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今時点では自分の生き方のバイブル的な存在になっている本。「神との対話」いつか、この本について、上っ面ではなく、自分の体験、経験を含めてこの日記にも書きたいと思っているのだが、なかなか思うようにいかない。昨日からまたこの本の第3巻を読み直している。それでも、一ページ進むのに何十分もかかる。特に、なぜこのような言い方になるのか、とか、これは自分の経験に照らしてどんなことを意味しているのか、とか考えながら読むと全然進まない。世界のあちこちで、この本の研究会が組織されているようだ。ある意味で現代のバイブル、あるいは仏教の経典にも相当し、しかも現代の言葉で平易に書かれている。しかしながら、それだからこそ逆に語彙の制約をかなり受けているとも言える。また著者の考え方の制約をまともに受けている、という問題もある。しかし、こういった現代語で書かれているがための利点はそれらを補って余りある。たとえば仏教の経典を読むことなど、私には恐らく語彙の不足は英語を読むよりもはなはだしくその内容の理解を阻むだろう。その点、この本は誰にでもわかりやすい言葉で、驚くべきことを記述している。だからこそ、世界中で、この本の内容に対する研究が盛んになっているのであろう。もう一つの驚くことは、この本がアメリカで書かれ、アメリカだけでなく、世界中のキリスト教社会でも読まれていることだ。十戒などない、とか、聖書に書かれているからと言って本当のこととは限らない、とか、聖書の言葉、あるいはイエスの弟子達の言葉だからといって権威ある証拠にはならない、とか、非キリスト教徒の私にはすんなり来る内容も、人によってはかなりの抵抗があるだろうと思う内容も多く含まれる。だからと言って別に宗教を批判しているわけではない。すべて自分の良心と魂の声と経験に照らして、すべての言葉をただ信ずるのではなく自分で選択しなさい、と説いているだけである。言葉と経験が違った場合、人間はえてして経験を捨て、他人の言葉をとる。それが如何に人類の成長を妨げてきたことか。他人の言葉ではなく、自分の経験、自分の言葉を選びなさい、すべてのことに対して意識的に選択をすること、そのことが自分の人生を創造することだ、とこの本は述べている。いつか、この本の一部分でも、自分の言葉で語れるようになりたい、心からそう思う。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 ○2. 朝一回のヨガ X3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む ○5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る ○(It could happen to you.)7. 新しい英単語を3つ覚える ○ 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする X(雨のため散歩もできず)9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(神との対話 第3巻)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.31
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ゲーム、というと今時はプレステやDSなどのポータブルゲーム、はてはPCや携帯などのオンラインゲームを指すことが主流になってしまった。そんな時、昨日は家族揃ってトランプとライフゲームをやった。息子や娘は普段、ご多聞にもれず上記の「ゲーム」にはまっている口だが、それでもこういった昔ながらのゲームは楽しいらしい。やはり家族揃って、わいわい言いながら、時には毒づきながら、時には悲鳴を上げながら、実際の自分の注意力と観察力とスピードを駆使してゲームに興じる、そういったこの種のゲームが持つ、「人間の」ゲームというのは彼らにとってもPCゲームなどでは得られない楽しさがあるようだ。いつからだろうか、子供を育てる際に、やれテレビを観ていなさい、ビデオを観ていなさい、などといって、大人が自分の時間を取りたいがため、あるいは忙しいからと言って、こういった「機械」に子供を預ける時間が増えてしまったのは。そういった育児環境の延長として、子供はやれテレビゲームだ、オンラインゲームだ、ということになってしまうのだが、ある時点で、親の方は、これはいかん、と思い始める。そして、「そんなにゲームばかりしていないで、本でも読みなさい」とか「もっと勉強しなさい」などと小言を言うようになる。しかし、そういった環境を押し付けてきたのは、考えてみれば自分達、大人の方ではなかったか。子供としては、はっきりと意識はしていないにしろ、それまで、テレビを観ていなさいと言われ、ビデオを観ていなさいと言われて、そのとおりにしていれば親も何も言わなかったのに、突然、同じことをしていると怒られる様になる、ということに理不尽さを感じているのではないだろうか。つまり、こういったことは「大人の勝手な都合」というものがその原因ではないだろうか、と思うのである。久しぶりにした、こういった人と人が直接向き合ってするゲーム、というものは、そういった環境の中で逆に新鮮さを持っているのだろう。息子も娘も普段はなかなか見せない性格をむき出しにして、ゲームに興じる姿をみていると、今までの自分達の子供に対する態度、というものを反省する必要があるようだ。よきにつけ悪しきにつけ、子供は親の影響の下に育つ、それがどういう結果になろうとも、その大きな部分は自分達大人の側の責任なのだ、ということをつくづく感じるひと時であった。------------------------------今日の結果先の日記の通り。
2005.05.30
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今日は昨日とうって変わってすずしい。昨日のゴルフがこのような天気だったらあと10はスコアが良かっただろうと、悔し紛れに思ったりしているが、それは詮無いこと。そのせっかくの涼しさのなか、自宅の芝刈りと木の剪定を一気に行ったが、汗もそれほどかかず手際よくはかどった。その芝刈りの最中、なにをきっかけにかわからないが、「人を羨む気持ち」というものを考えていた。いつかの日記に書いたように、私は「人を羨む」ということが嫌いな性分なので、羨むくらいなら望まない、望むのであれば「羨む」ことがないように自分でもなんとかそのレベルになるよう頑張る、というのが基本的な生き方だったような気がする。でも考えてみると、「羨むくらいなら望まない」というのは、自分で自分に嘘をついているようなところがあり、本当は「欲しい」くせに「そんなもの要らないやい」と強制的に自分を納得させているに過ぎない。「そのレベルになるように頑張る」という方にしたって、こういった「羨む」という気持ちの根っこがあるかぎり、どこまで行ってもその上を羨む、という状況になることになる。そうしないためには、ある程度のところで「これ以上は必要ない」と、やはり自分に無理やり納得させるようなところがある。結局のところ、「羨む」のは嫌い、ということ自体が、自分を他者との比較において見ている、ということに違いは無いわけで、どんなやり方をとろうと自己欺瞞に過ぎないところが出てきてしまう。これをさける唯一、最善の方法は、「自分は自分」だとして、他者との比較ではなく、自分の中の基準に照らして自分を評価する方法を身につける以外にはない。そんなことを「芝刈り」をしている最中に考えていたのだが、ふと、これは一種の瞑想ではないか、と思い当たった。「瞑想」というと、とかく結跏趺坐して心を無にすべく呼吸法を実践してみたりマントラを唱えたりすることだと思いがちだ。あるいは、「瞑想」と言っても各種各様あって、たとえば座禅や滝に打たれて念仏を唱える、あるいは祈りをささげたり、人によっては歌を歌う。こういったある種の「型」に当てはめたものが「瞑想」と思いがちだが、そうではなく、人間の普通の生活のそれぞれの場面が瞑想足りうるのではないかと、ふと思った。昔(といってもつい4,5年前)私はアメリカのアトランタの北に住居を構え、アトランタの東北にある技術部門と、アトランタの南にある工場部門の両方を見ていた。家から工場まで約100km、工場から技術部門までこれも約100km、そして技術部門から自宅まで約30kmの距離があり、これを2年半もの間、トライアングル通勤をしていたことがある。一日の走行距離は毎日250kmぐらい、ほとんど高速を120kmhぐらいで走って行き来するのだが、朝夕のラッシュ時はそうもいかず、毎日3時間ちかい時間を車通勤に費やしていた。そうなると運転しながらいろいろなことを考える。当然仕事の内容が多いのだが、この運転中というのは、他にすることがないので、ラジオを聴いたり、テープやCDを聴いたりすることもあったが、一番よかったのは、こういった時間にただ考える、ということだった。いろいろな仕事上の問題、顧客との関係、販売会社との関係、社内の人事的な問題、あるいは新製品の開発アイデアと市場導入方法に関することなど、内容は多岐に渡るが、会社についてしまうとなかなかまとまって考える時間が取れない。その中で、この往復3時間にも及ぶ車通勤は、あることをじっくり考える時間を与えてくれた。時には考えることに熱中するあまり、ふと気が付くと周囲の景色に見覚えがないところまで走ってしまって、高速の出口をはるかに過ぎていたこともたびたびあった。考えると、結構危険な状況もあったかもしれないが、とにかく、そんな時に考えたことと言うのはなかなかいいアイデアのものが少なくなかったのも確かである。これを今さらながら考えると、こういったことも一種の瞑想に近かったのではないかと思う。多分、ことさら「瞑想」と言って、そのことを目的に時間を割くことが必要な生活になってしまっているのが問題なのであって、本来は、そういった日常の生活そのものの中に、瞑想と同質のものが溶け込んでいる生活、そういうのが本来の人間の生活なのではないか、という気がする。その意味では、毎日の生活の一瞬一瞬を大事にする、そのことそのものも同じことを言っているのかもしれない。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 ○2. 朝一回のヨガ ○3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む ○5. 一日15分以上のギター練習 X6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る X(映画は見たが日本語版)7. 新しい英単語を3つ覚える ○ 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○(芝刈り)9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(神との対話 第3巻)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.30
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今日は久しぶりのゴルフ。いつもとは違って、ちょっと遠いところに行ってのプレー。アトランタのミッドタウンにある方のお宅に集合し、そこから一台の車でアトランタの南にあるそのゴルフ場に向かう。メンバーは、商社を早期退職して自分の貿易関係の事業をやられている方、日本領事館をやはり早期退職されて、今は日系企業のコンサルティングをされている方、そして、一番若いのが、現在の日本領事館の副領事、それに私。この副領事の方は、任期2年でここへ来ているので、アメリカにいる間に、ということでかなりゴルフに入れ込んでいる様子。結果は・・・・3月20日以来、2ヶ月以上のブランク(言い訳ですが)で、その間一度もクラブを握っていなかったので散々、久しぶりに100をオーバーしてしまった。そしてこの副領事の一人がち。いつものルールでやりましょう、というので、なんでもいいですよ、と軽く同意して始めたものの、いやはや、日本の一頃のゴルフほどインフレではないにしろ、この副領事はゴルフ代を浮かしてしまった。(といっても7000円ほどだが)月に一度のゴルフ、ということでやっているのだが、今日は2回分の出費になってしまった。これは、かみさんには内緒にしておこう。それにしても、まだそれほど炎天下というほどの気候でもなかったのに、一ラウンドでかなりへばった。それでもスコアがよければまだ集中力が続いて応えないのかもしれないが、途中でその集中力もプッツンしてしまって、暑さだけが応える最悪の状況。普段の多少の運動とゴルフのスコアはあまり関係なさそう。このメンタルな面でのスコアへの影響が、ゴルフのゴルフたる面白さではあるのだが。やはりこれだけ悪いと気分もよくない。ということは、逆に言えば、まだいいスコアを出すことに対する意欲が多少でも残っている、ということか。やはりこのままでは悔しいので、今年中にはまた80台前半のスコアに持って行きたい、と思っているのだがどうなることか・・・・。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 ○(ただし、夕方は途中で完璧に寝てしまった)2. 朝一回のヨガ ○3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む ○5. 一日15分以上のギター練習 X6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る X7. 新しい英単語を3つ覚える X 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) X10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.29
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これは実は昨日の日記。昨日は、朝から近所のエチオピアのジャーナリストと2人で2時間もテニスをし、その後、すぐ横のプールで泳いだので、今日は体中がぎしぎしいっている。普段テニス、と言っても、子供相手のボール遊びなので大して疲れないが、さすがに大人を相手に2時間もフルに、それも休憩なしにやるときつい。明日は2ヶ月ぶりにゴルフなのだが、こんな体中痛くては、初めのうちはかなりハンデがきつそうだと心配している。それはともかく、昨日は、午後6時頃から子供の水泳チームの団地対抗戦の今期第一戦があった。6歳から15歳までの子供の水泳チームで、年齢が上がるにつれてメンバーは少ない。一番多いのが10歳前後だろうか、皆親も熱心に子供に水泳を習わせているので、うちのチームのその辺の年代は何十人もいる。できるだけ、全員出場ということなので、なんと種目数が80を超える。しかし、昨日は途中で9時を回ってしまったので、78種目で中断。それでも、うちの息子と娘はそれぞれ3種目に出場し、一位にはなれなかったが、2位だったり3位だったりで、まあまあの活躍だった。練習は5時ごろから始まった。↓で、6時ごろには、相手のチームもそろい試合開始。普段はそれほど人がいないプールサイドも応援の家族連れでにぎわう。↓そうこうしているうちに次々に息子や娘の試合が進む。息子も娘も個人メドレー以外はどちらかと言うとフリースタイルは苦手で、平泳ぎと背泳ぎが得意で、チームメドレーでもそのどちらかを泳ぐ。こんな感じです。↓しかし、自分の番以外では、日陰やプール脇に陣取った自分たちのスペースで同年齢の子供達と遊んでいる。応援しているのはだいたい出場している子の家族や親戚、中にはおじいちゃんやおばーちゃんが来ていて、必死に孫の声援をしていたりする。娘の方は、なには無くとも任天堂DS↓息子の方は、悪がき友達とバカ話中。↓そして最後の息子の出場種目のころは、すでに日はとっくに落ちて、ナイターでのレースとなる。↓昨日は夜遅くなったので、対抗戦の結果発表はなし、ということになってしまったので、正式にはわからないが、見ている限りではうちの団地の圧勝のようだ。選手層の厚さが違う。毎年、こういった団地対抗戦がシーズン中6回ぐらいあり、時には相手チームの団地への遠征になる。そいいった場合でも、おどろく程多くの父親が応援に駆けつけてくる。その辺が日本の場合と違うところだろう。平日夕方5時集合、6時試合開始、というスケジュールで日本でやったら、いったいどれだけの父親が観戦に、あるいは応援に来るだろうか。こういった行事を見るたびに、施設もさることながら、そういった家族の子供のスポーツへのコミットメントの強さ、大きさ、というものの日米での差を感じさせられる。ことはスポーツだけではなく、音楽でも全く同じことが言え、多くの活動がボランティアを始め多くの父兄の協力のもとで成り立っている。こういった活動の幅の広さ、といったものも、私達が子供の教育をアメリカで行うことにした理由の一部ではある。せっかくの環境を存分に利用して、思いっきり自分達の可能性を伸ばして欲しい、そう強く思う。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 △2. 朝一回のヨガ X3. 朝夕2回の呼吸法 △4. 一日2リットル以上の水を飲む ○5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る X7. 新しい英単語を3つ覚える X 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(経営を支える「心」)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.28
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ここアトランタでも、日本語TVを視聴できる。名前はTVジャパンというもので、衛星放送のみであるが、家にパラボラアンテナをつけて加入申し込みをすれば月額30ドルちょっとで見られる。といっても日本の特定放送局の番組を流しているわけではなく、NHKから民放など、いくつかの放送局の番組をとりまぜて放映している。うちでは加入しておらず、実際見てはいないので良く知らないが、あまり見たくなるような番組がなさそうであるし、なによりもテレビを見る習慣(?)がないので、別に不便を感じていない。アメリカのどこでもそうだろうけれど、日本のグローサリーストアに行くと、こういった状況を踏まえて、大抵日本のテレビ番組を録画したビデオを貸し出している。一週間借りて$1.5とかなので、まあ、安いと言えば安い。多少、タイミングが遅くなることを別にすれば、時々見たくなる番組があったとすると、その番組だけビデオを借りてきて見れば事足りる。そんな時、知り合いの店で、今度はDVD版を始めた。見ると、何十巻かは無料サービス、ということで(古いせいだろう)、その店で買い物をしている人には無料で貸してくれる。「無料」という言葉に弱い私は、早速、特に見たいわけではなかったのだが、ある日本の連ドラを借りてきた。本当に久しぶりに見る日本のテレビ、それも連ドラである。内容は、というと、かなり「くさい」内容で、若干薄っぺらな感じがなくもないが、久しぶりということと、出ていた女優(実は、これが借りてきた理由の一つなのだが)が良かったので、結構はまってしまった。どうはまってしまったか、というと、一回一時間のドラマが2回分一枚のDVDに収録されているのだが、昨日はなんとこれを5枚つまり10回分一気に見てしまった。単純計算では10時間だが、CMをスキップしてみるので7時間分ぐらいだろうか。夜の3時まで見てしまって、あやうくこのブログの連続日記掲載記録がストップするところだった。今は、こちらでは朝10時、日本では夜11時を回ったところ、あぶない、あぶない。ぎりぎりセーフである。特に意味はないが、せっかくここまで休まずにつけてきている日記なので、テレビを見すぎて寝過ごし、これが途絶えてしまう、というのはあまりにも情けない。もし、日記が途絶えるとしたら、それ相応の理由(日本に行く飛行機が途中で足止めをくらった、とか)でなら納得も出来ようが、こんなバカな理由では話にならない。たまのテレビもいいが、ほどほどにしよう。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 △2. 朝一回のヨガ ○3. 朝夕2回の呼吸法 △4. 一日2リットル以上の水を飲む ○5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る X7. 新しい英単語を3つ覚える X 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(The millionaire mind)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.27
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別に世捨て人になったわけでもないが、最近、人と話をする機会が少ない。自分の性分として、一人で好きなことをやっているだけで少しも苦痛ではないし、それなりの楽しみ方も出来るので、人との関わりの中で自分の存在を、あるいは存在意義を常に確認していないと生きている気がしない、ということもない。今日は、そんな中で、久しぶりにいろいろな人と会って話をする機会があった。商社をやはり早期退職し、ここアメリカで起業し、貿易関係の仕事をしている人、やはり商社を辞められて、ここアトランタでギフトショップをやられている人、また日本から板前さんとしてアトランタに派遣され、そのレストランをやめたあともここにとどまっている人など、さまざま。先日来、レストランの話が出ていたが、あれはこの中のお2人がちょっとかんでいる話である。その話は別な機会にするとして、やはり、こういったいろいろな方面で、いろいろな経験をされてきている人の話と言うものは何を聞いても耳新しく面白い。やはり、その人それぞれにものの見方と言うものがあって、普段何気なし見ていることや聴いていることを、その人たちの目を通した一種の「解釈」というものと一緒に聞くといろいろ勉強になることが多い。自分の中で、いろいろな思いや考え方を昇華してゆくこと、これも自分の生き方を主体的に選択していこう、という人にとっては必要なことだとは思う。と同時に、常に独りよがりや頭でっかちにならないために、こういった情報やいろいろな違った考え方に対してオープンでいる、ということも、これまた負けず劣らず重要なことではないか、とあらためて思う。こういった機会をもっと積極的につくることをした方がいいのかな、と感じた一日であった。明日は朝から、同じサブディビジョンに住むエチオピアのジャーナリストとテニスをする約束をしている。こういった人からもまた、いろいろな話を聞きたいものだ。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 △2. 朝一回のヨガ X3. 朝夕2回の呼吸法 △(まだ一回)4. 一日2リットル以上の水を飲む ○5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る ○(ハリソンフォードのFugitive)7. 新しい英単語を3つ覚える X 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) X10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.26
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現在の私の生活を端的に表すと、「晴耕雨読」というのが一番近いような気がする。まあ、今の時代、「雨読」と言ったって、本を読むだけでなく、こうやってパソコンの前に座ってブログを書いていたり、あちらこちらのHPを拝見したりすることも「現代の雨読」と言えない事も無い。「晴耕雨読」の「晴耕」の方は、と言えば、これはもとの意味の畑を耕すことに似ていなくもない。つまり「芝刈り」とか「庭木の剪定」とか家の修理だとか、とにかく外で何か作業することを指す。たまには、家の内部の修理もあるが、これも一応「仕事」ということで「晴耕」に入れてしまおう。このいいところは、非常に健康的だ、ということ。今朝も実は午前中に、二時間半ほど、賃貸中の家の庭で「草むしり」と「芝刈り」をしてきたが、朝9時半から12時までかけてもう汗びっしょりである。今は、自宅を含めて3軒の家の庭の手入れを自分でやっているので、夏場になると、ほぼ一週間に一度ずつ、つまり三箇所で3回、この手の作業が必要になる。各々2時間から3時間ぐらいだから、合計しても一週間に8時間ぐらいのものだが、貧乏性な私は、こうやって自分で庭だけとは言え、手入れをしていると、ちょっとは働いた気になって、それで家賃を貰う、ということがある意味労働所得のような気がして気分がいい。世の中、「不労所得」というものを追及して、なにもせずにお金が儲かる、という方向に皆が皆志向している様な気がするが、私のように「古い勤労観」を持つ人間にとって、なにもせずに収入がある、というのは却って気持ちがよくない。そんなの贅沢だ、と言われればその通りかもしれないが、やはり収入はなにかしらの代償、それが情報であろうと、サービスであろうと、知恵だろうと、何かしらの代償としていただく、という形にしないとどうも落ち着かない。世の中には、お金が働いてくれる、自分はなにもしなくても銀行口座にはお金が振り込まれ続ける、といううたい文句でいろいろな投資や事業やNBなどの勧誘があるが、多少気を引かれることがないとは言わないが、どうも自分には向いていないようだ。つまり、そうやって収入を得ることが、どうも自分としての「喜び」や「楽しみ」に結びついてくれない。逆に言えば、さほど儲からないかもしれないが、そういった「喜び」や「楽しみ」が得られることをしたい、というのが、正直なところである。これも一種の「贅沢」と言われるかもしれないが、しかし、早期退職して次になにかをやろう、と言うときには、そういった点を中心に考えて、やることを選択していきたい、と思ったのも事実である。未だに、これといった方向が見出せてはいないが、とにかく、この方針だけは曲げずに頑張れるところまで頑張ろうと思っている。それまでは、この「晴耕雨読」の生活をせいぜい楽しむことにしたい。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 △(まだ一回)2. 朝一回のヨガ X3. 朝夕2回の呼吸法 △(まだ一回)4. 一日2リットル以上の水を飲む ○(汗だくになったので、まだ不足か?)5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る X7. 新しい英単語を3つ覚える X 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(きゅう永漢 経済学のエッセンス)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.25
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先ほど寝る前に、とメールをチェックしたら、アクセス数の通知が来ていた。久しぶりの通知である。今回の通知は「3万アクセス」の通知であったが、次は77777まで無いらしい。ということで、このブログを開始してから159日目、一日平均190アクセスでの 30000アクセス突破!でした。予想外の数字にあらためて驚いていると同時に、これまで、こんな内容のブログに訪れていただいた上、コメントや書き込みを入れていただいた全ての皆様に感謝いたします。 ありがとうございました!!--------------------------------先日、ブログランキングへの登録を終了してからと言うもの、それまで一日400アクセスを超え、最大580アクセスまで行ったのが夢のような平穏な日常に戻り、最近ではだいたい200アクセス前後に落ち着いてきました。その意味では、あのブログランキングの影響というものは、ことアクセス数に関しては結構大きいものがありました。なにせ、終了した直後から100アクセス以上あきらかに減少したからです。しかし、何度も書いているように、この私にとってのブログの意味を考えた時、やはりそれで良かったんだ、と今でも思っています。先ほどちょっと過去に書いた日記を振り返って見たところですが、やはり書いている内容が自分の言葉に成りきれて居ない部分が多分にあります。ここ数日も、実は「自分」の言葉で書こう、ということを意識するあまり、逆に書けなくなっている状態が続いています。内容をご覧になれば一目瞭然かもしれませんが、毎日書かれてはいても、ここ数日の内容には、あまり力が入っていません。曲がりなりにも「継続は力なり」を信じて、毎日書くことは書いていますが、ブログを始めてちょうど5ヶ月、この「日記を書く」と言うこと自体の自分の中の位置づけをもう一度見直しているところです。ある人のHPでも、このような現象を「なんとか症候群」と呼んで、かなりの人がかかる一種の病気みたいなものだとする記述がありましたが、そうかもしれません。あくまで、「飾らず」「作らず」自然体で、先ほど書いた「自分の言葉で書く」ということにしても過度にこだわらずに続けていきたいと思っています。-------------------------今日の結果前の日記のとおりで変化なし。
2005.05.24
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日記には書かなかったのだが、実は、こちらの小学校と中学校は先週で2004年度(というのかな)は終わり、今子供達は夏休みに入っています。本来であれば(なにが本来か、というのはありますが、日本であれば、という意味で)、娘は小学校を卒業、息子は中学校を卒業、というある意味で一大イベントが先週金曜日にあったはずなのですが、ここアメリカではなんともけじめが感じられない「卒業」でした。まず、「卒業式」なるものがない。「ない」というと語弊があるかもしれないが、少なくとも親にとっては参加するような「儀式」がない。子供はクラスごとに先生に感謝の手紙やプレゼントなどを送ったりするわけだが、最後の一日でもあまり「式典」みないなものはなく、単に成績表とアルバムを貰ってきただけで、あまり「卒業」したんだな、という実感が湧かない。いきおい、当日からこの土日にかけては、あちこちで友人同士集まってパーティなどをやることになる。うちの娘も息子も同様で、金曜日から土曜日にかけては2人とも友人宅で、あるいはどこかに場所を借りての「卒業祝いパーティ」に出かけていった。子供はそうだが、こういったパーティは子供達が自分達で楽しむのが主で、親の方としては、それでもあまり実感が湧くものではない。ということで、今日の月曜日はすでに「夏休み」の第一日目であり、また小学校から中学校、あるいは中学校から高校への中休みなのだが、終わりのけじめがあまりはっきりとついた気がしないので、どうもいつもの週末のような気分である。別に式典をやって欲しいというわけではないが、なにかもう少し、けじめ、というか、子供の成長の一つの区切りをじっくりと味わう場がないかな、と感じるのは私だけではないだろう。日本で、そういった卒業式などを経験してきた私にしてみれば、やはり自分にとっても一つの区切り、という意識があったし、それだからこそ長く記憶に残るようないろいろな出来事がその「卒業」というものに伴っていた気がする。彼らが成長した時に、この卒業というものをどういう形で思い起こすのだろう、と考えると若干さびしい気持ちになった娘、息子の「卒業」でした。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 ○2. 朝一回のヨガ X3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む ○5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る ○7. 新しい英単語を3つ覚える × 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(きゅう永漢 経済学のエッセンス)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.24
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4月の日記で、少しだけソニーの創業者、井深大氏のことについて触れたことがある。考えてみると、SONYというのは不思議な会社である。なぜか、というと、SONYの役員でありながら「あの世の科学」などと言う本を書く人が居るのだから。まあ、別に不思議でもなんでもない、と私は思うのだが、世間一般ではそうは思わないだろう。この人は一応、ペンネームで本を書いているが、その肩書きや略歴を見れば誰だかすぐわかるほどの人である。一応、ペンネームでは「天外伺朗」という名前になっており、もう10年以上まえだろうか、「ここまで来たあの世の科学」という本を始めて見て以来、この著者の本はだいたい読んでいる。特に、この世とあの世の関係を、明在系と暗在系と言う言葉で、「折りたたみ」の概念を使って説明するボームの考え方を紹介した上で、時間を周波数に「折りたたんだ」フーリエ変換と周波数スペクトラムの説明や、そのどの部分にも全体が「折りたたまれて」いるホログラフィーの説明はかなりのインパクトを私に与えた。その人の新しい著書が出ている。初期の本では、人の話や理論を自分なりに解釈して、これはこういうことだろう、とか、これらを「仮説」とした上で理論を展開すると、と言った科学者らしい非常に慎重な書き方をされていたのだが、時と共に、ある面、著者の中でこのようなことが確信に変わってきている気がする。この本も、そういった意味では、著者の中での内的な昇華のたまものではないだろうか、と思っている。しかし、著者がここまでの認識に到達した背景には、やはり「科学的手法」を越えた、「瞑想」というものが存在している。人の話や理論を扱う際はあくまで科学者として「科学的」アプローチを採り続けた著者が、あるところから先は、その科学的アプローチとは別に、直接的な認識を得られる方向に転換したことが伺えるのである。--------------------------------------------------------------■ 宇宙の根っこにつながる瞑想法 天外伺朗/著 飛鳥新社 --------------------------------------------------------------◆ 祈りも瞑想の一つ 近年ボランティアが盛んになってきていることも、 時代の変化の現われでしょう。 ボランティアは 「他人のために自分の労力や時間を費やすこと」 なので、エゴの目的意識から見れば大損です。 しかし、ボランティアに熱心に取り組んでいる人の多くが 「ボランティアをするほど人生がスムーズになった」と 喜んでいるようです。 誰かのために無償で働き、他人の喜びを 自分の喜びとして感じることができたとき、 エゴという狭い枠を超えて、 宇宙と一つになる感覚を取り戻すことができるのです。 涅槃に近づく方法は無数にあって、 ボランティアもそれに向かう一つの道です。 故マザーテレサは敬虔なカトリック信者として、 神の愛、すなわち宇宙との一体感を実感していたに 違いありません。 彼女は奉仕活動を続ける中で、 「祈りが私の人生を支えています。 祈りがなければ、 私には何もできません」 と語っています。 祈りも一種の瞑想で、 神つまり「より高次の自分」と対話することです。 彼女は祈ることによって、 自分が一人切り離された存在ではなく、 いつも神や宇宙に愛され守られているという確信を深め、 それを活動の原動力としたのでしょう。◆ エゴから自由になれば個性的に生きられる 瞑想して宇宙そのものと一体化するプロセスでは、 自分と相手の違いが消えてしまいます。 瞑想によって、エゴの不安や恐れが消え去ります。 瞑想は私たちにまがいものの富への執着を断って、 本当の豊かさをもたらしてくれるのです。 瞑想中に実感できるとおり、 宇宙全体が一つの生命体であるなら、 一人一人が独自の能力を充分に発揮したとき、 それは誰かを苦しめることにはなりません。 それどころか、社会全体にとてもいい影響を及ぼし、 結果的に世のため人のためという活動に つながっていくはずです。◆ 成功哲学の危険性 エゴの目的を追求することが 「自己実現」という言葉で分類されることもあります。 極端な例が、アメリカで生まれた成功哲学でしょう。 しかし、このルーツはインドのヴェーダ哲学です。 ヴェーダ哲学の「純粋な魂の信念は実現する」という教えを、 「強い信念は実現する」とアレンジしたのが アメリカ成功哲学なのです。 アメリカ成功哲学では、潜在意識にその思いが刻み込まれると、 いつのまにか本当に経済的に豊かな暮らしを 引き寄せると教えるのです。 この理論は一歩間違えれば エゴの肥大を引き起こし、欲望の虜になってしまう 危険性があります。 ヴェーダ哲学の「純粋な魂の信念」「より高次の自分の願い」 という前提について、もう少し吟味する必要があります。◆ 宇宙を味方につける 「より高次な自分の願い」に耳を澄ませると 潜在意識に働きかけるような無理はしなくても、 不思議なほど物事が順調に流れだします。 エゴの声に振り回されているとさまざまな障害にぶつかるのは、 エゴが「すべてが一体である宇宙」から 自分を分離させようとするからでしょう。 「より高次の自分」は宇宙そのものの流れと一つになろうとするので、 その方向に一歩踏みだすと障害はおのずから消えていき、 まるで宇宙がサポートしてくれるような現象が自然に生まれるのです。 つまり、本当の自己実現とは、 「より高次の自分」とつながることによって、 宇宙を味方につけることでもあるのです。◆ 瞑想は宇宙の真理を垣間見せる 私たちの心の表面には、 恐れ、不安、怒りなどがたくさんたまっているので、 心の奥にどんな望みがひそんでいるかを知ることはとても難しく、 つい煩悩にまみれたエゴの声に従ってしまいがちです。 そんなときこそ瞑想して、心の奥深いところから響いてくる 「より高次の自分」の声に耳を澄ませ、 それを実現していく力を取り戻しましょう。 「自分は何を欲しているのか」 「自分は何をしようとしているのか」が わからなくなったときこそ、瞑想が役に立つのです。 瞑想は、自分の内側に広がる世界を体験させてくれます。 瞑想をしていると、 宇宙の根源ではあらゆる命が溶けあっていて 「個」は幻影にすぎないという世界像が見えてくるのです。 しかも、すべてが一つになっているとき、 そこには愛すなわち究極的な安らぎしか存在しません。 量子力学、深層心理学、宗教の接点を探ってみると、 瞑想によって直観的にとらえられる宇宙モデルと、 同じモデルが浮かび上がってくるのです。 それらは共に、宇宙全体が一つの生命体であることを 示唆しています。◆ いまを大切に生きること すべてが融合した至福の境地が宇宙の本質なら、 なぜ私たちは「個」としてそこから分離する必要があったのでしょうか。 私たちはなぜ肉体をもって生まれてきたのでしょうか。 あえて答えを探すなら、 「私たちはこの世に遊びに来ている」のではないかもしれません。 時間や空間を体験するため、個を体験するため、 つまり分離そのものを体験したいがために、 私たちは肉体をまとって生まれてきたのではないでしょうか。 私たちはむしろ、「あの世」を認識することによって 「この世」の実体と正面から向き合い、 地に足をつける準備ができるはずです。 それが現実に生きるということであり、 そのプロセスを踏んで「本当の自分」を見つめてこそ、 自分なりの個性を発見して、「この世」での 自己実現が可能になるのです。◆ 呼吸を数える瞑想法(初心者向け) 瞑想法には決まりごとはないので、基本にさえのっとっていれば 細かい点にこだわる必要はありません。 瞑想のポイントは、調身・調息・調心といわれています。 全身をリラックスさせ(調身)、 ゆったり呼吸をすることによって(調息)、 自然に心が調っていく(調心)プロセスが、 瞑想なのです。 呼吸法は瞑想の大切な要素です。 呼吸法は何千種類も説かれています。 ここでは、瞑想中の呼吸として大まかに「はく息を長く」 するのが好ましいことだけ述べておきます。 呼吸と意識状態には、実に深い関連があります。 ゆっくり息をはき短く息を吸う呼吸を続けていると 意識が沈静化するものです・ 長い息をはいていると、いらいらした気分も次第に 落ち着いてくるものです。 瞑想中は特に呼吸に注意する必要はありません。 「ふだんより意識してゆっくり息をはく」ことだけは 覚えておいてください。--------------------------------------------------------------■ 著者紹介 ■--------------------------------------------------------------天外伺朗(てんげ・しろう)本名・土井利忠。1942年兵庫県生まれ。ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所所長。大学で電子工学を専攻したのち、ソニー研究所で先端技術の研究開発に携わる。フィリップスと組んだCDの共同開発者、ワークステーションNEWS,エンターテイメント・ロボット『AIBO』の開発責任者をつとめた。その経験をいかして科学技術評論、人材開発論にも健筆を振るう。2004年より、人々が病気にならないように指導し、生まれてから死ぬまでをケアする『ホロトロピック・センター』を病院に代わる概念として推進するネットワーク『ホロトロピック・ネットワーク』を主宰。著書に『宇宙の根っこにつながる瞑想法』『イーグルに訊け』『心の時代を読み解く』(飛鳥新社)、『宇宙の根っこにつながる生き方』(サンマーク出版)、『深美意識の時代へ』(講談社)など多数。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 ○2. 朝一回のヨガ ○3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む まだ1L5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る X7. 新しい英単語を3つ覚える ○ 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○(芝刈り2時間)9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(アカシックメッセージ)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.23
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何回か、「時間」に関しては書いてきている。しかし、つまるところ、この3次元に生きる人間、つまり、過去から現在、未来へと一定方向に流れ続ける時間に束縛された「人間」が、この「時間」というものを本当に理解するのは不可能ではないか、という気がする。頭の中では、「未来」は「過去」と同様、今「現在」と同時に存在する、と考えることはできる。多分そうなのだろう。その意味では、過去が現在に影響し、現在が未来に影響すると同様に、現在は過去に影響し、未来が現在に影響している、ということも考えることができる。だからこそ、「未来を垣間見る」人というのが存在するし、その未来が人により不確定なために「夢や幻想」として片付けられているのだろう。しかし、それが「夢や幻想」でない、と仮定するならば、必然的にひとつの疑問が湧いてくる。つまり、未来は現在と同時に存在するならば、未来はもう決まっているのか、という問題である。決まっていない、というのがその答えのようなのだが、だとすると現在と同時に存在する「未来」とはなんなのか、ということになる。逆に決まっている、とすると、人の「自由意志」というものはないのか、ということになる。ひところ話題になった「アガスティアの葉」には、それを見た人の過去だけではなく、その未来までが詳述されている、という。つまり、その人は「アガスティアの葉」を見ることになっていたから見たのであり、そうなっていなかった人はけっして見ることはなかった、だから、見る人の「アガスティアの葉」が存在した、ということのようだ。昨日観た映画、「ダンスウィズウルブス」。アメリカの建国時代、騎兵隊の一将校として西部に赴き、インディアンのスー族との交流しながら生きた「白人」の物語である。この映画を観ていて、ある人類学者の書いた「スピリチュアルウォーカー」に出てくる5000年後の人類の姿が強烈に蘇ってきた。映画に出てくる「スー族」の生活、その自然観といったものが、その5000年後の未来の人間と意識の交流を持ってしまったこの学者の見た未来の人類のそれとが驚くほど似通っていたからである。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 △2. 朝一回のヨガ ×3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む まだ1.5L5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る ○(ナビゲーター)7. 新しい英単語を3つ覚える x 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) X10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.22
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一般に「臨死体験」をした人の中で、一部はその経験がもとで、考え方が一変し、人生そのものが影響を受けるようだ。過去においては、そのような経験を語ること自体が一種のタブーとされ、いやそれ以上に、話したところで誰もまともに受け取らず、ひいては話す人の人格まで疑われることになりかねず、そのような内的な体験を公に話す人がいなかった。しかし、現代では、ワイス博士の「前世療法」やキューブラー・ロスの幾多の著作により、また学問的にもトランスパーソナル心理学を始めとしたいろいろな分野において正式な研究が進められ、すでにこのような事実は広く世間に受け入れられ始めている。そのような背景があるからこそ、今までけっして内的な体験を語らなかった人が、相次いで、そのような批判や中傷を恐れずに堂々と自分の体験を語る、あるいは本にして発表するようなことが起きている。次の本もそういった本の一つである。少し長くなるが、ちょっと紹介しておきたい。-----------------------------------------------■ 生き方は星空が教えてくれる 木内鶴彦/著 サンマーク出版----------------------------------------------- 「自分とは何か」 「宇宙の果てには何があるのか」 私を答えに導いてくれたのは、臨死体験という特異な体験でした。 22歳のとき、私は突然の病気に襲われ、生死をさまよいました。 そこで私は自分の過去と未来、 そして地球の過去と未来をも「体験」してきたのです。 私が臨死体験の中で見た未来のビジョンは、二つの情景が、 まるで二重写しの写真のように重なって見えるものでした。 一つは緑豊かな山の上で子供たちと天体観測をしている 初老の私の姿。 そしてもう一つは、荒れ果てた土地に呆然と立ちすくむ私の姿でした。 どちらも同時刻の未来を映していることは、 そこにいた私の意識が知っていました。 なぜ異なる二つのビジョンが重なって見えたのかは、 未来がまだ確定されていないことを示しているのだと思っています。 臨死体験の中で、私は宇宙の始まりも見てきました。 それは「膨大な意識」といったものでした。◆ 宇宙の視点から眺めてみる 臨死体験、彗星捜索、環境浄化・・・・・・。 これらは、まったくかけ離れた事柄のように 思われるかもしれません。 しかし、私にとっては、これらのことはすべて 一つのポイントで密接に結びついているのです。 そのポイントとは、宇宙の視点から自分たちを眺めてみる ということです。 自分が今いる場所を大きな視点でとらえることが できるようになります。 今、どんな社会の中で生きているのか、 社会のどこが間違っているのか、 そこで自分のするべきことは何かが とてもはっきり見えてくるのです。 星や宇宙に思いを馳せることは、 自分たちの住む地球という環境を見ることにつながります。 自分たちが立っている足元を見つめ直したとき、 その答えはおのずと導き出されるでしょう。 そしてそれは、地球上の生命を幸せな未来へと導く 第一歩となるはずです。◆ すべての命はつながっている 地球上の生物は、何一つをとっても単独で 生存しうるものはありません。 すべての命はつながっているのです。 一つの生命は他の生命によって生かされる存在であると同時に、 他の生命を生かすための存在でもあるのです。 どの命もすべて、その命でなければできない役割というのが 用意されています。 すべての人が、その人でなければ活用できない 才能を秘めているのです。 しかしその才能がどのようなものなのか、 待っていても、誰も教えてくれません。 いろいろなことをしながら、自分自身で「これだ」と 感じるものを見つけるしかないのです。 自分の才能を見つけ出す目安となるのは、 自分の心にわき上がる喜びです。 はたから見たらつらいことでも、 その人にとって才能を生かすことなら、 心に大きな喜びが必ずわき上がってきます。 お金や地位や、社会的しがらみにはかかわりなく、 自分の内側にわき上がる「喜び」に忠実に生きるとき、 誰もが自分の役割に気づき、 才能を花開かせるにちがいありません。◆ 人生最大の喜びとは 臨死体験をした私にとって、 今は生きているということ自体が最大の喜びです。 死はつらいことでも恐ろしいことでもありませんでしたが、 死後の世界は非常に退屈なものでした。 私が死に瀕したときに感じた最大の苦しみは、 それまでの人生に対する後悔の念でした。 死の淵から戻ってきたときに私が真っ先に思ったのは、 今度死ぬときは絶対に後悔はしたくないということでした。 睡眠時間が短くても、苦労が多くても、 お金があまり儲からなくても、 本当に自分がやりたいと思えることを しようと決心したのです。 人生最大の喜びは、地位でも名誉でもお金でもなく、 精神的な充実感を味わうことです。 そしてその充実感は、自分の能力を100パーセント 引き出したときに初めて得られるものなのです。◆ 自分の能力に目覚めるとき あなたが心から楽しみながらできること、 それがあなたの能力であり、自然界の中での役割なのです。 人はいつ自分の能力に目覚めるかわかりません。 でもその出合いは、必ず訪れます。 もうこんな年だからとか、 そんなことをしてもお金にならないからと、 自分の気持ちをごまかさないことです。 やってみたいと思えることに出合ったら、 勇気をもって一歩踏み出してみてください。 そこからあなたの人生は大きく変わっていくことでしょう。 すぐにやりたいと思えることにめぐり合えなくても、 がっかりすることはありません。 出合うのにふさわしい時期というものもあるからです。 出合いという開花の時期を迎えるためには、 根を張り自分を成長させておく必要があります。 ◆ 地球を守る 人類の進化は、人間一人ひとりが自分の能力や行動を認め、 生かしていった結果として生まれてくるものです。 それを探す方向性は、 「環境バランスを整え、命の循環を保っていくために 何ができるのか」ということです。 一人ひとりが自分で考え、努力して行動しなければ、 地球環境を守ることはできません。 地球で誕生した生命は、 地球でしか生きつづけることはできないのです。 地球環境を守ることは、 自分の命を守ることにほかなりません。 一つの命は、他のすべての命を生かすために存在しています。 あなたの命は地球上のすべての命を支えています。 このことは、地球上のすべての命が、 今あなたの命を支えているということでもあるのです。◆ 自分の能力を認める 自分の才能を見いだし、それを生かす人生を送るために 必要なのは、自分を信じることです。 人生にはいろいろなことが起こります。 壁にぶつかることもあるでしょう。 そんなときには落ち込んだりすねたり、 あきらめるのではなく、その逆境を喜んでください。 人生に乗り越えられない苦しみはありません。 人生の喜びは逆境を乗り越えるときに 最も強く感じることができるのです。 人間は誰でも自分が思っている以上の力を秘めています。 自分以上に自分の素晴らしさを認められる人はいません。 自分の能力を認めて自分をほめてあげるのです。 これをやると脳は喜んでどんどん活性化していきます。 自分の才能を見いだし、育み、活用していくことは、 その人自身にしかできません。 自分で自分の才能を信じなければ、 才能を最大限発揮することなどできません。◆ 自然環境を守るゲーム どんな人だって、いつかは必ず死にます。 そして死ねば膨大な意識に取り込まれ、 すべての謎は氷解します。 死ぬことは苦しいことでも悲しいことでもありません。 それは死を一度体験した私がいうのですから、間違いありません。 果てしない宇宙を包含しているのは、 自分の意識の本体ともいうべき膨大な意識です。 その中で生まれた三次元という世界で、 私たちは持てる才能を駆使し 自然環境を守るというゲームを行っているのです。 エンドレスに努力を続けるということは、 決して空しいことではありません。 自然界に同じ出来事というのは二度と存在しないからです。--------------------------------------------------------------■ 著者紹介 ■--------------------------------------------------------------木内鶴彦(きうち・つるひこ)1954年長野県生まれ。幼少より星や宇宙の神秘に魅せられ、小学五年のときに観察した池谷・関彗星がきっかけで彗星に興味をもつ。その後、航空自衛隊に入隊するが、生死をさまよう病氣をきっかけとして退官。以後、長野県にて天体観測を続ける。彗星捜索家。90年3月16日、チェルニス・木内・中村彗星を発見。同年7月16日、土屋・木内彗星を発見。91年1月7日、メトカーフ・ブルーイントン彗星を再発見。92年9月27日スウィフト・タットル彗星を再発見。93年9月、国際天文連合よりスウィフト・タットル彗星発見の業績を認められ、小惑星に木内と命名される。------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 ○2. 朝一回のヨガ ×3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む ○5. 一日15分以上のギター練習 ○6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る ○(ダンスウィズウルブス)7. 新しい英単語を3つ覚える x 8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(きゅう永漢 「実践経済学」)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.21
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今日の日経に面白い記事が載っていた。日本生命が住宅ローン担保証券を2兆円買い取る、というもの。さすがに一度に2兆円というわけではないが、年間4000億円程度、5,6年で買い取る、というもの。↓ 記事はこれです。---------------------------------------住宅ローン担保証券、日本生命が2兆円買い取り 日本生命保険は銀行などの金融機関が保有する住宅ローン債権を集めて証券化した住宅ローン担保証券(RMBS)を、今後5年間で2兆円買い取る。RMBS全体の市場規模は今年度で5兆円程度で、日生の投資で市場拡大に弾みがつくのは確実。銀行などが住宅ローンを提供しやすくなり、個人向け商品の多様化にもつながりそうだ。 日生は大手銀行や住宅金融公庫が発行する格付けの高いRMBSを年間で約4000億円購入する。例えば償還期間が5―6年の場合の利回りは年1.6―1.7%程度と、償還期間がほぼ同じ国債を上回る。国債中心の資産運用を多様化し、運用収益の拡大を狙う。-----------------------------------で、なにが面白いのか、というと、この住宅ローン債権というものは、各銀行などの金融機関が一般のエンドユーザーに対して貸し付けている住宅ローンを債権化し、それを流通させているものだからである。つまり貸付先は一般の国民である。もう一つの点は、なぜ日本生命がこの住宅ローン担保証券を大量に買い取るかと言うと、「国債中心の資産運用を多様化し、運用収益の拡大を狙う。」となっている。つまり、逆に言えば国債一辺倒では危険だから、生命保険などで蓄えた預かり資産の運用先として、国債からこの住宅ローン担保証券に振り替えてゆく、ということだ。記事にあるように、同程度のたとえば5年物国債に比べては、わずかにこちらの方が利回りが高い。しかし、普通、利回りが高い、すなわちリスクが大きい、となるはずだが、日生の目論見はこれにより「運用収益の拡大を狙う」となっている。ということは、リスクと利回りを天秤にかけた場合、国債に頼るより、こちらの方が、トータルで利回りが大きくなる、と読んだからに他ならない。よく考えると、国債は債務者が日本国、それに対して、この住宅ローン担保証券は、いくら住宅金融公庫が発行すると言え、住宅金融公庫自体が日本国のひも付きであるし、もともとの債務者は一般国民である。たかだか、0.数%の差しかないにもかかわらず、あの日本生命が国債からこの住宅ローン担保証券にその運用先を分散することにした意味は大きい。このことを捉えて、住宅ローン担保証券のリスクプレミアムは、国債に比べてもこれしか違いませんよ、という解釈をするのか、逆に国債の格付けとリスク度合いは、一般国民が住宅ローンを返済するこの住宅ローン担保証券に比べてあまりかわらない信用度ですよ、という解釈をするのか、微妙なところ。正直なところ、今までの日記で書いてきた、日本国の国債の信用度が日本においても(海外ではすでに国別の国債投資ランクは最低になっているからいうまでもないが)、ようやく現実的な問題として検討され始めたのかな、という気がする。この動きが広がるとどうなるか、ということを考えると、国債を通した国の調達金利の上昇につながり、あまりいい絵が書けないが、ひとつの試金石と言えるのではないだろうか。日本は世界でもまれに見る、「右向け右」の世界であるので、ある一つのことがきっかけで全員が全員同じ方向に向くのが速い。もし、今回のことがきっかけで、年金基金の運用先などがなだれを打った様に国債離れを起こすと一気に上記の懸念が現実化しかねない。とすると、個人としてすぐ採るべき対策はなにか?何をしなければいけないか、はもうわかっている。あとは、それをどうやるか、だけの問題である。どうやろう・・・・・・?------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 △(まだ朝のみ)2. 朝一回のヨガ ○3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む 日記記入時点(夜8時)でまだ1.2リットル5. 一日15分以上のギター練習 ×6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る ○(フォレストガンプ)7. 新しい英単語を3つ覚える ○ (WSJより) A new wrinkle in real-estate speculation : the letter of credit. (不動産投資における新しい流行:信用状) wrinkle:妙案、この場合は流行 speculation: 投機、投資 the letter of crdit:L/C ,信用状8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○(犬の散歩、芝刈り2時間)9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○(村上龍 「おじいさんは山へ金儲けに」)10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○
2005.05.20
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今日のテーマは「ブログの活用」というものにしようと思ったが、止め。あまりにとおり一遍のテーマにするより、多少でも内容を現すテーマに変更。とは言っても、ごく個人的な「活用方法」なのでなにかビジネスなどに活用する方法のヒントを期待している人はゴメンなさい。退職してから既に1年2ヶ月経とうとしている。その間、その時々でいろいろなことをやってきてはいるが、どうも定着しない。昨日の日記でも書いたのだが、いろいろなことに興味を持ち続け、それをやる時間がたっぷりある、という退職後のメリットをどう活かすか、という点で、ある一定の水準で、あることを定期的に継続する、ということはとても重要だと思うようになっている。仕事を持っている時は、好むと好まざるとにかかわらず、どうしてもやらなければならないことが山積しており、自分で自分にそういった定期的な努力を強いる必要はあまり無かった。無かった、というより、本当はした方が良かったのだろうけれど、自分の場合は目の前のことを処理するだけで精一杯で、そこまで自分の自己鍛錬や自己研修といったものに時間を割く余裕がなかった、と言うほうが正確かもしれない。ところが一転してあり余る時間を手にすると、今度は自分の意識や意欲をなんらかの方法でその方向に保持することが必要となってくる。でないと、無為に時間だけが過ぎて行き、結果としてはなにも残らない、ということになりかねない。特に私のように、意志が弱いと自他共に認める人間にとっては、このセルフモチベーションと言うのがことのほか難しい。いろいろな方のブログを拝見していると、その発想は同じかどうかわからないが、日々の生活をある一定の目標水準にするためのガイド役として、このブログを使っている方々がいる。そういった方法というものを今までは特に意識したことはなかったのだが、ここへ来て、それも一つの方法かな、と思い始めた。で、早速なにか始めようと考え、ではどんな形にするか、と言う点で1)まず、継続することが易しい。2)あまり内容を欲張らない。3)自分のセルフモチベーションとして活用するため、人に見られてもあまり恥ずかしくない結果を出す必要があるものとする。という原則を置いてみた。たとえば、次のような、ミドル英二さんがやっているような方法である。-----------------------------------今日の結果1. 朝夕2回の瞑想 ○2. 朝一回のヨガ ○3. 朝夕2回の呼吸法 ○4. 一日2リットル以上の水を飲む 日記記入時点(夜9時)でまだ1.5リットル5. 一日15分以上のギター練習 ×6. 最低一つの映画(字幕、吹き替えなし)を観る ○7. 新しい英単語を3つ覚える ×8. 犬の散歩や水泳、テニス、ゴルフなど、なんらかの運動をする ○9. なんらかの自己啓発(読書、セミナー、勉強など) ○10.このブログを更新し、この記録を正直につける ○-----------------------------といった具合である。これでもちょっと欲張りすぎかもしれないが、少なくともこれらをやる十分な時間はあるので、書いておいても悪くはないだろう。例えば一日、新しい英単語を3つ、というのは、今思いついたのだが、あまり欲張らずに3つぐらいを目標とすれば、それでも一年継続できたら新単語が1000になる。一気に1000を覚えようとするとかなりの困難度を感じるが、一日3つ、という低い目標を設定することで、現実性を高められるのではないか、と考えている。こういった手法というのは、大方の受験生がとっている手法であろうけれど、これを「ブログ」に毎日書く、というところが、セルフモチベーションのモチベーションたるゆえんではなかろうか、と思っている。これを書いていながら、毎日xの連続では、さすがに厚顔無恥の私でも恥ずかしくなるだろうから、自分で自分の尻をたたくようになる、という効果を期待しているのだが。どうなるか、しばらくやってみよう・・・・、というのが今日の「ブログの活用」でした。
2005.05.19
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まさか、今さら資産形成における複利の威力をここで書こうとは思わない。そんなことは、このHPを訪れる人はとうにご存知のはずであろう。その真髄は「時間を味方につける」ということにある、と思っている。しかし、いろいろな本でこの「複利の威力」が語られる時、当然いくつかの前提条件がある。その前提条件の一つは、定期的にこつこつとあることを継続すること、そして、もう一つは、それらの種が大きく育つのは少なくともプラスの利回り(あるいは金利)があることである。これは当然の話であるが、ここで、ふと考えた。この「複利の威力」というのは、もしかすると「お金」や「資産」だけでなく、「人間の能力」にも適用されるのかもしれない、と。人が能力を伸ばそうとか、ある技能を向上させようとするときに一番役に立つ方法の一つとして「習慣づけ」がある。たとえば、うちの子供たちを見ていても、一日10分とか15分とかの時間をピアノなどの練習に当てている。けっして長い時間練習しているわけではない。それも、かなりの場合、親から(と言っても、上さんからだが)言われてしぶしぶやっている。それでも、5年も6年もやっていると、それなりの成果となって現れてくる。この「能力」や「技能」の向上に対する「こつこつとやる積み上げ」というのは、「資産形成」に対する「複利の威力」と同等と言えるだろうか。まず、初めに挙げた「複利の威力」の「前提条件」の二つのうち、一つは「定期的に行う」だから、これはいい。問題はもう一つの「少なくともプラスの利回りを持つ」という方である。ちょっと考えると、これは「否」と思える。この種の積み上げは、知らず知らずに積みあがっていくにしても、「金利」はなく、ただの足し算に見える。でも、よく考えてみると、息子や娘にとって、一日同じ15分のピアノを練習する、その15分が、始めた頃の15分と今の15分は同じだろうか、と考えるとどうも違う気がする。同じ15分の練習でも、それまで蓄積されてきた「能力のレベル」に基づいた15分であって、元となる「能力のレベル」が高ければ高いほど、同じ時間の練習が上げる効果は大きいような気がする。反面、人間の能力、技能に関しては、資産形成に複利を適用する場合には見られない大きな特徴がもう一つある。それは、記憶にしても能力にしても一定期間、間を置くとそれが目減りする、という事実である。資産形成の場合、途中である金融商品から現金を引き出して、ある一定期間その金利の恩恵に預からないとしても、現金そのものは目減りするわけではない。ただし、厳密にいうと、インフレ分だけ価値の下落があるから、まったく目減りしないわけではないが、能力の目減りというのはそんな程度ではなく、もしその数学モデルをつくったとしたら、指数関数の逆数に比例するような曲線になるに違いない。つまり、時間が経ってもある部分は残るにしても、初めの短期間での目減りがかなり大きくなるに違いない。だからこそ、定期的に少しでも「継続」することが、資産形成に対する複利の効果に比べてもはるかに重要になるのではなかろうか。こういったことを考えると、あるプラスの効果を持つ行動の習慣化、というのはやはり意味があると考えられる。たまに何かを思い立ってやろうとすると、結構な精神的努力が必要なものであっても、それを習慣化することにより、本人にとってはそれほどの努力を必要としないレベルまで持っていくことができる。そして一年、二年それを継続すると、その努力の結果は単なる足し算以上の結果を生むのではないか。初めに書いたように「複利の威力」というのは「時間を味方につける」ことである。その意味で、こういった「行動の習慣化」というものは、「能力」や「技能」の向上に対する「複利の威力」と言えるのではないだろうか。
2005.05.18
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どうなる?「年金改革」一昨日の財政制度審議会の中間報告に続いて、今日は年金制度改革審議会の中間報告の記事が載っていた。↓これです。------------------------------------2005年5月17日付け 政府の諮問機関のひとつである年金制度改革審議会は17日、2010年以降の年金財政の健全化を進めるための提案をこのほどとりまとめ政府に提出した。 本提案の詳細は、早ければ20日に開かれる年金制度改革議員連盟での定期総会でもその詳細内容の説明を行う、としている。年金制度の抜本的改革への提案における二つの柱 今回の提案は、今までの年金制度改革における賦課方式の見直しと同時に、年金基金の運用にまで踏み込んだ内容となっている。今までの改革は、年金支給年齢の段階的繰り下げと、年金納付額の段階的引き上げという、賦課方式に付随する現行制度の問題点を棚上げしたまま、歳入の増加と歳出の抑制を図るものであったが、昨今の年金不払い者の増加と年金受領者の増加の両面から、その延長では年金財政の破綻は避けられない、として、より抜本的な内容を盛り込むことにしたもの。 今回の提案の特徴として次の二つの改革が挙げられている。1)年金加入者の払い込み年金基金を二つの部分に分け、一つを従来の年金基金と同様な取り扱いとして65歳以上の高齢者に支給される一般年金基金として運用するが、もう一つの部分は、年金払い込み者の直接の親族をその優先的受給者とする、というもの。2)今までの年金基金は、現在単一の組織によって運用されているが、この二つの年金基金はそれぞれ最低4つの独立した組織が運用を行い、401Kと同様、年金加入者は親族優先給付部分のみならず払い込み年金額の全額に対して、この複数の組織での運用を選択できるようにする、というもの。--------------------------------------------<私的解説>今回の年金改革案は、その背景に、従来の賦課方式による制度的な問題点として、年々増加する受給者に対して、払い込む側の労働人口が漸減することから来る世代間の公平性の欠如をあげ、その根本的な原因を逆ピラミッド型となっている人口構成に求めている。その人口構成の是正は、年々加速している少子化の流れを逆転させることが不可欠、との認識に立ち、その対策を盛り込んだもの。(1)の親族優先給付部分というのは自分の年金受給額の半分は、自分の子供達が拠出する年金原資からまかなわれるものとし、当然、子供を持たない家庭ではこの部分の給付はないことになる。現在の少子化の抱える問題の第一はその経済的負担の重さにあるが、いくら育児休暇制度を充実させ、育児施設の供給拡大をしたところで、この経済的負担の増加に対しては殆ど無力である。そこで、この年金の差別化は、こうした次世代の労働人口を生み出し、その間の経済的な負担を「年金」という形でその親族に返却して行こうとするものであり、当然のことながら子供が居ても年金の払い込みをしていなければその給付そのものも行われない、という。つまり、子供を教育し社会に送り出すことは親の義務であると同時にある意味で社会貢献でもある、という認識の下に、その社会貢献部分に比例した年金支給を制度化するもの。二つ目の年金運用組織の複数化と年金払い込み者による選択権の導入は、今までの政府や一部受益者のための無思慮な年金基金の流用を避け、かつ、年金運用組織そのものに競争原理を持ち込むものであると言える。たとえば、今までの年金運用で穴が開いた場合、だれがその責任を取っていたかと言うと、その年金運用者ではなく、税金を納めている国民がその尻拭いをしなければならなかった。しかし、この競争原理の導入により、運用に失敗したり成績が低迷した運用組織は淘汰されることになり、給料の減額から役員賞与の返却まで含めて、民間企業同様の責任体制をとろうとするもの。支給面でも、運用成績が低迷した場合、今までの年金だったら自分に全く関係のない高齢者のセーフティネットとしての年金給付でしかなかったものが、これにより、自分の親への年金支給額に影響を与えることになり、年金選択も自己責任の部分を年金に持ち込むものであり、その意味でも公的年金に401K的な考え方を導入したものと言える。今回の年金改革案は、実際の運用に到るまでは相当おおきな波紋を呼び、多くの議論が必要とされるであろうが、今までの改革案から大きく一歩踏み出したものとして評価できるのではないか。-----------------------------------------なぜ、いつもボロクソにけなしているこの種の動きに、これほど好意的なコメントを挙げるか、というと、それはこの審議会のメンバーに理由がある。なんと、この審議会メンバーは「リンロン88」ただ一人なのである。つまり、今回は、瞑想中にふと思いついた「年金制度改革」に対する単なる一私案(試案ではない)なのでした。せいやんせいやんさんの「ショートショート」に刺激され、ひとつ自分でも、と作ってみたのですが・・・・どうでしょう・・・・・・?え、全然「ショート」じゃない?すみません。なれないことをしたもので、ご容赦願います。
2005.05.18
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今日はただの日記。どうも朝から頭がはっきりしないので、めずらしくあまりパソコンにも向かわずちょこちょこっと、別なことをやっていました。午前中は、しばらくご無沙汰をしてしまったギターを久しぶりに弾く。やはりちょっと間を置いてしまうと、てきめんに指が動かない。やはりちょっとでも毎日の練習が大事なんだと改めて思うのだが、それでも怠け者の私にとって毎日というのはなかなか難しい。先日も書いたように、子供達が帰ってくるとなかなか弾けないので、午前中にやるしかない。我が家の音楽室は通常リビングルームと言われている部屋で、正式(?)には応接セットなどを置くのだろうけれど、アメリカ人でもあまりそうしている人は見かけない。だいたいオフィスか、子供の遊び部屋になっているのだが、うちの場合はいつもここが音楽室になる。↓こんな部屋です。ここで、しばらくギターを引いた後、今度は映画を見ることに。普段は、テレビも映画も殆ど見ないので、家にテレビが2台、ビデオも2台、DVDが一台あるのだが、殆ど子供と奥さん専用といったところ。これもギターではないが、久しぶりに観る。TVは2階に4つあるベッドルームのうちの一つを「メディアルーム」として使っており、そこに置いてある。↓こんな部屋です。手前の方にはソファベッドが置いてあり、大抵はベッドの状態になったきりで、皆寝そべりながら見ている。私もこのベッドに寝そべりながら、昨日の日記で、「英語の勉強」をしなきゃ、と書いたことにかこつけて、今日は3本も続けて見てしまった。当然、こちらの映画だから字幕もなければ吹き替えもないから、まあ、英語の勉強と言えなくもない、と自分で勝手に理由付けしている。まあ、観た映画が1.Deep Impact (彗星が地球に衝突するスペクタクル)2.The Day After (これは有名は「核戦争」勃発時のその後を描いたもの)3.Star Man (異性人が地球を訪れるSFものだが、主題は「愛」)の三つだから、お分かりのように映像を追っていれば筋はあらかたわかる類のものばかりで、私の好きなSFものばかりである。こんな映画でも、子供のように夢中になっていつも見ていれば、耳から英語が入ってくるのだろうが、そこまで夢中になれないのが大人の子供に対して持つ弱点なのかもしれない。今しばらくは、一日一本は映画を観ようか、と思っているのだが、はたしてどうなることか・・・・
2005.05.17
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4月14日の日記に、「やはり大増税かな?」というのを書いたが、その時紹介した記事の中に財政制度審議会が6月末に「骨太方針」をまとめる政府のために今後の財政収支均衡策を提言する、というのがあった。(下記トラックバック参照)今日の日経の記事で、その審議会の「案」が報じられていた。↓これです。------------------------------------------------財政収支均衡へ消費税率12%に上げなど3案・財制審 財政制度等審議会(財務相の諮問機関)は16日、国の基礎的財政収支を10年後に均衡させるための方策として、「歳出を3割カットする」「消費税率を19%に上げ歳出規模は維持する」「消費税率は12%前後とし歳出削減と組み合わせる」――の3案を提示する。社会保障費の膨張に絡んだ歳出削減や、増税の議論が活発になりそうだ。 財政収支均衡策は政府が6月にまとめる経済財政運営の基本方針(骨太の方針)や、消費税率上げの論議などをにらんでまとめた。財務省は消費税率の12%前後への引き上げと歳出削減を組み合わせる案を軸に政府内の調整を進めたい考えだが、道筋は不透明だ。------------------------------------------------つまり、どの案であったも、歳出を3割カットできなければ消費税の大幅アップは避けられない、という至極当然の結論になるようである。これからも国債償還費用が年々増大する中で、歳出3割カット、というのは、実際の予算を4割、5割カットするに等しいだろうから、その実現性は限りなく「?」である。とすると、残り二つの案では、消費税が5%から12%になるか19%になるか、どちらにしても大幅アップであることに変わりはない。また、先週の土曜日には、やはり日経のニュースで、退職金への増税措置が早ければ2006年から実施されることになりそうだ、との報道もあった。現在、退職金は長年勤続した人への報償的意味合いで大幅な控除が認められている。例えば1000万ぐらいの退職金を支給されても、税金は20万円にもならないはずである。この増税案が、その辺をどう変えるのかよくわからないが、普通の流れからすれば、大きな金額を貰う人からもっととれ、と言う形になる、つまり累進性がより強化されるようになるのだろう。ずっと勤めていてもいつ肩たたきに会うかわからないし、それ以上に会社そのものが安泰かどうかも予断を許さない、とか、このまま会社に居ても昇給は望めないし、会社がなくなったら退職金さえもらえなくなることを考えると、早期退職してでも自分の手で新しい道を切り開こうかと考える人が居る。このような人は、この退職金に対する増税、ということが決定的になった時点で、2年後3年後に考えていた人まで、より早期の退職を決断するケースが増えてくるのではないか、と思う。退職金は頭打ちどころか、課税が強化される、一方で支出にかかる消費税は、大幅アップになる、と、今後、団塊の世代の大量の退職者が出てくる2008年以降に向けて、この手の増税が矢継ぎ早に打ち出されるかもしれない。そうなると、期待していた退職時収入は目減りし、予想していた退職後の生活費は上昇する、というダブルパンチを受けることになる。まだ物価がデフレからインフレになるペースがゆっくりしているために、まだ危機感があまり出ていないかもしれないが、これでインフレになったらダブルパンチどころかトリプルパンチであり、これに年金給付額の減額や支給年齢の引き上げ、そして社会保険費用の増加など、まだまだ将来的な悪化材料にはことかかない。始めに書いた財政審議会の案がそのまま、政府案になるわけではないが、その3案の中で、より歳出削減の方にウェイトを置いた最終案が6月にまとまる方向で行ってくれることを祈るばかりである。増税は避けられないにしても、その後の話だと思うからである。ただし、政府の歳出削減=各種政府補助の削減=社会保険費用の自己負担増、ということになる可能性もあるのだが・・・・
2005.05.16
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先日、ある会社のセミナーを受けてから、ネットワークマーケティングに関する話を聴いたり見たりする機会が急増した。これは多分、自分の中で今まで殆ど注意を払わなかったものが、多少アンテナの感度を良くしたために起こったことで、実際は周囲の環境は何も変わっていないんだろうと思う。つまり、周囲が変わったのではなく、自分の方が変わって起きている現象のようだ。普通MLM(マルチレベルマーケティング)というと、私もそうだが、かの「マルチ商法」のイメージが強く、人に聞くと「非常に興味がある」か「絶対嫌だ」という両極端に分かれるらしい。私は、と言えば「絶対いやだ」の方だったのだが、最近ちょっと考え方を変えている。ロバートアレンの「億万長者入門」やロバートキヨサキの「金持ち父さん」の本にも出ているが、いろいろな方のブログを見ている中でも最近はこのことに触れているものが結構ある。以下に、ちょっと前に見つけたあるブログの中身を転載しますが(少し長いですが)、これを読むとMLMというもの、あるいはそれに対する誤解とその見分け方が良くわかる。-------------------------------------<MLMの現状> 「MLM(マルチレベル・マーケティング)」は「ネットワーク・マーケティング」とも呼ばれており、1930年代に米国で発祥したといわれています。世界53カ国の訪問販売協会が加盟するWFDSA(世界訪問販売協会連盟)の2000年7月調査によると、「MLM(マルチレベル・マーケティング)」とそれに類似するビジネスの市場規模は世界で820億ドル以上にのぼっています。さらに国別でみると第1位の日本(約284億ドル)と第2位のアメリカ(約245億ドル)が その60%以上を占め、先進ヨーロッパ諸国がそれに続き、南米各国とアジアが追随する形となっています。参加人数も同じ調査によると3,870万人を超えており、最も多いのがアメリカの約1,000万人、次にインドネシアの約390万人、マレーシア、タイ、台湾、韓国に続き、日本は世界第7位の200万人です。<MLMの特徴> 販路として、販売者であるディストリビューターから製品説明を受けながら、消費者が商品を吟味して購入するチャンネルの機能を持ちます。フェイス・トゥ・フェイスで一人ひとりのライフスタイルやニーズを考慮しなら、販売に十分な時間をかける方法のため、高機能製品や説明型製品の分野では消費者から見ても便利な小売形態といえます。そしてディストリビューターは店舗や巨額の広告費を使わずに製品やサービスを安定供給できる販路(ネットワーク)を作り上げていきます。事業機会として高品質、高性能な製品と独自の報酬システムを提供することで、副次的収入を求める人々に実現可能な事業機会を提供します。しかも他のビジネスに比べて事業に参入するのに、性別、年齢、教育、職歴による制限がほとんどないビジネスです。また店舗や巨額な広告費が必要ないため少ない資本で挑戦可能なビジネス機会を提供します。さらに働く時間やスケージュルが個人のライフスタイルに合わせて自由に選択できる点も特徴です。<MLMとマルチ商法> 「MLM」は製品の販売を主目的とし、市場拡大(マーケティング)の手段としてリクルート(勧誘行為)が行われます。一方「マルチ商法」は造語のため定義づけされていませんが、一般に日本では参加者のリクルート(勧誘行為)による勧誘料の収益を主目的とし、そのための手段として製品の販売が行われる商法とされています。 どちらも支払われるボーナス(報酬)の原資が製品の販売行為から生じる収益によってもたらされるなら、法律上の問題はないと考えられています。またこれらは「連鎖販売取引」※に属し、「特定商取引に関する法律」による一定の行為規制のもとで、一般の訪問販売や通信販売と同じように扱われています。しかし、「リクルートさえすれば収入が上がる」など過度な期待を抱かせるような説明がされたり、粗悪な製品を販売するなどでトラブルを起こした場合、一般的にマスメディアなどで「悪質マルチ商法」「マルチまがい」と報じられます。 ※連鎖販売取引: 連鎖販売取引は物品の再販売・受託販売・斡旋をする者を、特定利益を得られることをもって勧誘する取引のことを指します。アムウェイの流通形態もこの連鎖販売取引に属します。この取引は流通形態の一つとして成り立っており、「特定商取引に関する法律」(旧「訪問販売に関する法律」:2001年6月改正)では連鎖販売取引が健全に執り行われるためにさまざまな規定が設けられています。<悪質なビジネスと正当なMLMの見極め方> 米国訪問販売協会(USDSA)は、そのビジネスが正当な「MLM(マルチレベル・マーケティング)か、それとも悪質マルチ商法や違法なネズミ講など、いわゆる参加者をだまして金銭を奪う悪質なビジネス(米国ではピラミッドスキームと呼ばれています)かを見極めるには、以下の質問を投げかけることを効果的としています。 (1)???このビジネスにかかわることで経済的損失を被る恐れがあるか??? 正当なマルチレベル・マーケティングでは高額な投資を要求しません。日本アムウェイでもディストリビューターに登録するためには登録料の8,400円以外の経済的負担はなく、解約時に所定の手続きをとればその8,400円も返金されます。一方悪質なビジネスの場合、多額の「加入金」を負担させたり、高額な製品購入を「投資」として要求してきます。 (2)???報酬は主に製品やサービスの最終消費者への販売からきているものか??? 受け取る報酬が、リクルート(勧誘)や引き抜き料金、あるいは在庫の積み上げ、押し込み、販売キットやセールス・エイドの売り上げなど、製品の販売活動以外の活動報酬で大半を占める場合があります。そのビジネスは正当なマルチレベル・マーケティングとはいえません。正当なマルチレベル・マーケティングの報酬は製品の販売や購入の実績によってのみもたらされます。 (3)???ディストリビューターまたは販売員を辞めたとしても、その会社の製品を購入したいと思うほど良い製品か??? 正当なマルチレベル・マーケティングは製品の販売活動が収入を左右することから、高い品質の製品や製品に対するアフター・サービスの充実が求められます。一方ピラミッドスキームの場合、収入源がリクルーティングによる勧誘料であるため、流通する製品は存在しないか、存在したとしても品質に問題があり製品流通が難しい場合がほとんどです。製品の品質やそれに付随するサービス体制がどの程度かを客観的に見極めるには有効な質問といえます。さらにこれら3つの質問の他に以下の点に関しても確認する必要があります。(4)???過剰在庫が抑制されているか???正当なMLMは在庫を買い込むことでビジネスを展開するのではなく、製品を流通することでビジネスを展開していきます。正当なMLMでは、過剰在庫の保有を厳しく抑制するルールが存在します。 (5)???誇大広告がないか??? 正当なMLMは加入時に多額の収入が得られるといった誇大広告を行いません。逆に悪質なビジネスは「最初の投資の何倍もの収入をすぐに得られる」などと儲かる仕組み(プラン)を強調してきます。----------------------------------------自分としては、なにかを批判したり評価したりする場合は、自分がやってみてからにするべきだ、というポリシーを持っている。人からの又聞きだけで判断するようなことはしたくない。その意味で、なんらかのトライアルをしてみるのも意味があることかも知れない。もう少し、勉強してみようと思っている。
2005.05.16
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私自身はやむを得ない状況から英語を使わなければ仕事にならなかったので、いやいややっていたが、それでも10年も居るとそこそこのレベルにはなる。もし、米国出向の話が無かったら、恐らく勉強しようとは思っても、意志の弱さも手伝って、続かなかっただろうと思う。アメリカへ赴任してきた時は殆ど、聞けず、話せず、状態で、かろうじて、日本人の特性として読むのと書くのはなんとかある程度できた。当然、赴任してからの仕事と言うのは、無残なもので、電話が鳴るたびに、飛びのいて、日本人からの電話でありますように、と祈りながらでると、やはりアメリカ人で、冷や汗をかきながら、しどろもどろの応対をしていたものだ。こんな人間を出向させて仕事にならなかったら、会社にも選んだ責任があるんだぞ、と毒づきながら仕事をする毎日であった。そんな私の赴任直後の最大の試練は、赴任してから半年後に訪れたディーラーミーティングであった。私は当時開発部門の現地責任者だったのだが(と言っても、赴任時は私だけ、この半年後でもまだ3人しか居なかったが)、全国の取り扱いディーラーを集めて年に一度、新製品の発表や各種の表彰など、販売会社が中心となって開くのがこのナショナルディーラーミーティングであった。そこで私はなんと、新製品紹介のセミナーを受け持たされてしまったのだ。それも、150人から成る全米から集まった社長さんたちを前にして、2グループに分けられた彼らに午前2時間、午後2時間、の2セッションをこなさなければならない。もう一週間ぐらい前からセミナーの草案をねり、何度も原稿を書き直して当日に望んだが、前の日はほとんど眠れないぐらい緊張した。当日も朝から食事がのどを通らず、とにかく早く始まって、早く終わって欲しい、と思うばかり。いよいよセミナーが開かれ、販売会社の技術担当が心配そうに見守る中、なんとか2時間のセミナーをやったわけだが、あらかじめ用意していたジョークを言っても誰も笑ってくれず、ちらっと販売会社のその担当を見ると、苦笑いしているのみ。自分でも何をどうしゃべったのかよく覚えていないが、とにかく、商品の説明なので、そのポイントを次から次へと紹介していったわけである。で、最後に質疑応答の時間がとられた。これが最大の恐怖である。なぜならば、話す方はある程度原稿を用意しているので、その通りに話し、相手に通じようが通じまいが関係ない話であるが、ことこの質疑応答はそうはいかない。まず相手の言うことがわかる必要がある。次にその質問の回答をその場で考え答えなければならない。その初めの「相手の言っていることを理解する」というのが果たしてできるか、上の電話の例でもわかるように、渡米後6ヶ月経ったと言えどもおいそれと会話能力が上がっているはずも無い。で、なにか質問は?と言うと、しばらくシーンとしていて、誰も手を挙げない。あ、これは質問なしで終わるかな、ラッキー!と思った瞬間、一人が手を挙げる。あ~あ、と思いながら見ていると、販売会社の司会の人間がその人にマイクを回す。ところが、なんとその質問者が発した言葉は質問ではなかったのである。"Please give us English Presentation!"冗談半分だとしても、会場は笑いに包まれ、私はあまりの屈辱に・・・・(怒)こちらが冗談を言っても笑わないはずだ。だぶん、全然英語が通じていなかったんだろう、とその時ようやくわかった。ただ、販売会社の技術担当の人間だけは私と話し慣れているので、私のジャパニーズEnglishを理解してくれていたようだが、恐らく、これじゃ、他の人には通じていないだろうな、と言うことも含めて、苦笑いするしかなかったんだろう。こうして、私の最初の英語の試練は終了した。 昨日、一種のMLMのセミナーを受け、やはりこれはもう少し、英語を勉強しないといけないな、と感じている。それはネットワークビジネスそのものというより、アメリカでビジネスをやろうとした時には避けて通れない道ではないか、と思う。そんな時、あるHPで、映像つきのプレゼンテーションを見た。内容は「金持ち父さん」にでてくるような内容の一部であるので、この私のブログを見る人にとってはお馴染みの、例えば資産と負債の違いやら、貧乏な人と裕福な人の違いなどを平易な英語でアニメーションでやるものである。もし、英語を少し勉強してみたいな、と言った時、一番言い方法は自分が興味があるテーマについて勉強することではないか、と思う。もし、そんな気持ちをお持ちの方は、ちょっと覗いてみるのもいいかも知れないと思い、ここに載せておきます。↓このHPで、Step#2の該当する所をクリックしてください。ちょっとした英語の勉強になるかも知れません。Lean how the wealthy get that way!
2005.05.15
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今日は、4月の終わりに「人に会う」という日記で書いた会食に参加した一人の方から誘われて、久しぶりにセミナーに参加して来ました。セミナーの名前も、何を目的に開かれるかもまったく知らないままの参加。つまり、ぶっちゃけた話、どうせヒマだから家でごろごろしているよりはいいだろう、と、お誘いを受けた時に二つ返事で行くことに決めてしまいました。夜7時半から9時、ということで、宣伝がらみのセミナーだったら普通、お食事つき、飲み物付きのはずなのですが、このセミナーは何も出ない!何も出ない、ということは、まじめなセミナーなのかな、と思って行った訳ですが、内容は宣伝のセミナーでした。(笑)まあ、宣伝のセミナーと言っても、なにかの商品や会員権やリゾート地の購入を宣伝するのではなく、ある商品の、というよりある会社のネット上のフランチャイズを募集する、という内容でした。それをこの会社は、アンフランチャイズ、と呼んでいましたが、MLMの一変形という感じです。つまりはこの会社の販売する(この会社は製造を持たず、いろいろな商品を専売契約の元にあちこちの製造元に作らせ、その商品を独占販売する会社です)商品を、店舗を持たず、このようなセミナーを通して集めた「個人」を通して、口コミにより販売し、同じく口コミによる販売員の増加を通して販売の拡大をしている。こう書くと普通のMLMとどこが違うのか、ということになるが、私自身がMLMについてそれほど詳しくないので、ここが典型的なMLMと違う、と言い切れないのが苦しいところ。セミナーのあと、このセミナーに誘ってくれた人と、その人を誘った張本人であるこのディストリビューションのメンバーの一人としばらく話したのだが、どうもそのインセンティブの考え方に違いがあるようだ。たった一時間半のセミナーなので、商品説明はそこそこで、どちらかというと、この会社のネットワークディストリビューションの説明と、その収益(販売店、つまり各個人の収益)モデルの説明が3分の2ぐらいだったろうか。その中でも結構時間を割いていたのが、65歳になるアメリカ人100人のうち、億万長者で全く余生の経済的心配がいらない人が一人、4人がそこそこの成功者で、収入と支出のバランスが取れている人、と言った、どこでも聞くような現在のアメリカ人の中での経済的な状況や将来リスクと、そのリスクが(日本と同様)増大しつつある現実とから、あなたは今、行動に出ますか?、それとも旧態依然とした定年(というか65歳)まで勤めて、自分の余生をリスクにさらしますか?といった調子。あとでわかったのだが、参加者の3分の2は現在のディストリビューションに既にかかわっている人たち、新規の参加者(ビジター)は3分の1ぐらいだったようだ。つまり、現在すでにこの会社の商品を売っている人たちが、他の人の売り込み方や商品の説明を聞くためもあって、他州からも参加してきているのである。それで「セミナー」と言うわけだ。もちろん、私のような新参者も歓迎され、彼らにとっての販売ルート拡大の潜在的な部分の発掘にも、当然力を入れているわけだ。創立13年であるが、その間一度も赤字になっておらず、かなりの勢いで業績を拡大しつつあり、今年はアジア市場の拡大を狙っているらしい。日本でのビジネス拡大もかなり真剣に考えているようであり、その可能性もあってか、アジア系の参加者が多かったようだ。つまり、現実に店舗を構えるわけではないので、インターネットを通して、故国の知人を介してこの販売と販売ルートの拡大を行える、というわけだ。週10時間から15時間の労働で、あなたが1000万以上の年収を挙げることができるとしたら、あなたはここで勇気を持って、一歩踏み出しますか?それとも今までの状態に安住しますか?加えて、「初期投資のお金はほとんど要りませんよ。実際、1万円以下の商品を一つ買うことと、申し込み用紙に記入して、参加することを決意するだけですよ。」つまり始めてすぐ止めても、リスクは殆どありませんよ、というわけだ。あなたならどうするだろうか?
2005.05.14
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私の家は住宅地(サブデビジョン)の中にある。マスターベッドルームの窓のまん前に大きな木があり、そこに小鳥が良く来る。朝など、チッチッチ、という小鳥の声で目が覚めることもよくある。裏庭の後ろの塀の向こうに道路があるため、時々は車の音が聞こえてくるが、普通の車の走行音はあまり、家の中までは聞こえてこない。とにかく普段は結構静かなのである。ところが、3時以降になると、とたんにうるさくなる。アメリカの家と言うのは、ここ南部では、と言うことかもしれないが結構オープンに出来ている。私の家も一階は、キッチン/ブレックファストエリア、ダイニング、リビング、ファミリールーム、そしてサンルーム/オフィス、と約150m2ぐらいだろうか、結構広いのだが、なんとドアで仕切られている部屋は一つもなく、すべて繋がっている。2階のベッドルームは4部屋あるのだが、こちらはさすがに全てドアつきではある。しかし、日中は、ほとんど一階で過ごしているのだが、午後3時すぎるとうるさくて居場所がなくなる。なぜか、というと、子供達が帰ってくるからである。何回か、この日記に書いているが、息子も娘もピアノをやり、上さんもピアノをしょっちゅう弾いている。娘は、一昨年からバイオリンを始めて、ピアノの練習の他にこのバイオリンの練習もやり、時には友達を連れてきて、合奏の練習をする。そうなると、一階はどこへ居てもこれらの演奏の音がかなり大きく聞こえるので、例えばテレビなどを見ていてもよく聞こえない。そうかと言って、テレビの音やステレオの音を大きくしようものなら、練習の邪魔だ、とそく苦情が来る。腕前がそこそこのレベルになっていればそれなりに「音楽のある生活」と言う感じにもなろうけれども、練習と言うのは殆ど上手にできないパートを何度も何度も弾くので、その間はある意味「騒音」以外の何物でもない。それでも娘のバイオリンが本物の「騒音」から、やっと近頃「音楽」になりつつあると思ったのもつかのま昨日は突如として、全く別の「騒音」が家中に響き渡ったのである。なんだなんだ、といって見に行くと、なんと今度は息子が「アルトサックス」を始める、ということで、楽器を借りてきて、なんとか「音」を出そうと四苦八苦しているではないか。↓これです。どうも、妹がバイオリンを始めてだんだん楽しそうに弾くようになってきたのを見て、自分もピアノ以外になにかやりたくなったようだ。私がギターを多少やるので、ギターにも少し興味を持っているのだが、負けず嫌いの息子は、初めから親父より下手な演奏をするのはいやらしく、誰もやっていない楽器をやりたがり、結局、どんな理由かわからないがサックスになったらしい。とにかく音量が半端じゃない。そばでこれをやられた日には、テレビどころか、普通の会話も支障をきたす。おまけに音が出るようになるとうれしいらしく、聴いて聴いて、と「騒音」を間近で聞かせにくる。ここで批判的なことを言ったら、せっかくの興味の芽を摘んでしまうので、仕方なく、「お、音がまともになってきたじゃないか!」などと言ってしまったものだから、ますます調子に乗って、そばで吹いている。これはたまったものじゃない、正直。聴くと、これからは、正式にレッスンを受けるべく、すでに申し込んできているというし、学校のバンドにも加入申し込みをしてしまった。アメリカのバンドはそれこそ、フットボールの試合があるたびに、その試合の応援で演奏するわけで、ほとんど毎週末である。騒音公害のみならず、運転手としての親父はフル回転になりそうで、その面でも痛し痒し、なのだが、それでも継続したらいいほうかな、と思っている。こちらが音を上げるのが先か、息子が飽きるのが先か、どちらにしても、この「家庭内騒音公害」はしばらくは続きそうである。
2005.05.13
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私が初めてブログと言うものを知ったのが昨年12月初旬。そしてこの楽天でブログを始めたのが12月の17日でした。考えるともうほぼ5ヶ月経とうとしています。私が初めてブログをつくり、他の方のブログを見出したときに、目についたブログの一つに柴犬ブンさんのブログがありました。私は、若くして第一線を退いたブンさんの生き様と、そのブログの内容に惹かれるものがあり、早速書き込みをしたのです。ところが、その日の彼の日記というのは、彼にとっての「ブログ終息宣言」でもありました。その時の私は、ブログの世界の持つ魅力をだんだんと感じつつあり、また、それを続ける中で、自分にとってのブログの意義というものを感じるにつれ、なぜあの時柴犬ブンさんはブログを終息(あるいは一時休止かもしれませんが)したのだろう、と不思議に思ったものでした。ところが、自分がブログを始めてほぼ5ヶ月、「継続は力なり」ということはわかっているし、このブログをしていることによって、早期退職した私のここ5ヶ月の生活はかなり大きな影響を受けたことは否定できません。それよりも、今まで、自分の考えをただ漠然と考えていただけなので、一度、これからどう生きて行こうか、ということを自分なりにきちんと考えたいと思っていたのでした。その意味では、このブログは、「ただ自分で考える以上に、他の人の意見も聴きながら考えることができた」という意味で、非常に意味がある体験になりました。先ごろ「ブログランキング」というものを経験させてもらいましたし、日々他の方のブログを拝見させていただき、本当にいい経験であったし、また勉強になりました。つまり、ただ漫然と過ごしている日々とは違い、かなりの刺激をもらいました。当初考えていた自分の考え、自分のこれまでの生き方を見つめ直し、これからの生き方を考える、という目的は、全然十分とは言えませんが、ある程度達成できてきているな、と感じがしてきました。そこで、はっと気が付いたのです。もしかすると、初めにかいた「柴犬ブン」さんが、なぜこんな有意義なブログから一旦(かどうか、わかりませんが)手を引いた理由というのは同じようなものだったのではないか、と。本当のところはご本人に聴いてみないことにはわかりませんが、ひとつの大きな可能性として、彼自身の中で、一つの自分としての目標が達成でき、考え方がある意味、整理できた、だからこそ、一旦休止する、という選択をしたのではないか、ということです。自分もそういう心境になったと言うことは、ある意味で、自分の中でひとつの区切りができつつある、あるいは、ある一定の変化が生まれつつある、ということを意味するのではないか、という認識をもつに到りました。ただ、だからと言って、ブログランキングを止めた時のように、ではこれで、このブログを閉鎖します、という気持ちにはまだ到っていません。まだまだ、続けていることによって、自分として考えること、得られることの大きさをも予感しています。ただ、何気なく始めたこのブログですが、この機会に一度、自分にとってのブログとはなにか、ということを、今一度見つめ直そうかな、とは感じています。その結果、どうなるか、自分でも楽しみではありますが・・・・・・・
2005.05.13
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毎日、なにかしらイベントがあり、あちこちに出かけています。といっても、子供の話で、私の話ではありません。アメリカは、いつかも書いたように、子供がなにかやる、という場合、歩いていける場所でやることは殆どないので、必然的に親が車で送り迎えをする、ということになります。最近など、息子が週に一度、友達と映画を見に行っているのですが、行きはむこうの親が、帰りはうちが、という風に手分けして映画館までの送り迎え。なんとなく納得できない感じですが、ヒマな私は運転手を勤めています。(笑)昨日はまたまた娘の小学校の春の演奏会。ブラスバンドとオーケストラの4年生、5年生(アメリカでは小学校は5年まで)のそれぞれが年度の終わりのコンサートを開きました。また、先日から水泳チームの練習も始まり、息子と娘は他のイベントと重ならないかぎり、毎日練習です。この写真では、息子(右端)は居るのですが、娘はいません。なぜでしょう?娘は、なんとテニスのレッスンをこの日は受けているので、水泳はお休みなのです。↓見ていると、遊びに毛が生えただけのようなテニスですが、水泳にしても、ピアノにしても、またバイオリンにしても、みな始めはそんなものです。それが、一年、二年、ピアノなどは5年(娘)や7年(息子)もやっていると、大して練習をしているわけではないのに、やはり「継続は力」ですね、そこそこ上手になっています。子供の居る方は誰でも感じると思うのですが、こういった年齢の5年間とか7年間というのは子供にとってはものすごく重要な5年や7年であって、その間の成長は、本当に目が覚めるほどです。ひるがえって、自分のことを含めて、大人である私たち夫婦のことを考えてみると、当然、それなりの経験というか、この3年間は激動、とも言える変化を体験してきました。それらの体験の中でいろいろ考えたことがあったわけですが、こと、「自らの成長」という観点で見たときにはどうだったろうか、と思うわけです。それは習い事やスポーツと同等に論じることはできませんが、同じ5年や7年という期間で、子供が果たしてきた成長と同じようなことが、親である私達にはたしてあっただろうか、と考えると、そうとも言えません。子供は「成長」するのが仕事、勉強にしても習い事にしても、いやそれだけではなく、音楽を聴く、パソコンをいじる、そんな全てのことに対して、一年前と今ではまったくレベルが違います。親としてそんなこどもの成長そのものが、親としてのこの期間の成果である、とも言えるわけですが、でもそれだけではさびしいものです。やはり、人間、いくつになっても成長を続ける、ということが自然ではないか、あるいは、子供を教育する上でも、自らの成長は「必要」ではないか、と、そんな風に感じるわけです。子供はよく、親の後姿を見て育つ、と言われます。それは自営業や農業などをしていて、親の働く姿を直接目にする機会が多くある場合は特にそうだと思うのですが、今日の多くの社会人の家庭、というのは、そんな親の働く姿を子供が見る機会はかなり少なくなっています。でも、それでもなお、子供は親の姿を見て育つことに変わりはないと思うのです。子供に勉強しろ、というだけで、自分はまったく向上する気配もない、というのでは、子供にしても納得いくものではありません。読書をしている姿、あるいは音楽を自ら楽しむ姿、その場面場面がやはり子供に対する教育の一環でもあると思うのです。口で教育する、それ以上の教育を、自らの行動や態度で示してゆく、何歳になっても、そんな環境を作り上げていきたいものです。もちろん、目的は子供の教育ではなく、自分自らの向上に置く、というのは言うまでもありませんが・・・しかし、そうは思っているのだけれど、現実はなかなか・・・ゲームばかりやっている娘や息子に向かって、少しは本を読んだり宿題を先にやりなさい、などと口でいうこともやはり結構あります。今日も、「遊んでばかりいないで、少しは勉強しなさい!」と娘に言ったら、なんと、「だってパパだって、パソコンで遊んでばかりいるじゃない!!」と言われてしまいました。ガーン! こりゃまずい・・・・
2005.05.12
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昨日の日記で、第2弾としてこの「思い」を見出す、を書くといっておきながら、かけませんでした。一つは、ちょっとばたばたしていて時間が取れなかったこともありますが、もう一つは、内容が若干「?」という感じがしたので、躊躇していました。ま、しかし、こんなことを書いてある本もあったよ、ということで、気軽に読んでいただければ、と思い、やはり書くことに。(公言した、っていうこともあるし)------------------------------始めからある「思い」や「情熱」を持っている人は、それをどう具現化するか、ということで、今まで書いてきたようなことを考えればいいわけだが、結構多くの人は、その「思い」や「情熱」を傾ける対象すら明確に持っていないでではないか、と自分のことを含めて思うわけです。そんな時、こんな考え方をすればそのヒントが得られますよ、というのが、これから書く内容。前書きには、「自分で事業を始めると決意した時、どういった事業を始めるかを決めるのは、ある人にとっては最も難しい問題かもしれない。ある特定の事業を始めたいという強い願望が無いのであれば、ここで考え込んでしまう。そこで、そのような場合に次の質問に対する答えを考えてみていただきたい。1.あなたがかかりつけの医者に、あなたは原因不明の病気のために6ヶ月以内に死ぬでしょう、と宣告されたとします。あなたはこの6ヶ月の間になにをしますか? 誰と一緒にこの期間を過ごしますか? 何があなたにとって重要になるでしょうか。 最低でも20は答えをあげてください。2.知らない人が亡くなって、その人があなたになんと2億円の現金を残してくれたとします。あなたは何をしますか? 誰と一緒に過ごしますか? 何があなたにとって重要になるでしょう。 あなたは仕事を辞めますか? どうやってお金を使いますか。これも同様に答えを最低でも20考えてください。3.もしあなたは失敗しないと保証されたら、あえてどういった偉大な挑戦をしますか。最低でも3つ考えてください。4.自分の人生でもっと必要なものはなんですか?これは最低でも20は考えてください。5.自分の人生であまり必要でないものは何ですか?これも最低でも20は答えてください。これらの質問を考える時は、☆自分ひとりで考える☆自然環境の中で静かな場所をみつけ、そこで考える☆馬鹿げた答え、というものは存在しません☆どんな答えでも構いませんが、その場で良いか悪いか判断してはいけません☆最初の二つの質問には、最低でも20の答えを挙げてください☆最後の二つの質問には、最低でも3つは答えを挙げてください----------------------------------とあります。ついでに、この作業が終わるまでは、この本の続きを読まないで下さい、と書いてあるので、私はまだ続きを読んでいない。つまり、まだこの「答え」を考えていないんです。(汗)だから、始めに書いたように「?」なのであって、こんなんで「思い」や情熱の対象が見つかるのか、という気もしている。しかし、「思い」を見つけたり、情熱を燃やす対象は見つからないかもしれないが、なにか別な面白い気付きがありそうな感じもする。どなたか、これに似たようなことをやったことがあるでしょうか?そのうち、暇になったらやってみようと思っている。今以上にヒマな時は恐らくないだろうけれど・・・・・。(これって、昨日書いた「思い」のレベルの1だな~・・・)
2005.05.12
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今日は2回に分けて1)「思い」の強さと成果の関係2)「思い」を見出すの二つを読んだ本の中から紹介しようと思います。と言っても、自分に当てはめて考えたら、ということですが・・・---------------------------まずその一、です。(1)「思い」の強さと成果の関係昨日まで「思い」「情熱」の大切さを書いてきたが、では、思いの強さはどうやって判断し、それぞれの思いの強さによってどのような成果が期待できるか、という強さと成果の関係を紹介してみたい。思いのレベルは次の7段階に便宜上分けて考える。1.やりたいとは思うが自分でやるのは面倒とか、自分ではできそうもないし、出来なくても仕方がない、というレベル。いつかできそうな気になったらやってみたいとか、どうせうまく行きそうも無いからやらない、といったレベルでもある。2.面倒なことは多少我慢しても、楽にできるならやりたい、あるいは確実な方法がわかり、それほど努力しなくてもできるならやりたい、というレベル。他の人がやっているのに乗っかるとか、開いた時間でうまくできれば、というレベル。3.こうすればうまくいく、という方法があれば、多少努力してもやってみたい、でも周りが理解してくれてアドバイスやサポートをしてくれるなら自分も努力してみたい、というレベル。4.確実な方法はわからないまでも、今出来ることから取り組みたい。他の人が協力やサポートをしてくれなくとも努力は惜しまない、というレベル。5.たとえなにか捨てるものがあってもやってみたいし、多少のプレッシャーがああっても負けずにやりとげたい、あるいは給料が減ったり、休日が減ったりしてもそれ以上の価値はある、と感じてやるレベル。6.いざとなれば今もっている財産やもしかすると家族を失うことになってもやってみたい。とてもできそうにない、と感じることがあってもやり遂げたいし、目標達成のためにはどんなプレッシャーにも負けない、というレベル。7.命をかけてもやり遂げたい。不可能であるかどうかは関係ない。やるためにどうするか、それだけ。どんな障害や問題に出会おうともやり遂げたい気持ちに変化はおきないし、やり遂げられるならば自分はどうなっても構わない、というレベル。-------------------------------さて、皆さんの「思い」のレベルはどれだったでしょうか。私は正直言って、せいぜい5のレベル、といったところでしょうか。6のレベルになるような情熱の対象を見つけていない、ということもあるし、7のレベルはとてもとても、という感じである。では、この「強さ」のレベルに応じて、一般的にはどんな成果が期待できるか、ということも書いてある。レベル1から7に応じてそれぞれ、1.なにもかわらないし、欲求不満が増えるだけ2.「趣味」を増やすことは出来るかもしれないが、仕事に関することは出来ない。3.資格をとったり、なにか一つのことをマスターできるかもしれない。経営資源が揃っていればある程度の目標は達成できるし、非常に基本的な仕事だったらできる。4.一つの仕事を仕上げることができるし、売り上げを上げることもできる。必要なものを自分の力で揃えられるし、自分ひとりでできる範囲のことは実現可能。でも、共感者は現れない。5.一つのプロジェクトを成功させることができる。売り上げを伸ばすこともできるし、共感者も現れる。必要なものはその一部を周りの人が提供してくれるようになり、自分ひとりでできないことも一部可能になる。6.組織を変え、会社や業界に影響を及ぼすことも可能。売り上げを大きく伸ばすことができ、多くの共感者を呼ぶ。必要なものがどんどん揃い、やりたい、と思ったことが殆ど達成可能。7.会社や業界にとどまらず、国や社会を変え、場合によっては歴史を変える。あらゆることが可能になり、その人にとって不可能はなくなる。出会う人は殆ど共感者となり、必要なものはすべて揃う。場合によっては歴史に名を残す。どうでしょう。思い当たるところがありませんか。まあ、この定義や成果の内容にはいろいろ異論もあるかもしれませんが、この種のことはどれが正しい、いや間違っている、と言っても仕方がない。こういった見方もあるね、という程度に留めておき、しからばこの見方に従ったら、今の自分の状況や「思い」のレベルと期待される「成果」とはどんなものだろう、と思ってみればいいと思う。先に私の「思い」のレベルがせいぜい5だと書いたが、そうなると、「成果」として期待できるのは「多少の共感者が得られ、一つのプロジェクトが実現できる」ということになる。自分で言うのもなんだが、殆どの起業というのはこのレベルではないかと思うがどうだろうか。ところで、この定義は1.を除いて「思い」がある程度ある人のことについて書いてあるが、では自分が情熱を燃やす対象をまだ持たない人、なにが本当にやりたいのか自分でも明確にわからない人も中にはいるだろう。では、そういった人の場合に、この「思い」の強さと成果の関係を考える以前に、どうやったらそういった「対象」を見つけることができるのだろうか。もちろん、すでに好きで好きで仕方がない、ということを持っている人は必要ないかもしれないし、好き嫌いは通り越して、自分としてはどうしてもこれをやってみたい、と思う対象を持っている人には当然必要がないことではあるが、その一つの考え方を次の日記で、書くことにしたい。
2005.05.11
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本日の夜11時半を以って、ブログランキングへの登録を終了します。ランキング参戦したのが先月の13日火曜日、丁度一ヶ月になった区切りです。この間、多くの方に応援を頂き、2週目の最後には2日間に渡ってランキング1位を経験させていただきました。そして一ヶ月経って、今現在もランキング5位にいます。(この日記を書いている間に抜かれていなければ、の話ですが)一ヶ月トータルの得点では4位になり、1位になったあとのコメントで、落ち着くのは4位から8位ぐらいかな、と書いたとおりになっています。これまで投票していただいた多くの方々に、ここであらためて御礼申し上げます。 ありがとうございました!なんで止めるの?という質問が来そうな気がするので、若干理由らしきものを書いておきます。1)まず、参戦の目的を達成できたこと。今回の目的は、ブログランキングってなに?から始まり、どんなものか自分で経験してみよう、というものでした。そして、この一ヶ月で、開始→ベスト25→ベスト10→ベスト5→3位→1位となる過程で、十分いろいろなことを経験できました。特に、応援してくださった方との連帯感みたいなものを非常に強く感じることができたのは、望外の幸せでした。一位になろうとしていた時、そして念願の一位になった時は、投票してくださった方もある意味、共に楽しんでいただけたのではないかと考えています。2)テーマの乖離今回、今までの日記に書いてきたように、このブログランキングの経験をより面白くする目的で参戦するカテゴリーを「住まい・不動産」としました。しかし、読んでいただいている方はお分かりだと思いますが、このブログのテーマは、不動産投資を一部に含みながらも、それは一つの要素には違いないのですが、メインではありません。ひるがえって、このカテゴリーに参加されている方々のブログは、日々の日記のテーマこそ「住まい・不動産」に限定はされていませんが、少なくとも工務店を営んでいたり、建築にかかわっていたり、個人の方でも自宅の改装を中心に書かれていたり、で、その中心を「住まい・不動産」に置かれています。その中で、このブログはある意味、場違いな感触を持っていました。また、それがためにブログの内容を、より不動産投資の方に向けることも、私の意図ではないにもかかわらず、どうしても、もう少しは不動産のことも書かなければ、という「邪念」(?)が入るのを避けられませんでした。そういったある意味「不本意」な動機でのブログ内容の選択を、これ以上継続するのは意に沿わなくなってきました。3)投票してくださる方への懸念一位に向かってイケイケムードだった時も含めて、投票していただいた方の「クリック」するときの気持ち、あるいは逆に「クリック」しなかった人の気持ちを考えると、これ以上継続しない方がいいのではないか、と正直思っています。これはちょっと考えすぎかもしれませんが、例えば単に面倒くさいから押してあげる気持ちがあるにもかかわらず押さずに帰った時に、このブログを応援してくれている気持ちが強い人ほど、若干の引っ掛かりを心の中に残すことになる可能性もなきにしもあらず、と思いました。つまり応援してくれる人ほど、ネガティブな影響を受ける、ということは本当を言えば本末転倒です。押してくれればこのネガティブな影響はないのですが、人間そこまで考えて行動する場合とそうでない場合があるわけで、1位に一度なって以降は、「そうでない」場合が増えている気がします。であれば、このランキングの継続は、自己満足以外の何物でもなく、それによって得られるものはない、ということになります。4)期待の内容もともと、ブログの中で自分のビジネスに関連した宣伝をしているわけでもなく、アフィリエイトをしているわけでもなく、このブログランキングをアクセスアップの一つの手段として考えてはいたわけではない、ということもあります。もちろん、ランキングのページから「こいつは何を書いているんだ」と言う形で来ていただいた方もたくさんいらっしゃるのですが、その場合、(2)に書いたように「不動産」に関連した内容になっていない日記が大部分ですから、「なんだ」という結果になりそうです。したがって、このランキング登録をアクセスアップの手段として考えることはなかったし、今もありませんので、期待していたもの(経験)が得られた時点で終わるのがいいのかな、と思うわけです。つまり、これらを総合して考えた時、今が潮時、だと思ったわけです。一度1位になったときに、もう止めようかとも思ったのですが、お祭り気分が終わったあとの落ち着き先をみるのも一つの経験かな、と思って継続しました。そしてその後、約2週間の経験は、それはそれで上昇局面とはまた違った「経験」でした。企業経営もそうですが、本当はその「維持・継続」というものが一番難しく、そこにはそれなりのまた違った「経験」もあるはずなのですが、その期待される「経験」と、上記の特に(2)と(3)の内容を天秤にかけたときに、やはり終了しよう、ということに決めました。ということで、楽しい経験をさせていただいたことに、再度感謝申し上げます。ありがとうございました。
2005.05.10
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先日の日記で、私はどうも欲張りなようだ、と書いた。ここ数日、欲張りなだけではなく、どうもかなりの浮気性だという気もしてきた。別な言葉で言うと、「集中力に欠ける」とも言うかもしれない。(笑)「アメリカで起業する」ということで勉強を始めて、そのメモ書きを日記にアップしようとしたのもつかの間、それが2回しか書いてないうちに、今度は「起業にとって必要なもの」という形で、「思い」の大切さについて考えてきた。思いの大切さはわかるが、一方では思いだけではやっていけまい、と、今度レストランの経営数字を見せてもらうことになったので、見せてもらうからには少しは数字が読めなくては意味がない、ということで「英文会計の基礎知識」なる本を読み始める。そうこうしているうちに、いろいろな人のブログを見ていると、起業はやはりテクニックではないと、先に書いた「思い」の重要性をますます感じてきて、昔読んだ本を引っ張り出して、今度はじっくり読み出す。まあ、脈絡がないというのか、節操がないというのか、はたまた初めに書いたように集中力がない、というのか。------------------------------この昔読んだ本、というのは題名が「起業家に必要なたった一つの行動原則」と言い、著者は(株)アントレプレナーセンター 代表取締役社長の福島正伸氏である。前に読んだ時もいい本だと思ったが、今回再度読み返して見て、ここ数日書いている起業における「思い」の重要性について書かれた本だけに、じっくり読むと心に一層響いて来る。何人もの若手起業家の生い立ちから現在に到るまでの軌跡を、その個人の「思い」の発生から醸成・・・最後の実現までのプロセスを追って書かれたものだが、初めはどこにでも居そうな人やどこにでもありそうな境遇・環境から、どのような過程を経て現在に到っているかが簡潔にまとめられている。98年発行のやや古い本であるが、ここで紹介された20台から30台の若手起業家たちは、その後7年を経てどうなったのであろうか、と思い、3,4件、ネットで検索してみると、皆それぞれ、本に書かれていた当時の規模を何倍にも拡大し、いまだ起業家街道を驀進しているようである。なかには現在資本金が100億ちかく、販売も年数百億円にも達し、本人は40歳そこそこで会社を別の人にゆずり社長を退いている人もいる。リタイアしたのではなく、自分が進む道を起業以外にあらたに見出したためである。個々の起業ストーリーはなかなか感動を与えずにはおかない要素がたくさんあり、それぞれをここで紹介したくなるのはやまやまであるが、なにせこんな日記の数行でその良さを伝えきれるはずも無い。もし興味がある方は直接読んでみることをお勧めする。ダイヤモンド社刊である。-----------------------------------そのいくつもの起業ストーリーを読んで、いくつかの共通点があることに気付く。もちろん、著者の福島氏がこの本のテーマとした「思い」の強さももちろんある。しかし、その思いの根底に、通常私などにとっては理屈はわかってもなかなか成りきれない「私利私欲」の無さがある。「私利私欲」または「私心」といっても良いかもしれないが、事業に打ち込む、あるいは人をまとめる中で、彼らの「思い」が「私心」がないものであるだけに、強烈に他の人の心を打つ様がよくわかる。部下の不始末の責任をとって6億円以上の負債を一身に背負って倒産した若者に、20名もの部下が、東京からわざわざ名古屋にまで付いて来て、また0から事業を起こし、数年で負債を完済しただけでなく、年商数十億の会社にまた育て上げる、いまだ40歳にもなっていない(その当時まだ弱冠30歳そこそこ)、そんな話のオンパレードである。この「私心」のなさ、「感謝」「利他」あるいは「愛」の大切さを訴える社長、なかには「宇宙意識」との協調を重視する人や、人類の未来への義務感を公然と口にする20台前半の女性企業家など、ある「思想」がその根底にあるからこそできるような気がする。その壮絶な経験(本人は充実していたと言いながら、実際に死を何度も覚悟した人も中にはいるから、それを「壮絶」と形容しても嘘はないだろう)を通して、どのように実際、これらの思想が生まれてきたのかはこれだけの記述では表しきれて居ない。しかし、「強い思い」の根底には、こういった思想があるからこそ、常に真剣勝負が出来ているし、その真剣さによってあらゆる「困難」が「困難」でなくなってゆく様相がよく書かれている。昨今、「金持ち父さん」を始めとした各種の「金持ち本」や、投資による不労所得の獲得を通じて経済的自由を達成するための「成功本」などがはやり、自分もそれに乗っかって、いまこの「Happy Rich」という名のブログを書いている。しかし、このような「金持ち本」を読んで刺激を受けることはあっても、あまり感動するようなことはない。ひきかえ、このようなある意味「古典的な」起業ストーリーと言うものは、刺激を受けるだけでなく、感動をも与えてくれる。自分だったらどちらを選択するだろうか・・・・・・いや、選択したいだろうか・・・・-----------------------------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.10
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つい数日前まで、4月初めの陽気が嘘のような肌寒い日が続いていたが、昨日から急に暑くなってきた。そして昨日の土曜日は、子供達が待ちに待ったプール開きであったのだが、その前日まで肌寒かったため、水が冷たく、子供達もちょっと顔を出してすぐ戻ってきてしまった。そして今日、二日続きの好天で、気温も上がり、日差しが強すぎるぐらいになったので、水も温まった午後遅くに、待望の初泳ぎに行って来た。↓ こんなクラブハウスがあるプールです。そして、なんとこんなウォータースライダーもあるのです!!娘は友達4人を誘って、早速プールに飛び込む。水深は、深いところで2.6mほどあるが、皆団地の水泳チームの一員なので、ほとんど頓着無く、というより、深いところばかりで遊んでいる。↓ところが、プールには、もう一人時々遊ぶ同級生が母親と来ていた。それを見るなり娘達は見つからないようにそっと隠れたり、顔を見られないようにしている。なにをしているのか、と聞くと、"She is annoying."(彼女はむっとする)と言い、みんなに嫌われているんだ、とも言う。子供の世界もいろいろあるもんだ。息子の方はと言えば、こちらも友達2人を誘って、あとから駆けつける。こちらは、というと、なかなかプールに飛び込むわけでもなく、プール脇で話し込んでいる。なにを話しているのかわからないが、どうも先ほど買ってきた水着を見せびらかしているらしい。そんなことより、泳ぎを自慢するぐらいになって欲しいのだが、一向に入る気配もみえない。この日記では、上の息子はもしかすると初登場かもしれないが、もう少し、格好いい瞬間を撮ろうと思ったのだが、全然そんなチャンスはなし。それでも結局は、プールに飛び込み、小一時間泳いでいた。明日からは、2人とも夕方は水泳チームの練習が始まる。私も、夕方は子供に占領されるので、午後の強い日差しを避けて、夜にでも泳ぎに来ようかな、と、大して泳げないのだが、体力づくりも兼ねて始めようと思っている。さあ、これからは水の季節だ。-----------------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.09
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今日(アメリカの8日)は母の日。日ごろの緊縮財政の欲求不満を多少でも緩和しようと、今日はかみさんとモールへ繰り出す。日ごろはウィンドウショッピングに徹しているようなので、今日は何か買うのかな、と思ってついていったが、結局買ったのは息子のポロシャツと水着だけ。モールへ行く、と知った息子が連れてけ、というので、連れて行ったのが敗着だった。上さんは30分も某ブランドショップでバッグを見ていたのだが、結局、「高いわ」と言うことで何も買わずじまい。ところが息子は、やれAmerican Eagle やら Abercrombie(スペルが違うかな?)やら、よくわからないところへ入ったぱなしで、あれも欲しい、これも欲しい、状態らしい。日本の若者の間で何がはやっているか知らないが、なんでこんなものがはやるの?という服ばかり。擦り切れて穴が開いたようになっているジーンズ、くしゃくしゃでペンキの跡があちこちについているようなパンツ、他のブランドと胸のマーク以外なにも違わないとしか見えないポロシャツ、ひざ下2インチぐらい長くないとかっこ悪いと言われるという水着、などなど。こちらの中高校生や大学生に人気があるブランドだそうだが、こちらは5分も見たらおもしろくなく、外のベンチで座って待つ。結局2時間もいたが、上さんも自分のものを探すより、息子に付き合ってあれやこれや、これが結構楽しそうに見て回っている。私だけがすることもなく、ベンチで行きかう人を見ていたり、スタバでコーヒーを飲んでいたりでヒマをつぶしていた。考えると、私はこういうところにきても欲しいものがない。それは、ある意味さびしいものがあるが、実際ないものはないので、あれやこれやと考えて暇をつぶしているだけ。上さんの方も、どうも自分が欲しいものを買うよりは、娘や息子に洋服を買ってあげるのが楽しいようで、これはこれでよかったのかな、と言う気がする。とにかく、いつもは付き合わない買い物に久しぶりにつきあった、ただ、それだけの母の日だった。もちろん、これだけで済むはずもなく、夕食はどこかの日本食レストランで、すしの「おまかせ」でも頼んでみようかと思っているが・・・---------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.09
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昨日ある人からのコメントによって、もう一度自分の考え方を振り返る必要を感じた。その一つが「思考を支える影の思考」というものである。人は何かを欲する時、その「欲する」という考えの影には「足りない」という影の思考が存在する。「金持ちになりたい」という考えの裏には「今はお金が足りない」という影の思考が存在する。この世の中は、自分が考えたとおりの世界になるらしい。そのことを以って「望めよ、さらば与えられん」という言葉を誤解して、「欲しい、欲しい」と強く思えば自然の法則として「与え」られる、と解釈する向きもある。同じような言い方として「念ずれば通ず」という言い方もある。しかし、実際はそうではないらしい。いや実際には「考えたとおりの世界」になるらしいのだが、その「考え」が表面上の考えではなくて、真の考え(という言い方があるかどうか知らないが)、つまり上に挙げた例で言えば「影の思考」とでも言える「お金が足りない」ということが実現されてしまうようだ。逆に言えば自分がお金持ちである、と心底思っているとお金持ちになってしまうらしい。ここで「らしい」と言っているのは、自分自身として断定するだけの確信がもてていないことを意味している。その延長として、例えば「お金持ち」とと言う言葉に対してネガティブな印象を心のどこかで持っていると、私のように「幸せなお金持ちになる」ということが実現できないことになる。「幸せでいる」という状態と「お金持ちである」という状態が両立しないからである。同じような言い方をすれば「幸せになりたい」と考え、言葉にすることは「今は幸せではない」と言うことを考え、それを前提にしていることであり、その前提でいる限り、そのこと自体が実現してしまう、ということになる。いやはや、世の中の仕組みというものは単純なものだ。しかしその単純さゆえに、私のようにごく素直で単純な人間には却って難しいということか・・・・。---------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.08
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昨日、一昨日、起業に必要なものということで「思い」というものの大切さを考えてみた。この「思い」が実現する過程として、思いの醸成→発揮→伝播→吸引→実現、と言ったプロセスからなるようだ、とも書いた。しかし、そもそも「思いの醸成」と言うからには、その元となる「思い」が無ければならない。昨日は苦し紛れに、最後のところで書き様がなくなって、自分の「思い」を見出し、「なぜ自分はそれをしたいのか」「自分は何をどうしたいのか」を見つめなおすことから始めよう、と書いた。しかし、実際のところ、この部分、つまり「思い」をまず持つ、ということが努力の結果なのか、偶然の産物なのか、はたまた環境の故なのか、その辺は定かでない。ましてや「見出」すものなのかもはっきりしない。この「思い」というものを「夢」と置き換えて考えてみるといいかもしれない。例えば私が今、「これをなんとか実現したい!」とか「こういうことを是非やってみたい」という希望があるとしても、それを「夢」と呼ぶほどの強さで持っているかと自問してみると正直言って、「否」である。皆さんは、そんな「夢」をお持ちでしょうか。私に関して言えば、もちろん、プロフィールに夢・目標を書く欄があったので、その時は一応「すべてのことをあるがまま受け入れることができる自分になること」とは書いた。その気持ちに嘘はない。今でもそう思っている。しかし、どれほど強くそれを「夢」や「目標」として持っているか、と問われれば、「できればそうなりたい」「そこそこ、それに向けて自己研鑽を積んでいくことはやぶさかではないが、楽しんでやって行きたい」といったところが正直なところかも知れない。自分がそうだから言うわけではないが、人はよく、この「夢」とか「目標」といったものを口にしたり、書いたりするわけだが、その実、「どれほど強く」これを思っているのかは千差万別ではないか、と思う。中には「そうできたら、あるいは成れたらいいな、とは思うがそのために何か行動を起こすとか、努力する、なんてのは真っ平」という人から「何がなんでも、それを実現するゾ!」という人まで様々であろう。で、なにが言いたいかというと、初めに書いた思いの実現プロセスで最初の「思いの醸成」の前に、その「夢」を持つ、ということそのものと、どれだけ強くそれを持つのか、ということが、その後のプロセスに大きな影響を持つのだろう、と思うわけである。で、それが例えば、偶然の産物だったら、それこそ偶然に「夢」というものが降って湧いたように自分の中に芽生えるのを待つしかないし、それが環境の産物だったら、あえて自分をそんな環境の下に置かなければ「夢」を持つこともできない、あるいは「夢」をもったとしても、ただなんとなく、こうあったらいいな、ぐらいの単なる「希望」程度になってしまいかねない。思いの強さや情熱の大きさが「起業」の成功の大きな要素であるとしたら、その根本に却って、自分を見つめなおして見る必要があるようだ。少なくとも、それが「偶然」や「環境」の産物ではなく、人が真剣に生きることを考えていれば自ずと道が拓かれると信じるならば・・・・-------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.08
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昨日の日記「起業に必要なもの」の中で、「思い」の重要性を書いた。では、いったいこの「思い」というものはどんなものだろうか。普通立志伝中の人物とか成功者のサクセスストーリーを読んだり聞いたりすると、こういった人と言うのは、環境のせいか、偶然かは別にして、最初はやはりなにか苦労しているけれども、ある時はたと自分の使命というか情熱を燃やす対象を見つけ、それにのめりこんでいく中で、いわゆる成功法則によく出てくるようなことを自然に身に付け、やっているように見える。世の中、これだけ「金持ち本」とか「成功法則本」にあふれ、それを読んだ人は、さも自分だけがこれを読んで、「金持ちになる方法」とか「成功する秘訣」などがわかったような気になって、自分が実践してもいないのに人にとくとくと話す人が多い。極端な場合、自分はこれを読んで、こういうことを知っているが、これを読んでいない人は人生を生きるうえで非常に重要であるこのようなことを知らないまま生きている、かわいそうな人であって、自分はこれを伝える義務がある、とでも思っているような気配もある。でも考えてみると、世の中の金持ちや成功者で、そのような「金持ち本」や「成功法則」の本を何冊も読んだから成功したのだ、というような人が居るのだろうか。たぶん、居るにしてもごくわずかではないかと思う。ただ、そのような本を読んで勉強した、あるいはメンターとも言える人にめぐり合い、じきじきにそのような教えを受けた、とか人によりさまざまな経路、媒体を通じて今本に書かれているようなことを身につけていった人は多いと思う。しかし、それを読んで知識をものにしたから成功したわけではなく、それは一つのきっかけではなかったろうか。その上に自分の考えを重ね、さらに実践を通じ本当に自分の物としていったに違いない。その知識や教えを考え、応用し、自然に身に付けていく過程というものは、先に書いた「思い」をもって全てのことに失敗を恐れずにぶつかっていった過程と重なり合うのではないか、と思う。少なくとも、本で読んだ、知った、成功した、なんて単純なものであろうはずはなし、もしそんな単純なら世の中「金持ち」と「成功者」で溢れていなければおかしい。知識はとかくテクニックに走りがちだが、「金持ち本」にしても「成功本」にしても、よく読めば心の持ちようが一番大切であると書いてあるはずである。そしてこの「心の持ちよう」というものと先ほどから書いている「思い」というものは互いに影響しあうのではないか。思いは心の持ちようを変えさせ、心の持ちようは思いを強化する。そんな風にうまく車輪がまわっていった結果が、金持ちであったり成功だったりするのではないか。「思い」というものは醸成→発揮→伝播→吸引→実現というステップを経て実現にいたる(らしい)。これは読んで字のごとく、自分の思いを強く持ち、実際の言葉、行動の中で発揮していると、周囲の人にも伝播し、その思いが思いを、情熱が情熱を呼び寄せ(吸引)し、それらが一体となって実現(成功)に結びついてゆく、ということである。であるならば、自分の思いというものをまず見出し、あるいは固め、それを醸成する、すなわち「なぜ自分がそれをやりたいのか」、「何をどうしたいのか」、と言ったことを具体的に考えていくことが出発点になるのだろうか。-------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押して
2005.05.07
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「アメリカで起業する」の2回目。はじめに会社のタイプ別概要をさらっと目を通して(というより、ちゃんと読むと時間がかかるので)、すぐに目下の懸案事項である資金調達の方を読み始める。------------------------------"Obtaining the Financing You Need"-必要な資金を調達する<この章の内容>この章はファイナンシング(資金調達)の世界を探り、次のようなことを実現する方法を示す。1)資金集めの基本的な種類と特徴を知り、自分に最適なものを見出すこと2)地域金融機関・銀行との取引・契約3)理解しにくい(あるいは捉えにくい)ベンチャーキャピタルへのアプローチ4)現在の小規模事業(Small Business)に利用可能ないろいろな連邦、州、プライベートの融資プログラムについてのより詳細な理解---------------------------資金調達の基本は、Debt Finance と Equity Finance があり云々という初めの資金集めの基本は日本も同様なのでさておいて、特に(4)の内容に興味を持った。初めは、例えば日本の中小企業金融公庫みたいな公的融資があるのかと思ったが、そういったものはなさそう。日本であれば、起業するのにきわめて有利な種々の公的融資があり、その中には市町村単位で実施されている融資制度を利用すると10年とか15年とかを固定金利で0.3%なんていう低利で融資を受けられるものまである。(つまり1.8%の金利のうち、1.5%は市町村が負担する、と言った優遇措置・支援プログラムである。)さすがにそんな有利なものはなさそうで、その代わり連邦政府のSBA(Small Buisiness Administration)によって行われているプログラムがあった。このSBAの第一の融資プログラムは通常の融資機関を通しては融資を受けられない小規模事業に対しての信用保証を行う7(a)ローン保証プログラムと呼ばれるものである。通常、最大75万ドルまで、そしてSBAはその融資金額の最大75%までの保証をするそうだ。気になる金利は7年以上のローンではウォールストリートジャーナル(WSJ)の公開するプライムレンディングレートにプラス2.25%以上は上回らない、7年以下ではプラス2.25%を上回らない金利になるようだ。で、早速今朝のWSJを持って来て、いろいろ見たのだが、どれがその数字かよくわからない。Money&Investingのセクションだけで14ページもあり、殆どが株式市場を中心とした数字で埋まっている。これかな、と思う数字はプライムレートの全国平均と書いてある6%。もしこれが、本でいうところのPrime Lending Rateだとすると、7年以下の場合でも、これにプラス2.25%以内、つまりMax8.25%ということになる。(もし、WSJのこの数字だよ、と知っている人が居たら教えてください。)これだと現在借りている投資用不動産向けの20年固定金利ローンの6.74%よりだいぶ高い。それでもMax(最大)と書いてあるので、それ以下なのだろうから、これはちょっと調べてみる価値があるな、と考えている。---------------------------------------この日記はかなりSpecificになってしまいました。とりあえず、資金繰りでなにか検討しているな、というところです。---------------------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.07
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今日の初めの日記はアメリカでの起業に対して必要な周辺知識を勉強して行こう、というものであった。しかし、日本、アメリカ、その地域を問わず、「起業」に本当に必要なものはそう変わらないと思っている。また、その「本当に必要なもの」を考えた時、いろいろな回答があるように思う。ある人は「ビジネスモデル」と言うかもしれないし、職種によっては「立地」だ、あるいは「ビジネスは人なり」の考え方から「人」というものが一番重要だ、という人も居るかもしれない。たとえばネットを利用して、物理的になんの店舗や会社を持たずに情報販売するような場合はやはり「仕組み」、これは「ビジネスモデル」に近いものがある。しかし、こういったいろいろな業態に関係せず、どんな起業に対しても言えることは何か、と考えた場合、なにを挙げるだろうか。--------------------------昔居た会社の先輩で、営業、マーケティングをずっと海外で担当していた人がいたが、その人から受けた質問。「事業をやる時に、ビジネスモデルや商品についてのすばらしいアイデアを持った人がいるがお金がない、という場合と、そういったものは無いがお金はある、といった場合と、どちらが成功する確率が高いか?」その人によれば、現実的には後者の方が成功する「確率」は高い、ということであった。統計をとったわけではないので、自分としてはこの話をそんなこともあろうか、といった軽い気持ちで聴いた居たものだった。--------------------------では、今ここで、起業にとって一番必要なもの、といった時に、では「お金」か、というとそうは思わない。では何か、と言うと、それは「思い」である、と考えている。その起業にかける自分の思い、「情熱」とか「意欲」と言うことも出来るかもしれないが、なにが起こっても前を見続けることができる強い意志を生み出す源泉となるもの。人間の能力あるいは成果というものは、(知識+経験)x 意欲 で測られると思っているので、いくらいいアイデア、すごい知識、幾多の経験があったとしても掛け算の一方である「意欲」が0であるなら能力・成果は0に等しい。大企業は中小企業に比べ比較的優秀な人材を集めていても、では必ず大企業の成績が常に中小企業を上回るかと言うと、そんなことはない。意欲をもった社員で構成された中小企業は、意欲のない「優秀」な社員で構成された大企業をおうおうにして打ち負かす。お金が一番であったら、中小企業はいつまでも中小企業であり、永遠に大企業に勝てないことになってしまうが、実際はそんなことはない。でも、「確率」から言ったらどうだろうか。やはり「大企業」の勝つ確率の方が高い気がする。底力が違う。しかし、こと「起業」に関して言えば、やはりこの「意欲」「思い」で大企業を凌駕するしかない。思いはアイデアの源泉ともなり、お金も人もこれに付随すると思う。---------------------------------今の私の状況において、この起業に対する最大の課題というかポイントはこの「思い」にあると思っている。たまたま転がり込んだ「レストラン買収」の話。これまでやってきて、今もやっている「不動産投資&賃貸」の「事業」。どちらにしても、退職後の生活維持に、必要に迫られてやっているだけではないか。昔、「デモ・シカ教師」と言う言い方があった。「教師にデモなろうか」「教師にシカなれない」と言った意味であったと思う。そんな気持ちで教師と言う職業を選んだら、使命感に燃えて教師になった人たちに失礼であろうし、そんな気持ちで教師になっても人を教えることなどできない。生徒を教える際のもっとも重要なことをその人自身が持っていないのであるから。私の場合、この「デモ・シカ教師」とどこが違うのか。「レストラン」デモやるか? 「不動産投資」あるいは「賃貸」シカない?そんな状況では絶対にうまく行くはずがない。-----------------------------起業についての勉強はする。しかし、同時に、いかに自分がやろうとしていることに対しての「思い」を醸成できるか、あるいはそれをとことんやっていく「覚悟」ができるか。それが、今の私にとっては一番「必要なこと」だと感じている。-----------------------------------------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.06
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「アメリカで起業する」その(1)です。初めに断っておきますが、まだ検討中ですので、こうすれば起業できる、という確実な情報をお求めの方は期待に添えませんので、ご了承願います。これは単に私が今、アメリカで起業をしようとするに当って、勉強したことをメモしてゆくことを目的にしています。したがって時系列的に書いていきますので、内容が体系だった(システマティックな)ものには多分ならないだろうと思います。もう一つ言えば、アメリカと言うのは州ごとにビジネス環境に大きな差があります。それは日本においても見られるような市場や物流が県や地域によって異なるという以上に、ここアメリカでは各種の法律、税制、規制、それに起業支援政策などが州ごとに大幅に異なることによります。かつて一度「アメリカで5万円で起業する法」とかいう題名の本を読んだことがありますが、この本の場合、ハワイで起業することを中心に書かれ、ビジネス内容も日系人相手のものが多く、アメリカでの起業、と一般化できるものは殆ど書かれていませんでした。今回のこの日記にこれからメモとして書いていこうと思っている内容も、その意味で言えば一般的なことではなく、このジョージア州に限って言えることも多く含んでいくことになりますので、その辺りもご了承ください。できれば、ある一定の区切りごとにフリーページの方に、私自身の備忘録も兼ねて、転載して行こうと考えています。-----------------------------今年の年初に書いた「今年の目標」の中に、アメリカでの会社設立を検討すると書きました。その時のイメージは、「不動産投資&管理」に関する会社で、現在所有する賃貸用不動産の規模拡大に合わせて、その法的リスクヘッジを兼ねて、というか、それを主目的とする「法人化」を考えていました。現在、まだ決定してはいませんが、「日本食レストラン」の買収の検討、というきっかけで、再度この「法人化」の検討が欠かせないものになってきました。そこで、今まで税金面から上記「不動産管理会社」の法人化を見送ってきたところから一歩踏み出し、法人化を必須、とした場合の検討をすることにしました。正直言って、アメリカで法人を設立するのは簡単だと思います。定められた手続きに従って行うことは日本と同様ですが、こちらには先の「アメリカで5万円で起業する」の本ではありませんが、法人設立にあたっての必要資金の壁が日本よりかなり低い、という理由によるものです。手続きそのものは一定の書類を見ればわかると思いますし、それも嫌であれば専門の弁護士に設立手続きを依頼することもでき、当然日本で言う「屋号」つまり「会社名」やその定款に相当する部分は自分で考えなければなりませんが、そのほかの面倒な手続き等はほとんどやってもらえます。それもそれほどの費用がかかりません。(一度聴いたところでは7~800ドルぐらい、とのこと)でも「会社を作る」というのは、単に登記をする、と言うこと以外にいろいろな面での検討が必要になってくるのは言うまでもありません。会社設立の目的の明確化、その目的にあった法人種別の検討決定、そして市場調査や資金繰り、法規制や雇用対策などなど、検討すべきことはたくさんあります。この機会に一度、こういった起業にまつわる全ての面をなめてみるのもあとあと自分の役に立つ、と思ったわけです。そこで、まず本屋に行き、その手の本をいろいろ見ました。そのカバー範囲は皆似たり寄ったりだったのですが、最後に一冊選びました。選んだ理由は、「ジョージア州において起業する」ための知識とやり方に特化していたからです。書名は「How to start a Business in Georgia」 Entreprenueur Press社 Smart Start Seriesです。これから、この日記をメモ代わりにして、この本の内容をかいつまんで掲載すると共に、その内容に沿って、実際に行ったことがあればその報告や感想も添えていきたいと思っています。といってもその勉強の進捗にもよりますので、毎日3つかける日記のうち一つをこれに充てることになるのか、それとも時々書くぐらいになるのか、そのところはまだわかりませんが、できるだけ実際の行動や出来事があったときにそれに関係するところ、という形で書いていければ、と思っています。----------------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.06
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皆様、今晩は。日本は連休の真っ只中と思いますが、いかがお過ごしでしょうか。今日は、ふと気が付くと日記リンクしていただいている方が40名にもなっておりましたので、この場を借りて御礼申し上げます。このブログを始めて4ヶ月半、こんな状況になるとは夢にも思いませんでした。最近のアクセスは、ブログランキングで一位に迫った先週の580アクセスを最高に、ほぼ300から400アクセス/日があり、つい先日まで平均アクセス数が130ぐらいだったのが、ほぼ一日に1づつ増え、今では185アクセス/日になっていました。そして、日記リンクしていただいている方も一週間にお一人づつぐらい増え、今では40サイト。私自身、勝手きままに書いていますので、ブログランキングが「住まい・不動産」ではありますが、ほとんどその内容は雑多ですし、あとから読むと恥ずかしくなるようなこともいろいろ書いていますので、そんな日記にリンクしていただいて恐縮するとともに、反面、非常にうれしく思っています。まだまだ、書くことにも慣れておらず、それ以上に自分の方向性がふらふらしている中で、これだけの方がリンクしていただいたことに、心から感謝申し上げます。と同時に、非常に小さい範囲ではありますが、ここで書くことはある意味で、世間に向けて公表することでもあり、多少の雑念や歪曲が入ってくることは否めません。しかし、これからもできるだけ自然体で、書いて行きたいと思っております。このブログを始めたこと、当初考えていたより、ずっと大きな影響を私自身の生活に与えつつあり、ある意味驚きの連続でもありました。その大きな部分はやはり、このブログを見てくださり、時にはコメントを入れていただいた皆様のお陰です。本当にありがとうございました。また、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。----------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.05
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一昨日、小学校でのFine Arts Night があったと思ったら、こんどは郡のユースオーケストラの春のコンサートが開かれた。郡には22の小学校がオーケストラを持ち、その中からオーディションを経て、郡のユースオーケストラに参加する。娘もまだバイオリンの腕は大したことが無い時にオーディションを受け、聴音が出来たためらしいが、なぜか受かってしまって、このユースオーケストラに一年間所属してきた。この春のコンサートは、娘の小学生によるユースオーケストラの最後の舞台である。近くの高校で行われたのだが、1500人は入ろうかと言う大きな劇場のような講堂でのコンサート。参加したのは、小学生のユースオーケストラに、中学生のユースオーケストラ選抜、そして高校生のバイオリン奏者選抜である。最初は小学生。↓これです。娘はいつも左端の片隅なので写真が撮りづらい。しかも背が小さいので、なかなか写らない。とった写真のベストのものがこれ。↓さすがに半年前の秋のコンサートとはだいぶ違って、先生方の指導が着実に実っていることがわかる。しかし、圧巻は、そのあとに登場した高校生選抜による合奏。舞台の下に、おそろいのジーンズの上下で並び、バイオリンを弾きながら踊り、歌い、そして一人一人が順々にマイクの前に来てパートを弾く。ほとんどショーである。↓一人の女の子が、バイオリンを弾きながら、手を頭上に上げて、手拍子を要求すると、会場全体が手拍子をとりながら、この演奏に全員が参加する。小学生のオーケストラメンバーのみならず、中学生のメンバーも食い入るように見つめている。その後の中学生の演奏もすばらしく、こちらはオーソドックスにクラシックを中心とした演奏であったが、やはり小学生のそれとはレベルが格段に違う。こういった音楽の教育に関しては、どんな基準かしらないが、ここジョージアは全米で3番目の水準にあるそうで、先生方、そしてこういった活動を支える環境がすばらしく、親達も非常に熱心である。たまたま娘が友達に誘われて参加したこのオーケストラであるが、今では参加させて本当によかったと感じている。こういった中学生、高校生のパフォーマンスを目を輝かせて見ている娘達が、やがて、このグループと同じような演奏を、今度は小学生に見せる日が来るのだろうか。中学、高校と進むにしたがってレベルが上がり、人数も絞られてくる。そんな中でこのメンバーに残るのは非常にきびしいものがあるようだが、楽しみながらやっているようなので、メンバーになれるなれない、はともかく、このような音楽を通した友達との交流を是非、続けさせたいものである。---------------------------------↓ブログランキングに参加しています。 ポチっ! ←ここを押してネ
2005.05.05
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今日、マスクMさんへのコメントに対するお返事から、自分が言っていることとやっていることが乖離しているのがわかりました。今まで、このTopページの初めに Be Happy! (幸せになろう!)と書いていましたが、今日より改め、 Being Happy! (幸せでいよう!)と致しました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
2005.05.04
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娘が通う小学校に行って来た。夕方6時からの "Fine Arts Night"を見に行くためである。このFine Arts Nightというのは、一年に一度、いろいろなArts、例えば楽器演奏、コーラス、工作、絵画、などなど、生徒達によるパフォーマンスや作品のお披露目である。うちの娘は、個人ではピアノも習っているが、学校ではオーケストラに所属し、バイオリンをやっている。今日のパフォーマンスはオーケストラではなく、チェロとバイオリンの4人組での合奏と独奏であった。学校の入り口脇にあるホールのようなところで、つぎつぎに演奏者が出てきて演奏する。ちょっと場所的には通路の片隅のようなところであるが、毎年ここでやることになっているらしい。舞台の方は、コーラスグループやフランス語による寸劇など、もっと大人数でやるパフォーマンスが催されているせいかも知れない。何人かの演奏が終わって、いよいよ娘の登場。まずは、4人での合奏から。↓こんな場所での演奏。次はこの4人組のなかで、中国人の女の子のチェロの演奏があり、その後に娘の独奏。↓これが独奏中の娘です。(こんなところに載せるとおこられるかな?)しかし、昨年も始めてこの催しにバイオリンで参加したが(娘はまだ始めて2年経っていない)、昨年の演奏とは雲泥の差である。親のひいき目を差し引いても、今日聴いた演奏の中では曲の難易度も演奏の完成度も(といってもみなそれなりのレベルであるが)うちの娘がダントツで一番だった。(と思う。)このブログが写真だけでなく、音楽も載せられたら皆さんに聞かせた上げたい!(←親ばか丸出し!)ピアノを5歳からやっているせいもあるだろうし、自分が楽しんでやっているのがやはりいいのだろう。週に一度の学校のオーケストラ、やはり週に一度のカウンティ(郡)のユースオーケストラ、そしてこれも週に一度のプライベートレッスンを一年続けてきた。最初は雑音以外の何物でもなかった音が、今はなんとか音楽らしくなってきて、生意気にもバッハなども弾いている。始めた当初は、いつまで続くことやら、と思っていたが、やはりピアノと違って友達と一緒になってやるのが楽しいらしい。子供というのは、本当に成長も上達も速いものだ。なんでも興味があるものはできる限り本人の希望通りにやらせているのだが、これも一つの実りになりつつある気がする。娘はなんにでも興味を持つので、いまやっているのは、ピアノ、バイオリン、テニス、そして今度は空手に通うそうだ。ちょっと懐具合が心配だが、えい、なんとかなるわい、と気軽に許可している。お金は借金しても、あとで返せばいいが、子供の成長期は「今」であり、待ったなしである。本人がやりたい、と思うものは何でもチャレンジさせてあげたい。その中から一つでも、一生つきあうものが出来てくるなら、かかる費用や他のなにものにも代えられない価値を持つものだと思っている。こういったことを子供に対してやっていると、今さらながら自分が親からあたえられたさまざまな教育や機会が思い出され、やはり自分の親も、当時としては精一杯のチャンスを私達兄弟に与えてくれたのだということ、そしてそれをどんな気持ちでしてくれていたのかということがが良くわかる。自分は、そんな親の期待に、でれだけ応えることができたのだろう。また、特に親が高齢になってきた今、私自身だけでなく孫も含めて、みんなアメリカに住んでいて、一年に一度しか会わせて上げられないことに、申し訳ない気持ちになる。こういうのを「子を持って、初めてわかる親心」というのだろう。私が娘にしていることに、娘からあとで感謝してもらおう、などとは思わないと同様に、私の親としても感謝してもらおうなどとは思っていないかも知れない。私が娘に望むこと、それは、思いっきり好きなように生きて、幸せになって欲しい、ということ。であれば、また私の親が私に望むことも、またそれに近いのだろうと思っている。つい敢えて、親孝行をしよう、などと思ってしまうこともあるが、私達家族が幸せに暮らしていること、それこそが親への最大の贈り物なのではないか、と思うようになってきた今日この頃である。-----------------------------------------↓そろそろ予想された順位に近づいてまいりました。でもやはり心の底では、もうちょっといけるのではないか、っと。娘の演奏に清き一票を!(もう一家総出です) 心機一転頑張ろう! ←ここを押してネ
2005.05.04
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夢の記憶が広がってきたそして目覚めもしかし今の私は観察者だ流れをさかのぼろうとしている前に私は「故郷」の遊びの輪に注入されたエネルギーの閃光だった退屈・・・好奇心・・・・離脱・・・・ひとり故郷を離れて、何かを探し、捜して・・・無限に続く、エネルギーでできた太陽の列・・・他の者たちと一緒に探し続けるなにを? なんとも表現できないそして黄色い太陽のまわりを回る青い惑星に放射に出会い・・・進入する入っていくそれになるため・・・・なんになるため?人間・・・・そうとも人間になるためにだ!こうしてみているだけでもとてもリアルだ!歪められたエネルギーでできた、肉体的存在になるということ物質になる?制限されたエネルギーになるということその制限の重苦しさしかしエネルギーを肉体の中に保ち、その機能を維持しようとする生来の欲求は・・素晴らしくもあり、矛盾に満ちた「設計」とも言える作用しあいながら異なる形態に転じていく必要が生じる維持することができなくて、何度も何度も試みを繰り返し・・・「生」の仮定を数知れず繰り返し・・・毛深い顔をした初めの小さな生き物から何千年もの過程、人生を経て・・・何度も何度も、意識と知性の向上と低下を繰り返しそれ全てをあわせたものを「贈り物」として「全体」に持ち帰るしかし、私はまだそれを持っていないやっと「部分」が撒き散らされた意味がわかった」「夢」からどんな贈り物を持ち帰ればいいのか、わかったそして「私」は・・・・そして「私」は、あの無数の人生をすべてひっくるめたものなのだ!すべてが「私」なのだ・・・今の私はその一部にしか過ぎない・・・・---------------------------------普通の人間の意識が、訓練によってここまで「認識」を拡大することができるのか!すごい!----------------------------------↓予定通り、先週の一位獲得の反動が来ていますが、引き続き応援をいただいております全ての皆様に感謝申し上げます。 心機一転頑張ろう! ←ここを押してネ
2005.05.03
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「完全」になるとはどういうことか?Note)<言葉の制約を受けていることを常に意識すること>------------------------------始まりはない、終わりもない ただ、変化あるのみ教師はいない、生徒もいない ただ記憶あるのみ善はない、悪もない ただ表現があるのみ結合はない、分割もない ただ一つのものがあるのみ喜びはない、悲しみもない ただ愛があるのみ優はない、劣もない ただ均衡あるのみ静止はない、エントロピーもない ただ運動あるのみ覚醒はない、眠りもない ただ存在があるのみ限界はない、偶然もない ただ計画あるのみ---------------------------------すごい!----------------------------------↓予定通り、先週の一位獲得の反動が来ていますが、引き続き応援をいただいております全ての皆様に感謝申し上げます。 心機一転頑張ろう! ←ここを押してネ
2005.05.03
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朝起きると、ヨガをやり、夜分失われた水分補給を兼ねて、アルカリ還元水を3,400cc飲む。その後呼吸法をやってから子供達を起こし、朝食を摂る。飼い犬のリリーにも朝食をあげる。これもだいたい私の役割。朝食後PCの電源を入れ、メールをチェックしたり、ブログをチェックしたりしながらまた水を飲む。そうこうしているうちに、犬のリリーが散歩に行きたがる。行きたがる割には、リーシュ(ひも)を嫌がるのだが、ないとどこかへ飛んで言ってしまうので、仕方が無く無理やりリーシュをつけて散歩に出かける。散歩のコースは決まっていないが、ほとんどは自分のサブデビジョン(団地)の中を日によってあちらへいったり、こちらへ行ったり。だいたいのコースは決まっていて、まず家を出てからサブデビジョンのクラブハウスに向かう。このクラブハウスの前には競泳用のプールとテニスコート、クラブハウスの中にはエクササイズルームがあり、日本のスポーツジムのような運動器具がおいてあり、いつでも使用することができる。(ただし、私はまだやったことはない)↓(クラブハウスとプールの前に居るリリー)このクラブハウスの前のテニスコート(6面、ナイター照明付き)では、朝からここに住むご婦人方がテニス教室だったり、テニスクラブの集合練習だったり、はたまた個人での練習だったりさまざまだが、ほぼ毎日誰かが練習をしている。↓(テニスコートと練習するご婦人方)そこを通り抜け、この団地の自宅とは反対側の区域へ足を伸ばすことが多い。その地域は団地内でも比較的新しく建てられた家が多く、家の規模も多少、大きい家が多くなる。そして結構、坂があり、ちょうどいい運動になるからである。この散歩の楽しみの一つはこういった家々を散歩しながら見て回ること。季節ごとの庭の手入れ、植木の種類、花々などを見ながら、またどんな家が売りにでているか、を見るのである。ちょうどこれからの5月、6月は学校シーズンの終わりであり、次の学期がはじまる8月前に引っ越す人が多く、年のうちで最もFor Saleが出る時期である。ちょっと前に「自宅候補」として何日か日記に書いた家、このブログのプロフィールの写真にある家もそんな家の一つである。こちらの地域だけで百軒近い家があるので、それらを散歩しながら見て回る。↓ (こんな家が並んでいる)これからこれらの家の何軒かは確実に売りに出るだろう。その家の広告を見たりしながら、昨日の向かいの家と同じく、そのあたりの今年の相場勘を養うこともまた、この散歩の楽しみなのである。--------------------------------------↓予定通り、先週の一位獲得の反動が来ていますが、引き続き応援をいただいております全ての皆様に感謝申し上げます。 心機一転頑張ろう! ←ここを押してネ
2005.05.03
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私の住んでいる家の向かいの家の家族はドイツ人家族である。ご主人はやはりドイツ系企業の駐在として5年ほどこちらに来ていたが、今度の6月末で帰任が決まった。お嬢さんは高校2年生なので、もう一年、高校を終了するまではアメリカにとどまると言うが、家族はこの6月末で帰国することに。お嬢さんの帰国延期はやはり、ドイツの大学への編入資格がからんでおり、こういったことは、日本人の場合とやはり同じである。で、帰国が決まったので、この現在の家は売りに出すことになった。約一ヶ月前の話である。↓ こんな家です。5ベッドルーム、2,5バスルーム、3カーガレージ。 リスティング(広告に載せること)してから3週間ほどで売却が決まった。人気のあるサブデビジョンではあるが、それでも結構速い方である。その理由の一つに価格(リストプライス)がある。この家だったら多分34,5万ドルで売り出しても多少待てば買い手が付くと思うのだが、彼らとしては帰国する前にどうしても売却を確定させたい、ということで、売り出し価格を$329900とした。それもあって、一ヶ月も経たずに契約になった。これをUnder Contractという。そして、それまで”For Sale”のプレートが看板の上に載っていたのだが、それが”Under Contract”のプレートに置き換わり、もうこの家は成約済みですよ、というサインとなる。↓こんなサインです。こういう近くの家が売れるたびに私もそうだが、アメリカ人は皆、いったいいくらで売れたのかを聞き出し、それから自分の家の実売価格を推定する。つまり、自分の家の実売価格がどのくらいかを推定することによって、資産価値の上昇度合いを確認するわけである。たとえば私の家とこの家を比べてみる。私の家は4ベットルーム、向かいは5ベットルーム。 また、私の家は2カーガレージに対して、向かいは3カーガレージ。これだけ見ると、やはり向かいの家の方が高く売れそうだが、こと家に関してはそのほかの条件がいろいろある。現に、もし私が買い手で、この$329900の向かいの家と、仮に今の私の家が同価格で売り出されていたとすると、私は今の自分の家の方を選ぶと思う。つまり、部屋のつくり、日当たり、各部屋の広さ、庭の広さや形などなど総合的に判断するものだからである。だからといって、即、私の家を売りに出したとしたら$329900以上で売れることを意味するわけではないが、私のような選択をする人も居ることは居るのであり、同じぐらいの価格にはなるだろうと思われる。2年弱前に買ったときが$295000だったから約2年で12%の上昇となる。ほぼアトランタの平均の上昇率か、やや下回っているわけで、この意味からももう少し強気の価格をつけても売れる可能性が高いと思われる。実際、自分のEquity(持分=元金返済分)はたった$3万しかないので、売却してもほとんどローンの返済と不動産屋へのコミッションでなくなってしまうが、少なくとも日本みたいに売却して損をすることはない。さらに高額な家へ買い換えるのであれば、このキャピタルゲインへの課税も繰越できる。ここが不動産投資の他の投資に無い利点であろう。まあ、今のところ売却するつもりはないが、自分の家の評価価値が上昇することは、自宅購入のための融資、という最も条件のいいローンで、借りることができる上限がそれだけ高くなる、ということを意味する。これはこれで、私のように自己資金0で投資をしている人間にとっては大変喜ばしいことではある。ただ、実際にローンの追加借り入れを起こすためには正式に銀行による物件の再評価を受けなければならないが・・・・・このローンをレストラン買収のための種銭にするために、今年もまた再評価しようかな、と考えているところである。-------------------------------------↓引き続き応援をいただいております全ての皆様に感謝申し上げます。 心機一転頑張ろう! ←ここを押してネ
2005.05.02
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今日、我が家の4月末時点の家計内容の決算を行った。(ヒマだね~!)結果、PL(損益計算書)は$4683のプラス、BS(貸借対照表)はこれまた$7137のプラス、と今年初めての黒字決算でした!と言ってもドルベースだとぴんと来ないと思いますし、内容がわからない人が聞いてもなんの意味もない数字ではありますけど、これは私の日記なのでご容赦願います。円換算では家計の黒字が約48万円、資産状況も約73万円の増加、という結果。しかし、久しぶりのプラス!ま、多少円高に振れたとか、日米双方の投資が一段落して、2月に購入した日本のアパートも3月末には満室となり、米国側も4月の第2週で全部賃貸中となった、とか、いくつかの要因が重なってはいるが、昨年の退職以降、もしかするとはじめての黒字かもしれない。賃貸家屋に日本のアパートの一室を除いてはすべてテナントが入ってくれたことが大きいし、3月、4月と続いた一軒家購入、修理、テナント募集に対する不動産屋へのコミッションなどが全て一息ついた。これで、余程のことが無い限り、来年5月まではなんとかしのげる家計状況になったのかな、と思っている。来年の5月には、昨年5月に入居した一軒が契約満了で、テナントさんも日本への帰国が決まっているので、その時点で米国賃貸4軒の中の一軒が空きになる。今の状態では、日本の一室ぐらいの空きはなんとかなるが、アメリカ側の一軒が空きになるとちょっときつい。そのためのリスク分散としての賃貸家屋数の拡大を今年はもう一軒考えているのだが、先ごろから書いている日本食レストランの買収の話によってはどうなるかわからない。どちらにしても自己資金はとうに尽きているので、融資を好条件で受けられる限度額が決まっている限り、選択肢としては1)その融資条件の中での投資に限定する2)融資条件が多少、きつくなっても、収支見通しさえ立てば思い切った追加融資を受ける。の二つしかない。もちろん、不動産投資の場合は現状CFがきついので(1)の選択しかないと思っているが、問題はレストラン買収の場合である。(1)の範囲でできるのであれば問題ないが、総額30万ドル以上の投資をこの範囲内で行うことは到底無理なので、どうしても(2)の選択か、あるいは共同出資という形態をとらざるを得ない。まだ、買収すると決めたわけではないし、買収できる、という確認もとれていないが、もう少し話が進めば、どうしてもこの点に関する判断をせざるを得ない状況になるだろう。今年の目標の一つであったアメリカにおける法人設立と合わせて、総合的にこのチャンスをチャンスとして生かして行きたいと思っているのだが・・・-------------------------------↓引き続き応援をいただいております全ての皆様に感謝申し上げます。 心機一転頑張ろう! ←ここを押してネ
2005.05.02
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今日のミドル英二さんの日記、講演、セミナーに出まくっているうちは素人!は、うなずける内容が書かれていた。-----------------------------------いやー、最近は、楽天関係でも、やたらセミナー、講演会が多い。 それらに出まくって、すごい勉強したかのように思っている人も少なくないが、「自分の頭で考える」「そして、それを実践・実行する」ことなしには、何の意味もないことを肝に銘じるべきでしょう。--------------------------------同じようなことを前に書いた気がするが、ちょっと趣旨が違っていて、セミナーに出る目的は本やDVDセミナーでは得られないものを得るため、つまり直接その方にお会いして、直接話を聞いて、直接その方の「気」を感じて自分に刺激を与えるため、というような内容だったと思う。その延長で、セミナーそのものより、その2次会を楽しみにしているし、この2次会参加なしにはセミナー参加の価値は半減してしまう、というようなことも書いたと思う。最近、読んだ本の一節から刺激を受けて、自分だったらどう考えるか、という視点で、あるいは自分の現在の状況に照らして、ここに書かれていることはどういうことなのか、自分はそれをどう受け止め、どうこの知識を生かしていくべきなのか、という視点で書く日記が多い。しかし、それでもまだ「自分の頭で考え」の領域であって、これを「そして実践、実行する」というところまでは行っていないものが多い。実はこの考えを自分の行動や生活に実際に取り入れてみるところが一番難しいのだろうと思う。セミナーに限らず、この読書にしても、本当に自分のものにするためには、やはり自分の中で、「考え」→「言葉」→「行動」→「考え」→・・・というサイクルを回していくのが一番だし、またそれ以外には本当の意味で自分のものにはならない気がしている。幕末の松下村塾のあり方。あれだけ短期間にあれだけの傑出した若者を輩出した「塾」。もちろん机上の教育内容だけだったら同じようなことを教えていた「塾」は他にもたくさんあったに違いない。それでもなお、この松下村塾があれだけ際立った存在足りえたのは、やはり吉田松陰の思想、それも行動してこそ知識が知識足りうる、という教えそのものが塾生に浸透していたからではないだろうか。「本を読む」「考える」、それをぜひ無駄にしないためにも、本当に活かすためにも、失敗への恐れや周囲の雑音に惑わされず、自分の信じる方向へ一歩踏み出す勇気を是非持ちたいものである。--------------------------------↓引き続き応援をいただいております全ての皆様に感謝申し上げます。 心機一転頑張ろう! ←ここを押してネ
2005.05.01
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昨日は、久しぶりの食事会で脳の働きがいく分、いつもより活発だったのだろうか?それとも、いつもあまりにもボケっとしている反動だったのだろうか?どちらかわからないが、夜寝る時になって、いろいろな考えが飛び交い、メモを枕元においておけばよかったのだが、その場でいろいろメモを取りたくなるほどの状態になってしまった。寝際にいろいろ考えていたことに対するアイデアが湧いてくる、というような経験を皆さんもお持ちだろうと思うが、ちょうどそんな感じである。例によって、朝、目が覚めると何を考えていたのか大半は忘れていたのだが、その中でもいくつかの言葉だけが頭の片隅に残っていた。曰く、「神とのコミュニケーション」「メッセージ」「占い」「感情」「情報」「気付き」「信号」「言葉」「経験」「行動」・・・・そんな考えたことたちを、これまた無謀にも再現しようと試みたがやはり敢え無くギブアップした。で、この言葉たちを眺めていて、やっとこの日記を書く気になった。---------------------------皆さんは、この世の中に「神」とコミュニケートできる人が居ることをご存知だろうか?「コミュニケート」すなわち双方向の意志の伝達である。人は神に祈る。しかし、だいたい一方通行に終わる。神からの啓示を受ける人がいる、という話を聞く。しかし、それがいわゆる「コミュニケーション」だとは思えない。でも、「居る」のである、コミュニケートできる人が・・・誰だと思いますか?そう、あなたがよく知っている人です。思い当たりませんか?さて、誰でしょう。 よ~く、考えてみてください。それは、ですね。「あなた」です。---------------------もちろん、このブログはなんら宗教的な目的を持つものではありませんし、誰かになにかを教えようとか、導こうとか、そんな大それた考えはもとよりありません。私はどちらかと言うとアンチ「宗教」、というか、「宗教」のもつ「頑固さ」に対しては、どちらかというと反感を感じている人間です。それでも「神」は存在していると思っていますし、人生の究極の目的は「神との一体化」だと思っている者です。いや、言い方が間違っていました。「神」との一体化、というと、今は別々だということになりますから、そうではなく、「自分が神の一部である」ことを認識するのが究極の目的だと思っている、といったほうがいいかもしれません。(もしかすると「認識」でさえ、ないかもしれませんが、これが今の限界です。)---------------------------------話を元に戻します。「神」に祈るのは誰でもできます。 私にも出来ますし、あなたにも出来ます。でもコミュニケーションというからには、私やあなたが神からのメッセージを受け取れなければ「コミュニケーション」になりません。単なる一方通行です。ではどうやって、神からのメッセージを私達は受け取れるのでしょうか、あるいは受け取っているのでしょうか。「神」は言います。「彼」(彼女、でもいいですが)は、私達に、ありとあらゆる手段、媒体を使ってメッセージを送り続けていると。どこに?あるいはどのように?私達の「感情」「思考」「経験」を通して、と言っています。ところが、ここが難しいところです。すべての感情や思考や経験が必ずしも「神」からのメッセージでは無いそうです。私達は真の「神」のメッセージを注意深く選ばなければならない、ということになります。では、その選択の基準はなにか?と問うと、「神からのメッセージはあなたの最高の考え、もっとも曇りの無い言葉、最も偉大な感情である。そう考えれば簡単に区別が付くだろう。」と言う。これはわかったようで、わからない。これで区別が付く自信はない。すると、神は、「もう一つ、最高の考えには必ず喜びがあり、曇りの無い言葉には真実が含まれ、最も偉大な感情は愛である。この喜び、真実、愛、この三つを伴うもの、それが神のメッセージである。」と言う。これで、あなたは「神」のメッセージを受け取ることができるだろうか?-----------------------------------昨年のクリスマス、フロリダのオーランドに行った時に寄った中華レストランでのフォーチュンクッキーの言葉、"Your success will astonish everyone."(あなたの成功は周囲の人を驚かせるだろう)今年の一月に見た、新年の運勢にあった言葉、「主役運の到来です! 新規分野の開拓や温めてきたアイデアを実践に移すアクションには天空からの大きな援護射撃があるでしょう。金運も上昇。」これはその前日の日記に、これからを第2の人生として、思いっきりチャレンジしてゆきたい、と書いたばかりで、このご宣託!!そして昨日のフォーチュンクッキーの言葉、 Your present plans are going to succeed.これらは何を意味し、そして何よりもこれらは「神」のメッセージであろうか。「喜び」、「真実」、そして「愛」に照らして・・・・-----------------------------------------↓引き続き応援をいただいております全ての皆様に感謝申し上げます。 心機一転頑張ろう! ←ここを押してネ
2005.05.01
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