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◆「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」にみるクラシック・カクテル 6.ギムレット(Gimlet) ギムレットと言えば、チャンドラーの小説「長いお別れ」に登場することでも有名で、現代のバーでも不動の人気を誇るカクテルです。「飲む人の体を突き刺すような鋭い味わいが、工具の錐(きり)=ギムレット(Gimlet)(コルクスクリューのような形をしている)を連想させた」ことから、その名が付いたとも言われています(出典:Wikipedia英語版ほか多数)。 現代の標準的なレシピは、ジン4分の3、生ライム・ジュース4分の1、シュガー・シロップ0.5~1tsp(お好みで)(シェイク)というところでしょうか。 誕生の正確な経緯は伝わっていませんが、発祥は19世紀末と言われています。ブログでの連載「カクテル――その誕生にまつわる逸話」でも紹介しましたが、誕生当初のレシピは、プリマス・ジン(Plymouth Gin)とローズ(Rose)社のコーディアルライム・ジュース(甘口系)が半量ずつというレシピ(ステア)でした。現代とは違って、かなり甘口だったことが分かります。 ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)の「ABC Of Mixing Cocktails」(1919年初版刊)も、この誕生当初のレシピに従っています。従って、このレシピの「ギムレット」というカクテルは1910年代のロンドンやパリではすでに登場していたことは間違いありません(マッケルホーンは現行版の「Harry’s ABC …」でもこのレシピを採用していて、違いはステアがシェイクに換わったくらいです)。 ギムレットに関しては、「1890年頃、英海軍いた軍医トーマス・D・ギムレット卿(Sir Thomas D. Gimlette 1857~1943)が、酒の飲み方を知らない新人将校の飲みすぎを防ぐために、ジンにライムを混ぜて飲むことを提唱したことから、彼の名がカクテル名で定着した」という有名な逸話が伝わっています。ギムレット卿は実在の人物ですが、こうした逸話を裏付ける資料・データは見つかっていません(写真 = Gimlet @ Bar Papa Hemingway)。 なお、「カクテル ホントのうんちく話」(2008年刊)を著した石垣憲一氏によれば、「現存する一次資料に登場する最古のギムレット(またはそれに類した名前のついたカクテル)は、1917年にトム・ブロック氏が著書で紹介した「ジレット・カクテル(Gillette Cocktail) シカゴ・スタイル」で、そのレシピは、「オールド・トム・ジン1.5ジガー、ライム・ジュース2分の1個分、バー・シュガー0.5tsp(ティー・スプーン)」というものです。これが実質、ギムレットとほぼ同じカクテルであることに異論はないと思います。 石垣氏は「ジレット(Gillette)という綴りはGimletとは違うが、考案者と伝わるギムレット卿(Gimlette)の名前とは一文字違うだけ。生のライム・ジュースを使っている点は異なるが、だからこそシカゴ・スタイルという言葉を添えたのかもしれない」と推測していますが、僕もまったく同意見です。いずれにしても1910年代に、米国の大都市にもギムレットは伝わっていた傍証になります。 さて、話が少し横道にそれてしまいましたが、マッケルホーンとその子孫は、ギムレットのレシピに関しては結構頑固なようです。1986年以降の改訂版でも生のライム・ジュースは使わず、ライム・ジュース・コーディアルにこだわっています。この頑固さについては「サヴォイ・カクテルブック」を著したハリー・クラドック(Harry Craddock)も同じで、収録されているギムレットのレシピは、オリジナルを守っています(しかし、Harry’s New York BarやSavoy HotelのAmerican Barでは、今でも本当にこのオリジナル・レシピでギムレットを出しているのでしょうか? どなたか飲まれた方はいらっしゃるでしょうか?)。 ちなみに、1930~50年代の主なカクテルブックに登場した「ギムレット」は、どういうレシピだったのか、ひと通りみておきましょう。 ・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著 1930年刊)英 プリマス・ジン2分の1、ライム・ジュース・コーディアル2分の1(ステア) ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 ジン1グラス、ライム・ジュース1個分、パウダー・シュガー1tsp、シェイクしてお好みでソーダを加える ※1920~40年代はギムレットにお好みで炭酸水を加えるレシピも普通にあった ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイアー著 1934年刊)英 ジン3分の2、ライム・ジュース・コーディアル3分の1(ステア) ・「The Old Waldorf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 → 収録なし ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英 ジン3分の2、ライム・ジュース・コーディアル3分の1、シェイクしてお好みでソーダを加える ・「Trader Vic’s Bartender’s Guide」(ヴィクター・バージェロン著 1946年刊)米 ジン5分の2、ローズ・アンスイートンド・ライム・ジュース5分の2、シュガー・シロップ5分の1、シェイクしてグラスに注ぐ 【参考】同書には、ローズ・ライム・コーディアルを使ったギムレットも掲載されている ・「The Bartender’s Guide」(パトリック・ギャビン・ダフィー著 1948年刊)米 ジン2分の1、ローズ・ライム・コーディアル2分の1、ステアしてグラスに注ぐ 【参考】同書には「Gimblet」というカクテルも掲載されている。レシピは、ジン4分の3、ライム・ジュース4分の1、ステアしてグラスに注ぎ、ソーダを加える・ なお、日本にはおそらくは戦前に伝わっていたかと想像しますが、文献に登場するのは、意外と遅く、調べた限りでは1955年(昭和30年)刊の「壽屋カクテルブック」が最初です。ただし、生ライムがとても貴重で高価だった日本では、70年代末までは、オーセンティック・バーでも合成ライム・ジュースを使うところが一般的でした。生ライム・ジュースに換わるのは、80年代以降です。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/31
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故・成田一徹さんの新刊「新・神戸の残り香」(神戸新聞総合出版センター刊行、税別1700円)についての追加情報です。 神戸・元町の海文堂書店では29日から販売がスタートしていますが、それ以外の関西の主要書店では8月5日以降、順次店頭販売が始まるとのことです。アマゾンでもその後まもなく販売が始まるようです。 ただし、首都圏の書店での販売は少し遅れるようです。販売開始情報が入りましたら、改めてお知らせいたします。
2013/07/30
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◆「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」にみるクラシック・カクテル 5.ディアボラ(Diabola) 今回、さほど有名でもない「ディアボラ」というカクテルをなぜ取り上げたのかと言えば、似たような名前のカクテルが何種類もあるため、一度きちんと整理してみたいと思ったからです。 僕の持っているカクテルブックだけでも、ディアボラ以外にも、ディアブロ(Diablo)、ディアボロ(Diabolo)、エル・ディアブロ(El Diablo)、エル・ディアボロ(El Diabolo)という計5種類のカクテルが存在します( 写真左= Diabola @ Bar Cadboll )。(※ちなみにスペイン語の辞書では「Diablo」とは「悪魔」、「Diabola」とは「投げ縄」という意味とありましたが、「Diabolo」という単語は見当たりません。地名か人名か何か意味のある言葉なのでしょうか? どなたか情報をお持ちの方はぜひご教示ください)。 さて、マッケルホーンが「ABC Of Mixing Cocktails」の初版本(1919年刊)で紹介している「ディアボラ(Diabola)」なるカクテルですが、そのレシピは、デュボネ3分の2、ジン3分の1、オルジェート・シロップ2dash(シェイク)です。 マッケルホーンは、「(自分の創作ではなく)パリ在住のバーテンダー、ニューマン(Frank Newman)の作品である」と付記しています(このニューマンなる人物は誰なのかといえば、1904年「American Bar」という名著を出した英国人のバーテンダーで、その著書の中で、初めて活字でマティーニ(Martini)を紹介した人としても知られています)。 ところが、この「ディアボラ」は現行版の「Harry’s ABC Of Mixing Cocktails」では、「ディアボロ(Diabolo)」と名前を変えて生き残っています。そして加えて、「エル・ディアブロ(El Diablo)」というカクテルも収録されています。このレシピは、テキーラ4分の3、クレーム・ド・カシス8分の1、ライム・ジュース8分の1、ジンジャー・ビア適量、カット・ライムで、まったく別物のカクテルです。 カクテル史に詳しい米国のバーテンダー、ジム・ミーハン氏によれば、1930年代のロンリコ・ラムのパンフレットには、ラム・ベースの「エル・ディアブロ(El Diablo)」のレシピが載っており、その後1937年に刊行された「The How and The When」(Hyman Gale & Gerald Marco共著)にも同じカクテルが収録されているそうです(レシピの詳細は不明)。 「エル・ディアブロ」は、1940年代に米カリフォルニア州オークランドの無名のバーテンダーが考案したという逸話(出典:欧米のWeb専門サイト)が伝わっていますが、現時点では裏付け資料には出合っていませんし、ベースは何の酒だったのかは定かではありません( 写真右= El Diablo @ Bar K )。 テキーラ・ベースのものが登場する最も古い文献は、「マイタイ(Mai-Tai)」の考案者でもあるビクター・バージェロン(Victor Bergeron)が1946年に著したカクテルブック「Trader Vic’s Book of Food and Drink」(出典:wiki.webtender.com)です。当時は「Mexican El Diablo」という名でしたが、レシピは現代のものとほぼ同じです。 なお、マッケルホーンは改訂版で「ディアボロ」と名前を修正しましたが、「ディアボラ」というカクテルは、「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著 1930年刊)や「Bartender's Standard Manual」(フレッド・パウエル著 1979年刊)など、別のカクテルブックではしぶとく生き残っています。あぁ、ややこしい! ちなみに、マッケルホーンの本以外に登場する、よく似た名前のカクテルですが、ベースの酒だけでも4種類もあります。ベース別にざっとレシピを比較しておきましょう。 ◆デュボネ・ベース ・「ABC Of Mixing Cocktails」(ハリー・マッケルホーン著 1919年初版刊)英 Diabola(現行版ではDiabolo) = デュボネ3分の2、ジン3分の1、オルジェート・シロップ2dash ・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著 1930年刊)英 & 「The Bartender’s Guide」(パトリック・ギャヴィン・ダフィー著 1948年刊、70年重版)米 & 「Bartender’s Standard Manual」(フレッド・パウエル著 1979年刊)米 Diabola = デュボネ3分の2、ジン3分の1、オレンジ・シロップ2dash、マラスキーノ・チェリー ◆ブランデー・ベース ・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著 1930年刊)英 Diabolo = ブランデー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、アンゴスチュラ・ビターズ&オレンジ・ビターズ各2dash、レモン・ピール ◆テキーラ・ベース ・「Trader Vic’s Book of Food and Drink」(ビクター・バージェロン著 1946年刊)米 El Diablo = テキーラ3分の2、クレーム・ド・カシス3分の1、ジンジャー・エール適量 ・「Harry’s ABC Of Mixing Cocktails」(ハリー・マッケルホーン著 1986年改訂版)仏 & 「Bartender’s Standard Manual」(フレッド・パウエル著 1979年刊)米、 El Diabolo = テキーラ4分の3、クレーム・ド・カシス8分の1、ライム・ジュース8分の1、ジンジャー・ビア適量、カット・ライム ・「Complete World Bartender Guide」(2009年刊)米 El Diablo = テキーラ7分の3、クレーム・ド・カシス7分の1、ライム・ジュース7分の3、ジンジャー・ビア適量、カット・ライム ◆ポートワイン・ベース ・「New York Bartender’s Guide」(アン・サリー・バーク著 1995年刊)米 Diablo = ホワイト・ポートワイン3分の2、ドライ・ベルモット3分の1、レモン・ジュース4分の1個分、レモン・ツイスト ・「Complete World Bartender Guide」(2009年刊)米 Diablo = ホワイト・ポートワイン5分の3、ドライ・ベルモット5分の2、レモン・ジュース2~3dash なお、「(エル・)ディアボラ/ディアブロ/ディアボロ」は、日本のカクテルブックでも数多く登場しますが、レシピや名前もばらばらです。最も古いのが前田米吉著の「コクテール」(1924年)で、レシピはサヴォイの「ディアボロ」とほぼ同じです。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/29
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切り絵作家の故・成田一徹さんが、亡くなる直前の昨年10月まで神戸新聞紙上で連載を続けた「新・神戸の残り香」が本になりました(神戸新聞総合出版センター刊、四六判158頁、1700円+税)。書店には明日29日(月)から順次、並ぶ予定です。 本には、連載作品に同時期の作品を加えた62点やエッセイ、未発表切り絵、年譜が収録されています。一徹さんがこよなく愛した故郷・神戸の「消えゆく風景と残り香」が、ここにはしっかり刻まれています。ぜひ、お買い求め頂き、友人にもお勧めいただければ幸いです。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/28
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★オフィス一徹(Office Ittetsu)による成田一徹「公認複製画」販売 故・成田一徹さんの切り絵原画の著作権を継承・保護している「オフィス一徹」(成田素子・代表)が、ファンの熱い要望に応えて、「公認複製画」のネットでの通信販売を8月から正式にスタートさせます。 4月の京都の個展でも、複製画は予想以上の人気でした。用意した作品の半数が売れたそうです。今回は、従来は4種類しかなかった複製画作品の種類も増やすとのことで、今後も、さらに作品のラインアップは充実されていくようです。ファンの一人としても、本当に嬉しいニュースです。 オフィス一徹では、以下のようなメッセージを公開しています。 「ご承知のように、成田一徹は道半ばにして昨年10月、急逝いたしました。新たな作品が生み出されることは、もうありません。成田一徹の切り絵を愛するファンの皆さまからは、『残された原画をぜひ買いたい』という声が多いのも事実ですが、オフィス一徹では現在、将来の公的施設での展示・保管を目指して、原画は原則として販売せず、展覧会開催と作品保存・著作権管理を中心に活動しております。 そこで原画に代わるものとして今回、『公認複製画』作品の種類を充実させ、ファンの皆様の要望に少しでも応えていきたいと考えています。『公認複製画』とは、成田一徹の原画をもとに高精度、高精細にスキャンして、原画の味わいを上質の紙で高品質に再現した複製画です。手頃な価格で、成田切り絵のシャープでスタイリッシュな世界が楽しめます」。 生前、成田さんは、もちろん個展では原則として原画を販売していました。しかし版画とは違って、切り絵は1点ものであるため、価格は20万円前後と、簡単に買えるお値段ではありませんでした。しかし、今回のような高品質、高精細の複製画が手頃な価格で実現すれば、「欲しいけれど、作品に手が届かなかった」ファンの皆さんにも気軽に楽しんでもらえると思います。 複製画には1点1点に、オフィス一徹・代表でもある奥様、成田素子さん自筆サインの入った「公認証明書」が付いているそうなので、違法な複製画(コピー)とは一線を画すことができます。 なお、「オフィス一徹」によるネット通信販売とは別に、7月21日からは、神戸・海文堂書店でも6種類の複製画の販売が始まりました。また、帝国ホテル大阪2Fギフト・ショップでは、「オールド・インペリアル・バー」の複製画が8月下旬から限定販売されるとのことです。 ※複製画のネット通販をご希望の方は、下記のアドレスまでお問い合わせください。 【公認複製画・通販申し込み先】office-ittetsu@cosmos.zaq.jp (支払い方法は指定銀行口座への振込みのみ。送料は「オフィス一徹」が負担。在庫状況により、注文から発送までは1カ月程度かかる場合もあるとのことです) ※今回、発売される公認複製画は以下の通りです(価格はいずれも額、マット付きの税込価格)。 ★Champagne Glass A3サイズ 19,000円、A4サイズ 16,000円 ★Manhattan A3サイズ 19,000円、A4サイズ 16,000円 ★Pheonix号 in Port Of KOBE A4サイズ 16,000円 ★1995・春・神戸に 横長サイズ=256×133(mm) 17,000円 ★Good Bar Club & Bar Anchor(2枚組) 絵のサイズはともに163×110(mm) 18,000円 ★Mint Julep A5サイズ 14,000円 ★舞妓さん A4サイズ 16,000円 ★勧修寺の白梅 A4サイズ 特別価格 9,000円 ★Old Town Bar of New York サイズ=260×190(mm) 12,000円 ★Ba Lulu(バー・ルル) サイズ=290×193(mm) 12,000円 ★Martini サイズ=209×147(mm) 8,000円 ★Old Imperial Bar サイズ=300×222(mm) 16,000円 ※帝国ホテル大阪ギフトショップ限定販売(「オフィス一徹」でのネット販売はありません)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/26
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今年の天神祭のベスト・ショットです!
2013/07/25
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◆「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」にみるクラシック・カクテル 4.ダイキリ(Daiquiri) ダイキリは、現代のバーでもとても人気のあるショート・カクテルです。「1898年(1896年説もあり)、キューバのダイキリ鉱山で働いていた米国人技師のジェニングス・コックス(Jennings Cox)が考案し、鉱山の名前にちなんで名づけた」という説があまりにも有名で、国内外のカクテルブックや専門サイトの多くは、この説を紹介していますが、その信憑性は?です。 カクテル研究家の石垣憲一氏は、その著書「カクテル ホントのうんちく話」(2008年刊)で、「なるほどコックスなる人物はいたかもしれないし、現地(ダイキリ鉱山)では当たり前のように飲まれていたドリンクかもしれないが、それ以前から英海軍では飲まれていたし、実は誕生したのは英海軍でもなく、キューバ国内ではもっと以前から普通に飲まれていたドリンクだった」との見解を述べています。 現代の標準的なレシピは、ホワイト・ラム4分3、ライム・ジュース4分の1、シュガー・シロップ(またはガム・シロップ)1tsp(シェイク)です。 ところが、欧米のカクテルブックでは初めて登場するハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)の「ABC Of Mixing Cocktails」(1919年)では、ラム3分の2、ライム・ジュース6分の1、グレナディン・シロップ6分の1というレシピになっています。 「えっ! グレナディン・シロップ?!」と多くの方が驚かれると思いますが、これには訳があります。「ダイキリ」はもともと、バカルディ社のラムを使って一世を風靡した「バカルディ・カクテル」(ラム、ライム・ジュース、グレナディン・シロップ)のバリエーションとして生まれたといわれます(当初は、ライム・ジュースは入っていなかったようですが)。 従って1910年代は、「ダイキリ」と言えども、グレナディン・シロップを入れるレシピも珍しくなかったようです。実際、1922年、ロンドンのエンバシー・クラブ(The Embassy Club)に勤めていたロバート・ヴァーマイヤー(Robert Vermeire)の著した「Cocktails: How To Mix Them」でも、ダイキリにはグレナディン・シロップが使われています(写真 =Daiquiri @ Bar Cadboll)。 それがその後、シュガー・シロップやガム・シロップなど、白や透明なシュガー(またはシロップ)を使うレシピへと変化していきます。マッケルホーンが「ABC Of …」を編んでいた1910年代とその後の20年代は、そういう過渡期だったと言えます。ちなみにマッケルホーン自身も、その後の改訂版では、グレナディン・シロップとは書かず、単にシュガーと記すだけにとどめています。 ちなみに、1910~30年代の欧米の主なカクテルブックでの「ダイキリ」の登場状況は、以下の通りです。 ・「173 Pre-Prohibition Cocktails」(トム・ブロック著 1917年刊)米 → 収録なし(バカルディ・カクテルは登場するが) ・「Cocktails: How To Mix Them」(ロバート・ヴァーマイヤー著 1922年刊)英 ラム3分の2、ライム・ジュース3分の1、グレナディン・シロップ少々 ・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著 1930年刊)英 ラム1グラス、ライム・ジュース2分の1個分(またはレモン・ジュース4分の1個分)、パウダー・シュガー1tsp(ティー・スプーン) ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイヤー著 1934年刊)仏 ラム2分の1、ライム・ジュース2分の1個分、シュガー2分の1tsp ・「The Old Waldolf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 ラム1グラス、ライム・ジュース2分の1個分、パウダー・シュガー1tsp ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 ラム45ml、ライム・ジュース1個分、パウダー・シュガー1tsp ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英 ラム4分の3、ライム(またはレモン)・ジュース4分の1、ガム・シロップ3dash なおダイキリは日本には、1920年代前半には伝わり、1924年刊の「コクテール」(前田米吉著)にも登場していますが、50~60年代くらいまでは、やはりグレナディン・シロップを使うレシピが一般的でした(村井洋著・JBA編「スタンダード・カクテルブック」=1936年刊=ほか多数)。調べた限りでは、日本のカクテルブックでシュガー・シロップを使うダイキリが登場するのは、1954年刊の「世界コクテール飲物辞典」(佐藤紅霞著)が最初です。 しかし、その後も60年代はグレナディン・シロップ派が優勢で、シュガー・シロップ(またはパウダー・シュガー)を使うレシピが一般的になるのは70年代になってからです。マッケルホーンのカクテルブックやロンドンのエンバシー・クラブのレシピが日本に最初に伝わった影響が大きいとのではないかと推察しています。【追記】マッケルホーンの「ABC Of …」の初版本では、ダイキリは「Dacqueri」と表記されています。同時代の他のカクテルブックでこのように綴る例は現時点では見当たりません。ただし、初期にはこういう表記(綴り)があったのか、それとも単なる誤記なのか、あるいはマッケルホーン自身が耳で聞いた音を文字に換えたのかは、今のところ定かではありません。
2013/07/24
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◆「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」にみるクラシック・カクテル 3.バンブー(Bamboo) バンブーは、日本生まれで国際的なカクテルの第一号と言われています。現代の標準的なレシピでは、ドライ・シェリー3分の2、ドライ・ベルモット3分の1です。 国内の多くのカクテルブックでは、1890年(明治23年)、その前年に来日していた横浜グランドホテルの支配人、ルイス・エッピンガー(Louis Eppinger=ドイツ系米国人 1831?~1907)が考案。その後世界的に知られるようになったとよく紹介されていますが、残念ながら、海外のカクテルブックでは、日本生まれとは紹介はしても、エッピンガーの名前に触れている例はそう多くありません。 「バンブー(竹)」という名は、クセのない素直なこのカクテルの味を、「天へ向かってまっすぐに伸びる、日本的な竹に重ねた」と言われていますが、エッピンガー自身の証言や書いたものは残っておらず、残念ながら裏付け資料はありません。 エッピンガーのオリジナル・レシピは、ドライ・シェリー4分の3、ドライ・ベルモット4分の1、オレンジ・ビターズ1dashと伝わっていますが、ハリー・マッケルホーンの「Harry’s ABC Of Mixing Cocktail」(1919年刊)はなぜかシェリーとベルモットが等量のレシピです。 エッピンガー=考案者説の根拠としては、ウィリアム・ブースビー(William T. Boothby)という人が、1907年に著した「The World Drinks and How to Mix Them」に「…Originated and named by Mr.Louis Eppinger, Yokohama, Japan」との記述が見られる(洋酒ライター・石倉一雄氏情報)ことや、「1901年の段階ですでに日本から米国西海岸に伝わっていたことは、当時の文献からも確認できる」(石垣憲一氏の著者「カクテル ホントのうんちく話」=2008年刊=や米国の専門サイト情報)ことなど、さまざまな裏付け資料がこれまで紹介されています。 しかし、マッケルホーンは、なんと別の説を紹介しているのです。バンブーの項の末尾に、「ホフマン・ハウス(The Hoffman House)のチャーリー・マハニー(Charlie Mahoney)が1910年に考案した」と書いています。チャーリー・マハニーは、ニューヨーク・マンハッタンの有名な社交クラブ、ホフマン・ハウスのチーフ・バーテンダーとして当時著名だった人で、オリジナル・カクテルもいくつか残しています(写真 =Bamboo@ Bar K)。 「マハニー=考案者」説は、欧米の他のカクテルブックやHPでもいくつか見られます。例えば、「(マホニーが)Bob Coleが1902年に発表した“Under The Bamboo Tree”という歌からヒントを得て考案した」と紹介する本(Mittie Hellmich著 「Ultimate Bar Book: The Comprehensive Guide To Over 1000 Cocktails」=2010年刊=ほか)や、「マホニーが考案し、インド在住の英国人にもとても人気があった。“リフォーム・カクテル”という別名もある」と記すサイト(Savoycocktails.appspot.com)などです。 マッケルホーンが初版本で紹介している以上、1910年代には、バンブーは少なくともロンドンやニューヨークではそれなりに知られていたカクテルであったことは確かです。しかし、マッケルホーン=マハニーが「バンブー」とするカクテルのレシピは、エッピンガーのオリジナルとはかなり違う点等からして、このカクテルはむしろ、当時の標準的なマティーニのレシピのバリエーション(ジンをドライ・シェリーに代えたもの)とも言えます。 たまたま、日本から伝わった「バンブー」を知ったマハニーが、材料は一緒だから名前を拝借したのではないかと考えても不自然ではありません。ただし、上記の石垣氏は、「ニューヨークで(マハニーによって)考案されたバンブーが横浜に伝わり、エッピンガーがそのレシピにアレンジを加えて紹介したため、日本ではエッピンガーの創作(オリジナル)と信じられてきたという考えも、あながち否定できない」としています。ただし僕個人としては、やはりエッピンガーが、アドニスのバリエーションとして、横浜のグランド・ホテルで考案したという従来の説を信じたい気持ちです。 ちなみに、グーグルで検索してみると、「Bamboo Eppinger」では23件、「Bamboo Mahoney」では6件がヒットしました。欧米の専門サイトでもやはり、エッピンガーを考案者とみているのが多数派のようです。なお、「バンブー」の発表の時期については、1890年説のほかにも、エッピンガー没後の1908年とする説(出典:PBOのHP)や1920年代とする説(信憑性はかなり薄いでしょうが…)もあります。 ちなみに、1910~30年代の欧米の主なカクテルブックでの「バンブー」の登場状況は、以下の通りです。この当時はベルモットもスイート(イタリアン)・ベルモットが主流であったため、バンブーと言えども、かなり甘口志向でつくる方法も見かけます。サヴォイ・カクテルブックに収録されていないのは大きな謎とも言えます。 ・「173 Pre-Prohibition Cocktails」(トム・ブロック著 1917年刊)米 ドライ・シェリー2分の1、スイート・ベルモット2分の1 ※氷入りのグラスに注ぐ ・「The Savoy Cocktail Book」(ハリー・クラドック著 1930年刊)英 → 収録なし ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイヤー著 1934年刊)仏 → 収録なし ・「The Old Waldolf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 ドライ・シェリー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ2dash ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 ドライ・シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英 ドライ・シェリー2分の1、ドライ・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash、レモン・ピール なお、エッピンガーは1907年、横浜で没し、外国人墓地に眠っているということです(出典:上記・石垣憲一氏の著書)。墓地は一般には非公開なので、参拝は叶わないのが残念ですが…。日本生まれの古いカクテルなので、「バンブー」は日本最初期のカクテルブックである前田米吉氏の著書「コクテール」(1924年刊)にも登場しています。レシピは、マッケルホーンと同様、ドライ・シェリー、ドライ・ベルモットが等量です。・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/19
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前回に続き、ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)の「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」の“初版本”(1919年刊)に収録されたカクテルのうち、著名なものについて個別・具体的な考察を続けます。 2.アレクザンダー(Alexander) アレクザンダーと言えば、クラシック・カクテルの代表的存在です。現代の標準的なレシピは、ブランデー2分の1、クレーム・ド・カカオ4分の1、生クリーム4分の1、ナツメグ・パウダー(シェイク)というところでしょうか。 僕の持っている本では、「Harry’s ABC Of Mixing Cocktail」に登場するのが一番古いのですが、誕生はもう少しさかのぼり、1900年頃と言われています。石垣憲一氏の著書「カクテル ホントのうんちく話」によれば、「1901年のエドワード7世の即位式か、1902年のアレクサンドラ王妃の戴冠式の際に献上された」というのが、現時点では最も信憑性があるとのことです。 かつては、1863年、英皇太子エドワード=後の国王エドワード7世=とデンマークのアレクサンドラ王女の結婚式に捧げられたという説が有名でした。国内外のカクテルブックでもこの説を採用しているところが少なくありません。しかし、近年の研究で、1860年代当時は生クリームやクレーム・ド・カカオはカクテルの一般的な素材でなかったことから、この説には疑問が多いとされています。 さて、マッケルホーンの初版本ですが、アレクザンダーのレシピは、ブランデー3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1でした。上記・石垣氏の本を含め様々な文献情報からも、1910年当時、アレクザンダーと言えば通常ジン・ベースだったにもかかわらず、マッケルホーンはブランデー・ベースを採用していたのがとても不思議で、意外感がありました(写真は、Gin Alexander@Bar Hardi) 有名なサヴォイ・カクテルブック(1930年刊)では、アレクザンダーNo1、No2という2種類のアレクザンダーが紹介されていますが、No1はジン・ベースで、No2がブランデー・ベースです。とくに米国では、禁酒法が廃止された1934年以降、40年代末までに出版されたカクテルブックでは、なおジン・ベースのものが主流です。 もう一つ面白いのは、「Harry’s ABC…」は、ブランデーをジン・ベースに換えただけのカクテルを「プリンセス・メアリー」という名で収録していることです。まったく同じレシピの「プリンセス・メアリー」は、サヴォイ・カクテルブックや「カフェ・ロイヤル・カクテルブック」(1937年刊)にも登場しますが、サヴォイでは、ジンの割合を2分の1にすれば「アレクザンダーNo1」、3分の1なら「プリンセス・メアリー」と使い分けているのが何とも奇妙なところです。 なお、アレクザンダーは誕生当初は「アレクサンドラ」と女性の名で呼ばれていましたが、いつの間にか「アレクザンダー」という男性名に変化したそうです。残念ながら、なぜ男性名に変化したのか、その背景について納得のいく説明を紹介しているカクテルブックには出合ったことはありませんが。 ご参考までに、1930年代に出版された欧米の代表的なカクテルブックでのレシピを、少し詳しくみてみると――。 ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイヤー著 1934年刊)仏 ジン2分の1、クレーム・ド・カカオ4分の1、生クリーム4分の1 ※「アレクサンドラ」という初期の名前で収録されている ・「The Old Waldolf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 ジン3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1 ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 No1. ジン3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1 No2. ブランデー3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1 ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英 ジン3分の1、クレーム・ド・カカオ3分の1、生クリーム3分の1 ブランデー・ベースの「アレクザンダー」は1950年代頃まで米国内ではあまりポピュラーではありませんでしたが、1962年公開の映画「酒とバラの日々」で、小道具として使われたことから、一気にブレイクしました(出典:欧米の専門サイト)。 現在の日本ではブランデー・ベースが一般的ですが、米国では、今日でもジン・ベースのアレクザンダーはよく好まれるといいます。従って、欧米では「ジン・アレクザンダー」「ブランデー・アレクザンダー」と区別して紹介しているカクテルブックも見かけます。 有名なクラシックであるだけに、日本に伝わったのも比較的早く、1930年代には伝わり、1936年に出版されたスタンダード・カクテルブック(村井洋著、JBA編)で初めて収録されていますが、この本では、ブランデー・ベースとなっています。 <次回へ続く>・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/17
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英国生まれのハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)が「ABC Of Mixing Cocktails」(1919年刊)の編纂に精力を注いでいた1910年代は、モダン・カクテルの基礎が築かれ、花開いた時代と言われています。その中心だったのがロンドン、パリ、ニューヨークでした。 残念なことに、ニューヨークは1920年から13年間、禁酒法時代という暗黒の歳月を過ごすことになります(もっとも、禁酒法施行の間、米国内の“もぐり酒場”では、別の意味でカクテルは発展していきましたが)。 欧州で1920年代以前に出版されたカクテルブックは数少なく、この「ABC Of …」以外、体系的な資料はほとんど見当たりません。ホテルや街場にBarはもちろんありましたが、当時のバーテンダーのカクテルづくりの技術や知識は、ほとんど師匠から弟子への口伝だったからです。 「ABC Of …」の功績は、1910年代に存在したカクテルが確認できるということだけではなく、この時代の欧州における、ほとんど唯一かつ重要な「カクテルの一次資料」だということです。「ABC Of …」に最も近い時期のカクテルブックには、「173 Pre-Prohibition Cocktails」(Tom Bullock著 1917年刊)という本がありますが、残念ながらこれは米国内で出版されたものです。 「ABC Of …」の後、欧州できちんとしたカクテルブックが出版されるのは、あの「The Savoy Cocktail Book」(1930年刊)まで11年の歳月を待たねばなりません。だから、うらんかんろは、マッケルホーンがこういう記録を残すマメな人であったことに、心から感謝しています。 さて、今回からは、「ABC Of Mixing Cocktail」とほぼ同時代のカクテルブックとも比較しながら、有名どころのカクテルを中心に、個々に詳しくみていくことにしましょう。 1.アドニス(Adonis) アドニスと言えば、 1884年にブロードウェイでヒットしたミュージカル「アドニス」(主演はヘンリー・ディクシー Henry Dixey)にあやかって、ニューヨークで誕生したと伝わっています。考案者は、おそらくはニューヨークのバーテンダーでしょうが、残念ながらその名は伝わっていません(写真は、Adonis@Bar Rocking Chair)。 「アドニス」の名は、ギリシャ神話に登場する美少年の名前に由来します。現代の標準的なレシピは、ドライ・シェリー4分の3、スイート・ベルモット4分1、オレンジ・ビターズ1dashですが、「ABC Of …」では、ドライ・シェリー3分の1、スイート・ベルモット3分の2、オレンジ・ビターズ1dash(ベルモットの方が多い!)と、誕生から間もない時期は、かなり甘口の仕上がりが一般的だったことが分かります。 しかし、米国生まれのカクテルであるのに、なぜか1890年刊の「American Bartender」(William T. Boothby著)や1917年刊の「173 Pre-Prohibition Cocktails」(Tom Bullock著)には登場しません(ひょっとして米国生まれというのは間違いで、欧州で生まれたカクテルではないかとも疑いましたが、下記に紹介する「The Waldolf-Astoria Bar Book」(1935年刊)のアドニスの項には、冒頭に記したエピソードが記されていますので、やはり米国生まれなのでしょう)。 マティーニが歳月とともに辛口志向になるのと同様に、アドニスも年を追うごとに辛口化していきます。11年後に出版された「サヴォイ・カクテルブック」では、ドライ・シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dashと、早くもシェリーとベルモットの比率が逆転しています。 参考まで記せば、「サヴォイ…」の後、出版された1940年以前のカクテルブックでの「アドニス」のレシピは以下の通りです。 ・「The Artistry Of Mixing Drinks」(フランク・マイヤー著 1934年刊)仏 ドライ・シェリー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ1dash ・「The Old Waldolf-Astoria Bar Book」(A.S.クロケット著 1935年刊)米 ドライ・シェリー2分の1、スイート・ベルモット2分の1、オレンジ・ビターズ2dash ・「Mr Boston Bartender’s Guide」(1935年刊)米 ドライ・シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash ・「Café Royal Cocktail Book」(W.J.ターリング著 1937年刊)英 ドライ・シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズ1dash 現代に近い辛口のレシピが登場するのはいつ頃かと言えば、手元にあるカクテルブックで調べた限りでは、1995年の「ニューヨーク・バーテンダーズ・ガイド」(サリー・アン・バーグ著)が初めてです。 なお、この「アドニス」のバリエーションとして、1890年、横浜グランドホテルで「バンブー(Bamboo)」(作者は来日米国人のルイス・エッピンガー、Louis Eppinger)という日本初の世界的カクテルが生まれたというエピソードはあまりにも有名です。 アドニスが日本にいつ頃伝わったのかは定かではありません。おそらくは、外交官や商社マンを通じて、戦前に伝わっていたと思われますが、なぜか文献での登場例はありません。日本国内では、「バンブー」の方に人気が集まったため、「アドニス」自体は、現在に至るまで(名前はそれなりに認知されていますが)Barでの人気カクテルとはなっていません。ちなみに、日本国内の文献で初めて登場するのは、戦後の1954年(昭和29年)に発売された「世界コクテール飲物辞典」(佐藤紅霞著)です。 <次回へ続く>・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/15
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前回の続き、「一気に蔵出し!」の<下>です。2012年1月以来、訪店した主なBarを紹介します。初めてじゃない店も交じっていますが、何卒ご容赦を。原則、訪問順にアップします(写真は一部の店だけです。すみません)。※営業時間、定休日等はお手数ですが各店へお尋ねください。 まず、冒頭の東京の5軒(21~25)のオーナーはすべて、神戸での成田一徹さんを偲ぶ会にご参加くださいましたので、その御礼も兼ねてお邪魔しました。21.バー・テンダリー 一徹さんがとても愛したバーでしたが、僕は残念ながらまだ行ったことがありませんでした。今回、東京出張の機会に初めてお邪魔できました。女性オーナー・バーテンダーMさんの素敵な人柄は、一徹さんからもよく聞いていました。お店は想像通りの素晴らしい雰囲気で、もちろんMさんの接客も最高。「バーは人なり」と一徹さんはよく言っていましたが、最後はやはりオーナーの人柄がすべてだと改めて思いました(東京都大田区大森北1-33-11 2F 電話03-3298-2155)22.バー・草間ギンザ ここも一徹さんが愛したバーでした。帝国ホテルで修業して、その後銀座で独立されたKさん。苦労人で、接客・サービスにも熱い信念がにじみ出ています。カクテルも美味しくて堪能できました(東京都中央区銀座7-7-6 アスタープラザ・ビルB1F 電話03-3571-1186)23.バー・オーチャード・ギンザ Mマスターとは2006年、一徹さんが「神戸の残り香」の出版記念パーティーを神戸のホテル・オークラで開いた際からの付き合いです。当時マスターはオークラに勤めていました。今では、液体窒素を使うなど斬新なアイデアでのフルーツ・カクテルでバー業界でも注目を集める存在です。同じくカウンターに立たれる奥様も凄腕のバーテンダー。会話も含めてとにかく楽しい店です(東京都中央区銀座6-5-16 三楽ビル7F 電話03-3575-0333)24.バー・FAL とても物腰の柔らかい接客や言葉遣いは、Hマスターが京都出身なのからでしょうか? 銀座には素敵なバーがいっぱいありますが、「居心地の良さ」という点では、最近では僕のナンバー1です。一徹さんもHさんの人柄にほれ込んでいました。オールド・ボトルへの造詣の深さに加えて、銀座とも思えないような良心的な料金。そうした心意気がとても嬉しいのです(東京都中央区銀座8-10-16 進藤ビル2F 電話03-3575-0503)25.酒向バー 元々霞が関で「ガスライト」というお店の店長だったSさんが独立、オープンされた店です。なかなか行けなかったのですが、今回初めてお邪魔できました。Sさんも成田さんとは古い付き合いでした。SさんはNBAのコンペで全国優勝をされたくらいの実力者ですが、そんな実績はひけらかさない謙虚で、あったかい人柄でした(東京都中央区銀座8-5-1 プラザG8 4F 電話03-6280-6835)26.呂仁タバーン 守口という大阪のはずれにあるけれど、本格的な酒場です。オーナーTさんはバーボン博士と言われるくらい凄い人で、お店のバーボン・コレクションはおそらく関西一。しかし、僕が何よりも好きなのは、Tさんの親しみやすい人柄です。エジンバラでムール貝とステーキのレストランを営む娘さんの店にも先般お邪魔しました。そんな訳でより身近に感じてしまいます(大阪府守口市本町1-2-2 電話06-6997-3200)27.バー・ヴィクトリー 僕が心から尊敬するバーテンダーKさんが営む沼津の老舗です。一徹さんもKさんが大好きで、生涯に7回も切り絵にしました。何度お邪魔しても、Kさんの物腰低い、丁寧な接客・サービスから教えられることが多いです。カウンターやステンドグラスの窓など、ただただ「素晴らしい」と言うしかありません。沼津まで足を運んでも絶対に損のないバーです(静岡県沼津市八幡町125 電話055-962-0684)28.バー梅邑(うめむら) ヴィクトリーのすぐそばにあり、元々はヴィクトリーのKさんが働いていた老舗です。一徹さんからこのお店の名前は聞いていましたが、お邪魔するのは初めてです。見たことのない切り絵原画が店に飾ってあることにも驚きました(沼津市上土町50 電話055-963-0248)。29.永楽倶楽部バー・コーナーバーのチーフ・バーテンダー福島勇三さんは御歳86歳なのに、先般、神戸の偲ぶ会までわざわざ来てくださいました。人格、人柄ともに素晴らしい方で、福島さんの顔を見に行くだけでも値打ちのあると思います。早稲田OBのための会員制施設とのことですが、一般利用もできるようです(東京都千代田区永田町2-12-4 赤坂山王センタービル7F 電話03-3580-0046)。30.サボイ・ニーニョ 神戸サヴォイ・グループの1店。女性店長が仕切っていますが、久々にお邪魔しました。小さくて可愛い、穴場的、隠れ家的なバーなのがウリです(神戸市中央区三宮町3-9-4 電話078-331-2275)31.クラブ・デゼール 先斗町の路地にある、穴場のバー。バックバーの棚に置いてるお酒もオールドボトルがほとんどというマニアックな店。初めて行くにはとても勇気が要りますが、一見の価値のある店です。男前で、かっこいいHマスターが営んでいます。なぜか一徹さんも密かに愛して、切り絵にもしています(京都市中京区木屋町四条上ル 十三番路地東入ル北側2F 電話075-221-8496)32.バー・まぼろし 天満で面白い店があると聞いてお邪魔しましたが…。一徹さんも生前、一度行ったことがあるそうです。着物を着た女性オーナーが営んでいる怪しげな雰囲気の店ですが、常連度が高くて、若干スナックっぽい感じもして、バーというには?でした(大阪市北区天神橋5-3-12 2F 電話06-6881-2283)33.バー・BABY 新世界と言えば、ここに来ずしてどうするという老舗。Tマスターは相変わらず元気で、温かく迎えてくれました。ユカリさんの5月の通天閣ライブの後、お邪魔したのですが、店の閉店間際に有名芸能人の御一行がやって来て、一緒に写真を撮れたのが嬉しかった(笑)(大阪市浪速区恵比須東1-6-11 電話06-6641-7192)34.バー・7th 堺の老舗「街のあかり」で修業したAさんが独立してオープンした店。日本最高峰のビル「ハルカス」が出来たり、大阪でいま一番注目のアベノという立地です。若いのにとても礼儀正しく、言葉遣いも丁寧なAさんは、僕の「いち押し」のバーテンダーです。きっと地元で多くのお客さんに愛されていくに違いありません(大阪市阿倍野区松崎町3-17-13 電話06-4399-7555)35.バー・トライベッカ 明石よりもさらに西、加古川という離れたロケーションにあるバーですが、一徹さんが結構古くから付き合い続けた店です。ずっと気になっていて、一度行ってみたいと思っていましたが、ようやくお邪魔できました。想像以上のオーセンティックなバーで、マスターも気さくで親切な方でした(兵庫県加古川市平岡町新在家2-268-12 せぴあはうす2F 電話079-427-5166)36.バー・ブリック 以前別のバーでお世話になったOさん(女性です)がオーナーとなった店です。丁寧な接客とカクテルづくりで定評のあるので、独立後も繁盛していて、満席では入れないこともしばしば。成田さんも彼女のことが大好きでした。その成長ぶりをきっと天上から喜んで見ていると思います(神戸市中央区中山手通1-14-3 リンビル1F 電話078-333-0026)37.スタア・バー 有名なバーテンダーで、NBA(日本バーテンダー協会)の会長もされている重鎮・岸久さんのお店です。久しぶりに訪れました。岸さんも神戸の一徹さんの偲ぶ会に来てくれたのでその御礼も兼ねてだったのですが、カウンターの僕の前に来た岸さんは、ほんまに話し出したら止まらないという感じで、僕もかなり独占してお話できました。「一徹さんの功績をNBAとしても今後しっかりと後輩たちに伝えていきたい」と熱く語ってくれたのが嬉しかったです(東京都中央区銀座1-5-13 三弘社ビルB1F 電話03-3535-8005)38.モンド・バー 一徹さんがらみで用事があって、かなり久しぶりに寄りました。お値段はかなり高めの店です(勘定書をみて目が点になりました)。用事がなければ、次行くことは、まずないかなぁ(笑)(東京都中央区銀座8-11-12 正金ビルB1F 電話03-3574-7004)39.バー・ライムライト 北新地BESO出身のIさんが独立、オープンしたバー。大阪・梅田から電車で20分ほどの茨木という立地にも関わらず、早くも地元に人たちに愛されて繁盛している。「ノーチャージで頑張る」という心意気も嬉しい(大阪府茨木市双葉町2-3 ツインリーブス1F 電話072-601-0261)40.バー・山谷 兵庫県西宮(最寄駅JR甲子園口)の店です。この辺りにようやくオーセンティックなバーが出来たのはとても嬉しいのですが、Tシャツ・短パンの客も訪れるローカルな立地で、チャージが500円。強気の商売で大丈夫かなぁと少し心配になりました(兵庫県西宮市甲子園口3-21-5 1F 電話0798-64-2800)41.バー・BEE ここの訪問記は、先般ブログでも詳しく書いたのでいちおう行ったという記録だけ。最後の日々、向島で一徹さんはどう過ごしていたのか。次回お邪魔した時は、マスターのYさんからもっと話を聞いてみたいなぁ(東京都墨田区東向島2-20-6 電話03-3610-5508)42.バー・よつば 肥後橋のバー立山、福島のバー・カモメで修業したHさんが独立、オープンしました。選んだ立地はやはり福島でした。美味しい食べ物屋さんが周囲にいっぱいある福島なので、こういうショット・バーは貴重です。白を基調にした漆喰の内装(地中海風?)も素敵です。午後4時オープンというのも酒呑みには嬉しいなぁ(大阪市福島区福島7-4-28 向井ビル2F 電話06-6453-1818)43.バー・富美家 ミナミの老舗バーを受け継いだKさん。久しぶりにお邪魔したけれど、とても礼儀正しい接客は相変わらず。表の喧騒も聞こえてこない静かな雰囲気が嬉しい店です。僕は最近、なかなかミナミには飲みに行けないんですが、ミナミ周辺にお住まいの方、おすすめですよ(大阪市中央区東心斎橋1-15-11 日宝周防町エレガンスビル 1F 電話06-6243-1847)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/15
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最近、各地のBar巡りの話を書くのを、1年以上(?)さぼっていました。申し訳ございません。この間、初めて訪問したBarもほとんど紹介できていませんでした(調べたら、なんと前回「各地のBar巡り」のテーマで書いたのは2011年11月だぁ!)。 そこで今回は、2012年1月以来訪店した主なBarを、まとめてバーンと蔵出しです(すでに日記上で個別に書いた店は基本的に省いています。また、初訪問ではない店も含まれていますが、このブログで取り上げるのはたぶん初めてということでご容赦を)。 とりあえずは、データ(住所&電話番号)と簡単なコメントを付けて、訪問順にアップします(写真は一部の店だけですが、すみません)。※営業時間、定休日等は、お手数ですが各店へお尋ねください。1.バー・コットン・クラブ いつ行っても温かくて優しくて、礼儀正しいオーナー・バーテンダー・Mさん。故・成田一徹さんも大好きだった酒場です。こんなBarがウチの近所に出来たら、きっと入り浸ってしまうだろうなぁ…(奈良市大宮町4-3130-4 2F 電話0742-33-0340)。2.バー・アルディ(Hardi) 言わずと知れた実力派女性バーテンダーIさんの店。関西では、今や女性バーテンダーのリーダー格。Besoグループの出身なので、お酒の技術も確かです(大阪市北区曽根崎新地1-10-22 ミヤプラザ6F 電話06-6343-2100)。3.Jim McEwan Bar 小さい店ながら、シングルモルトの品揃えが豊富な店。女性店長が仕切っています(最近は店長が、別の店の手伝いで留守がちなのでご無沙汰していますが)(大阪市北区曽根崎新地1-11-9 京屋ビル1F 電話06-6344-3151)。4.バー・STREAGA 大阪の四ツ橋筋、肥後橋から本町方面へ7、8分歩いていったあたりにある、穴場的バー。普通のオーセンティックバーですが、雰囲気はいいです(大阪市西区京町堀1-4-9 京町橋八千代ビルB1F 電話06-6447-6112)5.The Dog House Inn 大阪・鶴橋にある、いわゆるパブですが、お酒も料理も充実していて、お値段もリーズナブル。かつては店の名の通り、名物の犬(ブルドッグ)がいましたが、その後は元気どうなっているのか、情報は得ていません。コリアンタウンでの焼肉の帰りにいかが?(大阪市東成区東小橋3-14-3 電話06-6972-3314)6.オールド・インペリアル・バー 帝国ホテル大阪にある同ホテルのメインバーです。歴史と伝統が息づく東京・帝国ホテルの同名バーの素晴らしい雰囲気を継承しています。成田一徹さんが生前最後の個展を開いたのもこのホテルです。インペリアル・バーを描いた一徹さんの遺作の切り絵は、店内に飾られています(大阪市北区天満橋1-8-50 帝国ホテル大阪2F 電話06-6881-1111) 7.バー・OLD TIME 今はなき名古屋の老舗バーDUOのお弟子さんKさんが営むバー。小さいキャパですが、アットホームな雰囲気に癒されます(名古屋市中区錦3丁目13-10 電話052-951-5557)8.バー・ALBION こちらもDUOのお弟子さんKさん(上記Old Timeのマスターとたまたまイニシャルが同じですが)が営む素敵なバー。接客・サービス、雰囲気も申し分なし。おすすめです(名古屋市中区錦3丁目19-3 電話052-961-7660)9.Avery's Irish Pub 三宮のパブ(東急ハンズ近く)です。土日は午後3時オープンで、明るいうちから飲めるので重宝しています。お値段も良心的です(神戸市中央区北長狭通1-10-9 生田新道ビル1F 電話078-391-2757)10.Simbar 名門BESO出身のNさんが独立してオープンしたバーです。おしゃれな雰囲気に溢れています。キャパも結構広いので使い勝手はいいかも(大阪市北区曽根崎新地1-9-2 岸本ビル1F 電話06-6347-5400)11.Bar・YANAGI 御池通近く(と言っても10分ほど歩くが)の穴場バー。初めての訪問じゃないけれど、京都へ行ったら、ここに行きたくなる。Yマスターの温かい接客とレンガづくりの心地よい内装に包まれる時間は至福そのものです(京都市中京区夷川高倉東入ル天守町757 1F 電話075-241-4000)12.Wishy Washy 新地のはずれのカジュアルなジャズ・バーです。お手頃のお値段で雰囲気もまずまず。待ち合わせとかにはいいかも(大阪市北区曽根崎新地2-2-5 第3シンコービル3F)13.パパ・ヘミングウェイ 神戸での一徹さんを偲ぶ会でバー・コーナーを担当してくれたFさんが営むバー。亡くなってから付き合いが深まりました。一見こわもてのFさんですが、実はとても温かくて親切です。お値段もとてもリーズナブルです(神戸市中央区中山手通1-7-20 第3天成ビル2F 電話078-391-2838)14.Bar HIRAMATSU UMEDA ミナミの老舗バー・ヒラマツの新展開。梅田のハービスプラザという立地に敷居が高いと思われるかもしれませんが、料金は至ってリーズナブル。年中無休で雰囲気も抜群とあれば、これは利用しない手はない(大阪市北区梅田2-5-25 ハービスプラザ2F 電話06-6456-4774)15.Pub Bar The Press Club 三宮のカジュアルなオーセンティック・バー。前から気になっていて一度と思っていてお邪魔した。ノーチャージだけど、レベルは結構高い。機会があればまた使ってみようと思う(神戸市中央区北長狭通2-10-10 電話080-3031-0112)16.バー・ALBA バーLeighグループ出身のTさんが独立してオープンした店。天満という大阪で最近人気エリアに目をつけたところはさすが。オーセンティック・バーを待ち焦がれていた地元民に早速愛されているようです(大阪市北区天神橋4-10-22 千寿ビル2F)17.パブリック・バーS 成田さんが何度か切り絵にもしている老舗。以前は曽根崎にありましたが、新地に移ってきてはや10年以上(?)。もうすっかり根付いている感じです(大阪市北区堂島1-5-39 電話06-6343-1900)18.バー・樽 かなり久々にお邪魔しました。80歳。大阪のバー業界では今や最長老のWマスター、相変わらずお元気そうで安心しました。「死ぬまで現役」と意気軒昂でした(大阪市北区曽根崎新地1-6-6 大川ビル2F 電話06-6341-6646)。19.バー・キャンファーウッド 成田さんを偲ぶ会にも来てくださったIマスター。御礼も兼ねてお邪魔しました。阪急・園田というローカルな立地にも関わらず、お店は本格的だったのに驚きました。お酒も美味しくて、また訪れてみたいと思いました(兵庫県尼崎市東園田町4-93-3 1F 電話06-6492-3378)20.バー・タイム 関西バー業界の重鎮、Uさんの営む店です。ここにも偲ぶ会への協力の御礼を兼ねて訪れました。春は桜の名所で有名な夙川・苦楽園のすぐそばです。窓からも満開の桜が見えるそうです。こんどは満開の時期に来てみたいです(兵庫県西宮市石刎町2-2 電話0798-70-1623)こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/14
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★連載「歴史に残る偉大なバーテンダー」のうち、ハリー・マッケルホーンとハリー・クラドックについて、全面改訂版 をリリースしました(20130713)。ぜひ、ご覧下さい。
2013/07/13
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ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone 1890~1958)と言えば、1919年に世界初の体系的なカクテルブック「Harry’s ABC Of Mixing Cocktails」を出版した偉大なバーテンダーであり、世界で最も有名な街場のバー「Harry’s New York Bar」の創業者です。 私は先般、この日記上で、マッケルホーンやその子アンドリュー(Andrew)、孫のダンカン(Duncan)という三世代について、集められる限りの資料やデータを元に簡単な伝記を紹介しました。ところがその後の情報で、いくつか修正しなければならない事実が出てきました。 ネットの世界ではいったん発信してしまうと、それが一人歩きしてしまう危険性があり、間違いを見つけた場合はすみやかに訂正・更新する必要があります。そしてもちろん、新たな情報があった場合は、できる限り追記するのが親切だと思っています(写真左=Harry's New York Bar (C)Photo By H.K )。 今回は、訂正すべきことが2点と追記が1点です。1.「2011年現在、56歳で健在」と記した「Harry’s New York Bar」の三代目、ダンカン・マッケルホーンは、実は1998年3月、肝臓病のため44歳の若さで急逝していました。このため、この部分は全面的に書き換えました。 (※ダンカンの動静については、執筆当時可能な限りフォローしたつもりでしたが、Harry’s New York BarのHPにもそうした情報は記されておらず、健在だと信じ込んでいました。この重要な情報がどうしてWEB上で最近までほとんど公開されていなかったのか、不思議でなりません)。2.カクテル「サイドカー」誕生にまつわる記述の部分については、このほど手に入った「Harry’s ABC Of Mixing Cocktails」の“初版本”=写真右=でマッケルホーン自身が、「ロンドンのバックス・クラブ(The Buck’s Club)のバーテンダー、マクギャリー(Pat McGarry)が考案した」と記していることから、書き換えました。 (※「サイドカー」はもちろんHarry's New York Barの看板カクテルであり、国内外の多くのカクテルブックでは、「サイドカー」の考案者をマッケルホーンと紹介している本がほとんどなのですが、マッケルホーン自身が否定している以上、いい加減にこの辺りで、訂正した方がいいのではないかと思います。「マルガリータ=流れ弾起源説」のように、後世のつくり話が一人歩きして、間違ったまま"定説化"してしまうことになります) 3.Harry's New York Barはダンカンの急逝後、妻のイサベル(Isabelle)がオーナーとなりましたが、2011年のHarry's Bar100周年記念パーティーを機に、ダンカンの長男で23歳(当時)のフランツ・アーサー(Franz-Arthur)が、父の遺志を継ぎ、四代目としてバーテンダーの道に進むことを決めたという嬉しい発表がありました。従って、このニュースを追記しました。 この歴史と伝統ある酒場が、フランツ・アーサーという新しい世代へ受け継がれていくと聞いて、安堵の気持ちを抱いたのは僕だけではないと思います。「Harry’s New York Bar」のさらなる発展を、Barファンの一人として心から願うものです。 今後とも、間違いや新たな事実が判明した場合には、それを恥だとは思わず、すみやかに訂正したいと思います。それが、物書きの端くれとしての良心だと考えます。過去の連載については、近日中に全面改訂版をリリースする予定です。何卒よろしくお願いいたします。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/12
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ハリー・クラドック(Harry Craddock 1875~1963)=写真左下 (C) northcountrypublicradio.org =と言えば、あの「サヴォイ・カクテルブック(The Savoy Cocktail Book)」を著した偉大なバーテンダーです。サヴォイ・ホテルやドーチェスター・ホテルなどロンドンの名だたる一流ホテルのBarで長くチーフ・バーテンダーをつとめ、多くの後進を育てました。しかし、クラドックの伝記はこれまで書かれたことがなく、私生活についての情報(資料)もほとんど伝わっていなかったために、その素顔は謎に包まれたままでした。 私は先般、この日記上で、クラドックの生涯について、当時集められる限りの資料やデータを元に簡単な伝記を紹介しました。その際、自信を持って書ききれず、ずっと心残りに思っていたことがいくつかありました。 バー業界では、世界的な知名度と輝かしい業績を持つクラドックですが、基本的なデータで不明な点が多かったのです。 まず、彼は「米国生まれ、禁酒法で米国に見切りをつけ英国へ渡った」と言われてきたのですが、米国のどこで生まれたのかのはっきりとした情報がないこと。 そして、英国での最晩年の動静。具体的には、ドーチェスター・ホテルを1947年、72歳で退職したあと、亡くなるまでの間どう過ごしたのか、いつどこで亡くなり、どこに埋葬されたのか。こうした基本的情報(データ)が、英国内ですらよく分かっていなかったことです。 僕は「研究者の誰かが、彼の生涯を徹底的に調べて伝記を書いてくれないかなぁ」とずっと願い続けてきました。すると、今年に入って思わぬニュースと出合ったのです。アニスタティア・ミラー(Anistatia Miller)、ジャレッド・ブラウン(Jared Brown)という2人の研究者が2013年1月、クラドックともう1人、ハリー・ジョンソンという19世紀後半のバーテンダーについて、約7年の歳月をかけて調べ、書き上げた伝記「The Deans Of Drink」を出版したのです。 原書であるので、うらんかんろはまだ読んでいませんが、そのエッセンスを紹介した海外のブログはいくつか拝見しました。そして、なによりも嬉しかったのは、この2人の努力によって、謎だった部分の多くが判明したことです。 第一の謎であった「生誕地」については、驚きの事実がわかりました。クラドックは米国人ではなく、英国人だったのです。彼は1875年8月、イングランド西部、コッツウォルズ地方のバーレイ(Burleigh)という町で、仕立屋と織物職人の両親の間に生まれたのでした。実は、欧米でもこれまで、クラドックを「米国生まれのバーテンダーだが、禁酒法施行を機にニューヨークを離れて英国に渡り、サヴォイ・ホテルで有名になった人」と信じ込んでいた人が多かったそうです。 しかし、事実はまったく違いました。クラドックは成人するまでは英国で過ごし、22歳の時、新大陸アメリカへの移民ブームに乗って、初めて米国へ渡るのです。クリーブランド、シカゴでウェイター、バーテンダーとして働いた後、より大きな活躍の場を求めて、ニューヨークへ向います。そして、マンハッタンの有名なホテルや社交クラブのBarでバーテンダーとして働き始めます。再び英国へ戻ったのは、前述したように米国に禁酒法が施行された1920年です。 今回、もう一つの謎だった埋葬地や墓碑も、著者たちの努力で確認されました。クラドックはロンドン郊外西方のガナーズベリー(Gunnersbury)という町の共同墓地に眠っていました。 しかし、確認された墓碑(墓石)=写真右 (C)Savoystomp com=を見て、僕は唖然としました。まったく無関係と思われる他人2人との共同の墓碑だったのです。あの偉大なバーテンダーの墓碑としては、あまりにも寂しい最期の現実に言葉もありません。 最晩年のクラドックは、ドーチェスター・ホテルを退職した4年後、76歳にしてブラウンズ・ホテルというところから請われて、新たなBarの開業を手伝います。このホテルに何年勤めたのかは不明ですが、最終的には87歳で亡くなります。命日は1963年1月23日です。 最晩年、クラドックがあまり脚光を浴びず、その動静があまり伝えられずなかった理由はよくわかりません。あれほどバー業界に貢献し、不朽のカクテルブックを著した偉大なバーテンダーであるのに、「英国内のバー業界はなんて冷たいのか。なぜ偉大な先人にもっと敬意を払わないのか」と僕もずっと不満に思ってきました。 ところが奇しくも没後50年にあたる今年、さらに素晴らしいニュースが飛び込んできました。3月15日、クラドックが愛したプリマス・ジン(Plymouth Gin)社がスポンサーとなり、彼の埋葬された墓前で、没後50年の記念の集いが開かれたというのです。→ 英国でのWEB報道(A) & 英国でのWEB報道(B) サヴォイ・ホテル、ドーチェスター・ホテル等のBarの関係者をはじめ、「The Deans Of Drink」の著者ももちろん参加しました。そして、墓碑にカクテルを捧げ、偉大な先人バーテンダーを偲び、たたえました。没後50年にして、英国のバー業界がようやく、「カクテルの帝王」クラドックを再認識し、再び敬意を払う気持ちになってくれたことは喜ばしい限りです。 「先人の積み重ねがあって、今がある」とは、どの業界にも共通する真理です。世界中のバー業界が、ハリー・クラドックの偉大な功績を、名著「サヴォイ・カクテルブック」とともに、末永く語り継いでいってくれることを心から願わずにはいられません。 ※過去の連載については、近日中に全面改訂版をリリースする予定です。何卒よろしくお願いいたします。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/11
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さて、ハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)の「ABC Of Mixing Cocktails」の“初版本”(1919年刊)には、304種類のカクテルが収録されています(現行版は369種類収録です)。 従来、この「ABC Of …」が欧米初出資料と認められてきたのは、アドニス(Adonis)、アラスカ(Alaska)、アレクザンダー(Alexander)、エンジェル・キス(Angel’s Kiss)、ブルックリン(Brooklyn)、ジン・リッキー(Gin Rickey)、ジャック・ローズ(Jack Rose)、ニッカーボッカー(Knickerbocker)、ミリオネア(Millionaire)、オレンジ・ブロッサム(Orange Blossom)、プッシー・フット(Pussy Foot)、ロブ・ロイ(Rob Roy)、サイドカー(Sidecar)、スノーボール(Snowball)、ホワイト・レディ(White Lady)の15のカクテルでした。 ※ただし、ホワイト・レディは現在の標準レシピとはかなり違うために、初出とみなさない研究者もいます。 今回、収録された304のカクテルの名前を、うらんかんろが所蔵する10冊近い1940年代以前のカクテルブックと照らし合わせたところ、上記の15も含めて84ものカクテルが、この「ABC Of …」上が欧米初出と確認できました。 そのなかにはダイキリ(Daiquiri)のような超有名なカクテルのほか、ビジュー・カクテル(Bijou Cocktail)、ブロンクス・テラス(Bronx Terrace)、クラブ・カクテル(Club Cocktail)、コモドア(Commodore)、アイ・オープナー(Eye-Opener)、ジョン・コリンズ(John Collins)、マミー・テイラー(Mamie Taylor)、ペグー・クラブ(Pegu Club)、ヨコハマ(Yokohama)など、現代のバーテンダーにもそこそこ名前の知られたのもありました。 さて、“初版本”にある304のカクテルのうち、現行の「Harry’s ABC Of …」ではなくなっているカクテルはどれくらいあるのか、手間を惜しまずに数えてみました。すると、全部で163。約53%です。差し引き、現行版まで生き残っているのは141です。 見方を変えれば、現行版に収録の369のカクテルのうち、初版から生き残っているのは約38%しかないということになります。ちなみに現行版まで生き残っている141のカクテルは、以下の通りです(少し長くなりますが、重要な基礎データなので、すべて記しておきます)。 Adonis、Alaska、Alexander、Alfonso、American Beauty、Angel’s Kiss、Apple Jack、Astoria、Bacardi Cocktail、Bamboo、Bijou Cocktail、Blackthone、Bloodhound、Bossom Caresser、Brandy Crustas、Brandy Daisy、Brandy Fix、Brandy Flip、Brandy Julep、Brandy Smash、Brandy Sour、Brazil、Broken Spur、Bronx、Brooklyn、Bull Dog、Café de Paris、Carrol、Casino、Champagne Cocktail、Champagne Pick-Me-Up、Chinese Cocktail、Clover Club、Coronation、Daiquiri、Derby、Diabolo、Diki Diki、Doctor、Dream、Dubonnet、Dunlop、 Eagle’s Dream、East India、Egg Nog、Egg Nog Hot、Elk’s Own、Empire Punch、Fish House Punch、Fox River、Gilloy、Gin Cocktail、Gin Daisy、Gin Fix、Gin Fizz、Gin Julep、Gin Rickey、Gin Sling、Gin Smash、Golden Fizz、Grenadier、Harry’s Cocktail、Harry’s Pick-Me-Up、Harvard、Inca Cocktail、Ink Street、Jack Rose、Jersey Cocktail、Journalist、Knickerbocker、Knock-out、Lasky、Locomotive Magnolia、Maiden’s Blush、Manhattan、Martini、Mayfair、Millionaire、Mint Julep、Mississippi Mule、Monkey’s Gland、Montana、Morning Glory Fizz、Mountain、New Orleans Gin Fizz、Night-Cap、Nighteen-Twenty、Old Fashioned、Opera、Orange Blossom、Paradise、Parisian、Ping-Pong、Pink Lady、Pink Rose、Polo、Prairie Oyster、Princess Mary、Princeton、Pussy Foot、Quaker’s Cocktail、Quarter Deck、Queen’s Cocktail、 Reform Cocktail、Rob Roy、Rock & Rye、Rose Cocktail、Royal Cocktail、Royal Smile、Ruby Fizz、Russ House、Saratoga、75 Cocktail、Shandy Gaff、Sidecar、Silver Cocktail、Silver Streak、Sir Walter、Snowball、Southern Beauty、Star Cocktail、Stinger、Stone Fence、Swissess、Tango、Tantalus、Texas Fizz、Third Degree、Thunder、Tom Collins、Trilby、Tropical、Vie en Rose、Virgin、Wardy’s、Wax Cocktail、White Lady、Xanthia、Yale、Yokohama、Za Za マッケルホーンは、「Harry’s New York Bar」のオーナーとなる前、ロンドンやフランス国内のいくつかの場所でバーテンダーとして修業しました。 従って、彼が「ABC Of …」で取り上げたカクテルは、少なくとも1910年代後半の欧州(少なくともロンドンやパリでは)では登場していて、街場のバーで飲まれていたことの証(あかし)と言えるでしょう。 しかし、マッケルホーンの本の中で生き残っていたとしても、現実のBarの世界で現在でも認知されているカクテルはどれくらいあるでしょうか? ちなみに、この141のカクテルの中で先般、うらんかんろが、現代のBarでの認知度・知名度を基準に、連載「カクテル――その誕生にまつわる逸話」で取り上げたのは、以下の33のカクテルです。 Adonis、Alaska、Alexander、Angel’s Kiss、Bacardi Cocktail、Bamboo、Bijou Cocktail、Bloodhound、Bronx、Brooklyn、Champagne Cocktail、Clover Club、Daiquiri、Egg Nog(Hot Egg Nog)、Gin Fizz、Gin Rickey、Jack Rose、Knickerbocker、Manhattan、Martini、Millionaire、Mint Julep、Old Fashioned、Orange Blossom、Pussy Foot、Rob Roy、Shandy Gaff、Sidecar、Snowball、Stinger、Tom Collins、White Lady、Yokohama 連載ではこれらのカクテル誕生について、僕が現在知り得る限りのデータや手がかりを紹介したつもりですが、今回、マッケルホーンの“初版本”を見て、さらに追記・修正が必要なものも出てきました。そのなかには、従来のカクテルの歴史書や現在刊行されているカクテルブックを書き変える必要がある重要な事実もありました。 間違った事実がひとり歩きし、それが真実であるかのように定着してしまうことは、どこの世界でもあることですが、スタンダード・カクテルの世界でもそれが起きていたのです。 <次回へ続く>
2013/07/08
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さて、今回念願の対面を果たしたハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone)のカクテルブックを見て、予想外のことがありました。本のタイトルが、現在の「Harry’s ABC Of Mixing Cocktails」とは違って、単に「ABC Of Mixing Cocktails」と記され、著者名は「Harry Of Ciro’s」となっています。 そして不思議なことに、本のどこにも出版年が記されていないのです。果たして、これは本当に初版本なのか? 「Ciro's(シローズ)」というのは、マッケルホーンが、パリで「ニューヨーク・バー」を買い取って自ら経営に乗り出すまでの間、正確に言えば、1918年か ら22年まで、約4年間勤めていたロンドンの社交クラブ「The Ciro's Club」のことです。 マッケルホーンはこの「Ciro's」のBarで働いていた際、この歴史的名著を書きあげました。しかし、出版年が書いていないので、この本が何年に出たものかはよく分かりません(写真左=Harry's New York Bar =筆者の友人が2011年3月に写す)。 初版の後、マッケルホーンは何度か改訂版を出していますが、パリで「ニューヨーク・バー」のオーナーとなり、店の名を「ハリーズ・ニューヨーク・バー」と変えた1923年以降は、本のタイトルは「Harry's ABC Of …」と変更しています。 従って、Mさんが手に入れた「ABC Of …」「Harry's Of Ciro's」というタイトル&クレジットの本は、普通に考えれば1919~22年の間に出版されたものだと考えるのが素直です。さらに、本に出版年は記されていなくとも、出版時期を絞りこめる手がかりが、3つほどありました。 まず本文の最初のページに記された、この本の出版元です。「Odhams Press Inc, London」とあります(写真右=Odhams社のマーク)。英語版Wikipediaによれば、「Odhams」は1890年の創業で、当初は新聞を発行していました。社名は1898年に「Odhams Limited」と変え、さらに1920年「Odhams Press」と変更したとあるので、この本は少なくとも1920年以後の出版であることが分かります。 広告にも思わぬ手がかりがありました。以前にも紹介した「BOLS」の広告に「1575年(の創業)以来、346年間、世界じゅうから愛され続けるリキュール」というキャッチコピーが記されていました(写真左)。これを信じるなら、出版年は1921年ということになります。 さらに本文を見ていくと、興味深い記述がありました。「Princess Mary」というカクテルの項の説明に、マッケルホーン自身が「1922年2月のメアリー王女の結婚を祝して自らが考案した」(introduced by myself in honour of Princess Mary’s Wedding to Lord Lascelles, Feb, 1922)と書いているからです。 マッケルホーンが経営権を買い取った「ハリーズ・ニューヨーク・バー」がオープンしたのは、1923年2月です。従って、少なくともこの「ABC Of …」は、21年から23年2月までの間に出版された、初版の第二版(または第三版?)ではないかと推察しています。 Princess Maryの件を考えると「1922年出版の版」とみるのが自然でしょうが、王女の婚姻が1921年の段階で決まって周知されていて、マッケルホーンがあらかじめ考案していたと考えれば「1921年の出版」の可能性はなくはありません(写真右=現在でも有名なGordon Ginの広告)。 もちろん、初版本でなかったからと言って、このカクテルブックの価値に陰りが出ることは一切ありません。初版に近い時期で、マッケルホーンがロンドン時代の出版であれば、内容自体はほとんど初版のものを踏襲していることは間違いありません。 そこで、私としては、この貴重な“初版本”の内容を、マッケルホーンに関心を持つ多くのバーテンダーと分かち合うために、じっくりと読み込み、同時代のカクテルブックなどと比較しながら、新たな発見をつかみたいと願っています。では、何回続くかはよく分かりませんが、いささかマニアックな(笑)内容の連載に、どうかお付き合いくださいませ。また、間違い、勘違い等がありましたら、遠慮なくご指摘くださいませ。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/06
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英スコットランド生まれのハリー・マッケルホーン(Harry MacElhone 1890~1958)は、知る人ぞ知る、世界で一番有名な街場のバー、パリの「ハリーズ・ニューヨーク・バー」の創業者です。 そして、彼が1919年に著した、世界初の体系的なカクテルブック「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」は、ジェリー・トーマス(Jerry Thomas)の「How To Mix Drinks or Bon-Vivant’s Companion」(1862年刊)やハリー・クラドック(Harry Craddock)の「The Savoy Cocktail Book」(1930年刊)とともに、カクテルブックの三大古典的名著とも言われ、プロのバーテンダーにとってはマスト・アイテムとなっています。 マッケルホーンのカクテルブックは、20世紀初頭のカクテルのことを知るうえで、重要な基礎資料の一つですが、初版本は出版部数があまり多くなかったのか、古書市場に出てくることは極めてまれです(サヴォイ・カクテルブックは初版本が時折古書市場に出てくるのと対照的です)。 現在この「Harry's ABC Of …」が古書市場に出てきたら、その稀少価値が故にかなりの高値がつくでしょう。復刻版も残念ながら、現在まで出版されていないために、初版本の詳細な内容は一部のコレクターしか知り得るすべがありませんでした(写真左=「ABC Of …」の本文の表紙頁。左側頁の写真でポーズをとっているのが著者のHarry MacElhone)。 現在でも市販されている「Harry’s ABC…」は1986年に、息子のアンドリューと孫のダンカンが編集した復刻改訂版がベースとなっており、うらんかんろ持っているのもこちらの方です。復刻改訂版には369種類のカクテルが収録されていて、ハリー・マッケルホーンの簡単な伝記も付いています。 しかし、この復刻改訂版は、戦前最後の改訂となった1939年版がベースになっていることに加えて、アンドリューらによって、1980年代までに生まれた比較的新しいカクテルが、かなり追加収録されています。 せっかく「古典的名著」と言われているのに、収録カクテルのうち、どれが(初版時に収録された)1910年代の欧州で登場していたカクテルなのか判然としないことが、古い時代のカクテルのことを調べている僕にとっては大きな不満でした(写真右=本文中には、このような広告がたくさん掲載されています)。 これまでは、同じハリー・マッケルホーンが1927年に著したもう一冊のカクテルブック「Barflies and Cocktails 300 recipes」(こちらは初版の忠実な復刻版が出ています)の内容から、「Harry’s ABC…」の初版の中身を類推するしかありませんでした。 この「Harry’s ABC…」初版本の詳しい中身が分かれば、有名なカクテルの誕生の時期について、これまで「**年代に生まれたらしい」とか「いつ頃生まれたかはっきりとは分からない」とか伝えられてきたものについて、誕生の時期がかなり絞り込めます(少なくとも1910年代に欧州に登場していたかどうかが分かります)。 私は「せめてコピーでいいので、初版本の中身を知りたーい」とずっーと、願い続けて、古書市場もずっと探し続けてきました。すると今回、突然、吉報が舞い降りてきました! 神戸の懇意なバーテンダーで、古い時代のカクテルについてとても造詣の深いMさんが、「**さん、やりましたよー! ついに古書オークションで手に入れましたよー!」と興奮して連絡してきてくれたのです。 >こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/05
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ローレンス・バーグリーン(Laurence Bergreen)という米国の伝記作家が 1994年に著した「カポネ 人と時代(原題は、 Capone : The Man and The Era)」という伝記を、集英社が99年に刊行した翻訳版(常盤新平訳)で読みました。 著者が情報公開法によって発掘した当時の公文書や資料で明らかにした知られざるアル・カポネの姿を描いた第一級のノンフィクションです(ニューヨーク編、シカゴ編2冊合わせて、計約800頁にもなる超大作ですが、私が読んだのは後編にあたるシカゴ編です。 アル(アルフォンス)・カポネ(1899~1947)は、ご承知の通り禁酒法時代(1920~33)のシカゴで暗黒街のボスとして君臨した人物です。映画「アンタッチャブル」ではロバート・デ・ニーロが演じていたので、ご覧になった方も多いかと思います。 私は先般、本ブログ上で「禁酒法下の米国――酒と酒場と庶民のストーリー」という連載をして、その際カポネの生涯についてももちろん、できる範囲でかなり調べました。 連載では、カポネが暗黒街のボスに上り詰めたときはまだわずか30歳の若さだったことや、カポネを追い詰めた連邦捜査官のエリオット・ネスは若干25歳だったこと、それに、脱税で逮捕され服役した後は、梅毒に病んでいたため晩年は寂しく亡くなったことなどを記しました。 しかし、このバーグリーンの伝記を読むと、これまで私が知らなかったカポネの素顔や驚くべき事実が数多くありました。結果として、カポネという人物がくっきりと浮き彫りとなり、より実像(真実)に近付けたような気がしました。例えば、以下のような――。・抗争相手への報復事件として有名な聖バレンタインデーの虐殺の真相(本当に殺したい相手は到着が遅れたために仕損じてしまったこと)・カポネは実際には殺人にはあまり関わらず、時には、遠くフロリダの別荘からひそかに指示を送っていたことが多かった(この時代、シカゴとフロリダの移動は原則鉄道です。結構距離があり時間はかかったはずなのに、カポネが頻繁に行き来していたことにも驚きます)・直接殺人の実行には関わらなかったカポネが、唯一(?)「裏切り者」の仲間を自ら殺害した(映画「アンタッチャブル」にも登場する有名な)バットでの撲殺シーン。映画では、殺された仲間は1人だけでしたが実際は3人。カポネは3人を椅子の縛り付け、次々とバットで死に至る直前まで殴りつけます。その後、部下が銃を乱射して撃ち殺しました。指や腕が吹き飛ばされた遺体はハイウェイに乗り捨てられた車のトランクに放置されました。・カポネ組織の電話はかなり盗聴されていて、検察当局は、脱税の証拠や手がかりを盗聴を通じてかなり集めていたこと・逮捕してもなかなか口を割らないカポネ組織の会計士を、捜査当局はゲジゲジやゴキブリだらけの独房に閉じ込めて、ついには「捜査に協力する」と言わせたこと・有名な連邦捜査官エリオット・ネスは密造酒の摘発では多大な功績を上げたが、脱税でカポネ起訴をできたのは、検察と国税当局の担当者の努力が大きかったこと(晩年、ネスがアルコールで身を持ち崩したのは皮肉です)・警察・検察当局だけなく、新聞記者にもカポネに買収されていた人間がいたこと(その記者も二重スパイまがいのことをやって結局は殺されてしまいます)・脱税裁判でカポネを追い詰めていく検察側の手法(ショップの店員などを次々と喚問し、カポネが買った高級下着の領収書等から収入を算定して積み上げていく執念)・神経梅毒や淋病におかされていたカポネの病状は、シカゴの暗黒街のトップに上り詰めていくにつれて、年々悪化します。脱税で懲役11年の判決を受け、収監された数年後には完全治癒が望めないほど酷い病状になっていたこと・当初収監された刑務所では、刑務官らを買収して“特別待遇”を受けて、刑務所の中から電話で組織に指示を送っていたが、後に移送されたアトランタやアルカトラス島の刑務所では一般の囚人扱いで過酷な日々を送ったこと(別の囚人から殺されかけたこともあったという)・妻のメエは21歳で19歳のアルと結婚したが、愛人を何人も持った夫に対しても、彼女は最後まで献身的で、アルが梅毒が悪化し廃人のようになって死ぬまで寄り添ったこと(メエは、アルの没後約40年も生きて、亡くなったのは1986年。結構長寿でした)。・脱税で10年近く服役したカポネが病状悪化で仮釈放された後もずっと、シカゴの暗黒街の“互助組織(シカゴ・アウトフィット)”は、妻のメエやファミリーに経済的な支援を続けたこと(イタリア・マフィアの血の結束の強さには驚くばかり)・本には晩年、釈放された後、フロリダの別荘で過ごすアルの写真も掲載されていますが、一見すると結構元気そうで、梅毒による体調悪化と見えないのが不思議でした ******************************** カポネの兄弟や子どもたちは、カポネ亡き後も「カポネ=極悪」というイメージが消えず、兄のラルフもアルと同様、脱税を追及され、死ぬまで払っても払えないような追徴金を課せられます。その他の親族も生きていくのに苦しみました。名字を変えてひっそりと暮らしたり、カポネ・ファミリーだと中傷されて自殺した親族も少なくありません。息子のソニーも、大学で周囲の白い目を避けるために名字まで変えましたが、結局はばれて大学を中退せざるを得ませんでした。 カポネが司法当局の目の仇(かたき)にされた背景について、著者は、「当時はイタリア系とユダヤ系は目の仇(かたき)にされる世相だった。カポネ以外にも悪人はいたが、カポネは結局、イタリア系だったことで、アングロサクソンが主流を占めていたワシントンの政治家や検察当局、国税当局から一番の標的にされたのだ」と推察しています。禁酒法施行自体も、酒造業界を支配していたドイツ系の人たちへの反発があったことは、多くの歴史家が認めるところです。 アルフォンス・カポネは、確かに犯罪者であり、シカゴの犯罪組織のトップにまで上り詰めた人間です。今でも「極悪非道の犯罪者」というイメージが定着していますが、晩年の姿を知ると、私は少し同情を禁じ得ません。 カポネ自身は当時、「オレは市民がほしがるもの(アルコール)を提供しているだけだ」と言っていました。もちろん、当時の法律では非合法なやり方でしたが、現代社会でのルールでは、「あくどいビジネス」と非難される程度でしょう(もちろん、ビジネス拡大の過程で対立する組織の人間を粛清した行為は、もちろん現代でも明らかな凶悪犯罪ですが)。私は、カポネはある意味、禁酒法と言う時代が生み出した「必要悪のようなモンスター」だったのかもしれないと思っています。 最後に、ブログでの連載の最終章で私が書いた一文をあえて、もう一度再録して、この稿を終えたいと思います。 米国史上、「高貴な実験」と称された禁酒法は結果として、様々な矛盾や犠牲を生んで、失敗に終わりました。禁酒法が我々に残した教訓は、「酒に対する人間の基本的欲求を、宗教的・道徳的な規範で縛ることなど決してできない」「酒への欲求を法で縛れば、その抜け穴を狙った犯罪が増えるだけ」ということでしょう。 第一次大戦での国家的危機感がゆえに、宗教的・道徳的規範が人間本来の欲求に優先すると信じた当時の米国の政治・宗教指導者たちは、今思えば愚かな人たちに見えます。国家が合法的に大衆を抑圧するのは、有権者の一時的な熱狂・妄信を後ろ盾にすればそう難しくないのです。それは、あのヒトラーが証明しています。 ワン・フレーズのスローガンに煽られて、大衆がみんな同じ方向へ一斉に走り出してしまう社会ほど怖いものはありません。かつてナチス政権登場時のドイツや、(絶対天皇制下の軍部に主導されたとは言え)太平洋戦争に突き進んだ日本を思えば、私たちは、あの時代の米国の指導者や米国人をどれほど笑えるでしょうか。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2013/07/03
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