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オックスフォード市に入る前にKidlingtonと言う町がある。前回のブログをこのKidlington Lockで終えたのは一連のブログの冒頭で記した推理小説「Oxford運河の殺人」でそのトリックのハイライトがこのKidlington LockとOxford市街の北にあるDuke's Lockの間にあるからである。Kidlington LockKidlington Lockを過ぎたあたりに広大な青い畑を発見し、ズームしてみると太陽光発電畑であった。平地が有り余るイギリスでは電気も畑で作れるわけで都市部のすぐ近くで自然エネルギーが得られるのは羨ましい。運河の対岸にはGosford Rugby Football Clubの練習所が何面かあり、その上に不思議な模様が見える。牧草地だろうか、木立が多くそれを避けて草刈りをすると自然にこうなるのかも知れない。一時期ミステリーサークルで世界を騒がせたイギリス人は冗談もスケールが大きいので疑問である。さてKidlington Lock から2キロほど南下すると下の地図で示したDuke's Cut(公爵の掘割)-Shuttleworth Lockとも言う-と呼ばれるOxford運河とテムス川を連絡する運河が分岐する。Oxford運河はそのまま市中を貫き町の南部のIsis水門でまたテムス川と合流する。地図で見ると大して水路が短くなる訳でもないのにこの掘割を作ったのは市中の交通渋滞を避けるためのバイパスとしたのだろう。下の写真でOxford運河右上から左下に流れているのが「公爵の掘割」である。本ブログを書くきっかけとなった「Oxford運河の殺人」でのミステリーのトリックがこの区間で起こっている。犯人の女性は年寄りの二人の船員を酔わせておいて3人目の少年船員をかどわかし、船を川岸に寄せてもらい下の写真のスラップと言うポイントで船からひょいと河岸に飛び移る。そして打ち合わせておいた悪党の夫が見知らぬ少女を殺害し、妻が船から突き落とされ溺死したことにして殺害した少女の遺体を運河に投げ込む。二人は闇に紛れて遁走し保険金をだまし取る物語である。二人の船員が犯人として冤罪で処刑されて久しいが、物語の主人公の刑事が胃潰瘍で入院し、院内生活の退屈まぎれに図書館司書の協力を得て昔の公判記録を丹念に検証し事件を解明してゆく物語である。上の写真で右上部にあるのがShuttleworth Lockで、そこから400ヤード(340m)上流に懸った橋から遺体は運河に投棄され、公爵の掘割に流れ込んで上の写真でフリーウエイを潜ったあたりで発見されている。Google からの写真では立派なレンガ橋に見える。勿論物語はフィクションであるが作者の脳裏にはこのイメージがあっただろう。
2020.09.20
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Coventry からOxfordまでの運河のほぼ中間のBanburyからOxfordまでの間は大きな町もなく時々小さな村を通り過ぎてのどかな田園地帯を進み、ある意味レジャーそのものである。上の写真で赤い線で示した運河の左には広大な牧草地に牛の群れが見える、そして右側にはテニスコートとプールを備えたファームペンションらしきものが見える。また下の写真にもプールを備えた家が見えるが別荘だろうか。そんなのんびりした船旅の間にも15の閘門式水門を通過するのでその都度自分で水門壁を開閉して水位を調節しなければならない。この間Coventry,Oxford間にはかなりの高低差はあるものの急な上り下りは無く水門はすべて一段で通過してゆく。もう一つ航空写真を追っていて見つけたことはすべてのLock は一扉式で、前々回に説明した2扉式は一つもなく、水の流れが緩やかなことを示している。ほとんどは田園の牧場地帯にポツンとある小さな水門であるが、中には下のようなレンガ壁の本格的Lockも目にする。 牧場地帯を通り抜けるので公道はあまりなく、牧草地の中に多くの跳ね橋が懸っている。ほとんどはトラクターを渡すためだけの橋で人間が通ることは少ないのだろう。イギリスではこんな私有地もトレッキングに開放されているところが多くある。柵を超える時の扉の開け閉めはしっかりしなければならず、ハイキングシューズの底の溝に羊の糞が詰まってなかなか取れず困ることもある。 村に入り公道を横切る時には橋も立派のものに代わる。Oxford運河の旅も終わりに近く、北隣のKidlington という町に入るLock 河岸にまで伸びる大きなバックヤードを持つフラットハウスが並ぶ。
2020.09.20
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Oxford運河は数あるイギリスの運河の中でも古く、産業革命ごく初期の1970年代から建設が始まり、ナローボート専用の運河である。CoventryとRugbyの間のルートは水門のない水平区間である。数え方にもよるがRugbyと Oxford の間には26か所の閘門式水門があるとされている.しかし現在私がGoogle Earthと Gogle mapで確認できたのは18か所にとどまった。復元された現代の運河ではもちろん馬が引く曳舟では無く、ディーゼルエンジンであるから閘門式水門(Lock)がなくとも遡上できる所が有ったりして廃止されたLockもあるのだろう。そんなわけで今回は主としてRugbyとOxford 間にある、Lockを中心に記載する。まず最初に現れるのがHilmorton Lock、ここには本来六つの閘門が有ったが、今確認できるのは三つである。下の写真を見てみると左側航路でLock に入っている青い屋根のナローボートは閘門の長さいっぱいの大きさで、上流側は一枚扉、下流側は山型に閉じた二枚扉である。細かく見ると下のように左が上流側、右が下流側からの写真で末端を白く塗った開閉レバーがあり、全て人力で扉を開閉する。前者は一人で操作できるが後者には2人力が必要である。山型の方がより強い水圧に耐えるが上流と下流の違いはよく分からない。さらに多くのLock では上下とも山型が採用されている。さらに細部を見ると下の写真のように扉の上には扉を開閉する前の放水穴として付けられた開閉窓を上げ下げする回転式レバーがついている。船の装備品であるハンドルを水平棒の端に差し込んでぐるぐると回す。家族旅行ではもっぱらこれは子供の仕事である。さらに子供も大きくなれば扉の開閉レバーに尻を当てて力仕事をして両親の手伝いをしている。大きな子供のいる家族ではお母さんはLock通過には必要なく船内で読書などに耽っている。Hilfordの水門を越して比較的なだらかなところを進むとBraunston Junctionにであう。ここではBirminghamからLondon に通じる白い線で示したGrand Union運河に合流する。そしてそこからNapton Junction まで直線で7キロ余り、水路では10キロ余りと思われる区間はこのGrand Union 運河と共有している。赤いい線がOxford運河、白い線がGrand Union 運河である。共有部分の端となるNapton Junction はイギリスを代表する2大運河の合流点にしてはささやかな船溜まりがあるだけで少々驚きであるが、その小さな水溜りには岸辺にとどまらず水面一体にぎっしりボートが停まっている。Napton Junction ではGrand Union運河と別れて西に向かい、Napton Lockに向かう。 Naptonまでは比較的平坦な田園地帯を進んできたが、Napton Bottom Lock からNapton Top Lockの間9連続閘門を経て15mの丘を登る。分かり難いが上の写真で一番上の黄色いピンがJunction 真ん中のピンが丘下のBottom Lock、そして一番下のピンが丘上のTop Lockと続いている。9個の閘門を通過すると、ここからの丘陵地は下の写真で見られるようにくねくねと曲がりながら水位を保ち進んでいる。そして今度はClaydonの町の西方にある5重連の閘門を通過して9.3mの水位差を下る。Claydon Lockを下るとあとは一気にこの運河の途中ではRugbyに次ぐ町のBanburyに到着する。Banburyでは駅のすぐ側を通過している(青線)。赤丸で囲まれた英国鉄道の赤いマークが駅の入り口で、白いテントはおそらく市場だろう。運河の岸辺に市場があるのは自然の理である。江戸時代の日本橋川と日本橋河岸もそうであった。余談であるがイギリスの鉄道には原則改札は無いので赤マークのあたりで道路から直接階段を上がってホームに移動する。線路右側の青い屋根の駐車場からも直接ホームに出る跨線橋が見える。私が滞在したことがあるNew Castle upon Tyneの駅は車でホームに乗り上げることもできたし、地下鉄の昇降口が駅のホームのど真ん中にあって階段を登るだけで乗り換えが出来たことを思い出す。
2020.09.19
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Stetton under Hill村のレンタルボート店を過ぎて少し行くとNew Bold on Avonという村にまたArmada Boat Hireと言う名のレンタルボート店がある。上の写真で白い矢印がそれであるが、その店のホームページを見ると下の写真のような小さなボートもある、これなら操縦はそんなに難しくはなさそうだ。ナローボートはその名の通り幅は2.13m以内に限られ船の大きさは長さで決まる。この長さだと多分1LDKだと思われる。右下の赤い矢印で記した間は明らかにトンネルになっている。横切る道路もない牧草地のトンネルにはどんないわく来歴があるのだろうか。色んな村の名前を記してきたがこれらなすべてRugby 郊外の村々である。下の写真はRugbyの工場地帯を左から右へうねりながらと進む運河である。町中だけに多くの小さな橋が架かっている。Google Earth には数多くの運河上からの写真がリンクされており、バーチャルトラベルには楽しい光景である。歴史的なうつくしい橋が多く見られるが版権の問題で紹介できないのが残念である。興味深いことにRugby の町の住宅地帯のはずれに小さな貯水池がある。その横を流れる白い矢印はOxford 運河、そして貯水池に繋がって赤い矢印間で運河を横切りくねくねと右方向に流れるのがシェイクスピアの町Stratford upon Avonへと繋がるエイボン川の上流である。Rugbyはもちろんラグビーフットボール発祥の地である。Rugby校の生徒がサッカーの試合中ボールを手にして走ったのが始まりとされている。余談であるがサッカーもラグビー―も英語ではフォットボール、そこで前者をAssociation Football 、後者をRugby Footballと言うが"Association"の”soc"に人を示す語尾"er"を付けてSoccerとした。何とも狐に騙されたような気分である。果たして本当だろうか。Rugbyの次の村Barbyにはおおきなマリーナが見える。さらに進むとま瓢箪型の大きなDunchurch Marinaが現れた、上方の整然とした建物群は刑務所である。なぜか刑務所の建物には星形や放射線状の物が多い、たぶん管理に便利なのだろう。運河からマリーナを望む優景色は見事である。
2020.09.15
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Godivaチョコレートに関連する逸話で有名なCoventryは重工業地帯のBirminghamから約20キロ東側にある中都市である。その市中から約6.4km東北の地に黒い丸で示した点の Hawkesbury村に三つの運河が合わさったHawkesbury Junction がある。下の航空写真で水路にナローボートが列をなしている、この左上から下に向かう運河はCoventry運河で、北はTrent-Mersey運河を経てLiverpoolへとつながっており、南下すればCoventryの市中に至って終わる。このJunctionから右上に始まるのがこれからネット旅するOxford運河である。Coventry運河からOxford運河に入るには中央下に見える船溜まりを通る。写真の白い屋根左下に見えるのが19世紀初頭から営業し続けるGreyhound Innである、一階がパブ二階が簡易宿泊所だろう。一度この種の宿に泊まったことが有るが建付けが悪く、客の出入りする音や夜遅くまで賑やかなパブのざわめきなどで落ち着かなかった。運河をやや進んで下の写真は斜めに伸びる鉄道に沿った運河と斜め上に伸びるShilton Lane と交わるあたりでこの運河が町と田園を分ける境界になっている。 なおこの道路はスコットランドのGlasgowまで伸びるイギリスで一番長いフリーウエイで、イギリスの高速道路はみな無料である。少し見にくいが下の写真では白い矢印を付けた曲線が運河であたり一面畑や牧草地である。右上の赤い丸は”Fosford Hill Equine Service"と記されている、すなわち獣医師の診療所である。場所から言って犬猫病院ではなく文字通り羊を中心とする家畜医であろう。程なくしてAnstyと言う運河と道路に沿った集落をすぎる。この航空写真を見るとイギリスの集落の様子がよく分かる。家は道路に沿ってぎっしり並んでいるが、それぞれ広いバックヤードを有し、さらに牧草地やタウンムーアと呼ばれる町の共有地になっている。タアウンムーアと言うのは原則牧草地で誰でも自由に羊を連れてくることが出来たそうだ。村落と言っても運河沿いはのんびりとしたものである。Stetton under Fosseという村落に着きました。鉄道と並行に走る運河に沿って白い矢印はガソリンスタンド、赤い矢印はナローボートのレンタル店です。Armと呼ばれる短い一本の水路が上に延びているがこれは村落に通じる短い水路で、人口200人前後のこの町はローマ時代からの古い街のようだ。昔は水運の良いところに町が出来たので村や町の名前にBourton on the HillとかNew Castle upon Tyneなどのように河川名の前に"on"や"upon"を付ける所が多くあるが"under"がつく地名は少ないだろう。どんな来歴があるのだろうか。Armには数隻のレンタルボートと思わしきものが係留されている。ナローボートは普通1週間単位で借りるものであるが、こんな片田舎のボート屋(Rose Narrowboat)では一日単位のレンタルも可能のようだ。何しろボートに運行にはライセンスは要らないので私も10歳若かったらすぐにでも経験したいところである。ここはBrinklowという町の近くでCoventry とRugbyの中間地点である。Oxford までは先が長いので今日はこれくらいにしておこう。
2020.09.14
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もう20年以上前の夏休みことである。たまたま古本屋でハヤカワ・ポケットミステリーの「オックスフォード運河の殺人」という本を手にした。日本の新書版によく似たサイズ、厚めの紙表紙一枚でアメリカのペーパーバック本と同じ装丁で本の側面を黄色く着色したミステリーシリーズの一冊である。オックスフォード運河を運行する夜行の貨客ボート上での殺人事件を描いたコリン・デクスターの”The Wench is Dead” の翻訳本である。原題にOxford運河の文字は無い、翻訳題を見なければ手にしなかった。時々読み返して楽しむために保存していたがいつのまにかなくなっていた、そこで今は文庫本として出版されているものを入手した(下左の写真)。ストーリーはともかく私はこの本でイギリスの運河と言うものに大いに気を奪われてしまった。そんなことが発端でイギリスの運河に関する本を買って楽しんだりしている。 オックスフォード運河はLady Godivaの逸話で有名なCoventry郊外からOxfordでテムズ川に繋がる約120キロの運河で、46か所の閘門(水門)を有し、ここを運航できるボートは長さ21.96m、幅2.13m、吃水(舟底と水面間)1.23m、吃水線からの高さ1.83m以内に限られている。いわゆるNarrow canalでこの細長いボートはNarrow boatと呼ばれる。日本と違って平地の多いイングランドでは運河が網の目のように張り巡らされているが、これらは産業革命によって大量の石炭を消費する重工業が栄えたイギリスでは馬車輸送に代わって大量運送に適した運河が整備された。その運河も鉄道の普及によって長い間埋もれた存在となっていたが近年再整備されてレジャー目的で復活してきた。大型船の通らない狭い水路は牧場の中を通り抜け、水道橋を渡り、水路トンネルをくぐり、長閑と言う字を絵にしたような光景が続くかと思えば、船を横付けできるカフェ、コンビニエンスストア、ロッジ、土産物店など日本の道の駅のような施設が所々にある。田園地帯、都市中心、工場地帯等変化に富んでいる。いくら平らな土地とはいえ、丘や谷を通過しなければならず、特に水路の山登りのための閘門通過はうるーずの楽しみである。運行ライセンスのいらないこのナローボートはオーナーボートあり、レンタルボートあり、多くのボートは日常生活に必要な施設は整えており、中にはボートを住処にしている人もいる。話を元に戻そう、ナロ-ボートは初期は貨物輸送として使われていたが、船の改良や水路の整備で横行速度が上がり人の輸送にも 使われはじめた。1842年の記録では一頭立てのボートで16㎞/時、22トンもの荷を運ぶことが出来、旅客輸送でも乗合馬車に対抗できるようになった。移動時間そのものはまだ馬車が早かったみたいであるが、より安く静かな運河の旅はガタガタ揺れる馬車よりも快適で、特に夜行便の快適さは馬車とは比べ物にならなかった。ただし小さな密室での夜行便は特に女性客は相客に恵まれないととんでもないことになる。また乗客だけでなく乗組員もいわくあり人物が多かったみたいで、「オックスフォード運河の殺人」もこんな中で起こった殺人事件である。もう一つ物語上必要なのが運河に沿って必ず伸びている側道「曳舟道」で、この側道は現代では絶好のハイキングコースともなっている。エンジンが普及していない当時にあって運行は馬力で、Fly-boat, swift-boat, gig-boatなどと呼ばれていた。貨客船にはExpress Boat Serviceというのもあり、これは2頭立て、つまり2馬力の牽引力を持つ快速艇と言うことになる。当然ながら馬は駅伝方式で変えて行く。また船が橋やトンネルを超える場合、所によっては曳舟道がない場合があり、その場合は人を増やして船べりに立ち片足で河壁を蹴って進んだそうだ。多分それを生業にしている人達がいたのであろう。話は飛ぶが以前私が中国の重慶から上海までの長江船下りをしたとき、支流の神農渓というところで船乗りをした。そのとき土地の部族が難所を曳舟することを昔から生業としており、いまも観光船を引く仕事をしていた。さしずめ日本で言えば大井川の水夫みたいなものである。まだまだコロナ禍で家に閉じこもる日々、Google Earthのフライトシミュレーションで世界各地の空からの景色を楽しもうと努力したが、ジョイスティックを持たず、マウスだけで航空機を操縦するのは難しく数知れぬ墜落事故起こしてしまった。そこで諦めてGoogle Map で航空写真と時々Google Streetからの地上写真を交えて「Oxford 運河の殺人」の物語の舞台を旅してみようと思った。結果はどうなるか予想がつかないがこのブログで報告することにする。
2020.09.12
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八月末から9月初めにかけて約10日間に大型台風の3連発であった。しかもそれらはほとんど同じルートを通り、沖縄県から九州の西沖をかすめ朝鮮半島をかすめて消滅していった。かって社会主義国家から資本主義国家を守る前線としての日本列島が有ったが、気象学的にみると朝鮮半島を含む大陸は日本列島によって台風の脅威から守られている。太平洋の熱水からのエネルギで出来る台風は日本列島を越えると日本海の冷水域に入って急激に衰え大陸に向かう前にしぼんでしまう。天気図で見ると綺麗な円型の輪から急に萎びたゴム風船のようになる。トランプ大統領は日本に防衛費の負担増を要求してくるが、日本は朝鮮や中国に台風からの防衛負担金を要求したい気分である。そんな台風の合間、夕暮れの西空を見ると傘の開いた松茸のような雲が出来ていた。もう少し脚が長いと広島の悪夢を連想するがなんとか高感度の範囲に収まっている。特に傘のエッジは悪夢とは程遠い絹雲の装いである。クラゲ雲と言う名もあるらしい、そう呼ぶことにしよう。気象学的には雲は10種に分類されるそうだ。高層に現れる巻雲、巻層雲、巻積雲「天高く馬肥ゆる秋」という言葉があるが、秋の雲は上層雲と言うことが分かる。ちなみに大気の上層とは大体1万メートル以上である。山で見る雲海、谷間を漂うガス雲、富士山を美しく見せる浮き雲などは下層雲。下層とは約5千メートルくらいまでの地表に近い範囲。その中間は空気や湿気に富み、動きも激しい中間層で大空を演出するのも中層雲が多い。雲の学術名学術用語としては巻、層、積、乱4字の組み合わせである。そんな味気ない用語とは別に古来高層雲をすじ雲、うろこ雲、うす雲などと呼んできた。同様に中層雲をひつじ雲、おぼろ雲などと呼び、下層雲をきり雲、わた雲などと呼び、中下層にまたがり厚みを持つ雨雲などと呼んできた。特記に値するのは入道雲とも呼ばれる夏の勇者、積乱雲である。この特別な雲は地表から1万メートル以上にも立ち上がる特別なものである。熱せられた大地は強い上昇気流を生みつむじ風、竜巻、落雷、稲妻を生み出す。湿気や空気に乏しく高度1万メートル前後を飛行するジェット機から見る積乱雲は力強く垂直に伸び、「入道」というよりは荒れ狂い、のたうつ竜である。大気層と雲
2020.09.08
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