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ALOHA
!!
今日お話ししたいとおもっているのは、「ハワイのイウライ」についてです。
イウライ
文月。七月はハワイ語で「イウライ」と云います。英語のJulyが転訛した言葉です。
容赦なくジリジリと照りつける真昼の日差しはかなり強いのですが、貿易風の吹く木陰に入ればとても快適に過ごせる夏のハワイです。
北半球が冬の間、ワイキキ海岸から見るオレンジ色に輝く大きな太陽は、西の太平洋の彼方に沈んでいきますが、日が長くなるにつれ日没の地点は序々に北に移り、ワイキキやアラモアナビーチのマジックアイランドから見る七月の太陽は、オアフ島の西部、ワイアナエ山脈の南の山麓に落ちていきます。
ワイキキの東、ダイアモンドヘッド近くのカイマナビーチでの日暮れ時の光景も一見の価値があります。ここはヤシの木とハウの木に囲まれた、ワイキキの喧騒から離れた小さな海岸です。ビーチ東隣のカヌークラブからはアウトリガーカヌーを力強く漕ぎ出す様子が見え、西側にはピンク色のロイヤル ハワイアン ホテルを真ん中に、ワイキキのホテル群が建ち並び、その左手の大空をホノルル空港から飛び立つ飛行機が徐々に高度を上げて行きます。その奥には、オアフ島の西半分を占めるワイアナエ山脈が遥か彼方に広がり、この島の大きさを物語っているように見えます。
そして夕暮れ時には、タグボートに引かれて沖を航行する、隣島に物資を運ぶ艀の前を、サンセット クルーズの観光船が何隻も行きかい、リゾート地ならではの風景を醸し出します。
ワイキキ周辺のビーチから見る太陽は、五月始めには島の南西端、バーバーズ ポイント近くの山裾にある小さな火口丘、プウ オ カポレイの真上に落ち、ハワイアンの人々は、その日を境に日没がそれより北のワイアナエ山脈にかかる時期を、夏の暑く乾いた季候の時期「カウ ヴェラ」と呼んでいました。夏が終わり、日没がプウ オ カポレイより南に移ると、序々に湿潤な冬のマカヒキの季節へと近づいていきます。
2009年は、5月2日土曜日に、夏の季節の初めを祝い、カイマナビーチ隣のワイキキ水族館で、古来の儀式が再現されました。カポレイの丘の上に沈み行く西の太陽に向かい、ほら貝を吹きチャント(詠唱)を詠い、その後、東、北、南に向かって同じ詠唱を繰り返し詠い夏の到来を祝いました。儀式が無事終了し皆がその余韻を楽しんでいる頃、空は暗み始め星が一つ一つ見え始めました。
カイマナビーチの山側にはカピオラニ公園の緑の空間が広がっています。
遠くマーノアの谷の向こうにコオラウ山脈の峰々がそびえ、日没後の天空には少しずつ夏の星座が見えてきます。北極星と北斗七星を見つけるのはそれ程難しくはないでしょう。
そして七星のししゃくの柄を同じくらい伸ばしたところに、オレンジ色に輝く牛飼い座の一等星、アルクトゥールスが頭上に差し掛かります。これが、ポリネシア人がハワイの島々の緯度に到達するのを見定める為に使った星「ホクレア」です。
夜の時間が経つにつれ、ホクレアを追いかけてくるように東から、こと座、白鳥座、そしてわし座が夜空に広がります。学校で習った事のある「夏の大三角形」の登場です。子供の頃聞いた、七夕の織姫と牽牛の童話も思い出す、夏の星座です。
七月のホノルルでのサンセットは七時十五分前後。島と大海を熱していた太陽が西に傾き、少し涼しくなりほっとする夕刻の浜辺で、夏の日没と星空観察も楽しめるハワイです。
ところでオアフ島南西端の丘、プウ オ カポレイは、H-1フリーウエイのマカキロ出口を出て左手(南)すぐのところにあり、頂には昔ヘイアウ(祭祀場)があったそうですが、今はアーチェリー場に使われており、あまり目立つ存在ではありません。
丘の周りのカポレイ地区は以前、砂糖キビ畑が一面に広がる場所でしたが、昨今、新しい商業地区やハワイ大学西オアフ校のキャンパス、新興住宅地として開発整備され、その情景が「カントリー」から「タウン」のおもむきに、年々変化を遂げている地域でもあります。
浅沼
正和
ビショップ博物館でボランティア ドーセント(案内人)を務め、博物館のメンバー組織の代表機関 "Bishop Museum Association Council" にも参加。ハワイとポリネシアの歴史文化の紹介に力を注いでいる。ハワイ在住通算20年、ハワイ日米協会やアロハフェスティバル等の非営利財団理事も務める。
ビショップ博物館ウェブサイト http://www.bishopmuseum.jp/
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