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昔の唱歌「咲いた咲いた テューリップの花が ならんだならんだ あかしろきいろ どの花見ても きれいだな」、これは古い童謡である。チューリップのイメージはあの背高型wineグラスの形で色はまさしく赤白黄色というのが私の勝手な固定概念であった。近年に至るまでは、いわゆる掛け合わせで新品種を作っていた。ところが最近は遺伝子組換技術が出現して色形ともになんでもありになってきた。中にはとてもテューリップとな思えない色や形の花が現れた。そんなわけで色や形大きさなどお金さえかければガーデンデザイナーはやりたい放題である。そしてここ昭和記念公園はそのたっぷりお金をかけたガーデンらしい。名札は有るがいずれも後期高齢者にはスウィートすぎて口にするのも気恥ずかしい。最初の一つだけ挙げておくと、このピンクのグラデーションや斑入りの花の名は「ネグリジェ)。祖先の形状を秘めたシンプルなチューリップにかえって親愛の情を感じた。チューリップの真っただ中にあったがこれはさすがにスイセンではなかろうか。ただスイセンの花期はもうとっくに過ぎているのでひょっとしたらチューリップ?
2018.04.17
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昭和記念公園のチューリップガーデンはもう数年来毎年この時期には訪れている。日本全国に畑のようなチューリップ公園はたくさんあるが、公園でしかも渓流の斜面を利用したデザインドガーデンは多くはないだろう。ここは有名なオランダのキューケンホッフ公園からガーデンデザイナーを招いて作ったものが年々拡大を続け、今ではかなり大きなものになってしまった。東京近郊とあって人も多いが最近ではそれも跳ね飛ばすほどの勢いで広がっている。チューリップといっても近年はその色・形・色の混ざり具合とどんどんバラエティーが増しチューリップとは思えないような奇抜な形の花も現れている。なんといってもここの素晴らしさは欅・芝生の新緑とチューリップの取り合わせの美しさである。欅は葉っぱだけでなく適度な太さの幹も園の景色をしっかりと支えて安定感を与えている。願わくば花の横の芝生に腰を下ろすことができれば最高であるが、私をその構成員とする大群の人ではそれはかなわぬ夢であろう。渓流に架かる小さな橋から眺める水辺は最高に美しい。
2018.04.16
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3月12日前日の春の暴風に次いで真夏の日差し、この日立川国営公園に出かけた。目的は毎年出かけるテューリップガーデンの見物である。青梅線の西立川駅を降り立つと目の前はもう公園である。この時期いつものことであるがハナミズキと森の新緑が目に染みる。欅の若葉の薄緑は新入生や新社会人を送り出す季節に最もふさわしいいろである。今年は我が家族にも新中学生、新社会人がおり感慨深いものがある。チューリップガーデン入り口は今年も豊かな彩を予感させる。ゾーンに入ると今年もにぎわっている。ここは新緑に囲まれた渓流があり、そのものが豊かな風景であるが今の時期はそこがチュリップで囲まれている。多くに人がペットを連れてきて写真撮影に夢中である。チューリップガーデンを後にして桜の園を通って日本庭園に向かう。ずいぶん昔に一度花見をしたことがあるがこれだけ広い平地に桜の古木があるのも珍しい。日本庭園ではまず休憩亭で池の全貌を眺めるのが習慣である。この巨大な回遊式日本庭園は木立の深さが特徴で、いつ来ても心休まるところだ。特に風の穏やかな日は空や緑を映してその水面がが美しい。湖岸を回ったいる時対岸に綿帽子・白無垢姿の花嫁の姿が飛び込んだ。ズームするとこんな絵である、こでは掲載しないがこちら向きの時さらにズームアップすると実に美しい花嫁の面立ちであった。庭園帰りの出口付近に「破れ傘」が保護されていた。現代人には傘といえば洋傘なので想像しにくいだろが時代劇で見るように番傘は古くなるとこんな感じになる。今いたるところに「山吹」が咲いている、こちらは木ではなく草の「ヤマブキソウ」。花が似ているのでこの名があるがこれはケシ科の植物でケシ科の名に恥じず毒草である。る
2018.04.15
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昨日のブログで上田城元本丸当たりの情景を記したが今度は外堀周辺を記録しておこう。花木園では今早咲きのツツジ「吉野」が満開であった。今は運動場や児童公園となっている外堀の石垣には古城の雰囲気そのままの桜とまだ冬の木立が。この古木の幹のうねり具合と野面積みの石垣がこれも古城の雰囲気を醸す。旧い石垣に残された外堀に向かっての放水路跡。外堀も今は城の石垣と見事なしだれ桜に囲まれた運動場となっている。外堀に面して個人の茶庵がありすぐ裏に我々が乗る観光用循環バス停がある。この茶室がある邸はぐるりと竹の塀がめぐらされていると思ったが、よく見るとそれは竹ではなく木材の表面を竹模様に加工したものである。茶庵の向かいのバス停の反対側には風格のある佇まいの家があり、その門の片側にバベルの塔のような植木があった。見事な右槙螺旋である。個人的には門の反対側にもう一つ左巻き螺旋の植木が欲しかった。現在ではこれに似た構造の分子が合成されているがまだこの域には達していない。化学者の目標になりそうな形である。
2018.04.14
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今回の信州への花見旅行ではまず松本は遅かりしアウト、翌9日の上田城はどうだろうか。上田城も3回目の訪問なので脇の「尼が淵」から攻めていった。今は公園になっているが読んで字の通り、ここは元千曲川支流の淵で上田城の外堀の役目をはたしていたところである。元外堀のこの位置から見る西櫓は桜に彩られて今一番きれいに見える時期だろう。外堀跡の芝生に巨大な岩があるがこれはもともと近くの浅間山の噴石で後にここに運ばれてきたもので本来の上田城とは関わりがないらしい。南櫓の辺りの石垣の上は崩れかかった土崖が露出している。もともと真田の時代、上田城には石垣はなく千曲川に削り取られた崖面の台地に直接建っていたらしい。その後崩落が激しいので後の城主・仙石氏や松平氏、さらには近代にいたって石垣を増設したものらしい。特に近代の修復ではこの写真のようにわざと土の崖を残して特殊な土質処理をして昔が偲ばれるようにしている。外堀跡の南西角を曲がると下の2葉の写真のように二の丸橋をくぐって一直線に伸びる空堀が続く。昭和47年までここには上田駅から真田の里に通じる電車が走っていた。二の丸橋わきで外堀から上がり橋を渡ると城の表入り口にあたる虎口門がある。上田城といえば多くの人は真田幸村とその強力軍団を連想するが、幸村の居城であったことはない。幸村の父昌幸時代に築城したこの城は2度にわたる徳川の攻撃を撃退した城として知られるが真田時代は長男の信之の時代を含めて40年にも満たない年月である。さらに松代に転封された信之の後に入城した千石氏もわずか6年で死去し松平氏に城代りしている。したがって435年の歴史の中で200年以上は松平氏の城であった。それでも明治政府の意向であろうこの城は真田一色である。再建された櫓を残すだけの城址の中心的存在は真田神社である。例の六文銭をつけた赤備の兜にはお神体があるのか賽銭が備えられている。社務所には「真田幸村」の表札が掲げられている。神社の本殿脇には大きな木のレリーフがあり、「真田幸村公兜末」とある。どこかの合戦の際兜を脱いでかけた松の木の実物という事らしい。小さく「合祀」と書かれているのでご神体なのだろうが吹きさらしである。さらに柵に覆われた井戸があり、この井戸には抜け穴があり藩主居館に通じていたといわれているそうだ。今だに「そうだ(伝説)」と言われているので今更調査して夢を壊すようなことはしたくないのであろう。
2018.04.13
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4月4日(日)満開を期待して信州の桜を見に出かけた。実はこの日天気予報は信州で真冬の寒さが予報され、一部では積雪があるかも知れないというニュースもあったが予約もあり決行した。新宿からの特急「あずさ」が塩山トンネルを出て甲州に入りしばらくすると春霞の中に富士山が見えてきた。富士山で発生した雲が大きく帯を引いているところから、かなりの強風が吹いているらしいことが予想される。甲府盆地は今が桃の花の盛りであるが桜と違って実をならせるのが目的であるからほとんどの花は剪定され、華やかさは控えめである。桃畑の向こうには南アルプスが見えてくる。標高本邦第二の北岳を主峰とする峰々と谷を挟んで鳳凰三山の姿も見えてくる。この時期、まだ多くの雪を残す南アルプスの姿を身近に見るのは中央線の大きな楽しみである。このため進行方向左側の席を予約することが多いが、そうするともう一つの名峰八ヶ岳の景色を犠牲にしなければならないのが残念である。つい先日大阪のパーティーが遭難した八ヶ岳で有るが南面は雪解けが進んでおり、とてもそんなふうには見えなかった。信州にかかると急に空にガスがかかり高い山は視界から消えると霧にかすむ近景は中国の水墨画のような世界を垣間見せた。松本に着くとすぐバスで松本城に、ここはもう3度目の訪問なので正面からではなく北裏の入り口から入城、影を映す天守閣の姿はさすがに国宝で美しいがそれを盛り立てる桜はもう峠を過ぎた老女の姿。内堀に沿って半周すると赤い橋の向こうに望楼を備えた旧開智学校の姿が望見できる。橋の反対側からの天守はまさしく絵葉書の構図、ここも来るたびに外人観光客が増えている。花吹雪の城を跡にして大名町通りに出る、ここに松本城そっくりの古書店「青翰堂(せいかんどう)」がある。江戸時代からと思いきや意外と創業は1945年とのこと。太平洋戦争の終戦の時松本城の解体修理が始まった、そこで新しく開く本屋を松本城の二〇分の一にして建てたそうだ。「翰」は漢和辞書によると「しろ」とあったがもともと山鳥を意味し、それから作る筆を意味し、その筆で書かれた書を意味し、さらにそれを書いた学者(学問)を意味するらしい。なるほど古書店にふさわしい字に思えてくる。大名町通りから四柱神社がある縄手通りと武家の街を歩いて中町通りにやってきた。四柱神社中町通りは善光寺街道を中心に発達した商人街で江戸・明治時代に何度も大火に襲われ、商品を守るため「なまこ壁の土蔵」を主とした白黒の土蔵造りが中心の街となった。旧酒造家の母屋を移築したという「蔵シック館」その土蔵蔵の中は喫茶店になっている。一休みしようと中に入ると前掛をつけた若い西洋人の青年が「いらっしゃいませ」と迎えてくれた。カウンターの中には赤ちゃんを抱っこした若奥さんと白髪・白髭のマスター。想像をたくましくすると多分旅行か留学で日本に来て良い人に巡り合ったのであろう。蔵の中でウインナーコーヒーと疲れ休めのスイーツを頂いた。外に出ると通りのマンホールの模様には手毬が描かれている。松本の民芸品としては手毬が有名であることを思い出した。
2018.04.11
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大分日が経ってしまったが今年も我が家の周りの桜の映像を何枚か残しておこうと思う。3月27日春爛漫の日の散歩写真を集めておく。8階にある我が家のベランダから直下の桜。並木が数メートル途絶える場所があり多くの人が欄干にもたれて写真を撮るスポットになっており、縫いぐるみをかざしてインスタグラム用に写真をとる若い女性が多い。ベランダから上流を眺める。西武線の高架を挟んで1キロ近く各種桜の並木である。下流も右岸の一戸建て、左岸のマンション群を挟んでやはりソメイヨシノの並木が続く。ソメイヨシノしだれ桜上流に向かって石神井公園まで散歩した。河畔の湯歩道河川敷遊歩道河川敷日曜日の石神井公園キンクロハジロの群れボートに垂れ下がる桜枝湖畔の洋館両岸からの枝が重なり合い、橋から手が届く近さに咲き乱れる。 川岸から眺める我が家
2018.04.08
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4月4日公式記録では今年2回目か3回目の夏日、練馬の気温は26℃を記録した。ルーフバルコニーで植木の手入れをしていると何やら飛んできてマンションの外壁に止まった。かなり大きなバッタであった。バッタといえば夏から秋にかけてのものと思っていたので驚いた。真夏によく見かける緑色ではなく秋の保護色の茶色で、フェンシングのマスクのような頭部である。よく考えると私にはバッタとイナゴの区別がつかない。Wikiで調べるとイナゴもバッタの一種ということである。稲の害虫となるのがイナゴでそれ以外はバッタでよさそうだ。でも信州などで売っている佃煮はイナゴでバッタの佃煮というのは聞いたことがない。それにしても4月にもバッタが出現したのには驚いた。そんな陽気に誘われて早速散歩に出かけた。もうソメイヨシノはほとんど残ってないがそれでもどの世界にも行き遅れたものはある。また一足早く咲き出た八重桜が満開を迎えている。枝に張りついていた花弁も一陣の風に吹かれて川面に最後の花吹雪を降らせている。流れの淵には風の吹き溜まりに貯まったピンクの帯が残っている。先日記録した「アケビ」の花にピンクの花弁が付いており、指で離そうとしてもなかなか離れないので雌花の花弁かと思った。しかし強引に引っ張ってみると長い糸を引いて離れた。やはりアケビの雌蕊の先に着いた粘液にくっついていたようである。この花に虫がたかっていることは見たことがないので粘液は虫の誘因というよりは花粉を捕まえたら絶対離すまいとする気持ちで分泌しているものだろう。それにしても熱い4月の一日であった。秋の「小春日」に相当する春の暑い日はなんというのだろうか。
2018.04.07
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我が家には約50m(2)のルーフバルコニーがあり2基のレンガ積み花壇を設置してある。季節ごとに草花を買ってきて楽しんでいるが長年経つとそこに思わぬ植物や越年生の草花が思わぬ花を咲かせてくれる。その多くが自分で持ち込んだ記憶のないもので、土に付いてきたものや小鳥が運んできたものなどがあり、どっきり楽しませてくれる。今年はあまり新しいものは少ないがそれでも珍しいものがあるので毎年の琴ながら記録しておくことにする。第一報を3月20のブログに記録したが今回はそれ以後に咲いた第二弾の記録である。 スイセンアヤメ ? 赤花マーガレット なんとツツジがちらほら(4月5日) 紫花立浪草 冬から咲き続けるシクラメン カレンジュラ チューリップ 冬から咲き続けるキンギョソウ
2018.04.06
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今年も春は急いでやって来て記録的な早さで桜を咲かせている。我が家の下を流れる石神井川もまた豪華な競演を繰り広げてあっという間に過ぎていった。 3月23日3月23日3月23日:上流方面、左側が南岸 3月23日:下流方面、右側が南岸3月23日南岸の桜はかなり色付いているのに北岸はまだほとんど蕾である。冬の間、南向き傾斜の北岸はポカポカしているのに南岸は寒いので南岸で「休眠打破」が起こったのだろう。秋口にできた桜のつぼみは冬寒くなると目を覚まし開花が早まるというのだ。今年のように冬が異常に寒く春が異常に暖かいと開花が早まるというのだ。実際南岸と北岸では開花が1週間の差があった。思い出してみると私はこの辺り毎日のように散歩していたが南岸は寒いのでいつも北岸を歩いていたことをい出す。3月27日:右が南岸3月27日:もう両岸とも満開27に日には南北関係なく豪華絢爛、花の舞いである。3月27日3月27日
2018.04.05
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