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(2018.11.01追記)本日11月1日(木)より、我らが林家たけ平師匠が真打昇進後初の定席主任(浅草演芸ホール夜席)であります!落語ファンだけでなく、昭和歌謡ファンや『なつかしの歌声』のファンの方も、最低1回は(笑)足をお運びください!私は2~3回行く予定です!!-----------------------------------------------------------------------さあ!来年のことを言うと鬼が笑うなんてなことを言いますが!新春を飾る吉例豪華公演のお知らせであります!「第18回・歌で綴る昭和の時代」開催日…2019年(平成31年)1月8日(火) 会場…お江戸日本橋亭http://www.ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html開場…18時 開演…18時30分 終演…20時45分頃(予定) 料金…(予約)2,500円 (当日)2,800円 出演…林家たけ平、桂夏丸、神田真紅、桂しん乃 (歌謡ショー司会&構成)林田雄一 第1部…「落語・講談競演」 第2部…「なつかしの歌声・新春大行進」 予約先(メール)sinkmogumogu@gmail.com (電話《留守電》)090-7222-8704 下記のメールアドレス・番号でもご予約・お問い合わせを承ります。 4890mffs@jcom.zaq.ne.jp 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp 090-4183-2028-----------------------------------------------------------------------今回は桂しん乃さんが前座&歌手として出演をされるので、真紅さんは「歌手」から「司会者」へと”昇格”します(笑)!なぜか司会が特権階級(?)なのが、この公演の凄いトコ!出演歌手(たけ平・夏丸・しん乃)の歌唱曲目および構成は、まだこれから…ではありますが、正月公演らしいことも考えて番組作りをしていきたいと考えておりますです!…もしかしたら、司会の私も歌うかもしれません(笑)!新春公演の入りが寂しいのは何ですから(苦笑)、是非ともご来場くださいませ!よろしくお願いいたします!
2018年10月31日
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今朝いきなり聞いた、この訃報は本当に驚いた。先だって旅立たれた樹木希林さんと並ぶ、日本の演劇界に欠くことのできない名脇役だったのに…。本当に惜しい。女優の角替和枝さんが、原発不明がんのため、64歳という若さで亡くなられた。ご主人は柄本明。お子さんは現在大活躍中の柄本佑・時生の兄弟、佑の奥さんは安藤サクラという芸能一家。この一家を見事に束ねて、またご自身も演技に演出に活躍をされていた最中での死…という感じだったのだろうか。-------------------------------------------------------------------ちょっとヒステリックだったり神経質だったり、うるさくて癖のある中年女性を演らせて、天下一品の役者だった。この方を私がいちばん最初に認識したのは、平成9年の朝ドラ『あぐり』だった。田中美里演じる主人公(モデルはお馴染み吉行あぐりさん)がやってる美容室に来ては、悪口とか嫌味を言いまくる近所のおばさん…という役どころ。少し掠れてドスのある独特な声質が、感じ悪いイヤミな台詞と実にマッチしていて「何て嫌なババアなんだ!」と思ったのをよく覚えている(笑)。その後、どんな女優さんなんだろうと調べてみたら、柄本明の奥さんだと知り、ビックリ!その後も様々なドラマで、その名演技を見てきた。個人的には2時間ドラマとかで、その勇姿を拝見することが多かったか…。今年8月末に放送された(私が今まで見てきた2時間ドラマの中で1・2を争う面白さだった)フジテレビの『船越英一郎殺人事件』でも、掃除のおばさん役(ストーリー的には重要な位置!)で出ていたし。既に闘病していたなんて全く分からないほど、ごくごく普通に演技をしていたのに…。そのお掃除おばさんの役が、ちょっとハイテンションなキャラだったから、なおさら。----------------------------------------------------------------------ネットで調べたら、角替さんはゲーマーでもあったみたい。とあるゲームにハマりすぎ、手首を疲労骨折(!)しながらも続けていたと書いてあった(苦笑)。それにしても、惜しい。そしてご家族のショックも、さぞかし大きいだろうと思う。64歳なんて、これから女優として味が出てくる、いい中年役になれる年齢じゃないか…。うつ病で苦労された時期もあったと聞いているが(『徹子の部屋』で話していたのを覚えている)、それを乗り越えたのに、なんで…。勿体無いなぁ…ただただ、勿体無い。惜しい。角替和枝さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2018年10月28日
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藤田まこと氏が言っていた有名な話だが、自身が売れる前、東海林太郎先生の歌謡ショーの一行にいたとき、大雪だかでお客さんが殆ど来ない(来られない)地方公演があった。小屋主か興行師だかが「どうしますか?」と、東海林先生に尋ねたら「1人でもお客さまがいらしてるならやります」と、数十人(もしかしたら十数人?)という僅かなお客さまの前で、いつも通りに歌ったという。-------------------------------------------------------------------演芸評論家の川戸貞吉さんが書いていた話。川戸さんが大学生のころ、横浜駅近くの地下街に昼は映画館・夜は寄席という「相鉄演芸場」という小屋があった。とある晩、ヒザが西川たつ・主任が桂文樂という豪華な日があったのだが、台風で東京・神奈川を走る電車の殆どが不通。そのときの入りは、川戸さんを含めて10人程度。川戸さんは「こんな状況だから、黒門町は来ないだろ…」と諦めていたらしい。でも東横線しか動いてない中、黒門町は少し遅れながらもキチンとやってきて、主任で「愛宕山」を熱演したという。僅かなお客さんでも、手を抜かずに。--------------------------------------------------------------------こんな話、ジュリーはどう聞くのだろう?どう思うのだろう?「みっともねぇな~。よく恥ずかしくねぇな」と、鼻で笑って終わりなのだろうか?今回の騒動の舞台になった「さいたまスーパーアリーナ」は、最大収容人数が、なんと37000人だという!!これは、ジュリーではなく興行を打った側の責任ではあるが、ここで「9000人は入(い)れます」というのは、ただでさえ空席が目立つだろうし、そのうえ7000人しか来ない(2000の空席が出た)となれば、ジュリーが怒るのは分からなくはない。大宮ソニックとか、もうちょっと他の小屋はあったろうよ。--------------------------------------------------------------------しかし、この一件で、やっぱりジュリーは最低な行為をしたと思わざるを得ない。「人前に出て、パフォーマンスをするのを生業にしている人間」として最低最悪な行為だと思う、私は。いや…これは「行為」というよりゃ「怒りに対しての判断ミス」と言ったほうがいいかね?なぜ、ジュリーは「わざわざ来てくれた7000人」じゃなくて、「来なかった2000人」にしか、目が行かなかったんだろう?高いチケット代を出し、北は北海道・南は沖縄から来た人もいただろう。下手すりゃ海外から来た人もいただろう。全員ホテルや旅館の予約してさ。有給を取ったり、シフト変えたり、予定を返上して来た人もたくさんいただろう。7000人の中には。そういうファンの人たちの、自分を応援してくれる気持ちを、根本から全て裏切った、踏みにじったことになると、怒って帰る道すがらに思わなかったのかね?興行側に対して怒る気持ちは解る。でも「その怒りと、予定をキチンと守ってライブをやる」ことが、くっつく(イコールになる)のが全く理解できない。「腹が立つけどライブはやる!終わってから、興行側に怒ってギャラアップとか言う。もうお客さん来てんだもの」ってのが、藝人としての普通の行動じゃない??------------------------------------------------------------------------恐らく「空席がない会場でライブをやる」というのが、かつては天下を取ったジュリーの”最後のプライド”だったのかもしれん。でも、そんなプライドに何の意味があるんだろ?少ない客前でもいつも通りに歌ったというのなら、そりゃ株も上がっただろうし「ジュリーも丸くなったね」って言ってもらえるのに。今の30歳代以下の大半は「沢田研二って誰~?」と言うくらい「過去の人」になっているのにさ。だって、こんな騒動がなかったら、誰も「沢田研二がライブを全国でやっている」なんて知らなかったんだから。テレビにゃ出ねぇ、往年のヒット曲は歌わねぇ、そこへおまけに反安倍&反原発の売国思想に染まった左巻き…あと容姿…。記者に答えたときの、恰幅のいい髭面の写真を見て「誰これ?カーネル・サンダース?」と思ったのは、私だけではなかったみたいね(苦笑)。それでも来てくれた7000人という、たくさんのファンまでも裏切るってのは歌手云々というより…1人の人間として問題があると思う。小さな子でもわかる「約束を守る」という、人間生活の基本がなってないんだもの。----------------------------------------------------------------------とにかく、沢田研二のプライドを守ったつもりが、かえって今の自分が「かつての天下が忘れられず、今でも我儘勝手で、あげく予定通りの集客ができない落ち目の人に成り下がった」ということを、満天下に露呈させてしまった気がする。今回の件で失った信用を取り戻すことは、個人的には非常に難しいんじゃないかと思う。これから先、このドタキャン騒動を「さすが、ジュリー!」と褒めて?くれる、盲目的ファンを相手にしか、大きなライブはできないんじゃないかね?あの細身の色男で、志村とコントをやってて、今でも歌われるヒット曲をバシバシ飛ばしてたころのジュリーが懐かしい…。
2018年10月20日
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今月に入って妙に仕事が忙しくなったり、落語関係で帰宅が深夜になったりで、ブログを書く頻度がガクッと落ちた。私は「落語会の感想」というものは、基本的には書かないし(友人の会とか、物凄く感動したときだけ)昭和歌謡関連のことは、気分がノらないと書けないってとこがある。そして、パソコンの前に座って「さあ書くゾォ!」と思うには思うのだが、イマイチいい文章が書けなくて「や~めた!」と言って寝てしまうことが、ここ2週間ほど異常に多かった。自分でこんなこと書くのも妙だが、いい文章(言葉)がピタッと書けなくなる原因が、自分でも全く分からないのヨ。脳ミソがフリーズしてしまったような感じと言えば、それまでだが…。----------------------------------------------------------------------たぶん、メンタルが疲れてるというところもあるのかもしれん。あと急に寒くなったりしたから、自律神経がちょっとおかしくなってるところもありそう…か?朝の通勤時とかでも、もうイライラしっぱなしだもの(苦笑)。職場じゃ殆どカリカリしないんだけども…。電車ン中の話になるが、大半の人間がスマホに夢中になってて、周囲が見えてない輩ばっか!後ろから衝突されるし、肩や背中をスマホの台にされるし(苦笑)、ホントにロクなことがない!!そのうえ、こんなに涼しい(寒いに近い)のに、なぜだか毎日汗ぇダラダラかいてる。やっぱ自律神経かね?これは。----------------------------------------------------------------------なぜ、今日はこんな”愚にもつかないこと”を書いたか。まあ、今後また『なつかしの歌声』のこととかを書いていくための「試運転」ってな感じだぁね(笑)。でも、昨日から体調と気分が良くなったのは「民主党政権時の『日本憲政史上最低最悪の”反日&売国奴”の官房長官』だった元政治家」が、くたばったニュースを見たからかなぁ??
2018年10月17日
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先週~今週と、仕事終わり(18時以降)に立て続けに用事があって、ゆっくりブログを書く暇がなかった。家に帰っても、湯に入ったら、すぐに寝るというサイクルでね…。そんな今週の火曜日、元横綱でタレントとしても活躍された輪島大士さんの訃報を、職場で知った。享年70。どうも急に亡くなられたようだ。数年前に喉頭ガンで声帯を切除、筆談でしかコミュニケートができない状態になっていたのは知っていた。そのときの写真で、あまりの痩せ方に驚いたのも記憶にある。-------------------------------------------------------------------波乱万丈の生涯であった。”幕下付出し”で角界入りした力士で初の横綱であり、本名の四股名で横綱になった初でもある。個性溢れる”金色の廻し”と、左下手投げが得意だったとこから、ついたニックネームは「黄金の左」。これまた今は亡き横綱・北の湖と「輪湖時代」を築き上げた。引退後は花籠部屋を継承したが、借金問題で4年ほどで廃業。その後プロレスラーになったが、これも2年ほどで引退…。----------------------------------------------------------------------…私の知っている輪島大士氏は、天然ボケのタレントとしての活躍ぶりだけというのが、なんか歯がゆいような…(苦笑)。私が中学のころに大人気だった、日本テレビの『とんねるずの生ダラ』での活躍ぶりが、今も思い出される。石橋からの「ああいう弄られ方」を、本人はどう思っていたのか分からないが…又従兄弟にあたる元プロボクサー・輪島功一氏とボッケボケのやり取りをしてたっけ。福澤朗アナ(当時)から、何かにつけて「3、2、1、キュー」と振られて「マグロ!」とか何とか言っていたのよ(笑)。あと元巨人の定岡正二氏も、よく出ていたなぁ…(遠い目)。今でも何故か覚えているのが…石橋が「俺はオセロが得意だ!」とか言いだして、輪島コンビと2対1で対戦したことがあった。どういう企画だったか、詳細は忘れちゃったけど…。輪島コンビにハンデを…と、石橋が黒(先攻)、輪島コンビが白(後攻)で(オセロは後攻のほうが有利)そのうえ最初から角を2つ、白が押さえているという状況(!)で開始して……輪島コンビがボロ負け(苦笑)。「この2人は本当にオセロができない…つうか…オツムが……ねえ…ちょっと…」と思ったのを、よ~く覚えている(笑)。決して悪口ではないのだが。---------------------------------------------------------------------享年70というのは、相撲取りの中では、まあ生きたほうかもしれないとは思う。ただ、今のご時世では若死にになるか。いま頃はゆっくりと、あの世で北の湖とかと、ゆっくり旧交を温めているとこかもしれん。輪島大士さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2018年10月12日
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昨日「東海林太郎歌謡芸術保存会」に2度目の参加をした。まあ~10月とは思えぬ猛暑で、ホントに汗ダクダク!親友の懐メロ仲間2人の不参加(仕事の都合だと)が非常に残念だったが、物凄く充実した時間だったネ。そして猛暑で倒れそうになった(苦笑)。今日は休日なのに私は出勤だったので、二次会が出来なくてそこが本当に残念。今月中にゃリベンジの飲み会やるぞォ!…つうか、やりたい!みんなの都合は知らんけど(笑)。--------------------------------------------------------------------さて、私は10年以上に渡り、このブログで12チャンネルの看板番組『なつかしの歌声』について書いてきた。…こういう書き出しの文章、何度書いたか分からん(苦笑)。その『なつかしの歌声』最強のライバルと言われてきたのが、大阪・よみうりテレビ制作の『帰ってきた歌謡曲』。昭和45年4月2日(木)から放送スタート、そして『なつかしの歌声』と同じ、昭和49年3月末に終了した懐メロ番組。司会は、上方の大御所だった大久保怜。大村崑の師匠としても知られる方。東京出身の私は、ちょっとピンと来ないけど…。珍しい歌手の出演も多く、珍しい曲目も多数歌われたというこの番組について、私は全く調べようとしなかった。今から10年以上前、『なつかしの歌声・データベース』のHPをやっていた時分、京都の懐メロマニアの方から、放送時に付けていたメモを頂戴したことがあった。だが、所々の放送回の記録が抜けており、完全版のDBを作るには、それこそ国会図書館に1週間は通い詰めなきゃならないうえに、『なつかしの歌声DB』以上に作るのに骨が折れそうだったので、断念していたのネ。----------------------------------------------------------------------先々月だったか、愛知県在住の懐メロマニアの後輩(大学の卒論で『懐メロブーム』をテーマにしたという凄い人!)からメールが来て、「『帰ってきた歌謡曲』のデータベースを作ってもいいですか?」と言われた。何度も会ってる友人だし、私に一応”仁義を切る”姿勢が見えたので、私は「そりゃ是非!」と、上記のメモ書きを2か月かけて探し(笑)それをスキャンして、メールした。それが一昨日の晩。そうしたら、その後輩が「途中まで」とはいいながら、Excelでデータベースを送ってくれた。だいたい、番組の中期くらいまでだっただろうか。これがまあ、緻密!私が20年前に作った『なつかしの歌声』のデータベースとは、月とスッポンという差であった(苦笑)。-----------------------------------------------------------------------その放送記録を丹念に見ていくと、ぼんやりと話には聞いていた『帰ってきた歌謡曲』のエピソードの出処の回が判明したりして、非常に興味深かった。10年以上前、玉置宏先生から直で聞いた「岡晴夫が収録会場まで来たのに体調不良で倒れ、そのまま東京へとんぼ返り→即入院→そのまま死去」になってしまった回の詳細も判っていた(!)。これから、また私が貰ったメモ書きと、後輩が独自に調べていく詳細とで、より正確な放送記録が作れるだろう。楽しみだ!…こういう情熱に溢れ、調べるためには一切の手間を惜しまない「真の懐メロ研究家」が、ウチのグループにいて良かった(笑)。再三言ってることだが、Twitter上で文句を言ってるだけじゃぁ、道が開けるわけがない(苦笑)。
2018年10月08日
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「大陸物」となると、代表的な歌は…東海林先生の代名詞的な歌である『国境の町』(昭和9年)が、まず思い出される。これは、テレ東で最期に『国境の町』を歌ったときの写真。後ろの指揮の水谷良一先生も懐かしい。『国境の町』発売の1年前に、キングから『キャラバンの鈴』という曲も出ていたり(作詞は川島芳子!)、昭和11年にはこれまたキングから『北の国境線』という歌も出ている。でもまあ、やっぱ『国境の町』だろうネ、極めつけは(笑)。ソ満国境のスケールの大きさと寂しさ、侘しさがダイレクトに伝わってくるような見事さを、この歌にはいつも感じる。東海林先生の歌…というだけでなく、歌謡史全体を見たとき「『上海』をテーマにした流行歌」の中で(個人的には)3本の指に入るのが、昭和13年の『上海の街角で』!私ゃこの歌ァ好きなのョ。当時としては珍しかったであろう、男性の台詞入りという歌で、オリジナルの台詞は佐野周二。昭和40年代以降の再録音では、キングが小池朝雄、ビクターが黒沢良、テイチクが渡哲也と、様々な役者が台詞を入れていた。クラウンは、なんとオリジナルの佐野周二が改めて入れている!オリジナルを除くと、個人的には小池朝雄がいいかもしれん。頭の中にゃピーター・フォークの顔が浮かぶけど(笑)。----------------------------------------------------------------------「戦時歌謡」となると、これはもう傑作の宝庫で…。『麦と兵隊』(昭和13年)『あゝ草枕幾度ぞ』(昭和16年)の2曲がツートップという感じになるが…。その次にお馴染みなのは、コミカルな調子の『陣中髭くらべ』(昭和13年)と、森赫子の台詞入りでヒットした『軍国舞扇』(昭和18年)だろうか。好きなのは『戦場初舞台』(昭和15年)。若き歌舞伎役者が出征して戦死、という実話を基に作られた美しくて悲しい歌。また、1~2番の間奏が長唄の『老松』で、落語&演藝好きはここを聴くと、別の意味で泣いてしまうという…志ん朝師匠の出囃子だったからネ。あと『軍事郵便』『黒龍めざして』(昭和12年)の裏表2曲も捨てがたい魅力がある。『黄昏の戦線』(昭和12年)も好い。クラウンで最晩年(昭和46年)に吹き込んだ『ある少尉の遺書』『わがいのち暁まで』の2曲も、戦後26年目ではあったけれど、立派な戦時歌謡と言っていい佳曲である。-----------------------------------------------------------------------これ以外のジャンルでも、東海林先生は数多く佳曲を残している。特に戦後のキング~マーキュリー時代は、ヒットには至らずとも「こんな歌を歌ってたの?」と言いたくなるような、物凄い歌がたくさん(苦笑)。キング時代では、岡晴夫か小畑実が歌いそうな『アメリカ空路』(昭和25年)もあるし、灰田勝彦っぽい『アルプスの屋根の下』(昭和26年)も、東海林先生には珍しいジャンル。中でも本当に珍しいのが、演歌調の『屋台の月』(昭和28年)!矢野亮作詞・渡久地政信作曲という…春日八郎の歌でありそうなコンビが作っている。でも、聴くと”東海林節”が冴え渡っているメロディーラインだから、これが不思議。-----------------------------------------------------------------------マーキュリー時代も凄い!最も(懐メロファンの間で)有名な歌は、昭和30年の『楡の花咲く時計台』であろう。サンバのリズムで、殆ど”早口言葉状態&ブレス丸出し”で歌っている『わたしのリモン』(昭和29年)という珍曲もある(苦笑)。『高原の回想譜(スーベニア)』は、”亡き妻を偲んで”というサブタイトルが付いている、昭和29年発売の歌。王道の流行歌調の『泪の数寄屋橋』も、昭和29年に出ている。個人的には、上記の『楡の花咲く時計台』は当然大好きだが、ほかには『ジャワ旅愁』(昭和28年)、そして昭和32年の歌手生活25周年記念曲『東京物語』と『アイヌの子守唄』!これがいい!特に『東京物語』。この題名だと、小津映画を思い出す人が殆どだと思うが(苦笑)格調高いタンゴの美しいメロディーラインに、叙情性溢れる詞が冴え渡る傑作だと思う。『アイヌの子守唄』は、東海林版『イヨマンテの夜』というムードの歌で、チャーさんと違う「声量と別の」静かな迫力が感じられる。ただ、2番の歌詞でミスがあるのが難点(笑)。時代物だと、揺籃期の”NHKのテレビ放送劇主題歌”として作られた『義経の唄』(昭和30年)が個人的には好い。この年の大晦日の『第6回NHK紅白歌合戦』でも歌われた、知る人ぞ知る佳曲。---------------------------------------------------------------------いや~…ただの羅列だけなのに、こんなに時間がかかるとは思わなんだ(苦笑)。それだけ曲の吹込数も多く、また歌った曲のジャンルも幅広いっつうこった!
2018年10月04日
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