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第52回智麻呂絵画展 智麻呂氏の新作が14点集まりましたので、本日は第52回智麻呂絵画展といたします。皆さまのご来場お待ち申し上げます。 最初は寅年ということで、虎(寅)の絵です。(虎の親子) 上は和郎女さんの作品を写生したものですが、ちょっとユーモラスな雰囲気になっています。ゆるキャラのトラちゃんですな。 (寅の干菓子) (寅の湯呑み) 寅のお菓子は偐山頭火氏のお土産。湯呑みはお嬢さんがお持ち下さったものらしいです。(すみれ1)(すみれ2) すみれは、お二人には特別の思いのあるお花。これはきっと恒郎女様のために描かれたものだろうと存じます(笑)。はしきやし 吾妹(わぎも)にしあり わが屋(や)戸(ど)の すみれの花は 今しも咲ける (偐智麻呂)(水仙1) 上の「水仙1」は、お礼の絵手紙(ハガキ)です。投函前につき撮影できました。「ありがとう。」の思いが溢れた、嬉しそうな水仙の花ですな。(水仙2)息白く 朝の道行く 人のあり 春や待つらむ 水仙の花 (偐家持)(水仙3) 智麻呂邸の前の小さな公園には水仙が植えられていて、智麻呂氏の部屋からそれが見えるのですが、智麻呂氏はその咲くのを心待ちにされていて、毎日のようにこれを眺めて居られる。 かくて、恒郎女様は「智麻呂水仙」とこれを名付けられましたが、その智麻呂水仙、待てど暮らせど一向に花を付ける気配がない。今日も未だ咲いていませんでした。 そんなことをお話になられたら、ご親戚の方がひと抱えもの水仙のお花をお届け下さったとのこと。「心置きなく描かれよ。」の嬉しいプレゼントではありました。(笹餅)(白百合) (チューリップ) (麦の穂)(花1)(花2)(注)過去の智麻呂絵画展をご覧になられたい方は、本ブログの上部のバーの「日記」をクリックして、当該ページの右欄の「カテゴリ」の「智麻呂絵画展」をクリックして下さい。
2010.01.30
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本日は偐家持の誕生日です。 1292歳になりました(笑)。 節分の豆撒きも間もなくでありますな。 この日は自分の年齢と同じだけの豆を食うことになって居るが、この処はこれが恐怖なのである。無類の豆好きの「坂の上の雲」の秋山真之君とて、1300個近い豆を一度に食うとなると、閉口、いや不可能であろう。 それにバースデイケーキのロウソクの火、これはもう火事に近いことになりますな。それかあらぬか、消防署から300年ほど前に、小生の誕生日に限っては、早々と禁止されてしまいましたですな(笑)。 さて、閑話休題。 本日は「偐万葉・ひろろ篇(その3)」でござる。 小生の下手な歌とひろろさんの素晴らしい絵の競演(狂演)をお楽しみ下され。 偐万葉・ひろろ篇(その3) 偐家持がひろろの郎女に贈りて詠める歌18首ほか小春日の 泊りの小舟(をぶね) ゆらぎつつ おのづや足れる みちのくの風 空の色 映し光れる 雪かきの 濡れたる道の 朝のうれしき夜通しに 真綿の如き 雪降りて 朝青空に 日もあたらしき外国(とつくに)の 赤きチュニカの さをとめは 誰(た)が笥(け)や今は 持ちてあるらむ 偐家持、戯れに上の歌を英訳して詠める A pretty young girl from a foreign country in a red Tunica , whose spoon are you polishing now?人恋(こほ)し 三浦が崎の 夕凪に ふたつ帰り来(く) 青き帆の船 ゆらぎつつ 添ひてたぐひて 行く船の 三浦が崎の 海のさやけししんしんと 冬の夜は更け テーブルに 赤き林檎の ひとつぞありき (絵描きの中也) 戯れ詩「冬のアトリエ」 (絵描きの偐原中也) 寒い、寒い、冬の夜なりき 我はアトリエにありぬ 絵を描きてありぬ 我のほかたれとても人はなかりき テーブルにひとつ 赤き林檎のありて そこのみ命あるもののごと 温かき色こぼれたり 我は絵を描きてありぬ 寒い、寒い、冬の夜なりき 秋たけて 寄り添ふ舟の ただ白く 海は碧(あを)みて 日の高々に にせ万葉 春夏秋冬 数へ日も のこり二日の 年の暮なりあらたしき 年光るらし 白雪の 庭にぞ赤き 実の結びたる あどけなき わらはめのごと 白雪の 年明けゆきぬ ひとみな笑みて 今はもや 雪も止みたり 雲間より さす日のうれし 湯けむりの街 (大伴雪持) さ夜は更け 月冴え雪の 凍れるに 猫の親子の いづく行くらむ (ホームレス・キャッツ)なづみつつ 雪踏みならし 来し我に 熊野の神の 笑みて光れり 我妹子は いかにかあらむ 夕されば 赤きチュニカぞ 思ほゆるかもネコのマネ してもみたワン 木の上に 登ってみたワン 降りられぬワン ネコのマネ するはバカにゃん 木の上に ブルって降りれず 年を越すにゃん磐梯の 雪も消(け)ぬらし 葦の間の 流れは澄みて 芽吹くさみどり (注)ひろろ氏のブログ入口はコチラ 偐万葉・ひろろ篇(その1) 同 (その2) 上記写真・絵は全てひろろさんのブログからの転載です。
2010.01.29
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昨日の菟原処女(うなひをとめ)伝説をたずねての銀輪万葉の続編です。 続編と言っても、神戸市東灘区御影で昼食を済ませてから、自転車で自宅のある東大阪市の枚岡まで帰ってくるまでの脈絡もない道中記である。 神戸から枚岡までの間に通過する市は芦屋市・西宮市・尼崎市・大阪市の4市。国道43号と2号を中心に、脇道に入ってみたりの気儘な自転車旅である。 西灘駅から御影駅まで阪神電車は大阪に向って北東に走っているが御影駅を過ぎると住吉駅・魚崎駅手前までは南西に向きを変える。阪神電車を目印に走っていると方向感覚が狂ってしまうので要注意。 住吉駅の東の道脇に「本住吉神社」の石碑が立っていたので、この道を北上し、この神社に立ち寄る。(本住吉神社・手前の道は国道2号) 本住吉神社においとまし、国道2号を東に。住吉川を渡る。川の両サイドの河川敷が遊歩道になっていて、多くの人がウォーキングをしている。つられた訳でもないが、川沿いに走ってみることにする。灘高校の手前から左岸を下流へ走る。阪神・魚崎駅を過ぎた処で43号に入り、東へ。覚浄寺交差点に差し掛かって右手に赤い鳥居が見えたので、立ち寄ってみる。魚崎八幡宮である。神社の隣の公園に第23代横綱大木戸生誕地の石碑があった。 (住吉川) (第23代横綱大木戸生誕地の碑)(魚崎八幡宮)(拝殿)(境内の松の古木)(神依松縁起碑) この碑によると、古老の言うには、神功皇后が三韓征伐の帰途、北浦の沖で船が進むことが出来なくなったので、この地に船を繋ぎ、住吉大神を祀った処、船が無事進むようになった。その時に船を繋いだ松の大木を「神依松」と呼ぶようになった、という。また、魚崎の魚は、その時の船が五百隻であったことから五百(いを)崎→魚(いを、うを)崎となった、とも。(伝承の神依松は枯れて、今はこの裏に大木の切り株を残す。)(松の古木) 再び43号に戻り、更に東へ。芦屋川で川辺に降りてしばし休憩。(芦屋川) 芦屋川から地上に上がって、阪神電車沿いの道を東へ。西宮市に入る。香櫨園駅の前から夙川オアシス道路に入って国道2号へ。2号線に出て夙川橋の上から夙川を眺めていると、後から「ちょっとお尋ねしますが・・」と、小生と同年輩位の男性から声を掛けられた。小生のトレンクルを見て、彼もこのような軽量の折りたたみ自転車が欲しいと考えていたらしく、トレンクルについての質問でした。しばらくこの御仁と自転車や旅のことなど立ち話。別にメーカーさんとは特別な関係は何らもない小生だが、しっかりトレンクルの宣伝をしておきましたよ。男性はもっと色々と話をしたかったみたいだが、大阪は未だ遠いので、話を切り上げ、出発。再び国道2号を東へ。西宮神社に寄ってみようと脇道に入る。 (西宮神社) 拝殿などは工事中で入れず、見ること叶いませんでしたので、こちらのホームページでご覧下さい。<西宮神社ホームページ> 境内では陶器市が開催されていましたが、その傍らに狸の群れ。 阪神電車西宮駅前に戻り、線路沿いに東に行くと松原天満宮と喜多向神社に出くわす。(松原天満宮) 上の写真、向って右手の大木が楠。左手が榎。榎は「エノキ→エンノキ→縁の木」ということで縁結びの木として信仰を集めているようだ。楠の下には筆塚がありました(写真下)。 松原天満宮と道を挟んで斜め向かいに喜多向神社という小さな稲荷神社がある。入口標識に染殿池、漢織呉織の文字が見えたので、奥に入ってみる。説明は下の写真で代用します(不精池)。(染殿池)(喜多向神社) 再び国道2号に戻って、東へ。やっと武庫川である。武庫川大橋を渡る。橋の上で西宮市から尼崎市に入る。市境を示す標識の処から武庫川上流を撮影。先日この上流の宝塚市から蝶麻呂氏と自転車で下って来た川である。(武庫川) 尼崎には近松門左衛門の墓のある広済寺があるのだが、国道2号からだとかなり北に上がらなくてはならないし、地図も持って来ていないので今回はパス。代りに偶々出くわした杭瀬熊野神社に立ち寄って置く。(杭瀬熊野神社) かなり日も西に傾き金色がかりはじめている。神崎川、淀川と渡れば、大阪の中心市街地である。(神崎川)(淀川)(靭公園) 上の写真は人形ですが本物の人間も居ます。手前のベンチに座っている黒い服装の女性は除きます。さて、右、真ん中、左どれが人間でしょうか? (大阪NHK) (大阪府警本部)(黄昏迫る大阪城のお濠)(花園中央公園) 花園中央公園に着いた頃には、ご覧のように、すっかり暗くなっていました。
2010.01.28
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本日は、阪神電車で神戸まで出掛け、自転車で自宅まで帰って来るという、久しぶりの長距離「銀輪万葉」をして来ました。 朝11時に阪神電車・西灘駅到着。そこで持参の折りたたみ自転車「トレンクル」を組み立て、出発。(阪神・西灘駅) 西灘駅から東へ徒歩3分位の所に西求女塚(にしもとめづか)公園がある。菟原処女(うなひをとめ)伝説に登場する菟原壮士(うなひをとこ)の墓とされている西求女塚古墳である。(西求女塚古墳) 菟原処女伝説とはこんな話。 昔、摂津の国の葦屋(あしのや)の菟原(うなひ)の地に「菟原処女(うなひをとめ)」という美しい娘がいた。彼女に菟原壮士(うなひをとこ)、血沼壮士(ちぬをとこ)という二人の若者が求婚し、激しく相争う。それに心痛め、懊悩した挙げ句、娘は入水自殺してしまう。それを悲しんだ血沼壮士も菟原壮士も彼女の後を追って自殺してしまう。彼らの親族たちはその死を傷み、これを後世に永く伝えようと、真ん中に娘の墓を、西側に菟原壮士の墓を、東側に血沼壮士の墓を造ったという。 その墓が今にのこる西求女塚(にしもとめづか)、処女(をとめ)塚(づか)、東(ひがし)求女(もとめ)塚(づか)だという。勿論、これらの古墳はその出土品から築造時期も大きく異なって居り、この地の豪族の墓というのが本当の処なのだが、偐家持としては、歴史の真実に目をつむり、万葉歌人同様に、悲劇の若い男女の墓と思って置くこととするのである(笑)。 この話は、万葉時代に既によく知られた伝説としてあったようで、高橋虫麻呂、田辺(たなべの)福(さき)麻呂(まろ)、大伴家持が、この伝説に基づく歌を詠んでいる。(処女塚古墳) 処女塚は阪神・石屋川駅の西200m位の処にある。古墳公園の一角に田辺福麻呂の歌碑と小山田高家の碑が並んで立っている。 (田辺福麻呂歌碑) (小山田高家碑) 田辺福麻呂歌碑の歌は次の1首古(いにしへ)の 小竹田(しのだ)壮士(をとこ)の 妻問ひし 菟原処女(うなひをとめ)の 奥つ城ぞこれ (巻9-1802) 虫麻呂も福麻呂も家持も長歌を詠んでいるのだが、引用すると長くなるので、その反歌だけ、以下に記して置きます。 (高橋虫麻呂の歌)芦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 奥津城(おくつき)を 行(ゆ)き来(く)と見れば 哭(ね)のみし泣かゆ (巻9-1810)墓(はか)の上(うへ)の 木(こ)の枝(え)靡(なび)けり 聞きしごと 千沼壮士(ちぬをとこ)にし 寄りにけらしも (巻9-1811) (田辺福麻呂の歌)語り継ぐ からにもここだ 恋しきを 直目(ただめ)に見けむ 古(いにしへ)壮士(をとこ) (巻9-1803) (大伴家持の歌)処女(をとめ)らが 後(のち)のしるしと 黄楊(つげ)小櫛(をぐし) 生(お)ひかはり生(お)ひて 靡きけらしも (巻19-4212)(東求女塚の碑) 古墳は崩されて現存せず、公園の一角に石碑があるだけ。東求女塚は阪神・住吉駅から東に直ぐの処にある。 同じ公園の一角に阪神淡路大震災の犠牲者を悼む慰霊碑が立っていて、未だ新しい花が供えられていた(写真下)。 これで予定の3か所を回ったので今回の目的は達成。空腹を覚えたので、阪神・御影駅の方に引き返し、小さなレストランでランチ&コーヒー。一応、腹もくちくなったので、さてどうするか。六甲アイランドに立ち寄って友人のM君にご挨拶をして行こうかと思ったが、水曜日で定休日ゆえ出勤していなかろう、と考え直し、まあ、とにかく自宅まで自転車で、あちこち見て歩きながら、いや、見て走りながら、帰ることとする。明るいうちには帰り着けないだろうが・・・。帰りの道中のことは後日ということで、本日はこれにて、ひとまず締めます。深更となり、作者も眠くなりました。
2010.01.27
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2007年4月29日に本ブログを開設いたしましたが、本日で丁度1000日となりました。この間多くの方にご訪問を賜り、温かきコメントなども頂戴し、感謝に堪えません。ということで、本日は「偐万葉田舎家持歌集1000日の歩み」であります。 偐万葉田舎家持歌集1000日の歩み2007年 4月29日 開設2007年 6月 3日 写真初めて掲載 写真掲載第1号は、福井県味真野苑で撮影したササユリの花でした。2007年 7月 6日 「草の細道・銀輪万葉集」第1巻完成2008年 1月21日 「お蔵百人一首」完成 (注)「草の細道・銀輪万葉集」、「お蔵百人一首」は偐山 頭火氏が管理人をされている「河内温泉大学図書館」 でご覧になれます。2008年 7月 4日 智麻呂絵画展開始 <参考>直近の「智麻呂絵画展」はコチラ2008年 8月17日 長歌「竹田城址之賦」掲載 <参考>竹田城址之賦はコチラ2009年 1月22日 和郎女作品展開始 <参考>直近の「和郎女作品展」はコチラ2009年 3月27日 偐万葉シリーズ開始(第1弾・松風篇) 偐万葉シリーズは偐家持が他のブログを訪問するなどして 感想代わりに詠んだ歌などを纏めて紹介しているものであ りますが、それは同時にその方のブログの紹介にもなって いるというものであります。 <参考>偐万葉・松風篇(その1)はコチラ2009年 8月 2日 「まほろば偐百人一首」完成 偐万葉シリーズの一つですが、大和はまほろば氏の俳句に 偐家持が下2句を付けて小倉百人一首の戯れ歌に仕上げた ものであります。同氏のご了解を得て、上記の「河内温泉大 学図書館」に収録して居りますので、どなたでも自由に閲覧 できます。2009年10月13日 50000アクセス突破2010年 1月22日 開設1000日迎える 今後ともよろしくお願い申し上げます。
2010.01.22
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偐万葉・若草篇(その2) 偐万葉が続きますが、本日小万知さんから金剛山の樹氷の美しい写真がEメールで届きましたので、そのご紹介がてら、偐万葉・若草篇といたします。 小万知さんは先日雪の金剛山に登山されたようで、その折の写真が次の3枚です。アイゼンを付けての登山、お元気なことです。(金剛山の樹氷 by小万知氏)(金剛山で出会ったシベリアン・ハスキー君 by小万知氏) 偐家持が小万知に贈りて詠める歌14首三菱の 真白き花は 土佐に咲く 常磐つゆ草 夏野に咲ける高円の み寺が隅に 今咲ける 茨( うまら)の花の はしき妹はもさ丹塗りの 回廊めぐり ゆく妹の 花にもがもな 大山蓮華思ほえば 舞洲(まひしま)の花 オトギリソウ 今年も咲きぬ 妹は居なくに蛍火の ほのかに立ちし 面影は 笑みてやありぬ あぢさゐの花無恥の口の 読めぬもぢずり もぢもぢと 腰定まらず 麻生ならなくに (河原の総理大臣)合歓の花 西施が夢の 醒め難く 降りや残れる 今朝がたの雨 (河内の芭蕉)あわて乗り あわ立つ波の あは島へ 一刻半(いっときはん)の 旅あわただし (慌て者の粟島泡だらけ)赤米の 穂の色づかば 瓢箪の ぶらり我もや 野を歩かまし (ひょっこり瓢箪山)ほととぎす 雨間も置かず 鳴き行けど 吾が銀輪は 恋ふるのみかも行く人も なけれ松帆の 真夏風 吹くや藻塩に 身も光りつつ名月は 根と粘りの 芋なれば 雲あり団子 食ひやはぐるる (偐迷月)足湯なれ らしき姿の ヤカモチも 知らず馬脚を あらはしにけりよきことの 数多(さは)の思ひ出 花舟に 今は行くらむ 愛(は)しき子や待つ常ならば ひとみな寝よと 鳴るなれど 年の明けなり 居よと鳴るらし 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌7首折々の 花こそ似合へ 若草の 君にしあれば 継ぎて咲くらし種まきて 花咲かすらし 山頭火 鯖もよけれど 花のなほよし 偐山頭火が偐家持に贈りて詠める歌1首次郎柿 三郎柿を 生みし地で 予の子の葉もち 寿司喰らうとは 偐家持の返せる歌1首み吉野の 柿の葉寿司の 柿の葉が おぬしがガキの 葉とは知らざり (うっかり八郎)寒き風 やや強けれど 年の極(はて) うららに照りて 明日もや晴れむ冬瓜に 堪へし山頭火 この春は 赤き林檎に やられけるかも (林檎老訳)藪入りの 娘に持たさむ 燻製の 煙にぞ立つ 遠き日々かな 燻製の 煙目にしみ 思ひ出も 酒のさかなぞ 偐山頭火( <参考>偐山頭火氏のブログ入口・・コチラ)
2010.01.20
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偐万葉・雑詠篇 足跡から訪問したりして、その方のブログに感想代りに書き込んだ歌など、雑詠をまとめてみました。かなり以前のものなど、永らくご無沙汰しているうちにURLも分らなくなり訪問することもなくなっているブログのものもあります。 偐家持が贈りて詠める歌27首 galaxy4192氏に贈れる歌3首夏草の 茂みに咲ける 野いちごの 花にかそけき 風や吹くらむ薄衣(うすぎぬ)の 霧まとひたる 乙女らし 山つつじ花 今咲き濡れぬもみぢ葉の 赤き裳裾の 乙女らし 山の清水に 映せる影は P‘s pictures氏に贈れる歌3首寄す波の 飽かず眺めむ 岩の間に 散りて砕けて 白く咲きける恋ひぬれば 荒磯(ありそ)の波か 間なくしも 砕け乱れて なほし咲くらむオオハシの 目に悲しみの 光して 秋立つ朝の 風吹きゆける momo氏に贈れる歌2首湯豆腐の 湯気もゆかしき 東山 義母(はは)としゆけば 小春日の道水仙の 揺れて咲きぬる 風花の 流れ来るかも 春をや待たむ おっとー氏に贈れる歌3首播磨道(はりまぢ)を 行くや吾背子 明石なる 大門(おほど)の海も 光り言祝(ことほ)げみ雪降る 曽爾(そに)の高原(たかはら) ゆく背子の かたへに梅も 咲きてあらましよき人の よしとよき春 よき出会ひ 胸にぞたたみ この道ゆかめ オコジョ氏に贈れる歌1首信濃なる 小諸の春を 添ひゆきし 背子の来たりて 白梅咲くや une sanglier氏に贈れる歌1首我が苑に 春べと咲くや 福寿草 ゆらり日溜り 我に笑むらし modoki氏に贈れる歌3首春花の 散りのまがひの 青柳の 糸染めかくる 風のまにまにクロリスの 咲かせる花か 火の花は プリマヴェーラの 風恋ひ待ちぬふるさとの 土の香恋(こほ)し 山蘭の 花にぞ立ちぬ 母の面影 Across the Univers氏に贈れる歌4首美しき 花の言の葉 八千種(やちぐさ)に 咲けるや春野 見れども飽かずすみれ花 妹の心と 庭に咲く かなしき恋の 花にやあらむ松が根の もとなるすみれ うるはしみ 根を枕けど 摘まず来にけり見が欲しと 吾が恋ひ来れば 芝桜 春を染めたり 富士の山裾 喫茶アキさんに贈れる歌3首風さやに ミモザの花の 咲くアキの うららの春の またも恋ひしき錦織(にしこほり) 里のアキ風 すがしきと またも来にけり 銀輪駆けて赤飯の 昼餉(ひるげ)なりけり このたびは アキの里なる 道の辺の店 M君に贈れる歌2首虎臥しの 竹田の城の 址踏みて ゆくらむ背子に 秋桜(こすもす)の風リスボンの 丘にも吹くや さや風は 背子ゆく道に 光れやさしく makochin_Jr氏に贈れる歌1首よしあしは 人の心に よるなれば 水際(みぎは)の葦も 葭(よし)といふなれ Y君に贈れる歌1首足柄の み坂の上の 白雲を 追ひて我背子 ひたすらに行け
2010.01.19
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偐万葉・木の花桜篇(その2) 偐万葉シリーズ、本日は木の花桜篇(その2)であります。 <参考>木の花桜さんのブログ入口はコチラ 偐万葉・木の花桜篇(その1) 偐家持が木の花桜姫に贈りて詠める歌14首ほか咲く花も ゆるりゆかれと 言へるなり 吹きな乱りそ 桜に風は 神のみ子 生(あ)れやましける 清き日は 人みな誰かの サンタなるらむ (赤鼻トナカイ) 木の花桜姫の返しける歌 神のみ子 生みて育てし きみなれば サンタマリアと 讃えまつらん (マリア同好会岡山支部)老いのはて 死ぬる定めを 往生と 思ふは未練 往生しまっせ (こだま・ひびき) 木の花桜姫の返しける歌 みずからを 悪人なりと おもふ身は み仏の慈悲 頼みて生きる 遠き日の 旅の夜汽車の チカチカと 思ひ残して 川渡りゆく 木の花桜姫追和して詠める歌2首 たそがれの 日本海ゆく 汽車の旅 明日の幸せ 君と求めん (幸せ夜汽車) 新幹線 乗れば今夜は 我が家なる ブルートレイン 待つはかなしき (お仕事夜汽車)飼ひ犬の 自主散歩なり 銀輪の 居候亭主 ヤカモチ我も (雑種家持) 木の花桜姫の返しける歌 自主散歩 せよと自由を くれる主(ぬし) われは賢(けん)犬(けん) 自主規制する (詠み犬 ごん太) なげけとや 月の末には 支払いの たまりがちなる わがこの頃の (偐西行) 木の花桜姫の返しける歌 年たけて まだ残りしや 我がローン 命なりけり 君にすべてを (ケッチー郎女) 耶蘇の神 御用済みなり 大和には 年の神あり 迎へか行かむ (「そらないぞなもし」伊予なまりのキリスト) 木の花桜姫の追和して詠める歌 大和には あまた神あり 伊勢出雲 田の神さまは 年の神なり (女将見習) さまざまの ことありてまた さまざまの ことぞ思はる 年の暮かな 木の花桜姫の追和して詠める歌 病など 蹴り飛ばすぞと 言ふ我れに 病の神は 笑みて立ち去る春さらば すみれ咲くらむ 桜また 咲(ゑ)みてやあらむ 佳(よ)かれこの年 吉備路なる 春野のすみれ 咲くやらむ 遠山野辺に 霞の立てば (偐吉備津彦) 木の花桜姫の返しける歌 家持の 君のみ歌ぞ うれしけれ 花の咲く野を 待ちてゆかなむ大寅(だいとら)は 蒲鉾にして 大虎(おほとら)は 吉備津神社の 絵馬にしあれり (数の子) 木の花桜姫の返しける歌 大寅は 袖にしたりき カネテツを 食べて今年の 春は行きけり大和にも 大絵馬の虎 あるなりと 神武天皇 のたまひにけり (橿原神宮) ヤカモチの 何や求めむ 偐遍路(にせへんろ) 八十隈坂(やそくまさか)の 道に恋ふとて 春さらば 赤くも白くも まず咲けと 椿恋ひ待つ 桜なるかや (吉備津姫) <注>写真は全て木の花桜さんのブログからの転載です。
2010.01.16
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本日は友人蝶麻呂氏と武庫川を宝塚~河口を往復する銀輪逍遥でした。朝、阪急宝塚駅前10時半の待ち合わせでしたが、駅に到着したら9時39分。早過ぎたので喫茶店で蝶麻呂氏の到着を待つこととしました。(喫茶店マードレ) 小生の席からの入口付近の喫茶店内の眺め。10時半ちょっと前に蝶麻呂氏がこの入口に現れました。(JR宝塚駅)(阪急宝塚駅) 武庫川銀輪逍遥のスタート地点は宝来橋のたもと。以前に海側から右岸を登って来て往復したことがあるので、今回は逆コースということで、左岸を下流へと走ることにする。 <参考>西宮の犬養万葉歌碑(2008年12月15日の日記)(スタート地点)(宝来橋から眺める武庫川)(宝塚歌劇場) 宝塚と言えば、宝塚歌劇ですな。すみれの咲く頃ではありませぬが、スタートして直ぐに見えて来たので、裏側からですが写真に。(朝日に光る武庫川。蝶麻呂氏が写真を撮っています。)(センダンの実)(センダンの大木) よく晴れた青空にセンダンの実の白さが美しく映える。万葉集ではこの木は「あふち<おおち>(楝)」というのだ、などと蝶麻呂氏に解説しながら下流へと走る。(菜の花の向こうに六甲山が見えている。) 菜の花の 咲きたる川辺 たもとほり 来ればはるけく 六甲(むこ)の山見ゆ (偐家持)(武庫川) 上の写真の堰の処に近付いてよく見ると薄氷が張っているのでした。よく晴れた好天気だが風は冷たく気温は低いようだ。(薄氷の武庫川)(武庫川右岸) 途中で左岸から右岸に渡る。下流の左岸は尼崎市、右岸は西宮市である。自転車道は右岸の方がよく整備されている。海まで通して走るなら左岸はお勧めできませんな。(武庫川河口付近)(武庫川河口) 右岸はここで終点。流木の横たわる先は光る海である。蝶麻呂氏の求めに応じて彼の写真を3枚撮って、引き返すことに。それに腹も空いた。蝶麻呂氏が「美味い」というカレー屋さんで昼食とする。 昼食後、再び河川敷の自転車道に戻り、スタート地点の宝塚を目指し遡上することに。(ユリカモメの群れ)(武庫川・仁川合流点付近。右は自転車道)(武庫川・逆瀬川合流点付近)(冬木立)(武庫川右岸から上流を望む。) 写真奥は阪急今津線の鉄橋。右手の赤い屋根の建物は宝塚歌劇場である。 蝶麻呂氏の話では、この川辺の水草の「ミズヒマワリ」(という名だと聞いた気がするが)の白い花に「アサギマダラ」という蝶が「渡り」の途中に集って来て翅を休めるのが観察されるとのこと。ここは知る人ぞ知る観察ポイントなのである。(支多々川・武庫川支流)(支多々川も凍っていました。)(手塚治虫記念館) 手塚治虫さんは宝塚市の出身。歌劇場の斜め向かいに1994年記念館が開設された。早く帰り着いたので、記念館に入って見学して来ました。その生家はこの記念館とそう遠くない処にある。(手塚治虫さんが小学生の頃に描いた蝶の標本の絵)
2010.01.14
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テーマ1.民宿・星の栖 H氏から先日遅い年賀状を頂戴した。H氏は小生が勤務していた会社の元社員で、東京方面の事業所で営業畑一筋に頑張られた方。入社は小生より3年後輩である。小生はずっと本社勤務で彼とは一緒に仕事をしたことはなく、個人的に親しい関係でもないのだが、ずっと以前から年賀状のお付き合いは続いている。 その彼の年賀状によると、昨年12月に会社を退職して故郷の鹿児島に帰り、兼ねてより計画していた民宿の経営を始めたとのこと。「楽天トラベル」や「じゃらんネット」に掲載されているというので、覗いてみたらなかなか瀟洒な建物である。鹿児島へ旅行することもそうはないかと思うが、出掛けることがあったら、是非宿泊させて戴こうと思っている。 このブログをご覧の皆さまも鹿児島旅行をされる際には是非お泊り下さいませ。 民宿経営が順調に運ぶよう、そして、H氏の第二の人生が素晴らしいものとなるよう、願って、小生も宣伝に「勝手に」協力させて戴くべく、本ブログにて紹介させて戴くこととしました(笑)。 民宿・星の栖の詳細はココをクリックして下さい。(民宿・星の栖) 所在地 鹿児島県志布志市有明蓬原4100-3 電 話 099-475-0960テーマ2.囲碁 本日は今年になって2度目の「囲碁の会」の日。今年の最初の囲碁の日は6日でした。6日は電車で梅田に出ましたが、今日は天気も好かったので、自転車で行くこととしました。天気は確かに好かったのだが、風が冷たい。走り出すと耳がじんじんして来て、手の指先も手袋をしているのに冷えてじーんと痛くなって来るのでした。それでも懸命にペダルを漕いでいると、やがて体がポカポカしてきて、気が付けば耳も指も痛くなくなっているのでした。一時は雪も舞いましたが、大阪はやはり瀬戸内気候ですな。日本海側や九州の大雪をよそに、すぐに止んでしまいました。 さて、それはさて置き、囲碁の戦績でありますが、今年も快調が続いています。今年最初の囲碁となった6日はF氏に3勝、T氏に1勝で4戦全勝。そして、今日もF氏に2勝、T氏に1勝で3戦全勝。昨年暮れの大学同窓会の囲碁サークルで1敗したので、連勝記録は厳密にはストップしているのだが、この「囲碁の会」に限ると昨年暮れにかけての9連勝に続き、今年も7連勝で通算すると16連勝と、連勝はなお続いているのである。 F氏にはかつては殆ど負けていたのが、この処ずっと勝っているので、F氏曰く「強くなった」とお褒めに与った次第でありますが、本人は一向にそんな感じがないので、何故勝てているのか不思議な気分なのである。F氏が仰るように実力が付いて来ているのなら嬉しいことでありますな(笑)。
2010.01.13
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本日12日は友人蝶麻呂君と武庫川を銀輪逍遥する予定でありましたが、雨で中止。14日に順延いたしました。という訳で本日は銀輪散歩もお休み、昨日の銀輪散歩で撮影した風景2点を掲載して置きます。 アブチロンまたの名はチロリアンランプ。これは先日の第51回智麻呂絵画展の冒頭の絵でもありましたが、冬にもこのように咲いているのですな。花の少ないこの季節、真っ赤な可愛いこの花は、有難いと言うべきですかな。 冬里の 風の寒くも 人こそは チロルの赤き 花と咲かなむ (偐家持) アメリカ楓(モミジバフウ)がすっかり葉を落とし、冬空に実を沢山つけていました。乾いた風の音が似合いますな。ほつ枝の先を、目にこそ見えね、光る風が渡って行きます。アメリカ楓の並木道を散歩の人が黙々と行き交う。冬の朝の公園でした。 (アメリカ楓の実)
2010.01.12
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偐万葉・大和はまほろば篇(その8) 大和はまほろば氏のブログに訪問させて戴き、氏の俳句に下2句を付けて和歌にするという遊びを始めて、かなりの月日が経ちましたが、氏のブログに書き込んだ歌も今回の28首で合計350首にもなりました。 大和氏の俳句は俳句として味わって戴くべきものであるのは論を俟ちませんが、他人が下二句を付けることによって、また違った景色や雰囲気のものになる面白さというものもあるかと存じます。雑俳とか連歌はその類のものですが、偐万葉風「連歌」をお楽しみ下さいませ。(なお、色字の575は大和氏の俳句、黒字の77が偐家持の下句付けです。黒字の俳句は偐家持こと筆蕪蕉の作です。写真は全て大和氏のブログからの転載です。歌の末尾の括弧内の作者名は偐家持が適当に付けています。) 偐家持が大和の国まほろばの麻呂に贈りて詠める歌28首他石松が 先頭を行く 鴨の陣 尻の次郎長 大鴨小鴨 脇固めてむ (向ふ水鴨) 上の歌は、前回末尾の俳句の先頭が次郎長から石松に 変りたるによりて歌も変りたるものなり。木枯しや 校門脇の 金次郎 かかはりねえと 見る人もなき (木枯らし紋次郎) 冬来る 柱状節理の 襞深し ガイアの記憶 たためるならむローカル線 スピード上げる 師走かな 用なき身をも 月のせかせし (暇家持) 円高も デフレも忘れ 河豚汁 肝(きも)温めて すするこの頃 (づぼらや清兵衛)十二月 釣り糸たれる 輩かな 鮎の走らぬ 師走にあれど (鯉野鮒夫) 冬将軍 皇帝ダリアを 打ち倒す ロシアの冬の 果てなき地平 (ナポレオン・ボナパルト)芦の原 日没間近 鴨の池 夫唱婦随の 鴨にしのこる (たそがれ亭主) 飛火野の 空の広さや 冬木立 春日のとぶひ 知らず立ちける (偐天智)二十日ほど 咲き続けるか 残菊(のこりぎく) かくしぞあらば 神酒(みき)し交はさむ み仏の 螺髪(らほつ)に似たる 花八手(はなやつで) 蜂のとまりて 往生しまっせ (チッチ機知ー)鴛は いつも仲良く 手をつなぎ とは限らぬが 事の真相 (家鴨は見た) 翡翠(かはせみ)が 野糞遊ばす 木陰かな 糞も翡翠(ひすい)も 魔除(まよ)けなりせば (糞真面目)薄氷(うすらひ)の 池に驚く 真鴨かな 大和もマジに 寒くなりけり (若者語の軽家持) 入り口の 氷柱が伸びる 田舎宿 勝手にござれと いふのよかりき (田舎家持)肌を射す 風の向ふの 冬夕焼 山らは囲炉裏 囲みてやある (冬至の家持) 凍死など せねば良いがと 捨案山子 冬の山田の 派遣切りかも (季節労働者)吹き抜けの ビルの真ん中 大聖樹 み神の愛の あまねくあらむ (メリークリスマス) 丑年は 残り二日や 狂ひ花 酔ふても未だ トラにはならぬ (数え日家持)数へ日も のこりひとつの 里帰り (筆蕪蕉) 過ちは 皆過ぎたこと 除夜の鐘 人みな清き 顔となるらし 初日の出 信貴山の寅 目を覚ます 南無毘沙門天 不況止めたまへ (神頼み不況対策)寅の年 北陸本線 虎落笛(もがりふえ) 泣けと旅ゆく 雪野の原を (演歌の偐家持) 大吉を 枝にくゝるや 初詣 見つめて居りぬ 砂ずりの藤 (偐春日老)風神の 撃ち落としたる 凧二つ 見上げて居りぬ 在りし日の空 晴れの日の 三日続かぬ 木瓜の花 ギャルとふものの 恋にも似たる (マジっすか?)空瓶の 数ばかり増え 寝正月 やがて寝がへる ことも憂き腹 (蛙腹一酒) 凍てる朝 ふくら雀の 二十匹 正月休みも 終りぞなもし (屋根の上の雀)土壁に まだ残りたる 蔦紅葉 見る人なけれ けなげに赤き (秋の置き土産)
2010.01.08
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第51回智麻呂絵画展 智麻呂絵画のファンの皆さま、明けましておめでとうございます。旧年中は絵画展へのお運びまことに有難うございました。また、多くのお励ましの温かきコメント感謝に堪えません。今年も頑張って絵画展を続けてまいりますので、よろしくお引き回しのほど謹んでお願い申し上げます。 平成22年正月 絵 師 智麻呂 偐家持美術館館長 偐家持 ということで新年最初の智麻呂絵画展であります。 (アブチロン) <参考> アブチロン この花はブラジル原産にて、別名「浮釣木(ウキツリボク)」、「チロリアンランプ」。最近はよく見かけますが、我が家の庭にもひと株ありますな。あらたしき 年のゆく道 照らせるは 人のやさしさ チロリアンランプ (偐家持) (クッキー) このクッキーは和郎女さんのお土産。 一個ずつラップされているのを剥がして、智麻呂氏はクッキーを並べて居られます。 そこへやって来られた恒郎女さん、クッキーでも戴こうかしら、とそれが入れられている篭に手を伸ばしかける。 その時、智麻呂氏が、捩り棒タイプのクッキーを指さして何事かを仰いました。 「食べるなら、これを食べなさい。」と言われたものと理解した恒郎女さんは、「有難う」と、ひとつつまんでパリパリ、ムシャムシャ。 智麻呂氏 「・・・<怒>」 恒郎女様 「???・・・」 智麻呂氏は「これは食べないように。今から絵を描くので。」と仰っていたのでありました。肝胆相照らすご夫婦にしても、なお、時にこのようなコミュニケーションの齟齬があるのでありますな(笑)。 かくて、3本描かれる筈であった捩り棒タイプが上の絵では2本になっています。 ちょっとお菓子(?)なお話でありました。 (ポインセチア) (蜜柑1) 柿かと思いきや、蜜柑でした。昨年、偐家持の知人が高松で蜜柑園をやり出したとの案内を受けたので、彼に依頼して智麻呂氏に送って戴いた蜜柑である。先日の智麻呂邸訪問でその旨の指摘を受けましたので、遅ればせながら、訂正して置きます。 (山茶花) これは前回(第50回)にもご紹介いたしました、ご近所の美人の奥様がお持ち下さった山茶花であります。 この絵は前作以上に「力」が入って居りますなあ(偐家持談)。 (蜜柑2) この蜜柑は多分、熊野の蜜柑でしょう。槇麻呂さんのお土産です。 熊野と言えば、人麻呂の み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 百重(ももへ)なす 心は念(も)へど 直(ただ)に逢はぬかも (巻4-496) でありますが、槇麻呂で蜜柑でありますから、 み熊野の 丘の蜜柑の 数多(さは)にもや 心に念(も)へる 君にしあれば 位にして置きましょうか(笑)。 (林檎) これは偐山頭火さんのお土産。色々と絵のネタを届けて置いた、と仰っておられましたが、これもその一つでありましたか。 若草読書会の皆さま 絵のネタにご協力有難うございました(笑)。
2010.01.03
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初詣、と言っても小生のそれは、単なる散歩に近いものなのであるが、近所の枚岡神社と石切神社を回って来ました。さすがに2日の夕刻近くとなると人出もさほどではありませぬ。自宅からこの二つの神社を徒歩で回って帰って来ると1時間余になるから、軽い散歩には丁度よいコースなのである。 (枚岡神社拝殿) (枚岡神社) (石切神社) (石切神社拝殿)
2010.01.02
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あけましておめでとうございます。昨日(きそ)こそは 年は極(は)てしか 春霞 春日の山に はや立ちにけり (巻10-1843) 新年が皆さまによき年でありますように。 旧年中のご芳情に深謝申し上げます。 本年も相変りませず「偐万葉田舎家持歌集」をご贔屓賜りますようお願い申し上げます。 2010年元旦 けん家持 (蛇足) 今年は平城遷都1300年ということで、奈良と万葉集に注目が集まることと思います。 そして、大伴家持が、万葉集の最後(巻20-4516)を飾る歌 あらたしき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)を、因幡で詠んだのは、天平宝字3年(759年)1月1日ですから、去年が丁度1250年に当たっていました。 そんなこんなで万葉集に関心が集まったのも当然でありますが、それかあらぬか、昨日、大晦日の紅白歌合戦でド派手な衣装で小林幸子が歌った「万葉恋歌-君待つと」も、額田王の歌と磐媛の歌をアレンジしたものでありましたですね。(大伴家持曰く「ワシが理解できる唯一の歌であったぞなもし。」) まあ、そんなことでこの偐万葉も読者が増えれば有り難いのでありますが(笑)。寅年ですから、トラぬタヌキの何とやらになりそうであります。
2010.01.01
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