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前回記事では「縦割り群」の編成により、上級生の教育力を高め、学校を「再生」していった家本芳郎氏の実践を紹介しました。このような新しい取り組みを進める場合、しばしば起こりうる「抵抗」は同僚(教職員)の反対です。家本氏はどのようにしてこの「抵抗」を克服したのでしょうか。『家本芳郎のしなやか生徒指導』の紹介を続けます。 「教育すればするほど悪くなる」克服策の一つとして縦割り群の実践を紹介したところ、ある教師から「とても面白い実践だと考えて、職員会議に提案したところ、時期尚早だとあっけなく否決された」というメールをもらった。 いきなり職員会議に「縦割り群を編成します」と提案したって、通るはずがない。準備作業が必要である。この教師は言って悪いが、そうとうの世間知らずである。(44頁) さて、ここで家本氏の言う「準備作業」というのはどのようなものだったのでしょうか。担任をしつつ、生徒会顧問も担当していた家本氏が生徒に持ちかけたのは「遊び大会」でした。そして、実際に放課後、生徒会執行部主催で希望者を募ってレクリエーション大会を開くことになります。 執行部の子どもたちと相談して呼びかけたところ、初めてにも関わらず全校で150人集まったのだそうです。引用を続けましょう。 最初に「班づくり」というゲームをした。遊びリーダーの指定した数でグループをつくる遊びである。(・・・)最初は二つ、ついで三つ。今度はグループの中に異性を含むことを指定する。さらに、異なる学年が混じるようにと指定する。こうして、最後に三つの学年が混じった15人のグループをつくった。 これは縦割りグループである。このあと、縦割りグループが対抗するゲームをして遊んだ。(・・・)上級生はみんなやさしく親切である。すぐに仲良くなった。 生徒会関係の教師も参加したが、三年生の下級生へのていねいな態度に「三年生のまねをするな」と蛇蝎視してきたこれがあの三年生なのかと目を見張って驚いていた。「この活動が学校再生に役立つかもしれない」かすかに希望の光がさしたようだった。(45頁) この遊び大会は、さらに回数を重ねた。慣れたところで、生徒会集会で、縦割り群による遊びを取り上げた。 さらに、生徒会の議会や委員会でも、縦割り群で固まって座席をとるようにした。一組群として、一、二、三年の各一組が机を寄せ合いグループをつくって会議に参加するようにした。「新一年生に教えるため」という理由をつけた。(・・・)一、二年生は上級生の指導に感謝した。(・・・) この活動は、上級生にも強い影響を与えた。下級生の見本になる、下級生を指導するという意識改革をもたらした。三年生の態度が少しずつ変化してきた。(46頁) 生徒会顧問会議では、しばしば上級生の指導性が話題になり、(・・・)こうして、年度末反省会で、来年度から少しずつ生徒会活動において縦割り活動を進めることに決まり、「非行学校」から脱出できる見通しが立った。(47頁) さて、「縦割り群などを取り入れようものならあっという間に学校が荒れるぞ」といった不安・反対の声というのは、現実の生徒の力をなかなか信じられないところから生まれてきます。それはどうすれば変わるのでしょうか。 上記の事例からもわかる大切なことは「新しい試み」を進めていきたいという個人(自分自身)がまず生徒を信じること。子どもたちと向き合いながら実践し、子どもたちの力(成長)が見えるような成果を一緒に創りだすことだと考えます。〔私自身も去年、学年のリーダー(正副室長)と相談しながら、生徒の企画・進行による学年(6クラス)合同レクリエーションを「指導」しましたが、リーダーたちは見事に成功させました。「本当に生徒の力でそんなことができるだろうか」という思いも多少ありましたが、そんなものを吹き飛ばしてくれるような力を子どもたちは持っています〕。 民間教育研究団体では「実践と実績で進める学校づくり」ということがよく言われてきました。「子どもたちの力(成長)が見える取り組み、できたという事実」によって生徒の中に、教職員の中に少しずつ新しい取り組みへの(不安ではなく)希望をふくらませていくことが大切なのではないでしょうか。 もっとも、家本氏自身も新しい実践や試みにブレーキをかける「保守的な学校現場」に憤りを感じていた時期もあったのだそうです。しかし、そこから出発した考察も興味深いものでした。次回記事で紹介します。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です)(教育問題に関する特集も含めてHP“しょう”のページにまとめています)
2009.04.25
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家本氏がある中学校に転勤して新一年生を担任したときにびっくりした言葉、それは「3年生を見習ってはいけない」という言葉だったのだそうです。 「たしかに、3年生はほめられた存在ではなかった。校則違反は日常茶飯事、全校朝礼にも半分くらいの生徒が遅刻してくる。私語も多い。(…)授業中も、教室から出たり入ったり、注意した教師に暴力をふるうなど、3年生の状態はひどかった」。(『家本芳郎のしなやか生活指導』83頁) ところが、3年生の悪い影響が2年生に伝染し、1年生に伝染していきます。教職員も手をこまねいていたわけではなく、色々な対策を立てて取り組んだということですがなかなかうまくいきません・・・。 「なぜ、教育すればするほど悪くなるのだろうか。そう嘆いていた矢先に、一年生の中からさまざまな問題行動・非行(集団的な喫煙、性的非行、万引き、暴力、カンニング事件)が次々に発生した。1年生の教師集団は呆然として言葉を失った」。(84頁) このような現状を受けて家本氏は1年生の学年会で次のような問題提起をします。1、問題の発生を押さえるために管理し説教するだけでは防げない。2、上級生の影響力は教師集団の指導力を上回る。その影響力を防ぎきれるものではない。(・・・) この「影響力」は、現在のところ、「悪い影響力、否定的な影響力」として発揮されている。それを「よい影響力、肯定的な影響力=教育力」にかえることはできないだろうか。もし、そのことに成功すれば学校は一変するに違いない(・・・)。 もし、上級生のリーダーシップを引き出すことに成功すれば、「上級生を見習いなさい」と言えるようになる。(・・・)こんな情景の創出は難しいができないことではない。だが、教職員は目の前の事件に忙殺されていた。 (86頁) どうしたらいいのだろうか。(・・・)上級生をして、指導せざるを得ない位置におくことである。その教育的装置として考えたのが縦割り群である。次年度、生徒会が全校の基礎集団として縦割り群を編成することにした。3年1組、2年1組、1年1組を1組姉妹兄弟学級群とし、上級生学級は下級生学級を指導する役として位置づけたのである。(89頁) さて、一般的に縦割り群の活動は1、異年齢と交わりあう能力を磨く、2、年上から学び年下へと伝えていく生活文化を育てていく、といったことを目的に行われるようです。 それに加えて(それ以上に)ここで家本氏の強調した目的は「全校の指導勢力をつくること」でした。上級生を指導する勢力に育てるという方針です。一体どのように具体化したのでしょうか。 「上級生が下級生に自信を持って指導できることは何だろうか。集会・校則・掃除・授業はだめ。しかし、スポーツならできる。そこで、生徒会の全校スポーツ大会を縦割り群の対抗戦として開くことにした。(・・・)試合は1年生の女子からはじめた。試合に先立つ練習には、縦割り学級の2年生の女子がコーチした。例えば、2年生がチームをつくって練習試合をしてくれた。男子もおなじように縦割り2年生の男子がコーチした」。 「次に2年生の試合。その練習は、今度は、縦割りの3年生がコーチした。2年生の試合が終わって4つの順位(男・女×縦割り2学年それぞれの順位)が合計された。点数の少ないところほど上位である」。(89頁) 「最後が3年生。この勝負で優勝が決まる。縦割りの下級生も大勢詰めかけて応援。3年生も必死である。(・・・)こうして3年生男女別の試合が終わり、順位を合計して優勝を決めた。(・・・)勝敗はともかく、やさしくていねいに指導してくれた上級生学級がある。 まとめの全校集会では下級生が次々に立って「上級生、ありがとう」と謝辞を述べた。上級生は、自分たちが下級生から感謝される存在であることをはじめて知った。 この活動によって、上級生のリーダーシップは覚醒し、指導学年として位置づいていった。その後、縦割り活動は、このスポーツ大会から合唱活動、やがて、委員会・学級・学習活動へと発展していった。(90頁) このようにして見事に「荒れた学校」は生まれ変わります。この事例で学校再生を実現した「学校の力」が、教職員集団の力プラス生徒集団の力であったことは明らかでしょう。しかし、このような縦割り群の実践は比較的身近で事例も多いとはいえ、家本氏の報告したようにうまくいくものでしょうか。 実際、家本氏が提案した「縦割り群」に対して、「そんなことをすればあっというまに全校が荒れるぞ」という声も出たのだそうです。また、(別の学校の教員が)まねをして縦割り群を提案したがあっさりと否決された、という声も家本氏に届いたとのことでした。 「かえって現状をより困難にするのではないか」といった不安の声もある中で、合意を積み上げながら改革の歩みを進めていく「学校づくり」、「教職員集団づくり」が成立したポイントはどこにあったのでしょうか。次回はそこのところを紹介します。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.04.18
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この間、私が多くの学びと刺激をいただいているブログの一つに「教育の窓・ある退職校長の想い」(toshiさんのブログ)があります。 質の高い数多くの記事を発信しておられますが、2008年12月14日の「テレビ報道番組から、(4) 公教育の改革は現場の力で!」 にも大きな刺激を受けました。 『真相報道バンキシャ』で報道された『問題校が模範校に・・・公立中の自力改革』に登場する校長の発言「(国や教育委員会が、)いくら制度いじりをしても、その制度を運用するのは教師なのだ。学校を変えるのは学校の力ですよね」をとりあげ、次のように述べておられます。>教育をよみがえらせる一番の力は、『学校の力』なのである。>そういう意味で、国や教育委員会のなすべきことは、学校や教員に対し、強圧的、権力的に臨むのではなく、学校や教員を支援する、そして、信頼する、そうした方向性をもった教育行政でなければならない。>それを実感させてもらえる映像だった。 番組はこちらです。(画面左、「問題校が模範校に・・・公立中の自力改革」をクリック) 上記ブログ記事でtoshiさんは、そのような自力改革がいかにして成立したのか、学校長の姿勢や、具体的な実践についてわかりやすくていねいな考察を加えていらっしゃいます。まだお読みになっていない方はぜひご一読ください。 さて、この自力改革における鍵となる言葉は「学校の力」ですが、問題は「それを高めていくために大切なことは何か」ということでしょう。 このような「学校の力」に関して私も具体的な実践事例をもとに特集記事(左記カテゴリーの「学校の力を高める」)をまとめました。ここで、簡単に総括しておきたいと思います。 私が特集記事で取り上げたのはU高校の取り組みです。この学校においては校長のリーダーシップではなくKさんというキーパーソンを中心に職員集団がさまざまな取り組みを展開することで「学校の力」が大きく高まっていきます。〔U高校の実践の内容〕1、根本的な論議の積み上げ 「茶髪」、「中抜け」等、子どもたちの現状をどのように見るか この論議をへて「即決でなく、放任でなく」、「きまりは時押さえ」、といった方針を確認2、研修会の実施 「○○先生に学ぶ」というテーマの研修会を行う (U高校の例ではありませんが「授業研究の取り組み」も学校の力を高める重要な研修でしょう)3、こどもたち(生徒)自身の集団の力を高める取り組み・赤点学級(留年防止のために生徒が討議し、関わり合う)・入場者4000人を越える学校祭の取り組み ・全校タバコ討議 U高生による喫煙の実態に関する討議を経て全クラスで「タバコ追放宣言」を出す・危険な踏み切りの通行に関する要求運動・自主管理から、駅前公園づくり に展開 U高校では職員集団の力が生徒集団の力を高め、具体的な取り組みが子どもたちの誇りや仲間・学校への信頼感を高めていきます。 それが、保護者との連携を深めるだけでなく「学校を突き抜けて地域へ」と実践が大きく展開していくのです。 さて、そもそも「学校の力」とは何でしょうか。 U高校の実践例から強く感じるのは「教職員集団の力と生徒集団の力だ」、という点です。取り組みの全体が「生徒集団の教育力」を抜きにしては成立し得なかった学校改革だといえるでしょう。 確かにU高校の場合、その実践は長い年月かけて行われた壮大な取り組みです。学校の力を基盤にして行われた「高校生が駅前広場をつくる」実践にしても、簡単にできるものではないでしょう。しかし、基本的な姿勢や発想、生徒集団の力を高めるための重要な点を実践から取り出していくことは可能です。 そのことを私なりに試みましたので、時間のあるときに左記カテゴリー「学校の力を高める」の各記事をごらんいただければ幸いです。(上記 〔U高校の実践の内容〕 でリンクした記事も含まれています。) また、U高校とは別に「生徒集団の力を高め、学校を改革していく取り組み」として、比較的身近で具体的にできそうな実践例もあります。 全生研で活躍しておられた家本芳郎氏の著書『家本芳郎のしなやか生徒指導 -生徒を大切にした明日につながる実践を-』に示されている学校再生の取り組みです。 職員集団の力以上にこどもたち(生徒)の集団の力・集団の教育力(影響力を含む)に注目したこの実践を次回記事で紹介します。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.04.12
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堀尾輝久著『いま、教育基本法を読む 歴史・争点・再発見』(岩波書店、2002年刊)の引用・紹介を続けます。〔引用〕 本来の教育行政は、こういう実践を行うためには、こういう条件が必要なのだという教師の教育の内容や実践についての要求に耳を貸し、条件を整えていく責務をもつものであり、教育と教育行政のこのような関係こそが、つくられるべきだと思うのです。 そのためには学校の実情がよくわかる地方教育行政の責任は大きいのであり、そのために教育委員会法(1948年)では教育委員に公選制がとりいれられ、父母・住民・教師の教育条件整備にかかわる意向を直接に反映させるようにしたのです。〔コメント1〕 この教育委員会法も戦後における教育の民主化の重要な柱となるものであり、その第一条には教育基本法十条の文言がそのまま取り入れられています。 「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実状に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする」 しかし、このような法の精神はその後、しっかりと尊重され具体化していったのでしょうか。残念ながら答は「否」ですね。〔引用〕 戦後の教育史においては教育の自律性を保障すべき教育行政がその任務を超えて、教育の自由の精神を踏みにじり、管理を強化してきたといえるのです。そしてその歩みが、特に1955年頃を境に大きく進められていき、その動きの中で、この十条解釈が大きな争点になってきているのです。(・・・)〔コメント2〕 仮に時の権力(政権担当者)が教育を思い通りにしようと考えた時、妨げになるものは何でしょう。いうまでもなく戦後の日本においては、教育基本法十条(およびその精神をそのまま反映した1948年の教育委員会法)でしょう。実際、政府(政権政党)によって行われたのは、十条の解釈を変更し、その精神に反する法を制定することでした。〔引用〕 「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」が、1954年、国会に警官隊を導入して強行採決されて、制定されます。これは、(・・・)基本法の措定する国家と教育の関係、そして国家権力からの独立という意味での教育の中立性の原則を大きく変え、国家は中立の保持者として、何が偏向しているかを裁く地位につく、という大転換を意味するものでした。(・・・) もう一つは、1956年に教育委員会法が改正され、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が通り、公選制の教育委員会が任命制に変わったのです。〔コメント3〕 創意工夫しながら教育を自主的に創っていく権限を、地方に、教育現場に、国民(地域住民)に、という戦後における“教育の民主化政策”は、このように大きく転換し、“教育の中央集権化”が進められていくことになります。 その背景となる政治情勢はどのようなものだったのでしょうか。 戦後、資本主義陣営と社会主義陣営が激しく対立するなかで、米国の対日政策が当初の「民主化・非軍事化」から「日本を極東の(軍事的)防壁にする」という方向へ転換し、日本の再軍備と「防衛力増強」を強く求めていくようになった、ということが真っ先に挙げられます。1953年の朝日新聞に載った池田・ロバートソン会談覚書の一部を紹介しておきましょう。(一)日本の防衛と米国の援助 会談当事者は日本国民の防衛に対する責任感を増大させるように日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである。 当時の政治家(政権政党)によって結ばれた上記のような合意を具体化していくための手段として教育が位置づけられ、「教育の民主化」から「教育の中央集権化」へと教育行政の方向が大きく転換していくことになったのです。 制定後60年経って行われた「教育基本法改正の強行採決」についても、そのような歴史を踏まえて理解していくことが大切であると考えます。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.04.04
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