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バージニア工科大学銃乱射事件の犯人、チョ・スンヒがNBCに送ったビデオを見たとき、僕の脳裏にある映像がオーバーラップして浮かび上がりました。それは、マーティン・スコセッシ監督「タクシードライバー」の、ロバート・デ・ニーロ演じる主人公トラヴィスが、鏡に向かって銃を抜くシーンです。僕の『昔見た映画日記』にも書きましたが「タクシードライバー」はアメリカンニューシネマの名作、この年代の映画好きにはたまらない象徴的傑作映画です。そして、映画作家?としての僕に、大いなる影響を与えた作品でもあります。不眠症のベトナム帰還兵のタクシードライバーが、彼女に振られたことから凶暴になり、銃を手に入れ、大統領候補暗殺を企て、精神が壊れていく話です。トラヴィスとチョ・スンヒが妙に重なる部分があります。しかしながら、この映画のせいでこの事件が起きたなどとは毛頭思っておりません。“銃”を持つことで人格が変わり、誇大妄想的殺人鬼のなってしまうというモチーフ自体はけっして珍しいものではなく、なんせ僕自身が意識しないでパクリ映画を撮ってしまったぐらいですから。『昔見た~』に書きましたが、繰り返しますと、昔僕は8ミリフィルムの映画を一本だけ撮ったことがあるのですが、そのモチーフが撮っている時は全然気がつかなかったのだけど、出来上がりを見てみたら、「タクシードライバー」のパクリ映画になっていたというお恥ずかしい話でした。象徴的なシーンは主人公を演じた直江喜一(金八先生第2シリーズの加藤優。当時はまだ無名の高校生で、僕の友人でした)のカメラにむかって台詞を言うシーン。誰に向かっていっているのかと言うと、殺人のターゲットになるヤクザの格好をした人形。「俺が、お前たち、街のゴミを始末してやる…」とか言っていたような気がする。そして、リボルバーの銃口を人形の胸に当て、引き金を引く。撃鉄が落ちるカットにインサートして、本物のヤクザの男が胸を押さえて階段から落ちるシーン。ちなみにこの時、ヤクザ役の友人がドタキャンしたため、僕がやるはめになってしまいました。で、このリボルバー(拳銃)なのですが(もちろんモデルガンです)、何故僕が持っていたかが小さな謎でした。先日、なにか探し物をして、部屋の中を引っ掻き回していた時に、この銃がひょっこり現れて、一緒に探していた中2の息子をちょっと驚ろかせてしまいした。まずいものを見られたような気がして、ドギマギしてしまいました。その時、言い訳がましく、これは人からもらったものだと息子に説明しました。実際そうだったのですが、ただ誰にもらったのかが思い出せない。僕はガンマニアではないので、銃が欲しかったことはありません。だから自分で買った覚えもありません。たぶん、「映画に使えば?」ということで誰かがくれたんだろうけど、誰にもらったかを忘れてじまいました。くれた人ごめんなさい。もしかしたら、借りたのかなあ。だったらもっとごめんなさい。それで、今思い出し考えてみると、あの僕の映画のシナリオは、あのリボルバーを使うがために書きおろしたような気がするのです。それ以前に僕が撮っていたものは、心象的な、音楽と映像を絡み合わせるような、プロモーションフィルムみたいなものばかりだったので、あれだけ異質なんです。つまり、{リボルバー→殺人→怒り→狂気}みたいな流れは、リボルバーという振り出しがなければ生まれなかったような気がします。そんな体験からバージニア工科大を考えると、やはり“銃”が招いた悲劇だったとも考えられます。少々強引な匂いもしますが、銃に限らず“武器”というものには“魔性”が潜んでいます。自分より強い魔性を手にすると、心は支配されてしまいます。そして、多くの人間は弱いのです。日本でも時を同じくして、銃による殺人事件が続きました。これらも“銃”に心を支配された者の悲劇でしょう。
2007年04月29日
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“人は何故生きるのか”という命題を、あっさり答えてしまうと、“DNAの指令”に従っているからです。DNAの指令はふたつ。(1)生命体を維持すること。(2)遺伝子を伝達すること。“子どもを産む機械”と言って、顰蹙を買った大臣がいましたが、生命体はすべてDNAのプログラムに従って、生きて生殖している機械であるともいえます。ただ、時として指令に従わないこともあるので、そこが機械と違うところです。従わないのは故障したわけではなく、意思や考えが行動の選択に介入した結果です。と言いつつも、“病気”は“故障”かもしれない。“自殺”も僕は“病気”だと考えています。“自殺”の元凶は“絶望”にあるのですが、“絶望”が“自殺”に導かれる所が“病気”です。具体的には“ストレス”を消化する機能が故障したため、それが肉体・精神に異常をひきおこし、“自殺”という異常症状が現れるのです。“糖”がインシュリン不足で分解できず、“糖尿病”を発症するように、“神経伝達物質”が不足することで“うつ病”になります。甘いものが大好きな人でも、糖尿病になる人とならない人がいるように、同じ生活環境でうつ病になる人とならない人がいます。体質の違い、性格の違いで病気になったりならなかったりします。“何故生きるのか”の裏返しで“何故死ぬのか”をまず考えれば、病気で死ぬのは“故障”と考えて差し支えないでしょう。“何のために生きるのか”とは問題が違うのでここでは論じません。“故障”は直せばいいし、“故障”しないようにメンテナンスをしっかりするべきでしょう。『人はDNAの指令で生きる機械にすぎない。しかし、考える機械である』もう一つ“寿命”ということにも触れなければなりませんが、これは“耐用年数”と考えれば良いでしょう。50歳を越えてつくづく思うのは、もともとの人間の耐用年数は50歳ぐらいではないだろうかと言うこと。体力の衰え、機能の衰えを考えると、急速に落ちています。生きるという(1)の問題ではなく、(2)の問題を論じると、そろそろ期限切れを感じないわけにはいきません。男性はまだ機能しないことはありませんが、女性は排卵しなくなります。遺伝子の伝達が不可能になります。(2)のDNAの指令は解除されたと考えて良いでしょう。それじゃあ生きていく意味もなくなるのかというとそうではありません。解除されたということは、自由になったと言うことです。それまでの人生で遺伝子の伝達が行われたかどうかは関係なく、とにかく(2)の指令からは自由になります。DNAの機械の存在から、自由な人間として解放されます。指令は解除されますが、仕組みは残っています。これから述べるのは“高齢者の恋愛”についてです。(2)の遺伝子の伝達のために、(1)の生命を続けるという仕掛けがあります。(1)を存続させるためには(2)の存在も必要なわけです。“恋愛”の目的は“受精”にあります。それ以外の“恋愛行為”は“擬似行為”でしかありません。“擬似行為”だから必要ないのかというと、そうではなく、生きるためにこの“擬似行為”こそが必要な行為なのです。高齢者が生命体の維持を目指すには、“恋愛感情”を常に持って、(2)の指令の“擬似行為”を続けることによって、肉体全体の機能の低下を阻止させることが必要です。肉体だけでなく、重要なのは“精神”においてです。“うつ症状”に陥ると、“性的感情”は衰えます。“性的感情”の衰えが“絶望”に近づきやすくしてしまいます。“恋愛”は生きるエネルギーになっています。そういう仕組みになっています。だから、逆の道筋を辿ればいいのです。恋愛感情を持つ、性的エネルギーが高まる、細胞が活発化する、生命力が高まる。リセット人生のメンテナンスに、“恋愛”はもっとも重要な要素なのです。
2007年04月28日
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昔の友にばったりと近所の路上で出くわしました。N君という、20数年前喫茶店をやっていたときの仲間です。彼が時折僕のことを“店長”と呼ぶのをちょっと面映く、懐かしく思いました。『昔見た映画日記』にもどこかで登場していたはずです。工務店の社長の長男で、本人は喫茶店を経営するのが夢であることを語っていたのですが、いずれは会社を継がなくてはならないだろう悩みを抱いてました。真面目なんだけどナイーブで、熱い反骨精神も兼ね備えた若者でした。ある意味、僕と同類で、自分の欠点をあからさまに見せつけられる思いもしてました。でも実際は、彼の期待に僕は応えられなかった悔いが残っています。人生の相談をされたことは覚えているのだけど、どう答えたかは覚えていないんです。恥ずかしながら、たぶん間違った対応をしてしまったような気がします。僕としても所詮会社に依存する雇われ店長の身だし、歳もそんなに違わない若造だったし、そもそも自分自身の方針も迷ってた時期ですから。なんか不完全燃焼のような思いのまま、いつしか彼は店を去ってしまいました。その後、結婚をして、親の会社に収まったのは知っていましたが、僕のほうもいろいろあって疎遠になってしまったのです。もともと能力の高い人間であることは、違う業種であっても伝わるものですから、きっと成功するだろうとは思っていました。実を言うと昨年、僕が彼に会いたがっていたのは、コネで雇ってもらえないかと考えていたからです。ところが会って話して、びっくり仰天。N君も“人生リセット再構築中”だったのです。彼の会社、つまり親の会社が1月に倒産してしまったと言います。話の内容では彼の責任ではなさそうですが、彼自身は反省をしていました。もう少し前だと大変だったのでしょうが、一応方向が決まり再出発をした時だったので、彼自身は明るい話し方でした。路上だったのと、呼び出しの携帯が入ってしまったのとでそれで別れたのですが、今度ゆっくり話せる時は、すべて心を開いて話が出来そうです。短い時間でしたが、彼の考え方は正直で地に着いていると感じました。ズドンと落ちた谷底から、ゆっくりじんわり上っていけば、かなり長いこと“幸せ”を楽しむことができるでしょう。
2007年04月13日
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最近めっきり性的欲求が薄くなってきたので、感覚的にずれがでているかもしれないけど、昔から奇妙に思っていたのが戦時中の“性”の問題です。戦争があると、必ず“ごうかん”が行われます。約束事のように行われます。若い男が戦争に駆りだされ、長い間性交渉が遠ざかっていた所に、敵国の女が目の前に現れると、空腹の狼に肉が投げ出されたかのように、まっしぐらに襲い掛かっていく。歴史的、世界的に綿々と行われてきました。例外的に、軍規が正常に働いていた時期の日本軍は、敵国女性を陵辱することはほとんどありませんでした。世界中で珍しがられました。これを犯した兵はかなり重い刑で罰せられて、記録が残っています。しかし、これはとても珍しい事で、他の戦争では必ず起きていました。アレキサンダー大王なんて奨励していました。形は支配国の女性と結婚をさせていたのですが、実態は解ったモンじゃありません。そのおかげで、中東諸国に美男美女が誕生したわけです。世界は一家、人類皆兄弟を実際に目指してたんですね。ただ僕の個人的な疑問として、生と死のせめぎあいの中で、その気になれるのだろうか、という引っ掛かりがありました。もともと僕は性的パッションの低い人間だから、理解が出来ないだけかもしれないと片付けていたけど、それだけではないことが今回判明しました。竹内久美子先生の本に出ていました。竹内先生は僕の長年の疑問を、さらりと解いてくれます。ざっと言うとこういうことです。戦勝国の男は、敗戦国の女に対して、自分の遺伝子を植え付けようとする衝動が本能として備わっている。また、女の側も、受け入れようとする本能がある。僕が言っているのではありません。竹内久美子先生の説です。つまり、男は常に自分の遺伝子を振りまく行為をしているのですが、それが異国の女性となると、更に優秀な結合の可能性が生まれるので、俄然燃え上がるということなのです。自分の遺伝子を強くするためには、なるべく自分から離れた遺伝子と結合した方がいい。相手が自分に近いと、自分の持つ弱点が解消されぬまま残ってしまうのです。だから、離れている方がいい。ハーフの子どもがかっこいいのはそのためです。また、女の本能は、強い精子を求めていて、戦争に勝つと言うことがすなわち男の強さの表現であり、本能的にそれを認めるわけです。もちろんDNAに印された本能の志向と、本人の感情は一致するとは限りません。むしろこの場合は反するものでもあります。でも、悲しいかな本能は求めているのです。戦時下でごうかんされて妊娠する確立は非常に高い。本能が意思にそむいて求めてしまうのです。女のほうは論じるとややこしいので、男に限って考察しますと、戦時下において性交感情が湧くのは、普段性的感情の乏しい男であっても、この状況下では当然ということです。“従軍慰安婦(この言い方絶対変ですけど、今問題がこの言葉に集約されているので、ここは使います)”とは、敵国女性をこの本能的な行為であるごうかんから守るため、自前で娼婦を準備したという、とても良心的なシステムでした。話逸れますが、この時帯同した娼婦は、何も朝鮮人だけではなく日本人女性も多く含まれていました。そして、たぶんほとんどの女性が生活のため、家族のために納得して働いていたのだと思います。当時の日本は売春制度があり、貧しい家庭の生きる術の一つとして必要とされていましたから。だから、軍が強制して連行したということはありえなかったと思います。特に、朝鮮人に対しては、徴兵も行っていなかったことを考えれば(この時日本・朝鮮・台湾はひとつの国だったことは忘れないでください。朝鮮人の日本軍兵士も多数いましたが、みんな志願兵ですから)やはりなかったと考えるのが普通です。つくづく思うのは、ほんとに河野洋平と村山富一はこの国に禍根を残しました。話がぐちゃぐちゃですが、戦争ではなくとも、外国へ行くとどんな真面目な妻帯者でも、彼女が出来てしまう理由が垣間見えました。本能なんです。外国でなくても、出張先で出来ちゃったりします。本能なんです。もう一度おさらいをすると、遠い所から来た男は、遠い所の女に対して遺伝子を植え付けたい本能が働きます。女は女で、遠いところから来た男は強く見えるので、強い遺伝子を受け取りたいと本能が働きます。両方の本能の指し示す所が同じならば、行き着くところは同じ。男は、ただ妻以外の女と寝たいのではなく、DNAの指令を受けて、遠いDNAとの結合を本能として突き動かされているわけです。それでわかった。最近どうも情熱が湧かないと思ったら、行動範囲が凄く狭くて、新しいDNAにめぐり合ってないもんなあ。旅行に行くと、精神がリフレッシュされるのは、新たな異性に触発されると言うことなんですね。“遠くへ行きたい”の気分になってきた。
2007年04月09日
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今、自分が一番欲しいものは何かと考えたら、“安心”かもしれないと思った。現在の、将来の生命を存続させることが出来る“安心”若かった頃には思いつかなかった結論だ。冒険、挑戦、アバンチュール…、危険地帯に踏み込む勇気が人生の醍醐味のような気がしていた。虎穴にいらずんば虎児を得ず。たとえリターンがなくても、むやみにハイリスクを求めていた。それが青春の証。生命を感じる時。しかし、今は違う。危ない橋はごめんだ。安全第一。煙じゃないんだ、高い所なんか行きたくねえ。欲しいのは、安寧な今日と、今日と同じ明日。夢のない老人の逃避的結論に聞こえるかもしれないが、“安心”を求める感情は案外生命の本質であるかもしれない。生命体が与えられているミッションは二つ。その生命体自身が生きること。生命体の個の遺伝子を受け継がせること。よって、生命体を維持するために、増殖を可能にするための環境が求められる。それがかなえられれば、心おきなく生きられるし増えることが出来る。これすなわち“安心”を追求することではないか。そもそも、安心の地を求めた生物だけが生き残っており、危険を好んだ生命がいたとしたら、とっくに絶滅しているはずだ。“安心”こそが約束の地なのだ。それがようやく解った。賢い人々は解っていたことなのだろう。生命体としての本来の目的を踏襲するには、99%が“安心”に立脚することが必要だ。ただ、天変地異に備えて、1%は危険を冒す役回りも必要になる。万が一に備えて冒険をする。危険な環境に身を投じることが、逆に保険になると言うパラドックス。危険に対応する当番は、明らかに損な役回りだ。だから本当は誰もやりたがらない。誰もやらないと、全体の問題としてまずいので、それがカッコよく見えるように、密かにDNAにプログラミングされている。それで、99%の凡庸な平和主義者より、1%の危ない奴がもてたりする。もてたいから、バカな男は不良を目差す。しかし、本質的に生命体は“安心”という引力の元に集結する仕組みを持っている。生命体維持という第一目的の指令だから。新たなる挑戦を試みるモードもあるのだが、適当な所で“安心”モードにオンするようになっているようだ。どの時点でオンオフ入れ替わるかは個人差があるのだが、最後にはみんな入れ替わることになっている。僕の場合は50年かかったと言うことだ。早くはなかったが、遅すぎることはない。それが解ったからには、堂々と“安心”に寄り添うことにしよう。どっぷり浸かって、危険を遠ざけよう。これは皮肉を言っているのではない。僕という生命体の本質がやっと見えたと言うことだ。
2007年04月04日
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これから100歳まで生きていこうと決心した時、何が大切かと考えたら、“自愛心”という言葉が浮かびました。自分を愛する心という意味で思い描いたのですが、あまり聞き慣れない言葉です。念のため辞書を引いてみると、【自愛】自分の体を大切にすること、と出ていました。そういえば手紙の末尾に“ご自愛ください”と書きますね。意味的には通じているのでよしとしましょう。また、自分の利益(だけ)を計ること、とも出ています。言いたいこととしては、これでも当たっているのでやっぱりよしとします。以後、“自愛心”は僕のキーワードになりそうです。人生の前半50年は、環境に合わせなければならず、心ならずも自分を曲げることも必要でした。生きるすべとして、大人の判断で周りと同調し、周りを慮る技術が、人生の学習でありました。でも僕の場合、その葛藤の中で傷ついた心が、自らの体を痛めつけることになってしまいました。後半50年は考えを改めようと思います。自分の体をいたわり、自分の利益になる選択をします。この場合の利益とは、金銭の損得ではなく、積み重ねていく“幸福”を意味します。これも僕のキーワード“比較幸福論”に則り、小さな幸せを、少しずつ増やしていこうと思います。一気に昇りつめると、崩れ落ちる危険も抱え込むことになりますから。50年かけて、少しずつ進むのが肝要でしょう。昨年、どん底まで堕ちた自分は、昇りしろがぐーんと広がって、楽しみが沢山あります。焦らずに、昨日より今日、今日より明日で、机上の計画図は遠い海に捨ててしまい、のんびりじんわり幸せになりましょう。そのために、まず必要なことは、すべてを今受け入れると言うこと。良いとか悪いとか判断をいれず、すべてを飲み込む。そして、基本方針として、やりたいことをして、やりたくないことはしないことにします。やりたくなくてもやらなくてはならないことは、仕方ないからやるけど、最小限にします。他人の思惑は気にしない。相手が直接危害を与えてこない限りは、他人のことは考えに入れない。だけどこちらも、誰かに危害を与えることはしない。障壁は極力避け、無手勝流を目指します。そもそも勝ち負けの感情は捨てましょう。風に柳のしなやかさ。健康については考えましょう。病気になったら認めましょう。思い悩まず、向き合いましょう。そして、ゆっくりじんわり治しましょう。昨日より今日がちょっと具合よければ喜びましょう。これからは、若い時に比べ、時間の経つのがすさまじく早く感じるはずです。だから細かい計画は立てない。焦るだけだから。おおまかに決めて、おおまかにこなす。どっちに進んでるかが重要で、どれだけ進んだかはどうでもいい。目的地は定めない。ただ自分を愛しんで、大切にして、労わります。やりたいことは何かなんて、そのつど考えて判断します。耳を澄ませば、自分の心の声が聞こえてくるはず。
2007年04月01日
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