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何故「冬ソナ」なのか、一瞬吃驚された常連の方もいらしたと思います。今日は息子の教育とは若干離れたところで書きますが、これもまた「渚のバラード」の一部なのです。最後は教育に関係した内容で終わっていますから。尚、以下の内容は、僕が本家「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」の中の「僕の日常」コーナーにて、2003.11.8付で書いた「冬のソナタ」の転載です。本家にもぜひお出で下さい。--------------------------冬のソナタ 投稿日:2003年11月8日(土) このテーマ、実は夏前から書きたかったのです。しかも、腰を据えて短編のエッセイとして、完成度の高いものにしたかったのです。何を書きたいかと言えば、正直なところ焦点が定まっておりません。「冬のソナタ」 とは韓国のテレビドラマであり、NHKのBS2で毎週放映されておりましたが、ストーリーは二流以下だと思うし、決してドラマ自体を礼賛したい訳ではありません。ただ、何故かこのドラマをベースとして、情念のようなものが湧き上がり、「想い」を言葉にしたくて堪らないのです。 先ず、簡単にこのドラマを御紹介すると、現代韓国を代表するような美男・美女が演じる純愛物語です。詳しくはNHKの番組紹介 で御覧下さい。ヒロイン「チョン・ユジン」役の「チェ・ジウ」さんは、とても清楚な魅力のある人で、田中美里さんが日本語吹替えをしております。一方、主人公「カン・ジュンサン/イ・ミニョン(二役)」役は「ペ・ヨンジュン」さんが演じており、彼は知的な好青年という感じで、日本語吹替えは萩原聖人さんです。 「冬のソナタ」との出会いは、確か6月頃でした。帰宅の途中、何気なく入った書店の一角に、「冬のソナタ」という本があり、表紙の写真が余りにも感動的だったのです。雪のちらつく中、恋人同士が空を見つめ合い、同じ想いを馳せているというシーンなのですが、二人とも嫌味な感じが少しもなく、とても爽やかな印象だったのです。思わず手に取ると、韓国のTVドラマだと分かり、新たな衝撃を受けました。それは、「現代の韓国」なるものとの鮮烈な出会いだったようにも思えます。 日本と韓国とは、遠い昔から様々な交流があった訳ですが、明治以降は日本が植民地化し、昭和20年の終戦まで36年間に及ぶ「日本統治時代」という歴史がありました。戦後世代の僕でさえ、苦難の歴史を割り引いても、正直なところ「貧しく冴えない国」というイメージを払拭出来ませんでした。また、僕が学生だった1970年代は冷戦の最中であり、韓国は日常的に「北」と対峙していたため国内の締め付けも厳しく、KCIA(韓国中央情報部)による凄まじい弾圧の話に接すると、野蛮な国という偏見を持ったりもしました。 その後、韓国では朴大統領が暗殺され、徐々に民主化が進みましたが、依然として暗いイメージが付き纏いました。1984年に、僕は大韓航空で米国へ行きましたが、機内サービスやクルーの雰囲気からは何処か野暮ったい感じがありましたし、アンカレッジ空港で見掛けたKALパイロットの態度には、いかにも発展途上国のエリートという突っ張りが感じられ、鼻持ちならない気分でした。その一方で、1985年から留学していた先では、優秀な韓国留学生もおりましたし、韓国領事館の若い外交官一家とも交流があり、少しずつ僕の中で「偏見」が剥がれて行きました。 その後韓国では、1988年にソウル五輪を成功させ、昨年は日韓共催でサッカー・ワールドカップが開かれました。五輪とW杯の間には経済危機があり、こんな国がW杯を開催出来るのか大いに疑問でしたが、特有の粘りで危機を克服し、今では「過去の話」と言っても宜しいと思います。そして、急激な経済成長の過程で、「冬のソナタ」世代の若者達が現れて来たのです。 このドラマの存在を知った僕は、早速NHKのBS2で観ることにしました。連ドラの途中からなので、ストーリーは不消化でしたが、雰囲気が素晴らしく、また、BGMがとても洗練された曲ばかりなので、すっかりこの番組が気に入りました。登場人物達は、決して韓国社会の一般大衆ではなく、上流とは言えないまでも富裕層だろうと思われます。日本にも同じ階層は当然存在する訳ですが、両者の違いは、明らかに知的レベル、若しくは精神性の違いです。日本の場合、一流企業のエリート社員の家庭でも、本当に知性と精神的な豊かさを兼ね備えたケースはむしろ少数派であり、俗物的な家庭が大半のように思います。それに対し、登場人物達が醸し出す雰囲気は本当に清楚で知的であり、日本の如何なる俳優も、全く太刀打ち出来ないものが感じられました。 こういう体験をベースに、僕はこの夏大韓航空にてパリへ旅立ったのですが、初日の不運を差し引いても、インチョン空港で感じた「現代韓国」の文化は、物凄くエキサイティングでした。そのベースには、「冬のソナタ」があったと思うのですが、同じアジアで距離的にも民族的にも近い筈なのに、全く異質で個性的な文化が存在するのです。それは、日本独特の、島国的で自己完結的なものではなく、大陸の一部にあって、尚且つ独自の民族色を感じさせる逞しい文化なのです。端的に言えば、「クッパ」のように、牛肉のスープでありながらサラリとした食感のある独自性でしょうか。 また、パリからの帰国便では、韓国の大学生と思しき一行と一緒でしたが、海外で見掛ける日本の大学生達とは明らかに違う、大人の雰囲気がありました。ベースは学力の違いかも知れません。韓国の大学入試は過去の日本並みに厳しく、本当に「4当5落」でないと一流大学には入れない模様です。当然、英語力にしても、基礎力が違いますから、空港内の表示やアナウンスに従い、個々人の判断力に基づいた行動が取れる訳です。対照的に、日本の学生達は群れを成してピーチクパーチク騒々しく、ツアーガイドや多少英語が分かる友人にベッタリと纏わり付いており、外国人が見たらとても大学生とは思えないこと請け合いです。 帰国して何度か「冬のソナタ」を観ましたが、このドラマは9月4日で最終回となりました。主人公達が再会する場面は余りにも出来過ぎており、ストーリーの稚拙さを感じますが、全体的な格調の高さは、少しも失われていないと思います。テーマ曲がとても気に入り、アマゾン・ドットコムでCDを購入し、テープに吹き込んで会社の行き帰りにずっと聴いておりました。「最初から今まで」、「My Memory」、「あなただけが」等、本当に素晴らしい曲が沢山あるのです。最近、NHKの 番組サイトを覗いてみたら、12月に再放送が決まったそうです。やはり、根強いファンがいたということでしょうか。 さて、いよいよ締め括りに到着しましたが、これを書いている間に「冬のソナタ」の魅力が分かって来ました。それは、端的に言って「知性」なのだと思います。日本のテレビ界が総力を結集しても及ばなかったこのドラマの魅力は、韓国における高等教育のレベルが、日本のそれよりもずっと高いのだという現実に、その根源的な理由があると確信しています。
September 30, 2004
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昨日の日記「公立校を選択する理由」に対し、「ぐりぐりママ」さんからBBSに励ましの書き込みを頂戴しました。早速彼女のサイトを訪問しましたが、「都立中高一貫校への道」という標題で、素晴らしい充実振りでした。僕の教育方針とも非常に共通するものがあり、今後とも情報交換させて戴きたいと思いました。また、「ぐりぐりママ」さんのサイトで、"Angerika"さんの「勉強ごっこ」というサイトを知り、こちらは公立の中高一貫校として、今年度開校された、京都府立洛北高等学校附属中学校にお嬢さんが入学され、入試の状況や同校の教育内容も紹介されています。(御本人の了解を得ていないので、直接リンクは致しません。Yahoo!で検索すれば直ぐに見付かります。)こちらは、僕など足元にも及ばない素晴らしき教育ママ(勿論良い意味の)であり、単に学力を付けるだけでなく、子育ての本質に立脚した教育を実践されています。塾にも行かず、私立進学も予定外だったそうですが、偶々公立一貫校が発足するタイミングが合い、実力を発揮されて11倍の難関を突破されました。公立一貫校は、まだ発足したばかりであり、仮に真価を発揮するとしても10年先でしょうが、公立校での教育を志向する我家にとっては、選択肢の一つになり得ます。東京都では来春(H17)から最初の都立一貫校が都立白鴎高校に設置され、翌年に3校(小石川・両国・都立大付属)が開校し、更に数校が設置される模様です。参考サイトとして「東京都立白鴎高等学校付属中学校(台東地区中高一貫6年制学校)」(何れも仮称)を御紹介します。入学者の選抜は、公立の小・中学校では学力検査が御法度らしく、面接、作文・製作、小学校の報告書から一次選考を行い、最後は抽選で決める模様です。上記東京都の例では、選抜の「課題」が参考として例示されていますが、入試問題とは異なるものの、総合的な思考力が試される内容です。制限時間内に自分の考えを整理し、文章化する能力も問われます。この内容に沿って、進学塾が特別コースを創設する動きもあるようですが、作文や面接が重視されるのであれば、小手先の受験技術よりも本当の実力が問われることでしょう。公立一貫校には、今後とも注目して行きたいと思います。---------------------------------------尚、このページは、僕が3年前から始めた自分のHPである「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」がベースであり、その中で「息子と共に」が連載されています。(Bookmarksにも記載)
September 29, 2004
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何故、公立校なのか、最初の日記には次のように書きました。「我家の教育方針は、『高校までは公立で』というものであり、親の力で良い環境(中高一貫の私立進学校)を与えられ、進学コースに乗って大学へ進学するのでなく、自分の力で人生を切り開いて行って欲しいからです」と。実は昨日、あるお母様とメールにて、この問題の意見交換がありました。今まで、公立校選択の理由としては、冒頭の説明しかしておりませんでしたので、自身の体験を踏まえ、詳しく説明します。勿論、今とは時代が違い、当時は一部の私立・国立校を除けば公立校の全盛期であり、東大合格者も、日比谷・西・戸山・新宿・小石川・両国・上野といった都立高校がベスト10の常連でした。ところが、僕の時代は丁度公教育の転換期であり、東京都では学校群が採用され、僕は学校群の第一期生なのです。僕の学区は上記進学校が二校あり、その一方を狙っていましたが、学校群だったので同じ群の片方に入学しました。まあ、真面目に勉強した方なので、一浪して国立には落ちましたが早稲田の理工に合格し、4年後には財閥系企業に技術系社員として採用されました。ここから先が、本題に関係する部分です。入社すると、同期には幼稚舎から入った生粋の慶応ボーイもいましたし、麻布から東大というエリートもいました。勿論、公立校から東大・京大・東工大・一橋・旧帝大・早慶という連中も沢山おり、結局、高校時代に頑張って勉強して、あるレベルの大学に入れば、それまでのコースは全く関係ないという結論に達しました。また、特に僕の職場は製造現場でしたから、現場の作業員には中学卒の方も沢山おりました。ところが、この中学卒の方達の中にも、物凄く優秀な人が沢山いたのです。昔の時代ですから、進学率が低く、色々な事情で義務教育を終えると即社会に出た人が大勢いた訳です。そして、実社会とは雑多な人間の集まりであり、色々な人と協力し合って生きて行くことを身に染みて実感しました。彼等は、大卒の若造に対し、知識の面に関しては一目置いてくれましたが、人生経験では雲泥の差があり、裸の人間として噛み合うまでは、決して仲間には入れてくれませんでした。こういう環境の中で、僕自身も揉まれ、何とか楽しい人間関係が出来ましたが、概して公立校出身者の方が受けが良かったように思います。一時期僕の上司だった方は、県立の工業高校出身でしたが、非常に優秀だったので先生が両親を説得し、東工大を受験させたそうです。当然の如く合格し、優秀な成績で卒業してその会社に入社されましたが、同期のトップを走り、上からも下からも信頼される素晴らしい方でした。今はその会社で役員をされていますが、坊ちゃん育ちではあそこまで行かなかったと思います。一方、有名私学で下から来た人や、私立進学校出身の人達は、何処か取り澄ました部分があり、同類の人としか親しくならず、一般従業員との間には一幕隔てていたように思います。勿論、色々な方がいましたから、飽くまでも一般論です。結局、子供はいつか社会に出て行きます。それまでの過程において、無菌の温室で育つよりも、色々な家庭の子弟が集まる公立校で切磋琢磨しつつ、着々と自分の目標をクリアーして行くような生き方を、我家の子供達には望む訳です。この方が社会の実相に触れたまま、社会に出て行けるように思うからです。勿論、公立校といっても千差万別であり、何処でも良い訳ではありません。幸い、今住む名古屋の名東区は文京区域であり(逆に、それで選んだのですが)、子供達の小学校も良い学校です。集団的な虐めや、学級崩壊はありません。中学校も評判の良い学校であり、低レベルの問題で悩むことはないでしょう。まあ、こういった環境において公立校に進ませますが、勉強は学校レベルを超えたところで指導して行くつもりです。---------------------------------------尚、このページは、僕が3年前から始めた自分のHPである「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」がベースであり、その中で「息子と共に」が連載されています。(Bookmarksにも記載)
September 28, 2004
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「PART-1」(9/22)では、「現在の中学生活は偏差値万能の雰囲気が蔓延し、一部の優等生以外は注目を浴びる機会が少なくなり、そういった閉塞感の中では、恋愛だけが唯一自分が主人公になれる世界であり、その延長線上に性がある」と書きました。そして、当然の帰結として、「人工妊娠中絶や性感染症の低年齢化」という事態が顕在化し、こういった状況に「歯止めをかけるため、中学生以下の性行為を条例で抑止できないか--。そんな意見が東京都庁内で出ている」ということに発展して来た訳です。「レイマウスさん」からは、「私もやはり、思慮分別のない、まだ自分のこともしっかり決めることのできない中学生、いや最近では早い子では小学生でもという話もありますが、達には誰かがストップをかけてあげなければいけないと思います。ただ、その影で無闇やたらに、ダメだダメだと言うのではなく、私はありきたりですが『生命の尊さ』を教えていきたいと感じます」というコメントを頂戴しました。一方、僕の方は諌める言葉として、「人間の誇り」という観点で話したいと思います。以下はこれに関連して、以前書いたエッセイの一節です。「PART-1」と一部重複しますが、「誇り」があれば「安易な生き方は出来ない」のではないかという問題提起なのです。---------------------------------------よくよく考えると、思春期とは「性を思う時期」と言っても宜しいのでしょう。特に、男の子の場合、もっと俗な言葉で言えば、「エッチなことばかり考えている時期」ということですね。永遠に思春期の人も居ることでしょう。この時期、純粋医学的に言えば、男性も女性も、生殖機能がスタンバイになる時でもあります。事実、昔であれば女性は15,6才で結婚し、子供を産んでいた訳です。しかし、文化レベルが高まるに従い、折角生殖機能がスタンバイになっても、機能を行使することが社会的制約により阻害(?)されるようになります。平たく言えば、「今は勉強する時よ!」という訳です。従って、思春期とは、「思うだけで、やれない時期」というのが、一番当っているかも知れません。これを不幸と思うべきでしょうか。僕はそう思いません。中学、高校の時代、やるべきことは他に沢山あります。また、自分の将来に対して、夢や希望を抱き、それを実現すべく勉強や、運動や、クラブ活動に励み、はたまた、読書、映画、音楽、旅行といった、貴重で新鮮な体験を積む時期です。セックスなんて、然るべき時になれば、自然に経験することですから。僕の時代を振り返れば、確かに早熟な友人もいましたが、少数派でした。(流石に、大学生になると皆そちらの方面も、歳相応に経験していましたが。)それと、少しばかり「経験」が早くたって、それだけでその人がハッピーではありませんでした。本来すべきことを放棄して、そちらに逃避しているのが実態だったと思われます。真面目に勉強し、志望校に合格した級友や、スポーツで活躍する友人を見る彼等の眼差しは、一様にある種の焦燥と退廃が感じられました。(勿論、早熟で経験豊富な友人で、受験も難なく通過した人もいます。でも、例外的に優秀な人なのです。)これと同じことが、現代では規模の拡大と、若年化という形で、一層顕著になっています。初体験年齢の低下は元より、中学生はおろか、児童援交すらあります。勿論、一部の生徒かも知れませんが、学級崩壊等、公教育の質的レベルダウンに伴い、中学生レベルでの性行動が増加の一途を辿っています。この傾向は、学校の責任というよりも、親をはじめとする、社会一般の大人の責任だと思います。結局、将来に夢や希望を見出し得ないから、刹那的なものに走る訳です。そして、セックスは格好の対象なのです。こういう生徒達が、真面目に勉強やクラブ活動をするかといえば、殆どのケースで惨憺たる状況だと思います。結局、従来は「思うだけで、やれなかった」ことが、簡単にやれる時代になったというか、そういう時代にしてしまったのです。我々大人達が。もう一度「思春期」の意味と、大切さを考えてみましょう。確かに、性エネルギーが充満した時期に、それを押し止めるのは酷かも知れません。しかし、安易な道に走らなかったからこそ、この時期にしか得られない別の知識や経験が身に付き、バランスの取れた人格が形成されるのです。そうして、これこそが文字通り「大人」になった時に、「豊かなセックス」を享受出来るベースになり得ると思われます。何故なら、セックスとは、心身共に健全な「大人」がすることですから。こう考えると、「思春期のセックス」は、むしろ害悪である面が強いと思われます。勿論、個人差があり、若くしてセックスに手を染めても、人生を強く逞しく生きて行く人もいるでしょう。しかし、一般的には、心身共に未熟な者がセックスに溺れた場合、「百害有って一利なし」と言っても宜しいと思われます。
September 27, 2004
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今日(9/25)は家族と大阪へ行って来ました。僕のネット友達「斉藤勝さん」が主催する「劇団ARK」の公演「銀の鈴」を観に行ったのです。斉藤さんとは、あるサイトのBBSで知り合ったのですが、そちらは「ハト派」論客の牙城であり、僕は数少ない「タカ派」なのです。特に今年4月のイラク人質問題では、「自己責任論」を一人振り翳し孤軍奮闘していました。斉藤氏は、最初「ハト派」的な立場で参加されていましたが、次第に「タカ派」の僕の論理に理解を示して下さり、仕舞いには応援してくれることもありました。そんな訳で、彼とは急速に親しくなり、この方を通して演劇の世界を垣間見えることが出来ました。彼曰く、「俳優とは職業ではなく、俳優という生き方を選んだ人達のこと」だそうです。詳しくは僕の「本家」サイトの「僕の日常」コーナーの中で「俳優魂 2004年5月15日(土)」を御覧下さい。彼とは今年の7月に初めてお会いし、僕御贔屓の名古屋は新栄町にある、「B級グルメのフランス料理」の店"Bistro Chez Toto"で食事した後、彼の友人2名も加わりカラオケで午前3時まで歌った仲なのです。因みに彼は「ミスチル」が得意、僕は"Celine Dion"の"My Heart Will Go on(タイタニックのテーマ)"だとか"To Love You More"、「千と千尋の神隠し」から「何時も何度でも」、果ては「冬ソナ」の「最初から今まで」や「My Memory」など、気に入ったら何でも歌います。また、演劇のプロに対し「冬ソナ」を推奨し、家内がせっせと録画したビデオ(日本語版です。家内は最近ハングルに嵌まっており、原語のノーカット版(英語字幕)のDVDを持っています)を貸して、講評を依頼しました。まだ全部の講評は戴いてませんが、そろそろ発表があると思います。さて、大分話がそれましたが、今朝は9時に名古屋発の近鉄特急で難波に向かい、息子ご所望の「お好み焼き」を心斎橋の法善寺横町で食べた後、道頓堀の例の橋を渡って御堂筋線に乗り、「江坂」へ向かいました。この途中でドコモショップに立ち寄り、家内が用事を済ます間に、備え付けのPCをいじって「当サイト」を覗きました。劇場に着いたのは開演スレスレでしたが、場内整理に精を出す「斉藤さん」にもお会いし、満員の場内に何とか席を確保して貰ったところで漸く劇が始まりました。この劇のテーマは、昭和19年8月22日に起きた沖縄から本土への学童疎開船「対馬丸」の、米潜水艦による撃沈の悲劇を題材に平和を訴えるものですが、我家の子供達にとって初めて観る本格的な演劇でした。予想以上の秀作であり、俳優の方々も無名ではありますが迫真の演技が続き、思わず引き込まれてしまいました。大阪の小学生に出演を募集し、オーディションの結果20名弱が出ていましたが、相当熱心に稽古したことが窺え、ただ感心するばかりでした。我が子達の様子を時折チラチラ見ましたが、通常は退屈そうに座っているだけのところ、食い入るように最後まで観ていましたから、はるばる大阪まで来た甲斐がありました。涙腺の脆い僕は、最初から涙、涙でしたが、場内はシーンとして、最後まで密度の濃い熱気に包まれておりました。終演後、ロビーではサトウキビの切れ端を味あわせてくれましたが、ほのかな品の良い甘みが印象的でした。忙しい「斉藤さん」に御挨拶して引き上げましたが、本格的な観劇初体験として十分に納得出来る内容でした。後で息子に感想を聞いたところ「子供には難しいところが多かった」ということでしたが、戦争では自分たちと同じ年代の子供達までが、国策の犠牲になったことが分かったのではないでしょうか。特に、対馬丸の悲劇は、沖縄を本土防衛の捨石とする意図が軍部にあり、足手まといになる子供や老人達を、半ば強制的に本土へ移住させたのです。こういった背景までは理解出来なかったでしょうが、戦争の悲惨さを学童の犠牲という史実を通して感じ取ったものと思います。この後、我々はJR在来線で新大阪から京都へ向かい、「四条河原町」の商店街を散策して土産物を買った後、鴨川縁に出ました。こちらで夕方の涼しい川風の中、南座を眺めつつ小一時間過ごし、河原を望む和食の店で食事をしました。実は、娘の8才誕生日だったのです。京都駅まではタクシーに乗りましたが、最後に運転手さんから「京都タワーは蝋燭がモデルなんです」という説明を受けました。帰りは、新幹線に乗る程でもないので、在来線の快速を野洲(やす)と大垣で乗り継ぎ、名古屋駅には午後10時過ぎに到着し、更に、家には11時ころ到着するという長い一日が漸く終わりました。
September 26, 2004
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「英語の空白」が小学校高学年でやって来るというのが、「PART-3」での発見でした。今回はこの問題を取り上げます。念のために、専門家の方に聞いてみたところ、以下のような回答が取り敢えず戴けました。その方の了解を得ておりませんので、そのままをコピーする訳には参りませんが、主旨を僕の言葉に翻訳して以下に示します。<早期英語教育の問題点>幼児期から小学校に掛けて英語を習っている子供は多いが、高学年になって辞めるケースが多い。但し、これは英語に限ったことではなく、ピアノ等他の「お稽古事」も同じ状況である。英語に関しては、辞める理由として以下の三つが代表的なものである。1.小さい頃の「お遊び」的な段階は楽しく過ごせるが、次第に勉強の要素が加わると興味を失ったり、付いて行けなくなる。2.学習塾やスポーツ活動等、英語以外にやることが多くなり、余程英語への思い入れが強くない限り、優先順位が下がる。3.幼児期から続けても、期待した程効果が感じられず、親の方が熱意を失う。これは習う側の事情であるが、教室の側にも大きな問題がある。一つは、小学校から中学校へと、英語を機軸とした一貫性のある教育システムが存在しない。子供向けの英語教室は、大なり小なり「商業主義」が見え隠れし、本当に日本の子供の英語力向上を目指したものにはなっていない。別な言い方をすれば、子供向けの英語教室で教える英語は、中学・高校で習うものと全く異質なものであり、教室側もその領域まで教える意図はないのが実態である。(勿論、例外もあるでしょうが、大手チェーンは「英語で遊ぼう」に毛の生えた程度と考えるべきでしょう。)従って、英語学校で熱心に英語と取り組んだ子でも中学生になると、親が教えない限り、塾で英語を勉強せざるを得ない。この現実は、情熱を持って幼児教育に取り組む先生にとって、非常に心苦しいものである。------------------------------------------以上は大体僕の予想したとおりでしたが、これだけ問題点が明確なのですから、早期教育を受けたお子さんが、空白期間経ずに、学習英語へと進めるシステムを作れば良いのにと思います。ニーズがあるのですから、ビジネスとしても成り立つだろうし、将来的に日本人の英語力が格段に進歩するとしたら、物凄い社会貢献になる筈です。とはいえ、現状は親が適切にフォローしない限り、小学校高学年の時期は「英語の空白」を余儀なくされてしまいます。英語教育に関心のある、優秀なお母様方に立ち上がって戴くしかないでしょう。皆さん、何とかしませんか。連帯すれば道は開けるかも知れませんよ。「楽天」のサークルから新たな流れが出て来たら素晴らしいと思うのですが。三木谷会長は「ハーバード・ビジネススクール」のMBAですから、バックアップしてくれるかも知れません。P.S.明日、我家4人は大阪を訪れ、僕のネット友達「斉藤勝さん」が主催する「劇団ARK」の公演「銀の鈴」を観劇します。これも教育の一環ですから、機会を大切に行って参ります。
September 24, 2004
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<天文知識>「地動説は中学で教える」文科省次官が反論小学4~6年生の約4割が「太陽が地球の周りを回っている」と答えた国立天文台などの調査結果について、文部科学省の御手洗康・事務次官は22日、「学習指導要領では、中学校で科学的にきっちり教えるようになっている」「理解できない段階で単なる知識として教えることが良いことか」と反論した。(毎日新聞) - 9月22日20時26分更新小学4~6年生の約4割が「天動説」を信じていることの異常さを、文部次官はどう考えているのでしょうか。僕もそうですが、皆様全て小学生の時点で「地動説」を知っていたと思います。事情がどうであれ、調査結果は事実です。このことを文部科学省は重く受け止めるべきです。またしても、無謬性に固執する官僚の、硬直した体質を再認識させられましたが、日本の発展は昔も今も「科学立国」が基本であるのに、この現状ではインドや中国、その他科学教育に注力している国に追い抜かれても仕方がないと思います。まあ、国の将来を僕如きが憂えたところで何の影響も与えられませんが、公立校には今後とも我が子がお世話になる訳で、その実態については客観的な認識が必要です。正直なところ、学校の授業に対して多くを期待していないばかりか、学校に任せていたら取り返しが付かないと確信しています。ある意味で、今回の「天動説騒動」は、公教育の実態を端的に表しているのだと思います。少なくとも、自分の子供を国際的なレベルで知的に戦える人材にするつもりなら、学校を当てにしては駄目なのです。親が自分で教えるかどうかは別として、学校の授業を超越したレベルの勉強をしないと、大学入試は勿論、大学や修士課程の勉強において、本当の実力を付けるための基礎力が養成出来ないのです。この実態への対抗策は、中高一貫校へ進学して自由度が高く密度の濃い授業を受けるのが手っ取り早いのですが、これは僕の教育方針に反しますので、我家の場合は僕自身が手作りの教育をして参ります。算数・数学を例に取ると、小学校の教科書は既に6年生まで終わっており、小学校の間は「力の5000題」という優れた問題集を完璧にマスターさせます。中学に入ったら、中2の夏休みには中3の教科書を終わらせ、中2の間には高校の入試問題集を1冊マスターさせるつもりです。これは、今やっている「力の5000題」で養った力が土台にあれば可能なのです。そして中3では高校の数学を開始します。そうすると、中学の数学自体の理解が更に深まり、高校入試は余裕でパス出来ます。こういう訳で、中学入試は受けませんが、その分の時間は将来を見越して着々と進んでおります。息子とは信頼関係で繋がっておりますし、決して無理はさせないつもりなので、このまま行けると思っています。
September 23, 2004
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中学生の「性」条例で規制 東京都、委員会で議論へ人工妊娠中絶や性感染症の低年齢化に歯止めをかけるため、中学生以下の性行為を条例で抑止できないか--。そんな意見が東京都庁内で出ている。「保護者らは安易な性行動をさせないよう努めなければならない」といった罰則のない規定を都青少年健全育成条例に設ける構想。だが、庁内には「プライバシーにかかわる問題を規制することになる」「そこまで踏み込んでいいのか」と異論もある。都は中学教師らでつくる「青少年の性行動について考える委員会」を22日に設置、議論してもらう方針だ。都内の教師らが2002年に実施した調査では、中学3年の性交経験率は男子6・8%、女子8・7%。1999年の調査より男子は1・5ポイント、女子は5・4ポイント増えた。(共同通信) - 9月21日8時29分更新この記事をYahoo! News で見た時、色々なことが頭を過ぎりました。僕が公立校を望む一つの理由は、社会の縮図の如き色々な生徒の中で揉まれ、その中で自分の生き方を確立して欲しいからです。しかし、このようなことも現実だと思います。僕の時代は、もう40年前になりますが、恐らくこの比率は10分の1以下だったであろうと思います。この40年の間に「性の若年化」が進んだ訳です。同じ中学生なのに、何故こうも違って来たのだろうかと色々考えてみました。先ず、僕の世代は両親が戦前の教育を受けており、未婚女性の性は完全にタブーでしたから、中学生の性など考えられませんでした。流石に、高校生になると一部の進んだ(?)学友はそちらに手を染め、大学生になると恋人同士は自然とそうなりましたが、今と違うのは結婚が前提になっていたようです。しかし、社会的な縛り以上に、今の中学生は将来に夢が持てず、その反動として刹那的で安易な方向へ走るのかも知れません。昔は成績以外に一芸に秀でた者が注目され、自分の存在価値が感じられました。ところが今は、偏差値万能となり、一部の優等生以外は注目を浴びる機会が少なくなったように思います。その閉塞感の中で、恋愛だけが唯一自分が主人公になれる世界であり、その延長線上に性がある訳です。その背景には、子供の生活に無関心な親が増えたのでしょう。異性の友達が上がり込むのは良いとして、中学生の子供を部屋で二人きりにさせる親がいる以上、妊娠や性感染症の発生は必然です。天動説を信じている児童が4割いる時代ですから、性と妊娠の関係を知らないで行為に走る中学生がいても不思議ではありません。上の記事で都庁の役人で「プライバシーにかかわる問題を規制することになる」等という、ボケた奴がいることに憤りを覚えました。大体「プライバシー」は大人の権利であって、未成年に同等の権利があると思うこと自体間違いです。同様に「性」自体、心身ともに大人の人間が、「自己責任」ですることです。僕は「罰則のない規定を都青少年健全育成条例に設ける構想」には、基本的に賛成です。野放図な生活指導では、節操のない人間が鼠算的に増えるばかりです。毅然たる対応が必要な時代だと思います。同時に、自分の将来に夢と希望を持って、学ぶ楽しさを知ることが出来るような学校生活が理想です。そのためには、先ず我が子をそのように導き、自分の手の届く範囲でに心身ともに健康な環境を広げて行こうと思います。
September 22, 2004
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このテーマ、PART-2で終わるつもりでしたが、この日は230ヒットもあり、この問題へのお母様方の関心の高さが分かりました。その後「shun_momさん」から、コメントを頂戴し、中々素晴らしい問題提起があったのです。「shun_momさん」の御指摘を切り口に、このテーマを再度考えてみます。また、これを機会にシリーズ物として、書くことにしました。<「shun_momさん」の問題提起>私も主人も中学からしか英語を始めておりませんが、それでも英語が話せないということで不都合を感じた事のない程度のレベルです。なので、我が子に幼児期からの英語環境を与える事を以前は全く考えておりませんでしたが、やはり後期からの学習では「学習」としてしか身に付かないものが、子供が「感覚」として覚えるのを目の当たりにし、この時期を逃しては・・・と1年前より本格的に取り組み始めました。僕は決して「早期英語教育」に批判的な訳ではありません。僕が言わんとするところは以下のとおりです。1.「英語が話せる」ということの意味は、英語を通して"communication"が出来ることであり、"conversation"は単なる言葉の遣り取りである。「早期英語教育」は子供が対象であり、"conversation"の領域から先へは進みようがない。2."Communication"は英語の技術的な要素よりも、「個」が確立された(精神的に)大人の人間同士で成り立つものであり、「言葉」ではなく「思想」を交換するものである。3.従って、日本語で自分の考えを論理的に表現し、また、相手の主張を理解出来なければ、英語の"communication"が成立する筈がない。英語以前に、日本語のレベルが問われることになるので、日本語の目処が付いてから英語を始めるべきである。4.本人が英語で"communicate"出来るか否かは、「人生の目標」を意識し、その達成には「実用的な英語能力」が必要であるとの自覚があってはじめて「モチベイション」が高まる。それなくして、本格的な英語の"communicator"にはなれない。このような考えが根底にありますから、高い月謝を払ってまで、小さい間から英語を習いに行く必要はないと思っています。しかしながら、高い月謝と手間を掛けないなら、別の方法で生の英語に触れることは重要です。海外旅行は別の意味でお金が掛かりますが、直接体験の必要経費として割り切って米国とフランスへ行きました。「shun_momさん」との違いは、子供の間に「感覚」として覚えるものを、どの程度重要視するかだと思います。確かにしっかりした「早期英語教育」を受け、お母様に英語の素養があり、御家庭でもきちんとフォロー出来るなら、発音やヒアリング能力において有意差が出ると思います。但し、「継続は力なり」のとおり、親が情熱を持ってフォローし、お子さん自身が英語が好きで、子供ながらに自分から進んで英語に取り組まない限り、小学校の3、4年生の段階で進歩しなくなると思います。また、この頃にはスポーツに熱中したり、中学受験される場合もありますから、英語は自然と優先順位が下がることでしょう。同時に、10才頃になると思考力も発達しますから、早期教育のメリットを活かすなら、この時期から「学習」としての英語を始めないと、"communication"の領域に進んで行けないのです。思うに、親がこの辺の認識を持っていないと、小学校の高学年時代に英語の空白が出来てしまい、結局中学へ入学してから「学習」の英語を始めることになります。逆に、日本語の能力が高い子供なら、中学から英語を始めても「学習英語」の能力は高まります。発音やヒアリングの能力といっても、「早期英語教育」で扱う単語数は然程多くないでしょうし、抽象的な単語、例えば"compromise","diversity","execution"などは中学・高校で習う訳ですから、全ての単語の発音が上手い筈がないのです。結局、途中で止めてしまったら、大人になって英語を使って国際的な仕事をすることも、誇大妄想的な夢で終わってしまいます。発音が下手だって、国際的な"communicator"は沢山います。竹中平蔵内閣府特命担当大臣(金融・経済財政政策)は、ハーバード大学でも教えていた、国際的な経済学者ですが、彼の英語は決して流暢ではありません。ここから先は価値観の問題ですが、日本人として本格的な英語の"communicator"になることが一つのゴールであるならば、「感覚的な要素」は然程重要ではないと思います。更なるディスカッションの発展に期待しています。
September 21, 2004
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今日は三連休最後の日。土曜の運動会も終り、この二日間は何処にも行かず家でノンビリしました。息子は「論理エンジン(日本語トレプリ)」だけは欠かさずやりましたが、流石に4巻目になると中味が濃くなります。答合わせすると、僕も間違えていたりするので、親も勉強になります。但し、明らかに問題文が不適切な箇所もありますので、不適切な理由を息子に説明しています。我家は高校までは公立に進みますので、中学入学に際しては受験がありません。但し、基礎科目の国語、算数は、大学受験を見据えた場合、中高一貫校に進学されるお子さんと同等のレベルには達していないと差が開くばかりです。そんな訳で、公開模試は受けさせて来ました。名古屋は「河合塾(K)」が最大手ですから、こちらの統一模試を受験しますが、過去2回は4教科受験したので負担が大きかったように思います。そんな訳で、今後は国数の二科目だけにし、その代わり受験するお子さんに負けないような成績を取るよう、励まして行くつもりです。但し、どうしても内部生は授業で類似の問題を教わっていますから、一般受験だとハンディはあります。それでも、勉強する取り敢えずの目標が出来るので、毎回の試験範囲を市販の問題集で勉強しています。算数は「力の5000題」を使っています。これを小学校の間にマスターしておけば、中学・高校に進んでも応用が効きます。次回の「K」模試は10/24(日)ですが、当日は算盤検定があるため、振り替え受験出来ないか聞いたところ、前日に内部生でも受験する人がいるらしく、その中に入れて貰えました。このところ、国語に特化していたので、算数も再開せねばなりません。前回は息子に計画を立てさせましたが、今回は時間もないため、僕がスケジュールを立てることにしました。今日からスタートし、先ず「差集算」をやりました。今回の目玉は立体の体積と、速度・割合になると思います。国語は相変わらず出来ないでしょうが、算数は偏差値で60以上を目指して欲しいものです。
September 20, 2004
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DWEとか七田なるものは、最近になって初めて知りました。同時に、お母様方の英語教育に対する意欲も相当なものだと思いました。実は9/15には「早期英語教育の前に考えるべきこと」と題して日記を書いたところ、今までで最多の「169」ヒットがありました。ところが、9/16の日記を投稿する際に、手違いでその名文(?)を消してしまったのです。大変残念なのと、その後のお母様方の御意見や、先生方の御意見を踏まえて「PART-2」を再度UPすることにしました。先ず僕の場合ですが、小5の息子と小2の娘に対して、早期英語教育のクラスに通わせることには興味がありませんでした。(但し、娘には英語の"PEPPY KIDS"のビデオセットは買い与えましたが)僕も家内も欧米に留学していたので、英語力はそれなりにありますが、お互いに英語教育は中学に入ってから受けました。それでも今のレベルまで来れましたから、早期英語教育の必要性は感じておりません。といって、お子さんの英語教育に御熱心なお母様方に水を注すことが目的でなく、英語に対して心理的バリアーを取り除くという意味では、それなりの意味はあると思います。また、このコーナーに投稿されている方々は、御自身も勉強家であり、英語力もそれなりにおありになると思いますし、早期英語教育の限界も分かった上でDWEなり七田等を続けていらっしゃるのだと思います。それを踏まえた上で「PART-2」を書きます。先ず、「英語が話せる」ということの認識を、親がしっかり持っている必要があります。早期教育のゴールは精々"conversation"の領域であり、これは挨拶や、買い物や、事務手続き、更にはお友達同士の楽しい会話のレベルです。英語の通じる国なら、一人で飛行機に乗り、目的地で楽しく過ごして帰国出来ます。ところが、このレベルでは、直ぐに壁にぶち当たるのです。何故なら、本当に実りある会話は"communication"の領域であり、言葉ではなく「思想」の交換が求められるのです。ということは、英語の問題ではなく「思考力」の問題であり、「日本語力」に行き着くのです。日本で生まれ育った普通の日本人が、日本語で考えられないことでも、英語なら考えられるなんてことは、絶対にありません。同時に、人間としての生き方や価値観がある程度明確になっていないと、「自分の意見」が出て来ません。また同様に、学校や入試の英語の試験で良い点が取れるというだけでは、ネイティブとの英語"communication"が盛上がることはありません。例えば、サンフランシスコ市ではゲイ・カップルの結婚を認めていましたが、最近カリフォルニア州の最高裁では、市の決定に対して無効の判決を下しました。「この判決をどう思うか」というのが彼等の会話であり、学識のない人であっても自分の論理を構築して堂々と話します。別に法律の知識など必要ではなく、「同性の者同士でも、お互いに愛し合い一緒に暮らすことは、全く基本的な人間としての権利であり、働いて納税している以上、異性婚と同様の法的保護が受けられるのは当然である」という具合に話せなければ相手にされないのです。こういう現実を僕も家内も皮膚感覚として知っていますから、小さい間から教室に通わせてまで英語に親しませることはしませんでした。その代わり、息子が小1、娘が年少の2000年夏休みには、僕の留学先だったサンフランシスコを1週間訪れ、当時の知り合いやクラスメイトと会ったりして、生の海外体験をさせました。また、昨夏はパリを訪れ、欧州も経験させました。これは最後に述べる「モチベイション」の形成を目指しているためです。今、息子には出口汪氏の「論理エンジン」を使って「論理力」を鍛え、日本語の能力を高めることを最優先でやっています。もう少ししたら、自分の行動や選択に対し、「何故そうするのか」という説明を毎日求めて行こうと思っています。これは"reasoning"といって、「理由付け」の練習です。同様に、言葉の定義を自分で言わせてみようと思います。こちらは"definition"と申しまして「定義付け」であり、咄嗟に適語を考え出す習慣は、英語を話す際に非常に有効です。高校生くらいになったら、両方とも英語でやらせるつもりです。そのためには、「英英辞典」を普段から使っている必要があります。以上、今回は長くなりましたが、早期教育を始めるに際しては、取り敢えずのゴールを明確にしておく必要があると思います。"Conversation"のレベルでよいのか、高校・大学入試のためなのか、それとも本格的な"communicator"を目指すのかです。そして、もし国際的な"communicator"を目指して欲しいと思うなら、「英語を通して達成すべき人生の目標」の大体の輪郭だけでも、高校生の時点で出来ていると宜しいでしょう。「英語が話せるようになりたい」は目標にはなり得ず、「人生の目標」があってはじめて「何故英語を勉強するのか」という問いに答えられるのです。そしてこれこそが、本当に英語が話せるようになるために必要な「モチベイション」になり得るのです。------------------------------------------------尚、このページは、僕が3年前から始めた自分のHPである「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」がベースであり、その中で「息子と共に」が連載されています。(Bookmarksにも記載)
September 19, 2004
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今日は運動会。お陰様で天気にも恵まれ、雨はおろか陽射しも然程厳しくなく、若干蒸し暑いのを我慢すれば、時折涼しい風も吹き、ここ数年稀に見る好条件でした。子供達は3時過ぎに帰宅しましたが、娘は夕方書き方を習いに行き、息子とは昨日やった「論理エンジン(日本語トレプリ)」の答え合わせを行いました。今、息子は6分冊の第4巻の、丁度真中辺をやっています。第4巻の題材は太宰治であり、「お伽草子(瘤取り爺さん)」「思い出」が取り上げられています。今日答え合わせをした中にも、毎度のことながら息子にとって知らない言葉が幾つか出て来ました。例えば「さげすみ」等という言葉です。「ところで、『さげすみ』ってどういうことだか知ってるかい」と聞けば、「昔の言葉だから分からないよ」とのことでした。「いいかい、知らない言葉が出て来たら国語辞典で調べなさい。小学生の君は、知らないことばかりなんだ。そういうことにぶつかったら、その場で直ぐに調べて行かないと、知らないまま大人になっちゃうよ。勉強ってのは、自分から知ろうすることなんだよ。それをしないと、時間が過ぎて行くだけなんだ。同じ時間を使って勉強しても、受身でやっていたら何も身に付かないよ。時間が無駄だし、そんなことなら勉強しない方がましだよ」と厳しく指導しました。また、僕は自分の例を取り上げ、丁度傍らにあった購読している"TIME"を開き、「お父さんも"TIME"を読んで勉強してるけど、知らない単語が1ページに幾つも出て来るんだ。勿論、全部調べはしないけど、この言葉が分からないと全体が分からないという単語は、必ず辞書を引いてるよ。そうしないと、"TIME"を読む意味がないからね」と話しました。こうして、答え合わせが終り、息子は僕の書斎から出て行きましたが、それに先立ちポストイットを所望しました。「いいよ」と言って渡すと、息子は何枚かに以下のようなことを書いて、第4巻の表紙に貼り出しました。「やる時は、何も(注:他のこと)考えないこと」「早めにやること。いやでもやること」「知らない言葉、辞典で調べること」「問題の後の文をぜっ対に読むこと」etc.が書かれてあったのです。これら全てを、明日から完璧に出来るとは思いませんが、僕から言われたことを、息子が自分なりに反省し、「こうしよう」と決意したことなのです。温かく見守って行くつもりです。------------------------------------尚、このページは、僕が3年前から始めた自分のHPである「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」がベースであり、その中で「息子と共に」が連載されています。(Bookmarksにも記載)
September 18, 2004
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FENとは"Far East Network"の略で、関東地方なら聴ける在日米軍のラジオ放送のことです。このテーマで投稿されている方なら、御存知だったり、毎日聴かれているという方もいらっしゃることでしょう。僕は新入社員時代、茨城の度田舎におりましたので、工場に通勤する車の中で聴いておりました。最近、僕自身も英語の勉強を再開したので、ヒアリングのために英語の生放送が聴きたいのですが、名古屋にはそれに代わるものがありません。苦肉の策としてNHKのBS1で真夜中に放映される「ジム・レーラーのニュース」を録画し、それを観たり、音声だけテープに吹き込んで聴いています。最近は米国大統領選の報道がメインになっていますが、民主党のケリー候補の方が、ブッシュ大統領よりもスピーチ自体は迫力があります。両者とも、非常に解り易い英語で語ってくれていますが。何でこんなことを書くのかといえば、親もコツコツ学んでいることが、子供の目から見て「自分も勉強やらなきゃ」という気にさせるのではないかと思うからです。我家の子供達は、両親が二人とも英語が話せるので、外国語に対するアレルギーはないと思います。「オヤジが出来るならオレだって」、という気持になればしめたものです。そう、パリではピガールの怪しげな暴力バー(と思しき店)のお姐さんだって、ブロークンながら英語を喋ってましたから、英語なんて恐れるには足らないのです。何ごとも舐めて掛かっては間違いだけど、ビビッていたら何も新しいことを覚え、マスターすることなど出来ませんから。さて、明日は運動会。家内は5時起きで弁当作りです。僕は8時頃ノソノソ起き出して学校へ参ります。息子の出る5年生の徒競走は最初のプログラムだそうです。
September 17, 2004
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実は昨日、「論理エンジン」の答え合わせをしていて、息子の態度が少し投げやりだったので、ちょっとばかし厳しく指導しました。6分冊の4巻目の真ん中まで来ましたが、4巻目から少し難しくなるのです。3巻目までは「主語と述語」を中心に、書かれていることの要点を正確に掴むことがメインですが、4巻目からは日本語の文法が入って来て、単語ベースで位置づけを明確にして行くのです。昨日、息子は解説を十分読まずに自己流で解答しておりました。解答欄の直ぐ脇にヒントが書かれているにも関わらず、いい加減な解答だったのです。「いいか、何故『論理エンジン』をやってるのか、良く考えろよ。『論理力を鍛える! 国語力をつける! 学力を伸ばす!』ためなんだぞ。練習問題の答なんか間違えたって構わないんだ。この本の考え方を身に付けることが大事なんだぞ。」とばかり、強く言いましたので、息子は涙ぐんでいたのです。今日、息子は友人の誘いも断って、帰宅するなり「論理エンジン」に取り掛かったそうです。家内に答え合わせを頼んだそうですが、家内は急なことなので応じられず、結局夕食後に僕が引き受けました。息子は最初少しビビッていましたが、いつもの感じで一緒に勉強しながら、学校であったことを色々と話して来ました。息子も、今日は腰を据えて取り組んだので、字もしっかりしており、僕の質問にもきちんと答えてくれました。慣れるに従い3巻までは、日に10ページずつ進みましたが、4巻からは「じっくりやりたいから、6ページにする」と自分から言って来ました。「いいよ。早くやるのが目的じゃないんだから。しっかり理解するのが大事なんだ」と、彼の方針に同意しました。今年の1月から、息子とは手探りで勉強して来ましたが、「国語力」の強化が全てに優先することに気付き、その方向で勉強を進めています。英語を深いレベルで身に付けるためにも、「論理エンジン」の修得がベースになるのです。息子にとって、5年生の一日一日がきっと将来の糧となることでしょう。
September 16, 2004
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この二日ばかり、英語教育について書いて来ましたが、BBSやコメントに貴重な御意見や励ましを頂戴し、僕自身も新たに考える機会が持てました。また、お子さんへの英語教育に対する皆様の熱心さには、ある種の感動をすら覚えました。ここで、新たに考えたことを整理してみます。それは、「何故英語やるの?」という問いへの正しい答は何か、ということです。もし、「英語が話せるようになりたい(なって欲しい)から」という答だとしたら、本当に「話せる」レベルには到達出来ないと思うのです。本来あるべき答とは、「英語を使って実現したい何かがある」ということでしょう。手段と目的がごっちゃになった人が多いように思います。以下に引用する文は、拙HPの「半生記:『英語が話せる』ということ」に書いた「結び」の部分であり、僕の「実用英語観」を端的に表しています。-----------------------------------・・・・・・ここで、オリックス会長宮内義彦氏の御意見を紹介します。(日経ビジネス2000年6月19日号)氏の説によると、『世界的に国際化が進んでいるから、「国民全てが英語を話せるよう教育すべきだ」という考え方は、却って危険である。その理由は、(1)言葉は文化であり、子供のうちから英語漬けになったら、日本文化の大部分が消えてしまう。(2)従来の英語教育でも基礎は十分に学べたし、「自分は国際的に活躍したい」と思う人が、更に英語力を伸ばせばよい。全員がそれをやったら、国民的エネルギーの大損失だ。』とのことで、正しく「我が意を得たり」でした。それでは、標題の『「英語が話せる」ということ』の意味を総括してみましょう。端的には、「日本語と概略同じレベルで、ネイティブと意思疎通(communication)が図れること」であると思います。但し、これ自体は最終目標とはなり得ず、その奥に、例えば「自分は国際的に活躍したい」というような、究極の目標(強烈なモチベイション)があってはじめて、「英語が話せる」という域に到達出来るものと考えます。また、人とのコミュニケーションにおいて、最も重要な要素は、話の内容と良識であり、それは即ち人格と識見なのです。序文で引用した、「日本語自体が特に若い世代の中でおかしくなっている。母国語をきちんと出来ない人間がどうやって外国語に行けるのか。さらに言うならば、コミュニケーションというものを、きちんと出来ない人達が、どんどん増えてしまっている。」という、筑紫哲也さんの御意見は、正鵠を射たものであると思われます。最後に、「英語が話せる」ということは、「人生をも変え得る」ことを指摘したいと思います。逆に、そのレベルまで自分を追い込まなければ、普通の人間が「英語が話せる」域にまで到達出来ないのです。松本道弘氏は、「英語道」という修行の道を提唱されました。英語も他の道と同じく、直線的には伸びてくれません。階段の平らな部分に、どれだけ忍耐強く踏み止まるかで最終的な到達レベルが決まります。この間、修行者は積極的に色々な試練を重ねます。こうして得られたものは、自分と一体化し、生きている限り使えるのです。それは必ずしも、仕事での成功には結び着きませんが、一人の人間として生きて行く上で、大きな自信となり得ます。僕は今年から、10数年振りで、ニューズウィークの購読を再開しました。昔のように肩肘張らず、淡々と世界の出来事を、英字誌で楽しむ自分が居ます。ささやかな日常の一齣(ひとこま)ですが、『「英語が話せる」ということ』をベースとした、僕流のクオリティー・ライフなのです。(完)-----------------------------------尚、このページは、僕が3年前から始めた自分のHPである「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」がベースであり、その中で「息子と共に」が連載されています。(Bookmarksにも記載)
September 15, 2004
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近い将来、英語教育を始めることになりますが、どの時点でスタートするかが問題です。僕も家内も英語は一応実践レベルなので門外漢ではありませんが、子供に教えるとなると別問題です。幼児英語教室もありますが、全く興味ありませんでした。あれは精々「カンバセイション」のレベルであり、僕が求めるのは「コミュニケイション」の能力だからです。逆説ですが、英語の使い手になるには、日本語のレベルが高くなければ無理なのです。その意味で「論理エンジン」で日本語を鍛えることは、本格的に英語が使えるようになるための、理想的なトレーニングだと思っています。「コミュニケーション」とは言葉の交換ではなく、「思想」の交換であり、しっかりした日本語の文章を正確に読み取り、理路整然とした和文が書けてはじめて英語の「コミュニケイション」が出来るのです。とはいえ、息子は小5であり、中学入学前に多少は英語に親しんでおいた方が良いと思っています。まあ、来年の今頃はボチボチという感じでしょうが、スタートの見極めは「論理エンジン」の修得度合いと、読書がどの程度習慣化されたかによります。日本語も英語も、所詮は「思想」を伝える手段ですから、自分の思想を表現でき、他人の思想を本などを通して的確に把握出来てはじめて、外国語に手を染める資格があると思います。また、外国語の修得は勉強でなく「訓練」であると思います。英文を音読し、五感を通して体で覚えなければ、絶対に「コミュニケケイト」出来ません。息子や娘に求めているのは、学校の試験や入試で良い点を取ることではなく、英語を通して世界中の人と自由に意思疎通出来る能力なのです。この辺の僕自身の体験は、拙HPに「半生記:『英語が話せる』ということ」として書いてありますので、こちらをお読み下さい。何れにせよ、英語の教え方も子供の個性に合わせる必要があるでしょう。息子は恐らく家内に似て、文法をきっちり教えないと進まないように思います。一方、娘の方は僕に似ていて、感覚的に入って行きそうです。何せ、僕の英語の先生は「サイモン&ガーファンクル」であり、「ビートルズ」でしたから。娘もきっと欧米の女性シンガーの歌を歌いつつ、感覚的に英語と一体化して行きそうです。(今回終り)尚、このページは、僕が3年前から始めた自分のHPである「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」がベースであり、その中で「息子と共に」が連載されています。(Bookmarksにも記載)
September 14, 2004
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それでは、具体的に公立校での過ごし方を書いてみます。息子も5年生となり、小学校とはいえ勉強の内容も少しずつ高度になって来ます。中学受験するとなると、落とすための試験を突破する必要があり、多大な時間を受験勉強に費やす必要があります。最初は、受験するお子さんと同等の学力は付けさせようと思い、4教科の勉強をしていました。ところが、算数は結構出来るのですが、国語が出来ず、結局読解力が駄目なので、理科・社会も理解が深まらないことが分かりました。そこで、小学校の間に十分な国語力を身に付けさせることに重点を置き、今年の夏休みは出口汪氏の「論理エンジン」に取り組みました。正確に言うと、「日本語トレーニング(トレプリ)」ですが、これを毎日10ページくらいやりました。現在は全6分冊中のNo.4をやっており、10月一杯には終わるのではないかと思います。最初は戸惑っていましたが、最近では慣れて来て、自分から進んで毎日やっています。これと同時に、読書感想文の宿題に、結構骨の折れる宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を自ら選び、父親の協力はあったものの、この作品の感想文を書き上げました。本人は途中で投げ出しそうになりましたが、父親が妥協しなかったので本人も頑張ってやり遂げました。ある種の自信にはなったことと思います。この時期、芦永奈雄 (あしなが なお)氏の「『本当の学力』は作文で劇的に伸びる」(大和出版)に出会い、感銘を受けました。「論理エンジン」の「出口方式」が分析的手法なら、こちらの「芦永方式」は創造的手法だと思います。結局、根本は「本当の学力とは何か」という問題であり、両者とも「論理力」や「思考力」を正統な遣り方で、短期的な結果を求めずに養成する方法なのです。芦永氏は「小平村塾」という国語教育専門の塾を運営されており、主に通信教育で「作文」「小論文」を教えていらっしゃるそうですが、「作文」を毎週書くことにより、「思考力」が急激に成長し、全教科に亘って成績が伸びていくそうです。国語力とは「考える力」、「書く力」、「表現力」の三つであり、塾で教える「読解・漢字・文法」等は小手先に過ぎないようです。息子との勉強を通し「本当の学力とは」という命題と格闘して来ましたが、「暗記」主体の勉強の限界と、息子が抱える真の問題を認識し、行き着いたところが「国語力」なのでした。その過程において「論理エンジン」の出口方式に出会い、「作文法」の芦永方式に出会えたのです。芦永氏曰く、「世の中はブロイラー受験生であふれている」そうです。一方的に与えられる餌を、脇目も振らず(振れず)食べ続けるブロイラーの状況に、多くの受験生がオーバーラップするのでしょう。中学受験をしなければ、こういう状況は回避できる訳ですから、オーソドックスな勉強を進め、思考力を着実に伸ばして行ける筈です。目標を高く持って、入試問題への対応力とは異なる本質的な学力を養成出来ればと思っています。(今回終り)尚、このページは、僕が3年前から始めた自分のHPである「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」がベースであり、その中で「息子と共に」が連載されています。(Bookmarksにも記載)
September 13, 2004
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今日から「楽天」のページをスタートします。こちらを開設させて戴いたのは、より多くの方々と子供の教育に関して意見交換し、連帯を深めて行きたいからです。我家の教育方針は、「高校までは公立で」というものであり、親の力で良い環境(中高一貫の私立進学校)を与えられ、進学コースに乗って大学へ進学するのでなく、自分の力で人生を切り開いて行って欲しいからです。その代わり、親として学校のレベルを超えた内容を独自に教え、勉強を通して「父と子」の絆を深めて行こうと思っています。 このページは、僕が3年前から始めた自分のHPである「NEUBEAUX CINQUANT ANS(新・サンカンタン)」がベースであり、その中で「息子と共に」が連載されています。(Bookmarksにも記載)下に転載しましたのは、「連載:息子と共に」の序文です。------------------------------------- 長男は、今年小学5年生になりました。8月生まれですから現在10才です。知人に言わせると、「一つ」から「九つ」までの「つ」が付く時代はまだ子供で、「10才」からが「少年・少女」の時代だそうです。息子も、最近は何処か「少年」の雰囲気を感じさせるようになり、男同士で「父と息子の対話」を楽しめるようになりました。子育ても、これまでは母親の領分でしたが、特に男の子の場合、父親が身を以って教える時期に来たように思います。 そんな訳で、新連載「息子と共に」は僕の子育て(教育)日記であり、彼の成長過程をリアルタイムでフォローして行くつもりです。本構想は「僕の日常」の3月25日付に書きましたので、その部分を以下に引用します。・・・・・それと同時に、今度は超長期連載に取り組みます。少年期に入った息子との対話をベースに、父親として何が出来るのか、自分自身も模索する中で、旅立っていく息子の姿を書き続けようと思います。恐らく、彼が大学に入る頃がゴールになるでしょう。新連載の構想なり背景は以下のとおりです。 先ず、僕(と家内)が息子と娘に望むことは、「幸福に生きて欲しい」ということであり、世俗的な成功ではありません。自分自身が「世渡り下手」ですから、彼等二人が要領よく世間を泳ぎ回り、地位や財産を築き上げられる筈がありませんし、そうなって欲しいとも思いません。自分の「好きなこと」、「得意なこと」を見出し、それと一体化して精神的に充実した人生を歩んでくれれば、それで十分です。 但し、そのためには「知・情・意」のバランスが取れていなければなりません。世の中には教育熱心な父兄が結構おりますが、往々にして彼等は「結果」のみを求めます。要するに、子供を一流校の入試にパスさせることだけが目的になっている人達です。この人達と一見似てはいるが、本質的にまったく異なる教育をして行こうと思います。「好きなこと」を思う存分して生きて行くには、「知力」においても優れていなければならず、そのためには受験という関門も、余裕を持ってクリアーしなければなりません。 そして、同時に重要なのは、息子本人の中に「勉強する」ことへの動機付けがなされ、知識や技術を用いて何のために何を行うのか、明確な目標が自ら形成されていなければなりません。僕が強調したいのはこの点なのです。実は、この正月明けから、僕は息子の家庭教師になりました。算数が得意な小4の息子は、この2ヶ月で5年生の算数をマスターし、先週から6年生の算数を始めました。彼との勉強時間は基本的に週末ですが、時折早く帰宅した時は、週日の夜も30分程度一緒に勉強しています。(因みに、彼は連休中もよく勉強し、昨日6年生の算数を全て終了しました。5/5記載) この過程で、僕と息子は算数の技術的な事柄から始まって、色々な話をします。彼の悩み事は本より、僕の学生時代のことや、職業選択の経緯であるとか、驚くようなことまで色々聞いて来ます。そして、最終的には「何故勉強するのか」という、基本的な問題に行き着きます。この話の詳細は、追々「超長期連載」に書きますが、「少年」にならんとする息子と、少しずつ実のある話が出来るようになり、ささやかながら父親としての喜びを感じる今日この頃です。 この「超長期連載」が予定通り継続され、息子が大学生になる頃、僕は「サンカンタン」どころか「スワサンタン(60歳)」になっています。息子と共に勉強し、人生を語り合う中で、僕自身も成長して行きたいと思います。そして、この連載自体が、父から息子への最高のプレゼントになれば、それだけで十分です。娘もおりますので、息子のことばかり書き続けると嫉妬するでしょうから、彼女のことも連載の中でフォローします。遥か長い道のりですが、自分の「スワサンタン」を一つのゴールとして、超長期連載に取り組んで参りましょう。今日は奇しくも「こどもの日」。「鯉のぼり」こそ出しておりませんが、夕食は近所の焼肉屋で、ささやかに祝うつもりです。2004.5.5 渚のバラード
September 12, 2004
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