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「僕は人生の勝利者だと思うよ」その人は突然そう言った。五十年生きてきて、はっきり自分のことを“人生の勝利者”と言った人を始めて見た。僕のイメージの中では、“人生の勝利者”とは、とんでもない成功を収めた人、大金持ちになったとか、世界的な業績を残した人とかだったのだが、その人はそんな風ではなかった。むしろ平凡な、特筆すべきものが何もない、サラリーマン生活を終えた“年金生活者”だった。見合いで得た妻と、ひとりの娘。娘の夫と孫二人の六人で暮らしている。傍目には幸せに映るかもしれない。本人もそれを自覚して“勝利者”と呼んだのだろう。その人とは僕の義父である。娘の夫である僕に連れられて、病院へ行く時の会話だった。義父は胃癌を患って、昨年胃の摘出手術を受けた。会話はその手術の前だったか後だったか、入退院を繰り返していた時のものだ。その間自分の人生を振り返って、到達した結論だったのだろう。義父は多くを望まない人だった。僕の“比較幸福論(幸福には「絶対幸福」というものは存在せず、幸福感は必ず何かとの比較によって得るものであるという理論)”でいえば、まさに幸福になる生き方をしていた。僕は間違っていた。間違いの原因、起因を誰かに押し付ける気はないとしても、リスタートをするに当たって考えておかなければならないことがある。或る時期から、大きな成功を夢見るようになっていた。著名になって、大金を稼ぐ。高校時代の僕の憧れは“五木寛之”だった。毎年長者番付に名まえを連ねる流行作家。青春期に憧れはつきもので、それ自体は悪いことではないのだけれど、その後の人生で現実と憧れのギャップを埋められずに来てしまった。たぶん幼少期のどこかで付着した“劣等感”がぬぐいきれずに今日まで来てしまったのだろう。“劣等感”自体は忌むべきものでなく、それを受け入れられなかった僕の構えに問題があった。“あるがままを受け入れよ”と、言葉では知っていたと思うが、実際は違っていた。ギャップを埋めるためにすがったのが、“成功哲学”だった。これが結局自分を追い詰めた一因になった気がする。リスタートにあたって、このばかげた成功願望は捨てなくてはならない。手の届く夢を、確実にかなえて積み重なることが必要だ。目の前にいる“人生の勝利者”に学ばなければならない。
2007年03月28日
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“政治”と“宗教”の話題は避けるようにしてますが、“宗教”の方は時々書いていました。主に“カルト宗教”批判が多かったと思いますが、もともと“哲学”とのかかわりで接近したテーマですので触れざるを得ず、これからも出てくると思います。ただ、特定の宗教宗派を推奨するつもりはないので敬遠しないでください。また、宗教は広くて深いテーマなので、軽々に表現できない所もあります。常に勉強中なので、ぶれるし迷うし。最近ジェームズ・アレンの本で「真の信仰と宗教は別物である」という命題に出会い、混乱と整理を余儀なくされてたりします。“政治”も同じような側面があり、やはり広くて深い。こちらも、僕は特定政党や会派に所属していることはありません。ただ、政治の話は現政権を批判する方が簡単で面白い。極端な話、今抱えている自分の不幸はすべて政治が悪いせいだと言ってるような人もいます。野党の、特に女性が仕切っているあの政党の論法はそんな風に聞こえます。自分を棚に上げて、批判をするのは楽です。腹も立つけど、気分が高揚してきます。若い頃(30年ぐらい前になりますか)はよく自民党批判をやってました。僕の青春は、「安保反対」「ベトナム戦争反対」「金権政治反対」と繋がってきましたが、振り返ってみると、必ずしも間違ったことばかりとはいえないですね、自民党。吉田茂、岸信介、池田隼人、佐藤栄作、この人たちの舵取りは現在に繋がる日本を導くための方向をしっかり見極めていました。この頃はまだ子どもだったので、振り返ってみての感想です。安倍晋三も祖父の岸信介の前で「あんぽはんたい~」と言って走り回っていたそうです。彼は僕のいっこ上です。幼稚園児の「あんぽはんたい」と、学生運動の「安保反対」は今となっては同レベルでした。西部進も、あの頃(学生運動時代)に『安保条約』をちゃんと読んで“反対”いていた人はいなかったと告白しています。「ベトナム戦争」にしても、あの頃の僕は、アメリカという帝国主義大国が、軍事力を持ってアジアの弱小国のベトナムを支配しようとしている戦争として捉えていました。当時はマルクス主義という考え方があり(今でもあるんでしょうが)、“資本主義”はその内包する矛盾のために“社会主義”に変革し、最終的に“共産主義”に至るのが歴史的必然だと信じられていました。だから、中国や北朝鮮が理想の国として伝えられていたのです。アメリカ=悪、北ベトナム=善の図式が、判官びいきも手伝って刷り込まれていました。それが、反戦運動の甲斐あって?終戦を迎えたら、中国軍の狼藉が始まり、カンボジアに創られた中国の傀儡政権のポル・ポトによる、歴史的虐殺・破壊。ベトナム戦争の何倍もの悲劇を招いてしまいました。カンボジアの悲劇については、映画「キリング・フィールド」に残されています。『昔見た映画日記』でも取り上げるつもりだったのですが、あまりにも生々しく、アメリカンシネマを楽しむ主旨から外れていましたので割愛してしまいました。ベトナム戦争の映画ではないのですが、ベトナム戦争の一方の本筋がはっきりと描かれています。歴史的価値の或る作品だと思います。で、ベトナム戦争に対する思い違い、共産主義国の欺瞞。そんなことがじわじわと判明するようになり、騙されたと気がつく日を迎えることになります。だいたい、マルクス理論は資本主義から社会主義に移行すると言うもので、中国も北朝鮮も資本主義にまだなっていなかったのだから、この理論には当てはまらないはずなのです。ということはまったく別物です。冷静に考えれば、ただの“易姓革命”で、新しい“王朝”が出来ただけの話でした。殷から清まで続いた中国王朝の歴史と、中華人民共和国をつなげて考えなかったのがとても不思議。毛沢東の行った、残虐非道な振る舞いも、歴代王朝の例に倣っただけのものだったと思えば、中国の文化だから仕方がないのかとも思えます。金正日にしても、中国王朝の範を踏襲しているだけ。朝鮮半島に関しては、日本が近代化に力を注いだ時期がありましたが、支配者層には迷惑なことだったのでしょう。“リバウンド”ってことですか。そして、“金権政治”の話ですが、これは田中角栄に始まります。で、この問題も広くて深い。人の心に繋がる話です。宗教問題以上にぶれて迷いそうですけど、おもしろいんです政治の話。田中角栄が首相になったのは、’72年僕は高校生でした。“今太閤”ともてはやされ、一介の市民でも努力しだいで首相まで上り詰められると、脚光を浴びましたが、裏では凄いことが行われていました。日本の歴史はここに曲がり角を迎えます。“角”を曲がって“栄”るで角栄か。曲がったのは、日本人の“魂”です。
2007年03月23日
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オウム真理教による、「地下鉄サリン事件」から12年が経ちました。12年前、僕は建築の仕事をしていて、お台場のある高層ビルの建設に携わっていました。車で通勤していたので、直接事件に巻き込まれる危険はなかったのですが、身近な所でこんな大事件が発生したのに恐怖をおぼえます。首謀者の麻原彰晃のことは、以前から知っていました。知り合いと言うわけでなく、少年漫画雑誌で「空中浮遊」の写真が出ていて、それで知りました。高校の時、超能力者?のユリ・ゲラーにはまって、一時期スプーンを一心にこすった恥ずかしい経験があり、その時はその類のものはいっさい受け付けなくなっていたので、笑ってました。でも、奴が同世代であったことが(1つ下です)妙に気になる存在として残ってしまいました。その後、とんねるずのTVでいじられたり、像のお面をかぶって選挙に出たり、おバカの象徴として何度か登場していました。ただ、宗教団体として膨張していく様を見るに付け、嫌な感じは受けていました。20代中ほどで、僕はあるきっかけで、哲学の先生と知り合いになり、哲学と宗教に興味を持って勉強するようになりました。それで、少し知ったかぶっていた頃、あるカルト宗教団体に接近されてしまったのです。その時、洗脳されている信者を見て、怖ろしいと感じました。初めに会ったのは、街で声をかけてきた若いきれいな女性で、とても真面目で清楚な感じの子でした。話すうちに、巧みにおだてられて、ビルの一室に招かれ、ビデオを見せられました。その部屋には、大勢の若者がいて、飛び切りの笑顔で勧誘をしています。ビデオは気になるところで終わるようになったいて、正直続きが見たい気もしたのですが、すぐにやばいと感じて脱出することにしました。その後、その女性からきれいな字で「また会いたい」という手紙をもらったのですが、なんとか誘惑に負けず断り続けました。家に来られることはなかったのですが、団体によっては押しかけてくるグループもあるそうなので危ない所でした。あのビデオを見続けて、あの集団の中でにこやかに包まれたら、知らず知らずに洗脳されてしまうのは容易に想像できます。世の中にいくつこのような宗教団体があるか知りませんが、グレーな団体が数多くあることは間違いありません。オウム真理教の犯罪を犯した信者に、高学歴者が多くいましたが、素直で真面目な人間の方が狙われやすい。罪に対しては罰を受けなくてはなりませんが、彼らもまた被害者です。オウム真理教事件は特殊なものでしたが、信者は特殊ではありません。本来は、もっと深く事件を研究し、宗教団体と犯罪の関連性をはっきりさせなくてはいけないと思います。でも、宗教と言うものは線でくくれるものではないんですね。イラク戦争を見ても、どうすればいいのか糸口もつかめない状態ですから。そのイラク戦争も4周年だそうで。宗教を考察すると、とんでもないのでまたの機会にします。
2007年03月21日
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僕は痩せ型なので、“ダイエット”に悩んだことはありません。昨年、ニート生活に入って一瞬腹部がポッコリ出っ張ってしまったこともあったのですが、“神経症”治療のため、ヨーガの“丹田呼吸法”を実践するうちに、ポッコリおなかは解消してしまいました。食欲もない状態が続いていたので、気がついたらウエストが5センチぐらい縮まっていました。穿けなくなったと思って、細いズボンをみんな捨ててしまったので、今とっても後悔しています。“丹田呼吸法”はウエストを細くするのに有効であると、自分では確信していますので、詳しく知りたい方は訊きに来てください。只、“ダイエット”には“食事制限”が不可欠なので、その勉強もしてください。太っている人は、食べる量をとにかく減らさなくてはいけません。“ダイエット”ができないと言う人の多くが、どうして簡単な算数が出来ないのか不思議でなりません。食べた量のうち、排泄された(ウンコになって出された)量を引いた分が吸収された量です。その吸収された量から、エネルギーに変わった分、汗やおしっことして出された分、涙やつばやあか鼻水、すべて体から出たものを引いて、マイナスになれば痩せるし、プラスが残れば太ります。この単純な算数の答えをマイナスに導くのが“ダイエット”です。だから、まずしなくてはいけないのが、スタートになる“食事”の量を減らすことなのです。口では「痩せたい」と言いながら、バクバク食べている人、理解できません。まず空腹に慣れることをお勧めします。太っているということは、余分な栄養を体内に“備蓄”していると言うことなのですから、さらに栄養を取る必要はないのです。僕は過去、ある事件にまきこまれ、2週間程水以外なにも口にしなかった(心疲労で出来なかった)ことがありますが、死にませんでした。ほとんど断食状態でしたが、空腹感はなかったです。あの時は8キロぐらい痩せましたっけ。以来胃がちっちゃくなったのか、あまり食べられないし、食べ過ぎると下痢をするようになってしまいました。体質で太らないというより、太るほど食べられない体質です。僕のことは別としても、{摂取量ー消費量}ということが痩せる太るのポイントになることはわかって欲しいです。でも、普通に心身共に健康な人ならば、食欲はありますし、備蓄も本能の摂理でしてしまいます。その観点で言うと“ダイエット”は本能の摂理にそむくことを自分に強いることになります。それがストレスになって太ってしまうと言う理屈も解ります。DNAにそむくのは大変なのです。ということで、食べる“量”という事の外に、食べるものの“質”にも知識が必要になってきます。食べるという欲求をある程度満たして、“ダイエット”を目指します。まず、食べていいもの、“繊維質”はOKです。栄養になりませんから。ビタミンとすぐ消費できる量の炭水化物もOKです。ゆえに、“野菜”は食べてもかまいません。太ったベジタリアンなんて聞いたことありません。“豆類”、“イモ類”もある程度は大丈夫です。ある程度ですよ。問題は“肉類”なのですが、本来たんぱく質は摂らないといけない栄養素です。同じ体重を落とすのでも、筋肉は維持して、脂肪を減らすことによって落とすのが望ましい方法です。“ダイエット”して“リバウンド”してしまう人の失敗の原因は、体重を落とすことだけを目標として、極端な食事制限により筋肉も落としてしまうことにあります。筋肉はガソリンを燃やすエンジン、エネルギーとしてカロリー消費させる源なので、エンジンがなくなるとガソリンも燃やせません。運動をして筋肉を維持し、食事を減らせば必然的に、備蓄された“脂肪”を燃やすことになります。これが基本です。だから、穀類、豆類の植物性たんぱく質は摂って欲しいのです。問題は動物性たんぱく質です。動物性たんぱく質には必須アミノ酸が含まれており、これは人間の体内で合成できないものなので、逆に摂らなくてはならない栄養素なのです。ただ問題は、肉には“たんぱく質”のほかに“脂肪”も含まれています。ダイエットの結論は「脂肪は摂るな、脂肪を燃やせ」と言うことなんです。だから、肉を食べる時はなるべく赤身の部分を食べるようにして、霜降りは避けましょう。美味しいんだけどね。20年前、「叙々苑」で初めて食べた時、この世にこんなうまいものがあるなんてと感動しました。でも、忘れてください。運動に関しては、ウォーキングが良いと言われてますので、きっといいのでしょう。僕は、わざわざ疲れるのもいやなので、もっぱらヨーガストレッチと呼吸法で代用しています。時々スクワットを数回します。数回です。人によってはスクワット500回、腹筋500回、腕立て500回などという目標を持つ人もいますが、それは好きでやっているんです。僕は今ある筋肉が維持できればいいので、エレベータを待つ間数回、これで十分だと思っています。とにかく、メタボリック対策をしなければならない人、今からでもやってください。そして話は変わって、もう一つのテーマ“禁煙”について。僕は、3年ほど前に煙草をやめました。理由の主なものは経済的な問題から。生活苦から、すべて切り詰めなくてはならなくなり、昼は弁当、ジュースは水筒と変えて、最後が“禁煙”でした。だから当初は、「自分の煙草は禁煙」で、同僚の煙草は吸っていました。仕事でストレスが溜まると無性に吸いたくなるのですが、煙草にストレスを取り除く効用があったのかどうか解りません。煙草を吸う事で、ゆっくり呼吸ができるので、それで落ち着けたのかもしれません。今はそのストレスに追われる仕事を辞めてしまったのでなんともいえません。ただ、煙草をやめたことによって生じたデメリットは何もありませんでした。よく煙草をやめると太るなどと言いますが、先ほど書いたように僕は太ってはいません。172センチで60キロなので痩せているほうでしょう。食事が美味しくなったという感覚もありません。とにかく部屋が汚れなくなったのは嬉しいことです。煙草をやめてから長女もそばにいてくれるようになりました。やめてみて、こんなに煙草が臭いものかと知りました。一番嫌なのが、煙草を吸っている所に同席してしまい、後で自分の服に煙草の匂いがついていたのを嗅いだときです。喫煙中はまったく思いもしませんでした。女性に聞くと、髪の毛に付くのが嫌だと言っていました。過去にご迷惑をおかけした皆様、申し訳ございませんでした。で、現在の職場にも煙草をやめたいと口で言いながら、一向にやめない人が複数います。先日亡くなったS先生のご主人の話をしたりして警鐘を鳴らしてみるのですが、やめる決断には及びません。“ダイエット”と同様、医者に脅かされないとダメかもしれません。ちなみに、同居している義父には、去年胃の手術をしたきっかけにやめてもらいました。自分が吸っていたときはなんとも思わなかったんだけど、いざ禁煙してみると臭くって。これも医者に言ってもらったから可能だったわけですから。でも、医者のくせに吸っている人がたまにいますけど、信じられないですね。“ダイエット”と“禁煙”、それと“ストレス”のない生活を目指してください。
2007年03月18日
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昨日、車のラジオで鈴木ヒロミツさんの訃報を聞きました。ご存知の通り、元グループサウンズ“モップス”のリードボーカルのあのヒロミツさんです。享年60歳。団塊の世代の、僕らにとっては兄貴的存在でした。グループサンンズ→フォークソング→ニューミュージックという流れの橋渡しをしていました。僕らの時代の伝説のアルバム、井上陽水の『氷の世界』の演奏は“モップス”です。リードボーカルが鈴木ヒロミツから井上陽水に替わった“モップス”だと、ヒロミツさん自身が言っていました。“モップス”解散後、役者や司会者にフィールドを広げ、いい味を出していました。「の~んびりいこお~ぜ お~れ~たち~は~♪」吉田拓郎の曲に乗せた、なんのCMだったか、ぼろ車を押しているシーンが、時代の節目を象徴していました。あの日から、若者は集団でこぶしを振り上げるのをやめ、ひとりひとりの価値に目覚めたと言えるかもしれません。美食家としても有名で、グルメ番組などでもお見かけしました。死因は『肝細胞癌』発見した時はもう手遅れだったとのこと。吉田拓郎も肺がんで療養してました。ヒロミツさんと同い年です。ついにそういう年代に突入したのかと、暗澹となりながら車は目的地へ。“カントリークラフト”のS先生に会いたくなって、ちょうどそっち方面に用事が出来たのでふいにお邪魔をしたのです。前回伺ったのは、去年の暮れ、クリスマスのバザーの準備中でした。先生のおっしゃるには、あれから大変なことがあったとのこと。先生のご主人が突然亡くなられてしまったのです。凍り付いてしまいました。お年を伺うと48歳。若すぎる。朝、普通に出勤して、途中で倒れ、意識が戻ることはなかったそうです。『心筋梗塞』肥満体型で血圧が170と高く、ヘビースモーカーだったとのこと。ご本人は“健康体質”と信じきっていて、周りの注意に耳を貸さなかったようです。先生とはカントリーの話が中心だったので、ご主人のことは知りませんでした。解っていたらどうだっただろう。自分がメタボリックシンドロームであることは認識していたと思います。でも、何も対策をとらなかったのだから、認識しているとはいえないなあ。肥満体型または痩せていても内臓脂肪が多い人、血圧が高い人、糖尿の人、喫煙者、仕事および家庭でストレスを抱えている人、それらの人で対策を講じていない人は、死の崖っぷちに立っていると同じです。症状が現れた時はすでに手遅れと言う可能性が高いです。今健康を自認していても、すぐ医者に行ってください。そして、医者のアドバイスに従って、生活を改善してください。やっぱり医者に脅かしてもらうのが一番効果があると思います。僕は45歳を越えてから体力が衰え、いろんな病気の症状が噴出するようになりました。結局“うつ症状”がそれらを引き起こしていたのですが、40代後半は心身ともに衰えが急に来る頃なのでしょう。考え方を変えたほうがいいです。しゃにむに突っ走ってきた生き方はひとまず終了させ、クールダウンした落ち着いた人生を始めましょう。S先生のご主人も、一命を取り留めることが出来たら、きっとそれに気がついて新しい人生を始めたと思います。気がつきさえすれば…
2007年03月16日
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このコラムは「僕の心の置き所」として、主に現在の自分の発見を目指しているのですが、その前は、「昔見た映画日記」という題名で、青春時代に見た映画の話と、その時代の僕自身の話を書いていました。100本の映画について書こうとして、珍しく目標達成まで続けられました。横のフリー・ページの欄に記念として残しています。もともと自分の“心の治療”のために、楽しいこと好きなことを書こうと思って始めたものなので、人に見てもらえるレベルのものではないのですが、記念にはなりました。好きな映画を取り上げ、当時の思い出話や、考えていたことを、無計画のまま並べただけです。無計画は今もそうですが。で、書いているうちに、僕の青春時代は、一部“ベトナム戦争”と併走していた時期だったことに気がつきました。’60年に始まった“ベトナム戦争”は、’65年ぐらいから激しさを増し、反戦フォークソングブーム?が起き、「ソンミ村虐殺事件」が’68年、カンボジア侵攻が’70年。『戦争を知らない子供たち』が生まれたのが’71年で、僕は中学3年生。受験勉強そっちのけでフォークギターを弾いていました。その頃の思想背景についてはまた今度ゆっくり書ければいいのですが、その後日本では『浅間山荘事件』などがおこり、なんだか訳わかんなくなる高校時代。この辺の説明もしなくてはわかんない世代も多いと思いますが、『北朝鮮』が“ユートピア”だと信じられていた時期があったということです。ますますわかんない?“ベトナム戦争”は’75年に終結するのですが、その後、その総括としてベトナム戦争を扱った映画が多数作られます。そして「地獄の黙示録」が’80年に公開されました。『昔見た映画日記』で一番紙幅を使っています。それだけ僕にとっては重要な映画でした。ですが、まだまだ入り口で眺めていただけだったなあと、今感じています。なぜかというと、立花隆の『解説「地獄の黙示録」』という本を今読んだからです。70年代映画マニアをめざして、もう少し勉強しようと思って読んだのですが、知らないことがいっぱい出てました。さすが、プロのライターは凄い。僕も作家になりたいと思っていた時期があったのですが、無理だったでしょう。なんせ根気がないからここまで書けないし。立花隆は尊敬するライターで、なるべく読みたいのですが、いかんせん細かくて疲れる。読み出すとのめりこめるのですが、読み始めるまでに決心が要ります。映画の解説はなぞってもしょうがないので、これも次の機会にしますが、最後に考えさせられる記述があります。マーロン・ブランド演じるカーツ大佐とマッカーサー将軍を重ねている所があり、あの解任劇がなければ、独自の中国侵攻作戦が始まり、満州に独立国を築いたかもしれない、というのです。充分ありえる想定です。朝鮮戦争を戦う中で、日中戦争は“防衛戦争”だったとマッカーサーは語っています。あの頃のあの人たちは、ある程度“第三次世界大戦”を覚悟していて、きわどくかわしていたのかもしれません。もうひとつ面白いと思ったのは、最初監督の以来を受けたジョージ・ルーカスが、スケジュールの都合でそれは断ったものの、このネタを宇宙に置き換え「スター・ウォーズ」を創ったという説。それでいくと、主役のルークやレイヤ姫の反乱軍がベトナム軍で、悪役の帝国軍がアメリカになってしまう。アメリカ人の感覚としてそれでいいのだろうか。カーツ大佐はダース・ベーダーということになります。これはもう少し考えて見ましょう。それと、『映画(2002年の特別完全版)を見終わってから、カーツはビンラディンにそっくりだなと思った』と書いてあります。“アメリカ人”とひとくくりにはいえないのでしょうが、オリジナル版が公開されてから20数年、いったいアメリカ人は何を考えていたのでしょうか。日本人もそうだけど。無駄だったじゃ済まされないと思うんだけど。
2007年03月13日
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昨日ある人とおしゃべりをしていてた時の話。ある人は僕より少し年長のご夫人で、おしゃべり好きで楽しいので、会えばいろんな話をします。その時、なんの流れだったか忘れましたが、“感謝”の話になって、「感謝しなくちゃいけないのよね」という言い方をしてました。一般的な、“感謝”の気持ちが大事と言う内容で、彼女も物事をまっすぐ見る人で、ごく当たり前のことをなぞったつもりだったと思います。反論する気は毛頭なかったのですが、ついこんな返事をしてしまいました。「大切なのは、“感謝”をしている自分を見つけることであって、感謝を“しなければならない”って考えるのは良くないよ」大切なのは“自分自身”であって、たとえ正しいとされていることでも、~しなくてはいけないと決め付けて、自分に強制する必要はない。という考え方から出た言葉で、僕自身心の疾患にかかる前にはなかった発想です。自分が自分にストレスを与えるのは、健康を害する原因になります。とても臆病な考え方ですが、100歳まで生きる長い道のりには、重要なことです。相手のご夫人も、そうだね、しなければいけないはだめだね、と返してくれたのですが、たぶん混乱していると思います。自分が大切なんだから、まず自分を愛さなきゃ、ってことなんです。で、“感謝”なのですが、キリスト教徒は食事の前に、“神”に感謝をします。“神”のほかにも“精霊”やら“父”やらいろいろ感謝しています。日本も、食事の前は「いただきます」と“感謝”の言葉を告げます。誰に対して発しているのかよくわかりませんが、お百姓さんだと思っている人も多いでしょう。料理を作ってくれた人に言うのは、直接的で解りやすい対象です。中には手を合わせて、おじぎしながら丁寧に言う人もいます。これは宗教的所作に映るので、本人か家庭の信教によるものかもしれません。昔の日本人の習慣なのかもしれません。で、僕が言いたいのは、それらがすべて本当に“感謝”しているのかと言うことです。率直に言って、僕は食事の時“感謝”していません。「いただきます」は言っても、挨拶としていっているのであって、“神”にも“仏”にも“お百姓さん”にも特別感謝することなく食べてます。厳密に言えば、現在の所、食事の時に、誰かに感謝している自分はいない、ということです。料理を作ってくれた人に対しては、基本的に感謝の気持ちは持っているはずですが、慢性化しているため、そのつど感謝することはありません。「いただきます」も「ごちそうさま」も“挨拶”です。作ってくれた人に対する、“礼儀”です。ただの“習慣”です。これが、心底“感謝”できるような、心を持つことが出来れば素晴らしいのでしょうが、現在の僕は、そうではないと言うこと。で、それをいいとか悪いとか自分で評価してはいけません。今の自分を、見つけて、そのまま受け入れることが大切です。“感謝”するかしないかの是非は関係ありません。非行少年などの“心の病”の治療法に“内観ワーク”という方法があります。べつに非行少年に限ったわけでなく、色々な“心治療”に有効なのですが、特に非行少年の更生に効果が見られます。世間と遮断された所で、ひとり自分を見つめ直すという方法をとります。主に、親との繋がりを見つめなおし、最終的に“感謝”するようになるのですが、本当に治療効果でそうなるまでは、結構時間がかかると思います。どうしても、感謝しなくてはいけないと言う前提に立つと、自分への強制が行われ、形だけの結果に誘導してしまうのではないかと思うからです。“心の治療”にはとにかく時間がかかります。自分を見つめなおしたら、それに対していいとか悪いとかの評価はせずに、とにかく受け入れる。なるべく嫌なことは思い出さない。こんな風にするのがいいと思います。“感謝”はしたければする。“感謝”をした自分が、“愛し”ければ、その自分を愛してやりましょう。自分を発見する旅とは、そういうことだと考えています。
2007年03月12日
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“幸福”について考えていたら、「幸福の王子」の話が浮かびました。オスカー・ワイルド作の世界的に有名な童話です。“幸福の王子”とよばれる市中に建つ“金の像”が、貧しい人々の存在を哀しみ、ツバメを使って自分の体を装飾する宝石や金箔を彼らに施して、自分はボロボロの像になってしまうと言うお話です。ボロボロにはなったけど、“幸福”になりました。かわいそうなのは、それに付き合わされて“わたり”損なって、冬の寒さに死んでゆくツバメです。話の結末は、王子の像の心臓と共に、ツバメも天国に召され、“幸福”になるのですが、この王子と一緒なら天国でもこき使われているにちがいありません。“自己犠牲は尊い”ということが言いたかったのでしょうか。前回の“幸福”の定義からすると、この王子は、貧しい人が苦しんでいる状況を助けたいと思っていて、助けられないという“不満”があります。それが、ツバメ君の協力を得て解消することが出来ました。ゆえに、“幸福”感を得られるわけです。さて、ツバメ君はというと、彼の望みはエジプトに渡ることです。渡り鳥なので、冬は暖かい所へ行かないと死んでしまいます。そして、彼自身エジプトの暮らしが好きなようで、王子にその話を聞かせたりしています。それが、王子の頼みごとを引き受けたがために、渡るタイミングを逸してしまいます。状況がマイナスになるので、“不幸”になっているわけですが、ツバメ君自信がそちらを選択したのです。それは、王子の望みをかなえてあげたいと言う望みが、ツバメ君の中に芽生えてしまったから。もともと川辺に咲く“葦”に恋して、仲間とはぐれてしまったロマンチストでした。ちょっと変わった奴?王子の望みをかなえてあげることで、自らの“幸福”感を得ることが出来ました。ツバメ君は貧しい人のためと言うより、王子のためにしたようです。結果、彼は命を失います。“自己犠牲”というのは“幸福”に繋がることが結構あります。“幸福”には“自己犠牲”がつき物と言ってもいいかもしれません。理論的に言ってしまえば、王子の行いは貧しい人々には、一時的な救済にしかなりません。中には、宝石泥棒の罪を着せられ囚われる人もいたのではないでしょうか。客観的には、王子の自己満足の範囲を出ていません。だから、人を救うことと“幸福”とは繋がっていません。あくまで自分の望みが叶ったことの“幸福”感です。巻き添えになったツバメ君はほんとにかわいそうです。でも、自分で選んだ道でした。そして、ツバメ君の望みも叶ったわけなので、彼自身は“幸福”だったのです。というお話でした。
2007年03月08日
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TVで「スパイゲーム」をやっていました。『昔見た映画日記』で、僕がロバート・レッドフォードのファンであることは書きましたが、ブラッド・ピットも好きです。好きな二人の主演映画でしたが、年代が新しいので『昔見た~』では割愛しました。2001年公開当時レッドフォードは64歳、いきなり老けた感じがしました。『昔見た~』では、「幸福の条件」を取り上げましたが、この時のレッドフォードはは55歳。25歳年下のデミ・ムーアを盗ろうとするのですから、まだまだ“男”として現役でした。それが、数年後、60を越えたら“枯れ尾花”の風情に変わってしまいました。僕も最近、不如意感が漂うようになり、遺伝子の指令に追い立てられるのもあと数年なのでしょう。まあ、プラトニック・ラヴなら、一生できるでしょうが。『昔見た~』では、「幸福の条件」の“幸福”に触れることなく、わき道に逸れてしまいました。そこで改めて、“幸福”について考えてみたいと思います。結論から言ってしまうと、“幸福”とは、“比較感情”だな、と思いました。“幸福”の定義は、絶対のものではないと言うことです。何か比較対象になるものが存在して、そこから起算して現在の状況を判断するしかないのです。比較対象になるものが、自分の“夢”だったり、“過去”の状況だったり、“不満度”だったり、“他人”の生活水準だったりと様々多岐にわたります。まず、“夢”や“希望”が叶った時、人は“幸福”感を覚えます。ただ、大きな夢が叶えば大きな幸福感を得られるかと言えば、そうはなりません。夢は世間的難易度を考えて、大きい小さいの判別が出来ますが、幸福感はあくまで自分の感性ですので、大きさではないのです。あるのは、夢を実現したことによる満足感が、どれだけ長く持ち続けられるかと言う“長さ”だけです。だから、幸福を求めるのであれば、実現可能な“夢”を持つことです。実現可能な夢を持ち、実現する、それを繰り返すのです。夢の大きさに囚われてはいけません。“幸福”になりたいのであれば、手の届く夢を多く持って、多く実現し続けることと、それに満足する“心の構造”を持つことです。次に、“過去”の自分と比較した場合。過去の自分より、現在の自分の方が裕福であったり、社会的地位が上がっていれば“幸福”感を得られます。また、過去に抱えていた問題が、現在解決していれば“幸福”です。解決していなくても、解決に向かっていれば“幸福”感は得られます。そして、自分の蓄積されたものが増えていれば、それも“幸福”です。一番単純なのは、貯金が溜まれば“幸福”です。欲しかったものが増えていれば“幸福”です。知識や経験が増えて、人間的に成長できれば、これも充分“幸福”であるはずです。そういうことに満足する“心の構造”も必要です。過去よりよければいいんです。もっと欲しかったと考えてはいけません。また、“夢”と類似しているのですが、ちょっと違う種類のものに“不満”があります。“不満”だったものが解消されれば“幸福”になります。だから、“不満”を抱く時は、将来解消される可能性のある事柄だけにします。努力してもどうにもならないことには不満を抱かないようにします。太っている自分に“不満”で、痩せたいと思うのは、可能性があるのでかまわないのですが、背が高くなりたいと思うのは、ある年令を過ぎると難しくなるので、“不満”にしないようにします。ダイエットも、いきなり20キロ痩せる目標を持つと、可能性が低くなり、時間もかかるので、2キロぐらいを目指せば、ぐっと“幸福”に近づきます。こういう形ならば、自分の“努力”と“心の構造”で出来ることなので、“幸福”の追求としては正しい姿です。悪いパターンは“他人”と比べることです。“他人”と比べる癖のある人は“幸福”にはなれません。一瞬他人に追いつくことがあっても、また他人に渇望することになります。上には上があります。人を凌駕して、勝ち上がることに“幸福”を求めては、際限ない泥沼に足を踏み込むのと同じです。スポーツ界で世界のトップに君臨するような素晴らしい人もいますが、たぶんそういう人は、他人と比べてというレベルにはいない人だと思います。優れた人を目標にするのはいいことですが、あくまで目標です。また、比較検討して研究するのはいいのですが、その結果で“幸福”は得られません。漸次近づくことに喜びがあるなら、それならいいことです。単純に、金持ちや美人に対してやっかんだり、嫉妬したり、ひがんだりが、“幸福”を遠ざけると覚えてください。第三者の目からは、とても“幸福”そうに見えても、本人はちっともそう思ってないと言うこともあります。“幸福”は、自己判断領域なので、自分が今持っている“幸福”に敏感に反応しなくては“幸福”感は得られません。まず必要なのは、“幸福”を感じる“心の構造”を備えることです。斉藤一人さんは、“幸福”を呼ぶ呪文に「ついてる、ついてる」を連発します。結果、一人さんは大金持ちになりましたが、大金持ちになろうとしてそうしていたのではなくて、しあわせになろうとしてたら、お金がついてきたわけです。お金があっても不幸な人はたくさんいると言います。幸せのためにお金が欲しいと思っているのだったら、まずその考えを改めましょう。手の届く“夢”を実現する努力をして、すこしづつ溜まっていく自分の財産(物心共)に喜び、“過去”からの成長を認め、解消可能な“不満”をひとつづつ解決していけば、間違いなく“幸福”になれます。お金や名声がその時ついているかどうかは解りません。でもいいんです。“幸福”を得ることが大切なのです。去年の僕は、“自殺願望”に取り付かれたどん底の状態でした。死んでしまえば“無”ですから、今ある状態はそこから比較して思えば“幸福”の範囲でしょう。もう死んでしまおうと思っていたのが、100歳まで生きようと思っているのですから大違いです。そういうところに自分の心を着地させられたことで充分“幸福”感はあります。後は、悪魔の誘いに乗らず、心を涸渇させないように、小さな“夢”を重ねていこうと考えています。「幸福の条件」のデミ・ムーアは、大金持ちになることを“夢”見ていたわけではなかったのでしょう。夫とささやかな家庭を築くことが“夢”だったのです。“幸福”とはそういうものです。“成功”=“幸福”とはならないんですね。
2007年03月06日
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先日、テレビでダイエット成功者の話をしていて、優勝者のとった方法が“半身浴”でした。出場者5人の中で、誰が一番やせたかを当てる主旨の番組だったので、何故“半身浴”がダイエットに効果があるかは説明していませんでした。僕は、半身浴をしています。ダイエット目的で始めたわけではありません。痩せ型体型なので、必要性がないからです。では何故しているのかと言うと、心治療のためです。心治療には、“血行促進”がまず第一です。そして、“リラックス”この2本立てが同時にできるのが“半身浴”なのです。もともと僕が半身浴に目覚めたのは、10年前ぐらいでしたか、出張で1ヶ月ほど上田市に行っていたときでした。夜、ホテルですることもないので、ゆっくり小説でも読もうかと思ったのですが、ベッドで読むをすぐ寝てしまいます。それで、腰の治療もかねて、風呂で読むことにしました。湯船にどっぷり浸かってしまうとのぼせてしまうので、腰が浸かるぐらいの湯量にして、風呂のふたにひじを乗せて読んでいました。“半身浴”の知識があって始めたのでなく、読書と腰のために考えた方法でした。このときかなり読めました、藤沢周平。本を読むための処方だったのですが、やってみて驚いたのが、その発汗作用でした。入って20分後に突然汗が噴出します。頭からだらだらと流れ出します。スポーツでこれだけ汗をかくには、相当な運動量が必要ですが、もちろん疲労感はありません。心臓の負担もありません。気持ちよく汗がかけます。毛細血管の隅々まで血液が行き届き、老廃物を押し流している気がします。もともと僕は、風呂嫌いで、入ったとしてもカラスの行水であっという間に出てきてしまいます。長湯などとんでもなく、ぎっくり腰をやって、温泉治療をしたのが生まれて初めて長く湯船につかった経験でした。熱いし苦しいし、のぼせてふらふらするし、疲れを取るどころかかえって疲れます。子供の時、肩まで浸かって100数えるのが嫌でした。兄と入る時が多かったのですが、100までこらえきれずに出ようとすると、肩をおさえられて沈められ、もがき苦しんだのがトラウマになっているかも知れません。だのに、自分の子供が出来て、一緒に入ったら、やっぱり100まで数えるんだよって言ってる自分がいました。子供も風呂嫌いになりました。はっきり言います。肩まで浸かって100数えるのは無意味です。肩まで浸からなくても充分暖まりますし、心臓に圧迫を与えてしまいます。この風習を正さないと、風呂嫌いの子供は増え続けるでしょう。風呂嫌いだと半身浴に進みにくいかもしれません。半身浴のポイントその(1)、喫水線は心臓の下、おへその上ぐらいでいいです。その(2)、20分以上浸かって下さい。その(3)、リラックスして下さい。お湯の温度は、38~40度くらいのぬるめ。で、ダイエット効果についてですが、理由としては、汗をかく、水圧が体を引き締める、血行促進が老廃物を除去しコレステロールの沈殿を防ぐなどが考えられます。僕はこの上、“丹田呼吸法”を同時に行います。おなかがペッちゃんこになるのが目に見えるので、効果は強烈です。やりすぎると腹筋痛になるので5~10回でやめておいたほうがいいと思います。あとは、とにかくリラックス、リラックス、リラックス…体と心の健康のため、100歳まで生きるには必要なメソッドですね。
2007年03月01日
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