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田中芳樹の代表作の1つにして,30年もの長きにわたって続けられていた創竜伝がついに完結した。1巻が刊行されたのは1987年,昭和でいえば62年。作中の設定では「21世紀まであと数年」くらいの設定だったはずである。現在は2020年12月。年号も平成から令和へと,かなりの時間が経っている。そういえば,2巻の巻末対談に「親娘で読んでいます」というファンレターがあったようだけれど,娘の方はともかくお父さんの方は生きていない可能性すらある。それが30年の重みだわな・・・。創竜伝15 <旅立つ日まで> (講談社ノベルス) [ 田中 芳樹 ]とりあえず,簡単にあらすじを紹介してから突っ込みどころと感想を書いていきたい。ざっとしたあらすじだけれど,竜堂兄弟は月で牛種との最終決戦に挑むのだ。で,月ではいよいよ牛種のボスが神農だったということがあきらかになるのだ。この神農は牛頭人体と超古代,三皇五帝の1人である。神様みたいなものか。展開としては,どうも唐突である。まぁ,牛種の目的だとか,ラスボスさえ明らかになっていない状態だったのだからやむを得ないのだけれど。で,この神農なのだが,創竜伝の世界観では造物主となっている。なんでも,仏教では三千世界というけれど,1000の3乗,つまり10億の異世界があるのだ。神農はさまざまな異世界を異動し,生物がいないところでは生物を作り,未開の世界に文明を教え,はぐくみ,そして滅ぼすということを繰り返していた。もし,竜堂兄弟が邪魔をしなければ,3年ほど時間をかければこの世界は四人姉妹を通じて神農の理想の世界になったという。で,もはやこの世界は矯正がきかないようで,神農は別の世界に移動するから,竜堂兄弟はこの世界で好きにしろ,とこう言うのだ。神農の力は竜堂兄弟を圧倒的に超えていることもあり,竜堂兄弟は仙界で数年修行し,神農を倒すため異世界に移動する・・・とここで物語は完結である。思うところは色々あるが,この「俺たちの戦いはこれからだ!」で物語を締めくくるやり方は,まさしくジャンプの打ち切り漫画のそれである。ジャンプ漫画の場合,人気がなければ物語の途中でも容赦なく打ち切り完結を迎えざるを得ず,一区切りをつけ,主人公たちの戦いはまだまだ続く,とやらざるを得ないのだろう。一方で,創竜伝の終わり方は,ジャンプの打ち切り漫画とは違う。恐らく,創竜伝には十分な人気はあったと思われる。はっきり言って,著者の怠惰がこういうどうしようもない完結を招いたとしかいえない。11巻みたいなどうということもない外伝を入れてみたり,小早川奈津子みたいなキャラに紙幅を使いすぎたし,ブランクをあけすぎたことで衰えが出ている。それより思い至るのが,藤崎竜の漫画『封神演義』との類似性である。封神演義 1【電子書籍】[ 藤崎竜 ]あの漫画も,終盤になって人類の始祖として,やはり三皇五帝の1人とも称される女媧が登場し,物語は宇宙規模になった。ただ,この『封神演義』には幾重にもはられた伏線があり,「女媧」という名前は出てこないけれど,「歴史の道しるべ」ともいうべき黒幕の存在が中盤から示唆されていたので,唐突な感じはしなかった。また,人類を作り,滅ぼすことを繰り返していた女媧の目的なんかもはっきり語られていたし、その動機は読者としても納得のできるものだった。ところが,『創竜伝』の神農には,伏線もないし,また世界の創造と破壊を繰り返す動機の説明も全くない。だいたい,神農が異世界に行くというのならば,放置すればいいのではないか,という疑問はのこる。普通に,四人姉妹を背後から操る牛種の王を倒して終わりでいいではないか。牛種がいなくなっても,それでも政治腐敗は残るので竜堂兄弟が人間界を捨てて仙界に行く,とかそんなエンディングでも良い。さて,僕は創竜伝が完結すると言うこともあり,ここ最近,創竜伝を読み返していた。2019年10月9日の日記を読み返すと,僕は「10代の読むとヤバいくらい中毒性がある」と評し,30代になった当時もかなり楽しんで読んでいたことがうかがえる。ただ,その創竜伝も徐々に惰性で読むようになって来た。まさしく竜頭蛇尾というにふさわしく,中盤以降の失速は目を覆うばかりだ。田中先生の筆力が衰えているのだろう。ところで,読んでいてスマホ関係で明らかに表現のおかしなところがある。たとえば,竜を目撃した人たちが驚愕するシーンはこう表現されている。「あ,ありゃ竜だ」「竜!? そんなバカな」「いや,おれもスマホで見た」(15巻45頁)いや,「スマホで見た」ってなんやねん。「Youtubeで見た」,とか「インスタで見た」ならともかく,スマホで見たって,表現としておかしかろう。校正の人は何をしているのか。特定の企業のものを書けないとしても,「SNSで見た」とかで良い。だいたい竜やモンスターをスマホで撮影しようとした人は惨殺されてしまうというのも,どうかなと思う。田中先生の分身であろう竜堂始が「スマートフォンが嫌いで,仕事に最小限使う以外は手も触れない」(15巻14頁)というから田中先生もスマホは嫌いなんだろうな・・・。揚げ足を取るのならば,恋人とスマホで連絡をとったりすらしないのか,という話ではあるのだが。総評として,創竜伝の最終刊はかなり残念な内容になっていた。僕としても,10代のころ夢中になって読んだものがこういう結末というのは悲しいところもある。創竜伝15 <旅立つ日まで> (講談社ノベルス) [ 田中 芳樹 ]
2020.12.30
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ヤンマガで連載していたものの,突如として「続きはアプリで」と本誌での掲載されなくなってしまった『雪女と蟹を食う』だけど,12月26日の更新でついに完結を迎えた。本誌での掲載がなくなったのでもしや打ち切りか,と思ったものの,きれいに話が終わっていたので個人的には大満足である。振り返りで感想なども書いていきたい。雪女と蟹を食う(1)【電子書籍】[ Gino0808 ]そもそも,『雪女と蟹を食う』だけれど,タイトル通り,主人公の青年が雪女を連想させるような冷たい感じの人妻ヒロイン,雪枝彩女(以下「彩女さん」という。)と2人,蟹を食べるために北海道に向かうという物語である。当初の主人公は痴漢冤罪で仕事も恋人も失って自暴自棄となっており,「自殺する前に蟹を食べたい。金もないから強盗しよう!」という発想から彩女さん襲ったのだが,どういうわけか2人で北海道に蟹を食べに行くことになるのだ。あらすじをざっと書いてみても意味の分らんことになっており,こういうことになるのは彩女さんにも色々あるのだ。このヒロインの方の事情は,ゆっくりと語られるのだが,1つ,また1つと開示されるたびに僕はなんとも言えない気持ちになったものだ。以下,単行本にもなっていないけれど,ある程度のネタバレはしながら書いていく。当初,主人公はヒロインの彩女に「自殺する前に,北海道で蟹を食べたいかな,って・・・」と言い,彩女は「それはいいですね」と答えたことから2人で北海道に行くことになった。終盤でやっと明らかになる話だが,彩女さんの「いいですね」は「北海道で蟹を食う」という点だけではなくて,「北海道で蟹を食って,自殺する」の2点を含めて「いい」と言っていたというのだ。旅行中,徐々に主人公は彩女さんに惹かれていき,その真意に気がつくものの,自殺はとめられない。ついに彩女は「次生まれてくることがあれば,宮沢賢治を愛せる女になりたい」と言い残して入水自殺するのだ。そして,ここで唐突にヤングマガジンでの連載は終わってしまい,僕は打ち切りなんかと不安に思ったものだ・・・。さて,この漫画はそこかしこに文学の匂いがする。テーマとして,色々なものがあるのだろうが,「心中」,つまり恋人同士がいっしょに自殺するというのがあるのかもしれない。明治の文豪は自殺しまくりだし,特に太宰治なんか3回心中して,そのうち女だけが死ぬという心中未遂を2回はやっとる。また,心中の起源をさかのぼってみても,江戸時代の歌舞伎で恋愛を扱うと,たいていが心中ばかりで,ジャンルとして心中物というのがあったとか。いまでいう,異世界転生ネタのようなものか。とはいえ,『雪女と蟹を食う』は単純な心中ではない。同じように自殺を目的としていても,2人の死ぬ動機が全然違うのだ。本来的な心中は,結ばれない2人が,せめて死後の世界では一緒になれることを願っていしょに死ぬと言うことだろう。ここで,主人公の青年は,社会からつまはじきにされて自暴自棄になって死にたいと思っている。途中,彩女さんを恋するようになったことで死ぬ気は完全に失せてしまっているし,できるなら彩女さんと2人で生きていきたいと考えてしまっている。一方で彩女さんは,夫を日本一の作家にさせるためにスキャンダラスな自殺をしたいのだ。どういうことかといえば,文豪・太宰治が愛人の日記から着想を得て『斜陽』を完成させたことから,自分も夫の文学作品のため犠牲になろうというのだ。そういうわけで,一時的に主人公の青年の腕の中にいたとしても,放っておけば夫の所に帰って行ってしまいそうな気もする。もう,この女を夫の元に返さず,主人公が独占しようと思ったら,どうしたらいいのか?一緒に死ねばそれでいいのだろうか? 実際,主人公も第64話で彩女さんの遺体を抱きしめながら,こう独白するのだ。たとえ魂が入っていない半分の身体でも旦那に・・・骨の一本返さないこの64話を読んでいたときの俺は,「この女とならば,いっしょに死んでも惜しくない」と思ったものだ。そういうわけで,彩女さんといっしょに自殺もできず,おめおめと生き残ってしまった主人公には少々の不満はあった。繰り返すが,主人公と彩女さんは自殺の目的が違うわけで,少なくとも彩女さんの愛情は主人公ではなくて夫の方に向いている。いっしょに死ぬという,心中の表面的な部分だけをやってみたところで,まさしく主人公は彩女さんの心は手に入れられない。手に入るのは死体だけだ。なお,最終回の68話については・・・,読後感は非常に爽やかだった。主人公は彩女さんの夫をぶん殴ってスッキリはしたし,最後のどんでん返しもあった。この,最後のどんでん返しについては,気に入った人もいるだろうし,逆に気に入らなかった人もいるかもしれない。僕は・・・どちらでも良かったのかな。俺ならばたぶん,彩女さんといっしょに死んでしまって終わりだ。主人公の青年のように,夫を殴りに行ったりはできない。あの結末は,主人公の熱意が生んだ奇跡ということでいいのじゃなかろうか・・・。一応この最終回のあと,作者のTwitterを見ているとエピローグがあるようだ。こちらも楽しみである。雪女と蟹を食う(4)【電子書籍】[ Gino0808 ]
2020.12.28
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隋唐演義を初めて読んだのは,大学生のころだったと思う。三国志演義のように悲劇で終わることなく,実質的な主人公が勝ち組である唐に所属する武将,秦叔宝だというから読んでいて辛いということはさほどなかく,120斤の重量武器を振り回す秦叔宝に夢中になって読んだように思う。かねてから,隋唐演義とは別に説唐演義というものがあり,こちらは隋唐十八条好漢といって英雄たちのランキングがついていたり,最強格の李元覇が800斤の錘を振り回すだとか,より荒唐無稽だと聞いていたが翻訳がなく読めないでいた。今回,その説唐演義のエッセンスも込めたドラマ版の『隋唐演義~集いし46人の英雄と滅びゆく帝国』の全62話を見終わったので感想など書いていきたい。隋唐演義〜集いし46人の英雄と滅びゆく帝国〜 第2話 楊広 李淵を陥れ 秦瓊 唐国公を救う【動画配信】(1話は無料で2話から有料なので,リンク先から1話くらいは見て欲しいよ)62話というと大長編である。オープニング,エンディング込みで1話あたり40分と仮定しても約2500分でだうたい40時間くらいかかる。Twitterで感想を書きながら見ていたので振り返ってみると,10月3日から見始めて,12月24日までの約2ヶ月半,1日1話くらいのペースで見ていたことになる。色々言いたいこともあるので,キャラについて,ストーリーについて,箇条書きで行きたい。キャラについて・秦叔宝本編の主人公格。説唐なら強さランク16位。序盤と終盤はかなり活躍するも,中盤の瓦崗軍に入ってからはいまひつ活躍しなくなる。戦闘能力は高いのだろうが,宇文成都だとか李元覇といった超人にはかなわないのだろうし,武人としても羅成なんかに劣るのだろう。序盤から義侠心に厚いことで人望を得ているが,官吏でありながら盗賊たちと仲良くしているあたり,ヤクザと仲良くしている警察官を連想してしまい微妙なところである。特に,義父である楊林との関係について,個人的には釈然としない。この義父・楊林は父の仇であるのだが,秦叔宝の腕前を見込んで娘までくれたのである。それをあっさり裏切るあたり,それはどうなのかなぁ,と思うのだ。・宇文成都説唐の十八条好漢の序列2位。1位の李元覇が覚醒するまでは,作中で最強というべき存在であり,秦叔宝たちは宇文成都に歯が立ってなかった。彼の魅力と言えばその強さももちろんだが,報われぬ恋に苦しんでいたところ。命令を無視して思い人である楊玉児を逃がしてみたり,看病してみたり,色々している。そんな楊玉児が秦叔宝と結婚してしまた恋を引きずっていたりする。煬帝に,「別の女をやるから」と命じられ,やむなく別の女とエッチしてしまうものの,事後に「やってしまった・・・」と言わんばかりに自己嫌悪に陥っているシーンは涙無しには見られなかった。・李元覇説唐だと序列1位。読み書きができい,吃音がある,言動が幼いという点から恐らく知恵遅れという設定なのだろと思う。作中で最強なのだが,そりゃ800斤の錘を振り回すという驚異のフィジカルがあれば技がなくても強いよね,という感じ。主人公の義弟,羅士信なんかも知恵遅れで怪力の巨漢に描かれていて,知恵遅れが強い作品になっていたと思う。・徐茂公軍師。史実で言えば李勣に相当するはず。道服を着ていて羽扇も手にしていたりして,三国志の諸葛孔明を意識したような造形になっている。たしか,史実の李勣は若干17歳で瓦崗に入った年少枠だったはずなのだが,ドラマではかなり年長組になるようで,皆から「徐兄貴」と呼ばれている。この点,秦叔宝なんかは単雄信のことを「単兄貴」と呼び,一方で単雄信も秦叔宝のことを「秦兄貴」と呼んでいるので「兄貴」という言葉は「~さん」くらいの意味しか持っていないと思われるにせよ,明らかに徐茂公への言葉使いは年長者へのそれである。クールであまり感情を出さないキャラのはずなのだが,程咬金が李密に譲位したとき,李密が玉璽と女を交換したとき,単雄信の死には感情をあらわにしており,なんかよく分らんキャラだった。突っ込みどころについて・時間経過について隋唐演義という物語は長編であるが,時間経過もかなりあるはずである。具体的には,隋が陳を滅ぼして天下統一を果たす西暦588年ころからはじまり,単雄信が死ぬ621年までの約30年間が経過しているはずである。ところが,その30年で登場人物が老いたり,成長するという描写がほぼない。若い英雄は若い力を維持したまま,美女は美しいまま,老人は老人のままであり,子どもが成長していくというのが全くない。せいぜい秦叔宝がヒゲを生やしたくらい。物語後半,簫皇后が李密を色香で籠絡したが,史実を考えればありえんわけだわな。ドラマ版では宇文化及が煬帝を殺し,さらにその宇文化及ぶ殺されるまでがわずか1日だったけれど,史実ならば1年はかっているわけで,凝縮したなぁ,と思う。・合戦シーンについて合戦シーンについて,たいていは武将どうしの一騎打ちで,雑兵のみなさんは後ろで整列して立っているだけなんですよ。予算の都合なんでしょうな・・・。・未消化のキャラと設定惜しいと思うのが,未消化のキャラや設定である。僕の見逃しでなければ,途中から登場しなくなったキャラなんかがいる。序列3位の裴元慶は宇文成都と戦ったあたりから消えたし,4位の雄闊海なんかいつの間にかいなくなっていた。もちろん,僕が気がつかないうちに戦死していた可能性はあるけれど,間違いなく途中で消えたと言えるのが,単雄信の妹,単盈盈である。この盈盈,羅成と恋愛関係に有ながらなかなかくっつかない,というのを最終話の2つ前くらいまでやっていたのだが,特に死んだわけでもなく,退場に説明があったわけでもなく,唐突に出なくなった。これは残念としか言えない。なぜこのキャラが出てきたのか・・・。登場人物が多すぎたせいかもしれん。隋唐演義〜集いし46人の英雄と滅びゆく帝国〜 第62話 兄弟 単雄信に別れを告げ 唐 天下を統一す(最終話)【動画配信】
2020.12.25
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漫画やゲームの世界には,「大好物の食べ物があるキャラ」というのが珍しくない。古い例だと,kanonの「月宮あゆ」なら鯛焼き,月姫の「シエル先輩」ならカレーと言ったように。キャラ付けの一環だろう。では,アキレウスやヘラクレスはどんなものを食べていたのだろう。それを考察したのが本書,『食べるギリシア人~古典文学グルメ紀行』である。食べるギリシア人 古典文学グルメ紀行 (岩波新書) [ 丹下和彦 ]ざっと目次を見ていくと,こんな感じ。Ⅰ 英雄たちの宴Ⅱ 酒の中に「真」ありⅢ 庶民のレシピⅣ 食卓の周辺個人的に,注目したいのはやはりⅠの「英雄たちの宴」とⅣの「食卓の周辺」である。順に見ていこう。とにかく面白いのが,著者の着眼点である。原典に「書いてあること」から事実を見つけるのもそうだけれど,「書いてないこと」から事実を探るという視点が面白い。たとえば,『イリアス』を読んでいると定型句として,食事描写の跡に「飲食の欲を追い払った」とあるが,味への評価がほぼない。あるとしても,いつも「結構な食事」とか「うまい料理」と言ってて,英雄たちはまさに「何を食べてもうまいと言う」,味オンチな男たちになっていて,逆に「この料理はもう少し塩っ気が欲しいな」とか,「誰それの料理は,誰々のよりうまい」など全く言わないのだ。『イリアス』の作者であるホメロスが,さほど食に興味がなかったのかもしれないし,生活臭のする描写をいちいちしなかったせいかもしれんが,あまり英雄たちは食に関心がなさそうだ。著者の分析によると,英雄という者たちは普通の人間よりも戦闘など非日常の世界におり,日常的な食事にはさほど感心を持たないというのだ。あくまで,英雄たちにとって,食事というのは「飲食の欲を払う」ためのものだという。まあ,確かにネクタルとアンブロシアだけあれば生きていける,いや食べなくても死なない神々と違って,人間は食べなきゃ死ぬのだ。だからこそ,アキレウスみたいに神々の血が入ることも多い英雄たちは,あんまり食事という日常的なものに執着しないというのもありえることだろう。ただ,著者はここで食べることが大好きな2人の例外を出している。オデュッセウスとヘラクレスだ。1人目のオデュッセウスは,たびたび食事の話をするのだ。たとえば,パトロクロスへの復讐心に燃え,今すぐにでも戦場に飛び出さんばかりのアキレウスに対し,「腹が減っては戦もできん。まずは兵たちに食わせてからだ」と言ったりするし,パイエスケス人たちとの宴会の席で,「山盛りのパンと肉料理と美酒。これこそ愉楽の極地と思います」とか言ったりする。英雄というのは神と人間の中間みたいな立ち位置なのだが,神々に近いアキレウスと違い,オデュッセウスは人間より。というか,知恵が回り,勇気があるだけで身体能力も低く,あくまでも人間なのだ。だからこそ,僕はオデュッセウスに感情移入もできるし,憧れるのだ。さて,食べるのが好きな英雄の2人目はヘラクレスだ。彼こそ英雄の中の英雄,人間より神々に近い。著者の理論だと食に興味がなさそうなのにこれは意外である。といっても,ヘラクレスは美食家というより,量なのだ。肉体的な強さを示すように,牛をまるごと,酒は甕ごとである。反証として,食に興味がなさそうなのはホメロスの描いた『イリアス』の英雄たちという可能性もあるので,意外とその他の作品を読むと飲食のシーンはあるかもしれない。また,これは著者自身も指摘しているが,『ギリシア悲劇』では極端に食事シーンがないけれど,舞台上の制約から屋外である必要があり,屋内の食事シーンを入れにくいという見方もあるのだが。最後に気になったのが,Ⅳの「食卓の周辺」の話でやっているトイレの話。著者は,古代ギリシアのトイレ事情を説明しつつも,ホメロスの著作に5万人の兵士たちの排泄物を処理する方法について一切の描写がないことや,「アキレウスの鬼神のごとき働きに圧倒され,ついお漏らしをしたトロイア兵士もいたに違いないが,例によってホメロスは,そんなことは一切書いていない」(本書191頁)こと残念がってる。こうして,著者は「英雄はそもそも便などしないのかもしれぬ」(本書190頁)というが,ここでも例外的存在として僕たちのヘラクレスが登場する。ヘラクレスはエウロブスの喜劇で,「テバイではどの家にもトイレが完備してあって,ありがたかったなぁ」と発言していたりして,いちいち笑わせてくれる。これは当時のギリシアの一般家庭にはほぼトイレがなかったことを示す話なんだが,個人的には,英雄の中の英雄で,人間よりも神々に近いヘラクレスがトイレ行くあたりに衝撃を覚える。なんとも,ヘラクレスという人物のおおらかさを感じられて,僕は好きだよ。食べるギリシア人 古典文学グルメ紀行 (岩波新書) [ 丹下和彦 ]
2020.12.03
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田舎の弁護士の顧問先といえば,やっぱり不動産屋が多いだろう。顧客が一見の者ばかりなので,賃料滞納だとか,建物明渡だとかで法的トラブルも他の業種に比べて起きやすいと思う。そんな不動産関係で弁護士法73条違反が問題になったケースがあったので,ちょっと読んでいきたい。まず,問題になった弁護士法73条は,こうだ。(譲り受けた権利の実行を業とすることの禁止)第七十三条 何人も、他人の権利を譲り受けて、訴訟、調停、和解その他の手段によつて、その権利の実行をすることを業とすることができない。趣旨としては,弁護士ではないものが権利譲渡を受けたと言って,訴訟などによる権利の実現をすることを禁止している。弁護士でない者が,存否に争いのある権利を買い取って,自分で裁判をするということになると,非弁行為の禁止を潜脱する恐れがあるからというわけだ。なお,これをガンガンやってるのがサービサーとか債権管理会社というやつで,特例法があるから許されている。さて,ここまでが前提で,問題になった事案を見ていこう。事案は熊本地裁平成31年4月9日判決判例時報2458号103頁だ。事案としては,原告会社から男性被告に対する建物明渡請求事件である。もともと,問題になった建物というのは被告男性の父親が所有していたもので,息子である被告男性が借りて使っていたものである。これを,被告男性の父親が原告会社に売却し,被告会社が男性に退去を求めた,という事案である。この事案は背景事情がややこしい。もともと,被告男性は建物の所有者であった父親とはかなり仲が悪かったようで,親子で経営していた会社の経営権をめぐって裁判沙汰になっていたりもする。こういうことで,父親としては被告男性を建物から追い出したかったけれど,自分でやるのも手間だと感じたのだろうと思う。普通なら,占有者のいる建物なんて誰も買わないのだが,原告会社はもともとこの手の占有者のいる物件を買い取って,明渡をさせた後リフォームなどもして転売することで利益を得ていたので,ここに被告父親と原告会社の利害が一致したというべきだ。なお,これは被告男性の主張だが,建物の相場は2200円程度なのに,父親は1200万円くらいで売っている。明渡の手間賃と,リフォーム代を抜いたのが原告会社の利益になるのだろう。本来的には,父親の方で弁護士に依頼するなどして,息子を退去させてから建物を売却するべきなのだが,この弁護士に依頼するところを省略したような形になる。色々な論点があったのだが,とりあえず弁護士法の話に限定すると,原告会社からの建物明渡請求に対し,被告男性は「原告会社による建物を取得し,明渡請求をすることは弁護士法73条に反して無効」だと主張したのである。ここで,判決は被告男性の主張を認め,原告からの明渡請求も賃料相当額の損害賠償請求も,権利濫用であるとして,退けた。ここで気になるのが,競売である。建物を競落すると,ここに占有者がいるというのはよくあることだ。民事執行法なんか見ると,この競売不動産にいる不法占拠者をどうするなんて話が普通に書いてある。占有者がいる不動産を業として競落し,占有者に明渡請求をすることが弁護士法違反だとすると,不動産業者は競売に参加できなくなるだろう。これは結論としてまずいのである。この点,判決は「弁護士法73条の趣旨は,主として弁護士ではない者が,権利の譲渡を受けることによって,みだりに訴訟を誘発したり,紛議を助長したりするほか,同法72女本文の禁止を潜脱する行為をして,国民の法律生活上の利益に対する弊害を防ぐことにある」としたうえ,形式的には他人の権利を譲り受けて訴訟等を業とする行為であっても,上記弊害が生ずる恐れがなく社会経済的に正当な業務の範囲内にあると認められる場合には同法73条に違反するものではない,としている。このあとも色々と言っているけれど,競売については①占有者の占有権限と対抗力の有無について調査がされていること,②買い受けの申し出を広く募っていること,③買受人が占有者への明渡をすることがすでに広く行われていること,などから有効だと言っているのである。正直,僕の興味の対象としてはこのケースその物というよりも,競売との比較の方である。結論として,絶対に占有者がいる物件,つまり他人の権利がからんでいる物件を競落することが弁護士法違反だとは口が裂けても言えないのである。不動産屋の顧問でもやってればぶち当たりそうな問題ではある。頭の片隅に入れておいて損はあるまいな。弁護士倫理の勘所 信頼される弁護士であるために [ 官澤里美 ]
2020.12.02
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