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第11回和郎女作品展 本日は若草読書会の新年会でありました。出席者は智麻呂、恒郎女、凡鬼、謙麻呂、小万知、祥麻呂、香代女、和麻呂、槇麻呂、和郎女、りち女、偐山頭火、偐家持の13名。 午前11時から午後6時頃まで楽しい時間を過ごしました。恒例の歌会の作品は追って取りまとめ、河内温泉大学図書館にて公開の予定であります(笑)。 で、本日は和郎女作品展であります。今日、彼女は最近制作した作品を多数お持ち下さり、参加者への土産として下さいました。それらのいくつかを写真に撮りましたので、第11回和郎女作品展となった次第。 <参考> 過去の和郎女作品展はコチラからどうぞ。 辰年の年始ということで、作品のモチーフは、やはり辰・龍であります。 「龍馬がゆく」ならぬ「龍馬が並ぶ」であります。(龍)(龍2) 上二つの龍は、1月24日に智麻呂邸を訪問した際に撮影したものであり、これより下の作品が本日撮影のものであります。(鞠)(鞠2)(フクロウ) 上は、誰かが「フクロウ」と言ったので、そう記載しましたが、よく見るとこれも「龍」のような気もして来ました(笑)。六地蔵 ならぬ五龍の ゴリュージャー ゴレンジャーには 似て非なる龍 (偐龍麻呂) 以下は龍づくしであります。 辰年に因んで、色んな龍を作って下さいましたが、いづれも生き生きとした見事な作品であります。 参加者皆で、あみだくじを作って、これらの分配をいたしました。一人につき2~3個戴けるという作品数の多さ。 ヤカモチは下の赤龍と赤い楊枝入れを戴きました。(青龍)(青龍2)(青龍3)(青龍4)(赤龍) 万葉に龍の歌はないかと探したら、大伴旅人の歌に、こういうのがありました。龍(たつ)の馬(ま)も 今も得てしか あをによし 奈良の都に 行きて来むため (大伴旅人 万葉集巻5-806) この歌は大伴旅人が太宰府の師(長官)であった時に、都に居た親しい女性に贈った歌2首のうちの1首であるが、龍に乗ってなら都へ行って貴女に逢って帰って来れるのに・・と言って居りますな。現代の新幹線を目にしたら、旅人は「こは龍の馬なるか」と驚き喜んだことでしょうな(笑)。 女性がそれに答えた歌も出ています。龍(たつ)の馬(ま)を 吾(あれ)は求めむ あをによし 奈良の都に 来む人のため (万葉集巻5-808) 女性の方は、「それなら、わたしは貴方のために龍を買い求めましょう。」と言って居りますな(笑)。 大伴旅人が太宰の師であったのは727年(神亀4年)から730年(天平2年)10月までの3年間であるから、この歌のやりとりもこの間のいづれかの時期になされたものであろうか。してみると、彼の63歳から66歳までの間ということになる。彼は731年、67歳で没しているから、最晩年の歌ということになりますが、60歳を過ぎても遠距離恋愛、なかなかなものです。 ところで、大伴家持の処女作「うち霧らし 雪はふりつつ しかすがに 吾家の園に 鶯鳴くも(万葉集巻8-1441)」は732年家持15歳の時であるから、旅人は息子家持の歌を知らぬままに没したことになりますな。(白龍) さて、凡鬼さんに龍の俳句はなきかとその句集から探してみました。直接にこれを詠んだものはありませんでしたが、こんな句がありました。竜渕に 潜みて水の 嵩あがる (注) 秋の季語に「竜渕に潜む」がある。(白龍2) 凡鬼句集には龍の句が見当りませぬが、龍の字を含む句に範囲を広げると、結構見つかりましたので、ご紹介して置きます。古典とは 埋もれ火のごと 竜の玉朴訥な 男ありけり 竜の玉寒山も 拾得も好き 竜の玉 (注)竜の玉=ユリ科多年草のリュウノヒゲの実のこと。冬の季語。草莽(そうもう)の 志士の赤心 笹(ささ)竜胆(りんどう)片肌を 脱いでお龍の 菊人形恐竜の 時代からの木 冬日差賢人の ごと腰低き 臥竜梅(龍のストラップ) これは一転、可愛い龍であります。鈴が付いています。 龍の鈴は「ロンロン」と鳴るのでもあるか。(楊枝入れとクマのストラップ) もうひとつは、更にも可愛いクマのストラップ。そして、ヤカモチも頂戴した楊枝入れであります。
2012.01.29
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崇福寺跡から更に登って行くと夢見が丘展望台・比叡山延暦寺・ロープウェイとケーブルの乗り場「ひえい」を経て京都側の修学院へと行けるのであるが、今回は近江神宮・弘文天皇陵へと向かうので山を下ることに。 来る時にやり過ごした百穴古墳群を見て行くことにする。百穴古墳群については現地説明板をご参照下さい。(百穴古墳群現地説明板)(百穴古墳群)<追記 2020年7月11日>以下、縦長の写真が何故か横倒しになってひしゃげていたので、正しい姿に修正しました。 崇福寺への参道の道は前ページの志賀大仏を始めとして石仏の多い道でもある。(参道の石仏)(同上) 見晴らしのよい道に出ると琵琶湖が眼前に広がり、東岸に青く霞む山々の中に三上山がひときわ目立っていましたが、近江富士と呼ばれるのも納得であります。(対岸には近江富士の三上山が見える。) 更に下った処でコースを右(南)に取り、南滋賀町廃寺跡を経て近江神宮へと向かう。(南滋賀町廃寺跡) (同上) 発掘当初は崇福寺、或いは桓武天皇の建立の梵釈寺かとも考えられたが、その後、崇福寺跡が発見されたことから(また、梵釈寺は崇福寺に近接して建てられていたものであるから)、今はそのいづれでもなく、寺名不詳として南滋賀町廃寺と呼ばれている。 <参考>近江神宮ホームページ(近江神宮楼門)(近江神宮内拝殿) 近江神宮は天智天皇を祭神として昭和15年に創建された神社であるが、小倉百人一首の第1首目の歌が天智天皇のものであることもあってか、かるた名人位・クイーン位決定戦を始めとして、かるた関連の行事が色々と行われ、「かるたの殿堂」とも称されている神社である。 ということで、先ず天智天皇の歌碑から見て行きましょう。(天智天皇歌碑)秋の田の 刈り穂の庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ (天智天皇 後撰集302 小倉百人一首1) この歌は、万葉集の「秋田刈る 仮盧をつくり 吾が居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける」(巻10-2174)の作者不詳の歌の改作であり、天智天皇が作った歌ではないが、そういう細かいことを言わないのが伝承というものである。 偐家持が今風にこれを改作すればこうなりますな。国の庫(くら)の 借入れ物入り 無駄をかさね わが消費税は 遂に増やしつつ (転嫁天皇)(芭蕉句碑)から崎の 松は花より 朧にて (芭蕉) 偐家持風に追和すれば、おれおれと 言ふははなより 金めあて (鷺翁)ですかな(笑)。(高市黒人歌碑)ささなみの 国つ御神(みかみ)の うらさびて 荒れたる京(みやこ) 見れば悲しも (高市黒人 万葉集巻1-33)(柿本人麻呂歌碑)淡海(あふみ)の海(み) 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ (柿本人麻呂 万葉集巻3-266) さすがに「かるたの殿堂」と称される神社だけあって、境内には多くの歌碑が建っている。一般の方の歌碑も多くあるが、そんな中に保田與重郎氏の歌碑もありました。 先日の榛原から桜井への銀輪散歩で立ち寄った白山神社境内の万葉集発耀讃仰碑の揮毫者が同氏でありましたが、ここでもご対面でありました。同氏のお墓が、芭蕉の墓でも有名な義仲寺で見掛けたように記憶しているが、さてこの記憶確かなのかどうか(笑)。 <参考>山の際にいさよふ雲は・・(保田與重郎歌碑)ささなみの 志賀の山路の 春にまよひ ひとり眺めし 花ざかりかな これは、同氏の20代半ばの作とのことです。(近江神宮・一の鳥居) 近江神宮の鳥居前(神宮前バス停)を過ぎ、大津京錦織遺跡など見つつ、JR大津京駅を過ぎ、京阪石坂線別所駅近くの弘文天皇陵へ。 弘文天皇(大友皇子)は明治になって追号されたもので、即位の儀式もせぬ間に壬申の乱に敗れ死亡したことから、それまでは天皇とは認められていなかったものである。(弘文天皇陵参道碑) 弘文天皇陵は大津消防署の裏手にひっそりとある。三井寺(園城寺)は大友皇子の子の大友与多王が創建した大友氏の氏寺であったのだから、この地域は大友氏の勢力下にあったのであろう。大友皇子の墓がこの地にあるのも故なしとしないと言うべきか。(弘文天皇陵)(同上) 御陵の前の石鳥居を潜って奥に行くと新羅善神堂という立派な建造物があった。国宝とのこと。新羅明神は三井寺初代長吏、智証大師円珍の守護神であったそうだから、これも三井寺の守護神として建立されたのであろう。説明板によると暦応3年(1339年)足利尊氏によって再建されたとある。 立入禁止の札が立っていて、中には入れませんでした。(新羅善神堂)<参考地図><関連記事>崇福寺へ
2012.01.27
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本日は予てより計画の崇福寺跡へ出掛けて参りました。 如何なる経緯でかは忘れましたが、もう20年近く前に今は亡き父と弘文天皇陵-近江神宮-崇福寺跡と歩いたことがあるので、再訪である。 今回のは、昨年12月25日に奈良県榛原の春日宮天皇妃吉隠陵を訪ねた(12月25日記事参照)のと同じ理由による訪問である。 万葉の昔、多分690~694年頃のこと、穂積皇子と但馬皇女との恋愛事件をよしとしなかった持統天皇は、二人の仲を裂くために、勅命により穂積皇子を志賀の山寺に遣わしました。その山寺が崇福寺なのであります。この寺は近江遷都の翌年に天智天皇によって創建されたもので、天智天皇の菩提寺でもあった。もっとも、恋愛事件とは関係なく、持統天皇即位の報告を父である天智天皇に報告するために穂積皇子を崇福寺に遣わしたという説などもあって、真相は分らないのではある。 京阪電車石山坂本線の滋賀里駅下車。今回は自転車は持参せず、昔、父と歩いたコースを逆に歩いてみようというものである。(志賀八幡宮) 駅を出て西(山側)へ。正面に志賀八幡神社が見えて来る。崇福寺跡へはこの神社の南側の坂道を登って行くのである。(志賀八幡宮本殿)(崇福寺への道・百穴古墳群付近) 右手の竹林の中には百穴古墳群があるが、帰途に立ち寄ることとし、先に進む。程なく小さなお堂が見えて来る。(志賀の大仏)(お堂の扁額) お堂の前の説明は阿弥陀仏、扁額には弥勒菩薩とあるが、どっちなんですかね(笑)。お堂の先で道は分岐し左が「志賀峠越え」、右が崇福寺である。 (山道となる。) (崇福寺鳥瞰図<現地看板から>)(上空からの写真・現地看板掲載写真)(崇福寺跡碑・金堂跡) 誰とてもおとなふ人の影もなく、時折り風花が散り来るばかり、礎石は枯れ葉に埋もれつつ身じろぎもせず沈黙しているばかり。 崇福寺は、天智天皇による創建であるが、延喜式によると、天智没後にその菩提寺となっており、僧を百人以上は擁していた官寺であったとのこと。また後には草壁皇子もこの寺に祀られた形跡があるとのことで、4月13日(草壁皇子命日)と12月3日(天智天皇命日)には悔過(けか)(罪障懴悔の仏事)が催されていたらしい。(金堂跡・講堂跡)さざなみの 志賀の山寺 とふ人の たれやあるらむ 風花散れる (偐家持)崇福寺(すうふくじ) 跡とひ来れば 枯れ葉積む 石の静寂(しじま)に 小雪の降れる (偐家持)(同上)(金堂・講堂配置図<現地看板から>)(講堂跡)(小金堂・塔配置図<現地看板から>)(小金堂跡<手前>から塔跡を望む。)(塔跡<手前>から小金堂跡を望む。)(弥勒堂配置図<現地看板から>)(弥勒堂跡) 崇福寺を後にし、山を下る。この後、百穴古墳群、南滋賀町廃寺跡、近江神宮、弘文天皇陵などを廻りますが、本日はここまで。続きは明日にします。<参考地図>
2012.01.26
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偐万葉・英坊篇(その5) この処、銀輪散歩も近所の毎度のコースにて記事にアップするほどのこともありませんので、英坊2さんにおすがりの、偐万葉・英坊篇(その5)といたします。シリーズ第129弾であります。 <参考>過去の偐万葉・英坊篇はコチラからどうぞ。 英坊2さんのブログはコチラからどうぞ。 偐家持が英麻呂に贈りて詠める歌16首併せ英麻呂が作れる歌7首 英麻呂が贈り来れる歌1首闇を突き 彩光放つ エコツリー 寒風とばし 得るは癒しよ 偐家持が返せる歌1首冬の夜に かけしツリーは 高岡の 兒ろの思ひぞ 町きらきらし 英麻呂が贈り来れる歌1首目を凝らし 池のしらとり かぞえるも たが易くには 許さなく飛ぶぬし 偐家持が返せる歌1首三十一(みそひと)の かもめのほかに 三四羽(さんしは)も 居れば字余り さらに構はじ塩辛に すみさすものぞ 黒作り 酒の肴に よしとぞ言へる (偐烏賊麻呂) 初春の 賞(めで)の寿しなる かぶら寿し ありてぞ越は 年も明くなり (偐蕪村) 英麻呂が贈り来れる歌1首秋のはな 色のきそいと ほの香り 細工と知れど 伝う趣き 偐家持が返せる歌1首越にありて 春待つ背子に 贈らばや 過ぎにし秋に 咲きし花これ三輪山を またも隠すか ヤカモチの 銀輪進まず 長谷(はせ)に果つとは (今日の英田王(あかたのおほきみ)) (本歌)三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情(こころ)あらなむ 隠さふべしや (額田王 巻1-18)ひむかしの 野に輝ける 辰見えて 代り時なり 卯もかたぶきぬ (卯辰山の人麻呂) (本歌)東(ひむかし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへりみすれば 月西渡(かたぶ)きぬ (柿本人麻呂 巻1-48) 英麻呂が贈り来れる歌1首始春( はつはる)へ 龍の勢い トルネード なびく雲まに 湧く彩の色 偐家持が返せる歌1首君が家(や)の めでたき春に 彩(いろどり)を 添へばやわれは 絵を並べなむ来(こ)しと言ふも 来(こ)じとなりては 高岡ゆ ふみはもう見ぬ こととなるらし(越木部内侍(こしきぶのないし)) (本歌)大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 (小式部内侍) 英麻呂が送り来れる歌1首銀輪が 空を飛んだか 峰上か 見おろす肌さき 富山の海ぞ 偐家持が返せる歌1首たたなづく 青山垣を 見まく欲(ほ)り 時に銀輪 空をも駆けぬ (銀輪家持)遠山へ 雪煙りつつ しかすがに 競(きほ)ひ咲き始(そ)む 吾家(わぎへ)の花は 勝山や 生野の道も 寒からず まだ雪も見ず 晴れの大阪 (小雪もないし) (本歌)大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 (小式部内侍) 英麻呂が贈り来れる句併せ偐家持が付けたる脇句菜の花や ああ菜の花や 菜の花や (偽芭蕉) 夢で花野を 駆けめぐる (幻家持) 英麻呂が贈り来れる歌1首こで毬に じゃれてみたいが 人混みに 身も竦み居り 目をほそめ見る 偐家持が返せる歌1首人すなる 蹴鞠せむとや 思ほえど 猫にしあれば 蹴るはかたかり (ネコ・ルーデンス)新(あらた)しき 年の始めは キムチ鍋 おでんもあれば どちと囲まな (注)どち=仲間、友達 ~な=~しよう。「な」は意思の助詞。 (本歌)新(あらた)しき 年の始めに 思ふどち い群れてをれば 嬉しくもあるか (道祖王 万葉集巻19-4284) 英麻呂が贈り来れる歌1首クッキーと 花の絵を見て 腹ふくれ ひとかたきの飯 夕飯のうく 偐家持が返せる歌1首一片食(ひとかたけ) うきて夕食 抜く背子は キムチの鍋を 食ひ過ぎたるか (どち麻呂)このたびは 雪も掻きあへず たまげ山 降り積む雪の 降り積むままに (菅原雪真) (本歌)このたびは ぬさもとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに (菅原道真 古今集420 小倉百人一首24) (注)掲載の写真は全て英坊2さんのブログから転載しました。
2012.01.25
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第93回智麻呂絵画展 今日、今年初めて智麻呂邸を訪問して参りました。新年早々に風邪を引いたこと、パソコンが故障したことなどが重なり、例年になく遅い新年のご挨拶訪問となりました。風邪を智麻呂さんにうつしては申し訳ないので、完全に治るまで待っていたこともあって随分と遅い新年のご挨拶となってしまった次第。智麻呂氏は遅いヤカモチの訪問を待ち兼ねてか、先日、小生がご馳走の前に坐って何やら資料を広げながら話をしている、という夢をご覧になったらしい(笑)。 ということで、新作10点を仕入れて参りましたので、第93回智麻呂絵画展の開催であります。どうぞごゆるりとご覧になっておくつろぎ下さいますれば幸甚に存じます。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(クッキー) ご入場早々にティータイム乃至はコーヒーブレイクでありますな。クッキーやケーキがズラリと並んで、デザート・バイキングの趣と相成りましたが、どうぞ、お好きなものをお好きなだけお召し上がり下さいませ(笑)。 上のクッキーは和郎女さんからの贈り物。下のケーキは五◎さんからの贈り物とのことです。(ケーキ) 五◎さんからのいつものフルーツケーキ、本日は小生もそのお裾分けを頂戴いたす栄に浴しました。春風を 込めてや妹は 作るらし ケーキの甘き 香の立ちぬれば (偐家持) (チューリップ) チューリップは智麻呂さんのご所望により、恒郎女さんがお花屋さんで買って来られたものであります。固い蕾であり、ちょっと風情に欠けるなどと憎まれ口を言いながら、部屋のテーブルの上に置いて、智麻呂さんが描いていらっしゃいましたが、見る見るうちに大きく花が咲きこぼれ、いつの間にやら「それは咲き過ぎ」という位になってしまったらしい。かくて上の赤い花なんぞは一見チューリップのようにも見えませぬが、実は「咲き過ぎ」のチューリップなのであります。 チューリップを写生する時は決して花の咲き加減について悪口を言ってはならないということなのであります。彼らはちゃんと人の言葉を聞き分けているのであります(笑)。本日、小生がお訪ねした時は、更にも大きく咲き(「咲き」よりも「裂き」が似合う程に)開き、これでもかと言わんばかりにて、もうとても絵にはならない「しどけなさ」になっていたのでありました。(チューリップ2) チューリップは品種も多様で咲く時期も色々ですが、これもまた春を代表する花でありますな。チューりップ畑というと、新潟県と富山県ですが、この両県の県花はチューリップです。 和名は鬱金香(うこんこう)。チューリップでも鬱金香でも万葉調の和歌にはちょっとなりにくい名前である。吾妹子が われにくれたる 鬱金香 ここだも咲きて 春の笑むらし (偐智麻呂) (チューリップ3) (水仙) 上右は、前回の絵画展でも登場の智麻呂邸の門前に咲いている水仙であります。(ロウバイ) 梅は春告げ花とも言うようですが、その梅に先立って咲く蝋梅こそが春告げの花かも知れませぬな。その馥郁たる香に包まれながら、我々は春を待つのでもあるか。 上の蝋梅と下の金柑は、智麻呂さんのご友人にして智麻呂絵画のファンでもいらっしゃる寺◎さんが枝を手折り、絵の題材にとお持ち下さったものであります。遠山に 雪は降りつつ しかすがに 吾家(わぎへ)の庭に 蝋梅咲くも (偐家持)金柑の 色はつはつに 我が背子が 持ち来たりける 初春なりぬ (偐智麻呂)(金柑)(吹き寄せ) 上のお菓子は偐山頭火さんご持参のもの。 本日も智麻呂絵画展をご覧下さり、有難うございました。<追記・注>「クッキー」の写真が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月13日これを復元修正しました。●過去記事の写真が歪んでいたりすること 2020.10.12.
2012.01.22
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パソコンの故障でブログ更新を休んでいましたが、本日午前中に修理が済み手元に帰って参りましたので、漸くブログに復帰です(笑)。 ちょっと古い話になりますが、パソコン故障中の1月15日に、我が地元の枚岡神社で蹴鞠の奉納がありましたので、それをご紹介して復帰のご挨拶とさせて戴きます。 蹴鞠は奈良県桜井市の談山神社のそれが有名ですが、飛鳥寺の庭での蹴鞠で中大兄皇子の沓が脱げたのを中臣鎌足が拾って差し出したことで二人が近付きとなり、大化改新への伏線となるという話なども思い出される方も多いことでしょう。。 いつの頃よりか枚岡神社でもこれが奉納されるようになりましたが、今回奉納される蹴鞠は京都府の蹴鞠保存会の皆さんによるもの。 蹴鞠の鞠は鹿皮で作られた白いボール。演者が、神主から梅の枝に挟まれた白い鞠を恭しく受け取り、鞠場の中央で、屈んで衣の下に隠したままで枝から外して鞠を取り出しキックオフとなる。 4人が蹴る役でその4人の間に外れた鞠を拾うアシスト役の4人が加わり、総勢8人で行れます。 相手が受け止め蹴り易いように蹴り出すのが大事で、いかに上手く長くパスが続くかを楽しむ、或いは神にそれを楽しんで戴くというもの。 神社の片隅には、童子森の母さん宅のぽぽちゃんによく似た猫がいましたが・・(笑)、蹴鞠には興味ないようにて・・ご覧の通りでありました。
2012.01.20
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本日、先ほど修理センターから電話があり、明日午前中にパソコンが修理を終えて帰って来るようです。予想より早いご帰還です。早速、明日午後には新しい記事をアップ致しますので、よろしくお願い申し上げます(笑)。復帰第1号の記事は、枚岡神社の蹴鞠の話題にさせて頂きます。
2012.01.19
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本日パソコンが故障し、画面の立ち上げも不能となり、ブログ更新が出来なくなりました。明日修理に出しますが、修理完了までブログをお休みさせて頂きます。この文章も携帯電話で管理画面を開いて記入しています。一日も早い復帰ができますように祈りつつ、暫しのお別れであります(笑)。
2012.01.12
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本日は今年最初の囲碁例会でありました。 参加者は竹◎氏、福◎氏、青◎氏、平◎氏、村◎氏と小生の6名。 最初に福◎氏と手合わせ、何やら相手ペースに嵌ってしまい負け、黒星スタートとなりました。続く竹◎氏には終盤大きな勘違いで6石を取りこまれるミスで地をかなり減らしたのが響き、負け。2連敗。 今年は最悪のスタートかと思いましたが、次の村◎氏には大石を仕留めて中押し、次の平◎氏にも右上隅の黒石を仕留め、中押し勝ち。最後に青◎氏とお手合わせ。中盤から後半にかけて、凌いでいた当方の石が相手の弱みに上手く絡んで地を稼いでしまい、十余目の勝ち、で3連勝。3勝2敗で何とか一歩前進の、囲碁始めと相成りました。 いつものアポロ・カフェで昼食・珈琲の後、梅田スカイビルの花野を散策。菜の花が咲いて、春が微笑んでいましたが、一方ではすっかり葉を落としたナナカマドが赤い実をつけて、強いビル風に揺れているなど、こちらは冬の佇まいでありました。(梅田スカイビル・花野の「菜の花畑」)(同・花野のナナカマドの実)ナナカマド 実の照るなへに 菜の花の 咲きたる春は われにし笑みぬ (偐家持)
2012.01.11
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偐万葉・若草篇(その6) 本日も偐万葉にお付き合い戴きます。 偐万葉シリーズ第128弾は、若草篇(その6)であります。 <参考>前回までの偐万葉・若草篇はコチラからどうぞ。 偐家持が小万知に贈りて詠める歌4首割れ柘榴 少し歯抜けに 嗤へるは まさしに小万知 つまみて食ひし (柘榴小町)山芋の 熱き絆の もみぢ葉も 明けては昇る 龍ともならむ小町もや 桜が詠める もみぢ葉の 母思(も)ふ歌に 泣けると言へり (在原泣平(ありはらのなきひら))身をひそめ めでたき春を はからむに よに春蝉の 咳はゆるさじ (咳少納言) (本歌)夜をこめて 鳥の空寝は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ (清少納言 後拾遺集雑2、小倉百人一首62) <注>この項に掲載の写真は小万知さんの提供です。 偐家持が偐山頭火に贈りて詠める歌12首 並びに偐山頭火が作れる歌2首秋たけて 木陰にパソコン 長い長い ブログぞ書かな 偐山頭火脛の傷 またかと妻も 慣れたれば 足を洗へと 今は言はなく年々の 花の命は 短けど などや嘆かむ 継ぎてぞ咲けば 偐山頭火が奈良田の湯にて作れる歌1首 奈良麻呂の 乱を押さえて 上機嫌 朕は奈良田で 長期逗留 後に偐家持が追和して作れる歌1首橘の 実をば浮かめて 湯もよしと 思へど奈良田 ゆめのまたゆめ (注)ゆめのまたゆめ=「夢のまた夢」と「湯めのまた湯め」を掛けている。 奈良田の湯=山梨県南巨摩郡早川町奈良田の温泉。孝謙天皇が逗留したと いう伝説がある。 きりもなき 東(あづま)の旅も フーテンの 寅にし逢ひて 矢切りなりけり (葛飾西斎) 偐山頭火の贈り来れる歌1首わさび漬け 熱きご飯に 船出せし 食べ去(さり)し葉の 跡なきごとし (沙弥山頭火) 偐家持が追和せる歌1首わさび丸 船乗りせむと 描(か)く待てば 飯も炊(た)けぬる 今は掻き入れな (恒田王(つねたのおほきみ)) (注)わさび丸=静岡のわさび漬の商品名。舟形の容器に入っている。 (本歌) 熟田津に 船乗せむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎ出でな (額田王 巻1-8)めくるめく ことにはあらね 日めくりを めくりめでたき われが初春 (眩家持)新しき 風にあるかや 若草の 里の芋の絵 つばらにぞ見む (偐家芋) (注)つばらに=くわしく、じっくりと熱き湯も 酒も駄目なる ヤカモチは 蝶もかたかり 風邪とや生きむ散りぬべき 時は過ぎにし 花ならぬ 枯れ葉落ち葉の われにしあるか (枯山水)散りぬれど 色は残れり こりずまに なほしときめく ことも人なれ (横川ギリシャ)始末する こと知りてこそ 世の中の 人も人なれ 国も国なれ (細山ギリシャ夫人) (本歌)散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ (細川ガラシャ夫人辞世歌) <注>偐山頭火さんのブログはコチラからどうぞ。 この項に掲載の写真は偐山頭火さんのブログからの転載です。 凡鬼が作れる句2句併せ偐家持の付けたる脇句2句 一画を 金色(こんじき)に染め 銀杏散る 凡鬼 いのちの果ても かくしぞあらな 偐家持 我ここに ありと金色(こんじき) 公孫樹(こうそんじゅ) 凡鬼 空つらぬける 宇宙樹(うちゅうじゅ)なるや 偐家持 <注> この項に掲載の写真は凡鬼さんの提供です。 偐家持がりち女に贈りて詠める歌1首撫で鹿の 招きぞ妹は 足柄(あしがり)の み坂越え来て 言(こと)しるしけむ <注> この項に掲載の写真はりち女さんの提供です。
2012.01.10
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偐万葉・オガクニ篇(その1) 「いや咳、夜ごと」の風邪が未だ治らぬ偐家持。銀輪取材もお休み中ゆえ偐万葉にお助け戴くことと致しました。 我が悪友のオガクニマン氏のブログに書き込んだ歌もいつの間にかそこそこ溜まっていました。オ氏関連はこれまで「どち篇」でご紹介していましたが、今回から「オガクニ篇」として編集することといたしました。 今年最初の偐万葉にして、シリーズ第127弾となります。 <参考>オガクニマン氏のブログはコチラからどうぞ。 オガクニマン氏への歌掲載の偐万葉・どち篇はコチラからどうぞ 偐家持が国麻呂に贈りて詠める歌12首沈丁花(じんちやうげ) まだ咲かなくは 言(こと)の葉の 繁きあるじに あてられぬべし 今更に なにを咲かすと 君いふや 散りてののちの 空(そら)こそよきに (紀散之(きのちりゆき)) (本歌)さくら花 散りぬる風の なごりには 水なき空に 浪ぞたちける (紀貫之 古今集89)たれゆゑの はだれやなぎぞ 雪柳 君が庭にし まだらに咲ける (偐(にせ)庭師(にはし)) (注)はだれ=まだら雪 春は負け 秋こそ見よと 金木犀 芽吹きてあるじ なぐさむならし (秋野見物麻呂(あきのみものまろ))三年(みとせ)はや 迎へけるかや オガクニの 懲りぬ舌鋒 いよよ冴えゆく世捨て人 なれる我はも この頃の 世の様見れば 黙(もだ)も苦しき (黙家持)クマゼミは しゃんしゃかしゃんと 朝鳴きて きりきり午後は アブラゼミ鳴く (偐蝉丸) (注)偐万葉掲載に当り末句を一部修正しました。 チャリ並(な)めて いざうち行かな 渋谿(しぶたに)の 崎ゆ立山(たちやま) 雪の嶺見に (本歌)馬竝(な)めて いざうち行かな 渋渓(しぶたに)の 清き磯廻(いそみ)に 寄する波見に (大伴家持 巻17-3954)老いの坂 未だ越えざり 追坂を 越えてや背子は 越(こし)にし行ける (偐越持)追坂を 今か越ゆらむ わが背子を 追ひ及(し)きがてぬ 辛(から)きその道 (偐追持) (注)追坂=追坂峠の道。滋賀県湖西の道、敦賀へ抜ける手前に追坂 峠がある。わが命 年は極(は)つれど なほしまし あるとし見ゆる 継ぎて相見む君が家(や)の 四つ葉めでたき 初春の 幸(さきは)ひ開き 年越すならし (注)幸ひ=「さきはふ(幸ふ)」は古代信仰上の言葉。幸福な結果をも たらす、霊妙な力を自然に発揮することを言う。 (脚注)1.掲載の写真は、けん家持提供の写真です。オガクニマンさんのブログ 掲載写真を転載してもよかったのですが、余り転載したいような写真 もなかったもので(笑・いや失礼)、けん家持のアルバムの中から適 当なものを選んでみました。実際は、以前はコピーがブロックされて いて転載できなかったので、画像コピーをしていなかったものです。 2.従来、ネタ元の歌がある場合は「元歌」と表示していましたが、今回 からこれを「本歌」と表示することとしました。 「本歌取り」というのは本歌のモチーフ・歌意などを受けて、それをひ ねったり、世界を広げたり、視点を変えたりして詠むことを言うので あり、語呂を真似ての替え歌やパロデイ歌は、ちょっと違うかと「本 歌」ではなく「元歌」という言葉を使って参りました。しかし、そう いう区分が困難なものもあり、そういう生真面目さは「偐」のコンセ プトには似合わぬことでもありますので、全て「本歌」を使うことと 致しました。こんなのは「本歌取り」とは言わない、というご批判は 甘んじてお受け致す所存にて候(笑)。
2012.01.08
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風邪で蟄居のお正月でありましたが、久し振りに少し外を散歩してみました。初詣と言うのではありませぬが、枚岡神社付近を散策です。(枚岡神社本殿) 枚岡神社は河内国一之宮であり、小生の自宅にも近いので度々当ブログにも登場して居りますので、詳しくは省略しますが、春日大社と同じく天児屋根命、比売大神、武甕槌命、経津主命の4神を祀っている。元々は天児屋根命と比売大神を祀っていて、春日大社が出来た時に当神社からこの2神が春日大社に勧請されたもので、そのことから枚岡神社は「元春日」とも呼ばれる。武甕槌と経津主の2神が当神社に祀られるようになったのはその後のことで、この2神は春日大社から勧請されている。 普通、神社には鳥居の脇に狛犬が鎮座しているものであるが、当神社は鹿が鎮座しているのが特長である。(なで鹿<右>牡鹿)(なで鹿<左>牝鹿と仔鹿)(なで鹿のいわれ)※追記:本日(2020年8月29日)上掲の写真が横に倒れた形になっていることを発見し、正しい向きの写真に修整しました。先月にも過去記事の写真でこのようなことがありました。時間経過によってこのようなことが勝手に起こるなら困ったことですが、原因不明です。 上の謂れに記載の通り、鹿は鹿島神宮の祭神・武甕槌命に由来するものである。タケミカヅチとフツヌシは出雲に出向き強談判の末、オオクニヌシに国譲りを承諾させることに成功するという役回りで登場する神であるが、春日大社の社伝では、鹿島神宮から春日大社へ勧請した際、タケミカヅチは白鹿に乗ってやって来られたそうな。それで、奈良では鹿を神の使いとして大事にしているのであるが、「なで鹿」もそれと同様のものでありますな。 なで鹿の居る前は広場になっていて、鞠場になっている。蹴鞠をする場所でありますな。秋の祭では近郷の集落から繰り出した太鼓台がここに立ち並ぶのでもあります。(鞠場の石碑)(鞠場) 元々の枚岡の神は天児屋根命である。現在の社殿の裏に聳える山、神津嶽の頂上に、アメノコヤネノミコトを祀ったのが枚岡神社の始まりである。その神津嶽を望むようにして、社殿の南側に遥拝所があり、若宮社がある。春日大社と同じ構造である。 このアメノコヤネノミコトは、天照大神が天岩戸に隠れた際に、岩戸の前でフトタマノミコトと共に祝詞を唱えたこと、アマテラスが岩戸を少し開いたのをとらえてタヂカラヲノミコトがアマテラスを岩戸から引き出した時に、素早く注連縄(端出之縄・シリクメナハ)を張って引き返せないようにしたこと、天孫降臨のニニギノミコトにつき従って地上に下り、中臣氏の祖となったこと、などが日本書紀に見える神である。(遥拝所)(若宮社) 若宮社から更に南に進むと、枚岡梅林へと続く巽橋の手前に末社の天神地祇社がある。 これは、近郷の多くの神社を当神社に合祀したもので、神社は一町村につき一社に限るとした、1906年明治政府発布の神社合祀令に基づくものでしょうな。明治期に合祀された神社として次の神社が列記されている。額田村・・・・額田明神社・若宮八幡社・恵比寿社・山神社・高城社豊浦村・・・・春日神社・東山神社出雲井村・・・八坂神社五条村・・・・八幡社客坊村・・・・市杵島姫神社四条村・・・・春日神社松原村・・・・春日神社・八幡社 また、境内地各所に鎮座していた次の19末社も合祀したとある。椿本社、一言主社、青賢木社、坂本社、太刀辛雄社、須箋鳴命社、勝手社、八王子社、地主社、戸隠社、笠社、大山彦宮、住吉社、門守社、飛来天神、角振社、岩本社、官社殿社、佐気奈邊社(天神地祇社) <参考>枚岡神社関連記事 枚岡神社秋郷祭2009 2009.10.16. 枚岡神社秋郷祭 2008.10.14. 枚岡神社 2008.7.12. 墓参と桜散歩 2011.4.2. 初詣2011 2011.1.3. 贈呈図書 2009.8.16.(枚岡神社・一の鳥居)
2012.01.06
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正月早々に風邪を引いてしまいました。3日の午後から不調です。 そんなことで、風邪の歌などを・・。 先ずは、「お蔵百人一首」(偐定家編)から3首。このたびは 熱もとれずに 洟(はな)たれて 咳(せき)もしきりの 風邪のまにまに (菅原咳真(すがはらのせきざね))このたびは 熱はなけれど のど痛く 鼻水たらり 咳のまにまに (菅原咳真) (本歌) このたびは 幣も取りあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに (菅原道真 古今集巻9-420 小倉百人一首24)鼻の色は 赤みにけりな 痛々し 我が鼻水の 流れせし間に (赤鼻小町) (本歌) 花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に (小野小町 古今集巻2-113 小倉百人一首9) 以上は、4年前に若草読書会の新年会の余興にと作った「お蔵百人一首」に所収の歌であります。 「お蔵百人一首」はもう賞味期限切れになっていますが、「河内温泉大学図書館」にてご覧いただけます。 今回の小生の風邪は咳のみにて、洟も熱も下痢も吐き気もないのでありますが、浅野内匠頭は、吐き気も時にあるようにて、風邪さそふ 洟よりもなほ 咳はまた 吐き気の名残り いかにとやせむ (浅野嘔吐頭長咳) (本歌) 風さそふ 花よりもなほ われはまた 春の名残りを いかにとやせむ (浅野内匠頭長矩 「仮名手本忠臣蔵」) 次は、ブロ友のくまんパパさんの元旦のブログに紹介されていた大伴家持の歌、万葉集の棹尾を飾る歌に対してのコメントとして作りました戯れ歌です。あらたしき 年の始めの 初春に 風邪引きたるか いや咳夜ごと (偐家持) (本歌) 新(あらた)しき 年の始(はじめ)の 初春の 今日ふる雪の いや重(し)け吉事(よごと) (大伴家持 万葉集巻20-4516) 偐家持、咳で夜ごとゼイゼイ言って居ります(笑)。 という訳で、銀輪散歩もままならず、 こんな事で記事と致して置きます。(北アルプス)
2012.01.05
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第92回智麻呂絵画展 智麻呂絵画ファンの皆さま、明けましておめでとうございます。 今年最初の智麻呂絵画展の開催であります。 本年も智麻呂絵画展、絵師・智麻呂、館長・偐家持ともどもに頑張って参りますので、よろしくお引き回しのほどお願い申し上げます。 <参考>他の智麻呂絵画展は下記から。 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~(龍)始春(はつはる)の 雲たつ年の 山の端(は)の 空ゆ明け行く 若草の里 (偐家持) これは、偐山頭火さんが年末に智麻呂邸をご訪問された際に花園ラグビー場近くの和菓子舗で買い求めお持ち下さった手土産のお菓子の箱の蓋の絵を写生されたものであります。正月早々の智麻呂展の劈頭を飾るに相応しい絵かと思い、最初に持って来ました。 年賀状の挿絵に「辰」を描いて欲しいと何度か恒郎女さんがお願いされたのですが、智麻呂さんは気が向かないらしく馬耳東風でありました。ところが、この日、山頭火さんが「箱の龍の絵を」と所望されると、その場でサラサラと忽ちに描いてしまわれたそうな。恒郎女さん「??」でありました(笑)。 下の「鯛」の絵は昨年の12月上旬には出来上がっていて、恒郎女さんはこれを年賀状の挿絵に使うおつもりのようなことを仰っていたので、ヤカモチ館長も、龍の絵は諦めて、この「鯛」で新年の絵画展を始めるか、と考えていました。 しかし、龍が登場したので、一番手は龍に。鯛は2番手に格下げとなってしまったのであります。そして、智麻呂・恒郎女ご夫妻の年賀状の挿絵も結局はその下の「水仙」に変更されてしまいました。(鯛)めでたきは 鯛にしあれり 万葉に 浦島の兒も 釣るとやいへる (偐家持)(注)万葉集巻9-1740の高橋虫麻呂の長歌「・・水江の 浦島の兒がかつを釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて・・」と、鰹と共に鯛が登場してい ます。 一時は年賀状と智麻呂展劈頭とを飾る「鯛役」いえ「大役」をと期待(鯛)され、張り切っていた「鯛」でありましたが、今は「穴があったら入りタイ」なんぞと言うのを、ヤカモチ館長が宥めすかすなど、大(タイ)層、努力し、ここに引き出して参りました。(水仙) 智麻呂邸の前の水仙が漸く花を咲かせました。昨年は花を付けることなく季節が過ぎてしまい、智麻呂さんをガッカリさせたのでありますが、今年はどうやら、そのお詫びも兼ねてか、次々と暮れから早くも花を咲かせています。 そんなことで、鯛を押しのけて年賀状の主役抜擢となったのでもありましょうか。(芋) 上の芋は凡鬼農園の芋です。 凡鬼さんが智麻呂邸にその収穫のお裾分けをお持ち下さったものですが、その場に居合わせた槇麻呂殿と小生もそのお相伴に与ったのでありました。まことに懐かしい芋であります。 やかもちは 餅にて祝へ われはもや 芋(うも)の正月 芋(うも)にて祝はむ (偐家芋(やかうも)) 餅正月は家持、芋正月は家芋ですかな。(蜜柑1) 上は槇麻呂殿のお土産の「熊野」の蜜柑ですかな。 下の蜜柑は、ヤカモチの知人のN氏が香川県で蜜柑栽培をやっているので、そこから智麻呂さんに送って戴いたという、「讃岐」の蜜柑です。 一個皮を剥きかけのものがありますが、これは絵の構成上のものにて、恒郎女さんが写生の途中で食べようとなさった訳ではありませぬ。ゆめゆめ誤解のありませぬように(笑)。(蜜柑2) おめでたきお正月ということで、山茶花も紅白でご登場いただきました。(山茶花・赤)(山茶花・白) 最後は三笠饅頭です。 これはお正月とは無関係。昨年の秋に智麻呂邸を訪問の際に、手土産にヤカモチが持参のものの一つです。 中に「栗」が入っていることを示すため二つに切って描くといい、と冗談半分で言ったヤカモチの言葉そのままに、絵になって居りました。(栗三笠) では、皆さま、どうぞよき一年をお過ごし下さいませ。皆さまによきことが重なりますように。 ご来場どうも有難うございました。
2012.01.02
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謹賀新年 山の際(ま)の 雪は消(け)ざるを みなぎらふ川の楊(やなぎ)は もえにけるかも(万葉集 巻10-1849)(大阪府・枚岡神社拝殿の絵馬)昨年は大変な年でありましたが、新年がどうぞよき年でありますように。皆さまのご健勝、ご多幸をお祈り申し上げます。(谷文晁画・新潟県南魚沼市の浦佐毘沙門堂<晋光寺>山門天井の板絵)今年は辰年。偐万葉風に、これを言祝ぎ詠えば、こうなりますかな。たつ年の 空ひむかしに かぎろひのたつとし見えて 今ぞ明け行く(偐本辰麻呂) (注) たつ年=「辰年」と「立つ年」とを掛ける。 ひむかし=日向かし、で、「東」の意 かぎろひ=朝焼け、明け方東の空が赤く染まる現象 たつとし=「立つ・と・し」と「立つ年」と「辰年」とを 掛ける。 偐本辰麻呂=「にせのもとたつまろ」偐万葉第2期を代表 する歌人にて、歌咳(化石)とか化聖と呼ば れ、尊敬を集めて・・はいない。(かぎろひ)本年も、「偐万葉田舎家持歌集」よろしくお願い申し上げます。偐万葉田舎家持歌集目次(各々の項目をクリックするとその項目の記事をまとめて見ることが出来ます。)智麻呂絵画展和郎女作品展偐万葉シリーズ松風篇大和はまほろば篇ビターc篇ひろろ篇カコちゃん08篇真澄篇木の花桜篇るるら篇nanasugu篇カマトポチ篇くまんパパ篇ビッグジョン篇童子森の母篇半兵衛篇 マダム・ゴージャス篇英坊篇アメキヨ篇若草篇その他銀輪万葉シリーズ大阪府篇奈良県篇兵庫県篇京都府・滋賀県篇和歌山県・三重県篇北陸篇関東篇中四国篇その他その他のカテゴリー近隣散歩 若草読書会 和歌・俳句・詩 万葉 花 自転車 絵画 能・狂言 回文 友人ほか ブログの歩み カテゴリー未分類(奈良県・大神神社の大絵馬)
2012.01.01
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