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2006.11.14
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カテゴリ: 「京」ものがたり

今回のテーマは、こちら。

『源氏物語』です。

--◇ 本日のおしながき ◇----------------------------------

・三世代に渡る、壮大な愛の物語なんどすわあ。

・宇治には、千年の時を超えた歴史がおます。


三世代に渡る、壮大な愛の物語なんどすわあ。


源氏物語は平安時代中期1000年頃に、
紫式部が書いた世界最古の長篇小説で、
平安女流文学の代表作です。

帝の御子でありながら、ただの臣下の身分に落とされ、
皇位継承権を失った光源氏の王権復活の物語です。

その構成は大きく3部に分かれ、
全54帖からなっています。

第1部は、光源氏の出生から、
義理の母・藤壷との密通、懐妊。

そして朱雀帝の姫との密会発覚による須磨への流刑。
その後准太上天皇に復権するといった、
光源氏が栄華の頂点を極めるまでの物語。

第2部は源氏の妻・女三宮と柏木の密通による
不義の子「薫」の誕生や、紫上との死別など
光源氏の晩年の憂愁の物語。

そして第3部は、不義の子薫を中心に光源氏の孫・匂宮と
宇治3姉妹との愛と葛藤の物語となっています。

とくに最後の十帖は「宇治十帖」とよばれ、
その部分だけでもひとつの物語になるほどの
独立性のある内容となっています。

源氏物語は、光源氏の一代記と思われがちですが、
桐壺帝(父)から光源氏(本人)、そして薫君(息子)の
三世代に渡る、壮大な愛の物語。

桐壷帝と桐壺の更衣との悲恋に始まり、
薫と浮舟との悲恋に終わるストーリーなのです。

ちなみに、作者の紫式部は970年ごろ、
中流貴族の藤原為時(ためとき)の娘として生まれました。

本名は定かでなく、「紫式部」という呼び名は、
源氏物語の「紫の上」に由来するといわれます。

結婚して娘をもうけますが、3年後に夫と死別し、
その頃から寂しさを紛らわすために
「源氏物語」を書きはじめたといわれています。



宇治には、千年の時を超えた歴史がおます。



源氏物語の舞台は、ほとんどが現在の京都市内ですが、
終盤部分から舞台は宇治へと移ります。

宇治の地は、京都から南都(奈良)へ行く途中にあって、
「都から古い都へ落ちる途中にある」との意味から、
古くから敗残者の住んだ暗いイメージを持った土地と
いわれていました。

「憂(う)し」土地、
つまり「わびしい、悲しい、つらい」という
イメージがあった土地だったのです。

「宇治十帖」に登場する浮舟は
薫と匂宮の二人の男性から求愛を受け、
その苦しい恋に悩み、
つらく悲しい人生を生きたさすらいの人。

そんな悲哀物語を描くには、
宇治がぴったりの舞台だったのでしょう。

また宇治には、藤原道長の栄華の印である平等院があり、
風流の源である宇治川が流れ、王朝絵巻を
そのまま風景にした景色が存在します。

源氏物語にふさわしい舞台でした。

現在の京都市内は、戦国時代の度重なる戦火や
明治以降の近代化などで、残念ながら源氏物語が執筆された
当時の面影はほとんど残っていません。

しかし宇治には1000年近く経った今でも、世界遺産の平等院や
宇治上神社をはじめ、王朝時代の名残が所々にあって、
物語の情景を想像することができます。

平成の世には、伊藤久右衛門本店近くに
「宇治源氏物語ミュージアム」が誕生しました。

当時の復元模型や映像を通じ源氏物語と
平安の世界に親しめる博物館として高い評価を受けています。

文学の秋には、
当時の王朝貴族の華やかなりし時代を感じに、
ぜひ宇治へお出かけください。

今日もちょっと京都通。

美しい古都に思いを馳せつつ、
おいしいお茶を飲みながら、
はんなりとした時間をお過ごしください。

宇治茶 伊藤久右衛門





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最終更新日  2006.11.14 07:13:29
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