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大晦日です。皆様、いかがお過ごしでしょうか。ゴールドコーストのはずれの海岸で、トップレスの方々の撮影会をしようと思ったのですが、あまり接近して逮捕されたりしたら困るので、写真では遠景にとどめましたがどうぞじっくりとご堪能ください。今年は、このブログを始めたことで本当に世界が大きく変わりました。いろいろな方々とお話させていただき、ある意味ではバーチャルな世界ではあるでしょうが、嬉しい元年となりました。2006年は、もっと楽しいお話をお伝えできるよう願っております。特に、カツ丼については極めたいと思います。元気で美味しいものが食べられることほど素晴らしいことはないと考えております。皆様、暖房の方も、冷房の方も、はたまた扇風機の方も、どうかお体を大切に良いお年をお迎えください。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月31日
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久しぶりに問題です。この人は一体何を獲っているのでしょうか?ヒント:向こうに見える黄色いものがヒントです。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月30日
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ゴールドコーストもまずは「カツ丼」からスタート。「美味しいカツ丼を食べる友の会」会長としては、まあまあな味とコメントできるものだった。「シェフは日本人ですか?」と訊くと中国人だという。それで納得。見た目より味の豪快中国風カツ丼だった。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月30日
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ゴールドコーストの友人宅に無事着いた。2000キロとはやや大風呂敷だった。1800キロくらいだった。初日は8時間半のドライブで、二日目は9時間だった。運転も危ないこともなく無事だったが、毎晩4時間くらいしか寝ていたかったので、正直いって眠くて仕方なかった数時間があった。でも、一人で運転しきった。何しろ、オランダ系の連れ合いに運転を代わってもらおうと思っても、連れ合いはほとんど二日間車の中で寝ていたのでそんなわけにもいかない。大体、一日8時間くらいは寝ない済まないのが連れ合いで、4時間とかいったらもう地獄の閻魔さんに挨拶一歩手前状態。そんな訳で、ずっと楽しい運転だった。途中、瞬間風速で160キロ出したが、あんな所でスピード違反の隠しカメラでもあったら、もう免停間違いなし。とにかく、こうして日記を書くことができて一安心。それにしても、クーラーのない家で、湯水のような熱い汗をかきながら、ほぼ素っ裸に近い格好で書いている。想像していただきたい。世界一汗かきのタコ社長、いつまでもつか心配だ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月29日
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今日は、一日中動き回っていた。留守中、家に住み込んでくれる留守番のご夫婦がいて、我家の老猫ルーシー130歳も安心だ。こちらでは結構こういうことができる。明日は予定では5時に家を出るのでもう寝ないとならない。暫くはブログにアクセスできない。なんせ2000キロの移動だ。途中、ネズミ捕りにひっからないよう願って。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月26日
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朝、10時の友人宅訪問、家族のクリスマス、帰ってから隣のバリーさん宅で酒盛り。終わったのは11時だった。今、ちょっと戦い終わった後のような虚脱感、なんて言ってられない。明日からの遠出に備えて、選択、掃除、荷造りが待っている。ブログも覚束ない。それにしても、酔いが抜けない。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月26日
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こちらは、クリスマスイブは何もない。最後のショッピングをしたり、TVでクリスマスキャロルの演奏を見たり、ブログを書いたりして終わる。本番は明日の25日だ。毎年、酒を飲みすぎて途中で寝てしまう楽しい日だ。まず早起きして寿司を作り、隣に配り、それから車で友人宅へ行きまた寿司を配り、シャンペンでお祝い。昼にやっと本番開始の家族のクリスマス。ここで、どっと寿司を出す。もうこの頃にはいい気分だ。それから延々と夜まで続く家族のクリスマス、途中で昼寝でもしないと体がもたない。もともとこういうのが好きだから、けっして不満を述べているわけではない。毎年、この時期に自殺者が多いという。クリスマスは日本の正月と一緒で家族の集まりだから、孤独に耐えかねてのことだろう。してみると、こうして家族が元気に飲み食いができることに何の文句があるものか、といったところだ。欲を言わせてもらえるなら、おせち料理とかもあると申し分がないのだが。さて、今日は早くねないとならないが。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月24日
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六本木が、危ないと言われ始めてから久しい。昔は、危ないのは新宿と相場が決まっていたものだ。犯罪取締りが厳しくなって、そういう輩が六本木に移動しているというのだ。サラリーマン時代、ご厄介になった六本木。あの頃はちょっと品のある街だった。交差点のアマンドの前に立っているだけで、東村山から出てきている感覚から抜け出せていた。店に同伴で入る客とホステスのカップルとか、外国人と日本人女性のカップルなんかが目立つ、なんとも和やかな雰囲気があった。色でいうとピンクが似合うような街だった。いまはなき、「クラブマキシム」のみはるさんらと待ち合わせたのも、このアマンドの前だった。すっぴんで現れたみはるさんを見失いそうになった。若気の至りでまんまと大金を騙し取られた、フィリッピンの歌手、見ては怒られそうな名前のミルナともここでお茶をした。華奢な体でダンスはイマイチだったが、彼女の歌う「ニューヨーク、ニューヨーク」はかなりいけた。因みに、アイダホ生まれのタミーは、嫌がりながらも映画や鎌倉に行ってくれた親切なヤンキー娘だったが、あまりの豪体でダンスしていて無理に接近を試みても顔は近寄らない方だった。ちょっと気のきいた友人達との待ち合わせには、セリナの近くのバーニーインのスタンドバーだった。白人男性にモテまくる日本人女性を、それこそ尻目に一人ジョッキでビールを飲みながら人を待つ。静かな風情があった。ここは、日本男児がもてないことの訓練の場といえなく、随分と厄介になった。それではと、会社の女の子達を無理に誘って、その地下のディスコレキシントンクイーンの入場料の高さに驚くそぶりも見せずに安月給で奢ってみせた。これら、数々の不発のイベントも懐かしい。そんな六本木が今は、麻薬などの密売の巣になっているという。タコ社長、脛が足らないほど傷を作った新宿と、ちょっと上品で浮いてしまいそうだった六本木が、今は同じになってしまったのか。少し淋しい気もしないでもない。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月24日
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本当に豪華なパンだった。オランダ系の連れ合いが、どうして私のブログは食べ物ばかりかという。そんなつもりは全くないのだが、どうしても好きなものに目がいってしまう。日曜日に死ぬほど飲み食いする家族のクリスマス会がある。今から楽しみだ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月23日
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本日、仕事納めです。会社はこれから1月2日までお休みとなります。こちらは、クリスマスを大いにお祝いします。大晦日も結構大きな日ですが、正月というのがありません。この落差は、われわれ日本人にはちと淋しいものがあります。逆に、オーストラリア人は日本のクリスマスに淋しさを感じ、日本にいたらホームシックになるといいます。こちらでクリスマスを過ごして日本に帰国、正月で大いに盛り上がるという贅沢な方法もありますが、わたしにはありません。正月に帰ったのは8年前です。例年通り、25日の家族のクリスマスにはタコ社長、寿司もどきを作ります。前菜用ですが、テーブルからこれがなくなるまでは、結構人気者になれる日です。それからが大変です。荷物をまとめて、車で約2,000キロ離れた北のクイーンズランドに参ります。過去に2回車で行きましたが、最後に行った時、もう二度と車では行きたくない、と懲りた筈なのに。(怖い目に2度も遭いました)こう見えても、お産をしたことがないので何ともいえませんが、あの苦しみはもう二度と、といいながら8人も子供生む人もいる訳ですが、そんな気持ちに似てなくもないのかもしれません。辛さより、喜び、楽しみ、期待感、みたいなものが沢山あるからでしょう。オランダ系の連れ合いと二人して、二日かかりで行きます。得意な、言い争いなどしないようにせんとなりません。なんせ、狭い車の中ですから。そんな訳で、休暇中はブログも覚束ない日々となる可能性が大ですが、なんとかやっていきます。問題は、この期に及んでまだ連れ合いにクリスマスプレゼントを買っていないことです。物事の本質を考えたら、仕事なんかしている場合じゃないのですが。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月23日
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食卓にはいつもゴマと赤ワインがある。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月22日
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ハエ取り紙2,3本じゃどうも焼け石に水。今年、私の住むヴィクトリア州はハエが、どうやって数えるのかわからないが、なんと6,500億匹も異常大発生だという。こちらのハエは、びっくりするほどゆっくりと飛ぶものがあったりするが、主流は人なつっこく顔に止まったら、絶対に逃げないタイプのもの。顔を振っただけだと張り付いていて手で追い払わないといけない。しかし、また戻る。そして、追い払う。この繰り返しが面倒くさくて、その内張り付いたままにしてしまうこともあるくらいだ。最近はしていないが、ゴルフのパターを打とうとしている時は最悪だ。そして、TVのキャスターなんかが、真面目なトピックにコメントしているときなどにハエが顔にたかって、話しより気になってしまうこともある。道を歩いている時は、この行為が移動しながら起こるので、まるでハエ達と散歩している気分に浸れる。ハエは、猛暑で大発生というが、彼らも涼を求めて人の顔に寄ってくるらしい。目は湖畔、口はヒンヤリした洞窟とかなのだろうか。偉大な農業国オーストラリアだから、昔からハエがいなければオーストラリアと言っては申し訳ないような国ではある。しかし、今年はちょっと網でも被らないとならなくなるかも知れない。最近、口開けてボーッとすることが益々多くなってきているタコ社長、この時期はキリッとしていないと、それこそ昔誰かに言われたように、ハエを寄せ付けるように人を寄せ付ける「ハエ取り紙みたいな人」なんてことが復活してしまいそう。もっとも最近は、人があまり寄ってこなくなったの、本物のハエ取りタコになり兼ねないが。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月21日
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メルボルンはチャイナタウンが街のど真ん中にある。アジア人だらけで、元相撲取りのタコ社長も完全に埋もれてしまう。15個が無造作に盛られた水餃子は、誰ともシェアーしないで食べたい。まず、箸つけて。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月21日
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「何で、そんなに沢山荷物持っているの?」オランダから旅行に来ていたアデールが聞いてくる。「このバッグの中にラジカセをいれていてね。だからバックパックを背負って、もう一つバックをさげているんだよ。」33歳の私は、一人でオーストラリアを旅していた。途中から、このアデールと一緒に回ることになった。アデールは、オランダで繊維の染色の仕事をしていて、私と同じ年だった。ベンディゴに移住していた兄の家族を訪れたついでにオーストラリアを旅していた。私が、引越しができるほど荷物を持ってオーストラリアを回っているのが不思議だったようだ。「いい曲ね。」ユースで山下達郎のテープを聴いていたときアデールが寄り添ってきた。タウンズビルからフェリーに乗ってマグネティックアイランドに渡っていた。青い海と空に達郎の音楽が流れ飛んでいく。なんだか、ちょっと気取ってみたくなったが、やはり私じゃ絵にならない。「泳ごう!着替えてよ、早く。」アデールと浜に出た時彼女はそういって自分だけさっさと着替え始めた。ゴザひいてスイカを食べるような海の家があるわけではない。というより何もない。そこで、日本男児の私に赤フンならともかくビキニの海パンに着替えろというのだ。さすが、スエーデン、デンマークの流れを汲みに汲むオランダ人、などと感心している場合ではない。日本の横須賀の海外ほどではないにしても、そこそこ人もいる海岸だ。立って着替える勇気はない。こういうのを勇気といえるのかは分からないが。それでも、横になった状態でなんとか着替えて海に飛び込んだ。達郎の歌が聴こえてくるような感じがした。33歳といえば、サラリーマンだったら会社からもらう給料の何倍もの仕事をし始めないとならない年だ。そんな年に私は、こんな極楽のような海で金髪ともがいたりしていた。あまりに現実離れしていたその生活に、やや酔ってしまっていたのかもしれない。罪悪感はまったくなかった。それにしても、あの頃はビキニがよく似合ったもんだった。20年前に、私とオーストラリア中を回ったラジカセ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月20日
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一人前で調度よくなってきている。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月19日
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1 生きものを殺してはならない。2 人のものを盗んではならない。3 淫らな男女関係を慎む。4 嘘をついて人をだましてはいけない。5 酒を飲んで心を乱してはならない。我が社の社訓ではない。中国の鑑真和尚が唱えた、寝て聞いてはいけないオキテだ。アブラムシとか蚊とかワニなどは、どこまでもどこまでも追いかけて叩く。スタッフの机においてあった煎餅やクッキーは食べる。3は、飛ばす。「可愛いお子さんですね。」、とまったく反対のことを赤ん坊を見せられた親に言う。飲んで人生をはかなんだり、新宿歌舞伎町を思い出したりする。3については、鑑真さんに異議があります。淫らじゃない男女関係ってあるんでしょうか?いずれにしても、走り高跳びで5メートルに挑戦するようなオキテではある。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月18日
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「タコ、人生いろいろあるけど、何とかなるもんだよ。そして、人生はエンジョイしないとだめだよ」飲み屋で知り合った亀のような顔をしたネロと名乗る初老の男性がいう。ネロは75歳だという。1960年代の初めにオーストラリアに移住して、シドニーからケアンズまでの町を転々としという。「サトウキビ畑でずっと働いたよ。自分の思い描いた移住の生活とはかけ離れたものになったけど、それでも生まれたイタリアに帰りたいと思ったことはないよ。」亀の頭のような皺っぽい顔、大きな垂れ目で私を見上げるようにゆっくりと訛りの強い英語で話すネロの目は年のせいだろうか濁ってはいたが、それでも子供のように笑っていた。今年、2005年もいろいろなことがあった。思い出して何度も反芻したいこと、二度と思い出したくないことなどどちらにしても盛りだくさんだった。しかし、移住者である私達は、人の国で何とかやりながら人生をエンジョイしてやっていくしかない。ある意味では、祖国である日本を捨ててきているのだから。2006年も、下心や希望に裏打ちされたしっかりとした年になるように願っている。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月17日
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下がイモ、上が肉。なかなか食べるのに技がいた、昨夜の宴。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月17日
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「タコ君は英語がご堪能だから。」って言われたよ。中学校の父母会から帰った母が言った。常に学年トップのUのお母さんにそう言われたとのこと。「何がご堪能だよね、まったくヘソが茶沸かすよな。」秋田仙北郡の百姓出身の母は、歯に衣着せぬ言語能力に長けていて、昔から皮肉とかで晩飯が作れるくらいの人だった。よく学校には、自分はまったく勉強していないといいながら、陰では死ぬほどしていてテストでいい点を取る者がいる。しかし、Uは勉強していないというのが100%信じられる人で、そしていつもいい成績を残す、箸にも棒にもかかり過ぎる人だった。天才肌の人いうのだろうか。世の中、この人には絶対に敵わないって人が五万といるが、Uは間違いなくそういう人の1人だった。そして、更にイヤミなのは決して、奢ったところがないということだ。もうこうなったら、極楽の池の蓮の上にでも乗せて拝んでいるしかない。そこへいくとタコ社長、英語に力がはいったのも、9歳のときの金髪初恋ヤンキー娘ラビン7歳と一言も会話が出来なかったことへの反発という、下心しかないような動機。堪能といわれようが腎臓と言われようが、動機がしっかりしているので絶対に動じなかった。「タコ君は、英語の発音は私なんかより上手なんですよ。でも、テストになるとこれが全くダメなんですよね。」I先生にそういわれたよ。同じく、秋田出身の母が、今度は高校1年のとき担当で英語教師だったI先生言われたのだそうだ。この頃から座りのいい英語力にはなっていったようだ。それから、人生紆余大曲折もあったが限られたことに対する筋は通したつもりだ。こうしてオランダ系の連れ合いと、私になつかない我が家の老猫ルーシー130歳に遠巻きにされながらも割りと地味に生活できているのも、あの中学校時代の不純な英語への動機のお陰だと感謝しないわけにはいかない。あの頃、「ご堪能」で本当に良かったと思う。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月15日
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喉チンコの腫れもひき、さあパーティーめじろ押し!↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月14日
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喉チンコが大いに腫れて、洟は湯水のように垂れ流し。昨夜からのタコ社長だ。3年に2度ほど喉チンコが腫れる。本当に大きくなって鏡で見ているだけで気持ち良くなるが、呼吸に支障が起きるくらいになる。これに熱が加わるとちょっと厄介になる。今日は全てほどほどにして早く寝ることにしよう。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月13日
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メルボルンの西武デパートMyerの毎年変わる動くクリスマス人形。これを見ないとメルボルンのクリスマス、始まらないし終わらない。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月12日
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オランダ系の連れ合いの父親は52歳でリタイヤしたという。ある程度の財を成したあと、汗水流して働いてもほとんどを税金でもっていかれるなら、リタイヤした方がいいと判断したとのこと。タコ社長、既にその年は越えている。但し、私の場合はある程度の財は無し、だからリタイヤの後姿はまったく見えない。健康である限り、日本独自の中高年馴染みの表現「生涯現役」を座右の銘にして進んでいきたい。しかし、この言葉を連れ合いに説明するの20年くらいは後ししよう。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月11日
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精力をつける朝ごはんか、精力を回復する朝ごはんか。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月11日
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先日、出勤途中のラジオで言っていた。こちらのテレビで男性の対談があって、一人が言ったという。「何で、あんたはそんなに太っているだ。」ラジオとかテレビとかでの設定ではないだろうが、私だったらどう答えるだろうか。「そうなんですよ、元相撲取りだし。最近は黒豆茶なんか飲んでダイエット励んでいます。」とか言いそうだ。このテレビの対談の相手は、周りが分かるほどカッとなってこう言い返したのだそうだ。「お前の奥さんが、いつも俺とHした後にビスケットを出して食べさせるからだよ。」こんな回答が想像できただろうか。日本ではまずこういう展開にはならないだろうと思う。もっともその人も、本当にそういう関係なら絶対にいわないだろうが、相手がノックダウンするようなストレートなコメントを臆面なく言い放った。こちらに長く住んでいると、男女を問わず言われたことにはその数倍言い返す、という場面に嫌というほど立ち会うことになる。最近は、こういう状況になると相手がどう出てくるか、けっこうわかるようになった。ある意味では単純な社会ではあるが、強烈なパンチが遠慮なく飛び交う。私達は、状況によっては思っていることをストレートに言わない社会で育ってきた。「察っしの文化」というのだろうか。相手の気持ちや思っていることを、先回りして察する、そして対立を避ける。しかしよく、こっちの人は言いたいことを言ったあとはさっぱり忘れるという。そこが日本人と違うところなどと言われる。でも、実際は相手をコテンパンに言い負かした後に、その相手がさっぱりとしているとはどうしても思えない。今度はお返ししてやる、みたいな殺気さえ感じる。オランダ系の連れ合いの家族、さらにはその親戚大家族で私が今のところわりと受け入れられているのは、私がこういう対立を避けているからかもしれない。勿論、語学のハンディもあって、英語で喧嘩したら絶対に勝てないことは連れ合いとの仲で実証済みではある。タコ社長、「お前ら、日本語だったら負けないぞ。」と思いながら、語学のハンディをいいことにして黙って笑っているのが平和貢献にいいように思える。やっぱり私は、死ぬまで日本人だ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月10日
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ジャムと生クリームをスコーンにたっぷりとつけて、紅茶と一緒にいただくデボンシャイアティー。小一時間でいけるダンデノン丘陵のが結構いける。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月09日
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「私が連れていきます。」大手商社Mの渡辺課長は、ネクタイをパッと取ってそういった。当時はまだ赤坂にあったヒルトンホテルで、マレーシアからのお客さんと日曜出勤で商談していた。話しが一段落したら、お客さんを接待しないとならない。しかし、まだ昼の2時半だ。夜なら得意のタコサラリーマン、昼間は借りてきた盛り猫。そんなとき、渡辺課長がお客さんを遊びに連れてくと言い出したのだ。と言っても大の大人を3人連れてデズニーランドって訳ではない。普段は四角のものを更に四角に磨くように仕事をしている渡辺課長がネクタイを取ったときは、凄みにようなものを感じた。営業は、正に「男ゲイシャ」を地でいかないとならない、そんな時代でもあったのだろう。そんな渡辺課長とお客さんの乗ったタクシーを見送った。そしてわたしは、足早に赤坂見附駅に1人で向かった。外の浮ついた白い光が眩しかった。タコ社長、あのままサラリーマンを続けていたら接待だけは間違いなく超一流になっていただろ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月09日
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見た目より5倍くらいは美味しかった↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月08日
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バージンに乗った。先日、シドニーに行くときのことだ。「ナターシャが貴方のこと見てるわよ。」同乗していたオランダ系の連れ合いがいう。格安バージン航空に乗った人は分かるだろうが、フライトアテンダントのチーフが、クルー全員の名前を乗客に伝える。通常は金髪の元気なアテンダントが多いのだが、そのナターシャは大きな目の黒髪。連れ合いに言われて私も見つめると、そのナターシャがニコッとしたのだ。ドキッ!ああ、1人だったらな、などとはまったく思わなかったが、思わず連れ合いの顔を見てしまった。連れ合いは疑いのマナコで薄笑いしている。「ナターシャ、ナターシャ、??」そして、おぼろげに思い出したのは、私がこちらの公立の専門学校で日本語を教えていたときの生徒ではないかということだ。13年前の話だ。「タコ先生ですね、日本語の先生の。」ナターシャが窓際に座っていた私にわざわざ挨拶にきた。連れ合いも私も、これで一安心した。黒く引き込まれてしまいそうな魅力的な瞳で目一杯笑顔をつくって挨拶してくれたナターシャ。コーヒーくらい只で持ってきてくれるのかと思ったがそれはなかった。バージンは格安のため、機内食はすべて有料となっている。自分で日本語学校をやっている時と、この専門学校での教え子を足せば800人以上にはなる。教師は生徒を忘れても、生徒は絶対に教師を忘れない。どこで誰が見ているかわからない環境が整っている。飛行機を降りるときにナターシャと少し立ち話した。なんだか気持ちが温まった。「じゃ、頑張って」と日本語で言って別れた。バージンは、フライトアテンダントと乗客の垣根が限りなく低くなったように思えて親しみ易い。また去年は、メルボルンーブリスベン往復58ドルというのがあった。北海道―九州往復5000円といった感じだ。価格の面でも親しみがわく。バージンに乗ると、これからもいろいろと楽しいことがありそうだ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月07日
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私ではなく、オランダ系の連れ合いの義理の弟です。だいたいいつもこんな調子です。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月06日
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バックはどちらかというと好きな方だが、トラックバックはいけない。以前も、セックスの話をしたら50個くらいのトラックバックとやらが這い出してきて、ずっと閉じていた。そして、もういいかなとトラックバック復活。そして、こんども本当に久しぶりにセックスのことをかいたら、30個のいたいけなトラックバックがついてきた。せっかく書いてくださった方のトラックバックまでもすべて含めてお釈迦にした。私にセックスの話しをするなということなのかもしれないが、どなたかこのすごくいやらしいトラックバック群のアクセス禁止をする方法を知っておられたら教えてください。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月06日
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田舎も乾燥している。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月06日
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セックスの話しはあまり得意じゃない。「欧米にはそもそも『セックスレス』という概念がない。セックスをしない夫婦は愛情がないとされ、すぐに離婚となってしまうからです。しかし、日本ではセックスの頻度が減って『セックスオフ』が続いても夫婦関係は維持できる。これは文化の違い。」トイレで日本の週刊誌を読んでいてこんなコメントに出会ったら得意じゃない、なんて言っていられないくなった。まず、こういう概念が欧米にはない、などと言い切るならば「セックスレス」とか「セックスオフ」などと英語でいわないで、「愛の秘め事なし」とか、せめて単刀直入に「子孫生産行為そのももは中断」とか馴染みの慣用句くらいは使って欲しいものだ。この発言は、あるセックス相談のスペシャリスト、性人類学者のM氏の発言とある。どうやら西洋人らしいが国籍は不明だ。しかし、私が一番問題にしたいのはこのコメントの後半だ。文化の違いで「セックスオフ」が続いても夫婦関係は維持できる、といかにも肯定的に言われている点だ。もともと日本人の夫婦にはセックスなどなくても全然問題ないのだ、とでも言いたいようでもある。日本人は他の人種とは違うという、一時期盛んだった「日本人は特別」論の名残だろうか。しかし、日本人をあまりにバカにした発言ではないだろうか。我々を何だと思っているのだろか。コウノトリの親戚とでも思っているのだろうか。日本人だって、そういう夫婦はもう事実上離婚か、定年後離婚に相場が決まっている。しかし、事実上離婚でも一生を夫婦で終える人が多いことから、他国民からは変な説に嵌められてしまうのだ。もういい加減に、日本人をセックスで特別視するのはやめにして欲しいものだ。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月05日
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朝8時半から出かけ、もう暫くは人に会わなくていいくらいの日曜日がおわりました。帰って、隣のクリスマスパーティーに合流、10時半に酔って帰宅、そのまま寝てしまいました。12月は週末にイベントが続く。体調を整えて。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月05日
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今日は、毎年恒例のオランダ系連れ合いの一族郎党大クリスマス大会で、140人が公園にあつまりお祝いする日。朝の10時からスタートして午後の4時頃には終わる。そして、夕方からは隣近所のクリスマスバーべキュー大会があるので、それに合流するなんともクリスマスな日だ。いつもだいたいこの大会が同じ日になるので、アルコールも食事も目一杯になる。もっとも運転があるので、昼はほどほどだが、近所の大会は隣のバリーさんの家だから、泥酔しても這ってでも帰れるので安心だ。ということで、今日は気合を入れて臨むことになる。報告は後程。可也後程になる可能性がある。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月04日
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寒い週末で暇していて、長くなってしまいました。3回くらいに分けて読んでください。オランダ系の連れ合いがいつになく静かに何か書き込んでいる。何かの毒気にでも当てられたのか、「スドク」とか言っている。3ヶ月ほど前のことだったが、私も初めて聞く言葉で、これが実は日本語で「数独」と書くことはちょっと後で知ることになってビックリした。20年もこちらに住んでいることもあり、日本の流行り廃りに疎くなっていることもあるのだろうか、この言葉は知らなかった。これが今、世界中であの「ルービックキュービック」以来の大ブレークになっているSUDOKUだったのだ。昨年の11月にイギリスのタイムズ紙が火をつけて以来、ヨーロッパ各国、アメリカ、そして私の住むオーストラリアでも大変な人気になっている。まさに、ゲイシャ、フジヤマ、コイズミの後にスドクが迫る勢いだ。しかし、このパズルの原型を辿ってみると、作った人はなんと1783年のスイスの数学者Leonhard Eulerさんということらしい。それが、200年経ってアメリカで手を加えられナンバープレースという名前で世に出たそうだ。そして、これが日本に伝えられ1984年に「数独」という名前でデビューしたとのこと。「数独」のもとの意味は「数字は独身に限る」という意味だという。独身に限るのはいろいろあるとは知っていたが、数字もそうだったようだ。写真にあるのは、こちらの朝日新聞の土曜版フロク雑誌に載っているその名も「SAMURAI SUDOKU」で、普通の「数独」が更に5つ結びついたとんでもないものだ。連れ合いも大いに唸りながら取り組んでいる。問題は、大ブームが続いているイギリスでも、このオーストラリでもそうだが、紙とペンと、数字の1から9までがあれば、誰にでもどこでも簡単に始められてしまうもので、これにハマッてしまって、「数独」ならぬ「中毒」になってしまっている人が五万といるということらしい。朝買った新聞の問題が昼までに解けないと自殺したくなる、などというコメントもある。こちらでは「ポーキーマシーン」という「スロットルマシーン」や、日本のパチンコの単純さに通じるものがあるのだろう。老若男女を問わず、みんながやっている。さて、日本ではどうなのだろうと思って友人に聞いてみると、日本ではぜんぜんブレークしていないという。日本から送られてくる雑誌「文芸春秋」には、賞金20万円の「数独」は出ているが。因みに、オランダ系の連れ合いにこれを見せたところ、アッという間に回答してしまった。そして、予想した通りこの懸賞に応募するように言われた。日本では、80年代に「数独」がブレークしかかったらしいが何故かそうならなかった。パズルとしてあまりに単純だったからだと指摘している人もいる。しかし、もう1年も世界中でブレークしているのに日本でそうならないのには何か他に訳があるのかもしれないが、これも仕掛けの問題で、日本人の性格からして火が付けば放っておいても大丈夫。なんせ、あの「ヨン様」の国韓国でも大ブームとか言えばもう止まらなくなるだろう。この「数独」がどうやって日本から伝わったかだが、1997年に香港で判事をしていたニュージーランド人が、たまたま日本の本屋さんで「数独」の本を見つけたことに端を発するという。この人、6年かけて一生使っても使い切れないほどの問題を作るコンピューターソフトを開発し、話をタイムズ紙に持ち込んだのが、このブームの始まりとなった。宝は日本にあったのだ。ボケ防止には、手先を使う、脳を使う、など、私なんかがあまり普段使っていないトコロやモノを使うといいという。してみると、「数独」をやれば、老化の防止にもなるし、家のかなは静かになるしで、万事言う事がないくらいだ。私も、遅ればせながらこの「数独」を始めることにしよう。もしかしたら、懲るとしつこいタコ社長。仕事やブログを忘れてしまうほどのめり込んでしまうかもしれない。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月03日
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よく食べるカツカレーセット。スプーンがちょっと使いにくい。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月02日
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「ヤクザだよタコ社長。日本のヤクザが行かないところは大きなビジネスがないんだ。昔から海外はそういうふんに決まってるんだよ。」昔とはいえ、父親が元警察官のタコ社長、ちょっと過剰反応しそうだった。メルボルンの巻き寿司屋のご主人Sさんが立ち話でそういう。「オーストラリアも日本がバブルの頃ヤクザが来てたけど今はダメだね。いま、ヤクザはどこに行ってると思う?上海だよ。大きなビジネスがうごめいている上海だよ。メルボルンが世界一住み易いだなんて笑っちゃうよ。日本人にとっては日本のヤクザがどれだけいるかがバロメーターになるんだよ。」歌舞伎町には中国マフィアが来て、上海には日本のヤクザが行っているのだろうか。国際交流が益々賑やかだ。秋田出身のSさん、大風呂敷なところもあるが、この話しはある意味では当たっているのかもしれない。水が高いところから低きに流れるように、金の集まるところにヤクザも流れ込んでくるわけで。「俺がシドニーで働いていたレストランのオヤジなんか詐欺師のヤクザでさ、日本中から配当一割とか騙して72億も集めてデカイことしようとして、最後は監獄よ。でも7年で出てきたよ。ちょろいもんよ。」話がだんだんと危ない方向に行きそうだったので、そこらへんで失礼した。メルボルン、「眼つけやがったな。」、なんて顔に傷のある方々から追いかけられるようなことが今後も起こらないよう願っている。↑ ↑ ↑ ↑ブログランキングに参加しています。クリックよろしく。
2005年12月01日
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