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今日はヤカモチの誕生日。 養老2年(718年)生まれのヤカモチは満1304歳になりました。 当ブログでは、一定の決まったテーマの記事を書くと決めている日というのがある。1月1日と12月31日がそれ。 当ブログの誕生日である4月29日もそうである。 そして、ヤカモチの誕生日である1月29日もその一つ。 この日は「ヤカモチ〇〇歳」の記事を書き、プロフィールの年齢を一つ多い数字に書き換えるというのがお決まりの仕事である。 ブログの更新を怠っているうちにまた一つ年を取りましたが、1304歳最初の記事を以って、8日ぶりの記事更新とします。(群雀) 上の写真は一部を拡大表示したもの。 元の写真は下掲のものです。(同上)(同上) 今月14日に花園中央公園にて撮影したふくらスズメの群れです。 この時期の雀はみな、ふっくらとしている。コロナ禍を なんのへちまと 雀らは 群れて騒ぎて ふくれてありぬ (雀家持) 人間社会はオミクロン株による感染爆発、コロナ第6波のさ中にありますが、雀社会はコロナ何処吹く風にて、仲良く群れています。 一斉に草地に舞い降りては、草の種など地にこぼれている何かをついばみ、また一斉に飛び立ってこの木の枝にとまる。これを何度も繰り返している。雀らの新年会でもあるか。 さて、新年会と言えば、本来ならば、今日は若草読書会の新年会の日であったのでした。 二年ぶりに新年会を開催するという案内メールを発信したのは、昨年の11月6日のことでありました。 感染者数の激減で、若草読書会もそろそろ再開してもいいのではないかと思っての案内でありましたが、その頃の世の中一般の雰囲気はそんな感じであったかと思います。 ところが、年が明けると状況は一変。 爆発的な感染拡大。昨日の大阪府の新規感染者数もついに1万人を超えるに至りました。 オミクロン株は感染力が強いということであったが、かくまでとはであります。 まあ、重症化率は低いということで、余り恐れすぎるのもいかがなものかという気がしないではないものの、高齢者は重症化リスクが高いというから油断はできない。超高齢者1304歳のヤカモチなんぞは即重症化であろうか(笑)。 そんなことで、高齢者集団の若草読書会ですから、新年会は中止することとし、1月13日に中止する旨のメールを発しました。 一昨日、1月27日には、来月の囲碁例会は中止にするというメールが届きました。2月は休会、3月以降についてはコロナの感染状況を見て追って決めるとのこと。ようやく昨年秋から再開した囲碁例会でありましたが、再び当面中止となりました。 2020年、2021年とコロナに引きずり回されての2年間でウンザリでありましたが、今年もこれがまた続くのであるか。うだうだと 生きながらへて 雀らの 群れるを羨(とも)しと 言ふにあらねど (雀家持)(本歌)うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば (大伴家持 万葉集巻19-4292)<参考>関連過去記事〇1303歳になりました。 2021.1.29.〇1302歳になりました。 2020.1.29.〇1301歳になりました。 2019.1.29.〇1300歳になりました 2018.1.29.〇1299歳になりました・若草読書会新年会 2017.1.29.〇1298歳です 2016.1.29.〇1297歳になりました。 2015.1.30.〇1296歳になりました。 2014.1.29.〇ヤカモチ1295歳・健人会の新年会 2013.1.29.〇偐万葉・ひろろ篇(その3) 2010.1.29. 急激な感染拡大で再び医療のひっ迫が懸念されていますが、そうなるとコロナに限らず他の病気でも適切・適宜な治療が受けられなくなりますから、皆さんもどうぞ健康管理には十分にご留意されますように。
2022.01.29
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一昨日(19日)は健人会の新年会でありました。 健人会の新年会は一昨年(2020年1月22日)以来のこととなる。 コロナ禍で中止となっていて、皆さんと顔を合わせるのは2年ぶりということになる。 世話役の草麻呂氏から「コロナ感染がやや落ち着いた状態となりましたことを受け会員の中から、新年会開催の要望が出てまいりました。」として、新年会の案内メールを頂戴したのが昨年の11月25日のこと。 この頃はそんな空気であったので、迷わずに出席する旨を返事。 ところが、年明け後オミクロン株による感染急拡大で状況は一変。 再度、出欠の可否を問うメールが入り、どうするか迷ったが、出席することとしたもの。 今回は18名への案内で、出席者は、杉〇氏、只麻呂氏、平〇氏、岡〇氏、徳〇氏、森〇氏、竹〇氏、正〇氏、生〇氏、北〇氏、平〇J氏、草麻呂氏にヤカモチの13名、鯨麻呂氏、木〇氏、今〇氏、川〇氏、〇庭氏の5名は欠席。 新年会は、夜の時間帯に大阪市内の店で、というのがこれまでの通例であったが、今回は、コロナのことも配慮して、夏の納涼昼食会の恒例の場所となっている石山寺近くの料亭・新月での昼食会という形で開催。 新月での昼食会の場合は、愛車の軽量折りたたみ自転車・トレンクル持参で参加し、その前後を銀輪散歩にあてるというのがヤカモチの習慣になっているが、今回はトレンクルは持参せずの参加でありました。 料亭の送迎バスがJR・石山駅前北口広場11時35分発車という案内であったので、それに間に合うように家を出る。 石山駅到着が11時13分。一つ早い電車での到着でありました(当初予定の電車は11時28分着)。 直接に料亭に出向く人2名を除き、全員集合したので、マイクロバスに乗り込む。(瀬田の唐橋の前を過ぎて・・) 会場の料亭・新月は、瀬田川沿い、京阪電車・石山寺駅から石山寺方向に少し行ったところにある。(京懐石・新月)(新月の前から琵琶湖方向<北方面>を望む)(同上・石山寺方向<南方面>を望む) 検温、アルコール消毒を済ませて部屋へ。12時開会。(健人会新年会) 世話役の草麻呂氏の挨拶と昨年暮れに急逝された田〇氏への献杯で開会となりました。<参考>友人の訃報 2021.12.26. 話をする時はマスク着用、互いに酌をしたりはしない、時々窓を開けて換気をするなど感染対策に気を付けての宴会でありましたが、そんなに厳密には守れないのが酒席というもの。やがては・・でありましたが、いつもよりは静かな宴会であったかと。 それはさて置き、どなたともヤカモチは2年ぶりの再会で、懐かしく、楽しく、愉快。 こういう集まりは久々のことであり、まことに心地よい時間を過ごすことができたのでありました。 換気の折に窓の外を眺めると瀬田川。(瀬田川) 左が上流で琵琶湖から流れ出し、右が下流で、京都府に入った何処かで宇治川と名前を変え、石清水八幡宮付近で木津川、桂川と合流して淀川となって大阪湾に注ぐ。 以前、瀬田川沿いを宇治まで銀輪散歩したことがあるので、その記事を参考までに貼り付けて置きます。<参考>瀬田川・宇治川銀輪散歩(獺の祭見て来よ瀬田の奥) 2014.3.12.瀬田川・宇治川銀輪散歩(わが庵は都のたつみ) 2014.3.13.瀬田川・宇治川銀輪散歩(もののふの八十宇治川の) 2014.3.14.瀬田川・宇治川銀輪散歩(秋の野のみ草刈り葺き) 2014.3.15. 獺の祭見て来よ瀬田のおく (芭蕉) と芭蕉が詠んだ瀬田川である。 七十二候の一つが「獺祭魚」で、1月16日から20日までの5日間がこれに当たる。まあ、旧暦の日付であるから、現在の暦の日付では2月半ば頃の5日間ということになるが、それを敢えて無視して日付の表面だけの一致に着目すれば、1月19日のこの日に、獺祭の候の句を取り上げても、的外れということにはならないだろう(笑)。 カワウソは獲った魚を岸に並べる習性があり、それを祖先の祀りに見なして「獺の祭」と呼んだ。 瀬田川はこの奥(下流)、南郷洗堰の先の黒津で大戸川(別名:田上川、信楽川)を合流している。その付近のことを「瀬田のおく」と言っているのであるか。それとも大戸川の上流の甲賀山中のことを言っているのか。 この句は、元禄3年芭蕉47歳の作。「膳所へ行く人に」という前詞に続けてこの句がある。 膳所から伊賀まで芭蕉を訪ねて来た門下の俳人、浜田(治助)洒堂が膳所に帰るに際して、彼への餞別として、彼の帰路のことを思いやって詠んだ句と考えられている。 伊賀から御斎(おとぎ)越えで膳所に帰るとすると、御斎峠から信楽に入り、大戸川上流に出て、田上盆地を経て瀬田川に出るというコースになるか。 句の意味は「折しも獺祭の候である。瀬田の奥で獺の祭を見て行かれるがよろしかろう。」というもの。 目を左に転じると、遠く比良山系の山々が雪化粧した姿を見せていた。(雪化粧の比良の山々) 芭蕉のもとを辞した洒堂が、「瀬田のおく」で「獺の祭」を目にしたかどうかはともかく、この付近まで帰って来て、雪化粧した比良の山々を目にしたことは大いにあり得るかと。膳所はここからはもう目と鼻の先なのである。 獺の祭のあとの比良の雪 (偐洒堂) 午後3時過ぎ、お開き。そろそろ帰宅である。 二次会をという人達ほかを残し、杉〇氏、只麻呂氏、草麻呂氏、竹〇氏、ヤカモチの5名は送迎のバスでJR石山駅へ。 家路が反対方向の草麻呂氏と只麻呂氏とは石山駅で別れ、杉〇氏と竹〇氏とは京都駅で別れ、大和西大寺駅経由で枚岡駅到着午後5時過ぎ。 あべのハルカスの方角に真っ赤な夕日が沈もうとしているところでありました。 昨日(20日)、草麻呂氏から、今後の予定として次のようなメールが入っていました。健人会はまたしばらくは休眠か。 4月上旬の水曜日(桜の時期)<ただし、今年度の開催は難しいかも> 11月上旬の水曜日(紅葉の時期)<新月にて昼食会> 今後の懇親会は、これまでとは異なり、4月と11月に開催とのこと。 また会う日まで、皆々、お元気であれ。<参考>健人会関連の過去記事はコチラ。
2022.01.21
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今日(19日)は、健人会の新年会で大津市の石山まで出かけていましたが、そのことは、追って記事アップすることとし、友人・岬麻呂氏からの旅便りが昨日届きましたので、先ずはこれをアップします。 岬麻呂氏の今年の初旅は与那国島でありました。 正確には、与那国島、石垣島、竹富島の旅。 与那国島が主たる目的地で、アイランドホテル与那国に宿泊する予定で計画されていたのだろうと思いますが、同ホテルがコロナ禍で休業中ということで、石垣島のホテルに3連泊して、与那国島へは石垣島からの日帰り旅とするという形に変更されたようです。詳しくは下掲の「旅・岬巡り報告285」をご参照ください。(旅・岬巡り報告285 与那国島、石垣島)※写真画像をクリックするとフォト蔵の大きいサイズの画像が別窓で開きますので、それでお読みいただくと、読みやすいかと存じます。 なお、この場合、フォト蔵画面を覆う形でCM画像が現出する場合があります。当該CM画像の左上または右下に表示される×印をクリックしていただくとCM画像が消えて、正常な画面となります。(同上・写真説明) では、以下、旅程に従い、同氏から送っていただいた写真をご紹介申し上げます。1月11日関西空港→石垣空港→観音崎灯台→川平湾→南の美ら花ホテルミヤヒラ(3連泊) この日は「風雨強く」と書かれていますが、お天気には恵まれなかったようで、送っていただいた写真は2枚だけ。(トックリキワタ) 宮良川畔に咲いていたトックリキワタ。 岬麻呂氏からのメールに付された説明では「前回11月には咲いていず、今回時季外れに咲いていました」とありましたが、万葉ではこういうのを「ときじくに咲く」と言います。 季節外れに咲くトックリキワタはビックリキワタとも言う、というのは偐万葉での話でありますので、軽く聞き流してください。(川平湾) 浜に黒い帯状になっているのは、例の軽石であります。 「軽石が押し寄せ、景観見る影なし」(岬麻呂評)1月12日石垣空港→与那国空港→久部良港・海底遺跡観光船乗船→西崎灯台→ナーマ浜→ダンヌ浜→ティンダバナ→ナンダ浜・祖納港→軍艦岩→立神岩→「Dr.͡コトーの島」診療所(比川集落)→アヤミハビル館→西條実社長ご夫妻と歓談→与那国空港→石垣空港(与那国島・西崎の西埼灯台<機中から撮影>) 石垣空港から与那国空港までは飛行機で25分。 上の写真は、着陸前の機中から撮影されたもの。 与那国島は、日本国土最西端の島、その島の西端にある岬が西崎であるから、ここが我が国の最西端の地ということになる。(海底遺跡) この海底遺跡については、人工物説と自然物説の二説に見解が分かれているらしいが、琉球大学の研究では、人工物が海底に沈んだと推定される部分も発見されているとのこと。(西崎と西埼灯台) 岬は西崎(いりざき)で、灯台は西埼(いりさき)灯台と表記するようです。 上の写真は、海底遺跡観光船の船上から撮影されたものとのこと。(同上) 灯台直下の岩礁の写真がこれです。(同上・灯台直下の岩礁) ナーマ浜にも軽石の黒い帯が・・。(ナーマ浜)(ダンヌ浜)(ティンダバナ展望台から祖納集落を望む)(祖納港とティンダバナ) 背後の崖がティンダバナ(鼻)。 崖の中段が抉れている場所が展望台になっているとのこと。 左の船は、廃船になった海底遺跡観光船だそうです。(祖納港の水路)(軍艦岩) 潜水艦のような形の岩。(与那国馬) 東崎牧場の与那国馬。(立神岩) 立神岩の奥の岬の下の岩礁付近が海底遺跡景観ポイントだそうです。(東崎と東埼灯台) 東崎(あがりざき)と東埼(あがりさき)灯台は、西崎の場合と同様。(Dr.コトーの島診療所) テレビドラマ「Dr.コトーの島」の診療所だそうですが、そのドラマのことは存じ上げないので、ノーコメントです(笑)。 アヤミハビルとは日本最大の蛾ヨナグニサンの地元での呼称らしいが、与那国島には、アヤミハビル館という蝶・蛾の標本展示館があるらしい。 同館の営業は16時までのところ、岬麻呂氏の同館到着はその閉館時間直後の到着で、入館は果たせなかったとのこと。 こういうことは、ままあるもので、ヤカモチも以前、三輪山登拝すべく出向いたら、タッチの差で登拝受付時間が過ぎていて、空振りとなったことがあったり、兵庫県の五色塚古墳見学でも同様のことがあったりしたことなどを思い出しました。(西條実氏の蝶の標本) いきなり蝶の標本ですが、これは西條実氏所蔵のもの。 度々の与那国島訪問で、岬麻呂氏は与那国ホンダの社長の西條実氏と親しくなられたようです。同氏はレンタカーの事業も兼業されているとのことですから、最初のお付き合いはレンタカー会社の社長と客という形で始まったのだろうと推察しますが、同氏のご出身地が大阪府高石市、岬麻呂氏の住所地が隣の堺市ということなどもあって、親交が進み、友達付き合いに発展したのだろうと思われます。 岬麻呂氏は「西條さんご夫妻にお目にかかるのも旅の目的」と書いて居られます。 それはさて置き、同氏は蝶の捕獲・蒐集・保護活動などにもご熱心で、ご自身で捕獲されたヨナグニサンを前述のアヤミハビル館に寄贈されたほか、海外でもその活動をされているとのこと。 これらの標本は西條氏のお店で歓談された折に撮影されたものと思いますが、同氏のご自宅居間にも同氏のお店にもこのような標本が沢山展示されているのだそうです。 ヤカモチにも蝶好きの友人・蝶麻呂君というのが居るので、この写真を見て、彼の顔が思い浮かんだりもしました。(同上)1月13日石垣島→竹富島・観光水牛車→石垣島・御神埼灯台→バンナ公園 この日もお天気はイマイチだったようで、写真は竹富島の2枚だけであります。 「午後石垣に戻るが本降りの雨(岬麻呂氏)」とある。(竹富島の水牛車)(同上)1月14日バンナ公園(カエンボクを見に)→石垣空港→関西空港(カエンボク) 世界三大花木の一つ、カエンボク。 これはバンナ公園に咲いていたカエンボクの花。 今回これに気がつかれて、12日早朝、13日、14日と連日見に行かれたようですが、満開には至らず、未だ五分咲き程度で、帰阪の日を迎えてしまわれたのは、残念なことでした。 「満開時の咲きっぷりが見事だろうと想像。昼便で関空に戻る。」(岬麻呂氏)(同上) カエンボクの花は通常は「赤」であるが、オレンジ色の花をつける品種もあるようです。(同上・花がオレンジ色の品種) さて、最近は「マンホール症候群」の岬麻呂氏。今回も下掲のようなマンホール蓋の写真を送ってくださいました。(沖縄県八重山郡与那国町のマンホール・久部良地区) これは規格品タイプでしょうが、波を連想させるデザインです。(同上・祖納地区) 日本最西端の文字と西埼灯台、ヨナグニサン、与那国馬、カジキマグロなどが図柄になっているマンホールです。(同上・祖納地区<小型タイプ>) 同じ図柄の小型タイプ。(同上・比川地区) こちらも同じ図柄ですが、比川地区のもので、上掲のマンホールの「そない」のところが「ひがわ」になっている。 以上です。 参考までに、石垣島、竹富島、与那国島の位置関係が分かる地図を掲載して置きます。(参考地図)<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2022.01.19
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今年初めての囲碁例会。 一時小雪が舞う中でありましたが、自宅から梅田スカイビルまで今日も愛車のCB(クロスバイク)での銀輪散歩。いつものコース取りで大阪城公園を通り抜けて・・。(大阪城公園) 今日の写真は、スマホで撮影です。 デジカメで撮影しようとしたら、電池切れで作動せず、でありました。 梅田スカイビル到着は11時50分。 いつものカフェ・レストランで昼食&珈琲。(Lago di Cielo Parco) 最近は、この店で昼食ということが多いが、ラーゴ・ディ・チェーロ・パルコという店の名前がなかなか覚えられない。 いつの頃からか(多分、昨年の秋頃からか。)、ピアノの生演奏付きになった。上の写真の左端に写っているお嬢さんがそのピアニストである。 さて、囲碁の会場となっている5階の部屋に行くと、既に平〇氏が来て居られた。いつもはどちらかと言うと遅めにご来場の平〇氏であるが、今日は珍しく早いご来場で、既に碁盤がセットされている。 ということで、早速に同氏とお手合わせ。 対局中に、福麻呂氏、続いて村〇氏がご来場。やや遅れれて青〇氏がご来場。今日は5名出席でありました。 ヤカモチの初戦・対平〇戦は、中押し負け。続く対福麻呂戦も序盤の見落としで形勢を悪くし、中押し負けと連敗スタートとなりましたが、その後青〇氏、村〇氏との対局では逆に中押し勝ちで、結局2勝2敗。まあ、そこそこのスタートとなりました。<参考>囲碁関連過去記事は下記です。 囲碁関係(2008.5.7~2019.6.5.) 囲碁関係(2019.7月以降~)
2022.01.12
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マンホールの記事は、他の記事に比べると手間がかかります。 過去記事で同一市町村のマンホールが掲載されている場合は、その記事とリンクを貼るようにしているので、そのチェックを要すること、掲載マンホール数が増えるに従い、リンクする件数も必然的に増え、その分、手間が増すこと、などがその理由です。勿論、掲載写真点数も他の記事に比べて多いということも大きな理由です。 同じ図柄のマンホールは原則重ねての掲載はしないこととしていますが、掲載件数が増えると、掲載済みであることに気が付かず、重ねての掲載も発生してしまいます。 さて、本記事は、(その21)で掲載できなかった残り44点のマンホールを掲載します。(注)★は、岬麻呂氏提供のマンホールカードを撮影したもの。 ●は、岬麻呂氏撮影のもの。<参考>過去のマンホール関連記事はコチラ。フォト蔵マイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。1.那覇市 (●シーサーの図柄と●魚の図柄)※那覇市のマンホールは(その14)にも掲載。2.宮古島市(●サニツ浜とハイビスカスの図柄) (●旧平良町・トライアスロンとパントゥーンとクイチャーの図柄)(注)パントゥーンは、蔓草を身にまとった三体の神様(親、中、子)が集落にやって来て悪霊を祓うという島尻の伝統行事の神様、クイチャーは同じく島尻の踊り。(●旧平良町・農業用水導水路点検孔)(注)宮古島の地下ダムから伊良部島へ農業用水を送るための導水管が伊良部大橋に添って架けられている。伊良部大橋東詰め道路上で撮影。3.沖縄県八重山郡竹富町(●波照間の天文台と南十字星の図柄)4.金沢市(●規格品タイプ)5.輪島市 (御陣乗太鼓の図柄 ●モノクロ版と★カラー版)(★雪割草の図柄)(●朝市の図柄)(●輪島塗の図柄)(●消火栓・規格品タイプ)6.新潟市(日本海の波と夕日とカモメの図柄)(★旧新津市・花とみどりと石油の里の図柄)※新潟市のマンホールは(その4)(その5)(その6)(その8)(その15)(その20)にも掲載。7.新発田市 (桜とアヤメの図柄・★左、●右)(●同上・モノクロ版)(★新発田城と桜と菖蒲と月の図柄)※新発田市のマンホールは(その5)(その8)にも掲載。8.村上市 (鮭と村上城跡の図柄 ●モノクロ版と★カラー版) (旧荒川町・鮭とクロッカスの図柄 ●左、★右) (旧神林村・百合と稲穂の図柄 ●左、★右) (旧朝日村・ヒマワリの図柄 ●左、★右) (旧山北町・笹川流れの図柄 ●左、★右)(●同上・モノクロ版)9.胎内市(★旧中条町・チューリップの図柄)10.郡山市 (●旧湖南町・磐梯山、猪苗代湖、水芭蕉の図柄 右は小型タイプ)(★同上・カラー版) (●市の花・ハナカツミ、市の木・ヤマザクラ、市の鳥・カッコウの図柄)(★同上・カラー版)11.福島県耶麻郡北塩原村(●オオヤマザクラ、ミズバショウ、シジュウカラの図柄)12.福島県河沼郡湯川村(★ゆがわまいちゃんと米俵の図柄)13.いわき市(★塩屋埼灯台、クロマツ、カモメの図柄)14.南相馬市(★大悲山大蛇物語をモチーフにした図柄)15.相馬市(★相馬野馬追の出陣式の図柄)※相馬野馬追は神事であるため、踏まれることを回避して路上には設置せず、千客万来館に展示しているとのこと。こうなるともうマンホール蓋とは言えないから、この図柄をマンホール蓋のデザインに採用したセンスは疑問と言うほかない。16.宮城県宮城郡利府町(★新幹線の図柄)※利府町のマンホールは(その10)にも掲載。
2022.01.11
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本日はマンホールの記事です。 随分沢山のストック(全88点)がありますので、二回に分割して記事アップすることとします。今回も、その多くが友人の岬麻呂氏ご提供写真及び同氏ご提供のマンホールカードを撮影したものであります。それらは、既に「岬麻呂旅便り」の記事でご紹介していますので、重複掲載となりますが、ご容赦願います。(注)★は、岬麻呂氏提供のマンホールカードを撮影したもの。 ●は、岬麻呂氏撮影のもの。<参考>過去のマンホール関連記事はコチラ。フォト蔵マイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。1.北海道空知郡上富良野町(●ラベンダーの図柄)2.北海道空知郡中富良野町(●ラベンダーの図柄)3.釧路市 (●旧阿寒町・スズランの図柄、カラー版とモノクロ版) (●旧阿寒町・タンチョウとマリモの図柄、カラー版とモノクロ版)※上の図柄のマンホールは(その15)にも掲載。 (●旧阿寒町・阿寒湖観光船と桜<紅と白>)(●同上・モノクロ版)(●旧阿寒町・観光船とマリモの図柄)※上の図柄のマンホールは(その14)にも掲載。(●旧阿寒町・スズランの図柄)※上の図柄のマンホールは(その14)にも掲載。※釧路市のマンホールは(その13)にも掲載。4.北海道野付郡別海町(●打瀬船と北海シマエビの図柄)※別海町のマンホールは(その17)にも掲載。5.北海道目梨郡羅臼町(●規格品タイプ)6.北海道釧路郡釧路町(●フクロウとクシロハナシノブの図柄)7.北海道川上郡弟子屈町(●摩周湖の図柄)8.網走市(●規格品タイプ)9.北海道斜里郡斜里町(●規格品タイプ)(●ウトロ地区・ミズナラ、ハマナス、オジロワシ、ヒグマの図柄)10.その他北海道のマンホール(●北海道庁舎の図柄)(●国土交通省北海道開発局のマンホール)※北海道開発局のマンホールは(その17)にも掲載。11.豊中市(規格品タイプ)※豊中市のマンホールは(その8)(その11)にも掲載。12.寝屋川市(バラと桜の図柄)13.奈良市 (規格品タイプ2種 左のタイプは<その7及び15>に既出)※奈良市のマンホールは(その3)(その5)(その7)(その13)(その15)(その20)にも掲載。14.大分市 (★鰻、鮒、メダカ、蟹の図柄) (●同左)(●サザンカの図柄)15.杵築市 (★カブトガニの図柄) (●同左<モノクロ版>)16.臼杵市(●カボスとオランダ船リーフデ号の図柄)17.佐伯市(★佐伯城三の丸楼門と独歩の図柄) (●同上 右は小型タイプ)(●鯉の図柄)18.日田市(●鵜飼の図柄)19.大分県速見郡日出町(★HELLO KITTYと城下カレイの図柄)(●同上)20.延岡市(●旧北浦町・猿の図柄)21.宮崎県西臼杵郡高千穂町(●ポケモンの図柄)(●鳥居と太陽、高千穂の峰の図柄)22.沖縄県島尻郡久米島町(●久米島町の町名があるタイプ)(●同上・旧仲里村時代のもの)(●波の図柄)(●旧具志川村・五枝の松とクメジマボタルの図柄) 残り44点については、ページを改め(その22)で紹介します。
2022.01.10
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前ページの邂逅展の記事で触れた実の話です。 前庭の木にこんな実がいくつかなっていました。(この実なんの実) 何の実だろうと写真に撮りましたが、初めて目にする実にて、名前が分からない。 喫茶店の女性に庭まで出て来ていただいて、何の実かとお尋ねすると、「マメガキ(豆柿)だと聞いています。」との答え。 豆柿は、以前、5人組ウオークで木津方面を歩いた折に柿農家の庭先になっていたのを目にしているので、どうもそれとは違うな、という気がしたが、品種によってはこのようなのもあるのかも、ということで納得し、帰宅してから調べてみることとしました。(参考)豆柿の写真掲載の記事は下記です。 ※ー線部分は洒落ではありません(笑)。 夕々の会・葡萄柿 2017.11.18. 調べてみると、豆柿ではなく、ヒメガキ(姫柿)だと分かりました。 豆柿は別名を葡萄柿とも言うが、それに倣うなら姫柿は苺柿である。 カキノキ科カキノキ属ですから、柿には違いないようです。 別名というか、本来の名というか、そういうのがあって、それはロウヤガキ(老鴉柿、老爺柿)というのだそうな。ツクバネガキ(衝羽根柿)という別名を上げているサイトもありました。 中国浙江省原産の雌雄異株の植物で、結実するためには、雌株と雄株が近くにないといけないのだそうです。英語名はChinese persimmonというらしい。 もともとは浙江省の山奥に自生していてロウヤガキと呼ばれていたらしいから、本来の名はロウヤガキと言うべきかもしれない。 日本には、第二次大戦中に京都府立植物園の初代園長であった菊地秋雄氏によって持ち込まれたとのこと。 また、1985年に山口安久という人が中国からこの柿を導入し、観賞用園芸植物として、様々な新品種に改良して、多数の商品名(ブランド名)で売り出したことで、姫柿が普及したようです。 赤頭巾、赤とんぼ、朱筆、秋茜、吾妻紅など沢山の名が姫柿の品種としてそれぞれの写真と共に列挙されているサイトもありましたが、割愛です。 いずれにせよ、爺柿と姫柿とではイメージがまるで違う。 爺柿から姫柿という名になったのは、この植物にとって幸運なことであったと言うべきだろう。 まあ、上の写真の姿から言っても、爺柿よりも姫柿の方がこの実には似合いの名前ではある。それに、観賞用の実なら猶更で、お爺様よりお姫様がいいに決まっている。 隣では、割れザクロが大口を開けて大笑いしていましたので、ついでにこれも掲載です。 それにしても笑い過ぎ。こいつは、爺石榴かも知れない(笑)。(ザクロ)大口を 開けてな笑ひそ 過ぎたらば 爺といへども 容赦はせぬぞ (婆柿)(参考)花関連の過去記事は下記です。 花(4)・2020.4.~ 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2022.01.07
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昨日(5日)は、年末にご紹介した邂逅展に行って参りました。(参考)2022邂逅展の案内状届く 2021.12.30. 凡鬼・景郎女ご夫妻からのメールで5日午前中に邂逅展を見に行かれることを知ったので、ヤカモチもそれに合わせて出かけることとしたのでありました。 凡鬼さんへの返事メールでは「午前11時頃に現地到着で出向く」としていましたが、予定よりも早くに家を出たので、近鉄枚岡駅発9時39分、同奈良駅到着は10時8分。会場前到着が10時15分頃でした。(近鉄奈良線・枚岡駅) 近鉄奈良駅前で持参の折りたたみ自転車(トレンクル)を輪行バッグから取り出し、組み立てて出発。(会場の「アートスペース上三条」) はい、会場のアートスペース上三条に到着です。 1階右側が喫茶店で、店内にも作品の一部が展示されている。 展示スペースは二階。写真に写っている階段を上がります。 上の写真の左端に写っている小さな自転車がヤカモチの愛車・トレンクルであります(笑)。(会場入り口前) 家近健二氏の絵に迎えられて会場受付へ。 アルコール消毒、検温を済ませて入場。(会場風景1)(同上2・家近健二氏の作品)(同上3・新よし子氏と出村幸代氏の作品) ざっと見て、一階の喫茶店へ。 珈琲しながら、凡鬼・景郎女ご夫妻の到着を待つことにする。 10時40分になったので、喫茶店を出て、店の前の庭でタバコを一服。 前庭のザクロの木に実がなっていたので、これを撮影、その隣に名の知らぬ木があって、見慣れぬ実がなっていたので、これも撮影。 これらの写真は、別途ご紹介することとします。 通路から表通りに出て、そろそろ凡鬼さんたちがやって来る頃と三条通りの方角を見ていると、予想に反して背後から声。 道路向かいの率川神社に立ち寄ってから来られたようで、凡鬼・景郎女ご夫妻でした。 ご夫妻と再入場です。(同上4・近藤美代子氏の作品 墨彩画「月照昇華」) この作品は、この邂逅展の主宰者であったドイツ文学者・劇作家小倉正宏氏の劇作品「七条大宮月照白骨記」からのイメージ喚起により描かれたものであるらしく、下掲のような添え書きが付されていました。 小倉氏は、家近氏のお誘いで同氏らの或る集まりに参加し、万葉のお話をさせていただいたことがあり、その折に同氏と面識を得たこと、その後同氏からお手紙を頂戴したことがあるという程度の記憶しかないのであるが、昨年秋にご逝去された。 そんなことで同氏の著作を並べたコーナーも会場の一角に設営されていました。 凡鬼さんも上記の集まりのメンバーだったようで、小倉氏から何冊か著作の贈呈を受けたというようなお話でした。(同上5・故小倉正宏氏の著作展示コーナー) 同氏のお写真に添えられた言葉は家近健二氏によるもの。(家近健二氏・「邂逅」とは??)(同上6・谷口勇氏と三澤俊文氏の作品)(同上7・小林和弘氏の作品) 小林氏は会場に来て居られました。 昨年の邂逅展でお会いしているので、記憶しているお顔。 ヤカモチが店の前庭でタバコ休憩している時にやって来られたので、「おはようございます」と会釈しましたが、昨年もそうだったように、今年も会釈を交わしたのみでした。(同上8・木村静氏の作品) 以下は、会場で撮影したものではありませんが、「自由にお取りください」と会場に置かれていた、出品者の作品を印刷した葉書に掲載の絵画を、帰宅してから撮影したものであります。(北藪和氏「五次元空間」<鉛筆画>)(清水一意氏「Face」)(谷口勇氏「Work」)(三澤俊文氏「街の断片・望見」) 会場を出て、三条通り沿いのうどん屋さんで、凡鬼・景郎女ご夫妻と昼食とする。ご夫妻とは、昨年11月6日の問屋場亭以来であるから、それほど久しぶりという訳ではない。(参考)連日の問屋場亭訪問 2021.11.7. 昼食後、ご夫妻と別れて、ヤカモチは西へとトレンクルを走らせる。 何処へ走るということも決めていなかったが、このところご無沙汰している、中学時代の恩師井〇先生のお墓参りに行こうと思いつく。 恩師の墓は、富雄川沿いの霊山寺霊園にある。通常は富雄駅からか生駒駅から行くので、奈良駅前から行ったことはない。 どのような道で行くのが効率的なのかは知るところではないが、急ぐ必要もないので、西へと走って富雄川に出れば辿り着けるだろうと、西へと向かった次第。 途中、朱雀門にご挨拶。(朱雀門前) 秋篠川に出たところで、川沿いの自転車・歩行者専用道を南へ。 途中で、車が入って来たが、専用道と気づかずの進入だろうが、一般道との交差点に侵入防止の柵が設置されていないということは、車の進入もOKなんだろうか。 国道308号(旧道)を西へ。第二阪奈道路と交差する地点で、第二阪奈道沿いの側道を行く。(第二阪奈道沿いの道) 富雄川に出たが、霊山寺よりかなり南側・下流側に出てしまったよう。 川沿いに上流へと走る。 やがて、見覚えのある色塗りの橋が見えて来る。霊山寺前である。 霊園は左折して坂道を上った高い場所にある。 以前は、難なく漕いで上れた坂であるが、途中で息切れギブアップ、手押しで歩いて上る。(霊山寺東光院霊園本堂) 社務所で仏花を購入して墓へ。 急に思いついての墓参であるから線香は無しである。(霊山寺霊園)(井〇先生墓) 思えば、2019年5月の墓参以来であるから、2年半ぶりのことになる。 ボクはコロナ関係あらへんで、という恩師の声(笑)。コロナの所為でご無沙汰していました、という言い訳はしないで置きました。(参考)恩師17回忌・墓参 2019.5.19.(霊山寺霊園) 帰途は、富雄駅まで。 いつぞやは、自宅までトレンクルで帰ったことがあったが、今回ははそんな元気もなしでありました。 それでも、途中石切駅で下車。 自宅まで銀輪散歩でクールダウンであります(笑)。(参考)お墓参りが思わぬ大遠征に 2008.6.14. 墓参と銀輪行 2009.5.24. ※この日(2009年5月24日)もトレンクルで自宅まで帰ったのですが、この頃は写真掲載点数や掲載文字数の制限が厳しかったようで、尻切れトンボの記事になっていて、自宅まで自転車で帰ったことなどの記述はありません。
2022.01.06
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最近は1月2日に地元の三神社を散歩がてらにめぐるというのが恒例になっているが、今年も亦、その三社めぐりでありました。 今年は、家を出るのが、例年より遅くなったので、枚岡公園をカットしての短縮コースとなりました。 先ず、枚岡梅林経由で、枚岡神社へ。(枚岡梅林) 枚岡梅林は、2016年に園内の梅の木がプラムポックス・ウイルス(ウメ輪紋ウイルス)に感染していることが判明し、翌2017年1月に全ての梅の木が根こそぎ伐採除去されるという不幸に見舞われました。 4年が経過した昨年(2021年)1月に、新しい梅の若木が植樹され、梅林復活への歩みを開始しています。 まだ、ご覧のように小さな若木ばかりで、梅林と呼ぶのもはばかられる状況ですが、10年くらい経過すれば、少しはそれらしくなって来るのかもしれません。<参考>枚岡梅林の復活へ、植樹が始まっています。 2021.1.31. 枚岡梅林から枚岡神社に入る道は、言わば神社の裏口から入るようなものであるが、神社や寺へは裏口から入ることが多いヤカモチであるので、似合いの参拝ルートかもしれない。(枚岡神社・梅林側の鳥居) 裏口とあって鳥居もこじんまりとしている。 鳥居の右手に写っている井戸は、楠正行公首洗いの井戸と伝えられていて、その旨の標識板が立てられている。(枚岡神社・拝殿前) 拝殿前は、初詣の人の群れ。 ヤカモチがやって来たルートは参拝を済ませた人が、梅林へと抜けて帰る、言わば帰り道コースの一つであったことになる。 本来は、西側からの参道を進んで、下の写真に写っている正面石段を上って参拝するというのが正式な参拝ルートである。(同上・拝殿前の正面石段) 裏口から入って、正面の表門から出るというヤカモチ式参拝作法に従えば、この石段を下りて、正面鳥居から退出するということになるが、今回は裏の南東側鳥居から入り、北東側の「お勝手口」から出るという裏・裏コースであります。 北東側「お勝手口」から出ると、生駒山へのハイキングコースの道に出ることになる。例年だとこのハイキングコース道を辿って、枚岡公園を通り抜けて、石切神社へと言わば遠回り道を行くのであるが、今回はこの道を上ることはせず、神社駐車場脇を通って、正面鳥居(二の鳥居)前の道に出る。これを北に進んで、石切神社へと向かう。 途中で振り返ると、神社参拝の車が列をなしていて、大渋滞になっています。例年は前述の通り、枚岡公園経由の山側の道を行くので、このような参拝車両の列を目にすることはないので、毎年このような状況なのか、今年だけこのように混み合っているのかは存じ上げないが、車を交通整理する係の人が、遠く離れた地点まで配置されていることを見ると、例年こんな具合なんでしょう。(枚岡神社へと続く車の列。) 写真右手は近鉄奈良線。右手のガードは国道308号が右から左へと通っていて、暗峠越えで奈良へと抜ける旧道・奈良街道である。 このガードから右(西)方向にもずっと車の列が続いていましたから、この地点に交通整理をするガードマンを配置しないと、信号機はあるものの、この交差点でぐじゃぐじゃになりそうです。 額田駅手前で踏切を渡り、夫婦塚古墳、東石切公園、石切大仏へと進みますが、途中、とある民家の脇にこんな像がありました。<参考>夫婦塚古墳、東石切公園の写真掲載記事は下記。 石切・額田・瓢箪山近隣散歩(上) 2010.5.3.(これは何であるか?) 弓、矢を持ったワンちゃんであるか。 まあ、今回のウオークとは何の関係もありませんが、たまたま見かけてしまったので、パチリでありました。 石切神社も本来の参道を避けて、一つ北側の坂道を下る。 人ごみを避けてという作戦であります。 ということで、石切神社も裏口からの入場。 今回、裏道を辿っていて気が付いたのは、かつて厩舎があって白馬が飼われていた一角が、何やら工事中で、馬事苑も厩舎の姿も消えていたこと。 あの白馬は死んでしまって、施設が無用のものとなり、除却されたということなんだろうか。 昨年までは境内に露店が多く出店していましたが、今年は皆無。コロナ対策を徹底したようです。(石切神社・拝殿前) 石切神社参道を西に下り、東高野街道に出て、南へ。 瓢箪山駅前の商店街を抜けると、瓢箪山稲荷神社である。 ここは正面から入ることになる。 そして、左手の裏側にある辻占の占場に抜けて、帰途につきます。(瓢箪山稲荷神社) いつもより遅い出発でしたが、枚岡公園経由の「山コース」をカットしたこともあって、暗くなる前に瓢箪山稲荷神社に到着し、帰宅も同様でありました。 以上、今年も無事、三社めぐり終了であります。
2022.01.02
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謹賀新年春風の かすみ吹きとく たえまより みだれてなびく 青柳のいと(殷富門院大輔 新古今集巻1-73)新年がみなさまに どうぞよき年でありますように(石切神社絵馬)旧年中のご厚誼感謝申し上げますとともに本年もよろしくお願い申し上げます令和4年元旦偐万葉田舎家持歌集けん家持(枚岡神社絵馬)(瓢箪山稲荷神社絵馬)偐万葉田舎家持歌集(にせまんよう いなかやかもち かしゅう)目次それぞれの項目をクリックするとその項目の記事をまとめて見ることができます。下記目次はアメブロ版偐万葉田舎家持歌集により作成しています。銀輪万葉シリーズ大阪府篇(その1)、大阪府篇(その2)奈良県篇(その1)、奈良県篇(その2)京都府・滋賀県篇(その1)、京都府・滋賀県篇(その2)兵庫県篇、和歌山県・三重県篇、北陸篇、関東篇新潟県・長野県篇、中国四国篇、九州篇、その他篇近隣散歩近隣散歩(その1)、近隣散歩(その2)智麻呂絵画展第1回展~第100回展、第101回展~第200回展、第201回展~偐万葉シリーズひろろ篇、若草篇、ビッグジョン篇、英坊篇、オガクニ篇ふぁみキャンパー篇、ふらの篇、閑人篇、LAVIEN篇、幸達篇ひろみ篇、あすかのそら篇、もも篇、龍の森篇その他(どち篇&雑詠篇)松風篇、木の花桜篇、るるら篇、真澄篇、nanasugu篇カコちゃん08篇、大和はまほろば篇、童子森の母篇半兵衛篇、くまんパパ篇、カマトポチ篇ビターc篇、マダムゴージャス篇、アメキヨ篇ウーテイス篇、ローリングウェスト篇和郎女作品展絵画家近健二展関連、近江鯨麻呂絵画展、その他の絵画花花(1)、花(2)、花(3) 花(4)万葉短歌・俳句・詩・戯れ歌言葉遊び若草読書会岬麻呂旅便り囲碁関係囲碁関係(その1)、囲碁関係(その2)マンホール友人関係5人組ウオーク関係、健人会関係中学同期関係、夕々の会関係、ナナ万葉の会関係ペリカンの家関係、木力工房関連、その他虫、鳥、犬、猫など墓参関係その他カテゴリー自転車、能・狂言、ブログの歩み、未分類 当ブログの昨年の年間アクセス件数は562272件でありました。 過去最多であった一昨年に次ぐ多数。 ご訪問下さった皆さまに心よりお礼申し上げます。 今年も引き続きよろしくお願い申し上げます。<参考>過去10年間の年間アクセス数 (括弧内は年末時点のアクセス総数) 2012年 48490件( 200053) 2013年 39816件( 239669) 2014年 78308件( 318177) 2015年 250713件( 568890) 2016年 501049件(1069939) 2017年 383827件(1453766) 2018年 455523件(1909289) 2019年 553926件(2463215) 2020年 586955件(3050170) 2021年 562272件(3612442)<参考1>ブログの歩み関連過去記事はコチラ。<余談> 冒頭の殷富門院大輔の歌は、ヤカモチの今年の年賀状にも記載した歌でありますが、印刷を終え、あて名書きを済ませ、投函した後になって、「殷富門院大輔」が「院富門院大輔」となっていることに気づきました。しかし、もうアトの祭、どうしようもありません。当初は「殷」となっていたことは確かなんですが、何処かの段階で何かの修正を加えた折にこの部分が消えて、再度「殷富門院」と打ち込んだ際に「殷富門院富門院大輔」となり下線部分を消すつもりで、前3字の「殷富門」を消してしまったということかもしれません。 間もなく、その賀状が届くことでしょうが、何人のお方がこの間違いにお気づきになるか。 賀状受領者の何人が当ブログをご覧になっているのか存じませぬが、一応訂正の報告とさせていただきます。<参考2>殷富門院大輔・Wikipedia
2022.01.01
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