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こんにちは。ずっとこのことで悩んでおりますので、アドバイス頂けますでしょうか。私は一人っ子で、昔から「自分のもの」と「人のもの」をしっかり分けるクセがあります。自分のものが人のものと混ざることをとても不快に感じます。例えば物を誰かに貸さなければならない時は、まずその段階でイヤなので、できるだけ断る方向に持っていきますが、断りにくい時は、「もし返ってこなくても仕方ない」と最初の段階で諦めるように気持ちを持っていき、貸します。大切な物の場合は、やはり何とか理由を探して断ります。物の貸し借りの時はまだ良いのですが、私の場合、人が家に来ることにも抵抗があります。部屋が散らかってるから、人にそれを見られるのが恥ずかしいからイヤなのではなくて、「自分の家に人が来ること」自体がイヤです。私は、結婚しており、子供もいますので、夫の友人などが来ることがあります。他の家の子供がうちに来るのもとてもイヤです。それをいつもいつも断るのは私も悪いと思うので、夫が時々「友達を家に呼びたい」と言う時には、いいよと言います。私も「絶対に誰も家に入れない!」というのは不可能なことだと分かっていますので、これでもずいぶん諦められるようになりました。でも、こういう状態の場合でも、私はベッドルームは絶対に人に入られたくありません。とにかく、どんな状況にあっても、「絶対ここだけは私の場所」というところが欲しいんです。もっと、夫の友人たちが家に来た時でも「平気」になりたいのですが、どういう風に思考を変えれば良いでしょうか。 こんなご相談を、掲示板にいただきましたから、それについてお伝えしていきます。 それで、掲示板で、2回ほど質問をして、少しやり取りをさせていただきました。セッションと同じように、できれば、潜在意識に起きている事柄を知りたかったからです。 で、質問のお答えが、下記のようでしたね。「感覚で、というと苦しいという感じですが、これはキャシーさんが質問して下さったことの答えになっているでしょうか?ざわざわしていて、落ち着けなくて、また、自分の存在の意味がなくなっていくような感覚があります。人が家に来た時というのは、イヤでも自分の中にある心か何かのドアを開けなければならず、そして自分では閉めてはいけないという感じがします。その人がその人の意思でこの家から出て行った後で、ようやく自分が自分に戻ることを許されるという感じです。頂いたご質問の答えになっていますでしょうか...。」ここで、私は、ああ、なるほど、とわかったわけです。で、二つのことが、まずあるので、一つ目からお伝えします。 それで、セッションをする場合、その方の潜在意識に起きていることがクリアーだと、かなり問題が整理をされます。1回で起きることもあるし、少し回数がかかることもありますが要は、その人は変われる、ということです。 この方の問題は、何か、というと、考え方の偏りとして、癖として、「1回●●したら、●●」というのが、誤って信じ込まれている点です。 つまり、「心を開けるならば、もう開けていないとならない閉じられない」という信じ込みがとても強いのです。 そのために、行動として、「開けたけれど、閉める」という行動がないので、それができないので、人生がとても重苦しくなります。 これは、お金でも何でも出てきていて、「貸すか諦めるか」「家にいてもらったら、全部を諦めるか、それかシャットダウンで入れないか」というようにお考えなのですが。 まず、この癖を自覚をしておいてください。これは、今後自覚をするとわかると思うのですがあらゆる事柄に出てきているはずです。 この癖は、閉じることへの罪悪感と恐怖心からきています。だからそこを取り除くとどういうことになるか、というと。 開け閉め自由なんだ~みたいに若干なれていきます。 たとえば友達が来て、シャンプー貸して、といわれた。自分のお気に入りのは、すごく高くて、貸したくない、ならばしまっておいて、手ごろのを出すとか。(せこい話ですみません)そうやって、自分を守れるし、気軽に付き合える、みたいなのがない。 開けないとならないと思っているから、もうシャンプーのことを聞かれただけで死にそうに苦しくなる、なぜなら開けないとならない、という誤解があるから。そして貸しても貸さなくても、死にそうに辛い。 たとえば、友達が来て、寝室、見せてね、といわれた。そうすると、全部あけないとならない、と思っていて、嫌で嫌で死にそうになる。でも気軽に、「寝室は駄目~恥ずかしいから~う ふ ふ」というように(ブランクにはハートマークがほしいところ)開け閉め、自由がないんです。 「開けていても、自由に閉める」ということが、できないんです。 で、セッションでの整理は、ここそのものを解決します。問題はクリアーなので、これに伴う恐怖心をとればいいので、色んな変化は起きてくるかとは思います。 でもとりあえず、ご自身では、「開けても閉めてもいい」ということを、学んでみてください。 家に子供たちが来ていたら、「こっちの場所は駄目だからね!」と張り紙をして、鍵をかけちゃう、とか(笑)「おばちゃんの場所なんだ~、お願いね」とお願いしてもよくて、開いても閉じている場所があってよいのです。閉じていても、お菓子の時間にお菓子を出すことをしてもよいのです。閉じているのに優しいおばちゃんになれるのです。(閉じても開ける) お金を貸しても、「いつまでに返せそう?」と聞いてもいいんだし、「この間の、返してくれると嬉しいな」といえてもいいんだし、返ってこないならばこないで、それはいいのですが、貸す段階で返って来ない、という考え方は正しくはあります。 だけど、あーあ、嫌だな、開けたら、自分を諦めないととなぜ信じたのか、考えてみてくださいね、開けたら、閉めたらもう、怖いことが起きる、となぜ信じたのか。 いつもいつも、開けたら開けっ放しで自分は守れない嫌だ、嫌だ、とすごく抵抗をしておられるでしょう? よくわからないけれど、善意を示したら、示していないとならない見たいに思われるのかもしれませんね。家に呼んだら、●●していないとならない、●●したくない、と思うのはいけないみたいに。どうも、それらが、強い感情として、自然とわいてくるようです。 いったん開いたら、開いていないと、という恐怖心が支配をするので、それで、うつうつとして、これが、人生を邪魔している正体だと思ってください。よかったよかった、これに気がつけて。いただけたとしたら。 気がつけば、それは、ただの怖さであって、事実ではないんだから。制御できます。 それと、もう一つは、自分のものが守れていない、という感覚はおありに思います。「自分のものを守れていないなくなる、嫌だなーという感覚がある、でも本当は、なくても、あっても、自分のものを守ることはできる」というように考えることは、必要かもしれませんね。 こちらについては、質問をしていないので、これ以上のコメントは差し控えますが、これも、何らかの理由があるのです。 「これは、私のものだから」という安心感を持ちたいのですがそれが持ちにくくて、今は物にこだわっておられるのです。 でも、物の貸し借りで確かめているのは、この方の場合は、「自分の居場所、自分の安全」なんです。人に入られたくないことが上手に守れていない感覚です。それは人それぞれ違うのだけれど、そこが重たい感じなんですね。 どうも、なんですが、総ての根底にあるのが、「人が入ってくる、自分は守れない」という信じ込みとか、「人が入ってきた以上、自分であることは全部諦めないとならない」という極端さと関連があるので、一つでよいので、自分らしくいる、ということはしていってください。 たとえば、まず、「おばちゃんは寝室にこもるから、お菓子はここだよ、いつでも呼んでね~」気軽、引きこもり作戦です。(笑)たとえば、触られたくない物はちゃんと片付ける、触ってよいものも、「これはここに戻さないと駄目だよ」と教えて、自分を守れる感覚を協力をしてもらう、作戦です。テーマは自分の「守れない、自分を諦めないとならない」という誤解をちゃんと取る、ということですね。 これらいくつもを巻き込んで、セッションではするのですが、自分って面白いでしょう?色々なものが隠れています。そしてそこには、大切なメッセージがたくさんあるものです。 天野
2011.06.30
31才です。仕事ができなさすぎて、本当に苦しいです。会社に居場所がないように思います。何か、自分が本当に役に立っていると思える、パズルのピースがはまったように感じる、そんな仕事をしたいです。それを探し続けて今まできましたが、わかったことは、「私は何をするにも中途半端だから、雇ってくれているところで能力不足でも必死にがんばるしかない。仕事に楽しさを求めてはいけない。」ということだけでした。仕事が楽しい、情熱的になれる、という人が本当にうらやましいです。私はたぶん、何をやってもそんなふうになれないです。結婚していて、旦那さんは「君が必要だ」って言ってくれているのに、それは全然心に響かないんです。仕事で必要とされないと、自分が無価値だっていう思いから抜けられないんです。もうどうしたらいいんでしょうか。こんなに才能がないのに。一生幸せを感じられないのかと思うと、本当につらいです。こんな気持ちを感じていて、そこから抜け出した方はいらっしゃいますか?ええ、そうなんです。相談者さん、今後、あなたに任されている課題をお伝えします。ある人が、「自分はこれが確かに良いと思った」「そしてしてみた」「できたことが、嬉しい、誇りに思える」「失敗からは、学べ、成功からはより達成感を持てる」ということを、学べなかった、とします。たとえば、自分が本当に良いと思ったのに応援をされない環境に育った、自分がよいと思ってしてみて、失敗をしたら、じゃあ次、こうしたら?という応援がない、失敗を責められる環境に育った、そんなことしていないで、責任を果たしなさい、ということばかりが言われてきた、というように、ですね。これは、でも、誰にでもあることなんです。誰もが、だから人生で、自分を探す必要があるのですが。さて、そういったときに、「自分がよいと思ったことを自分で信じて、やってみるのを止めよう」と潜在意識が決めた、とします。すると、そこに、違和感が残るんです。人は、自分が満足をできるのは、「本当にこれがよい」と信じられたことを「本当に自分の方法でやってみた」ときにのみなのですが、これが失われた場合、生涯、「その感覚がわからないけれど、求めている」ということになります。何かが足りない気がするのです。これが、相談者さんのような、状態です。これは、大きな事柄のみではないんです。たとえば、朝は歌を歌いたい、そして、歌を歌うのが嬉しい、そう思えていたら、もう、達成感があります。そんなふうに自分と一致をしていたら、自分が好きなものとはいずれつながります。仕事と、関係がないようでしょう?でも、自分なりの楽な方法、この部分は、力が行かせるなということもわかっていくのです。朝、歌を歌うような人は、コピーを取れといわれたとして、「そうだ、この仕事をこう片付けながら、こちらのコピーはこんな要領で、やってみたらどうかな?」と思えて自分の方法でしてみてそれが、数分早くできたりしても、達成感があります。で、いずれにしろ、人は、「自分は、確かに、これがよいと思って」「そして、それが評価をできて、やってみて、喜びを感じる」ことができないと、ずっと探し回るんです。それが気軽にできないということが脳に刻み込まれてしまうと、ずっとその満足感がないままに探し回ります。「これと同じ気持ちを感じたい、でもどこにあるんだろう、ああ、ない、ない」というように、です。いったん、失われてしまうと、たとえ、行動をたとえしようとしても、「はー馬鹿じゃないの、そんなことしても人に褒められないのに」という気持ちが先にたってしまったり、(その人は、ひょっとしたら、朝歌を歌うとすっきりするとしても、その感覚がもうわからない、ということですね)「それって、人から見てどうなのかな、おかしいんじゃ?」と思う意識のほうが強くて、「こうしてみたらいいや」という思い付きがわかなくなっているとか、その人それぞれのパターンが出来てしまいます。癖になってしまう、感じ取り方が邪魔をするのでもう、「自分はこれがよいと思ってやってみて、すっきり!」というのがわからなくなるんです。すっきりしないから、何とかできることで、満足が出来ることを探そうとするのになんだか探せても(結婚をしてもみたいに)すっきりしない、あるいは、探せない、あるいは、一時的に満足をさせてくれるような達成することを探し続けて、ずっと努力をし続けないと不安になる、ということになります。探しているのは、もう一度、純粋な子供のように、本人が持っている力、「これがよい」と思えたことを「そうだ、本当にそれをすることができた」「ああ、よかった、自分が思うことをしてみられて」という気持ち、なんです。失われているのは、仕事が楽しいことではなくて、「自分は本当にこれが良いと思えて、それができてそれをしたときに楽しいと思える」ことなんです。これがないので、何も楽しくはなくなります。おそらく結婚前は、結婚をしたら、達成感が得られると思ったかもしれませんね。でも、その、「なんだか失われているピースがない」という感覚はなくならなかったでしょう?それは、ご自身で探す必要のあるピースだからです。小さなことでかまわないので、まず自分が自分と一致をすることをはじめてみてください。今日選ぶ、服の色、色々な事柄を、周りの人の目、これがよい、悪い、こうしないとならない、という感じ取り方から守る必要があります。会社に着ていくことがしにくい色を、今日、着たいならば、ハンカチとかでもよいのです。そしてもし、そんなことをしても、ぜんぜん楽しくない、とするならば、一体なぜ、自分が、「本当にこれをしてみてよかった」と思えることを止めてしまったのかを、探してみてください。仕事であれば、どうして、「このファイルは、こういうものを、こうしてみたら、ああ、やりやすいなあー」ということを、学べなかったのか、それを学んでいくことです。自分のために、自分の仕事のために、自分のやりやすさのために工夫をして、それを評価してよかった、と思える力を取り戻してください。これが、仕事の楽しさになっていくのです。 必死で嫌な仕事が今までできた、ということは、少し好きなことも、その合間に取り入れていくことは、できるはずです。 極端に、これもあれもいや、好きな部分がない、ということではなくて、その中に、自分はこの方法は使ってみるということを、小さなことで取り入れてみてください。自分のために、の中にはたくさんの物が入るでしょう。これが良いと思ったものを作り出すことも入るでしょうし、人の役に立てることが楽しければ、そういったことも入ります。そして、できない、ではなくて、他の人が求めていない、ではなくてやりやすいファイルの色わけなどでもいいので、自分のよいと思ったことをしていく力を付けてみてください。これはやってみてよかった、と思えて楽しむ力が失われているのです。想像をしてみてください。幼少期のあなた。そのあなたは、折り紙をしています。そして、ああ、こんな折方がある、ここをこう折ったら、まるで犬みたいに見える。その喜びはどんなだったでしょうか?そして、人に見せて、すごいね、といわれたら、もう一度作ってみたくなるはずです。その感覚を取り戻してください。そういった喜びを、人はまた、取り戻すためにこの人生にいるのかもしれません。常に、これと良いというものと一致をしているとやがてだんだんと、自分の向き不向きが、わかってくるのです。つまり常に「ああ、これをすると小さな達成感」というのがないと大きなことばかり探すけれど、自分と一致をしていないので行く方向がわからないのです。小さな達成感をおいてきたのは、なぜですか?それは、誰を喜ばせるため、あるいは、何を見て育ったからでしょうか?今、それを取り戻すのに、どんなことを、初めてみますか?もし、自分はこれをしたい、そしてしてみた、よかった、という感覚を取り戻せるとしたら、その中にいたら徐々にあなたに向いた世界は、必ず現れます。その中にいたら、それらは、体験をしていき、わかることでしょう。● ACRセッションでは、その人が、自分と一致をしなくなった癖の解消を、していきます。自己との一致が進めば、あらゆる事柄が進みやすくなっていきます。自分と一致をしていないと、朝が辛いです。体が重いことでしょう。
2011.06.29
でも変な話なんですが、聞いてもらえない、という思い込みが整理をされれば(癒されれば)もう相手に言わないとすまない、という気持ちも同時に整理をされます。 だから、相手に意思を伝えるのは、一段階目に過ぎないんです。 たとえば友達に、自分が、虫が嫌だと思っているのにどうしてもわかってもらえない、いやで嫌でしかたがなのに、何度も伝えたのに、なぜわかってくれないんだろう、なぜ取り除かないの、わかってもらえない、このことが嫌で解消ができずずっと他の人に話していないと気がすまないのであれば、 聞いてもらえていない、という色んな思いがまだ癒されてはいないのです。 するといったんは相手に、虫が嫌いよ、といって暴れるみたいなことは,一つ意思表示をする段階としては、 大切かもしれませんが、本当は、聞いてもらえない、それが嫌で仕方がない、許せない本当に悲しかった、という思いが癒されれば、 虫がいるから行かないよーで済む話でもあります。外ではないときに、行くねーみたいな。 だから相手をもう、必要(相手が聞いてくれないと自分が癒されない思いでうつうつとなる)ではないんです。そして本当の癒しは嫌だ、わかってもれない、と怒りをぶつけることではなくて、どんなに、自分が大事にしている、嫌だ、という気持ちを、本当にあってよいのに、本当に受け入れてほしいのに、自分も受け入れたいのに、受け入れられない物と思ってしまったか、ということでもあります。 虫が嫌なんだよ、嫌でいいんだよ、それを自分で認められなくて相手を必要になってしまったというのがこだわりです。 相手が嫌で仕方がないときには、何らかのこだわりが出ているとき。そのために、相手がそれをわかってくれるまで、変えてくれるまで相手を必要とします。そういう意味で、嫌な相手は自分を必要としている、(自分も相手がいてくれて問題を整理したいと思っているので必要でからまる気にしている)ということでもあるのです。 こだわりが抜ければ、本当はそれは問題ではなくて他の事にようやく向き合えます。そっからが本当の自分、なんだなー。 本当の自己実現は、なぜこれが実現をしないんだこれもあれもあって、ではなくて、これとこれができる、こうしていこう、というほうに喜びがあるときに、 本当の関係性は、虫がいて、嫌なんだけれど、どうしてわかってくれないのよ、なぜ虫がいるところに行くのよ、 とうことではなくて、(そう慰められる場所も、必要ですが特定の人だけにこだわるのではなくて)それらが癒されて、虫がいないところで一緒に遊ぼうよ、のほうから始まるからです。 ---------- こだわりが抜ければ違う世界が見えてくるそのためにACRでは、セッションで、こだわりを癒すお手伝いをしています。
2011.06.25
聞いてもらえない、について、>こうしたい!って鮮明に協力を求めることが大切ですね。そして、協力が得られなかったとしても、>ダメだったと落ち込み過ぎないことかなって思いました。この書き込みがあったので、補足をします。今の計版上の、話し合いとはちょっと関係がないのですが、聞いてもらえないと信じている方々は、そのために独特の優しさ(と本人が信じているもの)を作っていきます。自分が傷つかないように、というよう、にです。そして聞いてもらえない、と信じているとそういう話し方を必死でしています。頑張っているのに聞いてもらえないと言う現状を信じ込みによってしていきます。たとえば、家事を手伝ってほしいのに、「自分が疲れていてこんなにあんななのに」と言うように言ってみたりですね。たとえば、今日は休みたいのに、「今日は休んだらまずいですよね?」と聞いて相手の優しさを引き出そうとか、ですね、これは本人は気遣いと思うかもしれないけれど、一種の操作です。通じるわけがないんです。私はこうすると助かるから今日は手伝ってね、と言うことが伝わって相手が断ったり断らなかったり、その繰り返しで相手が、不機嫌ではあっても、ようやく、ああ、手伝ってほしいんだな、と学びます。でもその年月そのものが関係性の、おだがいの気づき(相手の個性がわかる)、築き(そういう相手とどう接するかがお互いにわかり安定をしていく)なんです。でもそれがないために(一度でも聞いてくれないと、不機嫌だと聞いてもらえない恐怖心が支配をするので、ほらねやっぱりと元に戻りたくなるので)そのために一生何も聞いてもらえなくなる感が強くなります。でもそうすると、さまざまな問題が出てくるので、いつも同じはなし方をその信じ込みからするのではなくて毎回違う対応をできるようになることは、大切です。それが正しい判断です、と言うのは、相手の人は皆違うので、毎回違う行動をしていいはずなので。実はカウンセラーとクライアントさんとの関係も、男女の異性の関係そのものを表しています。●聞いてもらえない、と言うかたがたのトラウマもセッションで取り除いています。そうすると、自然と話を聞いてもらえるようになります。ですが、「これを変えたい」という意思があったときにお手伝いをします。
2011.06.25
重たくて、しにくい理由なんですが、なんだかな、しなきゃいけないんだけれど、(意思)すごく悪いことをしているような(気持ち)があるので、それらをちゃんと整理をしていくことです。 お子さんを幸せにするために、あるいは、しっかり生活をするために、今、何が大事かを、「頭」ではなくて、「気持ちが」理解をする必要があります。今は、頭が理解をしているのですが、ご自身の中にまだいえていない寂しさみたいなのがあって、そこがどうしても明るく大丈夫、といえない部分になります。ごねているのは、お子さんの気持ちも、なのですが、ご自身の中にある、寂しいのって、悲しいのって嫌だ嫌だ、と言う部分で、そこがとても重たいのですから。
2011.06.20
子供が(2歳)が4月から保育園に通っています。私はいま専業主婦ですが、家庭の事情で夏から働かなくてはなりません。しかし子供が保育園に入園してから毎週のように高熱を出して月の半分も登園できない状態です。両親は遠いところに住んでいて面倒を見てはもらえないので近くでベビーシッターを探そうと思っているのですが、なかなか探す気になれず、時間ばかりが経ってしまってでもさすがにもう仕事探さなくてはという段階で追い詰められた気持ちになっています。いまだに登園のときに大泣きで、別れるのに30分以上もかかるのにこれ以上他人に預けたらかわいそうっていう罪悪感があるように思うのですが・・・焦りばかりが募って、体はぜんぜん動きません。何かアドバイスがあればどうぞよろしくお願いいたします。----------------------えーと、悩みが二つあるようなので、 一つはご自身がやらなければならないのに、やる気が起きなくて、焦るばかりで、どうしてものかな、と止まってしまっているのですよね?で、もう一つは、お子さんとの関係。 それで、今回は、お子さんとの関係について、お伝えします。ちょっと、お子さんとのことで、負荷をご自身にかけすぎておいでで(悪いな、嫌だな、どうしようというのが重たい)これだとやる気がなくなるのもまあ、あるでしょうから。ーーーーーーーーーーー子供って、その子、その子によって、本当に違います。我が家では、1人目は薄着をさせようが何をしようが、風邪をひかなかったので「薄着をさせたら、風邪をひくなんて、嘘じゃん?」と思って、子供は元気に薄着で!方針でした。。。が、が、が、なんと!二番目の子供は、ちょっと寒いなーと思ったら、すぐ、くしゅん。とすぐするので、びっくりしました。そこでたちまち、軟弱な私は、育児方針の即効転換をしました。(笑) ということで、熱を出しやすいお子さんなのだろうとは思います。ですが、子供は、心配事があると、体調を崩すのも確か。だから、ご心配ですよね? それで、子供が一番、不安になるのは、お母さんの不安そのものを感じたとき、です。働かなければならないのであれば、少し寂しい思いをさせても、そこに罪悪感を持つのではなくて、感謝を持ってください。だって仕方がないじゃないの!と自分が悪いなと思っているイライラをぶつけるのではなくて、ありがとう、お母さんも寂しかった、こういうことで、働くんだ、と説明をし、嫌だ、絶対に嫌だと、わからないときには抱きしめ、そして、きりよく、どこまでは、時間を一緒にいて、どこからは、ごめんね、まっててね、と言い、そして帰ったときにどうフォローをするのか、それらを、二人で探していくのです。 この繰り返しが親子を育てるのです。 だけれど、おそらく、なのですが、30分も一緒にいて、ということは、メリハリの部分が足りていないのかもしれませんね。ここまでは一緒、だけれど、ここまで、と決めた時点で、行くねかあちゃん、頑張るよ、と笑顔で去る、ということがしにくい感じです。だからこそ、お子さんも諦めないのだろうとは思います。いつまでも罪悪感で悪いな、悪いな、と思っていると、子供も寂しいな、寂しいな、と気持ちにしがみつくようになります。変だけれど、親が罪悪感を持っていることについては、子供も大げさに感じるようになるのです。寂しさはわかりながらも、わしも頑張る、おぬしもな、と言う気持ちが子供を育てることもあるのです。 お母さん、お母さんそれぞれに違いますが、余りに仕方がないでしょ、と言う場合にはお子さんの気持ちをわかる必要は確かにありますが、仕方がない部分を、ちゃんと明るく、そういうこともあらーな、としっかり明るく切れない場合も、お子さんが余計悲しがることも出てきます。 親は、どんなに頑張っても、総てを子供に与えることはできません。たとえ全部を与えたとしても、子供は、違う個性を持っているから、欲求不満を持つものです。たとえば、すごくお金持ちの、何でもしてもらえたお子さんたちだって、セッションにお見えになり、与えられてはいるけれど、寂しかった、と言うことがあるのですから。なんだか、何でもあげようと与えようとしてくれた姿勢に、面と向き合ってもらえていない寂しさを人間は持つこともあるからです。 だからこそ、大事なのは、子供に全部を与えることではなく、子供とともに生きることです。正直に出来ること、出来ないことごめんね、を伝え、お母さん、頑張るよ、を伝え、お子さんの助けを借りてみてください。 そうしたときに、双方で成長をする、すばらしい関係に必ずなっていくことと思います。
2011.06.20
相手の幸せを祈ることって不自然?それとも良いこと?こんな書き込みがありました。「相手のためを願うことって、良いことなのでしょうか?引き寄せの法則などではそうのようです。でも、ライバルを蹴落とさないと生きていけない社会もあります。たとえば、オーディションなどでは、周りはライバルなわけで相手の幸せを願ったら、自分が勝てなくなります。」というような内容でした。まとめてしまったので、ちょっとはしょっているかもしれませんね。それで、人は、たとえば、強さが必要です。でも、相手の不幸を祈る必要はありませんよね?たとえば、ある人が、本を書きたいとするでしょう?で、自分なりに頑張っていて、でも自分が売れる前に、他の友人が、他の人の本をリメークして、すごく成功をした、とします。そのときに、すごく嫉妬をして、いらいらして、そんなずるをして、と思うとしましょうか?でも、そのときのいらいらって、何から来ると思いますか?脳の中に、書き込まれた、「ずるは悪い」という情報と、自分はずるいことをできない、という禁止です。これらは、親によって教えられ、罪悪感と強い恐怖心(やってはならない)というのがあるので、それを破った人を見るときに、とてもいらいらします。でも、よく考えてみてください。相手は「ずるをして」と思って怒りが強くわいたかもしれないけれど、相手のことを、よくよく調べたら、リメークをするにあたっては、何年もその作家のことや、社会的な状況や家族を調べ、心情を調べて、その努力があって、何年も構想があって、初めて書いたもので、だからこそ、リメークのほうが売れたりしたのかもしれないのです。つまり、ぜんぜんずる、ではないから、売れているのです。相手のことを、こんなずるをして、と思ってしまうのは、自分の中に、ずるは悪いこと、と言う情報があるために「その人そのものの努力、どういう功績があるのかどうその本が、本物よりよいのか」ということが、検討をされていないわけです。すると、自分が成功をするために、「もっとよい物があるんじゃないかこうしてみたらどうか、こういうところは、学んだらどうか」というところがずるに思えてちゃんと調べていなかったのです。でもその友人には、ずる、と言う考え方がなくて「この作者の生き方からでる、こんな本ってすごいな、この人のことを知りたいな」という感動や、直感的にこれがよいものになるという気持ちから、その人についての歴史を含めて、リメークを作ったのかもしれないのです。翻訳の走れ、メロス、は、本物の本よりも、心情などがとても良く描かれているとされて、原作よりも日本では高く評価されることもあったようですが、そのようなことですね?でも、自分が禁じてきたことを、相手がすれば、面白くないわけです。相手の不幸を願うときって、自分の中では、それぞれが、色々な方法で成功をするのが信じられてはいないんです。そして、自分はどういうふうに視野を広くして、新しいチャレンジをするか、と言うことがわからないままに何か決まりきった努力を必死になってしまうわけです。つまり、その人が成功をしたときに、素直に喜べるのは「そうだよね、なるほど、こういうふうに努力をしたりこういうものを作り出せば、成功をするのは当然だよね」と信じている、と言う、色々な方法に対して、開いている心境なのです。もちろん、私は、本当のずるを勧めているのではありません。ずるは気分悪いしね。でも、本当のずるをしろ、ということではなくて、余計な書き込みが脳にあるために、禁じている部分が多すぎてあの人はこう、この人も面白くない、皆の幸せなんて祈れない、と思っていたら、自分もその人と同じように、それ以上に出来る力がせっかくあっても、そのページがまだ閉じているという状態なわけです。その心境のまね(幸せでよいよ、皆幸せになってね、みたいなふり)をすることで、余計な物が潜在意識から整理をされるということは、たしかにあります。嫌だ、負けたくない、と言う心境でいるよりもそうなんだ、そうできる人もいるんだ、へーという感動があれば、開かれるあなたの才能が出てくるということですね。他の例をあげて見ましょう。「こんなブスで芸能人になるなんて!」と思っている人は、芸能人になりにくいでしょう。自分が努力をするときも相手にそう見られているのではないか、と言うことが気になるからです。それよりか、もう、芸能人に(本心はなりたいとしても)なりたくもないでしょう。軽蔑と、侮蔑と、その気持ちだけが上がってきてしまうからです。あるいは、こんなブスで芸能人になるなんて、と他の人をにくにくしく思っていて、自分だけがきれいで大丈夫よ、と思っていたら、その人は、自分が年齢を重ねてきれいではなくなってきたとき(いくらきれいでも、演じる役割は変えなければならないわけですから)ノイローゼになったり、自分がどういう立場で成功をしたらいいのかわからなくなります。そして周りにつぶされます。でも、その人がこんな点が良くて成功をしているんだな、と素直に思える少年期があれば、そのまねを素直にしていますから、(無意識に)そのようになりたければそのようになりやすくなることは、出てくるのです。それにひょっとして、素直であれば、素直に自分が芸能人になりたければ色んな方法を探していることもでてきます。ということは若いときに出来なくても、年齢を重ねてできるうになる方もおられますが。いずれにしろ、そういう何かの悟りがないと、続けていくことができにくいわけです。さて、オーディションなどではどう考えたら?ということですが、一つ、皆さんに誤りがあるのは、(現代の人々すべてにですが)オーディションに受かることは、夢で第一歩ですがそれだけが人生の目的だったり、勝ちだと思いすぎていることです。だから、受かった一人は幸せで、受からなかった一人は不幸だと思っているでしょう?でもそうではないかもしれません。受からなくてもっと勉強をする人、受からなくてがっかりして他の人生を歩む人、人はそれぞれ、その人たちの道を探していきます。自分の役割は、自分を精一杯生きることです。でもそれは他の人々がどう生きるかを、許す、ということでもあるのです。その人たちが他の方法で努力をしていたりするのを、そのまま、認めてあげるあるいはほっておけるということですね。相手の人はオーディションに落ちるかもしれません。それでも、受かって芸能界でつぶされて麻薬などにつかってしまう人よりも、そのときは、いったん、失敗をしたとしても、幸せな他の人生を歩んでいるかもしれませんね?その人たちは、その人たちの人生があり、苦しみを含めて失敗をどう解決するか、ということを含めて、その人たちが責任を持って幸せを選んで生きます。私たちは、それを応援することはできこそすれ、その人たちがそれだから、不幸だ、と言う判断もできません。幸せを祈るというのは、「あなたもオーディションに受かるとよいね、私は落ちてもさ」という弱い心境ではなくて、(これは、本当は正しい犠牲の方法ではないのです)「あなたも私も最善を尽くし、本当に自分なりの方法で夢をかなえられるといいね、私も落ちるかもしれない。でも受かるために頑張るよ!そして、必ずこんなふうに夢をかなえたいの」ということをお互いに許していいのです。そしてそれらは、色んな経験を通して柔軟によりよい夢をかなえていく方法を探してみることが大切です。私たちは、自分を生き、その過程で、「これは自分が本当に適切にできる、適切な方法でしてみたい(たとえばオーディションを受かってこんな演技をする女優になりたいとか)ということを、実現をしていくことができます。そこには、勇気を持ってぶつかってよいのです。そして、そのときに、他の人々は、他の道を必ず選んで長い目で見れば、幸せになれることを信じ、他の人々は、他の人々なりに失敗を含めて、その人たちが一番良い道を選ぶことを知っていれば、また感じ取り方は、違うのではないでしょうか?そのことを信頼することこそが、とても大切な世の中になってきています。現在のゆがみは、さまざまな職業や方法で幸せになれるのにその方法ではないと、その人生ではないと、人を蹴落とさないと(たとえば役人ばかりが、自分の利益を優先したら本当によい社会になるでしょうか?ということですね)幸せになれない、ということが誤って信じられすぎていてそのために、他の人と調和をする方法がわからなくなってしまったことです。―――――――――――――――――――今後、レベル1からの内容を大幅に変えていきます。前回に受けている方々にも、きちんとそれらの情報を、提供をします。内容については、自分の信じ込みを、自分自身で取り去る方法、負担やストレスを取り去る方法と、それらの、整理を人々にセッションでしていける、その両面をお伝えしていきたく思います。セッションでは、その人に誤って信じられている価値感などを取り除いていきます。
2011.06.17
冷たくされたり、優しくされたり、そうすると、自分が好かれているはずなのに、と返ってその人を好きになる場合あるいは、思わせぶりな態度があるのに、ぜんぜん付き合えない、と言う場合、そういうことがあっても、ぜんぜん彼が付き合うと言う意思表示や一緒に出かけるという意思表示が出てこない、自分から何かをしたとしても、と言う場合には、彼のほうはその女性を好きではない(恋愛感情は持っていない)ことはしばしばありますが、もし相手が恋愛感情がないとしても、ご自身を責めないようにしてください。それで、そういった彼との課題は、相手が自分を責めていると思いすぎること、逆に相手が自分に、何かをしていると思いすぎること両方ともに、相手が何でも自分のせいでこうなると思いすぎることの修正の時期だと教えてくれているのです。ご両親の機嫌が悪かったり、ご両親が逆に急に優しかったり理由なくご両親が変わるようなことがあれば、子供は、それらは全部自分のせいで起きていると思いすぎますが、でも本当は、ご両親自体に気まぐれだったり、いらいらしていて止まらない癖があったり、急に怒り出す癖があったり、というようにご両親自体の癖がありますよね?それと同じことなのですが、その人は、自分が好かれると優しく出来ることもあります。でも地がでると、冷たいこともありますが、どちらにしろ、彼の個性は個性ですから、ほおっておけないと常にこういった冷たくされる、だけれど暖かくされるだから必死にくっつく、というようなことになります。これは、愛情関係を築こうと言うことではなくて潜在意識上では、誤った愛情の持ち方をきちんとしたいということでもあります。冷たくしないで、優しくしてよ、不安だから、ということが、愛情と間違って感じ取れるような心の傷を癒しなさい、と言う意味でもあります。自分を責める必要はなくて、ああ、彼の個性で機嫌が悪い人と、距離があれば、あるいは機嫌が悪ければ、相手を気遣えないことはある、仕事を一緒にしていても、なんだか、押し付けることも誰にでもある機嫌が悪ければ、そんなの嫌だよ、ということが誰にでもある、逆に、恋愛ではなくても、人は優しいときがある、恋愛ではなくても、からかいやすい友人もいる、かばいやすい人もいる、それらに余りに恐れたり、おびえたりする必要はないんだな、と言う学びの時期です。それらが、全部、自分のせいで、自分のために、と思いすぎると余りよくはありません。人は誰でも、相手に嫌われたくないもの。だから、嫌われたかなと思えば、優しくすることもあるし、あまりに距離が近いとそれが自分のしたいことではなければ、少し冷たくして適切な距離を保ちますが、それらをあまり、個人的にとらないことは大切です。それらは(彼の機嫌の問題は)、私のせいじゃなく、それらは、私が何とかしようと絡まる問題ではない、相手の個性でいろんなことをすることが、人にはある、と心得ておいてください。相手の個性を認めてあげてください。本当の恋愛は、こういったことではなくて、それらにぜんぜん絡まらずこの後に、正しく恋愛をする力も付くでしょう。彼との出会いは、ある意味、こういったことを学ぶためなんだから、たとえその後、その人に好きな人がいるとわかったり自分のことを好きではないとたとえわかったりすることがあるとしても、気にすることはありません。ありがとう、で終わらせておいてください。きっと良い縁があります。ここらに引っかかっているとずっと同じような関係ばかり(相手が冷たくする、でも暖かくするそこらへんで必死にしがみついて、でも付き合いにならない)ということになるので、本当に、冷たくされることに動揺をしない、動揺を余りにしすぎて落ち込むような方であると、それで暖かくされると逆に嬉しくなってしまうのですがということからは離れていく必要があるでしょう。それと思わせぶりについては、思わせぶりに思うのに、ぜんぜん付き合えない、誘われない、誘われても食事に1度だけみたいなことがあれば、それはやっぱり恋愛ではないです。自分が好きだとあらゆる事柄が、思わせぶりに見えてくる、と思ってください。相手がたとえば、言いにくい仕事の話があって頼みにくく、もぞもぞしていると、それは「彼が」頼みにくい癖があるのですが「私に特別に何かをしてほしいはず」なのに、と考えます。相手が、たとえば、自分が他の人と親しげにしていて不機嫌だと「彼が私に」そんなにその人と親しくしないで、と言うメッセージだと考えます。 何をしてほしいわけでもないのに、たとえ何かをしてほしくても、そこまですごくではないのに彼は自分には特別に何かをしてほしくて、してあげないといけないと言う焦りの気持ちが、変な関係を築いていきます。でも、それらは、別に友人でもあること。友人でもやきもちってあるのです。おかしいですよね。なにをちょっと不機嫌だからといって相手は意識をしていないこともあるし、すんなり、流してあげないと総てのことが、自分へのメッセージだと思いすぎていると色々すれ違います。そして距離を縮めようとするととても離れていくように自分は感じてしまい逆に彼の個性でしていることは、自分へのメッセージだと思うとあまりよくありません。それらをするのは、相手は、恋愛感情からくるものではなくて、相手が、自分が正しく出来ているかどうか、怖くて、気を使いすぎているとか、仕事で優しくしなければならないとか、色んな場合もあるでしょうから。相手が恋愛感情でしていることであれば、とても簡単ですとにかく進みます。何をしても。何をしなくても。ということがわかった先に本物の恋愛がありますから、楽しみにしておいてください。
2011.06.15
こんなご相談が掲示板にありました。話のキャッチボールが出来ない人々が嫌で、でも関わらずに距離を置こうと思うのに、また関わってしまってそしてまた傷つく、頭にくる、みたいな。 それで、どういう状態が嫌なのか、お伺いしたところ、以下のようなことでした。 ------------------とにかく自分の話とか、自分の話したいことばかり話されると腹が立ちます。その人のペースに合わせると、こっちは常に聞き役で会話のキャッチボールがないんです。聞きたくもない話をずっと聞かされるのは苦痛だし、ボランティアじゃない、と思ってしまいます。時間は貴重だし。逆に腹の立たない人というのは、ちゃんと人の話を聞いて自分も話す、という会話のキャッチボールができる人です。相手への気遣いがなければキャッチボールはできないと思うんですよね。あと、自分ばかりしゃべったら相手に悪いとか、その話を聞いて相手は楽しいのか、とかそういうことを考えないのかな?と疑問に思います。多分そういう人はこちらが話聞いていなくても気付かないですよ。で、こちらが話を聞いてほしいときも、すぐに自分が話始めたり、基本人の話を聞かないし、人によっては理解する力がないのかな?って人もいます。今私は変わろうとしていて、そういう人達と縁を切る時期にいるように思います。でも、ふっと試しのときがやってきて、また関わろうとしてしまう。でも関わるとやっぱり腹が立つんですよね。腹を立ててまでつきあう必要はないですよね。だって、自分ばかりしゃべるKYさがいやなんだから。KYな人はこちらも気を遣わないですむから多分楽なんですよね。でも、ちゃんと会話のキャッチボールできる人とは、自分もちゃんとしなきゃいけないからある意味少し疲れるんでしょうか。人付き合いって結構疲れるから。。でも、今変化の時期にいるような気がしています。-------------なるほど、よくわかります。それで、自分が話を譲ってもらえなかったり聞いてもらえないと、いらいらするでしょう?聞いてもらえない、ということが、とても嫌でご自身としては、聞いてもらうために、「話をしたら」「聞いてあげる」と言う方法で、聞いてもらえるようにということを、身に着けておられたのですが、相手はそうではないこともあります。お嫌いであれば、ぜんぜん、関わらないというのは、ある時期よいことでもあるのですが、でも、「聞いてもらえない」「話せない欲求不満」というのが癒されていくとま、いっかなーと思えることも出てくることでしょう。離れる、というのは、その人が嫌いであるととても良いことです。なぜなら、無理をして関わるのがよくないことはしばしばあるからです。そしてこだわりがなくなると、話をする聞いてもらえなくても余り気にならない、あ、でも時間かなーと思えば、ちょっとごめん、とその場で自分の時間を大切にしたり、話したいことを、自由に話ができたり、ということも入ってきます。つまり、気にならなくなれば、離れる、と言う意味は、そういう人々とまったく関わらない、と言う意味ではなくて、気にせずに聞けたり時間が本当にないときには、時間を無駄にしないようにあ、ごめん、ここに行くからまた今度ね、とすぐに遠慮なく言える、ということがその人を自由に離れるということでもあります。というのは、その人がいてもいなくても、自分でいられる、相手次第に依存をしていないからです。おそらく、聞いてもらえない感じは、相手がもう、次の話を用意していてぜんぜん真剣に聞いてくれていない感じとか、あるいは、自分の話に熱中をしているのが、「無視をされている」感じなのだろうとは思いますが、あるいは自分の話なんてぜんぜん価値がない感覚がするのかもしれません。満たされないような感覚は何から来るのか、探っても面白いでしょう。相手は、無視をしているのではなく、熱中をしてしまうのです。そのときに、とてもむげに扱われている感じが、あなたのテーマです。なぜならそれは、あなたの課題であって、相手は熱中をして回りを忘れてしまう、という可愛い癖があるに過ぎないからです。面白いことなのですが、これは相手の個性であって本当に無碍にしているわけではないのですが、ご自身の中で、聞いてもらえないと頭来るんだなー、自分の話なんて自分のことなんて、どうでもいいんだ、と言う感覚があることを、ということは、受け止めておいてください。それは意外かもしれないけれど、癒されると本当に小さな事柄なのです。そして、その壁を乗り越えたら本当はそんな相手を、すきかもしれない、ということもあります。だから離れないわけですが。さて、一つは自分は聞いてもらえない感覚がありすぎるんだな、本当は信頼をして、聞いてくれないからというトラウマではなくてのびのび話すということも、取り戻していくことや、と言うことを癒すことが一つですが、もう一つの課題は、遠慮をしてしか話せなくなったあなたご自身のエネルギーを開放をすることです。つまり、脳の中で、「聞いてもらえない」=「だからいつも遠慮をしてお互いに気遣い、いいよ、話して、みたいな許可制でお互いにそうして許可を出し合って間を持たせて話す」みたいな癖がついているのですが、そういった嫌だと思う相手が遠慮なくてよくて惹かれるのは、一方でそういう思い込みがなかったら自然と、ねえねえ、これ聞いて、と相手から許可を求めるのではなくて信頼して話して、話したいから話せてああ、楽しかった、と話せていたはずで、この部分が自分で失われていて、これも不快なのです。だからそこを開放をすることも、関係性の中で満たされるために大切になります。まあ、子供が信頼をして、「ねえねえ、これってすごくきれいなの」と大人にしたらくだらないかもしれない内容を、本当に心地よく、聞いてもらえると信じて話している、あののびのびした感覚です。内容ではなく聞いてもらえないと恐れることなく、のびのびとこれがよいよと信頼をして真っ直ぐ目をみて話す感覚ですね、そして話していること自体に生きている喜びを感じる。これがないために、会話に欲求不満が出やすくなります。持ちたいんだけれど、脳が自然と聞いてもらえていないだろうから、聞いてもらうためには、こうしてああして、と計算をするので疲れるのですが。特にこの書き込みで言えば、本当は遠慮なく、もう話したいことを勝手に話していてわっはっは、みたいなことがしたい、というお気持ちもあります。でも、どうも、ご自身が会話のキャッチボールをして、聞いてもらうことを身に着けたのでこの開放感が話しているときに止められていますから。課題が解ければ、そういう人々は付き合いやすいのかもしれません。課題は、「遠慮なく話せる相手には、そう話して、楽しむのを、失われた力を取り戻す」と、「聞かれていない感覚をちゃんと癒せえや」ということです。 今は、余りに「話を聞いてくれる、聞いてくれない」が大きいのでそこにひっかかってしまい、「本来のあなたが好きな人、嫌いな人」かどうか、わからないのです。ひょっとしたらいいやつ~かもしれないしね。合うかもしれないしね。話とは別に嫌いかもしれないし。こだわりが抜けると事実がわかっていきます。話をしたら聞いてほしい、というお気持ちに深く関わり、聞いてくれないことは、あなたの話なんて(本当は深いレベルでは、話したい自分の気持ちが無視されたから、自分自身の話したい気持ち自体がだめなのか、とすごく気持ちが無視をされたと感じてしまうのですが)価値がないことと感じてしまう、無視をされている感覚は、感情なんだよ、事実ではなくて、相手は熱中をしてしまうのまた、本当は信頼をして、聞いてくれないからという怖さから計算をするのでなくてのびのび話すということも、取り戻していってください、とても関係性で満たされるものが現れてくるでしょう。-----------------------------------絶対絶対の注意事項 なお、これはこの方へのアドバイスです。同じ「嫌だから離れたい」という人々の中には、本当に、もう離れたほうがよいのに、自分が罪悪感を持ちすぎていて離れないと言うことが課題の人々だっています。 一件似た問題でも、その人の求めていることはとても違います。分からなければ、「頭の考え、親の教え」ではなくて、「自分が明るくなれる」方向に行くのが正解です。そしてたいていは自分が正解と思っている方向は違ったりもします。どうしても怖くていきたい方向が明るく感じ取れなかったりするからね。おもしろかろ? -----------------セッションでは、こういった課題を癒し、本来のあなたへ繋いでいきます。現在、ご自身が進む方向についても、最近ではなるべく、(完全ではないけれど)セッションでなるべくお話をするようにしています。
2011.06.13
簡単に例を挙げれば、しずかちゃんが、いいよいいよ、と何でも言っていて、そうしないとだめだと友人のあなたに演じていて、そうしないと自分は非常に悪い人間だから、たとえば、あなたが「こういうコースを選ぶんだこういう勉強をするんだ、お金、貸してね」と言えば、応援をしないとならないと思い込んでいて、でも本当は「これって、もっと良く考えたほうがいいんじゃないの?貸すにしても、もう少し実りがあるこっちのコースのほうが将来長続きすると思う」と提案をしたいとします。「でもそんなわがままな無理解なことをしたらジャイアン(お母さん)になっちゃうと信じていて。「もう少しお金建設的に使いなよ」という意見を言うのが、そんなの変だよ、馬鹿じゃないの、金なんか貸さないよ、ばーか。ぼかーんと殴ったジャイアンのひどい言葉と一緒だと信じていて。そしてある日、思い切って、「そのコースだとお金かかり過ぎない?こっちのほうがいいよ」と提案をした、とします。え、何よ、とあなたが少しむっと来たとして、あなたは、しずかちゃんがひどい人で、本当にジャイアンだと思っているんですか?ジャイアンに見えていますか?ということですね。もう少し夫とお子さんを信じるようにね。それと、もう一つは、子供と親は違うのでどんなに良い親でも違いから、子供は色々感じます。それは子ども自身が整理をするように助けてあげてください。全部トラウマ(殴るとかそういうことではなくて、考え方が親と子供で違うので、子供が、受け止められないとか感じることがあること)を作らないように全部親がしよう、とするのは親の役目ではなくて違いがあって、すまんな、けれども、それをちゃんと子ども自身が乗り越えていけるようにするのが親の役割です。お子さんの力を信じるようにね。
2011.06.10
私はセッションの中で、その人が題名にあるような信じ込みを取り除くことがしばしばあります。特に、親が「こうだったから、こうしてはいけない」という信じ込みもとらないと、それに伴って事件が(問題が)知らず知らずのうちに起きている場合にはそうします。たとえば、お金、お金、という親がいて、その子供が、「お金に汚いのはいやだ」と常に言っているようであればこれは何かが脳に誤って書き込まれています。もちろん、私だってお金に汚いのは嫌なんだけれど、四六時中そう言っている、ということは、逆に親のことが気になりすぎていて意識をしすぎている、ということなんです。つまりお金が汚いに反応を起こしすぎ、嫌だ嫌だと思いすぎ、ということですね。そうすると、「あ、これもお金に汚い人」「あれもお金に汚い人」というように逆に、「なりたくないーなりたくない」が作動をしすぎていて問題を正しくは見ていないからです。たとえばそんなんであれば、(親がこんなんで嫌だと)他の人が、節約をしようとして、それが自分が思ったよりも厳しい節約だと、「お金に汚いな」ですんでしまいます。どうしても無意識に自然にそして絶対にそうだと思うので、「節約しすぎだなあもう少し自由に使ったら?」という提案ができません。さらに提案するとしても、どこかで、「お金に汚い」と思ってそれを気遣って言葉丁寧に言いすぎたり、あるいは、逆にきつく言い過ぎたりするわけですから、相手は必ずその人が「お金に汚いな」と思うような方法で言い返してきます。「何でそんな提案呑まないとならないん?」と言ったように、ですね。というように、実現をします。つまり、親が嫌だ、と言うのを取り除かないと、正しい判断ができないしそういう人を自分が作り出してしまう、回りに、ということです。さて、以下の質問がありましたので、それについて、書きたいと思います。その方の相談は、自分は演じていないと、嫌なことが起きる、みたいな書き込みであったように思います。疲れるとか、そういうご相談であったかもしれません。それについて、何をどう演じていないとならないのかと言うことをお伺いしたところ、―――――――――――――――何を我慢しているかといいますと、いい母だと、心の広い母(自分の感情で当たるような子供の叱り方をしない、子供のトラウマにならないよう間違った子育てをしないように(実母のように育ててしまうと、私のように苦しませてしまう)いい妻だと、心の広い妻理、理解のある妻、夫がやりたがることは、できるだけなんでもやらせてあげる(たとえば、わたしと子供を置いて10日間の海外旅行に行きたいとか、快く送り出してあげる)めんどくさくても、家事はできるだけためず、いやな顔をせずこなす、などです。で、意外に思うでしょうけれど、これも誤った脳の非常に強い書き込みなんです。自分はとても悪い人間で、親と同じでありそのために、無理をしていないと、相手に非常に悪い影響を及ぼすというですね。でも子供にしたら、あんましあなたが普通であっても演じていても、あなたが別人に見えるわけではないんです。さらに、我慢をされていると、子供はどこかで窮屈そうだな、とか、を感じています。女の子であれば同じように対人関係で我慢をする子供になっていきます。あるいは、我慢をさせている(と感じてしまう)お父さんに何かを感じている子もいます。男の子の場合は、また違う課題が出てきます。それで、出来なくなった事柄、というのは、たとえば、旅行にしたら、「え、この時期はお金がないから、こういうときにしない?」という提案をする程度のことですが、もっとよい方法を自分で考えて提案ができなくなるのです。問題は、あなたが「親と一緒になる、演じていないと」と思うためにあなたの中には、「今はこうだから、こうしたほうがいいな」という提案さえ思い浮かばない、そういう提案自体が、親のしていることと、区別が付かなくなっていて、できなくなっており、それが非常に誤解の部分です。とうのは、そういう提案が出来る人って、「あれ、なんだか違和感がある」「そうだ、こうしてみよう」というように違和感を正しく(しかも敵意なく)潜り抜ける人々だけだからです。でも、違和感があったときにすべて「我慢をしないとならないことがあるんだ、悪く思ってはならない、逆らってはならない優しくしなくてはならない」というように、自然と脳が緊張、緊張、止める、止める、という方向に行くのが今のあなたなのです。だから、無理して我慢をしないと、親のようになる、と言う誤解があるわけです。たとえば、皿洗いが疲れていて、明日に回そう、と思えば、夫が返ってきてぶつぶつ言ったとしても、ごめん、今日は疲れているから、明日に皿洗いをまわしたの、と言って自分は、今日はそのために疲れを取って趣味をしたとかであれば、長い目で見れば、自由にしている夫も癒されます。そのときぶつぶつ言ったとしても全体として生き生きしている妻をみて、自分も満たされ安定をします。さらにそれをみて育つ男の子は、いろんなことに柔軟に対応をして、仕事をする、と言う能力を身に着けます。ですが、この場合、あなたには、「無理をしなかったから親と同じことをしてしまった、悪いことをしたんだ」という罪悪感がひどくわいてしまい、10日間とか、長い目でみたらもっと良い選択を他の人々ならびに自分に与える、ということが、しにくくなるのです。あらゆる事柄に対して、嫌だこれ程度はしなくてよいかな、と感じる程度のことが、あなたが親から受けた悲しみを感じるほどひどいことをしているという誤解がどうしてもでます。だから本当の意味での癒しがここに必要で、本当に親のことが気にならなくなると、そういう投影が起こらなくなります。夫にしたらそうしてバランスをとってもらったほうが、本当の意味で機嫌がよいほうが、よいのですが、そういうことがわからなくなっているわけです。これが脳の誤解です。あなたには、「あ、きっとひどい人間だと思っているな」という自分の投影が移ってしまうわけです。また、そこまで無理をしていると、どこかで爆発をして八つ当たりをしたり、と言うことが出てきます。だから自分が思っているよりも、悪い影響のほうが我慢をすると多いのです。あるいは、完全に演じた場合、その夫を大嫌いになる時期がやってくるので、そのときにはもう修復が出来ないくらいであれば夫にしたら、時々「ごめん今日は疲れたから、掃除は止めてこちらの時間にした、趣味の●●した」ということがあったほうが、自分が不機嫌になっても一緒に一生をいてくれたほうが、どれほどいいか、ということさえ脳はわからなくなってしまうのです。無理をした妻、という友人たちは、もう、50歳ぐらいになるとどうしようもないくらい、夫が嫌いです。あるいはいいやーこの程度しかわかってもらえなくても、と冷め切っているのですがそれは、我慢をしすぎてしまうと、なんだか奴隷になっている気分がしてきていて自分に優しくしてくれなかったという恨みが抜けなくなるからですね。これが熟年離婚の原因には結構あります。つまり脳の中に、自分が完全にしていないと親と同じ、そして夫や子供が、自分が親にされたのと同じように感じてしまう、という恐れがありすぎるために自由に断って本当の意味で相手を愛せるほうが、子供はとても親の愛情を感じるのにそれがわからなくなる、無理をしない自由な親から感じ取る幸せを与えられなくなる、そういった意味で、自分を親から開放をしたほうがよい、無理をせずに10日間、旅行行くならば、なんだか違和感があるとしたら、そうだ愛情がほしいんだと気がつけば、お土産がほしかったらほしいな、といえなかったりする。一緒に行きたいなと思えば一緒に行って楽しく過ごせる、そう自由に「本心を」)(そんな演技をしてもだめです)言えばもっと夫は喜んだり親しみを感じたりそういうかかわりが、「親と一緒になってはいけない」=自由に意見を述べてはいけない=その中には良い意見もたくさんあると言うことがわからなくなるということですね、まず、そんなことから見直してみてください。親と一緒になったらいけない、と考えたら、必ず大事な違和感がわいているはずなので、ここが嫌なのはなぜで、じゃあそれを、「正しい方法で」表現をしてみよう、と考えてみてください。時間を自分のために使うのか、何かの協力を求めるのか、あるいはもう少し楽に何かをしてみるのか、ということになるかもしれませんね。かなりここは、今は考え込まないと出てこなくなっているはずです。それほどに脳に禁じているからですが、もし、表現が自由に出来てくるとしたら、そこからあなたはもっと楽になります。また表現とともに本当はご自身が親のことを乗り越えることは必要になるでしょう。今は禁じすぎてきたために、反対をするということしか思い浮かばないでしょうけれど、本当は反対をするではなくて、共通の目標はいくらでもあるのです。セッションではこの癒しから行うので、そうすると、自然と自分が自由に考える力が付きます。、そしてもっと協力ができるようになっていきます。そういった表現ができたとしたら、お子さんの緊張ももっと抜けます。もっと柔軟に選択をできるようになります。夫に対して自然と親しみを自分が感じるので夫ももっと良い面をたくさんあなたに出してくるようになるでしょう。ということで、考えてくださいませませ。今後、揉め事があって、ご自身がこんなに我慢をしてきたのにと言う話し合いがあるとしたら、あなたの脳は誤解をして相手が反対をすれば、「ほらね、自分が自由にしてはいけないんだ」と思いますが、(そう癖がついているために)自由にしてはいけない相手のことばかりしていないといけないのではなくて、そうしてくれると都合がよい、文句を余り言われるのが辛いだけ、協力をしないわけではないということは、わかっておく必要があるでしょう。 とりあえず、嫌がらせで全部反対、全部逆らう、というのと、これはもっと自分はこうしたいしこうするよ、こうはできないから自分たちでしてねー母さんこういう時間でこうするね、ありがとう、というのは少なくとも同じではない、という考え方をちゃんとわかる、ということは、訓練をする必要があります。簡単に言えば、この区別ができない行動をする部分は、癒しが必要だと言うことですね。こんなに嫌なことをされた、自分には力がなかった、と言う部分に力が出てくればもう少し違った行動はするでしょうから。
2011.06.10
付き合っている彼氏のことで相談させてください。3年付き合っている彼氏がいるのですが、何を考えているのかさっぱり分からずに理解に苦しんでます。彼は過去に私たちの付き合いそのものに対して何度も拒絶と懇願を繰り返してきました。ある日突然拒絶が始まり、私たちの関係そのものを全否定。こちらが何を言っても話すら聞かずに一方的に別れ話。ところがある日突然「誤解していた」と謝罪が始まり、家にまで押しかけてきては一緒に幸せになりたいと懇願の嵐。その正反対な繰り返しが幾度も続き、彼の不安定すぎる心理状況が全く理解できずに疲れてしまいました。想い込みが激しいのか、自信がないからなのか。。落ち着いている時の彼は大変優しく穏やかな人なので、気持ちの整理もできずにどうしたらいいのかも分かりません。このような彼の不安定な心理状況に対して、何か対処方法はあるでしょうか。。ーーーーーーーーーーーーーーーーー理解しよう、直そうとするのではなくて、彼のリズムをつかむことです。どうしてかというと、人は、「これを治してほしい」と思うときには「それが悪い」と思っているわけですから、その人の心境にはなれないんです。だから、理解はできづらいでしょう。勉強をしてほしい親が、勉強をしたくない心境を理解しづらい(あるいはそんな気持ちがあってはならないと判断をする)のと似ていますね? まあ、彼の場合は、今のところ、バイオリズムみたいなものです。それは直すことはできますがそれは本人が直したいと思って、セッションに来るとか、ご本人が、そのものを本当に直したいと思ったときのみです。今はそのあり方が「彼にとっては」自然ですのでその方法のほうがバランスをとりやすいのです。 そのために、彼のリズム、生きていることそのものがこのパターンなのだと思ってください。理由を説明すればできるでしょう。でもあなたは「それが悪い、あってはならない」と思っているから彼がそうであることを、とても受け入れにくいでしょうし、それを知ったら変えようとするでしょう。でも今は彼はこれでバランスをとっているということです。 幸せではないのであれば、彼を直すのではなくて「どうして懇願をされると、自分は言うことを聞かざるを得ないのか」(怖い、嫌われる、かわいそうと言うことに動きすぎてしまうでしょう)を見直す必要があります。そして、この彼ではあっても、自分はそれと楽しく付き合える方法を探すか、あるいは他の人を探すかです。 彼を見直す、と言う場合は、本当は自分を見直す、というのと同義語です。そういった彼といるとご自身の癖が出てきて(あるいは自分の感じ取り方や弱い面)いるはずですから、それを学んでみてください。 一つ言えるのは、彼のこの面を支えているのは、ご自身の中にある、「懇願をされると気の毒になってどうしても続けてしまう癖」があるので、ここが鍵と鍵穴のように二人で合っている部分でこの面が強化ならびに続くということです。 彼が本当に変わろうとするときは、あなたもこの。気の毒だ、せっかく言ってくれている、理解してあげなくては、と言う感情ではなくて、他の気持ちが動くときになります。そのブレークスルーの一つが、「彼は変わらない」ということを「彼はこれが心地よいんだな」ということを、足元をしっかりさせて受け止めた上での判断ですね。 ただ、この方は、相当に大変ではあります。憎しみと、罪悪感と後悔が繰り返されてしまうからです。 ご自身が嫌だな、と思ったことが表現できなくてそして、嫌になってはその判断も信じられないし怖くなるのですが。 人の癖を直したいのであれば、自分がまず直すことです。ご自身がそんなの無理だ、嫌だということも、どこか弱気になって伝えておられないのかもしれませんね。
2011.06.09
時々こちらで勉強させて頂いています、有難うございます。最近、自分を許せていない自分を、より自覚できた?気がしています。許せないこととは、アトピー体質、なかなかなおせない爪を噛む癖、自分が本当は飛び込みたかったジャンルへ一歩踏み出すことができず諦めがちだった勇気のなさ、思ったようでなく理想からかけ離れ、無神経で優しく感じない親や兄弟、親戚、そして、今の嫌な生活から離脱できない自分への不甲斐なさ、信頼性のなさ。日々、二人暮らしの鬱の母にとんちんかんな声かけをされ、ただでさえ怒りを抑えていたりするのに、自分への労りや許しもしたくてもなかなかできない、進まない、、時間を浪費しているようでもどかしいです。怒りながら、やり切れなさを感じながら、心がけていれば自分を許せるようになり、おさまっていくものでしょうか。 セッションでは、感情の裏返り、ということを視野において、セッションをします。 皆さんが感じている気持ちは、表面で、それより深くぜんぜん違う感情が動いていて、それらに接するとたとえば怒りでもかなり早期に消える方もいて、興味深いです。すごくこの人が許せない、とかでもですね。 もちろん、人によってかかる時間は違いますが、今までの生きる姿勢が変わることがある、ということは、経験上、よくわかります。 それで、少し変な話なんだけれど、感情が裏返っているのでわかりにくいとは思うのですが、 ご自身の中で、「うーうん。それじゃないもん、それじゃないからやらないもん」「そんなんじゃないもん、違うんだもん」「いやだー違うもん、悲しいもん、わかってもらえないんだもん」と諦めているような、気持ちを、わかってあげてください。うんわかった、と承認をだしてあげてください。 いやだーそれじゃないーと泣きながら、どうしていいのかわからないようなでもこの方の場合は、泣いて表現をすることもされておられなくて。というような印象です、だからちょっと違うのだけれど。「あ、なんだろ、、わかんない、、でもちがう」みたいな幼少期のあなたですね。 まずこれが、潜在意識を開く一つの感情です。 これらが発展をして、虚しさとか、自分を許せない気持ちになっていっています。意外でしょ? 理屈やストーリー「ああ、あの人がこうしたから、こうなったんだああなったんだ、という分析」ではなくて、 ああ、これ、こんな気持ちだ、と感じると、さっぱりしていく気持ちがあります。それが、本来の気持ちですが裏返っているんです。だからストーリーや理屈がわいたら分析をするのではなくて、良い気持ちがするもの、あれ、これなんだか感じているよ、と感じて癒されて態度が変わるもの意外は流していただいてかまいません。 そこから、やってみそ。で、言葉は、少し変わっていきます。だから、少し違う言葉にすっきりする物に変えてみて下さいね。 癒しと言うのは、その方の感覚にぴったりのものがあって、それはかなり、個々人のこだわりがありますから。
2011.06.09
「ある言葉を聞いて」とても怒ったりする、ということは、実はそのことを、「自分は信じて予測をしている」ということなのです。潜在意識の働きを見るときに、そう考えてみるとよいでしょう。たとえば、東大に行かないといい就職ができないよ、と言われたとして、何?あの人?と非常に苛立ち、けんかをしないと気がすまないのであれば自分もどこかで、「こういうふう(一生懸命勉強していない自分とか学歴がない自分はだめだと言うように)なことを信じている」ということでもあります。そうだね、就職は、まあ確かに東大行けば、有利だよね、ともっと楽に受け止めていいんだし、その上で、自分はどういうふうにしたら良い就職ができるかな、というのとが、別個、同時に判断ができるときには、潜在意識は「それとは別に」「自分も幸せになるでしょう」と予測をしている、ということでもあります。 よほどのひどい言葉を除いて、自分が責められていると感じなくてよいはずのことはたくさんあるはず.実は、上の例のように、相手の言葉に強く反応をするときには視点がかなり狭くなります。強く感情の動く場面というのはその人はそれを信じていく過程でもあります。つまり感情が動くところを、その人は生涯、強く信じるようになっていきます。就職の例でいえば、社会に腹を立てるたび、「これもそうだ、こういう人しか就職が出来ていない」「ああ、ここもそう」「天下りはこんな風だし」と言う人ばかり見ていて、そのことに苛立ちを覚え感情が強くわくところだけを人は強く真実だと思い込むから、それはどんどんその人にはそういう現実になりますし、なぜだかそういう人ばかり目に入る。セッション後、「こういう人がいなくなったんですが」という人がたまにいて、そういう人がいなくなったんじゃなくて、脳の視点が変わったんだもんねー。つまり、何かを言われたときに、それはそういうこともあるでしょう。それで、自分はこうしようかなああしようかな、と言うほうに気持ちが動く人は、10年経てば双方の人に相当の差が出てきています。それは当然です。強い気持ちとともに、覚えたことは、忘れない、潜在意識に書き込まれると言う言葉を聞いたことがあるかな?そういうことだね。あなたが、どういうことにより心を動かされるかを見ればその人がどういう現実を作り出すかがわかります。別の例でいえば、女は顔よ、と言われて、それも当然、あってよくて。きれいな人のほうが声がかかることがあるのは、当然です。私なんて、高校生のときに、人気なかったなー太ってたからね。でもさ、不思議と、好きになってくれる人がいて、かなり熱烈で、そこでデートをしていたら、「なぜにあいつが、あんなハンサムな彼と?」とクラス中でからかわれたこともありました。容姿は良い人と付き合うことが多かったです。そんな経験もあって、ああ、容姿だけではないのかな?と気が付いたわけだけれど、でも、いいんだよ、顔がきれいだと有利で。でも、顔がきれいじゃない奥さんたちはなぜにいるのでしょうか?皆さんが混乱をするのは、潜在意識に混乱をきたしたのは●●だと、●●だ、と言う決め付けに感情が動いてしまうのであればそうではなくて現実を作れることはたくさんの例があるのに、探せない、自分もそうはできなくなることです。「私はどうせこうで●●だ」と言う悲しみが刻印をされればそういう事実ばかりを集めてしまうのです。もうなんだかその条件がなくても、幸せになった人、夢をかなえた人なんて目に入らない、そういう人々と一緒に話をしたりして、学ぶことはできない。それよりかは●●な現実だけに目がいき、自分がだめなことだけが感情が強く、強く動くようになって、ますますそちらだけを信じるようになって、という循環になります。それに、どうせこうだから、こうなんだ、と言う風に思い込んでうらんで生きるのは、一度そちら側に行くと、中々気持ちが変わらないのもよくわかります。苦しいけれど、抜けられないんだよね。そうして、2チャンネルひいては、●●なのは●●だ、と言う人の意見だけを聞いたりしてね。目に付きそちらだけの情報を集めます。たとえば有名人が2人いたとして、ブログで、より、「批判、非難が怖くて、そちらにばかり強い感情を」起こすのであれば、非難批判の中にいていつもそちらにばかり気持ちがいて、いつもそちらをチェックして自分の本当に見方をするファンのために何かをするということに割く時間は、当然、少なくなります。ブログでより、ファンの人々にどういう芸や劇や何を、どう提供をするか、と言うことに視点があっていたら(そちらのほうが強い感情がわく人々がいたら)その人々は、発展のほうに向かいます。私が話しているのは、感情なんです。どちらの感情が動くのかそれがその人が信じている事柄そのものなのです。つまり感情が強く沸く部分と言うのがその人の潜在意識でありそれは幼少時期から親のパターンも見て学んでおりそこには人を恨んでしまうとか、鬱々として中々積極的になれない事柄などを全部含めての個人のあり方であり、それを変えているのがセッションですし、自分が何にしがみつき何があると説得をしようと必死になるか、と言う部分の整理は大切ではないかな?ということです。良く能力もないのになぜあの人は、なぜに?と思う人がいたらまあそういうこったい。非難や批判や笑われることを避けたい気持ちや、そちらに強い気持ちがわかなくて、色んなこまかなところに必死にならない。相手を変えようとしたり相手が違うと向きになったり、そちらよりも、こちらをしたい、ということのほうが気持ちが動きやすかったのだね。感情が強く動く場所に人は行くし強く動くことしか信じられなくなるのですから。ちーと話はそれるけど、今現在の問題は、マスコミ、あるいは2チャンネルを通して非難をするという姿勢ばかりがあるために、世の中はそうなっていくので、それはよくないかなと思うこともあります。非難は世の中を決してよくはしません。というのは、非難をするときには「自分はどうなりたいのか」「じゃあ、自分はどうするのか」という強い意思や希望から視線をそらせて、人ばかりを責める、どうして、ここをこうしないのか、そして最後は相手が変わらないから何も変わらないという結論になるのだな。と言う偏った姿勢をうむからです。でも大事なのは、自分はそれらを変えるために何をするかと言うことができる人々であって、批判の内容そのものではないんだなー。だからテレビ関係者にお願い。意見を言うリーダーであるならば批判だけではなくて、ご自身たちもどのように貢献をするかを前面に出してください。そして、それらの行動に対して批判を受けてそれにたいしてまた前進をしてください。その勇気こそが社会を変えるのかもしれないじゃないですか。ある意味、私たちの人を責めるという姿勢そのものが今の社会を生んだのかもしれません。そうだね、それはそういう生き方もある、と認められてそして自分はその方法ではなくて(もし嫌ならば)幸せになれるという確信こそが、自分自身を上手にあらわしていくことでしょう。●●だ、という潜在意識が入りそうならば、「私はそれに対して、怒り、悲しみ、虚しさ、無気力感を感じている」というように感情として感じてみてください、それは事実ではないのです。強い感情があると、人はそれを真実だと思い込みます。喜びと嫌さ、憎しみや苛立ち、どちらの刻印があなたには多いでしょうか?分けてみてくださいね、それらがいやだ、こういうことにがっかりした、おびえている、もう傷つきたくない自分がいて、だから、こうだと決め付けようとしている、出来ないとおびえている、と言う「気持ち」とそしてだから「こうだ」と決め付けようとしている強い自分の気持ちそれとは別に自分ができること、していけばいいこと、淡々と。着実に。ね?そしたら違うあなたに出会うでしょうから。
2011.06.08
掲示板で、出会う男性がもうがっかりする人ばかりで小さかったりけちだったりして、いいなと思っても卑屈だったりして、彼氏が出来ない、と言う相談があったのですが、ごめんなさい、よくわからないのですが、男性に厳しすぎる気がします。お母様がお父様の悪口を言ったりとかそんなことはないとは思うのですが、心当たりがありますか?人は良いところも悪いこともあります。男性で友人であれば女性全員におごらない人はたくさんいて、その人が結婚してけちかと言うと違いますし、人には卑屈なところがあるけれど、まあ許せる部分もあったりして、いまいちど、本当に必要な資質を考えてみてください。けちと言うのは、おごらないとかそういうことではないとは思うのですが、嫌だな、こんな部分は、と言うところがすぐに意識に行くようなので、良い点よりもそちらに意識が行き過ぎるので、本当に必要な資質を自分でしっかり持っていてください。倹約家だとけちと見られるかもしれませんし、太っ腹だと、いいかっこしい、と言う一面はありますが、つまりどんな資質も裏を返せばいやだ、ということです。人が人を愛するのは「自分にとってはいいかっこしいよりも倹約家のほうが好き」とか「自分にとっては、けちよりかは多少いいかっこしいでも、太っ腹が好き」というようにどの欠点ならば許せるかを知っているかでもあります。それと、厳しい面は、男性に、男らしさを求めすぎているような気もします。自分の欠点に素直ではあっても、しっかり仕事をしているなどがあれば思っているほど、卑屈ではないのかもしれません。ご自身の中に、男性ってだめなんじゃないの、やだなあ、一つでも欠点があったら、ほらね、やっぱり、という声がないかどうかチェックをしてみてください。そうするとそういう出会いになります。
2011.06.07
>私は今、会社員として仕事をすることにすごくストレスを感じています。>でも、フリーになって好きなことを仕事にできるほどの覚悟もなく、フリーになりたいなんて思うこと自体甘えなのかなっていう気もします。>>甘えなのか、自分の本質なのかってどこでどう見極めたらいいのでしょうね。>もうここ2年ほど、こんなことで悩んでいます。甘えではありませんが、もう少し時間がかかります。つまり、今のところは、嫌なことに対して逃げたいと言うお気持ちとそれに隠れて、本質的に、自分が向き合いたいところとが、確かにあるのですが、逃げたい気持ちが強いために、本当にしたいことは、出てきにくいのです。そのために、今ある環境の中で、自分と一致をして嫌なんだけれど、ちゃんと自分がこれならば大丈夫だと言う方法を、かなり真剣に探す必要があります。それは皆さんが考えているような大きな出来事ではなくて毎日瞬時に起きることに自分との一致が大切になります。たとえば今日は、コピーを取れといわれた、それがすごくいやだ、女性を蔑視しているようで、怒りまくるような方であれば、自分が、女性が蔑視をされているという悔しい過去からの誤ったこだわりと、(つまり反感が出てきすぎる感情のパターンです) あるいはわかってもらえない、どうしてわかってくれないんだというこだわりやわかってもらえない、諦めるしかなくて自分は低いんだという感覚や、それと同時に、自分が対等に自然であるためにそこへのこだわりを癒した後で生じる、ではこうしましょう、というただしい自分らしいあり方を見出すこと、自分が自動的に対等にもう「あれる」力ですね。これらが、あらゆる面で、自分との一致を起こします、すると自分が向かいたい方向が確実にわかってきてそれと同時に、道が開けていきます。自分と一致が出来ていたら、コピーね、はいはい、そして自分が対等であるために、こんな仕事をするとあら、満たされるというように違う方向に強い動機付けを感じていきます。つまりいやだ、と同時に満たされる方向もわかります。ストレスを感じる部分は、たいていはこだわりが強すぎて反感と言うのが強くあります。そのために何よ、こんなのいやだ、したくないのに頑張らないと(と言うのは潜在意識は、自分と調和をした経験がないから、社会が妨げてできない、でも自分らしくしたら反対をされると言う強い思い込みがあるために、反感を持ちこだわりながらいらいらするような心境にしかいけない)と言う方向に考えが行き過ぎてしまい、それをいやすことと、「まあ、じゃあ、私はこうするよ」という自分との本当にああ、これだ、と安心するような方向がわかってくることが大事になりますが、これが皆さんの失われた部分です。これは、意外に思うでしょうけれど、とても失われていて一致感を持った経験をする人は、かなり少ないです。かなりというか、これができたら、悟っている状態に思います。私だと、ああ、一致をするとこんなに安心なんだ幸せなんだ、と感じる経験がある。と言う程度で何か事件があれば、その状態に戻るのに、多少、時間がかかります。ただ、その状態にあると、本当に静かに幸福だなあと思います。その一致感を求めているのが、宗教だったりヨガだったりするのだろうと思います。私はそちらからは入っていないからわからないけれどね。自分と一致をしたことがないために、皆さんはそれを外側に求めます。何かがあれば、この不安が消えるはず、総て消えるはず、ほら、恋愛のときに一時的になんだか楽になって、ああ、こんなに私が素敵と思える、その感覚がほしい、もちたい、仕事で成功をしてみなが私を賞賛をすれば、その感覚が持てるはずでもそれらは、一時的なものです。残念だけれどなれると今の自分の心境に戻るのです。幸せな感覚が大きな出来事がないとだめな方は、せっかくつかんでもそこにいることはできません。そのために結婚をしても、うつになる方は普通におられるしそのために、芸能人になっても、夢が叶ったのに残念ながら自らの命を落とす方もおられます。ご自身の中での一致を小さな場からしていくことはとても課題なのですが、とても感じにくい部分です。どうしても、「これはいやだ、どうしてもいやだいやだ」と戦ってしまったり逃げてしまうこだわりがある未解消の感情の部分にひっぱられるからです。具体的に言えば、だね、今の会社にいて楽になれたら新たしい道が現れる、ということだよ。そのときにはもう自分との一致が始まっているから楽なのだよ。その方法がわからないんですよね?そこを繋いでいくようにしていきたいのが私の目標でもあります。だから、今の会社で、楽になることを目標にしてみてください。違和感があるのを、「自分はそっちではないんだな」というメッセージと捕らえて。そしたら、正しい方向に向かうと思いますから。ーーーーーーーーーーーーセッションではご自身の本質のメッセージとつないでいきます。その経験はとても大切に思います。
2011.06.04
深刻になるでしょう?「これ」が問題だと思うとき。必死になるでしょう?「それ」を解決しようと。楽天的になれないでしょう?その問題の「当事者」と何とか話し合わないとと必死になってしまって。でももし、その真剣さが、かえって解決を遅らせるとしたら、気の重さが、重たくて、相手にむき合わせなくさせているとしたら。女性はまじめで真剣です。それが良いこともあるけれど楽しい気も利用をしてみてください。人生にはユーモアと、楽しみと言うスパイスがないと、辛くなっちゃうからね。目標を立てたとして、それがないと悲惨だな、と思うときには、もう少し楽天的になることは、必要でしょう。あー、なくてよかった、こんなもの、と思っていると寄ってくることもあるから、あら不思議。
2011.06.02
今日は寒いですねー。夕食は暖かい物にしましょうか。 ひょっとしたら、相手を説得しようとしているときには自分も何かにとらわれてしまっていることもありますから、ちょっと自分自身の感情から、引いてみるとよいかもしれませんね。 視点を一点に向けて、狭く狭く相手とここが違う、、ここがわかってほしい、違う相手が違う、間違っている、と意見を言うときには、細かな事柄を整理するには役に立つけれど相手との調和点や協力点を、探せないこともあるでしょう。 広く広く、一致する目標をちゃんと視野に入れて、相手と共通の物があるよ、と探していくときには調和点は探しやすくなります。協力がしやすくなります。でも余りに広くなりすぎると、「愛があれば」なんて抽象論にはなりすぎる点もあります。 双方を賢く使ってみてください。でもたいていは、共通項を探すということが不得意になって、相手の欠点探しが得意になってしまっている現代人は視野を開いたほうが良いことが多いようです。そんなことが、はて。政治の世界でも起きているような。 暖かな世の中を、皆で築いていきましょう。
2011.06.02
本当は、うらやましいのではないのです。 ご自身の中で解消をされない、自分にはないとか、他の人々のほうがある、という思い込みと気持ちが抜けないのでそちらに反応を起こします。 実際には自分にあっても退屈で、それそのものがほしいわけではないのでだから得るほうには熱心にはなりません。 心からほしい物に対しては、人は、頑張れるはずなのに、そちらには感情が動かずに常に「ない」とわかったときに強くこだわりを起こします。それが反応です。 過去の未解消の気持ちと思い込みですね。 事実、とてもほしければ、人はうらやんでいる暇がないのです。だって、そのためにすることがたくさんありますからね。 ご自身の中に、ほしくてそれを頑張りたいのではなくて「なくて悔しい」「自分だけにない」という悲しみや悔しさそのものを解消をしていく必要があるでしょう。
2011.06.01
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