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昨日の今頃のことですが、娘のスマホに一つの画像が送られてきて、「これ何色に見える?」と訊かれたので、「白と金色(かベージュ)やろ」と答えました。「えっ!黒と青に見えへん?」というので、「いやいや、これど~見ても、白と金やろ」ということで、盛り上がってました。皆さんは、何色に見えますか?もともとの色は「黒と青」だそうで、そう見えてない僕は、無意識のうちに、バックライトの強さによって、脳が勝手に色を修正してるのだそうです。そういわれても、もともとの色の「黒と青」が見えへんわけですから、わけが分からんわいなあ。もとの記事はこれですが、つくづく脳とは不思議なもんであることよ。
2015年02月28日
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プーシキン「スペードのクイーン/ベールキン物語」を買書つんどく。「必ず勝つという3枚のカード。伯爵夫人がかのサン=ジェルマン伯爵から授かったというカードの秘密をゲルマンは手に入れるが・・・・・。現実と幻想が錯綜するプーシキンの代表作『スペードのクイーン』。皮肉な運命に翻弄される人間たちを描く5作の短篇からなる『ベールキン物語』。」(光文社の紹介)
2015年02月28日
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「いったい何をするために拳銃をほしがっているんだね、あんた」「インディアンを撃ちたいんだ」「ふうん、インディアンを撃ちたいんだ、あんた」「ああ、インディアンを一人。ずどんと」彼は口ひげの男をもう一度見た。「めげないやつだね」とかれは相手に言った。「インディアンを撃ちたいんだってさ」「なあいいか、ヘミングウェイ、私の言うことをいちいち繰り返さないでくれ」と私は言った。「こいつ頭がおかしいみたいだぜ」と大男は言った。「俺のことをヘミングウェイって呼びやがる。頭がおかしくなっていると思わないか?」口ひげの男はぎゅっと葉巻を噛みしめたまま何も言わなかった。窓際に立った長身の優美な男はゆっくりとこちらを向いてソフトな声で言った。「いくらかバランスを崩しているのだろう」「なんで俺がヘミングウェイなんて名前で呼ばれなくちゃならないんだ」と大男は言った。「俺の名前はヘミングウェイなんかじゃないぜ」(中略)「また言ってやがる」大男は悲しげな声で言った。「女のいる前だからって、俺のことをヘミングウェイって呼びやがる。それって、何かたちの悪い冗談なのかな」(レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人 」P201)大男が言った。「さて今は男だけになった。ご婦人はどこにも見えない。あんたがあそこに行くことになった経緯なんぞ、別にどうでもかまわん。しかしヘミングウェイ云々はかなり神経に障るんだ」「ギャグだよ」と私は言った。「ずいぶん古いギャグだ」「だいたいそのヘミングウェイって誰なんだ?」「おんなじことを何度も何度も繰り返して言うやつだ。そのうちにそれは素晴らしいことなんだと、こっちも考えるようになる」「そこまで行くにはずいぶん長い時間がかかるんだろうな」と大男は言った。(レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人 」P207)
2015年02月27日
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緑のゲートの向こうに、広々とした芝生の庭の雑草を抜いている日本人庭師の姿が見えた。どこまでも広がる、ビロードの海のような芝生から、彼は雑草をひとつひとつむしっていた。そして草に向かって見透かしたような静かな笑みを浮かべていた。日本人の庭師にしか浮かべられない笑みだ。(レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人 」P153)
2015年02月26日
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アン・リオーダンは口を微かに開き、まるでダライ・ラマを前にしているようなうっとりした表情を顔に浮かべて、私の話を聞いていた。彼女はゆっくり口を閉じ、一度だけ肯いた。「あなたは素晴らしいわ」と彼女は優しい声で言った。「頭は変だけど」彼女は立ち上がり、バッグをしっかりと持った。「どう、彼女に会いに行くつもりはあるの?」(レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人 」P121)
2015年02月25日
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ムース・マロイが軍用コルトを手に<フロリアンズ>をあとにしてから、二時間が経過していた。ドラッグストアで昼食をとり、バーボンのパイント瓶を買った。そしてセントラル・アヴェニューに向けて東に車を走らせ、その通りを再び北へ向かった。手にした心当たりといえば、路面でゆらゆらと揺れる熱気に劣らず淡くはかないものでしかない。私の商売を成り立たせているのは、まずは好奇心である。打ち明けた話、この一カ月ばかり仕事らしい仕事は一件も入っていなかった。収入が見込めなくても、気晴らしにはなるかもしれない。(レイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人 」P26)
2015年02月24日
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伊藤比呂美さんの「新訳説経節 小栗判官・しんとく丸・山椒太夫」を買書つんどく。「「小栗判官」「しんとく丸」「山椒大夫」など、伊藤比呂美が惚れ抜いてきた「説経節」の世界。詩人の言葉を通して、中世より語り伝えられてきた、愛おしい生身の男たちや女たちの物語がいま蘇る。」(平凡社の紹介)
2015年02月23日
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「よし」イリエはむっくりと起き上る。好きになったということを仮定してみる。「好きになる」とか「恋に落ちた」より文字数が多いが大丈夫だろう。仮想好き(カソウスキ)。これで文字数も減った。目的が決まると、元気が出てきた。イリエはとりあえず立ち上がり、玄関口に置きっぱなしにしてあったこたつを持ってきて、きびきびと開封し始めた(津村記久子さん「カソウスキの行方」P41)というわけで、津村記久子さんの「カソウスキの行方」を読みました。大きな物語はないけれど、誰にでもある日常的な出来事を、分かりやすい、特徴のある(とぼけた?)言葉でつむいでおられると思います。この「カソウスキの行方」というのは、擬似恋愛の話であるようだけれども、津村さんの描く男女の関係というのは、同書に収録された、男の一人暮らしの家に出掛ける、ということについて、野枝はそれほど深く考えなかった。そういうことがあった相手と、何かあったりもしたし、なかったりもした。どのみちオサダは、その何かがあるとかないとかといった範疇では語れない相手なような気がしていた。(「Everyday I Write A Book」P129)みたいに、なんかの拍子に、擬似友情的な交感に行ってまいます。これは、津村さんの小説全般において顕著な特徴を形づくっていて、とても面白いんでした。ともあれ、昨年末からの津村さん読みは、これにて一休みひとやすみ。「不倫バカップルのせいで、郊外の倉庫に左遷されたイリエ。28歳、独身、彼氏なし。やりきれない毎日から逃れるため、同僚の森川を好きになったと仮定してみる。でも本当は、恋愛がしたいわけじゃない。強がっているわけでもない。奇妙な「仮想好き」が迎える結末はー。芥川賞作家が贈る、恋愛“しない”小説。」(「BOOK」データベースより)
2015年02月22日
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ハルオは、わざわざ新郎の控え室まで来て、そんな無防備な態でいる瑞穂が理解できないと思ったが、同時にとても手頃にも感じた。サトミから、瑞穂がすごく会いたがっているという話を何度かきいたこともあった。今の今になってこの人と逃げたら、サトミはものすごい恥かくやろなあ。(中略)瑞穂には何か、前にサトミが言っていたばかばかしいことを思い起こさせるところがあった。あまりにくだらなくてすぐには思い当たらないのだが、ハルオにはどういうわけか、それを思い出すことが急務であるような気がした。(津村記久子さん「花婿のハムラビ法典」(「カソウスキの行方」所収)P145)
2015年02月21日
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ユリイカ2015年3月臨時増刊号「総特集150年目の「不思議の国のアリス」」を買書つんどく。「世界中で一番親しまれてきたファンタジーは、少年少女の愛読書というジャンルを破り、さまざまなところにアリス現象として全世界の隅々に広まっていった。人間の深層の様々な夢・欲望・恐怖を表わし、映像・マンガ・美術・ファッション、そして哲学、精神分析・論理学にも侵犯し、熱烈なファンを獲得してきた。アリス誕生150年となる2015年、少女アリスは絶世の美女か、それとも悪女か。その行方を重層的に追い求める―『アリス』決定版、ここに刊行! 」(Amazonの紹介)
2015年02月20日
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『やっぱり、日常を愛でるように生きていかないと駄目ですね。そうでないと、生きている意味がないですよね』野枝は、深い溜め息をついて、頭を何度か抱えなおし目をつむった。すすり泣く声が自分のものとは思えず、しかし喉に詰まる痛みは現実のものだったので、手で口を塞いだ。涙は後から後から溢れてきて、野枝の頬を汚した。もう化粧を直す気力も残っていないのに。ふいに、誰かが隣にやってくる気配がした。なおみちゃんだった。泣き止んだ野枝は、その日ずっとなおみちゃんが浮かべていたような、なにかを食いしばるような面差しで顔を伏せた。なおみちゃんは、湯呑みを口につけたまま上を向いて、中身を飲み干し、近くにあった事務椅子を引き寄せてそこに座った。(津村記久子さん「Everyday I Write A Book」(「カソウスキの行方」所収)P126)
2015年02月19日
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これからの生活の不安を現実逃避で上塗りしつつ、しかしそれも袋小路に迷いこんで、もう何もかもがどうしようもない、自分の部屋に戻って布団に潜りたい、とぼんやり店の外を眺めていると、森川がカートを押して横切っていくのが目に入った。あの人こんなところに来るのか、休みの日は絶対風俗行ってるんだと思ってた、いや、今は風俗帰りで寄っているだけかもしれない、と目で追いながら、どのみち声はかけないのだ、とイリエは決める。今はあまりにも女子として、いや人間としてのコンディションが悪い。たとえ相手が森川であっても、自ら近づいていって何をしているのかと問うのは、リスクに対してリターンが小さすぎる。(津村記久子さん「カソウスキの行方」P30)
2015年02月18日
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桐原健真さんの「吉田松陰 「日本」を発見した思想家」を買書つんどく。「幕末の尊王攘夷運動を主唱し、維新に大きな影響を与えた吉田松陰。失敗を繰り返し、太く短く終えたその生涯で、いかなる思想を抱いていたのか。膨大な書簡や意見書、著書を丹念に読み解くことで浮かび上がってきたのは、決して偏狭な原理主義者などではなく、海外の情勢に通じ、開かれた国際秩序像を持つ一個の思想家の姿だった。度重なる挫折にめげず、いかに「日本」を発見し、世界における我が国の自己像を獲得するに至ったか。その歩みを追い、「蹉跌の人」の実像に迫る。」(「BOOK」データベースより)
2015年02月16日
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「じゃあちょっとだけ」ヨシノがラーメン屋を指差すと、ホンダさんは口を開けて小刻みにうなずいた。夜はまだもう少し長かった。それを埋めるのは、結婚式よりめでたくはなく、葬式よりも重要ではないことになりそうだったけれど、それでよかった。他者の事情がどれだけの時間を奪っても、それがはけた後自分が何をするのかは自由だ。祖父母のことを思い出した。彼らと過ごした日曜の午後は、小さいヨシノには永遠に続くように思えた。ヨシノにはなぜか今もそれが終わったことのようには感じられず、しかしそれは幸いなことなのだと考えるに至って、カウンターの席に座った。(津村記久子さん「婚礼、葬礼、その他」P80)というわけで、津村記久子さんの「婚礼、葬礼、その他」を読みました。表題作が、めっちゃ面白いです。言葉通りです。笑えます。笑えすぎるので、芥川賞を取り損ねたかもしれません。「冷たい十字路」は、十字路で起こった一つの自転車接触事故を、複数の観点から描いたものですが、せっかくなら、もっと長い形で、書き込んでもらえたらよかったんではないか、と思いました。「大学時代の友人結婚式に出席中、上司の親の通夜手伝いに呼び出されたОLヨシノ。二次会幹事とスピーチを相方に押し付け、喪服に着替えて急きょタクシーで葬儀場へ。既に大多数の社員が集まり、打ち合わせを重ねるなか、ヨシノを猛烈な空腹感が襲う。「マジマ部長の親父とやら、間が悪すぎる…もう一日ぐらいなんとかならなかったのか」ヨシノのてんやわんやな一日はまだまだ続く。芥川賞候補作。09年に「ポトスライムの舟」で芥川賞、11年に「ワーカーズ・ダイジェスト」で織田作之助賞を受賞し、いまもっとも乗っている女性作家の傑作中篇。「冷たい十字路」を併録。」(文藝春秋社の紹介)
2015年02月15日
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ニットのミトンの隙間から、寒気が入り込んできてイタカノは震えた。今朝、歩道に水撒きをした時の手の冷たさが蘇ってくる。水流は、ホースの口から飛び出る端から水の橋になっていくようだった。イタカノは息をのみかけて吐き出した。目の前の風景が斜めに傾いたような気がした。何かに気付きそうだったけれども、自分の中の平穏をよしとする部分が必死にそれを押さえ込んでいるような小競り合いが、頭の中で起こっていた。ホースから噴き出す水が、歩道の敷石の隙間に流れ込んでゆっくりと冷え固まる。イタカノは、その鷹揚で鋭い音を聞いたような気がした。ミトンの中が汗ばんでいた。(津村記久子さん「冷たい十字路」(「婚礼、葬礼、その他」所収)P111)
2015年02月14日
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引き返すに引き返せず、そのまま踊り場へ降りていくと、なつみがうつむいて舌打ちをする音が聞こえた。「なんで葬式ってやんないといけないんですか」そんなことを言われてもなあ、と思う。人が亡くなるのは大変なことだし、生きている者が偲ぶだとか見送るだとかすること以上に、ただもう死者のためにやらなければいけないことだ、それが生きている者が亡くなった人にしてあげられる最後のことだから、とヨシノは考えている。祖父母の葬式の記憶を呼び起こす。あんなにいろいろやってもらったのに、何もしてあげられなかった。その時に自分のふがいなさを知った。親族が亡くなって呆然とする遺族にやることを与えて、悲嘆に押し潰されないようにする、というのも、葬式をやる理由の一つだと聞いたことがある。自分も二度葬式に参列すると、そのことを実感しもするのだが、逆に無理やりけじめをつけたせいで、祖父母が死んだという事実をなかなか受け入れられないでもいる。ときどき、彼らが生きているような気分になったりするのだ。ボーナスをもらったら何かしてあげよう、などと。この女の子は、それを望むところではないだろう、とヨシノは思う。そしてほんの少しだけ、故人にいい思い出がないらしい彼女を幸運だと思ってしまう。いちおうけじめだし世間的にやんないといけないことだし、といろいろ考えたことをすべて捨てて、平たくそう答えると、じゃあもっと人間は死んだ時に悲しんでもらえるような生き方をしないといけないんじゃないですか、となつみは言った。(津村記久子さん「婚礼、葬礼、その他」P56)
2015年02月13日
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ハンス・ファラダ「ベルリンに一人死す 」を買書つんどく。「1940年、ベルリンの街はナチスの恐怖政治に凍りついていた。政治のごたごたに関わらないよう静かに暮らしていた職工長オットー。しかし一人息子の戦死の報せを受け取ったのち、彼と妻アンナは思いもかけぬ抵抗運動を開始する。ヒトラーを攻撃する匿名の葉書を公共の建物に置いて立ち去るのだ。この行為はたちまちゲシュタポの注意をひき、命懸けの追跡劇が始まる・・・・・。」(「BOOK」データベースより)「死後60年以上たって全世界で再発見されベストセラーとなったドイツ人作家の遺作長編。実話にもとづくこの小説は、息子の戦死を機にヒトラー政権への密かな抵抗を開始した一介の庶民を主人公に、執拗に彼を追うゲシュタポとの息をもつかせぬ闘い、逮捕拘留からギロチン刑に至る人生を、徹底したリアリズムで描き切る。プリモ・レーヴィが「反ナチス文学の最高傑作」と評した話題作を読みやすく力強い翻訳で刊行。」(みすず書房)
2015年02月12日
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しばらくそこに佇んだまま、終わったと思っていた。自分たちは何をしていたのだろうという疑問が胸をかすめた。オノウエさんをなにかの代理にしていたのは、自分たちの方ではないのかと思った。答えはなかった。ただ、胸のつかえが降りた感触と、背中のあたりに苔のように広がる無力感だけを自覚した。(津村記久子さん「オノウエさんの不在」(「ワーカーズ・ダイジェスト」所収)P202)というわけで、津村記久子さんの「ワーカーズ・ダイジェスト」を読みました。残念ながら、表題作に対して、これといった感慨はありませんでしたが、いっしょに入っている「オノウエさんの不在」がよかったと思います。タイトルどおり、「オノウエさん」はぜんぜん出てこないけど、それもまたええし。「大阪のデザイン事務所で働く傍ら、副業でライターの仕事をこなす奈加子。ある日、上司の代理の打ち合わせ先で、東京の建設会社に勤める重信と出会う。共に人間関係や仕事の理不尽に振り回され、肉体にも精神にも災難がふりかかる32歳。たった一度会ったきり、しかし偶然にも名字と生年月日が同じだったことから、二人はふとした瞬間に互いを思い出す。男女のささやかな繋がりを描くお仕事小説。」(「BOOK」データベースより)
2015年02月11日
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そんな文面を打ち込みかけて、すぐにやめる。そうだそうだ、もう自分はこういうことはしていないのだ、と。以前は映画を観るたびに孝に感想を書き送っていたので、くせになっている。これはよくない。いいかげん、いつでも人に話を聞いてもらえる状況ではないのだということに馴染まなくてはいけない。誰かに何かを伝えたい衝動を、ちゃんと管理できるようにならなければならない。(津村記久子さん「ワーカーズ・ダイジェスト」P65)
2015年02月10日
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基本的には、社員は会社の持ち物だ。給料を払う限りは、懐に集めて頭数を揃えていたい。使わなくても、並んでいるだけで満足できて意義がある。社員とは、どんなに冴えない色でも欠けていると途端に持ち主の機嫌を損なう色鉛筆のようなものだと重信は思う。(津村記久子さん「ワーカーズ・ダイジェスト」P46)
2015年02月09日
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岡本裕一朗さんの「フランス現代思想史 構造主義からデリダ以後へ」を買書つんどく。「一九六〇年代初め、サルトルの実存主義に代わり、西洋近代を自己批判的に解明する構造主義が世界を席捲した。レヴィ=ストロースをはじめ、ラカン、バルト、アルチュセールの活躍。六八年の五月革命と前後するフーコー、ドゥルーズ=ガタリ、デリダによるポスト構造主義への展開。さらには九〇年代の管理社会論と脱構築の政治化へ。構造主義の成立から巨匠たち亡き後の現在までを一望する、ダイナミックな思想史の試み。」(「BOOK」データベースより)
2015年02月08日
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しかしあの老人がそうなる必要はない。(中略)その血の気のない両手はシーツの上で組まれ、ただ時が来るのを待っている。彼の心臓は短く不確かなつぶやきだ。彼の考えは灰のように色を失っている。ほどなく彼もまた、ラスティー・リーガンと同じ、大いなる眠りに包まれるだろう。(レイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」P310)というわけで、村上春樹さん訳、レイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」を読みました。もひとつピンとこなかった1度目にくらべ、2度目の今回は、筋は追いにくく感じたのは相変わらずではあるものの、それを上回る深いカタルシスを覚えました。いや、マーロウ、かっこええわ。もう、これを忘れることはないと思いますが、仮に忘れるかもとしても、その前に、僕に「大いなる眠り」が訪れるんではないかいな(笑)。ところで、スターンウッド将軍は、マーロウを、「ミスタ・マーロウ」と呼び、エディー・マーズは、マーロウのことを、終始、「ソルジャー」と呼んでいるのですが、この物語に占めるエディー・マーズの位置を思うとき、それが皮肉にも印象深く思えたんでした。「十月半ばのある日、ほどなく雨の降り出しそうな正午前、マーロウはスターンウッド将軍の邸宅を訪れた。将軍は、娘のカーメンが非合法の賭場で作った借金をネタに、ガイガーなる男に金を要求されていたのだ。マーロウは話をつけると約束して、早速ガイガーの経営する書店を調べはじめる。「稀覯書や特装本」販売との看板とは裏腹に、何やらいかがわしいビジネスが行われている様子だ。やがて、姿を現したガイガーを尾行し、その自宅を突き止めたものの、マーロウが周囲を調べている間に、屋敷の中に三発の銃声が轟いたーアメリカ『タイム』誌「百冊の最も優れた小説(1923-2005)」、仏「ル・モンド」紙「20世紀の名著百冊」に選出の傑作小説。待望の新訳版。」(「BOOK」データベースより)
2015年02月07日
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「私たちは彼の血筋を引いているの。それが問題なのよ」。彼女は鏡の中の私を深く遠い目でじっと見ていた。「父に自分の血を憎みながら死んでもらいたくはないの。それは常にワイルドな血ではあったけれど、いつもいつも腐った血というわけではなかった」「今は腐っているのかな?」「あなたはそう考えているのでしょうね」「君はそうじゃない。君はただ自分に与えられた役柄をこなしているだけだ」(レイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」P199)
2015年02月06日
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家を買うことも、子供を育てることも、タケヤスにとってはまだほとんど想像がつかず、同じ年で昔から知っているホカリがそのどちらもをやろうということが不思議だった。家族連れと擦れ違うと、どうして男と女が家族になって子供ができるのだろうということが信じられないし、子供の集団が傍らを走っていくと、自分がかつてそうであったことがうまく想像できない。(津村記久子さん「八番筋カウンシル」P239)というわけで、津村記久子さんの「八番筋カウンシル」を読みました。離婚や失踪やDVなど重い話のわりに、となり近所の話を読むみたいにするすると読めてしまいました。津村さんの、「八番筋カウンシル」についてのインタビューがあって、「カウンシルから軽んじられてきたタケヤス、ヨシズミ、ホカリ、そしてカジオは、みな母子家庭で育ったという設定。津村さんも、父親不在の家庭で育っている。」という設定についての説明とか。ご本人も、「カウンシルの面々やカヤナのようにニュアンスだけで生きている人」「デビュー作である『君は永遠にそいつらより若い』を分解したのが『ミュージック・ブレス・ユー!!』と『八番筋カウンシル』」とか、いろいろ言ってはって参考になります。もともと手元にあった津村さんの本を読むことをしてたので、順番を意識していたわけではないのですが、この順番で読んできたことを、面白いなと思いました。
2015年02月05日
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矢作俊彦さんの「フィルムノワール 黒色影片 」を買書つんどく。「神奈川県警の嘱託・二村永爾は、1本の映画フィルムの行方を追って、香港へ飛んだ。それは、ある殺し屋がモデルとなった、封印された映画だった。幻の黒色影片(暗黒フィルム)を巡り、立て続けに巻き起こる射殺事件。二村の前に現われた気高き女優と、謎の映画プロデューサー、そしてゲルニカ拳銃の銃口。横浜、長春、香港ー複雑な過去と現在が交錯してゆく。」(「BOOK」データベースより)
2015年02月04日
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「また会えるんか、なあ、また?」即座に、押し殺した口調でタケヤスを見上げて問うてくる父を、タケヤスは一瞬ひどくわずらわしいと思った。「あんたが、弟やおかんに言えるような生活をするようになったらな」そう突き放すと、父は見る間に肩を落とす。それを見ていると、そうさせている自分にまで失望が伝染するような気がしてくる。「みんないっぱいいっぱいなんや。おれも先のことはわからん。貯金はいくらかあるけど、先のこと考えたら手ぇつけられへん」迷惑はかけへん、迷惑はかけへん、と父は上ずった声音で、うつむいたまま訴える。タケヤスはため息をついて、携帯電話をコートのポケットにしまいこむ。電話番号ぐらいは教えるべきなのかもしれない。けれど父への不信は、親子の情など以上に深いところでタケヤスの胸を蝕んでいる。(津村記久子さん「八番筋カウンシル」P198)
2015年02月04日
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安藤宏さんの「日本近代小説史」を買書つんどく。「文明開化期から村上春樹まで、日本の近代小説史を一冊で案内する。写真図版を多数収録し、著名な作品の本文紹介も充実。最新研究に基づく入門書の決定版。」(「BOOK」データベースより)
2015年02月03日
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父親に会いたいと思ったことはない。テレビなどで、両親のどちらかに置き去りにされた子供がその親を探すというような番組を見るたびに、タケヤスは理解に窮してきた。その親という人は子供と共に生きないことを選択したのだし、そういった決定は覆さないのが大人としてのマナーだとタケヤスは考えてきたが、世の中はそうではないようで、親子の再会は涙ぐましく演出され、二等親の血の繋がりは動かしがたい至上のものとして、盤石の価値を築いている。わからない、とタケヤスは思う。自分たち兄弟と母親がむしろ父を置き去りにしてきたからそう思うのかもしれないとも考えたが、父は好きな時にしか家庭を顧みなかったし、ある意味では、妻に黙って貯金を使い込むなど、ずっと家庭を置き去りにしていた。そこにやむをえない外的要因があるわけではない。父は父の判断で家庭をないがしろにしていた。だから母親はタケヤスと弟を連れて実家に帰ったのだった。(津村記久子さん「八番筋カウンシル」P180)
2015年02月02日
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高校行ったらみんなでスキー行こう、とヨシズミが言う。なんで今ではないのか、というのはわからないが、高校に行ったら、ということにすると、いろいろなことが苦もなく可能になっているような気がする。高校行ったらなあ、おれ投稿してすぐ小説家になるよ、と寝返りをうちながらタケヤスが言うと、カジオとヨシズミは、がんばれよーと口々に言った。(津村記久子さん「八番筋カウンシル」P38)
2015年02月01日
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