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>やりがい・教師という仕事をしていてよかったと感じることは何ですか? 高校生からの質問の続きですが、これに答えつつ表記のテーマについて述べたいと思います。 大変なこともありますが、いろいろな場面で子どもたちの成長に立ち合えるのです。これほどやりがいのある仕事はそうないのではないか、と勝手に思っています。 たとえば授業を通して大きな手ごたえを感じることもできます。授業をきっかけに、 「本当の学び」が成立すると「世界の見え方」が違ってくる。これまでと違った仕方で世界を見ることができるようになるのです。 現実に存在する様々な問題を自分自身の問題としてとらえ、「社会を変えていきたい、よくしていくために力を尽くしたい」、とか「学校の社会科の先生になっていろいろな問題を一緒に考えたい」、といいながら大学に進学していった生徒もいます。 そして、私なりに力を注いできた特別活動。 前回、触れましたが担任になった当初の失敗、挫折があまりにも強烈だったので、翌年「子どもたちが成長していくようなクラスづくりができた」、「HR指導の失敗を自分なりに何とか乗り越えた」、と実感できた時にはなんともいえない喜び、充実感がありました。 「特別活動の実践」に関して私自身の体験をもう少し語ることにします。失敗した年に取り組んだテーマは「クラスの自主管理」、翌年に取り組んだ中心テーマは「遊び」でした。 「クラスの自主管理」は、たとえば掃除サボりや教室管理、遅刻、授業に向かう態度なども含め、「班長会(クラスリーダーの会)」がクラスの問題点を分析して、クラス全体に目標を提案→一定期間クラス全体で点検をしながら取り組む→総括する、というものでした。 このような活動を繰り返し行いましたが、「班長(リーダー)は担任の回し者」と見なした男子のグループがしだいに勢力を強め、結局、クラスはバラバラになってしまったのです。(このようなことになる危険性は、小学校段階よりも高校段階のほうが大きいでしょう。) さて、特別活動の大きな目的の一つは「体験を通して民主主義(討議・決定・実行・総括といった活動の大切さ)を学ぶ」ことだと私は考えています。 そして、討議の出発点は「要求の組織」である、つまり、子どもたちが自分たちの要求・願いを言葉にし、討議をしながらみんなの要求としてまとめあげていくことだ、というのが従来からの全生研、高生研の考えです。 さて、そうすると、「クラスの自主管理」が高校入学当初における大部分の生徒の「ありのままの要求であったのか」、 「民主主義の形を作ろうとしただけではないか」という疑問点、反省点が浮かび上がってきます。 マカレンコは『教育詩』の中で「人間的な活動の原動力は“明日への喜び”であり、単純でわかりやすい喜びをまず活動の中で生み出すこと、そして、それをしだいに人間的により価値の高い喜びへと発展させていくこと」の大切さを述べていました。 そのような「読書」の成果を踏まえて、翌年、私のクラスでは、例えば班の輪番で「クラスレクリエーション」を企画し、責任を持って成功させる、という取り組みを繰り返し行いました。 クラス替えの当初、「なるべく楽しく遊んで打ち解けていく」という取り組みは、ほとんどの生徒の支持を得て盛り上がったのです。 それは「楽しさ(快楽)の追求でしかないのでは?」と思えるかもしれません。しかし、活動の中で花開いていくのは単に「楽しみたい」という要求だけではありません。班で輪番に「レクリエーション」を担当・実行するということは、企画を一生懸命考えて「みんなに楽しんでもらう」という価値ある「喜び」を目指すことでもあるのです。 toshiさんがブログ記事で紹介されている事例 では、『1年生を迎える会』について上級生が真剣に話し合っている様子が報告されていますが、その話し合いが成功した大きな要因は「新入生に喜んで欲しい」という上級生の願いであり、 「喜んでくれることをうれしく思う」という人間的な「要求」が背景にあるからでしょう。 「縦割りの取り組み」が成功しやすい理由(toshiさんの言われる「必然性」)もそこにあるのではないか、と思うのです。 子どもたちの要求、願いから出発しつつ、みんなにとって(個人や集団・社会にとって)よりよいことは何か、真剣に話し合い実行に向けて動き出す力、振り返る力をつけることこそが、民主社会を形成する主権者として成長していくことなのではないでしょうか。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.07.30
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私のブログの読者(他県の高校生)からメールで次のような質問をいただきました。>教師という仕事に取り組んできた中で抱えた問題と、それをどのように克服・工夫して乗り越えられましたか? このたびは、その回答を記事として公開いたします。前回記事「特別活動の実践1」の続編を後回しにすることになりますが、関連するところも大いにありそうです。 さて、私を含めて教職員が必ずと言っていいほど直面する問題、克服すべき問題の大きなものは、「自分自身の指導力不足」だと思います。 現実の子どもたちは、それぞれに成長課題をもち、学校において学び成長していく権利があるわけですが、それに応えられるような「“指導力”が自分には不足している」、「そのことにどうしようもない無力感を感じる」といったことは、ほとんどの教職員が体験するのではないでしょうか。 実は、民間企業を10年間ほど経験して教職についた同僚から「民間では職階制のもとで部下への指示はともかく聞いてもらえるが、教職についてみて一体どうすれば子どもたちが言うことを聞いてくれるのかわからない」、という相談を受けたことがあります。 仮に民間経験者でさえそうだとすれば、大学を卒業してすぐに教職についた大部分の教職員がそのような「無力感」を体験するのは、むしろ当然と言えるのではないでしょうか。私自身も一年目講師として勤務した高校で授業さえもなかなか成立せず(確かに学校全体で難しい状況が多かったのですが)、相当に悩みました。 また、採用されてから早い段階で高生研などが実践・推進している「集団づくり」を学んで挑戦したのはいいのですが、実際の指導に柔軟性が欠けていたため大失敗、クラスがバラバラになり「自分は教員に向いていない」、「教職員を辞めようか」、と思い悩むこともありました。 その時、高生研の先輩に勧められたのが『教育詩』(マカレンコ)でしたが、学ぶところは大でした。『教育詩』は犯罪経験を持つ青少年の集まる「コローニャ」という施設での「実践記録」です。 ここで青少年たちは農作業、演劇などを含むさまざまな「部隊ごとの活動」や、施設内での問題について「指揮官会議(ソビエト)」やその上位の決定機関である「総会」で徹底論議しながら実践・解決していきます。 そして、青少年は論議する力やパフォーマンスを高めるとともに、総会での民主的な決定事項を実践する力を身につけ、最終的に「コローニャ」は本当に素晴らしい教育力を持った集団に成長していくのです。 マカレンコがある段階で取り入れた「軍隊遊び」と「部隊の活動」、「指揮官会議」などの教育的な装置が、実践の中で「民主的な集団の形成」へと発展していったのです。 そのなかで私が強く印象を受けたのは、そのような素晴らしい教育実践家であるマカレンコにも「いったいどうすれば教育が成立するのかわからず、苦しみ悩む期間が長く続いた」ということです。そしてマカレンコはその苦しみを突破する意志を失うことなく、「方法」を模索し続けついに乗り越えていったことでした。 私は、この『教育詩』の実践と「私の実践」を自分なりに徹底分析し、マカレンコの実践における優れた点や学べる点を書き出しました。そして、 『教育史』以外の多くの実践記録(単行本や「高生研」の機関誌)を読み、その優れた点を書き出していきました。 そのようにして「教育」や「指導」の展望が見えてくると、実践に向けてのエネルギーも高まっていきます。翌年担任したクラスでは「特別活動」に力を入れながら「クラスづくり」「集団づくり」をすすめ、前年度に大失敗したクラスの生徒(クラス替え後、再び私が担任した生徒)も、 「生まれて17年間の中でこの一年間が一番よかった」というまでになりました。 もちろん、このクラスでの実践にも不充分なところは多々あったのですが、私個人について言えば「挫折を何とか乗越えた」一年になったのです。 いろいろな本を読んだことはもちろんですが、自らの指導の問題点と実践の展望を見出せた大きな要因として、私がすでに高生研に所属し、自分の実践報告も含めて、教育実践を分析する活動に関わっていたことが大きいと思います。 そして、悩んでいる時期に参加した日教組の教育研究全国集会も同様に大きな力になりました。このような教育研究活動は、「教職員にとって決定的な意味を持つ」と考えています。 さて、8月上旬には民間教育研究団体である全生研や高生研の全国大会があります。(高生研は8月1日~3日 大阪) 自らの「指導力」に悩んでいる方、教育実践の力をより高めて行きたいと考える方、直前の申し込みでも大丈夫のようです。部分参加ももちろんOK。ぜひ、参加してみませんか。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.07.26
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toshiさんのブログ(「教育の窓 ある退職校長の想い」) 小学校の特活はどこへ? 学習指導要領の変遷から に刺激を受けて、久々に教育をテーマとする記事を連載します。 上記の記事でtoshiさんは新学習指導要領の内容を引用しながら次のように述べておられます。 どうだろう。 (特活が)人としての生き方に、もろにかかわる領域(教科ではない)であることがご理解いただけるだろう。 もっと言わせていただければ、・多数決による決定とか、・少数意見の尊重とか、・できるだけ、合意を目指すとか、 そうした意味では、民主主義社会を守り、より確かなものにしていく上でも、大切な学びと言えるのではないかと思う。 私もそのとおりだと思います。そして、子どもたちが教育基本法でいう「平和的な国家および社会の形成者」に育っていくことを意図して「特別(教育)活動」が導入されたことを考えれば、単に「集団に調和・適応する個人」ではなく「現実や社会の問題点に気づき、よりよい社会を創造する主権者」の育成が大きな目的であったことも明らかでしょう。 「民主主義社会を守り、より確かなものにしていく」という上記コメントも、そのようなものとして理解したいと思います。そして、以下のようなtoshiさんの例示からもわかるように、子どもたちは学校における具体的な活動や生活の中で生じる問題解決の体験を通して、そのような力を少しずつ身につけていくことが期待されるのです。 学級生活、学校生活における諸問題については・・・、 たとえば、・子どもが計画し、準備し、運営するお楽しみ会・学級生活を円滑に営む上で必要な学級生活のルールや、めあての設定・係、当番活動などの組織づくりや運営上起こりうる諸問題の解決 など、教科ではとても扱いきれない学習があるはずだ。 このような特別活動の意義を踏まえつつ、toshiさんは自らの実践例も示されるわけですが、近年における「特活の現状」に次のような疑問を投げかけられるのです。 これが形骸化しているという心配はないか。 まず、現状において、特活における学びは、ほんとうに、上記のねらいを達成できる学習になっているだろうか。 形式にとらわれたり、長年の慣習にながされたり、子どもの活動に見せかけてはいるが、実質は教員の一方的な指示によって動かしていたり、 特に近年の学力競争の中では、『特活の命』が失わされてはいないか、心配になる。 上記ブログ記事ですでにtoshiさんが試みておられることですが、大切なことは次の2点であると考えます。1、特別活動の現状はどうなのか、きちんと点検すること(話題として共有していくこと)2、本物の実践(特別活動本来の目標を達成している実践)に注目し広げていくこと まず1について私自身が早速実践したいと思うことは、・保護者として、子どもの通う小学校の職員にtoshiさんの上記ブログ記事を紹介し、話題にすること。(実は、小学校の管理職は以前からよく知っている人だったこともあり、toshiさんのブログをすでに紹介しています。) ・PTA役員同士でも「特別活動のあり方」を話題にすること。 (昨年度、「学力テスト」の結果について〔保護者が集まった時に〕学校から説明がありました。 その時〔それ以降〕、PTAとしては目先の点数にこだわる論議をするのではなく、 例えば「学校図書館に常勤で専任の司書を配置することが、“総合読解力の向上”にもつながるのではないか」、 「地域の行事への参加率の高さが“世の中の役に立つ人間になりたい”といった子どもたちの意識につながっているのではないか」、 といったことを含めて論議しているので「特活」についても話題にできそうです。)・教職員組合主催の「教育研究集会」(小・中・高等学校の職員が一緒に論議できる)の「自治的諸活動と生活指導」の分科会で、toshiさんのブログ記事を紹介し、論議すること。・職場(高校)の同僚や高生研の仲間にも上記ブログ記事を紹介し、積極的に話題にしていく。〔考えてみれば、これが第一番ですね〕(一保護者であれ、教職員であれ、問題点を共有する方向へ一歩踏み出すことはできると思うのです。) そして、2についてはtoshiさんの実践を紹介・分析したり、民間教育研究団体の、「全生研」、「高生研」(特別活動に力点をおきながら実践と理論的研究を積み上げてきた)の実践的な成果を広く共有できるよう努めたいと考えます。 20年前に比べて民間教育研究活動も困難になっているとはいえ、「全生研」はまだまだ元気、「高生研」はとりわけ今年全国大会の開かれる大阪で精力的な実践や活動が展開されています。具体的な内容については次回に・・・。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.07.18
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「地域発 グリーンニューディール 1 」で私は県が提示した政策について「現実に“新しいグリーン事業”や“環境配慮型農林業”などは、採算面で困難を抱えている場合も多く、それを突破するための工夫が必要でしょう」と述べました。 そして、「環境に対して好ましい消費行動や生活を行うことが個々の主体にとってプラスになるような“経済的インセンティブ(動機づけ)”を導入することが、県内の『二酸化炭素削減』及び『グリーンな産業の振興』にとって決定的な意味を持つ、(県内における「環境配慮活動」や「エコ製品等に対する需要」を高めていく)、という問題を提起しました。 以下が、具体的な方策です。※「県版エコポイント推進事業」を行う=県独自の「エコポイント制」を創設する1、例えば次のような場合、エコポイントを獲得できることにするア、家庭や事業所、公的機関における二酸化炭素削減の取り組みを数値化し、県独自のエコポイントをつける。(例えば学校や家庭でも取り組んでいる「県版環境管理システム(TEAS)」の取り組み成果を数値化し、エコポイントをつける)。イ、県内の「環境保全型農産物」、「県産材で作られた製品」等、輸送距離が少なくかつ環境保全型製品と言えるものをリストアップし、基準を決めてエコポイントをつけ、それらの購入の際にポイントが得られるようにする。 ウ、そのほか、公共交通機関での通勤者(本県のような地方における)がエコポイントを得られるようにしたり、バス会社や小売店などに協力を要請し「公共交通機関で移動・来店した、」ことを確認してスタンプを押す⇒その数をエコポイントにする、といった方法も考えられる。3、「県版エコポイント」を使える商品等のリストを作る 「県産の農産物」、「県産の木製品」、「県産の省エネ製品」(例えばペレットストーブ)など、環境を保全しかつ地産地消を促進するという観点で選ぶ。 製品の購入だけでなく、公共交通機関と連携して「バスやJRの利用にエコポイントを活用できるようにする」といったやり方も有効であろう。 あるいは、上記に加えて県の「文化・研修・リフレッシュ事業補助」の対象となっているような施設を使用する際に、エコポイントを使えるようにする、というのも一法である。※「県版エコポイント事業」の財源をどうするか? 当面、財源は国からの「グリーンニューディール基金」を用いる。 この基金が使えない場合は、「使える形にするよう」国に強く要求する。 将来的に考えられる財源ア、現行の「森林環境保全税」を拡充し「環境保全税」とし、それを財源とする。イ、県内の自治体(市町村)との共同で風力発電施設などを増設し、その収益を財源とする。ウ、環境税(国税)を導入し、それを国が各都道府県に適切に配分する。 ア、について当面「グリーンニューディール基金」を財源として用いつつ実績と成果を作っていけば、「県環境保全税」に関する一定の合意も可能になると思われる。ただし、財源の規模を大きなものにすることは難しいかもしれない。 上記イ、ウは一見先が長すぎる非現実的な話にも見えるが、必ずしもそうとはいえない。イ、については、「制度的な足かせ」さえ外すことができれば、(つまり、ドイツやデンマークのように自然エネルギーで発電した電力を高価格で継続的に購入する体制ができれば)、まさに借金返済の負担も少なく「発電施設の設置という公共事業」が進み、二酸化炭素の削減も進む。そして、借金返済後は継続的な収益をもたらす。ウ、については、地域的なエコポイント制度が環境に配慮する活動の「経済的インセンティブ」を生み出し、楽しみながら二酸化炭素削減の成果を挙げる、という実績につながりうる。それが各地で進めば進むほど、環境税の導入や税率の引き上げに関する合意が進むことになるであろう。〔以上を踏まえた結論です〕 環境税(環境保全税)やエコポイント、排出量取引なども含めて「環境に配慮する活動を進めていけば得をし、環境に負荷をかける活動をすれば損をする仕組みづくり」が決定的なポイントでしょう。そして「得」の内容が、地域産業の振興や「地産地消の促進」につながるような仕組みづくりをまずは地域で実践しつつ発信することが大切ではないでしょうか。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ よろしければクリックして投票・応援いただけますか教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.07.02
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