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白川郷 (3) 街並み散歩帰りのバスの待ち時間に辺りを散歩した。 ツル梅もどきの実であろうか真っ赤に熟して見事な物を吊るして売っている 実際それを玄関につるした家を多く見かけた。装飾以上に古来の意味が あるのではないだろうか。 側溝もちゃんとした板敷きで、例によって気になるマンホールのデザインは 上のツルウメモドキに見えてならない。 白川郷にも秋のススキと合掌造りはよく似合っている。ある農家の外壁には巨大な木の根っこやサザレ石のようなものが飾られ、 巨石の横には昔の大八車の車輪が飾られている。昔アメリカの 西部を旅した時、古ぼけたモーテルに幌馬車の車輪を飾ったのを 何度か見かけたがその光景を思い出した。それにしても皇室の 菊の御紋にも見えるし、この季節にはなかなか似合った飾りである。 もっともそれも格子窓が無ければたんなるゴミにしか見えないだろう。 これもミスマッチな連想であるが下の写真も荒野の丸太小屋と 開拓民が苦労して開いた牧草地に咲いた花に見えなくもない。 一度訪れたことがある映画”シェーン”の舞台のMt.Titon国立公園 と映画のラストシーンでのあの少年の叫び“Shane Come Back !" が重なり合う。 一方目を足元に転じると極めて日本的光景で蕎麦の花が綺麗だったり 少し先の方では幼稚園の子供が芋掘りに興じている光景があった。
2012.10.31
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白川郷 (2) 和田家 生きた民俗資料館として昔の名主・庄屋の和田家が公開されている。 最上階の屋根裏を見るとそれ自体がもう一つのデザイン・絵画である。 大小の丸太棒が稲藁で撚った藁縄で見事に固定されビルのような 大きな家屋構造が形作られている。縄の劣化と耐震構造に気になる 点は有るものの随所の突っ張りや筋交いも見える。この木組みの上に萱で編んだ簾を敷きその上に萱葺き屋根を載せている。こんな大きな構造物を釘を使わないで作り上げる技術に感心する。 旧来の日本の木造建築ではノミで凸凹や組み合わせ溝を作りいわゆる 雄雌接合で構造をる繰り上げるがここでは縄結びである。下の写真を 見ると新しい木製くさびが打ち込まれている。江戸時代初期の建築 当時はこのくさびは無かったのだろうが木材の収縮や幾度かの地震・ 風雪に耐え出来た揺らぎはこのくさびで固定されている。さらに緩めば 楔を深く打ち込めが良い。この楔も何代目かのものだろう。 屋根裏部屋を含む上層階はこの地方の産業であった養蚕場で有った。 かってはここにいわゆる蚕棚が並んでいた。階下の一階は家族の生活空間で囲炉裏を中心に下居間があり、 公開されている主座敷には先祖を祀る大きな仏壇がある。飛騨・北陸 には浄土真宗が盛んである。四国の私の実家も浄土真宗であるが この宗派では仏壇が大きく派手だと云われている。 仏壇を見ると多分 和田家も浄土真宗ではないだろうか。囲炉裏の間や仏壇の間は公開されているがこの家は実際に今も 住まいとして使われており、階段脇にはガラス戸とカーテンが閉まっている。 文化財に住むと云うのも窮屈なことであろう。 さらにかってこの村の特産品は火薬に使われる煙硝(硝酸カリウム)の 生産であったと云う。囲炉裏の間の床板をはがし、草を敷いて蚕の糞を 積みそれに人間の尿を浸み込ませて発酵させて作ったと云う。不思議に 思うが、糞や尿には尿素が豊富に含まれこのような条件下では主な 有機物は分解され、さらに地中の硝化バクテリアによって尿素やアン モニアが硝酸イオンに酸化され、この発酵物を木灰と混ぜて灰中の カリウムと化合させて硝酸カリ(KNO3)を製造したと言う。 昔農家の便所の尿を軍が機密裏に集めたと言う話を祖母から聞いた ことがあるがこれで納得した。この火薬製造法を発明した人も偉いと 思うがこの様な軍需品を密造させられた農家もたまったものでは なかったろう。浄土真宗信徒から成る一向一揆隊の火薬庫だった のだろう。 加賀の五箇荘も同じく冬は周りと断絶する行く深い地で 同様のことが行われ、「加賀藩の火薬庫」と言われたそうだ。 バス停への途中で屋根の葺替えが行われていた、昔はいわゆる ”結(ゆい)”というシステムがあり、村総出で葺いたとのことであるが この日は一人の職人さんが仕事していた。 傷んだ屋根、葺き替え中の屋根、新装なった屋根を下に示しておく。
2012.10.30
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白川郷 (1) 萩町集落白川郷訪問は今までに何度も計画を立てながら体調不良、台風、不幸などが重なり今だ果たしていなかった。今回高山を訪れたのは白川郷を訪ねるのも一つの目的であった。バス50分で白川郷、バス停からつり橋を渡ってシャトルバスで展望所に向かう、ここからは村全体が見渡せて素晴らしい景観である。合掌造りは富山五個庄、京都美山と他にも有るがその規模とこの様な見晴らし台からの景観が楽しめるのはここだけかもしれない。私は訪れたことが無いが他の観光パンフレットでも余り見かけたことが無い。 ブルーノ・タウトによって世界に紹介された合掌造りは構造上も建築美術の 上でも価値の高いものである。 この様な景観には若い女性か赤い花のアクセントが欲しいと思い赤い鞄のお嬢さんと季節の花にその役をしてもらった。少しズームしてみると萱屋根の急こう配に気が付く。やはり雪深い地の工夫であろう、白い障子戸が美しい。冬の時期灯りがともると綺麗だろう。また村を取り巻く棚田がきれい、稲の時期が終わっていたのは残念である。 小さな物置きまで萱葺きである。手前の小屋は犬小屋だろうか?家の構造は三角形と四角形の組み合せのデザインから成っている。防風林だろうか防雪林だろうか各家には必ず小さな屋敷森が付いている。棚田にぽつんと立っている小屋は谷内六郎さんの切り絵みたいである。
2012.10.29
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高山桜山日光館屋台会館に入場する切符を見ると「日光館と共通」と記されており、隣り合って「見ざる聞かざる言わざる」の彫刻を掲げた門が有るので覗いて見ることにした。なんでここにそんなものがといぶかしがったが、高山ー天領ー徳川家―家康―日光東照宮-宮大工-飛騨の匠 と連想ゲームをしてやっと自分を納得させた。江戸時代初期壮大な家康廟・東照宮を建てるには左甚五郎に代表される「飛騨の匠」の貢献を無視するわけにはいかない。もっとも講談や芝居に登場する甚五郎は一人ではなく甚五郎工房の長だったのではないだろうか。いずれにしても飛騨と東照宮の関連は深い。大正時代名工・長谷川喜十郎をリーダーとする集団が15年の歳月をかけて10分の1スケールの日光東照宮28棟の正確な模型を作った。鳥居などを含めて東照宮の完全無比の模型である。構造は勿論装飾、彫刻、絵画に至るまで実物に忠実に再現され、その部品は50万個を数えると言う。この模型は戦後ホノルル市をはじめアメリカ各地で展示公開されている。 輪王寺と東照宮の間に有る五重塔建物よりも塀が重要らしく「透塀」の説明版がある。どの門だったか忘れたが最近の山田太郎さんのテレビ番組「ぶらぶら美術館」で狛犬さんの左右の柱はもう一対の柱と合わせて4本のうち上の写真左側の一本だけ上下逆さまなのだそうだ。その理由は永遠に”未完成”を意味しているのだそうだ。確か一般には特別な時しか公開されていない(?)家康の廟所(墓)は静岡の東照宮にも有る。余談であるが大阪堺の南宗寺に立派な徳川家康の墓と書かれた墓がある。先年訪ねたことがあるが大阪人にとって豊臣家に矢を引いた家康が生き伸びて日本を支配したと云う歴史は認めがたく、大阪の陣で槍の名人後藤又兵衛に斬られ敗走、この堺で絶命してこの寺に葬れた。江戸時代の家康は影武者と言う物語を作り、立派な墓まで立てたとするお話である。この寺には千利休一族の墓もある。利休と言えば茶室に「にじり口」を設け天下人の秀吉に頭を下げさせたと云うエピソードがあるが、私も利休の墓の前に設けられた低い門の庇に思いっきり頭をぶつけた思い出がある。本来利休は嫌いなので頭が高かったのだろう。 話がそれてしまったが東照宮と言えば別名「日暮らしの門」とも言われる 陽明門、考えてみれば後年訪れた時は修復中であったのでこれを見た のは60年前の修学旅行だった気がする。日光へははもう10回以上 行っているのだがなぜか二荒山神社とか輪王寺へは行っているのに 東照宮は素通りしてきた。上の唐門風の屋根は「御水舎」と有るので要するに清めの御手洗所である。全体像としてはまるで密集した建物群である。しかし一人の人物の廟所としてはこんなに大きなものは例が無いだろう。勿論天皇陵とかピラミッド、始皇帝陵など古代史には頻出するがそれはまた意味合いが異なる気がする。何れにせよ飛騨高山で日光に出会えるとは思いもよらなかったことである。
2012.10.28
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高山屋台会館 日本の三大祭りとして知られる高祭であるが私を含めて多くの人は誤解して いるが、高山祭と言う祭りは無い。4月に執り行われるのは主として上町の 氏神日枝神社の例大祭である「山王祭り」、秋10月の祭りは安川通りを 挟んで北半分の下(しも)町の氏神である桜山八幡宮の例大祭の「八幡祭」を 総称して「高山祭」と俗称している、一種の観光造語である。動く陽明門と 言われる高山屋台も山王祭りに12台、八幡祭に11台があり、有名な 「からくり屋台」は前者が3台、後者が1台と聞かされた。 江戸時代から有る もので「飛騨の匠」の技を示すものであったが現在は三層の中段の赤い 幕張の中で人が操るものやコンピューター制御の割合が多くなっている ようである。高山祭りもコンピューター時代になったんだと妙に感心した。 八幡祭り翌日の八幡神社門前町、静かと言うか落ち着いたと云うか まさに「祭の後」の雰囲気である。 八幡様に詣でた後同じ境内に有る堂々たる佇まいの楼閣の屋台会館で屋台見物。下の一覧図の左側が八幡さんに出る屋台、右半分が山王さんに出る屋台である。 屋台会館には高山祭に出す屋台を年3回入れ替えで4台ずつ展示している。まずは各町内が有する屋台以前に神輿が展示されている。祭の時屋台の最上層には飾り人形やからくり人形が飾られて町を曳き まわすみたいである。展示されている屋台を見てみよう。 仙人台は八幡祭のもので最上層の屋根が唐門風でこの形式はこの台 一つだけらしい。 昔はここに粂(くめ)の仙人と美女のからくり人形があったが風紀上良くない との代官の御達しで仙人像に変わったらしい。 粂の仙人とは飛行術を 有する仙人が川で洗い物をする娘の脛の白さに我を忘れて見とれ、 超能力を失ってしまい出家して久米寺を開祖したと云う。良い話である。鳳凰台も八幡祭の出し物で製作年不詳の古い台、3万個の金具で 飾られていると云う。勿論屋根には鳳凰の飾り。石橋台は山王祭に出す屋台でこれもからくり奉納をする屋台の一つだと言う。最初しずしずと出てきた役者が途中で打ち掛け衣装をめくり上げて変身し、シシ舞をするテレビで良く見る仕掛けである。神楽台も山王祭のもので下の写真では角度が悪いが最上階部には鳳凰像を付けた見事な飾り神楽大太鼓が飾られている。屋台は前日曳き回されたのに何もなかったように落ち着いた姿勢で鎮座していた。
2012.10.27
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高山朝市 (2)前ブログでは朝市の野菜以外を記したが今回は野菜類を記録しよう。 この小ナスは綺麗な並べられている、そこでまた買わないナスの艶の 良さと並べ方を褒める。小母さん曰く「ヘタにバラのような棘があるので こうして置かないと掴みあげられないのよ」。 そう云えばもう一軒の店ではこの”ヘタ”をとって無造作に並べていた。 それぞれに一理あることを知らされた。 トウモロコシも色彩豊かである。中身も赤いのだろうか、そう言えば アメリカで赤いトルティーヤを食べたことがあるが、まさか赤い トウモロコシなんてない気がする。白い皮を綺麗に残してあるので何かに 使えそうな気がする。確か祖母が人形を作っていたのを思い出す。 色違いで1セットになっているところを見ると食用ではなく装飾品らしい。 カボチャもその色、形、大きさとも多彩である。ハロウイーンも近いことだし これも手芸品の材料にもってこいだろう。次は訳のわからない[ポポの実]、私が知っているものでこれに一番 近いものはカラス瓜であるがそれならもう赤く熟してる季節である。 紙札には「昔から有る日本のバナナ、ミラクルまぼろしの味」「疲れが 取れて元気になります」とある。Webで調べるとバナナとカスタード クリームを足したような味と有る。正しくまぼろしの果物らしい。 変なものばかりでもなく普通のネギや季節の花も売っている。アキシマササゲは黒い斑点だらけだが茹でると綺麗な緑色に変色するとの注意書きがある。 最後は飛騨丹生川特産の宿難(すくな)カボチャと記されている。 瓜みたいな形であるがどんな食べ方をするのか見当もつかない。それぞれに自作の品を持ち込んで売っている訳で同じ品でも各家の 特色が出ていて朝市の原型を見るようで楽しい散策であった。
2012.10.26
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高山朝市 (1) 高山には有名な朝市が有り、陣屋前の広場と下三之町ノ2個所で開かれている。 朝市とは言っても午前中は開けれているみたいなので覗いて見た。多くの小母さん 売り子はテントを張りそれぞれ名前と出店許可証を掲げている。 もともと農家の内職品や畑物を昇なったのだろう商品は雑多である。 装飾和ロウソクは山からの木から採ったハゼの木蠟で作ったのだろう、翌日訪れた隣町古川には有名な和ろうそく店がある。露店の朝市で一本5百円もするロウソクは勿体なくてもやせないだろう。ここも自家製の蜂蜜屋である。普通は遠心分離した液状のものう売っているが、この小母さんの市ではハニカム(ハチの巣)を割って濃厚な蜂蜜そのまま袋に詰めている。値段も高いが蜜を採った後の巣はお湯で溶かして蜜蠟を作りロウソクなども作れるのだろう。石油製品であるパラフィンから作る西洋ロウソクに比べて柔らかい灯りがともると云うことである。有名寺社ではもっぱら木蠟ロウソクを使うと聞いたことがある。養蜂家は花を追って全国を移動するがこの小母さんの家では飼っているミツバチはどのように冬を過ごすのかと聞くと自宅の2階で夏貯めた蜜を食べて生活しているそうだ。贅沢なミツバチどもである。横に奇妙なものを飾ってある、これは何かと伺うとハチの巣の蜂の子のモデルだと云う。よく見るとスーパーマーケットで売っている卵の紙パックと卵の殻を着色したり内側に蛹のような紙切れに女王蜂が餌をやっているモデルで実によく出来ている。そのアイデアに感心していると、実は孫の夏休みの宿題に爺ちゃんが作ったのだそうだ。ところがよく出来過ぎていると云うことで賞は取れなかった、そこでお爺ちゃんの苦労に報いるため毎日ここで飾っているのだそうだ。高い蜂蜜には手が出なかったが小母さんと長々話しこんでしまった。飼いネコへの土産にマタタビの葉っぱ、材、小枝を売っている、これにはマタタビラクトンと言う物質が含まれていてこれを嗅がせると猫や虎、ライオンまでじゃれつき、しまいにはよだれをタラタラ流してだらしない肢体をさらしてしまう。まさに「猫にマタタビ」なのである。愛猫にこんな良い土産なないだろう。インドのスポーツタクロウのボールのように小枝を使って編んだマタタビボールは手が込んでいる入るだけに少し値がはる。ツル梅もどきはこの時期葉っぱも実も見事に紅葉し山の紅葉の名わき役であるが近郷の白川郷でも良く戸口の飾りに使はれていた。結構良い値が付いているのはそれだけ 貴重品と言うことだろうか。「なんなんナツメの木の下でお人形さんと遊んでる‐‐」と言う歌があるが、ナツメの実は初めて見た。1kg買っても処置に困るので諦めたが写真を見ると”甘い”とある、試してみればよかったと後悔している。
2012.10.25
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高山下三之町暫く函館に行ってきたが今年は紅葉が10日ほどおくれ、まだもみじも緑いっぱい。木によってはちらほらと言ったところ、紅葉する前に枯れて散ってしまうのではないかと心配されている。そんな訳で中断していたが前回の高山旅行の記録を再開する。下三之町には上三之町のような商品を並べたてた土産物屋や商家は少なく純粋の職人街の感じである。下の藍染暖簾屋さんのように落ち蔦雰囲気。この辺りは秋の高山祭とも言われる桜山八幡のおひざ元である。 和食レストランも大邸宅を思わせる豪華な造り。脇に小さなミニリンゴの木に似た大木が有り太さ40センチ位ある大木なのだが無数の実がなり「かいどう」の木札が下がっている。カイドウと言えば盆栽の小木しか知らないので実も初めて目にするものである。 どこの街に行っても気になるマンホールのデザインは“こばのみつつじ” をデザイン化したものでコバノミツツジは高山市の市の花だそうだ。ホテルへの帰り道イチョウの大木が目にとまり近づくとそこは飛騨の国分寺であった。このイチョウはあの僧行基の植樹と伝えられ樹齢1250年天然記念物に指定されている。すぐ隣には立派な三重塔が聳えている。夕暮れ時になると街に昔懐かしい拍子木の巡回が見られた。街を東西を分ける宮川に架かる鍛冶橋には両側の欄干中央に奇妙な像が取り付けられている。一つは手がやけに長く他方は足が長い。ブログなどで調べると「猿」と書いている人もいれば「像」と書いている人もいる。ヤマト神話に登場する男神・女神との説明もあり、スカートをはいたみたいな足長の方がお父さん手長がお母さんとも理解するらしいい。いずれにしても興味を引きには十分な奇妙けてれつな代物である。
2012.10.24
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高山上三之町伝統街 (2)上三之町伝統保存地区は前にも記したが職人中心の町だったのだろう、下の写真でも紋章(紋匠)、和紙漉き屋などが認められる。お店の場合入口は狭くとも土間が広いのが特徴だが職人の家ではそれはない。一寸大きな家の2階の庇にはよく神棚が祀られている。 この町では昔から主婦の内職だったのであろう小型のウサギや猿の縫ぐるみが良く売られている。このお店は全ての商品がウサギである。ここは雑貨屋さんであるが唐辛子の束が目につく、食用と言うよりは魔よけではあるまいか。 韓国やタイでは効能が有りそうにもない、唐辛子の裏側に有るのは「猿ぼぼ」と記されたサルの赤ちゃんの縫ぐるみ。これも至る所で売られている。飛騨と云えば飛騨そばなので蕎麦屋に入ると箸袋に高山方言が列挙されている。小母さんと話している時「サルぼぼ」はここでは「サルの赤ちゃん」なので可愛い言葉だが所によっては卑猥な陰語にもなるので他では使わないようにと忠告された。御土産物や工芸品店、醸造元が並ぶ屋並みの中に小さな表札だけが見える家があったのでよく見て見ると表札には「NTT」とだけある。屋根の上を見るとなるほどアンテナが建っている。 どうも裏のNTT本屋からこの伝統街まで路地で繋がっているようである。この日は休みであるが格子戸の中でドコモのスマートフォンなど売っているのだろうか。やや進むと柵が有り一寸引っこんで屋根の高い蔵がある、これが有名な高山祭の 屋台蔵である。表には「龍神台」とあり、写真と和文・英文の説明版がある。 そして足元を良く見ると屋台の車のわだち跡らしいレールが敷かれている。段差が気にかかるがそこは補助材を敷いて道路に降ろすのだろう。
2012.10.20
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高山上三之町伝統街 (1)高山の町の中心部を東西に貫く安川通りを境に南側に上一之町~上三之町が広がり、陣屋も上町に位置する。一方安川通りの北側には下一之町~下三之町が広がる。前者が武家中心、後者が商家中心と見て良いだろう。三之町保存地区を歩いて見た。当然ながらどの家も木の格子窓・格子戸である。そして各家には必ず植木鉢が置かれている。通りに入ってすぐおばあちゃんが一人で小さな商いをしている、その方は商売そっちのけでこの町のことを色々教えてくれた。昔から陣屋より高い家は建てられず二階家での住人の生活空間である2階は極端に天井が低い、現在は別に家を持ち商売のため通ってくる人が増えているそうだ。側溝が両側にあるが蓋をして通りを広げることなどせずに店ごとに渡り板を架けている。また商家とも思えぬ格子戸の狭い間口でその中に商品を広げている店もある。植木はそれぞれ工夫しているがどの家にも必ずあるのが「イワシャジン」と「セイロンライティア」。これは街の組合でその歳の樹種を決めて統一をとっているそうだ。おばあちゃんにはその他のものもいろいろ教わった。何も買わなかったことを後悔している シャジン静かさを狙って高山祭の翌日に訪れたが、さすがに街の人もお疲れで暖簾を格子戸の内側に垂らしたお店が多かった。 この町は本来商家と言うよりは職人・製造業の人中心の町だったのだろう日本酒や味噌醤油の蔵元も多かったみたいである。店の奥には太い梁の高天井の作業蔵が有ったり、店の奥にはいかにも現在の生活空間が垣間見えたり、一寸した見通しからは商家の裏庭が覗けたりして興味深い一帯である。
2012.10.20
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高山陣屋 (2) 3本の松の木に縁取られた陣屋の前庭は広場になっていてここでは毎日有名な 「高山の朝市」が開けれているが訪れた午後には跡かたもなく整理されていた。この前庭からの陣屋の佇まいについては機能のブログに記した。 陣屋内には行政の役所、官舎の公邸、司法の白州裁き場、倉庫蔵がある。 官舎の客間や居間の周りに葵が生えていたが、京都の上賀茂・下鴨神社などでも 見かけたがここのは「どくだみ」かと見紛う程の繁殖ぶりであった。ただこの葵は 双葉で決して「三つ葉葵」ではない。徳川の三つ葉葵紋は人工デザインなので 実物の双葉では権威が落ちると思ったのか徳川ゆかりの地や全国のお城にも この葵が茂っているのは見たことが無い。葵が将軍家の象徴ならば各大名は こぞって植樹したと思われるが「まがい物紋」のそしりを恐れて栽培しなかったの だろうかなどと勘繰りたくなる事実である。 陣屋が裁判所を兼ねていることは先に述べてがこれが庶民が裁きを受ける「お白州(吟味所)」である。罪人 - 裁きを受ける前に罪人扱いするのは不当であるが江戸時代容疑者に相当する言葉はあったのだろうか - を連れてきたり「市中引き回し」をする竹かごも見えるが、裁きとは言っても「責め台」とか「抱き石」の現物を見せられると裁判とは形ばかりでいったん捕まれば遠山の金さんに遭わない限り冤罪事件が絶えなかったことであろう。実際12代代官の大原彦四郎は圧政を敷き、農民一揆が絶えず18年間で9千人の農民が罰せられ有能な指導者の多くが犠牲になったばかりか大原の子の亀五郎郡代自身もも流罪に処されている。 実際、上の責め台に正座させられ膝の上に一枚40kgの石を重ねられてその苦痛から無実の自白をするのが普通であろう。もちろんこの地を飢饉から救ったり殖産を起こして領民を豊かにした代官も知られている。幕府直轄地ともなれば大量の年貢米や物資の保管が必要で巨大な蔵を持っているがその蔵の屋根見本が展示されている。民家の茅葺、寺社の檜皮葺などはよく知られるがここでは特産の“飛騨檜板”で屋根をふいている。檜の丸太を薄く割って材を作りそれを重ねて行って棒と石で固定すると云う簡単な工法であるが出来上がりを見ると実効性のある工法であることが分かる。瓦葺き屋根の末端は鬼瓦で修飾し恰好を付けるものであるが檜板葺屋根ではそうはいかないので下のような彫刻した木製の「鬼板」を飾る。
2012.10.18
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高山上三之町伝統街 (2)上三之町伝統保存地区は前にも記したが職人中心の町だったのだろう、下の写真でも紋章(紋匠)、和紙漉き屋などが認められる。お店の場合入口は狭くとも土間が広いのが特徴だが職人の家ではそれはない。一寸大きな家の2階の庇にはよく神棚が祀られている。 この町では昔から主婦の内職だったのであろう小型のウサギや猿の縫ぐるみが良く売られている。このお店は全ての商品がウサギである。ここは雑貨屋さんであるが唐辛子の束が目につく、食用と言うよりは魔よけではあるまいか。 韓国やタイでは効能が有りそうにもない、唐辛子の裏側に有るのは「猿ぼぼ」と記されたサルの赤ちゃんの縫ぐるみ。これも至る所で売られている。飛騨と云えば飛騨そばなので蕎麦屋に入ると箸袋に高山方言が列挙されている。小母さんと話している時「サルぼぼ」はここでは「サルの赤ちゃん」なので可愛い言葉だが所によっては卑猥な陰語にもなるので他では使わないようにと忠告された。御土産物や工芸品店、醸造元が並ぶ屋並みの中に小さな表札だけが見える家があったのでよく見て見ると表札には「NTT」とだけある。屋根の上を見るとなるほどアンテナが建っている。 どうも裏のNTT本屋からこの伝統街まで路地で繋がっているようである。この日は休みであるが格子戸の中でドコモのスマートフォンなど売っているのだろうか。やや進むと柵が有り一寸引っこんで屋根の高い蔵がある、これが有名な高山祭の 屋台蔵である。表には「龍神台」とあり、写真と和文・英文の説明版がある。 そして足元を良く見ると屋台の車のわだち跡らしいレールが敷かれている。段差が気にかかるがそこは補助材を敷いて道路に降ろすのだろう。
2012.10.17
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高山陣屋 (1)高山の観光は高山陣屋の見学から始まった。高山は秀吉の命により大野城主金森長近がこの地を攻め落として国主となったが、後に関ヶ原の戦いでは徳川に組みし、戦後多くの加増を受けながらこの地を商都として発展させ今日の礎を築いている。裏日本と表日本の物流拠点として多くの豪商を生み、彼らは競って祭の屋台を建造し、今日日本の三代祭と言われる高山祭を形作っている。後に幕府は金森を出羽に転封して高山を直轄地とした。多くの税を徴収出来る所は幕府の直轄地・天領として狙われやすかったのであろう。以後ここには今でいえば県知事のような郡代が派遣され直接統治をした、その拠点が「高山陣屋」でいわば県庁と税務署、県警察本部、裁判所を兼ねた様なところである。門にはもちろん三つ葉葵の提灯そして奥の玄関には同じく葵紋の垂れ幕。 玄関の間には「青海波文様」の壁の前に「餅花」の生け花(?)、木の枝にお餅を付けたものであるが見事な調和である。春先にはきっと赤い餅も加えるのであろう。 次の間は「御役所」で郡代が執務するいわば陣屋の中枢部である。その向こうは「御用場」と言うから秘書室のようなものであろう。 書き役部屋とは公文書作成室であろうか。 棟の後部には大広間という今で云えば大会議室、襖で3つに区切り小会議室にも使える構造である。廊下続きの別棟はいわば郡代の公邸で下の部屋は客間、そしてその隣は居間でここからも庭を望める。郡代その他の生活の場でもあるのでこの棟には茶の間、台所、土間と言った郡代・手代の日常生活に直結した場所もある。或るテレビ番組で「食わし申そう」の意が込められていると聞いたが「孟宗竹」と「桑の根」から成る囲炉裏懸けは風格がある。
2012.10.17
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高山線沿線の景色以前から飛騨高山・飛騨古川と白川郷を訪ねたいと何回か計画したが処々の事情で実現できないでいた。季節も良くなったので有名な秋の高山祭(10月9.10日)が終わるのを待って11日から出かけてみた。有名なからくり屋台の演技は見たいがrakutenはごった返す場所が苦手なのである。それにどうせ近くには近づけないし、演技そのものはアップの動画で見た方が迫力がある。屋台会館と言うのがあり、屋台の実物が展示され必ず記録映画が上映されている筈である。それなら祭の後で静かな環境で街を見てみたいと云うのが本音であった。名古屋で新幹線から乗り換えて高山線の人となる。高山線については何の知識も無かったし期待もしていなかった。高山線は始め木曽川に沿って北上し、飛騨に入ると飛騨川に沿って山あいを北上する。飛騨川は山地の急峻な流れが川床を削り段々と白い岩を露出した急流となる。有名な下呂温泉を中心とするあたりからは両側が岩の壁となりその狭い隙間の深い底を流れる急流が有るかと思えばダムが現れ上流は満々と水をたたえた湖になったりと変化に富んだ流れである。飛騨川を遡るにつれてこの変化が右に左に何回か繰り返される。流れは急峻な証拠で、「中山七里」とか「飛水峡」とか呼ばれる名所が点在しているが狭い谷会いを走る汽車は予告もなく名所を過ぎるためシャッターチャンスは何時も後手後手で名場面を逃してしまった。写真は全て特急ひだ号の座席からでガラスの反射や窓辺をよぎる物体のため見苦しいものしか撮れなかったのは残念であるが何も期待していなかったのに予期せぬ車窓の風景は飽きることが無かった。余談になるが車中から清州城の模倣天守、岐阜城、犬山城を望見することもできた。
2012.10.16
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トウダイグサ属の形 前ブログでトウダイグサ科トウダイグサ属のトウダイグサ、ハツユキソウ、ポインセチア、 クサポインセチアなどの植物について記した。その際茎先端の葉っぱが白や赤に色付く ことを記した。トウダイグサそのものは色付きが悪いがやはり黄色に色付く様である。 今日のブログの主題は葉っぱではなく花そのものである。下の灯台草の花をみると 実のような丸い玉とその横に小花のような ものがかたまりになった群れの単位が集まって いるように見える。 実はこの実のような玉が本来雌しべの下部に有るべき子房でこの子房の 先端に小さな棘のように見えるのが雌しべだそうだ。そして子房の横にある小さな花のような ものが雄しべである。雄蕊の中央から柄を出してその先に子房が付き。さらにその先に 雌しべが付いているわけだ。普通子房は雌しべの根元の花の下部に隠れていて見えないが トウダイグサ属ではとびだしている。 次に草ポインセチアの花の細部を見てみると上の灯台草と全く同じ構造が確認できる。 緑の玉(子房)の先端に棘のような雌しべがあり、その根元に幾つかの雄しべが位置している。 次にシラユキソウを見てみよう。初期の花には雌しべ(子房)が見られないが生育が進むと 花の中央部から細い柄が出てその先に実(子房)が付き、その先端に棘のような雌しべが 生えているのが確認できる。今回我が家の花壇に咲いているハツユキソウと草ポインセチアが普通のポインセチヤと同じくトウダイグサ属に位置することに驚き、全く別物と思っていたので調査してみると花の構造が全く同じことを発見した。最後にもう一度ハツユキソウを折ってきてピンセットで葉をむしり取りながら撮影した映像を示すと雄しべ群の中央から子房が伸びその先に小さな雌しべが生えている様子がはっきりした。雌蕊の大きさは1-2mmで肉眼でははっきりせずマクロ撮影出来るカメラ、虫メガネピンセット、小さな爪切り挟みを駆使しての成果で昨日は満足した休日であった。
2012.10.09
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トウダイグサ科トウダイグサノ属の花しばらくブログネタが無く我が花壇の花について調べて書いていたが、その過程でハツユキソウと草ポインセチアやポインセチアが同科同属の植物で、いずれもトウダイグサ科トウダイグサ属(Euphorbiaceae euphorbia)の植物と知った。トウダイグサと言えば今画像は消失したが2008年に佐渡へ旅した時のブログで大群生地を発見して感動したことを記録している。 ト ウダイグサとは西日本全体に分布する雑草で茎の下部の葉は二枚ずつ互生するのに上部の葉は花びらのように重なり合っており、そこから花茎を出して花をつけ る。その様が昔の灯明台に似ているところから命名されたとされている。Wikipedia と つぎのブログ(http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/007/780/00/1/117420399815828286.jpg)からお借りしてその写真を下に示す。 時代劇で見る奥女中が燈心やロウソクの灯りを手にする時のあの携帯用蜀台(燈台)を思えば良いのだろうか。トウダイと言っても岬の灯台からの連想ではないらしい。 もう終わりに近いが今年の夏我が家の花壇を席巻した初雪草がトウダイグサと兄弟と言われてもぴんとこない。しかし茎の最上部の花周りだけ見ているとそんな気がし ないでもない。葉っぱの付き具合も上に記した灯台草に似ていなくもない。ハツユキソウは頂部の重なり合った葉っぱが夏から秋にかけて白く斑入りになる。初雪草も種が熟すると穂の上に残らないで弾き飛ぶみたいで、我が家の採種は弾かれ飛んだ黒い種を拾い集めたり茶色くなった鞘を採って大きな紙封筒に入れている。乾燥した日には袋の中の種鞘が弾けて結構大きな音を立てる。生きた茎の上から弾かれる様子を見たいものだがまだそれを果たしてはいない。さらに今も我がの花壇ややマンションの庭に茂っている草ポインセチアもトウダイグサ科トウダイグサ属なのだそうだ。 もう一つトウダイグサと同科同族に御馴染ポインセチアがある。クサポインセチアは猩々草とも言われポインセチアは猩々木とも称される。ポインセチアはクリスマスの時期に真っ赤になるように短日処理と称して夏から光を遮り日照時間を段々短くするとポインセチアは冬が来たと勘違いして先端の葉を赤くしてしまう。ポインセチアの赤はキリストの血の象徴としてクリスマスとこじ付けられて花形商品となる。もっとも園芸種には色んな色のものがあるが白いものもあり初雪草にも相通じるものがある そう云えば初雪草もクサポインセチアも夏至を過ぎて数十日してからでないと白くなったり赤くなったりしないのはやはり日照時間によってコントロールされているのであろう。ちなみに猩々とはWikipediaによると「人語を解し、赤い顔をした人間のごとき容姿で、酒を好むとされている。後代の注ではしばしばオランウータンなどの大型類人猿に擬せられる(猩々はオランウータンの漢名でもある)」とある。一度だけ見たことのある能の出し物に猩々が主人公の題目があって確か人間国宝の野村万作さんが出演していたのを思い出す。東京にも新橋や新宿のガード下には夜な夜な猩々が出没するがこれもやはり暗くなると出没するのは光による生理作用制御の例であろう。
2012.10.08
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ツリフネソウ科ツリフネソウ属の花先日妙高高原いもり池のブログでツリフネソウを記録し、我が家のベランダの花のブログでインパチェンスを記録した。その際これら二つの似ても似つかないと思った花が同じ属に属することを偶然知ってしまった。植物の分類として目・科・ 属・種の順に区別されて行くが我々素人が関係するのはせいぜい属と種である。そこで少し調査してみた。ツリフネソウ科(Balsaminaceae)の植物は次の4属に分かれる。Impatiens(ツリフネソウ属)・Impatientella属・Smeioccardium属・Hydrocera属そのツリフネソウ属で我が国に野生するのがツリフネソウ、黄ツリフネソウ、ハガクレツリフネソウそして園芸種として栽培されるのがホウセンカ(鳳仙花)、アフリカホウセンカ、ニューギニアインパチェンスである。ホウセンカは昔から栽培されているあの鞘が裂けて種子が飛び散るやつである。アフリカホウセンカは園芸店で売られている通常我々が「インパチェンス」と呼んで栽培しているもので多くの変種が売られている。そしてニューギニアインパチェンスは何と1970年にアメリカの探検隊によって発見・採取され園芸種として改良されて行き亘ったもので、通常のインパチェンス(アフリカホウセンカ)に比べて株も花も大きい。 いもり池で見たツリフネソウ 我が家のインパチェンス2種これらインパチェンスがツリフネソウと同族とはとは納得がいかないのでツリフネソウは先日いもり池で撮影した画像から探し出し、インパチェンスは今しがた我が家のベランダに出て何れも花の裏側の写真を撮って見た。いずれも花は細いロープ様の髭からつり下がり、さらにその先には尻尾のような髭が生えているではないか。ロープで船(花)を吊り下げ余ったロープが垂れ下がっていると見れば良い。それにしても花形は随分違うものだ。 ついでにWikipedia からお借りしてホウセンカとニューギニアインパチェンスの画像を載せておく。 ホウセンカ ニューギニアインパチェンス後者はついこの間まで我が家でも栽培していたが育ちが悪くみじめだったので処分してしまっのは残念である。こんなことなら写真だけでもとっておけばよかったと後悔しているところだ。この花の属名が日本語では花が茎からぶら下がっている形状から”釣船草属”、そして西洋では種が弾ける様子から“もう我慢できない(impatiens)属”と命名されているのは面白い。 花の仲間調べという素晴らしいホームページを発見した、ツリフネソウ類が綺麗である。ツリフネソウの種飛ばしには素晴らしいYouTubeの映像が有る。ホウセンカが弾ける様子も見ごたえがある。ツリフネソウではないが同じく種を飛ばす植物にカタバミがありNHK学校放送のページに弾ける種・カタバミ と言う素晴らしい動画がある。
2012.10.03
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