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今日は「土用の丑」の日です。
夏バテ予防の代名詞「うなぎ」
江戸時代に花開いたうなぎ料理の歴史
香ばしい匂いが食欲をそそる夏のスタミナ源、うなぎ。
奈良時代に編纂された「万葉集」にも夏バテの予防食として登場する程、その効用は古くから知られていました。実際、うなぎには疲労回復に効くとされているビタミンやたんぱく質が豊富に含まれており、厳しい暑さを乗り切るには最適な食材なのです。
土用の丑の日にうなぎを食べる習慣は、江戸時代に始まったといわれています。その起源には諸説ありますが、最も有名なのは、発明家としても名を馳せた蘭学者・平賀源内を仕掛け人とする説だ。近所のうなぎ屋から「夏場は客が少なくて困っている」との相談を受け、源内が「本日、土用の丑の日」と書いた紙を店先に張り出すように助言したところ店は大繁盛。他のうなぎ屋も真似をしたことで、「土用の丑と言えばうなぎ」と言う意識が定着したと言います
ちなみに土用と言いますと、立春・立夏・立秋・立冬前のおよそ18日間のこと。12日周期で割り当てられる十二支の「丑」に当たるのが「土用の丑の日」となるが、立秋前の夏の土用(7月20日頃〜8 月6日頃)は二十四節気の大暑に重なるため、身体によいものを食べて精をつける風習があった。さらに、土用の丑の日に「う」のつく食べ物を食すと夏バテしないという俗信もあり、平賀源内もこれにヒントを得たようだ。
うなぎ料理の代表格である蒲焼きが初めて文献に登場したのは、室町時代に京都で書かれた「鈴鹿記」だとされている。当時は丸々一匹またはぶつ切りにしたうなぎを串に刺して焼き、塩や酢みそなどをつけて食べていたようで、その姿形が植物の蒲の穂に似ていたことから「蒲焼き」と呼ばれるようになったとの説もある。
うなぎの蒲焼きが今のようなスタイルになったのは、江戸時代後期。濃口醤油やみりんの普及に合わせて甘辛のタレをつけて焼く調理法が生まれた。うなぎを割いてから焼くようになったのはこの頃で関東では背中から、関西では腹から開く方法が定着した。
一説では、武士の町江戸では腹びらきは切腹に通じると背開きに、商人の町上方では腹を割って話せるように腹びらきとなった、といわれている。
さらに、関東ではうなぎの頭を落とし、一度素焼きしてから蒸してタレをつけて焼くのに対し、頭をつけたまま串を打ち、タレをつけて焼く。そのため関東のかば焼きは、ふっくら柔らかめ、関西はパリッと香ばしく仕上がるのが特徴です。
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