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本日は、同窓会で、母校の法学部現役学生の勉学の奨励にと、行っている、懸賞論文の応募論文の審査をすべく、外出を差し控えて、最近はとんと読むこともなくなった、法学、政治学関係の後輩の論文を熟読させて戴きました。 さて、話は変わりますが、何気なくネットで、「Azbyブログひろば」というページを開いてみたら、片隅に「記事アクセスランキング」というコーナーがあった。第4位に上がっている「謹賀新年」というのを開いてみたら、小生のブログの元旦の記事でした。この「ひろば」にどれだけのブログが登録されているのか存じませんが、第4位とは光栄なことです。その部分をコピーして貼り付けて置きます。1月30日現在のランキングなんでしょうから、日が経てばそのうちにランク外へと消えてしまう運命。せめてもここに記録してのこして置くこととします(笑)。この「ひろば」では「今週の注目記事」として、我がブログの昨年の7月7日の「七夕」の記事を紹介戴いたこともありました。ーーーーーーーーーーーーーーー(記事アクセスランキング)( 1月30日) 第1位 TV誌ラッシュ 第2位 猫が見るTV 第3位 『オートメーカーコンビ』レビュー 第4位 謹賀新年 第5位 中小企業家同友会久留米支部の記念講演です... (注)記事アクセスランキングとはこの「ひろば」管理者の説明によると以下の通りです。Azbyブログひろばにご登録されているブログのうち、Azbyブログひろばからのアクセス回数が多い記事を上位からランキングで表示するコーナーです。ーーーーーーーーーーーーーーーー
2009.01.31
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本日は小生の和歌作りについて、その由来(?)を少し述べてみます。 先の旅行中に、2月1日付異動で転勤してゆく社員、転勤により新しくやって来る社員へ贈る歌を作ってくれないかという依頼がH君からあり、彼らの名を折り込んだ和歌を作ったことは、先日のブログで記した処であるが、本日それが彼らに届けられている筈だから、その歌を以下に記し置くこととします。 親愛なる友人の旅立ちに寄せて偐家持の作る歌5首あらたしき 溝や作らむ この上に 難(かた)きを克(か))ちて 良き実結ばむ藤の花 深き森にぞ 秘めて咲け 人や知るらむ 美しき哉()吉(よ)き事の (本(もと))つ継ぎてぞ いさおしき 君が(蔵(おさ))めし ことの花咲く筑紫へと さつ矢たばさみ 山越えて (拓(ひら))く(史(ふひと)や もののふ君は大きなる 橋高々に 建て渡れ 君をし待てる 人も数多(さは)也 何故ここにこれを掲げたかと言えば、このような歌作りが小生の歌作りの原点であるからです。高校時代から万葉歌に親しみ、大学で犬養孝先生の講義に接して、犬養節で朗誦することを覚えたことで、それが更に深まりました。 会社に入ってからは、結婚式や歓送迎会のスピーチでは、スピーチに色を付けるという意味で、その場に相応しいと思われる万葉歌を朗誦して締めくくるということをして来ました。同じ歌は取り上げない、をポリシーにしていたので、回を重ねるうちに、やがて、適切な新しい万葉歌を探すのが困難になって来ました。そこで、万葉風に「自分で作ってしまえ」と思い、どうせ上手くは出来ないから、贈る相手の名を折り込めば、その拙劣さも「意外性」によってカバーされるだろうと、名前を折り込んで作ることにしました。それが割に好評だったので、以降、これが小生のスタイルとなり、やがて、おそるおそるながら、寄物陳思の歌も作るようになったという次第。 すべて万葉集の歌を先生にしての我流であり、和歌作りの基本も勉強しておりませんので、そのあたりをご理解の上、小生の和歌をご覧いただければ幸いであります。 万葉風にというのが小生の和歌の基本でありますので、旧かな使いで作る、万葉に使われている言葉は現代死語となっていても使う、ということでやっております。(座右の書?岩波文庫「万葉集」<上、下>) もう古くなって、かなり傷んでますな。ボロボロです(笑)。持って出る時はカバーを付けて大事に使っています。 ところで、先日の若草の歌会始め(?)の歌などが、凡鬼さんと偐山頭火さんのご尽力により、編纂され、河内温泉大学図書館の「若草歌集」に収蔵され、近日中に一般公開されるようです。興味ある方は覗いてみて下さい。小生も完成版は未だ見て居りませんので楽しみにしております。 では、これより散歩に出かけてまいる。ご免。
2009.01.30
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今日は偐家持の誕生日。 もう何歳になったのやら。 ブログ上では満1291才になったことになる。 誕生日だからという訳でもありませぬが、自転車(マウンテンバイク)で生駒山の暗峠に挑戦。と言っても急傾斜の坂道続きにて、登りは殆ど押して歩くしかないのではありましたが・・。はあ、はあ、息も上がるかと喘ぎ喘ぎしてゆけば、汗が滴り落ちるまでに。 それでも1時間弱で峠に到着。奈良県側に少し下った処にある喫茶店(峠の茶屋と言うべきか)で熱い珈琲を戴く。 脇道に入って「ほととぎすの名所」とされる慈光寺に立ち寄る。ところが、ここで失態。道脇の高みで休憩した時にザックを下ろしたのであるが、それをそこに置き忘れたまま自転車で坂道を走り下ってしまったのであった。 そのことに気が付いたのは、麓の枚岡公園まで下山してからのこと。ああ、何たることか。 再度、急登を自転車を押しながら登るという難行。幸いザックは置き忘れた場所にチョコンとそのままにありました。暗峠の標高は455mですから、そこそこの低山を二回登ったようなもの。疲れました(笑)。(万葉歌碑) わが家から最も近い万葉歌碑である。暗峠への道の枚岡公園の一角にある。芭蕉の句も併記されているので、芭蕉句碑と見るか万葉歌碑と見るかは、見る人次第である。 歌碑の歌は遣新羅使人の秦間満(はたのはしまろ)の歌である。夕されば ひぐらし来鳴く 伊故麻山 越えてぞ吾が来る 妹が目を欲り(巻15-3589) この碑の近くに、芭蕉の句碑(下記の写真)があります。よって、上の碑は、やはり万葉歌碑ということにして置きましょう。(芭蕉句碑) 菊の香に くらがり登る 節句かな 元禄7年(1694年)9月9日重陽の節句(旧暦)の日に奈良から大阪へ、芭蕉は暗峠を越えました。大阪に入って病に倒れ10月12日に亡くなっているから、この暗峠越えが芭蕉最後の旅となったのでした。 では、小生も一句。 春風に 忘れくらがり 二度登る(豊浦橋) この橋の下は豊浦渓という渓谷になっていて、楓が沢山生えている。紅葉の季節も美しいが、種が散る青葉の季節には、風車のようにキラキラ日の光を反射させながら、楓の種子が次々と舞い散る様を、この橋の上から眺めることができるのである。(暗峠への道から眺める大阪平野) 暗峠への道は狭い道ながらも国道308号線なのである。殆ど一直線に登る感じでかなりの急坂である。古くは直(ただ)越えの道と呼ばれ万葉にも出て来る。もっとも、万葉の直越えの道は、この暗越ではなく、もう少し北側の辻子(ずし)越または善根寺越だとする説もあるが、小生は暗越え説である。頭をめぐらすと、山の稜線の木々が美しい。 (天平)五年癸酉、草香山を越ゆる時に、神社忌寸老麻呂(かむこそのいみきおゆまろ)の作る歌直越えの この道にして おし照るや 難波の海と 名づけけらしも (巻6-977)(道標) (暗峠)(奈良県側から見た暗峠の石だたみ)(暗峠・大阪府側から) この峠を越えれば奈良県、左の小径を行くと生駒山上である。山上への道は、下の写真のように、自転車では無理な山道なので、本日はここまで。慈光寺にでも寄って行くか。(暗峠地蔵のお堂・・この細道が山上へと続く道である。)(暗峠付近の棚田)(慈光寺への杉木立の道)(慈光寺) 慈光寺の由来は下記写真を拡大して読んで下さい。もう書くのが面倒になりました(笑)。
2009.01.29
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今日から謡曲の稽古は「松浦佐用姫」です。1月14日の日記にも書きましたが小生のリクエストによる曲目ですから、楽しみです。松浦佐用姫 別名 松浦之能、松浦鏡、佐用姫 作者 世阿弥と考えられている。 曲柄 四番目執心物 季節 冬 所 肥前国松浦潟 前シテ 里女 後シテ 松浦佐用姫の霊 ワキ 旅僧(ワキ) 唐土船の名を留めし、唐土船の名を留めし松浦ハいづ くなるらん(名ノリ)これハ行脚の僧にて候。我東国より都に上り、また西国 修行と志し候ほどに筑紫に下り博多の浦に逗留仕りて 候。 肥前の国松浦潟ハ聞えたる名所にて候へば、急ぎ尋ね行 き一見せばやと存じ候。(道行) 箱崎や明け行く空の旅衣、明け行く空の旅衣、げに不知 火乃筑紫潟、わだの原行く沖つ舟、潮路遥かの浦伝ひ、 松浦潟にも着きにけり、松浦潟にも着きにけり。・・・・・・ このようにして、旅僧(ワキ)が登場。松浦潟を訪れ、名所の雪景色を賞でていると、海士乙女(前シテ)が釣竿を持って登場、降る雪の中、玉島川辺の松浦潟に夕月を待つ。 僧は乙女に名所を尋ねると、乙女は、鏡を抱いて松浦川に身を投げた佐用姫を祀った「鏡の宮」への参拝を勧め、領巾山の伝説<狭手彦が唐土使として船出する時、佐用姫がこの山上で領巾を振って別れを惜しんだこと>を語り、山上憶良の万葉歌を詠吟して、往事を懐旧する。 さらに詳しく佐用姫と狭手彦との別離の物語を乙女が語り、僧が鏡の謂われを尋ねると、乙女は妄執からの救済の引導を求め、僧から伝法のしるしの袈裟を授かる。乙女はその布施として形見の鏡を見せることを約束して姿を消す。 所の者(アイ)が登場し、狭手彦の船出を見送った佐用姫が鏡を抱いて身を投げたことを語る。 乙女が佐用姫の幽霊であることを知った僧が待っていると、その夢に、鏡を持った佐用姫(後シテ)が登場し、僧に約束の鏡を示す。 神鏡を拝した僧は鏡の中に狭手彦の姿を見る。佐用姫は恋慕の執心を嘆き、懺悔として往事の有様を再現する。佐用姫は領巾振りと鏡を抱いての狂乱と投身を見せ、水底に沈んでゆく・・というところで僧は夢から覚める。 これが、この能のあらすじである。松浦佐用姫伝説については下記をご覧下さい。唐津万葉の会平成万葉の旅唐津ポータルサイト大伴旅人と松浦佐用姫伝説
2009.01.28
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第25回智麻呂絵画展ーー和郎女作品展併設 今回は智麻呂絵画展に併せて、若草読書会の仲間の一人である和郎女様の作品展も併設することといたしました。彼女は和紙や布による貼り絵など色んな作品を作っておられる。 今回、智麻呂氏が彼女から贈られた作品の「黒べこ」をモデルに絵を描かれたことから、彼女の作品活動の話になり、智麻呂邸にある彼女の作品を「ブログで紹介してみたらどう?」という恒郎女様のお言葉もあって、智麻呂展に併設して、試みに「和郎女作品展」を開催することといたしました。和郎女様のご了解も得ず、偐家持の責任において、勝手にご紹介します。(黒ベこ)(花) この花は小万知さんから贈られたものとのこと。(蝉)(猫) 上記の蝉と猫は偐山頭火氏のコレクションからの提供です。なお、「猫」は偐山頭火氏が「猫」と名づけておられるので、「猫」としましたが、「犬張り子」ではないかという説もある。 作者の智麻呂氏は笑みを浮かべるのみにて黙し語らず、犬でも猫でも見る人の心のままにといった感じ。 にゃんともケンとうもつかんのであった。上記二作はいずれも智麻呂氏初期の作品です。ーー和郎女作品展ーー(べこ)(高砂)高砂や こ乃浦舟に 帆をあげて こ乃浦舟に 帆をあげて 月もろともに 出汐の 波乃淡路乃 島影や 遠く鳴尾の 沖過ぎて はや住吉に 着きにけり はや住吉に 着きにけり(宝船)(桔梗) 最後の「桔梗」は偐家持所蔵のものであります。
2009.01.22
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本日は思い立っての天地人の旅。直江兼続(樋口与六)が子供の頃に、上杉景勝とともに修業したという新潟県塩沢の雲洞庵に行って来ました。 先般のNHK大河ドラマで見て、雪の中の雲洞庵を見てみようと、思い立った次第。ところで、雲洞庵は藤原房前(ふじわらのふささき)の母が尼僧となってこの地に庵を結び住み、その母亡き後、房前が母の菩提を弔うため薬師如来を本尊とする雲洞庵を建立したことに始まるということで、万葉とも無関係ではないのである。藤原房前と言えば、藤原不比等の四人息子のうちの次男坊。長屋王の変の後、家持の父、大伴旅人が和歌を添えて琴を贈った相手が、他ならぬこの房前であったのだから。 また、ここは「北越雪譜」の著者鈴木牧之の生誕地でもあり、その記念館もあると聞いていたので、それを覗いてみようという思いもあっての旅でありましたが、新潟駅から鉄道で2時間半もかかる始末にて、雲洞庵で結構ゆっくりしてしまったせいもあって、今回は帰りの列車の時間の関係で、雲洞庵のみ見て帰るということになりにけりでした。(塩沢駅)(八海山) 途中、浦佐あたりでは、雪の八海山が美しく車窓の目を楽しませてくれました。六日町では坂戸城があったという坂戸山が目の前に。この山城にも登ってみようなんぞと考えていたのは大阪人の浅薄さ。雪で登れたものではない。六日町の次が塩沢である。駅から安直にタクシーで行くことにしたのは、やはり辺り一面の雪のせいでありました。車で15分位で雲洞庵に到着。(雲洞庵への分れ道から見る坂戸山)坂戸山 直江が城の 跡深き 雪にしのはめ もののふの影(雲洞庵・前門)雲洞庵 雪踏みならし ゆく道は 泣き虫与六の 踏みし道かや(赤門)(本堂)(本堂内部)(方丈) この書院の部屋で子供時代の景勝と兼続は勉学と修行に励んだのだという。(本堂回廊)(座禅堂)(客殿から本堂を見る)(鐘楼)(客殿から見る前庭) 母御前(ははごぜ)の 後生菩提や 房前の 思ひ慈愛に やさし日の影(補足ーー23日追記)雲洞庵はもとは律宗の寺であったが、室町時代に関東管領上杉憲実が禅宗(曹洞宗)の寺に開創したとのこと。寺の宝物殿には戦国武将の書状などが多く展示されていましたが、その中に楠正成の書状もありました。(補足2--24日追記)坂戸山(輝ジィ~ジさんのブログ記事)
2009.01.21
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大学同期の友人F君からメールでの案内があった。彼は読売新聞の記者をやっていたが、現在は読売文化センターの方で仕事をしており、今回、万葉関係のイベントをやるということで案内をくれたもの。 歌人で早稲田大学教授の佐々木幸綱氏の講演、女優の壇ふみさんの朗誦、そしてこのお二人に奈良女子大教授の坂本信幸氏を加えての鼎談、という形で、万葉集の魅力に迫るという企画。なかなか面白そうな内容なので小生も出かけてみるつもりである。 3月29日午後1時~3時半、エルおおさか(大阪府立労働センター)・エルシアター<大阪市中央区北浜東3-14>にて催される。興味のある方はご参加ください。詳細は下記をクリックしてご覧下さい。壇ふみ&佐々木幸綱・万葉集の魅力――若き日本の息吹
2009.01.17
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今朝、蝶麻呂氏より、昨日の高御位山登山の写真がメールされて来たので、続編をブログアップします。(高御位山<たかみくらやま>)(偐家持、後ろ姿にて登場です。)(高御位山頂上の岩) 銀輪万葉と名づけむからにはと、偐家持の後日に詠める歌六首青旗の 葛城山は 遠みかも 播磨の富士に 雲といざよふ高御位(たかみくら) 神の天降(あも)れる 山なれば 散り来る雪も 花と手向けむ名ぐはしき 稲見の海の まそ鏡 思ひぞ照らせ はしき遠妻吾背子と 磐根し踏みて 行く道は 播磨富士とふ 高御位山鹿島なる 戦(いくさ)の神も 花笑むや 照れる日差しの 尾根の石道(いはみち)古(いにしへ)の ひとの飛ぶとふ 磐倉に 黙(もだ)し眺めむ 印南国原(いなみくにはら)(飛翔の碑)
2009.01.16
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予ての計画通り、本日は友人蝶麻呂君と高御位山(たかみくらやま)に登山して来ました。この冬一番の寒さになるというTVの天気予報であったが、日差しも暖かく、風もさ程はなく、山を登っていると暑い位で、ついには上衣を脱ぎ、シャツの袖も肘まで捲り上げてという勇ましい「いでたち」になって歩く始末。それでも汗が額から滴り落ちる有様にて、吹く冷たい風がむしろ心地よい位でありました。(JR曽根駅) 午前10時過ぎに曽根駅前を出発。先ず麓の鹿島神社に御参りして、その裏の登山口から登ることに。色んな処から登れるようであるが、地元の神様にご挨拶をしてゆくというのが、「万葉人の常識」ということで、鹿島神社経由の道としました。(高御位山遠望) 高御位山は凹の形に山々が連なっており、へこみの部分の平野部に鹿島神社がある。大きな銀色の鳥居が聳え立つ脇から神社の参道へと入って行くと下記の写真の神社の鳥居前に行きつく。(鹿島神社)(神社から望む鷹の巣岩) 神社からの登山口から登って尾根づたいに行くと、鷹の巣岩の左に至る。画面の山の稜線を左から右に歩き、更に右方向に尾根を行くと高御位山の山頂である。 このコースは「播磨アルプス」と呼ばれているらしいが、その名に相応しく岩が剥き出しの荒々しい登山道である。岩場の急斜面は足場を慎重に確かめながら登り降りしなくては少し危険である。石灰岩質の岩の山のせいで、低山(標高304メートル)にもかかわらず、大きな木が育たないのだろう、尾根づたいの道の眺望は素晴らしい。左手に加古川がゆるやかに流れ、瀬戸内海が鏡の如く光っているのも一望である。(登山道を行く相方の蝶麿氏<左>・この岩の急斜面を登る。<右>) 上の岩場の急斜面を登り切ると、鷹の巣岩の山がこのように、ま近くに見える。 鷹の巣岩から右に目を転ずると目指す高御位山である。 蝶麻呂氏が「あれが高御位山だ。」と指し示す。<ただし、これは所謂「やらせ」である。彼が、ブログ掲載用にはこういうのがいいのではないかとポーズを取ったものであります。小生が頼んだわけでは、決してありません(笑)。>(尾根からの眺め・瀬戸内海が光っている。)(登山道)(天之御柱天壇)(高御位山頂上)(山頂からの眺め)(高御位神社)(高御位山山頂・下山途中に振り返ると・・) JR曽根駅到着は午後4時ちょっと前。約6時間の行程でしたが、駅間近で道を間違い、駅の裏手に出てしまい、なかなか踏切に出くわせず、大きく迂回したので、20分以上はロスしています。
2009.01.15
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本日は午後から囲碁の会にて梅田スカイビルまで出かけました。少し早く着いたので、ビルの庭の「花野」を散策。菜の花、イソギクなどが咲いていました。イソギクは以前に喫茶アキで鉢植にて初めてお目にかかり、名前は小万知さんに教えていただいていたので、すぐにそれとわかりました。「やあ、キミはこんな処にもいたのですか。」という気持でカメラにパチリ。菊だから秋の花なんだろうが、寒さにめげず、けなげに咲いている。(イソギクの花)(新梅田シティの「花野」) さて、囲碁はT氏、A氏と各一局打って、2戦2敗。日馬富士ではないが勝負感が狂っているみたい。というより、小生の場合はやはり実力不足と言うべきか(笑)。 囲碁を終えて夕刻は謡曲の稽古。今日で「阿漕」が終りました。次回からは、「松浦佐用姫」です。これは、先生が「次の曲目は何かリクエストありますか?」と仰ったのをいいことに、小生が希望したものであるが「200番」にも入っていないマイナーな曲のようだ。大伴狭手彦と佐用姫との悲恋物語でその伝説を歌った歌が万葉集にも出てくるので希望した次第。<万葉集巻5より(岩波文庫) > 大伴佐提比古郎子(おほとものさでひこのいらつこ)、特に朝命 を被(かがふ)り、使を藩国に奉(うけたまは)りぬ。艤棹(ふな よそひ)して言(ここ)に歸(ゆ)き、稍蒼波に赴く。妾(をみなめ) 松浦佐用ひめ此の別るることの易きを嗟(なげ)き、彼の會ふ ことの難きを歎く。即ち、高山の嶺に登りて、遙かに離れ去く船 を望み、悵然(うら)みて肝を断ち、黯然(いた)みて魂を銷(け) つ。遂に領巾(ひれ)を脱ぎて麾(ふ)る。傍の者涕を流さずとい ふこと莫(な)かりき。因(かれ)、この山に號(なづ)けて領巾麾 (ひれふり)の嶺と曰ふ。乃ち、歌を作りて曰く、遠つ人 松浦佐用比賣(まつらさよひめ) 夫恋(つまこひ)に 領巾(ひれ)振りしより 負へる山の名 (871) 後の人追ひて和ふ山の名と 言ひ継げとかも 佐用比賣(さよひめ)が この山の上(へ)に 領巾(ひれ)を振りけむ (872) 最(いと)後の人追ひて和ふ萬代に 語り継げとし この嶽(たけ)に 領巾振りけらし 松浦佐用比賣 (873) 最最(いといと)後の人追ひて和ふ海原(うなはら)の 沖行く船を 帰れとか 領巾振らしけむ 松浦佐用比賣 (874)行く船を 振り留(とど)み兼ね いかばかり 恋(こほ)しくありけむ 松浦佐用比賣 (875)
2009.01.14
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第24回智麻呂絵画展 本日、今年初めて智麻呂邸を訪問。新作を撮影して来ました。ここに第24回智麻呂絵画展を開催いたします。 今回は、水性色鉛筆で下塗りした後、水の筆で水彩画風に仕上げるという、新しい手法、新しい画風の絵もあり、いよいよ智麻呂画伯も新境地を切り開かれたようであります。どうぞ新しい智麻呂世界をお楽しみください。(落ち葉) この落ち葉の絵はまさに新境地です。葉の表面のほのかな光沢や質感まで見事に表現されていて、なかなかなものと思います。水彩色鉛筆という新しい表現手段を手にされて、智麻呂氏の絵はさらに豊かなものに発展してゆく予感がいたします。(水仙) 智麻呂邸の前の小さな公園に水仙と山茶花が咲いている。この処、水仙と山茶花の絵が多いのは其の所為です。(山茶花)(白菜) この白菜は凡鬼氏の家庭菜園にて収穫されたもので、同氏が智麻呂邸にお持ち下さったものだそうです。立派な白菜で、智麻呂氏が絵に描き上げると直ぐに半分に切り分けて、半分は居合わせた槇麻呂殿がお裾分けの栄に浴し、持ち帰ったらしい。そういうお話を聞くだけで、何やら心がほっこりしてきますな。(ポインセチア)(蜜柑)
2009.01.11
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昨日は大学同期の旧友との新年会。心斎橋の中華レストランに15名が集い、愉快で楽しいひと時を過ごしました。法務省を卒業して徳島の大学の先生をやっているF君と警察庁を卒業して名古屋の企業に勤めているN君とは卒業以来の再会、銀行マンのY君ともそれに近い再会、懐かしさもひとしおでした。 今日は久々の銀輪散歩。 花園中央公園・花園ラグビー場→恩智川沿い→JR住道駅前→深北緑地公園→JR四条畷駅前→四条畷神社→飯盛山登山(この部分だけは勿論徒歩です。)→JR野崎駅前→野崎観音→花園中央公園。(深北緑地公園) MTBにて花園ラグビー場前を出発。 全国高校ラグビーも昨日が準決勝、明日が決勝戦ということで、本日はそのハザマにて人影もなし。 うらうらに照る冬の日差しの中、花園中央公園を横切り、恩智川沿いの道を一路北へ。恩智川が寝屋川に合流する辺りで寝屋川沿いの道に移り、深北緑地公園を目指す。 深北緑地公園の池にはユリカモメが群れていて、いつもの白鳥君は遠くに身を避けていました。(四条畷神社)(楠正成<右>・正行<左>像ーー桜井の別れ) 深北緑地を一巡して、久々に楠正行を祀る四条畷神社へ。参道の延々たる登り坂を一気に登り切ると、さすがに息が切れる。 境内には楠正成・正行親子の像「桜井の別れ」がありました。 ♪青葉繁れる桜井の~♪ の歌の桜井の別れであるが、この桜井の地は、この四条畷からさらに北へ、淀川畔の三島郡島本町の地である。 武士(もののふ)の 堅き心は 桜はな ちりての後ぞ 人や知るらん (楠正成)(飯盛山からの眺望) 神社の裏手から飯盛山への登山道・ハイキングコースがある。自転車を神社の前に停めて、ちょっと登ってみたが、予想に反してかなりハードな道でした。高みからの眺めはその分素晴らしい。大坂平野が眼下に一望である。 四条畷神社にお別れして、お染・久松の野崎観音へ。これも山門への登り坂が自転車にはかなりきつい。山門の下には可憐な水仙が今を盛りと美しく咲き群れていました。(野崎観音・山門) 野崎観音を後にして帰途に。花園中央公園に帰り着いた頃は美しい夕焼けになっていましたが、日が沈むと途端に風も冷たくなり、冬であることをあらためて感じました。そう言えば、昨日が小寒。「寒の入り」であったのですな。旧暦・新暦入り乱れて季節感もいささか混乱です。
2009.01.06
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今年戴いた年賀状の中で版画など、味わいのあるものを少しばかりご紹介します。(F氏)(I氏)(Og氏)(Ot氏)(D氏)
2009.01.04
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あらたしき 年は明けぬる 神さぶる 生駒高嶺に 紫の雲 (偐家持)皆さま、明けましておめでとうございます。新年2009年が 皆さまにとってよき年でありますように。 さて、「智麻呂絵画展」本年もよろしくお引きまわし賜りますよう、お願い申し上げ奉りまする。 2009年 正月 絵師 智麻呂 偐家持美術館 館長 偐家持第23回智麻呂絵画展(山茶花1)(山茶花2)(山茶花3)(水仙)(イチョウ)(葱)(大根)(ハム)(和菓子)
2009.01.02
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あけましておめでとうございます。 新しい年が、皆さまにとって、幸多き良き年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。 本年も相変りませず偐万葉田舎家持歌集をご愛読下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。 2009年 元旦 あらたしき 年のはじめに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは (葛井連諸会 巻17-3925)
2009.01.01
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