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飯田哲也氏の文章の紹介を続けます。氏は、「送配電ネットワークの系統利用の原則とルールの見直し」について以下のように明確に提言しています。 系統利用の原則とルールの見直しを 長期的に見れば、エネルギーシステムを低炭素かつ分散型に大きく構造転換することが予想される。すでにドイツなど欧州はその方向に向かいつつあり、オバマ政権の方向性もはっきりしている。日本では、まだ議論のとば口に立ったばかりだが、まずは(送電・配電に関する)系統利用の原則とルールの見直しだけでも先行する必要がある。 送配電ネットワーク(装置・システムだけでなく需給調整を含む)は、純粋公共財ではないものの、高速道路と同じような広義の「準公共財」であることは疑いない。また、自然エネルギーへの転換は、個々のプロジェクトは民間営利事業であっても、総体としての取り組みは、環境とエネルギーの側面から社会の持続性に貢献する上で不可欠な「公共政策」といえる。 米国で確立した「オープンアクセス」(一定の適格性を持った自然エネルギーは自由に送電網にアクセスできるという考え方)や、欧州で確立した「優先接続」(自然エネルギーは優先して送電網にアクセスできるという考え方)は、そうした2つの考えに基づいている。 しかし日本の現状は自然エネルギーの系統接続を各電力会社の裁量に委ねており、(・・・電力会社以外の施設による発電は)〔( )内は引用者〕排除的に扱われており、準公共財および公共政策の2つの視点から適切とはいえない。したがって日本でも自然エネルギーに対して、「優先接続」を確立すべきではないか。〔コメントの続き〕 以上のような問題に関しては国の政策を変えることが決定的なポイントです。 現状では、自治体が国から「グリーンニューディール基金」を受け取っても、風力発電施設の増設に関しては決定的な制約があります。(従って、自治体は、本気でグリーンニューディールを実行しようとすればするほど壁にぶつかる。)だからこそ、制約の撤廃・改善を県としても国に強く要求していくことが大切でしょう。 具体的には、次のような方法が考えられます。1、県内で市民も参加できる「審議会」、「委員会」を立ち上げ、現在「欧米」で進みつつある政策と日本の現状(その落差)を比較し、県の政策と国の政策(とりわけ自然エネルギーの導入に関する政策など)に対する提言をまとめ発表・発信する。2、他の都道府県や横浜市などの自治体と連携し、複数の首長が連名で提言をまとめる。関東知事会議が国に「温暖化ガス15%削減(1990年比)」を要望した前例もあるが、より多くの自治体の首長が共同で提言をおこなうことが望ましい。 なお、国に対する「市民等の提言」をまとめるにあたっては、先進的なスウェーデンの取り組みや自然エネルギー施設による電力を高価格で継続的に買い取るドイツやデンマークの取り組みを参考にすることが大切だと考えます。 NHK ようこそ低炭素社会へ より(補足) 私が強調したいのは、上記のような審議会における論議も含め、(スウェーデンのように)温暖化対策やエネルギー政策に関わる公論を形成していくことです。そこを大切にしなければ、私たちはより望ましい状況を自らの力で創り出すことはできないでしょう。 もちろん、このような「公論の形成」と同時進行で「首長が連携して行う意思表示」や「地方議会における審議⇒具体的決議」といった動きが望まれます。しかし、「持続可能な社会を次世代に残していけるかどうか」という重要な分かれ道に際して「誰かにおまかせする運動」は何としても越えていきたいと考えるのです。 続く 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.06.27
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4月に環境省は「日本版グリーンニューディール」を発表しました。 それに基づいて国から各都道府県に総額550億円の「グリーンニューディール基金」(私の居住する県にも約10億円)支給が予定され、「地域発 グリーンニューディール」の事業がそれぞれ企画されています。 現在、企画案に対するパブリックコメントを募集している都道府県もあるのではないでしょうか。私自身も、「日経エコロミー」に掲載された飯田哲也(いいだ・てつなり)氏の文章を引用しながら以下のような意見を出しました。少し内容を修正し、順序も変えながら紹介します。 「地域発 グリーンニューディール」に関する意見 示されている構想自体は「可能性のあるグリーン事業」を網羅してあるという印象です。しかし、持続可能な形でそれらを実現していくためには、考えるべき点があるように思われます。現実に「新しいグリーン事業」や「(環境配慮型)農林業」などは、採算面で困難を抱えている場合も多く、それを突破するための工夫が必要でしょう。○私自身の基本的発想1、環境に対して好ましい消費行動や生活を行うことが個々の主体にとってプラスになるような「経済的インセンティブ」を導入することが、県内の『二酸化炭素削減』及び『グリーンな産業の振興』にとって決定的な意味を持つと考えます。(県内における「環境配慮活動」や「エコ製品等に対する需要」をいかに高めていくか、という問題。)2、風力発電の増設等、自然エネルギーの積極的な導入は二酸化炭素削減と新たな雇用創出にとって重要ですが、日本の制度自体が大きな「足かせ」となっています。したがって、その「足かせ」を撤廃していくための活動と工夫が重要な課題です。(ここで順序を入れ替えて、2の方から紹介します。)○具体的な方策2 「地域発グリーンニューディールのコンセプト」の中には風力発電の図も描かれていますが、具体的な推進の部分でほとんど出てこないのは、「制度的な足かせ」が大きいためではないでしょうか。〔現行制度の問題点〕 これについては、「日経エコロミー」の飯田哲也(いいだ・てつなり)氏の文章に詳しく説明されていますが、「現実のカベ」について氏は次のように述べています。■電力会社の「3つの独占」のカベ 自然エネルギー政策に最も消極的であり、かつ構造的な課題になっているのは、日本の10電力体制だろう。全国を10の地域に分け、それぞれの地域を唯一の電力会社が独占する「地域独占」と、発電から送電、配電、売電までの機能を1つの電力会社が独占する「垂直統合」(機能の独占)であり、それぞれ90年代後半から部分的な自由化は進んだが、実態は変わっていない。エネルギー政治への影響力も極めて強く、それを含めると「3つの独占」といえる。 この電力会社が自然エネルギーに対して消極的な姿勢であり、とくに日本の風力発電市場は立ち枯れ状況にある。その理由は自然エネルギーに対して優先的に送電線を開放する原則がある欧州や米国に対して、日本では「風車の電気が系統を乱す」という口実で、電力会社が風力発電の導入制限を設け、さらに蓄電池の設置を義務付けるなど、締め出しているからだ。 (・・・中略・・・) 太陽光発電に対しては、家庭が中心なので、電力会社もまだ前向きの姿勢だが(これ自体にも問題が含まれています:引用者)、今後、仮に急速な普及期に入ると態度が大きく変わる可能性がある。■機能する政策へ開かれた政治を グリーン・ニューディールの核となる自然エネルギー政策だけでなく、地球温暖化対策も日本は大きく立ち後れており、いま環境エネルギー政策の見直しは待ったなしだ。米オバマ大統領が言う通り、「大きい政府か小さい政府かではない、機能する政府」は日本にこそ必要だ。 一体何が機能していないのか、そして、どのような形で機能することが大切なのでしょうか。確かに、上記のような「足かせ」をそのままにしていては、いくら「地域発 グリーンニューディール」で風力発電の増設を目指しても、ほとんど具体化できないでしょう。 現状を打開するために飯田氏は、「送配電ネットワークの系統利用の原則とルールの見直し」について明確に提言していますが、長くなりますので紹介の続きは次回にします。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.06.23
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引き続き科学者である明日香氏の論文「地球温暖化問題懐疑論へのコメント Ver.3.0 」(最後の部分)を紹介します。 2006 年3 月29 日のホワイトハウスでの記者会見にてブッシュ前米大統領は、温暖化が起きていることは認めるものの、人為的二酸化炭素排出が原因であることを疑うような発言をしている。すなわち、懐疑論者と同じことを公式の場で発言している。 そのブッシュ前大統領に関して、(・・・)ポール・オニール元財務長官(・・・)は「米国が京都議定書から離脱した理由は、温暖化対策が石炭・石油業界などのブッシュ政権の支持基盤の利益に背くと大統領およびチェイニー副大統領が判断したため」という趣旨の発言をしている(サスキンド 2004, p.160)。 このように、温暖化対策を遅らす余裕を人類は持たないはずなのに、ドロドロとした政治や利益集団、そして彼らに意識的、あるいは無意識的に操られた懐疑論者が足を引っ張っている。 「地球温暖化問題懐疑論へのコメント Ver.3.0 」85頁 米国のブッシュ政権時代の上記現実、そして、その時代に数多く流布された「温暖化対策の必要性に対する懐疑論」の悪影響など、今の日本、そして、これからの世界を考えていくうえで貴重な教訓にしていく必要があるのではないでしょうか。 「1990年比で4%の排出増を中期目標とすべきだ」と主張してきた産業界(経団連)は「懐疑論」を利用しながら「自己利益のために温暖化対策に反対しているのではないか」という批判に充分応えることができるのでしょうか。 明日香氏も次のように述べています。 温暖化対策を進めることは、温暖化防止のためだけではなく、(・・・)資源の有効利用、貧困削減、そしてエネルギー安全保障という側面でも非常に重要な意味を持つ。したがって、自己利益だけのために温暖化対策に反対する人々に都合よく使われ、温暖化対策は必要不可欠という社会意識の醸成を阻むボディーブローのように効いている懐疑論に対しては、(・・・)一つひとつ丁寧に反論をしていかねばと思う。 「地球温暖化問題懐疑論へのコメント Ver.3.0 」85頁 しかし、産業界(の一部?)は「懐疑論」も利用しながら次のように主張するかもしれません。「そもそも京都議定書の取り決めや1990年という基準年が不公平だったのだ」と。この問題についても明日香氏は上記論文で言及しています。 (・・・)イギリスとドイツの京都議定書の数値目標に関して言えば、欧州連合(EU)全体での削減数値目標はマイナス8%であるものの、欧州連合(EU)の国の中の分担ではさらに厳しい目標を課せられていて、イギリスはマイナス12.5%、ドイツはマイナス21%とそれぞれなっている(ともに1990 年を基準年)。 一方、日本は、ほぼ日本だけのための特別権利のようなものとして森林吸収分としてマイナス3.8%を得たため、実質はマイナス2.2%(-3.8+6)とも言える。だから、この数値だけから判断すると、日本はかなり有利とも考えられる。(・・・)温暖化対策の分野で、日本あるいは日本政府が必ずしも優等生ではないことは、もう少し定量的な議論でも補足できる。例えば、(1990年以降・・・)上位70 カ国では、日本とイランが化石燃料の中の石炭の割合を他国に比べて極端に増やしている。 (・・・)結局、日本の場合、温暖化対策の優先順位が他国、特に他の(ブッシュ政権時の米国をのぞく)先進国に比較して低かったと考えざるをえない。実際に、化石燃料に課せられている税金は、日本の場合、先進国の中でもかなり小さい。(・・・) さらに、しばしば日本に不利だと指摘される1990 年という基準年も、逆に日本に有利なのでは、という議論もある。なぜなら、日本にとっての1990 年というのは、景気が良いバブルのときだったからである。 実際に、削減目標を達成するために、日本とイギリスとドイツが何年前までの排出量に戻らなければいけないかというと、日本は1990 年の2 年前の1988 年だが、イギリスは1947 年、ドイツは1960 年の排出量までに戻す必要がある。 「地球温暖化問題懐疑論へのコメント Ver.3.0 」82~83頁 以上、「懐疑論」や「温暖化対策への日本の消極的対応は当然という主張」には根本的に無理があるようです。しかし、具体的に何をどのように動かしていけばいいのでしょうか。例えば自然エネルギーの急速な普及等、現状を望ましい方向に動かしていくためには、問題点の所在と、解決の方向性を見出していくことが必要です。 次回は、飯田哲也(いいだ・てつなり)氏の文章をもとに、この点について触れたいと思います。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.06.14
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日本経済新聞(6/10)温暖化ガス「15%削減」 首相発表、家計負担は年7万円超に 麻生太郎首相は10日、首相官邸で記者会見し、日本の2020年時点の温暖化ガスの中期目標を「05年比15%削減」とすることを発表した。同時に目標実現に必要な政策や家計負担も提示。太陽光発電を現状の20倍導入するほか、1世帯あたり年間7万円超の負担増が必要だとした。首相は05年比ベースで欧州連合(EU)や米国の目標値を上回る数値を打ち出すことで、今後の国際交渉の主導権を握りたい考えだ。(・・・) さて、本日発表された「05年比15%削減」は国際交渉の主導権を握れるような「野心的なもの」といえるのでしょうか。 日本はバブル景気だった1990年から2005年にかけて二酸化炭素排出量を7.7%も増やしたわけですから、1990年比にすれば8%の削減を「新たな目標」にするというわけです。京都議定書の約束は1990年比で6%削減なので、それに2%を上乗せする中期目標は「野心的な目標だ」というのが麻生氏の主張・・・。どう考えても視野の狭い「内輪」でしか通用しない論理でしょう。 上記の目標値の小ささに加えて基準年ずらし(1990年から大幅に排出量の増加した2005年を基準に定める)の姑息さを考えると「国際社会の失笑」を買うだけでなく、今後の交渉に悪影響を与えそうですね。 事実、日経エコロミーの記事(6/9)で、次のようなコメントが紹介されています。 (6/9)「最低でも25%減に」 日本の中期目標でWWF 【ボン9日共同】世界自然保護基金(WWF)で気候変動分野の責任者を務めるキム・カーステンセン氏が8日、気候変動枠組み条約の特別作業部会を開催中のドイツ・ボンで共同通信の取材に応じ、10日に決定される温室効果ガス削減の日本の中期目標について「最低でも2020年に1990年比25%減にするべきだ」と強調。 日本で詰めの調整が進んでいる同7%減では不十分だとの認識を示した。 カーステンセン氏は「最新の科学的知見は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の予測より地球温暖化が早く進行し、より大規模になるとしている」と指摘した上で「先進国全体で20年に40%、日本の目標のように海外からの排出枠などを含まない場合は、おそらく32~35%程度の削減が必要だ」と述べた。 さらに「先進国は、より小さな削減で済ませるための言い訳を探している」と指摘。日本が削減を7%程度にすれば、ほかの国も低い目標の口実に使い、途上国も排出の伸びを抑えるのに最大限の努力をしないようになる恐れがある、とした。 「国益」を重視する日本政府との間には認識に大きな落差があるようですね。 ところで、本日のテレビの報道では「2005年比15%の削減の目標値は高すぎて実現は無理だ」といった「市民の声」も紹介されていましたが、WWF、気候ネットワークなどの世論調査によれば必ずしもそのような声ばかりではありません。世論調査を実施「日本の有権者は高い削減目標を求めている」(WWFのページ) 2020年までの日本の温室効果ガス排出量の削減目標について、25%削減という提案が「ほぼ適切である」と答えた人は全体の41%、「十分に高いとは言えない」と答えた人は22%で、実に63%の人は、25%か、それ以上の削減に賛成しているのだそうです。 すでに述べたような大きな問題点を含む「温暖化に対する懐疑論」や「積極的な温暖化対策への懐疑論」は、削減に消極的な産業界や日本国政府に利用されている、というのが私の印象です。 まず、報道関係者は必要な学習・確認をしたうえでしっかりとした情報提供を行うこと、私たち国民は的確な情報を踏まえて本当に世界をリードし未来を切り開いていくような合意をつくっていくことが何よりも大切だと考えるのです。 (続く) 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.06.10
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前回記事で、「欧州議会選挙における(スウェーデン)有権者の関心No1」は経済政策以上に「環境問題・温暖化問題・エネルギー問題」であることを紹介しました。日本の現状(「1990年比4%増の目標が妥当」といった主張が経済界から堂々と出され、国民からたいした批判も受けない現状)との落差はどこから生まれたのでしょうか。 「欧州と日本の報道機関の姿勢の違い」はそのような現実の大きな背景となっているようですね。明日香氏も次のように述べています。〔明日香氏論文中の温暖化懐疑論反論関連 「地球温暖化問題懐疑論へのコメント Ver.3.0 」 第2章 温暖化問題におけるマスコミ報道 より〕 米国ほどではないにしても、日本でも「報道におけるバランス」「少数意見の尊重」などを理由に、しばしば温暖化懐疑論者の意見(及び温暖化対策の重要性について懐疑的な意見)が新聞などに掲載される。 しかし、例えば欧州においては、米国や日本のメディアと比較すると、懐疑的な議論が取り上げられる機会は極端に少ない。 これに関して、英ファイナンシャルタイムズ紙の記者で環境分野担当のFiona Harvey は、「欧州のメディアがバランスに欠けているのではない。懐疑論者の議論を同じように取り上げてしまうと、(実際はそうではないのに)彼等がアカデミックの世界でも大きな勢力を持っているという間違った印象を読者に与えてしまうことになると考えているからだ」と明確に述べている(Thacker 2006)。 さて、現在の日本以上に「懐疑論」がさかんにメディアで取り上げられてきた国はどこでしょうか。それは言うまでもなく米国です。それでは「両論」が取り上げられた米国のメディアは欧州よりも健全だったのでしょうか。決してそうではありませんね。 『不都合な真実』の中で話題になった場面の一つを挙げてみましょう。 米国で過去10年間に、論文審査を受けて科学の学術雑誌に発表された「地球温暖化」に関する論文数938(論文総数のほぼ10%をランダムに選んだもの)のうち、温暖化の原因を疑う論文の割合は0%だった。 それに対して、過去14年間に大衆向け新聞に掲載された(記事の18%をランダムに選んだ)636のなかで温暖化の原因を疑う記事の割合は53%だった。 (『不都合な真実』ランダムハウス講談社 262~263頁) 明日香氏も次のように述べています。(・・・)メディア関係の人々に対して、懐疑論者の議論を新聞などで紹介する前に、1)懐疑論の中身や懐疑論者の背景に関してもう少し勉強して欲しい、2)必ずしも現在の科学知識をよく代表するものではないので個々の論文(最新であっても)の結論を重視しすぎないでほしい、などをお願いするのは決して過大な要求ではないと思う。 例えば、「温暖化は起きていない」や「温度上昇のグラフには海や田舎のデータが入っていない」といったような類の議論は、本稿でも説明するように、IPCC や米航空宇宙局(NASA)のホームページにアクセスすればすぐ間違いだと分かる。 また、懐疑論の多くが同種の本や米国の懐疑論者のホームページなどからの受け売りであって、根拠や出典が曖昧なものがほとんどであることも彼等の著書の引用文献などを見れば一目瞭然である。そもそも、大部分の懐疑論者は、気候科学や地球科学を専門とする研究者ではなく、(少なくとも欧米では)特定の利益団体と結びついた人たちである。(・・・) 実際に専門的な学会に参加して、論文を真面目に学術誌へ投稿しようとしている懐疑論者は非常に少ない(日本では一人か二人)。(・・・) そして、明日香氏は、「科学と社会とのコミュニケーションにおいては、科学者の側からの努力が必要」であることを認め、「その努力が不充分であったこと」を反省しつつも、「何と言ってもメディアの影響力は絶大である。温暖化対策の必要性が増す中、“人が犬に噛みついた”のノリだけで温暖化懐疑説を取り上げることだけは是非ともやめて欲しい」という“切実な願い”を訴えているのです。 報道関係者も含め私たち国民が、このような科学者の訴えをしっかり受け止めていくことは、現在、きわめて重要であると考えます。 (続く) 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.06.06
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『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』なども含め、「温暖化懐疑論」が流布する状況の中、科学者たちはいったい何をしているのか、と思ったことがあります。私でもわかるような間違いや問題が数多く含まれるので「相手にしていない」のか? とも・・・。 しかし、現実の(日本における)社会的影響力を考えると、放置できないのではないか? そもそも私が「しょうのページ」、「しょうのブログ」を立ち上げたのも、このような問題意識が背後にありました。 確かに単行本による科学者の「反論」は少ないのですが、「反論」自体は決して行われていないわけではありません。例えば、東北大学 明日香壽川氏、国立環境研究所 江守正多氏らは実際に「地球温暖化問題懐疑論へのコメント」を公開しています。 冒頭の文章は以下の通りです。 人為的地球温暖化説の信憑性や地球温暖化による被害を緩和するための対策の重要性に対し、懐疑的あるいは否定的な見解をとる議論が日本国内でも存在している。社会からの信頼にその活動基盤を置く科学者コミュニティは、こうした現状を座視すべきではないと考える。したがって、本稿ではこれらの議論から主な論点を拾い上げ、一方的な、あるいは間違った認識に基づくものに対して具体的な反論を行う。(・・・) 本稿は、「IPCC:(気候変動に関する政府間パネル)報告書などの結論に異を唱えること」に対して、すべて「懐疑論」のレッテルを貼ろうとしているわけではない。言うまでもなく、物事に対して懐疑的であることは科学の基本であり、常に必要なことである。 ところが、今なお人為的排出二酸化炭素温暖化説の信頼性や温暖化問題の重要性に対して懐疑的あるいは否定的な議論には、次のような特徴をもつものが多い。・既存の知見や観測データを誤解あるいは曲解している・すでに十分に考慮されている事項を、考慮していないと批判する・多数の事例・根拠に基づいた議論に対して、少数の事例・根拠をもって否定する。(・・・)・既存の知見を一方的に疑いながら、自分の立論の根拠に関しては同様な疑いを向けない。・温暖化対策に関する取り決めの内容などを理解していない・三段論法の間違いなどロジックとして誤謬がある このような議論の多くは、これまでの科学の蓄積を無視しており、しばしば独断的な結論に読者を導いている。温暖化のリスクが増大している状況下で、このような議論が社会に広まることを科学者としては看過できない。したがって、私たちは懐疑論に対する具体的な反論をとおして、最新の科学的知見に関する情報発信を行うと同時に、地球温暖化問題の重要性に関する認識の喚起をうながしたいと考える。 以上、明日香氏 HP中の(論文・講演資料データベース⇒地球温暖化懐疑論反論関連)「地球温暖化問題懐疑論へのコメント Ver.3.0 」の冒頭部分です。 上記「コメント」の全体は「科学的なデータと根拠を示しながらきちんとまとめられている」ものです。これは、厳密さに重きを置いてあるためかなりの分量にのぼり、読破するのにも少々骨が折れますね。 しかしながら、様々な問題を含む「懐疑論」が流布し、充分な根拠をもとに積み上げてきた科学の営みが「全く信頼できないかのような言説が横行する」事態を受け、自らの立場を明確にしていくことで科学者としての責任を果たそうとしたものだ、と考えます。 もっと読みやすいものとしては、安井至氏のHPに掲載されている「『偽善エコロジー』(武田邦彦著)に対する反論」などがあります。反『偽善エコロジー』1 反『偽善エコロジー』2 これらの内容について、一部でも要約・紹介したいと考えるものですが、そもそもなぜこの日本において「そのような反論に力を入れなければならない状況」が生まれたのでしょうか。 日本人の大人の「科学的リテラシー」の問題も指摘されるところですが、報道機関の姿勢にも問題はなかったでしょうか。 スウェーデン在住のYoshiさんは、 「欧州議会選挙における(スウェーデン)有権者の関心No1」は経済政策以上に「環境問題・温暖化問題・エネルギー問題」であることを紹介しておられます。 日本とスウェーデンの現状のこれほどの落差はいったいどこから生まれたのか、という観点からの考察も必要であると考えるのです。 (続く) 追記 なお、本ブログ記事の公開後、発行された『地球温暖化―ほぼすべての質問に答えます!』 (岩波ブックレット)には、Q&A方式で大変わかりやすく(明日香論文のポイントが)まとめられています。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ よろしければクリックして投票・応援いただけますか(一日でワンクリックが有効です) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.06.03
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