がその人と同じ環境を生きて来たとしたら、同じか、もっとひどい生き方をしたのかも知れません。そこまで考えられるようになったら、人生は大きな悟り得たことですし、大きな人間となるのではないでしょうか?今日、あなたが理解できない職種の人たち、理解できない人たちのことを考え、祈り、その人のわらじを履くような気持ちでその人の立場に立って見る事をしてみたらいかがでしょうか? きっと、素晴らしい大発見があるだろうと思います。祝福がありますように。
2007年05月19日
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守破離という言葉がありますが、この言葉の意味を知っている人がいるでしょうか?守破離とは、人が弟子入りし、一人立ちして行くプロセスを語っている言葉です。どんな世界でも、人がある世界を学ぶためには、その世界を極めた師匠を探し、その師匠の元に弟子入りするというのが一番いい方法です。まず「守」は、その師匠に師事し、師から学びます。これは非常に大切なプロセスです。ある人は、最初から自己流でやってしまいますが、それでは基本がないので、ある程度以上は成長できないということが起こって来ます。しかし、次に「破」ですが、基本を徹底してマスターした後には、自分で考えてみる段階です。そこでははみ出すこともあるでしょう。師の教えを自分なりに適用し、自分の形を見つけて行きます。そして最後に、「離」です。師から離れて、オリジナルの世界を作り、一人立ちして行きます。現代の多くの人は、この守破離のプロセスを踏まないで、最初から我流でやろうとしたり、一人立ちしようとしますが、ある程度で息詰まってしまうのが関の山です。どんな世界であっても、その世界の権威とか、その世界で成功した先輩がいるはずです。よい師、よいメンターに会うことがあなたの人生を祝福します。最大のメンターはイエス様ですから、イエス様からは生涯学び続けますが、この地上でよい師を見つけられた人は幸いです。そうしたら、直接学べる場合もありますが、直接学べるに越したことはありません。しかし、直接学べないにしても、その人の本を読んだり、その人の業を見て学び、盗み取ることです。学ぶとは、真似ぶという言葉から来たときいたことがありますが、師の真似をする、師のそのままを学ぶということが大切です。そのためには、謙遜さや学ぶことに対するパッション、モティベーション、エンスージアズムを頂いて行きましょう。それは、祈りと聖書を読むことからです。祝福がありますように。
2007年05月17日
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今日も実は、予定がバッティングしました。早朝、衆議院議員会館で国会祈祷会があります。国の指導者である政治家たちのために祈ることは私にとって重要な課題です。しかし今日は、会衆讃美をリードする日ですから、朝から霊的な備えも必要ですし、自分に与えられた奉仕を優先したいと思います。人生において、優先順位を持っているということはあなたの人生を堅く堅固にします。しかし、ある人は、明確な優先順位を持たないで、その場の感情で決めます。もちろん、私が言う優先順位とは、絶対的なことではなく、先日も紹介しましたが、私のメンターが教えて下さった、タイムマネージメントよりも、タイミングマネージメントが重要です。それは何かと言いますと、神様の導き、タイミングをいつも祈りの中でキャッチし、それにいつも従うということです。神様のタイミングに従って命が守られたという証を何度も聞いたことがあります。神様が、ちょっと待て!という感じのインスピレーションを下さった時に、急いでいましたがそれに従ったそうです。そうしたら、ちょっと前に強盗に襲撃された人がいて、みんなが殺されてしまったそうです。そのまま急いでいたら、自分たちがその被害に会ったはずだと言うことです。人生の中で、まずは優先順位を持つことが重要です。しかし、それにも増して、タイミングマネージメントをすることが重要です。あなたはどんな基準で生きていますか? この基準で選んだ一つ一つが積み重なって人生となり、しいては、一生となります。聖書には、「神の国と神の義とを第一に求めなさい。」と書かれています。第一のことを第一にしたら、神様が必要のすべてを満たしてくださいます。祝福がありますように。
2007年05月16日
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今日から二日間、東京福音リバイバルの炎のリバイバルセミナーで讃美の奉仕を致します。一日目の今日は、ギターでバックで演奏する予定です。期待とドキドキは同じような感情かも知れませんが、それが入り混じったような感じです。よく奉仕が出来ますように、神様の守りと導きをお祈り下されば幸いです。今日は、7月の埼玉アリーナで行われる20000人の集会、ラブソナタの実行委員会の集まりがあり、韓国からオンヌリ教会のハ・ヨンジョ牧師が来られ、一緒に会食だと言うことですので、是非参加したかったのですが、完全に予定のバッティングです。人生において、このようなことが起こることがあります。そんな時、どちらを優先したらいいか?と迷うこともあります。昨年末には、川口リリアで行われた祈祷大聖会でも讃美の奉仕を致しました。その日は、バックバンドではなく、ワーシップリーダーでしたので、そこで奉仕をする必要がありました。しかし、同じ時間には、国会クリスマスフェスティバルが行われていました。是非、そこに参加したいと思っておりました。そのバッティングした時間の講師は、関西のカリスチャペルの村上先生でした。先生は、「涙を飲んで・・・」とメッセージを語られましたが、そのメッセージの素晴らしいこと、こちらにいて良かったと思ったものです。お昼の聖会の講師は、大阪の大久保みどり師でしたが、メッセージの時にもとても華やかなコスチュームで語られましたが、集会後、楽屋で勝るとも劣らない素敵な衣装に着替えて、国会クリスマスに出かけて行かれました。人生には、このように予定がバッティングし、どちらにも行きたいと思うようなことがありますが、しかし、自分に与えられた奉仕を優先することがベストだと思って感謝しています。みなさんは、予定がバッティングすることがありますか? 以前私は、過密なスケジュールに憧れたものですが、これ程辛いことはありません。5月28日からアメリカに行きますが、これによって重要なスケージュール2つとバッティングしました。ここで言うバッティングとは、野球の話ではなく、予定が重なってしまうということですが、このことを通して感じることは、自分は一人しかいない、人生は一度しかない、だから、大切にして行こうということです。あなたの人生は一度だけ、あなたは一人だけです。だから高価で尊いのです。このことを自覚しながら歩んで行きましょう。祝福がありますように。
2007年05月15日
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高慢と愛は全く相反するものです。高慢ほど、人を醜くするものはありません。心を高ぶらせ、人を見下し、裁きます。そして、高慢になりますと、何もかもがうまく行かなくなりますし、悪循環と空回りをするようになります。ここで気づく人は幸いです。誰でも人は高慢になり得るからです。そして、そこから愛に生きるようになるのです。自分は大丈夫と感じている人は、もしかしたら一番危ないかも知れません。高慢の一番恐ろしいことは、自分が高慢になっていることに気づかないことです。しかし、例えば、自分を正しいと考え、人を見下し、人を裁く傾向があるとしたら、かなり要注意です。それが高慢な人の特徴です。そうであれば、愛の人は相手に何も忠告をしないのでしょうか? そうではありません。愛を持って真っ直ぐに厳しいことを言うこともあります。しかしそれは、その人を愛しているからであり、その言葉に対して責任を負いますし、代償も払います。例えば、経済的に困っている人がいて、その人を批判することは簡単です。高慢な批判は、ただ相手を中傷し、間違いを指摘します。しかし、愛の批判は、その相手の苦しみを理解しながらも、よりよい道を示し、また、出来る範囲で具体的に助けてあげることでしょう。愛とは、相手の苦しみを自分のこととして受け止めることです。しかし、高慢は、相手の苦しみを自分から切り離して、無関心になることです。愛は繋ぎ、高慢は切ります。イエス様は、ぶどうの木で私たちはその枝であると聖書は語りますが、神は私たちを古い生き方から切りますが、ご自分に繋がれます。悪魔は、切り離し、苦しめ!と突き放します。みなさん、愛こそが必要なもののすべてです。愛がなければ無に等しいのです。どんなに能力があり、どんなにイケメンであったとしても、どんなにインテリでエリートであっても、悲しいですが、無に等しいのです。しかし、悔い改めれば、方向を変えることが出来、愛の人になることが出来るのです。愛は、主の十字架の愛を受け入れ、その愛を持って他者を愛する、自分を愛する、神を愛することなのです。共に愛に生かされて参りましょう。祝福がありますように。
2007年05月13日
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今日はこれから、いとこの結婚式に行きます。彼は今26歳です。私も思い起こせば26歳で結婚をしましたから、何かその時を思い出します。多くの人が、結婚をゴールインだと思いますが、結婚は、決してゴールインではなく、スタートラインに立つことなのです。それは、二人で人生をはじめて行くスタートなのです。ですから、結婚は二人で作り上げていくものなのです。しかし、多くの場合は、「釣った魚には餌はやらない」ように、結婚して納まってしまったら、結婚前にしていた、相手に好かれたいと言う努力がなくなり、お互いに興醒めするのは新婚旅行から帰る頃です。成田離婚という言葉を聞いたことがありますが、あるカップルは、成田に帰って来た時ではなく、新婚旅行の準備の段階から大喧嘩になり、成田にまでは行ったけれど、こんな状態なら旅行しても楽しくないし、あなたと生きて行く自信がないと言って、離婚を決意してしまうこともあります。結婚式とは、式を挙げて終わりではなく、単なるセレモニーです。しなくてもいいのです。最高の式を挙げて、その後不幸な結婚生活を送るならば、式が簡素でも、最高の家庭を築き上げるならばそちらの方が天と地程の差でいいはずです。結婚とは契り、契約なのです。何をしてもいいという許可証ではないのです。お互いに愛をはぐくみ、思いやりを持って行かなくてはならないのです。結婚式に行きますと、だいたい喜んでいるのは独身の人です。妻帯者は、喜んでいられるのは今だけだよ、とは言わなくても、心ではそのように思っていたりもします。それは、先に経験しているからです。私もそれに近い気持ちもありますが、同時に、心からの祝福と喜びの思いを持っています。「結婚、おめでとうございます。」と。それは、人生の新たなる門出であり、スタートラインに立つ日です。それをお祝いしない理由は何もありませんし、喜ばしいことです。結婚とは、永遠の神秘であり、祝福であり、喜びだと思います。今日もよい一日でありますように。
2007年05月12日
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私たちは、自分のオリジナルの目標を持ったり、夢を描きながら生きることを恐れる余り、今成功している人のあり方や、多くの人がいいとしているあり方を目指して生きている人が多くあります。また、日本はある国から考えたら考えられないくらい、ほとんどの人が自分を中流階級の人だと思っているようですし、中流階級の生き方をしています。これなども、「みんなと同じように」という和を乱さないようにという考えもあるかも知れませんが、人まねなのではないでしょうか?あなたは本当に人と同じでいいのでしょうか? 神様は、あなたにだけ与えられた特別な使命や生き方があるのではないでしょうか?私は、人と違っていいと思いますし、神様から頂いた使命に従って生きて行くべきだと思います。その時に、人は人生に充実感を感じるようになり、「私の人生これでいいんだ」と思えるようになります。そして、生きることが楽ですし、楽しいですし、幸せの絶頂を味わうことができるのです。どうぞ、神様から与えられた使命に忠実になってください。もしかしたら出来ないかも知れないという心配やくよくよはやめて、神様に祈って下さい。そして、悪魔が持ってくる使命、古い自分の理想とする生き方も捨て去って、神様からの使命に生きて下さい。それは、二つの鍵で見分けることが出来ます。一つ目は、「自分がしてもらってうれしいことを、人にしているか?」二つ目は、「キリストが愛して下さったように、他者を愛しているか?」です。この鍵が適合し、この鍵で開けられる使命こそ、きっとあなたに与えられたものです。そして、もし自分の使命がわからないとしたら、神の前に静まり、祈る時間を持つことです。一人神の前に立ち、神の声を聞き、また、一人神と共に歩んで行くのです。みんなと一緒がいいと考えると、やはり人まねになってしまいます。人はただ一人でこの地上に誕生し、ただ一人でこの世を去って行くのです。しかし、その時も神様が共に折られるのです。神と共に、人まねをやめて、神と共にオリジナルな生き方をしていきたいですね。素敵な一日でありますように。
2007年05月11日
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リーダーシップに必要なことがいくつかあります。ここでいうリーダーシップとは、会社の社長や教会の牧師とか、何らかの立場がある人に限定する話ではありません。例えば、お父さん、お母さん、そして、お兄さん、お姉さん、先輩、上司等々も含まれます。だから、全ての人に当てはまる話として聞いてくださいね。まずリーダーに必要なことは、素早い決断力です。そして、一回決断を下したらそこに向かってまっしぐらに走り続けることです。そしてこれを、従って来るフォロワーにも徹底します。もしこの反対のリーダーシップであったらどうでしょうか? 決断が遅く、優柔不断であり、その決断をした後でも迷って、簡単に方向転換をします。これでは、従って来るフォロワーも困ってしまいます。そしてリーダーは、フォロワーの失敗を自分で負いますし、ある程度仕事を任せます。この反対のタイプの人はリーダーには向きません。すなわち、仕事を任せないで、部下が失敗をしたら部下に責任を取らせます。イエス様は、まさにリーダーに最適なお方です。父なる神様から人となってこの地上に誕生し、全人類の罪を背負って十字架で死ぬことをおそらく、すぐに決断されました。そして、その決断をされてからは、この十字架という目標から目を離さないで、真っ直ぐに進みました。また、部下に福音宣教、悪霊追い出し、いやし等の働きを任せ、かつ、失敗は自ら責任を取られ、赦されました。こんな部下のもとに仕えた12弟子たちは幸せだと思います。しかしまた、私たちもイエス様の弟子なのです。リーダーシップのお手本はイエス様です。このお方に従い、このお方に倣って行きたいですね。祝福を祈ります。
2007年05月10日
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私たちに取って一番付き合いにくい相手は誰でしょうか? 親でしょうか? 配偶者でしょうか? 職場の上司でしょうか? 多くの場合は、身近な人が一番付き合いにくいのではないかと思います。しかし、実は、もっともっと付き合いにくい相手がいます。それは、あなた自身です。多くの場合、自分を持て余し、自分をコントロールできないで手に負えないのではないでしょうか?もし、もう一人の自分とうまく関係を持つことが出来、その自分を受け入れ、自己一致することが出来たら、人生は何倍も幸せになるし、ストレスから解放されるし、人を愛することも容易になります。自分とうまく付き合うことと人を愛することがどういう関係があるでしょうか?それは、人は、自分を受け入れている分だけ、他者を受け入れられるようになるからです。ですから、人を受け入れることが難しい人は、自分を受け入れられていない人だと言えると思います。しかし、自分を受け入れられず、人を愛せなかったら、非常に生きることが難しくなります。一体どうしたら、自分を受け入れ、そして、人を愛せるようになるのでしょうか?それは、キリストを心に受け入れ、キリストに自分自身を明け渡すことです。キリストがあなたの心に内住し、あなたの心の王座に座り、あなたを支配するならば何が起こるでしょうか?その時に、キリストがありのままのあなたを、今のままの状態で愛して下さっていることを知り、体験します。そうしたら、自分を受け入れ、自分と一致することが出来ます。そして、自然に他者をも愛せるように成って行きます。クリスチャンになっても人を愛せず、幸福になれない人もいます。それは、キリストを受け入れはしても、キリストに自分自身を明け渡していないからかも知れません。あなたは、あなた自身を受け入れることは出来ません。なぜならば、罪深く、利己的であり、汚い存在であり、自分の醜さを嫌と言うほど知っているからです。そんな奴は赦せないと感じるのが普通の良心です。あるいは、良心が麻痺している人がいるかも知れませんが、本当の意味で自分を受け入れることは出来ません。キリストの愛以外に、あなたのあるがままを受け入ることは出来ません。キリストは、あなたの罪や汚れ、自己中心、醜さの身代わりに十字架にかかって死なれました。だから、あなたを赦すことが出来るのです。この愛だけがあなた自身を愛し、あなた自身という一番付き合いにくい相手と仲良くし、協力し、共に生きて行けるようにさせます。そしてその時、人も愛せるのです。そんな人生を歩ませて頂きたいですね。祝福がありますように。
2007年05月09日
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正直と言うとどんなことを思い起こすでしょうか?バカ正直のように、思ったことを何でもそのまま言う人を思い出すでしょうか?私は、それが本当の正直だとは思いません。例えば、嫌いな人がいて、その気持ちをそのまま伝えることは正直なのではなく、自分のことしか考えない、自分の自我に正直なのです。また、泥棒に財布のある場所を教えるのは、知恵のない正直さです。そして、イエスマンは偽善です。本当の正直さとは、愛に対して正直であることです。愛とは、神様ご自身であり、イエス様が十字架で現して下さったものです。だから、真心からのものであり、相手の立場に立ったものであり、相手を生かし、相手に喜びを与えるものです。これが本当の正直です。キリストは、「自分がしてもらいたいことを、人にもしなさい。」と黄金律を語られましたが、正直とは、自分が言ってもらってうれしいことを語ることなのです。そこには、ゴマすりとか、見せかけとか、自分の利害のために心にもないことを言うのではなく、キリストが自分を愛してくださったように、その愛で相手を愛し、語ることです。それこそ正直なのです。私たちは、神から離れた罪人として生まれましたから、本当の正直さを持っていないようですが、もし、自分が言ってもらってうれしいことを相手に言ったらいいのですが、人から傷つけられ、その傷がいやされていないので、無意識かも知れませんが、人を傷つけたり、復習するようなことを語っています。今日、イエス・キリストの十字架を、あなたの心の中に受け入れ、傷がいやされるようにお祈りします。そして、本当の正直な人になれますように、心からお祈り致します。どうぞ、見せかけではなく、また、心にないことを言うのではなく、心から愛を持って、本当の正直さを互いに身につけたいですね。祝福をお祈り致します。
2007年05月08日
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ゴールデンウィークが終わって、通常の生活に戻りましたが、みなさんはすでにリズムを取り戻していますか?私は毎日、ラジオ体操やなわとび等の運動をします。今年イスラエルに行った時にも、ガリラヤ湖畔でもしましたし、死海のほとりでもしました。そして、エルサレムでもしました。しかし、今年韓国に行った時には、朝の早天祈祷会がメインのツアーでしたし、団体行動だったので、その期間はしませんでした。また、静岡の教役者大会に参加した時にも、やはりラジオ体操もなわとびもしませんでした。そして、帰宅後に再開しますが、そうすると、毎日続けている時に比べるときつい感じがします。それは、はじめてやりはじめた時に近い感じがします。一日休むくらいならば、いつもと同じように出来ますが、2日以上間を空けますと、はじめてやるような感じになります。それと同じように、ゴールデンウィーク空けは、体がついて来なかったり、仕事をはじめてやった時に近い状態になるかも知れません。しかし、初心を思い出しながら初々しい気持ちで仕事をすることもいいですね。また、海水浴をする前に準備体操をするように、ウォームミングアップ的な感じで仕事を再開してください。どうぞ、あー、また仕事か、と嘆かないで下さい。あーうれしいなー、仕事が出来てうれしいな!と思ってスタートしてくださいね。よい一週間でありますように。
2007年05月07日
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ゴールデンウィークも今日で終わりです。あなたはどんな一週間を過ごされましたか?私は、なぜかとても忙しい一週間だったような気がします。それは、一週間にやるべき仕事量はある程度決まっていますが、それに加えて、学校や幼稚園が休みの子供たちの相手で時間を使いました。愛とは、その相手のためにどれくらいの時間を使うかでわかるという言葉を聞いたことがありますが、愛する相手との時間は、惜しみなくとまでは行かなくても、最大限使いたいものです。子供とたくさんの時間を共に過ごせたことを感謝しています。そして、何よりも、神様との交わりに時間を使うことが神様を愛することになります。もちろん、時間の長さというよりも、その質が大切ですが、神様とだけ交わる時間を長く取ることは、許されれば素晴らしいです。今年のペンテコステ教役者大会では、トロント・ブレッシングでも知られている、ジョン・アーノット師ご夫妻が主講師でした。ジョン師ご夫妻は、リラックス&エンジョイを強調されましたが、その私生活では、午前中は、主と交わることだけに使っていると言っておられました。それは本当に素晴らしいなーと思います。日本の牧師先生やクリスチャンで、そのようなライフスタイルを持っている人は少ないだろうと思います。なぜならば、日本にいると忙しいですし、忙しくしていないと罪悪感すら感じてしまいます。どうぞ、主との交わりの時間を大切にしてください。また、ゴールデンウィークのような時には、ご夫妻での時間、親子での時間、親しい人や大切な人との時間をたくさん割いて、共に時間を過ごすと言うことは素晴らしいことだと思いませんか?時間の量よりも質だと言う人もいるかも知れませんが、許される限り、仕事の人間関係や利害関係、浅く広い人間関係を絶って、このような時には、家族と過ごす時間を最優先することです。私たちは、身近な人を愛せなければ、遠くの人を愛することも出来ません。どんなゴールデンウィークでしたか?また明日からは元に戻ると思いますが、かけがいのない時間を過ごされたと信じます。お疲れ様でした。
2007年05月06日
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ギターと言っても、1万円以下で買えるものから、5万円とか、10万円のものもあれば、30万円を超えるものもありますマーチィンのD-45は、定価で130万くらいはします。(私のはD-35)そうなって来ますと、乱暴には扱えません。例えば、ギターを弾き終わったら、専用ウエスできれいにボディーを磨き上げます。また次に、弦を完全に緩めます。この二つの作業がとても大切です。ギターの塗装は、汗等によって確実に痛みます。しかし、小まめに磨き上げれば、一生はおろか、数百年でも持ちます。そしてギターは、弾けば弾くほど鳴るようになるのです。それは確かです。新品のギターがいいのが普通の感覚ですが、マーチィンのギターは、中古が人気がありますし、程度にもよりますが、新品の2倍や3倍の値段が付くことも珍しくありません。そうなって来ると、いいギターを買うことは高い買い物ではなくなって来ます。だいたいギターを始めた人が最初に買うのは、1万円くらいのギターです。もちろん、何も欠陥はありませんし、十二分に演奏できます。そして、プロの腕にかかったら、それなりの演奏も出来ます。しかし、なぜか、ギターをすぐに飽きてしまうということが起こります。もし、ギターを真剣にやりたいと思ったら、10万円以上くらいはするものがいいのではないかと思います。なぜならば、メンテナンス次第ですが、ギターは一生ものです。そして、いいギターは、奏者をその気にさせてくれます。だから、ちょっと挫折しそうにはなっても、高いものを買ったのだから、という意識もあるかも知れませんが、なぜか飽きが来ないものなのです。ギターは、いいものを買って、大切に扱うことがいいのではないかと思います。また、ギターのメンテナンスで重要なことは、弾き終わったら、完全に弦を緩めることです。通常、5弦をAのキー(440HZ)に合わせてチューニングしますと、ギターのネックにかかってくる張力は70Kgです。その力をかけ続けるということは、相当な負担です。以前の私は、ギターの弦はそのままにしてケースにしまうようなこともありましたが、これは弦のためには確かにメリットはあります。なぜならば、いちいちギターの弦を緩めたり、張ったりしていますと、特に、1弦と3弦が切れやすいのです。しかし、張りっぱなしはまず切れません。しかし、200円~2000円の弦の寿命を取るか、高いギターの寿命を取るかを考えた時には、やはり、弦を完全に緩めるのがいいと思います。ボディーを磨いたり、弦を緩めたりは、それなりに時間を要しますが、それは、ギターへの愛着に繋がっていきますし、一生いい音を出し続けてくれますし、さらに、段々いい音を出すようになってくれます。このギターを考える時に、ギターの話で終わってしまったとしたら、ギターに興味がない人にはあまり意味のない話で終わってしまうことになりますが、ギターは、私たち自身にたとえることも出来ます。ギターのオーナーは神様です。そして、ギター自身と、そのギターの管理は私たちに任されています。神様は、私たちに命と人生と時間を与えて下さり、管理を任せて下さっています。まずは、お金の管理は大切です。1/10は神様にお返しし、9/10を賢く自分のため、家族のため、そして、困った人のために用い、さらに貯金をします。また、時間の管理も大切です。なぜならば、人生とは、一瞬一瞬の時間の積み重ねだからです。その時間をどう活用するか? それは、神様があなたに任された領域です。しかし、そこには、マニュアル、取扱説明書があります。それが聖書です。聖書には、人生のプライオリティーは神様であると書かれています。最近、私の時間の哲学を私のメンター的存在の方に話しますと、二つともくつがえされてしまいました。一つは、タイムマネージメントです。その方は、タイムマネージメントをしても、それ通りには行かないし、律法的になるから、タイミングマネージメントが大切ですと言うのです。なるほどなーとうなってしまいました。また、プライオリティー、優先順位は、1に神様、2に家庭、3に教会、4に仕事、5に趣味やボランティアと話しますと、その人は、そうだと律法的なってしまうから、1に神様、2に神様、3に神様、4に神様、5に神様がいいですよと言ってくれました。これにもたまげました。確かにそうですし、あまりにもシンプルですし、そのように生きておられる方ですから、その通りですと言う外ありませんでした。あとは、神様のとの交わりが大切です。それは、聖書と祈りです。それを通して神様と深く交わり、デートをし、楽しむのです。そしてその中に、ギターのボディー磨きと弦を緩める行為は、私たちの罪を日々、一瞬一瞬悔い改めて、イエス様の血潮で洗って頂くと言う事。そして、弦を緩めるように、私たちの重荷を主に下ろし、主の中で安らぎ、リラックスし、喜ぶことです。また、必要な時には、主にチューニングを合わせて頂き、管理人である私たちが合わせると言ってもいいですが、きれいなハーモニーで音を奏でます。チューニングが狂った状態ですと、愚痴や不満、否定や中傷しか出て来ません。そして、チューニングがさらに狂いますと、人に不快な音を鳴らしたり、自分を傷つけてしまいます。どうぞ、日々に重荷を主に下ろし、また、チューニングを合わせて頂きましょう。私の持っているマーチィンのD-35の定価は、399,000円です。それなりに高価です。だから、私は大切に扱いますし、丁寧に弾きます。あなたの価値、定価はいくらですか? それは、地球1個の価値よりも遥かに高いです。その価値は、神の一人子イエス・キリストの命と同じ価値です。あなたのオーナーである神様は、どれだけあなたを大切に思っているでしょうか? 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と語られます。どうぞ、管理を任されたあなたは、神様の心を知って、大切にあなた自身を管理し、罪や悪魔から自分を守り、神の栄光を奏で、現して参りましょう。祝福がありますように。
2007年05月05日
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私は、アメリカのマーティンD-35を使っていますが、大のお気に入りです。それは、音のパワーがありますし、低音が強くですます。しかし、私にとってお気に入りの部分は、繊細な高音がきれいに出るところです。ボーカルの声を邪魔しないですし、弾き語りが非常にしやすいです。それでいて、リズミカルな曲にも対応します。いいところを言い出したら切がないほど、大のお気に入りです。また、私が好きなイルカも愛用しています。なごり雪という曲はD-35で演奏しています。このギターで、何100回も路傍伝道をしましたし、礼拝を導きましたし、聖会の讃美リードや奏楽をして来ました。ギターは、見た目はそんなに変わりませんが、有名なギターに、ギブソンとかオベーション、ヤマハとかモーリス等々色々ありますが、それぞれに違いがあります。車に乗って、トヨタのカローラに乗っても、三菱のパジェロに乗っても、BMWに乗っても、ベンツに乗っても同じだと感じる人もいるかも知れませんが、通常、全く違う車に感じるはずです。ギターの違いはそれに似ています。それは、優劣というよりも相性が大切だと思います。私が知っている牧師先生でミュージシャンをしている人の何人かは、オベーションのギターを使っています。確かに音はいいようですし、好き好きだろうと思いますが、私にはどうも、女々しく感じてしまってダメです。しかし、それは、私との相性の問題です。そのギターが大好きという人もたくさんいるのです。私は、ギターとピアノが好きです。細かく言えば、シンセサイザーとか、ベースギターも好きですが、楽器を奏でることは本当に大好きです。嫌なことがあっても忘れられますし、元気がなくても元気になります。また、心の疲れや傷があるような時にも、いやしを感じることが出来ます。そして、気がつけば、愛する主イエス様を礼拝しています。私は、特にギターを薦めたいと思います。ギターは、小さなオーケストラと言われますが、どこにでも持ち運びが出来ますが、ギター一台で、十分みんなで歌を歌ったり、音楽を楽しむことが出来ます。そして、簡単な伴奏ならば、1ヶ月も習って練習したら、十分に弾けるようになります。私何かは、1998年以降に、路傍伝道でみんなと一緒に弾く様になりましたが、その時は、ほとんど弾けませんでした。しかし、雑音等に間違った音はかき消されますので、あたかも上手に弾ける様な顔で弾いていました。そうしたら、段々自信がついて来ました。そして、続けていたら段々人前に聴かせても大丈夫なレベルになり、ついには、50人、1000人、2000人のステージに立って弾いて来ましたし、新宿アルタ前という、多くの路上ライブがなされる場所で、アンプで音を出して演奏もして来ました。何でもそうですが、続けていればうまくなるのです。もしあなたが、ギターを弾いてみたい、自分の伴奏で讃美がしたい、ライブがしてみたい、と思うならば、十分ギターを弾く資格がありますし、やがてうまくなることを保障します。そして、歌を通して神様を伝えたいとか、歌を通して何かメッセージを伝えたい、ギターを通して讃美をリードがしたいと言う様な強い情熱があるならば早いです。是非、あなたもギターを購入し、ギターを弾いてみませんか? そして、一緒に路傍伝道や路上ライブをしませんか? きっと最高の時間になると思いますよ。讃美は、神様との交わりです。祝福がありますように。
2007年05月04日
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最近、うちの真ん中の子と下の子が水疱瘡にかかりました。やっと完治したのでホッとしていますが、最近は、はしかが流行していると聞きます。ゴールデンウィークには、家族で色々なところに出かけたり、かけがえのない時間を過ごしたいと思いますが、車に乗れば渋滞に巻き込まれ、どこに行っても、人・ひと・ヒトに満ちています。はしか等に感染しないことを祈りたいです。病原菌やウィルスは、人から人に感染します。これは無理をしなくても、同じ空間にいたりしたらてきめんです。使徒パウロは、ペストのような存在だと言われましたが、それほど、パウロが語る福音には影響力があったのだと思います。私たちを通しても、病原菌やウィルスではなく、イエス・キリストの命、愛、恵みが豊かに他の人に伝染させて行きたいものです。伝道とはそのようなものです。伝えようと力んだり、すごんだり、肩に力を入れなくても、自然に感化し、自然に伝わり、自然に伝染して行きます。命のあるものは必ず伝わります。ゴールデンウィークに出かけたら、その出先で家族の中でキリストの愛を伝染させ合い、また、多くの人に伝えられるといいですね。主の愛を分かち合うみなさんに祝福が豊かにありますように。
2007年05月03日
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今年のゴールデンウィークは、火曜日・水曜日と休みの谷間があります。国内でも海外でも、旅行でもしない限り連休を取ることは少ないと思いますが、通常の生活+日帰り旅行くらいならば、谷間もアクセントでいいのかも知れません。あなたはこの休日をどう使いますか?人間の時間は、通常8時間を睡眠、8時間を仕事、そして、残りの8時間が自由に使える時間です。もちろん、食事や身支度、通勤通学も含まれますが、この8時間をどう過ごすかがあなたの人生を決めてしまうのです。なぜならば、睡眠の8時間や仕事の8時間は、他に転用できない時間だからです。この8時間のうちに、1~2時間を奉仕やボランティアに用い、1~2時間をスキルアップや勉強に用い、そして、残りの時間を自分だけの時間や家族との団欒に用いるのがいいと思いますが、この時間の使い方がうまい人は、このようなゴールデンウィークを有効かつ、最大限にエンジョイするために用いることが出来ます。普段の生活がストレスフルで、我慢が強いられ、生活の最低限の収入のために拘束されていると感じているとしたら、ゴールデンウィークのほとんどの時間をストレス解消や寝て過ごして終わってしまいます。もちろん、そうであっていいと思いますし、自由にゆっくり休むのもいい時間の過ごし方です。しかし、ゴールデンウィークには限りがあるのです。あっという間に終わってしまいます。この時間を、うまく配分して、有意義に過ごして下さい。あなたはどう使いますか?これは、期限限定で自由に使っていい小切手を手渡されたようなものです。さあ、神様があなたに自由に使っていいように時間を下さいました。あなたの最もかけがえのない時間として、このゴールデンウィークを使ってください。素敵な時間となりますようにお祈り致します。
2007年05月02日
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今日は午前・午後と予定が入っていましたが、天気が良かったこともあって、家族から一緒に出かけたいという要請があって出かけて来ました。家族で一緒に過ごす時間は、本当にかけがえのないものです。かけがえがないとは、他のもので埋め合わせが出来ないという意味です。家族は、一緒の時や空間を過ごしますが、しかし、ゴールデンウィークには一緒に出かけたり、一緒に食事をすることは大切だと思います。こういうことを通して気分転換がなされますし、ストレスが解消され、心も身体もリフレッシュされます。どうぞ、ゴールデンウィーク中に一日であったとしても、家族と共に過ごす時間を確保し、家族とだけ過ごす素敵な時間をお過ごしください。楽しいですよ。もちろん、家族がいないという人もいるかも知れませんが、そうであっても、教会の兄姉や親しい身近な友達と過ごして下さい。もし、身近な兄姉や親友がいなかったらイエス様に祈る時間を持つことがいいです。つまり、ゴールデンウィークは交わり、交流、コミュニケーションに使うことが大切だと思います。そんな素敵なゴールデンウィークとなりますように、祝福をお祈り致します。
2007年05月01日
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