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王兵(ワン・ビン)「青春」元町映画館 すごい映画を見ました。現代中国の資本主義化の心臓部ともいえる長江デルタ地域、織里という町にある子供服縫製工場で働く、ほぼ、十代後半から二十代の青年男女の住居とセットになっている仕事場での日常を、おそらく、監督であるワン・ビン一人のカメラで徹底的にドキュメントした215分でした。 「死霊魂」で度肝を抜かれたワン・ビン監督の最新ドキュメンタリー「青春」です。 視点の取りようによって、まさに資本主義の搾取の現場のドキュメントであり、青春を生きる若者たちの出会いの姿であり、田舎からやって来た素人の少年・少女たちが縫製の、ミシン仕事のプロになっていく成長譚であり、まあ、まとめていえば、徹底的な現実凝視のフィルムの中で、年収3万元にも満たない低賃金住み込み労働の青年たちの生活の姿、今を生きている姿が、生き生きと、いってしまえば肯定的に描かれていて、だからこそ、現代中国では、決して公開されない、いや、出来ないであろうという、実にスリリングで、矛盾に満ちたフィルムでした。ワン・ビン監督は怒りや同情を封印して、被写体である「人間」に肯定的に焦点を当てることで、中国にかぎらず「現代社会」の現実である貧しさを文字通り根底から描くことに成功している傑作でした。もうそれ以上言葉はないですね。 実は、この映画を見終えての帰路、電車の中で貧血を起こし、スマホに夢中の乗客たちは青ざめてしゃがみこんでいる老人に気付くこともなく、意識朦朧とした老人は普段は乗るはずもないタクシーで、やっとのことで帰宅し、翌朝、日曜日の救急診療に転がり込んで、まあ、事なきを得るという経験をしたのですが、「映画」に当たったのでしょうかね(笑)。 腹痛と貧血の冷や汗に耐えながら、ものすごい勢いでミシンを操っていた青年たちを思い浮かべながら「そうだよな、もう少し、世界を見てからでないとな。」 とか、なんとか、意地を張ってはいたのですが、もう年ですね(笑)。それにしても、意識朦朧の老人を励ましてくれた王兵(ワン・ビン)監督に拍手!でした。監督 ワン・ビン2023年・215分・フランス・ルクセンブルク・オランダ合作原題「青春 Youth (Spring)」2024・05・18・no070・元町映画館no246追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.19
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濱口竜介「悪は存在しない」元町映画館 濱口竜介監督の新作「悪は存在しない」を見ました。 つくづく、この監督の作品との相性の悪さを実感して見終えました。なんだかわけがわからない気分で座り込んでいると、ちょうど、一席空けた隣の席に座っていらっしゃった長髪でおひげを蓄えていらっしゃった、まあ、20代の後半か30代くらいのの男性が他のお客たちが出て行かれるのを待つような様子で座っておられたので、思わず声をかけました。「おもしろかったですか?」「はい。」「この監督の作品は、よくご覧になるのですか?」「はい、ドライブマイカーとか見ました。」 まあ、それだけの会話だったのですが、ちょっと、ホッとしました。 ボクには、始まりから最後まで、なんだかわからない落ち着かなさしかなくて、とどのつまりのラストは、ただ、ただ、ポカーンでした。 もう、それ以上、あれこれ言うことはないのですが、少し、言い訳を書くと、実は、この監督の作品は神戸を舞台にした長編に始まって、短編のオムニバス、何とか賞だかで騒がれた、隣の男性がご覧になったらしい作品まで、みんな見ているのですが、どの作品も、作品の方からスーッと離れていく感覚なのですね。 今回は、「おかワサビ」の話、「水を汲む」シーン、「薪を割る」シーンなんかが、スーッと、映画がボクから離れていった記憶として残ったのですが、どれも、ボクの生活の記憶に少しずれているというか、なんかウソやなと感じたからですね。 たとえば、一つ上げれば、ワサビは畑でも、まあ、田舎の家なら裏庭の日陰でも育ちます。葉っぱは、水気が少ないだけで、水辺のワサビと同じです。信州での、そばの薬味としての扱われ方は知りませんが、「そうなの?何を大げさな。」 という感じ浮かんできました。 映画が、そのシーンで背景化しようとしているのは「文化」や「自然」の歴史性というようなものかなとか思いながらも、たとえば「自然」に対する、この「話題」の作り手の作為というか、思いつきのようなものを感じてしまっているのかもしれませんが、そのあたりから、主人公らしき男性、そして、親子の「自然さ」に対する、ほんの幽かな疑い、まあ、白々しさの感覚から離れらなくなってしまうのですね。 その結果でしょうか、あたかも静かに錯綜するかの自然な会話が、異様に劇的というか、思わせぶりな意味を漂わせ始めて、まあ、それはそれで面白いのですが、やっぱり、「なんだかなあ???」 が浮かんできてしまうのです。 で、あのラストで、題名が「悪は存在しない」ですからね。「観る者誰もが無関係でいられない、心を揺さぶる物語」 なのだそうですが、今度は「よし!よし!」かなと期待して見たのですが、ボクには、やはり、「無関係」でした(笑)。 この人の映画、「青年団」という劇団の役者さんたちが出てくるのが楽しみの一つなのですが、今回も、少し老けられた山村崇子さんとかの姿を見つけたりしてなつかしかったですね。監督・脚本 濱口竜介撮影 北川喜雄編集 濱口竜介 山崎梓音楽 石橋英子キャスト大美賀均(巧)西川玲(花)小坂竜士(高橋)渋谷采郁(黛)菊池葉月三浦博之鳥井雄人山村崇子長尾卓磨宮田佳典田村泰二郎2023年・106分・G・日本2024・05・07・no065・元町映画館no245追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.18
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ノラ・フィングシャイト「システム・クラッシャー」元町映画館 2024年の5月、連休の最中でした。これならあんまり人おらんやろ。 題名の意味がよくわからないので、まあ、適当に狙って行ったのがノラ・フィングシャイトという、多分、ドイツの女性の監督の「システム・クラッシャー」という作品でした。「システム・クラッシャーって何?」 そう思って見ていたのですが、なんというか、もちろん、ボクなんかにはとても打ち返すことのできない真ん中高めの剛速球のストライクを投げ込まれ、キャッチャーもいて、その後ろに防球ネットを立てて見ていたにもかかわらず、びっくりしてひっくり返った! 感じの映画でした。とりあえず立ち上がって、拍手!拍手! 画面に登場した主人公のベニーという9歳だかの少女の行動の一部始終が映し出されていくにつれて、その言葉は、彼女、ベニーの生活圏において、常識的な秩序を維持しようと努力している医者や、教員や、ソーシャルワーカーやといった大人たち、それから、学校とか、施設とか、家庭とかで秩序のルールを守ったり、頼ったりして暮らしている大人や子供、親や、兄弟や、友達、そういう人たちが、そっと目配せして「彼女はあれなのよ。」 と囁き合う言葉だということのようでした。 実際に映画の中では、この言葉は、一度出て来たかどうかでしたし、もちろん「あれ」と口に出す人なんて、誰もいません。にもかかわらず、彼女は徹底的に「あれ」扱いでした。それが、この映画の描きかたなのですが、ボク自身は見ながら30年以上も昔の体験を思い出していました。 あの頃勤めていた仕事場でも、職員は、残念ながらボク自身も含めて、まあ、映画のベニーと症状はちがいますが、学校に来ることができない子供たち と出会うと、とりあえず、あれこれ試行錯誤はするのです。しかし、結局、医者やカウンセラーへ誘導し、「○×障害」とか「△△病」とか、症状に名前が付けられて、職員(ボク)自身は個人的な対応から解放されて一安心するというようなことが、何度もあったわけですが、その、何度もの、当の子供たちに安心がやってくることが、一度でもあったわけではありませんでした。子どもたちは、どうしようもない生きづらさを抱えて、そのまま社会に出て行ったのでした。そんなことを思い出しながら見ていると、映画の終盤、逃げていくベニーを追いかけながら、諦めて立ち尽くしてしまう通学付添人ミヒャの姿 が映し出されました。ミヒャは、この映画の中でベニーとつながる可能性を感じさせる数少ない人物だったのですが、その彼が立ち尽くすのを見て、ボク自身が打ちのめされたような気分になりましたね。 監督は情け容赦なく、ベニーのありのままを描いていきます。見ているこちらに、共感や同情、あるいは理解さえ求めているニュアンスはまるでありません。打てるもんなら打って見ろ! といわんばかりの剛速球です。しかし、徘徊老人はこの少女ベニーと、映画を撮ったノラ・フィングシャイトという監督に鷲づかみにされてしまったんです。 少女ベニーに対しては、さすがに、どうしてあげたらいいのかはわからないのですが、ガンバレ、あなたは何も悪くない! という気持ちだけは伝えてあげたいんですよね。 飴玉くわえている上のチラシの顔、イイでしょう!(笑) これ演技なんですよね。ベニーもすごいですが、演じたヘレナ・ゼンゲルという少女もすごいですね。拍手! それから、70になろうかという老人に、そんなふうに豪速球を投げ込んだ監督さん、確かに、少々高めでアッ!と思いましたが、すばらしい作品だと思いました。アホな感想しか書けなくてごめんなさいね、でも、あなたのボールの威力は腹に応えましたよ。拍手! でした。 監督・脚本 ノラ・フィングシャイト撮影 ユヌス・ロイ・イメール編集 ステファン・ベヒャンガー音楽 ジョン・ギュルトラーキャストヘレナ・ゼンゲル(バーナデット「ベニー」・クラース)アルブレヒト・シュッフ(非暴力トレーナー:ミヒャ)ガブリエラ・マリア・シュマイデ(ソーシャルワーカー:バファネ)リザ・ハーグマイスター(母:ビアンカ・クラース)メラニー・シュトラオプビクトリア・トラウトマンスドルフマリアム・ザリーテドロス・テクレプラン2019年・125分・ドイツ原題「Systemsprenger」2024・05・04・no064・元町映画館no244追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.13
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ジャファール・ナジャフィ「メークアップ・アーティスト」元町映画館 神戸の元町映画館で4月27日から、ゴールデン・ウィークの前半1週間「イスラーム映画祭9」という企画をやっていました。見る気満々だったのですが、4月29日に出かけて挫折しました。なんと、満員御礼! だったんです。もともと60席というミニシアターではあるのですが、で、「イスラーム映画祭は毎年好評なんですよね。」 という映画館の方の話も聞いてはいたのですが、これほどとは思いませんでした。コロナのせいもあって、映画館存続の危機に見舞われている元町映画館には、願ってもない客の入りで、お目出たいのですが、お客のいない映画館に慣れてしまった徘徊老人には想定外の危機(笑) の到来です(笑)。 仕方がないので、その日は人ざかりの商店街徘徊に切り替えましたが、古本だの、同居人のためのお土産のシュークリームだの、すっかり無駄遣い徘徊になってしまい、反省! のご帰宅でした。 で、翌日、「今日は、連休とはいえ、学校とかやってるし!」 と出かけたのですが、何と、やっぱり盛況で、ちょっと早めに行ったつもりだったのですが、入場整理券54番でした。二日続けて挫折するのは癪なので入場して、結果的には、久しぶりに満席の映画館で映画をみました。 見たのはジャファール・ナジャフィという、イランの監督の「メークアップ・アーティスト」というドキュメンタリーでした。「なに?メークアップ・アーティストって?」 まあ、いつものように、そういういい加減なノリで見ていたのですが、これが、まあ、想定外(別に何も想定していたわけではないのですが)の面白さでした(笑)。 舞台がイランという国の田舎で、人々の生活の背景に見える山は一年中雪をかぶっているんじゃないかと思わせる雰囲気でした。登場するのは、その山間にある村で暮らしているのがバフティヤーリー族というのだそうですが、遊牧、だから、羊を飼っている暮らしの若い夫婦なのですが、その夫婦にカメラは密着して、ぶっちゃけていえば「夫婦喧嘩」を撮り続けていたことが、とにかく面白かったですね。「お前らが、こんなふうに映したりするから、女房が勝手なことを言うんだ。」 亭主のゴルムハンマドさんが、ときどきカメラに向かってそんなことを口走るのですが、まず、その距離感というか、カメラそのものが映画の中にあるというか、そこが面白かったんですね。 映画の中で、激高した亭主のゴルムハンマドさんが妻のミーナさんに殴りかかろうとするのを、マイクを持っているスタッフとかが止めに入るシーンまであるわけで、「この映画は、いったい、なにをドキュメントしているんだ?」 まあ、そういう、おもしろさの映画でしたね。 で、その夫婦なのですが、妻のミーナさんが、結婚はして子供も産んだけれど、諦められないと言っているのが、題名になっていますが、「メークアップ・アーティストになりたい!」 ということなのですね。ボクは、この映画を見るまで、メークアップ・アーティストというのが、現在では「美容師」とか「ネイリスト」とかいう職業名と同じ、普通名詞だということを知らなかったのですが、いかにも現代的な仕事ですね。 たとえば、ボクが「ネイリスト」という仕事の名前を知ったのは、もう、かなり昔ですが、高校生に将来の夢を聞いて知ったのですね。そういう専門学校があるって。今回のメークアップ・アーティストも、おんなじですね、映画の中でミーナさんが、大学に通ってもその仕事の技術を身につけたいというわけですが、その様子を見ながら、ボクが、驚きとともに感じたのは「若い!新しい!現代っ子やん!スゴイ!」 ということで、それが、この映画の二つ目の面白さでした。 「ネイリスト」という言葉というか、希望を口にした高校生を、その当時、50代だったボクは、マジマジと見たことを憶えています。何を言っているのか理解できなかったんですよね。 で、この映画に出てくる、ミーナさん以外のすべての人は、当時のボクと同じなんですね。彼女が「自分の人生を自分で決める」 と主張していることについては、反対、賛成はともかく、理解できているかもしれないようですが、「メークアップ・アーティスト」については、おそらく、誰一人理解できていないんです。女性の自立、家族制度、婚姻制度、夫婦の約束、子育て、そのあたりをめぐっての言い争いや、説得、説教が飛び交う中でミーナさんだけは現代っ子なのです。現代っ子というのは制度の中に浸って生きている人間を飛び越えるというか、平気で、夫のため、子どものために第二夫人を探しに行ったりするわけで、このフィルムを見ている、自分は先進国に暮らしているつもりで、ちょっとリベラリスト気取りの、まあ、ボクみたいな人間が「因習的」とかいう言葉を思い浮かべながら彼女の暮らしている村の生活や、彼女の境遇や行動を理解したがることも超えてしまうんですね。 現代っ子というのは、いつの時代、どこの社会にも登場するわけで、この映画でミーナさんが、その現代っ子として、自分の夢の実現に向けてぶっ飛んでいる! そこのところが、ボクにとって、この映画が異様に面白かった! ところですね。 で、三つめはというと、やっぱり、あのキアロスタミの国の映画だったことですね。ちょっと遠めから撮る風景とか、羊や馬のようすとか、その相手をしたり、それに乗ったりしている人のようすとか、村の人たちの会話、特に、最後のシーンなんてキアロスタミそのもので、意味なく拍手しそうでした。 ともあれ、ジャファール・ナジャフィ監督という名は覚えておこうと思いましたね。拍手!でした。監督ジャファール・ナジャフィ Jafar Najafiイラン・2021・76分・ペルシャ語英題「Makeup Artist」2024・04・30・no062・元町映画館no243追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.05.06
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クリスティアン・ロー「リトル・エッラ」元町映画館 予告編を見ていて、子供が主役のようなので出かけました。見たのはクリスティアン・ローという監督のスウェーデン映画「リトル・エッラ」です。 主人公のエッラは男の子だと思っていたら女の子でした。これで、まずびっくりでした(笑)。小学校の3年生くらいで一人っ子のようなのですが、両親は休暇に出かけると会って、彼女をおばーちゃんのところに預けていってしまいます。ここで二度目のびっくり(笑)。彼女は彼女で、おばーちゃんより、おじさんのトミーが大好きだということで、トミー叔父さんのところにもぐりこむというあたりからお話が展開し始めました。 で、大好きなトミーおじさんはエッラと大の仲良しで、プールとか、遊園地とか、一緒に遊んでくれるのですが、実は恋人がいて、その恋人はスティーブというオランダ人の男性だということに、三度目のびっくりでした(笑)。その上、恋人同士の二人はエッラの前で、何の遠慮もなく抱き合いますし、彼女にはわからない英語の会話で仲良くするのを見て、彼女はブチギレて、ボクは呆れました(笑)。 と、まあ、ここまでが前段で、ここから、エッラが転校生のオットー君の知恵を借りて、二人の仲を裂くというか、あれ、これ意地悪を実行してというふうに、まあ、お話はすすむのですが、見ているこちらは、展開のあまりのあどけなさについていけません。「なんなんだ、この映画は?」 見終えて、悪い印象はありませんし、お話もよくわかります。しかし「なんだったんだ?」 が残ります。 で、帰ってきて謎が解けました。スウェーデンの絵本作家ピア・リンデンバウムという人の「リトルズラタンと大好きなおじさん」という絵本童話の映画化! だったのです。ナルホド!(笑) でした。 ボクは、たいていの映画をジジーというか、大人の目で見ていて、たとえば、この映画のように、あくまでも子供にわかる子供の視線で描こうとしている世界に出合った時には、そうだと気付かない時には、ついていけないんですよね。 童話や絵本を、読んだり、見たりすることは、多分、同世代のじいさん、ばあさんよりは、多分、頻繁にしているし、好きでもあるんです。作品について理解もしていると思い込んでいましたが、怪しいものですね。 いやー、だからどうするというわけではありませんが、発見! でしたね。 子供や若い人の目で見るとか、まあ、そういう、きいたふうなことを言いたがることがあるのですが、まず、自分を振り返った方がいいですね(笑)。 まあ、それにしても、スウェーデンとか、やっぱり違いますね。イロイロびっくりしました。というわけで、エッラちゃんとオットー君に拍手!でした。監督 クリスティアン・ロー原作 ピア・リンデンバウム脚本 エラ・レムハーゲン ヤンネ・ビエルト サーラ・シェー撮影 シーモン・オルソン美術 オーサ・ニルソン衣装 エッベ・ハーデル編集 アーリル・トリッゲスタッド音楽 スタイン・ベルグ・スベンドセンキャストアグネス・コリアンデル(エッラ:少女)シーモン・J・ベリエル(トミー:叔父さん)ティボール・ルーカス(スティーブ:おじさんの恋人)ダニヤ・ゼイダニオグル(オットー:転校生)ウィリアム・スペッツ(マイサン)インゲル・ニルセン(おばあちゃん)ミカエル・バーデンホルト(三つ子)パトリック・バーデンホルト(三つ子)ロビン・バーデンホルト(三つ子)マリア・グルデモ=エル=ハイエク(オットーの母)テレース・リンドベリ(エッラの母)ビョーン・エーケングレン・アウグスツソン(エッラの父)2022年・81分・G・スウェーデン・ノルウェー合作原題「Lill-Zlatan och morbror Raring」2024・04・23・no061・元町映画館no242追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.24
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ピーター・グリーナウェイ「ZOO」元町映画館 「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」のゴール、4本目は、企画チラシのメインを飾っている「ZOO」でした。 映画館に到着すると、お久しぶりのカウンター嬢でした。「グリーナウェイ、今日で最後、4本目やで。」「( ̄∇ ̄😉ハッハッハ、それはありがとうございます。最後がZOOですか!それは、それは。(笑)) と、まあ、なんだか意味ありげな笑いです。「えっ?どういうこと?」 とか、なんとか、フト、???だったのですが、無事、見終えました(笑)。 ピーター・グリーナウェイ監督、「魔術師」とか「唯一無二のセンス」とか、まあ、大変なのですが、ボクが鈍いんでしょうね、さほど、ギョッとするわけでも、目を瞠るわけでもなく、それでも、なんかひっかるよな? という感じは持続し続けて、4本見終えました。なんなんですかね、この人? 結局、そこのところにとどまったままでしたね。カウンター嬢に脅されましたが、事件は起きませんでした(笑)。 1本目以来の懸案事項だった、裸体ですが今回も、あちらこちらに出てきましたね。でもね、慣れちゃうとインパクトがありませんね。だから、忘れちゃうんですよね。 で、お話ですが、主人公の動物学者の双子、チラシの中央で裸で座っている二人ですが、彼らが働いているのが「ZOO」ですから動物園ですね、まあ、そこが舞台といえばいえるのお話でした。 で、今回のテーマは、まあ、勝手にそう思っただけですが、「死体」と「腐乱」でした。生き物の死から消滅までの変化の様子が、高速度フィルムというのでしょうか、具体的に映し出されていて、それが目に見えるように映像化しているのですが、グロテスクというより、フーンという感じで、映し出される死骸が、だんだん大きな動物になっていくのを眺めながら、「これって、結局、人間に行きつくのかな?」 そう、思っていると、やっぱり、人間にたどりついて、「で、何がいいたいの?」 が、残りましたね。 シーンがあるだけでコンテクストがないということなのですが、映画全体としては、シーンに何かあるのですよね。だって、意味不明な裸体に朽ちていく死骸なのですよ。そこにはこの映画作家の創作意図なのか、芸術的感受性の発露なのか、たしかなにかにある! のかもしれませんが、ボクにはピーンと響いてこないのですね。これを、極度に好む人も、嫌がる人も、きっといるんだろうな、とか何とかは思うのですが、ボク自身の実感はポカーンでしたね。好きとか嫌いとか判断しようがないというか。なんか見えるんじゃないか、なんか気づくんじゃないか まあ、そんなふうな自分に対する期待もあって、4本見て、結局、ポカーン???(笑) では芸のないことおびただしいのですが、美術でもそうですよね、話題になっているからというので見るのですが、なにも浮かんでこないってあると思うのです。 まあ、そうはいっても、この人の作品、見たことのないのが出てきたら見るでしょうね(笑)そういう興味深さは、やっぱり、感じるのですが、その正体がつかめない、4日続けての元町映画館通いでした(笑)。 監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 サッシャ・ビエルニ音楽 マイケル・ナイマンキャストアンドレア・フェレオル(アルバ)ブライアン・ディーコン(オズワルド)エリック・ディーコン(オリヴァー)フランシス・バーバー(ミロのヴィーナス)ジョス・アックランド(ヴァン・ホイテン)ジェラール・トーレン(医師)1985年・116分・イギリス原題「A Zed & Two Noughts」2024・04・05・no056・元町映画館no240追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.20
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ピーター・グリーナウェイ「数に溺れて」元町映画館 2024年4月の第1週は、毎日、元町映画館通いです。「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」という、わけのわからない監督の企画に溺れています(笑)。3本目は「数に溺れて」でした。 「数」に溺れるという題の意味が、映画の冒頭から暗示されるシーンから始まります。 可愛らしい少女が縄跳びをしながら、まあ、日本語で言えば「一つ~、二つ~、三つ~」という感じで星の名前を順番に、たとえば、アンタレスだったか蠍座だったか、シリウスだったか大犬座だったか、そのあたりははっきり覚えていませんが、ともかく、空の星の名前を数えていって、100まで跳ぶんです。で、「100からは?」「あとは同じ」 とか何とかいうそばにいた少年との会話があるのです。まあ、それはそれで面白いシーンから始まります。 で、ドラマは、途中まではわからないのですが、3人の女性が、母、娘、姪ですが、何故かシシーという同じ名前で、それぞれ自分の夫や恋人を殺すのですが、みんな溺死なんです。溺れ死にですね。 死因は「数」じゃなくて「水」です(笑)。 で、検死官のおじさんが、それぞれの死因を「他殺」じゃなくて「事故死」だと認定するかどうかがサスペンスのはずなのですが、お話は検死官と一番最初の、お母さんのシシ―との、まあ、色恋の話になってしまって、別にドタバタするわけじゃありませんが、意味不明の「ドタバタ・コメディ?」 の様相で、とどのつまりには数を数えていた少女も、それを見ていた少年も、みんな死んでしまって、ついでに、検死官が、今乗っているボートも、今や沈み始めているというラストを迎えます。 「なんなの、これ???」 原題をみると「Drowing by Numbers」ですから、邦題でいじっているわけではありません。監督の何らかの表現意図が込められているのでしょうが、ボクにはすっきりしませんでした。 三人の同じ名前の女性、100までの星の数、数について暗示的ではあるのですが・・・??? いやはや、ピーター・グリーナウェイ、けったいな監督ですが、あと1本です。 はい、もちろん、見ますよ(笑) ボクも、ヒマなんですねえ(笑)監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 サッシャ・ビエルニ 美術 ベン・バン・オズ ヤン・ロールフス編集 ジョン・ウィルソン音楽 マイケル・ナイマンキャストジョーン・プロウライト(母シシー・コルピッツ)ブライアン・プリングル(夫ジェイク)ジュリエット・スティーブンソン(娘シシー・コルピッツ)トレヴァー・クーパー(娘の夫ハーディ)ジョエリー・リチャードソン(姪シシー・コルピッツ)デイヴィッド・モリッセー(姪の恋人ベラミー)バーナード・ヒル(検死官マジェット)1988年・118分・イギリス原題「Drowing by Numbers」日本初公開 1989年2024・04・04・no055・元町映画館no239追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.19
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バス・ドゥボス「Here」元町映画館 「ゴースト・トロピック」という、題名だけ見ていると意味不明な作品を見て、「もう1本も見よう!」 と思ったベルギーのバス・ドゥボスという監督の、もう1本が、この作品「Here」です。見たのは2024年の3月の31日(水)です。もう20日も前なのですが、感想を今ごろ書いています(笑)。 「ゴースト・トロピック」を見て「いいよ!いいよ!」 と、先に見て騒ぐのを聞いて、自分も見てきたチッチキ夫人との同伴鑑賞でした。 で、帰り道です。「あれってルーマニアやった?」「違うわよ、ルーマニアから、あっこに出稼ぎに来てはるんやんか。」「女の人は中国人?」「顔はね、アジアの人。」「中華料理屋さんやから、中国の人かな、いう感じやったな。」「でも、あっこで生まれ育ってはったみたい。」「苔の研究とか不思議やんな。顕微鏡写真。」「でも、それと一緒にお日さんの光が漏れてくる、木立のシーンがあったやん。あれが、ものすごく自然でよかったわ。」「パーフェクトデイにも同じようなんがあったやん。」「あのな、あの映画な、ウソくさかってん、私には。」「えっ?どういうこと?」「役所広司さんには、別に文句はないねんけどね、まず、トイレの掃除の仕方がウソ臭いねん。」「どいうこと?」「職場のトイレ掃除とかしたことあったらわかると思うねんけど、床のゴミ、素手で拾ってはったやろ。帰りにお風呂に入らはるシーンで説明してはるつもりかもしれ知れへんけど、私やったら、手袋して拾うし、繰り返し手を洗う気がするし、だから、ピカピカのお便所やけど、あそこを使う気がせんかってん。それに、役所広司が持ってるカセットが、妙に価値があるのも変やなって。あの人、金持ちやんって。」「なんかを捨ててきた男をしゅじんこうにしてんねやろ。」「でも、今日の男の人はちがうねんよ。普通の人やん。」「冷蔵庫の残りもんでスープとか?普通?」「そうそう、あれすごくジーンときたわ。」「一人者の料理?」「いや、そうやなくて、暮らしてた国というか、故郷の普通の味のもんを知ってはって、出稼ぎ先で、自炊してはる時に、それがご馳走で、それを、仲間の人や、世話になった人に配って回ることが自然なんよ。」「歩いている林の木立を見上げて見える光のシーンも自然?」「そう、そう、なんか、パーフェクトデイやったら、主人公の、なんかを象徴するようになシーンのために撮ってて、わざとらしいと思うんやけど、この映画の木立は、あるがままなんよね。」「ふんふん。」「男の人と女の人の出会いも、なんか、事件が起きそうなのにそのままで、そやから、女の人が最後に男の人の名前もわからへんというシーンが、ものすごくいいなと思ってん。」「そうかあ、ヴェンダースのは、あれは、あれで、ボクはよかったけど、そうやなあ。」「ちょっと、田舎に帰るけど、冷蔵庫に野菜とか遺ってたからスープ作ってん、食べて、いうて、スープ作って知り合いに配るってすごくない?」「そうやなあ、ありへんな。」「みんな、違うとこから来て、ブリュッセルって、ベルギー?、あっこらへんに暮らしてる、いろんな人を描いてはる目線が自然なんよ。」「苔の研究なんて、変ちゃあ、変やけど、不自然とちゃうもんな。」「あのね、でもね、わたしはこの前のおばさんの話の方が好きよ。」「そうなん?」「そんでね、パーフェクトデイやけど、畳の部屋を歩く時の摺り足の音してたヤロ、あれはよかった思うわ。」「足音がか?」「いや。ほやから畳歩く時の足が摺れる音よ。」「うーん。それは小津かもな?」 と、まあ、帰り道の会話の実況ですが、二人とも、納得だったようですね。バス・ドゥボス監督に拍手!でした。 若い監督さんらしいですが、映し出される人の姿にウソがないというか、チッチキ夫人が「普通」といってましが、文字通り普通の人の姿が映っていて、事件なんて何も起きないのですが、そこがいいなあと思いました。 ああ、それから、話に出てくるパーフェクトデイは、昨年、2023年の暮れに話題になったヴェンダーズの「パーフェクト・デイズ」です。彼女は一人で見に行きましたが、帰ってきて首をかしげていました。ちょっと、そのあたりのことが、この日はことばになったようです。 ボクの感想は題名をクリックしてみてください。監督・脚本 バス・ドゥボス撮影 グリム・バンデケルクホフ音楽 ブレヒト・アミールキャストシュテファン・ゴタリヨ・ゴンサーディア・ベンタイブテオドール・コルバンセドリック・ルブエゾ2023年・83分・G・ベルギー原題「Here」2024・03・29・no051・元町映画館no236追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.18
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金聖雄「アリランラプソディ」元町映画館 待っていた映画です。金聖雄監督の「アリランラプソディ」です。 1990年の終わりから、ほぼ、20年がかりで撮り続けられた川崎市の桜本という地域のおばあちゃんたちが主人公のドキュメンタリーでした。 一番年の若い人で1950年代、登場する多くの人は1920年代に生まれたおばーちゃんたちです。ボクは1954年生まれで、今年(2024年)に70歳で、ボクの母は1928年、昭和でいえば3年生まれの辰年でしたが、亡くなって10年ほどたちます。まあ、その辺りの、だから。ぼくにとっては母に当たるくらいのお年の方が勢ぞろいです。 アリランを歌い、チマチョゴリの晴れ着を着て踊っていらっしゃる姿に涙がこぼれ始めたのが、映画の冒頭でしたが、70歳を過ぎて、初めて識字学級に通い、書けるようになった「日本語」の文字で「にんげんはつよい」 とお書きになっている色紙や、緑の木に雪が降り注いでいる美しい絵が映し出されるのを見ながら、揺さぶられ続けです。 ボクの母ががんの末期を宣告され、病院のベッドで付き添っているボクに語ったことで、覚えていることが二つあります。 一つは、南方へ出征した長兄が、遺品など何一つないまま、とうとう帰ってことを、母の父、ボクの祖父が、最後まで納得しなかったことを「わたしも哀しかったけどな、オジーちゃんはずーっとおこっとんなったなあ。」 そう語りながら、ボンヤリ病室の天井を見上げていたことです。 もう一つは、すぐ上の兄がシベリアに抑留されていた時のことです。「つーちゃんがな、今度こそ帰って来るいうてな、おばーちゃんなあ、船がつくという知らせが来るたびに舞鶴まで行きなったんやで。私が結婚する前やなあ。あんた、岩壁の母っていう歌知っとるやろ、あの歌はホンマことやで。」そう、語りかけながら、あるかなきかの声でひっそりと「はーはは きましーた・・・♪♪」 と口ずさんでいたことです。 スクリーンでは「夢は?」 と問われたオモニたちが、困った顔で80年の人生を振り返っていらっしゃるのが、胸を打ちました。十代で体験した戦争下での暮らしも、戦後の暮らしも、ボクの母の体験などとは比べものにならない悲惨で苛酷な、夢など何一つかなえられなかった人生がスクリーンにはありましたが、ぼくは、戦死した伯父や、それを悲しみ続けた祖父母のことを、亡くなる前の晩に思い出しながら逝った母を思い浮かべながら見終えました。 スクリーンのオモニたちが歌ってきた「アリラン」という歌の一節に、日本語にすればこんな歌詞があります。アリラン アリラン アラリよアリラン峠を越えて行く青い空には小さな星も多く、我々の胸には夢も多い。 インタビューは、おそらく、この詩を念頭にして行われたと思いますが、オモニたちの「夢」 を、言葉通り、生涯にわたって、踏みにじってきたのが、1920年代にお生まれになったときから、戦中、戦後、実は、今に至るまで、「日本」という国であったということは、やはり、忘れてはいけないことだと思いました。 思い出ついでに、もう一つ、ハッとしたことがあったことを書き添えておきます。 映画の後半、オモニたちが沖縄の読谷村を訪れるシーンがあります。そこで「恨の碑」、正式には「アジア太平洋戦争・沖縄戦被徴発朝鮮半島出身者恨之碑」という石碑を訪ねられるのですが、石碑に縋り付いて泣き始めて、親戚や知人のことを思い出されたのでしょうね、泣き止むことができなくなったオモニの一人が写されるのですが、そのシーンに胸打たれながら、その石碑を作ったのが、金城実という彫刻家であることに気付いて、「ああー!金城センセーや!」 と噴き上げてくるものがありました。 金城実先生が西宮の定時制高校で英語の先生だったころ、教員初体験のボクは半年間、同僚だったのです。その後、先生が沖縄に戻られ、実にユニークな彫刻を発表され続けていたことは遠くから知っていましたが、こんなふうに、沖縄や朝鮮の人たちの心を打ち続けて来られたのだ! ということは、初めて実感したのでした。 なんだか、思い出ばかりの感想ですが、忘れてはいけないことがあることをつくづくと感じた映画でした。拍手!監督 金聖雄撮影 池田俊已 渡辺勝重 菊池純一 世良隆浩 石倉隆二 田辺司録音 吉田茂一現場録音 池田泰明 渡辺丈彦編集 金聖雄 康宇政音楽 横内丙午語り 金聖雄2023年・125分・日本2024・04・13・no058・元町映画館no241 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.17
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ピーター・グリーナウェイ「英国式庭園殺人事件」元町映画館 「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」の2本目は「英国式庭園殺人事件」でした。 1本目がシェイクスピアのテンペストのネタでしたから、まあ、イギリスの時代劇なわけでしたが、この作品も、多分、日本でいえば江戸時代のなかばというか、17世紀から18世紀くらいのイギリスの田舎貴族のお屋敷での話のようで、登場する画家が1枚8ポンドで12枚だかの絵を請け負うという筋立てなのですが、これがどの位の価値なのか、そこのところが妙に気になった映画でした。 固定相場で、ドルが360円だった1950年代にポンドは1000円くらい(?)だったと思うのですが、17世紀とかいうことになると、まったく見当がつきません。 まあ、ほとんど、どうでもいいことなのですが、映画の終わりまで気になっていて、帰って来て調べても、やっぱりわかりませんでした。 次に気になったのが絵画です。主人公らしき人物であるネヴィルという男が画家で、この映画ではハーバートという田舎貴族の奥方に雇われて、屋敷の風景を書くという設定で、前回は本だったわけですが、今回は絵でした。 まあ、その絵の描きかたあたりから、実に映像的に工夫されていて、この監督の、多分、味わいの一つなのでしょうね。 で、油絵を描くのかと思うと線描画だったことに驚きましたが、構図を縦横に糸を貼ったファインダーというか、構図用の枠を備えて、そこから覗いた風景が、リアルな描線に変化していって、1枚の写生画になっていくあたりの撮り方はとても面白いと思いました。 そうそう、絵といえば、シーンの中に、いかにも、これはフェルメールかな? という構図があったりしましたが、そう言えば、上に書いたファインダーというかも、フェルメールだったかの対象把握の道具と似ているかもしれませんね。でもね、結局、何で、フェルメールなの? という、まあ、ハテナになってしまうところが、この映画なわけです(笑)。 で、映画は、彼が描いた絵のなかに、結果的には殺されていたハーバート卿の遺留品が書き残されていたということから、その絵を描いた画家が、この殺人の真相を見ていたに違いないという推理としては全く成り立たない! 理由から、ハーバート卿殺しを疑われて、とどのつまりは屋敷に出入りしている男たちによって惨殺されて終わるのですが、この間のストーリー展開について理解している人がいるなら解説してほしいという「何があったの?ポカーン?」 という作品でした。 で、1本目で気になった全裸の登場人物(笑)ですが、この作品では屋敷の庭にあるブロンズの彫刻が、体を緑に塗った人間なのですね。 映画の途中で、庭の隅の彫刻が動き出すシーンが、わざわざ映し出されるので、「さて、これが殺人の真相を、なにか暗示するのかな?」 と思って見ていたのですが、どうも、何の関係もなかったようで、「なんやねん???」 というか、そういうのを登場させたいから映像にしたという感じでした(笑)。 画家と、屋敷の女主人、その娘の関係も、いってしまえば不倫ですが、肉体的交渉まで含む「絵」に対する報酬条件とか、興味津々で見ましたが、殺人事件の謎解きといい、それでなんやったん? という結末で、アゼン! でした。笑うしかありませんね(笑)。 とか、なんとか、いいながら、結構、面白がって見終えたことは事実で、確かにこの監督には「妙に引っ張られる、わけのわからなさ」がありますね。ということで、あと2本、やっぱり見てしまいそうです。ボクもヒマですね(笑)。監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ撮影 カーティス・クラーク美術 ボブ・リングウッド衣装 スー・ブレーン編集 ジョン・ウィルソン音楽 マイケル・ナイマンキャストアンソニー・ヒギンズ(ネヴィル 画家)ジャネット・サズマン(ハーバート夫人)アン=ルイーズ・ランバート(タルマン夫人)ニール・カニンガム(トマス・ノイズ)ヒュー・フレイザー(ルイ・タルマン)デイブ・ヒル(ハーバート氏)1982年・107分・イギリス原題「The Draughtsman's Contract」(画家の契約)日本初公開1991年2024・04・03・no054・元町映画館no238追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.16
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ピーター・グリーナウェイ「プロスペローの本」元町映画館 今日は2024年の4月2日、火曜日です。元町映画館でやっている「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」という企画に、なんとなく興味が湧いてやって来ました。 これが企画のチラシです。冒頭の「美しい狂気」という言葉が目に飛び込んできます。「狂気ねえ?!」 1980年代から90年代にかけて話題になった人らしいですが、まったく知りません。高山宏という、英文学の研究者、まあ、かなり変わった人ですが、が、どこかで話題にしていたような気がしますが、定かではありません。 で、見たのは「プロスペローの本」という、1991年の作品で、代表作の一つだそうです。「プロスペローだから。シェイクスピアか?」 まあ。その程度の予備知識です。で、見始めて、見終えて笑ってしまいました。たしかに、シェイクスピアのテンペストの、翻訳では「嵐」かな?の映画化でした。プロスペローもそうですが、娘のミランダとか、妖精のエアリエルとかの名前が出てくるたびに、ああそうだな、やっぱりそうだな、 と、気付き直し、気付き直し、しながら、えーッ?でも、これ、ちょっとちがうんちゃうか? とか思いながら見ていたのですが、終わってみてらテンペストでした。ハハハハハ。 何故、違うと思ったのかの、大きな理由は、この映画、筋を運ぶ数人の登場人物以外は全裸なのですね。 で、なんで、みなさん裸で、オチンチンとかオッパイとかブラブラさせながらウロウロするのかというのが、ボクには、まったくわからないんです。ただ、不思議なのは、慣れてくると、そういうシーンがイヤらしいとかエロイとかいうことにつながらないというか、まあ、そういうふうにしたいんでしょうかね??? という感じで、最後まで見ると、たとえば、ナショナルシアターライブとかで見る、まあ、演出に差はありますが、「テンペスト」という演目のひとつ、という印象なのですね。たしかに独特ですが、別に、狂気だとも魔術だとも思いませんでしたが、なんか、微妙に引きつけられることは事実ですね。 そういえば、「テンペスト」ネタのお芝居はナショナルシアターだったか、他の映画だったか忘れましたが、ここ、数年の間に見たような記憶があります。その時、「リア王」とかなら読み直したりしないのですが、この戯曲だけは読み直したはずで、まあ、だから、ああ。テンペスト! だったわけです。 で、この映画ですが、プロスペローが手にれる魔法の本の扱い方とか、いかにも映画的で、面白いし、プロスペロー(ジョン・ギールグッド)を演じている俳優のお芝居力も大したもので、奇妙奇天烈なシーン、いいようによれば荒唐無稽な展開を支え切って歴史劇を演じている印象で、シラケさせません。拍手!ですね。 なのですが、やっぱり、なんで裸なの?でした(笑)。 もちろん、その演出は、ボクごときには意味不明でしかありませんが、なんか、引っかかるのですね。そこで思い出したのが、高山宏ですが、でも、まあ、すぐには見つかりそうもありませんね。 ということで、グリーナウェイ、続けて見ることになりそうです(笑)。監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ原作 ウィリアム・シェイクスピア美術 ベン・バン・オズ ヤン・ロールフス撮影 サッシャ・ヴィエルニー音楽 マイケル・ナイマン編集 Marina Bodbyl衣装デザイン ワダエミ ディーン・バン・ストラーレンキャストジョン・ギールグッド(プロスペロー)マイケル・クラーク(キャリバン)ミシェル・ブラン(アロンゾ―)エルランド・ヨセフソン(ゴンザーロ)イザベル・パスコー(ミランダ)1991年・126分・イギリス・フランス・イタリア合作原題「Prospero's Book」2024・04・02・no053・元町映画館no237 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.09
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バス・ドゥボス「ゴースト・トロピック」元町映画館 ベルギーの若い監督、1983年生まれだそうですから、我が家の愉快な仲間たちと同じ世代ですが、バス・ドゥボスという人の「ゴースト・トロピック」という作品を見ました。 チラシの写真の女性が主人公で、お名前はハディージャ。彼女はブリュッセルでビルの掃除婦をしていらっしゃるのですが、こうしてご覧になってお判りでしょうが、ヒジャブというのでしょうか、イスラム教のネッカチーフのような衣装を身に着けておられるようで、だから、多分、もっと南の国から、この街にやってこられて暮らしていらっしゃる方だと思うのですが、映画を見終えても、そういうことが具体的にわかるわけではありません。 彼女が、仕事帰りに、電車の中で眠り込んでしまって、気付いたは終着駅で、そこから、まあ、見ていて、さあ、どうするんや? という一晩の、彼女の行動が映し出されていく映画で、他には、ほぼ、何も映っていません。 バスの乗務員、ビルの警備員、路上で寝込んでいるホームレスの老人と彼の犬、空き家に忍び込んで暮らしている男、通りすがりの老人、救急車でやって来た救急隊員、救急病院の職員、コンビニの女性店員、夜遊びする高校生、警察官、まあ、こうやって数え上げていくと、結構、たくさんの人と出会っているもんだと感心するのですが、出会った人たちの誰かが、何か事件を、だから映画的なドラマをおこすのかといえば、実はそうではなくて、その人たちも普通ですが、彼女自身も普通の応対で、だから、何も起こらないまま家にたどりついて、まあ、一晩歩いていたわけですから、ほとんど寝ないまま、翌日の朝になって、彼女は仕事に出かけていくという映画でした。 で、どうだったのか。「ボクこの映画スキ!」 の一言ですね(笑)。 深夜の街を、疲れ果てて歩き始めた、仕事帰りの、中年の女性の、財布の中にタクシー代さえ持ち合わせていない「暮らし向き」は言うに及ばず、「家族との暮らし方」、「職場での働き方」、「他人との接し方」、だから、まとめてどういえばいいのかわからないのですが、彼女が、今、ここで、「生きていること」 が、見ているボクのこころに穏やかに刻まれていくのです。 若くして亡くした夫をなつかしく思い、高校生の娘の生活を気にかけ、路上で倒れている老人を放っておけない女性の後ろ姿に、「そうだよね、それでいいんだよね、そうしていくしかないよね。」 とうなづくのは、必ずしも、ボクが老人だからではないでしょうね。 この作品の監督は、「人が生きていることを肯定する」 方法として映画を撮っているにちがいないということだと思いましたね。拍手! 元町映画館では、この映画は2019年の作品ですが、この監督が2023年に撮ったらしい「Here」という作品も、日替わりで上映していますが、もちろん見ますよ! まあ、この作品の「ゴースト・トロピック」という題名がどういう意味で、ラストシーンが何をあらわしているのかということついては、実は、よくわかっていません(笑)。でも、イイんです。なんとなくで(笑)。 監督・脚本・編集 バス・ドゥボス撮影 グリム・バンデケルクホフ音楽 ブレヒト・アミールキャストサーディア・ベンタイブマイケ・ネービレノーラ・ダリシュテファン・ゴタセドリック・ルブエゾ2019年・84分・PG12・ベルギー原題「Ghost Tropic」2024・03・24・no048・元町映画館no234追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.30
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三上智恵「戦雲 いくさふむ」元町映画館 この映画のチラシを見たとき、2019年の10月ですから、もう、5年前のことですが、元町映画館が緊急上映していた影山あさ子監督の「ドローンの眼」という作品を思い出しました。「ああ、あれから5年経ってしまった。」 そんな思いで、当時、影山監督の、あのドキュメンタリー「ドローンの眼」で「可視化」しようとドローンを飛ばして映像化していた、第一のターゲットは「辺野古」 だったこと。しかし、辺野古に焦点をあて、沖縄の現実を伝えようとしたときに、たとえば、神戸で暮らしている「ヤマトンチュウ」にとっては、沖縄本島の「辺野古」の出来事は、まだ、ニュースとして、おぼろげながら見えていたのですが、その、また、海の向こうに霞んでいた石垣島、宮古島、与那国島の、2019年当時の、米軍によってではない、日本という国の政府によって、戦争を放棄したはずの国のミサイル基地建設の実態が工事現場の風景として映像化され、可視化されていたことが、あの映画の、もう一つのターゲット であり、辺野古以上に大きな問題を提起していたわけです。 で、今日の映画「戦雲 いくさふむ」です。「そうはいっても、今のこの国のムードに、気持ち以上のどんな抗い方があるのだろう?」 という、いつの時代でも、国家レベルで行使される権力の姿に対して、抗いようのない無力感が自分の中にわだかまっていることも気づかないふりの、呑気な徘徊老人として過ごしてきたのではないか? と、揺さぶるように山里節子さんの歌う、おそらく島唄の、美しくも哀愁に満ちた響きで映画は始まりました。 三上監督が2015年から8年間にわたり沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島などをめぐって取材を続け、過酷な歴史と豊かで厳しい自然に育まれた島々の人々のかけがえのない暮らしや祭り が鮮やかに映し出されています。そこには、牛がいて、馬がいて、命がけのカジキ漁があって、美しい水平線があります。 映画は列島の南西の果ての島の出来事を、海の向こうの、自分にはかかわりないことのようにして忘れたがっている神戸の老人に、そこにも、同じ日本人として穏やかに暮らす人々がいて、その人たちの裏山が削り取られて大陸に向けて発射可能なミサイル基地や、自衛隊員のための防空壕がすでに完成していて、毎日、射撃訓練の銃声に穏やかな暮らしを奪われている人が、すでにたくさんいらっしゃることを伝えています。神戸の老人は茫然と目を瞠ります。 自衛隊を統括する軍人(?)の口から、台湾有事ということばが大真面目に聞こえてきて、島ごと疎開する計画さえ立てられています。70年前には「お国のため」といっていた気がしますが、今回は「島民の皆さんの安全を守るため」 だそうです。なぜ、本土で広報衆知しないのでしょうね? 映画館は、ボクよりも、ずっと年かさのご夫婦や男性、女性の連れ立った観客のみなさんで、久しぶりに込み合っていました。その高齢のお客さんたちの中に座っていると、いつもの映画とは違って、スクリーンから響く三線のリズムや歌声が聞こえたり、お祭りのシーン、牛や馬のシーンににかすかながらも、ため息や口ずさみが聞こえてくるのでした。それは、きっと、故郷を案じて集まった人たちの息遣い だったと思いますが、流れ出した涙の乾く間のない2時間でした。 1945年の沖縄の戦場で、亡くなった方のご家族や、九死に一生の体験をなさった方や、その方々の体験を受け継いで70年の歳月を暮らしてこられた目 で、この映画が映し出す惨状をご覧になって、どう、お感じになられるか、胸がふたがる思いで見終えました。 元町映画館では、この「戦雲」を4月の上旬まで上映しているようです。どうぞ、ご覧になってください。私たちの国が次の戦争を、他国の国内情勢を理由にして準備していて、そこで、誰に犠牲を強いようとしているのか。 自分の目で確かめて、他人ごとでないことを、まず、気付いてほしいと思います。 本土で暮らしている国民には見えなことをいいことに、海の向こうの島々で、戦争の準備をしているのは、他所の国じゃなくて日本なのですよ! こういうことが「自衛」で説明できるというのが、まず、驚きですが、何故か、こっそり準備されているのです。もう、悠長に驚いている場合ではないようですね。笑えません! とりあえず三上監督と上映してくれた元町映画館に拍手!でした。監督 三上智恵撮影 上江洲佑弥編集 青木孝文監督補 桃原英樹CG 比嘉真人音楽 勝井祐二語り 山里節子イラスト 山内若菜2024年・132分・G・日本配給 東風2024・03・18・no045・元町映画館no232追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.27
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柳川強「風よ あらしよ 劇場版」元町映画館 村山由佳という作家の「風よあらしよ」(集英社文庫上・下)をNHKでテレビドラマ化した作品の劇場版だそうでした。予告編でセリフの喋りかたに違和感があったので見る気はなかったのですが、SSC、シマクマ・シネマ・クラブのM氏の提案の一つにあったので見てみようかなという気分で見ました。 柳川強演出「風よ あらしよ 劇場版」です。 サンデー毎日の暮らしですが、テレビドラマを全く見ないものですから、こういう作品があることは知りませんでした。原作者の村山由佳という人も直木賞受賞作あたりまでは記憶にありますが・・・。 で、映画が始まって、出だしを見ながら「テレビって、こういうふうにクドクド作っていらっしゃるんだなあ?!?!」 って、妙に感心したりしもしていたのですが、お話に出てくる、まあ、歴史的事実である谷中村とか、関東大震災とか、甘粕事件とかは、何となく手を抜いていらっしゃる気もして「なんだかなあ???」 でした。 でも、見てよかったんです(笑)。すっかり忘れていた辻潤や、辻まことのこととか、大杉栄と伊藤野枝の子供たちのこととか、ボク自身が二十代に興味を持っていて、何となく放りっぱなしになっていたことがワラワラと湧いてきて、「そういえば、あの本どこだっけ?」 という感じで、まあ、実に、なんというか、映画そのものが「平和なお茶の間用というクオリティだとこうなりますか?!」 という印象で、辻潤のエゴイズム発言とか、大杉栄のアナキズムの主張とか、かなり上滑りだし、なんといっても、伊藤野枝の女性の自由のとらえ方は、「えっ?それを描くとこういう映画になるの?」 というふうなだったのですが、ボク自身はというと、教室で伊藤野枝という人の映画を見たんだけど、今日の授業のテーマとはあんまり関係ないかもしれない方向に関心が湧いて、その興味の方 に気持ちがウロウロするという体験でしたね。 瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」(岩波現代文庫)とか、「ルイズ 父に貰いし名は」 (講談社文芸文庫)は豆腐屋の松下竜一か。あれは大杉栄と伊藤野枝の四女?、末っ子か? それから、荒畑寒村「谷中村滅亡史」(岩波文庫)か、いろいろあったなあ。そうそう、辻まこと、「辻まことセレクション」(平凡社ライブラリー)とか、どこにやったっけ?みんな、昔の名著か? そういえば、少女小説の吉屋信子が田中正造の思い出を書いていた話がどこかにあったなあ。と、まあ、実はこの時代好きだったんですよね(笑)。 それにしても、ボクのようなタイプに、原作を読もうと思いつかせないところが、まあ、この映画のザンネンなところでしたね(笑)。 演出 柳川強原作 村山由佳脚本 矢島弘一音楽 梶浦由記キャスト吉高由里子(伊藤野枝)永山瑛太(大杉栄)松下奈緒(平塚らいてう)美波(神近市子)玉置玲央(村木源次郎)山田真歩(堀保子)音尾琢真(甘粕正彦)石橋蓮司(渡辺政太郎)稲垣吾郎(辻潤)2023年・127分・G・日本2024・03・25・no049・元町映画館no235・SCCno20追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.26
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ホウ・シャオシェン「ミレニアム・マンボ」元町映画館 2年ほど前のことですが、なんとなく、図書館の棚で見つけた「侯孝賢の映画講義」(みすず書房)という本を読みました。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)という監督が活躍した時代、香港、台湾、そして韓国の映画が映画館に掛かる様になった時代に、ほぼ、映画を見ていないということもあって、名前も知らなかったその監督が、いったいどんな作品を撮っていたのだろうという関心ばかり膨れ上がっていましたが、今年、2024年の3月の元町映画館のプログラムを見て、「あっ!侯孝賢や!」 そう思って駆け付けました。 見たのは侯孝賢監督の2001年の作品「ミレニアム・マンボ」、原題が「千禧曼波」という作品でした。 見終えて、座り込んでいて、最初のシーンが浮かんできました。 渡り廊下というか、ビルからビルへの、屋根付きの歩道橋というか、女性がタバコをくわえて歩いているのですが、どこにたどりつくのか・・・。 で、映画が、たどり着いたのはどこだったのか。「これって、何年の映画ですか?」「2001年ですよ。」 見終えて、ようやく立ち上がって、出てきた受付で答えてくれたのは映写係のお兄さんでしたが、エンドロールを見ながら、ボクの頭の中に渦巻いていたというか、ワラワラと浮かんできていたのは「そのころボクは何をしていたんだっけ?」 という、ボク自身の頭の中にあるはずなのに、時も、場所も、あまり定かではない記憶というか、思い出というかを、浮かんでくるボンヤリしたシーンを何となく手探りで探しながらで、どうしてあなたは、今日、こうして映画館とかに座り込んでいるの? と問いかけられるような、そんな気分で、思わず尋ねたわけです。 まあ、そういう映画でしたね。 見事なものです。繰り返されるくらい部屋や酒場のシーンが、何を描こうとしているのか、判然とするわけでもないし、これといった筋立てがあるわけでもないのですが、今日のボクを揺さぶったことは間違いないですね。不思議な映画でした(笑)。 侯孝賢に拍手!ですね。 映画が、スーチーさんが演じるビッキーさんの生きてきた記憶の映像を重ねるように、繰り返し、コラージュしていているような気がしたのですが、映像にはビッキーさん自身もあらわれるのですね。自分自身の記憶なら、彼女の姿はあらわれないのじゃないか、そんな、疑問も浮かぶんです。で、生きているビッキーさんを追いかけて、これを撮っているのは誰なんだろうという、考えても仕方がないようなことを、見終えて数日たった今も考えています。 小説なら書き手ですが、映画の場合は、小説の書き手に当たる人はどこにいるのかということが、最近気になって仕方がないのですが、そういうことを考えるというか、気に掛けることを励ましてくれるような作品でした。面白かったですね(笑)。監督 ホウ・シャオシェン侯孝賢脚本 チュー・ティエンウェン撮影 リー・ピンビン美術 ホワン・ウェンイン音楽 リン・チャン Fish 半野喜弘キャストスー・チー(ビッキー)カオ・ジエ(ガオ)トゥアン・ジュンハオ(ハオ)竹内淳(ジュン)竹内康(コウ)ニョウ・チェンツー(ドウズ)ディン・ジェンチョン(マジシャン・建中)2001年・105分・台湾・フランス合作原題「千禧曼波」「Millennium Mambo」2024・03・20・no046・元町映画館no233追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.24
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アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」元町映画館 2024年の3月のはじめから、神戸の元町映画館でやっていたタルコフスキーの「ノスタルジア」ですが、上映時間が繰り上がったので、普段は映画館には近づかないことにしている日曜ですがやって来ました。 タルコフスキーといえば、今からほぼ50年前、20代だった映画好きの大学生たちが見たの見てないのと騒いだ「惑星ソラリス」という作品が浮かんできて、果たして、見たのか、見なかったのか、判然としないのですが、ちょうど、ゴルバチョフが登場する直前のソビエト連邦から亡命し、パリで命を絶った(本当は病死)と思い込んでいたことだけははっきり記憶しているのですが、見たはずの映画の記憶は全くないという、まあ、ボクにとっては思い込みの中にだけ存在する ような監督です。 で、そのあやふやな記憶の中にあるタルコフスキーの実像を確かめたいというのが今回の目論見でしたが、まあ、ものの見事に失敗したようです(笑)。 今、見終えて残っているのは、世界の破滅を訴えて、自らガソリンをかぶり、焼身自殺を遂げた老人の姿と、その老人との世界を救済する約束を守ろうと蝋燭の炎を風から守りながら、干上がった温泉の池を渡りきるや、気絶して、おそらく故郷の不思議な光景に横たわる主人公の夢のような映像だけです。 唐突ですが(笑)、太宰治という作家に「走れメロス」という、誰でもご存知の作品があります。もう20年以上も前のことですが、ある中学生が「メロスは男の中の男だ!」 と感想文を書いたのを読んでおどろいたことを思い出しました。 この映画の主人公、詩人のアンドレイ・ゴルチャコフは、いや、この映画の監督タルコフスキーは、映画という蝋燭の小さな炎を消さずに、向こう岸に届けることで世界が救済できると、実は、本当に信じていたのではないでしょうか。 タルコフスキーは映画の中に真実の炎をともし続けるという、いわば、映画との約束を守るために向こう岸に渡り、振り向けば、すでに向こう岸になった過去がノスタルジーの夢の中に消え去っていくというシーンを描くことで、映画の中の映画! を残せると本気で考えたのかもしれないという、まあ、老人の妄想に違いない思い込みが、メロスの話を思い出させたのでした(笑)。 なんだかわけのわからないことを書き連ねていますが、音楽といい、映像といい、あふれかえるイメージの氾濫とでもいうスクリーンに翻弄された2時間でした。拍手! とても、ボクの理解力ではついていけなかったのが率直な感想ですが、信じているもののために追い詰められていく切迫感と、失われていくものに対する、えもいわれぬ哀しみだけは受け取った気がします。 この作品を完成させたタルコフスキーは、そのまま祖国を捨て、「サクリファイス」という意味深な題名の作品を残して世を去ったわけですが、わかろうがわかるまいが(笑)「サクリファイス」を見てみたいというのが、この作品「ノスタルジア」を見終えての、今の、もう一つの感想ですが、さて、いつになることでしょうね(笑)。監督 アンドレイ・タルコフスキー製作 レンツォ・ロッセリーニ マノロ・ボロニーニ脚本 アンドレイ・タルコフスキー トニーノ・グエッラ撮影 ジュゼッペ・ランチ美術 アンドレア・クリザンティ衣装 リーナ・ネルリ・タビアーニ編集 エルミニア・マラーニ アメデオ・サルファ音楽 ルードビヒ・バン・ベートーベン ジュゼッペ・ベルディキャストオレーグ・ヤンコフスキー(アンドレイ・ゴルチャコフ)エルランド・ヨセフソン(ドメニコ)ドミツィアーナ・ジョルダーノ(エウジェニア)パトリツィア・テレーノ(ゴルチャコフの妻)ラウラ・デ・マルキ(髪にタオルを巻いた女)デリア・ボッカルド(ドメニコの妻)ミレナ・ブコティッチ(清掃婦)1983年・126分・G・イタリア・ソ連合作原題「Nostalgia」2024・03・10・no040・元町映画館no230 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.20
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カール・テオドア・ドライヤー「裁判長」元町映画館 神戸の元町映画館では「カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2」という特集番組を、2月のなかばからやっていました。で、もう一つ、「SILENT FILM LIVE(シリーズ22)」という特集を先週からやっていました。で、両方とも今日、3月8日(金)が最終日でした。 ボクは、今回のドライヤー特集では、「ミカエル」と「吸血鬼」という2本を見ましたが、なんと、せっかくのドライヤー特集をやっているのだからというのでしょうね、サイレント映画をピアノの伴奏で見る「SILENT FILM LIVE(シリーズ22)」の方でも、ドライヤーの最初の作品「裁判長」をプログラムするという元町映画館と鳥飼りょうさんの粋な計らいにのって、サイレントをピアノで見るほうにやってきました。 見たのはカール・テオドア・ドライヤーの処女作「裁判長」です。1918年の作品で、モノクロのサイレント映画でした。 ドライヤーの作品については、たとえば蓮實重彦なんていうえらい人が「彼のすべての作品を見ていなければ、映画について語る資格はないと断言したい。」 とかなんとか、まあ、このチラシでもおっっしゃっていて、ある意味、ウンザリするのですが、そういうもんかとへこたれる気分もあって、別に蓮實教の信者というわけでもないのですが、見なきゃ! となっちゃうんですね(笑)。ところが、まあ、カナシイことに、まあ、ほんとにかなしいわけでもありませんが(笑)、蓮實大先生が傑作とおっしゃっている「奇跡」とか、ネット上でも評判の「裁かるるジャンヌ」とかも見るには見たのですが、正直、ポカーン・・・ だったわけで、今回の、この「裁判長」とか、ちょっとドキドキしましたね(笑)。 で、映画ですが、これが、まあ、面白かったんですね。 お話の筋は、結構入り組んでいて、ややこしいので省きますが、今回、面白かったのは、主人公の裁判長が町の人々に尊敬され、支持されて、地域の人たちが群衆となってお祝いにやって来るのですが、それが、松明の行進かなんかで、そのシーンを、当の裁判長は祝賀会のパーティが開かれている明るい部屋の窓から見ているのです。 ずぅーッと向うに見える、その松明の火が闇の中を、だんだん町の中心に集まってくるのですが、そこだけ、赤い色が付いていて、白黒の闇の画面に、その赤い色が揺らめく のですね、その揺らめきと、裁判長の、実は人々の祝福とは裏腹に職を辞する決心に揺らいでいる心境が重なり合うシーンは、ちょっとドキドキしましたね(笑)。 多分、初期のモノクロ映画のカラーだと思ったので、映画の後で、ピアニストの鳥飼さんに伺うと「フィルムに色を付けているのでしょうね。後になってつけたのではないですね。」 ナルホド、やっぱり、監督の意図なのですね。いわゆるテクニ・カラーをディズニーが専売特許にして評判をとったのが1930年代だったと思いますが、1918年のこの映画で、彩色によってのカラーが試されていて、それが、不思議な効果 を上げていることにおどろきました。 この監督は、50年代に撮った「奇跡」も、最後の作品になった、1960年代の「ゲアトルーズ」も白黒でしたが、もしも、彼がカラーを自在に操っていたら? どんな映画を撮ったのかなと思いましたね。 映画が終わった後のトークの時間に、初めてドライヤーを見たと手を挙げた方がいらっしゃったようですが、ボクのドライヤーとの出合よりは、楽しいドライヤー発見! になった方もいらっしゃったのではないでしょうか。ピアノでサイレント! またまた楽しい時間でした。監督・脚本 カール・Th・ドライヤー原作 カール・エーミール・フランツォス撮影 ハンス・ヴォーグ美術 カール・Th・ドライヤーキャストハルヴァーズ・ホーフ エリート・ピオ カール・マイヤー ヤーコバ・イェッセン ファニー・ペーターセン オルガ・ラファエル=リンデン1918年・89分・デンマークアスペクト比 1:1.33モノクロ・スタンダード・無声公開年月日 2003年10月28日2024・03・08・no038・元町映画館no229 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.19
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カール・テオドア・ドライヤー「吸血鬼」元町映画館 2024年の2月に、神戸の元町映画館がやっていた「カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2」で見た2本目は「吸血鬼」でした。 サイレントだと思っていたら登場人物がセリフをしゃべったので驚きましたが、ホラーというよりも、民俗学というか、「遠野物語」のお話 という印象でした。、 田舎の村の吸血鬼の実態と退治の仕方が語り出されて(いや、字幕というかページの映像だったかもしれませんが)、それがコートンピエールとかというフランスの村の話だ、という昔話がナレーションされて、その本を読んでいるのが旅の青年アラン・グレイでした。 湖だか河だかの畔に、大きな草刈り鎌をかついだ男が立っていたり、血が足りない、だから、まあ貧血の少女が寝ていて、壁に、またもやというか、やっぱりというか、大きな鎌の影が映ったり だれが悪者なのかよくわからないまま、吸血鬼の手先だったらしいお医者さんが、まず、粉にまみれて死んで、吸血鬼だったらしいオバサン(?)に杭かなんかが情け容赦なく打ち込まれて、まあ、結構、無惨に退治されて少女は青年と結ばれるというお話でした。 シーン、シーンで、たとえば、上に貼った狙われているらしい少女の姿が映し出されるシーンでも、何が起こっているのかよくわからないのですね。 というわけでふーん?!?! という感想でしたね。 分かる、わからないではなくて、ああ、そうですか!? という感じでしたが、まあ、他のドライヤー作品ほどポカーンではなかったですね(笑)。要するに、説話のように語られていくお話の筋そのものはわかったというにすぎません。やっぱり、で、それで? が残るのでした(笑)。 まあ、ボクの理解力では、こんなものでしょうね(笑)。監督 カール・テオドア・ドライヤー原作 シェリダン・ル・ファヌー脚本 カール・テオドア・ドライヤー クリステン・ユル撮影 ルドルフ・マテ美術 ヘルマン・ワルム音楽 ウォルフガング・ツェラーキャストジュリアン・ウェスト(アラン・グレイ青年)レナ・マンデル(ジゼル娘)ジビレ・シュミッツ(レオーネ)ジャン・ヒエロニムコ(村医師)ヘンリエット・ジェラルド(マルグリット・ショパン)ジェーン・モーラ(看護師)モーリス・シュッツ(メイナーの村長)アルバート・ブラス(執事頭)N・ババニニ(執事頭夫人)1932年・74分・フランス・ドイツ合作原題「Vampyr」2024・02・28・no032・元町映画館no227 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.16
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小林且弥「水平線」元町映画館 映画を見た帰り道で、やっと気づいたのですが、今日は3月11日でしたね。今日見た映画は小林且也という、多分、若い監督の「水平線」という映画は、意図したわけではありませんが、震災後の福島を舞台にした作品でした。題名を見ながら、どんな水平線を見せてくれるのかな? 何となくですが、そんな期待を持って元町映画館にやって来ました。福島県のとある港町。震災で妻を失った井口真吾(ピエール瀧)は、故人で散骨業を営みながら一人娘と暮らす日々。 チラシにそうあります。ボクは見る前にチラシとか読みませんから、主人公と、娘が一人という、その家族の事情は知らずに見ていましたが、見ていればわかります。 主人公が、なぜ、福島の海辺の町で散骨を仕事にしているのかという問いが、見ているボクの中に湧きあがってきましたが、最後のシーンで、納得がいきました。彼は、きっと、生きていることがつらいのです。 明日、海に撒きに行く骨を砕く井口真吾の後ろ姿には説得力がありました。ピエール瀧という人は、いい役者だなと、素直に思いました。拍手! チラシの裏にあるこのシーンです。 しかし、まあ、なんというか、このシーンを思い浮かべながら思うのですが、主人公の存在の背景として、いかにも現代的な、ひょっとしたら陳腐でさえある社会事象を次から次へと、なぜ描いたのでしょうかね。 論旨そのものがインチキなジャーナリストの、カメラを振り回す、まあ、あり得ない取材ぶりや、風評被害を叫ぶ漁協の青年の姿には、この後ろ姿に拮抗する内面性が決定的に欠けているのではないでしょうか。 一緒に生きてきたはずの、一人娘の描きかた、演じさせ方もしかりですね。 「海を汚す」というセリフが出てくるのですが、今、陸地でなくなる人の遺骨を海に撒くという行為の、描かれている主人公の生きづらさを考えれば浮かんでくる深さ! まあ、散骨という弔いかたの歴史性や社会性と一般化まではせずとも、福島の海でそれをするということについてどのあたりまでを射程に入れた作品なのか、最初に、監督のことを「若い」といいましたが、老人の目には、そのあたりの浅さ が気に掛かるのですね。せっかく「水平線」なんていう、時間的にも、空間的にも、遠く、広いイメージの、とてもいい題名なのに、ちょっともったいない気がしました(笑)。期待した水平線のシーンには出逢えなくて、ザンネンでしたよ(笑)。 最後になりましたが、SCCの第19回の例会でした。いや、ホント、よかったねえと素直にいえる作品に、ほんとに当たりませんね。 監督 小林且弥脚本 齋藤孝撮影 渡邉寿岳録音 加唐学 小山海太音楽 海田庄吾キャストピエール瀧(井口真吾 散骨業者)栗林藍希(奈生 娘)足立智充内田慈押田岳円井わん高橋良輔清水優遊屋慎太郎大方斐紗子大堀こういち渡辺哲2023年・119分・G・日本2024・03・11・no041・no231・SCCno19 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.15
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カール・テオドア・ドライヤー「ミカエル」元町映画館 カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2という特集番組を、2月のなかばから、神戸の元町映画館でやっていました。今回は全部で7本ですが、同じ元町映画館で2022年の2月にやっていた特集で、有名な作品ばかり4本見たので、今回新しく上映されていた、これは見ようと思ってやってきたのが、「ミカエル」でした。 本邦初公開だそうです。1924年制作だそうですから、ちょうど100年前の映画です。 もちろん白黒で音楽はついていますがサイレントです。寝たら寝たときのこと! と覚悟を決めてやってきたのですが、寝ませんでした(笑)。 若い方はご存知ないでしょうが、昔の岩波少年文庫とかの翻訳小説で、章のはじめに短い筋書きの導入があって、それから本文が始まるというパターンがありましたが、そんな感じでした。 ゾレという名の立派な絵描きとその弟子ミカエルの、なんというのでしょうか、師弟愛というか、これって、どこかの民俗学の偉い先生とお弟子さんというかの話かな? と、まあ、不埒なことを思わせる不思議な展開でしたが、ミカエル君は師を裏切って(?)女性のもとに逃げてしまうわけで、なんだか、ちょっとちがうなとか、勝手なことを思いながら見ていると、最後まで弟子のミカエルを愛したゾレは死んでしまって、ミカエルは、その女性の膝に顔をうずめて泣くという結末で、チョット、そこのところはポカーンでしたが、結構面白く見ましたね。 で、そのミカエルってこういう顔の人です。なんか、スゴイでしょ(笑)。 まあ、なにはともあれ、サイレントで「ドラマ」ですからね、で、ボクは、まず、困らずお話を追えたことにホッとしながら、ミカエル君の美貌はもちろんなのでしょうが、才能を愛した老師匠ゾレというふうに納得しました。 とりあえず、ドライヤー作品で、初めて、明治の小説でも読んでいるノンビリした気分で「ふーん、おもろいやん!」 と思えたことに拍手!でした(笑)。 監督・脚本 カール・テオドア・ドライヤー原作 ヘアマン・バング撮影 カール・フロイント ルドルフ・マテ美術 フーゴー・ヘーリングベンヤミン・クリステンセン(ゾレ 画家)ウォルター・スレザック(ミカエル 弟子)1924年・95分・ドイツ原題「Michael」2024・02・26・no031・元町映画館no226 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.11
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ロバート・フラハティ「極北のナヌーク」元町映画館 神戸の元町映画館が3月の始まりの1週間、SILENT FILM LIVE【シリーズ22】という、サイレント映画をピアノの伴奏で見るという、まあ、同じく神戸のパルシネマとか十三の七芸とかでもやっていらっしゃる企画をやっていて、今回はドライヤーの「裁判長」、ロバート・フラハティの「極北のナヌーク」、ジョージ・メルフォードの「シーク」という、それぞれ100年以上も昔の作品がプログラムされていて、これがそのチラシです。 もともと、チャップリンであろうが、キートンであろうがサイレントは寝てしまう という思い込みもあって、敬遠していたのですが、つい先日見たドライヤーの「ミカエル」というサイレント映画が思いのほか面白かったこともあって、チョット、興味を持っていました。 で、二日前、街角で偶然会った元町映画館のオネ~さんに「極北のナヌークいいですよ!」 と誘っていただいたこともあって、意を決して、やってきた元町映画館です(笑)。 見たのは「極北のナヌーク」という1922年のドキュメンタリィー映画でした。監督はロバート・フラハティという初期のドキュメンタリー映画では有名な人らしいのですが、そんなことをいえば「映画といえば」 で、すぐ名が出てくるルミエール兄弟だって、まあ、ドキュメンタリーなわでしょうとか、なっちゃうんですが、とりあえず、この作品を見終えた後の満足感というのはなんといっていいのか「やたらあれこれこれ語り掛けたい気分」 と「うーん、と唸って、いい心持ちのまま座り込みたい気持ち」 がぶつかり合う感じでした。 世界で、最も古い映画の一つということで、珍しい風景や人間模様のニュース映画的なコラージュ映像を予想していましたが違いましたね。 作り手の意図がどのあたりにあるのか、確たることはわかりませんが、極北に生きるものたちの、犬も、きつねも、海豹も、セイウチも、そして人も、赤ん坊も、生きて登場するです! たとえば上の写真の赤んぼうが動き出すのですが、その場面、その場面で、生きているからこその、実に、興味深い、それでいて見ているこちらに、いろんな思いがい浮かんでくる、それぞれが、それぞれの「ドラマ」を生きていて、やがて「生きものの世界」 の大きなうねり、たがいが励まし合いながら盛り上がる協奏曲のエンディングのように膨れ上がっていくさまは、実に圧巻でした。 珍しいものを見せものとして見せるというのではなくて、普遍的な生の実相を一つの物語として描こうとしている ようで、まさに映画そのもの! でした。 ピアノの伴奏も、時に軽快に、時に激しく耳を打ちながら、映像に引きつけられる意識を助けるように響いて、大したもんだと唸りました。 上映の前後にはピアニストの鳥飼りょうさんと映画館の高橋さんとの掛け合いトークもあり、大満足の拍手!でした。 トークの中で、アキ・カウリスマキという、今年のお正月に「枯れ葉」という映画が評判だったフィンランドの監督の生涯でベストだとかいう話がありましたが、なるほどなあ・・・さもありなん!やな。 とわからないなりに納得でした。監督・製作 ロバート・フラハティ1922年・78分・アメリカ原題「Nanook of the North」2024・03・06・no037・元町映画館no228 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.08
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杉田協士「彼方のうた」元町映画館 2024年、3回目のSCC・シマクマシネマクラブです。見たのは杉田協士監督の「彼方のうた」でした。「春原さんのうた」作品の監督だったっと思いますが、見たような、見ていないような??? M氏の提案の中から、ボクが選んだのですが、なんというか、オッサン二人で見る映画ではなかったですね。 映画全体の印象では、なんとなく気がかりなところがいくつもあるのですが、「なんでそうしてる?それがどうした!」 というわけのわからなさというか、困惑というか、「こんな映画オッサン二人で見てどうすんねん!」 でした(笑)。 もちろん、感想戦も盛り上がりません。近所の喫茶店でお茶しながらM氏がこんなことを話し始めました。「アガサ・クリスティを読んだんですけどね。」 そういいながら取り出したのが「「私」をつくる 近代小説の試み」という 安藤宏という東大の先生の岩波新書でした。「である、とか、です、ますとか、断定の一人称ですけど、微妙に違いますよね。英語だとひととおりしかないんでしょうけど、推理小説とかの翻訳で~であるといういい方選ばれて、その結果、微妙に読者のこっちは、そこでをだまされるってことってありませんかね?」 目の前のM氏が、さっき見た映画にからんでおっしゃっているのか、最近お読みになったらしいクリスティに騙された遺恨(笑)でおっしゃっているのか、まあ、多分そっちだろうと思って「フムフム」 していましたが、お別れして歩きながら、さっき見た映画の「私」、まあ、小説でいえば語り手、映画なら監督ですが、が「である」で語っていたのか「ます、ました」で語っていたのか 気になり始めました。 で、この作品は、いわば通りすがりの第三者が見た光景の羅列として差し出されていて、「こういう光景を見ました。」 だったのですね。「ずっと、イヤホンをしていました。」「通りすがりの女性に道を尋ねました。」「男は泣き始めました。」「映画を見ているのを見ました。」「オムレツをつくるのを見ていました。」 シーンの主体は代わりますが描写の文体は「ます」でした。プロット、プロットでの原因と結果はともかくとして、ストーリ全体の「である」を支える因果関係ができるだけ抜け落ちる文体が故意に選ばれている印象だけが残っています。ストーリーをであるで捉えたがるオッサンは微妙に置き去りなんです。気がかりの理由は、多分そのあたりですね。 帰ってきて、チラシを読むと、「助けを必要としてしている見知らぬ人に手を差し伸べる」 とかなんとか主人公のキャラクター説明があって、チョット啞然としました。映っている人も映している人も、それぞれ、過剰な思い込みの人たちがいて、それをボーっと見ながら、理解できない自分に困惑する気分が、もう一度ワラワラと湧いてきて、腹立たしいような、情けないような「そういうことは画面で描くのが映画なんじゃないの?」 と呟くオッサンでした。ヤレヤレですね(笑)。監督・脚本 杉田協士撮影 飯岡幸子編集 大川景子音楽 スカンク/SKANKキャスト小川あん(春)中村優子(雪子)眞島秀和(剛)KayaKaya2023年・84分・G・日本2024・02・26・no029・元町映画館no225・SCCno18 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.01
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マルティカ・ラミレス・エスコバル「レオノールの脳内ヒプナゴジア」元町映画館 新開地のパルシネマで朝から「マッチ売りの少女」じゃなくて「マッチ工場の少女」を見て、あろうことか、元気になってしまって、ヨシ、もう1本! と、歩いてやってきたのが元町映画館で、なんだか意味不明な題名なのですが、人の好さそうなおばさんが写っているポスターの映画が始まるところだったので、いつもなら躊躇するところなのですが「ふーん、フィリピン映画ね?」 と見始めてポカーン! でした(笑)。 ちなみに題名の「レオノール」は主人公のおばあさんのお名前で、「ピプナゴジア」というのは、訳せば「半覚醒」という医学用語(?)のようですが、要するに意識不明と覚醒の中間状態のことのようで、一昔前なら「夢想」とか何とかに翻訳しそうなものですが、「ヒプナゴジア」のまんまですから、まあ、意味不明ですね。 で、映画ですが、レオノールさんというおばあさんが映画監督だったというのがみそですね。そのおばあさんが落ちてきたテレビで頭を打って意識不明ならぬ「脳内ヒプナゴジア」状態に陥って、そこからはシッチャカメッチャカでした(笑)。 半覚醒ですから、まず、脳内の出来事と現実が入り混じりますね、で、彼女の脳内にあるのが「映画」ということになると、当然、脳内でも「現実」と「映画」という、まあ少なく見積もって二重化が起こります。で、頭を打ったのがテレビですから、もう一つ「テレビのなかの世界」が加わりますね。それが全部スクリーンに映し出されるわけですから、まあ、ポカーン!!! ですね(笑)。まあ、ストーリーを説明するのは、ボクにはムリ(笑)ですね(笑)。 で、伝わってくるのはこの映画を作っている人たちの「元気!」 でしたね。わけわかんないなりに、後味が悪くないのは、まあ、そういう話だろうとかおもいながら、登場人物たちに「たのむから、落ち着いて!」 とかなんとか呼び掛けながらも、まあ、最後まで見た老人の感想ですね(笑)。 でも、これって、老人のヒプナゴジアの世界なんですよね。くだいていえば「半ボケ状態」 でしょ。そこが、笑えるというか、笑えないというか、チョット、困っちゃうところでしたね(笑)。 なにはともあれ大きな体で、シッチャカメッチャカの世界で奮闘していらっしゃったレオノール役のシェイラ・フランシスコさんに拍手!でした。何だか、おおらかで、明るいんです。監督・脚本 マルティカ・ラミレス・エスコバル撮影 カルロス・マウリシオキャストシェイラ・フランシスコ(レオノール)ボン・カブレラ(ルディ)ロッキー・サルンビデス(ロンワルド)アンソニー・ファルコン(死んだロンワルド)アラン・バウティスタ(バレンティン)レア・モリナ(イサベラ)2022年・99分・G・フィリピン原題「Ang Pagbabalik ng Kwago」2024・01・23 ・no0011・元町映画館no223
2024.02.02
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クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマー「メンゲレと私」元町映画館「ホロコーストの証言」というシリーズの、第3弾、「メンゲレと私」という作品を元町映画館で見ました。 スクリーンで語り続けるダニエル・ハノッホという91歳、リトアニア生まれの老人の表情の迫力に圧倒さる96分でした。原題は「A Boy's Life」ですが、邦題では「メンゲレと私」とつけられています。で、そこに出てくるメンゲレという名前は、アウシュビッツで貨車で到着した収容者の「生・死の選別」 を指揮し、双子の体を縫い合わせるというような、想像を絶する人体実験 をやったことで有名な、ヨーゼフ・メンゲレという医学者で、敗戦後も、モサドの追及を逃れて1979年、69歳まで生き延びた人物です。12歳の金髪の少年がアウシュビッツに連行され、そのメンゲレの「死への指示」 からいかに逃れ、いかに生き延びたかが語られているのですが、具体的な証言内容や、時折、挿入される、ナチス・ドイツだけではなく、イギリス、アメリカ、ソビエトの、1940年代のアーカイヴ・フィルムの面白さもさることながら、91歳まで生きてきた証言者ハノッホの豊かで深い表情に見とれました。 もう一つ印象に残ったのは、反ユダヤ主義、体制順応主義というのでしょうか、リトアニアやオーストリアの市民たちが、その当時、ユダヤ人に示した差別的、排斥的で暴力的な態度や行為に対して、彼が一言で、こう言ったことでした。「恥だ!」 この映画でハノッホは英語で語っていましたから、聞こえてきたのはshameという響きでした。その時、彼の脳裏に、どんな「神」がいての発言かはボクにはわかりませんが、深い言葉だと思いました。 まあ、それにしても、70年後の今、こんなふうに語り手をさがし、証言を映画にしている努力に拍手!でした。 映画館には、ボク以外に三人の老人が座っていらっしゃいましたが、できれば、若い方に見てほしい作品だと思いました(笑)。こういう証言に耳を傾けることから「歴史」に対する興味を育ててほしいと思うのですが・・・・。監督・脚本クリスティアン・クレーネス フロリアン・バイゲンザマー編集 クリスティアン・ケルマーキャストダニエル・ハノッホ2021年・96分・オーストリア原題「A Boy's Life」2024・01・27・no013・元町映画館no224 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.01.28
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ジュン・リー「香港の流れ者たち(その2)」元町映画館 同じ映画を、意識して何度も見直すという習慣というか、まあ、意図というかはボクにはありません。「あっ、あの映画や!」 そう思う作品がテレビに映っていると、そのまま見続けるということはあります。今日も「ビバリーヒルズコップ」が、ちょうど始まるところに出くわして、結局、最後までテーマソングを鼻歌しながら見たりしましたから。それは、それで楽しいですよね。 最近では、30年くらい前に見たはずだけど、まあ見直してみようという作品が増えました。ただ、DVDを借りて来たり、ネット配信で探してみたりすることは、ほぼ、ありません(笑)。 で、今日、元町映画館で見たのはジュン・リーという監督の「香港の流れ者たち」でしたが、見始めて、2022年の「香港映画祭」という特集でやっていた時に見た映画だと気付きました。チラシの丸刈り男に、なんとはなしに親近感を感じて見に来たのですが、感じたはずでした(笑) まあ、初めての体験というわけでもないのですが、面白かったのは、登場人物たちが次に何をするのかが魔法のようにわかることでしたね(笑)。 もちろん、繰り返し起こる魔法体験のせいで、そうはいっても、一度見たことを思い出していたわけですから、魔法は解けましたが、見たことがないと思い込んでいるあいだ、みんなわかるというのは不思議ですね(笑)。 まあ、老人ボケの報告はともかくとして、二度目に見てどうだったかですね。二度見て、損はなかったですね。 ナルホドと納得したのは、まあ、頭からネタバレで申し訳ありませんが、終わりの方に、主人公(?)のファイさんが亡くなるシーンがあって、そこにハーモニカの青年モクくんが出てくるのが、なんだかよくわからなかった記憶があったのですが、そのシーンは、ファイさんの人生を語るためにつくられたというか、実に映画的なシーンだったようなのですね。で、納得ですね。 二つ目は、この映画が香港という都市を撮った作品なんやなあ・・・ ということに気付かされたことでしたね。 映画の中で、結局は亡くなってしまう二人のベテラン、ホームレス生活者のそれ以前の人生は、ほぼ、わかりません、今があるだけです。で、その今は、彼らが「香港」という都市の底のようなところで生きている今ということなのですね。 ファイさんとモクくんが、連れ立って超高層ビルの工事現場の頂上から見下ろすシーンがありますが、眼下に広がる道路や林立するビルの光景は、威容と呼ぶほかないシーンです。で、それに対して、彼らが暮らす高速道路の橋脚の下から見上げる狭い空の風景に「グリーン・スリーブス」の頼りないメロディーが聞こえてきます。彼ら自身と都市の関係が如実に描かれていたというべきでしょうか。 で、ついでにいえば、彼らの援助に奔走するホーさんという、若いソーシャル・ワーカーの住居は高層マンションで、部屋からは美しい夜景が見えるシーンもあります。その部屋から、ボランティアに出かける存在の、彼らとの遠さも、まあ、図式的ではあるのですが、風景として描かれていると思いました。 街の中をトボトボ徘徊することを覚えて、ようやく気付いたことですが、神戸程度の町でも、街中や高架沿いを歩いている時には空は見えないのですね。見えるのはコンクリートの壁や柱です。 で、建物の間の路地を歩きながら見ているのは、フト見える過去ですね。歩くと気付く、そういう都市と人間の関係をあざやかに映し出している作品だということも、二度目で気づいたことでしたね。 なかなかですね。ジュン・リーという人は、1991年生まれの若い監督のようですが、期待を込めて拍手!ですね(笑)監督・脚本 ジュン・リー撮影 レオン・ミンカイ美術・衣装 アルバート・プーン編集 ヘイワード・マック ジュン・リー音楽 ウォン・ヒンヤンキャストフランシス・ン(ファイ 中年の男)ツェー・クワンホウ(ラムじい ベトナム難民)ロレッタ・リー(チャン 女性ホームレス)セシリア・チョイ(ホー ソーシャル・ワーカー)チュー・パクホン(ダイセン)ベイビー・ボー(ラン チャンの妹)ウィル・オー(モク ハーモニカの青年)2021年・112分・香港原題「濁水漂流 Drifting」2024・01・16・no006・元町映画館no222
2024.01.20
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アキ・カウリスマキ「枯れ葉」元町映画館 2024年はこの映画で始めようと考えていた作品をようやく見ました。アキ・カウリスマキというフィンランドの監督の新作「枯れ葉」です。 元町映画館が新年口開けで、1月1日から上映してた作品ですが、どういうわけなのか連日満席が続いていて、三が日明けにチャレンジしたのですが満員御礼で、結局、今日になりました。もっとも、今日も日曜日で、普段なら躊躇するのですが、ちょっと早めにやって来た甲斐あって、無事座席確保して見終えましたが、やっぱり、ほぼ、満席でした。 60席という小さな映画館ではありますが、満席で見るのは「主戦場」か「ニューヨーク公共図書館」以来で、ちょっと落ち着きません。その上、お隣に座られた方が「オツカレ生です」かなんかを飲みながら「プハァー」状態でいらっしゃたので、「あのー、この映画、それやってると、寝ちゃいますよきっと。」 とか何とか、オロオロ気を揉んでいると(なんでやねん!)始まりました。予想通り、何にも起きませんでした。 偶然知り合った男と女の、まあ、さほど若くはない二人の登場人物がそれぞれ同僚とでかけたカラオケの飲み屋さんで出逢って、映画館でジャームッシュだかの映画を見たり、チラシの写真のように一緒に食事をしたり、でも、チラシの写真とは微妙に違っていて、まあ、そこが、この映画を見たあと、これってどういうことかな???? と個人的には気になったりして、で、映画では、チラシのシーンの後、「アル中はキライ!」 とかなとかいう喧嘩別れがあって、すれ違いがあって、それぞれ、そういうことでそうなるのか・・・ というふうに仕事をクビになって、それぞれ、建設現場の作業員として働いて、女の人の働き方がいいなあとか思って見ていて、「ああ、この人ムーミンの人やん!」 とか思いだしたりして、ふと、寝息が聞こえてきたりして、スクリーンでは再びクビになった男がアル中を何とかしようとチョットけなげになったり、女は捨て犬を飼い始めて、これがまたなんともよかったりして、「ああ、これは再会するな!」 と思っていると、再会した映画でした。 最後に「枯れ葉」という、まあ、ボクでも知っている歌が流れて終わるのですが、なんで「枯れ葉」なのかとか考えて座り込んでいて、満席だったお客さんたちがそそくさと退場されていくのを見ながら、なんだか急に可笑しくなって、ひとりで拍手!してしまいそうでした(笑)。 「トーべ」という映画では、少女の様だったアルマ・ポウスティという女優さんの、何にも喋らない暮らしというか生活の中で浮かぶ笑顔がとてもよくて、一瞬、数年前に亡くなった八千草薫さんの口元が思い出されたりして、拍手!でしたね。 それにしても、チラシの写真のお二人はどなたなのでしょうね。女性は若すぎるし、男性はおさまりすぎていると気にするのはボクだけなのでしょうか(笑)監督・脚本 アキ・カウリスマキ撮影 ティモ・サルミネン美術 ビレ・グロンルース衣装 ティーナ・カウカネン編集 サム・ヘイッキラ音楽 マウステテュトットキャストアルマ・ポウスティ(アンサ)ユッシ・バタネン(ホラッパ)ヤンネ・フーティアイネン(フータリ)ヌップ・コイブ(リーサ)アンナ・カルヤライネンカイサ・カルヤライネン2023年・81分・G・フィンランド・ドイツ合作原題「Kuolleet lehdet」2024・01・14・no003・元町映画館no221
2024.01.17
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マ・デユン「スイッチ」元町映画館 2024年、初映画館! は元町映画館でした。見たのはマ・デユン監督の「スイッチ」という韓国のコメディ映画でした。1月4日に初映画のはずが、思わぬ満員御礼に遭遇して出鼻をくじかれた2024年でしたが、年が明けてから、ほぼ、2週間、待った甲斐がありましたね(笑)。 2023年の秋に結婚式を挙げて、披露宴に呼んでくれた若いお友達がいるのですが、そのS君が「二人で見ました。楽しい映画でしたよ!」 とコメントをくれたので、見ないわけにはいきませんね。ボクは一人で見たのですが、二人で見た新婚カップルが素直に羨ましくなる映画でした(笑)。 仕事に疲れて、少々ささくれ立っている人気スターパク・ガンくん(クォン・サンウ)が、あるクリスマスの夜、「あの時、ああしなかったら、ああしていれば」 という世界を、次の年のクリスマスまで生きる、まあ、実は、翌日までの夢だったというお話で、筋立ても、展開も、どこかで見たことがありそうなお話なのですが、これが楽しいのですね。 多分、ポイントは、夢の世界でオロオロする主人公の意識だけは、昨日までの人気スターの現実にいるということでしょうね。「オレは、ホントウは、・・・なのに!」 から「ホントウのオレは・・・なのだ!」 へのジャンプが、なかなか素直で、子役たちもいいし、奥さん役のイ・ミンジョンという女優さんの、超美人さんなのですが、生活感あふれた可愛らしさがサイコー! でしたね(笑)。 イヤー、今年は春から、アン・ラッキー💦なんじゃないかと、少々へこんでいたのですが、ラッキーでしたね! まあ、惜しむらくは、実は、この映画、お正月映画というよりはクリスマス映画だったことですね(笑)。 なにはともあれ、出ていたみなさんと監督さんに拍手!でしたよ。 イヤー、今年は韓国映画を見なさいよ! ということかもしれませんね(笑)監督・脚本 マ・デユン撮影 キム・イルヨン音楽 チョ・ソンウ編集 チョン・ジウンキャストクォン・サンウ(パク・ガン イケメン人気スター)オ・ジョンセ(チョ・ユン ほくろのマネージャー)イ・ミンジョン(スヒョン いびきをかく妻)パク・ソイ(ロヒ 女の子)キム・ジュン(ロハ 男の子)2023年・112分・G・韓国 原題「Switch」2024・01・12・no002・元町映画館no220
2024.01.15
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ジャック・ロジエ「フィフィ・マルタンガル」元町映画館 元町映画館が「みんなのジャック・ロジエ」という特集を組んでいました。ジャック・ロジェなんていう人は知りませんでした。最後のヌーベルバールとか呼ばれている方らしくて、なんとなく興味を持ちました。で、日程を間違えていて、結果的にはこの映画しか見ることができなかったのが残念でしたが、見たのは「フィフィ・マルタンガル」という、不思議な映画でした(笑)。 で、映画ですが、終始、ポカンと口を開けてみていた印象です。最後のヌーヴェルバーグなのだそうですが、超越してましたね。だいたい、そのあたりの人の作品には、ポカンと向き合うしか方法を知らないのですが、いや、はや、笑っていいのか、腹を立てていいのか、ようするにポカン! でした。 とどのつまりになって、題名になっているフィフィ(リディア・フェルド)が、映画の中で狂言回しのような役割をしていた女性のことだと、ようやく気付く始末なので、最初からついていけてないわけです(笑)。 舞台のお芝居が、裏から表から、みんな映像になっていて、最近、ナショナルシアターライブとかで見る舞台上のお芝居のシーンに加えて、舞台裏、個々の俳優や演出家、プロデューサーの私生活、みんな映し出されて、どれが本線なのかわかりません。ふーん、そういうものなのか!? まあ、そういう感じですが、とどのつまりのフラメンコの大爆発で気づいたわけです。ああ、この人が主人公だったのか!? ハチャメチャになった舞台の上で踊り出したのが、フィフィでした。まあ、あっけにとられるとはこのことですね。真面目そうな話を、あれこれ積み上げていって、で、どうなるので引っ張り続けて、これです。イヤーまいった、まいった(笑)でした。 2001年の作品らしいですが、ある時期のフランス映画とかに共通した、何というか、映画という表現に対する気楽さが満ちていると思いました。こういう、タイプの作品は好きなのですが、感想というか、どういっていいのかわからないので困りますね(笑)。 まあ、何はともあれ、フラメンコ(笑)で爆発したフィフィ(リディア・フェルド)に拍手!でした。監督 ジャック・ロジエ脚本 ジャック・ロジエ リディア・フェルド撮影 ジャン・クラブエ マチュー・ポアロ=デルペッシュ ラモン・スアレス編集 ジャック・ロジエ アンヌ=セシール・ベルノー音楽 ラインハルト・ワグナーキャストジャン・ルフェーブル(ガストン)イブ・アフォンソ(イヴ)リディア・フェルド(フィフィ)マイク・マーシャル(劇作家/演出家)ルイス・レゴフランソワ・シャトージャック・プティジャンロジェ・トラップジャック・フランソワアレクサンドラ・スチュワルトジャン=ポール・ボネール2001年・120分・フランス原題「Fifi Martingale」2023年7月・日本初公開2023・10・13・no124・元町映画館no206 !
2024.01.04
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ウェイン・ワン「スモーク」元町映画館 2023年の12月になったころ、元町映画館から持ち帰ったチラシの束から一枚のチラシを引っ張り出してチッチキ夫人が叫びました。「わたしは、これ!」 というわけで、我が家の2023年のクリスマスは元町映画館のクリスマス3日間限定上映「スモーク」同伴鑑賞に決定しました(笑)。 で、問題は、上のチラシの頬を寄せ合っていらっしゃるお二人が、男と女なのか、男同士なのかでした。 で、見終えて確認しました。ブルックリンの煙草屋の親父と、赤の他人の黒人の盲目の老婆、というわけで、男と女でした。 モノクロで、セリフなし、ただ、ただ、この二人がクリスマスの夜に出会い、こうして抱き合っているシーンが、この映画のすばらしさを、ほどんど歴史的事件のように表現していて、見終えたチッチキ夫人は映画館を出るなり、もう一度叫びました。「今年のベストワン!サイコー!」 2023年のクリスマスの午後を二人で、この映画を見て過ごした老夫婦は、ため息しきりだったのですが、実は、二人ともこの作品を見るのは初めてではなかったにもかかわらず、「男同士」だったのか、「男と女」だったのか、まったく忘れ果てて盛り上がっていたのですから、まあ、いい加減な話です(笑)。 お話に興味がおありの方にはポール・オースターの原作小説「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」(柴田元幸訳・新潮文庫)をお読みなることをお勧めしますが、題名の「スモーク」は、たばこの煙ですね、あの煙には重さがあるかどうかを、ちょっと困った顔で抱き合っている男オギー・レン(ハーベイ・カイテル)の煙草屋にたむろしているヒマな男たちが喋くりあうシーンで語られるアホ話に出てくるのですが、映画の話が「タバコの煙」だというわけですね。実によくできた題名なのです。 今回、見ていて、ハッと、心を打たれたのは最初のシーンでした。ニューヨークの地下鉄とかが走っている街の俯瞰シーンで始まるのですが、少し遠景に、あのツィン・タワーが映るのですね。1995年の映画ですから当然ですが、あのタワー・ビルが崩落していくシーンを、ほぼ、実況で目にしたことがあるわけですから、映画が「スモーク」と題されている、もう一つの意味をしみじみと受け取ることになったわけです。 ちょっと大げさとお考えになるかもしれませんが、主人公の煙草屋の親爺は、抱き合った、見ず知らずのバーさんの部屋から、盗品に違いないとはいえ、キャノンだかの一眼レフを拝借して、自分の店の前の風景を4000日にわたって、同じ時間に撮り続けていて、そのコレクションされた写真、あの日から10年分の一枚一枚が写しとっている、その時、その時の人や町の姿が、この映画の底に流れているメイン・テーマだと、ボクは感じたのですが、二十年以上前に、この映画を見たときには何も感じなかった、ニューヨークの風景のなかに、まあ、映画の中で作家のポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)が体験する不幸な偶然と同じように、映画そのものが現実化していることに対する驚きですね。 まあ、それにしても、納得の作品でしたね。クリスマス特集でこの作品を選んだ元町映画館に拍手!でした。いや、ホント、思い出にのこるクリスマスになりましたよ(笑)。 監督 ウェイン・ワン脚本 ポール・オースター撮影 アダム・ホレンダー美術 カリナ・イワノフ編集 メイジー・ホイ音楽 レイチェル・ポートマンキャストハーベイ・カイテル(オーギー・レン煙草屋)ウィリアム・ハート(ポール・ベンジャミン作家)ストッカード・チャニング(ルビー・マクナット煙草屋の元妻)ハロルド・ペリノー(ラシード・コール黒人の少年)フォレスト・ウィテカー(サイラス・コール少年の父)アシュレイ・ジャッド(フェリシティ元妻の娘)1995年・113分・PG12・アメリカ・日本合作原題「Smoke」2023・12・25・no160・元町映画館no218 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) !
2023.12.26
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ガリー・キーン アンドリュー・マコーネル「ガザ 素顔の日常」元町映画館 元町映画館が緊急上映として企画したガリー・キーン、アンドリュー・マコーネルという二人の監督が撮った、原題「Gaza」、邦題が「ガザ 素顔の日常」というドキュメンタリーの上映が2023年12月15日の金曜日、最終日になりました。「どうしようかなあ・・・」と逡巡していたのですが、結局出かけました。 で、やっぱり、辛い映画でした。2023年12月現在の今、もう、どうしようもない状況になっていると、何も判っていないボクは思うのですが、映画は2018年頃の、パレスチナ自治区、ガザ地区の日常風景をドキュメントしていて、出だしは、ちょっとホッとするのですが、結局は空爆や狙撃の標的として撃たれたり、瓦礫に埋まったりして、大けがをしたり、命を失っていく人たちの姿を見ないわけにはいきませんでした。 映画の中には、チェロを弾く少女や漁師になる夢を語る少年、民族衣装のファッションショーをするおばさんや、妻が三人いて子どもは40人いるとおっしゃる、まあ、どう見てもお父さんというより、おじいさん、冗談のお好きなタクシーの運転手さん、さまざまな方が出ていらっしゃいます。 で、どの方も、自分自身の人生や、家族の未来を語ろうとすると、最後は俯くしかない様子で映っていらっしゃったこと。 瀕死の重傷者の治療を終えたばかりの救急隊のおじさんが「パレスチナ人以外の、全世界の人間を憎む。」 と呟かれたこと。 家族の死を語ったファッション・ショーのおばさんが「そのとき、大人になったら、兵士になろうと思っていたわ。でもね、気付いたの、暴力では何も解決しないって。」 と涙を流しならおっしゃったこと。おそらく、ボクの記憶に、まあ、それがいつまでなのか予想はつきませんが、残りますね。 海が好きだというチェロを弾く少女が爆煙がただよう海岸に佇み、漁師になりたい少年が小さなボートを操りながら沖に出ていくシーンで映画話終わりました。 エンドロールをボーっと見ながら、涙がこぼれるのは、まあ、そうなのですが、こんなに胸が塞がる気分になるドキュメンタリーはそうないのではないでしょうか。今、この時の、現実を想像したりしたら、とても見ていられないのですが、それでも、やはり、見てよかったですね。ここには生きている人間の普通の姿あるんですよね。 普通に生きていらっしゃる、この人たちを殺したり傷つけたりするのは、いかなる理由があろうとも「戦争犯罪」だとボクは思いました。監督 ガリー・キーン アンドリュー・マコーネル撮影 アンドリュー・マコーネル編集 ミック・マホン音楽 レイ・ファビ2019年・92分・アイルランド・カナダ・ドイツ合作原題「Gaza」2023・12・15・no155 ・元町映画館no217 !
2023.12.16
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鈴木清順「陽炎座」元町映画館 「SEIJUN RETURNS in4K」という特集の三本目です。見たのは、「陽炎座」です。泉鏡花の小説の映画化だそうですが、読んだことはあるはずですが忘れました。映画もほぼ忘れていたのですが、ラストシーンだけ覚えていました。 面白いものですね、「ツィゴイネルワイゼン」、「夢二」とポカーン2連発! だったのですが、これはドスン!ストライク! でした。 まあ、なにが、どうストライクなのかというと、判然とはしないのですが、たぶん「人形」ですね。浄瑠璃の人形、焼き物の人形、そのあたりと、なんだか濃すぎる登場人物たちとのギャップですね。 小野小町の歌がそこはかとなく響く中、ポコポコと湧いてくる魂の形象であるらしいオレンジ色のピンポン玉のような球体のリアリティが目に焼き付いていくかのラストは、やっぱり忘れられなくなりそうですね。 やっぱり気になって調べた鏡花の陽炎座にこんな一節がありました。 夢と言えば、これ、自分も何んだか夢を見ているようだ。やがて目が覚さめて、ああ、転寐(うたたね)だったと思えば夢だが、このまま、覚めなければ夢ではなかろう。何時いつか聞いた事がある、狂人と真人間は、唯時間の長短だけのもので、風が立つと時々波が荒れるように、誰でもちょいちょいは狂気だけれど、直ぐ、凪になって、のたりのたりかなで済む。もしそれが静まらないと、浮世の波に乗っかってる我々、ふらふらと脳が揺れる、木静まらんと欲すれども風やまずと来た日にゃ、船に酔う、その浮世の波に浮んだ船に酔うのが、たちどころに狂人なんだと。 危険々々けんのんけんのん。 鏡花の主人公は出家ですが、映画では劇作家松崎春狐を演じた松田優作もよかったですね。早く亡くなったこともあって、伝説のように語られる俳優です。ただ、ボク自身は松田優作がそれほどいいと思っていたわけではないのですが、この作品のあやふやな存在感というか、夢に取り込まれていく人形ぶりというか、バランスの悪いニーチャンぶりというかが、中村嘉葎雄や原田芳雄のインチキぶり、とどのつまりは大友柳太郎ですが、まあ、それはそれで拍手!なのですが、その、お三人とのせめぎ合いを、見事にしのいでいましたね。拍手!拍手!でした。 で、このシリーズは、これまたなつかしいのですがタイトルロールが最初に流れるのです。で、そこに沖山秀子を発見してドキドキしましたね。ボクの生涯で、口をきいたことのある唯一の女優さんです。70年代の半ばですが、バイト先のピアノ・バーに、足を引きずりながら出没して、時には歌っていらっしゃったんですね。あのころ、とてつもない存在感でしたが10年ほど前にお亡くなりだったようです。で、この映画のどこにいらっしゃったかというと、最後の方にちらっとだったと思いますね。うたたねに恋しき人を見てしより夢てふ物はたのみそめてき 映画で、繰り返し口ずさまれる歌ですが、ボクにとっては、時の流れの遠い向うにある、恋しきものが、まあ、その正体は映画そのものではなかったのかもしれませんが、ポコポコと浮かび出てくるかのような作品でした。ためらった3本目でしたが、見てよかったですね(笑)。監督:鈴木清順原作:泉鏡花脚本:田中陽造撮影:永塚一栄美術:池谷仙克音楽:河内紀キャスト松田優作(松崎春狐)大楠道代(玉脇品子)加賀まりこ(みお)楠田枝里子(イレーネ:イネ)中村嘉葎雄(玉脇男爵)大友柳太朗(師匠)麿赤児(乞食)原田芳雄(和田)沖山秀子(着物の女)江角英(執事)東恵美子(老婆)玉川伊佐男(番頭)佐野浅夫(院長)佐藤B作(駅員)1981年・139分・日本公開1981年8月21日2023・12・04・no148・元町映画館no216 !
2023.12.07
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鈴木清順「夢二」元町映画館 「SEIJUN RETURNS in4K」という特集の二本目です。見たのは「夢二」でした。竹久夢二の、あの夢二です。沢田研二が夢二を演っています。映画館にやって来てびっくりです。コロナ騒ぎ以後の元町映画館では、ついぞ見たことのない入場待ちの行列です。といっても、まあ、60席のミニシアターですから30人ほどのことなのですが、めでたい!ことです(笑)。案外、若い方もいらっしゃいます。ウーン、大丈夫??? まあ、そんな心配も浮かんできますが、何はともあれメデタイ!ことです(笑)。で、入場して後方の端っこのいつもの席に座ると、前に、若い女性の二人連れがお座りになって、実に姿勢がよくていらっしゃる。元町映画館は初めてのご様子で、おしゃべりも、なかなかお元気です。この映画館の欠点は、姿勢のいい人が前に座るとスクリーンの邪魔になることなのですが、深く座る気はなさそうで、前が見えません💦💦。仕方がないので、前から2列に開いていた端の席に移動です。やれやれ・・・ で、紙風船がフワフワと飛び交うシーンで映画は始まりました。なつかしい! 先日見た「ツィゴイネルワイゼン」よりも話にまとまりがありましたが、やっぱり、はあ?、そうですか?!という感じで終わりました。 ついでというか、どうでもいいような話ですが、「ツィゴイネルワイゼン」では今は亡き藤田敏八でしたが、この映画では、生きていらっしゃるはずの長谷川和彦が最後には首をくくってしまう役で出ていて、感無量でした(笑)。そういえば、長谷川和彦の「太陽を盗んだ男」で、話は忘れましたが、主役だったのは沢田研二でしたね。 まあ、思い込みかもしれませんが、あの頃、鈴木清順自身もほかの監督の映画によく出ていた気がしますが、監督が出るのが流行だったのでしょうかね。 というわけで、清順美学、2本めもポカーンでした。こうなったら、あと1本、「陽炎座」にチャレンジですね。実は、一番好きだったような気がしてますが,さて、どうなることやら(笑)。監督 鈴木清順製作 荒戸源次郎脚本 田中陽造撮影 藤澤順一音楽 河内紀 梅林茂キャスト沢田研二(竹久夢二)坂東玉三郎・5代目(稲村御舟)毬谷友子(脇屋巴代)宮崎ますみ(彦乃)広田レオナ(お葉)大楠道代(女将)原田芳雄(脇屋)長谷川和彦(鬼松)麿赤兒(巡査)1991年・128分・日本2023・12・02・no147・元町映画館no215!
2023.12.05
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グレゴル・ボジッチ「栗の森のものがたり」元町映画館 予告編に惹かれて見ました。スロベニアという国の若い監督グレゴル・ボジッチという人の「栗の森のものがたり」です。 イタリア半島が地中海に突き出ていて、その東の海がアドリア海ですね。で、その海に面しているヨーロッパが、かつてはユーゴスラビアでした。で、今は北の端がスロベニア、海に面している国がクロアチア、そして、その東方にボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、コソヴォ、モンテ・ネグロ、の国々のようですが、まあ、よくわかりません。イタリア半島の付け根に接しているスロベニアですが、北はアルプスを隔ててオーストリアに接している。まあ、そういう地域のようですが、映画の舞台はスロベニアの山のなかでした。 時代は1940年代の後半くらいでしょうか、栗拾いの女性マルタの境遇が、夫は戦争に行ったまま帰ってこない寡婦という設定でしたから、多分その頃です。 黄葉した林のシーンに雪が風に流されながら舞い落ちてきて、落ち葉が積もった平地に、墓穴と思しき長方形の穴が口を開けていています。やがて、その穴に栗のイガのようなものが埋められて、その上からたくさんの落ち葉で覆うというシーンが、何の音もないまま映し出されて映画は始まりました。 棺桶だけではなく家具も作っているようですから、指物師ということでしょうね。主人公らしき老人マリオには具合の悪い妻ドーラがいて、あてにならない医者とのやり取りもありますが、眠り込んでいる妻の寸法、棺桶のでしょうね、を測ったりするシーンが折り込まれ、やがて、妻が亡くなり、再び、あの四角い穴のシーンがあって、一人になります。家を出てしまった息子がベルギーあたりにいるようで、出されなかった手紙が声に出してが読み上げられるシーンがあります。 どういう経緯でそうなったのか思い出せないのですが、胸に迫って涙がこぼれたりしました。 で、一人になった老人マリオは何処かへ出発するのですが、その途中、収穫した栗を川に流して困っている栗拾いの女マルタと出会います。栗拾いの女も、おそらく、行く方が知れない夫を探す旅に出発しようとしていますが、旅費がありません。で、老人マリオは持ち合わせていた金を女マルタにやってしまうのです。女は出発し、残された老人は死んでしまいます。 まあ、かなり端折りましたが、そういう映画でした。で、まず、森とか落ち葉とか、雪とかのシーンが美しくて印象的です。 その次に部屋のなかのシーンです。これが暗いのですが、室内の光の作り方が独特で、多分、意図的なのですが、いかにも、その時代のヨーロッパの田舎の村を思わせて、「自然」なのです。ただ、暗さに弱い老人には、ちょっときつかったのでした(笑)。 それから、部屋の中に置いてある水差しの撮り方なんて、たしかにフェルメールで、そういう映像処理の面白さにに唸ったのですが、もっと、おおーっと思ったことがありました。 ボクが、子どもころラジオから流れていた、フランスのポップスで、あの、シルヴィ・バルタンの、多分、60年代のヒット曲「アイドルを探せ」だったかが流れてきたことでした。 まあ、よく考えてみれば、この映画の物語の、時代的にも、筋書き的にも、何の必然性もないと思うのですが、「えー?なにぃー?」 とうろたえながら、結局、この曲のメロディが、この作品の記憶として残るに違いないところがふしぎですねえ(笑)。 好き勝手に、のびのび映画を作っている、若い才能という印象ですが、栗林の落ち葉の降り積もった中に、ポッカリ開いていた四角い穴と、風に舞うように降る雪のシーンは、スロベニアという国に生きる人間の「今」 を象徴的に 表しているかのようで、この監督を支えている現実認識、あるいは歴史観の深さを感じさせる映像でした。 映画の中で、死んでしまった二人の老人に拍手! それから、グレゴル・ボジッチという若い監督に期待込めて拍手!でした。監督 グレゴル・ボジッチ脚本 グレゴル・ボジッチ マリーナ・グムジ撮影 フェラン・パラデス編集 グレゴル・ボジッチ ベンジャミン・ミルゲ ジュゼッペ・レオネッティ音楽 ヘクラ・マグヌスドッティル ヤン・ビソツキーキャストマッシモ・デ・フランコビッチ(指物師マリオ)ジュジ・メルリ(マリオの妻ドーラ)イバナ・ロスチ(栗拾いの女マルタ)トミ・ヤネジッチ(村の医者)2019年・82分・スロベニア原題「Zgodbe iz kostanjevih gozdov」2023・11・24 ・no143・元町映画館no213<img!
2023.11.30
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鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」元町映画館 「SEIJUN RETURNS in4K」という特集を元町映画館が上映し始めました。鈴木清順生誕100年の記念特集のようです。 これは、まあ、見ないわけにはいかない! そういう気分で、初日、駆けつけたのが「ツィゴイネルワイゼン」です。1980年の封切ですが、その当時、とても評判になった作品です。定期購読していたキネマ旬報の、その年のランキングは日本映画ベスト1で、ベルリン映画祭でも評判がよかったらしく、当時、ボクは、まだ、大学生だったのですが、かなりな映画狂いで、周りに大勢いた映画好きのお友達たちが、口をそろえて絶賛!する中、まあ、ボクも尻馬に乗ってあれこれ言っていたような記憶ががありますが、何を言っていたのか、まるで、覚えていません(笑)。その作品を、久しぶりに見ました。 見終えて、仰天、嘆息でした。どうしたことでしょう? あの頃、あんなに面白がっていたはずなのに、なにをおもしろがって騒いでいたのか全く見当がつかないのでした。 一応、お断りしますが、この作品が駄作だとかいうことをいいたいのではありません。ただ、1980年に20代の終わりにさしかかっていた映画青年があっけにとられた衝撃の正体が一体何だったのかが、40年後に、同じ映画を見ている69歳の老人に全くイメージできないのです。 原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、大楠道代、麿赤児、樹木希林、みんな覚えています。夢が夢を呼び出し、幻想が幻想と重なり、正体不明の不安が映画を覆っていく様を、ボンヤリとした既視感をかみしめるように、ため息をつきながら見入っているのですが、見ているボクの意識はどんどん醒めていく、そんな感じです。 あの頃、その境界線を越えれば、おそらく、ズブズブ深みに引きずり込まれるような場所に沈み込むことができた、その境界線をこっち側からじっと見ている老人が、今、ここにボンヤリへたり込んでいる。そんな感じでした。40年の歳月が奪って行ったものが、あのころ、そこにあった!はずの空っぽになった場所を覗きこんでいるような体験でした。 まあ、それにしても、大谷直子も大楠道代も美しいハダカでしたよ(笑)。まあ、今の自分の空っぽさに対する詮索はともかくとして、あと二本、試してみようと思います。 監督の鈴木清順、原田芳雄、藤田敏八、みんないなくなってしまったと、やはり、ため息だったのですが、怪人麿赤児と美女のお二人はご存命のようで、ちょっと嬉しくなりました(笑)。監督 鈴木清順原作 内田百間脚本 田中陽造撮影 永塚一栄照明 大西美津男美術 木村威夫 多田佳人録音岩田広一編集 神谷信武音楽 河内紀記録 内田絢子スチール 荒木経惟キャスト原田芳雄(中砂糺)大谷直子(芸者小稲・中砂の妻 園)藤田敏八(青地豊二郎)大楠道代(周子・青地の妻)麿赤兒樹木希林真喜志きさ子1980年・144分・日本2023・11・25・no144・元町映画館no214!
2023.11.25
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セルゲイ・ロズニツァ「破壊の自然史 戦争と正義Ⅰ」元町映画館 元町映画館がやっているセルゲイ・ロズニツァ特集、題して「戦争と正義Ⅰ・Ⅱ」、「破壊の自然史」と「キエフ裁判」を、Ⅱ,Ⅰの順番で続けてみました。堪えましたが、今回は「破壊の自然史」の感想です。 この「破壊の自然史」は、いわゆるロズニツァ流アーカイヴァル・ドキュメンタリーの手法で作られているドキュメンタリー映画でしたが、今までに見てきた彼の作品とは、「これは、ちょっと?」 と感じる、すこし違った手法が取り入れられていて唸りました。 ナレーションによる解説、あるいは、地名、歴史的時間を表示する字幕が、一切ないのがロズニツァ流です。彼が扱う映像は、撮影主体が誰なのか、ひょっとしたらどこかに表示されているのかもしれませんが、ボクのような観客にはわかりませんが、その時代、その事件を何者かが撮影し、「記録」として保管されてきた白黒で、おそらく無音のフィルムです。 その、音のないフィルムに映し出されている登場人物、例えば演説する人間や叫ぶ人、裁判であれば弁明する被告や木槌を打つ裁判官、ざわめく聴衆、戦争シーンであれば爆音や爆発音が、単なる効果音としてではなく、あたかも「歴史的事実」を描いていくため加えられていくというのがロズニツァの手法です。 当然ですが、そこには制作者による「映画的作為」が働いていて、表現の意図が込められているはずです。それは、ここまでに見てきた「粛清裁判」や「国葬」という作品を見ていて気付いたことでしたが、この作品では、新たに「色」が使われていました。ボクが「これは?」と思ったのはそこでした。 映画の途中から、カラー映像が使用されるのです。それだけなら気づかないのですが、冒頭のシーンで空に浮かぶ雲のシーンが出てくるのですが、後半に差し掛かったころ、そのシーンがもう一度出てきます。で、二度目には色が付いているのです。これは意図的ですね。しかし、その意図がボクには分からないのです。 この映画では第二次大戦末期の英独双方による空襲戦・空爆戦のありさまが繰り返し映し出されています。闇の中から浮かび上がるように襲われる都市の街灯りが映り、次々と落下していく爆弾の影、爆音、閃光、見ていて、何が起こっているのか分からないシーンが続き、瓦礫の山、横たえられた死体、そこを無言で通り過ぎる人々の姿、そういう悪い夢でも見ているようなシーンが重ねられていくのです。連合国による、ベルリン、ドレスデンに対する対ドイツ無差別爆撃だけではなく、ナチスによる対ロンドン空襲のシーンも出てきます。 しかし、まあ、ヨーロッパに限りませんが、明らかなランド・マークでもあれば別ですが、ヨーロッパの都市を上空からの暗い映像や、瓦礫の街並みの写真ではとても見分けられないボクには、それぞれの街が、いったいどこであるのかは、被災地を視察するのがチャーチルであったり、ナチスの将校ゲーリングであることでしかわかりません。 イギリスの将軍、たぶん、モンゴメリー元帥が爆弾工場を慰問して演説したり、なんと、あの、フルトヴェングラーが、多分、兵器工場でワグナーを指揮している、音楽付き映像があったりしますが、そういう、ボクでも知っている特徴的な人物が出てくれば、そこがどこなのかわかるのですが、映像がどんどん重ねられていくと、路上に並べられている死体がどちらの国の国民のものなのかはわかりません。その混乱のなかで、フト「破壊の自然史」という題名が浮かんできたのです。この編集の仕方にこそ、制作者、ロズニツァの意図が込められている違いありません。 そんなふうに、少し落ち着きを取り戻してみていると、カメラが廃墟の街に残った塔を映し出し、その先端に天使の像が現れるのを見てエッ?と思いました。ヴェンダースです。「ここは、ベルリン?」 何だか、突如の訝しさのまま、実はボンヤリしながら、映像に色が付き始めたことに気づきました。別に、映されていることが平和的に変わったわけではありません。相変わらず大量生産されていく爆弾が、今度はカラーになっただけです。瓦礫の山の向うの空が青空になっただけです。 ボクは、この作品を見終えてから1週間たった今、この映画のラストシーンを思い出すことができませんが、空中を落ちていく無数の爆弾が、あたかも水に落ちた石のように、微妙にカーブしながら落ちていく様子を上からとったシーンが繰り返し思い浮かぶばかりです。地上には人間がいるのですが、映画に降臨した天使はどこに行ったのでしょう。 見終えた会場で、渋谷哲也というドイツ映画の研究者のレクチャーを聴きました。ゼーバルトというドイツの作家の「空襲と文学」(白水社・ゼーバルトコレクション)という作品への応答としてこの作品を見るという、なかなか、刺激的なお話だったと思いますが、レクチャーの中で、ヴェンダース映画との関連も出てきたのですが、天使の行方については聴き洩らしたようです。 まあ、それにしても、ロズニツァの映画は疲れますね。今回は「戦争と正義」という組み合わせでしたが、「国家と正義」、「民族と正義」、「宗教と正義」、個人的には「教育と正義」あたりも浮かびますが、「正義」が問い直されるべき時代 そういう時代がすでに到来していることを、ロズニツァは叫び続けているとボクは思います。誰か、後に続く人つづく人を期待しますが、かなり無理そうですね。 まあ、ボクには、とりあえず、ゼーバルト再読が課題の作品でした。イヤ、それにしても、2本続けてロズニツァは草臥れますね(笑)。監督 セルゲイ・ロズニツァ製作 レギーナ・ブヘーリ グンナル・デディオ ウリヤナ・キム セルゲイ・ロズニツァ マリア・シュストバ編集 ダニエリュス・コカナウスキス2022年・105分・ドイツ・オランダ・リトアニア合作原題「The Natural History of Destruction」2023・11・04・no136・元町映画館no212!
2023.11.11
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セルゲイ・ロズニツァ「キエフ裁判 戦争と正義Ⅱ」元町映画館 歴史資料のフィルムを編集し、ソビエト・ロシアやウクライナの社会の歴史的事件の「実相」を描くドキュメンタリーを、立て続けに発表しているセルゲイ・ロズニツァという監督の新作「破壊の自然史」と「キエフ裁判」の2作が「戦争と正義Ⅰ・Ⅱ」と銘打ってセットで上映されています。もちろん、元町映画館です。 三連休の中日の11月4日の土曜日が初日でした。2週間の上映期間があるようですし、連休中で、人も多そうですから、まあ、昼過ぎ上映になる来・来週を待つのがいつものシマクマ君ですが、ロズニツァの新作というだけで、なんだか気が焦って、朝一番、10時開映4日に出かけました。先週、1週限定上映の「竜二」を見損じたこともあってでしょうね、とても、月曜まで待ちきれない気分でした。 1本目が「戦争と正義Ⅱ」、「キエフ裁判」でした。1946年、現在はウクライナ共和国の町ですが、当時はソビエト連邦の町だったキエフで行われたナチスの戦争犯罪者たちの裁判のドキュメンタリーでした。 ロズニツァのドキュメンタリーには、所謂ナレーションがありません。場所とか時間を指示する字幕も、ほぼ、ありません。現在の世相の真反対の、実にわかりにくい映像です。「あんたが見てどう思うかやで!」 まあ、そういう啖呵を切られているえいがですから、見る側も、それ相当の覚悟がいりますが、それがたまらなくいい! という感じ方もある訳です。 映像はモノクロで、所謂、人民裁判の光景が延々と続きます。裁判ですから罪状認否に始まり、証人喚問、被告の弁明まで延々とありますが、一方で、吊し上げ的糾弾会でもあることに対して、おそらくロズニツァは意識的です。 「粛清裁判」という、以前見た、ロズニツァの作品でソビエトロシアの裁判のドキュメンタリーと、ほぼ、同型の構成です。 映画は、キエフを占領していたナチスの軍人、まだ少年兵といっていい若い兵士もいますが、彼らが占領地の住民に対してやった所業が、一般に知られている絶滅収容所でのホロコーストにとどまらない、まあ、耳と目を疑うような「悪」であり、それに対して、告発する民衆の、素朴な「善」が対比されているかのように、裁判が物語られているとボクには見えましたが、とどのつまりは10数人の絞首刑が見世物化され、その、ありさまを、おそらく千人を超える群衆が喝采しながら見物しているというシーンで幕を閉じます。 裁判の始まりから、絞首刑の終わりまで記録として残されていたらしい映像が、みごとに編集され、実に、ロズニツァらしいドキュメンタリー映画になっていました。セリフや民衆のざわめきを音として加えることで、歴史的実況中継として、ドラマ化されているところが、この監督の手法です。実に、うまいものです。 しかし、見終えて、ほとほと、疲れました。個人的は思い込みかもしれませんが、この作品がボクの胸中に呼び起こしたのは、直接的には、ロープに吊るされた死体を、断末魔の引きつり姿まで丹念に映像化した1946年当時のカメラマンの胸中にある「善」=「正義」、あるいは、実直な「服務」を支えていた「勤勉」に対する疑いでした。 確かにナチスによる想像を絶する所業は「悪」でしょう。しかし、この日、この場所で、彼ら一人一人を、この形で処刑することは、はたして「善」=「正義」でしょうか。 まあ、そういう、問いかけです。殺すな! そんな言葉も浮かんできました。奴は「???」だ、「???」は殺せ! 人間の歴史の中で繰り返し使われてきた論理です。日常的な法の中にあっても、まだ、この論理を越えることができない社会にわれわれは生きています。世界に目を向ければ、複数の戦争を、起こったことは仕方がない、それぞれに、それぞれの「正義」があるかのような、中立的客観性を装ったかのニュースが公共の名によって蔓延しています。殺すな!」ただちに「戦争行為」をやめよ! おそらく、それをいうためにロズニツァはこの映画を作ったと思いました。彼は、ナチは悪だけど、人民裁判は正義だというような楽観主義者ではありません。これは「殺すな!」を貫くための映画でした。まあ。それが、ボクの実感でした。 監督・脚本 セルゲイ・ロズニツァ編集 セルゲイ・ロズニツァ トマシュ・ボルスキ ダニエリュス・コカナウスキス2022年・106分・オランダ・ウクライナ合作原題「The Kiev Trial」2023・11・04・no135・元町映画館no211
2023.11.06
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クリスティアン・ムンジウ「ヨーロッパ新世紀」元町映画館 夜の7時から始まる「裸のランチ」を見ようというのが、この日の目論見だったのですが、それまでの時間をどうつぶそうか?という時間つぶしで見たのがこの作品でしたが、あえなくノック・アウトされてしまいました(笑)。 クリスティアン・ムンジウというルーマニアの監督の「ヨーロッパ新世紀」という映画です。見終えてウーンと唸りながらノック・ダウン!でした。繰り出されるパンチが凄かったですね。 原題は「R.M.N」というらしいのですが、日本では「MRI」と呼ばれている医療機器、音波だかで脳とか内臓とかの断層写真を撮る、あの機械のことですが、映画は「21世紀ヨーロッパ」の断層写真とでもいうべき構成です。 しかし、この映画が俊逸なのは、R.M.Nというローマ字が「ルーマニア」という、EUの中では、東ヨーロッパのはずれの田舎国家の頭文字になっていて、その中でもトランシルヴァニアという、ボクなんかは吸血鬼がらみでしか知らない地域がMRIで検査されているにもかかわらず、21世紀のヨーロッパ全体の、まあ、もう少し大げさに言えば世界全体の断層写真を提示していたと感じさせるところにあったと思いました。 父親がドイツの食肉処理工場に出稼ぎに行っていて、母と二人暮らしの少年が、学校の帰り道の山の中で「なにか」を見ておびえるシーンから映画は始まりました。「なににおびえたのだろう?」 上のチラシの少年です。名前はルディ、いい顔しているでしょう。 場所はあのトランシルヴァニアの森のなかです。少年が見たのは吸血鬼だったのでしょうかね? 映画の最後のシーンに、もう一度、画面が暗くてよくわかりませんでしたが、クマのような何かが出てきます。舞台になっているこの地域は野生のヒグマの生息数がヨーロッパでも有数の地域なのだそうです。映画の中にフランスから来た野生動物の保護活動をしている青年も出てきます。 ネタバレのようですが、この映画が差し出した難問は、最初と最後のシーンに「なにが出てきたのだろう?」 でした。これからご覧になる方で、ファーストシーンとラストシーンに「なにが出てきたのか」おわかりになったら、教えていただきたいぐらいのものです(笑)。 ここまで、いかにも意味不明の映画のような感想を書いていますが、にもかかわらず、じつは、すごい作品だと思いました。この作品は、グローバリズムに翻弄されている現代社会の負の局面を見事に映し出していると思いました。しかし、にもかかわらず、イヤだからこそでしょうね、見終えて、ぐったりします。 たとえば、この作品の字幕は3通りに色分けされています。配給会社ではなく、映画の編集上の工夫だと思いますが、映像の中ではルーマニア語、ハンガリー語、外国語(ドイツ・フランス・英語)の3通りの言葉による会話が飛び交うからです。 舞台はヨーロッパの田舎の町ですが、もともと、複数の母語を使用する多民族地域なのです。ことばが通じ合わない、だから、おそらく、日常的習慣や宗教意識、常識も異なっている他者の寄り集まりの社会なのです。その社会に、外国語である英語を使う新しい他者が流入してきます。アジアからの移民労働者です。すると、今まで、多様だったことが当たり前だったはずの住民たちの中に、不満なのか不安なのか、判然としませんが、何かがくすぶり始めます。 で、SNSという、いかにも火の廻りが早く、火の持ちのよさそうな導火線に火がつきます。人々の心の奥の火薬庫には、数え上げればきりがなさそうですが、「貧困」、「格差」、「地域主義」、「人種」、「家族制度」、「宗教意識」、(映画にはみんな出てきますよ)という不満と不安を掻き立てていたいらだちの種が山積みされています。どれに火がついても社会全体の崩壊を予感させる爆発物ですよね。 映画のクライマックスの一つは、火がついてしまったおじさんやおばさんたちが、新しい他者に、「汚い!」「バイキン!」「帰れ!」と声に出して叫び始めるシーンを見事に描いた町民集会でした。 まあ、このシーンを見るだけでも、近代的な常識であるはずの「人間の平等」、「個人の尊厳」といった、本来、根源的であったはずのモラルが戯言でしかなくなりつつある現代を実感できると思います。 グローバリズムという現代社会を象徴する概念がありますが、ようするに地域や歴史を超えて重層化する資本主義の圧力が辺境に向かう時、閉鎖的な社会に残存する前近代的心情の不安が燃え上がり、なりふりかまわぬ他者排斥=ヘイトが心のつながりを作り出し、貧しくはあるけれども、穏やかな田舎生活をしていたはずのおじさん、おばさん、おじいさんや、おばあさんたちに拡散していく展開は、まあ、悪夢でしたね。 しかし、そのシーンを終わらせるのが、現実の悲劇でした。少年の祖父であり、羊飼いだった老人が森の、最初の、あのあたりの木を選んで縊死するのです。この老人の死から、映画のラストまで、ワクワク、ドキドキしっぱなしなのですが、何が起こっているのか全く分からなかったですね(笑)。多分、自分勝手に見間違えているのでしょうね。しようがありませんね。 結局、少年が、映画の始まりで何を見たのかに答えるシーンはありませんでしたが、少年には励ましの拍手を贈りたいですね。 彼はきっと、自分が、これかから生きていく、すぐそこにある、近未来の世界の悪夢を見たにちがいないのですからね。まあ、見間違えでしょうけどね(笑)。 この夏「福田村事件」という映画が評判になりましたが、あの映画を見ながら、思わず「日本人同士なのに」とハラハラされた方には、是非、見てほしいと思いました。 近代社会がようやくのことでたどり着いたはずの、人間という概念の普遍性が喪われつつある現代社会のMRI画像は、一見の価値があると思いますよ(笑)。 まあ、しかし、疲れますし、話のディテールはよくわからないですけどね。監督・脚本 クリスティアン・ムンジウ撮影 トゥドル・ブラディミール・パンドゥル編集 ミルチェア・オルテアヌキャストマリン・グリゴーレ(マティアス)マクリーナ・バルラデアヌ(アナ)マーク・ブレニッシ(ルディ)ユディット・スターテ(シーラ)オルソレヤ・モルドバン(デーネシュ夫人)アンドレイ・フィンティ(パパ・オットー)2022年・127分・G・ルーマニア・フランス・ベルギー合作原題「R.M.N.」2023・10・24・no129・元町映画館no208 !
2023.11.02
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キム・セイン「同じ下着を着るふたりの女」元町映画館 韓国映画に対して、近くでやっていたら見ようかなという程度ですが、興味があります。なじみの元町映画館のチラシで韓国の、若い女性監督という映画が出てきたので、興味を惹かれましたが、「同じ下着を着るふたりの女」という題名に、ちょっとなあ・・・??? と、躊躇していたのですが、とことんの母娘バトルですよ!という映画館の知人の言葉につられていつもは敬遠する土曜でしたが出かけました。こんな題名の映画、土曜の午後でも大丈夫! まあ、そういう気分です。 まあ、そう思って、やって来てみると、上映終了後、市内の女子大生さんたちの韓国文化紹介のイベント開催とかで盛り上がっていて、ちょっと、焦りましたが、今日の映画の観客は案外少なくて、のんびり見ました。 見たのはキム・セイン監督の「同じ下着を着るふたりの女」です。 母と娘は何故こじれるか、というような題の本もありますが、父と息子も、やっぱりこじれますね(笑)。まあ、父と息子のの場合は、フロイトの昔から言われているのですが、最近、斎藤環あたりが話題にしている、母と娘の話とは、また違うかもしれません。 母と娘が同じ下着を共有しているという、パンツをはいたり脱いだりするシーンの描写から、話が始まりました。なんとなく、昔のポルノ映画のシーンのようで、バカバカしい気分でしたが、世の中的には、結構、興味津々の関係なのかもしれません。 で、最後は、娘が自分の下着を買いに行くという、まあ、めでたいのか、あほらしいのかわからない結末でした。 20歳を越えて、働いている娘と、どう見ても50歳は越えていそうなのですが、妙に若作りの母親が同居していて、下着を共有していることに、互いに引っ掛かりがないということは何故なのか、多分、そのあたりをくどくど考え始めると、依存とかいう言葉の世界にいくことになりそうで、少々、めんどくさいのですが、それを考えるのすっぱりやめてみていると、二人とも、案外、普通なんじゃないかという気がしましたね。 下のチラシのシーンですが、母親が乗っている車が、事故なのか故意なのかわからないふうに暴走して、「死ね!」とかいいながら、アクセルを踏んだのか踏まなかったのかは不明ですが、娘をはねるシーンがありましたが、まあ、そんなもんだろうという気がしました。親の子どもに対する、その場で燃え上がる「殺意」って、そんなに異常なのでしょうか? 幼い子供をほったらかして、遊び惚ける親のネグレクトも、常識の世界の方からは声高に異常性が叫ばれますが、そうなのでしょうかねえ。誰にでも、あるかもしれないことだと、まあ、ボクは思いますが。 映画の作り手も、多分、気付いていることなんでしょうが、まあ、ホントは難しいことなのですが、母親は母親で、母親を卒業するほかないし、娘は娘で、娘を卒業するほかないわけで、そのあたりを、もっともらしく解説したり、批判したりする風潮には、まあ、できるだけついていかないようにしようと思っているわけで、ボーっと見ていると、パンツは自分で買いに行けよな! まあ、そう思っていた、こっちの気分通りの結末だったので、ハイ、そうですね(笑) と見終えました。 まあ、それにしても、原題を見ると、ハングルの方は読めませんが、英語の方は「The Apartment with Two Women」というわけで、母と娘だけじゃなくて、娘と職場で同僚になるもう一人の女性との関係も重ねているようで、ようするに人と人の関係の話で、そんなに楽しいわけではないのですが、悪くなかったですね。 日本の小説家で宇佐見りんという人がいますが、彼女も「かか」とか、最近の「くるまの娘」とかいう作品で、母と娘、家族と娘の関係を描いていますが、要するに、自分のパンツは自分で買いに行くという所に立って、初めて「ふたりの女」、あるいは、それぞれの女になるということなのでしょうね。 親も子供も、互いに他者なわけですからね。監督・脚本 キム・セインキャストイム・ジホ(イジョン 娘)ヤン・マルボク(スギョン 母)チョン・ボラム(ムン・ソヒ 娘の同僚)ヤン・フンジュ2021年・139分・G・韓国原題「The Apartment with Two Women」「같은 속옷을 입는 두 여자」2023・10・28・no132・元町映画館no210!
2023.10.29
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デビッド・クローネンバーグ「裸のランチ」元町映画館 2022年の11月から観てきました。「12ヶ月のシネマリレー」、最終走者はデビッド・クローネンバーグ監督の「裸のランチ」でした。1991年の製作ですから、まあ、30年ほど前の映画です。いろんな評価があるのでしょうが、笑うしかありませんでしたね(笑)。 ウィリアム・バロウズの原作は、鮎川信夫訳で、たしか、早川文庫で読んだ記憶だけありますが、何も覚えていません。人間というのは、いや、ボクはかな、わからなかったことは忘れるのですね。 だいたい、主人公の仕事が害虫駆除業という、「なに、それ?」 に始まって、彼が仕事で使っている殺虫剤を「そんなこと、すんの?アカンで!」 としか言えないのですが、注射してラリッている女性、まあ、妻ですが、を、間違ってではあるのですが、撃ち殺してしまった結果、インターゾーンとかいう「どこ、そこ?」 に逃げていくのですが、男の本業は作家でしたといって意味わかります? 要するに、四六時中ラリッている作家が、ラリッているからこそ見えてくる、普通、妄想と呼ばれる真実を、小説として書いて、難解だからということで評判になって、日本語とかにも翻訳されたりして、そういうのってチョット興味あるとかいうタイプのもの好きが読んで、わかったふりするものだから、余計にうわさは広がってという作品を、妄想をそのまま、だって、そう書いてあるから、能う限り映像化して見せているという作品だなあという印象で、なんだか、妙に面白いのですが、結局、こちらは正気なわけですから、意味不明なんですよね(笑)。 荒唐無稽な展開の中で、上の写真のような、ギョッとするような登場人物(?)が現れたり、タイプライターがエイリアンのようなというか、まあ、そういうのは堪忍してほしいといいたいような、グロテスクな生き物に変身したり、一方で、ハッとするようなセリフ(もう、忘れちゃいましたけど)が飛び交ったり、まあ、大変でした(笑) 主役の作家役がピーター・ウェラーという、まあ、「ラリッている」からは程遠い、チョット「孤独のグルメ」のおニーさんに似ている顔立ちの人で笑えました。拍手! で、とどのつまりには、女性の体の中から(こう書いても意味不明でしょうが、知りたければ見ていただくほかありません)、一応、悪の親玉役のなんとか博士が出てきて、それが、あの、ロイ・シャイダーだったんで、これまた、大笑いでしたね。 好きだから作っているのか、好きなように作っているのか、意味不明もここまで行くと痛快ですが、「12ヶ月のシネマリレー」の企画の人も、まあ、勇気ありますね。これが映画だ! の、気合なのでしょうね(笑) 一応、12本、完走したシマクマ君に拍手!でした(笑)。監督・脚本 デビッド・クローネンバーグ原作 ウィリアム・S・バロウズ撮影 ピーター・サシツキー美術 キャロル・スピア衣装 デニース・クローネンバーグ編集 ロナルド・サンダース音楽 ハワード・ショアキャストピーター・ウェラージュディ・デイビスイアン・ホルムジュリアン・サンズロイ・シャイダー1991年・115分・PG12・イギリス・カナダ合作原題「Naked Lunch」2023・10・23-no130・元町映画館no209!
2023.10.27
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アモス・ウィー「縁路はるばる」元町映画館 実は、今日は2023年の10月21日(土)です。で、この映画は2023年の8月に見たんです。映画はアモス・ウィー監督の「縁路はるばる」でした。原題が「Far Far Away」ですから、まあ、ラブ・コメディ風なニュアンスでつけた邦題ということのようです。最新の香港映画だそうです。 で、香港って、香港島だけじゃなくて、そのあたり一帯の地域を指すんですですよね。そこまではボクでも知っていました。中国本土(?)から海を渡ってやってきたとかいうエピソードが語られる映画も見たような気がします。でもね、具体的にどんな島や大陸と陸続きの地域が、所謂、香港なのか、実は全くイメージできないわけです。で、この映画を見るとちんぷんかんぷんなわけでした(笑)。 黒ぶちメガネかなんか掛けていて、とてもじゃないけどモテそうもない青年が、まあ、IT方面には強いらしいのですが、複数の、何というか、かなり、いいなという感じの女性、(だから、仕事とか、社会観とか、自己意識とか、まあ、容姿とかも)の住んでいるところを訪ねる話なのでした。その結果、地理的にはかなり奥が深いというか、幅が広く「香港」をウロウロするわけで、なんとなく、あの香港!(みんなが行きたがる観光地という意味ではないほうね(笑))という思い込みだけあって、土地感覚がゼロの、意識過剰の老人はポカーンとしてしまうのでした。 で、まあ、それなら香港の観光案内、あるいは、若者の恋愛事情紹介映画かというと、たぶん違うんですね。 意識過剰老人だから、そういう所に反応するのかなとも思いますが、登場人物たちに、ここ「香港」が終の棲家という感覚が、どうもないというか、希薄なんです。実際に、カナダだったかに移住するとかいう話題も出てきますが、ノンポリの彼らの言動に、明日もここで続く生活を感じない後味なのでした。 それは、多分、たとえば日本の、よく知りませんが、今の若者の恋愛事情と、ちょっと違いますよね。「美しい日本」とかが無意識に前提されて、言う方も、言われる方も平気で「うちの嫁」とか言っているらしいことを考えると、この映画は、やはりあの香港! を描いていると思ったのです。頼りなさそうな青年が、自転車とかに乗ってウロウロする美しい香港の風景が、どこかで失われていく時を求めているような、まあ、そんな錯覚に浸ってしまったんですね。 しかし、老人が、この映画のどこで、そう感じた理由が定かじゃないのですよね。だから、まあ、感想が書けなかったのですが、とりあえず、この監督は注目ですヨ! 的な備忘録として書いておこうというので書きました。 わけわかんない話で、申し訳ありませんでした(笑)。監督 アモス・ウィー脚本 アモス・ウィーキャストカーキ・サムクリスタル・チョンシシリア・ソーレイチェル・リョンハンナ・チャンジェニファー・ユー2021年・96分・G・香港原題「Far Far Away」2023・08・01・no100・元町映画館no192!
2023.10.20
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チャオ・スーシュエ「草原に抱かれて」元町映画館 チラシと予告編を見てこれは見なくっちゃ! でやって来ました。元町映画館、朝一番です。映画はチャオ・スーシュエという若い女性監督の「草原に抱かれて」という、内モンゴル映画でした。 世界地図を広げると中国の北方にモンゴル高原が広がっていて、モンゴル共和国の外モンゴルと中華人民共和国の内モンゴルに分かれます。この作品は内モンゴル出身の監督によって、おそらく、内モンゴルのどこかに旅する母と子の物語でした。 内モンゴルの草原の風景をもう一度見たい! 映画館に来たボクの望みはそれだけでした。で、納得でした。40代のころに縁があって内モンゴル自治区の州都フフホトに出かける機会が何度かありました。出かけるたびに、現地でお世話になった方に案内していただいて「草原」に出かけることができましたが、そこで、ボクは、今までの人生のなかで最も遠くまで見える地平線を見たのでした。草原には羊がいて、小高い丘があって、その丘を歩いて越えると、また、まったく同じような丘があって、その、ズット向うにロシアやヨーロッパが地続きであることに胸が躍りました。 映画には、ボクが見たことのない湖も出てきますし、まっすぐな地平線も出てきます。街で老いて「草原の、あの木のある家にかえりたい!」と叫ぶ母を車に乗せ、サイドカーに乗せて青年は「あの風景の中」を走ります。もう、それで十分でした。 映画の始まりに、我を失った老母が長男夫婦と住んでいるアパートを飛び出し、その後を、いい年をした息子が追い、狭いアパートの一室を鉄格子で締め切った部屋に連れ戻すシーンが映ります。 危うく声をあげて泣くところでした。50年前、中学生だったボクの心の底に焼き付いて、忘れることができない、あの頃のわが家の風景が浮かんできたのです。 映画は、その老いた母を、馬頭琴を演奏し草原の歌をうたって人気歌手になっている弟が兄夫婦のアパートから連れ出し、草原の家、母の記憶にあるあの木を探して旅するロードムービーでした。 老母を鉄格子の部屋に閉じこめていた兄・長男が、別れに際して、母にすがって泣くシーンが、実は、一番心に残りました。 原題は「臍帯」、「へその緒」です。旅に出ても、油断すると徘徊を繰り返す母に手を焼いた弟が、母と自分を1本のロープで結わえるところに、その題の所以があると思いますが、本当は、モンゴルの大地と自然が大いなる母であって、そこを「帰る」場所だと信じている老婆とモンゴルの大地の関係をあらわしていたのだということに、深く納得した作品でした。 老いた母を演じ、湖を背景に美しく待って見せたバドマという女優さんに拍手!でした。それから、何といっても拍手!は撮影したツァオ・ユーと監督のチャオ・スーシュエという人ですね。ストーリーはシンプルですが、一つ一つのシーンがいいなあと思いました。拍手!監督 チャオ・スーシュエ製作 リウ・フイ フー・ジン脚本 チャオ・スーシュエ撮影 ツァオ・ユー音楽 ウルナ イデル キャストバドマ(母)イダー(アルス)2022年・96分・中国原題「臍帯 The Cord of Life」2023・10・16・no125・元町映画館no207!
2023.10.19
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メーサーロシュ・マールタ「アダプション/ある母と娘の記録」元町映画館 2023年、7月の初旬、元町映画館でやっていた<メーサーロシュ・マールタ監督特集 女性たちのささやかな革命>というプログラムの初日に「アダプション/ある母と娘の記録」という1975年に作られたハンガリーの映画を見ました。 中年の女性と、高校生くらいの少女の出会いと別れが描かれていました。高校生くらいの少女の名前はアンナ、親に見捨てられているようで、日本でいえば教護施設でしょうか、寄宿学校で暮らしているようです。その少女が校外学習、放課後の外出だかの機会に、中年の女性を訪ねます。恋人との逢瀬のための場所を探してのことのようです。 一方、中年の女性ですが、名前はカタ、木工工場の労働者で、一人暮らしです。夫とは死に別れたようで、妻子のある男性と付き合っています。子どもはいません。 で、カタはアンナを受け入れます。友情というより、母と娘、あるいは、保護者と少女、ひょっとしたら、女の女の感覚のようです。 邦訳の題名にあるとおり、「ある母と娘」の、それぞれの女性の孤独の記録でした。題名のカタカナの方の「アダプション」というのはビジネス用語としては「採用」とからしいですが、「養子縁組」という意味もあるようで、この映画ではそちらでしょうか? 映画の中で、カタはアンナに養女になることを求めますが、アンナが断ります。親から捨てられたアンナは、自らの存在の在り方を、同性で年上の理解者としていたわり、許してくれるカタを信頼し愛しますが、「親子」になることは拒否します。 カタの思いを考えれば、切ない拒絶ですが、理解できる気がしました。一方、アンナに拒絶されたカタは、あくまでも、子どものいる生活を手に入れるべく「アダプション」、養子縁組の機会を求めて奔走しますが、そのカタの執着がこの映画のわからないところでした。 見終えて帰って来て知ったことですが、1975年のベルリン映画祭で金熊賞の作品だったそうです。で、その年のベルリンの主演女優賞が「サンダカン八番娼館 望郷」の田中絹代だったと知ってナルホド!と、膝を打つ気分でした。 「サンダカン八番娼館 望郷」という映画は、熊井啓という男性の監督の作品ですが、学生だったボクが映画を見始めたころの傑作で、高度経済成長で浮かれ始めた「戦後社会」が見捨てていた、イヤ、今も見捨て続けている女性の姿を描いていたと思いますが、ルポライター役の栗原小巻が手渡したタオルに頬ずりする田中絹代の歓びのシーンと、帰国した故郷で、壁越しに漏れ聞こえる「カラユキさん帰り」に対するうわさを聞いた高橋洋子が風呂で溺れ死のうとするシーンは、50年近くたった今でも忘れられない作品です。 で、その映画が作られた同じ年に、ハンガリーで暮らしていた女性監督が、共産主義社会を生きる二人の女性を描いていて、同じコンペティションで評価を争っていたというのも驚きでしたが、今日のスクリーンに映って二人の女性(べレク・カティとビーグ・ジェンジェベール)と、50年前に見た二人の女性(田中絹代と高橋洋子)が、どこかで重なり合う印象が心に残りました。 田中絹代と高橋洋子は、同一人物を演じていたわけで、この映画のべレク・カティとビーグ・ジェンジェベールとは設定そのものが異なりますが、それぞれ、社会の中で生きる女性という映画の視点は共通していると思いました。 69歳の老人は1975年という、ある時代があったことをしみじみと振り返るのですが、あの時芽生えた「性」、ひいては、「生」をめぐる問題意識の芽は育ったのでしょうか。まあ、そんなことをフト考える発見でした。 べレク・カティとビーグ・ジェンジェベールという二人の女優さんとメーサーロシュ・マールタという監督に拍手!でした。 実は、この特集では、日程を勘違いしていて、この1本だけしか見ることができなかったのが、かえすがえすも残念でした。ボケけてますね(笑)。監督 メーサーロシュ・マールタ脚本メーサーロシュ・マールタヘルナーディ・ジュラ グルンワルスキ・フェレンツ撮影 コルタイ・ラヨシュキャストべレク・カティビーグ・ジェンジェベールフリード・ペーテルサボー・ラースロー1975年・88分・PG12・ハンガリー原題「Orokbefogadas」2023・07・08・no86・元町映画館no182!
2023.10.15
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ヴィム・ヴェンダース「ことの次第」元町映画館 12ヶ月のシネマリレーの11本目はヴィム・ヴェンダース監督の「ことの次第」でした。1982年ですから、ほぼ40年前の白黒映画でした。「ハメット」が1982年の製作で、「パリ、テキサス」が1984年ですから、まあ、そのころの作品ですね。 ボクは、昨年だったかに見なおした「ベルリン天使の詩」で爆睡したのをチッチキ夫人に糾弾される失態を犯して以来、この監督の映画は敬して遠ざけさせていただいているのですが、今回は「12ヶ月のシネマリレー」のライン・アップの1本ということで、やって来ました。はい、完敗でした!40年前に見ていたらなぁ・・・。 まあ、そういう負け惜しみに満ちた感想でした(笑)。 ポルトガルの海岸でアメリカのSF映画を撮っている映画撮影隊がいて、まず、意味不明のSFシーンが流れます。それから、撮影隊の話になって、実は、もう、フィルム代もないくらいに資金が底をついていて、金策しているはずのプロデューサーは逃げ出しているらしくて、音信不通で、チームを支えている老カメラマンは妻が危篤で、俳優の誰かと誰かはできていて、苦悩の監督は妻と愛し合っていて、隣の部屋では子役たちが聞き耳を立てていて、主演女優は西部劇論の本なんか読んでいて、俳優たちは夜昼なく飲んだくれ始めて、という、あれやこれやの現場の様子が約1時間続きます。 見ていて、かなり疲れます(笑)。 カット、カットのディテールは興味深いのですが、何が起こっていて、これから「映画」はどうなるのかわかりません。わからなさの中で、眠り込みもしないで座っいるとこんなセリフが聞こえてきました。「本当は物語なんてどこにもないのだ。」 まあ、本当はも少しシャレたセリフだったように思います。正確な記憶ではありませんが、登場人物の誰かが、そんなことを口走るのをきいて、ハッとしました。 思い浮かんだのは、まだ生きていた中上健二とかが、しきりに口にしていた「物語喪失論」、あるいは、「物語解体論」です。1980年代のブームです。 まあ、ボクなりの、多分、デタラメで勝ってな理解ですが、小説であろうが映画であろうが、一つ一つのプロットの連鎖を「物語」として文脈化、全体化するのは人間の勝手な妄想であって、「自然」の時間に「物語」なんてものは、もともとないのである、というわけですが、なぜか、一つのまとまりとして作品が出来上がってしまうと「物語」になってしまうのですね。で、見ている人は、それぞれの「物語」を読み取って納得するんです。要するに、自己満足に過ぎないということです。 この映画の後半は、金策のためにロサンゼルスにやって来た監督が、ようやくのことで、マフィアから逃げているプロデューサを探し出し、行き詰まりの解決法を互いに失っていることを確認し、別れる場面で、何者かに射殺されてしまいます。面白いのは二人共、誰が撃ったのかわらない銃弾で殺されるところですね。 映画製作費をめぐる、マフィアとの確執の「物語」をこの映画が描きたかったのであれば、このラストシーンは丸投げなのです。観客は延々と2時間、何を見ていたのか? 当時のシマクマ君は「物語論」の流行に夢中でしたが、もう忘れてしまいましたね。「あの頃見ていればなあ・・・」 まあ、そんなことを思いながら、完敗でいいや! という帰り道でした。最後まで負け惜しみですね(笑) 監督 ヴィム・ヴェンダース製作 クリス・ジーバニッヒ脚本 ビム・ベンダース撮影 アンリ・アルカン フレッド・マーフィ音楽 ルゲン・クニーパーキャストパトリック・ボーショー(フリッツ・監督)イザベル・ベンガルテン(アンナ・読書する女優)アレン・ガーフィールド(ゴードン・プロデューサー)サミュエル・フラー(ジョー)ロジャー・コーマン(弁護士)1982年・127分・PG12・/西ドイツ原題「Der Stand der Dinge」日本公開1983年11月2023・09・23・no117・元町映画館no205
2023.09.26
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ジョナサン・デミ「メルビンとハワード」元町映画館 ジョナサン・デミという監督の「メルビンとハワード」という作品を見ました。ジョン・カサヴェテスとセットの特集です。 スクリーンが暗くなると、いきなりオートバイで、砂漠ですかねえ、スクリーン全体も暗くてよくわからないんですが、道ではない薄暗い荒野を突っ走って、土手かなんかでジャンプして、二度目にはひっくり返るというシーンが映し出されました。なに?これ? 最後まで、このシーンの意味はわかりませんでしたが、オートバイで疾走していたのがハワード・ヒューズ(ジェイソン・ロバーツ)という、実在の大金持ちだったようです。 で、続いて画面に登場するのが牛乳配達のお兄さん、メルビン(ポール・ル・マット)くんで、彼が仕事帰りの軽トラックで、わき道に入って立ちションします。ことをすませて、車に帰ろうとして、道ばたにひっくり返っている瀕死の老人を見つけて、慌てて介抱して、車に乗せて、あれこれやり取りしながら家まで送るのですが、このシーンがいいですね。 なんだか、見るからに怪しげな老人の相手をしながら、突如、自作のフォークソングを歌いだす、まあ、こっちもかなり怪しげですが、明るい。そのお人好しでトンチキなメルビン君と、助けてくれたものの、その若者の、まあ、親切なんだか厚かましいんだかわからない、トンチキさに辟易しながらも、最後は一緒に歌ったり、運転させてくれと頼む、まあ、謎としかいいようのない、自称ハワード・ヒューズ老人との出会いと別れです。 で、この謎の老人は、映画には二度と現れません。あとは、金が入ったらはしゃぎたい、まあ、いわゆる単細胞で、おバカなメルビンくんの、妻には逃げられるわ、仕事は首になるわの波乱の日常生活映画でした。 とんちき夫のメルビンを捨てて、ストリッパーで稼ぐ妻リンダ(メアリー・スティーンバージェン)も、まあ、「チョットあんたねえ???」というタイプですが、ストリップ小屋までやって来て連れて帰ろうとするメルビンにほだされていったんは帰るのですが、やっぱりおバカな、なんというか、「愛」とか「やる気」とかはあるけれど「生活」がわかっていないメルビンに呆れて、再び出て行ってしまいます。 今はどうだか知りませんが、半世紀前の、映画とかでよく見かけた夢見る貧しいアメリカ! まあ、そういう感じです。80年代の空気です。 で、ダメ男のメルビンですが、妻のリンダに連れられて、一緒に出て行った娘が「ホントはパパと一緒がいい!」 といってくれるのが、ある意味、たった一つの救いのような人物です。「はい、いいやつなんです。ホント!」 とどのつまりは、最初に救った謎の老人が、まあ、ボクでも名前は知っている本物のハワード・ヒューズという大金持ちだったという展開で、彼の遺産相続人として、このおバカなメルビンが指名されていて、大騒ぎになるっていうオチなんです。裁判所とかに引っ張り出されて大変なんですが、実話ネタなのだそうです。 ええ、もちろん、遺産はもらえないんですよね(笑)。 考えてみれば、異様なまでに、もの哀しい話なのですが、なぜか後味はよかったですね。で、やっぱり、ボクはメルビンと娘に拍手!でした(笑)。監督 ジョナサン・デミ脚本 ボー・ゴールドマン製作 アート・リンソン ドン・フィリップスキャストジェイソン・ロバーズ(ハワード・ヒューズ:富豪)ポール・ル・マット(メルビン・デュマー:牛乳配達)メアリー・スティーンバージェン(リンダ:メルビンの妻)1980年・95分・アメリカ原題「Melvin and Howard」2023・09・12・no113・元町映画館no203
2023.09.25
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ジョン・カサヴェテス「ハズバンズ」元町映画館 ジョン・カサヴェテス監督の特集に通った2023年の8月でしたが、最後はもう一つの特集、「ジョン・カサヴェテス×ジョナサン・デミ」という特集でやっていた「ハズバンズ」という作品でした。1970年に作られた映画のようです。朝一番ではありません(笑)。 中年の男性4人の友情物語でした。まあ、それにしても、1970年代の男性たちの「女性観」にはあきれましたね。それぞれ仕事もあり、家庭も持っている3人の中年男、ハリー(ベン・ギャザラ)、ガス(ピーター・フォーク)、そしてアーチー(ジョン・カサヴェテス)が、突然亡くなった親友スチュワート(デイヴィッド・ローランズ)の葬儀に集まります。そこから始まったのが、酒場でのバカ騒ぎから、果ては、なんと、アメリカからロンドンにまで繰り出しての「女漁り(?)」の旅でした。親友を失った悲しみとか、人生が終わりに差し掛かっていることを実感した不安とか、まあ、いろいろあるんでしょうがねえ。なんで、そうなるの? 2023年に69歳の老人が、まあ、眉をひそめて、そういってしまうしかない展開が1970年なのでしょうかね。 面白いシーンは、しこたまあるのですが、男性の描き方には、1950年代、60年代の西部劇的なアメリカン・マッチョ(?)な空気が充満していて、まあ、だから、映画に登場する人物たちの「子供っぽさ」が面白いのですが、チョット、うんざりでしたね。 映画というメディアの大衆性を考えたり、ジョン・カサヴェテスという監督の面白さとかを評価したりする場合には、忘れてはならない作品だと思いましたね。 ちょっと余談ですが、ボクが大学に入ったのは1974年くらいだったと思いますが、全共闘が敗北したキャンパスには「~解放研究会」が跋扈(まあ、「跋扈」では言葉は、すこし大袈裟ですが)していた時代で、個々の学生の、学生ゆえの特権に加えて、普通だという無意識に付着した「差別性」が、かなり、ナイーブに問われた時代でした。「あんた、それは、~に対する差別ちゃうか?!」 まあ、そういう自他に対する問いかけが始まった時代だった気がしますが、そのころから、ほぼ、50年の歳月がたちました。「~」に代入すべき項目は増えたのですが、ある種マニュアル化が進行した結果でしょうか、現代の社会意識の愚劣さ(「ヨメが」とか口にするバカ男が充満しているでしょ)は、当時の比ではないと感じますが、この映画を見ながら、まあ、世の中というのは、あんまり進歩とかしないものだと、ちょっとアホらしくなりましたね(笑)。監督 ジョン・カサヴェテス脚本 ジョン・カサヴェテス音楽 スタンリー・ウィルソン撮影 ヴィクター・ケンパー編集 ピーター・タナーキャストベン・ギャザラ(ハリー)ピーター・フォーク(アーチー・ブラック)ジョン・カサヴェテス(ガス・デメトリ:歯科医)デイヴィッド・ローランズ(スチュワート:死亡)ジェニー・ラナカー(メアリー・タイナン: ガスがナンパした大柄の女性)ジェニー・リー・ライト(パール・ビリンガム :ハリーがナンパした女性)ノエル・カオ(ジュリー:アーチーの相手をした東洋人女性)ジョン・クラーズ(レッド)メタ・ショウ(アニー:ハリーの妻)レオラ - レオラ・ハーロウ(レオラ)1970年・142分・アメリカ原題「Husbands」2023・08・30・no111・元町映画館no201
2023.09.20
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イ・イルヒョン「復讐の記憶」元町映画館 予告もチラシも見ないで、韓国エンタメというだけで見ました。ドキドキ、ワクワク、最後のオチにはハッとしたり、思わず涙ぐんだり、納得でした。 同じレストランでアルバイト(?)するフレディという呼び名の、おそらく、80代の老人とジェイソンという20代半ばの青年が真っ赤なポルシェ で走り回り、順番に殺人を犯していく話でした。 フレディことハン・ピルジュ(イ・ソンミン)という、アルツハイマーと脳腫瘍を患っている80歳の老人が、自らの死を覚悟して決行する復讐・連続・殺人劇でした。まあ、ちょっと、こじつけ・ドタバタ・アクションなのですが、こういうのスキです(笑)。 老人の年齢設定が80歳ですから、1940年代の植民地時代から現代の大韓民国にいたる朝鮮現代史、具体的には大日本帝国による植民地統治、徴用という強制労働、従軍慰安婦、創氏改名と帝国陸軍への徴兵、戦後の軍事政権、ベトナム従軍なんかが、主人公の老人の消えかけている記憶を支える物語の背景ですが、スマホをいじりネットゲームに興じながら、アルバイトでポルシェの運転手を引き受け、いつの間にか相棒として事件に巻き込まれていくジェイソン(ナム・ジュヒョク)という20代の青年には、老人の背景の記憶は「知らない過去」だという設定が、この監督のセンスの良さだと思いました。 物語は60年以上も過去の世界での家族の悲劇の「記憶」が80年の人生の間に育てた復讐劇なのですが、のんきな青年をセットにすることで「現代」の実相を描くこと目論んでいるようで、それが実にうまくいっていると思いました。 で、老人が扱う凶器が26年式拳銃という関東軍の拳銃だというところがまた面白いですね。拳銃そのものは、ある種、オタクネタですが、最後の標的「キヨハラ」という人物の謎を解くカギにもなっていて、うまいものです。 まあ、現代の日韓両国で、過去の欺瞞を隠しながら大物化している「企業家」「親日学者」「日・韓の軍人」を標的にした連続暗殺計画を「真っ赤なポルシェ」というような、目立ちまくる大道具で描くところが「マンガ」なのですが、アルツハイマーの老人と生活苦の青年の二人組が乗り回すのがポルシェというのはエンタメとしては納得ですね(笑)。上手に面白がって映画を作っている印象ですね(笑)。 イ・ソンミンという役者さんは、初めて見るわけではありませんが、とても80歳には見えません。しかし、虚と実の両方を交互にあらわす表情がいいですね。一方、ナム・ジュヒョクさんは初めてですが、あっけらかんとしたアホぶりがとてもよくて、お二人に好感を持ちました。拍手!です。特に、ちょっと、元阪神の能見投手に似ているナム・ジュヒョクさんには、もう一度、拍手!です。イ・イルヒョンという監督も、面白いと思いました。拍手! 従軍慰安婦とかなかったことにしたがっている風潮がどこかの国にはありますが、上から目線の植民地宗主国感覚は、相手から見るとどう見えるかを忘れては笑いものだということがよくわかる映画でしたね。拍手!監督 イ・イルヒョン製作 ユン・ジョンビン脚本 イ・イルヒョン ユン・ジョンビン撮影 ユ・オク美術 チョン・ウンヨン衣装 チェ・ヨンヨン編集 キム・サンボム音楽 ファン・サンジュンキャストイ・ソンミン(ハン・ピルジュあるいはフレディ)ナム・ジュヒョク(ファン・インギュあるいはジェイソン)ソン・ヨンチャン(チョン・ベクジン富豪)ムン・チャンギル(ヤン・ソンイク教授)パク・ビョンホ(トウジョウ・ヒサシ帝国陸軍将校)パク・グニョン(キム・チドク韓国陸軍大将)チョン・マンシク(カン・ヨンシク刑事)ユン・ジェムン(キム・ムジン)2022年・128分・G・韓国原題「Remember」2023・09・15・no115・元町映画館no204
2023.09.18
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ジョン・カサヴェテス「こわれゆく女」元町映画館 朝一、元町映画館、「ジョン・カサヴェテス・レトロスペクティヴ リプリーズ」5本目です。1975年のカラー作品です。見たのは「こわれゆく女」でした。ノック・アウト!でした。 ジーナ・ローランズとピーター・フォークのお芝居というか演技が、まずスゴイ! カメラが撮って、モンタージュするということを全く感じさせません。迫真という言葉どうりですね。壊れそうな妻と、壊しそうな夫の絶妙のコンビネーションです。多分、監督もカメラマンも凄いんでしょうね。監督といえば、なんといっても結末が優れていると思いました。 ストリーも展開も違いますが、ほぼ、同時代に書かれた「死の棘」という島尾敏雄の小説を思い出しました。そして生活は続く!のです。 帰宅して、1975年当時の評価を調べました。当時のアカデミー賞の監督賞、主演女優賞にノミネートされていますが、受賞を逃しています。1975年、いったいどんな映画があったのか?それが気になりました。 で、納得というか、びっくり仰天でした。 まず、作品賞を取ったのが『ゴッドファーザー PART II』でした。ノミネートされていたのが『チャイナタウン』、『カンバセーション…盗聴…』、『レニー・ブルース』、『タワーリング・インフェルノ』だそうです。同じ年なんです! で、このボクが、それらをみんな、その当時に見ていて、ストーリーを覚えている作品ばかりです。 というわけで、ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』がノミネートされていた監督賞は、まあ、フランシス・フォード・コッポラですが、しかし、残りの作品と監督がボクにはスゴイ!としかいいようのない作品ばかりです。 ボブ・フォッシーが『レニー・ブルース』、ロマン・ポランスキーが『チャイナタウン』、そして、フランソワ・トリュフォーが『映画に愛をこめて アメリカの夜』を撮っているのです。 人によって、まあ、すきずきですが、ロマン・ポランスキーの「チャイナタウン」は、ボクの生涯ベスト10にかならず入る作品です。鼻をナイフで切り裂かれたジャック・ニコルソンと頭を吹っ飛ばされたフェイ・ダナウェイを見た興奮で、田舎から出て来た二十歳の青年が映画から離れられなくなった作品です。あんなに興奮したのは二十歳だったからかもしれませんが、あの時に見ていなかったら、この年になって映画館を徘徊するなんてことにはなっていなかったと思う作品です。 「レニー・ブルース」は、ボクにとってはダスティン・ホフマンのベストで、「アメリカの夜」は「映画とはインチキである」ことに唖然としてトリュフォーという名前を覚えた作品です。 主演男優賞が『ハリーとトント』のアート・カーニーで、競ったのが、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン、『オリエント急行殺人事件』のアルバート・フィニー、『ゴッドファーザー PART II』のアル・パチーノです。主演動物賞は猫のトントでしょうか?(笑) 主演女優賞は『こわれゆく女』のジーナ・ローランズといいたいところなのですが、競争相手にはフェイ・ダナウェイ、『愛しのクローディン』のダイアン・キャロル、『レニー・ブルース』のヴァレリー・ペリンといて、『アリスの恋』のエレン・バースティンの勝ちだったようです。 調べていて面白かったのは、男優さんはすぐに浮かぶのですが、女優さんが浮かばないことでした。もう一つは、上に書き上げた作品のほとんどは、その当時に見ていたのに、「こわれゆく女」は知らなかったことです。 まあ、こちらの理由は簡単です。この作品が日本で公開されたのが1993年だからですね。ボクが映画を観なかった20年の間のことだからですね。 なんだか、「こわれゆく女」の感想から離れましたが、メイベルとニックの夫婦を演じたジーナ・ローランズとピーターフォークに拍手!です。もちろん、その夫婦と家族を描いたカサヴェテスにも拍手!。それから、メイベルの姑を演じたキャサリン・カサヴェテスにも拍手!見事な鬼ぶりでした(笑)。監督 ジョン・カサヴェテス製作 サム・ショウ脚本 ジョン・カサヴェテス撮影 キャレブ・デシャネル ミッチ・ブレイト マイケル・フェリス編集 トム・コーンウェル美術 フェドン・パパマイケル音楽 ボー・ハーウッドキャストジーナ・ローランズ(メイベル:妻)ピーター・フォーク(ニック:夫)マシュー・カッセル(トニー:二人の息子)マシュー・ラボート(アンジェロ:二人の息子)クリスティーナ・グリサンティ(マリア:二人の娘)キャサリン・カサベテス(ニックの母)レディ・ローランズ(メイベルの母)1975年・147分・アメリカ原題「A Woman Under the Influence」日本初公開1993年2月
2023.09.06
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ジョン・カサヴェテス「フェイシズ」元町映画館 朝一、元町映画館、「ジョン・カサヴェテス・レトロスペクティヴ リプリーズ」4本目です。見たのは「フェイシズ」です。1968年制作ですから、初期のモノクロ映画です。「フェイシズ」ってなんやねん? 見始めて、ようやくフェイスの複数形だと気づきました。顔、顔、顔、です! 見終えて思ったことですが、この映画でカサヴェテスがやろうとしていることは「顔」の持っている力の追求でした。 それも女性の顔の、だと思ったのですが、夫リチャード(ジョン・マーレイ)が切り出した離婚話の場面での妻マリア(リン・カーリン)の、セリフとは裏腹な顔、酔っぱらってはしゃいでいた客の男性が「一晩いくら?」と尋ねた瞬間の、娼婦ジェニー(ジーナ・ローランズ)の表情の変化、慣れない男漁りをしているマリアとその友人たちの困惑と怯え、どれもこれも、セリフではなくて顔で勝負! でした。 監督カサヴェテスが、これでもかとでもいうように、セリフではなく、まず、顔を差し出してくるところに、この監督の方法意識というか、映画に対する思想が凄まじい唸りを発して迫ってくる印象です。凄い! 映像に、どう語らせるか?この年になって見ているからかもしれませんが、息が詰まるような迫力でした。やっぱり、疲れました(笑) 見始めたときのお目当ては、上の写真の、若きジーナ・ロランズだったのですが、この映画はマリアを演じたリン・カーリンという女優さんに尽きると思いました。拍手!でした。 それにしても、ドラマに出てくる男性たちが、ホント、カス野郎ばかりなのはどういうわけなのでしょうかね?1960年代の、まあ、今でもそうかもしれませんが、アメリカの、まあ、日本でもそうですが、男性!ということなのでしょうかね(笑)。笑ってますが、笑えません。監督・脚本 ジョン・カサヴェテス撮影 アル・ルーバン編集 アル・ルーバン モーリス・マッケンドリー美術 フェドン・パパマイケル音楽 ジャック・アッカーマンキャストジョン・マーレイ(リチャード:夫)リン・カーリン(マリア:妻)ジーナ・ローランズ(ジェニー:娼婦)シーモア・カッセル(チェット:青年)1968年・130分・アメリカ原題「Faces」日本初公開1993年2月2023・08・25・no109・元町映画館no199
2023.09.03
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ジョン・カサヴェテス「ラブ・ストリームス」元町映画館 朝一、元町映画館通いの3本目は「ラブ・ストリームス」でした。1984年の作品だそうです。ウィキペディアによれば、カサヴェテスという人は1989年に肝硬変で亡くなったそうですが、この作品が、自分も俳優として出ている最後の1本のようです。 彼の役はロバートという作家で、結構、深刻な作品で有名らしいのですが、日常生活は、複数というか、さまざなというか、「ハぁー?」 というしかない女性との共同生活です。ベッドにも複数いますが、ほかの部屋にもいるようです。「ちゃんと使ったものは片付けろ!」 といううふうに、あっちの部屋、こっちの部屋で、若いおねーちゃんたちに怒鳴っています。 で、一方で、サラという中年の女性が中学生くらいな娘を連れて、離婚の調停かなんかのシーンです。亭主の浮気が原因のようですがよくわかりません。切れまくってますね。やがて、娘が「パパと暮らす」とかなんとかの展開になって、ブチ切れです。 画面の展開を見ていて、女狂い(?)のロバートと、離婚訴訟ブチ切れのサラという二人の登場人物、二つのお話が、いったいどういう筋立てでつながっているのか、このあたりではわかりません。 「ラブ・ストリーム」という言葉はサラの口から、割合、早く出て来てはいたと思うのですが、なんのこっちゃ?! という感じでした。 ところが、夫からも娘からも見捨てられて、山盛りのトランクのヨーロッパの旅行先から、サラが電話しているのがなんとロバートなのでした。二人は姉さんと弟なのです。エッ?そうなの? ようやく、映画の輪郭が見えてきました。鍵言葉はきっと「ラブ!」、「愛」ですね。 カサヴェテス特集、3本づつけて朝通いしたご利益です。ただのストリームで終わるはずがありません。愛をめぐって渦巻きストリーム、a swirling streamという展開にきまっています。 で、予想通り、ハチャメチャな展開から結末に突入です。「いや、おばちゃん、それで、あんた、どうすんねん!?」 で、嵐の中、やって来た時と同じように、トランクの山を車に積んで弟ロバートの家を出ていく、サラことジーナ・ローランズの姿を見ながら、このド迫力女優が、あの「グロリア」の、あの、おばちゃんだということにようやく気付いたのでした(笑)。 好きか嫌いかわからんようなことを「オープニング・ナイト」の感想で書きましたが、あのおばちゃんなら「大好き!」 なんですよね(笑)。拍手!拍手!です。 まあ、しかし、それにしても疲れますね。なんででしょうね(笑)。 監督 ジョン・カサヴェテス原作戯曲 テッド・アラン脚本 テッド・アラン ジョン・カサヴェテス撮影 アル・ルーバン編集 ジョージ・ビラセノール音楽 ボー・ハーウッドキャストジョン・カサベテス(ロバート:弟・作家)ジーナ・ローランズ(サラ:姉)ダイアン・アボット(スーザン)シーモア・カッセル(ジャック:サラの夫 )マーガレット・アボット(マーガレット)1984年・141分・アメリカ原題「Love Streams」日本初公開1987年10月2023・08・24・no108・元町映画館no198
2023.09.02
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ペーター・ハントケ「左ききの女」元町映画館「12ヶ月のシネマリレー」の10本目です。このシリーズは、なかなか、渋い作品ぞろいなのですが、なんというか、まあ、チョー、シブイ! 作品でした。 見たのはペーター・ハントケ監督の「左ききの女」です。1978年の映画だそうです。 ペーター・ハントケという人がビム・ベンダースの「ベルリン・天使の詩」の脚本家であることくらいは、まあ、知っていましたが、小説家で映画も撮っていらっしゃることは忘れていました。ノーベル賞作家ですよね。 鉄道の駅のシーンから始まって、同じ駅のシーンで終わりました。実は、このシーンが妙に印象的なのですが、映画の筋立てと何の関係があるのかわかりませんでした(笑)。3月から5月までの3カ月ほどの出来事ですが、何も起きません。立派な家に8歳の子どもと、やり手(?)の夫と暮らしていた妻が夫を追い出す話です。 夫に、夫婦生活を解消しなければならない、これといった過失があるわけではなさそうですし、妻にも、これといった理由があるわけではありません。しかし、夫は妻の提案に従い出ていきます。夫には妻に対する腹立ちはありますが、気遣いも、また、あります。妻は、小学生の息子と二人暮らしをはじめます。生活のために始めたのは翻訳です。で、旧知の編集者とかが登場しますが、何も起こりません。子どもは母親とだけの生活に、これといって反抗したりするわけではありませんが、父親の不在は少し寂しそうです。 何を見ていればいいのかわからないので、とても眠いのですが主人公の一人ぼっちの生活の姿はフェルメールの絵のようで、時々、ハッとさせられます。 最後に、妻の老いた父親と出会って会話します。謎が解かれるわけではありませんが、「まだ書いているの?」 という娘の問いかけに父親がうなづくシーンがありました。 勝手な得心ですが、主人公のこの女性が、まあ、翻訳ということもそうですが、何かを書くという生活 に親和性のある思考の人だということを感じました。夫に対しても、子どもに対しても、自分は自分で一人であることを求めている、それは「自立」というよりも「孤独」を求めるといった方がいいんじゃないかという、チョット、共感に似た納得でした。 いかにも、1970年代後期の空気を感じさせる作品でした。チッチキ夫人とかが見ると、妙に納得してヤバいんじゃないかという気がしましたね(笑)。 主人公の女性を演じていたエディット・クレバーという女優さんは知りませんでしたが、ブルーノ・ガンツとか最近、メグレ役で見たジェラール・ドパルデューとか、ベンダースの「都会のアリス」のリュディガー・フォグラーとか出てきて「おっ!」 とか思うのですが、ブルーノ・ガンツは、まあ、夫ですが、残りの二人は、その場面のそこで何をしているのかよくわからないところが不思議な映画でした。 まあ、筋立てとかはよくわかりませんでしたが、父親役をやっていたハンス・シェーラーという人がよかったですね。拍手! それから、この映画はカメラマンのロビー・ミューラーという人ですね。随所に、印象深いショットがあって感心しました。拍手!監督 ペーター・ハントケ製作 ビム・ベンダース原作 ペーター・ハントケ脚本 ペーター・ハントケ撮影 ロビー・ミューラーキャストエディット・クレバー(マリアンヌ:妻)ブルーノ・ガンツ(ブルーノ:夫)マルクス・ミューライゼン(シュテファン:息子・8歳リュディガー・フォグラーアンゲラ・ビンクラージェラール・ドパルデューベルンハルト・ビッキハンス・ジシュラー1978年・114分・G・西ドイツ原題「Die linkshandige Frau」2023・08・31・no112・元町映画館no202
2023.09.01
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