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梅まつり期間中の土日祝日に限り、偕楽園臨時駅に列車が停まる。特急電車を利用すると、JR柏駅から1時間弱で偕楽園東門に至る。駐車場の心配をしないで済む。 今年の梅まつりは、2月16日から3月30日まで。期間中、駅が開設するのは計15営業日。但し、下り(水戸駅方面)専用の臨時駅である。1日当り、特急電車13本、普通電車17本計30本運行する。 好天に恵まれ日、満員の特急列車が着くと全員が下車する。するとホームに人があふれる。臨時駅なので出入口が小さくて1カ所しかないため。小生らは往路を特急ひたち号。復路を普通電車。水戸駅で途中下車して、弘道館を観て廻ることする。写真-1 偕楽園駅に到着する急行ひたちE657系。写真-2 偕楽園駅ホームへ続くスロープ。写真-3 ホームで歓迎してくれる梅大使さん。写真-4 急行列車と普通列車。写真-5 普通電車で水戸駅へ向かう。
2019年03月24日
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偕楽園駅で下車すると常盤(ときわ)神社の参道石段が見える。この参道を上り、神社に参拝して観梅するのが良いとされる。但し、観梅まいりを待つ人々の行列が長いので、鳥居前で参拝する。 常盤神社は、水戸藩の弐神を祀る。すなわち、大日本史編纂の祖・徳川圀光。偕楽園開園の祖・徳川斉昭。明治に入って、創建された新しい神社だ。圀光公と斉昭公を慕う旧水戸藩士の働きかけで造られた。 境内には戦災を免れた能楽殿があり、ひな祭り人形がまだ置かれていた。拝殿右側に立っていた樹齢150年ほどのクスノキが伐採され、常盤稲荷が目立つようになった。大きな火薬壺が奉納されている。幕末期の先進的に水戸学問を垣間見ることができる。写真-1 偕楽園駅を降りると常盤神社参道。写真-2 順番を持つ観梅まいりの行列。写真-3 雛人形を飾る能楽殿。写真-4 伐採されたクススノキと常盤稲荷鳥居。写真-5 旧水戸藩の火薬壺。写真-6 御守りと観梅まいり御朱印。
2019年03月23日
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湯檜曽公園から川沿いに上流へ進む、とJR土合駅に至る。その奥には谷川岳ロープウェイ駅がある。土合駅の手前200mに「谷川岳ドライブイン」に寄る。山をイメージした三角屋根が並ぶ建物。お土産に「谷川の月」を買う。 ドライブイン2階の団体エリアで、昼食に松茸御前をいただく。季節限定のメニューとかで、松茸わっば飯、松茸鍋、土瓶蒸しなどをセットにしたもの。旬な食材、地元産品を食べるのは、旅行の大いなる楽しみだ。 JR上越線土合駅は、「日本一のモグラ駅」として知られている。上り線駅が地上駅、下り線駅が地下駅とかなり離れている。下りホームは、地下70mの新清水トンネル内にあるため、モグラ駅との称号が付く。ほぼ一直線に伸びる462段の階段は、恐怖を感じるほど。団体旅行なので、駅を車窓から見る程度でこの場所を離れた・・。写真-1 三角形の山容と三角屋根のドライブイン。写真-2 谷川岳ドライブインの裏を走る上越線と朝日岳。写真-3 ドライブインの前を流れ湯檜曽川。写真-4 ドライブイン周辺の紅葉景色。写真-5 松茸御前と「谷川の月」。写真-6 三角エントランスの上越線土合駅。
2018年12月04日
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三国川ダム・しゃくなげ湖の上流に十字峡と呼ばれている渓谷がある。別名、奥五十沢渓谷(おくいかざわけいこく)。ダム管理所からしゃくなげ湖・右岸道路を約2.8km進むとトンネルがある。この十字峡トンネルを出ると、直前に下津川が流れている。 十字峡は、下津川と黒又沢が三国川に合流する場所。地図上で3つの川が交差して「十」字の見えるからだという。天気が良ければ、三国川の砂防ダムの水カーテン越に、越後三山の最高峰、中ノ岳(標高2085m)が見える。近くにに登山口がある。 急流の川と地形から水力発電が行われている。出力10,500KWの五十沢第一発電所が、川の交わる中洲に建設してある。有効落差178mの水を導水する鉄管路も見えた。発電所の向いには、親水公園が整備されており、大型観光バスが立ち寄れる紅葉スポットになっていた。写真-1 十字峡親水公園。手前の下津川が三国川に合流。写真-2 三国川上流の砂防ダムとその水カーテンを望む。写真-3 三国川の下流。しゃくなげ湖に注ぐ。写真-4 五十沢第一発電所と十字峡トンネル。写真-5 奥五十沢渓谷の秋[観光パンフより]。
2018年11月27日
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田代高原から「ゴンドラ」にのって下る。標高が下るにつれ、雲間に陽が差すようになった。変化する紅葉の様相を眼下に眺め、束の間(25分間)の空中散歩を堪能した。 苗場高原と田代高原をつなぐのは「苗場ドラゴンドラ」。2001年に開業した日本一長い5,481mのゴンドラである。尾根や沢を繰替えしアップダウンするさまが、龍の背中を連想するとかで命名された。スキーシーズンはスピードアップされて、片道15分の高速運転になる。 途中、エメラルドグリーンに輝く二居湖(ふたいこ)が見えた。この湖は電力関係の二居ダム湖だ。Jパワー所管の奥清津発電所(揚水式)の下ダムである。上ダムは、カッサダムの田代湖。二つのダムの高低差470mを利用して、最大160万KWを出力する。原発1.5基に相当する能力。 紅葉時期、ドラゴンドラの営業は10月中から40日間程度。昔、ドラゴンドラが無い時代に、苗場に日帰りスキーをしたことがある。今思う、スキーヤーにとって、アップダウンする長いゴンドラは、あまり必要としない。しかし、高齢化社会の行楽を考えれば、紅葉と新緑を楽しむ「足」に適していると思う。写真-1 田代高原からドラゴンドラに乗って、下りの空中散歩を楽しむ。写真-2 眼下に渓谷紅葉が迫る。写真-3 二居湖と清津川。写真-4 麓のカラマツ林の黄葉。写真-5 田代-苗場ドラゴンドラの山頂駅と山麓駅。
2018年11月13日
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田代ロープウェー山頂駅は白かった。昨晩、1cmほど薄化粧したようだ。標高1410mの田代高原は、午前9時気温0度、時より雪が舞うコンディション。毛糸の帽子、カイロを装備して正解だった。途中上りロープウェーの視界は、グレーアウト・・。 延長2175m×定員91名の田代ロープウェー。最大の特色は、二居湖(ふたいこ)の上を通る230m高さだ。日本一の瞬間地上高さを誇るという。天候のせいで、それほど高さを感じなかった。 山頂駅から整備された下りの散歩道を約30分歩くとレストランアルムに至る。山小屋風の室内には、暖炉が燃えている。用を足して、暖かなコーヒーでひと休み。天候が良くないので、人気のドラゴドラは空いている。集合時間を逆算して、Rt-アルムを後にした。写真-1 田代ロープウェー山頂駅付近の積雪のようす。写真-2 田代高原の散歩道を下る。写真-3 田代ダム湖(カッサダム湖)を見ながら下る。写真-4 高原のレストランアルム。コーヒータイムする。写真-5 ロープウェーと二居湖(ふたいこ)[観光パンフ]。
2018年11月10日
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越後三山のひとつ八海山へ登る。と言っても4合目までロープウェー(R.W)に乗り、紅葉を観る空中散歩。あいにくの雨模様、山頂駅は雨雲の中・・。小雪もぱらつく不運な時間帯となる。八海山は、古くは行者や信仰の山として開山された山。山頂駅にも朱色の鳥居が立っていた。 今年の紅葉シーズンは、中越方面のロープウェーから秋を楽しむ観楓会となる。「駅からバスツアー」からチョイスして、相棒と参加する。人気の企画で、大型バス2台約80名の行程となる。 大型バス2台分の人数を収容する八海山ロープウェーは、標高差771mを5分で運行する。山頂駅の標高は1,147m。更に5分程歩くと展望台があるが、視界約20mの灰色世界が待っていた。「観雲台」と化していた。 下山する際には、雲間に上信越の山々と魚沼平野をチラッと見ることができた。旅は雨で始まった。秋雨だ・・身体を冷やさぬよう参ろう・・。関東が快晴でも、新潟は雨が降る季節が始まっていた・・。写真-1 八海山ロープウェーから魚沼平野を望む。写真-2 雨雲漂うロープウェー山頂駅と展望台。写真-3 ロープウェー途中から観た紅葉。写真-4 山麓駅から見た八海山麓景。写真-5 真っ赤な紅葉景色をポストカードで観る。
2018年11月07日
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水戸飛行場跡地の広大な土地に、国営ひたち海浜公園がある。その公園面積は約200ヘクタール、ディズニーランドの4倍と云われている。大きく7つのエリアに分かれている。中央ゲートから入場すると、先ずプレジャーガーデンエリアが迎えてくれる。その裏手に草原エリアが続く。 3つのテリトリーに分類され、計22のアトラクションを要するプレジャーガーデン。(1)ドリームA.Tは、大観覧車など。(2)エキサイティングA.Tは、林間ジェットコースターなど。(3)アドベンチャーA.Tは、アイスワールドなど。大観覧車(直径62.5m)は、園のシンボルでフラワーリングと呼ばれている。 大草原は、広さ約8ヘクタールで、開放的な芝生広場。パンパスグラスが風に揺れる。大草原の南側から、コキアに覆われた「みはらしの丘」が見えた。 西口・翼ゲート近くの「水のステージ」では、郷土芸能まつりが演じられていた。太鼓音に足を止める。昔、砂競馬で打ち鳴らしたという「やんさ太鼓」。コキア色に似た半被が恰好良かった・・。写真-1 中央ゲートからプレジャーガーデンを見る。写真-2 アドベンチャーアトラクションのアイスワールド。写真-3 広さ8ヘクタールの大草原。写真-4 草原からコキアみはらしの丘を望む。写真-5 パンパスグラスと「やんさ太鼓」。
2018年11月06日
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ひたち海浜公園の東端、太平洋を望む砂丘上にガラスハウスがある。全面ガラス張りの建物で、室内から煌めく海を眺める事ができる。テラス前に張られた水面も陽光キラメク。 海が見える「硝子の家」のシーサイド・カフェで、コーヒー・タイムとした。太平洋に手が届きようなカフェだ。有機栽培なるコーヒーを頂いた。変わったお茶もあるようだ。その名は、「ネモフィラブルーティー」と言い、青い透明のホットティー。 砂丘エリアを訪れ人は、あまり少ない。レンタル自転車を借りられれば造作もないが、台数が限られている。ひたち海浜公園の昨年の年間入園者数は、230万人近く。しかし春花の季節(ネモフィアとチューリッブ)の4月と5月で、年間の半分108万人が訪れる。 ここ数年、SNSの普及、および旅行会社による「フォトジェニックの絶景」の宣伝効果で、外国人観光客が激増しているようだ。多くの人を引き寄せる花景色がそこにあるから・・。写真-1 砂丘の丘・ガラスハウスからの眺め。写真-2 砂丘に水を貯めて、潤いを演出。写真-3 シーサイド・カフェでひと休み。右下はネモフィラティー。写真-4 砂丘観察路の様子。写真-5 砂丘カーデンとガラスハウス。
2018年11月03日
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秋に札幌を訪れたならジンギスカンは、外せない。と思い、夕方サッポロビール園へ出向く。すると90分待ちと宣告された。予約せずに来園したのが拙かった。しかたがないので、売店でジンギスカン肉を購入・宅配し、次なるサッポロファクトリーへ向かう。 サッポロファクトリー・レンガ館にある麦羊亭(ばくようてい)で、ようやくジンギスカンにありつけた。生ラム食べ放題90分コースを注文。2家族4名で、レトロな空間で煙ディナーする。焼肉の臭いを衣に纏い、ホテルへ戻ることになる。 レンガ館には、「ビール発祥の地」との標識が立っている。平成5年、サッポロビール工場跡地を大型商業複合施設としてオープンしたサッポロファクトリー。明治9年、日本人による最初のビール工場が、「開拓使麦酒醸造所」。日本・ビールの聖地と言える。 レンガトンネル型ビアホールのあるレンガ館は、明治27年に造られたもので、歴史的建造物。3本のトンネルは、かつてはビールの貯蔵庫だった場所。ビアホールと食堂に再利用している。ジンギスカンとビールと秋の夜と楽しいひと時を過ごす。つい食べ過ぎてしまった・・。写真-1 サッポロファクトリー・レンガ館の入口。写真-2 煙突広場とアトリウム。写真-3 北2条通り側のレンガ外壁ライトアップ。写真-4 麦羊亭・レンガトンネルでジンギスカンを食べた。写真-5 サッポロビール園は、90分待ち状態だった。
2018年10月27日
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JR札幌駅から歩いて約10分で、北海道大学の正門に至る。札幌市内の宿泊ホテルを抜け出し、北大キャンパスを朝散歩する。災害にあったポプラ並木の状態観察を兼ねて、朝露の路を歩く。 高い樹木と緑豊かなキャンパスは、広くて開放的な空間。幹・枝・葉から柔らかい陽が差し込み、気持ち良い。朝キャンパスは肌寒いが、ランニングする人、ウォーキングする人が行き交う。 北大キャンパスの風景を代表する50本のポプラ並木。2004年9月の台風によって、その4割に当たる20本程が倒れた。250mの並木道は、現在も立ち入り禁止だ。倒木ポプラの一部は、楽器・チェンバロに生まれ変わったという・・。写真-1 北大構内の傷ついたポプラ並木。写真-2 歩けずのポプラ並木道250m。写真-3 東西方向に続く350mのイチョウ並木。北13条通り方面を見る。写真-4 古河講堂付近を流れるサクシュコトニ川。写真-5 大野池と古河講堂。
2018年10月23日
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林のなか、白群色(びゃくぐんしょく)に輝く館がある。中島公園の西側に佇む、豊平館(ほうへいかん)だ。明治に入って、開拓使が建てた洋式建物。アメリカ風洋式の木造2階地下1階の高級ホテルとして使用したもので、開拓使建築の遺構として、国の重文に指定されている。 外壁の白さと柱・窓枠のウルトラ・マリンブルーとが建物に優美さを醸し出す。「中島公園の貴婦人」的な存在だ。豊平館が札幌中心部から中島公園に移設されたのは昭和33年。その後、公会堂・結婚式場などに活用。2012年から展示館としてリニューアルされた。 開拓使とは、北海道開拓のため明治2年から明治15年頃までに置かれた日本の官庁。それ以前は、「箱館府」と称した。なお、旧開拓使札幌本庁舎は、札幌市厚別の開拓村に復元されている。こちらは、柱・窓枠がクリーン色に縁どられた特徴的な建物である。写真-1 中島公園西側に佇む豊平館。写真-2 紅葉と白群色の館。中島公園の貴婦人。写真-3 高級西洋ホテルとして開館した豊平館[国の重文指定]。写真-4 バルコニーと車よせ。写真-5 開拓村に復元されている旧開拓使札幌掘本庁舎。
2018年10月20日
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札幌ススキノの直ぐ南に、水と緑が豊かな「中島公園」がある。札幌市内に宿泊する際、時々訪れる場所。園内に地下鉄南北線駅があるので、時間調整に、また散歩に適した場所だ。桜の頃に訪れてはないが・・。 中島公園は、その名前の通り豊平川の流れによって生まれた地形が由来。明治初期に貯木場、明治中頃に中島遊園地となり、札幌初の打上げ花火を行った。明治43年に中島公園として整備される。昭和に入り、戦時中は軍が使用、戦後は進駐軍の兵舎、引揚者の宿泊施設に転用された場所でもある。 10月中旬、小生の母親および義母の慰問と高校同期会(50周年)への出席を兼ねて、札幌・小樽を訪れた。90才を越えた二親は、それぞれ小樽と札幌の養護老人施設でお世話になっている。最近は、年1回程度しか訪問していない。昔好きだった食べ物も口にしない、物忘れも激しい。10数年後の小生らを見る想いだ・・。写真-1 札幌・中島公園。紅葉には少し早かった。写真-2 中島公園ボート池は人気のデートスポット。写真-3 池畔周りで色付いた紅葉。写真-4 中島公園内の日本庭園。写真-5 笛を吹く少女像。写真-6 夕雲を映す菖蒲池。
2018年10月17日
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三国湊に注ぐ九頭竜川の最下流に架かる新保橋。三国町山王から竹田川の港橋を経て、新保地区を結ぶ国道305号を通す橋。歩道が設置されているので、河口方面の雄大な眺めを見ることが出来る。 メタリックシルバーの新保橋は、7径間トラス橋と4スパン合成桁橋からなる。その延長は556mにおよぶ。明治3年に最初の橋が造られた。現在の橋は、昭和41年に架け替えられた。 新保橋東詰は汐見公園の入口にあたる。公園の中央付近、芝桜が咲いている場所に紅い手摺が目立つ。そこは、かつて汐見橋のあった場所。竹田川の改修工事で姿をけした橋。町民から「赤い橋」と親しまれていたので、モニュメントとしているようだ。写真-1 九頭竜川最下流に架かる新保橋。写真-2 汐見公園と新保橋を望む。写真-3 7径間のトラス橋と4径間合成桁橋からなる新保橋。写真-4 新保橋より九頭竜川上流を見る。写真-5 歩道が車道と区別され、安全に歩くことが出来る。写真-6 汐見公園には汐見橋のモニュメント(朱塗りの手摺と銘板)がある。
2018年05月20日
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石川県境の山並みから昇る朝日を眺める。観光ホテルの廊下は、東面で窓が大きい。腰かけもあるので、日の出を観るのに都合が良い。三国市街の水田が陽を受けて赤く輝いていた。 緑ヶ丘の東側に、朱色の社殿が建っている。成田山九頭竜寺である。昭和の中頃に、成田山本山から不動明王を分霊して開山した。全国に8つある成田山別院のひとつ。福井成田山とも呼ばれ、初詣で賑わう丘である。 三国成田山の東側の眺望が良いので、展望スペースが設けられている。桜の樹もあるので花見場所のようだ。この時期、朝日は東北東から上る。県境の牛ノ谷峠方面だろうか。東南東に白山連峰も望めるというが、モヤで確認できなかった。写真-1 観光ホテル廊下で日の出を待つ。写真-2 加賀市方面から日が昇り、水田が赤く輝く。写真-3 成田山(福井別院)九頭竜寺。写真-4 三国成田山の朱塗り社殿。写真-5 九頭竜寺展望デッキからの眺め。写真-6 社殿の装飾と桜時期の境内。
2018年05月18日
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三国湊を望む丘の温泉ホテルに宿泊する。すべの客室の窓が日本海に向いているので、夕日の絶景が見られるホテルとして知られている。海に沈む夕陽を眺めて、夕食会場へ向かう。越前かに料理が待っている。 ホテルに隣接して、白亜の洋館が建っている。三国市が最も栄えた明治20年代、オランダ技師によってデザインされた龍翔小学校の、外観を復元したものだという。三国の文化や歴史が詰まった博物「龍翔館(りゅぅしょうかん)」となっている。 三国観光ホテルの新館(東館)は、1993年に完成。西館と合わせると、客室97室(約400人)の規模である。かつてこの場所には、「東尋坊温泉ファミリーランド」が開業され、ジャングル風呂や遊園地があった。30年前に閉鎖され、今は静かな「夕陽と朝日の丘」になっている。写真-1 三国・緑ヶ丘の観光ホテルから見た夕日。写真-2 ホテルの部屋で、ゆっくり夕陽を観る。写真-3 日本海に沈みゆく紅い陽。梅干しのようだ。写真-4 三国港を一望する丘にホテルと洋館が建つ。写真-5 白亜の洋館「龍翔館」。
2018年05月17日
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東尋坊から越前海岸を南下するバスの旅。日本海を右手に見ていると、雄々しい奇岩が出迎えてくれる。野島崎付近で昼食(アワビづくし定食)を頂き、岩場で休息する。 奇岩断崖が続く岩場ライン、それが越前海岸の特徴。日本海の波と風が数々の岩景勝地を創り出した。北は東尋坊から、南は敦賀杉浦までの海岸線。越前岬を西端に、「くの字」形で日本海に緩やかに突き出ている。 越前海岸を代表する景観のひとつに「呼鳥門(こちょうもん)」がある。鳥が羽根を広げて、舞い降りて来るのに似ていることが名前の由来。高さ15m×幅30mの大自然が創ったトンネルだ。かつてはこの門を抜けて国道が通っていた。現在は通行不可のようだ。 この海岸道路沿いは、水仙の名所。日本の水仙三大群生地とされる。梨子ケ平近辺の段々畑は見事だという。その頃に訪れたいものだ・・。写真-1 越前岬北の呼鳥門。大自然が創ったトンネル門。写真-2 越前岬南の糞鳥岩。高さ100mの白い断崖。写真-3 道の駅越エリアにある「越前がにミュージアム」の風貌。写真-4 野島崎の海岸の岩場風景。写真-5 昼食に寄った海岸と岩場、トド岩。写真-6 水仙が咲き乱れる梨子ケ平[観光パンフ]。
2018年05月16日
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柱状節理が創り出す、壮大な断崖を歩いて「大池」を覗く。東尋坊(とうじんぼう)は、北陸屈指の断崖絶景である。福井県三国町の海岸線約1kmにわたり、高さ25mの垂直な断崖が続く景観は、圧巻だ。 断崖の由来は、勝山市にある白山平泉寺にいた「東尋坊」という乱暴なお坊さんの名前。この乱暴者が絶壁の上で、酒に酔っていたところを、恋敵の僧たちが海へ突き落したと言い伝えられている。 約1300万年に起こった火山活動で、マグマが堆積岩に貫入して冷え固まった火山岩が東尋坊を形成している。輝石安山岩の柱状節理がよく発達しているので、地質学的にも貴重な場所。特別保存区に指定されている。 訪れた日は、波穏やかで優しい東尋坊。しか冬に訪れると別世界だと思う。日本海の荒波が押し寄せ、風と波の音が支配する世界になる。本来の東尋坊の姿になるのだろう・・。写真-1 東尋坊の最大の見所「大池」。穏やかな海面。写真-2 遊歩道は、船着き場へと続く。写真-3 観光遊覧船の船着き場。写真-4 柱状節理の断崖と遠くの雄島。写真-5 軍艦岩、ローソク岩などの奇岩たち。写真-6 節理岩棚と福井港。
2018年05月14日
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永平寺の正門(龍門)を抜けると、門前町の景色が一変する。樹齢約500年という巨杉が神秘的な雰囲気を醸し出す。陽を遮り、涼気が漂う。 正門の門柱に味わい深い文言が刻まれている。右柱に「杓底一残水」、左柱に「汲流千億人 」。一杓の水でも元の川へ流れることによって、多くの人が恩恵にあずかるとの意味。「仏心」を目覚めさせる禅修行を示唆しているようだ。 苔むす薄暗い石段の奥に、老杉に囲まれた唐門がある。新しい住職を迎え入れるための勅使門。そのため門内への立ち入りはできない。石階段の両脇を固める巨杉が岩を飲み込んでいた。 通用門前の池に、「一葉観音像」がある。道元禅師か中国宋より帰国する際に、荒海を治めてくれた観音様だという。この春、世間の荒波に漕ぎ出した新社会人にとっての観音様になればと思う・・。写真-1 永平寺への正門。杓底一残水 汲流千億人の門柱は龍門とも呼ぶ。写真-2 岩を飲み込む巨杉。石階段の奥に見えるのが勅使門(唐門)。写真-3 道元禅師縁の「一葉観音像」。写真-4 永平寺川に沿って涼しげな遊歩道がある。写真-5 遊歩道終点にある寂光苑の「寂照の鐘」。写真-6 寂光苑手前にある「 玲瓏(れいろう)の滝」。
2018年05月13日
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鎌倉時代から続く禅寺の総本山「永平寺」。約10万坪の境内には、大小70もの伽藍が立ち並び、規模においても威厳を放つ。毎年約200名が修行生活を境内で過ごす。修行僧は、雲水と呼ばれる。僧堂・東司・浴室は、「三黙道場」と呼ばれ、雲水にとって大切な場所。 諸堂への参拝・拝観を希望する人は、まず吉祥閣講堂にて、永平寺の概要と参拝の心得の説明を受ける。説明してくれた雲水は、この3月に入山したばかりの若者。1年間の修行を課している。各自の事情や目標があるようだ。 山門は七堂伽藍のなかで最も古い建物。1749年に造立。中国唐時代の楼閣門で、両側に守護神・四天王が安置されている。山門楼上には五百羅漢が祀られているという。 傘松閣(さんしょうかく)は、参拝者用の控室や宿泊室がある建物。拝観ルートになっている2階に、「絵天井の間」がある。著名な画家144名による230枚の花鳥図は見応えがある。フラッシュ撮影や修行僧にカメラを向けないとの条件で、室内撮影はかなり許された。写真-1 吉祥山永平寺の山門。中国唐時代様式の山門。写真-2 読経が行われる仏殿。写真-3 山門と仏殿の間に位置する中雀門。写真-4 傘松閣・絵天井の間230枚の花鳥画。写真-5 大庫院(だいくいん)の大すりこぎ棒。写真-6 掃除修行中の法堂(はっとう)広間。
2018年05月11日
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福井県立恐竜博物館を見学した後、えちぜん鉄道(えち鉄)に乗り込む。勝山駅から永平寺口駅までのミニ鉄道旅だ。当区間は、絶景のローカル列車として知られている。 永平寺口駅は、勝山駅から11番目の駅。鉄道延長が約17km、乗車時間30分間ほど。1両列車が川沿いをコトコト走る。九頭竜川の川下りのような感がある。えち鉄は、4市1町が出資する第三セクターで運行管理。個人出資が3割ある。車中、女性のアテンダントがサポートしてくれた。 車窓後方に雪を頂いた白山連峰が見え隠れする。九頭竜川越しの雄大な景色を見ることができた。小船渡駅付近では、古めかしトラス橋が見えた。駅の南側に「かまぶろ温泉」と「小舟渡遊園地」があったという。その連絡路に使われた橋らしいが、維持管理に課題がありそう・・。写真-1 えちぜん鉄道勝山駅と恐竜オブジェ。写真-2 発坂駅付近の荒鹿橋と山並み。写真-3 九頭竜川越の白山連峰。写真-4 小舟渡駅近くの古いトラス橋。写真-5 永平寺口駅で下車して大本山永平寺へ向かう。写真-6 アテンダントがいる列車に乗り合わせた。
2018年05月10日
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恐竜の化石産出量が全国トップの勝山市。その市内、滝波川沿いの村岡に巨大な卵がある。2000年に建設された福井県立恐竜博物館だ。銀色に輝く卵状ドームが特徴。遠くからでも良く目立つ。陽の当たり方で、光るタマゴに見える。建築家の黒川紀章氏によるデザイン。 40年前、巨大恐竜博物館が作られることを誰が予想しただろうか。1982年勝山市でワニの化石が発見されたのが始まりだ。その7年後には大規模な発掘調査が行われ、多くの恐竜の骨格化石が採取された。収集・保管・展示のために、県立の恐竜博物館が生まれた。 恐竜博物館の見所は、躍動感ある44体の骨格標本だろうか。また、動く恐竜ロボットが人気だ。実物の3/4のティラノサウルスが吼えて動く。来館者の多くは、その恐竜の前で記念写真を撮る。 発掘調査が行われている現場を見学することもできる。1億2千万年前の地層がむき出しになっているという。また、家族連れで化石発掘体験をできる広場もある。恐竜ファンには、たまらない「かつやま」である。写真-1 福井県立恐竜博物館。恐竜の卵をイメージしたドーム。写真-2 卵形状のエントランスホール。写真-3 一階・恐竜の世界ゾーン。恐竜ロボットティラノサウルス。写真-4 二階・生命の歴史ゾーン。写真-5 躍動する骨格標本を展示。写真-6 巨大な恐竜モニュメントと恐竜博士のオブジェ。
2018年05月09日
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九頭竜川中流域、福井・勝山市に、広大な寺院の国史跡がある。かつて中世日本における最大規模の宗教都市があった跡。今は昔の、白山平泉寺(はくさんへいせんじ)だ。苔の絨毯に覆われた静寂な空間が広がっている。 戦国時代には、48社36堂6千坊が峰々谷間に満ちていたという。寺領約10万石、僧兵8千人を擁していたとされる。天正2年(1574年)織田方についていた平泉寺は、大阪本願寺方の一向一揆勢に攻められて全山焼失した。 白山平泉寺は、霊峰白山(標高2702m)の越前側登拝口であった。今も石川、福井、岐阜、富山の四県にまたがる山岳信仰の山。現在の登山口は、石川県側の白山温泉奥の別当出会いが一般的。 200ヘクタールにわたる平泉寺旧境内で発掘調査が行われているが、その進捗状況は1パーセント程度。かつての拝殿は、45間(83m)と壮大な構えだったという。礎石がいまも残る。青苔が拝殿跡に棲みつき、440年の時間が止まったままだ・・。写真-1 白山平泉寺の精進坂と一の鳥居。写真-2 一の鳥居を抜けて、更に参道を登る。写真-3 二の鳥居と拝殿を観る。写真-4 現在の拝殿。かつての拝殿の礎石が残る。写真-5 拝殿の裏に建つ白山平泉寺本社。写真-6 焼失前の山内図。
2018年05月07日
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若狭小浜港の東側、内外海半島の北に面する海蝕洞を蘇洞門(そとも)という。内外海(うちとみ)半島は、標高619mの久須夜ケ岳からなる丘陵で、若狭湾に突き出ている。このため、北風をブロックできる小浜港は良港である。 長さ6kmにわたって続く海岸は、若狭を代表する景勝地。花崗岩が波に打ち崩され、方状節理に沿って海蝕する。長いときを経て、奇岩・洞窟・断崖が創られた。パンフレットに「勇壮な波のドラマ」とのキャッチコピー。そんな蘇洞門めぐりを楽しむ。 約50分遊覧のハイライトは、折返し点となる大門小門だ。花崗岩の節理が中抜して、船が通れるほどの洞門になったもの。門の中に入ると「吹雪の滝」が流れ落ちている。高浜市の後方に、逆光の青葉山(若狭富士)が海に浮かんでいた。関東の筑波山のようでもあった。写真-1 内外海半島の松ケ崎の先端部。写真-2 南蛮人の唐船を繋いだとされる「唐船島」。写真-3 モアイ巨石のような奇岩「鎌の腰」と「夫婦亀岩」。写真-4 クルーズ折返し点にある「大門小門」。写真-5 筑波山のような青葉山(若狭富士)が海に浮かぶ。写真-6 大門小門の中と案内図[観光パンプ]
2018年05月06日
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越前大野市内には、数多くの湧水清水がある。まちなか湧水だ。この地方では、清水と書いて「しょうず」と呼ぶ。大野城の外堀、新堀川の水も透明度が高い。湧水を集めて流れているようだ。 四方を千メートル級の山々に囲まれた大野盆地。山に降った雨や雪は、盆地の地下に浸み込む。その水は、地下でろ過されて市内に湧き出す。今でもこの豊富な地下水は、飲み水や生活用水として利用されている。 まちなか交流センターの近くに、「御清水(おしょうず)」(泉町)がある。かつて城主の御用水だったという。江戸期、土井家8人が大野城主になっている。そして土井家の家紋は、丸の内に六本杓(ろっぽんしゃく)。水に縁ある家柄のようだ。 糸魚町に本願清水がある。この遊水地・池は、淡水型のイトヨが生息している。イトヨはトゲウオ科の体長10cmの小型魚。水温20度以下で生存するさかな。年間を通じて安定した温度の湧水は、イトヨにとってぴったりの環境。夏渇水を心配する都会から見ると別世界の盆地だ。写真-1 越前おおの結ステーション。結楽座と時の鐘。写真-2 名水百選の御清水(おしょうず)。写真-3 湧水を集めて流れる新堀川。写真-4 新堀川沿いの新堀清水。写真-5 イトヨが生息する本願清水。
2018年05月05日
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四方を山々に囲まれる越前大野盆地。年に数回、雲海が広がる時、亀の上に載ったような「天空の城」が出現する。訪れた日、筑前大野城は新緑の亀山(標高249m)に抱かれていた。 大野城と城下町の建設は、天正4年(1576)に始まったとされる。初代城主は、織田信長の赤御母衣衆だった金森長近。信長・秀吉・家康に仕えた、したたかな武将だ。関ケ原後、飛騨高山の藩主となる。蹴鞠や茶道に通じ、85才の人生を全うした。 盆地内の小高い亀山を平坦にして城郭を造った大野城。平山城に分類される。現在の天守閣は、寄付金で、昭和43年に復元されたもの。4階天守展望室からは、小京都とも言われる町並みや、白山・経ケ岳・荒島岳などの山々を一望できる。 大野盆地で雲海の出現するのは11月が多いという。一般の旅行者では、「天空の城」を見る可能性はゼロに近い。観光パンフの写真を見て、雲海に浮かぶ亀山を想像した。写真-1 新緑の亀山に建つ越前大野城。写真-2 野面積み石垣と天守閣を見る。写真-3 小天守と越前の山並み。写真-4 市街地と荒島岳を望む。写真-5 天守展望台から白山の方面を望む。写真-6 雲海に浮かぶ「天空の城」[パンプより]
2018年05月03日
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戦国時代の町並みを伝える朝倉氏遺跡群。遺構・遺跡を整備したエリアは、278ヘクタールにも及ぶ。京や奈良の貴族・僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都と呼ばれた一時期があった。一乗朝倉氏遺跡・庭園は、国の三重指定(史跡・名勝・重文)でもある。 義景館跡の川向に、復原町並地区が整備されている。復原町並には幹線道路が南北に通る。西の山際に、多くの寺院・武家屋敷を配置。道路沿いには、多様な職種の職人の家が建ち並び、町屋を形成していた。約1万人が生活した足跡をリアルに再現している。 朝倉義景は、浅井長政の要請を受けて、1570年「姉川の戦い」に参戦。一乗谷から小谷城までの距離は、直線で約65km。織田・徳川軍と戦うため、大軍を琵琶湖東側に進める。諸説あるが、朝倉軍1万対徳川軍5千、浅井軍8千対織田軍(1万+別動5千)で激闘を繰り広げた。 姉川の戦いは、地の利のある浅井・朝倉軍が前半優勢。終盤、形勢逆転され敗退する。歴史にもしが・・があれば。信長、家康のいずれかが命を落としていたならば、天下統一は誰の手で・・。信玄か、秀吉か、または官兵衛か・・。江戸時代という言葉は生まれなかったかもしれない。写真-1 戦国時代の城下を再現した復原町並み。写真-2 通り沿いに商家、武家屋敷が並ぶ。写真-3 「遠見遮断」効果をもたらす道路・土塀づくり。写真-4 館道路の延長上の山尾根に山城跡がある。写真-5 武家屋敷と名残り桜。
2018年05月02日
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福井市内を西流する足羽川に注ぐ一乗川。合流点から一乗川を約1.5km遡上すると、朝倉氏遺跡が谷沿に連なっている。東尾根、標高473m付近は、一乗朝倉氏の居城があった場所。一族の滅亡から440年が過ぎ、樹々が繁っている。夢の跡の調査と復元が続いている。 一乗谷は、福井市街から東南約10kmにある。戦国武将朝倉氏の城下町として栄えた。5代103年のあいだ越前の中心であった。朝倉義景は、一時足利義昭を庇護したほど力があった。しかし、織田信長に滅ぼされて、城下町は焼き討ちに遭い灰塵に帰した。1573年刀根坂の戦いに敗れる。 義景館跡の入口にあたる唐門に、薄墨桜がある。訪れ日は、すでに葉桜になっていた。桜開花期間はライトアップされる桜の名所。今年の桜は何処も早かった・・。諏訪館跡近くの枝垂れ桜が西日を浴び輝いていた。写真-1 一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねる。写真-2 豊臣秀吉が寄進したとされる唐門。薄墨桜は新緑に包まれていた。写真-3 展望台より朝倉義景館跡を眺める。写真-4 諏訪館跡庭園。巨石を組み上げ滝を表現。写真-5 諏訪館橋付近の名残りさくら。
2018年05月01日
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トンネルを抜けると若狭の海・・。水月湖のホテルから自転車で、県道216号を進み、塩坂越トンネルを通った。峠から見渡す海原は、若狭湾の支湾の「世久見湾(せくみわん)」。夕日の絶景場所のひとつである。 透明度の高い世久見湾に、円錐美形の島が浮かんでいる。周囲1kmほどの「鳥辺島(とりべしま)」だ。この島(標高95m)は、世久見湾のシンボル的な存在。島の周辺は、ダイビングスポットとして知られている場所。 塩坂越は、「しおざかこし」と呼ばない。「しゃくし」と言うそうだ。難解地名のひとつ。地名は、常神半島特産の塩を背負い、坂を越したことが由来。地元訛りで「しゃくし」となったとか。旧道には延長190mの「塩坂越隧道」がある。現在は役目を終えて、交通止めになっていた。 世久見湾でもフグの養殖をしている。夕食は河豚料理なので、落日を待たずしてホテルに戻る。写真-1 世久見湾と鳥辺島。写真-2 展望台から常神半島方面と御神島を望む。写真-3 夕陽の綺麗な海岸。写真-4 塩坂越海岸とその集落。写真-5 塩坂越隧道(世久見湾側)。写真-6 塩坂越隧道内の様子。
2018年04月29日
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早朝にホテルを抜け出し、湖小片を散歩する。低い稜線から朝陽が昇る。すると水月湖の水平線に、一条のホワイトラインが出現。暫くすると、水鳥が活動し始め、水面に模様が描かれた。 水月湖は、三方五湖の中で最大の湖。その面積は4.15km2。一周が9.85m。最大水深34mとされる。下層の水が硫化水素を含む無酸素状態の二重湖。そのため、魚は湖面の上層に生息するという特徴がある。 昨晩の食膳は、「河豚づくし」が並んだ。何故、フグが初夏に食べる事ができるのだろうか・・。三方五湖の直ぐ隣には、リアス式海岸の若狭湾がある。穏やかな入江を利用して、トラフグの養殖生産が盛んだという。従って、年間を通じて、若狭ふぐを頂ける。写真-1 水月湖の日の出。水平線に一条のホワイトラインが見えた。写真-2 夜明け前の水月湖。静寂な瞬間(とき)が過ぎゆく。写真-3 朝陽に向かって進む水鳥。写真-4 湖面の鏡 「陽」写真-5 湖面の鏡 「陰」
2018年04月28日
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三方富士(梅丈岳)の直下に、湖畔の宿がある。三方五湖のひとつ水月湖の西縁に佇む町営ホテル・水月花に泊まる。全部屋が湖に面している。1階大浴場からは、湖を眺めながら湯に浸かることができる。一泊する間、3回入浴する・・。 湖を囲むように梅林が点在している。日本海最大の梅産地だという。緩やかな山々に囲まれて、穏やかな気候が梅づくりに向いているのだ。種が小さくて果肉が多い品種。2種類が主体。梅酒用は「剣先」、梅干し用が「紅映」。朝食に美味しい梅干しが添えられていた。 水月湖の「年縞(ねんこう)」は、地質の世界標準ものさしと言われている。湖底に7万年分の堆積物が縞状に形成して、年輪を思わせる。穏やかな湖ならではの奇跡とされる。観光用なのだろうか、採取ボーリングの櫓が浮かんでいた・・。写真-1 梅丈岳に抱かれる湖畔の宿。波静かな水月湖の西縁。写真-2 ホテルの大浴場近くから見た水月湖。写真-3 湖周辺は、若狭梅の一大産地。写真-4 ホテルロビー・喫茶コーナーから見た水月湖。写真-5 食後、水辺を散歩する。表-6 水月湖に浮かぶ年縞採取ボーリングの櫓。
2018年04月25日
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若狭湾国定公園を代表する景勝地・三方五湖。五つの湖を一望できる梅丈岳(三方富士とも)の山頂公園に登る。有料道路レインボーライン(11km)とリフトを乗り継いで、標高397mの山頂に立つ。好天に恵まれて、絶景を望むことができた。 五つの湖は、淡水・汽水・海水、それぞれ異なった水質を有する。そのため、湖面の色が微妙に違って見えるという。南側(山側)から、三方湖は淡水湖。水月湖・菅湖・久々子湖は汽水湖、そして日向湖(ひるがこ)が海水湖となっている。一番大きいのは、水月湖だ。 湖水の性質の違いにより、各湖の魚の種類が異なる。特に、三方湖は天然うなぎ・口細青うなぎが有名。一番大きい水月湖は、ワカサギやシラウオ。またハスというサカナもいるらしい。淡水域における食物連鎖の上位にたつハスは、地元で保護・育成活動の対象となっている。 しばらく、越前旅景色を主体に掲載します。よろしくお願いします。写真-1 梅丈岳山頂公園から三方五湖(日向湖、久々子湖)を望む。写真-2 水月湖と菅湖を望む。写真-3 恋人の聖地。誓いの鍵は販売中止。写真-4 歌謡曲「ふるさと」が流れる「五木の園」。写真-5 レインボーライン道路と若狭湾。写真-6 永遠の繋がりを意味する「メビウスの輪」。
2018年04月24日
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前橋市大手門、マンションに隣り合って、ゴシック様式の建造物が建っている。前橋カトリック教会の「カルメル山の聖母聖堂」である・鉄筋コンクリート造りではあるが、昭和7年の姿のままだという。 二つの尖塔を持ち、尖塔アーチ、ステンドグラスの窓を持つ教会堂。前橋にカトリック教会が発足したのは明治38年とされる。いまから110年以上前のこと。江戸幕府の迫害・弾圧にあっても、坂東平野の奥まで宣教に来たのだろう・・。 イスラエル北部、地中海沿いにある美しい丘(標高524m)がカルメル山。この丘から聖母マリアが生活したガリラヤを望むことができるとういう。カルメル山登坂道は、「神に向かう道」と呼ばれ、カトリック教の聖なる山とされる。 11世紀にキリスト教が東西分裂した後、数多くの諸教派が生まれた。その系譜は複雑なので、よく理解できない。しかしローマ教皇のいるバチカンがローマ・カトリックの総本山。第266代目として、フランシスコ教皇が2013年に在位された。写真-1 前橋カトリック教会「カルメル山の聖母聖堂」。写真-2 高さ25mのツイン尖塔を持つ聖堂。写真-3 教会の正面玄関。写真-4 尖塔アーチが美しいゴシック様式の礼拝堂。写真-5 主と十二使徒の浮き彫りの祭壇。写真-6 カルメル山のマリア像。
2017年12月30日
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昭和庁舎の向いに、レトロな建造物がある。戦前の昭和5年、昭和天皇の即位を記念して建設された群馬会館。県内最初の公会堂であった。 群馬会館は、ルネッサンス様式を取り入れ、均整のとれた重厚な建物。1階を石造り仕上げ、2階以上をスクラッチタイル張りとしている。向かいの昭和庁舎と同じ設計である。 建物内には、定員450名の多目的ホールがあり、現在、コンベンションに使用されている。また、地下にレトロの西洋食堂が営業している。建物の完成とともに創業している食堂。懐かしの西洋料理を提供し続けている。ハヤシライスの好きな人、必食の食堂・・。写真-1 群馬会館南側の正面玄関。左右対称の均衡のとれた佇まい。写真-2 群馬会館西側、食堂の入口が見える。写真-3 県庁の芝広場より群馬会館を望む。写真-4 昭和庁舎の半アーチアーケドの額縁。写真-5 青ガラスを使用した明かり窓。
2017年12月26日
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昭和の初期、前橋城跡に築造された県庁舎。改修工事を終え、華麗な姿が蘇った昭和庁舎。シンメトリーで、翼を広げるようにして訪問者を迎える。 1階外壁の白い石張りが重厚感を、半円形の欄間が異国情緒を醸し出している。2、3階は縦長の窓が特徴。窓間に装飾の彫刻が施されている。平成8年に国登録有形文化財となった。 前橋城は、戦国時代には厩橋城(まやばしじょう)と呼ばれた。上杉と北条の戦いの要衝であった。江戸期前半を徳川家の譜代大名酒井重忠が、後期を越前松平家が城主となる。しかし度重なる利根川の氾濫が歴代の統治者を苦しめた。 上毛三山(浅間、春名、妙義)の山々を一望に見渡す景勝地に元県庁舎が造られた。西洋風建造物の昭和庁舎は、団体活動、文化活動、そして展示場として利用されている。上州人宰相の間が2階にある。写真-1 県庁舎横に改修保存された昭和庁舎。写真-2 「ぐんまちゃん」と昭和庁舎。写真-3 玄関ホール。写真-4 滑らかな階段手摺。写真-5 縦長の窓と窓間のリレーフ。
2017年12月20日
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群馬県庁舎32階、地上127mに展望ホールがある。ほぼ全フロアが展望用のスペースとなっている。広々として、そして暖かい展望所だ。夜になると照明を下げるので、夜景をより良く眺めることが出来るという。土・日曜日は9時から22時まで入室できる。 360度のパノラマが眺望できる32F展望ホール。しかし昼間の南側展望は、逆光になるため、窓ガラスの反射等で見づらい。北側展望は順光になるので、群馬を取り囲む山並みが良く見える。 天気が良ければ上毛三山を一望できる。北東の方角に赤城山、北西の方角に榛名山、南西に妙義、そして西に遠望の浅間山が確認できた。利根川の上流方向に谷川岳がわずかに見える。 26階に立ち寄る。群馬県のジオラマが展示してある。縮尺1/12000、高さが3倍の地形図。前橋市は、関東平野の北端にあたる。平坦地を造った利根川は、市内を両断するように流れていた。写真-1 眼下の利根川。遥か彼方に谷川岳か・・。写真-2 北東の方向に見える赤城山系。写真-3 北西の方向に見えるのは、榛名山系。写真-4 西の方向に見えるのは浅間山。写真-5 南西の方向に見えるのは、妙義山か・・。写真-6 32階北側展望ホールの様子。
2017年12月17日
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前橋市内の何処からでも、見えそうな群馬県庁舎タワービル。「ぐんまのランドマーク」として、利根川左岸に屹立として建っている。警察本部、県議会と順次立て替えて、新県庁舎が完成したのは平成11年のこと。 県庁舎ビルは、高さ154m、地上33階・地下3階の規模。東京都庁舎(高さ243m)を除くと、全国の県庁舎で日本一高いそうだ。32階は展望ホールとして、一般開放されている。360度の見晴しとゆったりとしたスペースがある。31階は展望レストランと観光物産展室となっている。 毎年元日、ニューイヤー駅伝が行われる県庁前広場。全日本実業団対抗駅伝大会は、この県庁舎をスタート・ゴールする100kmコースを37チームが競う。今年の覇者は、トヨタ自動車であった。平成30年優勝するのはどのチームであろうか・・。写真-1 かつての前橋城跡に建設された群馬県庁新庁舎。写真-2 馬型埴輪像と県庁建物。地上33階、高さ154mタワービル。写真-3 群馬県庁、県議会、昭和庁舎を俯瞰。ぐぐっとぐんまホームページ。写真-4 県庁のそばを流れる利根川。写真-5 利根川越しに浅間山を眺める。写真-6 ニューイヤー駅伝スタート地点。
2017年12月14日
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前橋市の中心部・前橋公園の一画に臨江閣(りんこうかく)がある。初代県令・楫取素彦(かとりもとひこ)の提言により建てられた迎賓館。2015年NKH大河ドラマ「花燃ゆ」のロケ地としても知られる。その後、1年半の改修工事を経て、今年9月に一般公開になった。 臨江閣は、本館、別館、茶室からなる近代和風の木造建築物。明治17年に建った本館と茶室は県指定、明治42年に貴賓館として建てられた別館は市指定の重要文化財。 楫取素彦(旧名・小田村伊之助)は、吉田松陰との結び付きが強い。松陰の二人の妹(寿と文)の夫でもある。明治初期、日本の主要輸出品である製紙の振興に尽力している。特に富岡製糸場の立て直しを新政府に働きかけた人。長州-江戸-上州と、動乱の明治維新を生き抜いたひと・・。 先月初旬、第30期竜王将棋戦が降臨閣で行われたという。別館2階大広間には抽選で選ばれた100名が押し寄せた。180畳の窓辺から利根川と妙義・赤城の各山々を遠望できる。まさに山河を臨む高閣である。写真-1 山河を臨む高台に建つ臨江閣別館。明治43年貴賓館として誕生。写真-2 臨江閣の正面玄関。入館料は無料。写真-3 別館2階の舞台を備えた大広間。写真-4 180畳大広間の窓辺から赤城山、榛名山が見える。写真-5 明治17年に造られた本館(当時は貴賓館)。写真-6 庭園内は自由に散策できる。
2017年12月10日
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群馬草津温泉のランドマークと言えば「湯畑」。朝食前に温泉の匂いと湯けむりを見に、温泉街をブラつく。朝散歩する宿泊客は少ない。折よく、朝日が昇り、少し朝焼けの空になった。 湯畑は、湯の花を成長させて採る畑の意味。高温の源泉を木製の樋(とい)で、湯の花を沈殿させるとともに湯温を下げるのが湯畑の役割。湯の花は草津温泉場のお土産の筆頭。入浴剤の代わりに、スプーン1、2杯を自宅の浴槽に入れて、温泉気分に浸ることができる。 湯畑を経た温泉は、周辺の共同温泉10軒程に配湯されている。湯畑の終点、滝になって落ちる場所は、かつて「大滝乃湯」と呼ばれる共同湯があったとされる。滝の上に建つ燈籠は、江戸時代に設置された常夜灯だという。 湯畑を見守る高台に光泉寺がある。その薬師堂には温泉薬師如来像が安置されている。有馬温泉、城崎温泉と並んで、日本三大温泉薬師とされる。薬師如来に祈願して温泉で温まると、怪我、病気は、たちどころに快癒するという・・。写真-1 草津温泉・湯畑の朝。写真-2 約200年間、湯けむりを浴びている灯篭。写真-3 湯畑の湯滝。写真-4 スキーで訪れた2014年2月、大雪の湯畑。写真-5 光泉寺仁王門から見た湯畑周辺。写真-6 光泉寺の薬師堂。
2017年12月09日
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長岡市寺泊町を通り抜ける北陸道(国道402号)沿いに、「魚のアメ横」がある。公式的には、寺泊「魚の市場通り」だという。上野のアメ横を意識している。観楓会の最後に、買い物と海鮮丼の昼食のために寺泊に寄った。 11商店が軒を連ね、活気ある市場通り。魚介類の焼いた匂いが辺りに充満する。色鮮やかな看板が競争するように並ぶ。上野アメ横のような高い建物がないため、ひと際看板が目立つ。日本的な看板景色である。 寺泊は、北陸街道の宿場町、西廻り航路の港町として栄えた港町。日本海に面した丘陵には、お寺が点在している。現在、佐渡汽船による寺泊-赤泊の高速フェリーが就航している。約1時間で佐渡と結ぶ高速船「あいびす」号は、冬期休止に入っていた。 流山市内にも角上魚類店が流山街道沿いにある。こちらも土日曜日・年末は、「魚のアメ横」に負けないくらいの人出で賑わう。寺泊からだと、長岡ICから関越道-外環道-常磐道・流山ICと自動車道経由で輸送できる。長距離・運転手あっての海鮮産業だ・・。写真-1 駐車場から「海のアメ横」を観る。写真-2 国道402号の山側に11の商店が軒を連ねる。写真-3 流山市内にもある、見慣れた看板・・。写真-4 ズワイガニが旬を迎えていた。写真-5 日本海の魚が並ぶ店内。写真-6 魚のアメ横の案内図。
2017年11月30日
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トンネルを抜けると、真紅に染まる弥彦もみじ谷。訪れた日、ちょうど紅葉の見頃を迎えていた。谷に架かる観月橋あたりが一番の盛況だ。 彌彦神社の外苑にあたり、JR弥彦駅から繋がる弥彦公園もみじ谷。越後の紅葉を、より美しく演出する場所。色鮮やかな紅葉が朱色の観月橋を包み込んでいた。 越後三大紅葉ライトアップの弥彦もみじ谷。しかし午前中の訪問なので、夜の紅葉狩りとはならなかった。天気予報は悪かったが、雨に遭わずに散策できた。写真-1 弥彦もみじ谷の深紅のモミジ。写真-2 紅葉に囲まれた観月橋。写真-3 観月橋から弥彦山が見える。写真-4 色鮮やかな谷もみじ。写真-5 池畔のモミジ。写真-6 半円のもみじ谷紅葉景。
2017年11月26日
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JR信越本線・柏崎駅から西へ、約1km・国道8号線のそばに松雲山荘(しょううんさんそう)がある。赤坂山公園の一画を占め、木村茶道美術館もある。紅葉ライトアップにも相まって、情緒あふれる夜の庭園だ。 松雲山荘は、大正15年から回遊式庭園としてつくられた。当時、飯塚家の邸宅があった。昭和46年に所有者から柏崎市へ移譲されたという。約9600m2の園内には、赤松が450本、モミジ1650本が繁っている。 回遊式特有の滝と橋が配置され、そぞろ歩きしたくなる処。灯篭が40基ほど点在している。アップダウンの多い散策路を照らしたのだろう。今は、明る過ぎるくらいの照明が足元を照らす。シニア世代の観光客が多かった・・。写真-1 柏崎・松雲山荘の本大門紅葉ライトアップ。写真-2 飛紅橋付近には、池と土橋そして滝がある。写真-3 灯篭とモミジの明り。写真-4 鮮やかな紅葉。写真-5 帰路の本大門紅葉。
2017年11月25日
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越後三大紅葉ライトアップのひとつ、越路・もみじ園を訪れた。当もみじ園は、明治29年頃、神谷の大地主・高橋家の別荘の庭園としてつくられたもの。樹齢150年から200年のモミジ、ヤマザクラ、カエデ類が植えられている。 もみじ園の中心をなすのは、巴ヶ丘(ともえがおか)山荘である。120年前に建てられた近代和風住居。12畳半の「もみじの間」ら観る紅葉は格別だという。最近、国登録の有形文化財になった。関越道の南越路スマートICから車で5分の距離。 長岡の市街地を見渡す巴ヶ丘の縁に、砲弾の碑が立っている。よく観ると「忠勇千古名」という戦没者の慰霊塔。西南の役、日清戦争、第一次世界大戦で亡くなった人々の名前を四方の銅版に刻んでいる。郷土の忠勇者を千古(永遠)に伝える塔。両脇に老木の桜があったが、今はない・・。写真-1 越路・もみじ園の燃えるようなモミジ。写真-2 築120年の巴ヶ丘山荘の佇まい。写真-3 庭園築山のモミジ。写真-4 苔むした灯篭。写真-5 ライトアップされたもみじ園。写真-6 巴ヶ丘の市内を見渡す場所に建つ「忠勇千古名」の塔。
2017年11月22日
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樹齢90年ほどの黄葉したブナ林が広がる越後松之山。ブナの幹の太さと背の高さが揃っているため美しいと感じる。そして、程よい樹木間隔なので、日差しが入る。 昭和初期すべて伐採され原野となった土地が、奇跡的に一斉にブナが芽吹いたという。その際、目先の経済的な利益に流されずに、ブナ林を見守り、育成したそうだ。つまり杉を植えることなく、里山景観を選択した村。村人は「美人林」という。 過疎化が顕在する農村地であるが、特徴ある科学館がある。森の学校・キョロロ館。この里山科学館には、世界各国の蝶のコレクションが収蔵(3800点)されている。その一部をアート作品のように展示している。写真-1 越後松之山地区の黄葉したブナ林と池。写真-2 背格好が揃っている美人林に日差しが入る。写真-3 静かな時間が流れ、空気が御馳走だ。写真-4 落葉と枯葉、暫くすると雪原。写真-5 里山科学館・森の学校キョロロ館。写真-6 蝶のコレクション室。「ホームページより」
2017年11月21日
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今季の観楓会は、新潟方面になった。越後中里の温泉ホテルを宿として、寺泊方面まで出向いた。傷めた右膝の湯治も兼ねて、行く秋を惜しんだ。 途中、関越道・赤城高原SAでトイレ休憩。良く晴れていたので、展望広場から谷川岳連峰が一望で来た。関越道沿いの紅葉も見頃を迎えていた。 関越トンネルの入口に差しかかると山肌が秋色に包まれていた。トンネル入口(エントランス)は、青いナポレオンハットのデザイン。延長約11kmの長大トンネルへは、帽子の中へ突っ込んで行く感じだ。国内の道路トンネルで2番目に長いトンネル。 谷川岳を貫通するトンネルも、開通して32年が過ぎている。若い頃、スキーでよく利用させてもらった。トンネルを出ると景色が急変するのも、このトンネルの特徴となっている・・。写真-1 赤城高原SAの展望広場から谷川岳連峰が良く見えた。写真-2 谷川岳を少しズームアップ。写真-3 赤城高原SAのケヤキの木。写真-4 関越道近くの山々が紅葉していた。写真-5 紅葉の中を関越トンネルに入る。写真-6 越後湯沢も好天に恵まれてスキー場が良く見えた。
2017年11月18日
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能登ワイン見学後、ほろ酔い加減でバスに揺られて帰路につく。自動車道路を乗り継いで、北陸新幹線・上越妙高駅、そして大宮駅経由で帰宅する。穴水を14時半頃に出発した、18時過ぎに上越妙高駅に到着。飛行機を利用しなくても、近くなった能登半島・・。 北陸新幹線において唯一新潟県に停まる上越妙高駅。原則、各駅停車の「はくたか」のみが停まる。1時間に1本程度(平日)の間隔だ。越後トキめき鉄道が乗り入れいる。構内には、お土産・食事処「SAKURAプラザ」がオープンしていた。 日平均4千人の駅ではあるが、立派な駅である。東口エントランスホールには、地場の杉を用いた「もてなしドーム」が聳える。一方、西口側は妙高の山並みが展望できる「光のテラス」が作られていた。 能登方面の旅日記を終えます。日本海の青い海と白米千枚田が印象的な風景だった・・。写真-1 神通川と富山空港。[バス車窓]写真-2 常願寺川付近で見た立山。[バス車窓]写真-3 親不知海岸の夕景。[バス車窓]写真-4 北陸新幹線・上越妙高駅。写真-5 東口エントランスホールの「もてなしドーム」。写真-6 西口の「光のテラス」。冬の妙高山を展望するに良い処。
2017年11月14日
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輪島塗の工房兼店舗で昼食をとる。鳳至川に平行に走る国道249号線に「しおやす漆器工房」がある。大型バスが駐車でき、かつ漆器づくりを近くで見学できる施設。 生漆と米糊、そして焼成珪藻土を混ぜた下地を何層にも厚く施す輪島塗。「布着せ」という独特な方法により、丈夫さに重きを置いた漆器だ。また、漆は湿度が高くなると乾燥、凝固する特性があるため、海岸沿いまたは雨の多い気候の地域が適していた。 生漆は、ほとんどが輸入品(主に中国)。約2パーセント・1トンが国内産とされる。主要産地は、岩手県、茨木県、そして栃木県と続く。漆汁の採取は、地味で汚れ作業。下地塗りに外国産を、仕上げ塗りに国内品を使用するのが一般的。その他文化財の修復にも漆が使われる。 訪れた工房では、「輪島塗スピーカー」も展示してあった。2006年にグッドデザイン賞に輝いたそうだ。スマホケース、名刺入れなど、身の回り品にも漆塗品がある。入学祝い、就職祝いなど贈答品に使われるのだろうか・・。写真-1 輪島塗・しおやす漆器工房。写真-2 工房内での下地作業場を見学。写真-3 輪島塗の漆器陳列販売コーナ。写真-4 輪島塗の赤富士。写真-5 三昧セットの可愛らしい銘々皿。写真-6 沈金技法による迫力ある虎。
2017年11月11日
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日本海に突き出た能登半島に葡萄畑がある。30年前には、無かった景色だ。地産地消を目指す「能登ワイン」の丘。2万本を越すワイン専用の葡萄の木が栽培されたのが2000年だと聞く。 当ワイン工場は、穴水駅より西8kmの旭ケ丘にある。建物入口に、葡萄畑を見渡すように、葡萄棚テラスが設置されている。収穫されたブドウは房ごと潰され、その日のうちに貯酒タンクに貯蔵される。加熱処理を行わない伝統的な生ワインだと説明される。 ワイン葡萄の生育条件は、年平均気温が10から16度とされ、比較的冷涼な気候が適するようだ。成熟期に寒暖の差があること、および水はきの良い土壌もが条件とされる。穴水町の年平均は13.5度。冬季の除いた降水量は1500㎜程度・・。 おいしくなる葡萄を育てる秘訣に、穴水湾名産の牡蠣がお手伝いしているそうだ。海のミネラルを含んだ土にあるという。厄介ものの牡蠣殻を畑に混ぜ込み、土壌を改良したそうだ。カキ殻処分と農業を結び付けた試みでもあった。更に、葡萄畑が広がること願って工場を後にした。写真-1 穴水町旭ケ丘のワイン工場。写真-2 葡萄畑を見渡すテラス。写真-3 内浦・穴水湾の牡蠣養殖風景。写真-4 土に混入れて土壌改良する牡蠣殻。写真-5 試飲用の能登ワインがずらり。赤と白を少し頂く。
2017年11月09日
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輪島大祭(キリコ祭)の四社のひとつ、輪島前神社(わじまさきじんじゃ)に参拝する。総檜流造りの三間社で江戸期に再建された。拝殿は、艶のある能登瓦葺き屋根が印象的。強さや高級感を放つ黒瓦だ。北陸で一般に使われている丈夫な瓦である。 輪島前神社は漁港の西側に位置し、竜ケ崎燈台広場の麓に建立されている。漁師の町とあって、神社の御利益は、大漁満足、海難除けなどがある。拝殿の側面に、魚の形をした竹籠が固定されている。キリコ祭に使用される鯛の神輿の一部かな・・。 能登瓦は、風や雪に強いとされる。釉薬をかけて高温で焼き上げているため、ガラス質のコーテングされた瓦となる。能登瓦の屋根は、「積もった雪が早く融け、滑り易いのが利点」。能登半島を周ると、黒瓦が風景に溶け込んでいる。 地中海などには、白い壁と褐色の屋根の家並みが斜面に広がる。その場合、市などの条例でその景観を守っている。日本には、白壁と黒瓦の家並みがある。雪融けした早春に似合う風景だと思う。写真-1 輪島前神社拝殿の佇まい。写真-2 艶やかな黒瓦葺きの屋根。力強さを感じさせる。写真-3 拝殿の側面に竹籠が固定されている。写真-4 キリコ祭りに使用された鯛の神輿。[観光冊子]写真-5 輪島崎の海月山聖光禅寺。写真-6 市民ギャラリーの「いろは蔵」
2017年11月06日
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輪島朝市の散歩を早めに切り上げて漁港へ。沢山の漁船が係留されている。製氷冷蔵施設が漁船出入口に見える。輪島沖は、暖流(対馬海流)と寒流(マリン海流)が交わる。それゆえ豊穣な海だ。輪島漁港の魚獲量は、県内で第1位だという。 北前船の寄港地として栄えた輪島港。中継基地のみならず風待ち湊だった。輪島塗品などの特産品を日本海航路で大量消費地大阪と交易した。それらを扱う問屋や船宿が軒を連ねた港町。 冬の日本海は荒ぶる海。そのため輪島港を守る防波堤工事が長年継続されている、延長1210mの第4防波堤が完成したのが2010年。現在、第6防波堤(450m)を建設中だ。輪島沖約50kmに舳倉島(へぐらじま)がある。良好な漁場を持つ周囲5kmの島。輪島市海士町で、年間通して住む人は30名ほどだという。しかし漁船が舳倉島に集まり、輪島朝市へ魚を供給している。以前、不審船が出没したが、今は北のミサイルが漁業関係者を悩ませている。写真-1 輪島川河口に架かる「みなと橋」。写真-2 防波堤内に漁船が並ぶ。写真-3 一次防波堤の入口に製氷冷蔵施設が見える。写真-4 係留する漁船と黒瓦の家並。写真-5 輪島沖を照らす龍ヶ崎燈台。
2017年11月04日
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