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ご対面に、やや腰が引けるタコ社長↑ ↑ ↑ ↑
2005年09月30日
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本日無事メルボルンに戻る。今年最後の日本訪問だった。今回は、仕事の刺激、気候の刺激、文化の刺激、そして食べ物の刺激を十分に満喫。今年、残りの3ヶ月分の充電ができた。その中で特に脂肪の充電が出来過ぎでちと心配。↑ ↑ ↑ ↑
2005年09月28日
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今年2度目の「タコ社長を日本でおごる会」にて。馬並みが、鹿の下で歌う。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月25日
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何と、甥っ子の結婚式場に車で着くまでに3時間以上もかかってしまった。東京は、三多摩地区の東村山からとはいえ、飛騨の高山辺りから出て行こうというわけではない。お陰で、危うく結婚式に間に合わないところで冷や汗三斗ものだった。お彼岸で三連休の初日とはいえ、私の住んでいるオーストラリアのメルボルン辺りでは、300キロを超えて他州に入り込んでフィッシュアンドチップスでも食べ、残ったのうるさいカモメに上げやっているくらいの時間。オランダ系の連れ合いの開いた口がさらに開き、年老いた両親は携帯用オシッコ用品を握り締めるハメとなってしまった。久しぶりに、東京の東京たる所以を、体中で味わわせていただいた。更に追い討ちが続いた。車の運転をしているお陰で、このようなお祝いの席、宴会などで成人してから初めてのウーロン茶の宴。普段の赤ワイン底なし飲みの勢いのないタコ社長、ポケットには得意の「ブレスケアー」もしっかり入っていたが、82歳とはいえ元警察官の父も乗せていることもあり、アルコールには手が伸ばせない状況がしっかりとできあがっていた。とはいえ、スピーチの番が回ってくると、「あの人、一体しらふなの?」状態で言いたいことの言い放題でいつもの調子が戻ってきてはいたが。大役を無事に終え、2時間以上かけて嬉しい無事帰宅。結婚式での豪華な食事を忘却の彼方に追いやるように、左手にアサヒスーパードライを握りながら、「小僧寿しスペシャルD」4人前のほとんどを平らげ、タコ社長暴睡の夜となった。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月25日
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母の実家秋田から、オランダ系の連れ合いの大好物「枝豆」が売るほど届いた。これから帰国まで、「枝豆」を食べる時間はあるのだが、皆様のブログご訪問は難しいという本末転倒状態が続きます。どうかお許しを!↑ ↑ ↑ ↑
2005年09月20日
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その黒いスーツの20代に見える女性は、いきなり「日本経済新聞」を取り出して読み始めた。羽田-札幌の往復は、隣になったのがともに若い女性で艶っぽいフライトになるのかと思いきや、まったく挨拶のスキさえ与えてくれない堅実派の方々で、機内雑誌を隅から隅まで何度も読ませていただけた親切な人達だった。「公共の乗り物で隣り合わせになった人とは5分以内に話さないと、ほぼ絶望的に会話は生まれない法則」というのが世の中にはあり、私もこの法則を信奉していてだいたい無理してでも話すようにはしている。それに引き換えオーストラリアでは、まったく自然に挨拶が飛び交うし、会話も始まったりもする。そんな、話好き集団の人の国がオーストラリアだ。まして、隣の人が若い金髪女性なんかであった日にゃタコ社長、もうその人のイトコの名前なんかまで覚えてしまうくらい話し込んだりもする。因みに、英語の「ハ~イ」という挨拶の軽いノリがいいのかもしれない。日本語で、「こんにちは」、とか頭下げたりして言い出すと、それから後を続けるのも終わりにするのもなんだか重く感じないでもない。というわけで、今回の機内では挨拶さえもまったくない。肘が当たるくらい近くにいる人とまったく会話がないというのは、民放テレビにコマーシャルがないくらい淋しいことだ。実はあの方々に、真横を向いて話しかけでもしたら、「何?このオヤジ」とか思われそうな感じがしてしまったことは確かだ。日本には、「袖振り合うも他生の縁」という額に飾って持ち歩きたいような表現がある。だが今の日本は、やたらに怖い顔の方々の多い国になってきてしまっているように思える。もっともタコ社長、うら若き女性に怖がられる顔や体型をしていたのかも知れず、本当は、あの隣になった女性達、将来は漫才師を夢見るほどのヒョウキン者だったのかもしれないが。いずれにしてもタコ社長、日本にいるときは、「知らないオジサン、オバサンと話さないように。」と教えられて育った子供達よろしくやっていくことにしよう。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月19日
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寒いのだ。羽田を出るときは30度を超えていたのに、北海道の千歳空港に着いたときには何と14度。オーストラリアのブリスベンからメルボルンに降り立った時のような感激をおぼえた。日本は小さい国ではあるが、北から南に伸びる距離は半端じゃない国でもある。「お茶は良かったですか?」「帰りの切符は良かったですか?」一瞬、なんと答えたらいいのかと思ったが、そこはスワヒリ語とかと違って日本語だから、脳の中の自動翻訳機がはたらいて意味は分かる。北海道で出会った表現は、なんだかのんびりしているし、歩いている人も心なしか東京などに比べるとゆっくり歩いているようにみえる。大陸思考型なのだろうか。札幌から函館本線に乗り換えて、旭川の手前の滝川という所に仕事で出向いた。今、ここは日本のジンギスカン料理発祥の地として全国的に注目を集めているらしい。なんと、その羊の肉が女性などから人気が高いらしい。太らないという。仕事でお会いしたWさんが私の体型を見つめながら「ジンギスカンはいいそうですよ。」と何度も言われた。食べてみたくなった。とはいえ夜は札幌にもどる予定になっていたので、ジンギスカン料理は次回の楽しみとさせていてだき、昼間は割りと静かなススキノのど真ん中にあるホテルに向かった。タコ社長、暑さにはめっぽう弱くて東京ではナマッてしまっていたが、この北海道の寒さで身も引き締まり仕事も順調に進んでいることも手伝って、ホテルにチェックインして、ススキノのあまたいる呼び込み軍団の配るパンフにはしっかりと目を通しながらも、彼らをかき分けかき分けてラーメン屋に直行した。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月18日
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札幌での地味な昼ごはん↑ ↑ ↑ ↑
2005年09月17日
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20代半ばの女性だろうか。やや大柄な体型の女性だった。目が虚ろ。その女性は座席にだらっと座りながら、やおら目薬を取り出して目に注す。赤い目薬だから赤い涙が流れる。暫くするとまた目薬を注す。その間、ペットボトルの泡のたったお茶も飲む。飲んじゃ、赤い涙を流してペットボトルを振る。斜め前の男子高校生らしい痩せて長身の少年、マンガの本を読みながらイヤホーンで音楽を聴き、そして携帯を打っている。時々、立って車内をウロウロして、また前の席に戻り、マンガを読みやや小さく笑う。音楽のイヤホーンはオンで、そして携帯も打っている。隅の優先席には女性一人しか座っていない。その女性は中肉で黒髪を長く素直に伸ばしているが年齢不詳。顔が見えないのだ。黒くて大きなアイマスクをして寝ているようだ。いや、起きていたのかもしれない。成田に着いて池袋に出て、西武池袋線に乗った。日曜日だったのでいろいろな人が乗っていたのだろう。日本のこの刺激はたまらない。長旅の疲れも一気に吹っ飛ぶ。ここ最近は、人の行為でわけの分からないことが目の前で、誰憚ることなく展開されている場に出くわすと、「あ~、日本に帰ってきたんだな。」と思えるようになってきていて頼もしい。誰にも危害を加えない、という範囲内であれば、昔は人前でしなかった内のことが、どんどん外へでてきてもいいのだろう。毎回、日本の帰国が楽しくなる所以でもある。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月12日
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日本への帰国は、いつもシドニー経由で朝成田に着く便にしている。今回、シドニーに着くと、機種の変更があり座席も変わるというアナウンスがあった。いつも、元相撲取りには遠慮目一杯の辛いエコノミークラス。ところが、ビジネスクラスにアップグレードされていた。サラリーマン時代に1度だけあった、ビジネスクラス。座るなり、「明日の朝食はいかがしますか?」と選択のカードが集められたりしてやや慌てる。社長であってもタコ社長、ビジネスクラスなんて夢のまた夢で、なんだか場違いな陸タコ状態。実は、ビジネスクラスの半分以上の人はアップグレードの人だと一目でわかる。なんとなく落ち着かない態度。あっちこっち触ったり周りをキョロキョロ見たりしている。タコ社長、そこはそれ昔取った大杵柄、そんなことはおくびにも出さずビジネスクラス愛好家然とし動じない振り。ところが、隣のオージーのオジサンと、いざ映画を見ようとしてどうやったらいいのか分からず、お互い苦笑いしながらあっちを押したりこっちを押したり引っ張ったり。こんなことなら使い慣れたエコノミークラスの方が楽だった、なんて思ったわけではないが、落ち着かなさは残った。飛行機は、気流の関係で可也揺れた。しかし、座っている椅子の作りからしてどんなに揺れてもここだけは落ちない、みたいな安心感が湧いてくる。そんなわけで、赤ワイン飲みせりふのないミスタービーンに大声上げて笑いながら大揺れしていた。やっぱりビジネスクラスはいいようだ。タコ社長、これからの帰国は社内ダントツ高齢者、天国か、はたまた地獄に一番近い人間として、ビジネスクラスで出張できるように社内コンセンサスを取ろうと思っているが。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月12日
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前にやっておかなければならなかった、シャワーのタイルの修理、日本に行く今日やって、これから出発です。今回はオランダ系の連れ合いが、遅れて日本入りしますが、二人がいないとき、我が家の老猫ルーシー130歳の世話をするために、隣のバリーさんに知り合いの女性が我が家に泊まり込むことになっています。だから、どうしても今日修理しておかないといけなかったんです。あ~しんど。いつも帰国前はバタバタするのが常です。オーストラリアの皆さん、行ってまいります。日本の皆様、よろしくお願いいたします。さ~て、機内でガンガン飲んで熟睡して成田に向います。↑ ↑ ↑ ↑
2005年09月10日
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「フランスの飛行機会社に仕事が決まって、今月の終わりにパリに移り住みます。」着物を着させても、ドレスを着ても似合いそうなMさん、わざわざ出発の前に挨拶にこられた。オーストラリア人のご主人と、日本からきて新しくこの地で生活しだしたのは5年くらい前だったろうか。昨年、不運にもそのご主人との破局を向かえ、その話しに来られたとき、突然大粒の涙を流され、私もうろたえてしまった。こんな美人を泣かすのは誰なのか、などと思ったとしても男と女のことは、当事者同士にしかわからないことだらけなのが世の常で立ち入ることはできなかった。その後、どうしているのかなと思ってはいたが、時が流れてしまっていた。「スペイン語は少しはかじったことはあるんですが、フランス語はまったくダメなんです。二年後に試験があって、それにパスしないと続けられないという条件なんですよ。」話している間中笑顔が絶えないMさん、もう大丈夫だなと感じた。「タコ社長、人生一度だけです。もう一度賭けてみます。」何度もお辞儀をしながら別れたMさんの姿には、昨年のあの押したら壊れてしまうような脆弱さはまったく感じられなかった。「ダメだったら、またオーストラリアに戻ってきます。私、オーストラリアの永住権ありますから。」肩の力が抜けていて、私も大きく笑って握手して別れることができた。なんだか、Mさんとはもう二度と会わないような気がしている。↑ ↑ ↑ ↑
2005年09月09日
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学生時代、エロ映画館に行って、休憩時間にロビーで母親が作ってくれた弁当なんか開いているときに知っている人に会ったりするときの決まり悪さは、男だったら誰でも三度くらいは経験するものだろう。なんと親不孝な息子なんだろう、なんて思うこともなく中辛のシャケの焼いたのを頬張って、小骨を出したりしていているうちにうまい具合に期待の大きな二本目が始まったりする。エロ映画館の休憩の過ごし方って、初心者のときは手持ち無沙汰にもほどがあるって具合で座りが悪い。第一、誰もそんな過ごし方は教えてくれない。大体一人で来ている人がほとんどで、親子で見に来ていて、休憩時間に年末の旅行の話なんかに花を咲かせている人たちは稀なもんだ。館内が明るくなるとみんな椅子に限りなく深く深く沈んでいって、野球帽なんかかぶっている人は、帽子だけが浮いていて、まるでその帽子が一人でエロ映画見に来ているような錯覚さえ覚える光景が展開する。また、この時間がえらく長く感じるものだ。へたすると、映画本体より休憩の方が長いようにさえ思える。大学一年の冬、池袋の西口にあった喫茶店「ニューサカエ」で夜のバイトをしていた。周りがガラス張りで、まん前に「ロサ会館」のエロ映画場があった。暇な日は、ずっとどんな人が入っていって、どんな顔して出てくるか見つめて過ごしていた。たまにアベックなんかが入った日にゃいろいろ想像して仕事が手につかなくなる。青春時代の淡い思い出は尽きない。土曜日、今年二度目の日本に向かう。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月08日
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ゴルフが只みたいに安い国なのに、タコ社長4年位前から全くゴルフをやらなくなってしまった。いつまでたっても上達しないこともその理由の一つではあるが。サラリーマン時代、初めてのゴルフは山梨の山間コースだった。緊張がゴルフシューズを履いて、手袋しているようなものだったので、お世辞にも楽しめたなんて言えない一日だった。起伏の激しいそのコースは初心者には地獄だった。私はそこで、自慢じゃないが、なんと一日に18個のロストボールを出した、という会社コンペ始まって以来という新記録を打ち立ててしまった。サラリーマン1年目のことだった。これが、トラウマになってそのごずっと尾を引いていたといえなくもない。「タコ君、商品忘れちゃったよ。」建設機械会社の営業課に移って、二月に一度はコンペに無理やり出されていた。そんな、あるコンペで商品担当だったH先輩が、肝心の商品を全て家に忘れてきてしまったというとんでもないハプニングが起こった。Hさん、普段から血色の悪い顔をさらに青くして、「家内に電話して持ってきてもらったよ。」と無理やり作った笑顔でそう言った。Hさんはその日一日、ゴルフをしていてもちっとも楽しめない様子だった。なんと片道2時間半もかけて奥さんが商品を持ってきてくれた。私は正直、唸ってしまった。もしこれが独身の私に起こったことだったら、誰に持ってこさせれば良かったのだろうか、と思うと日本の妻は素晴らしさに感銘さえ受けた。そして、それと同時に「ゴルフ」も仕事のうちなんだな、とつくづく思い知らされた。何年か前に、このH先輩と本当に久しぶりに再会する機会があった。「タコ君、いろいろあってね。女房と別れちゃったよ。」あのコンペの日のことが災いしたわけではないだろうが、Hさんは、あの奥さんと離婚しておられたのだ。あの時、ニコニコしながら商品を届けに来てくれたHさんの奥さんの顔が過ぎった。Hさんは今、私たちが勤めていた会社の子会社に出向となり、得意の中国語を活かして上海に駐在員として出向いているときいた。彼の国では、これからゴルフが盛んになるのだろうが、Hさん、今でもゴルフをやっておられるのだろうか、と余計なことだろうがそう思ってしまった。私は、ゴルフを仕事などから離れて本当に楽しむ、という段階にいたらないまま止めてしまっているが、やりたいとはいつも思ってきている。まず、いいゴルフセットを買うのが先決だ。先日、誰がやっても飛ぶ、という最新鋭のドライバーなどを加えた新しいゴルフクラブセットを買いたい、と連れ合いに言ったら、「古いやつで大丈夫。うまい下手はクラブの良し悪しじゃないでしょう!」とか言われて全く相手にしてもらえなかった。誰か、しっかり説得して欲しいものだ。タコ社長、こうしてしばらくは、ゴルフをしない日々が続きそうではある。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月06日
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高校一年の時だった。東京は国立にあった高校に通っていたが、隣の町の立川署に勤める警察官の父がよく国立スカラ座の只券を貰って私にくれた。毎月6枚くらい貰ってきてくれていたので、みんなに上げて私は割りとクラスの人気者だった。ある日、その国立スカラ座で「戦艦ポチョムキン」を見て、将来シナリオライターになろうと決めた。シナリオの月刊誌を買い求めて勉強し始めたが、二ヶ月ほどしてその夢はシャボン玉のように弾けた。私は、自慢じゃないが何かをやろうと思うことも早いが、止めることはもっと早い。最近は、何かをやろうと思ったこと自体を忘れる術が身についてきているが。同じく高校一年のとき、父が安月給から一万七千円も出してリンガフォンの英語学習レコード50課を買ってくれた。勿論、父が勝手に買ったわけではなく、何かの綴じ込みにあった広告を見て、無理を承知で買ってもらったのだ。でも、何度トライしても9課以上は進まないで親の期待を大きく裏切る結果となった。高校二年の時、ある日本人大学生の手記を読んで、大学でイタリア語を勉強しようと決めた。その手記は、大学を休学してイタリア中を旅したその学生の旅行記だった。ジーナ・ロロブリジーダ、ソフィア・ローレン、クローディア・カルディナーレを生んだ国。もう気持ちはイタリアン。因みに、その大学生の手記は学習雑誌の中の一文で、艶っぽい話は書かれていなかったと記憶している。しかし半年ほどして、気が付いたら決心が萎えていた。あの頃、真剣にイタリア語なんか勉強する気になっていたら、石を投げても転がしてもイタリア人に当たるといわれているメルボルンで、「チャオ」とかいう毎日をおくっていたかもしれない。もっともそうなっていたら、オーストラリアとは縁がなく、今頃はイタリアの片田舎で前立腺の病に効くというトマトを栽培し、その農園の管理人補佐くらいにはなっていて、道行くイタリア娘のお尻なんぞをピンチしてブログ日記の題材にしていただろうと想像するほうが、現実には近いかもしれない。だがタコ社長、今はメルボルンでシナリオではないが日記を書きながら、大好きなスパゲッティーカルボナーラでもフォークに絡ませ、レコードの9課まで学んで鍛えた英語を駆使して会話をし、オランダ系の連れ合いのお尻でもピンチしていれば、それはそれで若い頃からの人生の夢の集大成の第一幕、なんていえなくもないと思えてくるから不思議な気がしてくる。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月05日
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「3週間、体を洗わずに待っておれ。」ナポレオンはジョセフィーヌに戦場からこう書いて寄越したのだそうだ。かのナポレオンは変態だったのかというと、どうもそうではなさそうなのだ。フランスはタイシュー文化の国らしい。タイシューに絶大な信頼を置いているらしいのだ。そして、自分のタイシューに自信がないから、毎日風呂に入ったりシャワーを浴びたりしているのだ、と我々無タイシュー文化の国ニッポンをやや勘違いに非難しているらしい。確かに、タイシューを甘く見てはいけないのかもしれない。「本当にあなたはタイシューがないわね。」オランダ系の連れ合いが言う。肉食ゲルマン民族の末裔の彼女が、菜食大和民族の末裔に何か言いたいのだろうか。こんなわけで私は、どう転んでもフランスではもてそうにない。おそらく今後、フランス人と付き合う機会など万に五百もないだろうから心配はいらないが。香水は、風呂嫌いのフランス人がタイシューを消すために開発されたとは一般的な見解であるが、実のところはその反対でさらにそのタイシューフェモロン効果を高めるためのものだったとは前に書いた。フランスには行ったことがないが、フランスには風呂はいったいあるのだろうか、などと穿って想像してしまうくらいだ。ところで、私の家には風呂がない。いや、正確には私が入れるサイズの風呂がないというほうが当たっている。別に私がナポレオンのような趣味があると言っているのではない。うちにある風呂がたまたまハーフサイズの風呂だったということだ。従って、世界一デカイ人の集合体オランダの血を引く私の連れ合いも入ったためしがない。そんな訳で、このハーフサイズの風呂は、もっぱらパーティの時のワインやビールの冷蔵庫代わりになっている。実は、一度だけこのハーフサイズの風呂にトライしたことがあったのだが、元相撲取りのタコ社長としては風呂にハマッたという形になってしまって、一度で懲りた。今の家では、そんな訳でまったく風呂には入らないが、前の家の時はそれなりにバスタブがあって、「温泉のモト」なんかを入れて年に2度くらいは入っていたが、何しろ縦に長いだけで深さがなく、入っていると見たくないものがふらふら浮かんできたりして落ち着かない。それに、4年以上経った男女の関係のように、だんだんと冷めてくるのがどうもたまらない。そんなわけで、こちらのお風呂はイマイチだ。日本に帰るたびに、お風呂、温泉が堪えられない所以である。日本以外に住んでおられる方々はお風呂はどうしているのだろうか。我が家のハーフサイズの風呂↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月04日
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砂漠のキツネと呼ばれていた。うどんとかの話をしようというのではない。因みに、日本のそば屋さんで注文するとき、「私は、キツネ」「じゃ、おれタヌキ」なんて注文するのだが、これをそのまま英語に訳したら大変なことになる。極め付きは「そでじゃ、私はオカメ」なんて言っているわけで、状況次第ではなんと素直な人たちだなんて思われてしまうこともあるやも知れぬ。砂漠のキツネとは、ドイツのナチのロンメル将軍。この方、第二次世界大戦の連合軍ノルマンディー上陸作戦Dデーの時は、その地域一体の最高責任者だった。このDデーは6月6日だったが、なんとその日はロンメル夫人の50歳の誕生日。「あなた!!!戦争と私とどっちをとるの?」とか言われたかどうかは知らないが、夫人のお祝いに前線を離れドイツに帰ってしまったとのこと。例えてみると、関東軍総司令官がロシア軍の満州侵攻の8月9日の日に、日本の長崎あたりにいる妻の誕生日に帰ってしまったようなものだ。もっとも、関東軍は実際には将校から先に逃げたということで、そのまま前線には戻らなかったかもしれないが。という訳で、世紀の大上陸の日にロンメル将軍は自宅にいて、「ハッピーバースデー」をドイツ語で歌っていたらしい。敵軍上陸の知らせを聞いて急いで飛ばして帰った車のなかで、将軍は妻のいうことなんか聞くんじゃなかったと地団太踏んだのだろうか。その後、ヒットラーの暗殺計画に参画したということで、絶大な人気があった将軍は拷問などは受けなかったが、ピストル自殺を強制されて亡くなった。ロンメル将軍、自らの不運を呪ってこの世を去ったのかもしれない。しかし、そういう家庭的なところ、庶民的なところが人々に人気のあった理由なのかもしれない。こちらに来て、何が大切かって「誕生日」ほど大切なものはないことを嫌っていうほど知らされている。「私がいない間、誕生日に行ってね。」10月にオランダ系の連れ合いが海外出張に出かける間に姪っ子と甥っ子の誕生日がくる。Dデーなんかと重ならないように願うばかりだ。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月04日
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まったく、他意はないのだが、プレーボーイ誌のピンナップガールの平均身長は168センチで体重が52キロ。そして、スカンジナビア系の移民が多いアメリカだろうか、なんと4割が金髪。ヘフナーって人も長生きしている訳だ。それにしても52キロとは!それは、恐らく肉付きが親切に均等化する前の僅か数年の至福のときかも知れないが。日本版週刊プレーボーイが創刊されたのは私が中学2年の時だった。表紙が動物で、じっと見ても違和感のないものだった。学生服着て本屋で表紙を横目で見ていても、誰も文句は言わなかった。昨日、お会いした人の名前も忘れてしまうのに、こんな遠い昔の淡い思い出が蘇ってくるなんて。いよいよ、老化の兆しだろうか。でも、こういう思い出ばかりになったら、私の老後もやや艶っぽくなるのだろうか。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月03日
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「タコ君、ラオさんを新宿辺りに連れて行ってくれないかい。」赤坂のタージレストランでインドの関係会社の部長さんを接待したあと、直属のH課長が私に言った。課長を見送って、タクシーでラオさんと新宿へ向かった。だいたい、とことん接待は下っ端の仕事だった。私も、どちらかというと新宿は得意な地域だったで勇んで向かった。歌舞伎町を3人で歩いていると、振り返るひとが多い。丸顔で色が黒く口髭を生やし目だけが異様に大きなラオさん。身長は150センチくらいしかない。隣は、やや色白で元相撲取りのような体格で顔もでかいタコ社員。なんだか漫才のコンビでこんなのがいた、といった2人だった。歌舞伎町を徘徊していれば、いやでも目立つ1980年代初めに流行っていたノーパン喫茶。学生時代、歌舞伎町にはなんだかよく分らないが、テニスウエアー姿で、世界太もも競技会でもあったら、そのアジア地区予選には間違いなく出られるようなものすごい太ももの女性が入り口に立つ喫茶店があった。そこには、一度は挨拶に入りたかったが結局実現しないまま終わった。時代は変わって「ノーパン」になっていた。「What is this ?」 きついインド訛りでラオさんが一つの「ノーパン喫茶」の看板をを指して私に聞いてくる。勿論、ラオさんもここが中華料理屋だなどと思って訊いているのではないことは分っていたし、その目がこれ以上大きくなりようがないよう促して私に迫ってきている。ということで、勿論中に入ることにした。これも仕事だ、と思うと何軒でも入れてしまう勇気がわいてくる。エチオピアの飢餓状態から抜け出たような女給さんたちが、どういうわけかみな丸いお盆を抱えて迎えてくれた。身につけているのは白い小さなエプロン。不思議なことに上に何を着ていたのか、はたまた何も付けていなかったのかまったく記憶にないが、このエプロンとお盆はいまだに目に焼きついている。ふと頭上を見て仰天した。何と、同じ格好をした女性が大きなガラスの上に座っているのだ。危ないじゃないか、などと思ったわけではないが。一見生真面目なラオさん、こんな所まできて機械の技術提携の話なんぞをする。その合間、合間にちらちらと頭上を見上げる。何か、考えているようでもあり、まったく考えていないようでもあるラオさん。私と目が合うとまた仕事の話をする。他に客がまばらなので、この漫才トリオのような私たちを、カウンター近辺の女性たちが見つめている。それにしてもなんと細い太ももであることか。こんな喫茶店は、ラオさんは勿論のこと、私にも初めての経験だった。当時の歌舞伎町は行くたびにいろいろなことを教えてくれるところだった。私は、やや首の痛みを感じ始め、もうこの店を出ようとしたがラオさんはなかなか仕事の話を止めない。結局この店に2時間近くいることになり私も自分の忍耐強さに呆れた。この晩の新宿歌舞伎町の観光の日から、私とラオさんの仕事はスムースに進んでいった。「タコさんは、日が暮れると元気になるね。」ほぼ8割がイヤミ発言のA部長がそういう。「ありがとうございます。」私は、照れ笑いでそうこたえた。仕事が終わるころから元気になるのは今も基本的には変わっていないと思う。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月02日
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「ビンビンと何回も顔を叩いているんです。そんなところに出くわしたことがありました。」日本を代表するようなベンチャー企業の役員の方との夕食の席で、その役員の方が言う。六本木ヒルズの前辺りの喧嘩の立ち回りとかの話しではない。中国のある都市での出来事だという。叩いていたのは中国人女性で、叩かれていたのは中国人男性。「タコさん、中国の女性はきついですよ!スーパーのカートにバンバンとそれこそ物を投げ入れるんです。それを男が押しているんです。よく見ますよ。」年の半分は中国で仕事をされている役員さんのお話なので額面どおり取ることができる。環境に順応することに長けているタコ社長、そんな国に行ったら「ぶってぶって!」の世界に入り込みそうで怖い。ところで、中国人女性と日本人女性は100メートルくらい先にいても、またチャイナドレスとかつけていなくても見分けがつく。どうしてかというと、中国人女性は張っているのだ。どうどうと胸を張って外股に歩く。日本は慎ましい着物文化の歴史が長かった。着物で外股大股なんかに歩いたり、あぐらでもかいた日にゃ、見たいのか見たくないのかよくわからないモノまで拝見しないとならないハメに陥るやもしれぬ。従って、日本女性は長い年月をかけて培ったやや内股気味に歩くのが普通。それで、見分けがつくのだ。中国女性が堂々と胸を張って、ビンビンと男を叩く姿。そして、外股に歩き去っていく姿が目に見える。私には、どちらかというと、日本でもなく、そして中国のような国でもなく、このオーストラリアという国が肌に合っているように思えている。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年09月01日
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