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2020年2月2日の新年会を最後に、コロナ禍や故智麻呂氏のご入院などもあって長らく中止・休会となっていた若草読書会でありますが、昨日29日に新年会を開催し、3年ぶりに活動再開ということになりました。 昨年2月15日に、この会の中心に居られた智麻呂氏がお亡くなりになるという悲しいことがありましたが、同氏亡き後も読書会は継続することとなり、3年ぶりの読書会再開となりました。故智麻呂氏もお喜びくださっていることと思います。 今回の出席者は、恒郎女さん、凡鬼・景郎女ご夫妻、小万知さん、祥麻呂さん、槇麻呂さん、和郎女さんとヤカモチの8名。 午前11時から凡鬼さんによる「俳句の季語について」という講話を聴講。 毎年、新年会はヤカモチによる「万葉集関連の話」というのが恒例になっていましたが、ヤカモチがズボラをして、どなたかお話をしていただけないかと事前の根回しをしたところ、凡鬼さんが名乗りを上げていただいたので、ヤカモチは講話の準備をしなくていいことになり、今年は楽をさせていただいたという次第。 俳句の歴史、季語と「切れ」の話、俳句の三大季語とされる花・月・雪のうちの花と月についての詳細な解説、など例句を挙げてわかりやすくご説明くださいました。時間の関係でもう一つの大季語・雪については「またの機会に」ということで割愛されましたので、続編を期待したいものです。 この日の写真ではありませんが、前日28日の朝の銀輪散歩で撮影した雪の生駒山の写真を掲載して置きます。 凡鬼さんが割愛された季語・雪の「穴埋め」であります(笑)。 滅多に雪の降らない大阪ですから、生駒山の雪景色はそうたびたびは見られないのであります。(雪の生駒山・花園ラグビー場から望む)(同上) 講話は1時間で終了。 正午過ぎから出前の寿司と恒郎女さんがご用意くださったお雑煮で昼食タイム。 昼食後は持ち寄った和菓子や洋菓子や果物などを食しつつ珈琲タイム。 また、和郎女さんがお持ち下さった、恒例の干支の押絵などの彼女作製の手芸作品の分配。これらは、別途「和郎女作品展」として、ページを改めて別途紹介申し上げます。そして、今回ご欠席のひろみの郎女さんからのプレゼントのブックマークも皆で分け合いました。何種類かのデザインのものがありましたが、ヤカモチが頂戴したのは、「桜吹雪」というデザインのもの。(ブックマーク・桜吹雪) これは、彼女のブログ(コチラ)で何日か前に拝見していましたが、若草読書会メンバーへのプレゼントであったとは、気が付きませんでした。 次は、恒例の歌留多会でありました。 優勝は凡鬼さん。そして、偐家持賞は祥麻呂さんが獲得されました。 個人戦の後、男性(凡鬼、祥麻呂、槇麻呂)・女性(恒郎女、景郎女、小万知)対抗の団体戦を行いましたが、これは女性軍の勝利であったかと。 歌留多会の歌を朗誦するのはヤカモチの役目ということが慣例になっていて、今回もこれを務めさせていただきましたが、今回は個人戦・団体戦のダブルヘッダーであり、200回も朗誦することとなり、さすがに最後は息切れ気味でありました(笑)。 そして、この日29日がヤカモチの誕生日でもあったことから、花束の贈呈を受けたことは前ページで既に紹介しました。 最後に、智麻呂氏の遺影の前で讃美歌を合唱し、午後5時散会となりました。 久々の新年会、読書会、楽しく愉快な時間を過ごさせていただきました。<参考>過去の若草読書会関連記事はコチラ。※掲載写真は、フォト蔵のシステムトラブルで現在接続できない状態にあり、大きいサイズの写真とのリンクが貼れていません。追って、フォト蔵が正常に復しましたらリンクを貼らせていただきます。<追記>システムの不具合で2023年1月21日からログインできなくなっていたフォト蔵が本日(2023年2月3日)正常に復したようで、上掲の掲載写真を大きいサイズのフォト蔵写真とのリンクを貼ることが可能となりましたので、リンクを貼る修正を行いました。(2月3日午後6時7分)
2023.01.30
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今日はヤカモチ、1305歳の誕生日であります。 気が付けば、9日間も記事を更新しないでいたようです。 サボっていたのは事実でありますが、この間、ずっとフォト蔵のシステムが不具合なようで、接続できず、従って、写真をフォト蔵のマイアルバムに登録できないという状況が続いているということも、その一因であります。 というのも、当ブログでは、500×375サイズの写真を記事に掲載し、フォト蔵に登録した同じ写真の1024×768サイズのものとリンクさせるという方法で記事作成をするというやり方をしているからです。 大きいサイズの写真とのリンクを諦めれば、記事は書けるのですが、何となく気分がそがれる感じで、記事更新をせずに日数を徒過してしまったという次第。 相変わらず、フォト蔵へは接続できないままになっていますが、〇〇歳になりました、という記事は恒例のことになっていますので、リンクは追ってフォト蔵が正常に復した時にこれを貼るということで、記事アップすることとします。 今日は、若草読書会の新年会の日でもありましたが、それは追って別に紹介させていただくこととし、本日は1305歳になったことのご報告のみとさせていただきます。(若草ホール前の銀杏の木) 1305歳ともなると、花などより、葉を落とした銀杏の木などが似合いかと、新年会の休憩の合間に撮った写真であります。 それでは、可哀想と思ってくださったのか、若草読書会の皆さんから下掲のお花を「祝・誕生日」として頂戴することができました。感謝です。(祝・誕生日の花)(同上・メッセージカード) 大伴家持については、養老元年生まれ説と養老2年生まれ説がありますが、当ブログでは養老2年説を採用、これに因んで、ヤカモチのブログ上の年齢も1305歳とさせていただいています。<参考>関連過去記事〇ヤカモチ1304歳 2022.1.29.〇1303歳になりました。 2021.1.29.〇1302歳になりました。 2020.1.29.〇1301歳になりました。 2019.1.29.〇1300歳になりました 2018.1.29.〇1299歳になりました・若草読書会新年会 2017.1.29.〇1298歳です 2016.1.29.〇1297歳になりました。 2015.1.30.〇1296歳になりました。 2014.1.29.〇ヤカモチ1295歳・健人会の新年会 2013.1.29.〇偐万葉・ひろろ篇(その3) 2010.1.29.<追記>システムの不具合で2023年1月21日からログインできなくなっていたフォト蔵が本日(2023年2月3日)正常に復したようで、上掲の掲載写真を大きいサイズのフォト蔵写真とのリンクを貼ることが可能となりましたので、リンクを貼る修正を行いました。(2月3日午後6時)
2023.01.29
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友人の岬麻呂氏からの今年最初の旅便りが届きました。 2023年の初旅は、1月11日~14日、3泊4日の「出水のツル越冬地見学が目的の夫婦旅」とのこと。(旅・岬巡り報告303・鹿児島&同写真説明)※画像をクリックして大きいサイズの写真でお読みください。(同上付録・桜島と佐多岬)1月11日関西空港→鹿児島空港→出水市・出水ツル観察センター→鹿児島市・鹿児島サンロイヤルホテル(3連泊) 鹿児島空港からレンタカーで出水市へ。 出水ツル観察センターは、「広大な干拓地と思われる広い水田の中央にあり、3階屋上展望台から360度見渡す限りツルばかりで壮観。」とのことです。(出水ツル観察センター) 観察センター入口に表示されていた、羽数調査5回目(1月7日)の調査結果では、ナベヅル7686羽、マナヅル2377羽、クロヅル4羽、カナダヅル3羽、ソデグロヅル2羽、ナベクロヅル2羽の合計10074羽。(出水ツル観察センター・越冬地) 確かに、どこもかしこもツルだらけ。(マナヅル)<参考>マナヅル・Wikipedia ツルは万葉集では「たづ」ですが、鶴を詠んだ歌は47首あり、鳥の歌としては、1位・ホトトギス、2位・雁、3位・ウグイスに次いで4位の多さだそうです。若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (山部赤人 万葉集巻6-919)(ナベヅル)<参考>ナベヅル・Wikipedia 当越冬地に3羽しか飛来していないというカナダヅルの撮影に成功されたのは、お手柄であります(笑)。 クロヅル、ソデグロヅル、ナベクロヅルには遭遇されなかったようであります。まあ、ナベクロヅルはナベヅルとクロヅルの交配種だそうですから、ちょっと見では区別がつかないのだろうと思いますが。<参考>クロヅル・Wikipedia ソデグロヅル・Wikipedia ナベヅルは世界の8割以上が、マナヅルは世界の約半数が、出水平野に越冬飛来するそうです。(カナダヅル)<参考>カナダヅル・Wikipedia 大阪にも、鶴橋とか鶴見などという地名が残っているし、わが地元の草香江の鶴の歌も万葉集にありますから、昔は鶴が普通に飛来していたのでしょうが、今は、はるばると出かけないと、野生のツルは拝めない。草香江の 入江にあさる 蘆鶴の あなたづたづし 友なしにして (大伴旅人 万葉集巻4-575) ツルを十分に堪能されて、鹿児島市へ。 桜島を正面に望む鹿児島サンロイヤルホテルに3連泊。 連夜、芋焼酎を楽しまれたとか。(桜島夕景)1月12日桜島の日の出→大隅半島→R269→佐多岬→根占・料理屋「大砲」(昼食)→諏訪神社→雄川滝 桜島の日の出を拝み、垂水フェリーで大隅半島に渡り、佐多岬へ。(桜島の日の出)冬過ぎて 春は来たりと 朝日さす 桜島見ゆ 鹿児島の旅 (偐旅人)(本歌)冬過ぎて 春来たるらし 朝日さす 春日の山に 霞たなびく (万葉集巻10-1844)(佐多岬灯台) 佐多岬灯台にご挨拶。 対岸の薩摩半島側、開聞岳を遠望。(開聞岳遠望)(佐多岬全景)(佐多岬の紅葉) 赤く紅葉しているのは、ハゼノキ。 そして、「駐車場から片道徒歩1.2km、老人にはきつい登り道」をクリアして雄川滝へ。(雄川の滝)1月13日吹上浜海浜公園→野間岬(手前展望台まで)→知覧武家屋敷→西大山駅→長崎鼻灯台 この日は小雨降る生憎の天気。 野間岬は、今回が3度目の挑戦らしいですが、1回目は道を間違え、2回目は道路工事中で、と何れも辿り着けずであったそうです。 今回も雨に邪魔されて手前の展望台までで諦めることとなり、残念。(野間岬) 然らばと、知覧武家屋敷へ。(知覧武家屋敷) 茶畑と大根の天日干しの風景。面白き眺めです。(知覧茶畑と大根の天日干し) そして、最南端の駅、西大山駅であります。(西大山駅) こちらも最南端。 薩摩半島最南端・長崎鼻灯台であります。(薩摩半島最南端・長崎鼻) 写真左奥に見えているのは佐多岬。1月14日鹿児島県立吉野公園→人吉経由→五木村→人吉城址→伊佐市・曽木の滝→鹿児島空港→関西空港 この日は本降りの雨。(鹿児島県立吉野公園) 五木村も雨に煙っています。 五木村へ足を延ばされたのは、「昨秋昼食で美味しかった『山うにとうふ。かりふわ油揚げ』食しに・・」ということで、ランチのための遠征でありました。(五木村・頭地大橋の対岸から撮影) 人吉城址も昨秋(11月)に訪ねて居られますが、五木村へのルート途上にあるということで、ランチのついでのお立ち寄りであったのでしょう。(人吉城址) 鹿児島県に立ち戻って、伊佐市の曽木の滝へ。 伊佐市については、殆ど知識を持ち合わせませんが、会社時代の友人・八重麻呂君の故郷にて、退職後、彼は故郷にUターンし、この地に住まいしていること、そして良質な金鉱石を産出する金鉱山があって、金の産地であるということなどが、ヤカモチにとって思い浮かぶ全てであり、曽木の滝も今回初めて知りました。(曽木の滝) 岬麻呂氏によると「悪運強く見学地では雨降り止む幸運」とのことで、この曽木の滝でも雨が止んでいたようで、雨で増水した迫力満点の滝をご覧になられたという次第。(同上・全景) 旅の後半は雨に降られて、お天気には恵まれなかったようですが、それでも「悪運強く」要所、要所では雨も止み、最後の曽木の滝では雨で増水した迫力ある眺めを楽しまれるなど、さすが旅の達人であります(笑)。 以上、791kmのロングドライブ。 今回もご覧くださり、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.01.19
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今日は、久々の雨。 昨夜からの雨が降り残り、昼過ぎまで雨でありました。(梅一輪の・・) 上の写真は、先日(10日)、銀輪散歩のついでに立ち寄った馴染みの喫茶店・ペリカンの家の向かいの病院の前庭に咲いていたもの。ウクライナ 春まだ遠けど わが里に 梅一輪の 春咲きにける (偐家持)Spring in Ukraine is still far away,but Spring with a plum blossom has bloomed in our village. 梅は、萩に次いで数多く万葉集に詠まれている花。 正確に数えてはいないが、120首程度あるかと。 梅の万葉歌と言えば、万葉集巻5の「梅花の歌32首」であるが、これは過去記事でも取り上げているので、それをご参照いただくこととする。〇梅花の歌32首の序文掲載の記事 梅花の歌32首の序文 2020.2.21.〇梅花の歌32首全文掲載記事 梅の花咲き始めにけり枚岡の・・ 2013.2.21. ヤカモチも梅の花の歌は結構詠んでいると思うのだが、作った歌は作ったしりから忘れてしまうというのがヤカモチなので、過去記事を調べてみて目についたものを並べてみましょう。コロナ禍を 障つつみ隠こもりて 梅の花 ひとりし見れば 春日はるひ悲しも (偐家持)梅の花 咲きたる庭に 若草の どちみな今日は 楽しきを積め (偐家持)梅林は 名のみしありて 枚岡の 春かたまけど 花の見えなく (偐家持)妹と見し 北山の辺の 梅の苑 今か盛りか 思ひつつぞ居り (偐家持)病棟の 庭に咲きたる 梅の花 春のさやぎを 何とてや告ぐ (偐家持) 人みなは 春は桜と いふなれど まづ咲く梅を 春とや言はむ (梅郎女)冬ごもり 春さりくれば 梅の花 見せばや妹に 今しぞ咲ける (偐家持) 朝鳥の 声のとよみて 白梅の 花は咲きたり 一輪二輪 (偐家持)くれなゐと 真白にぞ咲く 梅の花 春の競きほひの 見らくしよしも (偐家持) いくら並べても、これという歌はありませんな(笑)。これといふ 歌もなくあり 梅の花 並べることも たいがいにせよ (偐家持)でありますかな。<参考>参考関連過去記事枚岡梅林 2010.2.22.梅の花咲きてぞ春は 2014.2.9.太宰府銀輪散歩(1)・わが園に梅の花散る 2015.1.13.同 (2)・ひとり見つつや 2015.1.15.同 (3)・世の中は空しきものと 2015.1.16.同 (4)・大野山霧立ちわたる 2015.1.17.同 (5)・かもかもせむを 2015.1.18.同 (6)・筑紫なるにほふ子ゆゑに 2015.1.19.第10回ナナ万葉の会・わが園に梅の花散る 2015.1.31.梅の花ひとり見つつや 2022.2.7. さて、梅一輪の春よりも先に目にしたのは、同じく10日の花園中央公園の菜の花。(菜の花)菜の花を 見ればこの身は 紋白蝶 花から花へ 飽かず飛び行く (偐白蝶)(同上) この日は整体院でマッサージをしてもらった後、近隣の公園などを銀輪散歩しただけでありましたが、その折に撮影の写真がいくつかありますので、併せ掲載して置きます。(加納公園) 加納公園の北西にあるのが加納北公園。(加納北公園) 下掲は、加納北公園で見かけたナンキンハゼの実。(ナンキンハゼの実)(同上)<参考>万葉関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011 近隣散歩関連過去記事 近隣散歩(その1) 2009~2013 近隣散歩(その2) 2014~
2023.01.14
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本日は、今年最初の囲碁例会。 いつもの通りCB(クロスバイク)で自宅を出て、大阪城公園などを経由して、会場の梅田スカイビルまで銀輪散歩でありました。(大阪城公園) 自宅を出るのがいつもより少し遅めであったこともあって、大阪城公園に入った頃には12時近くになっていました。そんなことで、ポカポカ陽気でもあったので、サンドイッチと飲み物を買って公園でランチとしました。 堀にはカモやオオバンなどがのんびりと泳いでいる。背後の高木の枝に一羽のカラスがとまり、盛んに鳴き出した。カァーという普通の鳴き声と共にグルルルル~という鳴き方を混ぜたりする。 で、ヤカモチも舌を転がせて「グルルルル~」と真似た音を出すと、同じように彼も「グルルルル~」。しばらく彼と「カァ~、グルルルル~」の鳴き声の交換をして遊ぶ。近くに人影はなく、この奇妙な「遊び」に気付く人は居なかったのであるが、見られていたら、ヤカモチは完全に「ヤバい人」と思われたに違いない。 前方に目を転ずると、可愛い小鳥が堀を囲む金属フェンスの上にとまっているのが見えた。(ジョウビタキ<尉鶲>) ジョウビタキである。 以前、馴染みの喫茶店・ペリカンの家の前庭から道路向かいの木の上にとまっていたジョウビタキを見たことがあるが、このように至近の距離で見るのは初めての経験。カラスとやりとりしていたので、ヤカモチから人間の気配が消えてしまっていたのかもしれない(笑)。(同上) 鳥ついでに、今日の写真ではないが、以前撮った別の小鳥の写真も掲載して置きましょう。(セグロセキレイの幼鳥) これは、昨年7月27~28日と和歌山県橋本市を銀輪散歩した折に、橋本駅近くの駐車場で見かけたもの。セグロセキレイは珍しくもなく、よく見かける鳥であるが、左足先が欠損している姿であったので、印象に残っている鳥である。元気に生き延びているのだろうか<参考>橋本銀輪散歩・真土万葉の里 2022.8.7. 大阪城公園を出て、次に立ち寄ったのは大阪天満宮。 近くを走ったら、「商売繫盛で笹持って来い・・♪」という賑やかな声が聞えたから、覗いてみたもの。 9日宵恵比寿、10日本恵比寿、今日11日は残り恵比寿なのでした。 天満宮は天神さん、戎神社ではないのに、と思ったが、そう言えば、以前にも拝殿脇に恵比寿様の画が掲示されていたのを見たことがあるということを思い出した。<参考>天神さんも囲碁ヤカモチもゑびす顔 2011.1.12. ということで、拝殿の方には回らず、退出です。というのも、南側の正面からの入場ではなく、北東の裏口からの入場であったからです。 拝殿の北側に何やら人だかり。何かと近寄ってみると。(猿回し) 猿回し、でありました。(同上) お猿さんが、手前の箱階段を駆け上り、奥の箱階段へ一回転して飛び移るという芸当を披露するようです。(同上) はい、見事成功です。拍手喝采。 梅田スカイビルの囲碁会場の部屋に到着。 本日の出席者は、福麻呂、村〇、平〇、青◎各氏とヤカモチの5名。 始めに、福麻呂氏と2局打ち、共に中押し負け。次に村〇氏と打ち、これも中押し負け、最後に平〇氏と打ち、数目の負け。4連敗の打ち初めと相成りました。 大阪天満宮境内に立ち寄りながら、天神ゑびす様のお顔を拝まなかったのが災いしたか、ヤカモチさんにはゑびす顔は無縁の囲碁幕明けとなってしまったようです。(大阪城ホールとOBPのビル群 大阪城公園・太陽の広場から) 帰途、大阪城公園では夕日が随分と低くなり、ホテルニューオオタニ大阪の壁面に反射してまぶしい。帰宅するともう暗くなっていました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.01.11
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(承前) 前頁の邂逅展のついでの、恩師のお墓への「ついでお墓参り」であります。 まあ、「ついでに」というのは、恩師・井〇先生には失礼でありますので、内緒に願います(笑)。 ヤカモチの中学時代は、1学年10学級あったので、一回のクラス替えで再び同じクラスになる確率は10%であるから、クラスメート50名のうち5名ということになる。2年生から3年生になる時にもう一度クラス替えがあるから、この5名が同じクラスになるのは0.5人の割合ということになる。 従って、完全無作為にクラス替えを行えば、3年間同じ先生のクラスとなる生徒は0~1人ということであるが、ヤカモチともう一人嶌郎女さんという女生徒の2人が井〇学級で3年間同じクラスであった。これが偶然ということなら、井〇先生とは余程に強いご縁があったということになるのだが、実際のクラス替えは無作為ではなく、別の要素も加味して行われるようであるから、この生徒は私の組に欲しいとか、この生徒は問題児であるから、引き続き私の組で面倒を見るしかない、といった先生同士のやりとりによる調整もあったようである。ヤカモチの場合は、多分に後者の問題児の口で、3年間井〇先生にご面倒をお掛けすることになったのではないか、と推測している。 そんなこともあってか、卒業後も井〇先生との交流は続き、先生がお亡くなりになったのは、2003年5月であるから間もなく20年になるのだが、クラスメート数人によるミニクラス会は今も健在で、先生亡き後もその交流は続いている。 ということで、今年も昨年に続き、邂逅展に出かけたついでの墓参となった次第。 昨年は一つ北側の大宮通りを西へと走り、朱雀門にご挨拶したのだが、今年は三条通りを西へと進む。(朱雀門遠望) 朱雀門は、三条通りからは遠望してのご挨拶となる。 更に西進すると、近鉄線踏切。尼ヶ辻駅前である。(近鉄橿原線・尼ヶ辻駅) 駅の西側に見えているのは垂仁天皇陵である。(垂仁天皇陵)<参考>垂仁天皇・Wikipedia 遙拝所は南側であるので、北側の三条通りからだと裏側になるが、一応ご挨拶して行く。 昨年は、暗越奈良街道(国道308号)を道なりに走り、安康天皇陵には立ち寄らないままに通り過ぎてしまったので、今回はこれに立ち寄るべしで、宝来付近の分岐で右側の脇道を直進することにする。 すると、手前の蓬莱神社の前に出た。(蓬莱神社) 蓬莱神社の祭神は、須佐之男命とその妻・櫛稲田姫命のようだが、垂仁天皇の時代に田道間守が蓬莱山から不老不死の実、「ときじくのかくのみ(非時香菓)」を持ち帰った(垂仁天皇90年2月)という話に由来するものであるか。 この実は、橘の実と考えられている。 万葉集の大伴家持の歌にも、そのことが詠われている。かけまくも あやに恐(かしこ)し 天皇(すめろき)の 神の大御代(おほみよ)に 田道間守(たぢまもり) 常世(とこよ)に渡り 八矛(やほこ)持ち 参(ま)ゐ出来(でこ)し時 時じくの 香久(かく)の菓子(このみ)を 恐(かしこ)くも 残したまへれ 国も狭(せ)に 生(お)ひ立ち栄(さか)え 春されば 孫枝(ひこえ)萌(も)いつつ ほととぎす 鳴く五月(さつき)には 初花(はつはな)を 枝(えだ)に手折(たを)りて 娘子(をとめ)らに つとにも遣(や)りみ 白たへの 袖(そで)にも扱入(こき)れ かぐはしみ 置(お)きて枯(か)らしみ あゆる実(み)は 玉に貫(ぬ)きつつ 手に巻(ま)きて 見れども飽(あ)かず 秋付(づ)けば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末(こぬれ)は 紅(くれなゐ)に にほひ散れども 橘(たちばな)の なれるその実は ひた照(て)りに いや見(み)が欲(ほ)しく み雪降(ふ)る 冬に至れば 霜(しも)置(お)けども その葉も枯(か)れず 常磐(ときは)なす いやさかばえに 然(しか)れこそ 神の御代(みよ)より 宜(よろ)しなへ この橘を 時(とき)じくの 香久(かく)の菓子(このみ)と 名付(なづ)けけらしも (大伴家持 万葉集巻18-4111) 反歌橘は 花にも実にも 見つれども いや時じくに なほし見が欲し (同 万葉集巻18-4112) 天平8年(736年)11月、葛城王、佐為王らに橘宿祢を賜姓することを許可する旨の詔勅が出され、葛城王は橘諸兄、佐為王は橘佐為と改名するが、この時に詠まれた聖武天皇御製歌が「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の木(万葉集巻6-1009)」である。上の大伴家持の歌はこの御製歌を意識して詠まれたものと思われる。(同上) 蓬莱神社の裏手を西に回り込むと安康天皇陵に行き着いたのであるが、どうやら、これは裏口のようである。ぐるりと御陵の縁を回り込んで正面の遙拝所に移動。 近道と思ったヤカモチであったが、却って遠回りをしてしまったのかもしれない。まあ、何にしても、またしても「裏口」からの入場となった次第。(安康天皇陵)<参考>安康天皇・Wikipedia 安康天皇は第20代天皇。允恭天皇の第2皇子または第3皇子。第21代雄略天皇の同母兄。皇后・中蒂姫(なかしひめ、古事記では「長田大郎女」)の連れ子・眉輪王(まよわのおほきみ、古事記では「目弱王」)に暗殺された天皇でもある。 暗殺に至る経緯は次の通り。 安康天皇は、大草香皇子の妹を同母弟の大泊瀬皇子(後の雄略天皇)の妻にと考えて根使主(ねのおみ)を遣わす。病気がちだった大草香皇子はこれを大いに喜び「かたじけなきこと」と受諾、そのしるしの品として「押木珠蔓(おしきのたまかづら)」を奉献すべく、これを根使主に託す。ところが根使主はこれを天皇に差し出さず、横領してしまう。そして、そのことがバレないようにと、「大草香皇子様は、同族の風下に立つことなどできぬと太刀を手に大変な怒りようでありました。」などと讒言する。 この嘘を信じた天皇は、大草香皇子を殺し、その妻であった中蒂姫を自分の妻にしてしまう。(安康天皇元年2月) 大草香皇子と中蒂姫の間の子、眉輪王(当時7歳)は天皇と中蒂姫との会話から自身の実父の死の真相を知り、天皇が熟睡している隙に、父の仇と天皇の首を打ち斬って殺してしまう。(安康天皇3年8月) 眉輪王は、即位前の雄略天皇によってすぐに殺されている。(同上)(同上・参道入口) 日本書紀には「菅原伏見陵に葬りまつる。」、古事記には「御陵は菅原の伏見の岡に在る也」とあるが、宮内庁は此処がその墓所・菅原伏見西陵だとしている。 しかし、此処は古墳ですらなく、室町時代のこの地域の有力氏族、宝来氏の山城である大和宝来城の跡だという説などもあるようで、かなり怪しいのである。尤も、古墳を潰して山城に造り変えたということも考えられるから、室町時代の山城跡説とそれ以前は古墳であったという説とは必ずしも相反しないとも言える。 安康天皇陵を出て、阪奈道路(県道1号)と第2阪奈道路をつなぐ宝来ランプの高架下をくぐり、阪奈道路に出る。奈良国際ゴルフ倶楽部の中央を横断する形で阪奈道路が通過している。その歩道部分を西へと進む。 さすがに、この道を自転車で走っている人はいない。勿論、歩いている人の姿もない。(阪奈道路・奈良国際GCを横断中) ゴルフ場を左右に見つつ坂を上り切るとゴルフ場クラブハウスへの入り口道路の前に出る。ここで、時刻は、と見ると12時半近くになっていました。道路向かいにレストランがあったので、ここで昼食とする。 昼食後、店を出て、近鉄学園前駅方向に走る。何処かで西に入るつもりでいたが、地図を持参しなかったので、これと決めかねているうちに学園前駅に来てしまう。(近鉄奈良線・学園前駅) 是非に及ばず。線路の北側の道に出て、これを線路沿いに西へ。 富雄駅の北側を通過して、富雄川に出る。 富雄川を渡り、右岸(西岸)の道を下流(南)方向に進む。 昨年は、霊山寺よりも下流側に出てしまったので、もう少し上流側で富雄川に出るつもりで、阪奈道路を走ったのであったが、これは自転車には余り心地よくない道で、何処で脇道に入るかがイマイチよく分からなかったこともあって、昨年以上の遠回りになってしまった。(霊山寺前) 霊山寺北側の急な坂道を上り切ると、霊山寺東光院霊園である。(霊山寺・東光院霊園説明案内板) 事務所の供花販売コーナーで花を買い求め、井〇先生墓所へと向かう。(同上・井〇先生墓所はこの通路から入る。) 昨年は5月17日に、級友のひろみの郎女さん、喜多麻呂君、谷麻呂君と4人で墓参をしているので、ほぼ8ヶ月ぶりの墓参になる。<参考>中学時代のクラスメイトと恩師墓へ 2022.5.17.(同上・井〇先生墓) 墓参を済ませて帰途に。 上って来た急坂道を一気に下り、霊山寺の北隣にある葛上神社に立ち寄ってみる。この神社は、以前、石段下の鳥居の写真を記事に掲載した記憶があるが、石段の上の境内に上ったことがあるのかどうか、記憶が定かでない。(葛上神社・石鳥居) 鳥居の脇に梅の花がもう咲いているのか、と近寄ってみると、それは梅ではなく、桜の花でありました。 ヒマラヤザクラか何か、冬咲きの品種なんだろう。(同上・桜)<参考>ヒマラヤザクラ・Wikipedia 石段を上って本殿へ。(同上・拝殿) 初めて境内に上って来たかと思いましたが、さにあらずで、下記参考の古い記事に、鳥居の写真と共に拝殿の写真も掲載されていましたから、少なくとも一度は上って来ていることになる(笑)。<参考>墓参と銀輪行 2009.5.24.(同上・本殿) 拝殿の左手に回り込んで本殿を撮影。(同上・本殿)(同上・絵馬) 拝殿の右手に回ると、「葛上御社古跡」と刻された石碑があった。 古くは、こちら側に、本拝殿が建っていたのだろう。(同上・葛上御社古跡の碑) その石碑の背後にあったのが、しめ縄が張られた石。 どのようないわれのある石なのかは不明である。(同上・何の石か?) 帰ろうとしていると、若い女性が一人で参拝に来られた。 「こんにちわ」と挨拶だけ交わして、石段を下り、石段下に駐輪して置いたトレンクルに跨り、富雄川沿いに近鉄富雄駅へと走る。(カラスの落ち穂拾い) 途中の、刈り取りの終わった田んぼにカラスの群れ。 落ち穂ひろいをしているのか。 生ゴミなど、ゴミ箱をあさるカラスは迷惑至極であるが、田んぼで落ち穂をついばんでいるカラスは好感が持てる(笑)。あをによし 奈良の都の 烏らは 落ち穂ひろへど ごみはあさらじ (偐烏持) 近鉄・富雄駅に到着です。(近鉄奈良線・富雄駅) 駅前で、輪行バッグを取り出し、トレンクルをたたんで収納。 以上で、邂逅展のついで墓参兼銀輪散歩終了であります。 最寄り駅の二つ手前の石切駅で途中下車。そこから、自宅まで再び銀輪散歩としましたが、これが失敗。 石切駅の改札口前で、トレンクルを取り出し、輪行バッグをザックに仕舞って、自宅まで走ったのですが、玄関に入ろうとして、石切駅改札口前にペットボトルのお茶(未開封)とそれを入れた収納保護ケースを置き忘れたことに気付く。取りに戻るのはやめにしようかとも思ったが、思い直して、トレンクルよりもスピードの出るCV(クロスバイク)に乗り換えて石切駅までトンボ返り。置き忘れた場所に、それはそのままにありました。 無事回収して、めでたしでありましたが、経済効率を考えると、取りに戻るよりも、諦めて新しいのを買った方が得策であったのかも。 しかし、SDGsの考え方に立てば、回収する方が環境負荷が少ないということになるのだろう。自宅・石切駅自転車往復でヤカモチの吐き出す炭酸ガスは微々たるもの、さしたる環境負荷にもはなりませぬから。 出だしと締めくくりでのダブルの「置き忘れ」、どうやらヤカモチ本体の方は持続可能性が怪しくなってきたようだ(笑)。<参考>中学同期関係の過去記事はコチラ。 銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2023.01.08
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友人の家近氏からご案内状を頂戴したので、今年も昨日(6日)に邂逅展(会期1月3日~8日10:00~18:00<最終日16:00>)に出かけて来ました。 (2023邂逅展・家近健二作品展)(アートスペース上三条) 自宅を朝8時55分、トレンクルで自宅を出発。近鉄・瓢箪山駅近くの整体院に立ち寄ってマッサージを受ける。 瓢箪山駅前で、トレンクルを輪行バッグに収納し、9時44分発の電車で奈良へ。大和西大寺駅で乗り換え、奈良駅到着10時20分。 トレンクルを組み立て、輪行バッグをザックに収納して出発。 やすらぎの道の中ほどで、歩道を電動車椅子で行く男性と付き添って歩いている女性の二人連れを追い抜く。 一瞬、邂逅展に毎回出展されている小林和弘氏ではないかと思ったが、振り向いて確認することはせず、そのまま走り抜ける。 三条通りとの交差点角に色々なフルーツ大福を売っているお店ができていたので、手土産にと買い求めることとする。各種1個ずつと注文すると、丁度10個であった。10種類のフルーツ大福が売られていたことになる。(邂逅展会場・アートスペース上三条) はい、会場のアートスペース上三条に到着です。 入って、1階右側が喫茶店、展示スペースは2階である。 入館前に前庭を見ると、昨年と同様に、ヒメガキ(姫柿、ロウヤガキともいう。)とザクロがなっていて、出迎えてくれました。(ヒメガキ)(ザクロ) 2階に上がる。(会場風景・入口) 入口受付で記帳を済ませて中に入る。(会場風景2) 家近氏が居られて「やあ」と、こちらへ。 そこで、手土産に持参したフルーツ大福の入ったペーパーバッグを駐輪したトレンクルの脇に置き忘れて来たことに気付き、慌てて戻る。 場違いな風にそれはそこにポツンと置き忘れになっていました。 無事回収し、家近氏にお引渡し。(同上3) 右手前の一点は、北藪和氏の作品「のしてんてん龍その2」の一部。 その左隣の二点は、草木染め・藍染作品で、森澤麗子氏の作品。 手前が「白雲萬里」、奥が「星群」。(同上4)(同上5)(同上6) 正面は松枝道政氏の作品。(同上7)(同上8) 左側は、清水一意氏の作品。昨年8月誕生のお孫さんを描いて居られる。 右側は北口久人氏の作品。(同上9) これは家近健二氏の作品。「ラグビー漫画」は「北斎漫画」のパロディであるか。会場をざっと拝見して、1階の喫茶店へ。家近氏に珈琲をご馳走になる。 店内には森澤麗子氏も居られて、一昨年の邂逅展で初めてお会いして以来であったが、少しの立ち話。 家の近くに古墳があって、万葉歌碑などもある「万葉の小径」がある、というようなお話があって興味を持ちましたが、その場所が「じんぐう」という処だと仰る。「神宮」というと橿原神宮かと思ったが、「こう」と書いて「じんぐう」と読むのだという。この時、ヤカモチは「こう(皇)」と思ってしまったので、「?」でありましたが、今考えれば「こう(功)」であったのだろう。神功皇后の「じんぐう」であったことに気が付かなかったのは迂闊なことでありました。 地図で見ると神功には、「神功4丁目緑地」と「平城四号公園」があるが、神功1丁目には「石のカラト古墳」というのがあって、その近くに公園らしきものがあるようだ。彼女が仰っていた「万葉の小径」は、この「石のカラト古墳」近くの公園のような気がするので、一度探索してみようと思う。 邂逅展は、ドイツ文学者・劇作家の小倉正宏氏が主宰者となって始められた、ジャンル、会派を超えて十数名の作家が参加する「共同個展」とのことであるが、一昨年秋に小倉氏がご逝去された後も皆さんで継続開催されているようです。 会場に置かれていた各出展者の案内状ハガキをアトランダムにいくつか頂戴して来たので、以下にその写真を紹介して置きます。(邂逅展・森澤麗子氏)(同上・北口久人氏)(同上・清水一意氏)(同上・松枝道政氏)(同上・北藪 和氏) なお、このような個展などの案内ハガキもありましたので、併せ紹介して置きます。(辿・伝・転・点 四人展)(同上) ギャラリー砌は地元のようなものだから、日程が許せば覗いてみるか。(北口久人油彩画展) 会場を出て、さてどちらへ行こうか、と山頭火みたいなことをつぶやきつつ、三条通りへ。 昨年は、凡鬼・景郎女ご夫妻と昼食をご一緒した後、霊山寺にある中学時代の恩師のお墓参りにと自転車を走らせたのであるが、今年もこれにする。 このところ、ミニクラス会と称して、中学時代の級友と一緒にする5月のお墓参りがコロナ禍もあって中止となっていた(尤も、昨年5月は3年ぶりに実施したが)ので、それに代わる邂逅展ついでの墓参である。三条通を西へとトレンクルを走らせますが、これは頁をあらためて明日以降の記事とします。<参考>家近健二展関連の過去記事はコチラ。
2023.01.07
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(承前) 前頁の続きです。 石切神社も裏口からの入場となりました。 昨年に続き、今年も境内での露店はなし。 それでも、初詣の人は長い列をなしていました。(石切神社) 参拝者の列を横目に境内を通り抜けて参道に出る。これを新石切駅方向へと西に向かう。もう午後4時近くになっていたので、やって来る人よりも帰る人の方が多い。そのような人の流れに沿って歩いていると、大きなセントバーナード犬を連れた人に出会った。(参道で見かけたセントバーナード犬)<参考>セントバーナード・Wikipedia 現在の体重はどれ位かとお聞きすると、65kgだとのこと。 100kgを超えるようなのもいるセントバーナード犬であるが、85kg位にはなるだろうというお話だった。 東高野街道に出た処の鳥居の脇にあった喫茶店で珈琲休憩。 東大阪市も全域路上喫煙禁止となっているので、煙草休憩でもある。 喫茶店を出て、東高野街道を南へ。 三つ目の神社、瓢箪山稲荷神社へと向かう。 銀輪散歩では走り慣れた道であるが、歩くと結構ある。 瓢箪山駅前の商店街を通り抜け、近鉄奈良線の踏切を渡った処で、左に入り、一つ目の辻で右(南)に行くと、最近できた大衆演劇の瓢箪山劇場の前に出る。(瓢箪山劇場)<参考>0481jp・瓢箪山劇場 瓢箪山劇場の西側の道を南に進むと、瓢箪山稲荷神社の表参道に出る。 表参道を東に行くと稲荷神社である。(瓢箪山稲荷神社・境内見取り図)(同上・拝殿)(同上・瓢箪山古墳説明碑)(同上・狐塚) 本殿の裏にあるのが、境内社の一つ・戸川神社。 本殿裏の狭い通路を挟んで本堂にくっつきそうな位置にあるので、撮影のアングルがうまく取れない(同上・戸川神社)<参考>保食神(うけもちのかみ)・Wikipedia 保食神の姿と伝承 戸川神社の祭神は保食大神とある。 このところの毎年1月2日恒例の、枚岡神社、石切神社、瓢箪山稲荷神社の三社めぐりでありましたが、今年も無事完了であります。 毎年、同じようなコースを歩くので、マンネリ化した記事になりますが、時に脇道に入ったりして掲載画像に変化をつけて、などと思ったりもであります。(完)<参考>過去の三社巡り記事 〇今年も恒例の三社めぐり 2022.1.2. 〇三社散歩 2021.1.3. 〇2020年三社めぐり 2020.1.2. 〇こもりのみ居ればいぶせみ 2019.1.5. 〇2018三社めぐり 2018.1.2. 〇三社散策2016 2016.1.2. 〇三社散策 2015.1.3. 〇三社めぐり 2014.1.5. 〇枚岡神社と鹿 2012.1.6. 〇初詣2011 2011.1.3.<追記>記事タイトルが「続・三社めぐり2013」となっていたので、2023に訂正そました。(2023.1.9.)
2023.01.03
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今日は、毎年恒例の三社めぐり。 コースの概略は、枚岡公園にあった下掲の案内板に書き込んでみましたので、ご覧ください。(コース地図 ――線で表示) まず、枚岡梅林から。と言ってもまだ梅の花は咲いていない。(枚岡梅林) この梅林は、ウメ輪紋ウイルス(プラムポックス・ウイルス)に感染したことから、2017年に園内の全ての梅木が根こそぎ除去されてしまいましたが、2021年1月に新しく植樹が始められ、梅林復活へと向かっている。<参考>枚岡梅林の復活へ、植樹が始まっています。 2021.1.31. 梅林側から枚岡神社へと入る。これは言わば神社の裏口からの入場ということになるが、正面から入らないのがヤカモチ流である。 裏からはいると、まず若宮神社である。祠は最近の造替で真新しいものに生まれ変わっている。(若宮神社)(同上・説明碑) 枚岡神社の主祭神・天児屋根命の御子神、天忍雲根命を祀る。 枚岡神社の拝殿前は、初詣の参拝者で混み合っています。(枚岡神社・拝殿前)(同上・年頭の一言) 拝殿前を横切り、枚岡公園へと続くハイキング道へ。 姥ヶ池を右に見て坂道を上る。(姥ヶ池) 姥ヶ池については、下記<参考>の記事で紹介していますので、それをご参照ください。<参考>墓参と桜散歩 2011.4.2. さらに坂道を上ってゆくと、椋ヶ根橋である。(椋ヶ根橋) 椋ヶ根橋を渡ると、暗峠越えの奈良街道(国道308号)であり、この道を渡ると、枚岡公園へと入る。 正確には、この椋ヶ根橋を含み、前後の山域全体が枚岡公園なのであるが、子どもの頃は、橋を渡った先からが枚岡公園と言っていたように思うので、ヤカモチの感覚で記述すると上記のようになるという次第。(椋ヶ根橋北詰の道標) 以前は、ここから暗峠を越えて、南生駒へと自転車で往復したことも何度かあるが、最近はご無沙汰している。これは気力、脚力の衰えを示すものであるか。(枚岡公園・森のおもちゃ箱)(同上・黄葉) 公園には、このように散り残っているもみじも。 公園を北へと通り抜けると重願寺という寺がある。(重願寺) 重願寺についても下記<参考>記事をご参照いただくこととし、ここでは説明を割愛させていただきます。<参考>わが待つ秋の近づくらしも 2010.7.27. 重願寺の北側の道を少し上って、もう一つ北側の坂道に移り、これを西へ少し下り、楠正行首塚の手前を北に入って、突き当りの坂道を西に下る。 冠木門の並ぶ住宅街の坂道であったが、多くが新しい建売住宅に建て替わっていて、昔ながらの冠木門を残す家は3~4軒に減ってしまっている。 額田山荘会館前を過ぎ、ホテルセイリュウの前を通り、近鉄石切駅の手前のガード下を潜る、近くにあった住宅の外壁と蔦が醸す景色が何やらいい感じであったので、パチリ1枚撮影。(石切駅近くの民家の外壁と蔦) 近鉄奈良線のガード下を潜ると、石切神社の参道入口である。 「ようこそ石切さんへ」というアーチがかかっている。 石切神社へはこの参道を下って行くと、石切大仏を経て、石切神社なのであるが、参道は人が多いので、一つ北側の裏道を下って行くこととする。 そこで出会ったのが、この地蔵堂。(北川小路の地蔵堂)(同上・説明碑) 更に、坂道を下ると石切神社であるが、今日はここまでとし、つづきはページをあらためることとします。(つづく)
2023.01.02
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謹賀新年春立たば いつしかも見む 山辺の 霞にはるや ならんとすらん(和泉式部 和泉式部集388)新年がみなさまに どうぞよき年でありますように(石切神社絵馬)旧年中のご厚誼感謝申し上げますとともに本年もよろしくお願い申し上げます令和5年元旦偐万葉田舎家持歌集けん家持(枚岡神社絵馬)(瓢箪山稲荷神社絵馬)偐万葉田舎家持歌集(にせまんよう いなかやかもち かしゅう)目次それぞれの項目をクリックするとその項目の記事をまとめて見ることができます。下記目次はアメブロ版偐万葉田舎家持歌集により作成しています。銀輪万葉シリーズ大阪府篇(その1)、大阪府篇(その2)奈良県篇(その1)、奈良県篇(その2)京都府・滋賀県篇(その1)、京都府・滋賀県篇(その2)兵庫県篇、和歌山県・三重県篇、北陸篇、関東篇新潟県・長野県篇、中国四国篇、九州篇、その他篇近隣散歩近隣散歩(その1)、近隣散歩(その2)智麻呂絵画展第1回展~第100回展、第101回展~第200回展、第201回展~第217回展偐万葉シリーズひろろ篇、若草篇、ビッグジョン篇、英坊篇、オガクニ篇ふぁみキャンパー篇、ふらの篇、閑人篇、LAVIEN篇、幸達篇ひろみ篇、あすかのそら篇、もも篇、龍の森篇その他(どち篇&雑詠篇)松風篇、木の花桜篇、るるら篇、真澄篇、nanasugu篇カコちゃん08篇、大和はまほろば篇、童子森の母篇半兵衛篇、くまんパパ篇、カマトポチ篇ビターc篇、マダムゴージャス篇、アメキヨ篇ウーテイス篇、ローリングウェスト篇和郎女作品展絵画家近健二展関連、近江鯨麻呂絵画展、その他の絵画花花(1)、花(2)、花(3)、花(4)、花(5)万葉短歌・俳句・詩・戯れ歌言葉遊び若草読書会岬麻呂旅便り囲碁関係囲碁関係(その1)、囲碁関係(その2)マンホール友人関係5人組ウオーク関係、健人会関係中学同期関係、夕々の会関係、ナナ万葉の会関係ペリカンの家関係、木力工房関連、その他虫、鳥、犬、猫など墓参関係その他カテゴリー自転車、能・狂言、ブログの歩み、未分類 当ブログの昨年の年間アクセス件数は562320件でありました。 ご訪問下さった皆さまに心よりお礼申し上げます。 昨年は、年間アクセス件数が初めて60万件を突破するかと思われましたが、10月半ば以降アクセス数が急減(一日当たり1000件以上の減少)し、前年を少し上回っただけ(前年比48件増)の数字にとどまりました。<参考>過去10年間の年間アクセス数(括弧内は年末時点のアクセス累計総数) 2013年 39816件( 239669) 2014年 78308件( 318177) 2015年 250713件( 568890) 2016年 501049件(1069939) 2017年 383827件(1453766) 2018年 455523件(1909289) 2019年 553926件(2463215) 2020年 586955件(3050170) 2021年 562272件(3612442) 2022年 562320件(4174762)<参考>カテゴリ「ブログの歩み」関連の過去記事はコチラ。
2023.01.01
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