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オランダ系の連れ合いが、日本出張から帰ってきた。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月31日
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昨日召されたタコ八がタマに当たって 名誉の戦死タコの遺骨は 還らないタコの親御よ なに泣くかタコの骨は タコに骨はない、、、戦争中に歌われていたらしい。泣くに泣けない骨なしタコ。だから戦死してはいけないのだろうが、生きていても骨太にはなりようがない。自分には自分に相応しい生き方があるのだろう。今年もあと二ヶ月。フンドシも鉢巻も締めて、タコなりに身をかわしながらやっていきたい。今月も、皆に給料が払えたことに感謝。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月31日
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昨日、アメリカから帰国のバリーさんの家の屋根が見える。今日は、大掃除とオランダ系の連れ合いの甥っ子の誕生日を、我が家を代表にして参加。連れ合いは大阪、老猫ルシーは家で留守番。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月30日
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「100人の女性が1人に見えてきて、男は初めて一人前になる。」どこかの本にそう書いてあった。こう言った人は、100人の女性と付き合ったのか、などと感心したり、そこへいくとタコ社長まだまだ先が長いななどとニヤケたり、とかいった話しではないだろう。こういうことは、男性にでも女性にでも当てはまることだと思う。いい加減に、悟りなさいよ、ということなのだろう。そして、「1人の女性が100人に見えたら、それは、素晴らしいことで、あなたはもうすでにあの世にいる。」なんてことになるのだろうか。さて、あすから「サマータイム」が始まる。寝る前に家中の時計を1時間早めないと。そして、1時間損をするのだから、あまり煩わしいことを考えずに早く寝ることにしよう。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月29日
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オランダ系の連れ合いは、仕事で日本だ。もう2週間も1人で家の中も私の心の中も荒れ放題。我が家の老猫130歳の世話もある。ゴミも出さないとならない。疲れて、赤ワインあおって、ソファーに寝入り、目が覚めるのが2時頃の毎日。それから皿洗って、ワイシャツにアイロンかけて寝る。隣の家のバリーさんご夫妻も、息子の住むアメリカに、親切にもこの時期に旅行に行っていて、いつも私たちの庭の芝刈りなどしてもらっている関係で、私がこんどは彼らの庭の面倒をみることになっていていろいろやらんとならない。おまけに、連れ合いと、バリーさん、バリーさんの奥さんが、それぞれ楽しみにしているTV番組があって、土曜の夜以外はもう、頭が狂わんばかりに二台のビデオ機をセットするのに追われる。それが毎朝の大仕事。もう体は限界に近い。いつもは目と目が合っても避け合うルーシーも、最近は私の顔を哀れんだように見つめてくれている。困ったときのネコ頼みとはよく言ったものだ。「大丈夫かい。羽伸ばしすぎて変なことしちゃダメだよ。」母が電話口でそう言った。昔から、なかなか痛いところを突いてくる母だ。カジノに入り浸り、とか心配しているわけではなさそうだが、私の毎日の生活は、そんなことする元気も暇もない。たとえ、元気や暇があっても、もうそういうことは30代で卒業して、今は変なことではなく、いい事しかしていない表彰ものの毎日だ。月曜の昼に連れ合いが帰ってくる。待ち遠しい限りだ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月28日
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朝のワイドショーをよく母と一緒に見た。32歳でサラリーマンを辞め、オーストラリアに来る前の半年間だった。宮尾すすむさんの「日本の社長シリーズ」は二人の好きな番組でもあった。ビックカメラの社長の話しなど、今も覚えている。「大学まで出て、いい会社に入って、辞めてお母さんと朝からテレビ見てるって、どっかおかしいと思わないかね。」得意の母のイヤミが始まった。因みに、母のイヤミは今も健在だ。この社長シリーズでは、若いころに可也苦労して社長になった方々の話が多かったように思う。宮尾さんの語りのバカさ加減が可笑しくて二人で笑い転げながらも、私は、心から笑うことはできないでいた。「悔しかったら、お前もああなってお母さんを安心させてよ。」オーストラリアに来て、まずイタリアレストランで皿洗いをした。そして、日本食レストランでも皿洗いをした。テレビで見た、皿洗いから始めて社長になった人たちのことを思い出した。しかし、皿洗いをしていて皆が社長になれるなら世の中社長だらけになる。粉にまみれて天ぷらを揚げ続けたが、どうにもカラッと揚がらない。180度の温度調節が難しい。ベテランのシェフに、目の前で私が揚げたてんぷらを捨てられたこともある。慣れない包丁で指を切った。料理なんかほとんどしたことがなかった私が、日本食レストランで板前だ。でもしつこく残った。そして、ここで永住権も取れた。永住してから、すぐ結婚して数年で別れた。その別れた妻の母親に、「あんた、日本に帰った方がいいよ。」と静かに言い切られた。顔から火が出る思いというのだろう。でも、しつこく居残った。いろいろあった。脛は傷だらけで、人の脛にも沢山傷した。しかし、日本に帰るわけには絶対にいかなかった。タコ社長、基本的には飽きっぽい人間で、ほとんどのものには飽きてしまうのだが、しつこく追い求めてきたものがいくつかあって、それらに関しては絶対に諦めないで今に至っている。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月27日
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移住を求めてジャパレスで働いていたとき、帰りは当然遅くなる。12時、1時だ。それから、よく他の友達を呼んだりして飲み会をした。カースクワインといって、箱に入った4リットル入りのワインを飲みあかす。今でいうワンルームマンションみたいな所に住んでいた。場所は、メルボルンの高級住宅地の代名詞「トゥーラック」という所だった。今考えてみなくても分かるが、そんな時間に飲み会やって本当に隣近所に迷惑だったなと思う。しかも、得体の知れないアジア人が得体の知れない言葉で騒ぐ。上の階の人から当然苦情が来た。床を叩かれたり、実際にドアをノックされ文句を言われた。当たり前だと思うが、当時はどういう訳か傍若無人のタコフリーター、なかなか懲りなかった。しかし、この男性、怒り方がやや異常で、私の部屋に集まっていた方々の話題のタネ男になっていた。人生では、どちらかというと、こういう設定では迷惑をかけられる方に身を置くほうが圧倒的に多い人種に属してきているが、このときは一線越えて反対側にいた。なにしろ昼夜の逆転ライフの水商売、夜寝ていたら申し訳ないよいような毎日だった。ある朝、カーテンを開けると生卵が窓ガラスに卵かけご飯に使えるくらい流れていた。もう少しあったら本当にお茶わん出してベランダに出ていただろう。誰がやったかは分かる。あの上の階の中年男だ。そして事件は起こった。ある日、帰宅するとわたしの8号室の郵便受けに、「この男は手当たり次第に女を連れ込んでいる。」と非常に卑猥にかかれた紙が貼ってあったのだ。こういう時は、英語でこう書くんだな、などと感心している場合ではない。今とは全く違って、30代前半のサカリが世界を三周半くらいしても余りあるころのタコ移住候補生、まったく「火がないところの煙」状態ではなかったとしても、親が知ったら怒鳴り込んでくるくらいの、「手当たり次第」という表現には頬が赤らんだ。これは、「人種差別」とかとは違ったことだったのだろうと思う。そして、なによりもあの中年男性が、異常に私をめの仇にしていたことの原因は私にあったのだろうから、もう少し騒いで、生卵以外にも、もっといろいろ欲しかったな、などと反省はしている。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月27日
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恒例のタコ社長主催「メルボルン気楽会」が久しぶりに開かれた。馴染みの居酒屋に集い、老若男女が下心を極々抑えながら楽しく語らう会だ。「日本人の新婚さんが、こちらのホテルでツインベットを要求するのを、こちらの方はどうしても理解できないんですよね。」昨夜、初参加の20代の女性が切り出した。「タコ社長も、お連れ合いさんと同じダブルベットで寝ているんですか?」会常連の30代前半と思われる女性が、私に絶句させるような質問を飛ばす。そして、意味不明だったが、「私なんか、絶対別な部屋で別々に寝ますけどね。」と続けられた。この会、やはりもっと開催すべきだと痛感した。この会話の延長線で、日本の布団はシングルサイズしかないので、ホテルでも日本人がツインベットを要求するのでは、というタコ社長の発言に、なんとダブルサイズの布団がある、という発表が相次いだ。福岡、広島、そして岡山出身の方々だった。しかし、ダブルの布団は、どうやって押入れに入れるのだろうか。四つに畳んで、それこそ押し入れるのだろうか。80歳を過ぎた父などには、絶対に出来ない技だろう。赤ワインの酔いがやや醒めた。日本にダブルの布団が急激に流行り始めたら、日本の出生率は上がるのだろうか。イカゲソに箸をつけながら、人生の深い部分を慮った夜となった。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月26日
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日本語教師の他に何か永住のために役立つものはないか、と考えて指圧を学ぶことにした。立川にあったカルチャーセンターに申し込んで勉強し始めた。数年前に亡くなった有名な浪越徳次郎さんのコースだった。勿論、家庭指圧的な簡単なコースではあったが、高齢の浪越さん自らも時々来られて教えていた。あの、私が憧れて止まない金髪の原点で、一糸まとわぬマリリンモンローを指圧したというスミにも真ん中にも置けないお方である。このコースを無事終了し、メルボルンで指圧をしている浪越さんの愛弟子を紹介されその方を訪ねてメルボルンに来た、という経緯もある。結局は、家庭指圧では資格があるとはいえず永住権は申請できないとわかりビザ取得には訳に立たなかった。まったく、お粗末な話だ。そして、他はみんな柔らかいのに指だけは硬すぎて指圧に向いてないことも分かり諦めた。「タコ指圧センター」の夢は絶たれた。 「永住したいんです。」こちらの大学で日本語を教えているFさんを紹介され、彼の大学を訪問したことがあった。「永住ね。一番手っ取り早いのは日本食レストランのシェフになることかな。」33歳にもなり、観光ビザでオーストラリアに来ていて、「私は真面目です。」を額縁に入れて歩いているような、そんな真剣な私の問いにFさんは肩透しを食らわせた。何だこの男は、下らん奴だ、と思ってしまった。日本のサラリーマンを辞めてそんなに日も経っていない私は、変なプライドをぶら下げていたのだろうか。今、思うと私の方がずっと下らない人間だったように思う。Fさんは、「どうですか、ワインは?」と言いながら個室にある小さな冷蔵庫からワインを取り出して私に勧めた。今だったら、へべれけになるほど飲んでしまっただろうが、その時はもったいなくも断った。「日本語を教えることは、本当に日豪関係に役立っていますね。」私は、絵に描いたような質問をした。「私は、そんなつもりでは全然やってないんです。日豪間の掛け橋になろう、なんて気持はありません。唯好きだからやっているんです。」この野郎、言うこと一つ一つが腹立たしい。20年前の話だ。タコ社長、真直ぐしか見ていなかった熱血漢。しかし、反発しながらもこのFさんの言葉が、その後幾度となく蘇ってきて今に至っている。Fさんと会ってから1年半後、私は日本食レストランのマネージャーとして永住権を取り、そして日本語を肩の力を抜いて楽しみながら教え始めることになったのだった。そんな訳でタコ社長、それからというもの、人生を真っ直ぐに見ることをすっかり忘れ、横を向いたり、股の間から後ろを見たりする生きたがしっかり身についてしまい、円形脱毛症になることもなく、良いとか悪いとかの判断は別にして、気負うこともなく世を渡ってくることができている。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月25日
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ちょっと前までは、カツ丼を前菜代わりに食べていた。今は、最後に食べることにしている。物事には順序とがあることを最近悟ってきている。私は、カツ丼が大好きだ。カツカレーなんかになったら、毎日でもいい。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月23日
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今日、3ヶ月ぶりにジムに行った。まず、ジムで一通りのプログラムをこなし、サウナで汗を流し、外のプールで泳ぎ、またサウナに戻り、最後はリハビリ用の温水プールで浮かぶ。帰ってくると、ステーキをこってりと油でいためて、砂糖をまぶしてビックマック2つと一緒に食べてもいいような気になるから嬉しい。ジムもメンバーになった一昨年は、週に2、3回は行っていた。というより、行けていた。会社から帰るのが早かったのだろう。今年は、ほとんど行けない。行かない時期がまとまると、オランダ系の連れ合いが、出張や旅行と理由をつけて、私の会員の期間を延ばしてくれる。自分のを含めて、ちょくちょく延長依頼をするので、「また、来たか。」、とこのジムでは連れ合いはちょっとした有名人。こういう人は、敵にすると怖いけど、そんなことは絶対にないので安心している。来週からサマータイムが始まる。9時ごろまでゴルフができることもある。(10年くらい前の話しだが)業後に、庭の草取りとかいろいろできそうで、今から楽しみだ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月23日
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ちちは寝ていると、どうしても元気がでないということがよく分かった。青菜に塩状態なのだ。オーストラリア入りし、最初に一ヶ月バスで将来移住しようとしている国を見てみようと旅行した。20年前の話しだ。自分の居場所はまだオーストラリアにはなかった。ウォークマンでユリズミックスの当事はやっていた「There must be an angel 」を聴きながら、デイパックから梅干を一つ取り出して口に含み、顎のエラに強い酸味を感じながら海岸を眺めていた。旅の終わりが近づいていたときに訪れたゴールドコーストでのことだった。移住する、と大きなことを言って会社を辞め、オーストラリアに飛び込んで、将来は全く見えなく暗澹としていた。ビーチや海を眺めていて、いろいろな思いが交錯して飛んでいく。そして私は金縛りにあったように動けなくなってしまった。私は、一点をずっと見続けているしか術がなかった。浜で仰向けに寝ているビキニの上を外した女性の、ゆっくりとした姿態に見入っていたのだ。そして、寝ているとちちは盛り上がらないのだな、などと感心していた。因みに、あるとき寝ていても非常に盛り上がっておられる方を発見仰天して、同伴していた金髪の方に確認したところ、「バカね、あれは豊胸手術をしているのよ。普通だったらあんなことは絶対にないわ。」と親の仇にでも出会ったようにきつく一蹴されてしまった。それ以来、ちちに関するコメントは設定条件を十分考慮にいれて発しないとならない、と注意を払ってすることにしている。旅行に出たこの一ヶ月で、いろいろと発見することも多く、それなりの収穫も背負いながらグレイハウンドのバスに揺られてシドニーに向かって下りていった。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月22日
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「いいネクタイね。似合ってるわ。」馴染みの六本木クラブマキシムのホステスに言われたわけではない。若いときにお付き合いさせていただいた、アメリカ人のご夫婦がいたが、その奥さんが会う度にいろいろと着ている物を褒めるのだ。それは、デパートのバーゲンで値段を下げた物を更に20%引きした、などという代物を買っても変わらない。「人間、褒められると嬉しいからね。アメリカ人ってたいしたものね。」秋田生まれで、モンペでも着たらクワでも貸したくなるように似合う、東村山の母が感心していたものだ。因みに、サラリーマン時代の直属のH課長は、銀座のクラブなどに行って隣に座ったときに、「君、いいネクタイしているね。」と言いながら、そのネクタイを触って裏返しにしてブランドを確認することを趣味にしておられた。その、フン、といった態度が懐かしい。オーストラリアでの生活でいいのは、何を着ていても気にならないことだ。ファッションや持ち物への拘りが日本より桁違いに小さい。わたしが、そういう人たちと生活している、ということもあるだろうが、本当に楽だ。ところが、日本ではそうはいかない。日本に帰るたびにいつもそう思う。頭のてっぺんから足元まで、やけに気になる社会だ。若い人はともかく、私の年代の人とかは、それこそH課長じゃないが、何を着ているのかパンツの果てまで見透かされそうな社会。かといって上手に着こなしている人が多いというわけでもない。唯、金がかかっているな、と思われる物を身に着けている方が多い。こちらで、靴や服を買おうとるすとオランダ系の連れ合いが、「この間、買ったばかりでしょう。」と2年くらい前の話を持ち出す。そして最後には、「あなたは、何を着ても似合うし格好いいから大丈夫、大丈夫。」、と持ち上げる。これがいつもの殺し文句で、購入を控えること多々。というわけで、タコ社長、相変わらず同じものを着て、中味で勝負と連れ合いのオダテに乗ることになる。「褒める」、ということの効果を西洋人はいろいろな意味で熟知しているフシがある。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月21日
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やはり、もやしだ。たまったゴミを庭の片隅でもやす、とかの話ではない。何年か前に、突然始めた「もやしダイエット」、久しぶりにやってみた。ダイエットというのではなく、大量に買い込んでいたモヤシを一気に食べたということだが。来る夜も来るよもモヤシだけ、というダイエットをしていたことがある。栄養が豊かで、しかも満腹感はある。二袋も茹でて食べるのだから満腹にならないほうがおかしかった。味付けは、ゴマと黒酢という、これで文句が出たら何が健康食か、というくらいの設定のよさ。しかし、ダイエットはともかくとして、私が一番注目したのは「もやしを食べるとバスとが大きくなる」という作用の方だった。台湾にバストの元気な人が多い、ということは巷では良く知られたことで、一度は行って調べて、見たい気もしているが、これはバナナの作用とか。じゃ、台湾人がバナナともやしを食べたら、などと調査を極めることもできそうだが、どう考えてもそんな暇はなさそうだ。それより、日本のもやしの産地をつきあてて、などとこちらで夢を広げたい。もやしダイエットをしていて、そういえばと思ってバストを測ってみたら1メートル3センチ。なるほど、と感心してウエストに移動。愕然とした。さほど変わらない!ウエストを締めるよりバスとを大きくしたほうが早そうだ、などと訳のわからに方向に行きそうになったので、このもやしダイエットは暫くして頓挫した。第一、一日で最も楽しくあるべきの夕食が、毎日もやしじゃ全く勢いが出ない。オランダ系の連れ合いがいつもの夕食で、私だけが「もやし」というのも絵にもならなかった。ということで、最近我家ではバナナの人気が高い。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月20日
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もう我慢できない。こんな状態じゃ会社はやっていけない。限界だろう。目がかゆい、洟が垂れ流し、大きなクシャミの元気がいい。どの部屋からもこれ以上ないくらい大きなクシャミがきこえる。鼻があかい人が目立つ。そう、花粉症だ。会社内でタコ社長も含め重傷者が相次いでいて仕事にならない。私なんぞ、女性スタッフと話していていきなりハンカチ出して洟かんだ。こちらは、ちょっと歩けばティッシュが売るほど集まる国ではない。因みに、オランダ系の連れ合いは、日本に行くたびにスーツケース一杯に、「希望という名の重い荷物」ではなく、もらったティッシュを詰め込んで帰ってくる。私はもう、所かまわずハンカチだ。グジョグジョが気にならないレベルまで使いこなしている。一つだけ困るのは、トイレとか行った後に手を拭くときのあのやや躊躇したくなる感覚だけだ。花粉症の隙をぬって本当の風邪まで入り込み、昨日は早退者、残業途中で、「もうダメ」と言って帰る者も出る始末。今年は、花粉症が猛威を振るっているが、私は「もういい」って感じだ。タコ社長を筆頭にこんな状態じゃ、会社が春を越せるのか、本当に心配になる。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月18日
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メルボルン、だんだん暖かくなってきた。これからは、夜飲みにばかり出ないで、昼ノミの市などにいって、掘り出し物でも集め、高く売って家計の足しにでもした方がいい、なんてこと考えているが、実際は動かない電気製品なんか買わされたりして顰蹙ものだ。時々、自分は本当に商売に向いていないと思わされたりもするけど、東村山の父の後を継いで、警察官にでもなっていれば良かった、などとも思わず、のらりくらりとタコのように世を渡りながら一生をおえるんだろうな、などと夢を膨らませている。それにしても最近、今まで寄り付かずに私を見ると逃げ出していた、我が家の老猫ルーシー130歳が擦り寄ってくる。なんかいいことがあるのかもしれない。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年10月17日
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「二十歳のめぐり会い」という曲を覚えているだろうか。昭和50年前後に日本で流行ったフォーク調の歌で、シグナルというグループが歌っていた。このシグナルのボーカルでギタリストのSさんが、6年ほどメルボルンに住んでいた。私も友人として結構会って飲んだりもしていた仲だった。今は、日本に帰国し、ソロギタリストとしてその業界では可也有名で活躍されている。「タコ社長、私は、大体洋書のハードボイルドペーパーバックを400冊は読んでますよ。」ある日Sさんはそう大きな声で私にいった。いろいろな得意技のあるタコ社長だが、何が得意って、買った洋書は絶対に最後まで読まない、という得意技が群を抜いている。オランダ系の連れ合いなんかいつも、「どうせ、2、3ページ読んで終わりでしょう。」なんて、洋書を買おうとしている私のそばでいうのが習わし。そういえば、「ダビンチコード」、ずっと放っている。映画が始まる前に読んでおきたいが。連れ合いは、けっこう勘がいい。「天はニ物を与えず」なんてよく言われるが、私の場合は荷物の方は多い。このSさん、なんと日本でギタリストとして活躍されているだけではなく、英語を学ぶ本を3冊も出版されているという。これはニ物といってもいい。英語のTOIECという試験では、950点をクリアーしているSさんだ。Sさんは、洋書を読み込んでいたのだ。オーストラリアに20年もいるのに、なかなかネイティブのように英語は使えない。日本に帰る度に、日本語をほぼ完璧に話す外国人が増えてきていてなんとも居場所がない。昔は、E.Hエリックくらいのものだったが。この写真は、こちらの新聞に載った日本の「女性専用車」の記事だ。一億総痴漢のように思われかねない昨今の日本の動きを、一体こちらの人にどう説明したらいいのか分からないほど難しい課題ではある。「女性専用車」、WOMEN ONLY とある。分かり易く、すぐ思い浮かぶ英訳だ。そう思いながら、英語の記事の題を見たら、Man-free zone となっている。こういう表現は知っていて、これを見て、男が自由に痴漢できるゾーン、とかは絶対に思わないが、ネイティブならこう言うのだろうな、と納得してしまう。そして、TOIEC950点のSさんも、ニクイけれどこちらの表現を出してくるだろう。この差を埋めるには、あと20年くらいは必要かもしれない。しかし、連れ合いにもっと日本語を勉強してもらった方が早いかもしれないが。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月16日
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裸で歩いていて全てが縮み上がった。中年の見栄えのする女性が入ってきたのだ。しかし、惜しむらくはその方、作業着を身に着けて長靴姿だった。私は素っ裸。その女性の白い作業着とのコントラストが美しいく眩しい。でも、目は合わせられない。以前行った埼玉県、「かすかべ湯元温泉」での出来事だった。この大レジャー温泉は、平日なのに中高年を中心にわいわいがやがや賑わっていた。親友のAさんと二人で行ったのだが、圧倒的に年上の方々の形容し難い裸体を観察していた時に、この白衣の女性と出会ってしまったのだ。実はその女性、温泉場の掃除等の担当の方。オーストラリアには温泉や銭湯は全くないわけではないが、このようなことは絶対に望みようがない。サウナなどを含めると、10近い風呂がある大浴場だ。その後、この女性とは望むと、望まざるに拘わらす何度もお会いするハメになってしまったが、とうとう最後まで目を合わす機会は訪れなかった。視線はどこを向いていたのだろうか。日本に帰ると、同じようなことを別な所でも経験する。デパートなどの公衆トイレの中でだ。一瞬、続行中の動作が止まってしまう。今なら、前立腺肥大予備軍として、のんびりと用などをたしていて止まっているのか出ているのか分からない状態だが、青年時代などの時は止めるに止まらない若い勢いで悶絶。サラリーマン時代、アメリカ人の大柄な顧客とトイレで品定めしていた時に女性掃除担当員が入ってきたことがあった。その時の彼の顔は今も忘れられない。困惑を通り越して恐怖心がはしっていたのだ。彼にも一生忘れられない淡い経験になったと思う。子供の時から、こういうものだと育ってきた私たちなら別だが、異国の方々には刺激が強すぎるようだ。日本文化、今も健在である。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月14日
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こういう時もあるんだ、といった感じでバタバタしており、ご無沙汰してしまいました。タコも反省です。ブログは長丁場、マラソンみたいなのもですから、途中で靴も脱げて、コケちゃうこともあるし、トイレに行かないとならんこともあるでしょう。オランダ系の連れ合いの父親は、来年の1月で73歳になる。インターネットを楽しんでいる。唯、長くやっている私が専門家と勘違いして、いろいろと訊いてくるので、ちょっと困ることもある。父親は、私がブリスベンに行ったり、日本に行ったりしたときにも必ずメールを寄こす。最後はいつもKeep smiling. で結ぶ。本当にいつも明るく、ジョークが絶えない人だ。「今は、石油、ガソリンが高く困ってしまうな。でもこんな人がいるんだって。」といいながら父親が切り出した、「ある男が言ったというんだ。どんなにガソリンが高くなっても俺は大丈夫だと。俺はいつも車にガソリンを入れるときは10ドル分しか入れないから、ってね。」最近、顔の引きつることも多々あり、そんなときオランダ系の連れ合いに笑顔がない、と言われる。連れ合いは、この底抜けに明るい父親の影響が大である。Keep smiling ! 笑顔を忘れずに! ↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月14日
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何が嫌だって、寝ている時にアブラムシかクモかなんかに顔を横切られことと、ホテルでシャワーを浴びている時に、体にまつわりつくビニールのカーテンほど嫌なものはない。日本の出張の時など予算が限られているので、大きなホテルには泊まれない。バスルームは横になって通らないとならない。しかし、たとえそこそこの値段のホテルでも、日本のホテルの部屋やバスルームの遠慮がちな大きさには驚かされる。小さくて痩せている人にはもってこいのシャワーのサイズでも、横の方がしっかりと張ってきている私なんぞには、そのまま丸まって寝込んでしまいたいほどカーテンが馴染んでくる。かといってカーテンを開けたりして浴びたら、辺りがそれこそインドのトイレのように水浸しになってしまう。もう、この冷たいカーテンと仲良くするしかない。インドのトイレといえば、本当に長靴でもはいて入ったほうがいい、なんて思えてしまったトイレがあった。紙がなく水洗いの国だったからだ。今は、大分違っているだろうけど。インドのトイレついでに、昔デリーの空港の男子トイレでちょっと困ったことがあったのを思い出す。インドは、北に行けばいくほどアーリア系の背の高い大型の人が多くなってくる。背が高いだけでなく、足が長いのだ。背丈では負けないタコ社長だが、なんせ町内自慢の胴長短足。実は、そのデリーの男子トイレのチューリップの位置がえらく高かったのだ。並みの日本人で、あっちこっち並みのサイズの人だったら、背伸びして曲げても引っ張っても絶対に届かないこと太鼓判なのだ。上背185センチ、座高97センチの私がかろうじて予選通過って感じだった。今は、考え方と同様に人々の体型もいろいろと多様化してきているのだから、シャワーにしても、トイレにしても、国際的にもっと基本的人権が守られるよう考慮して欲しいものだと思う。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月11日
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「お父さんはパトカーに乗ることになったよ。」私が小学校高学年のとき、警察官だった父がいいだした。父は40過ぎてから車の運転を習い、パトカーに乗ることになった。父が急に格好良くみえ出した。当時は自家用車などは高嶺の花だった頃で、我が家に自家用車が出現したのは、ずっと後で私が高校生になった時だった。初めての車は、あの伝説の空冷エンジン車スバル360だった。次に乗り換えたのは、日産の小型車スタンザ、そして、昨年廃車にした最後の車はサニーだった。いまでも、エンジン音はまるでブラスバンド付き、と称されたようにうるさかったが、185センチあった私を収容して余りあったスバル360は車は驚きの車だった。ところで、私がオーストラリアで運転してきた車は、サニーに始まり、マツダのカペラ、マツダ3(日本では何というのか分からない)、そして今はフォードだ。今回の日本帰国で借りた車は、日産のティーダだったし、ブリスベンの出張で借りる車は、やはり日産のパルサーだ。どうやら、我家では天下のトヨタ車に全く縁がない。「にちゃんねる」なんかには相手にされないだろうが、その昔日本では「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉があった。明けても暮れても、話したり食べたりしていたものを標語にしたものだ。所変わってオーストラリアにも歌でも歌える同じようなものがあるという。「フットボール、ミートパイ、カンガルー」こちらも明けても暮れても話したり食べたりしている人気もの。因みに、カンガルーの肉はやや硬いが脂肪分が少なく人気もある。10月7日のこちらの新聞に、このオーストラリアの標語に、更にもっとも人気のある車を付け加えて論じられているニュースが出ている。戦後、ずっとトップ街道を走っていたオーストラリアの車は、GMやフォードの六気筒エンジンの大型車だった。因みに、この国では現在、GM、フォード、トヨタそして三菱が国産車を製造している。しかし、この9月の乗用車販売のトップに、初めて四気筒エンジン車トヨタの輸入車カローラがトップに躍り出たというニュースなのだ。輸入車の関税引き下げ、核家族化、女性の職場進出の増加、そしてガソリン価格の値上げなどさまざまな要因があげられているが、時代が変わる大きな出来事なのかもしれない。しかし私には、そういうこともさることながら、日本のトヨタの車がオーストラリアでトップになったことの衝撃の方が大きい。日本では、トヨタが富士重工の株をGMから8.7%買いうけ、富士重工の筆頭株主になるというニュースが出たばかり。もう、トヨタの快進撃は止まる所を知らないように見える。今まで乗ってきた車を思い出してみると、「誰が一体トヨタを運転しているんだ?」と訝ってしまうような人生を歩んでいる私だ。初めに乗った車は、その後の人生をある意味では規定してしまい、知らない人や車に乗るのは怖い、といった心理が働いているのかもしれない。あの、スバル360の富士重工が更に大きくトヨタの影響下に入る。そして、私の住んでいるオーストラリアではトヨタが販売台数でも、人気車でも共にトップになっている。子供の頃から東京で育ったわたしには、トヨタは「三河の田舎会社」としてウチには篤くソトには閉鎖的で、何を考えているのかわからないような会社、というイメージが強かった。「三河気質」とでもいうものがそうさせたのだろうか。その気質をもって、徳川家康は江戸幕府を興し日本を支配していった。三河の行政体制を日本的レベルにして、その後今に至るまで大きく影響をあたえている。日本全体が「三河標準」になった。三河は、徳川家康で日本を支配し、トヨタがその後を継いだ。トヨタの気質は昔も今も企業風土としてまったく変わっていないのだろう。そして今、その三河が世界制覇をその射程距離に置き始めている。「三河標準」が「世界標準」になる日がくるのだろうか。タコ社長、来年の車買い替えには、否が応でもトヨタ車をその選択肢に入れないとならなくなっているやも知れぬ。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月10日
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申し訳ないのだが、最近ダジャレが出てこない。体の調子でも悪いのだろうか。昔は、ダジャレしか言わなかった時期がある。ダジャレしか言わなかった社員もいて、二人になるともう手が付けられなかったといわれている。「怖い味噌汁」というのがある。いわゆる「恐怖の味噌汁」というやつだ。オランダ系の連れ合いが作った味噌汁とかいう話じゃない。これは、全日空のパイロットの方から伺った、本当にあった話だ。さて、どんな味噌汁なんでしょう。知っている方は絶対に答えないでください。あまりに怖すぎますから。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月09日
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サラリーマン時代の話だ。会社1年先輩のKさんと六本木に繰り出した。馴染みのクラブマキシムを出たときは1時近くになっていた。「タコ君、もう一軒行こう。」大学時代、レスリングをやっていたKさんは酒豪で、トイレで吐きながら出てきても飲み続けのを特技としていた人で、飲み始めると帰ると絶対に言わない人だった。所帯をもっていたが、独身のように付き合いがいい。2人で六本木を歩いていると、「おお。」といってKさんが、ちょっと粋な女性を呼び止めてなにやら話している。「タコ君、今晩、この人の家に泊めてもらいな。俺は帰るから。」別なクラブで働いているという40がらみの艶っぽい女性、店がはねて青山のアパートに帰るところだった。そう言ってKさんはさっさと行ってしまった。「Kさんも困ったもんね。仕方ないわね、あんたいくつ。」「29です。」私は酔っていたので、アパートに着くやいなや、彼女の隣の部屋で布団を敷いてもらいもぐりこんだ。まったく知らない人のアパート。しかも、女性一人のアパートだ。なんだか、甘ったるい匂いのする部屋だった。すごく、いい気持ちで布団に包まった。彼女はお風呂に入っているようだった。胸騒ぎがしだしてなんだか寝付かれない。「もう、寝た?」ドキッとした。しばらくして隣の部屋から声がした。目がパッチリと開いてしまった。すべてが見えるような気もする。ドキドキする。何なのだろう?「あのね、もしかしたら、私の彼氏が来るかもしれないのよね。ただ、泊めてあげるんだから、変なこと考えちゃだめよ。もし、来たら、ちゃんと説明するんだからね。」えっ!もしかしたら、あっち系の人だったりしないか、などと考え始めたらもう寝られない。戦慄が走り、酔いも急激に冷める。何なんだこれは!こういう時は、とんでもないことまで想像してしまうもので、元気のあったあっちこっちが縮みあがってしまった。ほとんど、一睡もできないで、私は朝6時頃そのアパートを出た。タクシー券を束で持っていた私にKさんが、どうして彼女の家に泊まれと言ったのかは未だに謎だ。それからは、たとえ相手が金髪であっても、知らない人の家には絶対に泊まらないことにしている。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月09日
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「愛してる。」とかいうのも入れると、私は苦手なものが山とある。その一つが敵をつくることで、これなんか大の苦手。どんなに考えても、このメルボルンでさえその類の人は21人くらいしか思い浮かばない。そんな平和なメルボルン、週末は苦手な庭の草むしりとかで流れていきそうだ。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月08日
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文芸春秋と、いま一番熱心に読んでいる本子供の時の愛読月刊誌は、誰もいない時の「主婦と生活」。特に、絶対に切ってはいけない綴じ込みページだった。結構な技術がいたもんだが、概して日本人は手先が器用にできていて、その子孫であることを誇れるときでもあった。ちょっと前の帰国で、この「主婦と生活」が話題になったことがある。「Yさんに貸したらね、綴じ込みが切られて返ってきたのよ。」と母が切り出した。警察官住宅に共に住んでいたYさんのオジサンは、その後警察署長まで上り詰めた人だ。「旦那さんが勝手に切ってしまって、Yさんの奥さんが申し訳ないって謝りながら返しにきたの。」そんなことがあったらしい。母は、あの手の記事が大嫌いで、決して切られた月はなかった。もしかしたら父は、私と同じ技術を駆使していたのかもしれないが、今更聞いても仕方がないので黙っていた。ついでだから言わせてもらうが、あのピノキオのイトコのような木の人形だけはなんともいただけなかった。因みに、今の愛読月刊誌は父が未だに毎月送ってくれる「文芸春秋」で、なんの技術もなくても読めるものになっている。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月06日
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1986年1月2日 ニュージーランドのクイーンズタウンで「大丈夫よ、ヒッチハイクで一緒にどう?」ニュージーランドのアーサーズパスという有名な高原地帯のユースで一泊したあと、私は電車でクライストチャーチまで戻ろうとしていたら、旅の途中で一緒になったアメリカ人のリサがそう言う。リサは27歳の消防士で、休暇を利用してニュージーランドとオーストラリアをの旅の途中だった。長い金髪が束ねられて輝いていて思わず手がでそうになる。1986年の1月のことだった。このニュージーランドの旅の最初の方では、私もヒッチハイクを試みたが、なかなか車が止まってくれなくて結構大変な目にあった。だからもうニュージーランド旅行中は、二度とヒッチハイクはしないと決めていた。しかし、どうだろう。リサは日焼けした太ももなんか出さなくても、手を上げると瞬く間に一台の車が止まった。私は駅に行きかけていたのだが引き返した。昔のハリウッドの映画を思い出した。女性が手を上げて止まった車に、隠れていた男性が一緒に同乗するというやつだ。男はクラーク・ケーブルだったと思う。タコ青年とクラーク・ケーブルを比べても何も始まらないが。正直言ってなんだか、リサが止めた車に同乗するのはちょっと照れくさかったが、乗せてくれた人が、スケベそうな金髪狙いとかじゃなくて、本当に親切なオジサンだったので救われた。これが最後のヒッチハイクではあったが、リサと、この人のお陰で、ニュージーランドののどかな景色を十分に堪能させてもらった。もう、20年近く前の話しでまだヒッチハイクも比較的できた頃の話しだ。私は、むさ苦しい男とかのヒッチハイカーに出会うことは多く、勿論一度も止めたことはない。全く他意はないのだが、あの時のリサのようなヒッチハイカーには残念ながら未だ会ったことがない。よしんば出会って止まったとしても、草むらから元相撲取りのような怖い男が出てこないとも限らないので、一応素通りすることにはしている。リサとは、その時の目的地クライストチャーチで素直に別れ、それが最後となった。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月05日
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3年前のタコ社長、よそのお子さんと記念撮影子なしのタコ社長に大変なニュースが飛び込んできた。なんと、オーストラリアでは出生率が上昇に転じているというのだ。先進国の数字は軒並み低下に突進していて、少子高齢化が大きな問題になってきているのに、この世界の果ての孤島では子作りが賑やかなのだそうだ。そういわなくても、この国には珍しい動物が多いと書いたばかりだ。新聞の報道によると、オーストラリアの出生率は2001年には1.73まで落ち込んでいたが昨年は1.77まで回復、今後10年で1.80までいくだろうという恐ろしい数字まででている。そういえばオーストラリア、子供が3人なんていう家はうじゃうじゃある。昨年の7月から、オーストラリ政府は新生児に3000ドルの支給をしている。それがなんと2008年からは5000ドルに引き上げられるらしい。こういう政府の出生奨励策が功を奏しているのは間違いないと思われる。これが10、000ドルになったらタコ社長も老体に革のパンツでもはいて鞭打って、危ない世界に入ってみようなどと血迷っているわけではないが、郵政民営化のお題目を唱えている小泉政権に、「朗報です!」とお知らせすることくらいはできそうだ。昨年の出生率1.29という日本の少子化への歯止め策は、案外近くにあるのかもしれない。しかし、よくよく考えなくても、物事には原因があって初めて結果が現れるのが世の常。原因がレスになる勢いが止まらない日本だというし、セックスは家に持ち込まないなどと公言して憚らない御仁が列を作っている国であるならば、40代、50代は年平均68回などといわれているこのオーストラリアと比較して論じること自体が、まったく意味をなさないのは誰のみにも明らかなのだろう。タコ社長、健康で長生きすると面白いことがまだまだ沢山ありそうだ。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月04日
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メルボルンの朝日新聞「The Age」に出ていた統計によると、イギリスでは52%の女性が朝起きたときに紅茶を欲するという。因みに3%の人はセックスだそうだ。100人に3人が多いのか少ないのか、この統計が月曜日なのか土曜日なのかなどといったことは追求できない。更には、日本だったら日本茶なのだろうか、3人じゃなくて4人くらいじゃないのだろうか、などといった憶測にも無理がある。こちらでは、休みのときなどご主人が奥さんに朝ごはんを作ってベットに運んで、いつもの労をねぎらったりしている。こういうさまざまな作業を称して、「オーストラリアンハズバンド」といったりもする。私の家では、平日、オランダ系の連れ合いが寝ている時に家を出るので、週末にこんなことをする理由は見つからない、なんて言っているので、私はいつまでたっても連れ合いにも、老猫ルーシー130歳にも人気がない。紅茶くらいなら、別にバチも当たらないだろうからやってみたらいいのだろうが。日本のお父さん達の現状を知りたいものだ。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月02日
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我が家の老猫ルーシー130歳と訪問者を待つ↑ ↑ ↑ ↑
2005年10月02日
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今回帰国の買い物の極一部「私は、このストリートが一番好き!」オランダ系の連れ合いの目が輝く。表参道とか乃木坂、そしてタコ社長の原点歌舞伎町とかの話ではない。埼玉県所沢の駅前通りのことだ。理由は明快、僅か1キロ位の通りに2つもの「100円ショップ」があるからだ。日本は格安ショップと高級品ショップへの二極化が進んでいるのだろうか。この所沢は、両親の家のある東村山の隣にある。東村山は響きとしては、何故か埼玉っぽいがれっきとした東京都下。県をまたがって100円ショップに買い物に出かけていたことになる。連れ合いは、一つだけこの通りに不満があるらしい。99円ショップがないことだという。100円ショップに長居をすると、何かを買わないといけないような心理にされるらしい。今回はこの心理を十二分に味わわせていただいた。高級品ショップに行くことへの心配は向こう50年くらいはないとして、これから100円ショップへ行き過ぎて蔵が傾いたりしないようにしないとならない。↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月01日
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実は、タコ社長が売れているのだ。生活に瀕して体まで売り始めた、という訳ではない。ご存知だろうか、あのワンルームマンションの「ツカサ」がネット新聞を立ち上げていて、タコ社長のブログ日記などが売れているという。何と、週に3000円くらいの収入があって、これで老後の安泰の夢が開いてきていて長生きに拍車がかかりそうだ。このネット新聞には、実名の「タコ社長」で出ている念の入れようである。こんな庶民が記者となっていろいろ書ける時代になったんだなと感慨深いものがある。ツカサネット新聞 http://www.222.co.jp/netnews/↑ ↑ ↑ ↑「なるほど」、と思えた時だけ、この緑の箱をぶっ叩いてください。
2005年10月01日
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