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2011.04.21
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人生って捨てたものじゃない

映像と詩と歌が響き合う「愛燦燦」

「あの映像には、明るすぎるかなあ......」「年が明けた1986年1月小椋佳さんが歌うデモテープ聴きながら、岩上昭彦さんは、正直そう思った。映像を見た小椋さんが作詞・作曲した歌は「 ( わだち ) 」というタイトルだった。赤土の大地を家族が馬車で家路へ急ぐ場面からイメージしたのだろう。テンポも軽やかだ。
 コロムビアの担当ディレクター宅間正純さん(56)は「包容力がほしい」と感じた。広告主の「味の素」も同じだった。
 境弘邦さんを通じ、小椋側に取りかえを丁重に伝えた。「夢芝居」(82年)、「泣かせて」(83年)など大ヒットが続き、小椋さんには作詩の依頼が殺到していた。
 「兄貴は30曲以上の宿題を抱え、銀行の仕事も重なって大変な毎日でした」。実弟で小椋さんの窓口だった神田善啓さん(59)は振り返る。売れっ子シンガー・ソングライターヘの「ダメ出し」である。「小椋さんが怒って、企画がつぶれるかも知れない、そればかり考え、「一日が長かった」。岩上さんは思い出す。
 3週間後、取り換えのテープが届く、小さく「愛燦燦」とあった。
雨燦燦と この身に落ちて~
 あの会議室に、小椋さんの透明な声が流れた。語りかけるように優しい言葉が続いていく。「やつた!!!」岩上さんは心の中で叫んだ。
 「鳥肌がたった」と境さんは言いう。「若者の心もつかんで、ひばりさんの新しい時代を確信しました」


-- 人生、いろいろあったけれど、いまは優しい家族に囲まれ、貧しくても幸せな日々が続く。生きることは素晴らしい。人生は結局、そう捨てたもんじゃない。「母親を見ながら、思ったのです」
 夕立の後の太陽に、「燦燦」という言葉が浮かんだ。「愛燦燦」はどうだろう。「燦燦」から、雨が降るさまの「潸潸」、そして風が吹くさまの「散散」韻を踏むように、「ひとつの人生を描きたかった」
 86年3月6日午後6時半、東京・赤坂のコロムビア第2スタジオで「愛燦燦」の録音が始まった。ひばりが歌いだした。「すごかった。僕の歌をすべて自分のものにして歌っていた」。ひばりが繰り返し練習してスタジオ入りしたことは十分に分かる。「天オだつて、努力です」。小椋さんは私にそう言った。
 3カ月後、「味の素のCMは視聴率の高い午後7~9時台に放映された。「美空ひばり」のクレジットはなかった。「この歌、誰?と思わせ、印象を刷り込む」(神田さん)作戦だった。映像と詩と歌が混ざり合い、レコードは日を追って売り上げを伸ばした。
 こんな話がある。「愛燦燦」に先だって、アルバム「旅ひととせ」の2日続きのレコーデイングがあつた。第一勧銀(現みずほ銀行)の財務サービス部長だった小椋さんは午後1時からの録音に、仕事で立ち会えなかった。ひばりは宅問さんに「なぜ、作家が来ないのか」とただすように聞いた。録音直前の作家の意見を彼女は大切にしてきた。
 「おつとめです」と宅問さんが言うと、ひばりは「大変なのねえ」と気の毒そうな顔をした。小椋さんが銀行員とは知らず、「おつとめ」を刑に服する意味に誤解した。
 10日後の「愛燦燦」の録音はひばりには異例の夜間に設定された。小椋さんへの、彼女の計らいだった。
 東京都目黒区の「ひばリプロ」社長室で、ひばりの息子の加藤和也さん(39)に「おつとめ」話をした。
 「おふくろらしいなあ。家族にいろいろあつたからなあ......」。座が一気に和んだ。
 中2のときだった。ひばりはこの頃から体調が悪く、自宅にいることが多かった。学校から帰ると、CMのビデオが届いていた。
 パンクロツクにこっていた14歳でも、いい歌は分かる。「優しいね」と和也さんが言うと、「そうでしよう、絵(映像)もすてきね」。短い映像を何回も繰り返した。6月、2人で夕食をとっていた。居間のテレビにCMが流れた。ひばりはあわてて録画しようとした。「ビデオは家にあるのに、入れ込んでた。思い入れの歌だったのでしょう」


 「川の~」には「歌手・美空ひばりの意地を感じる」でも、「愛燦燦」には「あの人の我がない。何のこだわりもない。ただ、自然に、自由に歌っている」。こう続けた「僕はあの歌におふくるの加藤和枝を感じます」

 岩上さんはいま、ハワイ・オアフ島にいる。97年にホリプロを退社し、職場結婚した妻久実さん(46)とその年に移住した「結婚式を挙げるカツプルのために記念ビデオや写真を制作する小さな会社をホノルルに設立し連日、協会や礼拝堂を走り回る。久実さんはヘアメークの米国免許を取り花嫁の髪を整え、夫が働く晴れの場へ送り出す。
 「愛燦燦」はハワイの日系3世4世の圧倒的な愛唱歌である。日本語ラジオのカラオケ大会で歌われ、土曜朝の音楽番組で流れる。岩上さんはそのたびに聴き入つてしまう。
25年たつても、うれしい。「この歌.僕が作ったんだって、誰かに教えたくなるんですよ」照れぐさそうに言つた


「愛燦燦」が流れるCMの撮影が行| われたハワイ・オアフ島北部は、毎年サーフィンのワールドカップが開かれるノースショアが有名だ。ホノルルから車で約1時間、ハレイワには古い看板の商店やくすんだ壁の木造民家が並ぶ。1800年代後半に日本人移民や宣教師団が定住し、橋や教会がつくられた。町の中央には、ハワイ最後の女王の名がついたリリウオカラニ教会がある。その向かいにある「マツモト・ストア」はシェァプアイス(かき氷)で知られ、日系移民たちが激しい農作業の合間にのどを潤したという。数種類のシロップをかけたレインボーが人気で連日、長い行列が出来ている。並びの「アオキズ・シェーブアイス」も、良きライバル店として親しまれている。近くには、特産のカフクエビを料理する路上レストラン「マッキーズ」や「ジョパンニ」がある。派手なペンキで飾られた中古バスの「調理室」で作られる新鮮なエビ料理はおすすめだ。



                    朝日新聞、斎藤 鑑三記者の文
                    朝日新聞、be on Saturday


Postscript
「味の素」ハワイのサトウキビ畑のCM撮影はシリーズで4年続いた。現在撮影現場を訪れると、そこは残念ながら一面パイナップル畑に変っていた。





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最終更新日  2013.01.08 08:37:07
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