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地球の造形3回にわたって”日本の低山”の題で秋田大潟富士、大阪天保山、徳島弁天山を紹介してきた。その際Google Earthの風景・空中写真と国土地理院の地図から図版を作成した。その作成過程で下の写真に巡り合った。伊丹空港のすぐ近くに有る昆陽池である、この池は8世紀に僧・行基によって作られた農業用貯水池であるが、周辺の宅地化により1960年代に農業用池から市民公園として整備された。この池には従来から渡り鳥の中継・生息地として多くの野鳥が集まっていたことから、人間から野鳥を守るため中央部に孤立した島を作って野鳥の楽園とした。野鳥だけがパスポート・ビザなしで入国できる新しい”野鳥国・日本”を建国したと云う訳である。 園内には昆虫館や喫茶店それに野鳥観察橋と言うのも見られる、休日にはここからファンが日本の野鳥に双眼鏡を向けていることであろう。 僧行基は民衆に仏教を広め、多くの土木工事を指導し、東大寺大仏の 建立責任者、日本最古の地図で江戸時代まで用いられ続けた行基図の作者と されている。行基の作った昆陽池に行基が最初に描いた日本の地図が浮かび そこが自然保護の象徴的野鳥の楽園となっていることは改めて行基の偉業と 先見性を伺わせるものである。 地理院地図を眺めてみると外周道路は約2キロくらいなので、市民ジョガ-でも楽に日本の外周を駆け巡ることが出来そうである。Google Earthからは努力さえすればその他にも多くの好画像が得られるし。特集ブログも多く見られるのが2月のバレンタインデー前にもてはやされるハート型地形である。プールや芝生などのそれは数えるいとまがないほどあるが、下の公園池も完全に自然形かどうか疑わしい。 パタゴニアの青い池の中のものはハートの盛り上がり方も見事で一部手が加えられている気はしないでもないが水の色と合わせて美しい。フィジーのサンゴ礁は海にまで手を施したとは思えずほぼ100%自然のものだろう。日本人観光客に圧倒的によく知られているのがオーストラリアのグレートバリアリーフに有るハミルトン島であろう。これもサンゴ礁である。 インドの沿岸山地のものは完全な自然形であるがある角度によってのみハート形に見える気もする。手前の山のふくらみが優しさを感じさせる。場所の確認が出来ていないが色彩と言いロケーションと言い下の絵は文字通り出色である日本では海・山の観光地に行くと”xx岩”と名付けられた岩が随所にある。沖縄本島万座毛に有る”象の鼻”も自然の造形としては出来過ぎている。よく見ると眼・耳まで有る気がする。私が訪れた日は雨模様であったが普段は水の色が素晴らしいところと聞いている。熊野の海を睨む獅子岩もなかなか迫力が有る。 大分以前に新聞や雑誌で報道されたNASAが公開した水星の岩彫刻ははるかにスケールが大きく、地球上の全知全能の神をはるかに凌駕した腕前であるが、ディズニーランドは他の惑星まで出店しているのだろうか。でもこのネズミ君ディズニーランドにいる時と違って悲しそうである。要するに宇宙の創造神が水星に隕石と言う球を打ち込んで彫った絵である。
2012.07.24
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日本の低山 3前ブログで日本の低山として大潟富士(0.0m)と天保山(4.53m)を紹介した。実を言うとこれらは昭和年間および天保年間に人工的に土を盛った人工の山である。現在国土地理院の1/25000地図に後者は山名が記されているが前者は麓の標高がマイナスで示されているだけで観測点ではあるが盛り土そのものは認められていないようである。一方自然の山として地図に記されている最低(?)の山は徳島市方上町に有る弁天山であると言われている。Google Earthで下の道路の下の円周道路で囲まれた小山で標高は6.1m、麓の水田の標高は2.5mなので1合目から頂上までは3.6mと言うことになる。国土地理院認定の自然の山としては確かに低い。田んぼの中にぽつんと位置し、頂上には立派な厳島神社・弁財天が祀られWebではlive cameraで終日放映されている。日本全国海岸の観光地や集落の脇に小島が有ると必ずと言っていいほど弁天様が祀られている。弁天様はもともとインド神話の河神サラスバティーを漢字に置き換え、これをさらに日本語読みにして弁(財)天になった由、日本に渡り仏教にとりいれられて音楽・財富・智恵・長寿と幅広く助けてくださる有難い女神となり、また七福神の一つに数えられ有難い神さまとなった。明治になり政治が神道を利用したので神仏は別物とされてしまったが仏教・神道・土着信仰が一体化されてその地方に適した”xx教” ではない”信仰”が主流であった。前述したように弁天様は多く小島に祀られるが海・湖・河川の守り神としての信仰が全国に普遍していたことを示すものだろう。しかしここ徳島の弁天山は夏の時期水に囲まれているとはいえ、それは水田の中である。はたして室町時代以前この辺りは浅い海であったらしい。すなわち現在の水田地帯も浅海が隆起して出来たもので、芭蕉の俳句(象潟や雨に西施がねぶの花)で有名な”象潟(きさかた)”が著名である。こう見てくると”弁天山”はもともと”弁天島”と呼ばれていたものだろう。ちなみに源義経はこの弁天山のすぐ近くの海岸に上陸し、この辺りを進んで陸路讃岐に渡り、屋島で平氏軍に戦勝して勢いを付け下関壇ノ浦で平氏を壊滅している。その時徳島の弁天様が弁天島に有ったのか弁天山に有ったのかは定かでない。 現在の国土地理院の地図には弁天山の字の下に6(m)とあり、その左側の点とその記号が解読できない。手元にある地図の凡例にも見当たらないが実態は写真の通りである。2等三角点の印は弁天山の北11.5mの山である。ここにも保存会が有り、近くの飲食店が事務代行をしているようである。天保山と同じでここも手数料は10円らしいがこのレストランではお守りや記念グッズが販売されている。山が低いので”落っこちない”マスコットだそうであるが目標が低いのもいかがしたものだろうか。歌手の福山雅晴さんが登山し記帳が残されているそうだ。
2012.07.23
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日本の低山 2前ブログでは日本一低い山として標高0mの”大潟富士”について記した。次に低い山として知られるのが大阪の天保山であろうか。この山は大阪港の築港に際して掘り上げた土を盛り上げておいたのが始まりで、盛り土で高くなった所に燈台を作った。これが天保年間だったのでこの土盛りを天保山と呼ぶようになり、二等三角点として国土地理院の測量点にもなったので地図上にも「天保山」と記されていた。1971年の測量では7.1m有ったらしいが、1977年の測量では地下水汲み上げの影響で4.7mに沈下し、最新1993年の測量では4.53mとなっている。私も5,6年前に訪ねて行ったがどこにも山らしい盛り上がりは見られなかった。有るのはごみ篭の横の標石である。下のGoogle Earthで中央部の丸い広場(?)に建つ高いモニュメントは明治天皇観艦記念碑でその隣の植え込み脇に「天保山」の銘盤が有る。 もうちょっと詳しく見ると奇妙なことにニ等三角点の標石は土盛りの頂ではなく、周りの植え込みよりも一段低いところに有る。 多分沈下して4.53mになった天保山はそのままにして近年の港湾再開発で周りを盛り上げたために山頂が鍋底になったのであろう。こんなことも有り一時は国土地理院でも地図上に天保山の名を省いたが地元の強力な要望により再録することになった。国土地理院の1/25000で見ると「天保山渡」の右側にニ等三角点の印と4.5の文字が見える。地元は大変な力の入れようで銘盤には標高4.53m、「中央手前の二等三角点が山頂」との案内文がある。そして「天保山山岳会」があり、近くの山岳会事務所で登山証明書を手数料10円で発行してくれるそうである。ただ”登山”と言っても先の写真を見れば分かる通り実際には”下山”である。 この天保山は出来た当時は土盛りが大きかったのか浮世絵にも描かれているが葛飾北斎の描くものはまるで森林公園である。花見客で賑わい、松の大木まで描かれており、やはりこれは絵描きの絵空事であろう。北斎に比べて歌川広重の描く浮世絵は燈台、屋形舟、漁村風景や土盛りの高さも2,30m位であろうか実にリアルである。 いずれにしても人工の土盛りが天保山として親しまれた様子が見て取れる。私は四国徳島の出身で昔大阪に出る時はいつも船で天保山の港に着いた。その時は大阪港一帯の地名が天保山と思っていたがその起こりが土盛りだったとは意外中の意外であった。
2012.07.22
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日本の低山 1もう一週間近くブログを書いていない。何か書かないと習慣が途切れてしまう。大好きな地図から何か探そう。多くのブロが‐がものしているので新鮮味に欠けるが、国土地理院の2万5千分地図、Google Earth、Wikipedia を利用して”日本の低い山”で一稿を起こすことにした。 何年か前に男鹿半島を旅したことが有る、半島の根元には八郎潟を埋め立てた広大な大潟村の水田が広がっていた。1964年に立村された合併でも併合でもなく、面積170km(2)と言う広大な全く新しい村である。琵琶湖が630km(2)、東京山手線の内側は63km(2)と言うからその大きさが分かる。国策で八郎潟を堰きとめて作った土地に全国から入植者を募集して出来た新しい村と水田であるが。入植が終わるか終らない内に今度も国策の減反政策で作付規制が行われたが、村から多くの造反者が出て話題になった所である。Google Earthで見るとAの地点で排水路と幹線道路が交差している。A地点近傍をを拡大してみると「大潟富士」とある。 同じ場所を1/25000地図で見ると織物のような水田の中に有って中心部に御幸橋と言う字が見える、そしてその下に小さな△印が見え、そこは地理観測点で標高は-3.8と読みとれる。つまり-3.8mのあくまでも平らな水田地帯である。そこに+3.776mの山を築いたのだ。 Googleからの写真を探すと有りました、登山道を備えた「大潟富士」で村の象徴としてここに作った築山であることが分かる。山の高さは3.776m、静岡/山梨に聳える山の1/1000である。しかもこの大潟富士の頂上は海抜0.00m。この地は海からの水路を堰きとめて作った土地、で海抜で云えばマイナス地帯、したがってこの山の山麓は標高ー3.776mである。いずれにしても村の象徴として築かれたもので、”丘に登って山を降りた男” と言うイギリスの映画が有ったが、ここには海を山にした人がいた訳である。それにしても標石には「日本一低い山」と記されており、日本一高い山も低い山もみな富士山と言うことになる。
2012.07.21
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岬の海岸 大房岬は台地の半島でホテルは小さな入り江の崖の上に建っている。入り江の左側は海岸の隆起地形特有の横縞模様の岩が聳えその向こうに小さな磯と沖合に雀島が見える。 下の写真の中央部かすかに白い場所が有るがこの辺りに前日までは海王丸が停泊していたのだ。そう云われてみればそこから航路跡が見える気もする、海戦の指揮官ゆきかうはこんなことから敵船の動きを読んだりするのだろう。 東京湾を見ると小さな釣り船から大型貨物船が行き交う様子が見える。大型船は止まっているように見えるが少しの間他を見ていると確実に位置を変えている。まして2艘が行き交った時はその動きがはっきりと分かる。翌日のニュースでこの日入港した貨物船から何億円かの麻薬が発見されたと報道されていた。まさかあの船かもなどと勝手に疑っている。 午後の出発まで何もすることが無い。本を読んでも長続きせずすぐ下の入り江に降りてみた。左隣りは隆起海岸特有の地層がはっきりした崖肌である。これだけ隆起するのには悠久の時間がかかっているのだろう。各層には気候変動・地震などの記録が刷り込まれている。この本のページのような層を一枚一枚はがしてゆくと地球の歴史が読み取れるかもしれない。 沖合の雀島は島中央部の突起が羽を休める雀に見えるのでそう呼ばれるのだろう。 崖の傾斜が緩いとすぐ草木が生え様相が変わり、隆起の痕跡は海中の岩だけになる。この小さな浜に保育園児なのだろう9人の子供と3人の保育士が遊んでいた、 幼児たちは流木を集めてはミクロネシア人が書いた海図のような模様を砂浜に残していた。 猫の額ほどの砂浜の横の岩盤に規則的に大小の穴がある。規則性から言っても丸い形状から言っても自然に出来たものではなさそうだ。 大きいほうの穴を覗き込むと5cm位の小魚が沢山泳いでいる。 周りには岩牡蠣だろうか貝殻が岩の一部と化している。 さらにホテルのパンフレットに釣り場と記された10m(2)位の崩れかけたコンクリート床ががあり、その先の海中には2m位の幅で2本のコンクリートの直線状構造物が有る。釣り場として作ったものとはとても思えない代物である。帰宅後Webで調査してみるとこれもまさし要塞の遺物であった。すぐ近くの洞窟に隠し置かれた魚雷の発射台あった。そして先のコンクリートのステージは魚雷機材を搬入するための船着き場だった訳だ。そうしてみると先の岩盤に穿たれた数々の丸穴は取り外しの出来る鉄パイを入れて急ごしらえの作戦・発射テントのようなものを設営したのではないかと推測できる。年間を通じて強い風が断崖に吹きつける温暖の地では独特の植物相が見られ、風に耐える肉厚の葉と強い紫外線を反射して身を守るため光沢のある表面、少しざらついた裏面を併せ持つ葉の植物が多く茂っている。花は皆小さくて白い地味亜ものがおお背丈は低く這うように茂っている。 とべら まさき(?)
2012.07.15
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岬の要塞今回の旅は東京ゲートブリッジと東京湾アクアラインを通るのが目的であったが、泊りは富浦湾と館山湾の間に突き出た大房岬に有るロイヤルホテル。この岬は長さが2kmで 岬全体が標高80mの山である。岬の海岸は断崖となっており全体が公園で、施設としてはホテルとキャンプ場・青少年センターが有るだけで民家はない。海や陸から見ても密林に覆われた島はただの山にしか見えない。東京湾の入口に位置し、断崖で海からは上陸できず密林以外何も見通せない。こう書いてくるとここが戦略的に要塞に適していることは明らか。東京湾と地中海では規模は異なるが岬の要塞と言えば私の年代ではあのグレゴリー・ペック主演の”ナバロンの要塞”が思い出される。地中海に角のように突き出た突端だけがイギリス領のジブラルタル海峡の山の要塞だ。そんな訳で大房岬は黒船を迎え撃とうとした江戸末期から太平洋戦争の東京湾要塞の一つとして砲台が置かれ重要な戦略地であった。当然民間人の立ち入り禁止、戦後は公園として利用されている。今はキャンプ場として山のあちこちに芝生園地が造られている。 密林の上を舞う鷲は要塞を偵察する無人機の様で何か不穏を予感させる。古い映画「荒鷲の要塞」からの連想であろう。ストーンサークル好きの私はつい下のキャンプファイヤーのベンチが2度も訪れたことのあるSalisburryのストーンヘンジに見えてしまった。野外教室で訪れていた小学生が植生の勉強をしている園地の隅に煉瓦で囲われた台が有りその脇の説明版に1921年アメリカ・イギリス・フランス・日本・イタリアの第一次世界大戦戦勝国がワシントンで軍縮会議を開催し、日本の軍艦も大型砲を何門か解除しなければならなかった。その大砲解除されたは三浦半島の剣崎とこの大房岬要塞に設置された。しかし黒船時代ならいざ知らず太平洋戦争では航空母艦からの艦載機での本土空襲でこの砲台は何の役にも立たなかった。園内には要塞の施設が随所に残っており、皆入口はコンクリートで塞がれているが上の写真の弾薬庫跡、下の写真の地下発電所跡などが残っている。いずれも密林におおわれており、秘密の要塞だったことが分かる。発電所はかなり大規模だったことが窺われるが、ここには探哨燈保管庫などと言うのも有る所から見ると夜間航空機を発見するサーチライトも設置されていたのだろう。使用時に地上へ移動する竪穴やエレベータなども有ったようである。この岬は江戸時代から要塞であり、岡山藩がその担当とされ幾多の黒船の侵入を幕府に報告していたそうであるが、沖合を攻撃できるほどの性能の大砲は持っていなかったようでここからの砲撃の史実は知らない。十三門の大砲が据えられていたと言うが今はせいぜい小高く盛り上がった場所を見る位で密林の中、とても砲台跡とは認めがたい。広場に出てふと館山湾を眺めると江戸時代にタイムスリップしたかのように黒船ならぬ白い帆船が帆を降ろして停泊している。Webで調べてみると航海訓練機構が保有する2艘の帆船の一つ、海王丸だと分かった。もう一層は日本丸で、この2層は船首の像など細部では異なるものの殆んど瓜二つで用途も殆んど同じ航海訓練船だそうだ。館山湾には海洋大学の施設や海上自衛隊基地なども有り、海王丸も年に何度かここに停泊するそうで訓練機構のホームページにはスケジュールが記されている。前日はホテル前庭からも良く眺められたが翌日の朝湾にその姿を認めることは無かった。ホームページにはこの日(7/9)まで停泊することになっているが船の朝は早く私のカレンダーとは異なるのだろう。
2012.07.13
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大房(Taibusa)岬 東京ゲートブリッジを過ぎてまた一つトンネルを潜るともう羽田空港である。空港中央部を突き抜けるとまたすぐ東京湾アクアラインの入口トンネルに潜る。トンネルを出ると人工島の巨大な駐車場「海ほてる」である。東京湾アクアラインの中間点とて調べてみると東京でも神奈川でもなく千葉県木更津市であった。 バスツアーは昼食のため暫く走って金谷港に向かった。ここからは久里浜へフェリーが出ていて40分で三浦半島の久里浜に渡れる。港から山側を見るとごつごつした岩山が見える。安房の名山鋸山である。峰が凸凹していることからの呼び名であるが岩壁も鋸状に凸凹している。ケーブルの駅も見えるが山上には日本寺という名刹も有り、東京湾、三浦半島、富士山の眺望が素晴らしいと云うことである。垂直の岩壁が目立つがここはかって石切り場だったらしい、ズームしてみると石窟寺院のように見えるが神・仏像が祀られている訳ではないそうだ。今回のツアーは観光地はどこも訪れないので機会を改めてぜひ再訪したいと考えている。 房総半島と言うと海と平地の花畑を連想してしまうが半島の南半分は山また山、谷間に狭い平地が開け漁村が散らばっている感じである。高速道路はトンネルと切り通しを縫って進んでゆく。一口に千葉・房総と言っても平地の上総と山地の安房では全く気候も気風も違うと言われてきたがこの地形を見るとむベなるかなである。さてこの日の目的地は大房岬(たいぶさみさき)自然公園に有るロイヤルホテル。2時早々にチェックイン、翌日2時まで予定なしであとは最近出来たアウトレットに立ち寄って帰るだけ、要するに我々ブランド商品に関心が無いものにとってはゲートブリッジ、アクアラインを通るロイアルホテル宿泊のシンプルな旅。大房岬は富浦湾と館山湾の間に着く出した小さな断崖の半島で民家はなく全体が自然公園になっていてホテルとキャンプ場があるだけである。。 冬は風が吹きすさぶが水温や気温は年中高、風を別にすれば温暖の地とも言える。したがって植生も独特で熱帯を思わせる棕櫚の木や濃い密林の様相を呈している。 展望台に登ってみたが密林の上に顔を出しているだけで樹海しか望めない。樹海のなかの小さな入り江の断崖に立つのが今夜のホテル、海は館山湾。今は人っ子ひとり居ないがかなり大規模なキャンプ場があり、随所にテント場の緑地が広がっている。 どちらかと言えば南国の木である栴檀(せんだん)が一本だけキャンプ場にあり、実がたわわに稔っていた。私には個人的に懐かしい木なので前にブログにも記したことが有る。 下の写真は一株の木であるがこの岬の植生は殆んどこの木の密林である。そのさまは樹種は全く異なるものの熱帯のマングローブを思わせる。実際散歩道を辿ると空は殆んど見えず、熱帯雨林をカヌーで進んでいる気がしないでもない。密林の大房岬であるがそのような地形と植生は古来絶好の秘密要塞として利用されてきた歴史を知ることになる。
2012.07.12
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東京ゲートブリッジと東京湾ゲートブリッジ先週新東名高速道の商業施設ネオパーサを巡るバス旅行について記したが同時に東京ゲートブリッジと東京湾アクアラインを通って千葉・大房岬のホテルに泊まるバスツアーにも申し込んでおいた。ドライビングを辞めた現在まだ二つのルートを通ったことが無かったからである。結論から言うと面白くなかった。灯台もと暗し、橋からは橋が見えなかった、当然の結論が待っていた。小雨降る梅雨空の日曜日10時前に新宿を出たバスは迂回して新木場を通って若洲埋立地のゴルフ場公園に向かう。これから通過するゲートブリッジを眺めるためである。 数年前からお台場地区を訪れた時左右から恐竜が首を伸ばしていくが何だろうと不思議に感じていた、それがこのTokyoGateBridgeであった。果せるかな今年春の開通を待たずして「恐竜橋」のニックネームが定着している。この橋すぐ近くに羽田空港が有るため高さは98m以下に制限され、高い主塔を必要とするため近年主流の斜長橋は不可能である。また大型船の航行のため海面から54m以上の高さを要するため大型のトラス橋になった。トラスとは三角形の鉄枠を組み上げて行く手法で、橋上部のように平面三角枠で構成するものと下部の1部分に見られるような立体三角枠を使ったものが有る。この橋の美しいのはほぼ同じ4つの三角枠ブロックを組み合わせたシンプルなデザインに有るだろう。そして出来上がったものは2羽の恐竜がキスしている構図になっている夢の有る造形である。閑話: 恐竜を2頭/2匹/2羽、どう数えるべきは分からない。大きい動物なら問題なく2頭、小さかったり分からない場合は2匹、鳥や卵生の場合は2羽だろう。恐竜は大きな動物だが卵生なので2羽としたが可愛いすぎるか? ウサギを2羽と数えるのは肉が鳥肉のようだからと聞いたことが有る。いずれにしても鉄骨は傍で見ると大きすぎて可愛いと言う言葉とは無縁。 東京湾アクアラインは1997年開通と言うからもう15年も経つと云うのにまだ通ったことが無かった。台場地区や飛行機から何度となく下の写真のように帆船が帆を一杯に広げた姿が優美でこれが「海ほたる」と思い込んでいた。確かに夜間照明されればあの下村博士が研究した発光生物ウミホタルの様だと思っていたのである。ところがこれは川崎側トンネルの換気塔らしい。 そうするとこの白い帆の実態は何なんだろうか、多分空気フィルターなのだろう。工事中はこの巨大な立て穴から掘削機などを搬入した工事基地でもあった、そして現在は空気取り入れ口として東京湾の風向などを考慮してその角度が変化する高度な換気塔として機能している。どうも単なる装飾品ではない。そして写真を撮っている場所は「海ほたる」と言うアクアラインの中間に造られた人工島の駐車場なのだ。そこに有った案内板を見るとこれは「風の塔」と言うもので私が台場から見ていたのは横の3角形の縞々模様だったらしいことが分かった。 同じ案内板に今いる「海ほたる」の全景写真があった。写真を撮っているのが島の右端の5階建てビルのテラス。アクアラインはここから木更津までは海上の橋となっている。 クルーズ船と言うよりは航空母艦の態である。下のオブジェはこのトンネルを掘った掘削機の前面切り刃の模型、人と比べてその巨大さが分かる。日本発のこの掘削機は今世界各地で穴を掘っている。屋上のオブジェはこの「海ほたる」を船に見立てた船の帆である。 実際ここは島と言うよりは巨船に似ている。デッキの様子も大型クルーズ船に似ている。船尾にも似た人口島の木更津側からはながい海上橋が房総半島に向かって伸びている。 自分側からはみえないので雨粒の屋外案内板の絵を借りると下の光景が広がっている筈である。
2012.07.11
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鉢植えのミニトマト相棒が長年ベランダでの花園芸を楽しんできたが鉢を動かすのもおっくうになってきたみたいで、昨年のマンション外装改修を機に鉢数を大幅に減らした。そこで余った鉢を貰い受け、私がミニトマトの苗を買って初めて挑戦してみた。6月の台風で一枝折れてしまったが先々週辺りから真っ赤なトマトが出現した。左隣りは以前ブログしたことが有る時計草(Passion Flower)。日本では時針・分針・秒針になぞえる雌蕊も西洋ではキリストの受難になぞらえて十字架にキリストを貼りつける釘に例えるとか。今よく咲いている。光沢のある見事なトマトの豊作である。そして皮は堅いものの桃を思わせる甘さで、大皿のサラダの縁に並べると味以上の効果を食卓に添えてくれる。 未熟な青果と真っ赤な熟果を整然と並べたクラスターの美しさに下手なレンズを向けてみた。写真としてはとても稚拙であるが初体験の鉢植え野菜の出来栄えを記録に残しておきたくブログをものしてみた。そう云えば昔”トマトは野采か果物か” と言った論争が面白おかしく流行ったことがある。植物学的には野菜、用途形式は果物と言う意見が多かった気がするが、ケチャップや煮込み材として多く消費する欧米ではやはり野菜であろう。
2012.07.10
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地球儀前ブログでupside-downの世界地図を見て考察したが、この様に違った角度から地球を眺めるとどう見えるのだろうか。手っとり速く地球を概観するには地球儀を見るに限る。宇宙飛行士でもこんなに高い高度で飛ぶわけにはいかないだろうが、私と地球儀風船の関係は全く自由である。 最近ミクロネシアを主題にしたTV番組を見たがミクロネシア人がいかに広い海域を行動したかを示すのに下図の視点で捉えた世界を伝えていた。天空から見ても殆んど陸地は見えない。その海域がミクロネシア人の考える世界なのである。しかもそれは太古の物語である。先のロシアとアラスカの関係でベーリング海峡を通ってインディアンの祖先が南米にまで移動したのに対応するミクロネシア人の動きである。実験考古学者ヘイエルダ―ルが葦船を再現して南太平洋を渡って見せたがもちろん船は葦でも彼らの航海用具は近代のものだろう。それでもオスロの海洋博物館に展示されている葦船の再現品を見て感動した記憶が有る。 上の写真の視点から地球の真裏に回り写真を撮ると下のようになる。ここでは地球は陸地で埋まっているように見える。こう見てくると地表の重には随分偏りが有るように見えて仕方がない。不均等な駒の回転がすぐにぶれ出して倒れてしまうのを思うと地球の回転が乱れはせぬかと心配になる。 ブラジルの東海岸上から見ると下の写真になる。地球の地殻変動の歴史を逆回しさせて大西洋を圧縮するとアメリカ大陸と南アフリカ大陸がピタッとくっ付く、いわゆるウエゲナー説は説得力がある。 今も大西洋は広がり続けているのだろう、その動きが南北アメリカ大陸の西海岸を押し上げロッキー山脈、シェラネバダ山系、メキシコシェラマドレ山脈、アンデス山脈を造り上げて行っている。今私のパソコンの横にカナディアンロッキーで買い求めた魚の化石が有るが、あの3千メートルの岩山はかって海の底に有ったのだ。ここはバージェス頁岩と言う岩層が有り、石のページの間には多くの太古の生き物が姿を残している。かってインド亜大陸と言う言葉の意味が分からなかった、インド大陸はもともとアジアとは別の大陸で南半球から流れてきてユーラシア大陸にぶつかりアジアの陸地を押し上げてヒマラヤ山脈を作ったと云う。それでユーラシア大陸と区別してインド亜大陸と称するのであろう。インド亜大陸やアンデスの話ではな大陸移動説は日本にも大いに関係が有る。下のGoogle Earth の開始画面を見てみよう。伊豆の辺りでユーラシア地殻プレート、太平洋地殻プレート、フィリピン海地殻プレートがブ使い有っている様子がよくわかる。これらの境目では絶え間なく地震が起こる宿命にある。さて中央部にフィリピン沖から発して伊豆地方に延びる海中の山脈(海嶺)がはっきり分かる。そして伊豆7島を含むこの海嶺の端で陸上に露出しているのが伊豆半島と言うのだ。つまり伊豆半島は日本列島とは別の土地でそれが本州中部にぶつかり南アルプスの高地を形造ったと云うのだ。それにしてもこの海図を見ると濃いブルーの太平洋プレートとフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込み境界線に深い谷(海溝)を作り、境目では大きな歪みを生み地震でそれを発散するメカニズムがよく理解できる。 地球の天辺(北天)から見ると日本庭園のような複雑な造形の坪庭風景がある。 そしてもう一つの天辺(南天)から見てみると南極大陸は蛍光灯のシャンデリアにも見え、これを底辺と見ると地球表面が球形ディスプレイで、これを明るくする白色LEDのバックライトのような白い南極大陸がよこたわっている。
2012.07.08
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世界地図最近必要が有って私のコレクションから変わった世界地図を見る機会が有った。オーストラリアで昔買い求めたものであるが写真を上下回転したものではない正真正銘のUpside Down世界地図である。こうやって見ると4大陸は宝石を ちりばめたネックレスのように見える。そしてアメリカとロシアが隣国であることがよく分かる。もともとアラスカはロシア領であったが1867年クリミヤ戦争で財政難に陥ったロシアがアメリカに売ってしまったのだ。この時の価格は1km平方当り約5ドルで総額720万ドル。現代の価格に換算すると1億1300万ドル(約90億円)でこれを買い付けた国務長官スワードは巨大な冷蔵庫を買ったと国民に避難された。しかしその後のゴールドラッシュ・大油田の発見でその評価は一転。防衛上もアメリカは本土を遠く離れた安全な地で冷戦時代のソ連の首筋に鋭利なナイフを突き付け続けられたのである。この国務長官の名を冠した町Sewardの港から氷河遊覧船に乗って100mはあろうかと思われる垂直な氷河の末端が雷鳴のような轟音と共に海中に崩落する光景が思い出される。我旅歴でも5指に数えられる経験である。もう一つ変なのはオーストラリア、アフリカ、アフリカがやけに小さいことである。 普通我々日本人は赤道を南北中央にしてほぼ日付変更線上から見たメルカト―ル図法の地図にを見慣れている。しかしこの地図はオーストラリア発行の地図なので折りたたみの線に注意してみると赤道の真上ではなく南回帰線上でオーストラリア東端と同じ経度から見たメルカト―ル図法で描かれている。カナダ・ロシアの凍土地とグリーンランドはやはり大きすぎる。南極大陸は省かれているが南アメリカとアフリカの上部に影が有るので描けば満天の雲のようになることだろう。そう云えばイギリスやアメリカの南極補給基地はケープタウンと南米ホーン岬の近くに有った気がする。上の写真を180度回転すると次のようになり見慣れた地図に近づく。 日本では太平洋中心の地図に慣れているが西洋ではもちろん大西洋中心である。
2012.07.07
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新東名ネオパーサ3今回通過した静岡県内の新東名高速道は殆んど低い山会い・谷会いを通りトンネル・切り通し・架橋でカーブが少ない設計をしている。工事費はかかるだろうが山地で土地代の安さがそれを相殺するだろう。環境アセスメントを考慮してか橋のデザインや切り通しの表面には気を配っている様子が見て取れる。下の写真は良くない見本であるがそれでも旧来の工法よりはソフトで受け入れやすいとみた。 今回の旅で最後のストップは”駿河湾沼津ネオパーサ”、他のサービスエリアの商業施設が1階建に比べてここは3階塔屋を持つ2階構造である。塔屋には鐘が吊るしてあり、ここからの駿河湾の眺めは素晴らしい、なぜだろうか老若女性は突きたがるのに要領を得ないで苦労している。下に広がるのは沼津の町、湾の向こう側には伊豆半島が広がり、その根元には三津(みと)の町とかすかに見える、おむび型の島が一度行ったことのある淡島で、シーパラダイスの白いホテルが見える。 二階展望台から下を見ると巨大なフラワーバスケットがおいてある。 鐘楼のあるこの沼津ネオパーサは一見スペインのアラブ風キリスト教会みたいである。多分駿河湾を地中海に見立てたのであろう。 オープンカフェの天蓋もカラフルでなんとなく地中海を思わせる。 今回新東名パーキングエリアの商業施設ネオパーサ群を巡ってみて感じるのは和風感覚が全くないことである。信濃道に見られるような和の施設が有っても良いのではないだろうか。とに角高速道路しか走らない変なバス旅行であった、ヨーロッパのような原則高速道が無料の場所では想像もできないツアーではあったが、rakutenがここを走る機会は最初で最後かもしれない。楽しい旅でもないし、味のある旅でもないが意味のある旅では有った気がする。
2012.07.06
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ヒッグス粒子(Higgs boson) 毎日夕刻5時から”三国志”をBSTVで視聴している。昨7月4日この日はアメリカの独立記念日だくらいに気持ちでスイッチを入れるとNHKで ”Higg’s粒子世紀の発見”と大騒ぎしていた。ジュネーブから中継して発表会場から伝えている。なんでもこれが有って初めて物質が生まれ、”宇宙ー天体―地球ー生命ー人間の出現と ”風が吹くと桶屋が儲かるの話を増幅したような話が自信たっぷりにアナウンサーの口から溢れ、何時から全知の神様がNHKに就職したのかとびっくりした。宇宙誕生の謎が解明されたかのようでNHKの興奮は夜も続いていたので、今日5日の新聞はさぞかしこの話題で一杯だろうと思っていた。確かに朝日新聞では一面トップ扱いであるが意外と記事面積は少ない、殆んどが解説記事でセンセーショナルな報道姿勢ではない。他紙はチェックしていないが多分これ以上の報道ではないだろう。思い出してみると確かに昨年末から重力粒子と言う言葉の小さな記事を何度か目にしたことはある気がする。物質とはある一定の大きさが有り質量(重さ)が有るものと教わった気がするが私の頭で実感するのは電子、陽子、中性子であり、それらを構成する中間子、クオーク、ニュートリノなどと言った素粒子は言葉として知っているだけでイメージは湧いてこない。ましてhiggs粒子などその名も知らなかった。そこで例によってrakutenの言葉探しが始まった。日本語では”ヒッグス粒子”の語が踊るがよく higgs bosonとカッコ内記されている。bosonなる語をWeb辞書で調べると訳語も”ボソン” とあり、手元の英和大辞典を見ても見出し語には無い。Wikipediaで調べると ”ヒッグス粒子 (higgs boson) とは、素粒子に質量を与える理由を説明するヒッグス場理論からうまれた、理論上の粒子である(素粒子論と量子力学では、場の存在と粒子の存在は意味がほぼ同じ)” とある。私が特に注目したのは”場の存在と粒子の存在は意味がほぼ同じ” の文言。そういえば昔高校時代の物理で”光の粒 子・波動二面性”を押しつけられた時どうしても理解できなかった。また後に電子の波動・粒子二面性を学んだ時も面喰らった。今回も同じである、物理学者には笑われるかもしれないが、光や電子の時のように”変化する場=波動=運動する粒子” と自分なりに整理して納得する以外なさそうである。 上の朝日新聞の写真を見てみよう。ここではhiggs boson は粒子として 描かれている。一方TV で流れたアニメーションでは空間を埋める水あめの ような状態と表現していた。正しくboson の両面性を表わしている。どちら 正しい訳だ。下の動画が面白い。 ところで"higgs boson" なる語両方とも人名に由来する。higgs はこの理論の提唱者で昨日の発表会場でも姿を見せていたPeterBiggs教授そしてboson はインドの物理学者S.N.Boseに由来する。Boseに素粒子の語尾”on”を加えた命名である。以上素粒子論音痴のrakutenが世紀の発見とやらに際してのメモ的ブログである、誤解や曲解を恐れるが歴史的な日を機に急遽アップロードしておくことにした。
2012.07.05
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新東名ネオパーサ 2今回のツアー2番目にストップしたのは浜松Neopasa、浜松は言わずと知れた世界の楽器工場の地。施設の屋根や床タイルも楽器鍵盤摸様である。Neopasaでは案内所もホテルみたいにConciergeで御帽子・ネッカチーフの姉さん。 自由に使える楽器ラウンジも有り洒落ているが気後れするのか一曲披露している姿は無い。 最近はパン屋さんブームで多くの鉄道駅にもあり、全てのNeopasaにも有るが浜松にはリンゴパンや特産の三ケ日ミカンやメロンのパンも有る。それぞれ形は見事でフレーバーも良く感じられるが、しょせんは無理した作品だけにパンとしての味はいま一つである。どこもトイレが素晴らしく綺麗で実に清潔に保たれている。従来のサービスエリアと違ってトイレは別棟になっており、前室にはソファなど配置され待ち合わせ空間(?)・情報空間としても機能する設計である。 デザインも特徴を出しており、ここの手洗いシンクはすり鉢であろうか。浜松とすり鉢の関係がよく分からないが、Webで調べると、とろろなどをすり鉢ですってそのままサーブする店を多く発見した。やはりめずらしいと見えてカメラを向けている人が映っている。。 さて今回は新東名だけを走る旅(?)である。浜松ネオパーサを過ぎると現時点での新東名終点・”浜松いなさJct” から旧東名の三ケ日インターへの連絡道が有ってループ状に繋がっている。我らの旅は帰りも新東名を通るのでここで瞬時一般道(R257)に出てすぐにU-ターンし、無人のゲートを通ってまた新東名登り線へと進入した。 次の停車は静岡ネオパーサ、ここもまだ未完成ではあるが緑地を十分取ってあり、屋外は気持ちが良い。 茶畑や緑茶・ほうじ茶を意識したデザインとか。タバコも便所前喫煙所などでなくこんな処ですったらさぞ快味・快感であろう。 例によって別棟のトイレも清潔そのものである。
2012.07.05
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新東名高速道路日本で一番最初に開通した東名高速道路は慢性渋滞に悩まされている。そこで本来なら減価償却をとっくに終えて無料になっている筈のところ通行料を取り続け、第二東名高速道路を建築している。そして静岡県浜名湖の三ケ日インターと静岡県御殿場インターの間が今年4月に部分開通した。私は体力が無く長距離運転するとすぐ疲れるので70歳を過ぎて誕生日を迎えると相棒から免許更新停止令が出てしまった。結果として自分で新東名に乗り入れることはない。そこで相棒が見つけてきたのが新東名のサービスエリアを巡るバス旅行である。余り聞いたことが無いが高速道路を走るだけのツアーである。汽車に乗るだけの旅を何度かしたこともあるので不思議ではないが、特に沿道の景色が優れていると云う訳でもない。要するに道路公団時代と違って高速道路会社が”ネオパーサ”と言う名の新しいタイプの商業施設を作ったと言うのだ。ネオ(new), パー(parking)、サ(service)からのお粗末な合成語である。こ何でも4音にする安易な考え方はもう少し何とかならないものだろうか。新東名に入る前のトイレ休憩に立ち寄った足柄パーキングエリアは”Expasa”となっていた。 第一東名ではExpress+Service+Parkingからの命名だろう。 それにしてもこの日は梅雨時とも思えない威厳のある富士の姿が形を変えながらずっと付き合ってくれた。新幹線や第一東名と違って市街を通さない姿は良いものである。山開き直前の駿河側の富士にはもう沢筋にしか残雪は認められない。富士山最後の噴火口宝永山がはっきり見える。そしてこの日最初の目的点は清水Neopasa、ここは自動車工場・駐車場をモチーフにした設計らしい。新東名では旧来のパーキングエリアと違って売店・駐車場・トイレの他に緑の遊び野外空間が広い。そしてそれぞれが一定のテーマのもとに有る。ここは自動車が主題だけに個人仕様の車やオートバイが展示されている。 タイヤのテーブルも珍しい。 開通直後の春の連休には混雑したらしいが、閑散期の週日はまだまだガラガラである。一般に新東名は旧道に比べてぐっと山側に位置しており東海道ベルト地帯の都市群・工場群からは少し離れているので田園風景は優れていて景色は良くなっている。また旧道に比べてカーブが少なく、たまに有る曲りも美しく橋桁も鉄骨むき出しは少なく優美に出来上がっている。概して運転しやすい道路に出来がっているとみたが快適さは気の緩みを生み必ずしも事故の減少にはつながらない気がしないでもない。
2012.07.04
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東京駅改修工事今回丸の内を訪れたのは東京駅改修工事の進捗度を確かめるためである。行幸通りから眺めると工事用仮屋もおおきく、駅舎も塀で囲われていたり、クレーンもまだ高い。未整備とてタクシー乗り場も混とんとし、とても首都の表玄関の感は無い。東京駅は1914年に開業した西洋式の名建築である。設計は当時の大家辰野金吾によるものでアムステルダム駅を参考にしたと伝えられるがやはり本家には及びそうもない。アムステルダム駅もっともこのアムステルダム駅、私は30年ちかく前に一度行っただけだが上のように華麗ではなく薄汚れた巨大なお城の感がしたのを記憶している。もう30年近くも経っているので今は上のように綺麗になっているのかもしれない。下の写真の東京駅中央口にはステーションホテルの入口があったり、皇族専用の入口があったりしたが改修後も皇室専用口は残されているのだろうか。中央口3階部にはステーションホテルがあり近く再開されると聞いている。二十年くらい前アメリカから来た友人が駅に一番近いホテルに宿泊したいと云うのでここを用意したことを思い出した。廊下や窓など木枠の正しく明治の洋館であった。その後も何度か日本の友人と食事に訪れた。今と違って駅ビルなど珍しく、まして駅舎内のホテルなど無かったので友人たちを驚かせたものである。 有楽町側の南口は中央郵便局に対しており、なかなか悠然とした姿に復元されている。要するに空襲で大破し、屋根など簡素化したものに改修されていたのを半世紀以上たって今回建築当時の姿に復元したとのこと。戦前の姿など知らない若い(?)私にはまったく新しいデザインである。とに角、窓枠のデザインが気に入っている。 まだ工事中のため駅舎全体を撮影できる場所は発見できなかったが、昼食に立ち寄った東京駅ホテルメトロポリタンに有りました。ここはJRの経営するホテルで新幹線口の駅敷地内に有るホテルである。以前からロビーに改修後の東京駅界隈のジオラマがあることを思い出した。そんな訳で鳥になったつもりで改修後の駅舎を上から眺めてみた。こうやって俯瞰してみると両脇の北口・南口のドーム屋根は5階相当で各コーナーに覗き窓を有し、その下のかまぼこ型屋根はヨーロッパの線路終点・テルミニ駅(元鉄道駅のオルセー美術館なども)の雰囲気がある。そして中央部随所に見られる四角屋根の塔屋もどこかの教会の鐘楼風である。ドーム屋根の細部を見るとパリのアンバリッド、フィレンチェのドウモウの屋根に似ているような気もするが破風窓が美しい。中央正面ファサードは簡素なデザインながら美しい、欧米で学校建築に良く見られる様式である。 建物全体を通し随所に見られるは破風窓が屋根の単調さを救っている。望楼・破風窓と言えば話は飛ぶがジョン万次郎がアメリカ船に救難された頃、アメリカ北東部ニューイングランド地方は捕鯨船・商業船の基地であった。船長たちの家には必ず破風屋根の望楼が付けられていた。船長夫人達は夫の帰国が近ずくと一日に何回となくこの望楼に登って海を眺めていたと云う。一度だけNewburry Portと言う町でこんな家を訪ねたことがある。また魔女裁判で有名なSalemと言う町に有るホーソーンの"Seven Gables (七破風屋根の館)"に出てくる破風窓の記念館を訪ねたことを思い出したところである。
2012.07.03
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