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首都高速湾岸線の橋々 今回のバスツアーのパンフレットを見るともう一つのキャッチフレーズは照明されたベイブリッジ、ゲイトブリッジ、レインボウブリッジを通るドライブとある。一寸耳にするとサンフランシスコに来たのかなと思わせるような英語名の橋の羅列である。東京らしさがまるで伺えない困ったものだ。せめてスカイツリーの高さを東京の古名・武蔵(ムサシ)に因んで634mにしたくらいの工夫が有っても良かったのではないか。バス旅行では大きな風景はまだしも橋景色を見るとなると窓からは橋桁しか見えない。車を放棄し自分でドライブすることも無くなったので橋の景色は難しい。シルバー族相手の旅行社もお見通して前部座席をプレミア付きで売っている。ここは応募するしかないとドライバーを下に見るハイデッカ―バスの最前列を予約した。バスの広い前窓を通して高い位置からの眺めはプレミア料に十分見合っていた。最初の橋は勿論横浜港の本牧埠頭と大黒埠頭を結ぶベイブリッジ、照明はやや抑え気味のブルー。そう云えば横浜ベイスターズのチームカラーもブル―だった。今の遺伝子みたいな名前のチームは何色だろうか。勿論海のブルーだ。次の橋は羽田からの光景で記したゲイトブリッジ、これも大型船の航行路を確保し羽田からの空路を邪魔しないために安易に斜張橋には出来ず両側から鉄骨を伸ばしてニ匹の恐竜を合体させたもの。当然ブレブレの写真であるがなかなか楽しい窓景色であった。恐竜がくちばしを合わせるところ。ゲイトブリッジを渡って木場を抜けると間もなくお台場のレインボウブリッジになる。この東京の新名所(と言ってももう10年が経つ)は螺旋路をよじ登って橋脚部に達する。新名所とは言っても江戸時代末期外国船の来襲を阻止するために築いた大砲台の人工島・お台場を見降ろしながら通過する。レインボウと命名した以上照明はおのずから決まって来る。 橋を渡るとそこは芝浦、東京タワーのある芝とは隣り合っている。高さでは 劣るが照明はスカイツリーよりもはるかにクリスマスに相応しい。 こうしてバスの半日ツアーも無事終了。 西洋ではクリスマスまえにMerry Christmas という、一方日本では正月幕の内はこの”あけましてーー”を言葉を使い続ける。 そこで英語で Happy New Year !
2012.12.31
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羽田空港第二ターミナル 今回の半日バスツアーの目玉は京浜運河工場夜景クルーズであるが、それだけでは時間が持たないので横浜の西洋館巡りとか羽田空港夜景見物が組み合わされている。北海道、九州、四国、中国地方へと多くの旅をしてきたので羽田空港へは何度も足を運んでいるが、すぐにチェックインして搭乗口に移動する。帰京時も一目散に地下の電車に直行する。ましてや夜景など見たことも無いが新聞報道ではデートスポットしても十分通用する場所となっているみたいである。横浜からは湾岸高速で30分もかからない。例によってここで90分勝手にせいである。中央部には立派な飲食・商店街が有るがターミナルの端から入ったら、下の写真左上のバルコニー通路にアジアのフッドコートが有りでトルコのプレート料理を頂いた。ブログの写真向きかも知れないが値段も安く味も値段相当である。食後中央部に歩を進め天井を見上げるときれいな天の川が輝いている。少年の頃深夜に母屋から離れたトイレに行き、眺めた空にはこの様な銀河が有った。そしてそこに流れ星を見るのは日常茶飯事であった。アラスカやカナダの人里離れた所でもホテルの明かりでこんな銀河を見たことが無い。ホテルから離れれば見えるのだろうが野生動物が跋扈する原野に行く勇気も無かった。5階屋上は全体で展望プロムナードになっており右が”星屑の広場” で駐機場にある 飛行機軍の向こうにはお台場、ディズニーランド、幕張メッセなどが望めるはずであるがこの日は霧雨摸様、昨年スカイツリーと共に東京名物の一つに加わっ恐竜橋とも別称されるゲイトブリッジがかすかに霞んで見える。コンパクトカメラでは是が精一杯。それでも2匹の恐竜が向き合っている姿(芋虫に見えなくもないが)は想像できる。広いプロムナード広場は床や天井の星屑がちりばめられベンチやソファまである。昼間はテイクアウトスタンドも営業しているみたいである。そして壁面は蔦で覆われている。十分にデートスポットになり得る場所だ。 左側に移動するとそこは虹のプロムナードを言われ長い長い線が常に色を変えている一度に変色するのではなく連続的に変色するので確かに虹の感じ生えている。もう一つ感心したのは光源はステージの溝の下に埋め込まれており、横にずれると光は隠れて弱く見え、もう少し離れるとまったく見えなくなる。そんな色より私の心が美しいと思う人には見なくてよい仕組みである。私は真上に歩んでフルビジョンを楽しんだ。ただ何とも寒い夜であった。
2012.12.30
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京浜運河夜景クルーズ今回の半日ツアーの目玉は京浜工業地帯を運河から眺めるクルーズ。夜景と言っても見せるための電飾ではなくあくまで仕事現場の灯りである。上の写真下部は横浜港・山下埠頭と右上の川崎のコンビナート地域の間の錆びた鋸のような所が京浜工業地帯。3つの大きな島は人工島の工業団地 これらの島を貫通しているのが首都高速湾岸線で「横浜ベイブリッジ」 「鶴見翼橋」などの橋がある。さて肝心の工場夜景、この日は寒い霧雨摸様で 屋根だけの小型船は寒い! 船は上の図で黄色の線で示された大運河・ 京浜運河へと進んで行き、さらに支流運河へと進入して工場を間近かに見せ てくれる。エンジン音に伴う揺れはカメラを不規則に揺らせる。数打ちゃ当たる を期待してシャッターを切るがやはり殆んど没、大口径レンズでないと駄目かな。
2012.12.29
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今回の半日バスツアーの呼び物は「京浜工場夜景を巡る運河クルーズ」である。クルーズは山下埠頭の氷川丸の横から出、船はすぐみらと未来の大観覧車を見ながら進む。後ろには日本で一番高いビルのランドマークタワーや帆船のような形のホテル・横浜パシフィコを背景にこの地区を演出している。カメラは夜景モードにして感度を上げて撮るが夜の遠景夜景とてシャッター速度は長く船は波・エンジンの振動でブレブレは致し方が無い。ここは山下公園や港の見える丘公園などが絶好の観覧席とて電飾が華やかに演出されている。ぼけぼけ写真を承知でその変化を記録することにする。工場夜景クルーズの帰港時はみなと未来地区に近い航路をとった。この時気が付いたのは内側の白い照明は秒針になっていて一分で全灯する。そしてそれが全灯するとまた虹色に変化するイルミネーションとなる。隣はディナークルーズ船だろう。
2012.12.27
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英国館のクリスマスデコレーション 港の見える丘展望台の手前に元英国総領事公邸の英国館が有る。この辺り”港の見える丘公園” ”元町公園” “外人墓地” 周辺のかって外国人商人や高官の家が横浜市に買い取られ公園施設の一部として一般に無料で公開されている。その一つ英国館の前庭にはこの時期小型ではあるがまだ赤いバラが咲いていた。内部はこの時期”2012年クリスマス装飾”と題しケイ山田と言うデザイナー監修の飾りつけが展示されている。廊下に飾られていたのは径30cm位の白いバラの蠟彫刻。家具は1863年横浜に出来た家具会社ダニエルのものとか。蜀台の黒ッぽいロウソクが印象的である。飾り棚にはさすがに上品なお皿が。Sitting roomにはこの時期なぜか豪華なイースターエッグがたわわにぶら下がっている。イースターエッグと言えばロシア・ロマノフ王朝のそれが有名であるが、コレクションとしてクリスマス時期にも飾る習慣が有るのだろうか。白い卵殻に描かれた素朴な絵のイースターエッグが好もしいと感じるのは貧乏根性だろうか。サンルームのようなこの部屋に鉢植え全員集合。これはディスプレイと言うより物置の体である。ベッドルームにティーセットもひどい。ユニオンジャックのクラッカーも名品茶器にそぐわずサービスのし過ぎである。無料で見学までさして貰って文句をつけるのは儀礼に反すりかもしれないが私としては有るがままの領事館公邸を見たかっただけなのだ。
2012.12.26
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横浜・港の見える丘公園 今年の遠出は11月で打ち上げたが12月中旬有る旅行会社の主催で横浜運河クルーズと言うのが有り、予約を済ませたと知らされた。よく理解しないまま午後2時半に上野出発と言う妙なバスツアーに参加した。霧雨の降るとても寒い午後であった。首都高速を通って1時間弱で谷戸坂と言うところで降ろされた。この坂を2,3分登れば港の燃える丘公園の英国館が有り、さらに少し行くと元町公園の洋館に行けると放りだされた。戦前から有る公園の名前としては垢ぬけた公園名と思っていたが、途中坂道の下の方に江戸千代紙と書かれたお店が有り、2階の窓は千代紙で彩られている。坂道を登りきるとイギリス総領事館であった洋館が有りその奥にはレンガで飾られた橋があり、さらに大佛次郎記念館が有る。大佛は横浜育ちで横浜を多く描いたらしいが時間の都合もあり今回はパスしたので詳細は不明。イギリス館の近くに山手111番館と言う白壁・赤屋根のスペイン風建物が有る。最初にここを訪れクリスマス時期のデンマーク風室内装飾を見ることにした。居間、ダイニングルームなどがクリスマスの様子を醸し出しているがデンマークと言う御国柄もあってかやや質素な感じのする装飾である。南国風の家にデンマーク装飾と言うのが変であるが国際商都横浜は各国に気を使って毎年国を変えて展示しているとのことである。すぐ傍の港の見える丘公園展望台に出て見ると横浜ベイブリッジが霧雨を通して美しい斜張橋の姿を見せていた。国際港らしく橋の下は多くの船舶が行き交っていた。
2012.12.25
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ベネチアングラスのモザイックインテリア根津美術館の帰り、最寄りの地下鉄から一駅歩くことにした。それはよく聞く表参道通りである。明治神宮の表参道に繋がる道だ。新宿から渋谷方面への明治通りは数十年来何度も通っているが表参道通りは歩いた記憶が無い。かってはいかれたコスチュームの人たちが闊歩した町として、また今はブランドショップが立ち並ぶ通りとして知られており、歩道も広く何かパリのシャンゼリゼのような雰囲気である。縁は無いものの私でも耳にしたことがるブランドの店が並んでいる。店名はメモしてきたので記してみよう。Cartier/Links/Issei Miyake/Celine/Gucci/Armani/Louis Vuitton/Paul Stuart/Burberry/Christian Dior/Chanel/Bvlugari/Raiph Lauren/Prada/Kangol他にもまだあるが私には馴染の無いブランド。私が持っているのは昔次男のお嫁さんがプレゼントしてくれたKangolの実用サマーハットだけである。Kangol の帽子は英国で日用品なのでブランド物とは言わないのかもしれない。いずれにしても15分の散歩でこれだけの店が見えるのは珍しいではないだろうか。全体を通して感じたのはどの店も前面ショウウインドウを持っていないことである。通りから内部が見えるものは殆んど無く、ウインドウショッピングには向かないことだ。そんなのは町ではないと思うのは私だけだろうか。ふと見ると歩道からの下り階段が魅力的な地下の店が目に付いた。SICISとあるがなんの店か分からない。シックな階段を覗いて見ることにした。正面に大きなボッティチェリーと思われる壁画が見えてきた。するとドアが開いて中からどうぞ見て行って下さいと招き入れられた。店内は一面モザイック模様で囲まれている。全てベネチアガラスのブロックを使って描き上げた壁だと言う。下の二つは浴室のインテリアで中央にタブが置かれている。飾りタペストリー様の壁もガラスモザイックである。全て1cm角のガラスをモザイック状に仕上げたものである。手の込んだものはさらにそのブロックを細かく刻んで張り合わせてある。実は入口の階段も全てベネチアンガラスのモザイックだとか。私には工芸品と言うよりも芸術作品に見えた。主客共に顧客ー店員の関係ではなく、共に時間を有意義に過ごそうとしていることは明白なので値段は話題にならない。楽しい時間を有難うと礼を言ってその場を辞した。
2012.12.24
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根津美術館(4)・石塔群 根津嘉一郎は大事業家の一面とわびさびの粋人の両面を持った人のようだで庭園には古い石塔が並んでいる。美術館のホールから見えるものは以前に記した巨大な青銅の燈籠と高僧の遺骨を納めたり遺徳を顕彰するための浮屠と言う舎利塔。中央の巨大な巨大遺跡にも見えるものは超モダンな六本木ヒルズ。良く普賢菩薩を乗せた象の像は良く見かけるが是は多宝塔を背負っている。破損したのかよく見ると鼻と牙は木の枝であった。如来坐像地蔵菩薩像(室町時代)石造多宝塔いわくありげな苔むした石燈籠この他にも古い石塔が多く見られ楽しい庭歩きであった。
2012.12.23
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根津美術館(3)・庭園散策 根津美術館は東武鉄道の初代総帥・根津嘉一郎の私邸庭園内にある。武蔵野台地の変化に富んだ地形は昨庭に適して、かっての富豪や権力者はこの様な場所に邸宅を建造した。根津邸も傾斜地にある庭園である。まず目に付いたのがイチョウの古木。イチョウは古生代から生き続けている植物で生きた化石と称される。学名のGinkgo bilobaは最初”銀杏(ギンキョウ)” をGinkyoと書いたものを筆記体のyがgと読み間違えられてしまったもの。古い株はもう木肌がイチョウの体をなしていない。老人の外様であるとても寒い日、カモ達は昼寝かあまりの寒さに身を縮めているのだろうか。枯葉の浮かぶ池面には名残のモミジが映り、傍らには座敷船が繋がれている。庭に藁細工が随所に見られる。帰り際玄関に佇む紳士に尋ねると小さなケースを取り出し、「稲藁ボッチ」を解説した紙片のコピーを手渡された。田んぼに収穫した後の藁を積み上げたものを「藁ボッチ」と呼んだそうだ。ボッチは孤高の人を表わす「法師」の訛り。冬期庭が寂しくなるので藁を使って色々なデザインの藁ボッチを作り庭に置くようになったそうだ。ここの庭園に散りばめられているのは’梅と松」を表わしているとのこと。
2012.12.22
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根津美術館(2)・柴田是真展実を言うと私は柴田是真と言う漆工芸作家を知らなかった。幕末から明治にかけて活躍した是真は従来の蒔絵師とは異なり下絵から蒔絵まで全工程を一人でこなす人であり、さらに漆を用いて色んなジャンルに挑戦した人である。 勿論展示室の写真は撮れないので入場時のパンフレットの写真を示すことにする。五節供蒔絵手箱(サントリー蔵)鳥鷺蒔絵菓子器(国立博物館像)橘蒔絵菓子器(新潟中野邸蔵)普通漆工芸は下絵師が図案を描き、蒔絵師が漆で絵を描き象嵌をはめ込んで行くが是真は一人で全体を通して製作している。多分下絵師と蒔絵師との間で葛藤もあったことだろう。ただこの時代何れも”工芸師”であり、作家(芸術家)ではない。ただ酒井抱一のような有名な琳派画家が下絵も描いているところを見ると蒔絵師は一段下に見られていたのではあるまいか。夕顔蒔絵板戸(根津蔵)是真の真骨頂は漆器にこだわらず板や紙の上に描いた点に有るがあくまでも絵具は漆なのだ。木の板に描いた漆絵などは独特の技法を要したことであろう。漆絵画帳・鷹図(根津蔵)これらは画帳に有ったもので工芸作品なのか絵画なのかいずれにしても下絵であることは間違いないだろう。さらに大作の屏風絵もある。こんな大きなものまで漆で描くのは至難の業であろう。いずれにしても何に描くかは別として絵具が常に漆と言うことは特筆すべきで水彩絵具と違いどちらかと言えば油絵の具に近いと想像される漆で繊細な線や点に近い部分まで繊細に描かれている点に感心した。 これらの作品のほかに伝統的漆器である印蠟や根付など多くの傑作が有ったが細かい作品の前では人が動かず、多くの観客で溢れた会場は息苦しい雰囲気であった。
2012.12.21
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根津美術館 (1)幕末・明治初期の漆工芸作家で柴田是清と言う人がいてその人の特別展が開かれていると言うことを知った。毎週ひいきにしているBSTVの「山田五郎ぶらぶら美術館」で詳しく紹介されていた。放映直後は混むのでしばらく様子を見ていたが、後三日を残すのみと言うことで急いで出かけた。実をいうと2,3年前に根津美術館が斬新なデザインに改築されたと言うことで美術館そのものに大いに興味があった。東武電鉄の総帥・根津嘉一郎の遺志によって私邸跡に彼の蒐集品を基に開館したもので2万m(2)の敷地に多くの茶室が点在する日本庭園の中に有る。美術館通りに面した入口に入るとすぐに上の「月の石船」が迎えてくれる。そして竹藪と竹の壁の長いエントランスに導入される。入館すると前庭に大きく目立つのは巨大な燈籠、奈良時代の東大寺大仏開眼の際正面に据えられたと言う八角燈籠の同大レプリカ。ここに導かれたのは後ろに見えるカフェで昼食をとるため。カフェ内には根津家に有った大理石の暖炉が移されている。暖炉の材として最高のものは大木がそのまま化石になった圭化木であるがこの紋は圭化木の年輪ではなく大理石の堆積層である。圭化木はメタセコイアのものが我が国にもあり、この化石に基ずいてメタセコイヤと名ずけられたが後に四川省に現存することが分かりそれを移入したのがよく公園などで見かけるメタセコイヤの木である。カフェは総ガラス張りなので広大な庭の様子が分かるが天井には和紙が貼られているか、ガラスにプリントされたものか不明である。近くに有るもう一つ目に付くのが巨大な石造浮屠薩と呼ばれる石燈籠。高僧の遺骨を納めたり威徳を顕彰するためのもので10世紀高麗のもの。館内に戻ると仏像様式が時代順に展示されている。逆に見て見ると最後の二つくらいは我々がよく見かけるものであるが、あとは中国や今はイスラム圏のアフガニスタン・パキスタンを中心とするガンダーラの仏像である。中学の世界史でシルクロードを学習する時必ず出てくる仏像の変遷をここでは実物で見ることが出来る。下のガンダーラの仏の顔はその鼻筋、口元、髪の毛までこれらはギリシャ彫刻に近いと言える。胸元の装飾品など最近のミュージシャンそっくりではないか。そう云えば私の菩提寺の本堂では時々ライブコンサートが開かれている。先祖帰りなのかもしれない。
2012.12.20
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選挙結果に思う カタストロフィ―と言う言葉が有り、大きな断層的破壊現象を意味するものだと思う。そしてカタストロフィックな変化について行けない者は破滅すると言う。そうすると大地震や大津波の例は頷けるとしても社会制度としては古い体制で、革命が不合理な近代国家では適合性が疑われる制度である。小選挙区制度ははたして我が国に似つかわしいのだろうか。古い伝統を有するイギリスで根付いた制度であるがそのイギリスでさえ政党間の連合政府である。数年前カナダでは与党がたった一回の選挙で議席数を2にした例が有るそうだ。 3党で競合した場合、理論的には30%余りの国民の支持で全議席を占めることも可能である。1党が議会の3分の2を占める状態で正当な議会政治が機能するとは考え難い。自民党政治が悪いと決めつける気はないが今回の選挙結果は日本の民主主義に赤信号を灯す結果となった。 民主党のサポーターと言う訳でもないがあれだけの災害と財政難に見舞われてマニフェストが実行出来るなんて考える方がおかしい。さらに実行不可能なプランを作った御仁は無責任にも逃げ出してしまった。実際問題として後処理を任された野田さんはそこそこ以上にやったと思う。 もともと小選挙区制はかって自民党が生き残るために作った制度である。それが3年前自分の首を絞めてしまい、3年間の雌伏期間を作ってしまったのだ。参議院は別として衆議院議員は地区比例代表に改めるべきだろう。今の制度で自分の選挙区に好ましい人がいない場合、投票する気がしなく棄権・無効票の人がかってなく多かったそうだ。 ともあれ賽は投げられたのだ。暫くは2度目の安倍さんに持病が再発しないように穏やかな政治をしてほしい。新薬が出来て大丈夫だと言う。爺になってストレスが減りこの頃は楽になったが長い間同病を経験した私にはそっとその新薬名を教えてもらえないだろうか。 仏教徒もモスレムもクリスチャンも神様にしてしまい靖国に祀るのはやめて、皇居前に戦没者追悼公園を開いてはどうだろう。沖縄の平和の礎(いしじ)には感動した。そこには軍属、非軍属、アメリカ兵の名も平等に刻んだ石碑が延々と続いていた。神様としてではなく一人の人間として永遠にその名を留めるために。 安倍さん 何はともあれ日本を安全に運転してください。 よろしくお願いいたします。
2012.12.18
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iPAD mini がやって来た話題のiPAD mini が発売されて一カ月が過ぎたので有り金はたいてiPAD miniを発注した。Appleの製品は新製品が出ると一種の流行で、もう次はこれだと言った流言飛語が飛び交い、噂は噂を呼んで大騒ぎとなる。日本では数店しか無い直営店で徹夜の行列ができる。これは一種の戦略なのだろうが載せられやすい人種が購入後家に帰る前にその使用感を投稿と言った馬鹿騒ぎが起こる。そして一定台数を売ると後は数週間待ちとなる。これも出荷制限でコントロールしているのではあるまいか。急生産したものには不良品が出る確率が高いだろう、したがって私は新製品発売後最低一カ月は我慢することにしている。 一カ月が過ぎたので量販店で聞いて見ると3週間待ちだといわれた、どうせ 待つならとApple Storeに直接発注した。Apple製品の場合量販店でも割引 もポイントもつかないのでメリットは無く、逆にApple Storeから買うと希望の ロゴを本体に刻んでくれる。さすが直営店も代理店に気を使ってか3週間 待ちの連絡が有るも実際には10日余りで届けられた。 これで初代iPAD, iPAD2, iPAD mini, iPOD toutch とAppleのタブレットを 全部経験できた。もっとも初代はもう養子に行ってしまって手元には居ない。 その軽薄さ(重さと厚さ)を示すために次に2葉の写真を示す。 google sky様式 google earth様式 初代iPADは前述したように養子に行ったのでiPAD2, iPAD mini, iPOD toutchを並べたのが下の写真である。iPADは書類カバンには入るが小型 ポーチには入らない。 一方iPOD toutchは胸のポケットには納まるが小さすぎて 指での操作がしんどい。もう大きなカバンを持ち歩くことも無いのでiPADmini便利だろう。 通常はケースに入れているので下のようになる。カバーを閉じるとスリープ状態に なるようにマグネットが埋め込れているので便利である。 機能的には殆んど違いが無いがsiriと言うアプリで言葉遊びや検索入力が 出来るのはiPAD2とiPADminiである。
2012.12.15
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多摩センター先日放送大学で内海清美と言う紙人形作家が和紙による源氏物語絵巻について講義していた。人形を常に「ヒトガタ」と呼び、無彩色の和紙の素材で色調を整え、芯、面、紐など100%和紙で製作している。Webで調べると多摩センターに源氏物語絵巻の常設展字館があるので出かけると言う。こういう時不整脈の持病を有する相棒の頼りない衝き添いとして出動することになる。京王線多摩センター駅を出ると正面に広い通りが山上に向かって真っすぐ伸び丘の上に凱旋門のようなものが建っている。美術館は駅前と言うことであったが予想に反してデパートやホテルが視界を遮る。ホテルの案内など何人かに聞いても要領を得ない。市の交流センターで案内を乞うとWebで調べてくれ、先ほどエレベータで登ったビルを教えてくれた。この時点で後期高齢者は体力を使い果たしてしまった。どうも或る建築・リフォーム会社のスポンサーで常設展示館が有ったが最近(?)その会社が無くなり、展示館も無くなったが、その際ホームページを整理しなかったのが真相らしい。仕方無くカフェで昼食をとり丘の上に登ってみた。この丘一帯はパルテノンと称し池とアーチ状の建造物を備えた公園になっている。メタセコイアの木が目に入ったので歩を進めるとそこは小さな温室を持つプチ植物園である。温室脇の木道にはミズキ、楢、トウカエデ、メタセコイアの枯葉が折り重なっていた。温室入口には樅の木に白いクリスマス飾が飾られている、よく見るとこれは何とポップコーンではないか。なかなかいいアイデアである。ハロウィーンを過ごした各種のカボチャが飾ってあった。それだけで美しい。(どうもおかしい、もうこれで容量オーバーである。)
2012.12.11
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ベランダの紅葉とオキザリス今年の夏はあまりにも熱く、またいつまでも暑さが続いた。紅葉の名所は良かったと言う人もいるし良くなかったと言う人もいる。要するに所によってまちまちだったと言うことである。近くの公園は散々であった。また我マンションの下の桜並木などは余りの暑さに自衛手段として夏の終わりに殆んど落葉してしまい色付きもかんばしくない。ところが我が家のバルコニーの花壇に植わっている数本のサツキが今年は異常に赤いのである。例年色付いては入るがこんなに赤くなるのは珍しい。もっとも色付き具合は株によって微妙に異なっている。この白花サツキは例年黄葉に留まる。樹高30センチの低い株も結構紅葉しているサツキの下には余りの暑さに出遅れて咲き損ねたホトトギスが咲いている。群生したがり葉っぱも惨めですぐに風で倒れてしまうので私は虐待するのだが毎年数本はしぶとく生き残る。今回よく見ると花の一輪一輪はイソギンチャクのように複雑でダイナミックな造形である。来年から虐待するのは止そうかなどと考えている。今 花々しく咲いているのは秋咲きオキザリス。オキザリスと言っても我が家に咲くのはあのハート型の薄い葉を持つ普通のオキザリスではなく下の2種。オキザリス・ フラバ(黄花)とオキザリス・グラバスで何れもオキザリスには見えない。葉っぱだけ見ているとツミキリソウ(ポーテュラカ)みたいであるがれっき としたオキザリスらしく、昼間強い日差しの時間だけ咲いている。昼間開き切った花びらよりも朝夕まだ半とじ状態の縞模様が美しい。10年以上も前に神代植物園で買い求めた赤花のオキザリスグラブラ、最近園芸店でも良く見かけるようになった。大盤の丸鉢に植えこみ夏の間水もやらずにただ積み上げておいただけなのに秋口からビロードのように鉢を満たしてバルコニーに点々と丸い緑を描く。今が花の盛りでこれも陽当りの良い日中だけの開花。朝夕閉じた黄・紅の花房が風にそよぐ姿が美しい。これも園芸種には黄花、白花の変種が有るようである。
2012.12.10
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盆栽美術館師走の初日の日曜日相棒が急に盆栽美術館に行くと言いだした。盆栽など興味に無かった我々であるが立川の昭和記念公園に盆栽館と言うのが有り時々立ち寄ることが有る。先日TVで大宮に日本(世界)で唯一の盆栽美術館が有ることを知った。人も少なくたっぷり時間をかけると結構心静かな時間を過ごせる場所である。惜しむらくは展示作品の撮影は殆んど禁止。考えて見れば美術館なのだから当然であろう。エントランスロビーの”季節の一鉢”は撮影可の掲示が有った。なぜ竹藪が冬の季節に繋がるのか無粋人には分からなかった。屋外展示の10点余りは撮影OKとのことでそのいくつかを下に示す。寄せ植えは最も素人っぽい作品であるがこの技法は盆栽の重要な技法でエゾ松の寄せ植えは原始林のような大きな空間を実感させる。下のエゾ松の老木は威厳が有るが枯枝は盆栽ではジン(神)と呼ばれ盆栽では重要は要素らしい。五葉の松も盆栽の素材としての必須アイテムである。針葉の長さが短いので盆栽には仕立てやすいのだろう。下の写真は真柏(シンパク)で幹の根元から上部まで皮が剥がされ白い艶々した木肌を見せている。これはシャリ(舎利)ト呼ばれこれも重要な技法の一つである。確かに聖なる仏の遺骨を連想させる。カリン(花梨)にはこの時期その鉢にも実が付いている。寒桜はこの黄葉の後に花が咲くのだろう。山モミジはすっかり落葉しているが盆栽の重要要素の”根張り”と言う底部が鑑賞ポイント。トイレの洗面所の上にもなに気ない小さな盆栽、さすが!JR土呂えきの刈り込みも盆栽に見えてきた。
2012.12.09
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セコイアの巨木トンネル セコイア、メタセコイア、ラクウショウは分類学上はマツ目スギ科でここまでは同じであるが その下の属・種は異なり、それぞれSequoiredendron giganteum, metasequoire glyptostroboides, Taxodium dustichum となっている。意味が分かればもう少し ウンチクをたれるところだがラテン語の知識の無い私には何の意味もないアルファベット の羅列である。私がセコイアの語を初めて知ったのは1967年車で大陸横断をした時カルフォルニアでセコイア国立公園に来てしまった時である。その後20年くらい経ってまた一度訪ねたことが有る。押入れのケースの中で奥深くしまわれているスライド写真を探す元気もないのでWikiなどの写真を拝借してこのブログをものしている。最初セコイア国立公園に到着する前にレッドウッド州立公園などで多くの巨木を見たがRed wood = Sequoireとは気が付かずにいた。 1960年以前の国立公園管理はアメリカと言えどもずさんで客引きのために生きたセコイアの巨木に穴をうがち車を通していた。 こんなことをしていれば結果は当然枯れ木となる。 現在ではこんなバカげたことはしていないと思ったが道路上に倒れた木を利用して 車くぐりをさせているようである。 いい加減にしてほしいとは思うが自分がそこに行けば通らない自信は無い。
2012.12.08
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メタセコイア と ラクウショウ散歩のコースとして週2,3度は石神井公園を歩いている.その際いつも目につくのはメタセコイアとラクウショウの大木である。ちょうど今落葉期で茶色の葉の影が日に日に薄くなっている。近年メタセコイアは公園などでよく見かけるが我が国に移植されてから間がないので大木と言ってもせいぜい樹齢60くらいである。メタセコイアとほとんど見分けがつかない樹木にラクウショウがある。よく公園などで見かけるものはそのほとんどがラクウショウである。下の写真でやや明るい茶葉がメタセコイア、黒ずんだ方がラクウショウである。緑の時期は識別しにくいが先端の尖った樹形の方がメタセコイアである。幹はメタセコイアの方がややごつごつしているがここの公園のように並び立っていると区別出来るものの普通はどちらかだけが植樹されているので難しい。やや滑らかな木肌のラクウショウも樹齢が高くなるとごつごつしてくるのでますます判別が困難である。下の写真で一番右の一本だけがメタセコイアであとは全てラクウショウである。ただ今回知ったことだが葉の形が少し違うのどこの方が易しいように見える。と言われて落ち葉を拾ってみた、左がメタセコイア右がラクウショウ。2枚並べると左が密で右が疎な感じはする、でも単独で見るとこれも区別できない。さらに良く観察すると左は葉幹の同じ点から左右対称に小葉が生えている対生、それに対して右の方は左右交互に小葉が生えている。そのせいで葉の密度が違って見えた訳だ。紛らわしいがカリフォルニアのセコイア国立公園、レッドウッド国立公園に見られる世界で一番の巨木とされるセコイアは別の木である。日本で或る木の化石が発見され現在では絶滅した種と考えられ、上で見てきたような性質がセコイアに似ていたので、メタセコイアと名ずけられた。メタ(meta)は「準」と言う意味で良く用いられる語である。ところが後年中国の四川省で生き続けていることが発見され「生きた化石」として珍重され日本でも公園樹や並木として広く分布している。物凄い勢いで高くなるため住宅地では植えられない。この散歩道にはもう一つの外来種としてパンパスグラスがある。南米のパンパス(高原)植物らしいが3m以上もありそうな大きさで見上げるといつも青空の中に突き刺さったように見えて印象的である。 (Editorの不調ですぐオーバーフローしてしまうので続編を書きます)
2012.12.08
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雪上の落ち葉 紅葉時期になると落ち葉にカメラを向けるのは私のビョ―キだ。 精神分析医はどう云う診断を下すのか我ながら興味がある。 朝の道路は真っ白でその後は落ち葉で黄色かったであろうが夕刻ともなると 車のわだちがカラマツの落ち葉で描かれている。この道の並木にはカラマツが延々と続く、北原白秋の誌は好きな詩の一つである。 ”からまつの林を出でて、 からまつの林に入りぬ。 からまつの林に入りて、 また細く道はつづけり”今回の場合は”カラマツの林を出でて カラマツの林に入りぬまた続くカラマツの落ち葉”だろうか。路敷くモミジや楓はよく踏みしめるが雪の上に落ちたカエデの葉も美しい。小さすぎてよく分からないが小葉モミジ紅葉の葉が敷き詰めて雪が見えいくらいである。柏葉も雪の上では単なる落ち葉以上の役である。楢だろうかやや厚めの落葉広葉。樅の木の葉みたいである。紅葉しない木々の葉っぱは歩道でさくさくと音を出してハイカーの気分を高めるだけのことが多いが新雪の上に落ちたそれは視覚的にも何かを感じさせる。切り株さえも白い帽子を冠ると別物に見えてくるから不思議である。
2012.12.04
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Pensionのある景色 日が傾く頃になると道路の雪も融けて歩けるようになったので外に出て見た。 実はgoogle, apple, MSなどなどの地図で拡大最大にしても見えてこない村道が 有ってポツンポツンとペンションが点在している。その多くはペンションと言うよりは ホテルのスケールである。 ここでPensionについて考えて見る。辞書を引くとまず第一に”年金”と出てくる。 私は今”I live on/at pension" つまり「私は今年金生活者です」だがこれを「私はペンションで 暮しています」と訳すとえらくリッチな生活をしているようにも見える。西洋で仕事はリタイア したがまだ体力が有るので退職金を基にして自宅を改造したり新しい家を立てて観光客 目当ての高級民宿を始める人がおり、それを指してpensionと言うこともある。日本での 用法は”西洋式民宿”のことだが、この用法は風~桶屋のような難しい使い方である。 なぜそんなことにこだわったかと言うと西洋のペンションが老夫婦二人でマネージできる 規模なのに対してここでのそれはまさしくホテルの規模が多かったからだ。1970年代の バブルの時代日本でも中年夫婦が脱サラしてペンション経営をすることがはやった時期 が有る。まだペンション(年金)資格の無い人が開いたペンションが多かった。 そしてここ白馬ののペンション群の木組み建築には決まって破風窓を持った屋根裏部屋が 有る。もう一つ特徴的なのが雪が落ちやすい屋根の急傾斜である。ヨーロッパの観光地で 良く見かける木組み建築はこんな急傾斜では無かった気がするが、あちらでも豪雪地帯 では急傾斜なのかもしれない。 ここのペンション群には木組みが多いが本当の木組み構造ではな、く外壁の装飾ではないだろうか。私の貧弱な知識は木組み構造はすぐ音楽に結びつくのはなぜだろうか。映画Sound of Musicによく出てきた感じがしないでもない、しょせんその辺り私の浅薄な知識のせいだろう。でもこの辺りのペンション名には音楽用語が多かった気がする。 いずれにしても赤い屋根とカラマツ林と白峰と青空は良い感じである。白馬をハクバと読むかシロウマと読むかで大体その人の世代が分かる。本来この語は五月に雪解けが始まると山に黒い馬型模様が現れ、この時期に稲の苗代を立てるので土地の人が”代馬(しろうま)”と呼んだのが段々にシロウマに変わり山名・地名になった。1950-60年代読み方論争が起こり、今は山はシロウマダケ、地名や駅名はハクバで落ち着いたようだ。私の口から出る順位はシロウマ>>ハクバである。
2012.12.03
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冬支度 栂池の展望台から帰ってホテルで昼食後のコーヒーを展望ラウンジで飲むことにした。 宿泊客の90%はシルバーエイジだと言うのにメインロビーに人影はなく、時折暖炉で 薪の燃える音がするだけである。多くの人はホテル主催のデイツアーに出かけたのだろうか。 ここで内庭を眺めていて気が付いた、ホテル名のSierraが連峰を意味することは前ブログ に記したが、連峰をイメージさせる屋根が細かく区切られているため、屋根からの雪が まとまって盛り上がらず屋根の数だけ小さな雪盛りが出来ている。これなら雪かきの手間も 少なく景観も良い。もし計算された設計とすれば敬服に値する。 隣の棟から直接屋外テラスに通じる廊下も前日から雪囲いが始まっていたが、萱製の 囲いや女性大工さんが打ちつけていた滑り止めの人工芝もすっかり板についていた。 雪中の楓を愛でようと屋外テラスに出て見たが我々には寒すぎる。 早々にガラス張りの展望ラウンジに逃げ込んだ、それでもガラス張りを通してさらに ガラスのテーブルに映る景色摸様はお茶の味に少しだけ香りを付けてくれる。 この景色を前にお茶をしながらしばしの読書が良いが、なれない私には似つかわしくないのだろう、外の景色が気になって落ち着いて集中できない。悲しいがこれが現実である。ガラス部屋の中で飲み物まで備えられているこのラウンジの景色を愛でながらできればここで推理小説の一冊くらいは読み終えてみたかった。
2012.12.02
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白馬連峰2日目の朝、昨夜来の小雪も上がり青空が広がった。メインロビーからは真っ白に化粧した小蓮華岳が美しく、その左が白馬岳であるが手前の山に隠れて望めない。暇になった頃合を見計らって相談すると「送りましょう」と言って栂池展望台まで車で送ってくれた。展望台に登ろうとするとこの様子、暫く誰も登っていないみたいである。仕方なく近くで板ギレを拾ってきて足場を作った。上に上がってみると新雪をまとった白馬三山が美しい。右の白馬岳、中央部の杓子岳と白馬鑓、そして左に唐松岳と並ぶ。唐松岳のさらに左を見ると下の写真左側に五龍岳が見える。ホテルに帰り昼食後道路の雪も大分融けたので近所のペンション村を散歩することにした。この辺りからは白馬岳が手に取るようによく見える。この頂上左の窪み辺りから有名な白馬の大雪渓が始まる。国内では最大級のもので真夏でもアイゼンを付けて多くの人がこの雪渓登山を楽しむ。私が56年前に初めて登った北アルプスである、南国育ちの私は夏の盛りに踏みしめる雪が不思議でならなかったことを思い出す。白馬鑓はこの辺りでは鋭い頂きを持つ、そしてその左側は”天狗の鼻”と称するなだらかな尾根が続き、登山者には憩いの時間である。だがその次がキレットで登山者は這いつくばって登り降りすることになる。後立山連峰でも最大の難所である。八方尾根の突き当たり唐松岳を経て五龍岳、鹿島槍岳と続く。昔唐松小屋に泊った時五龍岳が眼前にに見えたがその間には大きな下りと登りがあり、疲れていた私は断念して白馬村へと下山した。以後この地を訪れて仰ぎ見る五龍岳は私にとって大げさな表現であるが果たし得ぬ夢に終わった山である。その美しい姿をまた記録しておく。ちなみに日本の北アルプスは穂高辺りから槍岳を経て立山・剣岳へと続く立山連峰と鹿島槍・五龍・白馬へと続く後立山連峰から成っている。その間にほれ込んだ日本最大の渓谷が黒部渓谷である。したがってこの白馬連峰登山の楽しみの一つは常に渓谷の向こう側に聳える剣岳の雄姿を見ながら尾根歩きが出来ることである。
2012.12.01
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