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もうひとつ、つながりがあることなので、書いていきますね、自分は今まで、人の話しを聞きすぎて真剣に捕らえすぎ、すぐに相手が言うことにカチンと来て(とは書いてなかったので状況は違うかもしれませんが、すみません)ぶつかることもあった、(とも書いていないけれど)でも流すことを覚えたら、品もよいかもしれないし、うまく進むようなので、上手に流す方法は、と掲示板にご質問がありましたが、理想を言えば、そのときにわく自分の感情はあるんだな、と認め(というのは、それを押し込めるとだんだんと変になります。自分が苦しくなるか相手へのわだかまりがいつか取れなくなるか)あるんだなー、こんなこと言われると、あれ、気持ちが動いたなーというのは、ありつつも、その状況があるなあ、と言うのを流していきます。つまり時間が過ぎるのを待つ、と言うような感じでしょうか。そこにわく思考、判断、この人はこうだから、ああだからこの顔って怒っている、という考えは(これは感情ではなくて思いです)、ああ、こう思う私がいるーというようにやはり流します。これは、禅の考え方に近いと思います。と言う方法がやりやすいかもしれませんね。時として、自分を麻痺させて流してしまう方法は感じているのに、その感情を感じなくする反応ですが、人生そのものが退屈になり、やがてやる気も失わせることもあります。これは、人ともめないために、自分の感情を押し込めてしまうスタイルが身についていたためでもあります。私は欝状態も、これと関連があるように思います。自分が感じることは、駄目だから、怒りも何も抑圧をした状態ですね。だから麻痺をすることなく、豊かになりながら流したいわけです。感情はありつつも、抑えるのではなくて、その感情が駄目なわけでもなくて生きるエネルギーとして大切にしつつ、そこから思考にはまらないと言う訓練です。でも、凄く凄く「ここだけは、自分は相手に反応を起こしてしまいこう感じてこれがいやで仕方がない」という場合もあります。あってよいのです。そのときにわだかまりをとるのがセッションの役割でもあります。んもー、くにゅやろ、との関係ではそんなこと、言っていられないと言う場合もあるわけで。それはそれで、大切な自分の解消をする問題が隠れていることでしょう。流していくと、セッションと同じように、それらが誤解であることも、わかっていくとよいかと思います。相手に対して反応をするほどのことはないこともあるのかもしれません、。ということですね。その言葉を言われて強く反応を起こすとき、というのは、親のやり方をコピーして真似ていたり(親もそこの部分には過剰に反応をした、あるいはお互いに反応をしていた)そのことを大げさに捕らえすぎていたり、そこを正さないと、絶対に嫌だ、という癖があることもあります。それは癖であって事実ではありません。つまり感情が動くのであってそこを直さないと駄目なことでもなく、相手がそこにひどく自分が思い込んでいるようなことを思い込んでいるのではない、気にしなくてよいことは、たくさんあるけれど、自分としては止められない、ということでもあります。そんなふうにしてみられたら、いかがでしょうか。さて、先の内容とどうかぶるか、というと、人はいかに、何かを聞くと、何かをやめようとしてしまうのか、と言う例で繋がっています。自分の感情があるから悪いんだ、と押し込めれば、怒りを抑圧すれば家族に出るかもしれません、鬱々とした気分として出るかもしれません。あるいは、抑えている分、相手にもそれを要求して止められなくなることもあるでしょう。人類が今、見直すべきは、受け入れるって何なのかなー、と。全人類の平和は、ここにかかってくるでしょう。――――――――――――――http://www.acoreading.com
2011.12.27
ここで言っていることは、もう少し深い潜在意識の層について、なのですがご自身の欠点に囚われないで下さい。今のあなたの問題は、問題がないところに問題を作りすぎているところなんです。これを直さないと○○ができない、そうではないでしょう?誤まった方向に行っています。たとえば、これはあなたとの問題ではありませんが、人との関係で、相手に対してどうしてもいやみを言ってしまう、それで友達が確かに今まではできにくかった、けんかになる、としたら、それに気が付いたら、それでおしまい。気が付いて解消をする部分があり、止められないところもあり、それが双方あってよい。それで、友達ができないわけではありません。ある部分、執着があると駄目だよ、と言われた人がいるとする。ああ、駄目なんだな、でおしまい。人は 細かく自分の欠点を探し出して、これもあれも直そうとするときには「今のままで大丈夫、うまく進む、自分が上手に出来る部分を延ばしなさい」という才能の力が使えなくなっているときです。そして、幼少期からの、自分を罰するスタイル、人類が大得意のスタイル、親もやってきて、先祖代々伝わってきたかもしれないスタイル、自分がこれもあれも自分のやり方をやめれば、完璧になれば、こうなれる、という誤まった方向に行きます。つまりこれもアレも欠点と思いすぎてしまい、いやみを言う人ならば、いやみにしがみ付いてしまうのです。つまり、気にしすぎ。いやみを言うから友達ができにくいよ、なるほどなーと自分を罰する罪悪感がなければ、その人はそれでおしまい。気をつけながら時々、いやみを言いながら、もちろん、友達ができます。こういうときには、こう気をつけ、そして出るときもあってよくて、と、バランスをとれば、いやみがパンチがきいてて、好き、と言う人に出会います。ではなければ、先になくなった、立川談志さんなどは、駄目な人間と言うことになりますがこの方の才能はいやみですから、天才落語家、と言われた、世の中を少し斜めに見るような、斬新な落語の才能も削ってしまうことでしょう。皆さんの脳は、答えがひとつだと訓練をされすぎていて(左脳の考え方)そのために、とてもひとつがなくなれば、その問題は解決をするはずみたいな、不自然なことになります。(左脳の考え方)そんなことはありません。成功への過程は、一個に気が付いたら全部直すのではなくて、時々、ある目的のために出ることがあってよくて、バランスを取れること(が直せるということ、なくすのではなくて、共存をすること)をしながら、うまく行かないときも時間のなかにはあってよくて、次に楽に行きながら、その先に楽に何かがやってきます。なんちゅーか、焦りすぎ、というか、焦りながら直そうとしすぎ、というか。バランス、というのは、両方があってよい、ということですね(全脳のバランスが取れている状態)人々の脳のなかに出来上がってしまった、自分を厳しく罰すれば、と言う感じ取り方は、時として悲痛な人生にしてしまうかもしれません。来年は良い年にしてみてください、きっとできるはずです。聞いたら、それで、おしまい。全部完全にできたら幸せになるはず、あるいは全部出来ないと駄目なはず、と言う幻想に囚われないこと。そして直してすぐに効果が現れなければまだ直すところがあるはず、と言う誤った罪悪感に、陥らないこと。時間がかかることがあることも、当たり前やん?これが悪いの、アレが悪いの、そう思って自分を直せば大丈夫、と思いたい気持ちはわかります。でもその時間、豊かに過ごす必要があるのではありませんか?――――――――――――――自分を罰するパターンがあると、自分を罰する人生になります。つまり直そう直そう、とするわりに、何も手に入らない人生です。潜在意識を変えると、もう少し楽に色々な物事を手に入れられるでしょう。http://www.acoreading.com注意、 右脳、左脳、全脳、というのは、医学的に証明をされたわけではなく、ひとつの物事を見やすくする考え方のひとつです。研究者によっても、左脳が大体、コントロールをする社会性で、右脳が芸術分野、と捕らえる人もいれば、そうではない方もいます。でも理解のひとつのツールとして、人間にはこういう面とこういう面がある、という理解のために、とてもわかりやすいので使っている言葉でもあります。だから医学的な部分ではなくもう少し広い、というか便宜上の区分、というか、抽象的な意味、として、使っているとご理解くださいませ。
2011.12.27
恋愛で、自分がかっとなる、優しくなれない、どうしていいのか、わからない、相手を切ってしまう自分が悪い、自己嫌悪、と言うことが書いてありましたから。こんにちは、あなたは、相手が理想どおりの行動をしてくれなくても一人の人として認める訓練をしていかれてください。その行動自体が好き、嫌い、というのはあってよくて、それに対してどう行動をするかは決めてもよいです。でも、「自分の理想どおりの行動をさせられないのは、自分のせい」という感じ取り方はとても人生をゆがめます。同時に、相手が理想どおりではない行動をしても、「自分のせいではない自分を許そう」と自分を許す訓練をしてください。あ、だめなんだ、自分を許そう、本当にそういうことがあってよい、相手が違っていて、相手が自分を好きにならなくてこれは違うぞと思うことがお互いに合ってよい、と訓練をしてください。ここが、すごくしにくいために、相手に介入をしすぎたり判断がしにくいです。落ち着かないし、恋愛が駄目になるたびに、原因を探そうとします。でも本当は、うまくいかないのが問題なのではなくて、うまく行かないのを受け止められないために、あ、これはこういうことかな、と先に進んで学べないのが問題なのです。あなたの苦しみは、嫌だ、絶対に、相手が理想どおりの事をしてくれないなんてそれは、嫌だ手放せない、手放したくない、と言うところも関係があります。そして総ての行動が、相手を自分の理想どおりにさせる、相手がそうではないのは、やり方か自分のせい、ということから色々偏りが出ていることは、しっておかれると役にたつでしょう。相手が違う、自分も悪くない、相手もそうであるさて、どうするか、というように、少し気持ちが楽になることは必要になることでしょう。もしそこが手放せたら、かなり雰囲気は変わると思いますから。穏やかになります。良い気分で接することもできるでしょう。そうではなくて、原因があるはずこんなのあってはならない、と考える人は、こういうことがあってよい、と感じる先に原因がわかってくるのですが、それを受け入れられないために、同じことが繰り返されるでしょう。合わないとか、恋愛モードでただないだけの人だ、とか、わからないままに、自分の、方法のせいになるわけですから。チャレンジは、この考え方に変えて、2回ぐらい、つきあって、愛がうまく行かないときです。つまりどうしても自分のせいではなくてよい、と言うことを受け入れてあげる必要がありますから、ここを上手に乗り越えられますように。そこから本物にあたって、よいでしょう?――――――――――――――――――――自分が悪い、と言うのは、本当は誤解です。そこには、相手が理想的ではないのは自分のせい、という誤解があります。それらをといていくと、色々なことが変わっていく方もおられます。特に女性の愛の問題は、お母様がお父様に対していらだっていたことや自分がお父さんに対していらだっていたことを、相手がしてくれないのは、絶対に変えたい、というようなこだわりを持つことから、問題が派生をしやすくはあります。そのまんまで、二人でいてはいけませんか?穏やかに。今恋愛をしていないのは、結婚をしていないのはそんなに絶対にいけないことなのでしょうか?嫌だ嫌だ、絶対に。嫌だよ、こんなはずないよその気持ちをどうぞ、抱きしめてあげてください。嫌だという気持ちが、こうしたいな、と言う豊かさに変わることは必要でしょう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー潜在意識の地図を紐解いていきます。ご自身の中の誤解が整理をされたときに人が変わる姿には、とても深いものがあります。セッションのご依頼はhttp://www.acoreading.com まで
2011.12.21
その問題を敵視しているときに、その問題をあける鍵が当たれられません。これはあらゆる人々に言えることです。よくこの意味を感じ取ってみてください。これは、親しい人々との間でも起きています。またセラピストさん、カウンセラーさんで相手が変わっていかない、いけないと悩んでいる、としたら、そこを良く見つめることです。
2011.12.20
悪い、と思ったとき、本質の力がとまるひとつお伝えしたく思います。悪い、と思ったときに、あなたの本質の力が止まります。昨日、クラスをしていて、さまざまな、とても美しい思いに触れることができました。個々人に感じた思いを、一人ひとり伝えることはできませんが、その美しさを伝えることができます。クラスの一日目、皆が悩みに入りそして二日目、皆でセッションをしあうことによって、ちょっと軽くなり、あるいは非常に軽くなる人もいて。本当に美しい人々の思いを私は見ていました。ひとつ、伝えておきたいことがあります。どうぞ、自分を悪い、と思わないで下さい。さまざまな、あなたのなかの思いがあるでしょう。そう判断をする自分はいやで、間違っていて、霊的ではなくあるいは、人間として、未熟であると思うかもしれませんね。でもその思いと、ともにいてあげてください。威張りたいあなた、人より上に立ちたいあなた、あるいは、人と比べてしまうあなた、自分が駄目だと思うあなた、表現をしたいのに出来ないあなた。そして、ひとつ、お願いがあります。どうぞ、その思いを抜けてその先にある目的にたどり着いてください。たとえば、人が怖くて話すのがいやであれば、嫌だ、嫌だ、怖い、嫌われる、と思う先に、そこに囚われる癖をかえるならば、人と一緒にいたい思い、人を傷つけたくない思いがあってそれが本当にあって、その、力強い思いなどに繋がっていくことでしょう。ある本質の目的が感じられなくなり、ひとつの思いに固着をしたときに人の悩みは始まります。今すぐに、でなくてよいからね。^^人はあまりにすばらしく、そして欠点があって可愛らしく、美しいものです。クラスで軽さを感じたかたがたもおり、そして、それは、一部、あなたの本質に触れたからです。皆がそれぞれ、自身の何かに触れたことでしょう。大事にしてあげてください。気づきに。ありがとうー。
2011.12.19
否定された自己を取り戻す今回はとても良い例ですから、人がどのように自分を否定しているのか、自分の本質とはなんなのかをお伝えします。>緊張する人、苦手な人と言う書き込み、それに対するキャシーさんの日記を見て>私も特定のタイプに特定の反応をするなぁと思いました。>>それで自分だとどうだろうと考えてみて不思議に思った事があります。>私はゆっくりした人、おっとりした人に対してイライラします。「遅い」って思います。>話が長い人や、質問の答えがズレている人に対してもイライラします。>「で、何が言いたいの?」とか「質問と違う答えを返すなんて、バカなの?」とか>そういう人を凄くバカにしたような考えを抱いてしまいます。>>おそらく「時間がかかる」事に対してイライラしているので、そこに>考え方の癖や思い込みがあるのかなと思ったのですが、不思議な事に気付きました。>>私は、自分自身が慎重で物事に時間をかけたいタイプです。優柔不断だし、>時間がかけられない状況だと「これで本当に大丈夫かな」と不安になります。>逆に人に急かされたり「遅い」と言われると、「私は慎重にやりたいだけなのに!」>と思って凄く苛立ちます。>>でも他人に対しては、時間がかかるタイプ全般にイライラしています。>自分は時間をかけてやりたいタイプなのに、なんでそういう人にイライラしてしまうんでしょうか。>本当は自分も時間をかけたくないのでしょうか…-----まず最初に、幼少期に否定をされたものは、大きくなっても否定された部分を、自分でも、否定をするようになります。なぜなら、そうしないといけない、と脳が覚え込むからです。その中の一つに、速さ、というものがあります。つまり、その人にとって、とても心地よく物事を考えられる速度、というのがあります。早い方々と遅い方々と、どちらがよい、というのではなくて、遅い人々は、いくつかタイプがあるものの、全体を見回して、全部が分かってから進みたい、という個性を持っている方もおられます。もうひとつのタイプは、ひとつの物事がわかれば、それを実験的にしてみたながらさっさか物事をすすめるタイプです。これはどちらが良い悪い,ではなくて、本質的に持っている個性です。傾向、ですね。以前、優秀で日本でなん本の指に入る、というエンジニアからお話を伺ったことがありますが、片方のかたは、全部を見てから仕事を始めるタイプ、片方のかたは、ひとつづつ入った情報に対して、処理をしていくタイプでした。、自分のやり方で、物事がおわるのは、方法が違うのに、どちらも同じようになる、ということでしたので、この方法そのものは個性であり、良い、悪い、ではありません。そのほうがやりやすい方法なのです。ですが、幼少期に、焦らせられると、人は自分の能力を否定するようになります。さらに、ほかの人々に対しても否定を鏡のように映し出すようになります。さらに言うならば、お母さんが早く、と焦るのも、そうされた経験が繰り返されるからです。つまり、お母さんも、否定をされている部分が出ているんだな、ということですから。セッションは、お母さんをしてもだから、効果があります。子供が変わるのですね、お母さんが変わることで。早く、というのではなくて、これはこうしたらいいよ、と明確に伝えられるようになることで(自分の中のある部分を否定をしていないと焦る方法ではなくて、目的を伝えられるようになる)子供が早くできることが出てくるからです。で、大事なのは、自分のなかで、焦らないと、という感じ取り方が常に働くために、本来の力である、全体を見回して状況がわかってからよし、と動いた時にはもれがない、みたいな力が使いにくくなっていることをちびっーと意識をしたらよいかな、と。焦っているときに、それは自分の過去の感情であり本当は、焦らなくても全体を見舞わしながら、進めていく力を取り戻していくことでもあります。まず、セッションでこの力を取り戻していくと、自分の方法が変わるばかりではなく、同時に相手に対するイライラも軽減します。だからこれを自分に許していないから、ほかのひとにもいらいらします。なお、焦って仕事をすることが好きな人は、幼少期に、焦れ、と幼少期にゆっくりしたい気持ちを否定をされるとどうなるか、というと焦りに焦りが加わって、せっかくの、「情報が入ったらこうすばやく処理をして」という力がやはり使いにくくなります。「ワー焦らないと:」というのが自分の個性と相まって、つまり、つまり、親から焦らされた気持ちと自分の個性の焦りが加わって、今これは必要,これは必要ない、という判断よりも先に、動いてしまうから、力を使うどころではなくなるからです。バーゲンセールで買わなくちゃ、と思ったら手が伸びてーみたいな。不必要なものを買うーみたいな、ね。良く私が、問題の影には才能が隠れている、というのは,こういうことなんざんすー。この傾向は本質そのものではないけれど、自分の力の一部です。ご自身が焦っている時に、本当は、それは焦ることではなくて自分はほかの力を使いたいけれど、そういう時に限って自分を否定して相手の方法でしないとこわい、という行動のパターンがあることに気がついてみたらいかがかな、と思います。^^自分に優しくなれば、人に優しい、という意味もこういったことですね。http://www.acoreading.com
2011.12.16
変な質問ですが、緊張する人と苦手な人は一緒なんでしょうか。好きな人には緊張します。苦手な人にも緊張します。それ以外にも緊張する人はいます。私の場合ははっきりと物を言ったり、華やかだったり、なんとなく威圧感のある人に緊張します。緊張すると自然にその人を避けるような行動をとってしまい、会話が続かなかったり、なんとなく挙動不審になってしまいます。相手は大概それを感じ取るので、私がまるで相手を嫌っているか、敬遠していると思うようです。でも、嫌っているわけではないのですが、苦手なだけなんですが、けど、苦手だってことは嫌いなんでしょうか。嫌ったり、苦手だと思ってはいけないような気持ちも働いていると思います。自分の気持ちがよくわかりません。仮に苦手だと自分で認識した場合、それを表に出すのは相手にも失礼だし、自分にとってもあまりいいことはないように思います。苦手だと認めないまま、挙動不審になるよりも、苦手だと認めた上で、苦手そうな態度を出さないようにすることはできるでしょうか。もっと困るのは、好きなのに緊張して、避けるような態度をとってしまい、相手のことを嫌っていると相手に誤解されるのが一番自分にこたえます。涙―――――――――――――――――――――――緊張をしているなあ、と知っておくことは、改善の第一歩です。わーこういうタイプの人だと、自分が反応をして、何かが始まるなーと。ほおおー反応をしているけれど、まあいいかな、と思うことも必要かもしれませんね。好き、嫌い、というよりも、お話を伺っていると、どうもタイプなのかもです。一つ言うならば、ご自身のなかで、「こういうタイプの人々には緊張をしなければならない」という記憶があって、あなたを動かしている、ので、そういう人はあなたのことを「こう思う」と信じていることがあるのかもしれません。そのために、そういう人に対して良く見せようとか、そういう人々にはある特定の部分を見せてはいけないという記憶があって、ある特定の対応をしなければならない自分がいるのです。それもしんどいから避けるのでしょうけれど。緊張の感覚から逃げ出したくなるでしょう?うまく対応がしにくいのでしょうね。でも、はっきり言う、ということが相手にあると緊張をするようなので、どこかの部分に言うことを聞かない自分はダメだ、というか言われると自分が居なくなって真っ白になる方もいて、それらが緊張を起こしているのでこともありますから、そこから潜在意識に入ることもあります。そんな発見も楽しいものでしょう。――――――――――――――――――――――――――ACRのセッションでは、自分の反応を改善していきます。過去に、体のなかに取り込んでしまっている反応に感情を通して関わることで、反応が変わることがあります。Httpwww.acoreading.com
2011.12.15
恋愛感情だと思っていたのに、相手が友情しかもっていないとわかったとき、そしてそういう話し合いがあったあと、残念なことに、連絡が取れなくなることが、ある方もいます。友達でいたいのに、と思います。ということが、先日、掲示板にあり、それに似た状況の人々は多いので、掲示板だけではなくてこちらにも残しておきましょう。そういったときには、ショックですし、お辛いですよね。でも彼にも気兼ねがあります。あなたのほうに恋愛感情があればやはりその男性は、一緒にいられません。じつは、あなたに恋愛感情がある限り友情は無理なのです。楽しくあほなことを気軽に話して、と言うわけにもいかないでしょう。そんな、かっこ、おかしいよ、といっただけで、落ち込まれても困るのです。友達であれば話せる、この子が好きでさあ、と、相手が話しただけでも傷つくでしょう?恋愛感情がなければ色々できることも、恋愛感情があるからこそ、出来なくなることもあるのです。そういった場合、相手は相当に距離を置くことがあります。人生、いろんなことがあります。こういったかたがたが恋愛で学ぶとよいのは、相手が恋愛でなくて、自分がどうしても恋愛ではないといやならばちょっと勇気をもって、相手からではなくて、自分から、距離を置こう、ということでもあります。友達だと寂しさがまぎれるかもしれないけれど、ずっと悲しみながら執着をしていきます。そしてどきどき、傷つく。長きに渡って少しづつ、自分が回復をできないほど、離れるのが怖いがために、傷つきすぎてしまうことだってありえます。それよりかは、いっぺんに傷ついても、忘れましょう。前に進みましょう。そういうときでもあるのです。自分ができなかったことを時として、相手がしてくれることがあります。恋愛ができて楽しい期間があった、そのことはとても大切です。手放すのは難しいけれど、そこはきちんとしていったほうが、次の恋愛に繋がるでしょう。そしてもう少し、自分のなかで、色んな事柄が軽くなるのを待ちましょう。好きになれる人がどうぞ、また現れますように。そのときに同じ勇気を、喜びを、私がまた持てますように。そして、今度は、彼も私を好きでありますように。願いや思いは、恐れに惑わされることがなく思えるものであるならばいずれかなうときがくるでしょう。
2011.12.14
好奇心と関心について詰め将棋みたいに、先々が詰まってくる目標。自分が嫌いだから、そんな自分を認めたくなくて、と言う目標は誤まった方向に行きやすい、と2月11日の日記で、お伝えしました。それについてのぶら下がりコメントへのコメントです。自分が嫌いでも、好奇心があれば、いいんじゃないの、というような。そのときの動機はよいものですよね?楽しいでしょう?自分が大嫌いで逃げ出すために目標を作ると無理があります。「今の自分が許せないから、こうではないとならない」と言う目標です。でもそれらは、本当の問題は、「自分は認められてこなかったその不快な感覚が体から抜けない」と言う隠れた、部分です。セッションでここを解決すると、自傷が収まったりという場合も多いです。でも好奇心をもって何かをしているときには、それがエネルギーがわくものであれば自分の興味は大切にしているわけですから。楽しくて好奇心があることを、たくさんしてみてください。ただし、いろんなことに気が付くステージが来ることがあります。大好きでしていたのに、その時期はそれで正しいのです。疲れてしまった、あるいはちょっと違うと思う、それであれば何か自分のもっと大事な物が現れているのです。それに気が付いていない。そのときに関心がある事柄ができることは、その時期の答えです。たくさんしてみてください。そのあとの時期に、何かの違和感があるのは、自分の探さないとならないものが、自分が禁じてきた物で気がつけないからです。ここをはずすひとつの方法がセッションです。はずれるとあ、という人々もいます。これーああ、これだあ、そうだ、禁じていた、というようにです。でも脳では、それは不可能、と禁じてきた部分でもあるのです。それに興味があることが本当におありなのであれば、好奇心があることがおありなのであれば、それはあなたの本質の何かを持っている部分でもあります。大事なことなのです。それと、もうひとつ。なんだか訳がわからないことばかりいっぱいしてしまうのであれば、恐れが隠れているかもしれませんね。ちょっと本当にしたいものが、出来なくなっていることがあります。本当にしたいものを出来ないと信じていると、似ている物で満たそうとします。ということが、解消をすることも、セッションではあります。探すのであれば、くだらない、できない、と当然のように新時期ってしまっているけれど本当は好きそうなものがないかどうか、探してみることです。対人関係で諦めているものが出てくる場合もあります。(例、人とはこういうものだから、これは絶対にありえない、と普通に思って過ごしていて、それを得たいのに方法がわからないから他の似たことをしている、と言う方もおられますんで)――――――――――――――――――――――――セッションの感想です。ご本人の了解をいただけたもののみ、掲載をしています。たくさんのかたがたに感想をお送りいただき、ありがとうございました。ご了解をいただいているものも、ご紹介を全部できていませんが、励みになります。ありがとうございます。―――――――――――(セッションを受けてから)そして、その後私にいくつかの変化がありました。まず、買い物をするときなどに、今までよりも迷いなく軽い気持ちで買うものを決められるようになりました。今まで、自分が買い物をするときでさえ、迷いすぎてストレスを感じていたことに気づきました。物事への判断が早く軽やかになってきた感じで、人生への閉塞感があまりなくなりました。また、人との会話でも、嫌だなと思ったことを軽い気持ちで言えるようになりました。今までの私だったら、『こんなことを言ったら嫌われるだろうし、私が我慢すればいいことだ』と感じてしまって言わずにいたと思います。さらに、仕事などに対して、何か大きなことをしないとならないと思っていましたが、『私ができることをできる範囲でやればいいんだ』というような「安心感」が出てきました。そして最後に、先日、上記のように変な関係(6年以上も!)だった彼への想いをもう本当にあきらめようと決心するという選択ができました。セッションの当日は、私は彼との関係を失うことがまだ怖いと感じていて、それについて直接セッションしていただくことを潜在意識は拒んでいたように思いますが、他の部分の怖れがセッションをきっかけに少なくなっていったことで、連鎖してこのような変化が起きたのではないかと感じています。彼との別れは正直悲しく、今はまだ涙がたくさん出ます。でも、「やっと楽になれる」という思いや「この先もっと私を本気で愛してくれる人に出会える、その方が幸せだ」という思いがあって、何だかスッキリ明るい気分でもあります。だから、この悲しみが癒えたら、未来に絶対いいことが待っている気がします。後略――――――――――――ありがとうございました。人にある感情は、根底は愛と、恐れだけだ、と言う方もおられます。事実そうなのでしょう。恐れが取り除かれていけば、正しい方向に色んな物が向かいます。それに、自分がしがみ付くのは未来を信じていないからでもあります。変化は色んな段階を経て、現れます。その人の中でバランスをとりながら。
2011.12.14
17日に参加の皆様へ先日、クラスの詳細をご連絡いたしましたがBCCで送っているため、サーバーによってはメールが削除をされている場合があるようです。詳細のご連絡がいっていない場合、ご連絡をください。すぐに詳細をお送りいたします。天野
2011.12.13
付き合いも長くなり、結婚をする前に、あなたのことをよく知りたい相手を信じればいいのか信じきれない、と悩んでいたけれど、そして相談者は、でも信じてみよう、知る期間として付き合ってみよう、いう結論に達した、ということなので。それで一つだけ書いておきます。いろんな方々の場合に使えることもあるでしょう。彼を信じるのではありません。あなたは、自分を信じるのです。彼を見てきていて、それほど悪い人ではなさそうだ今まで、彼が慎重すぎて、なんじゃこりゃ、と思う部分はあったあったけれど、そのあとそれほどまずいことにもなっていない。そういう部分を見ている私が、できることをしてみたいと思っている。(この相談者さんの彼は、慎重な部分をもっておられますから)そしてやるだけのことをしっかり信じてやってみたい、その自分を大事にしたい。自分を信じられる人々は、人を信じられる人でもあります。そして相当に、いろんな現状を変えていけるでしょう。相手を信じる、というように思っていたい人々は、相手のせいになってしまいます。それに、信じるという意味が相手そのものを受け入れていなくて、時には、相手が自分に都合が良いことをしてくれることを信じる、になっています。相手を勝手に都合よく見てそれが叶わないとみじめになります。例えば、これはその相談者さんに当てはまらないのかもしれませんが他の似た状況の方々の為にいうならば、相手が、結婚はしたくない、というのにするんだ、と決めつけて行動をしていたり。あるいは、もう少し時間を見ていきたいんだ、と思っているのに絶対に大丈夫、と意思を曲げていこうとしてしまったり。自分を信じれば、今のところ、彼はあなたと前向きで、でも将来はわからない、わからないけれど本当に良いかどうか見届けたいことよし、わかった、その考え方はわかったうえで、その中で最善を尽くせる自分を」信じてみてください。自分が最善を尽くせる、と思っていたら、結果はずっとよくなります。良いことを楽しいことをできるからです。不安でこれはどうなのあれはどうなのと聞き続けるのではなくて。これは相手を認められずに、自分勝手に信じている部分に当てはまらないことを解決しようと焦りすぎて出てくる言葉です。もし、そのようにできたならば、どんなに素晴らしい結果を生むでしょうか。それに事実をちゃんと認められる力を持っています。人を信じるという言葉に隠されている、だから、相手が何かをしてくれないと自分は満たされないから、あなたが正しいことをしてよね、という甘えにすがって生きなくてよいのです。その甘えが(本当は相手をそのまま認めてみて、感じて、正しい物事を、信じているのではなくて、自分を愛してくれる良い部分だけを信じたい自分がいて)いろんな問題を作っていることにも、女性の皆さんは、気が付く必要があるかもしれません。それは相手を信じているのではないのです。相手が自分を愛してくれないと嫌だから嫌な部分を見ないのを、信じると言っているのです。本当に信じるってなんでしょうか?深淵な答えがそこにあるでしょう。さて、この相談者さんだけについて言えば、彼はいろいろ決めるのに慎重な部分はありますから、あなたの根性は必要になるでしょう。でももし、彼に物事を決めて不安になるだけで、その先ちゃんとやっていける人ならば言い換えるならば、物事を決めて決めるたびにこれじゃないという癖がなければ幸せを手にすることだってできるでしょう。それを見届けてください。お疲れ様でした。
2011.12.12
今の自分を否定しながら作る目標は、自分をいじめているんです。そのために、潜在意識は、自分がダメなんだったらもっと自分をみじめにしなきゃ、と働きます。ダイエットで、自分が嫌いで、としていると、だんだんと拒食症になったり過食症になったり、あるいは、強迫観念ばかりで人生が楽しくなかったりしますよね。それと同じことです。例を挙げれば、食べたから自分を罰しよう、もう人生はダメだ、この一食を食べたから、と今の自分が嫌いであれば必ずそういう発想になるでしょうし今の自分が好きであれば、一食、食べすぎたな、おなかがいっぱいで幸せだから次の食事は自然食べたくないや、と体の要求に合致をしています。あるいは、自分が何かの勉強をし続けないとダメになる、と思っていたらこれはもう、今の自分が嫌いですから、ダメだという誤解がありますから、自分をいじめる行動をしています。たとえば、その人は、音楽が好きでそうすると凄く自分にとってよいのが全然もう感じなくなっていて、音楽を聴かないとか脳が空回りを初めて、心配をして必死になることにしか神経が行き届かないためにさらに緊急の事態を招きます。あるいは自分が大事なものを大事にするよりも、必死で頑張るほうにしか意識がいきにくいので、周りの大事な関係を壊すこともあるでしょう。そうなると、体を緊張をさせたまま寝ているとか。運動をするにしても常に常に体の気持ちよさの為ではなくて、必死になって罰することに必死になるみたいな。でも、緊張をほどいたほうが、覚えやすいことでしょうし、その人なりのベストの状態は出てくることもあります。セッション後、その人たちのパフォーマンスが良くなることがあります。音楽家の方々の質がよくなったり、絵に携わる人々の仕事が増えたり。もちろん、アスリートなどは自分の目標を立てていきますが、達成する喜びが、今の自分がダメだからということに基づいていると詰まる時期があります。好きでやっている人に無理をしている人は、敵いにくい面は出てくることもあります。その人たちはふと気が付きます。精一杯やってきたのに、周りの人々が責めているみたいに感じる、なぜ自分を責められてあんなに適当にやっている人が成功をしているのか、みたいに。やっていない自分を責めているのも、やり方が間違っているとどこかで知っている自分を責めているのも、それを認めたくないとあがいてしまっているのも、本当は自分の中にある感情です。未来に何かを賭けてしまうときに今の自分が嫌いで見たくないから、ということはしないほうがよいでしょうし、それはとても大切です。自分を否定しながら成功をすることもあるのですが、力任せだし家庭を犠牲にしたり病気になります。
2011.12.11
皆さん、おはようございます。以前から書くといっていた今の総てが退屈すべてしてきたけれど、全部面白くないというような事柄についてですが、人は皆、自分の本当にしたいことを諦めて、よく似た「価値がある」ものにのみ、心を惹かれるようになっていきます。そして、その価値があると信じたものに、必死になっていくことになりますがそうすると、不都合なことに、1、必死にやっているのに叶わない、それは、その人を外から観察すると(その人自身は必死になってやっているので)ややずれたことを必死になってやる。それはそれが叶うことへの恐れから、ややずれたところで「準備が整ったらしよう」見たいなことをして、不必要な(でも本人は必要だと思うけれど成功をしない)何かにかかりきりになりやすくなる2、そのため、自分ではとてもよい完ぺき主義と思っているのにさらさらしていく人に追い抜かれたりする。それは本当はそのことをするのが目的ではないのでいやな気持ちがどこかにあり、それが不安になり準備不足みたいに間違って感じるから3、でもって、エネルギーが切れることがある4、アドレナリンが高い人なんかは、つまり興奮状態が嫌いではない方ですね、これで、生涯、必死でがっつがっつしていけることもある。でも病気になる。(体は不自然だと知っているから)やたら血圧が高かったり、やたら家族を無視し続けて問題がでたり。みたいなことがおきやすくなります。さて、退屈、つまらない、ということに関しては自分が「凄い、これっていいなあ、凄いよ」と言うように思えてそれが、「他の人の目」ではなくて、自分自身がよいと思えたことをしているときに感じる、これだー、これこれ、と熱中、という感じ取り方ができなくなった事と関連があります。それを取り戻すことは、あらゆる事柄の解決と関連があります。2回前の日記に本日書いたように、見えている問題と違うところに課題があるものです。ちょっと長くなりますから、今日はこの辺で。
2011.12.07
私の中のえり好みさんどうぞ、心を閉じないで。ちゃんと良い物は選べます。楽しく相手と交わることは、自分を諦める、と言うことではないのです。それにひよって、嫌いなものとともにいる、嫌いなものを我慢して受け入れる、ということでもありません。過剰に自分を守ろうとしていないで、ただ、オープンに物事を見つめられるだけなのですから。そうすればするほど、必要なものは寄ってくるでしょう?どうぞ、もう傷つかないで下さい。傷つくことを予測して、豊かさを避けないで下さい。
2011.12.07
何でも楽しくしていったほうが効果が出やすいですしさらにいろんなことを同時並行していけるので、(苦しむ癖(感情のしがみ付きが起きている)があると、ひとつの事に必死になって周りが見えないから)人生が豊かになります。それについて書いたところ、下のように掲示板に掲載がありましたので、補足をします。結婚はしたいけど、婚活って楽しくはないと思うのですが・・・・。婚活を楽しんでできている人っているのでしょうか。疑問です。私は結婚したいけど、人見知りだし、知らない人に会うのが本当に億劫なんです。でもでかけていかないと、行動範囲を広げないと出会いってないですよね。だから、重い腰を上げるかー、みたいな感じです。年末になり、お正月が近くなると、本当に1人でいることが寂しくて、誰かと過ごしたいという気持ちが強まります。でも、人の選り好みが激しいし、気の合う男の人なんてそういません。偏屈なのかもしれません。ここは思い切って、殻を突き破って、とりあえず付き合う、くらいの意気込みでいかないと、ずっとこのままのような気が真剣にしてきました・・・・。どうしたらいいんでしょう。真剣に知りたいです。―――――――――――――――――――――――――――人見知り、だけど、寂しい、ここを解決していかれたらいかがでしょうか?寂しい、ということは、ご自身の癖によって、不自然な行動をしている、と教えてくれていることでもあります。だって、本当に一人が好きな人はとても一人が楽しいからです。つまり、何らかの癖によって、あなたは人見知りを学んでいるけれど本当はもう少し人との和を自然にできていたはずですがご両親もそのご両親も、人は怖いもの、取り付くわないと、と思いすぎたのかもしれません。おそらく、人のえり好みが激しい、ということは、人と話して楽しいと思うよりも、人と話して嫌だな、と思う感覚が強く育っていて、わー楽しい、と思う前に嫌だ、と言う何かが会話を邪魔しているでしょうし、それも、色んな事柄を回りにくくしているのかもしれませんね。婚活が楽しくないのではなくて、人と会って話しをするのが嫌いな上に人と話しをしても、楽しいと思うよりかは、嫌だなと思いやすい、そうすると、あーあ、と疲れるし、それに加えて結婚のプレッシャーで無理をしている、と言うことだと思います。と言う見かたをしてみたらいかがでしょうか?そうしたら、何に楽しさを持てばいいのか、新しい課題が見つかるかも、です。人は本当に一人が好きなときがあってよくて、それを楽しんでいいのです。でも、自分の癖によってそれを選ばざるをえないと、やっぱりうまくはまわりません。本当の自分の生き方ではないのですから。自然な出会いがしにくいのも、ここに何かはあるのかもしれませんね。―――――――――――――――――――――――近日、多くの方々から感想をいただいており、掲載の許可が出たものについてのみ掲示板でご紹介をしていこうと思います。たくさん溜め込んでいて、中々ご紹介できずにいますが掲載の許可をいただいて、ご協力をいただいている方々や、掲載はちょっと無理というおても、それでも感想を送ってくださった方にも、とても感謝をしています。癖を変えることは、感じ取り方が変わる、ということですから、生き方が楽になります。http://www.acoreading.com――――――――――――――――――――先日はセッションありがとうございました。おかげさまで、先般頭を悩ませていた自分の中の毒舌はいなくなって、励ましてくれたり、笑わせてくれる毒舌ちゃんになりました。婚活も、気楽になりました。どうも、すぐに○か×かと、決め急ぎたがっていたのも気が重くなる原因だったようで、それもなくなりました。他には、一日ってこんなにいろいろできるんだ、こんなに自由にやっていいんだ、おぉ~という日があって、まだ、毎日、ではないのですが、日々の日常がすごく充実してきています。気持ちが上がったり下がったり忙しい面はありますが、別に気が少々重たくても、できることはあるしそれをやっているうちにいつの間にか気は晴れるし、事は進むのよね~、という感じで、凹んでも復活が早い、というか、いつまでもはまり込んでいたり、凹んだことで凹んだり、というのがなくなってきました。日々こつこつと小さな積み重ねが進んでいる感じです。ありがとうございます。
2011.12.07
すみません。。愚痴らせてください。。今年も結婚につながる人に出会えなかった…行動しないとダメだと、相談所にも思い切って登録、パーティにも勇気を振り絞って参加し、趣味もはじめ合コンも少なくなりましたが積極的に参加…。。自分なりには頑張った。でも出会えなかった。ションボリです。。――――――――――――――それはそれは。しょんぼりでしたね。さて、しょんぼりしてからの心の持ち方によって、事実が書き換えられること、それをお伝えしておきますね。自分が「頑張ったからこそ」出来事が変わらないと、「意気消沈をしてしまう」けれど、じつは「やっている」ことと、「結果」はすぐに繋がらなくてよいのです。世の中の成功者、あるいは夢を叶えていく人々は、(しかもらくらくに)「したい気持ち自体を大事にし、それができて、本当に良かった」と思えて、結果は気にせずに、次の行動を起こしている、と言う特徴があります。それはそれ。と思えるとしたら、人生は開けていく物です。
2011.12.02
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