全6件 (6件中 1-6件目)
1
![]()
離婚に関する実務書は多いものの,民法770条5号にいう,「婚姻を継続しがたい重大な事由」(以下,長いので「重大事由」)だけに絞った本というのは珍しい。最近は,不貞慰謝料に特化した書籍や,婚姻費用・養育費に特化した書籍も出ているので,最近のトレンドは特化の時代なのかもしれない。判例に学ぶ 婚姻を継続し難い重大な事由 [ 本橋美智子 ]さて,本書であるが意外に薄い。たったの200頁くらいしかない。それでいて90頁~200頁は参考判例の紹介という体裁を取っているため,重大事由を理論面から掘り下げるところはさほどない。しかも,本書はなぜか離婚慰謝料について章を立てて15頁ほど論じているため,ますます重大事由についての分量は少なくなると言う仕組みである。この点は少しいただけない。ただ,重大事由はさまざまな要因が混在する事例判決としかいえなものを分析し,一定の法則性を見いだすという作業は大変だろうし,究極的には裁判例を紹介してケーススタディをさせる,というほかはないのかもしれないね。そんな判例紹介部分は,著者が要約してくれたり,簡単な評釈を入れてくれるのでずいぶんと助かる。感想として,とりあえず2点ほどあげみよう。重大事由というものを検討するにあたって,事例判決の集積のような裁判例からではなく,学説に触れないわけにはいかないのだが,さまざまな学説が紹介さえれていて,これは興味深い。僕としては,正直言ってもっと簡単に,一方が離婚を求めて1年くらい別居しているというのならば,国家が強制的に婚姻状態を続けなくても良いのではないか,というかなり過激な思想を持っている。ただ,反対説にも傾聴すべき理由はあるのだな,と思い至ったところは収穫である一方で,僕とさほどかわらん考え方の学者がいるというのは心強い。よく考えてみれば,結婚を神聖視して離婚は許さない,という思想は西洋キリスト教のものであり,文化的にそこまでこだわらなくても・・・とは思うのだ。とりあえず,後半の判例紹介パートは綺麗に整理されているので必要に応じて読み返すだろうな,という感じ。本棚に並べておこう。判例に学ぶ 婚姻を継続し難い重大な事由 [ 本橋美智子 ]
2020.09.19
コメント(0)
![]()
法律用語にはかなり独特な,一般用語からかけ離れているものも多く,だとえば「善意の第三者」なんかは法学部1年生が真っ先にぶつかるものだろう。この場合の「善意」というのは「事情を知らない」という程度の意味であって,そこに道徳的な意味は全くない。なぜこんな変な言葉使いをしているのかと言えば,ドイツ語の法学用語をそのまま当てはめているからだそうだ。これは事情を知れば,とりあえずは納得できる。ここで,僕が法学部1年生くらいからずっと分らないのが「わら人形」という言葉である(以下,「藁人形」という表記もあるが,引用をのぞき,「わら人形」に統一)。今日現在(2020年9月18日)の判例データベースで,「わら人形」あるいは「藁人形」で検索して,比較的上に出てくる新しい事案から引用すると,こうだ。弁護士報酬を負担してでも)弁護士をいわば「わら人形」として介在させることにより、第2請求が不正請求であることが発覚した場合であっても、弁護士の関与を理由に被告会社及び被告Y1の善意を偽装して責任を回避しようとするためであったと考えられ・・・(東京地方裁判所平成30年11月30日第一法規判例ID29052987)逆に,一番古いものがこれだ。換言すればb漁業協同組合なるものは、その背後に存在するb漁業会の傀儡であり、藁人形たるに過ぎず、単に外部に対する関係に於て別個の存在の如く見えるものに止る(東京高裁昭和24年10月31日高等裁判所民事判例集2巻3号467号)。2つめに引用した昭和24年の東京高裁では,「傀儡であり,藁人形たるに過ぎず」と述べているように,裁判所は「藁人形」あるいは「わら人形」を「傀儡(かいらい)」というのと同じ意味で使っているのが分る。つまり,裁判所は少なくとも昭和24年ころの時点でこういった意味で「わら人形」という言葉を使っており,現在も使い続けていることがわかる。司法試験の受験生の頃に読み込んでいた基本書というものをほとんど手放してしまったのだが,たしか基本書でもこういった使い方をしていたように思う。なぜ,僕がこの「わら人形」に突っかかるかと言えば,法学以外で「わら人形」を「傀儡」と同義語として使う例を見たことがなかったからだ。試しに辞書を引いてみても,「呪いの藁人形」だとか,「藁でできたかかし」などの意味は確認できたが,傀儡という意味で書いてている辞書は見たことがない。なお,ここで「傀儡」(かいらい)というのは何か。この「傀儡」(かいらい)というのはつまり,お手元のスマホで「くぐつ」と打ち込んでみたら「傀儡」と変換されることから分るように,「操り人形」という意味である。よく使われる言葉でなら,「傀儡政治」というのがあるが,実権が名目上のトップではなく,そのトップをあたかも操り人形のように扱う者がいる政治形態を指す。なぜ,「傀儡政治」という言葉が生まれたのかといえば,やはり傀儡,くぐつには最低限の関節がついていて,ヒモなどで動かせるからだろう。一方でわら人形はどうかといえば,関節はついていないのが一般的だ。どう考えても,自在に操れるものではない。そうすると,「わら人形」を「傀儡」という言葉と同じ感覚で使うのは明らかにおかしい。法学的にはともかく,「わら人形」ということばを「傀儡」ということばで使うのは,どうも日本語的には誤っているように思うのだ。なお,1つめに引用した事案だと,傀儡というよりは,責任回避の身代わりというようなニュアンスも見られ,これならばまぁ,いいかな思うところはある。すなおに「傀儡」という便利な言葉があるのに,意味の通らん「わら人形」という言葉を使い続けるのは,どうも違うんじゃないか,とかれこれ20年近く考えているのだが,賛同者が一向に現れない。悲しいことである。からくりサーカス(1)【電子書籍】[ 藤田和日郎 ]
2020.09.18
コメント(2)
![]()
いったんキン肉マンの感想は休止することにします。また,事情が変われば再開するかもしれません。キン肉マン 1【電子書籍】[ ゆでたまご ]
2020.09.14
コメント(2)
![]()
異種族レビュアーズのアニメも終わったけれど,漫画の方はまだまだ続いております。アニメの方はエロ以外にもスタンクたちの冒険者としての活動が描かれていたり,文字中心のレビューをうまくアニメにしていたし,「好評のうちに終わった」といえるのだろう。なお,放送中止になった局もあるそうで,それも込みで成功だろう。だって,こんなアニメが普通に放映できる方がおかしいのだから・・・。異種族レビュアーズ 5【電子書籍】[ 天原 ]さて,5巻なのだけど原作者の天原先生のコメントをみると,今巻はアニメの放送を見ながら描いた話が多いので,影響されて1巻2巻の頃のキャラが再登場している話が多めの巻になりました。とある。言われてみれば原点回帰というわけではないが,新キャラや新たなサキュ店をガンガン出しまくるというのではなく,これまでのキャラの掘り下げなんかが行われていて,作品に深みが増したように思える。さて,目次はおおよそこんな感じ。この漫画はサブタイトルがなく,目次を見ても内容が分らんので,備忘的な意味も込めて僕の方で適宜サブタイめいたものをつける。第36話 耐火リングとサラマンダー編第37話 天使と世界観編第38話 ゼルの回想編第39話 アラクネ編第40話 訓練所ダイエット編(前編)第41話 訓練所ダイエット編(後編)第42話 ウンディーネ編こうしてみると,36~38話は過去キャラや過去のサキュ店が再登場する話だとか,世界観の解説回ということになる。39話と42話は普通にサキュ店のレビューをする回になっているのだが,42話はスタンクとゼルがサキュ店レビューをしないという,ちょっと珍しい回になっている。この漫画,基本的にたまり場となっている食酒亭で雑談後,サキュ店に行き,レビューをして終わりという黄金パターンといえばいいが,マンネリに陥りやすいところがあるのだが,決してそうはならんというように,微妙にパターンを変えてきているのが心憎い。また,サキュ店の紹介ばかりではなく,スタンクたちの冒険者としての描かれていてこの辺も楽しい。個人的に気に入ったのを2つほど紹介したい。1つは,38話。ゼルの回想編である。この話は・・・,ネタバレはやめて虚心坦懐に読んで欲しいので内容に踏み込んだ感想が非常に描きにくい。僕はまっさらな気持ちで1回読み,仕掛けを理解した上出もう1度読み返した。そうすすと,1度目とはまた違った感想がわいてくるのである。たんにサキュ店に行き,エッチして帰ってくる。それだけの話で感動・・・といってしまうとなんだが,心は間違いなく動かされる。この話も恐らく,アニメから設定を逆輸入したのじゃないかなと思うが,アニメがいい影響を与えているのだろう。2つが,40~41話。ダイエット編である。レビュアーズたちも,命がけの冒険をせずとも,エッチしてレビューするだけで収入を得られるというので,最近はたるんできた。ジムとサキュ店が合体したような店で楽しもう,という話である。このとき,スタンクの素性がちょっとだけ語られる。(5巻101頁,天才児も大人になると・・・)アニメ版や小説版だと父親がハーレム持ってるとか,元々は貴族の坊ちゃんみたいな話があったけれど漫画版でははじめてかな。年齢もこれで「(剣術大会優勝が)十何年も昔の話」と言っていて,「二十何年も前」と言っていないので,ギリギリで二十代・・・なのかな。顔を見る限り,てっきり三十代前半から中盤くらいだと思ってた。無精ひげを生やしているから,ちょっと老けて見えるのかもしれない。どうも最近は,小説版の影響からか,スタンクたちがサキュ店で遊ぶところもいいのだが,キャラの掘り下げなんかも楽しいと思えるようになって来た。かつて天才児だったスタンクが,エリート街道を捨てて遊び人になる経緯なんかの過去話も気になるところ。まだまだ連載の続きを読んでいきたいものだ。異種族レビュアーズ 5【電子書籍】[ 天原 ]過去感想・4巻感想・3巻感想・小説2巻感想
2020.09.12
コメント(0)
![]()
「あれは歴史書ではない,小説だ」という批判は大きいものの,恐らく「塩野七生の『ローマ人の物語』で古代ローマを学んだ」という日本人は少なくないだろう。カエサルの時代やらネロの時代やら,飛び地のようにして古代ローマに触れる機会はあるものの,日本人が書いたものだと塩野七生の著書以外で全編通してローマ史に触れられる書籍というのはあんまりないように思う。僕も,『ローマ人の物語』は,全巻読んだ,とまではいえないものの,10巻かそこらまでは読んでいる。だが,途中で挫折してしまったので,そのあたりの話をしていきたい。ローマは一日にして成らず──ローマ人の物語[電子版]I【電子書籍】[ 塩野七生 ]色々と理由はある。全15巻と長すぎる。冗長だ。また,隙あらばインフラ話をするのだが,第10巻の1冊をまるごと使って延々とインフラの話をする巻はどうも辛かった記憶が大きい。ただ,最大の理由はローマ人至上主義とも言える歴史観がどうも肌に合わないからである。塩野七生はどうやらローマ人が好きなんだなぁ,というのが行間から読み取れるし,ローマ人を最高の民族だと思っている節がある。そのあたりは別にいいのだが,それ以外の民族をかなり下に見ている傾向が強い。僕が色々と我慢できなかったのは,「蛮族」という表現である。『ローマ人の物語』は,塩野七生の言う「蛮族」との抗争の歴史という側面がある。塩野七生はどうも,地の文で「蛮族」という言葉を連発しているし,どうもこの「蛮族」が好きじゃないようだ。適当に『ローマ人の物語』を手に取って,適当に開いた頁をみるとこうだ。「また,蛮族やペルシアという強力な外敵への対処に集中せざるをえなく,国内の治安にまで手が回らなかった時期が長く続いたことも,盗賊集団の横行を許した原因の一つであった」(塩野七生,『ローマ人の物語13,最後の努力』新潮社25頁)」「北方蛮族の侵略が激化した三世紀からすでに,騎馬戦力を主とする蛮族に対抗するためにローマ軍も,伝統であった重装歩兵から騎兵に,軍の主戦力を転換せざるをえなくなった(塩野七生,『ローマ人の物語13,最後の努力』新潮社234頁)」この「蛮族」という呼称には2つの面から問題があると思う。1つは差別的ではないか,とういこと。蛮族というのは要するに,文化的な程度が低い,野蛮な民族の意味だ。たとえば,テレビニュースでキャスターがお隣の国の人を「蛮族」と言おうものなら炎上は避けられない。蔑称だし,差別の意思がありませんでした,は通用しないだろう。別に,小説の中でカエサルがガリア人に対し,「あの蛮族どもめ・・・!」と発言するというのはそれはいい。そういう差別意識が当然の世界観なのだし,キャラクターの個性も出る。でも,地の文でいちいち蛮族呼ばわりする必要はないだろう。だいたいにおいて,ローマ人がそれほど文化的で素晴らしい民族なのか?なんか好戦的で戦争にはやたら強く,どんどん領土の拡大をしてくる。剣闘士が殺し合う見世物を楽しんだり,嘔吐してまで美食を腹に詰め込んだりする。これも野蛮ではなかろうか。2つは,この「蛮族」というのがどの民族のことを指しているのか,一読してわかりにくくなること。1つ目の引用を見て分るとおり,塩野七生はペルシアやカルタゴなんかを蛮族とは基本的に言わない。傾向を見る限り,塩野七生が「蛮族」という呼称を使うのはケルト人やゲルマン人だ。恐らく,著者から見てこれらの民族は文化的な程度が低いというのだろう。著者には文脈によって「蛮族」というのが分るのだろうが,読者にとってそのへんは明確ににならず,どの民族か読み取れない。こんなことを言うと,言葉狩りだと言われるだろうかもしれない。「鮮卑」だとか「蒙古」だとか,中国人は異民族の名前に対し,マイナスイメージのある漢字を当ててきていたし,日本語にも「南蛮」という言葉が残っている。こういった歴史的な用語も差別的だから使うな,ということにもなりかねない。ただ,塩野七生が「蛮族」という言葉を使うのは,そもそも必要性が感じられない。素直にゲルマン族だのケルト人だの,もっと適切で明確な言葉を使えばいいだけである。そんなわけで,読んでストレスがたまるため,『ローマ人の物語』は途中で挫折してしまった。気にしなければ良かったような気もするのだけれど。最後の努力──ローマ人の物語[電子版]XIII【電子書籍】[ 塩野七生 ]
2020.09.08
コメント(0)
![]()
前回のレオパルドン再登場にTwitter業界もずいぶん盛り上がったのだが,ここでゆで先生から「スクショはやめてね」と注意があったので,キン肉マン感想はスクショなしでいきます。嫌だと言われたら仕方ないので,今週から連載時の感想から画像は消えます。なお,色々キン肉マンの研究しているものについては単行本からの引用にする予定。これは画像がないといまいちわからんから。さて,今週はレオパルドンのターンです。前回,マンモスマンに0.9秒で敗退したレオパルドンが,0.9秒の向こう側に挑むのだ。サブタイトルだけ見ると,まるで陸上競技やモータースポーツのように思えるのだが,これがプロレスの試合だというから微妙な感じです。ギリギリ1秒にも満たない,というのがレオパルドンの悲しさを演出している。そんなレオパルドンの台詞も,「ここに立っていさえすれば・・・。俺は強さを証明できるーっ!」(320話web版11頁)となっているが,これはアレだ。映画『ロッキー』で主人公のロッキーが,「最終ラウンドのゴングが鳴って,それでも立っていられたら,俺はただのチンピラじゃないことを証明できるんだ。」と恋人に語りかけるのを思い出させる。そう,これはレオパルドンにとってのタイトルマッチなんだ。簡単に勝てないことはレオパルドンにだって分っている。それでも,男ならばリングに立たなければならない,ということだってあるだろう。で,レオパルドンの技なのだが,左腕の銃身から弾丸を発射する「レオパルドン・パンツァーショット」,だの背中の大砲から弾丸を発射する「地獄の砲弾」だの,あんまりパッとしませんね・・・。この「地獄の砲弾」は,データ集なんかに記載されていたけれど,お披露目はなかった設定だけの技のはずであり,軽く20年以上越しのお披露目となったわけだね。しかし,技というのは鍛え抜いた肉体から繰り出すもので,重火器を発射するのは兇器攻撃ではないか・・・。兇器攻撃も5秒ならセーフなんだろうし,ベアクロー使う正義超人までいるから今更ではあるのだろうが,もっと体と体のぶつかり合いをですね。最終的に,レオパルドンの「地獄の砲弾」がランペイジマンに命中したところで今週は終わり。レオパルドンが猛攻しているように見えて,左手の銃は折られてしまい,必殺技の「地獄の砲弾」も出してしまった。これを耐えられてしまえば,もうレオパルドンに打つ手はない。次で負けちゃうのかな,というところだ。キン肉マン 72【電子書籍】[ ゆでたまご ]
2020.09.07
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1
![]()
![]()
