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皆様お元気ですか・・・?
今日お話ししたいとおもっているのは、「ハワイのメイ」についてです。
メ イ
皐月(さつき)、五月はハワイ語でも「メイ」と云います。元々ハワイの言葉にもある音ですので、英語発音がそのまま受け入れられたのでしょう。
ハワイ諸島では、日本のようにはっきりした四季の区別が感じ取れませんし、元来ハワイにはマカヒキと呼ばれる冬の四ヶ月とカウヴェラ=「熱い季節」と云う二つの季節しか有りませんでした。
五月になると太陽が頭上に近づき日差しも強くなり、木々には花が咲き、何とも明るい感じがしてきます。 これから数ヶ月、皆さんの目を楽しませてくれる花は、街路樹としても植えられているシャワーツリーでしょう。ホノルル空港を降り立ったところからワイキキに至るまでの道路にも各所に植えられています。インド原産のゴールデン シャワーの黄金に輝く花と、自然にかけ合わされた何色もの花が咲くレインボー シャワーの小さな花びらが貿易風に舞う様は、紙ふぶきのようにも見えます。
そして、生花を摘んで心を込めてレイを作る習慣のあるハワイでは、五月一日のメイデーを「レイデー」と呼び、子供の頃からレイに慣れ親しんでいます。
同じ言葉に幾つかの意味合いを重ね合わせるのがハワイ語の特徴でもあります。「花」を「プア」と云いますが、プアは、同時に子供や子孫の意味も持ち合わせています。「プア アリイ」は王家の子弟を指します。1858年5月、大王の孫にあたるカメハメハ四世とエマ女王に待望の赤ちゃん、アルバート王子が産まれました。外来の病気によるハワイアンの人々の急激な人口減少に悩まされている最中のハワイ王国にあって極めて喜ばしい出来事でした。人々は歓喜し、パンチボールの丘からは祝福の大砲の音が町中に響き渡ったと伝えられています。
しかし王子は、両親や王家の人々と国民の失意のもと、四歳にして亡くなってしまいます。四世は、英国のビクトリア女王を名親に、死の直前の息子にキリスト教の洗礼を受けさせる事にしました。ハワイ歴代の王は英国の王家との関係を重視していたと思われます。特に、四世と、英国人の血を四分の一受け継いでいたエマ女王は、英国国教のハワイ王国への招聘に事のほか熱心でした。
英国のビクトリア女王に嘆願し、カンタベリー大主教の命によりハワイ教区主教に選任されたステイレー牧師が、王子の洗礼に使用する為にビクトリア女王から贈られた銀の聖杯を携えて1862年に来島しました。しかしアルバートの死には間に合わず、洗礼はカワイアハオ教会の牧師により行なわれていました。ビクトリア女王から贈られた銀の聖杯は、エマ女王の夏の離宮に今でも展示されています。
四世はホノルル中心部の王領を分け与え、その場所にアングリカンチャーチの教会が建てられました。ハワイ州議会会議場の山側、州知事公邸ワシントンプレイスの西側に建つ米国聖公会の主教座大聖堂セント アンドリュース教会がそれにあたります。
プアのもう一つの意味、花の話題に戻りますが、木々と草花をもっと楽しんでみたい方は、緑豊かな山間へのハイキングをしてみては如何でしょう。ハワイの美しさは紺碧の海ばかりではなく、高く連なる緑の山々にもあり、ハワイアン音楽にもその情景が好んで歌われています。
ワイキキに近い手軽なコースは、ハワイ大学のキャンパスの在るマノアの谷の奥にあります。高くそびえるコウラウ山脈の峰から流れ落ちる滝の近くまでの山登りです。日本語ガイドによる自然の木と花の説明を受けながらのハイキングも楽しめます。滝の清水はマノアの谷を下り、ワイキキへと流れていきます。今はアラワイ運河に流れ込んでいますが、運河が造られる以前は今のインターナショナル マーケット プレイスからアウトリガー ワイキキ ホテルのあたりの海岸に流れ込んでいました。
浅沼
正和
ビショップ博物館でボランティア ドーセント(案内人)を務め、博物館のメンバー組織の代表機関 "Bishop Museum Association Council" にも参加。ハワイとポリネシアの歴史文化の紹介に力を注いでいる。ハワイ在住通算20年、ハワイ日米協会やアロハフェスティバル等の非営利財団理事も務める。
ビショップ博物館ウェブサイト http://www.bishopmuseum.jp/
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