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水辺の植物に注意しながら歩いていると水辺の野草と共にいろいろな生き物も目に飛び込んでくる。この川には多くのマガモが住み込んでいるが、春先テニスボール大の雛が列をなして親鳥に付きまとっていたのがこの時期になるともう一見しただけでは親子の区別が出来ないくらい大きくなっている。とはいえよく見るとやはりその動きや容姿の端正さから若さが読み取れる。それにくらべて親鳥はやはり風格が感じられる。こういった鴨は本来渡り鳥で冬に飛来するものだが、多くの公園や沼にいるものはほとんど定住するものである。冬日本に渡来する白鳥を餌付けしているところが全国各所にあるがそこには必ず白鳥の数倍の鴨がいる。これらの鴨は本来の渡り鳥である。私はお蕎麦屋に行くと多くの場合カモ南蛮を注文する。本来飛来する野生の鴨を捕まえたらしく、皇室でも先週鴨狩をしていた。ところで人工的に飼育した鴨をアヒルと称し、卵や肉をとるために飼育されたものだが、さらにアヒルと鴨を掛け合わせたものが合鴨である。お蕎麦屋の鴨肉は合鴨の肉が多く用いられているらしい。生物学的にはマガも、アヒル、合鴨全て単に鴨だそうだ。思い出したのはインドネシアを旅した時、鴨牧場を発見した。よく知られているようにインドネシアはイスラム教の国で四つ足動物の肉は原則食べず、代わりに鳥肉をよく食べる。そこで合鴨が飼育され、昼間は水田や水路で放牧(?)され朝夕には牧(?)夫達が鳥舎から出したり入れたりして管理している。菅笠を付け細くて長い竹の鞭を持って長い鴨の列を誘導している光景は何とも牧(?)歌的長閑さである。水辺と言えば多いのがセキレイ、これは胸やお尻が黄色なのでキセキレイだ。これはハクセキレイだろう、長い尻尾を盛んに石にぶつけている。背中が真っ黒のセグロセキレイを多く見かけるがこの日はお留守のようであった。さらに水辺には季節外れの蝶がまだあちこちに飛んでいた。昔からネギ坊主に泊まった黄蝶は幸福の印とか言われているそうだが確かにひらひらと舞う黄蝶はのどかで良いものだ。モンシロチョウと言えば蝶の代表格である。春先によく見かけるのは羽の淵がもう少し灰色がかったもものが多いが、この日見掛けたのはほぼ真っ白の羽にまるい紋所がハッキリとしていた。名家の若侍の気品を備えている。赤丸は日本の紋所と言ってもいいのではないだろうかと思うが、黒丸だけの紋所と言うのは見たことが無い。次に見つけたのはどこにでも見られるツマグロヒョウモン。ヒョウ紋は文字通り動物の豹に由来すると思われるがツマグロはなんだろうと思っていた。和服の裾の端を褄(ツマ)というらしいということを知って納得である。羽の端が黒いのが雌、下の部分だけが黒いのが雄らしい。黒い部分が広いだけにメスの方が腕力がありそうである。いずれにしても秋の空は高く、澄んだ薄い紺色―空色ーの空にに絹雲、綿雲、ちぎれ雲、イワシ雲、水辺には行きそびれた黄蝶の舞とコロナを忘れせせるのどかさである。
2020.10.29
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今年は9月も10月もほとんど毎日雨が降った。やっと昨日あたりから空が高くなり、雲も薄くなって秋らしくなった来た。毎日の散歩道の川岸に小さな白い花を持つ雑草が生え茂っている。以前から名前が気になっていたが断定しかねていた。ミゾソバと思っていたのだがネットの画像データではみなピンク色の花が咲いている。花や葉の形からタデ科の植物であることは分かるが最近になってミゾソバに白花種もあることが分かった。同じ時期に同じ場所に咲く類縁種にアキノウナギツカミとママコノシリヌグイというのがある。 (Wikipediaより)前者は茎にとげのような毛があり、ウナギでも滑らないという意味、後者はなんと品のない命名であるが継子のお尻ふきの意味らしい、また韓国では嫁のしりふき草の名もあるらしい。いずれも昔の名前だが野草にはしばしばオイヌノフグリとかヘクソカズラとか酷いものがある。因みにフグリは栗を入れた袋の意味らしい。後者に至っては屁と糞を重ねたもので何ともびろうな話である。さらに尾籠な話であるが「尾籠」と言う苗字の人が全国に550人ほどいるそうである。ここまで書いた後散歩の足を少し伸ばして石神井公園に行ってみた。そこで間違いなくミゾソバの群落を見つけた。ズームしてみるとかすかにピンク色でWebで見る画像そのものである。話を前日の散歩の戻すと水辺にもかかわらず背のひくいススキがミゾソバと混在して秋の気配を漂わせている。揺れ動く川面と首を垂れる寸前の薄が季節感を漂わせる。コウゾリナも線香花火のような花序が川面に揺れている。以前から語源に疑問を持っていたが「顔剃菜」らしい、茎や葉に剛毛があり、それが髭剃りを連想させたそうだ。夏時からいつも気になっていたもので、もう一つ線香花火のような花序を持つものにハゼ蘭がある、大きさ5ミリ以下の小さなピンク色の花をさかせる。どうしても名前が分からなかったが今回やっと同定することが出来た。今はもう花は無く実が成っているだけだがこれがまた可愛いのである。下の写真はWebから借りたものであるが、3ミリほどの小さな花でありながらしっかりと5弁の花弁としべが分かる。咲いている花を見る機会が少ないと思っていたが、夏の午後2、3時間しか咲かないとのことで、そのことから三時草(花)、三時の貴公子、三時の天使などの愛称があるそうだ。暑い時間帯には散歩に出ない私のような無精者には花を見る機会は少ないが、今の時期は赤い実が綺麗である。Wikipediaによると赤い実が線香花火を連想させるところからハゼ欄と言う名がある。「はぜる(爆ぜる)」とはホウセンカのように植物の実が十分に熟しパンとはじけることを指す言葉らしい。そういえば我が家でも今日もはじけてベランダに飛び散った初雪草の種を拾い集めているところである。
2020.10.28
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前ブログのタイトルは"Daddy-Long-Legs"である。日本語で「あしながおじさん」と訳されるがこのおじさんの足は右足か左足かそれとも両足か等考えたこともなかった。半世紀以上も前に見た「あしながおじさん」というタイトルの映画の原題名を「ダディー・ロング・レッグ」と思い込んでいたが、今回Webで調べた時「ダディー・ロング・レッグス」が正しいと初めて認識した。私の記憶の中の「おじさん」は一本足と言うことになってしまう。その昔私の知人でアイルランドに移住した日本人夫婦が話したことを思い出した。その人が言うには現地生まれの4才の娘さんが靴下を片足だけつけてもう一方を探しながら"Where is my sock ?" と言ったという。その人はお嬢さんが無意識に靴下の単数・複数とそれに伴う動詞の選択をしているのに驚いたそうだ。話を元に戻そう。英語で原則複数形を用いる名詞として、glasses, scissors, shoes, socksなどがあるということは習ったがこの時動詞は単数形か複数形かは忘れてしまった。"Scissors cut(s) a paper" ではカッコ内のsは必要なのか不要か。Scissors are(is) a pair of scissor等もareかisか分からない。私達の時代,大学の英語の授業は大体英米作家の随筆の講読で、発音、会話、英作文、文法など実用的英語は教えられた記憶がない。したがって私の英語力は実用力・応用力は別として今でも高校3年時が一番高かったっと思っている。最近日本のプロ野球の放送はあまり見ないが後期高齢者の特権で昼前にBSテレビで大リーグの試合をよく見る。スコアがテロップで示され、今日のワールドシリーズでは"0 out"と表示されていた。なぜこんなことを記すかと言えば昨年の放送では確かに”0 outs"となっていた。その時疑問に思って調べてみると「ゼロは複数扱い」という説明に当たりしぶしぶ納得したことを覚えている。天下のNHKが昨年複数扱いをしたゼロを今年は単数扱いをしている。多分どちらも正しいのだろう。"Any"と "some"もややこしい、Web 上にこんな例文が乗っている、"I don't have any pets"の訳として「私は1匹もペットを飼っていません」である。では"I have some pets" はどうだろうか、この場合「私はペットを何匹か飼っています」となり、日本語では単数だったり複数だったりする。少し神経質になりすぎたようだ、所詮言葉は事象を後追いするもので、「言葉ありき」というのは間違いだろう。ゼロに関してゼロ・サム言う語を思い出した。もともとゲーム理論からきた言葉で「あるものが勝利すればそうでないものは敗者になる」という極めて常識的なことだ。つまり両者を足せば”±”ゼロになるということだろうか、ところがこの考えに反して政治やビジネスの世界でよく用いられるのがウイン・ウインという言葉がある。互いに不足するものを物々交換し合う場合ウインウインだが近代的に貨幣を介してそのやり取りをするとゼロサムになってしまう気がする。「あしながおじさん」、ゼロの単複問題、ウイン・ウインとグレードの低い三題噺をになったが、私の誤解・不理解・感違いも大いにありうる。ボロが出ないうちに(もう出てしまっている?)お開きとしましょう。
2020.10.22
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前ブログで私のあしながぶりを披露したが、「あしなが」と言えばすぐに連想するのはアメリカのミュージカル映画「あしながおじさん(Daddy-Long-Legs)」だ。これは1912年女流作家Websterによって書かれた児童文学書の映画化で、タップダンサーのFred Asterとバレリーナ―出身の女優Lesly Caronが共演した名画である。孤児院出身の少女の文才に惹かれ、毎月手紙を出すことを条件に大学までの奨学金を匿名で送る。少女は一瞬垣間見た後ろ姿からこの人をDaddy-Long-Legと呼ぶようになる。当時幅広のスクリーンに映し出される二人のダンスシーンは圧巻であった。”Daddy”がなぜ日本語訳では「おじさん」になったのかは不明であるがストーリーの結末から言ってやはりオジサンがふさわしいと思う。 以降、例によってほとんどWikipedia から学んだことであることを断っておく。少女は下のような手紙を送っている。したがって少女はDaddy-Long-Legsのもう一つの意味も知っていた訳で"A real true Daddy-Long-Legs" と記している。それは手紙に描かれた絵で、これは日本語で「ザトウムシ」と呼ばれる8本の長い足を持つ蜘蛛のような虫である。名前は知らなかったが夕暮れ時古い蜘蛛の巣などの上でよく見かける蜘蛛と同類の虫である(昆虫ではない)。 ザトウムシは豆に針金の足を付けたような虫と表現されるが頷ける。その前足であたりを探りながら歩くことから日本語では「ザトウムシ」とはなはだ不本意な名前で呼ばれている。別名も「メクラクモ」とあまり良い名でないが、英語ではHarvestman(英)とかDaddy Longlegs(米)と呼ばれるそうだ。 よく似たものとしては「ユウレイグモ」とか「ガガンボ」があるそうだ。後者はカトンボ、アシナガトンボ、カゲロウ、ショウジハリなどの別名があり、写真で見る通り6本足で羽を有しれっきとした昆虫である。蚊とトンボの合体、トンボのような翅と胴体、カゲロウの様な薄い羽根、障子の桟上でよく見られることなどそれぞれ納得のいく名前である。「あしなが」で思い出すもう一つのものは「あしなが奨学財団」で昭和三十年代日本経済の成長期に社会インフラが整備されないままに交通量が激増し1日に全国で百人を超える交通死が起き、交番には毎日全国と東京都の死亡事件数が表示されていた。私の記憶では東京の数字がゼロの日はほとんど無かった。そんなわけで交通事故による遺児がたくさん生まれた。そこで1969年に「交通遺児育英会」が設立され寄付を募った。正式名ではなかったが人々はこれを「あしなが奨学金」と呼んでいた。私もこの会が解散するまで細々と献金してきたが、1990年代になって交通システムの整備とともに交通死数は激減した。遺児が減少し、彼らを支える資金は満たされたとして会は解散されたこの解散は私としては唐突感は否めなかった。複雑な事情が有ったようであるが、補助対象を広げてこの事業を引き継いだのが現在も活動中の「あしなが育英会」である。
2020.10.21
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山の観光地ではそろそろ紅葉の季節になってきた。例年であれば紅葉めぐりをしているが、今年はコロナ騒ぎの上に年のせいもあり一向に腰が上がらない。散歩道の色づいた落ち葉に目をやっていると長い自分の影が写っていた。これはまさしく「あしながおじさん」である。戦後私が子供のころ玩具など無かったので屋敷内の竹を切ってきて自分で竹馬を作って乗り回したものである。写真の影ほどでもないが、10歳あまりの少年が50センチ近い竹馬に乗って人通りの少ない道路に出ると違った世界に来たみたいな快感を覚えたものである。上の絵は江戸時代のものであるが私の記憶にあるのもこのくらいの高さはあった。竹馬乗りは自転車と同じで慣れてしまえば歩行は意外と易しいが集中していないと転落することになる。最初と最後が難しい、降りる時は飛び降りれば出来るが乗る時は片足づつなので大変だ。大人に支えてもらうか壁を背にして乗り、それからバランスを採って歩き出せばよい。 西洋の竹馬乗りはスティルト(stilts)と言って膝下で足に固定する。この場合手は自由なのでいろいろなことが出来、大道芸にはもってこいである。したがって下の写真のような光景を私も何度か見掛けたことがある。上野公園当たりの大道芸ではよく見かけるのではなかろうか。画像検索しても見つからなかったが昭和30年代大阪道頓堀の食い倒れ横丁で例の宣伝マンが高足で太鼓をたたいていのるのを見た記憶がある。中国では「竹馬」は日本のようなものではなく、太い竹の頭に鬣(たてがみ)のような紐をつけ、もう一端を斜めに切って子供がこの竹棒をまたいで引きずり、馬に乗った気分にさせるものを言うのだそうだ。そんなことから幼馴染を「竹馬の友」と言う。これは三国志の時代に二人の武将が幼馴染で一人の少年が乗り捨てた竹馬をもう一人が拾って乗ったことをさげすんでいる故事から来たものとされている。日本語の解釈方が素晴らしいと思う。
2020.10.20
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66年前の大学時代第二外国語としてドイツ語を選択した。当時一般教育担当教員の多くは旧制高校の先生たちで、皆個性の強い高い見識を持った人たちであった。私のドイツ語の先生は言語学者というよりはドイツ哲学者で個性のある方であった。前期で一通り文法(と言っても単語の語尾変化だけ)を習い、9月から「さあ諸君これからは太平洋を犬かきで泳ぐようなものだが」と言って文豪ヘルマンヘッセの”Aus meinen Kinder Zeiten”(私の少年時代)という本を読まされた。それが終わると「諸君よく頑張った、今度は科学の本を読もう。私は科学は全く分からないので今度は君たちが先生ただ文法上のことは一緒に考えよう」と言って指定されたテキストは高名な物理学者HelmhorzのFrankfurt大学とHedelberg大学での講演録であった。題名は”über Eis und Gletscher"(氷と氷河について)というもの。この時以来私は氷河と言うものに強い興味を覚えていた。後年スイスやアラスカ、カナダなどを旅した時、務めて氷河の景色を楽しんだのこのためである。1984年の夏休みを家族と共にドイツで過ごす機会が有った。知人にスイスアルプスでお勧めどころを聞くと即座にEggishorn だと言った。聞いたこともない山であった。そこからはアルプスで一番大きなアレッチ氷河が真下に見え、さらにアイガー、メンヒ、ユングフラウは勿論、天気が良ければマッタ―ホルンやモンブランまで見ることが出来ると教えてくれた。下の地図で右下の黄色い線に沿って世界一遅い(Av. 36km/h)特急列車の氷河特急が走るBernard線で、急行などとまらない小さなFieschという駅がある。駅から10分くらい歩いただろうか、ロープウエイの駅があった。道中多くのスキーペンションやシャレーが有ったが夏季ほとんど客はいないようで閑散としていた。今は知らないがその時はスキーシーズン以外は客がいないのだろうと思った。ロープウエイの同乗者はみな巨大なテントと棒を担いでいた。後でわかったことだが彼らはみなハングライダーであった。私はこの時初めてハングライディングというものを見た。ロープウエイを降りてほんの数分ガレ場を登り稜線に出ると、そこはもうEggishorn(2893m)の頂上で眼下に巨大な氷河が横たわっていた。私の写真はもう色あせているのでGoogle Earthの360度写真をお借りすると氷河の先には例の名峰三山がそびえ、美しい氷河の縞模様や所々氷河の中央部に巨岩が散らばっている様子をっきりと認めることが出来た。それにしても美しい光景である。下の写真で氷河の手前の尖がった山がEggishornである。知人からはマッターホーンやモンブランが見えるといわれていたが望遠鏡を持参しておらず、カメラもズーム機能を持っていなかったのではっきりとは確認できなかった。実はこのブログをものしようと思ったのはGoogle Earth 添付の写真で見ればここから本当に見えるかどうかが確認できると考えたからである。下の写真は左方がEggishorn の頂上である、したがってこれは空中写真ではない。黒い矢印のあたりを拡大して中央下部の流れは眼下のアレッチ氷河末端である。そして上部中央左寄りにマッターホーンが、その右にモンブランの姿がハッキリ認められる。私達もこれらの360度写真が撮られた頂上直下の岩場で昼食をとったがその時確かにモンブランが視野に有ったことを確信した。以上がEggishorn頂上から見えるヨーロッパアルプスの名峰である。これが36年前の旅の再現とマッターホルン、モンブランへの思い出話であある。そのスイスの後スイスのゴルナーグラートからマッターホルン、モンブラン直下イタリア側のエルブロンネ峠から眺めたMonte Biancoの雄姿は忘れがたい景観である。
2020.10.14
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前回のブログで金木犀について記した。その後台風14号に伴って居座り続けた秋雨前線のため暫く小雨が降り続けた。昨日日曜日の午後雨が止んだのでいつものコースを散歩した時、雨の前には咲き誇っていた金木犀の花が雨に散らされてすっかり枝を離れ、木の下を黄金色に変えていた。台風が夏の気配をすっかり洗い落として秋を運んできたみたいである。台風14号は日本本土を離れて伊豆諸島を少し痛みつけただけで南下した。この南下と言うのが台風にとっては珍しい行程である。この台風の国際名はチャンホンと言う香港名らしい、台風の影響を受ける可能性のあるアジア14か国が順番に並べたリストから付けるらしい。ちなみに台風とは赤道より北、東経180度より西側の太平洋で発生し、風速17m/秒以上の低気圧の別称である。なぜかアメリカが含まれている。考えてみればグアム島は極東アメリカ領である。グアム島にはアメリカの重要な軍事基地があり、台風の影響はアメリカ領土に及ぶ。そこでJoint Typhoon Warning Center (JTC)という政府機関が台風情報を発している。昨日のJTCホームページの情報を転載すると上の写真で、右上の赤い矢印が台風14号、下の図が進路予想である。この台風はグアム島の南方で発生しているので台風は里帰りに向かっているわけだ。残念ながら望郷の念むなしく熱帯性低気圧に落ちぶれてしまったのは残念である。アジア諸国を荒らして威風堂々故郷に錦とはいかなっかようだ。川に沿った散歩道の下には水辺のプロムナードがあるが、その間の斜面の石垣にはヒメツルソバが群生しており、真冬を除いてほとんど一年中金平糖のような花を咲かせているその葉っぱが色付いてきた。晩秋には全体が赤く紅葉するがそれがそろそろ色付き初めている。まだまだ小さな秋であるがやがて本格的秋が駆け足でやってくることだろう。追加: 上で熱帯性低気圧に落ちぶれたと書いたが、現在の衛星写真が下のもので台風は雨散霧帰したわけでは無く、まだ目の名残を残して渦巻くようすが伺える。あともう少しで凱旋である。もう少し頑張って記録を残してほしいものである。(12日15.30 追記)
2020.10.12
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昨今散歩しているとどこからともなくいい香りがしてくる。私は長年悪臭を嗅いできたせいか臭覚が劣化していて、どことなく漂うかすかな香りというのをあまり感知しないがそれでも金木犀の香りはしっかりと受け止められる。一般に強い香りというものはいやらしいものであるが木犀の香りは例外である。庭木として好まれる金木犀はふつう一、ニ本孤立しているものだが、私の散歩道には十本前後密生しているところがある。それが今一斉に開花しているので公害並み香りである。金木犀にはその仲間に銀木犀と言う花の色が白いものがある。見たことはあるが今近所には見あたらないのでWikipedia から拝借したのが下の写真。いずれも香る木であるが花の密度や香りは金木犀が強い。「木犀」とは変な名前であるが葉っぱの形が動物の犀の足に似ているのだそうだ??雌雄異株で花の付きは雄株が断然多いそうだ。日本には雄株しかないらしい。植木としての苗木はすべて接ぎ木で簡単に作られるそうだ。香りが強いので昔は便所の脇に植えられることが多く、最近ではトイレの消臭剤に用いられることが多く、若い人にはトイレの匂いと認識されることもあという。植物の香り物質としては炭素数が10-15個の分子が多く、脂肪酸のように直線型の分子もあるが炭素が5個で枝分かれした構造のイソプレンと言う単位が2,3個結合しているテルペン類と言う化合物が多い。小さな分子では揮発し過ぎていい香り物質も芳香とはならない。分子が大きすぎても揮発せず空気中に放出されない。メントールは炭素数10個のアルコール、木犀香のひとつの成分であるリナロールも炭素数10個のアルコールである。森林浴は樹木が放出するこれらの成分を浴びることで、私はドイツの黒い森(Schwarz Wald)、オーストラリアのブルーマウンテン、白神山地で経験したことが有る。これらの森から出る植物の分泌物をフィトンチッドと称し、森林浴はこのフィトンチッドを全身に浴びることとされるが外国のそれは濃厚すぎて息苦しい感じさえ覚えるほどであった。日本のそれは杉、ヒノキ、ヒバ、ブナなどの香気でどちらかと言えばまろやかである。このブログを書いていて今は旬を過ぎてしまったが「ニオイバンマツリ」言うやはり芳香を放つ灌木が我が家の屋上植込みにあることを思い出した。早速外に出てみるとまだ2輪だけ白い花と花びらが散ったズイだけが残っていた。アップで撮るとまだかすかに紫の影が残っている。この花は咲き始めは下の写真(Wikipediaより)のように紫色をしている。日が経つに連れて退色し最後には白くなる。これは上品な香りを放つので名前のニオイは理解でき、漢字では「匂蕃茉莉」と綴る。蕃は外国のことで茉莉はジャスミンの類を指すそうだ。そう言えば江戸時代オランダの書籍を翻訳する役所を「蕃書調所」と言いこれは今の東大のそもそもの始まりである。ニオイバンマツリは花の寿命中に変色すると書いたが一日花ではない。それに対して今を盛りの花として酔芙蓉がある。我が散歩道の始まり点に一本の酔芙蓉の木があり、何年か前にブログに記したことが有る。この時は朝から夕方まで一日数回定点写真を撮って白→ピンク→赤と酔っぱらって変色してゆく様子を示した。昨日は一日雨模様で近所の酔芙蓉は夕方になってもまだピンク色であった。今回のテーマは香る木であまり匂いのきつくない酔芙蓉は主題でないので朝と夕刻の花、そして明日咲く白い蕾の写真に止めておく。今回酔芙蓉をここに載せたのはある人のブログで「大人の香りがする」と記されているのを拡大解釈をしたまでである。低温、曇雨のこの日は夕刻になっても真っ赤になるほどは酔っ払いもできずちょっと飲み足らなそうである。
2020.10.08
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中秋の名月のブログを書いていて彼岸にまつわる話として曼殊沙華を思い出した。赤い花なら曼珠沙華 阿蘭陀(オランダ)屋敷に雨が降る濡れて泣いてる じゃがたらお春未練な出船の ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る うつす月影 いろがらす 父は異国の 人ゆえに金の十字架 心に抱けど乙女盛りを ああ曇りかち ララ曇り勝ち平戸離れて幾百里 つづる文さえ つくものをなぜに帰らぬ じゃがたらお春サンタクルスの ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る私が生まれて間もないころの流行歌であるが、ずっと歌われ続けている哀歌である。江戸時代長崎では偉人の男性と日本人の間に生まれた子はそれだけで罪人であった。一種の流人としてジャガタラ(インドネシア)に追放された。お春もその一人で母国への慕情を歌ったのがこの歌である。「長崎物語」という話の主題歌であるがいついつまでも歌い継がれ数えきれない歌手たちが歌い続けてきている。9月末から我が家の植え込みや散歩道で見かけた花をスマホ写真に納めておいた。曼殊沙華は別名ヒガンバナであるがアジアに広く分布し、日本では北は北海道から南は南西諸島まで文字通り全国に自生している。ただ自生していると言っても人工的に渡来したものであるから人跡未踏の地には無い。曼殊沙華・彼岸花と書いたが全国的には異名が沢山あり千近くとも言われている。Lycorinという猛毒を持つので農作物からの虫よけとか田んぼのあぜ道に植えてモグラ防ぎにしたそうだ。また墓地に多く植えられたことから不吉な名前が多い。彼岸の頃地面からいきなり花径が伸び、花が終わると葉が生えてくる。学名はLycoris radiata でLycorisはギリシャ神話の海の精に因みradiataは花弁が放射状に伸びることからである。日本名が多岐に亘るのでタイトルは学名にしておいた。白い曼殊沙華を知ったのは20年くらい前である。新聞の地方版に記事がありそれ以降所々で見かけるようになった。そして最近では大して珍しくもない存在となった。そして最近ではゴールドの曼殊沙華をよく見かけるようになった。こうなるともう赤い曼殊沙華の持つ陰気な印象は吹っ飛んでしまう。白とゴールドの曼殊沙華を左右に従えて赤いサルビヤがなんだか偉そうである。さてこの花は実を付けず球根で繁殖する。白やゴールドの花はほぼ間違いなく人工的と思われるが種を付けい球根植物をどうして交配させるのだろうか。電子組み換えが使われているのかもしれない。
2020.10.04
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一昨夜は中秋の名月であった。ここ何年かはこんなに三夜連続で輝く秋の美しい月を見られたのは無かった気がする。例によってネットで得た知識を昔から知っているような書きぶりで、はなはだ恐縮であるがこのブログのタイトルは「中秋の月」で 文頭は「中秋の名月」とした。以前から仲秋と中秋は何が違うのか疑問に思っていたが今回調べてみると陰暦の八月は通常「葉月」と言うが別名仲秋とも言うそうである。そして7,8,9月が秋でそのど真ん中の8月15日が中秋(の日)でその夜の月を「中秋の名月」と言う。さて今年は10月中にもう一度30日が満月だそうだ。となると今年はもう一度「仲秋の月」を見ることが出来ることになる。空気が澄んでいて空が暗くなってから登るこの日の月は赤銅色から黄金色へと美しく変化してゆき、暗闇から煌々と満月に照らされた街の姿が現れてくる。都会育ちの方々には想像し難いだろうが、戦後の暗い田舎道を歩いていた私は無灯火下での新月の夜と名月の下自分の月影を見ながら歩いた楽しい夜の対比をつい思い出してしまう。粋人は昔から米粉で作った丸い団子をピラミッドに積み上げ秋の薄を生けて月見酒と洒落込んでいた。京都の銀閣寺は月見のために設計されていると聞いたことが有る。銀閣寺から見ると月待山から漆黒の空間に真っ赤な月が登りはじめるのだそうだ。他にも月見櫓を持つ城は松本城をはじめ沢山ある。月見の宴は一族を結ぶ絆を確認するのに必要だったのだろう。さてこの2,3日夕刻7時前後、そしてトイレに起きた真夜中バルコニーに出ては中秋の月をデジカメに納めた。 14日月 9月30日夕刻 14日月 10月1日深夜(1日) 中秋の明月 十六夜月 10月1-2日考えてみればいままでにも月の形や色などについて何篇かのブログをものしてきた。今はもうあまり月について記すこともないのでこれまでとする。
2020.10.03
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