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第50話(最終話)『いつの日も花は咲く』「わだすは諦めねえ」by八重それまで敵を撃っていた銃を空に向ける八重。そして、この台詞。解釈は色々あるのだろうけどこのところの流れから言えば、やはり「再び戦を学ばず」ということになるのかな?襄が言った様に彼も八重も種を撒いたところ。世の中は戦争に次ぐ戦争でこの言葉は全く生かされていないけれどいつか花開く時を信じる八重の図ぅ?八重自身もかつては銃を取り実際に戦いに身を投じていたわけだけど今は頼母に「桜だ」と言われる女性になった。つまり、この教えは八重個人の中では美しく強く花を咲かせていると?この教えとは裏腹にキリスト教世界は戦争を多く引き起こしてきたし今もそう。でも、それは聖書が間違っているのではなく聖書を実行していないから…その通りに生きてはいないから。つまり、逆に聖書の教えに逆らえば全ては上手くいかないということを実証しているってことだ。そんな世界にあっても諦めない!と強い眼差しで言う八重の姿は本来なら、私の感動どころのど真ん中に来そうなもんなんだけど何かイマイチな印象だった>スミマセンスミマセン視聴率のためのテコ入れってヤツか後半に入り脚本家が変わったそうだけど却ってマズかったんとちゃう?>個人的見解前半は八重自身は会津に留まり世の大きな流れからは蚊帳の外って感じでまあそれは当時の女性の立場としては当然なんだけどもドラマ的には話が2つに分かれてしまったしそれが対比的に描ければ良かったんだろうけどちょっとトーンが違い過ぎた…というネックはあったものの会津視点で描かれるところや八重を始め実戦に参加する女性達の姿等色々と見所はあったし緊迫感もあったと思う。後半は明るさが出てきたのは良かったものの能天気な感じにまでなっちゃってたし軽~く薄~い話になっちゃってた気がする。八重周辺はホームドラマの様相だったし折角の会津視点の戦争、ひいては歴史感が何か行ったり来たりでウヤムヤというか…そのトーンの変化と共に八重自身の内面の変化をドラマチックに描いてくれたら面白かっただろう。でも、八重も、覚馬も、襄も…何だか薄かったなあ…と思うのは私だけ?まあもしも聖書の基本的知識は誰もが持っているものとの前提であるならば多少は脳内補完できるってもので女でありながら鉄砲に惹かれ、やがて戦争に参加するまでになった八重が最終的には「再び戦を学ばず」に至った物語―とシンプルに受け取って感動すべきかもな。そういう意味では徳富蘇峰と好対照になっていたし彼との会話から銃を空に向ける象徴的なラストシーンに至るところは面白い表現だよね。ただ同じく蘇峰と対照的な人物として位置していた蘆花が「生きた人間を描かく」とか何とか言ってその姿だけは共感できるのだけど書いていたものが『不如帰』って…いや、読んだことはないんだけどさ検索してみたところによると大山巌の娘をモデルにした小説で捨松を継子イジメをする酷い人間として描いているために捨松は長いこと風評被害に悩まされていたんだとか…「生きた人間」ってそれかい!?って気がしちゃうしなあ…つまりはそういう風に綺麗綺麗に纏め様として史実とは微妙に異なる薄いドラマになっちゃったんじゃ…なんて思ってしまった>スミマセンスミマセンいやいやNHKでちょこちょこ流してる復興支援ソングをまんま持ってきた今回のタイトルからしてこれは被災地の人々を力づけるためのドラマだったんだと認識を新たにすれば、これはこれで良かった!っちゅーことになるのかも>そうか?でも、綾瀬はるかの八重は素敵だったしオダジョーの新島襄は大いに支持するのだけどね。他の登場人物達もそれぞれ良かったから全体的には、このドラマ、好きだったと言えるかも。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1325-d152812f☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちブルーレイBOX桜もちチョコさくらゆらゆら
2013.12.29
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第49話『再び戦いを学ばず』「風を入れてくなんしょ」by覚馬↑覚馬の最後世の中に新風を…という意味と重ねているのかと思ったけど…考え過ぎ?(笑)え~っと、今回は風邪の最中で観たせいか>「風」のシャレではないいつもにも増してワカランカッタ相変わらず、おバカでスミマセンスミマセン!教育勅語に否定的な様子の覚馬。教育勅語の内容そのものをよく知らないんだけどさ>ダメじゃん色々と道徳的な薦めが並べられていて、最終的には「お国のため」に帰結…みたいなもの?確かに現代的な視点からは「軍国主義」に通じる感があるけどこの時代にはどうだったんだろう…いかに覚馬であっても…?つーか何となし、会津における「什の掟」を思い出してしまったのは私だけ?今の覚馬はそれをも否定している?そしてそれこそ「お国」のためにと信じて行動し結果的に汚名を被り滅びる…という運命を辿った会津をも?考え過ぎですねそうですね(^^;)だって死の間際で覚馬はやっと会津に帰れると言ってもいたしかつて会津で過ごした日々が走馬灯の様に巡っていたわけだし。また会津の戦争について薩長にも義はあった…という様なことを言っていたけどそれは、その後の薩長の人々との関わりや新しい国を作るという共通の目的(中身は様々だけど)を持つこと等でどちらが善でどちらがで悪ということはない―という意味を悟ったのだろう…と解釈していた。ここのところは卒業式の祝辞に繋がるね。でも、そうしたことと会津で受けた教えに否定的になったり汚名が晴らせないままの会津をさらに貶める様な姿勢はちょっと通り越しちゃってるというか、ズレちゃってるというか(^^;)後にも、容保様が亡くなった会津の人々の名誉を回復してほしいと御宸翰を山川兄弟に渡すシーンで自分の行動を「過ち」と発言していたよね。まあ確かに、観ていた時は色々と歯がゆい思いはしたんだけどもあの時はあの時で正しいと信じていたわけだし戦の結果に懺悔の気持ちを持つのは良いけれども悪かった、間違っていたと、自ら否定してしまうのはどうなの?って思ってしまった。つまりさーここに来て無理クリ白黒つけさせなくったって良いじゃん。つーか会津の視点で始まったドラマなのに会津を悪としてオシマイ?実際そんな単純なもんじゃないんだし。…って、甘い?まあ、ドラマが戦争の前編・教育&信仰の後編みたいな分け方なのでその変化をハッキリをここで台詞によって示しているのかもしれない。八重が戦う人から看護する人に変わった様に。それで彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず彼らはもはや戦いを学ばない。 <イザ2章4節>この祝辞は感動どころなんだろうけど聖書の言葉をそのまま言っただけじゃん!と思ってしまった>スミマセンスミマセン八重も佐久さんも他の皆もクリスチャンなはずなのに初めて聞く言葉の様な反応だったし(笑)でも、まあ、だからこそこれは真理なんだけどね。だから善悪とか何とかじゃなくてもっと大きく広くこの聖書の教えを純粋に受け入れるに至った様子が素直に描かれていたら良かったと思うよ。…とりとめない文章で自分でも何が言いたいのかよく分かってなくてスミマセンスミマセン!もう逢えないと思っていた襄がまた登場してくれたのは嬉しかった。八重が振り向かなかったのも。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1318-45fd773f☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち本ゲームリカちゃん
2013.12.22
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第48話『グッバイ、また会わん』「愛国心とはそんなものではない」by襄↑メイン・ストーリーとは直接関係ないけど「そうだそうだ」と頷ける台詞だったので大隈重信、襲撃される―秋月悌次郎、再登場―梶原平馬、死去―大隈はまた復帰するのだから良しとして>ぇ秋月さんにまた逢えたのは嬉しい。八重も覚馬もさほど年齢を感じさせない中でちゃんと老けメイクしていて良い>ぉ襄の『同志社設立の旨意』に感動し再び教鞭を取ることを決意した…とのことだけれども本当かどうかは知らないけれども>こらこら襄の信念がここにも芽吹いたのだと思うと嬉しい。だって学校を創ったことは勿論、素晴らしいことなのだけどそれを通じて何を成したか…イマイチ描かれていない気がするもんで(^^;)何か学校内のトラブル(教師達との方針の違いとか生徒達の不満とか)と資金集めに奔走しただけの様に見えてしまってたもんで(^^;)秋月さんったら、かのラフカディオ・ハーンから「神の様な人」と評されていたとかでそこのところだけ取れば、まさに襄の遺志を継いでくれたって感じ。梶原平馬も最後まで近所の子供達に学問を教えていたとかで教育を…という襄の信念に繋がる。彼の死は、戊辰戦争の完全なる終結を意味する?たださ単純ひじゅにには測り知れない思いがあったに決まっているけれども二葉さんと離縁したまでは、そこのところを慮るとして結局のところ再婚してるしなー子供の絵を描き続けていたといっても子供への思いであって二葉さんへの思いじゃないしなー…と余計な事を考えてしまった。なんて言ってるうちに、襄危篤―群馬の前橋で倒れ、神奈川の大磯で療養。勿論これは実話だから疑問の余地もないのだけれど具合が悪いのに移動が大変じゃなかったのか…とこれまた余計な事が気にかかる。臨終の場に八重が立ち会えたのは良かった。まるで夫婦の間にだけ通じる予感の様なものに導かれて襄のもとに引き寄せられた…みたいな描写は、まあドラマだからだろうけど(^^;)「また逢いましょう」襄の最後は、さすがにウルウルしてしまった。地元出身で上毛カルタのおかげで名前はお馴染みだったものの生涯についてはよく知らなかったしましてやこうして映像作品として観ることは初めてだったけどオダジョーの新島襄はなかなか魅力的だったと思う。 山に籠っていた時のキム・ギドク(映画監督)のもとに オダジョーが訪ねたことがあると聞いて 個人的に彼の評価がグンと上がったりしたんだけど… それはまあ別の話(笑)未亡人となった八重は「日本のナイチンゲール」の道へ―これはとても素晴らしいと思うのだけれど覚馬にほとんど命令されるかの如く…ってのが何かイマイチな気がしてしまった。今迄も何度となく覚馬に道を指し示されていたよね。そういう描き方はどうなのかなあ…と思ってしまった。スミマセンスミマセン☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1305-6addb475☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち八重が焼いていたのはパンケーキ?ワッフル?なるほど新島襄みかん
2013.12.10
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第47話『残された時間』「可哀想に…驚いたでしょう」by襄襄の命は後僅か…自分のことなのに、それを聞かされた八重の心情を思う襄。ここは感動的。例え、射的とはいえ銃を手にした姿を見せても。…ってここはまあ、いわゆるキリスト教世界のクリスチャンだからなあ(^^;)猟が趣味で猟銃を所有していたそうだしそれを描かず射的を楽しむ夫婦の図ぅ―にしている分ドラマは微笑ましいと見なすべきなのだろう。つーかこのドラマは全てを綺麗綺麗に描こうとし過ぎている気がしかくもなくも…なんてことは置いといてともかくも、自らの死の宣告に対して上記の様な反応をする襄はやはり素敵な人だなと思う。「死が…私に追いついてしまう」その後で、こんな風に弱音と取れる言葉を出したとしても何のその。このくらいの弱さは寧ろ当然のことだ、人間だもの。しかもそれは個人的な恐怖心というよりも>それも少しはあったかもしれないけど大学ができる前に死にたくない…という自分の、ひいては日本の夢のため。なのにさ「大学なんかできなくていい」by八重…ってはあ?おまえ、少し前に「襄のライフは私のライフ」とか何とか言ってたじゃんよ!襄にとって、個人の人生よりも大事に思っているまさに、襄の生きた証となるものを全否定かよ!?…なんて言ったら酷ですか?(^^;)>スミマセンスミマセンまあね純粋に夫を思う気持ちから出た言葉だってことは分かるけどね。私だったら、もっと強い口調でそんなものはどうだっていい!妻である私と出来る限り一緒に生きてほしい!とワガママ言っちゃうだろうけどね>ぉそれに対する襄の返答は「私がいなくなっても、きっと後に続く人達が自由の砦を創り上げてくれる」自分だけの力に頼るのではなく>自分が何とかしようと躍起になるのではなく神の力に頼るという信仰は素晴らしいと思う。「ひと粒の麦が地に落ちなければ」これはイエスの言葉(ヨハネ12:24)から来ているのでまさに信仰心の表れと見なすべきなんだろうけどう~ん…イエス自身が言った意味を考えると、どうなのかなあ…あ、いやいやこの時代のこの状況下では、これだけでも仕方ないか>エラソウ「これは襄の戦だ」by八重お前、さっきは人の夢を全否定しといてそんなにアッサリ翻るんかい!?つーか何事も戦に例えなくちゃ理解も受容もできないんかい!?…どうも今回は八重に否定的な私であった(^^;)>スミマセンスミマセンでもねフォローするならば宣告を受けた後、襄のために毛布を買おうと思いつく八重にはちょっと、ジンときたよ。募金集会での襄の意志がどーのこーのでなく不平等条約改正に向けて、西洋的な部分として利用しようと思ってるだけ―みたいな様子や先に寄付を申し出た人がいたから負けじと自分もすることにしただけ―みたいな様子やエラソウにしながら昔ながらの宴会に盛り上がる旧態然ちゅーかオヤジ然(ぇ)―7みたいな様子にナンダカナ…と思っていたら勝の勧めで「国民の力を借りる」という方向になったことと蘇峰による「ペンの力」でそれを促す、ということがいかにも新しく歩んでいこうとしている時代の雰囲気が感じられて良かった。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1294-6023bd30☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちリバーシブル毛布やぎミルク同志社大学の軌跡
2013.12.01
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第46話『駆け落ち』「ぺンで人間の本当を書きたか」by蘆花先回の時栄のエピもそうだったけど今回の久栄&蘆花の恋模様も蘆花自身による小説の影響が濃くて実際のところはどうだったのか分からないまま…って感じ。まあ、私は小説そのものは未読なのでその小説に影響された見解ということになるけどともかくも時栄に関しては彼女はなかなかシタタカな女で八重はあくまでも強く彼女を有無を言わせず追放した―って風に聞いていたのでドラマは八重側は勿論、時栄も悪者にはしないよう綺麗綺麗に纏めちゃったのね…という印象を受けてしまった。久栄&蘆花に関しては八重は勿論、周囲がやたらめったら邪魔をして若き2人を引き裂いてしまった―って風に聞いていたのでドラマでは逆に蘆花自身をナサケナイ男に描いちゃってるな…もしかして、自己弁護っちゅーか自分を綺麗綺麗に描いている蘆花に対抗してのこの内容?という印象を受けた。恋を実らせることができなかった上に夭折してしまった久栄のことは美化しそのために時栄のことも八重達のことも現実よりあくどいキャラとして描いてしまったのではないか?という疑問もわいてくる。とはいえ八重をヒロインだからと無理クリ話に絡ませナンダカナ…な雰囲気になっているのは今回に始まったことではないしね。難しいのね、歴史物って(^^;) ←無理クリな纏め「みねも久栄も平馬も、なじょして母と別れねばなんねえ」by佐久母親代わりになろうとした八重の図ぅ―というのが今回のメインと言えるかな。時栄の件で八重に恨みを持っている久栄というのを土台に子供を残して亡くなってしまった、みね親としての思いを語り亡くなる襄の父「あんなに大きな子が」と視聴者の方が叫びたくなるわ!と言いたいユキ等々が絡み無理に母親になろうとせず自分らしくあろう、と決意した八重が久栄&蘆花の駆け落ちを阻止…ていうか、なあなあにし>ぇ兄との確執というよりも一方的に劣等感を抱いているという感じの蘆花が結局のところ一人で上京してしまったことでこの恋物語は一応終了。「母親は皆そうだ」by佐久子をなすことができなかった八重が“母親”になれた瞬間というのがメインと言えるかな。蘆花に上記の様な台詞を言わせたからにはナサケナイ男に終わらせず作家としての“何か”を描いてほしかった気がするし結局のところ蘆花も本人の目の前でラブレターの内容を明かしてしまう久栄もさほど愛し合っている様にも苦悩している様にも見えず>スマソ覚馬に関しては父親なのに蚊帳の外かい!?って感じなのが残念だったかな…☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1286-6d91df91☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&」ドラ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちすき焼きセット『レ・ミゼラブル』全巻セット『不如帰』
2013.11.24
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第45話『不義の噂』「綺麗なままでは生きられへん」by時栄襄、帰国。女学校、廃校の危機。伊東博文@虎様、総理大臣に。…と色々あるけど、メインは時栄。以前に何かで聞いたのは―時栄の妊娠が判明し覚馬は覚えがないということで>シャレではない時栄の不倫が発覚。最初は見知らぬ男に襲われたと言っていたけれど結局、書生との関係を告白。覚馬は許そうとしていたものの八重が激しい態度で時栄を追い出した。―というものだった。今回、改めて調べたらそれは徳富蘆花の小説の内容らしい(笑)まあ時栄を始め八重や覚馬達をモデルにしているのは明らかな様だけどどこまで実話なのかは分からない。だから、このドラマでまで同じ様な時栄=悪女みたいな描き方をしたら難だし八重も悪く取られかねないのでマズイし…ということで今回の話に?何度となく時栄の気持ちを聞き出そうとする八重。その分、覚馬が何もしなさ過ぎ…って印象に。「もういっぺん一からやり直してみねえか」一緒に洗礼を受ける覚馬は懐が深いことを見せたと思う。でも、個人的にはバプテスマってそーいうもんじゃねーぞ!ってモヤモヤするところはあるけど(^^;)でもって時栄が出て行く時に久栄のために小芝居をする八重。しかも小芝居だとの母親の解説付き>誤解する視聴者もいるかもしれないから?まあ、ヒロイン八重を無理クリ立てるのは今回に始まったことじゃないけど(^^;)時栄のことも綺麗綺麗に描こうとしていたな。その分、青木がストーカー化してしまった。女心が揺れたのだとの時栄の言い方はやはり深い関係を持ってしまったのだとの告白とも取れるしそこまで行かなくとも心は青木に行ってしまっていることを認めたとも取れるし彼に気持ちがあるからこそ彼を庇うために自分を悪者にしているとも取れるし…いずれにしろ、同じ女である八重には兄の妻の座に留めておくわけにはいかないと認識する響きがあったのだろうね。時栄の中には、うらさんへの複雑な思いがあったとのこと。まあ、それは絶対にあるだろうなとは思うけどひじゅにも同じ女として分からないでもないなと思うけど物語的にここで持ち出すのは弱い気がしないでもな…(略ただねうらさんとみねを引き離し時栄と久栄を引き離すことになって覚馬ったら夫としてどーよ?…という結論になってしまいそうで良いのか、それで!?↑言い過ぎ(笑)次回はその徳富蘆花登場だ。何か兄弟揃って厄介な気が…>こらこら☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1276-ae1816f0☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち神戸ワッフル京都の昭和文学八重の桜リカちゃん
2013.11.17
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第44話『襄の遺言』「私はまだ生かされている」by襄何か襄のエピよりも青木栄次郎の登場に気が逸れてしまったんですけど(^^;)徴兵制度改革で、またまた襄の学校はピンチに。資金集めのための渡航中に病に倒れ、襄自身もピンチに。「神が創り給うた世界はこんなに美しいのか」死に直面して神に祈る襄の姿は美しかったのだけど呟くのは日本語なのに祈りは英語なのかと変なところに注目してしまった>ぇ襄の留守を守る八重は女学校での問題に直面。もっと深い勉強がしたいと焦る女生徒達頭ごなしに押さえつける外国人教師達そして、その教師達を代表とするアメリカンボードとの対立。…ってこれらはもう以前から何度か出てきた問題だよね?いつだったか薙刀を持ち出してきて何だかよく分からない精神論を持ち出したのは八重だったよね?あれって、煙に巻いただけのこと?あの場をやり過ごしただけで何の解決もないまま今に至ってるってこと?襄を雇われ校長と見なすアメリカンボード側の考えに象徴される様に根本的なものがズレたままなんだろうけど…だから、そう簡単には解決できないってことなのだろうけど…でも、多少なりとも過去に八重も直接関わっている問題なのだから全く同じパターンの騒動が起きるだけって、どうなの?という気がしてしまった(^^;)八重は喧嘩をふっかけているだけみたいな態度だし勝手に女生徒達に許可を与えちゃったりしてるし八重母が間に入ってくれなかったら襄を嘆かせる結果にしかなっていなかっただろう。鉄砲を手に戦うことに率先していた八重だから仕方ない?何かこのところ目に付いていた八重のキャラの一貫性よりも成長のなさが気になる…という部分がここに集約されたという感じ?↑言い過ぎ?久々に登場した容保様は御宸翰と御製を手に照姫様のお見舞いに。すっかり忘れていたけれども>ぇ初期の頃、この2人の間には特別な絆がある様に描かれていた。そのために、容保様の妻は寂しい思いのまま夭逝してしまった。それなのに…と言うべきかそれだからこそ…と言うべきかその絆は2人を物理的には引き離すものとなってしまった?…ちょっとロマンチックに捉え過ぎ?でもって、いよいよ青木栄次郎。これまた久々に登場の広沢さんなのに彼の繋がりで青木がやって来るという形になるとは…↑ここって史実ではないよね?それにしても青木ったら、今風のイケメン。年の差結婚の上にアレコレ世話も必要で家事も大変であまり楽しみもないんじゃないのかなあ…と思われる女盛りの時栄がフラフラ~っとなっちゃっても仕方ないかなあ…と思っちゃう若さと美しさと優しさと情熱(^^;)予告の雰囲気ではプラトニックなままで不倫とは言い難い状況だけど心が揺れたのは事実なので申し訳ないと身を引く…みたいな綺麗事に描くのかな?って気がしたけど果たして、どうなるでせうか?↑下世話でスミマセンスミマセン☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1267-e933e50d☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち新島襄自伝梅干しとお茶会津戊辰の話
2013.11.10
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第43話『鹿鳴館の華』「文部省はバカです」by捨松今回は捨松をヒロインとしたラブコメ。それに無理クリ八重が絡む(笑)朝ドラといい、今はラブコメが流行してるのかいつの時代もラブコメは人気が高いのかそこんところは好みがあるから置いといて>ぉ捨松が大山に惹かれている様子が表情に滲んでいたのでそこは良かったと思うし腕相撲で負けそうになった大山に思わず声をかけたところはちょっと胸キュン(死語)したりもした。でも、このところ何だか軽~く軽~く話が進んでいてまあ、歴史に疎い私にも分かりやすくなっていて有難い部分もあるけど(笑)でも、ほんのり楽しめたりする程度で感動し難いなあ…>贅沢?帰国した捨松や津田梅子が折角学んできたものを生かせるどころか就職先さえない…という状況。新しい世を謳いながら女性への見方は変わっていない―そこがチラリとはいえ出てきたのは良かったと思う。でも、もう1つの問題彼女達が日本語がイマイチになってしまっている―という点は就職を断る口実になっているだけでオシマイ?教育には言葉は不可欠。だって伝えたり受け取ったりしなければならないのだから。なのに襄の学校に雇ってほしいと頼まれた時は襄は全くその点はスルー。大山が英語で捨松に話しかけたシーンがあったけどもしかして捨松は、そうしたコミュニケーションが出来るという点でまずは惹かれたのかもしれない。だけど、この点が掘り下げられなかったから大山がイケメンで言動もスマートだからポーッとなっただけ…に見えちゃう>言い過ぎ?それとも、これらの幾つかのシーンから脳内補完すべき?それから女性の立場という点でも捨松も結婚の道を選んだわけで昔の女性と同じまま…に見えてしまう。ここのところは結婚後の彼女の活躍を考えて納得すべき?それらよりもドラマ的に重要だったのは、会津と薩摩の確執を超えた縁組っちゅーことだけどここで八重がしゃしゃり出てきてしかも腕相撲で対決って…(^^;)襄と結婚しクリスチャンとなり教育のために奔走という現在の八重のキャラが考慮されてない様な気がしなくもなくも…まあ、会津時代の八重との繋がりというかあの頃の八重のキャラが全てというかドラマ的には仕方のないことなのかなあ…という気もするけど。ただ、先回だったかに「勝負は負けたらつまりません」と言っていた八重が ↑先回も八重の今のキャラについて文句言った私(^^;)「負け戦が嬉しいのは初めてです」と今回は言えたところが良かったかな。とはいえ、これで会津と薩摩の確執もアッサリ解決。「海の向こうでは同じ日本人」確かにそうだし、言葉自体は素敵なんだけどこの一言で簡単に済んじゃうって…いや、揉めてほしいっていうわけじゃないんだけどもうちょい積み重ねとか細やかな心の変化とかあっても良かった…って、やっぱ贅沢?でも、全体的にはホンワカした回ではあった。あ、やっぱ私もラブコメ好きってことか?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1258-4835fe55☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち大山捨松一人で腕相撲ができるハンドグリップ鹿鳴館ゼリー&チョコ
2013.11.03
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第42話『襄と行く会津』「自由は死なんぜよ」by板垣歴史に疎いひじゅには、ここで板垣退助は死ぬのかと思っていたぜよ(^^;)しかも「板垣死すとも自由は死なず」という有名な言葉をそのまま言ったのかと思っていたので「死なんぜよ」は新鮮だった>おバカでスミマセンスミマセンそんな板垣と八重は襄を挟んでミルクセーキ繋がり>ぉ人民の力を育てるために同志社英学校を私立大学にしたいと考える襄。会津を日本全体に当てはめて強い国になるためには人民の力が必要だと答える板垣。こういう形で会津の悲劇が少しでも報われるなら良いことだな。ちゅーことで会津へ伝道旅行―その前に安中に行っているし>家の中だけさらに、その前には信州で徳富と蕎麦食い比べ>台詞だけそして会津―回想シーンに次ぐ回想シーンで総集編の様だった今回。それでも、会津関係がまた出てきたのは良かった。後半は舞台も雰囲気もガラリと変わってしまったので会津時代は遠い遠い夢の中の出来事の様でもあり今でも疼く傷跡の様でもあって、感慨深いものがあった。父親や弟の三郎の顔が映った時はジンとしたしお吉との再会には泣けたし尚之助はとてもとても懐かしい感じがした。吉田寅次郎の思い出が長々出てきた時は小栗旬ファンへのサービス?とか思ってしまったけど>こらこらうらさんとの再会は賛否両論かなあ…実話ではないので、これが必要だったか否かは分からない。あのまま現状は不明…とした方が良かった気もしなくもないしドラマ的には、あったことで盛り上がり&纏まりが付いた気もするし。心情的には、みねに逢えて良かったね!とは思うんだよ。先回みねが父親に恨み事を言ったエピと繋がるしみねが早くに亡くなってしまうことやみねを思わぬ日はなかったはずのうらさんの気持ちを考えると逢えて良かったと。でも、やっぱりなあないという手もあったと思うんだよなあ。その件を手紙で読む母&覚馬の様子に微妙な表情で佇む時栄の姿はこれから彼女の不倫エピを描くための準備か?と思えてしまった(笑)ちょびっと気になったことは―*徳富猪一郎がもう教会には行っていないこと―キリスト教ではなく襄の信者だと言っていて何となくその場は良く収まったかの様だったけど襄はそのキリスト教を広めるため伝道旅行をしているわけだし「はあ?」って気もするんだけど…まあ、そこは置いといて>ぇ彼の今後の活動や思想において、この点が深く関係してくるのかな?疎いひじゅには分からんけども、少しばかり興味が湧いた。*八重の台詞「勝負は負けたらつまりません」―別に何てことのない言葉かもしれない。それに、会津時代の八重には似つかわしい考え方だし。ただ、襄と結婚し、キリスト教の洗礼も受けた今の八重が今だにこういう思想でいるとしたら、ちょっとなあ…って気もする。まあ、そこが八重なんだろうけどね。何か、宗教とか信仰とか改宗とか…それらが真に意味するところとは乖離している人ばかりな気がする。…エラソウにスミマセンスミマセン(^^;)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1250-2ff94519☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆朝ドラ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちミルクセーキ>缶ミルクセーキ>スミレミルクセーキ>アイス
2013.10.27
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第41話『覚馬の娘』「何があっても離れんじゃねえぞ」by覚馬今回は覚馬が中心。国会云々は…まあ、これから世界と関わっていく上で舐められちゃいけない!という感じで進めていかねばならない課題>ぇでも、たまたま京都には覚馬がいたからイキナリ選ばれた議員でも何とかなりそうだったわけだけど他の地方はどうだったんだろう?それを考えると政府側が悪代官っぽく>ぇ煮え切らないというか反対っぽい態度を示しているのも分からないでもない。って、単純に捉え過ぎ?逆に覚馬VS槇村においては「刺し違える」という単純明快なものだったのかおバカひじゅにには分からんかった(^^;)ともかくも覚馬すげー!ということ?メインの話である、みねの結婚に関してもとにかく覚馬すげー!と描きたいって感じだったから(笑)跡取のみねを嫁がせるわけにはいかない!と覚馬が反対したのだったら父VS娘の葛藤が迫ってきたかもしれないけど何とも物分かり良く、最初から賛成モード。最初の方では伊勢の妹も含む女生徒達が「結婚の“け”は穢れの“け”」なんぞと言っていたからみねは新しい時代を生きる女性としての自負と偏見みたいなもので悩むのかな…と思った。そしたら、そのことはあまり関係ないみたいで(笑)母親@うらさんと引き離されたことへの恨み節。まあ、家のためだと無理クリ自分の心を抑えていたのにそのアッサリぶりは何よ!?って感じだったんだろうけど―でもってそうやって怒りをぶつけることで実は父親に甘えていたのだろうって気もするけど―何か、みねばかりが感情的になって騒いでいるだけで覚馬は政治面と同じく、全てを理解していて確固として立派なまま…という風で却って反発心が沸いてきてしまうのだった>私だけ?まあ、上記の台詞からすればうらさんの件で覚馬も後悔や罪悪感を抱いているみたいでそこは良かったけど。そして「どうしても困ったらそん時は大声を出して呼べ」ってところには父親としての愛情も感じられたしね。だから、ここを強調してみねに語りかけるシーンでも入れて父娘の和解を描けば感動的だったかも?でも、宥め役はあくまでも八重なんだよなあ…まあ、そうでもしなければ出番がなくなってしまうけど(笑)このところ、八重を無理クリ活躍させようとしてちょっと不自然なばかりでなく全体的に軽い話になってしまっている気がする>スミマセンスミマセン同志社での演説会は懐かしい思いがしたな。私もあんな風に前に出て話す機会がよくあったのだけど最近は遠ざかってるからなあ…(遠い目☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1243-d2b09e0a☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんちジンジャークッキー槇村正直愛の花束>ベアブーケ
2013.10.22
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第40話『妻のはったり』「Go! Go! Go in peace!」by襄先回、イキナリ分かりやす~い始まり方をしたみね&伊勢時雄の恋。今回、卒業してゆく伊勢に、みねがプレゼントしたのは靴下。…何故に靴下?なんてことは置いといて「目も見えぬ足も立たぬ俺に、まだ働けと言ってくれた」覚馬、第一回府会議員選挙に当選。選挙候補者は高額納税者の25歳以上の男子有権者は高額納税者の20歳以上の男子ちゅーことでじゃあ大体、誰が選ばれるか予想できちゃうんじゃ…とも思うけど立候補制ではないので兄つぁまに注目が行って良きこと哉…とも思う。相変わらずマンガチックに動揺する槇村さんとそんな彼に脅しをかける得意演技の虎様@伊東博文。なんてことも置いといて同志社英学校は今日も大騒動。政府はアメリカンボードからの資金援助=植民地化と懸念しアメリカンボードは援助しているのに本来の目的であるはずの牧師養成が上手く行ってないと問題視。自分が歩むべき道は自分が決めるべきと鷹揚な態度の襄に、外国人教師達は不満を募らせる。襄が掲げるのは全くもって正論なんだけど聖書を教え信仰心を育む学校としてはやっぱ、ちょっと違うんでないの?って気がする。勿論、聖職者になることは強制されるものではないけど。その代わりに明日の日本のために立ち上がる若者達が多く輩出されたということで“学校”としては立派な成果だとも思う。襄の信念はアメリカンボードとは少し違う方向にあった、ということなのかな?まあ、そんなこんなで外国人教師達により上級クラスと下級クラスの合併が決定。ここんとこ、ボンクラひじゅにはよく分からなかったのだが(^^;)つまり宣教師を育てるクラスを作ってその分、今迄あった2つのクラスを1つにして手間やお金を省きましょうってこと?でもって上級=正規入学者下級=途中入学者ということで、当然ながら両者には学力の差がある。今迄、生徒達による騒動は大きく分けて2回あったよね。1回目は熊本バンド2回目は女生徒達どちらも学習内容への不満を訴えるものだった。今回も、彼ら目線から言えば同じ問題。大人の事情なんて関係ない生徒達にしてみれば学習してないのはどっちだよ!?って感じか?そして、有名な「自責の杖」事件。理論ではなく感情に訴えて場を収めちゃったな、って気もするけど>こらこらまあ、あの場に自分がいたら号泣して襄に心酔しちゃうかもしれない(^^;)「信念のためなら断固として戦う強い人になろうと思ったんです」単身、法を犯して渡米した時から学校を建てた今に至るまで充分に“信念の人”だと思うけど「八重さんは私に勇気をくれている」と、あくまでも妻を立てる優しい襄。今回のタイトルは『妻のはったり』だしはったり(ぶっちゃけ嘘)を言ったのは夫への愛情からだけど別に役立ったわけでもなく>寧ろ生徒達の反乱を後押しした様な形になってたし…ドラマとして何の意味が?襄を中心とした物語に無理クリ八重を絡めるため?最終的にヒロインを持ち上げるため?「私を送り出した父の気持ちが分かった気がします」新聞記者になるために中退した徳富猪一郎を見送る襄。今回初登場した襄の両親の心情と絡めたラストの台詞はやはり襄自身の人生や心情から来る言葉で八重のはったりやっぱ関係ねーし>こらこら☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1231-67190b73☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち安中ものがたり新島襄と徳富蘇峰抗菌防臭・吸湿速乾
2013.10.13
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第39話『私たちの子ども』「生きねばなんねえのだし!」by八重いつものことだけど、私は歴史には超疎いので今回の話もどれだけ史実に沿っているのか分からない。だから、あくまでドラマとして観た上での感想デス。先回のラストでは、反乱する女生徒達…だったのに今回は八重VSアリス先生…って感じで対立軸が変わってしまった。レディは寝具を人前に出さないとか言ってたけど西洋は布団は干さんのか?という変な疑問が沸いてしまったじゃないか>ぉ外国人でキリスト教の教えを受けてきたアリス先生と日本人でキリスト教とは寧ろ正反対の教えを受けてきた八重&他であるからには、ぶつかることが多くあってもおかしくはない。だから、そこを掘り下げれば興味深いドラマになるだろうなと思うのにヘンテコな反乱の仕方をする女生徒達と間に入って薙刀の稽古を勧める八重の図ぅ―って…「礼儀を身に着けるには武道が一番です」by八重日本柔道連盟への皮肉か!?>こらこら動き的には面白いのかもしれないけどナンダカナ…と思ってしまったのは私だけ?まあ、八重らしいっちゃーらしいけど…でも、それは以前の八重であってクリスチャンとなり襄の妻となった「鵺」の八重としてはどうなのかなあ…だって、今回のメインは小松リツとのアレコレでしょ?それに結び付かなくなくね?みねにイキナリ&アカラサマな恋フラグ!は、置いといて>置いとくんかいラストでの唐突な洗礼宣言。八重のために何かしたいとか、そういうのは母として姪として気持ち的には充分に分かるのだがそれと信仰とは別問題だろ!?↑こういう感覚が結局のところ、メインの話の根底にも流れていた感じ。かつての八重は会津の汚名、父や弟の死…そうした“被害者”としての思いが戦いの動機としてあった。でも、戦=人と人が殺し合うこと である以上八重もまた“加害者”。それを突き付けるエピだったので重要だし興味深い。まあ、チラリ耳にしたところによるとリアル八重さんは薩摩を毛嫌いしていて薩摩人を学校に迎え入れるのを反対していたとか…それでは八重を正当化できないから逆に生徒の方に偏見を持たせ八重に恨みをぶつけさせる内容にしたのだろう。そんな生徒に対し土下座までする八重の図ぅ―は彼女が真にクリスチャンとして過去を悔い改めているのならまあ、あり得るかなあ…とは思うのだけど…以前は自分が抱いてきた考えと真逆のキリストの教えに疑問を抱いていた八重がどんな風に考えを変えてきたのか信仰心を芽生えさせてきたのかそうした細やかな描写がなかったものなあ…また、八重がそこまで変化しているとすると今度は上記した薙刀のシーンにそぐわない。だって、聖書は剣を鋤に変えよと教えているのだから。もっとも、その後も戦争は世界から絶えず特に二度の世界大戦において敵と味方の両方で聖職者達が兵士や武器を祝福し戦場に送り出していたわけだから八重が帰依した宗教もそんな偽キリスト教の一環だと思えば…って…そんなヒロインのドラマってどーよ!?ってことになってしまいますがな(^^;)それとリツに食事をさせるために自分への復讐を促す言葉をかけるところはこれまた以前の八重なら充分に納得できるんだけどクリスチャンとしては復讐は神に委ねよ、と教えられてるはずだしなあ……なんてことまで言ってしまったらウザいっすか?スミマセンスミマセンまあ、結果として和解したのでメデタシメデタシなんだけど(笑)つまり結末としては良かったんだけど話としては、そこに至るまでが弱かったなあ…って感じ。ああ、何だか今回、辛口になってしまった(^^;)それもこれも、ひじゅにが歴史に疎いからデス>ぉキリスト教が関係しているんだから、もっと襄が前に出てくれれば良いのかも?次回は期待できる?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1223-499b1444☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちウッドストックチャイム>アメージンググレイス同志社女学校史の研究クッキー アソート
2013.10.06
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第38話『西南戦争』「答を探すには学問がいると思うのです」by八重同志社英学校は新しい校舎に移転。先週やたら騒ぎまくってた熊本バンドは今やすっかり襄に懐いて素直で従順。ラストに登場した女学生達が、かつての彼らの様で(笑)歴史は巡る?>ぇ学生の反乱(?)って、こーいうパターンしかないんかい!?と、ちょっと思ってしまった>こらこらそれはともかくも西南戦争。複雑微妙な関係の薩摩とかつて共に戦った元会津藩の人々が関わるのに八重の反応は以前とは明らかに違ってきている。今や自分にとっての戦は学問の分野であり抱く思想はキリスト教のものであるから?「今のこの国は会津人が流した血の上に出来上がっている」by山川「おいが、みな抱いてゆく」by西郷別にそのために戦を起こしたわけじゃないだろうに、西郷…と思ってしまった私は歴史が分かってない?「賊軍として追われた俺達が今は官軍だ」by佐川「会津と手を組んで兄さと戦するこつになっとはな」by大山会津側としては意味のある戦だったのだろうな。そして新政府にとっては会津=旧勢力として滅ぼしたのと同じく薩摩=最後の膿として倒す必要があったということらしい。この関連性や立場の逆転等に八重としては、それこそ複雑微妙な思いを抱きそうなものなのだけど今や、会津人としての誇りは残しつつも過去には拘らず未来に向かっているということなのかな。↑私が変に拘り過ぎ?(^^;)いや、勿論過去に拘らず前向きに進んで行ってほしいしだからこその襄との結婚でありキリスト教への改宗だと思うのだけどそこの過程をもっと細やかに描いてほしいなあ、と思う。それに今回の西南戦争もそうだけど歴史の大きな流れも私の様に歴史に疎い者には理解し難いくらい端折っている上に意味づけが過剰の様な。過剰…とまで言ったら言い過ぎかもしれないけど(^^;)「西郷の撒いた種は君らの学校に芽吹くのかもしれんな」by木戸何か無理クリ八重と結び付けて綺麗に纏めた気がしなくもな…>こらこらそんなわけで、女性の教育にも本腰を入れ始めた襄&八重。まあ、スタート時というのは色々あるもので理想に燃えているのは教師側だけでなく生徒側もそうなわけでそういう部分が冷めきった状態しか知らない私には羨ましい部分も多いな。ところで伊東博文役で加藤虎之助登場で、たいへん嬉しい。ミッチー@木戸は今回で亡くなっちゃったし。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1220-c4cce98f☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち敗者の日本史>西南戦争と西郷隆盛八重さん、お乗りになりますか加藤清正ストラップ
2013.10.03
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第37話『過激な転校生』「あなたが怖い妻で良かった」by襄尚之助の「夫の前を歩く凛々しい妻」という台詞が出てきて以来襄との対比のためだろうな…先進的な襄のことだから尚之助との違いとして「並んで歩いて行く妻」とでもなるのかな…なんて思ってたわけだけど劇的にではなく実にアッサリと、かつ清々しくその言葉が襄から語られた。「隣を共に歩く妻」と。加えて「時に夫を導き前を歩く妻」とも。この扱い方に、後編に入ってからの雰囲気というか作風(?)が象徴されていると言えるかも?明るく爽やかではあるけれど、その分ちょい軽いみたいな(^^;)内容的には好きだけどもね。それにしても様式トイレを説明する襄のポーズがキレがあって良いわ>ぉ今回のメインは熊本バンド。実際に色々揉めたりはしたらしいけど、詳しいことは知らないのでどこまで実話か、どこからフィクションか分からない。単純に観て、腹立つ奴らなので上着を縫ってやる八重や、涙ながらに語る襄「新島鵺でございます」という八重の言葉にスカッとするという面白さはあった。でもさ学力のレベルの差に不満を持つところは分かるんだけど聖書を学び、牧師を目指している人達なのに他人を見下したり教師に反抗したり不平不満ばかりでま~~~ったく聖書に反する行動ばかりしているのがナンダカナ…あれじゃ迫害されたって自業自得じゃん。宗教のせいじゃなくて自分達の人間性のせいじゃん。自分達で自分達の神を貶めてしまってるんじゃん。そんなんじゃ聖書に理解を示してもらえっこないじゃん。聖書、舐めんなよ!↑興奮しないで下さい、ひじゅにさん(^^;)ま、だから襄はそこを突き、信仰心に訴える話をすることができたわけだけど。成績は優秀でもまだ若造の彼らは肝心の部分は未熟ってことなのかもしれないけど。故郷を追われ他に行く所のない熊本バンドの連中は早く世に出て自立していかねばならないとの焦りもあったのだろうしもっと思いやりを持って見つめてやるべきなのだろうけどね。要は「過激」に描こうとし過ぎたドラマ制作者側の算段がイマイチ?>スマソところで八重が「鵺」と渾名されていたってことは聞いていたけどジョークだと思ってた(^^;)西洋の帽子&靴に日本の着物…という八重の格好を頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミ…という鵺の姿に例え親愛の情をこめつつ笑っていたのかと。そしたらマジで嘲っていたわけね…私ったら甘過ぎ(^^;)あ、でもさすがの熊本バンドも、その後は襄に協力して同志社英学校の発展に寄与したと聞くからやがては、本当に親しみを込めた愛称となっていくのかな?愛称とするには可愛くないけど(^^;)ともかくも今回は襄と結婚した八重が色々な面で新しいものに触れていく様子が全編通して描かれていた。ベーコンからベッドから熊本バンドとの関わりも含めて。そういう意味で、ドラマ的には纏まっていたと言えるかも>エラソウで、八重がその新しいものに驚いたり戸惑ったり喜んだり…という可愛いシーンを楽しめるだけでなく八重に元々備わっている資質がそれにふさわしく強く大きい!ってことが、よく分かって頼もしくもあった。ちょっとばかりヒロイン持ち上げ過ぎ…な気も…しなくもなくも…だけど>ぉ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1207-06eb7805☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちイベリコベーコン新今昔物語・鵺熊本バンド
2013.09.22
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第36話『同志の誓い』「いいえ、建前です」by八重襄と婚約したことでキリスト教の問題が浮上。まあ、襄はそれ故に戦っている最中だったわけで八重もその戦いに参加。ここのところは、戊辰戦争で彼女が銃を取ったことと重ねているのかも。「会津の者は大人しく恭順しねえのです」会津人としの誇りを失わない八重の言葉にこの2つの“戦い”が結び付けられていると思う。と同時に容保様を代表として、あまりにも真っ直ぐでそれ故に悲劇に陥ってしまった会津…というイメージがあるので今回の「建前」を上手く使っていたところが面白かった。やはり、真っ直ぐ故に悲しい死に方をしてしまった尚之助ともっと柔軟で、自由なイメージのある襄との対比でもあるのかな。ただ、八重は聖書を学んではいたもののその教えにまだ納得していないというか、理解しきれていない様子が描かれてその後の意識の変化みたいなのは、目に見えてはなかった気がするのでちょっとそこが物足りない気も…結婚したなら夫に合せ夫に従う…というのは当時は特に、当然なことだっただろうけど「私の前を歩く凛々しい妻」と尚之助に言われた八重だから信仰も自分の意志で掴みとる…という風だったら良かった気がする。いや、現実にはそうだった可能性もあるけど>知らんけど「あなたの行く道が私の行く道です。あなたと同じ志を持って生ぎて行きたいのです」ここのところも尚之助と襄との対比でもあるのかな。「前を歩く」から「並んで歩く」への変化?まあ、ここで「志」という言葉が出るのは「同志社」というネーミングに繋がるのだろうけど>ぉいざ、そうと決めたからには確たる信念で突き進むってところは、学校に関して発揮されていたから充分か。「ただ生き方がハンサムなのです」本当はこの前に「彼女は見た目は決して美しくはありません」という文が入るのだけど綾瀬はるかに「美しくありません」とは言い難いからな(^^;)女紅場を辞める時親の言いつけで八重と口をきこうとしなかった生徒が教室から引きずり出される八重に向かって歌い出すところは『金八先生』にも通じる感動シーンなのだろうけど『金八先生』ほど生徒達との交流が描かれていなかったのであんまり盛り上がれなかった>スミマセンスミマセンとはいえ「自分のドリームを」と叫ぶ八重に「Dreamer」と歌いかけるのは良かった。学校に関してあくまでも前向きな襄は素敵だなと思った。ちょいチャラ男っぽいけど>こらこら「建前」を思いつく覚馬はちょいスカッとした>ぉ「西洋の文明を伝えながら、それを作り上げたキリスト教の考えだけは伝えないなんてどだい無理な話だ。今は開かれた世、技術も思想も全て入ってくる。その中がら、我々が自分で選び取るのです。形だげ真似でも、西洋を追い越すごどは出来ません」槇村のオーバーな演技が気に入ってきたところだったので覚馬と袂を分かってしまうのは惜しい気がする>史実ですからこうして同志社英学校がスタート。最初の生徒代表として杉田勇次郎登場。日本最初の心理学者となる元良勇次郎だね。でも、ヤング金田一耕助って感じなんですけど(^^;)そして八重もウェディングドレスで日本最初のプロテスタントの挙式。やはり「美しくありません」とは言えないなあ(笑)立ち姿がキュートだなあ。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1199-a3708da8☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち京梅酒・八重さん>梅の実入りハンサムな女傑の生涯心は何でできているのか>脳科学から心の哲学へ
2013.09.15
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第35話『襄のプロポーズ』「私はまた置いてかれた」by八重尚之助の死を受け入れ、襄との再婚を決意する八重の図ぅ―東京での涙ながらの別れを経ても、納得いかないと憤りを露わにするのは「私の前を行く凛々しい妻」と言いながら猪苗代の時からこっち、尚之助はさっさと歩いて行ってしまい八重は取り残されるがまま…だからだよね。そして遂に、尚之助は亡くなってしまい八重は永遠に置いていかれてしまった。実際のところは闇の中で身動きできない状態の尚之助に対し新しい世の中へと歩んでいくべき八重なのだけどそして確かに歩み始めてもいるのだけどそれでも悲しみや寂しさやどうにもならない思いを怒りの形でぶつけるのは分かる気がする。それにしても、尚之助状況的にああした死しかないだろうな…とは思いつつもやはり、あの様な死を迎えることになって悲しいとしか言い様がない。最後に瞬間まで『会津戦記』を書き記していた―という設定は「何も成せなかった」と嘆いていた先回の答になるし観ているこちらにも大きな救いと見なせるのだけどこれってフィクションらしい…(涙「何ひとつ報いてやれなかった」by覚馬これは容保様が斉藤&時尾の仲人を務めた時の「ようやくひとつ報いることができた」という言葉との対比?容保様は今も皆を思い生きているのだなあ…と感慨深くなるけど覚馬は、うらと時栄の件があってからこっちイメージがイマイチで「報いてやれなかった」んじゃなく「報いようとしなかった」じゃないの?と、ついつい思ってしまっ…スミマセンスミマセン「ゆっくり時をかけた戦死だ」by覚馬これは八重の中で今だ続いていた戦争の終焉を告げるもの?尚之助からの最後のメッセージ?妹を思いやる覚馬からのメッセージ?夫の死の知らせに打ちひしがれている八重の心を襄が救う―時尾から尚之助の気持ちを自分に置き換えることで理解するよう促された八重を斉藤から嫌な思い出しかない所でも懐かしいのだという話を聞いた襄が誘う。行先は三郎が戦死した場所。一瞬、唐突に感じてしまった。襄がイキナリ石やら何やらに耳をすます様子も素っ頓狂な行為に見えてしまった(笑)でも、これって襄のキャラを魅力的にしているよね。先回は靴磨き、今回は台所の手伝い>サンドイッチも作っちゃう当時の日本男児には考えもつかない行動もアメリカナイズされてるっていうより襄自身の飄々とした性格を表している感じで非情に好感。でも、そうした個人的な特質に惹きつけさせるのではなく「亡くなった人は…あなたの傍にいて、あなたを支えてくれます」by襄と、どちらかというとキリスト教的な考えを入れているところに広がりがある。仏教との軋轢で襄の学校設立の件が進まなくなっているその状況ともリンクする。いや、象徴としているのかもしれない。…まあ、私自身も聖書を信じているのだけど聖書は決して霊魂不滅説を教えてはいないんだよね。死=無 でしかない。でも、世のキリスト教会では肉体は死んでも魂が生き残ると教えているらしい。それは仏教でも同じだよね。だから真実はどうかってのは別としてこの場においては、これがキリスト教と仏教の共通の土台。でも、仏教の方は輪廻という教えがあるから亡くなった人がいつまでも傍にいる…という概念は仏教しか知らなかった八重には新鮮な驚きだったかも?そして、それを地面に触れた手を通して実感できたってことで三郎はもとより、尚之助や、父親や…多くの人達の死をようやく静かに受け入れることができた…ってことなのだろう。話はズレるけど輪廻転生に関しては手塚治虫『火の鳥・鳳凰編』に描かれていてとても面白かった。尚之助の怪我を治療した思い出の後で襄の怪我を手当するシーンが入るのも八重の心境の変化が感じられる。椅子に座っていた襄が床にピョコンと飛んで正座したのがカワイイ(笑)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1191-3e7cfec4☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちピクニックバスケット一途に生きた男の生涯コーヒーカップ
2013.09.08
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第34話『帰ってきた男』「悲しいことなんかない方が良いに決まってる」by八重八重の心の傷の深さを想像させる台詞だな…八重が餅を切っていたかと思うと襄はクッキーを例えとして摘み上げる。日本と西洋…食べ物という日常の物で、さり気に表現されてるなと思った。帰国した健次郎の帽子を借りていく二葉。離婚後の様子が気になってもいたし、これは何かの信条表現か?と思ったら質草にするため。何か、ここも、さり気に色々な要素が含まれていて面白かったな。あ、それと先回から八重の履物が靴に変わり環境の変化や英語を学びだしたこと等も含め時代の変化と、新しい物い対する彼女の態度をこれまた、さり気に示しているのだろうな…と思いつつもその心境の変化をハッキリ描いてほしい気もしていたんだけど今回、水たまりをヒョイヒョイと飛び越えていく姿と襄との初めての出逢いが襄が靴磨き中であったこと、八重が着物&靴なのに興味を持ったことに結び付けていて、成程な~と思った(^^)「恨みや憎しみを超えて行く新しい道が見つかる気がした」by覚馬悲しむ者が幸いという聖書の教えが理解できないと言う八重の姿の後で覚馬のこの血を吐く様な告白は身に染みたな。人生がガラリと変わってしまった八重だけれどその辛い経験を生かせるし、そんな辛い経験をしたからこそ掴めるものなのだろう。「東を向いてろと言われたら三年でも東を向いている様な婦人は御免なのです」by襄有名なこの台詞だけど今迄はずっと「八重のことじゃん(笑)」ってことしか思わなかった。おバカな私は今になって思い出したようらさんこそ、この真逆のタイプとして紹介された女性だった。まあ、昔の日本では、そうしたタイプこそが望まれていたわけだけど。その、うらさんは退場し時栄は彼女よりは幾分アクティブなのかなと思えるエピはあったものの全体的に見れば、まだまだ昔風の、ひたすら夫に仕える妻。八重の様な女性が少数派だった時代に八重の様な女性を理想とする襄が目の前に現れるなんてこれぞ運命的な出逢い?その“運命的”な部分を強調するためか、もう随分と昔佐久間象山の塾で襄と出逢っていることを覚馬は思い出す。…ここは別になくても良かったかなあ。前半は出番のない襄だから、実は子供時代に…というエピを入れるのは同じ脚本家の『ゲゲゲの女房』でもあったっけね。でも、あちらは、片方は忘れ果てているし、片方もハッキリとは分からないままで曖昧に終わってしまったところが却って良かったと思ってたんだよな。…って、襄&覚馬のこのエピが史実だったらスミマセンスミマセン!「人に守ってもらう様なおなごでねえ」by八重井戸の上の板に座る八重と、慌てて助けようとする襄という、まるで少女マンガか韓ドラかってな感じのラブコメ的シーンが入るけどこれって史実だってところが何か素敵だよね(笑)で、この八重の台詞。八重こそがまさに襄の理想とするところの女性であることを一瞬にして知らしめるエピであるわけだけれども同時に、尚之助が言っていた「私の前を歩く凛々しい妻」という言葉も思い出した。確かに八重は守られるどころか颯爽と前を歩いて行く女性。尚之助はそれを許し>昔の男性のほとんどは良しとはしなかっただろうからね尚且つ見守ってくれていたのだと思う。それもまた一つの理想の形。でも、もしかしたら襄は八重に自由に進ませてくれるだけでなく自分も隣にならんで進んで行く人なのかもしれないね。話は全然違うんだけど井戸のシーンで襄&八重の姿を井戸の底から水を通して映したかの様なショットがあったよね。キム・ギドク監督の『悪い女-青い門-』の1シーンを思い出してしまった。あれは井戸ではないし、女性同士の2ショットだったんだけどさ。同監督の作品@『悲夢』にオダジョーが出演しているからかな(笑)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1183-796c85e5☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち豆餅手作りクッキージェームズ・ロック
2013.09.01
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第33話『尚之助との再会』「More&More!」by八重覚馬に強く勧められ渋々という感じで女紅場に行くことになった八重だけど今では誰よりも生き生きと学び&働いている様子。これからは女性も学び、自分の「ドリーム」に向かって歩んでいく時代。経費の問題で槇村に談判に行くところも「長州のキャッスル」というところも八重らしい。槇村のキャラもカリカチュアライズされているのでここのあたりは楽しく観ることができた。結果、八重の希望は叶えられたわけだし。この槇村を巡って石鹸だの牛鍋だのが登場したのも時代や彼の立場等が伺えて面白かった。また、この経費の件に関して社会的立場が開けつつあったにしても暮らしはまだまだ辛い人々が多いことや会津を踏み石にした新政府だけど内部は分裂していることや特に征韓論で揺れていること…等色々と深刻な情勢が浮かび上がってくる。ちゅーても歴史にも社会にも疎い私なのでここのところは置いといて>ダメじゃん今回のメインは、やはり八重と尚之助との再会。イキナリ離縁状が送られてきてあのままでは八重も尚之助も気の毒だなあ…と思っていたのでフィクションなのかもしれないけど2人が再び話し合える機会があって良かった。「結局、私は何も成せなかった」この台詞は切なかったな。藩のために一人で責任を負い、八重のために離縁を決意し結局、前に出るのではなく身を引く人生を選ぶことになってしまった尚之助。逆を言えば、自分が引くことで相手を前に押し出したというか前進できるよう背中を押す役割を果たしてくれた人…と言えるかも?「私の前を歩く凛々しい妻です」尚之助は子供達に学問を教える仕事を細々とながらもしていることがそのことを象徴している…とも言えるかも。八重は今、教えることと自分も学ぶことで前に進んでいるから。「前を歩いて京都でずっと待っているから」そう言って帰って行く八重。尚之助は結局、判決を待たずして病死してしまったと聞くけど(今回も咳をしていたよね)この時から何年も経たない頃なんだろうね。そう思うと、八重のこの言葉も悲しく響く。八重と尚之助が学問で重ねられている様に新島襄も学問で八重と同じ方向を見ていることが度々示されている。次回は帰国した彼が、いよいよ八重との出逢いを果たすわけで楽しみではあるんだけど、心配は2つ。一つは襄は日本の現状を悲しみ、日本人の明日のために教育を施したい―と考えている様子だけどそれを聞かされるアメリカの人々には、さほど興味の湧かないことなんじゃないのかなあ…日本人に対して期待していることはキリスト教の布教という面じゃないの?もう一つは尚之助との涙のシーンの直後に登場させたんじゃ襄の分が悪い気がするんだけど…(^^;)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1172-63f8cb55☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち辛口絵本キティちゃんミニチュア
2013.08.25
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第32話『兄の見取り図』「学ばねば勝てねえな」by八重 覚馬の家で迎えた最初の朝。慌てて飛び起きれば着替えは枕元に綺麗に用意されているし台所に行けば朝食は出来上がっているしせめて兄つぁまの支度を手伝おうとすれば既に終わっているというしこここれは気まずい…女としてはメチャ気まずいシチュエーション(^^;)それだけ時栄が出来る女だってことなんだろうけど。初登場時、咄嗟に銃を構えたりして好感度大だったものの覚馬が牢にいる間もなかなかの献身ぶりではあったもののやはり、うらの悲しい別れシーンが挟まれた後なのでどうしても素直な目で見つめることができない。だから、彼女自身は良い人なんだよ!ってことを強調しているのかとも思うけどあんまり完璧っぽく描かれると余計に反発心が湧いてきたりして>こらこらみねちゃんに対しても一番複雑な思いを抱く相手である時栄に全て任せる覚馬はデリカシーなさ過ぎ!という気もしちゃったけど…まあ、実際は、それだけ時栄に信頼を置いているということなんだろうし実際、それが功を奏したしさすが覚馬!ってことなのかなあ…みねちゃんのために、こづゆを作ったり泣く彼女を抱きしめて謝ってくれたり ↑覚馬は謝ってないもんなあ 悪いことなどしていないから、ってことなんだろうけど でも、仕方ないこととはいえ結果的にずっと放っておいたわけだし 今迄は母親に丸投げで今度は父親に…と片方とだけしか一緒にいられない みねちゃんの心情を思って親として謝罪の言葉を出しても良い様な気もする確かに時栄は良い人>少なくとも、この時点ではそんな時栄に心を開く、みねちゃんの図ぅ―というのもドラマ的には纏まりが付くし感動どころなんだろう。あまりにも簡単に治まり過ぎて拍子抜けな気がしなくもなくも…だって母親とは死別したわけじゃないしその後に入って来た継母ってわけじゃないしつーか、単純に時栄の存在が母親との離別を引き起こしたわけだし…なんて思ってしま合う私はヒネクレモノ?(笑)そんな事態に自分なりの正義感で割って入ろうとしたり戦争のPTSDに悩まされていたり長州や薩摩の連中に憎悪を露わにしたり…真っ直ぐだけど、その分単純な(?)八重に覚馬が勧めるのは学問。勧めるっていうか強制だけどね(^^;)勿論、妹への信頼と期待の表れだろうけどね。時栄には時栄ならではの八重には八重ならではの資質と役割を考えてのことと言うとカッコイイけど見方によっては女性に教育を…と新しい考えを持つ覚馬でさえ昔ながらの男の視点は捨てきれてないって感じだよな。時栄や、うらに関しては。でも、これからの女性は…という全般的な見方と今迄の女性らしからぬタイプの八重には新しい思想を託したいという思いがあるのだろう。「知恵が知識が一番の武器になることを、にしほど身を持って知る女はいねえ」この言葉は実に良いと思った。「会津を捨石にして作ったこの国は間違っている」会津に敵対することで同じ側に立っていた岩倉と木戸とか薩摩と長州とか根本では相容れない感じだし確かに文明という点で一歩進んだことにはなるけどそこから続く現代の日本の有様は決して褒められたものではないし所詮、人間による人間の政府なんて完璧なわけはない。…と歴史にも疎く社会性も豊とは言えない私が言っても何の説得力もない(笑)「あなたの前には薩摩も長州も関わりのない広くて豊かな世界が広がっているんですよ」学問によって道を開き世界を広くする―という考え方は素晴らしいと思う。八重と同じく、戦争の痛手、会津への愛情の故に苦しんでいる捨松にこう勧める新島襄。まだ出逢ってもいない八重と襄が既に同じ方向へ顔を向けている。このシーンはそんな2人が>捨松には悪いけれども(笑)物理的距離をも超えて語り合っているかの様に見えた。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1160-2470d359☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち七五三太(しめた)>大吟醸純米大山捨松こづゆ>お料理セット
2013.08.18
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第31話『離縁のわけ』「赤い櫛が似合っていた頃の私を覚えていてもらいてえ」byうら八重のもとに離縁状が届く。梶原も二葉に離縁を言い渡しうらは自ら身を引く。それぞれの別れと、それぞれの事情。八重自身は真相を知らないままだけど事件に巻き込まれた尚之助は八重を巻き込まないために別れを決意。藩を守るために一身に責任を負った彼だから。以前にも、猪苗代に同行しようとする八重を阻止した彼だから。八重も結婚を承諾した理由の中に尚之助を会津藩士にして思う様に活動させてやりたい…という気持ちがあったわけだしお互いを思いやるが故に分かれるという結果になってしまったことが何とも切ないなあ。でも、その先に新島襄との再婚が待っていると思うと悲しくない>こらこら梶原は戦争のアレコレがあって戦後のアレコレもあって斗南藩のアレコレも続いて…さすがに気力をなくしてしまったのかなあ…と思う。思うけれども…二葉がしっかりした完璧妻タイプだから重くなったのかなぁ…という疑いも(^^;)子供もいるのに許せんなあ…と、女の立場としては思う。その子供が戦乱の中、行方不明になった時さすがの二葉だって落ち込んでいたのにそれでも、個人のことに構っていられる場合ではないと気丈に振る舞っていたのにつまり、強い態度の裏側には脆い女の素顔があるのに…と思う。うらの場合は、もっと辛い。長い間、帰りを待ち続けて死んだと知らされて絶望して無事だとの突然の報告に喜ぶも愛人がいて、その間に子まで成したと聞かされる。逢ってから話すということなので夫が抱えている問題が何なのかも分からないまま子供を手放し、一人去る決意をする。何だか悲し過ぎ。まあ、当時は、愛人を囲うなんてよくあることだったのだとは思う。身の回りの世話をする女性を入れるなんてことも当たり前で身近にいるのだから手を付けるのも当たり前?つーか、そういう意味も「世話」の中には入っている?まあ、覚馬がどれだけ苦労をしてきたか視聴者もよく分かっているし時栄が健気にも力強く、覚馬に尽くしてくれてたのも知ってるし2人の間に特別な絆が生まれるのも無理はない、っちゅーか当たり前ではあるけどね(^^;)でも、憤る八重の気持ちに共感してしまう。それに…時栄の顛末も聞いているからなあ…それでも身内であるだけに覚馬との再会を喜ぶ佐久&八重。特に佐久にとっては我が子だしなあ。夫も次男も亡くした後だしなあやはり死んだと思っていたのが生きていると分かったんだものなあ…しかも失明して歩くのも大変な状態なのを目の前にして怒りも何も吹き飛んでしまったかも。そんな2人の様子を冷めた目で見る、みねちゃんが悲しい。みねちゃんは父親の顔を知らないままだよね…母親と引き離され知らない女性と一緒にいる知らない父親と暮らすことになる。時栄や、その子供との関係が辛いものとならなければ良いけど…それにしても覚馬ったら、うらが何処にいるのか聞きもしないの?―という風に今回も女性の立場から色々と描かれていた。みねちゃんも含めてね。あ、それから時尾は斉藤とすっかり打ち解けてるって感じ。その様子が、ユキ視点で描かれていたのが面白かった。「皆生きることが辛くて恨みぶつける相手さ探してんだ」by時尾祖母これは胸に刺さる言葉だった。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1152-7d48cc7f☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち赤い櫛川崎尚之助と八重八重の思い>桜うどん
2013.08.11
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第30話『再起への道』「わしは生きる」by頼母戦争は終わり、明治の世に―それが戦い合ったどちらかの側の視点からではなく遠い異国の地でクリスチャンとなっている新島襄の視点でまずは示されたのが面白いと思った。先回も思ったけれども鉄砲への情熱と才能を持ち容保様への忠義を誓い会津への愛と誇りを胸に生きてきた八重の人生は戦争で花開いた…と言える。皮肉なことだけれど。そして敗北し多くの人々を亡くし今は米沢藩の知人の家に身を寄せ夫とも遠く離れ反物の行商をして今迄とは全く違う日々を生きている。そしてこれから、新しい生き方を模索しなければならない。そんな八重が、やがて出逢うのが新島襄で彼は今迄の八重が見聞きしてきた世界を大きく超えた所に立っている人なのでこの結び付きはとても興味深いと思う。まあ、その前に戦争の後始末。家老の萱野権兵衛が責任を老い切腹。田中土佐と神保内蔵助は既に亡くなっているし頼母は城を出されているので彼が1人で背負うことになったんだよね?もしも頼母がいたら、彼は死なずに済んだのかな?そう思うと上↑に挙げた頼母の台詞に、さらに重みが加わるな。復讐を促す様な萱野の最後の言葉はちょっとそぐわない気もしたけどまあ、まだ古い武士の考えが残っていたということでそれと共に去って行ったということでスルーしておこう>ぇいや、実際のところ容保様を生かすために会津の魂を生かすために…ってことだよね?「今は生き抜くことが戦だ」by八重萱野や他の人々の犠牲の上に生き残った者は生きなければならない。生きることが使命。例え屈辱にまみれても。勿論、男性だけでなく女性達も。だから、千代さんの登場は象徴的。八重は、施しとして差し出された蕪を受け取ることはできたけど会津の悪口には思わず手を出してしまう。それは、観ていてちょっとスカッとするところではあるんだけど(笑)それは未来を見越した行動とは言えず、まだ覚悟が足りないということになる。「皆さまのためにも生きなはんしょ」by艶未来という意味では健次郎。彼はアメリカ留学も果たし、日本人初の物理学教授になり40代で東京帝国大学総長となったとか…未来を切り開くために教育を重んじたというところが素晴らしいと思う。ということで、皆が生きるために懸命になっている時覚馬あんつぁまも無事で良かったんだけどうらさん気の毒だなあ…☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1146-9fb4755e☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんちこづゆ新島襄椿
2013.08.06
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第29話『鶴ヶ城開城』「綺麗に渡さねば会津の女子の恥だ」by二葉明け渡す前に城を丁寧に掃除する女性達―このところ考えざるを得なかった>私だけ?「女性」という立場について、生き方についてまさに象徴的なエピだと思う。清められた城を土足で穢す新政府軍―これもまた象徴的。誇り高く凛として生きてきた会津は外から入ってきた穢れにより理不尽に踏みにじられてしまった。でも、部分的には破壊されても全体として美しい姿を保ったままの城の様に会津の芯の部分は決して揺るがない…ということなのかもね。ついでに言うと自分達の足跡に気付く板垣の図ぅ―で敵は敵の信念で前進してきたものの自分達がしてしまったことを振り返る理性もあり情もある…ということを示しているのかも?まあ、下っ端の人達はやたら下卑た描き方をされてたけど(^^;)これもまた象徴?「降参」の白旗を用意したのも女性達でその文字を書いたのが照姫様というのも感慨深いものがあったな。「生きよ!」自分の命を差し出そうとする容保様に「生きて下せえまし!」と諭す八重>「諭す」は表現オカシイかな?そもそも、あの場に女性である八重がいるということ自体実際には有り得ないことじゃないのかなあ…と思われるのでここは、都合の良いフィクションだと思うけれども>史実だったらスミマセンスミマセン内容的には重要で、鍵となるシーンだったな。容保様は皆を助けるために自分の命を犠牲にしようとしたわけだけれどその通りにしてしまったら、会津=逆賊のまま。逆賊として成敗されてオシマイという形が残るだけだったかも?皆にとって、会津の汚名をそそぎ誇りを取り戻すことこそ命よりも重要なことだったハズ。そのために、容保様は生きなければならない。容保@綾野剛さんの熱演が光っていたな。もう全身で気持ちを表現していたよね。これまで、主役は八重一人ではなく容保様と覚馬にも重きを置かれていた。八重と覚馬は、ある意味“表裏一体”の人物と言えると思うので実質的に八重と容保様のW主役。だから戦争というドラマ中盤の山場が終了しようとしているところで八重と容保様が相対するというのは興味深い展開だなと思った。あすの夜は 何国の誰かながむらむ なれにし御城に残す月かげ辞世の句を城の一角に刻んで男性陣と共に猪苗代に行くことを決意する八重。確かに男として戦ってきたわけだけど実際にこんなことが出来るとは思えないんだけど…これも史実だったりしたらスミマセンスミマセン(^^;)それを阻止したのが尚之助というのも夫婦の絆があるからこそ…と思えるので感動的。結局のところ戦後すぐ、八重は離婚したらしいしその後、尚之助がどこでどう生きたのかハッキリ分かっていないと聞いた。(その後、分かったのかもしれないけど?)そこのところを、今回のこの言動を鍵として描こうとしているのかも?かなり切ない描き方だなと思う。鉄砲を学ぶことに情熱を傾けてきた八重容保様に忠節を尽くそうと頑張っていた八重弟@三郎の仇討の件も含めて今迄の目標とか生きがいとかがこの戦争によりピークを迎えたというか、成就してしまったって感じでそこに、弟や父や友を失った痛み夫をも失ってしまう痛みが加わって戦後の八重は一旦は抜け殻状態になっちゃうのかも?そこを埋めるのが新島襄であり、信仰ということになるのかな?これもまた興味深い。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1137-381b8514☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち銘菓>あいづ桜のれん>鶴ヶ城の桜胎響>綾野剛写真集
2013.07.28
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第28話『自慢の娘』「女も子供も皆、我が家臣」by容保城を出ることになった頼母。表向きは追放だけど真意は逆だろう、逆であってほしいと思っていたら容保様の「頼母、生きよ」という台詞があってホッとした。聞くところによれば平馬により暗殺者が差し向けられたとか平馬ではなく容保様だったとか何だか悲しい話だから。もっとも、その暗殺者達は敢えて頼母達の後を追わなかったということだけど。「恭順を唱えることの方が寧ろ勇気がいんだ」頼母を八重もまた責めてしまったのは戦うことをこそ正義であり勇気であると信じ実行しているのだから無理もないんだけどそこを秋月が嗜めたところが良かったな。頼母の真意と立ち位置とが視聴者にもハッキリと伝わったし。先回、空気読め!なんて言っちゃってゴメンよ秋月>ぉこうして頼母は城から去り竹子家族は城に入ってくる。彼岸獅子に拍手を贈ったばかりなのに簡単に出入りできちゃったら彼岸獅子の立場は?>こらこら先回、竹子達の娘子隊エピを中心に感じたのは女性である故の悲しさや強さ。それを受ける様に今回は八重の「火消」を象徴として女性や子供にも出来ることが強調された。敵が撃ちこんできた銃弾を子供達が拾い、女性達がリサイクル。乏しくなってきた食糧も女性達が工夫する。玄米のまま握り飯にし>熱さに耐えて零れ落ちた粒を自分達の食事に回す。容保の上記の台詞と共に悲惨な状況の中で少し気分の良いシーンだった。といっても別にフェミニズムとかジェンダーフリーとかを声高に叫ぼうってのじゃないよ(笑)男尊女卑のイメージが強い昔にあって女性を主人公にした物語するからにはやはり、そうした要素を無視することはできないだろうし私自身も女だから、そうした要素に目が行ってしまう。まして武士としての誇りや筋というものを殊更重視している感のある会津において女には許されていなかった鉄砲に興味を持つ八重の物語だからそして父親が八重を褒めたことがなかったと、シミジミ語るところも「女性」故のアレコレが浮かび上がってきて感慨深かったし。で、興味深かったのは、八重は鉄砲そのものに惹かれただけでなく容保に幼い頃の恩を返したいという思いがあった、という点。子供編で感動したのもここだったな。武士を男性だけの枠に狭めず、子供の八重を武士と認めてくれた容保様幼心にも武士の魂を持ち、容保様への忠信を誓う八重というところに。でも、何がどうであれ戦争というものに変わりはなく無残な死が続く。先回、やっと夫@大蔵と再会し皆の前でハグされるという時代にそぐわない愛情表現をされ今回、皆の前で冷やかされるという今迄にない目立ち方でフラグ立ちまくりだった登勢は勇敢に「火消」をするも失敗し瀕死の重傷を負うことに…ああ、もう、こういうシーンは辛くって(――;)男性陣も負けじと終盤は官兵衛に見せ場。歌舞伎なんてマトモに観たことがない不調法ひじゅにはドラマ『セクシーボイスアンドロボ』で初めて演技する中村獅童を観て「この人、凄いかも」と思ったのだった。ドラマもさほど観ている方ではないのでもう随分前の作品である『セクロボ』を思い出しながら今日のシーンを観てちょっとジーンとしたりなんかしていたんだけどそのジーンが、寝過ごすという失態に繋がってしまうなんて何ということだー!?と、ちょっと驚愕。どこを取ってもタイミング悪い会津だな…(^^;)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1129-3ef8fe46☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち八重たんストラップ鉄砲玉>飴セクロボDVD-BOX
2013.07.21
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第27話『包囲網を突破せよ』「お城に帰ったら八重様に鉄砲を教えてもらいましょう」 by竹子初登場時、鉄砲には否定的な見方をしていた竹子。八重に鉄砲を見せてもらうシーンが後にあり友情により心に柔軟性や優しさが出てきたことの表れと思われた。そして今回は上記の台詞。実戦においては「もののふの心」だけでなく新しい武器も必要だと思い知ったのかもはや自分達に後はないと悟っていることの印なのか国のためまだまだ力を得て行こうとの前向きの精神なのか…いや、多分、向上心なんだろうけどでも、実際に彼女らにアッサリと終わりが訪れてしまうのが分かっているのでこの三番目の台詞は切ないものがあったな。女である故に最初は戦いに加わることを許可してもらえず「女だから生け捕れ」と敵兵達からはアカラサマに言われ八重と対称的に女の装束で戦うところもちょっと切なかった。実際には男の格好をしたとか聞いた記憶だけどもここはドラマとしての強調なんだろうな。で、敵の刀にではなく、まさしく鉄砲に撃たれ亡くなってしまう竹子。実に切ない(;_;)…といいつつ描写はアッサリして綺麗過ぎる気もするけれども>首も斬らなかったしそこは、お茶の間への配慮?いや、女性である竹子達への配慮か。竹子から雪のシーンへと繋がり、他の人達については語られないのも配慮なのかもね。勇敢に戦い、捉えられ、覚悟の死を遂げる姿は男女関係ないのに“誰か”ではなく“誰の妻”という点が強調されたのも女ならでは。八重が女である故に最初は鉄砲を習うことを許可してもらえなかったこと女である故に出陣できなかったこと今は男顔負けに戦っているけれど、弟の名前を名乗り、髪も斬り落としたこと…そうした「女」であることの壁と、それを乗り越える強さみたいなのが変奏曲の様に流れている…って感じ?でも、そんな「女」達の先頭を切っている八重が遠くからは的確かつ容赦なく引き金を引いているのに敵をすぐ目の前にして一瞬躊躇ってしまい幼き日に聞いた父の教えを思い出すところはなかなか興味深かった。それにしても黒河内先生ったら先回はユキ達を、今回は八重を助けてくれてカッコイイけど神出鬼没過ぎ(笑)カッコイイといえば、今回はやはり彼岸獅子を先頭に入城してきた大蔵達の隊。凄い発想だよね。粋だし。ただ、非戦闘員@彼岸獅子達が城に閉じ込められた形では色んな意味でマズくね?と思って検索してみたら、全員無事に村に帰ることができたそうだ。良かった良かった。その中に八重が助けた男の子が…ってのはデキスギな気もするけど、ヒロインを絡めるための工夫と言える(笑)でも、今回一番心を動かされたのは頼母のシーンだな。亡くなった人々の無念が肩にかかっているから自分は死ねない会津を守らねばならない…そう語る頼母に思わず涙。そんな彼が主張するのは恭順。今この状況で、それが可能なのかどうかボンクラひじゅには知らんけども無駄な死を増やし、会津が滅びてしまうよりも形振り構わず会津を残すことを考えよう…ということだよね?戦死だけでなく、自刃を選ぶ人が大勢出てきた中なのでこうした主張はハッとするものがあるな。勿論、死を免れようとの弱さから来るものではなく寧ろ、それを実現するためなら進んで自分の命を差し出すつもりだろうし。そんな頼母に越後海道へ行けと命じる容保様。多分これは皆から浮いてる頼母を守りたいとの気持ちからだよね?修理をこっそり逃がそうとした容保様だもの。でも、頼母にとっては何よりも辛い仕打ち。秋月がやって来た時はうわ、空気読め!と思っちゃったけど>こらこらそんな秋月に縋る様な頼母の表情にまた心痛んだ。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1127-a6e654aa☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち竹子ストラップ修理さま、雪は彼岸獅子ストラップ
2013.07.19
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第26話『八重、決戦のとき』「死ぬのは一人たりとも敵を倒してからになさいませ」 by竹子あ~戦争は嫌だ!戦争だけは…と、ロック@『火の鳥・未来編』(手塚治虫)の如く叫びたくなった(^^;)入城を急かされる人々。これもまた、いつもの如く遅かったので>ぉ間に合わなかった者も多かった様子。そして入城できた者もできなかった者もそれぞれ大きな選択が迫られる。城の中から戦う八重。城の外で戦おうとする竹子。↑この2人はやはり(この戦においては)表裏一体に描いているみたいだね。他の人が全て自刀を選ぶとしてもこの2人だけは最後の最後まで戦い続けるだろう。城の中で自ら死を選ぶ西郷家の人々。城の外を逃げる日向家の人々。↑死を選ぶ人々と生き延びようと頑張る人々「これから何するんですか?」西郷家の自刃シーンで、まだ幼い娘が無邪気に尋ねるところまあ、悲劇性を盛り上げるためによくある手かもしれないけど同じく手塚治虫の『MW』の中に一家心中のシーンがあって手塚は変に感傷的に盛り上げることをせず残酷なものもサラリと描いちゃう人なのでこれもまた、チラリ程度に出てくるだけの小さなエピなんだけど「天使になれるかもしれないぞ」死ぬ前の幼い兄が妹に言うところがあって、ここは物凄く胸が痛かった。それを思い出させる西郷家のシーンだったな。↑だから何?って感じだけど(笑)重なるものを感じると感動も深まるので。それがないと、何ていうか綺麗過ぎる描写の様な気もしたもので(^^;)少し上の娘が死にきれず侵入してきた板垣退助に介錯を頼むシーンは(実際には板垣サンじゃなかったらしいけど)二本松少年隊の時もそうだった様に敵側も“悪”ではなく情を持つ“人間”であることを強調?同じく起こる悲劇のもう一つは白虎隊。竹子さんの台詞の通り、一人でも敵を倒して散る…という覚悟を皆が持っていたと思うのに実際には事前に自刃してしまう人が続々出てくるのは、どうなのかな…と思ってしまう。勿論、西郷家の場合は幼子や年寄りばかりで戦う力もなく足手まといになるのを避けて誇り高く死を選んだのだろうけど。加えて、頼母の立場が微妙なのを、ああした形で立て直すことも考えたのかな?それは穿ち過ぎ?で、白虎隊の方は実践経験のない若者達ばかりで大人達がいない状況で恐らくは寒さや空腹感で心も弱っていたのかもしれない中いわゆる集団心理みたいなものもあってああいう結論になってしまったのかな…と思う。悌次郎の最後の描かれ方は、まさにそんな様子だよね。何かもう本当に、上層部のやり方が裏目裏目に出てしまうというか決断が遅いというか↑多分、後者>ぉでもって、それが土佐と内蔵助の最後のシーンに繋がる。もっと早くに切腹しておけば…と今迄の狂いに狂い続けた決断を悔いるところは良かった。良かったっていうか…悔しいことなんだけどね…でも、認めたのは良かった。白虎隊や西郷家や…諸々の人達のために、せめてもの…という気がした。まあ、今更遅すぎるという見方もあるけど(^^;)「徳川のためでも幕府のためでもなく会津の戦をしたのだ」「生まれ変わる時はまた会津で」という台詞にはジンとした。そういう状況の中で女のくせにと尚も言われ続けながら果敢に戦う八重はカッコイイ。腕前は勿論、指揮の取り方も素晴らしい。「中は年寄りと子供ばっかりのはず」という敵側の台詞にニヤリとできたし。そして、女を捨てて髪を切る八重。時尾に涙ながらに切ってもらう、というところがまたまたカッコイイ。もう、悲惨なエピばかりなのでここのところだけスカッとさせてくれ。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1122-c75a0f32☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち白虎隊カメラが撮らえた会津戊辰戦争中野姉妹大吟醸
2013.07.15
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第25話『白虎隊出陣』「惚れたのは愚かなほどに真っ直ぐな会津という国です」by斉藤いよいよ戦火は八重の下へ。竹子達は薙刀隊を結成。昔の女性達って守ってもらうばかりの立場で積極的に戦いに加わることはないというイメージがあったのだけれどそうじゃないところが逞しいというか好感持てる。持てるけれども実際問題薙刀でどうなるものではないことは既に明らか。鉄砲同士だって型の古いものはもはや大して役には立たないのに。「薙刀ではねえ、お城を守れんのは」さすがに、そこはしっかり理解している八重。何せ夫@尚之助は早い内から情勢を読んでいたからな。竹子と八重は薙刀でライバル同士だったわけだけれどここで先を読む力の差が出たと言うべき?そこまでは酷?父親と夫の出陣祝い。三献の儀栗=「勝って」豆=「まめで」胡桃=「来る身を待つ」ここで、しゃしゃり出ないわけにはいかないのが八重>こらこらまあ、鉄砲の腕前からして性別に拘る理由はないし子供まで駆り出さねばならない状況で性別に拘る必要もない。ここで一蹴されてしまったのは、今やたった一人残った実子だから…という親心の部分が大きいのだろう。その前に、幼い頃の八重が描いた絵を懐に入れていた父親だから。。でも、少年達による白虎隊は堂々出陣。先回の二本松少年隊よりは少し年上だけれどでも、まだまだ幼い。おしくらまんじゅうをするシーンは二本松少年隊が刀を抜き合ってワイワイやってたシーンに重なる。そういえば、もう随分と前の話だけれど友人が会津の方に旅行に行った時、お土産に白虎隊の絵皿を買って来てくれたっけなあ。しばらくはガラス戸棚に飾っておいたんだけど…その後どうしたっけ?―と、自分の薄情ぶりを改めて振り返っている間に>ぇ女子供達に登城の知らせがありお吉&徳造との人情のやり取り。現代の戦争と違い、田舎の方なら戦禍に巻き込まれずに済んだのだろうな。戦後、生き延びた人達は田舎の人達に助けられることになるのかな?中には簡単に国を裏切った人もいたんだろうな。―なんて言っている間に、三郎の軍服をアレンジして身に纏う八重。軍服の袖を破り取って二の腕を出したり何となしファンタジー系アニメかゲームの“戦う女性”キャラっぽい(笑)南天の刺繍を施した袖を取ってしまうのはその南天に勇気を奮い起こして散っていった三郎を思いもはやそうしたものへの信仰心は捨てたということをも表すのかな?後に新島襄と再婚し、キリスト教の洗礼を受けることになるわけだからこのエピは何気に重要かも?「今から私が三郎だ」男装し亡くなった兄弟の名を名乗り男社会へと出て行くというところ、手塚治虫の『虹のプレリュード』を思い出す。まあ、あれは文字通りの武器による戦いではなく芸術(音楽)で抵抗し、はかなく散って行くんだけどね(^^;)「逆賊の汚名を着せて会津を滅ぼしに来る者達を私は許さねぇ」ここはちょっとホロっとしてしまった。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1112-8f1cdf7d☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんちおしくらまんじゅうバスソルト会津壱百年おはぎセット赤べこ白虎隊>根付
2013.07.05
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第24話『二本松少年隊の悲劇』「破れても…滅んでも…残るものはある」by覚馬先回、松陰の言葉を思い出し自分にもできることはあると、光を失った両目に光を湛えていた覚馬。それは『管見』を執筆することだった。牢番に邪魔され何度も破られそれでも遂に書き上げた時思わぬ牢番の温情により時栄に託すことができた…という部分はまあ、ベタなんだけど、心揺さぶられちゃうよね。で、その内容なんだけど例によって歴史に疎い私なので検索してみたところ三権分立、二院による議会政治学校建設、女子教育西洋暦の採用富国強兵…等が説かれていたそうですげー!新しい!管見(視野の狭い考え方)どころか、しっかり先を見通している。勿論、新政府側が既にこうした考えを持って準備中だったら「ふっ、今更」と岩倉に冷笑されちゃうところだったんだろうけど春嶽に「歪んでる」と言われちゃってるくらいだからな。春嶽の皮肉にいちいち憤慨する桂(今は木戸か)なんて何か、もしかして…小物?とか思えちゃったし>ぇ彼も岩倉もそもそも会津を人身御供にして、ほくそ笑んでる程度だし>ぉつーか、この『管見』を際立たせるためのこの岩倉&木戸VS春嶽のシーン?後半はタイトル通り二本松少年隊の悲劇―先回、予告を観ただけで泣けて今回、少年達が刀を抜き合っているシーンでも、また涙(^^;)生き残った少年の一人が記した回想録によると出兵する前の皆の様子はまるで修学旅行に行く前の様だった、とか。この刀のシーンの彼らは確かにそんな感じを出している。まだ幼く身体が小さいために長い刀を上手く抜けず互いに抜き合う練習をしたりしていてこれが後の方で才次郎が白井小四郎に斬りかかる時倒れている友の刀を抜くところに繋がっていてドラマ的に上手いなと思った>エラソウ実を言えば戦場で戦う少年達の姿だけで泣けたのでこの才次郎のシーンとか銃太郎先生が皆を逃がすため両手を広げて盾となるシーンとかは故意にドラマチックに作ってますね感があって、ちょうシラケてしまった>こらこらでも、銃太郎先生の死に方はちょっとフィクション入ってるけど才次郎が白井を殺したのは史実らしい。篤次郎が八重に看取られて死ぬのも全くのフィクションみたいだけどここはヒロイン八重と繋げる必要があったのだろうな。にしても相手側も「子供だから」と見逃そうとしてくれる様子が強調されていて今迄は鬼の様な薩長だったけど(笑)そうではないことを主張?ああ、次回は白虎隊か…☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1098-295cc4ef☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちだるまケーキ十二歳の戊辰戦争新選組 刀耳かき
2013.06.23
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第23話『会津を救え』「儂に家臣がいただろうか…会津の様に君臣一体となる家臣が」by慶喜まあ、いないから会津にあれほど頼ったんだろうがな(^^;)「会津はどうなる」って…今更そんなこと言っても遅いんですけど慶喜さん。もう、何もできる立場じゃないしな(^^;)まあ、こうも思ってくれないとアンマリだよなあ…でも、ドラマだからであって実際はどうだったのかなあ?全ての流れが今のこの事態に向けてただひたすらに一直線に流れ流れてきた。それは歴史的事実を描くのだから当然だけど色んな思惑が入り乱れる中肝心の会津の人々は、ただ愚直なまでに忠義を尽くそうとしていただけ…というのが悲しいな。流れに逆らうのでも敢えて乗ろうというのでもなく。これは私の偏見だと思うけれども武士道という言葉がある様に、武士というものはその在り方において強く厳しい思いというかプライドがあったのだろうけどそもそもドラマの最初から「什の掟」なるものが強調されていたし会津及びその周辺の人々は特に顕著だったということか…あまりにも固く強い思い故に融通が効かなかったのか…なんて思う>いや、良い悪いじゃなくてね(^^;)そのために容保様も強く出られなかったのだし物凄く頑張っちゃったわけだし懸念しながらも今の事態になってしまったわけだし。「陸奥に桜かりして思うかな桜散らぬ間に軍せばやと」by世良↑絵に描いた様な嫌な奴に描かれていたな(笑)だから斬りたくなる気持ちは分かるつーか「斬っちまえ」とか思っちゃったもの>こらこらまあ、実行してしまったのは難だけども世良の刀を咄嗟に持って逃げた芸者は「アッパレ」と思ってしまった>ぉ…にしても近隣と藩と同盟を組んだのは一見、頼もしかったり安心感をもたらしたりするけれどもそれで戦を考え直してくれるかもしれない…という考えは逆ちゃうん?と思ってしまった>スミマセンスミマセン家族を亡くした人達が出ているということや薙刀の稽古に一層励んでいること等女性達の間にも緊迫感が見られているけれどもまだまだ“日常”は残っていると思われたところに戦による怪我で運び込まれた人達がひしめく館内の様子が映り八重達が手当に追われるシーンになって戦争の現実感というか既に“日常”は失われてしまったのだとの実感が襲ってきた。唯一、少しだけホンワカしたのは斉藤と時尾が出逢ったところかな。覚馬が松陰の夢を見て何かインスピレーションを受けてたみたいでそれがどんなものなのか気になる>次回への引きつーか結果的にだけど松陰が唱え、目指していたものと覚馬及び会津藩が置かれてしまった立場とは今や正反対になってしまったよね…会津を攻めてくる敵こそ、松陰の側の人達ってことなんじゃ…それを考えると切ないなあ。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1094-cbb13e5c☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち桜ハイビジョン徳川慶喜家の食卓ウォーゲーム>会津戊辰戦争
2013.06.19
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第22話『弟のかたき』「振り上げた拳をばどけ下ろすかじゃな」by西郷容保様始め皆が会津に帰還。家族に迎えられる二葉。家族を迎える竹子。兄の姿も弟の姿も見つからない八重。今日は“対比”のオンパレード。覚馬と三郎の悲報がもたらされ武士であるが故に死を黙って受け入れ悲しみを表に出さない皆と頑として信じようとせず混乱して声をあげる八重。無邪気なみねちゃんの登場に席を立ち、それぞれ泣き崩れる皆と涙を零さず仇討ちを宣言する八重。南天の刺繍のため、認めざるを得ない三郎の死と目に見える証拠がないために、ますます頑なに信じまいとする覚馬の死。照姫にさえも心を開けず、独り苦悩の中にいる容保様と尚之助の前で遂に感情を爆発させる八重。咄嗟とはいえ八重を止められなかった大蔵と八重をしっかり抱きしめ悲しみを吐き出させる尚之助。…etc.こうしてノホホンといた会津(少しずつ影が差し始めていたけど)が遂に悲劇に直面。ふと思っちゃったけれども―普通に平和に暮らしていた会津の人々にある日突然、思いもかけない事態が襲い掛かってきた様子に普通に平和に暮らしていた人々にある日突然、東日本大震災が押し寄せてきたことをやはり重ねているのだろうね。止め様のない時代の波と人間にはどうし様もない地震…朝敵とされ、理不尽な攻撃を受けることと人的被害である原発の被害…↑穿ち過ぎ?そんなこんなで戦へのカウントダウン。牢の中で言葉で必死に訴えるしかない覚馬様式の訓練に励む会津藩。これから襲い掛かってくる大き過ぎる嵐の中で八重がどんな心境で立ち続けていくのか…に、注目かな。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1081-e542cec0☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち白虎隊なめこ四神羊羹「Remwnber 3.11」Tシャツ
2013.06.09
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第21話『敗戦の責任』「殿は全てを分かっていて下さる…それで十分ではないか」by修理三郎と修理の死―この2つで悲劇の象徴となっているね。広い視野はなく、ただ忠節のため会津藩の一員として、家の代表としての責任感を抱いてでも、何かを成し遂げるには至らず儚く散ってしまった三郎と広い視野を持ち、信念を持って提言したものの都合良く曲解され全ての責任を負わされ犠牲の死を遂げることになった修理と。それにしても、三郎…あそこで単独で敵に立ち向かっていっても無駄死にに終わってしまうことは明らかなのに敢えてそういう死に方をさせたのはまだ戦に慣れていない故の無謀さ?あそこで誰かが出て行くべきだと悟っての自己犠牲?思いの熱さ真っ直ぐさ故に悲劇に陥った会津全体の象徴もしくは前振り?そういう意味では修理も…慶喜の仕打ち罪を被せられての死優秀で忠臣である故に負を一身に背負っての壮絶な死という意味で、やはり会津全体の象徴もしくは皮切り?先週の権助もそうだし今回の三郎も実際には戦場(野外)でそのまま亡くなったのではなく屋敷に運ばれてのことだった…と聞いた記憶があるので↑私のことだから信憑性は甚だしく薄いけど(笑)そこはドラマチックに見せるための工夫だろうから別に気にしないんだけど修理の切腹を容保様が直接命じたり悌次郎を通して逃げることを勧めたりするのはちょっと作り過ぎだろう、という気もしてしまったけど>スミマセンスミマセンでも、容保様の涙目や修理の上↑に挙げた台詞が感動的だったから許す>エラソウつーか、ここの逃がそうとする→本人逃げないというくだりは実に日本人的というか>ぇまさに泣けるところだよね。三郎が撃たれた時、八重が何かを感じる…というシーンはよくある描写なので、あまり心動かされなかったんだけど(酷修理が切腹する時にも妻@雪がハッとするシーンが後に出てきて八重のシーンがあったから効果的になってるな、と思った。偽の錦旗を掲げる薩摩側もタヌキだけどそれでビビったのか慶喜の言動が酷過ぎ。頭が良くて小狡くて小心者って感じで面白いっちゃー面白いキャラだな。会津では頼母が家老に復帰。ちゅーても、この時期に復帰では…彼は最初の頃から懸念していたわけでで、それは実現してしまったわけでそれで尚且つ家老として事態の只中に入っていかなければならないのか…あ、それから八重と尚之助が反対意見を言い合うシーンがあったけど尚之助は田舎にいながら事態を的確に把握していてちょっと浮いてるところがあったよね?ある意味、視聴者への解説役?でも、今回はそれに加え妻である八重と異なる意見を持っているということで当時の会津の人々の意識VS第三者の視点の表示でもあるしそのうち訪れる八重との離婚を暗示するものでもある様で色々と複雑(^^;)まあ、ここでは八重の意見に頷くところなのかな…と思うけど少なくとも、その覚悟に感動するところなのだろうけど「ならぬことはならぬのです」をこーいう時に決め文句として出してくると何かそこで全てが止まっちゃう感じがするな。それを言っちゃあオシマイよ、的な>スミマセンスミマセン!☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1074-9c3fd900☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆朝ドラ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち会津ほまれTシャツ羽毛掛け布団
2013.06.02
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第20話『開戦!鳥羽伏見』「殿に朝敵の汚名を着せることになりまするぞ」by修理と言いつつ、結局のところ朝敵とされてしまう会津。ずっと会津藩側から描かれてきて、特に京都にやってきてからずっと巻き込まれ型な描かれ方で容保様の忠信や板挟みぶりを見てきたわけだからこの流れが本当に理不尽で悲しいよね。八重パートもさすがに緊迫してきた。とはいえ、それほどの情報力もないだろうからまだ、どこかノホホンとしていてもおかしくない。照姫様を中心として奉納する幟を用意するシーンはどちらの意味で解釈したら良いのだろう?現代と違い信仰心も熱かっただろうから皆の真剣さを描いた、とも取れるしだとすると、薙刀の稽古のためとはいえ遅刻してしまう竹子ってどーよ?ってことになっちゃうしそんな竹子に歌を詠ませる照姫様って何か悠長な気もするし「言霊の国」という言葉からするとこれぞまさに真剣に神に祈る態度の表れとも言えるわけだし…って、こんなことで悩んじゃう私が変?↑信仰が関係することって必要以上に考え込んじゃう傾向あり(笑)それにさ何か物凄く敏感に事態を読めている尚之助が解説役みたいな感じで不自然な気がしなくもなくも…>こらこらそれとさ会津側から描いているから薩長が悪役になってしまうのは仕方ないとして西郷隆盛が策略を巡らせたり強引に事を進ませたりする元凶みたいでヤクザっぽく描かれ過ぎの様な気がしなくもなくも>ぉまあ、カッコイイから良いけど>ぇちゅーことで、遂に戦に。慶喜の頼りなさ全開って感じで(^^;)覚馬が注文した銃は間に合わず人数だけでなく武器の面でも圧倒的な差をつけられることに。三郎も登場。八重が贈った南天の刺繍がまたクローズアップされるし彼の目の前で権助が戦死してしまうしフラグ立ちまくり(^^;)いや、まあ、三郎の最後は分かってるんだけどさ…どんな風に描くのかは分からないけど…つーか、権助にしてもああいう臨終の仕方にするとは…八重と竹子をやたら絡ませているのも2人のキャラを重ねて、視聴者に感情移入させて竹子の最後をドラマチックに描く算段だろうという気がするしああ、これから辛い話が続くなあ。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1070-03a39866☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち中野竹子ストラップ中野姉妹大吟醸西郷隆盛マトリョーシカ
2013.05.30
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第19話『慶喜の誤算』「そっくり同じだ」by悌次郎いつの間にか少年達に鉄砲の指導をしている八重。伊東悌次郎と高木盛之輔。あの2人は、少し前に登場した小さな子供達が成長した姿?…もう、すっかり忘れちゃってたよ。つーか、そんなに年月が経っていたのか。↑大河ドラマ視聴に慣れてなさ過ぎ?で、このシーンで八重が少年の髪が邪魔だからと切ってやったのは何か意味あり?と思って調べてみたら、これはリアル八重さんの実際のエピソードだって。少年の前髪を落す=元服なので他人+女である八重が思いつきでやって良いことではなかった。ドラマでの母親の叱り方じゃ甘過ぎる行為ってことだ。そういうことを考えず、すぐに実行してしまうことその理由は鉄砲を撃つのに邪魔だから、というところに八重の性格や鉄砲への思いが伺えてドラマとしては微笑ましい。竹子に勝ったのと鉄砲を見に来てくれと誘うところも八重がまっすぐに努力する人であることや鉄砲への思いもまた、まっすぐで一生懸命で、誇りを持っていることを示しているのだろう。京都の方では慶喜の大政奉還で大揺れ。歴史には疎いし根が単純なひじゅになので先回のカステラ貪って嘔吐…な慶喜の様子と今回の『誤算』というタイトルから大政奉還=大失敗なのかと思ってたけど>恥?取り合えずは目論見通り実質的に政務は彼が行うことになったし岩倉具視達の「討幕の密勅」を無効にする効果があったのね。「偽勅でん構いもはん」by西郷それでも討幕に向けてまっしぐらの岩倉達。「皇国を一旦更地にして一から作り直すのや」by岩倉王政復古を進める宣言。そして「慶喜の誤算」とは、朝議を欠席したこと。でも「短刀一本あればカタのつくことじゃなかか」by西郷という台詞からすると出席していたら終わりが早まるだけだった?眼病が進む一方の覚馬あんつぁまの前に小田時栄登場。結局、覚馬は妻@うらの元へは帰らずこの時栄を愛人にし、やがて妻にした…そうなのでドラマでは、うらさんが好感持てる女性に描かれているだけにさすがの谷村美月も反感買いかねない役になっちゃうかなあ…と思ってたけどいやあ、なかなか魅力的な女の子だな。まあ、さらにその後、時栄の浮気で離婚(それも八重により追い出される)らしいけどやっぱ、年齢差が大きいせいかしら?…とどうも最近、観るのも書くのも遅れに遅れてるし感想も薄いので反省(^^;)↑大河ドラマに慣れてなさ過ぎ?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1065-72600dee☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち前髪カット・サポーター元服健康茶会津お城ケーキ
2013.05.26
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第18話『尚之助との旅』「会津は矢面に立ち過ぎた」by尚之助八重&尚之助の新婚旅行>ちょっと違日本で初めて新婚旅行に出かけたのは坂本龍馬だそうだけどちょうど似た時期だから不思議じゃないよね>だから、ちょっと違白河だるま登場。ひじゅに地元@群馬にも高崎だるまが有名。近所にも毎年一回だるま市がやって来る。小さい頃は、お獅子の玩具をよく買ってもらった>だるまじゃないじゃん最近は全く行かなくなってしまったけどね>ダメじゃん白河だるまの特徴は「お顔に鶴亀松竹梅」。尚之助の顔を見て買ってもらう八重がカワイイ。徒歩の旅なのに荷物になるんじゃ…と思ったら小さいサイズを購入。安達ケ原の話も少し。能の『黒塚』は未見なんだけど>不調法なもんで手塚治虫の短編『安達が原』は読んだ。鬼婆に逢いに行くのは娘ではなく、かつての恋人でラストで料理の残りを食べるところが切なかったなあ…あそこは実に手塚らしいオリジナル部分。という風に楽しい新婚旅行は木村銃太郎&後の二本松少年隊との出逢いに集結。白河だるまも安達ケ原も鉄砲の状況も八重の腕前も早くも会津で戦争が起こることを察している尚之助の思いもこのシーンに全て纏まるところが今回の面白さ?でも、不穏な空気というよりもまだまだ明るく爽やかなエピ。この微笑ましい光景の記憶が後の悲劇を一層際立たせるという算段?京都の方は秋月悌次郎が蝦夷から呼び戻され大蔵がロシアから帰国頼母の名前も出てきて皆で褒めて…って、何か緊迫感イマイチ>こらこらそして大政奉還を決意する慶喜の図ぅ。何か凄い切れ者というか策士というか油断がならないイメージで今迄は描かれてきた慶喜なのでこの大政奉還も狡賢くも確信を込めて行う姿にするのかと思ったらカステラを貪り食って嘔吐して…と、もう最初からフラグ立ちまくり(^^;)容保様の驚愕&嘆きの演技が今から楽しみだわ>ぉぃ先回あたりから、声を荒げることも多くなったし。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1057-891801bd☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち『安達が原』収録幸せの黄色いカステラ白河だるま>お顔に鶴亀松竹梅
2013.05.19
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第17話『長崎からの贈り物』「都の要石が外れた…鎮めていたもの達が湧き出てくる」by覚馬孝明天皇の死に心乱す容保様。こんなに感情的になる容保様の姿は初めてなので切ない。会津の明日がこれで完璧に絶たれたって感じで。「あまりに不忠ではないか」さすが慶喜、容保様を縛る言葉を心得てる(^^;)今日のメインは長崎へ行った覚馬。まず目の方は―オランダの眼科医に診察してもらうもやはり結果は…失明。私も目は悪く定期的に眼科に通っているのだけど以前たまたま私の前に診察を受けていた人が失明宣告されていた。次の人は傍の椅子に待機しているので声が聞こえてしまうのだ。年配の男性で落ち着いた態度を装ってはいたけれ明らかに取り乱した声と話し方だった。無理もないよね…聞いててとても辛かった。その時のことを思い出しちゃったよ。覚馬あんつぁまは、まだ40前。まあ、当時の30代は現代より遥かに大人だろうけどさ。「誰だって出来ることには限りがあります。世界中の書物を読み尽くせる人はいません」春英の言葉はモットモだけど、慰めにはならないよ…そんな時に孝明天皇崩御の知らせが届き、銃の調達に走ることに―わあ、グラバー邸だぁ。と、屋敷そのものにミーハーな関心を寄せる私とは違いそこに長州の伊藤俊輔と薩摩の村田経満の姿を見つけ、長州と薩摩が手を組んだことを実感する覚馬。歴史に疎い私なので>シツコイ?『龍馬伝』くらいしか思い出せないのだけど(笑)ここの描写で視点の違いを改めて感じた。グラバーを諦めてカール・レーマンという武器商人を訪ねる―今回はこのレーマンと覚馬の友情物語といった趣だったな。気持ちが逸って喧嘩になってしまうものの、思い直し頭を下げ商談だけでなく個人的にも心を通わせるように。スペンサー銃が八重の手に届いたのは、こうした経緯があったのね。…って、友情物語まで史実通りなのか否かは知らないけど。もうひとつ、覚馬の気持ちを切り替えたのは修理の言葉。「目だけしかないのですか、会津のために仕えるものは?」「銃を知るこの手がある」「学んだ知識や身に沁み込んだ魂を会津のために使えば良い」さっきの春英の言葉と対照的。勿論、春英の言葉にも心はこもっているのだけど修理のこの言い方は心に響くよね。八重の方はまだノホホンとした雰囲気の中にあるけど弟@三郎は江戸へ―多分、これが八重との今生の別れだよね。南天の刺繍はフラグ?城がよく見えるという三郎の言葉に反応する尚之助―つまり、敵に攻撃されやすいってことだよね。そして、スペンサー銃が八重に贈られる―所々に悲劇の影は忍び寄ってる…って感じだな(――;)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1046-b0deb1a7☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんちビードロキティ>長崎限定幕末のビールスペンサー銃からバイブルへ
2013.05.10
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第16話『遠ざかる背中』「見た目は立派な大木だが中身はスカスカのウロだらけ」by勝幕府を大木に例え、内側から崩れていくと主張。んもう勝さんったら手塚治虫の『陽だまりの樹』愛読者だな!?>ぉんでもう一つのツッコミどころ>ツッコミいうんかい「幕府をぶっ潰す!」じゃなくて「幕府など、一度壊れた方が良いのだ」と語る慶喜。小泉孝太郎をキャスティングしたのは、この日のため?>ぇつまりまあ、内側からも外側からも既にそうした判断を下されていた幕府容保様、早く決断して!早く逃げて~!とか思っちゃうけれども>単純容保様って、多分とても良いお殿様ではあるんだけどだからこそ(?)古来からずっと続いてきた武士道を自らも貫こうとしたのだろう。既に、そういう時代でも事態でもなかったのに…ようやく状況を変えられると思いきや孝明天皇の突然の逝去。予告では慶喜に何たらプレッシャーをかけられていたし会津藩を襲うことになる悲劇は容保様の判断力云々の問題ではなくいわゆる巻き込まれ型であくまでも善良にして誠実な会津藩なのに可哀想…という描き方?とはいえ今のところはまだ大きな展開はなく念願叶って京都に行けた官兵衛がちょっとワイルドに吠えてるくらい>ぉ槍の舞のシーンなんて演じているのが歌舞伎の中村獅童だからこそのサービスシーン?覚馬あんつぁまも大人しいし。…それにしても「お主の目は節穴か」と勝には言われちゃうし「一度はこの目で異国を見たかった」なんて本人も言っちゃってたし眼病に苦しんでいることとアカラサマに重ねてる?そこまで強調しなくとも…(^^;)それとも動きがないことへの言い訳?>こらこら二葉の出産と生まれた子を前に皆して「饅頭」だの「藁」だの「命の匂い」だの言うところはまあ、微笑ましいっちゃ微笑ましいシーンなんだけども先の展開を際立たせるためだろ?と穿った見方をしてしまう。「命」発言は覚馬なので藩としても個人的にも大変な思いをした後でそれでも生きていこうと決意するための布石でもある?で、肝心のヒロイン@八重だけど先回から引っ張ってた姪@みねちゃんの行方不明事件は何てことなく終了。火事の件も含めて、ちょいと蓋ショボ。八重の代わりにうらさんを探しに行く尚之助の後ろ姿がタイトルの「遠ざかる背中」?この時代には珍しく&八重らしく尚之助に抱きつくシーンなどもあり夫婦愛を描いたわけなんだろうけど。初登場の竹子との薙刀勝負もストップモーション等を利用して描いていたけれども、さして迫力もなく>こらこらそれほど面白くもなかっ…>こらこらこらただ、八重をも打ち負かした竹子が江戸帰りで訛りもなく、凛とした竹子が鉄砲を否定したところは少しばかり興味深かったかも?当時の一般的見方でもあったのだろうしそれこそ会津藩の武士道に基づく“意地”を象徴している様でもあるしそれに確か彼女は薙刀で戦い、鉄砲に敗れた…んだったよね、確か?ちゅーことで京都も会津も今回はいつも以上に盛り上がりがなかった気がするけど>スマソ容保様と孝明天皇の最後の会見シーンは良い雰囲気だったな。去りゆく天皇の後ろ姿も「遠ざかる背中」ってことだね。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1031-32e33f68☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆朝ドラ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち徳川慶喜家の食卓(徳川慶朝)音楽遍歴(小泉純一郎)中野竹子ストラップ
2013.04.28
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第15話『薩長の密約』「坂本さんから聞きました」by西郷坂本龍馬はちゃんと登場させないんじゃ…という噂があるけど、この台詞が証明?つーか、宣言?まあ、後になって出てくるかもしれないけど(笑)タイトルにもなっている薩長同盟はアッサリと扱われ(笑)追いつめられていく会津の何とも言えない不穏な空気や覚馬の眼病の進行具合とかがゆっくりと描かれそれと対比して故郷での八重の物語が語られる。先回は結婚式というお目出度いエピだったので明暗の対比になったけど今回は八重パートはイマイチだったな(^^;)権八父さんがイキナリ老けたなと思ったら覚馬達が京都へ行ってからの年数を強調してたのね。大きくなった姪@みねちゃんが登場したのに他の人達は全く変わらないから父上一人が老けメイク?その、みねちゃんが八重パートでは活躍。武士の娘として厳しく躾けようとする義姉うらさんと自分の小さい時を思い出し、やんわり庇う八重。まあ、うらさんは夫不在のままで色んな不安や焦りが滲み出てきちゃってるんだろうな…何かアブナイ方向に行かなければ良いけど……なんて思ってたら、やはりその歪みからか大火の最中、行方不明になっちゃう、みねちゃんの図ぅ…なんだけど京都パートと並ぶ重さではないので>こらこらバランスがイマイチだったかも?歴史的に重要な出来事でも会津を際立たせるためにアッサリした扱いになるのは構わないつーか、それで良しと思うけど…ヒロインはあくまでも八重だから下手に史実を曲げてやたらと彼女を介入させるという無謀な手を使わず彼女の人生を描いて行くのは必要不可欠だけど…ところで、歴史に疎い私なのでそう思うのかもしれないけど幕府歩兵の暴挙を覚馬達が嗜めようとするところとか薩摩は会津を利用しただけで邪魔になれば除こうとするだろうと土佐達会津藩氏に台詞で語らせたりとか会津視点だから仕方ないとはいえ会津を善にし過ぎの様な気がしなくもなくも…まあ、前者では新選組が関わり>斉藤一クローズアップ斉藤と官兵衛の対決シーンに繋がるのは面白かったけどね。将軍が亡くなり>容保様がまた自分を責めてしまうそれで春嶽に担ぎ出されそうになった慶喜が会津を引き合いに出して皮肉を込めつつ断ったのも会津=悲劇のお姫様、みたいな位置付けにしたがってるっぽい。まあ、慶喜のしたたかさみたいなのを表してるのだとも思うけども。それより、冒頭でまた新島襄の姿が!遂にアメリカに到着。新しい時代が目の間に来ている象徴だな。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1022-31b973bc☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち幕末烈士伝チョコ幕末Tシャツ>薩長同盟会津の夢>黒糖饅頭
2013.04.21
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第14話『新しい日々へ』「新しい力は2人の様に古い秩序に縛られぬ者の中から生れる」by秋月八重と尚之助の結婚式。綾瀬はるかは綺麗だし、BGMと共に画面は荘厳な感じだしこのままシリアスに終わるのかと思ったら八重のお腹がなったりこっそり食べようとしたら話しかけられたり尚之助が酔いつぶれてしまったりその尚之助を八重が背負ったり…と“お約束”的展開(笑)ちょっと『ゲゲゲの女房』を思い出させる。反面目覚めた尚之助を気遣って水を持って来ようとしたり覚馬から贈られたを喜んだり…と女らしさも見せる。そんな八重に父親からの助言…ちゅーか命令。それに従おうと無駄な(?)努力をしてストレスを溜める八重に対し尚之助の反応は「あなたはあなたであれば良い」まあ一応、当時の女性の立場を示すものでもあるし結婚しても尚、八重は八重らしく生きていくのだとドラマの先行きを示すものでもあるしそんな本来の八重を尊重してくれる尚之助の姿は当時の一般的な考え方に囚われない人物であることや覚馬からの勧めや自分の立場とは関係なく八重への愛情から結婚したのだということを示すものにもなっていてこの結婚エピに良い印象をもたらしてはいるけれどちょいとベタでもあったなあ…>スミマセンスミマセンでも、それが却って覚馬や京都に赴いている人達の深刻な状況と鋭い対比になっている。覚馬は白そこひ@白内障。現代なら手術もかなり簡単になっているのになあ。いっそ現代までタイムスリップしてもらうか逆に仁みたいに現代の医者に飛んでもらうしかな…ちょっと言ってみただけです>スミマセンスミマセンとにかく前途に大きな夢を抱いている覚馬にとって死の宣告にも等しい。京都陣の方は御役料差し止め。「幕府のため、朝廷のため誠を尽くせば尽くすほど、会津はますます泥沼に足を取られていく帝から御宸翰を賜わった時の嬉しさ…あの時の嬉しさが今は会津を都に縛りつける鎖となってしもうた」ともすると容保様が融通が効かないとか変に頑なな様子に見えてしまうんだけど事情を考えれば、まさにコレなんだよなあ…秋月は蝦夷へ。彼がいなくなったことが会津をより脆くしてしまったのかもな。つーか、彼が出なくなると個人的に寂しい>ぇ対比と経緯と…細やかに描いているとも言えるしまだまだ“予感”だけでググッと引き込む物語には至ってない感じとも…>エラソウ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1014-65bc997b☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち舞妓さんの京紅婚礼セット>会津漆器川崎尚之助の生涯を扱ったもの
2013.04.14
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第13話『鉄砲と花嫁』「我らは一体、何と戦っているのであろうのう」by土佐今回はいつもと逆転して(笑)八重がメイン。遂に尚之助と結婚。八重に思いを寄せながらも別の人と結婚した大蔵を始め周囲の人々は親が決めた人と結婚。でも、八重&尚之助は恋愛結婚に纏めたのね。一応、史実通り兄つぁま@覚馬が一度は勧めるもその時点では2人共断りあくまでも双方の気持ちで結婚を決めることに。まあ、今回も覚馬からの伝言が引き金の一つにはなってるけど(笑)以前の時は八重と結婚→尚之助が会津藩に入る→新式銃を認められるという狙いがあったわけだけどその最初の段階がなければ、寧ろ会津に縛り付ける理由もないわけで以前と今回と真逆のことを言っている様だけど要は尚之助のため。八重自身も先回は兄の様に接してきた人を夫にするなど考えられない…と言ってたけど実は尚之助を自由に飛び立たせてやりたかったから…と前言撤回…じゃなくって、本音を告白。尚之助の方は新式銃が完成し自信を得たことで八重にプロポーズ。大蔵が以前、八重=会津と言っていた様に尚之助も八重と会津は切り離せないと覚悟してたのね。象山の「蹴散らして前へ進め」という教えを自由に道を選択していくよりも会津藩に留まって前途を切り開いて行こう…という風に当てはめたのかな?大蔵の結婚の時は彼の八重への思いと、時尾の彼への思いが対比されてたけど今回は彼の姉@二葉と彼の妻が対照的。お堅い性格の二葉は結婚後ラブラブで微笑ましいけど大蔵の妻は夫と離れ離れの上、舅姑&小姑達に囲まれアウェー状態。ま、二葉の夫&平馬はなかなか妻に気を遣って優しさを示しているけど大蔵は今だに八重が心に住んでいるみたいだからな。そんな中恋愛結婚をした八重はどんな家庭を築くのか…ってのが、これからの見どころ?ところでその平馬の気遣い(この間は祇園祭に誘っていたし今回は人形をプレゼント)という描き方や大蔵の妻への大蔵母の気遣い(さり気に呼びかけ大蔵の幼少時代のエピを語る)という描き方は偏見かもしれないけど女性の作者らしい繊細な視点があるな…と思った。まあ何だかんだで>ぇ八重&尚之助の結び付きに影響を及ぼした覚馬だけど先回は蛤御門の戦いの件で人々に石を投げられていたけど今回はイキナリ和やかなムードで復興支援。でも、やっぱり、目に影響が出てきた様子。八重の結婚報告に表情が固まる大蔵徳利を引っくり返してしまう二葉に続いて目が霞んで手元を誤る覚馬という演出が面白いと思った。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1004-c9e54498☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんちモンチッチ焼竹の子冷凍市田柿
2013.04.07
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第12話『蛤御門の戦い』「元の姿に戻るのにどれだけの時がかかるか…」 by覚馬タイトル通り蛤御門の戦いと八重に遂に訪れた尚之助との縁談両方とも覚馬が関わっていることで繋がっているわけなんだけど雰囲気的には分離しちゃってたな。え?いつものこと?個人的には今迄は気にならなかった。寧ろ、今は分離していて当然とさえ思っていたんだけど今日はちょっと…だったなあ>私の心持の問題?蛤御門の戦いの描写は全体的に良かったとは思うんだけど銃弾も矢も、ひょいと避けちゃう覚馬って…彼だけ攻撃されなかったら変だけど(笑)それを言うなら戦いの最中に突っ立ってるってどーよ?ってことにもなっちゃうけど(^^;)でもって、三度目の正直で倒れてしまう覚馬…これが後の失明の原因か。白内障だとも聞くけど、戦争による負傷の方がドラマには合ってるかも?…なんてことはともかく戦いそのものよりもそれが庶民に及ぼした害の方が強調されてた感じ。まずはミッチー@桂小五郎が親とはぐれて泣き叫ぶ子供に寄り添い自分もまた泣き崩れるシーン。彼としては、暗殺された時の象山じゃないけど「何で分かってくれないんだよ」という悔しさもあったろうし敗北感や惨めさや人々への罪悪感や久坂への思いや…諸々の感情が押し寄せてきたのだろうな。それから、遺体の傍で茫然と座っているお婆さんの図。ひじゅには年寄りっ子だから、こーいう絵には弱い。そして、上記の覚馬の台詞。何かさやっぱ、東日本大震災を重ねてるだろ?いや、重ねるのは良いけど多分、それこそが前提なんだろうけどちょいアザトイ気がしなくもない…>スミマセンスミマセンでも、これらで視点が会津から逸れてしまったので覚馬が皆に責められ子供達から石を投げられることで再び会津に焦点が戻ってきた上に今後の展開への前振りみたいになっていて良かったかも。ただその子供達が炊き出しの雑炊(?)をあんまし、みしめて食ってないのがえれえ気になっちまったんさー↑群馬弁「西洋の学問しても、町を焼かずに済む戦のやりようは分からんもんでっしゃろか?」松方弘樹ったら、出てきたと思ったら、この台詞…☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/992-a7150a12☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK蛤御門でつかまえて ←凄いタイトル(笑)久坂玄瑞 家紋ストラップ大垣屋清八で検索したらコレしか出てこなかった
2013.03.30
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第11話『守護職を討て!』「日本の命脈、我が策にあり」by象山象山暗殺さる―先回、覚馬にも心配されていたけどちょっと警戒心なさ過ぎ(^^;)「先生は二度殺された…一度目は刺客に、二度目は藩の愚かさに」その愚かさを持っている人の方が世の中には圧倒的に多いのだから先を見通すだけでなく足元にも用心深くあってほしかったと思うのだけど>エラソウ覚馬達が長州軍をスパイしに行くシーンは史実?フィクション?何か安易な上に、お笑い入ってる気がしたんですけど>スミマセンスミマセン容保様は咳が酷い様子。私も咳喘息の気があって、お天気の具合で症状が出て辛いのよ…って関係ないですねそうですね。咳には松葉のお酒が良いと時尾に松葉を採らせる照姫。加えて城の松葉であれば容保様の心を慰められるだろうと。ここらへんは、ちょいとほのぼの。時尾の様子も伺えたし>前よりも知的な感じになってるそして、八重。相変わらず尚之助とはツンデレっぽくもあり良いコンビぶり。次回は遂に結婚話が出るらしい。でも、ここに特化しないで弟@三郎をクローズアップしていたのが良かったと思う。若さ故に真っ直ぐに情熱的に、また無謀に佐川の隊に志願…と見せかけて実は新式銃のためひいては、父親のため…という本心を明かす。覚馬だけでなく八重だけでなく三郎もまた、家や藩の将来のために…というオチが良かった。はっこれもツンデレ!?で、こうして家の中から少しずつ変化が表れ八重も外へと飛び出していくことになるのか。八重は鉄砲のことは勿論、身体能力に優れ、性格も男っぽく強いという点は所々で描かれてはきたけれどだからって自動的に突出した働きをイキナリした、というわけでなく寧ろ当時の普通の女性の枠の中に閉じ込められていてそこから抜け出るには色々な出来事が重なってのことだった…という風に描こうとしてるんだろうなと思う。その方が自然だし共感もできるな。それに他の女性達が貶められているわけではなく時尾とか二葉とか>ある意味、照姫もその時その時の事情で踏み出した道でそれぞれ“世の中”に触れていく…という風に行く感じで、そこも好感持てる。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/975-098d4d7c☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち松葉違い佐久間象山伝会津木綿エプロン
2013.03.20
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第10話『池田屋事件』「止まった歯車を回し、時を前へ進めるのだ」by象山おお、新島襄が出てきたよ!まさにアメリカに密航するところ。本人が『脱国日記』に描いた絵と同じ格好だ。…って、当たり前か(笑)八重に遂に縁談が。でも、タイミング良く火薬が爆発。尚之助の怪我を手当しているところを誤解されるのかと思ったら煤で汚れた鼻の下を見られてご破算。ベタもいいとこだけど(笑)八重のキャラや尚之助とのお似合いぶりが自然に盛り込まれていて良いかも>エラソウ新式銃のために奮闘する2人。覚馬はいないし、尚之助は藩士ではないのがネック…というのが強調されていたからこれを理由に覚馬が2人の結婚を勧める…という流れになるんだろうな。メインはタイトル通り池田屋事件。祇園祭の音楽に合わせて その前のシーンで 二葉が夫に祇園祭に行こうと言われ 「何着て行こう?」なんて可愛いところを見せていたのに 次のシーンでは、その祭をこういう形で使うところが 何だか冷酷っぽくて良い>ぇちょっと舞台劇っぽい雰囲気も漂わせて何だかすっかり悪役な新選組。まあ、おかげで会津藩が追いつめられていくわけで会津を悲劇の主人公に描くのなら新選組を暴走集団とするしかないんだろうなあ。と、歴史に疎い私はお気楽に考えてしまう(笑)宮部鼎蔵自害。彼の前に、風体からして「沖田総司かな?」と思える人物が現れたかと思うとイキナリ血を吐いて「イカニモ沖田総司です」って様子を示したのでちょっと笑ってしまいました>スミマセンスミマセン池田屋に駆けつけた覚馬達に「隙だらけだ」と言い放つ斉藤一。銃のことなど真剣に考えている覚馬達だけど今は学問としての面が中心で実戦経験は少ないってことか。世の流れに対する見方も甘いということなのかもね。最初の方で、八重と時尾が喧嘩しているとユキが誤解するシーンがあったけれど時尾は斉藤と結婚するわけだから後に覚馬ひいては八重と確執が生まれてしまうことを暗示?いや、実際に確執があったか否かは知らないけど(^^;)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/966-68f5a209☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち池田屋事件の研究日本刀箸>斉藤一スマホケース>沖田総司
2013.03.13
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第9話『八月の動乱』「あれはどうだ、覚馬の妹」by頼母先回、桜の木の下での頼母との2ショット×2はここに繋がっちゃうのかい!?と、思ってしまった(笑)照姫様の右筆選び。大蔵に失恋して自分は結婚はしないと言っていた時尾が結婚せずとも生きていける…と右筆への憧れを口にしたシーンで当時の女性の意識や位置みたいなのが自然に伝わってきた感じ。その時尾の願いが叶えられた、という結末は嬉しいのだが何故、彼女なのか?というのが全く分からなかった(笑)まあ、八重中心に描かれているから仕方ないのかもしれないけど。鉄砲を撃つ女子だから縁談などないだろうと自虐ギャグを言っていた八重もまた右筆に憧れる。…ってところまでは良いのだけどでもって、有力候補つーかもう選ばれたも同然!と本人も周囲も思っていたのに、まさかの落選…というオチも良いのだけど照姫様が真っ先に八重に目を止めたり頼母も含め周囲の人々が八重こそ右筆にふさわしい!みたいに盛り上がっちゃうところはまるで朝ドラ・ヒロインの様>ぇそこのところが何かアザトイ気がしてしまって>朝ドラの弊害?アゲアゲにも乗れなかったしオチにも笑えなかった>スミマセンスミマセン確かに今は、ドラマとして歴史の大きな流れと八重自身の人生とが分離してしまっていてツマラナイとの声もあるらしいけどそんなのは時期を待てば良いことで>何せ一年続くのだしこんな形で無理クリ八重を目立たさせなくても…と思ってしまった。まあ、落としてはいるし両親の反応等はギャグとして面白かったしたまにはこーいう回もあっても良いつーか視聴者サービスのためのギリギリの線だったりして?↑穿ち過ぎ?(笑)元々、兄の留守を守るという覚悟でいたことを思い出し決意を新たにしたことや尚之助に励まされて自分の存在価値を見出せて涙したことやその尚之助は既に八重に恋心を抱いているっぽくて今回のことで少しばかりロマンス展開に近付いてきた雰囲気なのが今日の見どころ?歴史の流れの面では今回も容保様が主役。覚馬が主人公然として出しゃばってこないところが良い。一応、「八月十八日の政変」に関して中心的に活躍していたけど。このの「八月十八日の政変」と、これによる「七卿落ち」は『龍馬伝』にも出てきたけど、あちらは薩長という視点だったのに対しこちらは会津の視点で描かれていて歴史に疎い私には興味深かったな。ただ、孝明天皇のお言葉があるたびに容保様が泣いて感激するところが他でも要所要所で涙目になる容保様は嫌いではないんだけど>いや、結構好きだったりとかもするんだけど天皇に関するシーンはソコハカトナク不快(^^;)>こらこら☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/962-6d959bdb☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち照姫様が見ていたのはこの写真?龍馬伝完全版ブルーレイBOX1~4セット八重の桜ラーメン
2013.03.10
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第8話『ままならぬ思い』「仕方のねえことって、いっぱいあんな」by時尾先々回だったかに、時尾が大蔵を意識しているらしい描写があったのは今回こうしてアッサリ失恋させテーマの台詞を喋らせるため?何気に残酷な山本むつみ>こらこらつーか、いつも思うことだけれど今のところまだヒロイン八重は直接に世の中と対峙していないから女性としての身近な問題や状況を、その回その回のテーマと重ねて描くところがなかなか良いよね。八重も大人になってきて“結婚”というものが大きな要素となっている。八重自身は初恋もまだみたいだけど二葉や雪や、そして今回は時尾と、友人達の心情に触れていく。大蔵は大蔵で八重に思いを抱いていることはバレバレなのに長男としての責任を優先。先回、八重に告白しかけた様子だったのに邪魔をする形になってしまった尚之助が今回は気を利かせた様に八重と二人きりにしてくれたけれど「あなたは、会津そのものだから」としか言えない切なさ。そして勝手に京へ向かおうとする佐川を止める頼母達を目撃する八重。まあ、八重の目の前で事が起こる…というのはちょっとアザトイ気もしたけど(笑)でも、あの木の上に八重がしょっちゅう上っている姿は何度も出てきたし外界との橋渡しだった兄@覚馬は今は傍にいないしそろそろ直接にアレコレ目にし始める時かもね。でまあ、佐川もまた「ままならぬ思い」。女であるために家で待つしかない八重自身の状況にも重なる。そして頼母もまた…京にまで行き容保様を説得するも、ままならず。先行きを一番冷静かつ正確に見抜いていたのが頼母だったのだろう。でも、容保様は容保様で孝明天皇にあれだけ頼られちゃうとなあ…存在感と人間味溢れる雰囲気と西田敏行臭さ(ぉぃ)のある頼母と線の細さと融通が利かない固い雰囲気と意外に表情豊かな容保様のこの正反対な2ショットはお互いの良さを際立たせイマイチなところを緩和させて味わいを増している>エラソウで、再び木の所で顔を合わせる八重と頼母。枯らさない様にと毛虫を取る頼母。大蔵は八重を会津の象徴と語ってたけどこのシーンでの頼母は、この桜の木に会津を重ねている。先回の種痘のシーンで『陽だまりの樹』(手塚治虫)を思い出すと書いたけどこの木の例えもそう。もしかして、密かにあの作品を念頭に置いていたりして?今回の見どころは新選組登場と馬ぞろえかな?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/957-eb24bc7a☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち南殿桜と旭山桜の苔玉風寄せ植え桜饅頭ペアコサージュ
2013.03.06
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第7話『将軍の首』「始めは称えられ、次に恐れられ、末は憎しみの的となる」by尚之助京都に行った覚馬あんつぁまと会津で待つ八重の図ぅ―今迄は覚馬を窓口に世の中のことが少しずつ八重の元に届くという形だったけど遠く離れてしまった今、少しばかり覚馬が重要な出来事に上手い具合に出逢い過ぎ+絵に描いた様な“清く正しく賢い”主人公然とし過ぎ…という様な気がしてしまった>スミマセンスミマセン温泉シーンはファンサービス?お湯に浸かってノンビリしている男性陣に対し八重はアレコレ2人の世話をしていてやっぱ、女って損だよなあ…と変なところの反応してしまった(^^;)でもって京の様子について話す男性陣に対し友人@雪の結婚を喜んだり、妻としてのその後のことを気に掛けたり女性の視点で語る八重。覚馬と八重の2人を配することによって立体的に描いてる感もあるな。鳥居に石を投げる願掛けは恒例の(?)八重の身体能力を見せると同時に石が届かなかった雪と修理夫妻の今後のネタフリ?遊びっぽいシーンにも無駄がないな。無駄がないといえば両親が覚馬のために足袋や耳かきを作っているシーン。親心を滑稽かつ切なさを込めて描くと共に会津の皆が京のこと、ひいては世の中の動きにまだまだ疎いことを示してもいる。八重が遊んでいたカルタも同様だな。未知の世界へと家族を送り出さねばならないこと未知の世界へと意志に反して赴かねばならないことちゅーことで内容的には、中心になっているのは容保様。涙目になる演技に好感を持ってたんだけど何だかしょっちゅう涙目な気がする>ぉでも「綺麗な殿さま」なんて台詞を聞くとちょっと嬉しかったりするのは…何故?頼母の姿がチラリと映ったのが良かったな。そして孝明天皇より御衣を賜る容保様。容保様の誠意が伝わったのだと解釈するのは修理。ここで再び彼に注意を向ける抜かりの無い脚本家>ぇこの様な名誉を与えられたのは会津だけではなかったらしいのだけどドラマではそこは出てこなかったからここは会津を特別な存在の様に視聴者に印象づける目的かな?特別で「綺麗な」会津のお殿様は「言路洞開」を提唱。知的で理想家ってイメージの容保様らしいけどすぐに覆されることになる。足利三代将軍の像の首が晒されるという事件が起こりしかもそれは会津が送り込んでいた密偵の仕業。朱に交われば…ってヤツで攘夷派に心酔してしまった模様。それだけ、当時は皆が皆、熱に浮かされていたってことか。「狂っている」尊王攘夷が幕府を倒すための口実に過ぎないと悟る容保様。自分の甘さを思い知らされる容保様。こうして尚之助の上記の言葉が現実になっていくのね…ところで種痘のシーンがあったけど『陽だまりの樹』を思い出したのは私だけ?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/949-fb17d2c4☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち板カルタ赤べこ耳かき陽だまりの樹
2013.02.28
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第6話『会津の決意』「立ち聞きしてはなんね」by母いよいよ八重の上にも歴史の流れが押し寄せる。まあ、先回の覚馬襲撃事件があったけど。あれは外から内にやって来て、うらの流産という家庭の悲劇へと雪崩れ込んだ。今回は二葉の縁談という身近な事柄から外へと八重の視界を広げていった…という感じ。綾瀬はるかが演じているけど年齢的にはまだ子供だぞ!と思っていた八重が、もう縁談が来てもおかしくない年頃になったということ弟@三郎を演じる役者が交代したことも含めて大人になってきた…ということが示されてそれでもまだ八重は立場的に変わりはないし意識的にも同じままなわけだけど二葉は既に武家の妻としての覚悟を抱いている…という対比が面白い。それから勿論、先回と同じく覚馬あんつぁまを通して世の中の動きが八重の元にもたらされる。京都守護職の話を聞き城に駆けつける覚馬。その様子に驚き、両親の会話を立ち聞きしてしまう八重。まあ、あれは自然に聞こえてきたので「立ち聞き」と言っちゃったら気の毒だけど上記の台詞には笑ってしまった。だって、立ち聞きが“お約束”なのは朝ドラだしこの脚本家さんは朝ドラ『ゲゲゲの女房』を担当した人だし。…って、考え過ぎ?ちなみに『ゲゲゲ』は良作で、立ち聞きを多用したりはっしてなかったけどね。でまあ、事態の先を見抜き心痛める覚馬と世間が狭く表面的な正論しか出てこない八重の対比も。肝心の京都守護職にの件では容保様が主役。水戸藩に関して理性的で筋道を通した意見を述べたことが逆に理不尽な事態に巻き込まれることになるとは…この間は井伊直弼が迫力ある存在感を示したけど今回は松平春嶽が怖い~。ってまあ、悪事に引き込んだわけじゃないけど向こうは向こうで大変な状況だったわけだけどあの説得の仕方は黒いよね(^^;)それに、その後のことを考えるとね…涙目の容保様と熱い頼母のシーンが今回の見どころ。「薪を背負って火に飛び込む」まさにそうなって行くわけで…その薪に火が移って燃え上がり燃え尽きるまでを見つめなければいけないのだと思うと心が痛むなあ。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/937-e38d8438☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち容保様の名言タペストリー会津郷土料理なぎなた>ぉぃ
2013.02.16
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第5話『松陰の遺言』「あの人には誰より世界が見えてる」by覚馬八重と覚馬に大きな影響を与えた人物ということで吉田松陰クローズアップ…の回。まだ八重は子供だし女であるので外の世界での出来事を見聞きして「うむむ!」と立ち上がる…みたいな少年マンガっぽい出だしではなくて外の世界から家の中へと事件がやって来るというのが面白いと思った。それも、今のところ外との懸け橋的存在になっている兄つぁま覚馬の上に…というストレートな形だけでなく間に兄嫁うらが入ったところが良い工夫だよね。先回は、うらと親しくなれないで悩んでいた八重が今回は、ようやく打ち解けることができたその後での出来事というのも効果的だったしそれも八重からきっかけを作る、みたいなヒロインにありがちな展開ではなくうら自身の魅力(豆?に話しかける優しさ)を出したので好印象。暴漢にしがみ付くという必死な姿で、うらの内側の強さや愛情も伺えた。何より彼女が流産してしまう…という辛い結果を招いてしまったのがまさに女性ならではの悲劇であるので女性である八重が心に大きく重いものを感じる出来事としてドラマ的に最適(酷お祝いのために用意していた小豆がザルに乗せられたまま置きっ放しにされていてその向こうで釜を炊きながらすすり泣く女中…という図で流産という言葉を出さずにその事実を悟らせるのも女性らしい細やかな描写。その後、同じく豆(?)に話しかける八重に今度は、うらが近付くシーンもね。生まれ、育って行く植物とその過程で消えてしまった子供と…それから先に、横浜を訪れた尚之助が世の中が変貌している様子と共に道で外国人が「攘夷」の言葉の下にイキナリ斬り付けられるのを目撃するというシーンがあったので同じ様に「攘夷」を傘に過激な行動に出る輩が覚馬を襲ってきたのも唐突に感じさせず寧ろ世の中の動きを伝えさせるエピとなっていた。尚之助の横浜土産が八重達の所に届けられた直後だったのも象徴的っていうか、上手い運びだったなと思った。で、その間に挟まれる吉田松陰の最後。過激な浪士達のおかげで「攘夷」にネガティブな思いしか抱けない覚馬と視聴者。攘夷を説く吉田松陰。「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり」覚馬も視聴者も、この言葉で納得?その後の、彼岸獅子の喧嘩を止めるところはちょっとアザトイ気がしたけど(^^;)子供や八重の身体能力や尚之助のフォロー等を描いていたし山川大蔵の現状や彼に思いを寄せている様子の時尾も絡め後の展開への期待も起こさせたけど。そして、桜田門外の変。彼岸獅子の件で悟ったかの様な>ぇ覚馬の和平を重んじる訴えが保留にされた後同じことを唱える容保様。↑思わず「様」付けしたくなる(笑)☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/928-a9befef2☆応援クリック、よろしくお願い致します☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ blogramランキング参加中!☆映画&ドラマ感想は「REVIEWの部屋」に纏めてあります☆やっくんち国内産有機小豆サムライソード・アンブレラビー玉
2013.02.10
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第4話『妖霊星』「もはや古き良きものを守るだけでは立ち行かぬ」by頼母覚馬あんつぁまの禁足解除…なだけでなく、軍事取締役と大砲頭取に抜擢…に加え、「西向いてろって言われれば一年でも西向いてる様な」うらさんと結婚尚之助と2人で立ち聞きしたり婚礼の最中にも隅で会話を交わしたりさり気に距離が近付いている様子が挟まれるのが細やかで良いね。恋愛感情は抜きだけど>当たり前か八重はまだ子供の年齢らしいからな。子供ゆえに、また女性ゆえに今のところ八重は外界の動きとは無縁で平和そのもの。勿論、兄のことでは辛い思いをしたわけだけどつまりは今のところ、覚馬が八重と時代の変化を繋ぐ役割ってことか。そして勿論、女性であるばかりに鉄砲の件では苦労したわけだけど許された上に腕前がどんどん上がって楽しい盛り。そんなところに登場した兄嫁は八重とは正反対なキャラつーか、当時の女性の典型的なタイプなんだろう。まだ碌に話もしていない状態の彼女とこれからどんな関係を築いていくのだろう?最初は、お互いに葛藤があるだろうけどそのうち理解し合い影響し合っていくのかな?ところで婚礼の時に八重がつまみ食いしていたのはもしかして、ゆべし?井伊直弼、大老就任。ドラマの限りでは強引さが強調されラスボス的雰囲気。松の廊下を歩く姿も存在感たっぷりで容保とのシーンではお茶をたてる姿が良いなあ。井伊直弼のもとに京からの書状が届いたところで帰ろうとする容保の目に映ったのが妖霊星。妖霊星繋がりで八重に話は戻る。コレラの大流行>島津斉彬死去そして安政の大獄の始まり>吉田寅次郎(松陰)検挙寅次郎とは以前に一度出逢っているから八重の前に悲痛な形で外界への扉が開くことになる?☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/915-ff2cf57a☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち『玄如節』収録井伊直弼の茶の湯会津さこらんしょ
2013.01.30
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第3話『蹴散らして前へ』尚之助との出逢いを取り持ったのは毛虫!?女であるために砲術を習うことを邪魔されていた八重。それを切り開いてくれた覚馬は蘭学所を開く夢を阻まれる。そんな覚馬に勇気を与えてくれたのは八重。…上手い具合に兄妹を重ね、絡ませ、共に成長させている。それに、毎回のタイトルが、そのまんまキーワードとして出てくるしシンプル・イズ・ベストって感じの作風だな。個人的に印象強かったのは山川大蔵。子八重がやたら呼び止めていたのが彼だよね?今回は向こうから近付いてきて、一緒に雨宿りしていた尚之助を気にする…ってとこまでは、まあ普通の描写なんだけど>普通かいその後、立ち去る際にさり気に傘を置いて行くところが良いね。八重に淡い思いを寄せているんだな…というのが伺えると同時に彼の人柄もホンワカと伝わってくるし何か粋だしカワイイよね。八重に恋模様(の土台)が見えてきたのと合わせる様に松平容保様にもその芽の様なものが…先回、離縁して戻ってきた照姫との間に微妙な空気が流れていたけどその間に敏姫が正室として入ってきたために、ますます微妙…?何となし前作『平清盛』での朝廷の様子を思い出してしまった。ま、あんなドロドロしたものにはならないでせう(笑)つーか、敏姫は儚い結末となり、照姫と容保はプラトニックなまま(かどうかは知らないけど>ぇ)結婚することにはならないからな…今回は敏姫云々というより敏姫を通して照姫と容保の間の微妙な空気を言葉で表現してみせたってわけ?そんな中何だかんだと時代は進んで行くも覚馬の夢はなかなか実現を見ない…というのが今回の主なお話。若者は勢いで急いで事を進めようとする…とか何とか言っていたよね。まさにそれを地で行く覚馬の図ぅ―藩を出て会津にやって来ちゃった尚之助も同じだな。「やっちまった」若さゆえの無鉄砲さというか無分別(は言い過ぎ?)で前進どころか禁足処分になってしまう覚馬。「何かを始めようとすれば、何もしないヤツらが必ず邪魔をする蹴散らして前へ進め」若者達の真っ直ぐさを肯定する佐久間象山。いや、若者に限らずだけど。前進することが大切ってことだよね。まだ実弾を撃ったことのなかった八重が尚之助の手ほどきでパトロンを作り、試し撃ちをする。見事命中!ちゅーことでまだ世界に出ておらず、ただひたすら学んでいるそういう意味で誰より真っ直ぐに前進している八重が世の中を変えようとの志を持ちながら壁にぶつかり立ち止まっていた兄をその生き方によって励ますという、爽やかな纏め方だった。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/902-e6388b66☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち手作り足袋キット弾丸キーホルダー八重の桜ラーメン
2013.01.21
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第2話『やむにやまれぬ心』「雨が上がったぜ」by勝あー、何か凄く分かりやすい語り口だな。ちょっとマニアックだった『清盛』と好対照?基本的にはヲタッキーな方が好みなんだけど知識ゼロで観るには、こちらの方が取っつきが良いのは確か。黒船に魅入られ、それを「狂気」と称する兄@覚馬と鉄砲を習いたいとひたすら独学する八重この2人が上手く重ねられている。男性であるが故に外界へ出て色々と見聞きし視野を広げていく覚馬に対し女性であるが故に枠の中に閉じ込められる八重は真逆の存在の様に見えるけれどその内に燃えるものは同じ…ちゅーことで。まあ、ある意味“表裏一体”って趣で描かれていくのかも?先回は八重の動機というか覚悟が描かれた。最初の頃は男勝りの性格や生まれ育った環境から来る憧れの様なものだったのが松平容保への恩義に報いたいという確たる決意に変わり「おお、そう来たか」って感じだった。今回は、そんな八重に反対する父が当時の「常識」や女性の地位から来るものであると思わせて実のところは、寧ろ八重の資質を見抜きその上で彼女の将来のことを熟慮する親心であることが語られこれまた「おお、そう来たか」って感じだった。ただ、鉄砲が死と直結する道具だと説くところは八重が鳥の死に少なからずショックを受けている描写があればもっと効果的だったかなあ…なんて思った。喜んで駆け寄ったものの、その時点ではまだ息が合ったので改めて“命”を感じてハッとし鳥を父親が止めを刺したのを見て落ち込む…とかさ。それって現代の視点かな?子八重があっという間に退場してしまったのは寂しいけど綾瀬はるかはさすがに好印象。綺麗なのにブサイクな表情や仕草を平気でしちゃうところが好きだな。(あ、そこをフォローするためのPVみたいなオープニング映像ってわけ?)それにしても熱意だけでなく頭脳にも身体能力にも優れていることを示すためだろうけど兄の弟に対する質問に八重が思わず答えてしまうところは良かったけど木からバック転して飛び降りるところはギャグすれすれだったぞ(笑)歴史的な面では西郷隆盛登場と佐久間象山&吉田松陰の件。後者に関してはさ日本てのは本当に狭量だと思う。あの2人が表舞台でもっと自由に活躍できていたら…なんて思うけどま、「たられば」は言っても仕方ないよね。新島七五三太登場も嬉しかったな。安中という群馬の地名も出たし>そこかいもしかして実際よりもずっと早く八重と出逢うのかな?『ゲゲゲの女房』でも子供時代に一度出逢っていたという設定にしていたよね。☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/893-137b49f5☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんちあいづ桜マンガありがとうろうそく
2013.01.15
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第1話『ならぬことはならぬ』「さすけねえ」by子八重初回はまずまず…というところでせうか>エラソウ大河を本格的に観始め&感想を書き始めたのは『龍馬伝』が最初で次の『江』は第1話はまあまあと思ったものの、その後数回で挫折その次(つまり昨年)の『平清盛』は結構ハマったという大河においてはまだまだ初心者でしかも致命的なことに歴史(だけじゃないけど)には疎いという私なので(^^;)あくまでもドラマとしてどんな感想を抱いたかを書いてみたいと思う>ひじゅにらしく史実と比べてどうこうとか歴史的にどんな意味を持つとか現代の私達にどんな影響を与えたとか…どういう考察は多くのブロガーさんが書かれていると思うしね。ちゅーことで、ドラマとしてまず感じたのは―まず目につくのはキャスト&スタッフ。主演の綾瀬はるかは『JIN-仁-』で脚本家の山本むつみは『ゲゲゲの女房』でそれぞれ好感を抱いたし風間杜夫や綾野剛etc.朝ドラで顔馴染みになった役者が多いしいや、別に、特にそこに拘ってドラマを観るわけじゃないけどでも、その分ドラマ世界に入り込みやすいかな?とは思った。実際のところ綾野剛さんが出てきた時「あ、観続けることにしようかな♪」と思っちゃったもん(笑)西田敏行が出てきた時は「朝は鉄矢で夜は敏行か…」と、ちょっと胃がもたれる思いはしたけど>こらこらあと、新島襄はオダジョーかい!?ダジャレか?と思ってしまったけど>こらこらこらひじゅに地元群馬には上毛かるたという郷土かるたがあって「へ」は「平和の使い新島襄」なのだよ。内容の方は―いきなり南北戦争から始まったので「そう来たか」って感じ(笑)アクション・シーンが多くインパクトはあったかも。最初に綾瀬はるかの、それも凛々しく戦う姿を映し期待を持たせた上で子供時代に遡るところも良かったかも。その子供時代を演じる子役の女の子は達者で見応えがあった。「ならぬことはならぬ」会津の色々な特徴が説明されて興味深かった。男尊女卑の時代にあって自我を持って生きようとする女性というのは興味深い題材ではあるけどどっちかっちゅーと使い古されている題材とも言えるのでここにどう新鮮味を持たせるかということが重要なのだろうなと余計なお世話的なことも考えてしまった。そういう意味で『宮廷女官チャングムの誓い』を思い出しちゃったりなんかしたんだけどあれはそれこそ外国の話なので歴史的なことはほとんど知らないしモデルになった人は女性でありながら王様の主治医にまで上り詰め「大いなるチャングム(大長今)」と呼ばれ尊敬されていたということしか分かっていないつまりドラマに描かれるチャングムの人生はほとんどフィクションなんだけどとても面白かった。だから『八重の桜』もあのくらい面白くしてくれなくては困る。↑と、勝手にハードルを上げている希望が持てるのは八重が鉄砲を学びたいと願うのが最初は男勝りの性格だったり環境の影響だったりとまあ、ありふれたものだったのが自分を庇ってくれた松平容保への恩義が重要な動機となるというところは良かったと思う。それも「武士らしい」という言葉なのだから子供心にもグッと来ただろうな。容保さんったら素敵>そこかい会津出身ではない自分がこの国を背負っていけるのだろうかと弱音を吐く容保さんにだからこそ藩士達がいるのだと答える頼母。ここのところに八重の決意が重なるところが良い感じだね。後半の話は兄@覚馬が動かす。歴史的人物が続々登場。やはり『龍馬伝』を彷彿とさせたな。人気があるという幕末物で人気女優が主役という今回の大河にソコハカトナク人気があるという戦中戦後物で人気女優が主役という朝ドラ@某『梅ちゃん』を思い出しちゃったりなんかもしたけど(^^;)視聴率以外はあやかってほしくない…と切実に思う、ひじゅにでした>でも高視聴率だったら『清盛』が哀れ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/883-22a78b06☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆やっくんち純米原酒前編ガイドブック
2013.01.07
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