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今年2024年の4月29日は母の三回忌でした。本当に月日の経つのは早いものです。母が亡くなってから丸2年。未だに何かあると、そうだ!母にこの話しよう・・・とか、ちょっと聞いてみようかな等、つい思ってしまう瞬間があります。一方的に話はできても(つぶやきみたいなものだけど)、もう母からの応えはないのだなと思うとやっぱり寂しいです。まだ2年だものね。寂しさはしばらく続きそうです。お花が届きました。お友達のUさんからまた今年もお供え物をいただきました。覚えていてくれてありがとう~。とっても嬉しいです。三回忌ですが特に法要は行わず、いつも通り自宅でお線香を立てて供養いたしました。毎日思っているので、それが一番の供養かなと思っています。先日も、幼い時からの思い出がたくさん蘇り、いかに両親に愛されて育てられたかを感じ、私は幸せな人生を歩んできたのだと改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。今の自分は?毎日が幸せです。住むところも食べるものも困ってないし、布団で寝て毎日お風呂に入れるなんて、それだけでも幸せなのに、さらに夫がいて猫達がいて、大好きな猫のために尽くす場所がある。私のことを気にかけてくれる兄妹がいて、友人たちがいる。心配してくれる身内もいて、頼りになる知り合いもいる。だからこそ、これからも誰かのために何かのためにできることをしていかなくては、と思っています。文句や愚痴も言ってしまうのでそれは猛反省をしないといけないけど(;'∀')・・・・そろそろ母のところから持ってきた様々な物を、少しずつ片付けていきましょ。処分してもいいかなと思うものもたくさんあります。今日は衣替え(やっとできた)のついでに、もう着られない洋服や使わないバッグなどとさよならしました。古着屋さん行きと資源のリサイクル行きと。どちらでもない本当のサヨナラ組も。活躍してくれてありがと~。クローゼットの中がちょっとすっきり。☆☆☆*引用・転載禁止のお願い「Allhealの森」のすべての記事・コメントの転載・引用・コピーは一切厳禁です。*このブログ「Allhealの森」内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。ご使用になりたい場合は、一言ご連絡いただけるとありがたいです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2024.04.30
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2月17日(土)にやっと母の納骨をすることができました。ずっと気になっていて、1周忌までにはと思っていたのにとうに過ぎてしまった…(-_-;)でもあわただしい中でやるよりも、今ちょうどボランティアもお休みをしているときだったので、しっかり準備する時間をもてたので良かったです。お天気が少し心配でしたが、お天気もよく風のない穏やかな1日になり天候にも恵まれました。石屋さんには母の粉骨もお願いしていたので、墓石を開けてもらって納骨、その他諸々の作業をセットにした金額をだしてもらいました。お線香をあげて、しばし母とそこに眠る曾祖母や祖父母と叔父達に話しかけました。母はやっとみんなと一緒になれてホッとしてるかな。亡くなったらお墓にいつもいるわけではない(お骨はあるけど、ようは魂は自由ということ)、と言われますけど、やっぱり話しかけてしまいます。でもこういう時は皆集合してるよね、なんて言って笑ったのだけど、ほんと、きっとそうなんだろうね。墓地はとても広い敷地で、そこここにベンチやテーブルなどがあるので、きっとここにランチなどをもってきて、お墓参りの後ゆっくりおしゃべりをしていく方も多いのだと思います。この日も、あちこちでのんびりと時を過ごしている方がいらっしゃいました。ちょうどお昼を過ぎたところだったので、私たちは別の場所に移動して、釜飯屋さんでランチをとりました。鯛釜めしが美味しかった!叔母のひとりが母にとても似ていて(昔はそんなに似ていなかったのだけど)、話をしているとまるで母と話しているかのような錯覚をしてしまうかのようでした。もしかして、母がきてくれて叔母と一緒に話を聞いてくれていたのかしら?なんてことを思ったりして( *´艸`)色々な母にまつわる話をしたり、祖母の話になったり、施設に入ってる叔母の話になったり。。。。私が知らない母の話がまだまだちょろちょろ出てくるので(笑)、また叔母に会ってたくさん話を聞きたいな~。そうそう、従弟夫婦に赤ちゃんが生まれた話も出ました。お嫁ちゃんがイタリア人で、ママ似だというのでさぞかし美人な子だろうな~。従弟もイケメンですからどっちに似ても可愛いだろうけど。赤ちゃんのうちに会いたいな。ボラが始まれば会う時間はそうそうとれないと思うけど(;´Д`)母も孫がいたらすごく可愛がってくれただろうな。こどもが大好きな人でしたから。母が入ったお墓には、母の祖父母と両親と弟が入っています。父は、父のご先祖さまや両親兄妹がいるお墓(長野県)に入っています。別々なのでお墓参りはなかなか同時期一緒にはできません(;´Д`)ただでさえ時間がなくて父のお墓参りはもう何年も行ってないというのに。でも自宅での供養は日々しています。それでいいのよ、と言われますけどね。長野は大好きなところでもあるので、年内に一回でも行かれたらいいなと思ってるけどどうなりますやら。☆☆☆*引用・転載禁止のお願い「Allhealの森」のすべての記事・コメントの転載・引用・コピーは一切厳禁です。*このブログ「Allhealの森」内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。ご使用になりたい場合は、一言ご連絡いただけるとありがたいです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.18
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今日は母の1周忌でした。昨年の4月29日に母はあちらへ旅立ちました。もう1年かー。あっという間の1年でした。母が息を引き取った日もボラをしていて、その後もずっとそれまでと変わらない日々を送っています。違うのはもう実家に行かなくなったことだけかな。未だに母が生存しているかのような錯覚を起こすことがあります。何かあった時、そうだ母に聞いてみようとか、母に話してみようとか、ふとそんなことを思ってしまいます。そのたびに、もう母とは会話することができないんだっけと思うのです。さみしいです。今もさみしいです。その反面、まだ実感がわかないというか、いつでも会えるようなそんな気持ちになる時もあるのです。そういう時は心が不安定になりやすいので、事故やケガなどに繋がらないように気を付けています。我が家にはお仏壇がないのですが、先祖供養とご縁のあった方々への供養は日々行っているので、今日自宅には、その場所に母が大好きだったお花をお供えしました。一周忌ですが可愛い色合いのお花です。母は可愛いものが好きだったのでこの方がきっと喜ぶと思って。母の日も近いしね。お世話になりっぱなしの友人から御供が届き、一緒にお供えさせてもらいました。母の命日を覚えていてくれたなんて嬉しくて涙がでました。ありがとう。いつもありがとう。いくつか懸念していたことのひとつが、いとも簡単に解決してしまい、それが母が昔よく言っていたことを思い出して実行したのがきっかけでした。きっと私はまだ母の娘なんだなと、勝手に思って嬉しくなりました。ありがとう、ママ。こんな年になってもママだなんて言ってるけど、やっぱりママはママなんだよ。☆☆☆*引用・転載禁止のお願い「Allhealの森」のすべての記事・コメントの転載・引用・コピーは一切厳禁です。*このブログ「Allhealの森」内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。ご使用になりたい場合は、一言ご連絡いただけるとありがたいです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2023.04.29
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今年は母の新盆でしたが、そのお盆の最中に見た夢に(夢を覚えているのは久しぶり(^^;)、母ではなく父が出てきました。父に逢えたのは嬉しかったけど、元気な状態ではなかったのがどうにも引っかかっていました。たとえ夢であっても、元気のない親の姿を見るのは辛いわ。夢占いって色々な解釈があるし、本当なのかどうかというのも、自分が信じるか信じないかってことなんだろうけど、そこで、どんな意味があるのか?と好奇心が抑えられず(笑)調べてみました。特にどってことないかもしれませんけどね。夢の中では、パーティ?か何かに親族そろって出席し、その会場があるホテルに皆で泊るという設定のようでした。でも実際に顔がはっきりわかっていたのは父だけなのですが。その父がパーティ後に具合が悪くなり倒れてしまい、失禁してしまい(なぜか失禁。。。(-_-;))、濡れた洋服をホテルの人に洗濯してほしいと頼んだり、宿泊する部屋に早く案内をしてほしいとお願いをしている、そんな状況を、別の自分が眺めているような感じの夢でした。久しぶりに会った父のそんな状態に、目が覚めてから、一瞬父は大丈夫かしらと思ってしまったのでした。もう亡くなっているのにね。でもどうやらこの夢が教えてくれているのは、父の事を心配している場合ではなく、私自身の心身の状態への警告らしいのです。亡くなった父親が夢の中で病気になるというのは(病気ではなく体調不良という感じだったけど)、私自身が抱えるストレスを意味するのだとか。でも、ストレスが全くない日常なんてないと思うので、うまく流していかれるようにするしかないですわ。色々重なり過ぎていたせいか、流しきれない状態なのかなとは思っています。それはすごく自覚してる。しかも私は自分から何でも背負ってしまう性質で(笑)、自ら追い込むのが得意なので(^^;、余計にしなくてもいいものまで抱え込みをしちゃうから。気持ちの切り替えは結構得意だし、「ま、なんとかなるでしょ」的な考え方で、沈みすぎないようにすることも習得してきているので、今やることをこなしながら乗り越えていきますよ。と父に報告。今回の夢は、父が心配してくれているのかな。と勝手に解釈しとります。本当にそうなのかどうかわからないけど、亡くなってまで心配をさせてしまうなんて親不孝だな~。。。母は何をしているのだろう・・・とちょっと想像してみたのだけど、3年前に亡くなった元義姉のYさんと、楽しくおしゃべりしている様子が浮かんできました。うんうん、それでいいのだ。私が体調不良の親を見るのが辛いように、きっとあの世から見ている親やご先祖様達も、私の身体のことをいつも心配してくれているんだろうな。私は大丈夫だよ。大事にするよ。この世に誕生させてもらった身体も心も命も。他者に恩返ししながら、生き抜くよ。☆☆☆*引用・転載禁止のお願い「Allhealの森」のすべての記事・コメントの転載・引用・コピーは一切厳禁です。*このブログ「Allhealの森」内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。ご使用になりたい場合は、一言ご連絡いただけるとありがたいです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.09.01
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母の新盆。お花を供えました。ユリが入っていたりあまり大きいものだと、猫がいたずらすると危ないので、丸くて可愛らしいサイズのアレンジにしました。お花が大好きだった母。色とりどりの華やかなアレンジも気に入ってくれたと思うけど、あえて私の気分で(^^;)真っ白にしました。お骨は兄のところにあり、仏壇も何もないので、お花を飾りお線香を焚いて供養しているだけです。ご先祖様を始めとする縁ある方々への供養も毎日しています。お墓参りもなかなかできていませんが、亡くなった方々への感謝と供養を忘れない。これが一番大事なことだと思っています。でも母の納骨はまだ先になりそうで、これはやっぱりすごく気になっています。ごめんね。。。ママ。今のままでは落ち着かないよね。お線香も少しだけ高級なものにしました。香りが違いますね。今回購入したお花はこちらで↓https://www.rakuten.ne.jp/gold/flower-fruit-igarashi/洋風なものを好んだ母だったので、気に入ってくれたと思います(*´ω`)☆☆☆*引用・転載禁止のお願い「Allhealの森」のすべての記事・コメントの転載・引用・コピーは一切厳禁です。*このブログ「Allhealの森」内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。ご使用になりたい場合は、一言ご連絡いただけるとありがたいです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.08.11
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4月29日母 永眠いつものように金曜日は朝からシェルターボラのシフト入りをして、猫さんたちのお世話に勤しんでいました。前日の母の状態から、もう何があってもおかしくないとは思っていましたが、心のどこかでまだあと1週間くらいは大丈夫かな、という気持ちもありました。願望かな。午前10時頃、ケアマネのKさんから電話が入り、ヘルパーさんからの報告によると、いつもの母と様子が違い心配だとのこと。訪問医に連絡をしたので間もなく往診に来てくれる、と伝えられました。そのすぐ後に、訪問医からの留守電。そしてほぼ同時にT叔母からの留守電。それぞれ、今すぐというわけではないけれど、でもいつ急変しても可笑しくない状態だという内容でした。そして午後にも看護師さんからの電話。血圧体温共に下がってきており、SpO2も低くなっている。更にもう一度看護師さんからの連絡で、血圧が60、SpO2は85%とのこと。この数字を聞いた時に、もう時間がないことがはっきりとわかりました。もしかしたら今夜が山かもと思い、ちょうど午後にシェルターにいらした代表に事情を話し、早めに退室させていただくことにしました。万が一の時に、どうしても母に持っていきたいものがあったので、一度自宅に戻りそして実家へ。もしも間に合わなかったら、、、、それはもう仕方がない。そんな覚悟を持ちながらそれでもどうか…と願いながら。叔母はもうベッドに入っていて、小さく声をかけても起きないのでちょうど寝入ったところだったのかもしれません。母の様子を見ると、もうかなり苦しそうではあったけど、手はかなりむくんでいて冷え切っていました。もう顔は真っ白だったので、父の時と同じだ。。。。肉体はかろうじて残してはあるけど魂はもう抜け出ている、そう感じました。母との時間。とても大切な時間。息をしなくなった母を見ても、すぐには受け入れられず、また再び息をするかもしれないとしばらく見つめていました。ずっと。ずっと見つめていました。どこで母が息を引き取ったと思ったらいいかわからなくなりました。もうすでに息をしていないのに。どのくらいの時間がたったのでしょうか。誰かに肩を叩かれたような気がして、やっとその時に、あーーー母はもう亡くなったのだとその現実を受け入れることができたのです。大きな声を出したわけでもないのに、叔母が目を覚ましたので、「ママが息を引きとったの」と伝えた瞬間、言いようのない思いがこみ上げてきて。。。声も涙も出ずただひたすら母の身体を抱いていました。訪問医に電話をしたのが23時前だったか。。。もう少し早かったか。先生が(主治医ではなかったけど)来てくださったのが23時15分頃でした。臨終を告げられたのは、23時22分。ママ。91年間お疲れさまでした。お正月に倒れてから4ヵ月。我慢の毎日だったよね。それでも文句ひとつ言わずに、笑顔でまた来てねと言ってくれた優しいママ。ありがとう。大好きなママ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.05.01
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4月28日猫達がずっと掛け布団の上で寝ているので、なんだか寝た気がしません。猫達に気を使って、無意識に寝返りを打たないように気にしているのか、身体中が痛い。夫が会社に行くと言って私よりも先に家を出たので、なんとなくリズムが狂って変な感じ。家に誰かがいると思うと、安心して出られるのね。改めてそう思う。昨日、ボラの最中に母の看護師さんから電話がありました。え?今日なの?と覚悟をして出たら、発熱したとのこと。39℃台まででたようで、その報告でした。まだ血圧が100はあったので、カロナールの座薬を使用。夕方のヘルパーさんが来たときには37℃台まで下がっていたそうです。(↓排泄の話。苦手な方はごめんなさい)そして今日は、久しぶりの排便がありました。泥状の便があとからあとから出てきて、看護師さんが綺麗にしてくれました。かなりの量でしたが、お腹もへこんだような…。終末期になると、体温調節も排泄も自己コントロールできなくなるので、発熱したり排泄障害があります。肛門括約筋も緩むので便失禁はよくあることです。身体の中のものを出してすっきりさせて旅立つ。自然なことです。母にはまた身体が軽くなったね、すっきりしたねと話しかけました。ほとんど反応がなく、目も閉じたままですが聞こえてはいるので、いつも普通に話しかけています。呼吸をするたびに、うめき声のような少し苦しそうな声がずっと出ています。死前喘鳴になるのかな。痰が絡んだゼロゼロという喘鳴ではないのですが、呼吸の時に声が出てしまうのも終末期の状態だそうです。喉の筋肉も緩み舌が喉に落ちてしまうと、呼吸もしにくくなるのでしょうね。ずっと開口のままなので、余計に痰が出てしまいますが、閉じるわけにはいかないし(・_・;口腔ケア用のスポンジで、口の中を湿らせたり痰を取り除いたりしました。意識が低下してきているから、苦しそうに見えてさほど苦しくないとは言われていますが、でも、やっぱり少しは苦しいんじゃないかなぁ…。T叔母とK叔母が来たので、認知症のR叔母のことはお任せして、私は母のケアに時間をかけることができました。R叔母は認知症がどんどん進行しているので、いつも母のところと行ったり来たりして、会話するようにしているのです。叔母達は用事が終わらないようでまだいるというので、私はいつもより早めに帰ることにしました。最近は家事も最低限のことしか出来ていないし、さすがに疲れもたまってきているのか、身体の動きが鈍くなっているので、夕食後は少しゆっくり出来たらなと思うのですが…。でも嬉しいことがあるとちょっと元気も出てくる^_^話しかけてもほとんど反応のない母ですが、今日は帰るときにまた来るね、と言うと小さく何度か頷いてくれました。あー嬉しい。九州の甥っ子が、来月7日に東京に来ることも伝えました。それがまた母の支えになってくれるかも。おばあちゃん!と呼んでくれる孫の声を聞きたいよね。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.28
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4月26日湿度が高くて、少し動いただけで汗が出る。でも、風は心地よい。母の状態は一昨日の日曜日よりもさらに反応がなく、話しかけても揺すっても起きません。ホットタオルを作って、顔と下肢を拭きました。香りの良いクリームでやさしくマッサージも。首の後ろにホットタオルを当てたら、はぁ〜〜と深く息を吐きました。気持ちよかったのかな。ここに温かいタオルを当てると、確かにふぅと身も心も緩みますよね。時々呼吸が止まります。先日もそうだったけど。今日は慌てて声がけしたり揺すったりはしませんでした。ゆっくり手をなでたり握って、大丈夫だよと言っただけ。多分これは、母へというよりも自分自身のためなのかも。訪問医と少し話をしましたが、このまま穏やかに最後までいかれそうですね、と。水分補給の皮下点滴を継続していますが、むくみはほとんどありません。排尿はここ2.3日はないことが多いのですが。行くたびに足裏のマッサージをしているからかしら。終末期の足裏は、元気な時とはかなり感じが変わります。母の足裏もずっと触れてきましたが、とても不思議な皮膚感を感じます。呼吸のたびにいびきとは違う、呻くような声がでるので苦しそうなのだけど。でも表情は苦痛そうではないので、いわゆる脳内麻薬というものがすでに出ているのかな。下顎を上下させる仕草も見られるので、母の命の灯しは少しずつ消えかけているのでしょうね。叔母の施設入所に備えて、解約したりキャンセルしたりと、あちこちの連絡で今日は時間を取られています。取られるなんていい方は良くないか…💦電車の中で爆睡して帰ろうかな。乗り換えしないで各駅にしよう😅スマホの電話が鳴るたびに、心臓がバクバク触ってします。心臓に剛毛が生えてる私だけど、実は心臓自体はちっちゃ!なのです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.26
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4月24日お昼から雨が降り出し、本降りに。それでも自由が丘は人がたくさん。買い物どうしようか…と思っていたら、ヘルパーさんが行ってくれました。ありがたいです。ありがとうございます。ヘルパーさんが上手にお水を口の中に入れてくれました。もう一口飲みますか?と声がけして、もう一口。もう少し飲みますか?とまたもう一口。もういらない時は拒否の合図をしてくれます、とちゃんと母の意思をわかってくださっています。とても明るくて元気なヘルパーさん。気遣いにもあふれていて、安心しておまかせできます。母はもう話すことはできないけど、わずかな表情の変化はあるので、それで母の気持ちを汲み取ります。この感覚を感じ取れる人もいれば、難しい人もいます。シェルターを出るのが予定より押してしまい(後ろ髪引かれる)、実家に着いた時間が遅くなってしまったため、今日は片付けはやめました。雨も降っていてテンションも上がらないし(^◇^;)シェルターでは天気関係なくいつも元気でいられるのだけどね。電車の中で爆睡したので、それをまだ引きずっていたのかも。母の肌がかなり乾燥していたので、手足にクリームをつける前にホットタオルで拭きました。皮膚が薄いから、少しでも力をいれると赤くなってしまうので気をつけないと。時々薄目を開けて見てました(笑)表情を確認しながらやらないと、やり過ぎてしまい嫌な顔をされます。ほんのすこーし眉間に皺がよるのでわかるのです(-。-;顔はマッサージはやらず、リンパドレナージュにしています。いつだっか、マッサージをしていたら拒否の仕草をされたので、母には刺激が強すぎたのかもしれません。もちろん力を入れていたわけではないのだけど。目の周りも涙と眼やにを軽く拭くだけにとどめてます。呼吸音がゼロゼロとしていました。ふくらはぎのむくみもあり、パジャマのズボンのゴムの後がかなり凹んでいました。もう水分補給の皮下点滴もそろそろ…かな。尿の量も減ってきているので、それに合わせて決めたいと思います。髪の毛をカットしたいけど、もう頭を浮かすことができないからこのままで。私も自分の髪をどうにかしたいけど、美容院に行く時間がなくて…(^_^;)この日!と思っても、担当の美容師さんがお休みでタイミングが合いません。GW明けには予約が取れそうなので、そこまで我慢するしかないな。葬儀社は、週明けに届く資料を見てから決めるつもりです。母が契約していたところは、「あそこは高いのよね」とよく言われるところなのですが、お金だけの問題ではなく、父の時に(父も同じ葬儀社だった)、そこの担当者に良い印象をもたなかったことを思い出したのです。そうだ、そんなことがあったわ。昔のことは水に流すとして、費用も含めて色々トータルで考えて決めようと思います。もうすぐ5月になるんだ。最後の母の日を一緒に過ごせるかな。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.24
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4月23日電車の遅延なく実家へ。今日の自由が丘もすごい人人人。夏日で日差しも暑くて日傘の人も多く、避けながら歩くのが難儀。実家に着くとまずは寝室に行って、母の様子を見ます。少し苦しそうな顔をして、口を開けて寝ていました。一昨日もそうだったけど、もう開眼している時間がほとんどありません。目を開けてもうっすらと開く程度。言葉は全くなく、声がけには頷くだけ。今日はうなずきもほとんどありませんでした。血圧がまだ上が100ちょっとあるし、SpO2は96か95はあります。でもずいぶん下がってきたな…。もう会話ができないのがとても寂しいです。わかっていることなのだけど。時々呼吸が止まってしまうので、そのたびにこのまま…止まったままになるかもという不安な気持ちに駆られます。終末期には呼吸が少しの間止まったり、また復活したりを繰り返すようになることも承知の上。なはずなのに、思わず身体を揺すったり、頭の位置を変えたり、手の甲を少し叩いてみたりしてしまいます。母との別れは今じゃない、と思いたいのでしょうね。もう少し、もう少し一緒にいてと。これからきっと何度か同じようにしてしまうのでしょうね。諦めきれずに。母の葬儀をどのような形でするかを、今の時点で決められることを決めておこうと思い、母が生前契約していた葬儀社の方と電話で話しました。そしてもうひとつネットで見つけたところには、資料請求をしました。それぞれに見積もりを出してもらい、決めようかなと思っています。いざというときに慌てないようにということと、母のお金を使わせてもらうので大事に使いたいと思って。残された者たちの見栄やこだわりで、余計な費用をかけたくないのです。本来、私は故人の弔いにおいて一番大事なのは、故人に向けての感謝だと思っています。生前の故人への感謝。そして、亡くなった後の感謝を込めた供養。本当はこれだけで十分だと思っています。シンプルに。心を込めて。でもきちんと綺麗にして旅立たせてあげたいので、湯灌はお願いしようと思っています。母はお風呂が大好きなのに、寝たきりになってからちゃんと入浴させてあげられていません。今はもう無理だし。。。それにしても湯灌はどこの葬儀社でも、オプションなんですね。今まで亡くなった家族や親族の時は、あたりまえにしてきたので、セット(?)に含まれているのかと思っていました。火葬だけでは少し寂しいので、告別式はしようと思っています。でも、読経は…たぶんなしになると思います。それよりも、産んで育ててくれたことへの感謝の気持ちと、これから私達があちらに行くまで、毎日供養させてもらうから心配しなくていいよ、と伝える言葉がお経の代わりです。その方が母も喜ぶかな、と思って。それと、母はお花が大好きだったので、棺の中をお花でいっぱいにしてあげようと思っています。これは、昔から母の希望でもありました。そこに母にプレゼントした洋服を一緒にいれて。。。通夜なし読経なしと、一般的な見送りとは異なるかもしれませんが、故人と遺族が無理なく最後まで幸せと思える別れにしたいです。でも昨今は、コロナの影響で家族のみでこじんまりとした葬儀も多いようですね。だから私が思うやり方も、そんなに変わっているわけではないのかな。母のことに関しては、全ての決定権は私にあり、全てのことをほとんど1人でやらなくてはならないので、毎日目が回りそうなほどやることが山積みです(・_・;それでもなんとかなっているのは、やはり支えてくれている存在があるからだと思っています。本当に感謝。倒れないようにしっかり食べて、できるだけ睡眠時間を確保するようにはしています。あとは。。。気持ちが落ち着かないと、なぜかアイスが食べたくなるので(^◇^;)、お腹を壊さないようにしないと。なぜかそうなんです。夫が脳幹出血で倒れた時も、毎日アイス食べてました😅なるべく、ひとつが小さいのを買おう。やっぱり食べるんかい(;'∀')にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.23
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4月21日また人身事故…。信号トラブルも多くて、最近、どこに出かけるときも電車が遅れます。いつもよりだいぶ遅くなってから実家に到着。母は寝ていたので、ダイニングルームで昼食をとりました。珍しくあまり食欲がなかったので、おろし蕎麦をツルツル。母にプレゼントをした服が見つかりました。やっぱり奥の方にしまってあった😅気に入ってなかったのかな。それとも大事に仕舞い込んでくれていたのかな。どちらにしても、ハワイ旅行で着てくれた記念のものなので、それを母の旅立ちのときに一緒に持って行ってもらう予定です。それと、綺麗なブルーのカーディガン。これはとてもお気に入りだったのを知っているので、それも一緒に。看護師さんのケアを終えてもずっと寝ていました。でもお水を飲むかと聞いたら、微かに頷いたので、吸い口から二口。こっくん。と飲んでくれました。むせやしないかとドキドキします。目を開けている時間もあるけど、呼吸の仕方が明らかに変わってきました。吐き出すときに声が出てきています。苦しそうな…そうでないような…。下顎呼吸とは違うので、あと数日ということではないとは思いますが、でもこればっかりはわからないです。ボラの日に連絡が入っても、ひとりでやっている日は、途中でやめて帰るわけにはいかないです。なので、そういう日はもうそういうタイミングなのだと覚悟をしています。ママ大好きだよ、と声掛けにもほとんど反応はありません。でも、わかってくれています。ほんのわずかに表情が変わるので。パッと見ただけではきっとわからない、本当に微かな変化。私にだけわかる母の表情。手を撫でながら、過ごしていました。途中、書類の片付けも💦終わるのかな…という量で、考えるとヘナヘナしてしまうので考えません。葬儀の見積もりも近々とってもらうことにしました。慌てないで母のことをしっかり見おくるためにも、事前にできることは準備してしておこうと思います。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.21
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4月19日先日、ボラの最中にケアマネさんから電話がありドキッとしました。もういつ連絡が入るかと、電話があるたびにどきどきします。母のことでしたが、母の身体に関してのことでした。何かというと、日々お世話してくださっているヘルパーさんの1人が、母の身体で気になることがあると言って、わざわざ連絡をくださったのでした。話を聞くと、(詳しい説明は省きますが)何か病気があるのでは?とのことでした。そのヘルパーさんが気にしている部位は、確かに私も違和感を感じています。腫瘍のようなものができている可能性もあり、そのせいなのか、膿のようなものも排泄されているようです。1ヶ月ほど前から膿が出続けているので、それが異常な状態だと言うわけです。先生にもお伝えしたけど、おりものか老廃物の排出だと言われたと。でもそうではないとそのヘルパーさんは感じているようでした。ではどうしたらいいのでしょうかね。それがもしなんらかの腫瘍であり、たとえ悪性だとしても、診察しなければわからないし、診断のためには検査をしなくてはならない。でもまず病院に連れて行くことからして難しいのに、そこまでのことをするのは、母にかなりの苦痛を与えることになります。切除しなくてはならないほどに大きくなったとしても、麻酔なしで切ることは無理だし、その麻酔すら母には高リスクです。薬で治療するにしても、経口投薬はすでにできない状態です。もう何かがあっても、そのために治療を施す状態ではないことを、そのヘルパーさんにはお話しました。訪問医のF先生とも、そのことについては何度も話し合い、ヘルパーさんや看護師さん達にも、伝わっていると思っていたのですが…。誰がみても、もう今の母は残りの時間が少ないことはわかります。とても寂しいけど、これはもう変えようのない事実。そのヘルパーさんは、いつも一生懸命で優しい方なのだと思います。母の今のような状態であっても、何かできることはないかと思ってくれたのでしょう。なので、ヘルパーさんにはこうお伝えしました。もしその部位になんらかの症状が出たとき、その時に先生に相談して対処してください。腫瘍が皮膚を破って自壊でもするかもしれませんし。また、母が痛み等で苦痛を感じているようであれば、座薬の痛み止めを先生に出してもらいます。母には、痛みや苦痛のない穏やかな時間を過ごしてもらうということを一番に考えていきたいと。今日、母の身体の気になる部位を再度確認してみましたが、確かに以前よりも膨らみが大きくなっています。でも悪性の腫瘍という感じではないような気はしてますが…。圧迫しても母は特に痛みを感じていないようですし、排尿にも問題もなく、むくみもさほどありません。呼吸に影響のある場所ではないので、開口になってきているのは、ただ単にそういう時期に来ているからだと思います。膿にしても何しても、身体の中のものが出る方がいいです。身体の中を綺麗にして、あちらに向かうのは自然なことと思いますから。冷静に母のことをみている自分と、母の変わっていく姿を見続けていく寂しさと苦しさが、複雑に絡み合って、今はとても不安定な場所に立っているような気持ちです。毎日やることが山積みで、余計なことを考えなくて済むので、かえって平常心でいられるような気がします。自宅に戻れば夫と猫達がいる。シェルターでたくさんの猫が待っててくれる。ラインやメールで気持ちを吐露できる友達や仲間がいる。ボラをやる自分を支えてくれるご支援者さん達がいる。助けられて生きてます。ありがとうございます。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.19
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4月17日日曜日よりも土曜日の方が人出があるような…。次の日がお休みの方がゆっくりできるものね。自由が丘のお店は、利用してもいつも同じところばかり。和菓子屋さんとかお豆のお店とかスイーツ屋さんとか。食べ物ばかり💦今日は無印のカレーを買って帰ろう。重いけど。シェルターはお昼に出発。K子さんからの差し入れのヨーグルトと、持って行ったお菓子でお昼をすまそうとしたけど、実家に着いたらお腹が空いてたまらなくなり、東急に助六買いに行ってしまった。食欲は衰えず。これも元気でいられる秘訣。母は珍しく起きてました。テレビの方を向いていたけど、眺めているだけのよう。部屋が少し暗かったので、電気をもうひとつ点けて、まぶしい?と聞くと、眩しくないと応えてくれました。久々の会話。言葉は不鮮明だけどちゃんとわかりました。嬉しい。自分でうちわで仰いだりも。まるで風は送られてないけど、そういうことがまだできるんだと、嬉しい。私からもそよそよと風を送りました。うちわは2枚あるからね。母は偶然なのか、ちゃんと選んだのかわからないけど、しっかり嵐のうちわを手にしてました。金曜日に来てくれるリハビリの方が、スマホで嵐の何かを(なんて書いてあったか忘れた)みせてくれたようで、リズムをとったり鼻歌もでました、とノートに記録してくれていました。すごいな。ヘルパーさんが来るまで、母と手を繋ぎながら話をしてました。私が一方的にですが(・_・;嫌だと目を瞑ってしまうのですぐわかります。今日はずっと聞いててくれたな。ママの手は私よりもスベスベして綺麗ね、というと、そう?とそこは速攻反応してました(笑)綺麗ねを連発したら、また話せるようになるんじゃない?ならないよねー(-。-; ワカッテマスって。叔母とももっと話さなくちゃと思うのだけど、何せ片付けも同時進行しなくてはならないので、少しだけおしゃべり。母のところと交互に行ったり来たりで、またお腹が空きました。アイスで喉を潤す。うまし。母が暑そうにしていたので、またうちわで仰いでいたところに、明るくて元気で気の利くヘルパーさんが来てくれました。その間に、母の部屋の片付けをば。全然終わらない。ふぅ〜。母が、お友達と撮った写真がたくさん出てきました。アルバムとかではなく、お友達から送られてきた写真。幾つくらいかな、60代から70代のものかな。丸顔を気にしていた母だけど、とても若々しくて可愛いです。持って帰ろう。家族写真のアルバムが見つからない。通知表とかも(^◇^;)どこー?にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.17
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4月16日今朝、夢に母が出てきた。何故か母は元気になってきていて、行ったことのない(過去に記憶のない)スーパーに、2人で買い物に出かけた時のことのようでした。黒いかまぼこが美味しいので後で買おうと言って、スーパー内のイートインコーナーで、昼食?を食べ始めます。母に、元気になってくれてよかった、というと、そう?心配した?と言って笑顔で食べる母。目の下はクマで真っ黒だし、顔色はとても悪いのけど、また食べてくれるようになってよかった…と母の顔を見て安堵する自分。食べ終わり、黒いかまぼこを探してあったあった!と喜びながらレジに向かって歩き始めたら、何故か私はまだ間に合うからと、友達と約束している場所へ急ぐのでした。あの黒いかまぼこは、あの後母は買ったのか?母は買ったかまぼこを食べたのかな。そもそも、黒いかまぼこってなんなん?そんなことを考えていたら目が覚めました。夢とはいえ、母が生きている間に見ることができた母の笑顔。母が食べている姿。夢とはいえ、母が生きている間に一緒にできた買い物。たくさんのおしゃべり。実家に行って寝ている母はますますやつれて、私の顔をみても反応がとても薄く、かすかにうなずくだけでした。もう私だとわからないのかな。でも、ママ大好きよ、大事なママ。ママはこれからもずっと私のママ。と言って頬と頬をつけると、顔が歪み喜んでくれているのがわかりました。母のことをママと呼ぶのは私だけだから。今日はT叔母とK叔母にも来てもらい、母の今後のことなど色々相談しました。母のことは全て私がやることになるのだけど、あの家のことに関しては私だけで決められないこともあるので。話しに時間が取られて、気がついたらもうおやつの時間じゃないですか(笑)時々母の様子を見ながら、3人で叔母達が買ってきてくれたゼリーを食べました。今日の母は、時折目を開けては、宙に視線を泳がせるように何かを追っていました。そうかと思えば私の顔を凝視してみたり。眉を寄せる時もあるけど、あれは母の微笑みなのかな。もう表情が作れないので、どんな感情になっても顔がゆがんでしまうようです。足の裏が真っ白でした。手も冷たい。だけど昨日はバイタルは正常。寝ている時も目を開けている時も、ずっと開口したままです。ほんのすこし痰が絡むような音がしていました。こけた頬も、うつろな目も、弾力のなくなった肌も、でも母の全てが愛おしいです。喉乾いた?水を飲む?と聞くとわずかに頷いたので、急いで冷たい水を持ってきて、吸い口から飲んでもらうと、コクっと一口飲んでくれました。でもそのあとすぐにおえーとなり、あーごめんね( ; ; )口腔ケア用のスポンジに水を含ませて、舌に当ててそれをまたコクっ。わずかな量なので今度は大丈夫でした。母は、多分、最後の最後までお水を飲んで排尿もしてくれるような気がします。なんてったって読めない人ですから(笑)今日は母の気に入っていた服を探す時間がなかったので、また次回。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.16
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4月14日雨で寒い一日。猫も人間も眠い一日。母も、声をかけても何をしても爆睡…。介護ベッドの点検がありましたが、その時も全く起きない(・_・;そのあと看護師さん(今日はふたり)が来て、あれやこれやとケアしてくれている時も、目を開けることなく爆睡。なので、今日は母のパスポートを探したり、また書類の整理をしました。書類の整理は延々と。終わるかなぁ、と言ってる場合ではない、終わらせなくては。母の気に入っていた洋服(私がプレゼントしたのだけど(^^;;)が見つからない。どこにしまったのかしら。部屋のクローゼットにないということは、どこ?母のバイタルは安定しています。それどころか、今朝またエンショアと水を5口飲んだと記録してありました。すごいな。このまま低空飛行でいって、孫のゆうにまた会えるかも⁈そうであって欲しい。小さな願い。安定してるとはいえ、皮膚の色や弾力はかなり変化してきています。体臭や口臭、表情なども来るたびにチェックしてますが、残りの時間がそう長くはないことを感じます。でもーー。母のことだからね。読めない母のことだからわかりません。昔から、一緒に買い物に行ってもいつのまにかどこかに行ってしまうような人なので(・_・;興味があると私のこと忘れたかのように、好きにあちこち見に行ってしまうんですよね。と書いておいて、あ、これ私も夫にも言われたことあるわ。すぐにどこかに行っちゃうんだからって(-。-;さすが母娘。同じことやってるわ。人のこと言えないわ😅寝続ける母を、今日はそのまま寝かせておいて、叔母と一緒に過ごしました。最近、ほとんど母のところに居て、叔母と会話をすることがあまりなかったので、いつも寝てばかりなのが気になっていました。おしゃべりすることで、少しでも叔母に刺激をと思って。私も眠いわー。拍動性耳鳴りがますますひどくなってきて、先日は眠れませんでした。眠れないほどの大音量なのは初めて。髪の毛もボサボサになってきたから美容院にも行きたいけど。病院と美容院。どちらも予約必要だからなー。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.14
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4月12日火曜日の午後は、内科の先生の訪問と歯科の先生の訪問があるので、お昼を食べる前に、支払いやら買い物を済ませることにしています。夏日で暑くて、もっと水分を取ってから出ればよかったと反省。喉が渇いていたからか、冷たいものばかりに目がいってしまいました。もちろんアイスもゲット。今日の母は、私が行ったときから帰る間際までずっと起きてました。ここ最近は寝ている時間の方が長いので、珍しいです。耳は聞こえているようで、大きな声でゆっくり話すと頷いたりするけど、母の言葉はあまりでてきません。何か話してもますます聞き取りにくくなってきました。土曜日の夕方?だったかに、お水やエンショア(高カロリー栄養ドリンク)を口から飲んだと記録されていました。まだこうして時々経口摂取ができるときがあります。そうなるとまた期待してしまうのだけど、さすがにもうね。もう食べることは出来ないでしょう。そこまでは期待してないけど、もしかしたら5月に甥っ子(孫)が来るまでがんばれるかも、と思ってしまうのですが…。看取り期の様子は、色々見聞きしてますが、なんだか母はマニュアル通りにはいかず、まだ大丈夫だろうと思わせておいて、突然「逝くわね」と逝ってしまいそうな気がしています。それはとても母らしくて、やっぱりねとおもうだろうし、反面、とても真面目なところもあるので、こうなってあーなって、さらにそうなっていき、そのあとこうなったら永遠の眠りにつきます、と手順を踏みそうだし。まさに読めないひとが母なので、もうどんな状況であっても驚きません。ただ、一緒にいる時間を大事にして、後で母と過ごしたあの時間が、寂しさを埋める慰めの一つになるといいなと思っています。温室の植木たちにお水をあげて、綺麗に咲いてくれたお花たちを少し切って、母のベッドテーブルに飾りました。温室のお花達は、母が元気だった頃大事に育てていたものです。きっとお花の精も母を見守ってくれていると思うんだ。母はテーブルに飾ったお花を見て、少し微笑んで綺麗ね♪と喜んでくれました。動植物は、言葉を必要とせずとも、ちゃんと人の心に響くものを持っているから。優しい気持ちになれる存在です。口腔内のクリーニングは、今日の母には無理でした。少しでも口を開けようとするとえずいてしまって。仕方ないですね。叔母は、奥歯がぐらぐらで抜いてしまったため、部分入れ歯の安定が悪くなるかも、とのこと。新しい入れ歯を作った方がいいのだろうけど、2ヶ月かかるというので、どうしたものか。でも食べにくくて食べられるのに食べなくなってしまうのは避けたいところ。T叔母とK叔母に任せちゃお^^;片付けものをしてから母のところに戻ると、うちわで仰いでました。昨日もだけど今日も暑いから。うちわで扇ぐとは言っても、ほとんど力が入らず持っているだけだったので、もう一枚のうちわでゆっくり風を送ってあげました。こうしていると、幼かった自分も母に寝入るまであおいでもらってたことを思い出します。そよそよとあたる風の気持ちよかったこと!母の瞼がだんだん下がってきて、しばらくすると寝てしまいました。母と過ごす時間は、子ども時代に母にしてもらった記憶を、次から次へと引っ張り出してくれています。そして同じことを、今度は私から母へ。親孝行させてくれてありがとね。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.12
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4月9日半袖の人をたくさん見かける。確かに今日は場所によっては暑いくらいね。自由が丘駅の改札をでると、人が多くてクラクラした…(^^;;人混みの合間を縫って実家へ。最近、叔母はお昼前に昼寝をするようになって、食事の時間が不規則です。でも食欲はあるようで、お腹がすけばちゃんと起きて食べています。お菓子から食べちゃうみたいだけど(-。-;寝室に入ると何か違和感。母は普通に寝ていましたが、テーブルの上がなんか違う。よく見たら、コップやら何やらがベッドに落ちてました。まさかと思い布団を寄せてみると、あーー、シーツもパジャマも濡れてるぅ。コップには目いっぱい水が入っていたようで、かなり広範囲に濡れてました。風邪をひかせてはと思い、急いでシーツとパジャマを取り替えました。と書くといかにも簡単に済ませたように思われそうですが、これ大変…。全く身体を動かせない人のシーツ交換は、素人には難しいですわ。シーツや着衣のシワは褥瘡の原因にもなるので、ビシっとシワのないようにしなくてはなりません。母の身体を横向きにしたり、母両脇に腕を入れて、ずり下がった身体を上方に移動させたり。汗だくになりました💦濡れたものを洗濯して、もう腰がピキピキです。やばいかも。お昼はクリームパンを持ってきていたので、コーヒーと一緒にそれで済ませました。九州の甥っ子が、おばあちゃんがんばれ!のメッセージ動画をラインしてくれたので、それを一緒にみたのですが、あれ?誰だかわかってる?就職試験の勉強してるんだよ、と教えたけど。大変ね、といいながらあまり興味を示しませんでした。可愛くて仕方のない孫からのメッセーなんだけどね。今日の母は…これって終末期せん妄というやつでしょうか。幻覚があるようで、時々視線を漂わせて何かを追っているような感じでした。幻聴もあるのかな…? ひとりで何か話しています。でも何を言ってるのか聞き取れない。私に話しかけているのではないので、何も返答はせず、落ち着かない様子になったら、足をさすっていました。足をさすると、目を閉じて落ち着くのです。時々、テーブルの端をピアノを弾くように指ではじいたり、リズムをとるように軽くタップしています。母の頭の中では、どんな曲が流れているのかな。嵐の歌かな(笑)そういえば、父もせん妄がでていましたね。手を伸ばして何かを掴もうとする仕草をしたので、私には何も見えなかったけど、飛んでいる虫をパッと捕まえるような動作をしたら、ものすごい剣幕で怒られました。父に視えていたのは何だったのだろうか。可愛い妖精のようなものだったのかな。平謝りしたけど、しばらくご機嫌が悪かったです。楽しい思い出とは言えないけど、そんなことも父との思い出のひとつですね。この日、また来るねと言ったらかろうじて手をあげてくれたけど、次回はどうかな。*****4月10日 10日、日曜日は母のことも含めて、様々な書類の作成やら葬儀社に相談(早めに段取りを整える予定)したり、私事の用事のあったりで実家にいかれませんでした。シェルターにはお昼から2時間ほど行き、皮下点滴や皮下注射、投薬等とウェットタイムのお世話をやらせてもらいましたけど(;^_^Aどうしてもシェルターにはいきたい。。。心配な仔もたくさんいるし。お見合い対応も本当は早く復帰したいのだけど、でも早く復帰するという事はその分母を早く見送るということで。。なんとも複雑です。またたびさんには大変なご負担をかけてしまっているのが心苦しいですm(__)m今日はヘルパーさんや訪問医のF先生からは何も連絡がなかったので、母が急変したということはなかったようです。ただ、R叔母からの電話は今日もありました(;´Д`)私が実家に行かれない日は、必ずと言っていいほど携帯に電話があります。今日も留守電に入っていました。いつものことと思いながら折り返し電話をして、どうしたの?と聞くと、母が何も食べてくれないけどどうしたらいいのかという返事。今の母の状態が未だによくわかっていないようです。もう食べられないからいいのよ、と言っても、そんなの大変じゃないの! どうするのよ!とだんだん怒りモードになってきます。何度説明しても理解するのが難しいようです。なので、気持ちが悪くて今は食べられないから、先生にちゃんと注射をしてもらったとか(これは事実ではないのですが(-_-;))、点滴の時に何日か持つ栄養剤を入れてもらっているから大丈夫とか(これも嘘なんですが(;´Д`A ```)、そんなことを言ってなんとか納得してもらっています。そうでも言わないと、叔母の心配や不安が増大して、なおのこと認知症も進んでしまいそうなので。明日も行かれないから電話くるだろうな。。。う~ん、なんと説明しようか。気持ち悪から食べられないの、が一番嘘じゃないし納得してもらえるかな。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.10
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4月7日実家に着くと、叔母はダイニングテーブルで寝ていました。テレビの音量がすごくて、声をかけても聞こえないようで起きない…。でもびっくりさせてもいけないので、ボリュームを下げようとリモコンを探していたら、その気配に気がついてくれました。最近、私が来たことも忘れてしまうのか、誰かがさごそしてる、と言われたこともあるので気をつけています(;'∀')母はどうかな、とのぞいてみると寝ていました。声をかけると一時的に起きるのだけど、またすぐに寝てしまう…。火曜日よりもさらに傾眠の時間が長くなっています。ヘルパーさんたちの記録を見ると、時々、一口の水を飲んでいるようです。飲むというか、湿らせる程度であるとは思うのですが。その時、やはり嘔気があったりえづいたりしているようです。今日も寝ながら時々気持ち悪そうに顔をゆがめています。どうにもしてあげられなくて、脚をさすったり手を握ったりするしかできないのが歯がゆい。どうせならしっかりハンドマッサージをしようと思い、ホットタオルで温めて、パジャマの袖を押し上げてしっかりマッサージをしました。気持ちよかったかな~。表情が変わらないのでわからないですが、嫌な時は眉間にしわを寄せるので大丈夫かな。今日はずっと手を繋いでいました。たまにギュッと力が入るけど、ただの生体反応なのか、それとも意識してるのか。。。私は、手を繋いでいる感触を確かめたくて、時々力を入れて握ったりしていました。言葉はさらにはっきりとしなくなっています。聞き直してもまた聴き取れなかったら、と思うと聞き返すことができません。大体の感で返事をしてしまったけど、合っていたのだろうか。。。今日は、気持ちが落ち込んでいたこともあり、あまり色々なことができず、滞在していたほとんどの時間を、母の寝顔を見ながら手を繋いで過ごしていました。母との別れを覚悟しているつもりでも、覚悟なんてその時が来たらどこかにすっ飛んでいそうです。はぁ~今日はテンションがまったくあがりません。やらないといけないことが山積みなので、少しずつこなしていかないと。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.07
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4月5日午前の用事で思ったよりも時間が押してしまい、自宅を出たのが遅くなってしまいました。渋谷乗り換えの中央林間行きに乗って行くことに。中目黒乗り換えの日比谷線だと、同じホームなので楽だけど、半蔵門線直通の方が時短なのです。それなのに、あーそれなのに。はっ!いまどこ?と気がついた時は二子玉川駅でした(~_~;)そこから自由が丘へ…。日比谷線でいくよりも遅くなってしまった。実家に着くとT叔母とK叔母が来てました。R叔母のことで来ていたのですが、この2人も80代前後。姉妹のこととはいえ大変です。寝室に入ると母は寝ていました。声をかけるとうっすらと目を開けて、私の声に頷きます。でもまた寝ちゃった。今日はかなり痰が絡んでいるようで、何度もティッシュで拭ってました。そうしてはまた眠る…。時々起きてテレビの方に顔を向けて何か言うのですが、言葉が不鮮明で聴き取りにくい。目の下のクマも一段と濃くなっています。看護師さんの記録を見ると、バイタルは全て下がってきています。昨日、訪問医のF先生と電話で話をした時、週単位で下がってますね、と言っていたのだけど、そろそろ日にち単位になってきそうです。今日は訪問者が多くて賑やかでした。叔母達2人がいるだけで、かなり賑やかなんだけど(^◇^;)。午前中は内科の先生の訪問とヘルパーさん。午後に歯科訪問とケアマネさんの訪問。母も内科診察と口腔内クリーニングで疲れてしまったのか、皆さんがお帰りになった後もずっと寝ていました。時折暑そうにしていたので、うちわで仰いであげたり、また下肢のマッサージをしたりしながら、一緒の時間を過ごしました。ベッドのテーブルの上には、何枚かの写真をおいてあります。猫の写真や母の若い頃の写真など…。今の母の顔をみながら若い頃の写真をみていると、何故か若い母の顔が自分の顔に見えてきました。私はずっと父親似だと言われていたのにね。母のように美人ではないけど、やっぱり面影は似ているような気がします。私はこどもがいないけど、ご先祖さまや両親から受け継いだ命は、さまざまな形で後世のために役立てていきたいと思っています。そんな命のリレーもあってよし。自分の命と身体を大事にしていこう。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.05
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4月3日雨がしとしと。朝はシェルターへ。皮下点滴やケアが必要な仔のお世話をしてから、実家へ。母との時間はとてもとても大事だけど、シェルターの仔達もとてもとても大事。どうしても行くのが無理なら諦めるけど、そうてなければやっぱりシェルターの仔達に会いたい…。やろうと思えばやれたのに、なぜあの時しなかったのか、という後悔はしたくないので。自由が丘は雨でもたくさんの人でいっぱいでした。昨日の土曜日の方がすごかったけど。あの店であれを買おうかなと思いつつ、足は実家へ。今日は買い物をする力が残ってなくて、ヘルパーさんにお願いするとにしました。実家に着くと、家の中がしん…と静まり返ってました。いつもはダイニングルームで叔母がテレビを見ているのだけど、今日はいない…。寝室で寝てました。雨だから眠いのかな?猫みたい(笑)母も寝てました。声をかけると薄めを開けて、私よ名前を言うと頷いてまた寝てしまった。雨の日は眠いよね(笑)寝ている母の足をマッサージして、今日は髪の毛をブラシして整えました。真っ白になった髪の毛は、ふわふわでとても綺麗。時々頭を掻いているので、ブラシを当てると気持ち良いみたいです。昨日のような頬の赤みもなく、足先も温かかったです。ただ、昨日とは打って変わってずーっと寝たまま。日によって違うのにはもう慣れたけど。いつも、土曜日よりも日曜日はずっと寝てばかりで、話すことも億劫な感じです。これは多分、土日は補液をしていないのでその影響かも。土曜日は、まだ前日の皮下点滴の水分補給でなんとかなっているけど、日曜日は少し脱水してきていて、だるさがでてるのかも。と推測しています。また寝てしまったので、母が寝ている間にまた書類の整理です。今日は、20年前に亡くなった父のものシュレッダーしました。父のものは全部処分したとおもったのに、まだあった。シュレッダーが途中で止まってしまってので、そこで終了。続きはまた次回に持ち越しです。色々な片付けもしないといけないので、母のそばにいる時間以外は、ガサゴソバタバタと動き回っています。ふー。今はやってもやっても片付けが進まなくて、終わりがみえないけど、泣いても笑っても7月には終わっているはずなので、あまり考えずに憂鬱にならないように、突き進んでいくしかありません。時間が足りないのを何でカバーするか。最終的には業者さんに頼むしかないかな。そうこうしているうちに、夕方のヘルパーさんが訪問。とても明るくて笑いの絶えない元気な方です。日曜日はこのヘルパーさんに会えるのも楽しみのひとつかな。血圧の低下。体温の低下。気にしておこう。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.03
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4月2日良い天気なのに風が冷たくて寒い。こういう日に油断すると、体調くずすのよね。今日の母は珍しく私が行った時間に起きてました。しかも、おめめぱっちり。テレビもついていて、しっかり見てたし。日によって一日中寝ている日もあるので、今日はラッキーかも。暑いのか自分でうちわで仰いでました。顔を見ると頬が赤い…もしかしてまた発熱?急いで体温を測ったけど熱はなし。手足は冷たく冷えています。のぼせてる感じ。足元は温かくして、掛けていた薄手の羽根布団は外しておきました。布団を掛けておくかどうか聞いても、本人もどうしたらいいかわからないみたいなので、熱を測ったり身体中に触れて、こちらで判断するしかないんですよね。今日は意識もはっきりと覚醒していたので、たくさんおしゃべりもできました。こういう日があると、このまま元気になるんじゃ…と、つい期待してしまうのだけど、その次に会った時は苦しそうに寝ているだけで、もうあと残りの時間はわずかかもと思ったり、勝手に自分で自分を振り回してる感じです(・・;)腕が痒いというので、みたら乾燥でカッサカサ。たっぷりクリームをつけてマッサージをしました。なんて細い腕になってしまったんだろう。母はどちらかというとふっくら体型でした。あなた達を産んでから太ったのよ、とよく言われましたね(笑)若い時の母は、それはそれは美人でウエストも細くて、新婚旅行の時の写真に写る両親は、娘の私が言うもなんですが、とても素敵なふたりでした。ハンドマッサージの後は、下肢のマッサージも。足裏の皮がペロペロしていて、マッサージ後の落屑が凄かったです。でも気持ちがいいと言ってもらえてよかったな。本当は、ここまで体力が落ちる前にお風呂に入れてあげたかった…。看護師さんからも発案が遅くて申し訳ありませんと言われたけど、あれよあれよと言う間に、ここまでになってしまったので仕方ありません。なので、せめて手浴や足浴ができたらお願いしますと、伝えました。今日は意思表示もとてもはっきりしていたので、もう一度確認してみました。埼玉の我が家の近くの施設に入るのと、ここにいるのとどちらがいいか。施設に入ったらコロナでまだ面会ができないから、今みたいにこうしてそばにいられない。ここであれば、滞在時間は短くなるけどそばにいられる。私はここでこうして一緒に過ごせる方がいいけど、と言ったら、母も「私も同じ」と言ってくれました。そして、今会いたい人はいる?と聞いたら、「それはもう、〇〇子さんよ(私のこと)」と。私に会えることを楽しみにしていてくれるのなら、やっぱりここにいてもらおう。家の売却の関係で、4月いっぱいまでしかいられないと、他の叔母達には言われています。もし、5月も母が頑張ってくれるなら、そこでまた考えよう。本当は、いようと思えば5月もいられるのです。ギリギリ6月も。7月までに家の中を空っぽにしなくてはならないので、片付け等で4月いっぱいまでとなっているのですが、それ以外にも、R叔母(母と同居)が入る施設が既に決まっているので、そんなには長くは待てない(施設側が)という事情もあります。R叔母の認知症がもっとひどくなってしまう前に。というのもありますけど。今月中に母との時間が終わってしまうのか。あるいは、5月以降なかなか会えなくなるけど、母を施設に移すことになるのか。これはもう、自然の成り行きに任せるしかありません。なるようになる。それがきっと最善なのだと思っています。甥っ子からの、ハッピーバースデーソングをまた聞かせて、シェルターの仔達やうちの仔達の写真を見せて、テレビを見ながらたくさん話をして、あー今日はとても良い時間が過ごせたな。血圧が下がってきています。一時的なのかどうかわかりません。明日はどうかな。明日は朝だけシェルターに行って、そのあとまた実家に行きます。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.04.02
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3月31日T叔母とK叔母が来てました。R叔母(母と同居)がこれから入所する予定の施設の方がいらっしゃるためです。ほんの2ヶ月前は、まだ母とR叔母は、私が住む埼玉の特養に入ることになっていたのに…。あれよあれよという間に、母はどんどん向こうへと進んでしまいました。寝室に入ると寝ていましたが、声をかけて挨拶すると起きてくれました。また氷を食べるかな?と思い聞いてみると、食べると言うので急いで小さく砕いて口の中に入れたけど、今日はすぐにオェッとなり出してしまいました。あーまたダメになったか…。先日は異常なほどの欲しがり方だったので、もしかしたらという期待もなくはなかったのですが…。 反面、あの日は特別だろうとも思っていました。とても複雑。目を覚ましてくれたのに、私は郵便局に行ってこなくてはならず、戻ってきたらまた寝ちゃってました。ベッド脇に座り脚をさすりながら、よく内容がわからないドラマを見ていました。松潤がでてるやつ。見ていたというより、時々眺めてたという感じかな。もう何年もドラマなどは見ていないので、俳優さんの顔と名前がわからない人が多くて。さすがに松潤と上戸彩さんはわかるけど^^;そのうち看護師さんが来てくれて、しばし席を外しました。血圧はまだ高めで、160ありました。これが下がってくると…。またそこで新たな覚悟が必要になるなるのかな。今日は寝顔が少し苦しそうでした。嘔気はあまりなかったけど、痰が増えてきたのかな。看護師さんが帰った後も母は眠り続け、再び脚をさすりながら、ぼーっとテレビを眺めてました。のつもりが、母の足先を握ったまま寝落ちしてました(^_^;)昨夜というか、明け方に身体を横にしてから2時間ほどだったので、さすがに眠けには勝てなかった💦行きの電車の中でも眠れなかったし。原因はわかってます。拍動性耳鳴りがここ最近とてもひどくなっていて、それが眠りを邪魔するのです。横になると余計にひどくなります。自律神経が影響しているのだと思いますが、それはまた季節も関係してるでしょうね。母の寝顔を見ていたら、気持ちが緩んだのかも。母に触れることで、私の方が安心感を得たようです。この母のぬくもりはこれから先も思い出すでしょうね。そうしたらきっと、眠れない夜があったとしても大丈夫。父の最後の温もりも覚えてます。あれ?それを思い出せば眠れたはずじゃん。おかしいなぁ〜(ーー;)(パパごめん🙏)おばさま達と色々話をして、この日は母との会話は諦めて帰ることにしました。ヘルパーさんもちょうど来てくれたし、また土曜日ね。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.31
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3月29日日曜日のお昼に突然叔母が発熱し、その日の夜は心配でした。T叔母とK叔母が、月曜日に様子を見に行ってくれるというので、月曜日は私はいつも通りにシェルターボラに。特に連絡もないので大丈夫なんだな、と思っていたら、訪問医から連絡があり、母が発熱したというではありませんか!先生いわく、2人がほぼ同時にとなると、コロナ感染の可能性もあるかもしれないとおっしゃるので、即、PCR検査をお願いしました。もし陽性であれば私は濃厚接触者になりますので、自宅療養をしなくてはなりません。今朝、クリニックから2人とも陰性だったと連絡が入り、心の底からほっ…。よかったー。実家に着くと、母は看護師さんからケアを受けているところでした。叔母は一晩で熱は下がり、月曜日は食欲はいまいちなものの、ダイニングルームには移動できていたようです。今日はもうムシャムシャと色々食べていたので、完全復活したようです。すごいな…。あんなにヘロヘロでもう寝たきりになってしまうかも、と思っていたのに、顔色もよく以前と変わらずなのですから。母は一段と痩せてきてはいますが、まだ意識はしっかりしていますし、今日は氷をたくさん食べたがりました。ちょっと前に、ストローで飲むのが辛そうに見えたとき、ぶっかき氷を買っておいたのです。その時は冷たすぎると言われて、あまり好まなかったのですが、今のために買っておいたのか、と思うくらい重宝しています。1センチくらいにカットして口にいれてあげると、「美味しい!」と言って溶かしながら舐めています。溶けてしまうと、「もうひとつ氷!」と所望。「美味しい!」「もうひとつ氷!」「美味しい!」「冷たい氷!」何度繰り返したことか(⌒-⌒; )まさに1時間以上食べ続けました。お腹大丈夫かな、と思ったけど、緩くなったら対処すればいい。今は母の身体が欲することを優先してあげよう。そうしないと母も心残りになるだろうし、私もあの時もっとあげればよかったと思うだろうから。今まで何度、同じような後悔を繰り返したことか…。母の、あーー美味しい❣️をまた聞くことができて、すごく嬉しいです。よかった。氷買っておいて(笑)でも泊って行かれないし、ずっとベット脇で、氷!と言われて用意し続けるわけにもいかないので、カップにでかい氷をいくつも入れて、これを飲んでねと置いてきました。試しに飲んでもらうと、冷たくて美味しいと飲めたので、これからヘルパーさん達にも同じように用意してもらお。先日までの連絡ノートをみると、もう何日も、「お水をご希望なので一口飲んでいただくと、その後嘔吐。苦しそうです。」などと書いてあったので、もう水分も経口摂取は無理なのかと思っていました。だから、それこそあとどのくらいもつのか…と覚悟を決めなければとも考えていたのですが。でももう少し頑張ってくれそうです。そして今日はもうひとつ嬉しいことが。帰る時に待っててねと言うと、待ってるね、と言ってくれました。待っててくれる限り母のところに通います。あ、そうそう。今日の笑いも忘れちゃいけない(笑)あまりにも氷をたくさん食べるので、「身体が乾燥してたんだねー。干物になっちゃうところだったね」と言ったら、うふふと微笑んでくれました。よし!もう一丁。「脂ののってない干物だけどね」言いながら、ちょっと調子に乗りすぎたかと内心ドキドキ。すぐに「うふふ」はーーよかった。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.29
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3月26日桜が満開になっている木もあり、スマホで写す。でもあいにくの曇り空でいまいち。母の寝室に入るとテレビがついていたので、起きてるのかな?と思ったら寝てました。もう寝ている時間がほとんどだから、特に驚きも不思議もないのだけど。テーブルの上のお花が増えてました。昨日来てくれる予定だったT叔母(叔母だらけなのでイニシャルつけることにした)は、旦那さんが入院したとかで来られなかったので、ヘルパーさんかな?可愛いブーケ💐ありがとうございます。寝ていても嘔気はあるようで、気持ち悪くなって目を覚ますこと数回。どうしてあげたらいいんだろう…。水も飲めない状態だから、吐き気どめの服用なんてとうてい無理だし。土日は皮下点滴(水分補給のための)はないので、それによるものではなく、終末期には吐き気も出てくるので仕方ないのかも。何かよい対処法があるのかしら?ついていた番組を一緒に眺めながら、時々また書類の整理。そういえばアルバムはどこにしまってあるのだろう。明日探してみようか。風が強くて今日は雨戸を開けず、室内の照明のみ。九州の甥っ子が、母の誕生日にと送ってくれた動画があったんだ。 頑張ってハッピーバースデーも歌ってくれていました。母にも歌ってと、言ったら甥っ子の歌に合わせて口ずさんでいました。「おばあちゃん、お誕生日おめでとうございます❗️」の言葉に、本当に嬉しそうに頷いていました。よかったね。☆☆☆☆☆3月27日朝シェルターに寄って、皮下点滴と皮下注射が必要な仔のケアをしてから実家へ。本当はいつまでも猫さん達のお世話をしていたいけど…そうもいかないので後ろ髪引かれながら、K子さんとOMさんとHさんに後をお任せ^_^シェルターからだと、うまくいけば1時間ちょっとで自由が丘まで行かれます。実家から通えればいいのだけど、やっぱそうもいかず(・_・;いつもより早い時間に到着。母は寝ていました。時々嘔気で目を覚ますのだけど、何もでないのでそれも苦しそう。そして、そのあと必ず呼吸が荒くなります。苦しいのか目に涙が滲んでいます。痰があがってきているのかな。もうそろそろ皮下点滴を止める時期にきているのだろうな。明日からは、平日1日1Lだったのを500mlにしてもらおうと思います。来週の状態によっては、もう止める予定です。水分補給の皮下点滴をやめたら…、3日から1週間。母の命の最後を自分で決めてしまうようで、いつ止めるかの決断はしんどいな。今日は待ってるね、の言葉はありませんでした。たまたま寝起きのタイミングだったからなのか、もういいよ、の意味なのかわかりませんが。昨日見せてあげた、甥っ子からの動画を再び一緒にみました。おばあちゃんお誕生日おめでとう❣️のところで、それはそれは嬉しそうに、ありがとー。と応える母。意識があるまで、何度でもみてもらお。と、母はゆるやかに終末期を過ごしていますが、今日は昨日のように、コーヒーを飲みながら読書なんぞできない出来事が。叔母にお昼の支度をして食卓に並べていたら、突然寒い寒いと言い出して、小刻みに手を振わせ始めました。暖房もついてるし、今日は全然寒くないのに。急いでカイロを背中に2つ貼って、もう一枚着せたのですが、それでもまだ寒いとブルブル。食べたら暖かくなるからと言ってお箸を持つも、その手が大きく震えて、とてもじゃないけど食べられる状態ではありません。脈はまあまあ正常。熱が少しあるかな?手のひらがまっしろ。心配なのでクリニックに連絡して、すぐに先生に来ていただくことにしました。30分後に往診。熱を測ると38℃ありました。え?コロナ?だとしたらどうしよう。色々見ていただき、少し脱水も起こしているようだし、尿路感染の疑いがあるとのことで、解熱剤と抗生剤をだしていただきました。処方箋ではなく、すでにお薬を持ってきてくださったので、先生の前ですぐに飲んでもらいました。そうしないと、あとで飲むからとかいうので(~_~;)先生には思わずコロナではないですか?と聞いてしまいました。だとしたら大変です。コロナ感染の可能性はほぼないと思います。とは言われましたが…。(その理由もあげて)でも念のため、消毒バンバン。マスクを二重にしました。今さら遅いか(^^;;叔母が椅子からずり落ちそうになっていたので、ベッドに連れて行こうとしたけど、自力で動けないし重くて動かせない。どうしたものかと思っていたら、グッドタイミングでヘルパーさんが来てくれました。助かった!さすがプロです。上手に支えてうまく誘導。無事、叔母をベッドに寝かせることができました。でも多分.朝まで自らは起きられず寝たままになるかもです。そうしたら、叔母もそのまま寝たきりに⁈オーマイガー。麦茶やポカリなどの飲み物をたくさんと、冷えピタを買ってきました。ヘルパーさんがカップに麦茶を入れてくれると、一気に500のペットボトルを飲んでました。大丈夫かなー。明日の朝、ヘルパーさんが来るまでの時間大丈夫かな…。心配だけど私も帰らないわけにはいかないし。もう私も倒れそう…。いや、まだまだ倒れるわけにはいかないわ。栄養ドリンク買って帰ろう。シェルターにもいつも常備してます。まいにちは飲まないけど、どうしてもの時は飲むと違うんだな。
2022.03.27
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3月24日母の誕生日。91歳を迎えることができた。母の誕生日プレゼントは、大好きなお花にしました。いつもより早めに自宅をでたのに、なんと。人身事故で電車がしばらくの間止まってしまいました。なんてことー。予定より随分遅れて自由が丘の駅に到着。でも遅れた電車に乗ったことで、嬉しい出会いもありました。あのまま何事もなかったら、可愛いワンちゃん達に会えなかったのです。このためだけの遅延ではないと思うけどね。でも最高に嬉しかった^_^ピンク色でまとめた数種類の花束を持って、急いで実家へ。母は寝ていたけど、声を掛けるとすぐに目を覚ましました。HAPPY BIRTHDAY MUMMY❣️お花を見て、「綺麗ね〜。」今日はママのお誕生日よ。というと、うんうん。91歳よ!というと、そうなのー?(⌒-⌒; )ケーキも何もないけど、でもお花を見ながら綺麗ね、と話してました。のつもりが…母はいつのまにか寝ていました。^^;でもお祝いできてよかったです。最後の誕生日。最高の誕生日。母が寝ている間にまた書類の整理をと思いましたが、今日は夕方までは誰も来ないので(夕方に看護師さんとヘルパーさん訪問)、寝ていてもいいわ、そばに居ようと思い、コーヒーを入れてきて、久しぶりに読書をば。母の脚をさすりながら本を読む。コーヒーを飲みながら本を読む。本を読みながら、時折母の寝顔を観察(笑)日々慌ただしく時間が過ぎていくので、こんなにゆっくりとできる日なんて皆無でしたが、これもギフトかな。母との時間がこんなに穏やかに過ごせるのは、とてもありがたく幸せです。治すための治療は当然必要だけど。寄り添うだけの治療もあっていいと感じます。これなら家族でも誰でもできる治療。医療じゃなくては治療ではないと言われそうですが、そんなことはないです。苦しさや痛みや不安や恐怖。本人の希望や気持ちに寄り添うことで、これらを少しでも取り除いたり和らげたりできたら、それも立派な治療だと思うのです。うまく言えないけど。血圧はまだ高めですが安定しています。呼吸も体温も落ち着いていて、まだもう少しそばにいさせてくれそうです。今日も、私がまた来る日を待ってるね、と言ってくれました。待っててね。といいながら、母を抱きしめました。「私が赤ちゃんや幼い時は、ママがこうして抱きしめてくれたけど、 今は私がママを抱きしめてあげる!」と言ってぎゅーっとすると、母は微笑んでくれました。その目にうっすらと涙が滲んでいて、それを見たら、私も鼻の奥がつーんと痛くなりました。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.24
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3月22日寒い。みぞれ。桜の花が咲き始めたのに。3日前の土曜日よりも、さらに傾眠状態が深くなっていました。少し触れただけでは気がついてもらえない。肩をゆすって、来たよーと声をかけると薄目を開けて頷きました。と思ったらまた寝てしまった。鼻唇溝(ほうれい線)がかなり浅くなっていました。痩せたのにシワが浅くなるなんて。皮肉だな。今日もあまり会話が出来ず、ひたすら手足をさすっていました。背中のマッサージも。ここが一番気持ちがよくて、手足は安心感。そんな感じがします。今日は寒いので私も外出はやめて、また書類の整理をしていました。洋服の処分も少し。あー、この服まだ持っていたんだ、懐かしいなとか思いながら。今週の火曜日は、内科の先生と歯科の先生の訪問です。今日は珍しく歯科訪問が先でした。吐き気があるようだと先生に伝えたら、クリーニング中に飲み込まないように、しっかり吸い取りながらやりますねと言ってくださいました。少量でも誤嚥したら怖いので安心しました。母のクリーニングが終わってすぐに、内科の先生のご訪問。タイミングよくてよかったです。この1週間で母の状態が思ったよりも進んでいたので、先生も少しびっくりしていました。確かにもう週単位ではなく、日々の変化なので。経口摂取がもうできていないことと、顔色や鼻唇溝、表情、排泄等…そんなところから、1、2週間でお別れが来る可能性もあるかも、と、先生と話してました。もちろん、本人の体力や生命力が、あとどのくらいなのか誰も決められません。本人はわかるのかな。私はわからない。まだまだ一緒にいたいから、まだまだ生きてほしいと思ってしまう。ただ、このまま静かに穏やかに時をを迎えてほしいので、投薬はもうやめにしました。おそらくもう水も飲みたがらないでしょう。そのたびに嘔吐は辛すぎます。皮下点滴は、今もほんの少しずつ入れてますが、浮腫んだり痰が出てきたらそれを合図に止めることにして、継続することにしました。排泄も便が出ていないとノートに書いてありましたが、こちらももうほとんど残っていないようなので、下剤や摘便もしなくていいと思ってます。尿が溜まっても出ないときは、出してもらいたいけど、量によりますが、できたら一気に出さずに1/2ずつとかにしてもらえたら。排泄は血圧をさげるので、一気に溜まった分を出すとそれで血圧も一気に下がり、あまりよろしくないような気がします。と、医療従事者ではないのにうるさい家族ですが、がん患者さんと高齢の方のセラピストとして、過去、看取りまでの寄り添いをした経験から、沢山のことを学ばせていただきましたので。先生や看護師さんには、冷静に判断されますねと言われますが、母と二人で過ごしているときは、心の奥底にはとても寂しくてたまらない感情があります。じわじわと迫り来るその日まで、この感情ともっと言葉に表せない気持ちとが、交互に又は一緒にやってきて、ずっと居座るのだと思うと辛くなります。なので、そんな感情が湧いてきたら、今はスルーするようにしてます。自分で自分の首を絞めない。自分で自分を追い詰めない。感謝の気持ちにおき替えて今日も、「産んでくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」「大好き!」を何度も伝えました。母のうなずく姿が嬉しい。そうだ。今日はまだ一緒に笑ってないや。と思ったら、鼻がムズムズしてきて、でっかいくしゃみが3連発!あ、笑ってる(^_^;)そのつもりじゃなかったけど、笑ってくれたからよし!帰り際、また母に大好き!と抱きついて、「ママは美人だね」というと、うんうん。「若いときは女優さんみたいに綺麗だったね」というと、うんうん。よし!「わたしはママに似たんだね」「…うん」おい!一回かよ(笑)笑顔はいいな。その時もね。笑顔がいいな。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.22
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3月19日部屋に入ると寝ていた。声をかけるとうっすら目を開けて、視線をふらふらと漂わせて、また寝てしまった。もう一度声をかけると、薄目を開けたまま、うんうんとうなずく。わかってるのかなぁ?〇〇子よ、と言ったら頷いたけど。ベッドのテーブルには、2切れのぶどうパンが置いてあったけど、もちろん手付かずで、たぶんこのままパサパサになっていくのだろうな。食べてしまおうかと思ったけどやめました。ヘルパーさんの記録に残しておいてもらおう。もったいないけど。お茶が入ったコップが二つ。水が入ったコップがひとつ。本日の皮下点滴はなし。点滴パックもかかってなかったので、今日はもうやらないのでしょう。口元の歪みがだんだんひどくなってきてる。頬もまたさらにこけて…。目の落ち窪みも。2日前にさほど感じなかった匂い(臭い)が、母の今の状態を一番わかりやすく説明してくれている。母は少し肌の色が黒いのを気にしていました。私が自分に似て色黒なのも。でも今の母の手は白くて指もスッと細くて、母が憧れていたような手になってます。自分では気がついてないだろうけど。何度か声をかけてみたけど、うっすら目を開けてうなずくだけ。今日はこの繰り返しでした。会話はあきらめよう。足をさすったり手をさすったり。でも背中をマッサージすると、ムクッと半身を持ち上げて、少々不鮮明な発声で「気持ちがいい」と言ってくれました。なんだ、起きてんじゃん。と言ったら、(たぶん笑った)唇の片側が少し上がりました。身体のあらゆる筋肉が衰えていくけど、表情筋もか。母の書類を整理して、振り込みと買い物へ。なんだか毎回振り込みしてるな。叔母には、リクエストの麦茶のペットボトルとみかんを買って戻りました。ずっと食べ続けている叔母。何度もこの家をもう出なくちゃいけないからと言い、おかあさん(母のこと)はどうするの?と聞いてきます。もうね、何度も何度も。きっと不安なんでしょうね。どう伝えたら叔母の気持ちに応えられるのかな。考えても思い浮かばなかったので、「おばちゃん、今川焼き食べる?」「食べる!」美味しい。楽しい。嬉しい。他に何がある?にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.19
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3月17日桜の蕾が膨らんできていた。お花見できるかな。一緒に桜の花を眺めることができるだろうか。ついそんなことを考えてしまった…。寝室に入ると寝ていました。ヘルパーさん達がつけてくれている、食事と水分摂取量の一覧表をみると、最近は日によっては、口に入れたとたん嘔吐してしまうことがあるようです。食欲だけでなく、もう消化する力もなくなってきたのかな。ベッドの脇に座っていると、目を覚まして冷たい水を所望。冷たくないのは嫌がるのだけど、冷たすぎると露骨に嫌な顔をするので、冷水と温水の配合が難しい^^;本日も合格いただきました(笑)テレビを見ながら少しおしゃべり。顔色はそんなに悪くはないけど、一段と目の下のクマが濃くなってきていめした。今は私もかなりのクマ持ちですけどね(^^;;おしゃべりをしていたかと思えば、すぐに目を閉じてしまう。私が帰る時刻が一番覚醒しているので、もっと近かったらなぁと毎回思います。寝ている間に、叔母の夜ご飯のお寿司を買いに行き、戻ってきてもまだ寝ていたので、母の部屋の片付けを。昔の書類をシュレッダーにガンガンかけてきました。今日はふくらはぎのマッサージのみ。看護師さんがいらしていたので、あまり色々やる時間が無かったから、マッサージはそこそこにして、お話しをしたり母の寝顔をながめていたり。生まれてからこんなにじっくりと母の顔を見たことはなかったかも。私が赤ちゃんの時は、きっと母は私の寝顔を見てくれていたと思うのだけど。今の時代は、子どもの顔よりもスマホの画面を見る時間の方が長かったりして(・_・;昨日、叔母から電話があり、「おかあさんが(母のこと)何も食べないのよ」と言う。もう食べられないの。と言ってもなかなかわかってもらえなくてね。以前、食べてるみたいよ、大丈夫よと言ってみたけど、その辺りはまだ分かっていて、食べてない!そんなこと言って!と怒られてしまいました( ; ; )なので、もう食べられない時がきてるのだと、やんわりと伝えるようにしています。でもやっぱり回りくどい言い方だと、何言ってんの⁇となってしまうので、なかなかにして難しい。この間は、すぐに忘れてしまうのか、食べてないのよ電話が日に何度もあり、その度にきちんと応えていたら、かなりメンタル消耗しました(笑)最近は、先生にすぐに連絡するね。というと、それで安心するのかその日はもうかかってきません。なので、嘘はいけないと思いつつ、その手を使わせてもらってます。叔母も母との会話がなくなってしまったから、どんどん認知症も進んでしまってるな…。食べることが唯一の楽しみになっているみたいです。というか、食べたの忘れてしまうのか、今日もずっと食べてました。もう母の食べる姿は見られそうにありません。今はまだ笑顔が見られるので幸せです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.17
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3月15日もうすっかり春。可愛いうぐいすの鳴き声が、穏やかなひと時を運んでくれる。3日前に会ったばかりなのに、母の目の下にクマが出てきていました。頬はさらにこけてしまい、歯茎も痩せてきているのでしょう、口元が歪んでいます。小皿に焼きそばかな?ラップしておいてありました。お昼にヘルパーさんが用意してくれたのですが、食べたくないようで手付かずです。手が熱いと言ってベッドの手すりを掴んでいました。でも触るとひんやり冷たいんですよね。私の手に触れて、熱い熱いというのです。アイスノンか何か置いておいてあげようか。と探したけどなかった…。我が家ならいくつもあるんだけど。後で買ってこようと思って忘れました^^;冷たいお水がほしいと盛んにいいます。でも冷たすぎるのはNGなので、ウォーターサーバーの水とお湯を、うまい具合に調合します。今日は合格をもらいました^_^ゆうちゃん(孫)に動画をおくるね、とスマホを向けても、今日は最初よくわからなかったようで無表情で見つめてました。ゆうちゃんと言って手を振って♪と誘導して(やらせかい)、やっとゆうちゃ〜んと言いながら小さく手を振ってました。冷たいものをほしがる。表情が乏しくなってくる。顔の骨格が歪んでくる。すぐ寝てしまう(傾眠)。食べない。排泄のない時が多くなる。むくみも少しでてきた。もうだいぶ時間が限られてきてるのを感じます。でも今の母だけみています。今のこの瞬間の母との時間を大事に過ごすだけ。過去の若くて元気な母のことは、後でいくらでも思い出せる。これから先に起こることは、その時が来たらでいい。庭にはたくさんの木が植わっていて、ベッドからはちょうど今満開の乙女椿がよく見えます。母はお花が大好きで、たくさんの植物を育ててました。今日も、何度も見ては「椿の花綺麗ね」と言っていました。そのうち、椿がバラになってましたが(・_・;振り込みと買い物に行く時に、何かほしいものがあるかと聞いたら、冷たいものがほしい。冷たいもので口にできるものはなんだろう。それが何かは思い浮かばないようだったので、氷と無糖と低糖のヨーグルト、フルーツカップを買ってきました。甘味を強く感じるので無糖にしたけど、ダメでした。当然低糖のもダメだし、フルーツもいらない。結局、氷を小さく砕いたものをひとかけら。でも今日は自分でコップのお水を何度も飲んでいました。暑くなってきたからかな。補液もしてますが、これらで生きているようなものですね。今日は、明日のむくみが少し気になったので、ふくらはぎのマッサージからしました。気持ちがいいと何度も言うので、つい自分の体勢を気にせずやっていたら、あー腰が痛い(>_<)その後は背中が痒いというので、背中をホットタオルで拭いてからマッサージ。背中は自分では掻けないから、とっても気持ちがいいと喜んでました。よかった。気持ちが良いという感覚は大事。美味しいもあったらいいけど、こちらはもう無理かな。楽しいも忘れちゃいけない。表情がだんだん乏しくなってきているけど、まだまだ笑ってほしい。今日も我が家の猫たちの話で笑ってもらいました。後は夫との会話(笑)夫婦漫才?とよく言われるほど、とんちんかんな夫婦です(^_^;)帰る時は、いつも手を握ったりハイタッチをしますが、今日は、ママ大好き!とハグ^_^母も娘に抱きつかれたまま、私も大好きと言ってくれました。そして、また来るから待っててね、と言うのも恒例です。待ってるね、と母が返してくれるの決まり事のようになりました。なんだか今日は気持ちが少し昂ってしまい、絶対に待っててね、と言ってしまった…。母は、当たり前じゃないのと言う顔で、「絶対に待ってるよ」テーブルに飾ったスイトピーとチューリップを、何度も可愛いと眺めている母の姿に、またね。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.15
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3月12日いつもより早起きをしたのに、溜まっていた用事を済ませていたら、実家に到着したのはもう13時近くでした。新しい洗濯機が届くのでもう少し早く行くはずだったのに。でも叔母様達が、発送時間に間に合うように来てくれたので助かりました。今日の母は、最初は寝ていたけど起こしたらすぐにちゃんと認識してくれました。叔母様達が来ていることもわかっていて、何してる?と聞いてきました。お昼にお寿司を用意してくれていたけど(叔母様達が)、何も食べたくないと食べる気なし。冷たいお水は?と聞くと、それは冷たくて美味しいと少し飲んでくれました。先週から、週末土日の二日間は補液はやっていません。だから経口で水分補給をしてほしいのだけど、飲食はもうほとんど無しの状態です。頬もずいぶんこけてきました。食べないのだから痩せて当然なのだけど。甥っ子が春休みに入ったとラインしてくれたので、母からのメッセージの動画を撮って送りました。ちゃんと孫の名前も覚えていて、「ゆうちゃん、元気?元気でね」と声もかけていました。母の誕生日まであと12日。孫のハッピーバースデー🎂の歌を聴いて、母に喜んでもらいたいな。母と少し過ごしたあと、この家のことを叔母様達と話しました。この家にいられるのが、どうやら5月いっぱいどころか4月末でとな。え、ちょっと話が違うんじゃ…。今の母を埼玉まで移動させるだけでも、色々なリスクがあるし。何よりも入所したら、今現在はまだそう簡単には面会出来ない。残された時間を少しでも長く一緒にいたいのに。叔母様達は、母はまた回復すると思ってるようです。倒れる前の状態まで戻れなくても、車椅子で移動できるくらいにはなると思ってるようです。もう1ヶ月以上もほとんど食べることができてないのに…。今まだ元気だから今のうちに施設に入ってしまった方がいいのでは?と言うけど、私と会えないというだけでなく、点滴などの医療処置が施設でできなかったら、(特養では点滴はダメだそうです)、母の命はもうカウントダウンに入ってしまう。入所する=看取り。1週間前後でさよならする覚悟で、施設に入ってもらうことになる…。そんな話しを叔母様達にしましたが、やっぱりどうにもならないようです。なんだか猛烈に寂しくなってしまいました。悔しい気持ちも。私だってまた元気になってほしいと願っています。まだまだずっと…祖母が亡くなった年齢まであと13年は、と。(祖母は104歳でした)そうだ、母に聞いてみようか。正直に話してみようか。母に選択させるのはどうなんだろうか、と思いながらも聞いてみました。我が家の近くの埼玉の施設に入る?と聞くと、入るとの返事。でも私とすぐに会えないかもしれないけどと言うと、仕方ないね。と言う。会えるようになったらすぐに会いに行かれるから、近くにいる方がいい?と聞くと、その方がいい。ここにいるより私が近くに住んでいる方がいい?としつこく聞くと、うんうんとうなずく。どっちにしろ、これから手続きや何やらで、入所できるのは4月半ばくらいになるだろうから、看取り覚悟で施設の方に再度話しを進めてさせてもらおうか…。入所前に…ということもあるかもしれない。移動中に…というこも。入所して会えないまま…となるかもしれないし、もしかしたら面会できるようになるまで頑張ってくれるかもしれない。もう選択肢はないので、色々な覚悟をしないといけないようです。もちろん、上に書いた四つ目が希望の光だけど。お顔のマッサージでツヤツヤになった母を見ていると、やっぱり一緒にいる時間を優先したいと思ってしまう。複雑な気持ちのまま、また来るねと母の手を握ると、母の手に力が入りました。ギュッと握られた手の感触。もっと一緒にいて。なのか。どんなことになっても大丈夫よ。なのか。気をつけて帰ってね。と心配してくれているのか。また来てね。と寂しくて握り返してきたのか。一緒にいたいよ。この年になっても母にくっついていたいよ。今日はちょっと気持ちが色々複雑で、書いてても支離滅裂かも。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.12
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3月8日この日は、実家に着いてすぐに、ケアマネのKさんとすぐ近くにある住居型施設を見に行きました。いわゆるシェアハウスと呼ばれる型の高齢者向けの施設です。母と一緒に暮らしている叔母の今後を考えて、東京の施設に入ってもらうことが決まったので、叔母様にどうかしらと紹介してくださったのです。母は、もし今の状態を5月以降も保持することができたら、我が家の方の特養に移る予定です。特養に入れば今のような医療的処置は無理なので、おそらく1週間から10日。しかもコロナの影響が続いていれば、会うことのないままお別れなるかもしれないので、近くに来てもらう、という選択は今となっては複雑です。でも今の家に居られるのは、5月いっぱいくらいまで…。もう売却の話しを進めているようなので…。1日でも長く母と一緒にいたいし、穏やかに安心して日々を過ごしてほしいのに。なんだかな…。母の名義だったら、いつ家を売るかなどいかようにもできたのだけどね。仕方ないです。シェアハウス型の施設は、今の家からとても近いところで、現在お世話になっている看護師さんやヘルパーさんが、そのまま来てくれるそうなのです。叔母も知っている人達なら安心だしね。とてもアットホームな雰囲気で、お食事やイベントも充実していて素敵なところでした。ただねー。面倒を見てくれる他の叔母達は、別の施設に決めているようです。そこには、叔父(全身麻痺の寝たきり)が入所しているので、ふたり一緒のところならあちこち行かなくて済みますからね。多分そちらになりそうです。ま、叔母の今後は、姉妹である他の叔母達にお任せしましょう。とは言っても、皆高齢なので私も何かしらの手伝いは必須だと思いますが…。施設から戻って一息つく暇もなく、振り込みやら買い物。そしてそれが終わると内科の先生の訪問。ほどなくして訪問歯科の先生がいらしてくださいました。でもこの日の母は、ずっと覚醒していてよく笑い会話も弾みました。笑顔をみると本当に嬉しい。口にしたものは、豆腐を小さなスプーンで4口。パスタを2口。たったこれだけでも自ら食べてくれるのを見るのは、これまた嬉しい。夜はお寿司たべる?と聞くと、食べるという返事。たとえ食べられなくても、食べようとする気持ちがあるのはすごいな。火曜日は訪問者が多くて、あまりマッサージができないのが残念。※※※※※3月10日先日ヘルパーさんから、いよいよ洗濯機がダメになってきました。と言われたので、急いで手配をしました。何せ洗い物が多いですから、洗濯機が使えないのは大変です。私が実家に行かれる日は決まっているので、手配した翌日に届けてねというわけにはいかず、土曜日の配達にしてもらいました。でも時間指定ができないので、時間によってはさてとうするか…。別に住む叔母に相談したけど、もし朝イチだったらそんなに早く行かれないとのこと。私が行くとしたら、実家に前泊か当日の朝早くに出るかしかない。今の状況でどちらも時間が取れず無理なので、またまたケアマネのKさんに相談です。ヘルパーさんが早く行かれそうになかったら、Kさんがなんとかしてくれると…。もういつも神対応で、足向けて寝られません。本当にありがたいです。さて、本日の母はというと、ずっと寝ていました。何しても起きず。2日前とは雲泥の差だわ。仕方ないので、お雛様を仕舞って母の部屋を少しだけ片付けました。それらを終えて寝室に行ってもまだ寝てました(^_^;)足裏のマッサージと、美顔マッサージをしましたけど、寝たままー(−_−;)今日はもう無理ね、ということでいつもより少し早めに帰ることにしました。帰宅すればやることが山積みなので、たまにはほんの少しでも時間の余裕がないとね。うちの仔たちのブログが全然アップできてないなぁ。写真も撮れてないし( ; ; )キキもとまとも元気です。ふたりとも、毎晩私の布団の上で寝てくれています。気になってあまり寝返りできてないかも(・_・;だけど。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.10
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3月4日朝食後、夫と車で買い物へ。普段はパルシステムで、食料品から日用品まで頼んでしまうのだけど、土曜日の午前中は、夫を外に連れ出して少しでも歩いてほしいというのと、足りないものやパルシステムにないものを買うため、一緒に買い物に行くことにしてます。なので、ここに実家行きが加わると、忙しさはヒートアップ。でも、工夫すればなんとかなる。それよりも、母と過ごす時間は今の私にとっても、母にとっても大事だし必要なことなのです。(;´Д`)そのかわり…家事はあまりできないし、夫ととの時間は少なくなってしまってます。仕方ないけど(;´Д`)実家に着くともう13時近くだったので、叔母は昼食後の一眠りをしているところでした。いつも、テレビみながら寝ちゃうのよな(^_^;)母も寝てました。テレビもついてなかったし、雨戸も開いてなかったし、部屋の電気もついてなかったので、部屋の中が暗くてこれはもう寝るしかない状況(−_−;)ヘルパーさんには午前中に来た時に雨戸も 開けてくださいね、とお願いしてるのてますが、ま、忙しいから忘れてしまうこともあるかな。時間がなかったということもあるでしょうし。仕方ないけど、今一度ケアマネさんに相談してみよう。そうしないと、ほかに誰も来ない日はおそらく一日中暗いままだから。母に声をかけると寝ぼけた顔で私を凝視。わかる?と聞くと、だれ?誰かわからない?と聞くと、わからない。_| ̄|○寝起きはいつもこうです。パッと頭の中を切り替えられないようで、しばらくだれか思いつかないみたい。そのうち、目がしっかり開いてくると、わかるわよ〇〇子さんと言ってくれます^_^叔母も目を覚まして、母に何か食べさせてやってといいます。朝はたべてないようで、小さくカットしたパンがラップされたまま小皿にのってました。ヘルパーさんによって、上手に勧めてくれたり食べさせてくれたりする方もいれば、置いただけでそのままという方も。テーブルに母用のかな?おにぎりが2つ置いてあったので、それを一口サイズに切って、母に食べやすくしたから食べてみて、と、口元に持っていくと、アーンと口を開けてバクっ。食べてくれた。もう一口。もう一口。最後はちょっと大きかったかな。これでもういらない。でも3口食べてくれたので良しとします。そしてイチゴが冷蔵庫の中にあったので、小粒を選んで4つ持っていくと、それも全部食べてくれました。少しずつ食べてくれるようになってきた気がします。何故突然寝たきりになり、そして何も食べなくなってしまったのか。ずっとずっと考えていたのですが、もしかしたらという仮説が思い浮かびました。これについてはまた別の日に書きたいと思います。最近少し食べられるようになったのは、これは漢方の薬をやめたからかも。以前、やはり薬の副作用で食欲減退とボーっとするような症状が出たので、先生に相談してその原因となるかもしれないお薬を変えてもらったら、ビンゴ!すぐに元気になりました。今回も、副作用は関係ないですかね、と先生に相談して漢方薬をやめてみることにしたのです。先日、母が漢方薬は苦かったから、飲まなくていいから嬉しいと言っていたようです。そのあたりからです。また少し食べ始めたのは。今日は、夜は何を食べようか?と聞いてみました。ちょっと前だと「いらない。何も食べたくない」と言っていたのですが、どうしようかな、、、という感じだったので、「麺類が好きだったよね、おそばとうどんとどっちが好きだっけ?」と聞いてみたら、「うどん」「暖かいのと冷たいのとどっちが好き?」と聞いたら、「温かいの」で、急いで買い物に行き、チンして食べるやつですが、温かいうどんを買ってきました。ヘルパーさんあてに、夕食にうどんをお願いします、と書いておきました。食べたかな~。どのくらい食べてくれたかな~。まだ甘味を強く感じるようなので、なるべく淡白な味のものがいいかと思い、お豆腐と卵豆腐も買っておきました。たんぱく質もとってもらいたいな。このまま、少しでも上向きになってくれるようなら、予定通り施設入所ができるかもしれない。今はまだ面会はできないけど、この先入所するころにはまた状況が変わってるかもしれない。入所したら会えるとは限らないけど、でもお風呂にも入れてもらえるし(今は無理なのです)、食事も母に合わせて色々工夫してもらえるし(義父がそうしてもらってすごく元気になった)、いつも人の目があるので安心だし。何よりも、義両親が入所していてとてもよい施設だとわかっているので、その点でも信頼できるのです。叔母の方は、東京の施設に入ってもらうことになりましたが、高額なところしかなく、それも仕方ないねと言っていたのですが、ケアマネさんから、「安いけどものすごく良いところ」というのを紹介してもらえることになりました。8日に見学に行く予定です。安くてとてもいいところ、なんて最高じゃないですか。どんなところか見学するのが楽しみです。8日は、その見学と、内科の先生の訪問もあるので、ちょっと時間が足りるか心配です。母と過ごす時間を作れるかな・・・・。今日は顔のマッサージと、首からデコルテ、背中のマッサージもしました。気もちがいい!と言ってもらえてよかったわ^^腕をあげる体操などもしてもらい、少し疲れたかもね。足裏のツボ押しもやってきましたよ。消化器系と脳のツボ。少しでも母に美味しいものを毎日食べて、楽しいなと感じてほしいです。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.06
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3月3日 雛祭り今週は日曜日と火曜日に行ってるので(週始めは日曜日にしてる)、今日はどうしようかと思ったのだけど、どうしても行かれない日以外はやっぱり母と過ごしたいと思い、実家に行ってきました。 家事も溜まってしまうので、色々やってからになると、到着時間は12時半過ぎになります。 ヘルパーさんとは入れ違いになることがほとんどなのだけど、今日はまだいらっしゃいました。少し話をしてから母のところへ。 ランチプレートがすでにセッティングしてありましたが、食べたくないと言ってラップしたまま…。でも焼きおにぎり美味しそうよというと、じゃあ食べようかなと言って、小ぶりな焼きおにぎりをひとつ完食。おかずはいらないと言って、手を出そうともしませんでした。 どうも食べられるのは、お米と果物だけみたい。 それでもいいです。自分で自分の口から、少量でも食べられるのなら。 甘味に敏感になっていることは、先日の様子とヘルパーさんとのノート交換でわかったので、りんごを勧めてみてくださいとお願いしましたが、日曜日の夜に1/4も食べてくれたようです。よかった…。 今日は比較的元気で、テレビを見ながらおしゃべりもできました。 夜は何を食べたい?と聞くと、やはり最初は何もいらないという返事。 お寿司は?全部食べなくてもいのよ、好きなのだけでというと、じゃあ食べようかなと前向きな返事。 夜になったらまた食べないというかもしれないけど、叔母の分と二パック買ってきました。今日は雛祭りだから、お寿司のコーナーもいつもより華やかでした。ちらし寿司も美味しそうだったなぁ。 新しいリップクリームと、叔母と食べる(私がです^^;)スイーツも買って帰るともう寝てました。 おやつを食べてから、母の部屋の片付けを少しして、それから母の足のマッサージ。足裏のマッサージは消化器系と脳味噌の反射区にしました(笑) 手足は温かくてむくみもほとんどありません。こうして寝たきりになるとおしっこが出にくくなるので、泌尿器ポイントもマッサージしました。 マッサージが終わる頃にお目覚め。もしかすると目を瞑っていただけで、起きていたのかな? 昨日は寝ていた時間が多かったようなので、やはり日によって違うようです。 次回は土曜日に行く予定。母と過ごすための時間がもちろん最優先だけど、片付けもしないと…。今から少しずつやり始めています。洋服だけでも物凄い枚数で、見るだけで疲弊していきます(−_−;) お寿司食べてくれるかな。お漬物も大好きだったことを思い出したので、かぶときゅうりのお新香も買ってきました。今はもう好きじゃないかなぁ。一応、ヘルパーさんにお寿司と一緒に出してくださいとお願いしてきました。 そうだ、今度はおにぎりを作っていこうか。母は鮭が好きなので鮭おにぎりと、海老も好きなので桜海老のおにぎりと。どうも味覚が鈍くなっているようなので、食感を楽しめるものだちだたらどうだろうか。食べてもらえなかったら自分で食べればいいしね。 時間があるかどうか…そこが問題。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.03
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3月1日お昼過ぎに実家に到着。他の叔母達二人が来ていました。母のところへ行くと、なんと!お寿司を食べてる!!え?え?食べてる!この2週間、ほとんど食べてくれなくて、食べてもヘルパーさんが強く勧めてくれて、やっと一口二口という状態だったのに。やっぱり孫パワー?4貫ほど食べたのかな?残り3貫と玉子が残っていたけど、話をしていたらもうひとつマグロの握りも食べてくれました。すごいんですけど。昨日月曜日は、やはり孫に会えて嬉しかったし楽しかったでエネルギーを使ったからか、寝てる時間が多かったようです。たっぷり寝たらお腹が空いた?こんな当たり前のことが、今の母には当たり前ではないので本当に嬉しい。小さくカットされてイチゴをふたかけ食べて、甘いからもういらないと。どうも見ていると甘味に対しての感覚が強いような気がします。日曜日にりんごを買ってきていたのだけど、もうお腹いっぱいだからいらないというので、ヘルパーさんとやりとりしているノートに、カットしてあげてほしい旨を書いてきました。ヘルパーさんと看護師さんとのやりとりノート。これいいです。業務連絡用のノートもあるので、私との交換日記ならぬノートにも書いていただくのは、お忙しい皆さんには申し訳ないのですが、皆さんからのリクエストがあれば私も出来る限り応えたいと思いますし。明後日は桃の節句なので、今日は母の部屋から(今の寝室とは別の部屋)、お雛様を持ってきてテレビの前に飾りました。女雛と男雛の二体だけです。寝室に全部は飾れないので、後の三人官女と五人囃子の方々はお部屋で…。雛人形は私が産まれた時に祖父が買ってくれたものです。ガラスケースに入った可愛らしい雛人形。結婚後も実家に置いてありました。毎年、母と一緒に出して飾るのを楽しみにしたいという思いもありましてね。母が施設に入所する時には、そちらに一緒に持って行ってもらうつもりだったのですが、今はどうなるか…どうしようかな。やはり入所は無理ということになったら、女雛と男雛のみ私のところにきてもらい、あとは人形供養でお別れしようかな。お人形さんもぬいぐるみもたくさんあるんです。私が幼い頃に買ってもらったものや、いただきものやら。ゴミとして捨てることは出来ないので、皆さん一緒に供養してもらってさよならする予定です。供養していただくところはすでに決めてあります。母は孫が来てくれたことは覚えていました。これもすごいこと!今月の母の誕生日には、またYの誕生日ソングで元気を継続してくれたら嬉しいな。他の叔母達は、このまま元気になって、リハビリを続けたらまた歩けるようになるかもねと言っていましたが、私にはそこまでの母の姿が浮かびません。決してマイナス思考になっているわけでも、諦めているわけでもないのですが…。期待や希望は持ち続けています。ただ、一喜一憂しないで、とにかく母と過ごせる時間を大事にしていこうという思いです。3月の母の誕生日をお祝いしたいな。4月は花見を一緒にしたいな。5月にYが来た時にまた一緒に笑いたいな。6月…7月…8月…まだまだ一緒にいられたら嬉しい。今日は下肢と足裏のマッサージ。消化器系部位をしっかりやっておきました。帰る時は、必ず「待っててね」と言います。母も「待ってるね」と言ってくれます。そしてハイタッチをして、またね。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.01
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2月26日と27日 26日と27日は、九州から甥がきてくれていました。ラインで送った母の様子を見て、1日も早い方がいいと思ってと、25日の夜に夜行バスで駆けつけてくれました。なんと!14時間ですと!いやー、私は絶対に無理だわ。でも、急なことだったので飛行機の予約が取れなかったらしいです。 ありがたいな。嬉しいな。 26日土曜日は、私は12時半過ぎの到着。遅くなってしまった。甥っ子Yと従兄のF(一緒に来てくれた)はもう到着していて、すでに母には会ってくれたようでした。 母のところへ行くと、いつもより意識もはっきりしていて、顔色もいいではないですか!やっぱり孫の存在はすごいね。 相変わらずほとんど食べてくれませんが、薬の服用はほぼできているようです。これだけでも嬉しいです。そこで口から水分も摂れるし。 Yに母のところに来てもらい、3人でいろいろな話をしました。Yが小学生の時と中学生になってから、彼の母親と一緒に東京にきて(2回)、スカイツリーやディズニーランドに行ったこと。母と私が九州に行って、あちこちの温泉に行ったことなど。どの話も昔のことだから忘れちゃったと言っていたけど、嬉しそうに聞いていました。 本当は、甥っ子達に母の所に泊まって欲しかったけど、他の叔母達の反対もあり、宿泊先を探してもらうことになりました。ぼくたちはネットカフェでも大丈夫です!と言っていたけど、今のご時世ネットカフェに泊まれるのかな?二人に少しお小遣いを渡して、ちゃんとした所を探して泊まりなさいと、叔母らしいことをしちゃいました💦 甥っ子がいなくなるとやっぱり寂しそうな母…。娘はもはや甥に負けてます😅 母の部屋を少し片付けてから、また明日来るねと言って実家を後にしました。次の日27日(日)は、シェルターにどうしても寄りたくて、補液の仔達だけしてから実家へ。 すでにYとFは来ていて、Yは母のベッドの横に椅子を持ってきておしゃべりをしていました。母は嬉しくて仕方がない様子。Fは応接間で寝ていました。夜行バスの14時間が堪えたようです。 この日も母の意識はしっかりしていて、来月の誕生日24日に、Yにメッセージを送ってもらう約束をしていました。私がふざけて、ハッピーバースデーの歌も歌って送ってね、と言ったら母は「そうして!一緒に歌いたいから!」 甥っ子は恥ずかしいなぁと言う顔をしていましたが、母があまりにもはっきりお願いするし、驚いたことにハッピーバースデーツーユー♪と歌い始めたので、みんなで大合唱になりました。 嬉しかったなー。もしかしたら、もしかしたら、来月は一緒に歌えないかもしれないし。今一緒に歌えてよかったな。 Yはこの春から看護学校3年生になります。もう5月には就職先を決めるのだとか。5た月にまた東京に来られるかもしれないと言ったら、母はその時までがんばると言うではありませんか。 もう孫パワーには完全惨敗です。 皮下点滴だけではあと3ヶ月は無理だろうなと思いながらも、いや、もしかしたらまた少し食べてくれるようになって、本当に実現するかもという様子に、わずかな希望と期待を持ってしまいます。 甥っ子の真っ直ぐに見つめる綺麗な瞳は、誰もが惹きつけられるものがあります。叔母ばかなのは百も承知。でも本当にこの子はそういうところを持っている子なんです。その目に母のことを焼き付けてほしい。母もその目をきっと心の中に記憶していることと思います。今日はさすがに夜行バスでも電車でもなく、飛行機で帰るとのこと。明日また学校だし、そりゃそうだ。 Yが帰る時、母は何度も勉強がんばって!と、おばあちゃんがんばる!を繰り返していました。 帰る前に、Yと母一緒の写真を撮りました。そして私と母一緒の写真を撮りました。それを母に見せたら、「私こんな顔してるの?こんなおばあさんの顔になっちゃったの?」とがっかりしていました。もっと若いと思ってたみたいです(笑)でもそこでまた笑いが起き、この2日間は本当にたくさん笑った母でした。 しばらくは疲れてまた眠る時間が増えちゃうかな。 それでも楽しい時間があった方がいいよね。 娘では役不足かもしれないけど、美顔マッサージと手脚のリンパドレナージュをしながら、心地よい時間を過ごしてもらおう。 あー、5月にまたYに会えるといいな。 叔母バカなので、Yに会えて私もテンション上がってます^^;にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.27
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2月24日今日の母は寝てばかりでした。声をかけるとうっすら目を開けるも、すぐに寝てしまう。やっと目を覚ましたときに、誰だかわかる?と聞くと、じっと見て無言。あ、わからないんだ…。〇〇子だよ、というとうなずくけど、多分よくわかってない。寝ぼけているようでもあるので、頭の中がまだはっきり覚醒してないのかも、と思うことにしました。今日は、別に暮らす叔母たちが来ていて、今後の話を少ししました。母のこと、そして母と暮らす叔母のことです。もう母は、埼玉の特養に入所するのは無理そうなので、このままこの家で看取ることにしました。叔母は、いまいる東京の施設を探して入ることになりそうです。最初は母も叔母も一緒にいたいから、ということで埼玉への引っ越しを考えていたのですが。。。叔母がひとりで入所するのであれば、他の叔母達がすぐに会いに来られる東京の方が寂しくないですしね。そんなこんなを話していたら、兄からラインが入りました。今日来られると!よかった。母はこれからいつどうなるかわからないので、なるべく早く会いに来てほしかったから、会いにきてあげてと何度も連絡をいれていたのです。私も兄に会うのはずいぶん久しぶりです。多分10年以上会ってない…(;´Д`)頭の毛も薄くなって太っただろう姿を想像していましたが、その通りでした(笑)でも不思議と残念な感じはしませんでした。短く刈った髪型が似合っていて、太ったというかがっしりした感じだからかな。ちょっと安心した・・・(笑)まぁ、元気な姿を見られてよかったです。母の顔をみた兄は、やはりかなりショックを受けた様子でした。都度都度報告はしていたので覚悟はしていただろうけど、今日は特に寝たばかりで反応が乏しかったから。多分、母は兄だと認識していなかったと思います。まだ寝ぼけていたというのと、母も兄に会うのがかなり久しぶりだし、マスクをしていたし。普通の時でもきっと誰?と思ったに違いないようなかんじでしたからね。私も道ですれ違っても兄だと気が付かないかも。二人だけで話をしたいだろうからと思い、私は別の部屋へ。私がいたら照れ臭くて言えないこともあるだろうしね。しばらくして寝室から出てきた兄は、目にうっすら涙の跡が見えたような気がしました。言葉にして伝えたいことを伝えられたかな。それとも心の中だけだったかな。どちらにしてもきっと伝わっていたらいいな。お互いあまり時間がなかったのだけど、兄と今話しておきたいこともあったので、それを話すために応接間に行きました。面と向かって話をするなんて、父の納骨の時以来だわ。兄も50代の後半。中身は変わらないかなと思っていたけど、良い意味で変わっていました。妹なのに上から目線ですが、昔は、勘弁してよということもありましたので。ちゃんとした大人になってくれて安心しました。見た目も中身も安心て・・・どんな兄なんだ、ですね(;'∀')兄が帰ってから、母がやっと起きて目もぱっちり。おーい。お兄ちゃん帰っちゃったよー。残念。でも覚醒してるのに、誰?と言われたらそれもまたショックだったかな。私のことは、今度はちゃんと〇〇子さん、とわかってくれてました。やっぱり来た時は寝ぼけていたのね。母に、お兄ちゃんにメッセージを送るから、と無理やりまた来てねと言わせて、手を振っている動画を撮ってラインしておきました。やらせかよ、と思ったけど、今はどんな母も兄は見ておきたいのではと思って。私も色々な母の姿を覚えておきたいし。ちょうど昨日、甥っ子からも音声のみですがラインが届いていたので、母に聞かせました。甥っ子からだとわかっているようで、うんうんと嬉しそうに聞いてました。甥っ子の春休みになったらこっちに来ると言ってくれているけど、母はそれまで今をキープできるかな…。3月20日から春休みだそうで。どうかな。間に合うかな。間に合ってほしい。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.24
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2月22日今日は、前日の母の状態を聞いていたので、午前中にひと通りの家事をしてから実家へ。その前にKさんに連絡をして、リハビリはもうできそうにないのでキャンセルしたい旨を伝えました。リハビリ自体が難しくなったというだけでなく、その時間を母と過ごすことに使いたいと思ったのです。実家に着くと、叔母がダイニングテーブルに突っ伏して寝ていました。テレビが大音量でついたまま^^;母と話すことが少なくなり、叔母もつまらないのでしょうね。うたた寝をしていることが多くなったようです。寝室に入ると母は寝ていました。起こさないと多分私が来たことにずっと気がつかないだろうね。来たよー!と声をかけると、薄めを開けて「来たの」。誰だかわかる?と聞くと、「〇〇子さん」あーよかった。まだ私のことがわかる。今日も何も食べたくないと言って、買ってきたものには目もくれません。私もあまり食欲がなかったのだけど、匂いで刺激されるかなと思い、コーヒーを入れてサンドイッチを持って母のベッド横で食べてみました。全く食指は動かないようで…。残念。少し話しをしていたら、完全に目が覚めたようで自分でテレビの電源を入れようとしていました。力がなくボタンも押せなかったのだけど、でもそういうことがまだできる!些細なことなのに、とてもとても嬉しい。そして希望ももってしまう…。また元気になって食べたり歩いたりしてくれる?かも…と。それはおそらくないに等しいのだろうけど。テレビを眺めながら、猫の話や甥っ子の話をしていると、母は笑顔になってくれます。少しだけ話を盛って、笑いに変える。母も声を出して笑ってくれる。無表情なんかじゃない。ちゃんと話を理解して、笑顔を見せてくれている。あーもうほんと。それだけで嬉しい。途中、支払いやら買い物やら何やらで外出して戻ると、ほどなくして先生と看護師さんが来てくださいました。母は問いかけにあまり応えず、表情も変えない。そういうことか。きっと初めて会う人たちになってるんだ。そして、問いかけられていることやしてもらっていることの意味がいまいちわからなくて不安なんだ。私が横でちゃちゃを入れていると、しばらくして母の表情が柔らかくなってきました。先生方がお帰りになるときは、手まで振ってた!無表情ではなく不安が顔に出ていたのだね。あまり遅くまではいられないけど、今日はリハビリがないのでその時間を使って、母に顔のマッサージと足裏のリフレクソロジーをしてきました。少しだけ圧を強めにして、消化器系を刺激しました。そうなんだよね。私はセラピストなのに、なぜかわすれていた…。この数週間、一番やってあげたい人に、なぜやってあげようと思いつかなかったんだろう。母の変化に気持ちが追いつかず、動揺していたのかもしれない。かもじゃなくて、していた。この数日、やっと母の今後に向き合うことができて来たように思います。今までも冷静さを保っていたと思い込んでいたのだけど、そうではなかったんだ。久しぶりに母への施術をすると、色々な情報を感じ取ることができました。そうだった。母の身体はこうだった。スキンシップはやっぱりいいな。温かいっていいな。帰る時には、母の表情も意識もよりはっきりしていました。気をつけて帰ってね。この言葉も久しぶりだな。また来るね。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.23
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21日(月)シェルターボラの最中に、内科の先生とケアマネのKさんから何度か電話がくる。先生から、胃瘻をつけたり静脈点滴でもっと栄養を摂ってもらう方法もあると伝えられるが、今の母の状態ではかえって苦痛をもたらすことになると思い、脱水症状や痛みの緩和等の最低限のことのみにして、延命治療は望まない旨を伝える。母も以前からそう願っていたし。何かの時も、救急車は呼ばず先生に来てもらうことにしました。もう今の安心できる環境で…それがいいですねと先生も同意。Kさんは夜もまた連絡をくださり、ヘルパーさんからの報告を伝えてくれました。声をかけると反応をしてはくれるものの、表情は変わらない。相変わらず食べたくないを繰り返し、かろうじてお茶を少し飲む程度。それでもまだ、口から飲むことができるので、もう少し頑張ってくれるのかな。ただ、あまり脱水が酷くなってもいけないので、21日の夜から22日にかけて皮下点滴をお願いしました。ケアマネさんの仕事時間外でも厭わず協力してくださる姿に、プロとして、そして人としての温かさを感じ、出会えて良かったと思える方々の一人です。ヘルパーさんも細やかな気遣いをしてくださるので、安心してお任せできます。先生方も、いつでも連絡をくださいと言ってくださるので、とても心強いです。施設への入所時まで、母は今の状態を保っているのは難しいかもしれないな…。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.22
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2月20日ボラでシェルター滞在中の15時半。ケアマネのKさんから母のことで電話がくる。気がつかず留守電になっていたので折り返す。ヘルパーさんから、母が何も食べたがらない、寝てばかり。反応が鈍いとの報告。日曜日でも先生は時間を作って来てくださるとは思うのだけど、この目で会わなければ心配で、シェルターを15時45分にあがらせてもらい自由が丘へ。アイス、茶碗蒸し、お蕎麦、ヨーグルトを買っていく。部屋に入ると寝ていた。ウトウトという感じ。声をかけるとうっすら目を開ける。「〇〇子さん?」と私のことは認識。気持ち悪くないけど食べたくないという母に、一口だけでもとバニラアイスを一口食べてもらう。でもまずそうに顔をしかめて、「もういらない。」大好きなアイスなら大丈夫だと思ったのだけど…。すぐに目を閉じてしまうので、やはり傾眠傾向にあるのだと感じる。先日の看護師さんの呼びかけにほとんど反応を示さなかった時は、昏迷状態にまで入っていたのか?少し首をかしげるように寝ている母の顔を見ていたら、思わず抱きついてしまった。今伝えたい。ママ大好き。ママの子に生まれてよかった。ありがとうありがとう。ママの頭を抱くようにして、何度も伝えた。母も声を出さずに何度も、うんうんとうなずく。ママは?〇〇子のこと好き?うんうん。ママのこと大好きだよ。うんうん。涙が出そうになる。溢れてくる。母も目元を拭うようにこすっていた。ケアマネのKさんに電話。やはり食べないことを伝える。老衰。もうそれしか浮かばない。向かっている。それをはっきり感じる。一応、翌朝に先生に電話をして、皮下滴をしてもらえたらと相談する予定。しばらく手を重ねて、寝ている母の顔を見ていた。温かい。小さくなった手。握ったり撫でたり、この手で育ててくれたんだね。ありがとう。帰る時になって、目をぱっちり開けるので、帰る時なってやっと目が開いたー^_^と言ったら、帰って欲しくないから。という。じっと私の顔見つめてくる。また来て。来るよ。また来る?来るよ。切なくてたまらない。もっともっと一緒にいたい。またね。部屋を出ようとするとずっと私のことを目で追う。視線を外さないので泣きそうになる。誰でもいつかは死を迎えるのはわかっているし、その時が来たら静かに受け入れるしかないのだけど、もっと一緒にいたい。それだけ。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.22
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急変した母のことを記録に残しておこうと思います。2月16日先週水曜日のことですが、母と叔母がお世話になっている訪問医師から電話がありました。ちょうどシェルターでボラをしている時です。嫌な予感。「何度も電話をしてしまい申し訳ありません」 え?気が付かなかった(;'∀')こちらこそ申し訳ありませんm(__)m「お母さま担当の看護師から連絡がありまして、お母さまの意識レベルが低下していて、何の反応も示さないと・・・・」はい? えーー?それはどういうことで。。「呼びかけにも全く応えず、刺激を与えても反応がないと。」そ、それは(マジ)どういうことで。。。その日の午前中には先生が診察に来て下さっていて、訪問している間はいつもより少しだるそうではあったけど、笑顔で会話はできたとのことでした。それなのに、同もう次の午後にはもう無反応?呼んでも起きない?やだやだ、一体どうしてしまったの?前日火曜日には私も実家に行っていて、ベッドの横にテレビを設置してあげたので一緒にオリンピックを見たり、普通に話をしていたのに。先生と話した結果、今も反応がない意識レベルであれば、脳に何かしらのダメージを受けている可能性もあるし、早急に処置をしなければ命に関わるかもしれないので、、看護師さんに救急車を呼んでもらうことにしました。少しして、看護師さんから連絡が入りました。「今はお母さまは意識が少し戻られて、テレビを見ています」テレビ…を見ている? はい?「先ほどは今までに見たことのない意識レベルだったので。救急車はどうしましょうか?娘さんとしてはどうでしょうか?」と言われても、私はこの目で母を見ているわけではないし、今はテレビを見てるというしどう判断すればいいのでしょうか? とこっちが聞きたい。でも今は覚醒していても、また数分後に何かあったらと思い救急車を呼んでもらいました。話の途中で救急隊の方がいらしたので、一度電話を切ってボラ作業に戻りました。気が気じゃないけど集中しないと。ということで、看護師さんから次の電話が来るまで猫さんたちに集中!切り替えはできるので、電話が鳴っていることに気が付かないと困るので、呼び出し音を大きめにしておきました。ほどなくして看護師さんから再度の電話です。「救急隊の方がお母さまとお話をしたところ、自分の名前と生年月日は言えるし、脳卒中等のすぐに処置をしなくてはならない状態ではないとの判断で、搬送はしないことになりました」はーそうなんですね。わかりました。ありがとうございました。その後、朝のヘルパーさんの報告によると便が数日出ておらず、食欲もなさそうだということだったので、摘便をしてもらえるようお願いし、電話を切りました。何だったのだろうか?何はともあれ、意識も戻ったようなので半ば疑問を抱えつつも一安心。再度の訪問をしてくださったようで、夕方先生からもまた電話がありました。何が原因なのかわからないのだけど、一応血液検査をしてもらい、そして脱水をしていそうなので点滴もお願いできないかと聞いてみました。静脈点滴は動いたら危ないので、皮下点滴だったらいいですよとのことで、皮下滴を朝までしてもらうことになりました。大丈夫だよね。心配だったけど、先生も今の状態なら大丈夫だと思うとおっしゃるので、次の日の朝、先生からの連絡を待つことにしました。そして、次の日木曜日の朝。先生から電話が入り、「お母さままた元気戻されましたよ。顔色もいいし、昨日の血液検査の結果も問題なしです。」はぁ~よかった。。。脱水はしていたのだと思います。点滴お願いしてよかった。また何かあれば(ヘルパーさんや看護師さんからの連絡等)すぐに駆け付けますので、と言って下さったので、お礼を言って電話を切りました。そのすぐあとには、今度はケアマネのKさんから電話がきました。「お母さまね、元気ですよ!! 今代わりますね」と言って、しわがれた母の声が「もしもし~」と聞こえてきました。「元気ですよー。」昨日元気なかったから心配したのよ。よかった元気になって。。。いつもママのこと思ってるからね。と伝えると「ありがとねー大丈夫よ」と何か食べている様子。ふぅ~。これにて一件落着?何が原因だったのか。食べる量もどんどん減ってきていて、ほとんど動かないので、身体の全ての筋肉力(内臓も)が落ちているので、少しずつ老衰しているのかなと感じています。寝ている時間が多くなり、いわゆる傾眠傾向の状態に入ったのでしょう。看護師さんの呼びかけにも無反応だったのは、もしかしたら昏迷状態であったのかも。このまま食べなければ…自然に任せればそんなに長く一は緒にはいられない。覚悟しないといけない時に来たのかな…。そんな気持ちがよぎりました。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.19
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母が自力で起き上がれなくなったので、急いで入所できる施設を探さなくてはならなくなりました。まずは何から始めたらいいのか。。。全く分からない(;´Д`)市の福祉センターに問い合わせて、ケアマネさんを決めて、それから施設探しということになるのかな。時間に追われながらそんなことを考えていたのですが、そうだ!義妹(夫の妹)に聞いてみようと思い立ちました。義理の両親は、同じ特別養護老人ホームに入所しています。その手続きやら何やらを、義妹がやってくれたので色々アドバイスをもらえたらと思って。義妹にラインしたら早速施設の相談員さんに伝えてくれて、いつでも相談にのってくれるとのこと。ありがたい~。時間をみつけて電話をしたところ、そんなにお待たせせずに入っていただけるかもという返答。特養は安いので待機人数が半端じゃないと聞いていたし、何せ二人分の部屋が必要なので、ホーム探しには相当な覚悟をしていたのです。すぐにホームの資料と入所申込書が届きました。「まずは申込書を送ってください、その後調査に伺います」ということで、早速FAXにて送信。直近3ヵ月の介護サービスの利用証明が必要だとのことなので、そこはケアマネさんに相談をしたら、すぐに用意しますと言っていただき、こちらもお任せで助かりました。なんだか話がとんとん拍子に進んで、施設探しで大変な日々…想像していたのでちょっと拍子抜けです。でもすごくすごく助かる~。ありがたい!! 先日、埼玉から東京の実家まで、相談員のHさんが調査に来てくださいました。遠いところからありがとうございます。やっぱり2時間かかったそうです(;^_^A(お車で)私はいつも電車だけど、2時間はかかるんですよね。シェルターまでも2時間だし、週に5回の往復4時間=20時間がもったいないよなぁ。と話がそれた。その日はケアマネのKさんも同席してくださったので、心強かったです。母は、先日介護認定が「2」と出たので、再度の調査を依頼し、今また新しい介護度が出るのを待っています。でも、自分ではベッドで食事をするくらいしかできないので、たぶんまた「4」になるかと思います。叔母は要介護1なのですが、それでも手続きをすれば養老に入れるのだそうです。それなりの理由等がないとダメみたいですが。でも母だけホームに入って、叔母が一人で暮らすなんて到底無理だし。義母も要介護1でしたが、義父(要介護4)と一緒に入れたので大丈夫でしょう。ただ、同じフロアにはなるかもしれないけど、同じユニット(食事をしたりなどのグループ)は別になってしまうかも、とのことでした。最初は、階も違ってしまうかもという話だったので、ユニットが違っても仕方ないなと思っています。運よく一緒に馴れるといいけれど。相談員のHさんはとても穏やかで優しい印象の方でした。調査も無事に終了し、母の介護度がでたら点数も出せるので、そこから本格的に話が進みます。色々な手続きももとより、何よりも片付けが。。。(;'∀')まぁそれは母達が引っ越してから少しずつやるしかないな。今の母の状態は、まだ自力で起き上がることができないけど、介助をしてもらって10歩歩けるというところまでになったそうです。私の前ではまだ一歩も歩けてないのだけど。ただ、食欲はあるのでそこは少しほっとしています。食べる量は動いてないから以前よりも減っていますが、それは仕方ない。それよりも、もうすぐ91歳という年齢を考えたら、一時寝たきりになった高齢者が、介助ありでもまた歩けるようになってきたというのがすごいと思っています。倒れる前と同じようになれるとは思っていません。そこまで期待するのは無理だろうし、しなくても自分で食べたいものが食べられて、娘の私のことを忘れないでいてくれて、会話ができて、何よりも本人が今生きていて幸せと思ってくれたらそれでいいです。笑顔がたくさん見たいので、私も笑顔でいなくちゃ。と思っています。心身共に少し疲れていて、精神的にもイライラすることもあり反省。。。まだまだ修行が足りないな。こういう時だからこそ、余裕が必要なのに。でも助けてくれる人たちがたくさんいて、本当にありがたいの一言です。だからこそがんばれるし、もっとがんばろうと思える。シェルターボラもそう。一緒に助けてくれるやってくれる仲間がいるから、ここまで継続できています。感謝してます。ありがとうみんな。施設もあっという間に決まったし、確定申告の書類も税理士さんに送ったし、仕事は・・・実は今は収入につながるものはほとんど無くなってしまっています。オーマイガー!細々とはやっています。。あまりというかほぼ収入に繋がっていないけど(;´Д`)でも今は、「やりたかった仕事に繋がる勉強をやる時期」なのだと割り切ってがんばろうと思っています。母たちの事が落ち着いたら(来年かな。家の片付け等もあるし)、本格的に始動できるようにしておきたいわ。相談員のHさんは、自由が丘ロールを買ってきてと施設のスタッフさん達から頼まれたそうで。。無事に買って帰れたかな。自由が丘の街は、スイーツ店がいっぱい。母達が引っ越して、片付けが終わったら(家の売却も)、自由が丘に行く機会はほとんどなくなるんだな~と思ったら、ちょっとだけ寂しい気持ちになりました。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.10
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母が転倒してからまもなく、寝たままの状態が続いています。自分で起き上がることができず、電動ベッドの使い方もわからなくなっていたため、ヘルパーさんが来るまでは、まさに寝たきり状態に。ヘルパーさんが来てくれるのは週に3回で、1日2回だったので、ケアマネさんに相談して、訪問回数を増やすとことと、投薬と食事の介助も毎日してもらえるようにお願いしました。今は、痛がっていた神経痛は、1日2回のヘルパーさん訪問時に必ず痛み止めを(他の薬も)飲ませてもらうことで、徐々に緩和されてきているようです。でも痛む箇所が移動してる⁈ようで、左側が痛かったのが、今度は右の股関節が痛いと言いだして…。転倒した時にヒビでも入ったか?骨折したか?と調べてもらいましたが、どうもそうではなく、筋肉が固まってしまい、最初に動かす時だけ痛むことがわかりました。最近では、右の膝が痛いと言ったり、ようは身体を動かさないのであちこち痛い、ということのようです。実際、先生や作業療法士さんがほぐしていくと、動かしても痛がりません。なので、リハビリの回数も増やすことになりました。こうして、痛みに関しては解決の方向へといっているのですが、認知症の症状は進んでいます。まだ、しっかりと、覚えていられることもあるけれど、食事をしたかどうかは思い出せないみたいです。食べるの大好きなのにね。叔母も、母と会話をする時間がめっきり減り、ひとりでテレビをみているか、テーブルに突っ伏して寝ているか…。なので、叔母の認知症もまた進んでいるように感じます。元々今年は施設探しをしなくては、と思っていたのですが、春頃から動く予定でした。今の母達の状況を見ていると、もう少し時期を早めた方がいいような気がするし、2人だけの時に何かあっても、対処してもらえるまで時間がかかり過ぎる。そこが心配で。でも2人一緒に入所できるところを探すのは容易じゃないだろうな、と思っていたので覚悟はしていました。そんな覚悟の中、日々に追われて過ごしていたのですが、意外にも施設探しに時間をかけずに済むかもしれない方向に…。施設探しのことは、次回にもう少し詳しく書いていきたいと思います。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.01.30
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昨年末から母がまた腰あたりの痛みを訴えて、何度か起き上がれず、寝たままの状態になっていました。ヘルパーさんや看護師さんが来るまで、ずっと寝たきり…。毎日飲む薬の中に、痛み止めも入っているので、それを飲まないと更に痛みが増すという悪循環でした。ケアマネさんに連絡をして、ヘルパーさんや先生に来ていただきなんとか年を越したのですが、元日にまた連絡が入りお正月からバタバタでした。圧迫骨折はすっかり治っているので、この痛みはおそらく帯状疱疹の後神経痛です。もう何度も先生にはお話しているのですが、この神経の痛みには、通常の痛み止めでは効果がありません。一度トラムセットを出してもらったけど、副作用が強くあえなく却下。その後は、ロキソニン、ボルタレンなどを使っていましたが、やはりダメでした。リリカはどうでしょうか?と提案したら、ためしてみましょと言うことで、4日からリリカを飲み始め、それからはなんとか自力で食卓まで行かれるようになっていたようです。ところか昨日の土曜日に、ケアマネさんから電話がはいり、母が廊下で仰向けに倒れていたとのこと。リリカを出してもらってからは、薬の飲み忘れ防止のために、ヘルパーさんに1日2回入ってもらい、食事の介助と食後の投薬をしてもらう手筈を整えていたのですが…どうやら痛みでというよりも、ベッドからトイレに行く間に、弱った筋力と体力がもたなかったようなのです。と、その時はそう思っていました。さすがにどんな状態なのか確かめてこなくては、と思い、今朝朝イチで実家に行ってきました。昨日も朝晩の薬(痛み止めも入ってる)を飲んでいるはずなのだけど、起きあがらせようと思っても酷く痛がり無理でした。介護ベッドなので、電動で背もたれの角度は変えられるのですが、ずり落ちている体勢を整えてあげることができませんでした。仕方ないので、そのまま朝食の介助、食後の薬となんとか済ませて買い物へ。冷蔵庫の中がすっからかんでした…。毎日おかずのみのお弁当が一つ(量は一人前より少し多め)届きますが、やはりそれだけでは母と叔母の2人分には足りません。一日一食というわけにはいかないし。簡単に食べられる冷凍の肉まんや焼きおにぎり、キンパ(韓国風巻き寿司)、ホットドックなどを買っておきました。これらをヘルパーさんにチンしてもらって食べたらいいかなと思って。もうね、パックのお惣菜などを買っても自分達で開けて食べられなくなっています。お皿に取り分けておかないとダメなのです。食事もしたかどうか忘れてしまうくらいに、認知症が進んでいるので、これからもヘルパーさんにはもう毎日来てもらわないとダメですね。今日はこれからシェルターです。もうすぐ最寄りの駅に着きます。さ、また半日がんばろう!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.01.09
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少しずつ、でも着実に認知症が進んでいる母と叔母。何度も何度も、同じことを繰り返し話すのは以前と変わらないのですが、そうした中でも、母は懸命に記憶にとどめておこうと努力しています。たくさんのメモ書きがテーブルに並べてあります。カレンダーにも誰が来た、何をしたということが記入してあります。それでも忘れてしまう事の方が多いのですが。。。書くということが、少しでも母の認知機能の低下をゆっくりさせているのかなと思うと同時に、母の安心でもあるのだと感じます。こんなこと書いたかしら?と思うこともあるかもしれない。でも書いてあることで、誰かに聞かれたときに答えらえるということが、おそらく母の自信につながっているのだろうと想像しています。私も母や叔母に何か伝えたいことがある時は、必ず紙に書いて渡します。ほんの些細なことでも、大きな字でしっかりと。ふたりはすぐ忘れちゃうからねと冗談交じりでいいながら、実は私が忘れちゃうから、自分のためにも書いておいておくのよ、とも言って。私自身が覚えておけないからというのは、嘘も方便の時もありますが、本当に忘れてしまうこともあるので、あながち嘘ではないのです。あれもこれもと記憶だけにとどめておくには、やることが多すぎる日々なので。。。(;・∀・)でも「私のためだから」とこういう言い方をすると、母は少しほっとしたような顔をします。まだ自分が認知症だと思いたくないところがあるようで、物忘れが多いのは年齢のせいとしておきたいのでしょうね。あなたはまだ若いのに、といいながらしょうがないわねという母。自分だけが忘れてしまうのではないと安堵する母。これも親孝行のひとつかな。と書きながらも、実は母はちゃんと何もかもわかってるのかなとふと思いました。本当は娘の私に心配させまいとしてるのかな、と。ヘルパーさんや看護師さんたちにも、お手を煩わせるとは思っているのですが、母達は聞いただけだと忘れてしまうので、かならず書いておいてくださいとお願いしています。母達もそれを何度も読み返しながら、確認しているようです。書いておくことで、トラブルも減りました。以前は、ヘルパーさんが口頭で「来週は曜日が変更になります」と伝えたところ、忘れていて誰もこない!となって大騒ぎしたことがありました。もちろん私にも伝わっていなかったので、私が実家に行くこともなくふたりだけで過ごすことになり、あとから聞いて何もなくてよかったと胸をなでおろしたことがあります。。先日は、ヘルパーさんが変更日を書いておいてくださったので、母達も落ち着いていて、私が急遽その日に行くことができました。来年のどこかで引っ越しです。今はまだ実感がないようで、いつでもどこでも大丈夫と言っていますが、実際に動き始めたらどうかな。。。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.11.25
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母の様子がおかしいのは痛み止めの副作用では?と思い、先週、実家に行った次の日にすぐ、訪問医のF先生.に電話をしました。「痛み止めの副作用を調べたら、母の症状がいくつも当てはまるのですが。」先生も 「副作用の可能性がありますね」ということで、その日すぐに薬局に別の薬を手配してくださり、薬剤師さんもその日のうちに取り替えにきてくださいました。早い対応に助かりました。1週間後。母はまた元の食いしん坊で、おしゃべりさんに戻ってました(*^_^*)大好きなスイーツもパクパク。叔母と声を揃えて、「美味しいねー」と言ってる姿に安堵しました。副作用の怖さは、私自身も何度も経験しているので、服用中にあれ?と思った時は、必ずどんな副作用があるか調べます。該当しない場合も、違和感が継続したらドクターに伝え相談します。たいていは、減薬したり別のものに変えたりしてくれますが、もし、そんなことはないと言われたら…。病院を変えたこともあります。今回の母の変化に、誰も気がついてくれませんでした。食欲だけでなく、母の表情や言動、口数の少なさや声の張り具合。どれかひとつでも違和感を持ってもらえれば、もっと早く変化に気がついてもらえたのでは?と思うのだけど、それは難しいことなのかしら。きっと気がついてはいたけど、歳だから認知症たから仕方のないこととして、それて終わってしまったのでしょうね。でも身内のいない独居の場合、薬の副作用だと思われなかったらどうなってしまうのだろう。ただたんに認知症が進んだ、で終わってしまうのかな。今日は、ケアマネさんから相談があると留守電が入っていて、何ごとかとお会いするまでドキドキ。母の看護師さんから、痛みが強いようだし、寒い日はシャワーだけだと身体が冷えるので、デイサービスを利用したらどうか、という提案がありました。その件でした。今は新しい痛み止めが効いてるようで(副作用も解決したし)、介助があれば浴槽にも入れる状態なので、ケアマネさんと話し合った結果、看護師さんに介助してもらいましょう、ということになりました。デイサービスも、母が興味を持てば利用してもいいかな、とは思っています。新型コロナの影響で、デイサービスを使う選択肢は持たなかったのですが、外の刺激もたまには必要かとも思いますし。ただ、叔母は他人との接触を好まないので、叔母を残して自分だけ外出するのは、母も遠慮するだろうなぁ。入浴の件は、ケアマネさんがうまくやってくれると思うのでお任せしよう。母の元気と食欲が戻ってくれただけで、嬉しいのと、気持ちがとても軽くなり、私も食欲が落ちないまま過ごせそうです。めったに食欲不振ならない私ですが、やはり心配ごとがあると、おやつが少し減ることはあります(笑)長野の従姉が、毎年恒例のりんごを送ってくれるそうで。母も叔母もりんごが大好きなので、届いたらお裾分けで持っていこう^_^*このブログ内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.11.02
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最近母の食が細くなり、ろくに食べずに1日が終わる日があるようです。今日も、ちょうどお昼ごろに実家に着いたのですが、母は、ヘルパーさんがお皿に取り分けてくれたおかずに、まったく手を付けずラップがかかったままでした。朝は食べたの?と聞くと、「どうだったかしら??」お昼の前に何か食べたの?と聞くと、「みかんを食べたからお腹いっぱい。」多分朝も昼も食べてないと思います。叔母に母が何か食べたか聞いたけど、「どうだったかしらね~」という返事。覚えてないから仕方ないとはいえ、確認できないのはつらいな。でも何か食べてもらわないとと思い、冷凍庫に入っていたオムライスをチンして、半分弱を切り分けてこの分だけでも食べて、と半ば無理やり食べてもらいました。叔母は同じように取り分けてもらったおかずはすっかり食べ終わり、なおかつオムライスも少しペロリ。母は食欲自体もあまりわかないようだし、それとはまた少し違う、食べる意欲もなくなってきているような気がします。食べることへの興味というか、そんな感じのものが。。ヘルパーさんと少しお話をする時間があったのですが、以前よりも買ってきたものもあまり減らなくなってきたと言います。大好きなアイスも冷凍庫を確認したら、食べてませんでした。お菓子も食べたくないというし。。。私が行った日は、夜にお寿司を食べるのがお決まりになっているのですが、果たして食べてくれるだろうか?一応食べたいといったので買っておきましたが、どうかな。乳酸菌飲料はすぐに飲みたいと言って飲んでくれましたので、まだ母が興味を持ってくれるものなら口にしてくれそうです。おやつにとおはぎも買っていったけど、いつもならすぐに食べたがるのに、やはり今はいらないと言います。少したってから「食べてみる?」と聞いたら、「一つ食べたからもういいわ」というではありませんか。いやいや、ひとつ減っているのは私が食べた分だから(;´Д`A ```ヘルパーさん達との連絡帳に、母は麺類が好きなので冷凍のものでいいので、時々用意してほしい旨を書いて来ました。脚の付け根の痛みはまだあるようですが、処方された痛み止めが少しは効いているのか、以前よりはだいぶマシにな感じです。でも副作用?なのかしら。ハッキリわかりませんが、表情の少し乏しくなっているのが気になります。何をするでもなく、ズボンについた埃をずっと払っていたり、新聞を読んでいるのかなと思いきや、同じ面をしばらく眺めているだけだったり。行動も今までと比べて違和感があります。もしかして食欲がなくなっているのも、痛み止めの副作用?トラムセットの副作用を調べたら、食欲不振、体重減少、ぼんやり、など母に当てはまるものがありました。可能性高し。先生に相談してみよう。*このブログ内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.10.26
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数か月ほど前から母の脚の痛みが悪化してきて、ヘルパーさんや看護師さんからも指摘されていました。特にここ1か月は、痛みでシャワーも使えていません、と記録ノートに書かれることが多くなり、訪問内科の先生にも相談し、一度レントゲンを撮りましょうとなりました。でも圧迫骨折で入院した時も、「ここが痛いのよね~」と言っていて、入院中にも再度レントゲンを撮ってもらっていたのですが、なんともないと言われていましてね。でもまた何かの拍子に骨折でもしている可能性もなくはないので、先日病院に行き、レントゲンを撮ってもらいました。(何度も撮るのは本当は嫌何ですけどね(;^ω^))何せ90歳ですから。寝起きしているだけでも骨折してもおかしくないし。結果は、骨折やひびなど骨には異常なし。おそらく帯状疱疹後の神経痛でしょうとのことでした。私もそうじゃないかと思っていました。何故かというと、帯状疱疹になった時にペインクリニックで処方してもらった痛み止めを、なんと、、、、ほとんど飲んでいなかったのです(;´Д`)もう痛くないからと通院が終わってずいぶん経ってから、部屋の片付けをしていたらごっそり痛み止めの薬が出てきたのでした。オーマイガー(;´Д`A ```ほとんど飲んでいないのに、よくぞもう痛くないと言えたよな~と変なところに感心。これでは神経痛が残ってもおかしくないです。ということで、これからは痛み止めの薬でコントロールしていくことになりそうです。もうそれしかないですから。あんなに外に出かけるのが好きだった母ですが、今はもう本人もどこかに行く気もないようなので、その点は少し安心していたのですが・・・(出ていって帰ってこられなくなるかもしれないから)でも家の中でも歩くのがやっとになってしまった今、別の心配も出てきていますが。まぁ仕方ないですね(;´Д`)先生から家の中でも杖を使った方が良いと言われ、早速購入し(叔母が買ってきてくれた)、母もなんとか過ごせているようです。来年はいよいよ施設探しかな。。。できるだけ我が家から近いところで見つかるといいのだけど。その前に家の売却や引っ越しに伴うあれこれや、お金の問題などやること満載だわ。どうやって時間を捻出しようかね~。やらないわけにはいかないし、かといってそうそう時間に余裕があるわけでもないし。私自身の病院通いはもうあっちのほうに置いてあります。アッチッテドコ?拍動性の耳鳴りが日増しにひどくなってきているので、脳ドックに行く予定で、結婚指輪をヒーヒー言いながら抜いたのだけど、更に延期になりそうです。耳鳴りは気にしないでいようと思えばいられるのだけど、もう半年以上も続いていて悪化しているので、先生にも心配されているので・・・・。夫が脳幹出血で、そして妻までも脳に何かが、なんて笑えないしね。でも本当に年内はもう時間が作れないので、せめて睡眠時間をもう少し増やそうと思います。って、前回も睡眠時間増やそうって同じこと書いてるわ(;'∀')*このブログ内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.10.23
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母と叔母の日々の食事は、毎日届けてもらっているお弁当と、ヘルパーさんが買ってきてくださるもので賄っています。が…。ここのところお弁当がいくつも残っていて、さらにヘルパーさんが買ってきてくれるお惣菜も、未開封のパックのまま冷蔵庫に入っています。オーマイガー日付を見ると1週間前。私が冷蔵庫までチェックする時間がないとさらにもっと前のものが鎮座しています。今日もいくつかのお惣菜とお弁当(8月のもあった)を処分してきました。もったいないよー(><)でもとうてい食べ切れませんし、お腹を壊されたら大変。2日前のお弁当は、私が今日食べました^^;こんなにたくさんお弁当も残っていて、一体何を食べているのかというと、冷凍の焼きおにぎりです。チンすることはできるので、これを3つ4つチンして、昼と夜に食べている模様。ふたりに聞いてみたけど、焼きおにぎりだけかしら?何食べてるっけ?と何食べてるかも忘れちゃってます。もちろんそれだけではお腹が空くので、時々宅配のお弁当は食べるみたいだけど、ほとんどお菓子でお腹いっぱいにしているようです。焼きおにぎりとお菓子と、そうそうアイスもだ。そんな糖質ばかりではコレステロールも血糖値も上がるはずだわ。タンパク質も全然たりてないし、このままでは栄養失調になってしまう〜。今日はちょうどケアマネさんが私に用があって、実家に来てくれるとのことなので、食事のことを相談しました。ヘルパーさんが毎日作るのは無理だし、好みのものをその都度買いに行くのも難しいので、宅配のお弁当と、ちょっとしたお惣菜をお皿や器に盛って、食卓に出してもらうことにしました。私が実家に行った時は、取り分けてあげているのですが、それはもうすごい食欲で食べるのです。今日も、宅配弁当と私が買っていったお惣菜をモリモリ平らげてました。決して食欲がなくて食べないというわけではないのです。要は準備が面倒くさくなっているんでしょうね。ちょっと前まで自分達でごはんを炊いていたけど、今はもう一切炊かないし。チンするパックのごはんも、先週買って置いておいたけどひとつも食べていませんでした。大好きなフルーツも、冷蔵庫の中にぎっしり…。∑(゚Д゚)ヘルパーさんは毎日来てくれるわけではないので、朝のパン食(これは曽祖母の時代から)と昼夜焼きおにぎりのみという日もあるかもしれないけど、それでも週に3、4日でもちゃんとした食事の日があれば、それでよしと思っています。毎日じゃなくちゃダメよというご指摘はあるかもしれませんけどね。チンはできるので(面倒くさいと思われたらダメだけど)、冷凍の袋のままでOKというオムライスとパスタを、先週買って冷凍庫に入れておきましたが、そのまま入ってました_| ̄|○入ってるよ、と紙に書いてテーブルに置いておかなかった私が悪いのよ。(/ _ ; )離れてると様子をこまめに見に行かれないので、気がついた時には…と、なりがちです。ヘルパーさん達も細かいところまでよく見てくださっていますが、母達の「大丈夫」「自分でできる」「わかってる」等の言葉を鵜呑みにしないでください、とケアマネさんに伝えました。全然大丈夫じゃなくても、できてなくても、そう言ってしまうのでと。色々他にも心配の種はありますが、ケアマネさんとこまめに連絡をとって、なんとかもうしばらく今の生活を続けていかれたらと思っています。本人達がそう望んでいるので。今日は民生委員の方にもお会いできました。敬老の日のお祝いにと、2人にお茶を持ってきてくださったのです。災害時等に様子を見にいってもらえるよう、先日その申請をしておいたのですが、そのことも再度お願いしてきました。私自身、時間が圧倒的に足りなくて、最近は体力もずいぶん落ちてきたので、たくさんのことをクリアしていくための工夫をしなくてはいけないな。とりあえず、もう少し睡眠時間を確保しよう。*このブログ内の私が撮影した画像の肖像権はすべて私puahoneyにあります。クレジットなしの画像であっても、許可なしに使用することはできません。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.09.07
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暑くなってきたので実家でも24時間エアコンはつけっぱなしです。でもいない部屋までガンガンに冷やしている時があるので、「どうして消さないの」とは言わず、何も言わず消して回ります(;'∀')認知症であることを認知したくない母。なので、この前も言ったよとか、もう何回も聞いたとか、忘れちゃったの?などの言葉は使わないようにしています。そうしないと、母なりの心の防御なのか、あれこれ言い訳をするのでそれを聞くのがなんだか切なくて。。。。でも先日実家に行ったとき。あまりにも寒くて、母や叔母は半そでの上にカーディガンを羽織っているので、一体何度にしているんだ!?とエアコンのリモコンを見たら・・・・17℃(;'∀')そりゃ寒いわな。エアコンの温度を上げるのではなく、寒いなら着るの発想がなんだかな、ですが。CDラジカセが壊れたので新しいのを買ってほしいと言われて、ネットで注文をしました。到着した日に電話があり(留守電)、「届きました。どうもありがとう」のコメントもちゃんと入っていたので、まだまだ大丈夫ね。と思っていたのですが、やっぱり母の認知症は順調に進んでいました(笑)順調って変な言い回しですがね。あれ?やっぱり認知症じゃなくて、ただの高齢者の物忘れ?と思うことも時々あるので^^;届いてから1週間。CDはもちろんだけど、ラジオも寝る前に聞きたいからといっていたので、もうとっくに使っていると思っていたら、箱に入ったままでした。聞かなくてもわかる。出したところで使い方がもうわからないのです。ベッドの横にセットしてあげました。コンセント差し込んだだけですけど(笑)では一緒にCDを入れて聞こうよ、と開けたらすでにCDが入ってた?!一応出して使おうとしたみたいです。でもどこを押したらいいのかわからなかったのかな。。。。(;´Д`)電源はここ。最初はここを押して。音がちいさかったらここ。大きすぎたらここ。止めたかったらここ。2回一緒にやってみました。3回目ひとりでできたけど、たぶん夜自分でやる時忘れてるかも。来週実家に行ったらどうなったかわかりますが、もうひとりで操作できないとなると、またちょっとだけ寂しい気持ちが覗くかも。CDを聴く楽しみはまだまだあってほしいな。叔父(母の弟)が、何度目かの脳出血と脳梗塞を繰り返し、今は寝たきりの状態です。人の声は聞こえていて、それに対してのわずかな意思表示はできるようですが(瞬きやほんのわずかな顔の表情の変化というかゆがみ)、もう自らは息をするしか何もできません。感覚は残っているので、痛みやかゆみや言いようのない感触をどうにかしたくてもできません。言いたいことは山ほどあるのだと思うけど、声を発することもできません。。口から食べることはできないので胃ろうにしています。もう早くこの身体とさよならしたいと思っていても、自らどうにかすることもできません。辛いだろうな。。。。これを慣れとは到底言えない。諦めだろうか。日本では安楽死が認められていないので、病院にいる間は医師たちは生かす努力をしなくてはならず。。。それもとても辛いのではないかと思うこともあります。叔父に何もしてあげられないけど、せめて病院で過ごすのではなく、自分で見つけて気に入って入った施設に戻り、そこで過ごすことになりました。叔父は独身でこどももいないので、身内は姉弟と私たち姪甥だけです。叔父に会いたいな。なかなか会えないまま、今になってしまいました。間に合えばいいけど。でも待っていてとは言えない。。。。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.07.22
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一番最初から来てくださっていたヘルパーさんが退職されて、新しいヘルパーさんもとても良い方で、母も叔母もすごく信頼しています。よかったよかった。。。と思っていたら、そのヘルパーさんも今までの介護事業所から、別の所に移ることになったと連絡がありました。5月末のことです。母達のところにはそのまま継続可能ということでしたので、当然お願いいたしました。だってやっと馴れたところでまた新しい人となるとね。。。。母達も色々困ることも出てくるだろうし。混乱して認知症が進んでしまったら、それこそ大変~。ただ、新しい事業所との契約はし直さなければなりません。私の署名だけでOKとのことなので、それなら全然問題なし。ということで、先日すませてきました。ヘルパーさんとの新契約を交わし、やれやれと思ったら、先日ケアマネさんから電話があり、「実は私、今の事業所から解雇されてしまいました」というではありませんか。なぬ?! えーーーー! ホントー?びっくりです。どんな理由があってのことかわかりませんが、私は今のケアマネさんをとても信頼しています。様々なことに対しての的確なアドバイス、行動が早く、親身になって一緒に考えてくださる。母と叔母の二人を抱えながら、離れて暮らす私にとって必要な存在なのです。どうしようと思っていたら、こちらが希望すれば、このまま母達のケアマネとして続行できるということなので、それはもう願ったりかなったり。ただ、今までの事業とは解約して新しいところとの再契約が、もちろん必要ですが。介護の世界も色々あるんでしょうね。想像はつきますが、あえて何があったのかを聞くことはしません。信頼できる方達に、そのまま変わらずやっていただければそれでいいです。今はまだ、母達の環境をできるだけ変えたくなくて、施設への入居を先延ばしにしたままです。私自身も時間がなく施設探しができないというのもあるけど。。。もし可能であれば、ケアマネさんやヘルパーさん、訪問医療の皆さん(内科、歯科)達に協力をしてもらいながら、できるところまで今の家で暮らせたらいいなと思っているのですが。。。どうなるかな。。。私だけの判断では決められない部分もあるので(他の叔母たちとのこともあり)、もしかしたら1、2年の間に、施設探しを開始しなくてはならないかも。私の場合は遠距離ではないけど、認知症の家族を最後まで遠距離介護でお世話された方はいらっしゃると思うのです。色々参考にさせてもらいたいな。。。にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.06.29
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