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仮に神武天皇の父親が出雲神族系でなくとも、イスズヒメの父親は間違いなく出雲神族系(正確には大年神流大和族)のオオヤマクイですから、「神」の呼称が神武天皇に渡ったとしても矛盾しません。そしてその「神」の名は「ヌナカワ」の世襲名とともに息子のカムヌナカワミミに引き継がれたと私はみます。ほかにも懿徳、孝霊、孝元など歴代の天皇に「大日本」を冠した名前が付けられたのも、大年神流大和族の流れを意識した呼称であることは間違いないと思われます。二世紀半ばになると、大和国は内乱の時代に突入しますが、それを救ったのが第九代開化天皇と第十代崇神天皇。二人とも大年神流大和族直系の母親を持ちます。開化天皇の兄はオオビコですから、まさに大年の「大」が付いています。私が第101代卑弥呼(日御子)と比定しているオオタタネコも「大」が付いていますね。間違いなく大年神流の血統を継ぐものです。だから大物主神を祀る祭主になれたわけですね。第100代卑弥呼のヤマトトトヒモモソヒメではいけなかったのです。ヤマトトトヒメならOKです。なぜなら彼女もまた、大年神流の直系オオヘソキの娘イカシコメが母親だからです。その辺のことは、それとなく『日本書紀』に記されていますね。このように「天」、「神」、「大」、それに今回は説明しませんでしたが、タカミムスビの「高」の名を冠した正式名称にはそれぞれの王族の血流を示す意味がちゃんとあるのです。それを念頭に記紀を読むと、より分かりやすく物語を理解することができるのではないでしょうか。
2021.07.31
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神武天皇の父・ウガヤフキアエズことクマノクスヒがスサノオの息子だとしたら、一体誰なのかという問題の続きです。 私には二人の候補がいるように思われます。 一人は大和の王となった四男のオオドシ(ニギハヤヒ)ですが、熊野は地政学的に遠いように思われます。それにオオドシと神武天皇が親子になってしまうと、神武東征の物語が破綻してしまいますね。 そこで考えられるもう一人の候補は、紀伊国(木の国)の王となったイタケル、別名オオヤビコです。 オオヤビコは八十神に命を狙われた大国主を助けて、スサノオに助けを乞うようアドバイスしています。ところがその後のオオヤビコの消息は記紀には記されていません。 長い空白期間の後、次に実質的な紀伊国の王としてアメノカグヤマ(別名高倉下)が登場します。アメノカグヤマはニギハヤヒとアメノミチヒメ(おそらくタカテルヒメ)との間に生まれた王子です。つまり、オオヤビコとアメノカグヤマは叔父と甥の関係となるわけですね。オオヤビコに後継者がいなかったのだとしたら、アメノカグヤマが紀伊国の王を継承したのかもしれません。 また、竹内氏が海運王(海軍大将)だと表現しているウガヤフキアエズとアメノカグヤマは、同じ熊野に拠点を置いている点も注目に値します。かなり近しい関係であったのは間違いないでしょう。 つまり地政学的にみて浮上してきたのが、イタケル=ウガヤフキアエズ説というわけなのです。誓約で生まれたとされる五柱の男神の末子は、後に熊野の王となったスサノオの長男(あるいは次男)とみられるイタケルであった可能性は十分にあると思います。 さらに私がこの謎を解くカギとして着目しているのは、『先代旧事本紀』にウガヤフキアエズの五番目の子、もしくは弟として登場するタケクライオキ(武位起)です。アメノカグヤマとホヤヒメが結婚して生まれた子の名前はイタテ(五多底)。クライオキ(位起)は「イタテ」とも読めますから、同一人物もしくは世襲名「イタテ」の後継者とも考えられることもできます。 同一人物でかつウガヤフキアエズの子だとしたら、ウガヤフキアエズの正体はアメノカグヤマということになりますが、誓約の場面でスサノオの孫が出てくるのはやはりおかしいです。 一方で、ウガヤフキアエズがオオドシ(ニギハヤヒ)だとすると、クライオキ(イタテ)はアメノカグヤマとなります。 神武の父親ウガヤフキアエズ(クマノクスヒ)が本当にスサノオの息子なのかはわかりませんが、少なくともイタケルやアメノカグヤマと非常に近い人物であったことは間違いないと思われます。
2021.07.31
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神武天皇ことサノノミコトの正式名称は、カムヤマトイワレビコといいます。正式名称の頭に「神」が付いています。それはつまり出雲神族であることを示しますね。なぜ神武天皇の正式名称に出雲神族の名前が付いているのか――。実は、竹内氏が口伝継承したという『帝皇日嗣』を読み解く最大の難関がここにあります。 竹内氏自身も、神武天皇の父親であるウガヤフキアエズの別名クマノクスヒがなぜか出雲神族の名前であると認めています。だけどそれは、出雲の神の系図を天孫族の系図に組み入れて正統性を強調するためだったとも言っています。 果たしてそれは形式上の話なのか、それとも実際に出雲神族の王統の血がサノノミコトに入っているのでしょうか。ハムレット的に大きな問題です。 竹内氏はこれに関連して、京都の上賀茂神社のご祭神は二柱おり、一柱は通常知られているカモワケイカズチノカミで、秘されているもう一柱は神武天皇であるとしています。そしてそのことが隠されているのは、天皇家を守るためだとも言っていますね。 これをどう解釈するかですが、これもいくつかのシナリオがあります。 形式上、出雲神族の神の名を入れたのだとすると、確かに簡単に決着します。オオドシの名前を天火明(アメノホアカリ)として天孫日向族に組み入れたように、正統な王統であることを強調するために、他族の神を組み入れたのかもしれません。その場合、ウガヤフキアエズはアマテラスとオシホミミの間の末子となり、正統な天孫日向族の直系になります。巷に知られている通り、神武天皇も天孫日向族で間違いありませんね。 ただし、私は必ずしもそうではないのではないかとみています。神武天皇は、正統な出雲神族の直系なのではないかという可能性です。そうでなければ、「神」という名を付けなかったのではないでしょうか。 思い出してください。 『帝皇日嗣』によると、スサノオとアマテラスが「誓約」で知られる政略結婚をした際、スサノオの子(実際はオシホミミとアマテラスの子)として四柱の男神が生まれ、アマテラスの子(実際はスサノオとアマテラスの子)として宗像三女神が生まれました。しかし、その際、宗像三女神の長女と次女が天孫族アマテラスの子で、末子タギツヒメは出雲神族の子である可能性があるということは既に説明したとおりです。 だとしたら、四柱の男神の末子クマノクスヒ(ウガヤフキアエズと同一神)もオシホミミの子ではなく、スサノオの子である可能性が強いのではないでしょうか。つまりそれぞれの末子だけ、たすき掛けにして入れ替えているわけです。 もしそうだとしたら、どの神なのでしょうか。 私が推測するに、有力候補は二人います。 (続く) 寄せ植えのように、いろいろな部族の王の血統が入り乱れて一つに集まっているのかもしれませんね。
2021.07.29
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記紀に出てくる神々などの名前を見ると、本名の最初に「天」があるのか、「神」があるのか、「大」があるのかで、記紀の編者はどういう系統の神であるか、あるいはどういう系統であると主張したかったかがわかるようにしているのです。アメノオシホミミやアマテラスは「天」ですから、天孫日向族ですね。オシホミミとアマテラスは天孫族の王と女王で、統治王と祭祀王でした。その二人の息子であるアメノホヒ、アメノニニギも日向族。後で説明しますが、アメノホアカリやアメノカグヤマ、アメチカルミズヒメ、アメノミカジヒメ、アメノミチヒメもすべて編者が天孫族として紹介しています。一方、「神」は出雲神族系です。神素戔嗚(カミスサノオ)、カムヤタテヒメ、カムオオイチヒメは完全な出雲族。カミムスビの子とされるスクナビコも出雲神族です。では「大」はどこから来ているかと言うと、スサノオと袂を分かった四男大年の神流を表します。オオドシは大物主神、すなわち大和の王となったニギハヤヒのことですね。オオドシに命を助けてもらった大国主も実質的には大年神流大和族です。当然、大年の子であるオオヤマクイ、オオカグヤマトミも大年神流の系統で、後に開化天皇の兄として出てくるオオビコ、事実上の第101代ヒミコであるオオタタネコもニギハヤヒ(大年神流)の系統です。面白いところでは、どっちつかずの名前もあることです。それが鴨王の異称をもつアメヒカタクシヒカタ。天日方奇日方と書きますが、天孫族であると同時に、クシタマ(奇玉=櫛玉)を持つニギハヤヒの大年神流大和族であるとも読めます。上賀茂神社のご祭神・カモワケイカヅチの神のことだと思われます。天孫日向族と出雲神族の政略結婚の結果生まれた宗像三女神も、それぞれ天孫族と神族の名前を持っている可能性があります。イチキシマヒメの天孫族の名はおそらく、アメチカルミズヒメです。タギツヒメの娘タカテルヒメも、アメノミチヒメもしくはアメノミカジヒメと呼ばれた可能性があると私はみています。そのアメノミチヒメとニギハヤヒが結婚して生まれたアメノカグヤマの出雲神族の呼び名が、オオカグヤマトミではないでしょうか。ニギハヤヒ自身も、天孫族の名で呼ばれるときは、天火明(アメノホアカリ)となります。ニニギの兄扱いですね。ニギハヤヒが天孫日向族の姫(イチキシマとアメノミチヒメ)と政略結婚しているので、天孫族に婿養子にいったとも解釈できるからです。では、なぜ神武天皇がカムヤマトイワレビコなのかという大きな問題があります。神は出雲神族の系統のはずですから。次回はこれについて語りましょう。一体、名前が何だっていうの?薔薇はどんな名前で呼んでも、素敵な香りがするでしょ。
2021.07.28
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祭祀王ヌナカワヒメの血脈(あるいは霊脈)がどのように綏靖天皇にまで継がれていったのか――その明確な答えを得るのは非常に難しいです。それでもいくつかのシナリオを想定することはできます。二つの場合にわけて考えてゆきましょう。 (スセリビメとヌナカワヒメが別人の場合) タケミナカタを儲けたヌナカワヒメがスセリビメとは別人の場合ですね。このシナリオでのヌナカワヒメの候補は、同じ宗像三女神でも二女のイチキシマヒメです。自分がムナカタなのですから、ミナカタの名前を息子に付けたとしても不思議はありません。 おそらくイチキシマヒメはアメチカルミズヒメとしてスサノオの四男オオドシことニギハヤヒと結婚、オオヤマクイ(丹塗矢)を儲けています。そのオオヤマクイとタマヨリヒメが結婚して生まれたのがイスズヒメですから、ヌナカワヒメの祭祀王の称号は、タマヨリヒメからイスズヒメへと渡り、それが息子の綏靖天皇へと引き継がれたのではないでしょうか。(スセリビメがヌナカワヒメの場合) このシナリオではスセリビメと大国主の間に生まれたタカテルヒメにヌナカワヒメの祭祀王の称号が渡ったはずです。そのタカテルヒメはおそらく次の二人と政略結婚しています。一人はニギハヤヒで、アメノミチヒメとして結婚、アメノカグヤマを儲けます。もう一人は八咫烏ことタケツノミ(アヂスキタカヒコネ)で、アメノミカジヒメとして結婚、タギツヒコを儲けています。タギツヒコは二代目タケツノミとしてタマヨリヒメとも結婚した可能性がありますから、タマヨリヒメにヌナカワヒメの称号が渡り、イスズヒメがそれを継承したという見方ができます。あるいは、アメノカグヤマはウガヤフキアエズと同様に熊野の神であることを考慮すると、ヌナカワヒメの称号はアメノカグヤマから神武の母親であるトヨタマヒメに渡り、それが神武を介してイスズヒメ、その子綏靖天皇に継承されたのかもしれませんね。 いずれにしても、越の国の祭祀女王の称号であったヌナカワヒメは、神武とイスズヒメの結婚によって綏靖天皇ことカミナヌカワミミノミコトに継承されたことはほぼ間違いのない事実だと考えています。 結構複雑な政略結婚を重ねた結果誕生した大和王朝ですが、その入り組んだ血統をわかりやすく説明してくれるのが、「天」と「神」と「大」です。たいていの場合、正式名称の前に付きます。大きく分けて三つの系統があったことが名前からわかります。すなわち天孫日向族、出雲神族、大年神流大和族の三つの系統ですね。次回はこの三つの系統で、その複雑な系図を読み解いてゆきましょう。彼岸花が咲く季節となりました。よく観ると、三つの系統に分かれています。自然界でも三つに分かれることが多いですね。
2021.07.27
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台風が近づいているせいもあるのでしょうか。久しぶりに迫力のある夕焼けを見ました。何か赤龍が空を横切って行くようにも見えました。
2021.07.26
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ヌナカワヒメからヌナカワミミ(綏靖天皇)までの流れを説明しましょう。 古志(越)国の祭祀女王ヌナカワヒメが『古事記』で最初に登場するのは、大国主が越国のヌナカワヒメに求婚に行った際に出てきます。 明らかに、スセリビメとは別人物として登場するところが面白いところです。 大国主がスセリビメとは別にヌナカワヒメを娶ったと記す一方で、どうやらそう単純な話でもないことが、竹内氏が明かした『帝皇日嗣』によって明らかになるからです。 『帝紀』とも称される『帝皇日嗣』によると、スサノオによる越の八岐大蛇退治に隠された事実は、越国(新潟、富山、石川、福井)の八つの川(部族)を統治していた祭祀女王ヌナカワヒメから、スサノオに統治権が移ったことをさすのだそうです。 ここで考えられるシナリオは大きく言って二つあります。 一つは、スサノオが娶ったクシナダヒメがヌナカワヒメであった可能性。つまり、八岐大蛇の話は、越国の祭祀王とスサノオの間の政略結婚の物語であったという見方です。 もう一つは、クシナダヒメとヌナカワヒメが別人であった可能性。つまり、越国の統治権、あるいは神器は手に入れたけれども、ヌナカワヒメとは結婚しなかったという見方です。 そのどちらかはわかりませんが、越国の統治権はその後どこに行ったかをみてゆきましょう。 竹内氏によると、出雲から越国にかけての統治王となったスサノオの後継者は、末子のスセリビメであったといいます。 そのスセリビメとオオナムヂ(大国主)が結婚、そのすぐ後に出てくるのが、越国のヌナカワヒメへの大国主の「求婚の旅」なわけです。 ここでも大きく言って二つの可能性があるわけです。 一つは、スセリビメとの結婚は、実は越国の王女ヌナカワヒメと結婚することであったという可能性。つまりスセリビメが母親からヌナカワヒメという祭祀王の称号を引き継いでいたとする見方です。それを象徴的に描いた物語が大国主の妻問いの歌に残っているということになります。 もう一つは、大国主はスセリビメとは別に越国の祭祀女王ヌナカワヒメと結婚したという可能性。スセリビメは母親からヌナカワヒメという祭祀王の称号を引き継いでいなかったから、大国主はあえて越国に出向いて祭祀女王と政略結婚したという見方です。 これもそのどちらかはわかりませんが、ヌナカワヒメという祭祀女王の称号が王統の正統性を主張するうえで、極めて重要であったことがうかがえますね。 最初にそのことを教えてくれたのは竹内氏です。 竹内氏は「カムヤタテヒメ」の本名はスセリビメで、事代主の母親であると『帝皇日嗣』に書かれていることを教えてくれました。 同時に竹内氏は、タケミナカタが最初に生まれて、事代主がタケミナカタの弟だったとも言います。末子相続の出雲では事代主が大国主の次の王になる予定だったわけですね。 タケミナカタの母親は『先代旧事本紀』にはヌナカワヒメであると書かれていますから、すかさず私が「すると、ヌナカワヒメはスセリビメということになるけれど、それでいいのですか」と竹内氏に聞くと、「そういう筋の話なのです」という答えが返ってきました。 微妙な答え方ですよね。明確にそうだとは言わないのが極秘口伝継承者の奥ゆかしいところですね。 そういう筋とは、八岐大蛇の物語から続く、越国の王統の筋であると私は解釈しました。 だけど仮にスセリビメがヌナカワヒメと想定して、その後の血統を考えると、実にうまく説明できてしまうところが不思議です。 ヌナカワヒメが生んだタケミナカタが、なぜ「宗像」を連想させる名前になっているのか一つをとっても、スセリビメが宗像三女神の末子タギツヒメであったと考えれば納得させられてしまいます。 タギツヒメ=スセリビメ=カムヤタテヒメ=ヌナカワヒメ=セオリツヒメが成り立てば、スセリビメの子供にはタケミナカタ、タカテルヒメ、事代主の二男一女がいたことになります。 その三人の子供の誰かに「ヌナカワヒメ」の称号が渡っているはずです。 実際に「ヌナカワ」という祭祀の称号を継承した人が後々の時代に出てきます。 それが神武天皇とイスズヒメの間に生まれたカムヌナカワミミ、後に綏靖天皇と称される人物です。 すなわち神武天皇かイスズヒメにスセリビメの血が流れているのではないかという可能性が浮上するわけです。ラベンダーの続く道。延々と続く血脈が「世襲名」によって継承されているわけです。次回は、隠されたスセリビメ(ヌナカワヒメ)の血脈について考察いたしましょう。(続く)
2021.07.25
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蝉の季節ですね。散歩中に見つけた蝉の抜け殻です。我が家の網戸にもセミが張り付くようになりました。前回はタギツヒメからタギツヒコの流れを見てきましたが、次(明日以降)のブログではヌナカワヒメからヌナカワミミの流れをみてゆきましょう。
2021.07.24
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今日ご紹介するのは蒲(ガマ)の穂。このソーセージのような形の穂が蒲の穂です。因幡の白兔の物語でも蒲の穂が出てきます。ワニをだました兔が仕返しされて傷を負ったときに、八十神に騙され苦しんでいる兔を大国主が助けてあげる話ですね。蒲の穂綿(花粉)を傷口に塗るように教えたら、傷が治ったということです。薬草の知識を持っていた大国主。白兎同様に海を渡ってきた異国人である可能性が強いですね。宗像三女神の長女タギリヒメと末子タギツヒメと政略結婚し、タギリヒメとの間にアヂスキタカヒコネとタカヒメを、タギツヒメとの間にミナカタ、コトシロヌシ、タカテルヒメを儲けています。ミナカタと宗像は同じ名前である可能性が強いことがわかりますね。実は(タケ)ミナカタ、事代主、タカテルヒメの出自は隠されていますが、先日紹介したように、母親はスセリビメです。どうしてそういう結論に至ったかと言うと、第73世武内宿禰こと故竹内睦泰氏がカムヤタテヒメがスセリビメであるという口伝(帝皇日嗣)を教えてくれたからですね。先代旧事本紀や海部氏の系図と併せて系図を読み解くと、カムヤタテヒメ=高津姫=タギツヒメが同一人物であることがわかるのです。タケミナカタの母親はヌナカワヒメと伝わっていますが、ミナカタ=宗像と考えれば、このヌナカワヒメも宗像三女神の末子タギツヒメであることが浮かび上がってきます。そのタギツヒメことスセリビメと大国主の間に生まれた高照姫(タカテルヒメ)は、おそらく異母兄アヂスキタカヒコネと結婚して、タギツヒコが生まれます。それはタギツという名前からわかります。タギツは、タギツヒメつまりスセリビメの直系ということになりますからね。このようにして、故竹内氏が残した「帝皇日嗣」を使って、古代史をひも解いていくことができるわけです。
2021.07.23
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入道雲。このような雲を見ると、夏だなと思います。それにしてもこの入道さんは、本当に人間の顔にように見えますね。まるで誰かが雲で絵を描いたかのようです。
2021.07.22
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流れの速い川。流れの早い川の瀬に住むのが瀬織津姫。大祓詞(中臣祓詞)の中にしか出てこない謎の女神とされています。だけど、その祓詞の中にちゃんと本名が隠されています。簡単に説明すると、高山から流れ落ちタギツように激しくうねる激流の瀬にいらっしゃる瀬織津姫という神様と書かれています。隠された名前は、まずはタギツヒメです。タギツヒメといえば、宗像三女神の末子・多岐津姫にほかなりません。そして次に隠されている名前は、大祓詞の漢字に記されています。漢字では、「多支都速川能瀬坐須瀬織津比賣(たぎつはやかわのせにますせおりつひめ)」のように書きますが、この漢字の並びの中に須瀬織津比賣(すせおりつひめ)があり、須勢理毘賣(すせりびめ)という名前がそれとなく読み取れるようになっているのです。このことから、宗像三女神の末子タギツヒメは、実はスサノオの末子であるスセリビメであり、またの名を瀬織津姫と呼ぶことが秘中の秘として大祓詞に隠されたのではないかと私は判断したわけです。どうしてそうなったのかーー。詳しくは拙著『101人目の卑弥呼』、もとい『卑弥呼は二人いた』(河出書房新社)をお読みください。
2021.07.21
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前にも紹介したと思いますが・・・この緑の海原のような風景が気に入っています。
2021.07.20
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この時期、頻繁に目撃するのはツバメの子供たち。この日見つけたのは、このような大所帯でした。子どもたちがひしめき合っています。こちらに顔を向けているのが三羽。その奥にも2、3羽いるような気がします。生存競争も激しそうですね。
2021.07.19
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昨日に続いて、雲間から現れた富士山です。もちろん別の日に別の場所から撮っています。ほとんど雲の中で、山頂だけがわずかに見えていますね。長い時間隠れていたのですが、一瞬だけ、顔を出してくれました。
2021.07.18
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事実上、梅雨も明けて、最近は富士山もよく雲間から顔を出すようになりました。写真右下方の黒い部分が富士山です。そして次の写真は・・・トンビと富士山。富士山の上に写っている黒い点がトンビです。
2021.07.17
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実家のそばにある欅。私が物心ついたときには既に巨木でしたから、樹齢60年以上、もしかしたら100歳以上かもしれません。戦争中はこの木の根元に防空壕が造られたそうで、子供のころ、その穴をのぞき込んだことを覚えています。今でも大地に根を下ろして、この土地を守っているように感じられます。
2021.07.16
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地元にある不思議な三角形の山です。前方後円墳のような形をしています。あるいは何かの祭祀場跡か、想像が膨らみます。夜になると真っ暗になるので、UFO観測に向いているように思いますが、いかんせんマムシが多い場所なので、夜歩くときはご注意ください。
2021.07.15
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ちょっと紹介が遅れましたが、我が家のアガパンサスです。もう一か月前から咲いていましたが、そろそろ散り始めてきました。写真は7月10日撮影したものです。
2021.07.14
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前方の道路に何かいますね。この小さな動物は・・・リス君でした。
2021.07.13
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今回ムー8月号に書いた「霊峰富士の神酒」を取材した際、イベント企画会社から何か英語でキャッチ―な文言を考えてくれないかと求められて、久しぶりに英語でキャッチコピーのような詩を書いてみました。広告では採用にはならなかったようですが、せっかくですから、このブログで私が考えた英語のキャッチコピーをご紹介しましょう。最初に日本語、その後に英文の詩が続きます。「飛竜乗雲」(秋山眞人監修)あなたの五感と直感を磨くスピリチュアル富士山・水とパワーの「女神の酒」 (目=視覚)深緋と琥珀―その神秘の輝きを楽しみ、(耳=聴覚)心に響く癒しの波紋に耳を澄ます。(鼻=嗅覚)月日が醸す秘密の芳香に浸り、(口=味覚)霊山に育まれた聖水の奥行きを味わう。(手=触覚)透き通る波動のぬくもりを手にして、(第六感)太古富士の超古代王朝を偲ぶ。 Hiryu-joun, specially supervised by Makoto Akiyama, a Japanese prominent PsychicJapanese Spirits for Your Six Senses Enjoy the mysterious glow of crimson & amber spirits of Mt. Fuji. Listen to the ripple of spiritual sound created by wonders of nature. Savor the secret aroma rising from the fountain of magical ages. Taste the depth of sacred river-bed water that has run through the Goddess mountain. Feel the warmth of divine subtleness coming from the inside of your heart. Sense and remember the glory of the ancient Fuji civilization, once presumably existed in this mecca of the Japanese spirit.ネイティブにもらチェックしもらっていないので、どこかに文法上の間違いやミスがあるかもしれませんが、おおよその意味は通じるのではないかと思います。次の写真は、ムー誌にも掲載されていますが、富士錦酒造の清社長と秋山氏。出来上がった「飛竜乗雲」を手に持っているところです。これが3月31日の写真。そして翌4月1日に、ちょっとしたシンクロニシティも起こりました。それがこちら。「日本の酒輸出拡大を支援」という記事が地元静岡新聞の朝刊一面を飾っていたんですね。もちろん根回ししたわけではありませんから、完全なシンクロニシティです。そんなこんながあった、非常に面白い出会いの出張取材となりました。
2021.07.12
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どこまでも続く緑の景色。そしてどこまでも青い空。黒い点はトンビ。四羽飛んでいますね。三日後には梅雨明けでしょうか。もう梅雨が明けたような天気です。
2021.07.11
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秋山眞人氏から富士山の老舗酒造会社とコラボをすると聞いたのが、昨年12月。1月にはその取材に同行するはずだったのが、新型コロナの緊急事態宣言の影響で延期され、実際に取材することになったのは、遅れに遅れて3月31日~4月1日でした。けがの功名か、桜の開花が平年より早く、静岡県富士宮市の浅間大社周辺は満開で、とても綺麗でした。当初、次の本の企画に使えそうなので同行取材する予定だったのですが、途中で月刊誌ムーの三上編集長が話に加わり、例によって「ムー特派員」としても取材することになった次第です。当日は、現地でお酒の企画・イベント・販売会社の関係者の方々と合流し、初日は富士錦酒造を訪問、翌日は富士高砂酒造を訪問して取材を終えました。写真は出端氏という、この企画専属のカメラマンの方がいたので、私はプロ仕様のカメラは使わず、コンパクトデジカメで記録写真を撮っておりました。そして二日目の高砂酒造の取材もほぼ終わり、最後に何気に撮影した一枚に無数のオーブと思われる光る玉が写っていたわけです。本当に最後の一枚といえるもので、この辺りにオーブの意志や意図を感じますね。ご存知のようにオーブは、意図的にフレームの真ん中に写り込んだり、絶妙のタイミングで写り込んだりします。今回はタイミングで驚かされました。撮影した当時はオーブが写っているとは気づかず、約三日後に写真を調べたら判明。早速秋山氏に鑑定してもらったところ、「酒の精」ではないかということになったわけです。ムーの原稿にも書きましたが、この酒蔵で撮影したオーブの写真ですぐに思い浮かべたのが、昨年10月に弥彦神社に隣接する祓戸神社で撮影した瀬織津姫に関係すると思われる虹色のオーブです。酒蔵の写真でも秋山氏の頭のすぐそばに写り込んだオーブも虹色をしています。それではその写真をご覧ください。正確には数えきれませんが、30個ぐらいのオーブが写っていますね。最後に全員大集合という感じの集合写真にも見えます。で、既に紹介しましたが、こちらが弥彦神社そばで撮影した虹色のオーブの写真。新潟の弥彦山と静岡の富士山はほぼ南北線上にあります。瀬織津姫が水の神とすると、火中出産の神話で知られる富士のコノハナノサクヤヒメは火の神。火と水が出会って「火水(かみ)」となると解釈したわけです。易でも北は「水」で、南が「火」ですから、「神の酒」が誕生したことが霊的には示されているように思います。「神の酒」の詳しい内容については、ムー8月号をお読みください。
2021.07.10
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お知らせです。見本が届いていないので、まだ確認したわけではありませんが、本日発売のムー8月号に私の記事が載っているはずです。タイトルは「サイキック秋山眞人がパワーを込めた『霊峰富士の酒』」。122ページから125ページまでの四ページに掲載されていると思われます。プロカメラマン出端敏夫氏の写真がかっこいいです。不思議な縁により、富士山麓の老舗酒造会社と秋山氏のコラボで生まれた「神の酒」の話です。その酒造会社の蔵で私が撮影したオーブの写真も掲載されておりますので、明日にでもその写真をこのブログでご紹介しましょう。こぼれ話等もそのときにご紹介しようと思っています。ムーの8月号の紹介はこちら。アマゾンはこちら。それから既にお知らせしましたが、今月27日に河出書房新社から発売予定の田口ランディ、秋山眞人、江原啓之三氏による『精神世界3.0: 私たちは何を信じ、何を捨てるべきか』がアマゾンで発売前から総合ランキング35位となるなどかなり評判になっているようです(現在も約50~60位)。発売されたらもっと上位をうかがえそうな勢いです。作家、能力者、スピリチュアルカウンセラーという異色鼎談は、確かに面白そうですものね。私もどのような内容か知りませんので、読むのを楽しみにしております。アマゾンはこちらです。今日は出版関係のお知らせでした。
2021.07.09
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昨日は七夕でしたね。第73世武内宿禰こと故竹内睦泰氏によると、牽牛(アルタイル、彦星)とは牛頭天王ことスサノオのことで、織女(ベガ)は天照大神のことであったといいます。夫のオシホミミを出雲族の王スサノオに殺された日向族の女王アマテラスは、やむなく和睦を結び、敵将スサノオと政略結婚しました。結構、複雑な心境だったと思いますが、やがて二人は仲睦まじい仲となったようです。そして、二人の間に宗像三女神のうち二人の女神が生まれます(三女はスサノオの連れ子の末子スセリビメと私は見ています)。しかし日向族の審神者長タカミムスビ(高木神)は、出雲族と日向族の和睦を快く思っていなかったらしく(あるいは政略結婚の結果、女の子しか生まれなかったからかもしれませんが)、アマテラスとスサノオの間を引き離そうとします。それで天の川の反対側に二人を離しておいたのでしょうね。すくなくともそのように仕向けたように思います。ちなみに天の川はこの場合、豊後水道とか関門海峡ということになるでしょうか。流れが早そうですね。出雲神族、天孫日向族の間の政略結婚はその後も続きます。宗像三女神のうち長女(タギリヒメ)と三女(タギツヒメ)は出雲の大国主ことオオナムジが娶り、長女は八咫烏(アヂスキタカヒコネ、別名タケツノミ)を、三女はタケミナカタ、タカテルヒメ、事代主を儲けます。で、三女神の次女はスサノオと袂を分かったスサノオの四男オオドシことニギハヤヒが娶ります。その子供が朱塗り矢ことオオヤマクイ(山末之大主神)。松尾大社のご祭神ですね。その朱塗り矢さんが神武の乳母であるタマヨリヒメを娶ってうまれたのが、鴨王こと賀茂別雷(アメヒカタクシヒカタ)。上賀茂神社のご祭神です。鴨王の後に生まれた五十鈴姫がサノ(カンヤマトイワレビコ)と政略結婚して、サノは神武天皇となったわけです。七夕には結構、深い意味があるのです。それはさておき、梅雨の晴れ間に撮影した薔薇です。すがすがしい風景です。
2021.07.08
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梅雨の最中ですから、やはり紫陽花を紹介しておきましょう。ガクアジサイ。紫が綺麗です。ピンクっぽい紫の紫陽花も咲いておりました。梅雨に咲く豪華な花という感じですね。
2021.07.07
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まだ梅雨は開けておりませんが、実りの季節に向けて果実がなり始めました。梨ですね。そしてこちらは・・・柿の赤ちゃん。まだ緑色です。柿の葉に含まれるタンニンには防腐作用がありますね。柿の葉寿司をよく食べます。その近くで見つけた赤とんぼ。こちらはキウイです。夏に向けてまっしぐらです。
2021.07.06
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オリエンタルリリーが咲き始めました。日本原産のヤマユリやササユリなどを元に交配された大輪で、香り高いユリです。東洋のユリと名付けられました。7~8月に開花します。
2021.07.05
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ねむの木の花です。漢字では合歓木。夜になると葉が合わさって閉じて眠るように見えることから「ねむ」と名づけられました。ただし、オジギソウと違って、触っても葉は閉じません。よく間違える人がいるそうです。
2021.07.04
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梅雨の最中、蓮の花がポチポチと咲き始めました。花弁の色のグラデーションがなんとも美しいですね。古名は「はちす」。花托(花床:花葉を支える部分)の形状が蜂の巣に似ていたので名づけられたとか。それが転訛して蓮となったそうです。上の写真の中央緑の部分が花托ですね。確かに蜂の巣のように見えます。七月の花。聖なるものの象徴とされています。
2021.07.03
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太陽降臨。と言っても、梅雨の狭間に顔を出した太陽のことです。
2021.07.02
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梅雨の最中の風景。たくさんの傘のように開いている紫陽花たちです。
2021.07.02
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