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以下の文章は2019年11月の投稿、『「私』個人主義』(1)の前半である。原則として、文章は極力直さず、そのまま再掲するが、一部、書き換え、書き足しなどがあるので、少しずつ再掲したい。自分の拠って立つ思想を、もう一度確かめ、70代を生きる縁(よすが)としたいと考えた。(以下、再掲)もう120年も前に、夏目漱石が、現在の学習院大学の学生たちを前に行った有名な講演の演題が「私の個人主義」だった。漱石は、英文学者としてイギリスに留学したが、その時の学問上の苦悩からやっとたどり着いた立場を、「自己本位」、「個人主義」として語っている。その中に、「近頃、『自我』とか『覚醒』とか称して、何をしてもかまわないという符牒(意味)に使っているようでありますが、私が個人主義と申し上げるのは、これとはまったく違います」という趣旨の一節があるが、この状況は現在もまったく変わっていない。「個人主義」=「利己主義」という極めて浅薄な理解が、いまだに続いている。そのことを、まず論じなければならない。一般に「~~主義」とは、「~~」を核心的正しさとみなす、という価値観の表明であり、例えば「自由主義」は「統制主義」に、「資本主義」は「共産主義」に対置される。そのように考えれば、「利己主義」は「利他主義」に対置される。己を利することを核心的価値とするか、他を利することを核心的価値とするか。しかし、これはそう単純な二項対立ではない。例えば、資本主義経済の中では、誰もがより多くの資産の形成を目的として働いている。そこでは、ある程度、十分なフローとストックがあって、初めて「利他」の立場に立ち得る。マザー・テレサは何も持たない人ではなかった。資産家の娘であったからこそ、それを投げ出すことができた。フランシスコもそうだった。仏陀もしかり。彼らは、自身の資産を投げ出した後も、「利他」のための巨額の「浄財」を集め得るカリスマ性があった。【やや長い補注】最後の段落で、頭の中にあったのは、自己をもたない「利他」の危うさ、ということだった。「ボランティア」という社会現象について、自分は懐疑的である。大谷翔平が能登半島沖地震に対して、球団を通じて多額の寄付をした。それはボランティアではない。「チャリティ」(慈善活動)と言うべきだろう。彼は「ボランティア」をやっている暇などない。野球選手としての「自己形成」こそ、彼の最大の関心事であり、その意味で彼は「個人主義者」だと思う。彼の「チャリティ」に比べ、被災地にとにかく押し寄せ、何かの役に立ちたいと思う人たちは、そのことによって「自己形成」を成したいと思っている。だから、彼らはある意味で、漱石の言う「他人本位」の立場に立つ。今までは「他人本位」だったから駄目だったのだということを、漱石は英文学者としての自身を振り返りつつ述べている。翻って、ボランティアブームの中、我も我もと押しかけ、整理が付かなくなるので、他県からのボランティアを断らざるをえない、という現在の日本社会は、全員が「誰かのために」なることで自己でありたいと思う社会へと進んでいる、とその時感じていた。そのあり方に、一種の気味の悪さを感じていた。その社会の正体について、また論考したい。
2024.01.31
昨日、月曜日は整形に。妻は来週、札幌だし、その次の週は二人で鹿児島。旅行前は、できる限り、整形には事前に行くようにしている。先週は大雪で空いていたが、今週も空いていた。大体、隔週で混むのだが、最近はそうでもないことも多い。高齢化が進み、来られなくなってしまった人が徐々に増えているのかもしれない。そういえば、以前いた人をしばらく見ていない、ということに気づく。ピアノ練習は整形の前と後に。『赤とんぼ~JAZZアレンジ~』はストピ用にと思って弾き始めたのだが、意外に難しく、それでもやっと通しで弾けるようにはなった。後は、暗譜までいければいい。『人生のメリーゴーランド』は相変わらず。暗譜できたかな、と思って楽譜を立てないで弾くと、最初のところで間違う。楽譜を立てると見ないで弾ける。まあ、もうちょっとだと思う。少なくとも発表会までには暗譜できるだろう。その地方予選会への出場の振り込み。昨年、日程変更に応じたため1万円引き、2月末までの早期申込みで2千円引きで5千円。二人で居酒屋1回分くらいの割引にはなった。次年度の担当授業はまだ決まっていないが、いずれにしろ「火水木の人」になる予定で、今までは朝練から一日が始まったのだが、4月からはサンデーアーチャー。週1か週2くらいのペースになり、平日は三階近射が主な練習になる。さすがに畳を替えないと、もうダメだろう。軽めの畳(スタイロでもいい)を5枚、立てかけておくことにする。太いインドア用の矢しか使わない。案外、前々回のようにいい効果があるかもしれない。遠征にもこれまでよりは行かないから、その分、普段の遊びにお金を回せる。何しろ、一度遠征に行くお金で、タクシーを使っても5回はフォーク居酒屋に通える。家で夕食を食べて、7時台のバスで行き、帰りは電車とタクシーで、大体5千円。健康麻雀なら20回以上。やはり、弓はお金のかかる趣味だった。新しい弓や矢ももう買わなくていい。後は旅行にお金が使える。というか、70代はそろそろ使うことを考える10年だ。80歳で、元気にあちこち二人で旅行に行けるかというと、自信はない。新たな趣味になったピアノや麻雀やフォーク居酒屋が続けられるかも分からない。そう思えば、「今を楽しむ」ことが、人生にとってかけがえのないことだとも思える。時が優しく切なく流れそっとこのまま振り返るならボクらは今も自由のままだ吉田拓郎 『アゲイン』
2024.01.30
1月28日(日)試合。三階でもほとんど射っていないので、ダメだろうと思っていたら、やはりダメだった。275-271=543。明らかに練習不足。途中、グリップをベタ押しにしてちょっと持ち直しはしたが、8点が最後にも出てしまう。試合後、次年度の新役員。自分は理事の端っこに参与という形で残ったが、もう理事会にも出なくていい。選手としても、墓参りを兼ねた公認遠征は1回だけ。後は、サンデーアーチャーに徹したい。弓の主目的は体を動かし、運動不足解消、ということになる。前夜、同期会で、昨年二人が心筋梗塞で亡くなったという報告。「あとせいぜい10年、遊べるうちに遊ばないと」とM君がしきりに言う。まあ、そうだなと思うが、「いや、遊んでるしオレ」とは言わなかった。まあ、月イチくらい声をかけてフォーク酒場もいいだろう。ピアノは練習が要るという点で弓と同じで、毎日の生活の1本の軸になる。もう1本は仕事だ。
2024.01.29
1月26日(金)ピアノレッスン。大分、弾けるようにはなっているが、細部の指摘がいくつか。こういう時は、やはり先生は凄いなぁ、と思う。基本は4分の3拍子、ワルツのリズムを極端に崩さず、あまり最初から盛り上がらないように、ということ。1月27日(土)この日は、朝に練習後、エリーゼの申込みをした。後は参加料を月曜に振り込めばいい。昨年、全国大会の日程変更に応じたので1万円引き、早期申込みで2,000円引きだから、5,000円振り込めばいい。ホテルはもう押さえている。午後、今日の試合に向けて久々に射場に。まだ7時8点くらいにしか付かないが、それで中るならいいや、という感じ。大事なのは、緩まずちゃんと射つことである。「引ききって離れる」。夕方、高校の同期会に。普通なら、市内の高校だから相当集まりそうなものだが、当時は全道、全国からの入学者がいる進学校で、寮生が一番多かった。そういうわけで、集まったのは8名。あちこちの大学に進学し、そもそも斜陽のこの市(まち)に残っていないし、寮生なのに市内に住む自分のような存在はさらに少ない。昨年、亡くなった友が2名いて、黙祷から始まる。フォーク居酒屋の話が出て、5名も一緒に二次会に。「どうしてこんなに悲しいんだろう」、浅川マキ「あんな女ははじめてのブルース」。同級生のかぐや姫の歌に伴奏。すっかり味をしめたようで、今度また、という話になる。帰宅は11時を回った。1月28日(日)今朝は6時起床。録画しておいた「大相撲ダイジェスト」を見る。何と、昨日霧島に敗れた豊昇龍が休場、照ノ冨士が不戦勝で2敗を守る。結びは霧島ー琴ノ若。琴ノ若が立ち会い突っかけて、二回「待った」。これは、霧島かと思ったが、三度目立った途端、霧島が突き、琴ノ若があてがう。わずかな「いなし」で霧島が横向きになったところを送り出した。これで優勝は琴ノ若か照ノ冨士だろう。翔猿相手の琴ノ若の方が、霧島相手の照ノ冨士よりやや分がいいが、一番確率の高いのは両者勝っての優勝決定戦。そうなると本割で負けた琴ノ若が、むしろ優位かと思う。そんなわけで、5日目終えた時点での優勝予想は、休場、再出場の朝乃山の一択とはいかなかったが、対抗、大穴の争いとなるようで、自分としては気分がいい。その朝乃山も、再出場後は連勝。不戦敗、休場以外は一敗しかしていないのだから、よくやっている。弓の試合は午後から。次の試合は鹿児島で出られないから、今季ラストゲームになるかもしれない。ハンデをさらに更新して、有終の美といきたいところだが・・・寝不足、また寝るとするか。
2024.01.28
1月25日(木)4時間の授業を終えて、やっと火水木3日間で14時間という、きつい本年度の仕事は終わりになった。来週は2月になると2年生だけなので11時間。それ以降は、3月上旬まで週4時間。つまり2月、3月は全部合計しても、25,6時間の授業しかない。給与は総時数を計算した12分割なので、別に変わらない。2,3月の時給を計算してみると最低賃金の10倍以上。ただし、3年の二次試験に向けた指導は随時入るので、普通の非常勤講師よりははるかに分が悪い働き方ではある。生徒はみな、自分が「火水木の人」であることは知っていて、2年の授業の前後に二次の解説や小論文の指導をしてもらいたいと、頼んでくる。そうなると、引き受ける。断ったって別に少ない給与はこれ以上減ることもなく、引き受けていくらかでも増えるわけでもない。そう考えれば、自分が断らずに引き受けるのは、畢竟、教えたいから教えるのであって、「そんなのは専任の仕事だろう」と文句の一つもつい言いたくなるのだが、実は文句を言う筋合いはないのである。やりたいことをやっているだけなのだ。次年度も同じことになりそうな気がするが、弓の方は競技者とともに協会や連盟の役職も降りるので、気持ちとしてはかなり楽になる。こちらはやりたくないのに、引き受けざるを得なかった「仕事」である。誰かがやらなければならないことではあったが、もう4年もやったのだから、自分の順番は終わったと考えてもいいだろう。年度途中で無責任に放り出したヤツがいるから、余計な仕事が加わった。ここ2年ほど、「やってられない」と思い続けていた。授業も少し減らしてもらい、6連続の火曜日ですでに疲れ果てることもなくなるだろう。ひょっとしたら、次年度で教員生活も終わるかもしれないので、丁寧に教えたいとは思っている。2、3月は、少し健康チェックをして、どこか悪いところがあれば早めに対処しておきたい。一つは脊柱湾狭窄症。いつも行く整形は注射だけ。だからちゃんとMRIを撮って、症状の診断をしてもらうようにする。もう一つは、まだ「監察療法」の前立腺癌。こちらはかかりつけ医のドクターが、心配して最新の検査をしてくれている。まだ結果は聞いていない。まあ、おそらく二つとも今のところ問題なし、ということになるとは思う。そうなると、時間はかなりできる。仕事は減って、弓もアウトドアシーズンだけのサンデーアーチャー。公的立場としては乳児院の評議員というのが一つ残るが、これは年に数回の会議に顔を出せばいい。休日を利用して、とりあえず車で行けるあちこちのストピを弾く小旅行も悪くない。JRのいろいろな高齢者向け企画の割安なチケットもある。航空機も時間さえあれば、2月の鹿児島のような格安航空券は取れる。海外旅行も久々にしたい。あと10年は健康寿命で過ごしたいし、そのための努力はしようかな、と思っている。
2024.01.26

昨日、我が家としては数年ぶりに家具を買い換えた。居間のソファの前、両親が暮らしていたときの座卓があった。ソファ自体は替えたが、座卓の方はそのまま使っていた。上に、本やら書類やらを置くというのが、主な用途である。その脚が1本壊れて、何とかごまかしていたのだが、さすがにもう買い換えようと、去年の暮れから家具屋に行ったり、ホームセンターに行ったりしていた。が、どうもピンと来ず、そのままだった。日曜日、ふと、通販のサイトを見ると、探していた大きさ、収納引き出しが付いているものが何種類もある。「これじゃ、家具屋も潰れるわけだ」と言いながら、適当なサイズ、値段のものを注文した。脚だけ、自分で取り付ければいい。まあ、組み立て家具レベルの安物である。値段もクーポンを使って1万円弱。それでもホームセンターやニトリより安い。ちょっと丈が高いが、書類が引き出しに収まり、スッキリ。テーブルの下に敷いているのは、中国製の緞通。これは一点物。本当にいい品で、やはりオークションで安く手に入れた。といっても、テーブルの6,7倍はしたかもしれない。 → 緞通この先、家具を買い換えたりもしないと思うから、これが家具としては最後の買い物だろう。「お正月、料理を並べる時はちょっと狭いなぁ」と思うが、物置に座りテーブルが2台あるので、それで代用しようかということになった。
2024.01.25
このタイトルで、書くのは2回目かもしれないと思い調べたら、大相撲の優勝予想で、高安と書いて大外れだった去年の記事だった。→ 不明を恥じる。。なにしろ、不明を恥じてばかりいるのだ。しかし、恥じているうちはまだいいのである。兼好も「老いて、恥じることもなく、ああしたい、こうもしたいと、オマエいつまで生きてるの?と聞かれそうな生き方はみっともない」というようなことを言っているではないか。さて今回の不明は →大相撲。優勝は朝乃山一択。というちょっと前の投稿である。やはり大相撲の優勝予想。5日目が終わった時点で、贔屓の引き倒しみたいに書いたのだったが、自信はかなりあった。しかし朝乃山は7連勝を決めた明生との一番で怪我、8日目から休場、という何とも勿体ないことになってしまった。が、途中からの再出場も可能性はあり、今、東の筆頭だから、何とかあと一番勝って、春場所、三役にはなってほしい。現在、その記事で「対抗」として挙げた琴ノ若は1敗で単独トップ、「大穴」の照ノ冨士は2敗だから、予想としては順当なのだ。ただし、絶対優勝は無理だろうと思って挙げなかった大関霧島も2敗でしぶとく残っている。が、危ない相撲も多く、土曜日には脱落している公算は大きいと思っている。照ノ冨士も同様で、案外、千秋楽前に琴ノ若の初優勝が決まっているかもしれない。などと、よせばいいのに、また書いてしまった。これで大外れ、霧島優勝なら「恥の上塗り」である。まあ、たいして読んでいる人もいないからいいのだ。昨日から仕事が始まり、なんとか2~7限の6連続を乗り切った。二次の小論文指導もあり、なかなか大変な週になりそうである。といっても休日まで出て教えることは絶対しないと決めている。「火水木限定で教えるからね」と生徒には言うし、向こうもそういうものだと了解している。そもそも、非常勤なのだから、そこまでの仕事の責任はないのだ。ただ、教えて、成果がそれなりにあり、自分を頼ってきた生徒も喜ぶから、自分が楽しいからちょっと頑張るのだ。弓でもピアノでも、楽しくなければ努力できないという身勝手を通してここまで生きている。と書けば、今オマエは、徒然草を適当に訳して「老いて、恥じることもなく、ああしたい、こうもしたいと、オマエいつまで生きてるの?と聞かれそうな生き方はみっともない」と書いたばかりじゃないか、と言われそうだ。やはり「不明を恥じる」ほかない。
2024.01.24
今年は思いのほか雪が少ないな、と思ったら、昨夜結構降った。夜のうちに、玄関前だけでもと思って掻いたのだが、これは時間がかかる。が、もう止んでいるから、そう時間もかからないだろう。現役のころは、シルバー人材に頼むことが多かった。今も、週に3日は出ているので、時々頼む。いつも近所の同じ人を、お願いしていて、我が家を最優先にしてくれる。が、今年は少雪で、まだ一度も頼んでいない。庭の草取りも同じ人だ。こちらの方は、自分たちでどうしようもなくなると頼むのだが、去年は3回くらいだったろうか。まあ、フローは年金になって極端に少ないので、そうそう外部発注もできないという懐事情もある。雪かき、今日は自分だけが整形に行くので、その診察券を出しに。妻の新春茶会の送迎がある。今年度、今週はすべての授業、会議などがあるが、そういう週はこれが最後だ。が、週後半、金曜はピアノレッスン、土曜は高校の同期会、フォーク酒場、日曜は試合と予定がびっしりだ。仕事の方は、3年生の授業が今月いっぱいで、来月は家庭学習。高3の授業は小論文指導など大変なのだが、今年度は会議を含めた全14時間中、9時間が高3なので、2月はラクだ。2年も3月も前半で終わるので、高2の授業を入れても、あと今年度の授業は30時間は切っているはずだ。そう考えると、ひと月10時間足らずで、変わらぬ給与なのだから、非常勤の商売も悪くないのだが、今年度は大変だった。なにしろ、皆がトラブって行きたくなかったクラスを3日で7時間担当。別に、クラス自体大変でもなかったし、どうなるのかと思っていた受験の結果も上々で、今も『私の個人主義』を一生懸命読んでいる。3日で7時間の授業だから、いい加減イヤになるだろうと思っていたが、生徒は自分の授業を楽しみに待っているという。こいつらのどこが大変と言うのか、よく分からない。まあ、それもとにかく今月で終了。自分にとっても、とてもいい生徒たちだった、と思う。さて、車のエンジンをかけ、ちょっとは掻いて、整形に行く時間だ。
2024.01.22
昨日、大相撲6日目は、朝乃山が全勝を守り、琴ノ若も一敗を守ったが、「軽い」と評して優勝候補から外した豊昇龍、大穴としておいた横綱が元大関正代に二敗目を喫した。霧島は、勝つには勝ったが決して楽勝ではなかった。若手では熱海富士、豪の山ともに黒星先行で、壁に当たってる。まあ、今日の中日はどうなるか、興味深い。昨日横綱には勝った正代、あるいは、御嶽海、高安の元大関陣もいつまで幕の内にいられるか、分からない。遠からず、引退の日を迎えるだろうが、今場所は勝ち越してほしい。そんなふうに、どんなことにでも終わりの日は来るのだが、「個人」としての「私」は、死ねば終わる。ある社会のある世代に属し、突出した能力もなく、平々凡々たる人生を送った「個人」としての「私」にとって、それでもかけがえのないのは自らの生であり、最も執着するのもそれなのだろうが、実は、あまり今はそういうことを感じていない。そういう中で、自分のやってきたことを顧みると、これまで主としてやったのは仕事と弓である。弓は、長年唯一の趣味であり、そこにお金も時間も費やしてきた。それなりに成果もあった。全国大会にも10回は出た。最近、弓を射てなくなった時に備えて、ピアノや他の趣味を始めた。無論、単に暇な時間が増えたから、ハイデガーの言う、非本来的生のあり方の一つである「遊興」の種類を増やしただけである。今、三階で、30本近射しただけで腰と右足、特に踵が痛くなる。去年からそういう症状はあって、医師の診断は「脊柱管狭窄症」。週1か2週間に1度、診察を受け、膝と腰に注射。薬。電気治療。起きているときは腰痛ベルトをし続けている。最近は痛みの頻度が増したので、家庭用の電子治療器を復活させた。痛みがあると、一日中当てている。以前は練習のしすぎで、肩や肘に当てていたが、今は腰。「手術」はリスクが高く、するつもりはない。歩行が困難になれば別だが、痛い右足を引きずりながらでも、今は歩ける。何をやると一番痛くなるのか、数ヶ月確かめていたが、最も確率が高いのが弓だった。そしてここ一年、その頻度が増している。この状態だと試合に出ても、途中棄権の可能性は大きいし、ましてそれが遠征試合だと、帰路にも不安が残る。弓を射ること自体は相変わらず好きだし、それを止める気はないのだが、もう「競技者」として射線に立つことは無理だな、と思うようになった。それでもまだそこそこの点数は出てはいるが、年々落ちてきている。弓に関して言えば、確実にこれ以上「成長」しないと思う。それよりもまだ「成長」を実感できる趣味として見つけたのが、ピアノである。今年もエリーゼの全国大会に出て、できれば金賞がほしい。何とかいけそうな気もする。そう言うと申し訳ないのだが、「アーチェリー」というスポーツに競技者ではない人間として関わる気はない。このマイナースポーツが、連盟や協会など、多くの「裏方」の方々に支えられていることは知っているのだが、自分はそこまでこのスポーツに愛着を持っているわけではない。また、どういう世界にも権力闘争みたいなものはあり、誰かが誰かを排除したり、仲間に迎え入れたり・・・そういう場に身を置くのはウンザリなのだ。というわけで、来季から夏場限定のサンデーアーチャーとなる予定。
2024.01.21
あまり、群れるのは好きではないから、「派閥」のようなものに属したことはない。仕事の場面でも、当然、仲のいい同僚もいれば、そうでないのもいるわけだが、どちらにしてもつきあいは職場に限られ、そこを離れれば家庭人である、というのが自分のこれまでの生き方である。もちろん、「核」になるのは「個人」としての自分だ。すべてをそこから始めるのが、「個人主義者」のあり方であって、それは自分の半生を貫いている。安部派や岸田派、二階派が派閥解散だとかいう大見出しが一面。それぞれが国会議員なのだから、いろいろな意味で力のある人たちなのだろうが、それでも派閥に入らないと、なかなか偉くなれない、というのが自民党政治の本性だ。派閥では、親分子分の「御恩と奉公」の主従関係が生き続けている。昨年から何回かに分けて書いた「教師とは何者なのか」で、生徒との関係を「命令ー服従」関係とするあり方を批判したが、それと同じことだ。「服従」の度合いの強さによって、「御恩」の多寡が決まる。パーティ券をノルマまで売れる議員は、大臣になれるし、そうでなければ「派閥」内でくすぶり続ける。今回の「派閥解消」は、そういう議員たちの不満が表面化したのだろう。首相は、いち早く「解消」を言い出したが、その前に、この問題が表面化してきたときに自身の「離脱」を表明していた。「離脱」したはずの派閥をなぜ「解消」できるのか、その論理矛盾にも無自覚である。中曽根康弘は小派閥のリーダーで、「風見鶏」と言われたが、それでも国鉄民営化などの改革を断行した。郵政民営化をしたのは、「自民党をぶっ壊す」と言った無派閥の小泉進一郎だった。彼らの新自由主義的政策の功罪は置くとしても、既得権のある圧力団体に負けず、政策を実現する力はあった。それに比べ、現首相は、世間の風向きを見て、自分だけがいい子ちゃんでいたいだけの器量の小さな人間に思える。
2024.01.20
「巨人・大鵬・卵焼き」というのは、自分の世代が子どもだったころの大人気で、転じて考え方が子どもじみていて、単純なことを揶揄するような意味合いもあったように記憶している。相撲は二人いればすぐにできる遊びで、町内の広場に円を描き、もう一人いたらそいつを行司にして、「ひが~し~!○○山~~~」などと呼び出しの真似をし、四股を踏んで「はっけよい。のこった、のこった」、などと暗くなるまで遊んでいた。テレビも大相撲はプロレスの次くらいの人気番組だった。しかし、大鵬、柏戸、佐田の山、北の富士、琴櫻くらいまでで、もう相撲は見なくなった。それよりも面白い遊びがたくさん現れたからである。その後、千代の富士、若貴の時代には、また少し面白くなって、ここ数年は見られないときは「大相撲ダイジェスト」を録画予約までして見ている。本場所にも行った。セミリタイアで暇ができたのが一番の理由だ。そういえば、ここでモノを書くのもそれ以来のことである。最初に相撲のことを書いたのは、徳勝龍の幕尻優勝の時。 → 「世代交代」ではなかった残念なのは、中日スポーツ連載の元横綱北の富士「はやわざ御免」という場所中の、軽妙洒脱の見本のような文章のコラムがなくなってしまったことである。コメント欄もあって、ほぼ毎回q蔵名で投稿していて、人気順上位の常連だった。コメント欄で、同好の士とやりとりをしたりということもあり、楽しかったのになぁ。北の富士・舞の海のテレビ解説もなくなってしまい、そちらも人気だったのに、残念至極である。北の富士ももう80歳を越え、病気で入院したのが契機だが、さすがにその年齢での復帰は難しいのだろう。好みの力士は、四つ相撲。巨体にものを言わせてというタイプではなく、力士としては標準的体躯か、やや小兵。そこにぴったり当てはまるのは、北の富士、千代の富士、先代貴ノ花、隗傑。なかでも隗傑は仙台の巡業で手形の色紙をもらったこともあった。もう一番先輩の北の富士以外は故人となってしまった。力士はやはり短命が多いのかもしれない。現役の中では、遠藤、高安、朝乃山、琴ノ若くらいだろうか。平戸海、熱海富士の若手もいい。中でも、朝乃山は四つ相撲の型をきっちり持っている。高安はまたしても途中休場の後の再出場となるが、大関復帰は難しいと思うが、1回くらい優勝杯を抱かせてやりたい。話は逸れるが、最近NHKのアナウンサーは「優勝賜杯を抱(いだ)く」ではなく、「抱(だ)く」と読むのが普通になっているが、自分は違和感がかなりある。「出(いだ)す」と言う人はもう皆無だから、「抱(いだ)く」が衰退するのも当然の流れなのだが、「抱(いだ)く」の方が何か重々しいニュアンスがあるように感じる。「優勝賜(たまわる)杯」なら「抱(だ)く」のではなく「抱(いだ)いて」ほしい。さて、序盤五日が終わったところで、今場所の優勝を予想しておこう。これはもう朝乃山一択ではないかと思う。七枚目という番付で、中日までは大関以上とは当たらないだろうし、後半も調子を上げれば二度目の優勝の公算は高い。対抗馬は琴ノ若。ここまでは落ち着き払った取り口で、大関陣よりよほど安定感がある。大関霧島は器用だが、横綱の迫力はない。同じく大関の豊昇龍は運動神経の塊だが、軽い。大穴は横綱、照ノ冨士。立ち会いの失敗がなければ、つかまえて何とかしてしまう力は相変わらず圧倒的だ。というわけで、今場所もあと10日間、たっぷりと楽しむつもりだ。【追記】とうとう、「(Ora Orade Shitoriegumo)」の解釈について のアクセスが1500を越えた。どうなってるんだろうね。
2024.01.19
1月17日(水)「いったい、いつまでこういうお気楽な生活が続くのか、見当もつかない」などと、昨日書いたばかりなのだが、昨日、妻がいつもよりもかなり遅く起きてきて、「熱がある」と。夜中、38度台後半くらいまで発熱、下痢。コレラ?インフル?と思ったが、朝、熱は下がった。かかりつけ医に行くことにした。もはや、旅行どころではないと思ったが、医者の話では、お腹にくる風邪ではないかということだ。点滴をし、自分はその間に、郵便局で旅行用の現金を一応おろして、買い物、給油。昼過ぎに妻を乗せて帰宅。帰宅後、昼寝もずいぶんした。また、熱が出たそうだが、解熱剤で6度台まで下がる。薬は3時ころ取りに行く。あらかじめファックスで処方箋を流してくれている。昨夜も自分が薄い味噌汁を作り、あとは卵を溶いたお粥だけ。早くに寝たので、今朝、どんな具合か。ただ、旅行はちょっと無理だろう。格安の航空券分だけ無駄にはなるが、それは別に構わない。旅先で具合が悪くなると、もっと大変だ。自分はキャベツ、玉葱、豚肉とすき焼きの残りの春菊で辛い炒め物で夕食。昼食はラーメンだった。いつもは妻と半分ずつ食べるので、ちょっと食べ過ぎである。夜も早めに寝て、5時前に目覚めた。久しぶりに6時間以上通して眠った。非常時というほどではないが、こういう時は、自然にそれに備えるように体が反応するのだろう。朝、いつものようにピザと珈琲、フライドポテトで朝食。妻のために紫玉葱、キャベツ、ベーコン、ミニトマト、安納芋でスープをコトコト煮ている。洗濯も今上がったので、干して、それから自分の弁当を。今日は、春菊の余りを全部使ってペペロンチーノ。妻が起きてくれば、かかりつけ医にもう一度連れて行ってから出勤だが、どうなるか。眠るだけ眠った方がいい。その場合はタクシーで行くことになる。さて、波乱の本年初出勤となったが、自分は元気なので何とかなるだろう。平穏な日々の中で、たまにこういう「緊急事態」というほどでもないが、予定外のことは起きる。そういう時は、妻か自分か、大丈夫な方が何とか頑張るほかない。息子夫婦、娘夫婦もそうやって暮らしているだろう。昨日、小学生になった初孫から、「手紙」が届いた。いろいろなものを送るときに、手紙をつけてやっているので、自分も手紙というものを書いてみたくなったらしい。娘によれば、何だか知らないうちに書いていたらしい。何とか判読できる平仮名。タブレットで練習はしているというが、やはりノートにしっかり書くことが大事だろうと思って、漢字練習帳を買った。二人で「手紙」を書いて、送ってやろうと思う。旅行がダメになっても、そういう楽しみはある。
2024.01.17
20連休だった今回の冬休みも今日で終了。明日1日、出勤し、4時間の授業をこなし、3年生の評価を出して、退勤。明後日は、妻と東京に2泊3日。今日はその旅行準備、といっても2泊だからたいしたこともない。いろいろな意味で有意義な冬休みだったが、出勤も久しぶりなので、億劫といえば億劫である。いったい、いつまでこういうお気楽な生活が続くのか、見当もつかないのだが、老後とは誰にとってもそんなものだろう。ある日、何かが起こり、この生活も終わるとは分かっているのだが、それがどういう形でやってくるのかは、予測してもしょうがないし、備えることもできないことだ。
2024.01.16
あちこち寄り道して、この論考も長くなってしまった。結論を急ごう。前回書いた、規律の厳しい授業をする先輩教師も、やはり「生徒を支配する」型の教師である。学校教育は集団教育だから、そこで「一人一人を大事にする」教育などできない。だからといって授業集団としてしか生徒を見ず、その統制だけが目的であるような授業の進め方も間違っている。先輩教師は、その矛盾を担任としては慈母のごとく愛情を生徒に注ぐ、という形で解決しようとしたのだとも言えるし、それは間違っていない場合もある。なぜなら、本来親が果たすべきそのような愛情を受けていない生徒は、必ずいたからだ。だから、そういう生徒は一生涯、彼女を「恩師」と思い、慕い続ける。だが、そうでない生徒にとっては、何だか分からないが、やたらに厳しく口喧しい教師としてしか記憶に残らないだろう。授業をしていて、生徒の成長、といっても自分の場合は生徒の言語能力の成長をふっと感じるときがある。また、生徒自身もそれを実感することも多い。「李徴はなぜ虎に変身したのか、2000字程度で論ぜよ」というような課題を、考えあぐねつつも書き上げ、「うん、頑張ったね」と言ってやると、ことのほか喜ぶ。「おまえら、日本語、大分できるようになったでしょ?だって、今読んでる、『論理空間』としての『可能性』の空間と『言語空間』の関係なんて、1年の最初に読んだら、何が何だか分からない話だよね、きっと?」と言うと、本当にそうだというような顔をしている。つい2年前の自分には、背伸びをしようがどうしようがまったく理解不能の文章を、今は何とか説明されれば理解できるところまでたどり着いたのだから、自分の成長を実感できるのだろう。自分が授業で求めているのは、結局そういうことであって、それは生徒を支配することではまったくないし、まして、生徒に無際限の愛情を注ぐことでもない。生徒の成長の傍らにいることが単に嬉しい。その嬉しさは、弓で努力して目標の点数を出したときの嬉しさとはまったく違う。「私」という個人の中で完結しない喜びだからだ。もう40年を越した教員という職業生活の中で、自分がはっきりと自分の手にしたと言えるのは、そういう喜びであり、それは年に数回だけ訪れ、後は消えていくようなものだ。
2024.01.15
1月14日(日)ここ数年、インドアの試合では最初の試合で出したハンデ(60射570でハンデ0)を越えられないまま、シーズン終了を迎えることが多かった。それも当然で、冬場はやはり練習量がどうしても減る。自分のようなレベルでも、練習量が減れば、現状維持ができない。今季は最初の2試合がともに551。このハンデを更新できないまま終わるのかな、と思っていた。練習では280が出たが、試合で出るとは思わなかった。「練習のアベレージの5%ダウンくらいが試合で出れば御の字だよ」と亡き師匠はおっしゃっていた。さて、今年の最初の試合。前半は277。やっぱりね、という感じ。最後のエンドでも8点を射ち、相変わらず勝負弱い。後半は、しかし10-10-10から始まった。57-56-57-56-54でやっと280。レフティでは初めてかもしれない280点だ。体調も良くなかったし、どうせダメだろうなと思って臨んだのが、かえってよかったのかもしれない。合計557でハンデは+13まで減った。年末の試合が酷くて、三階近射を真面目にやったのがよかったのかもしれない。一番良かった時は、もちろん右の時で、ハンデ-5くらい。つまり570を射ってもハンデ戦で勝てないくらいだった。事情があって、インドアの試合は今季がおそらく最後になる。来季からは、サンデーアーチャーどころか季節限定アーチャーになる予定だ。アウトドアにしても、せいぜい2,3試合出られたらいい方だろう。その最後のインドアシーズンで、ぎりぎりだが、280点が射て、珍しく年を越してからハンデ更新も出来たのだから、言うことはない。
2024.01.15
1月13日(土)朝に髪を剃り、昼から弓。60射。274-279。なかなか280台で安定するというわけにはいかないようだ。今日は試合。そこそこ頑張れれば、それでいい。夜は、くしゃみと鼻水ご酷く、早々に寝た。深夜、嫌な夢をみた。故郷の街。父と娘となぜか最後に父たちが飼っていた犬がいた。ホテルは、自分だけ別だったので、最初に父と娘のホテルに送る。初めて知ったのだが、ボビ(犬の名前)はリンゴが好きだった。「舐めるか?」と聞くと、喜んで舐め、もう食べられないので、期待もせず「食べるか?」と聞いたら、尻尾を振る。それで、「いいよ」と言って、あげたら口をホガホガ言わしてむしゃぶりついた。父を娘のホテルは、エレベーターを1階上がる毎に料金がかかる。こんなことなら、自分のホテルの方が安かったな、と思う。安い宿を探すのがうまいのは、父親譲りなのかもしれない。ともあれ、二人と一匹を送り届けて、自分のホテルに戻ろうとしたら、戻れない。道がまったく分からない。あたりは真っ暗闇。それで、家に電話をかけて、妻にホテルの電話番号を聞こうとしたのだが、さっぱり要領を得ない。「だから、オレのパソコンに予約履歴があるから、それ見て」と言うのだが、妻は自分のパソコンで探して、予約なんて入ってないと言い張る。「もういいよ」と半ば怒って電話を切り、タクシーの運転手に聞いた。全然、方角が違う。「あそこ、開発で今、全然姿が違うから分からなかったんでしょう」という。確かにネオンも何もない、お寺みたいなところがそうだった。これじゃ、目の前を通っても分かるはずがない。【夢の分析】疲れると悪夢を見るものだが、疲れの原因は弓だろう。ちょっと風邪気味なのも関係がある。風邪薬でくしゃみや鼻水はどうやらとまったのだが、薬の副作用もある。どうして、亡くなった父と愛犬が登場したのかもさっぱり分からないのだが、記憶の中の死者たちと、自分はもうそんなに遠い存在ではなくなっているように思えた。ボビの息づかいや物を食う音はリアルだった。これから、多分、頻繁に彼らとの行き来が、夢の中でありそうな気がする。梶井基次郎風に言えば「死の幻影と生のそれは、重なり合っていて、その姿を見分けようとした途端に、元の退屈な現実がやってくるのだ」ということだろうか。しょうがないから、4時半にパンと珈琲とオニオンスープ、昨日のポテトサラダで朝食を食べ、共通テストの問題を眺めたが、字が小さすぎて何とも読めないので、また眠ることにする。
2024.01.14
1月11日(木)妻のピアノレッスンの帰り、かねて行ってみようと思っていた「パエリア」専門店に。電話予約しておいた。ランチメニューは、前菜、スープで、メインがパエリア。3種類あって、「本日のオススメ」、「エビ」、「イカ墨」から選ぶ。妻は「エビ」、自分は知床地鶏とチーズという「オススメ」にした。味は悪くない。が、量が多すぎる。パエリアは、結局はライス料理で、フライパンなどで米を炊き上げる過程で、エビや地鶏を載せていく。米は塩、バター、ケチャップなどで味を調え、具材にマッチした味にする。普通は大鍋で作り、取り分けるのだが、ここは一人用の、家庭にあるようなフライパンのサイズの鉄鍋で炊き上げる。そもそも、自分たちはあまり米を食べない。最近は2kgのユメピリカを買うが、ひと月以上もつ。夕食時のみ、茶碗の半分くらいだから、優に一合分あるここのパエリアは、多すぎた。おかげで体重が1.5kgも増えた。3時くらいから腹ごなしに弓。前日、半分射って+5だったので後半から。10-10-10が初めて出たりと好調で281。壁だと思っていた280をあっさりと越えた。まあ、二日がかりだから、「あっさり」というわけでもないのだが、弓を始めたころ、つまり高校生の時は、30m300点というのが、大きな壁と言われていたのだが、それもひと月くらいで射てるようになった。「壁」というのは、越える前はひたすら高く思えるが、越えてしまえば、道のちょっとした段差くらいと感じる。280はもちろんレフティ転向以前に何度も出していて、そのころの目標はアベレージ285だった。練習では290も越えている。やろうとしたのは、とにかく真ん中につけて狙い、ズレてはいくのだが、真ん中を見続けて射つこと。それで、ど真ん中を射抜くと快感!夕食のきりたんぽを食べ(またしても米!)、弓の理事会に。来年度、役員の新旧交代があるので、いろいろな資料とレジュメを持っていった。夏のフォールドは設置が大変なので休止ということに。自分も出られない。1月12日(金)午前、銀行の担当者が自分の分の新型NISAの契約に。いろいろ考えて、SP500と先進国株式の投信。7:3の割合で毎月の積立ということにした。さて、どうなるか。まだ若い女性行員だが、頭の回転の速い人だ。何でもお客さんに『80歳の壁』という本を勧められ買ったとかいう。著者は和田秀樹。「知ってる?」と聞くと、まったく著者については知らないようだ。自分の世代では和田秀樹は灘校→東大理Ⅲという典型的な秀才コースを進み、大学生時代に『受験は要領』というベストセラーを出している。その後、東大教授を目指したらしいが適わず、同世代つまり団塊世代や自分のようなポスト団塊を対象とした人生訓的な本を書き飛ばし、養老孟司の『バカの壁』にタイトルを酷似させた『70歳の壁』、『80歳の壁』などが再びベストセラーとなった。現在の専門は「老人医学」だそうだが、以前は確か「精神医学」だったように記憶している。同世代を相手に、人生の成功者として、ちょっとした成功のコツみたいなことを伝授するという内容の本で、例えば『受験は要領』では、「数学は暗記だ!」などという数学者からみれば「何言ってんだ、オマエ!」のような内容を列挙している。『80歳の壁』では、とにかく健康年齢を保つには、健康診断はしない、血圧は年齢+80以下なら心配する必要なし、肉を食べよ!などという、まあ、よく言われることをまとめただけの本だ。が、団塊の世代、ポスト団塊で和田秀樹は有名人であり、東大卒の医者なのだから、という理由で売れ続けるのだろう。和田秀樹の最も優れたところはそれで、つまり消費の主役である団塊世代にターゲットを絞って出版する戦略家としての能力だ。この世代は、少なくとも紙の本や新聞で活字を読み、特に新書版に弱い世代であることを熟知している。しかし、文化論としては『バカの壁』とは問題にならないくらい低次元であることは、書いた本人が一番知っているだろう。件の銀行員は、客が勧めたから、メルカリで半値で購入。パラパラと読んで話を合わせておこうという感じ。まあ、そういう世代なのだろう。
2024.01.13
「1位じゃないとダメなんですか?」というのは、民主党政権の時に蓮舫が、スーパーコンピュータの計算速度が世界2位になったことを指して、国会質問した有名な言葉である。この時に、民主党政権の経済オンチ的危うさはもう露呈していたと言うべきなのだろうが、当時はこの言葉は、好意的に報道されていた。今や、日本はGDPで今年ドイツに抜かれ、その後もインドなどグローバルサウスと呼ばれる新興国にも、抜き去られる形勢だ。2位どころか、G7中最低とか、そういう指標も多くなっている。明日、取引銀行が来るのだが、新型NISA、自分はSP500と全世界株式(除く日本)に7:3くらいの比率で毎月積立をしようかと思っている。まあ、投資だから元本割れもあるわけで、そうなっても困らない程度で、円預金を外貨建てに変えていくということだ。「賃上げ」が盛んに言われ、連合も大企業も積極的だが、あまり言われていないが、年金生活者は「賃上げ」に置いていかれる。物価・賃金連動で多少は上がるが、マクロ経済スライドという訳の分からない制度で、上げ幅は抑えられる。そうなると、多少現預金を持っている高齢者が、資産を何とか目減りしないような行動を取るのは、当然で、そこに新型NISAがうまく嵌まった恰好だ。などという長い前置きをして、短い日記。1月10日(水)健康麻雀。どうも最近1位が取れない。最下位は何とか免れるが、2位がやっと、3位も多い。これは「天鳳」も同様で、こちらは最下位に沈むことも結構ある。考えてみると「ベタ降り」が少なくなっている。麻雀は運が半分以上。安い手で突っ張って、放銃してしまうと、自らの運をどんどん悪くしてしまう。やはり、こちらも基本が大事ということだろう。
2024.01.11
1月8日(月)新幹線駅のピアノを弾いてきた。『人生のメリーゴーランド』は、時間を置いて2回。最後の両手オクターブユニゾンで駆けあがっていくところが、イマイチ。ここでミスをするのは、致命的だ。2回目はほぼ完璧だったが、1回目は・・・。妻の『糸』はまだまだよくなっていく。他のレパートリーも自分と違い、毎日1回は弾くから、いい感じだ。弓は午後。日曜日に18本射ったのでその続き。280ペースで来たが、最後に8点を射ってしまい279。壁というのは、こういう感じだということは分かっている。どうしても越えられない結果が続くが、ある日ポンと越えてしまう。そうなると、なぜそこが壁だったのかが分からない。だが、弓にそういう情熱を傾けることはもうない。その後30射。274。7点と8点がやはり終盤で出てしまった。原因は疲労と点数意識だろう。3本を5回射って休むペースで練習しているが、それでも4,5エンドにバテる。越えるものはすべて手探りの中で見知らぬ旅人に夢よ多かれ(吉田拓郎 『人生を語らず』)1月9日(火)胃カメラ。モルト型リンパ腫以来、毎年1回。今年は鼻からうまく入らず、痛かったが、異状なし。もういいかな、と思うのだが、まあ、年に1回くらいならいいか。何だか疲れてしまい、帰宅後は午後中ダラダラ過ごした。何時間でも眠れる。今日は、また寝坊したが、健康麻雀にでも。毎日休みが続き、そろそろ仕事がしたくなるのだが、フルリタイア生活はこんな感じかな、と思っている。
2024.01.10
1月7日(日)何だか疲れてしまい、久々に寝坊をした。訳の分からない夢も見た。それでも午前中に一階の掃除。昼は七草粥に、お餅、いくら、たらこを載せ、何だかお茶漬けみたいになったが、美味しかった。ピアノもほどほどに。射場を閉めに行って、ついでに18射だけ。6本が10点で他は9点。大分、点数的には戻ってきている。もうすぐ280が射てそうな気がするが、試合は今度の日曜日。今日も祝日なので、射場は開けるが、別にたいして射つ気もない。ちょっと遠い駅ピアノにでも、と思っているのだが、気分次第。
2024.01.08
英語education、独語Erziehungが、日本語の「教育」という語に相当するのだが、原義とニュアンスはかなり異なる。「教育」は、例えば「訓育」、「養育」などと並べてみると分かるが、「育」は「そだてる」というより「はぐくむ」と読むのが適当であり、子どもに対して母性的な愛情を注ぐことが、そのベースにある。それに対して「教」は「教練」、「教鞭」などのように、既にその時代の社会規範の中で生きる者が、年下の者に向かって「教えを垂れる」というスタイルを想起させ、集団教育の原型はむしろこちらの方に見いだせる。両者に共通するのは、成熟した者が、未成熟な者に対して行われるという含意であり、そこに「命令ー服従」関係を「教」の部分で求め、「愛情を与えるー与えられる」という関係を「育」の部分が補完する。自分が若いころ、「あの先生の授業はビシッとしていて、すごくいい」という評判の年輩の女性教師がいて、確かに板書は整っているし、授業中の私語など皆無である。生徒は読めと言われれば、大きな声で読み、書けと言われれば、綺麗な字で整った板書を写す。その間、机間巡視をして生徒の姿勢の乱れを正す。「これじゃ、まるで軍事教練だな」と思った。どんな教え方をしても、そこで優等生は生まれるが、彼女は形式的に整うことを人生の目的とするように育つだろう。その同じ教師は担任をすると、その姿が一変する。朝礼などの集団訓練では、極めて厳しいが、生徒の非行などについては、特にそれが退学勧告のような重いものであればなおさらなのだが、徹底的に隠す。つまり、母親的な盲目の愛情を注ぐ。まだまだ教師として、自分のスタイルが出来ていなかった時だったが、最初から「これは違うな」と感じていた。その教師が同僚と長年の不倫関係にあり、相手の本宅の敷地内に別の家を造り、そこで暮らしていたのは、職場では有名な話で、自分はそれを知ったときには驚いた。が、どこかで「そうだろうね」とも思った。彼女の「どこまでも生徒に厳しく、またどこまでも甘い」職業的態度は、その話を聞いたときに、分かったような気がした。ちょっと話が逸れたが、educationの方は、元来「引き出すこと」という意味である。独語erziehungも同様で、ziehenは「引く」という意味の動詞だ。この語には、子どもに内在する能力を「引き出し」て、顕在化するという教育概念が含意されている。簡単に言えば、教師が「教える」形式ではなく、生徒が「分かる」ことが重要なのだ。そのことを知らない教師は、依然として多い。
2024.01.08
1月6日(土)朝にサインドイッチを作り、11時。はりきって健康麻雀。最強卓はもう始まっていて、もう一卓もメンバーは座っている。それで三番目の卓に。名前も知らないが相当お年寄りの女性二人と同年配の男性。最初に混一ドラ2を上がったが、それっきり一向に聴牌しない。聴牌の一つ前の状態を一向聴(イーシャンテン)と呼ぶが、麻雀ではそこの作り方が最重要だ。例えば1・3、5・7の間、嵌張で聴牌ができそうだとすると、聴牌になる可能性があるのは、2と6の2個しかない。これが、片方が2・3なら、1と4、6の3個。もう片方も6・7だと1と4,5と8の4個。さらに余る牌が一つあって、そこが9・9・9と暗刻になっていると、1,2,3,4,5,6,7,8のすべての牌が来れば聴牌になる。そういうふうになるべく多くの牌で一向聴(イーシャンテン)を作るのが聴牌効率の上で重要なのだが、昨日はそうやっても最後の一牌がまったく来なくて、ストレスの溜まる麻雀だった。しかも打牌がみな遅い。そのくせ、先ヅモするなどマナーもよくない。3時間で2半荘はできなかった。普通なら4半荘できるところだ。まあ、しょうがない。2時で切り上げることにしておいてよかった。早々に退散して、射場に。射場では20-12ではなくFATBOYを使ってみた。60射。279-274=553とズル射ちですっかりおかしくなっていた調子は、元に戻った。今日は、少し疲れたのでゆっくり家事をしながら過ごす予定。もちろん「天鳳」もする。
2024.01.07
1月5日(金)朝食はサンドイッチ。午前にピアノ。三階近射。妻と麻雀。昼食は納豆餅。午後から、今年初のストピに。場所は植物園。猿が温泉に気持ちよく浸かるニュースが時々出る有名なところで観光客も多いし、市民も結構行く。そこの温室の奥まったところに、小さなステージがあり、アップライトが置いてある。手入れはいいのかな?と思って座ると、白鍵にいくつもの横筋が入っている。ひび割れている感じだ。『人生のメリーゴーランド』。これを外で弾くのは初めて。YAMAHAのピアノだが、調律はバッチリだし、タッチが電子ピアノのように軽い。どうやら、ひび割れではなく、象牙の鍵だったようだ。これは高級品である。「あ、ラピュタ?」という声がして背後に人の気配。妻によると、子どもたちが結構聴きに来たと言う。やはりジブリは人気があるらしい。妻は『糸』。これは、もはや子どもたちには分からないだろう。それから自分が『トルコ行進曲ジャズ』。観光客のカップル。台湾からと言う。「すごい!」の一言。やはり聴く人がいてこその音楽だ。まあ、後は適当に、妻は5曲、自分は3曲。帰りがけ、前から気になっていた「TeaRoom」という喫茶店に。店というより、立派な家の一階の3室を使っている。着物の帯で仕立てたクッションやテーブルクロス、椅子、塵一つ落ちていない床。和室もあり、座卓もいいものだった。エルサルバドルという有機栽培の珈琲、自家製ケーキを頼んだ。珈琲は美味しかった。夜は炒飯。今日は健康麻雀の予定。
2024.01.06
1月4日(木)久々に朝食はピザ。雪が半分解けた庭のイタリアンパセリは、雪の下で元気に育っていた。それと、サラミ、ミニトマトで。10:00から射場開き。おそらく来年以降はいないから、参加しない。ということは最後の射場開きということになりそうだ。「切れる射」を三階で一日30本やってきたが、大体30射~40射くらい射って、8点は6本、10点も6,7本。270ペース。ということは、三階近射の効果は一定程度あったわけで、これからも射場にはあまり行かず、自宅近射で、まあ、少しだけ努力を続けようと思った。もう、のめり込むことはないだろう。昼食は、雑煮。これで、煮しめを1回食べれば、正月料理は終わりだ。今年は残り物がなく、ちょっとはフードロスに貢献したことにもなる。ピアノは午前、午後。『赤とんぼ~ジャズバージョン~』の譜読みを始めた。『アメイジンググレイス』も同時に始めたい。『人生のメリーゴーランド』は相変わらず、同じところができたり、できなかったり。妻と麻雀。まあ、勝ったが、天鳳の方は調子が悪い。明日の「初打ち」がちょっと心配。夕食は、お煮しめ、鰺の開き、雑煮とすき焼きの野菜などの汁物。まあ、平常通りに近いメニューになった。
2024.01.05
昨年終わりから綴ってきた「教師論」の4回目。比較的時間の取れる時に、綴っていこうと考えていた。教師を「生徒の支配者」と「生徒の成長を喜ぶ者」に大別し、前者について前回まで論じてきた。よく「教師なんて、実際の社会では通用しない」という言い方をされるが、それは大体二つの意味でそう言われる。一つは「実際の社会では、『支配ー命令関係』の中で人間は生きていて、教師のように一方的に子どもを支配するようなことはできず、誰かに支配されざるを得ないのだ」という意味だ。つまり、彼は人間関係を「支配ー被支配」関係としてしか捉えていない。その上で、被支配者である自分のような生き方は、相手が子どもとはいえ、支配者である教師にはできない、と言っているのだ。彼は大体、一流企業ではない会社に勤務していて、1970年代の「人材確保法」以来、地方公務員よりは水準が高くなった教師の収入にも及ばない給与で生活している。そこには、弱者のルサンチマン(怨恨)がこもっている。もう一つは、「実際の社会では、支配できるのは一部のエリートであり、そこに至るには大変な苦労を伴う。それに比べて、教師は明らかに何の努力もせず、最初から支配者として子どもの前に君臨するのだから、楽な仕事だ」という意味である。彼らは、もちろん教師には得られないような給与を得ていて、強者としての立場から、教師を見下す。が、彼らもまた「支配ー被支配」の人間関係の中で生きているのは、先の場合と同様である。彼らは、教員が校長になった時に、特にその比率が非常に低い高等学校で校長になった時に、やっと自分たちの「仲間」、といっても、相当下のランクの仲間として教師を認める。校長だとしてもそれはたかだか数十人の教諭等のリーダーであり、公立であれば教育委員会という行政組織の言いなりになる「中間管理職」にすぎない。しかし、そのような彼らにしても「生徒」だった時代もあり、何人かの良い教員には出会っている。同窓会などで、懐かしい「恩師」を呼ぼうとするのだが、それは必ずしも生徒を支配する教師ではない。そうではなく、支配者としてふるまうこともなく、生徒を選別しなかった教師をぜひ呼びたいと考えるようだ。ところが、そういう教員は呼ばれても、あまり来てくれないことも多い。RCサクセションの『ボクの好きな先生』にはそういう教員、つまり生徒を選別しない、というかそもそも生徒とあまり深く関わらず、飄々と生きている美術教師が描かれている。タバコを吸いながらあの部屋にいつも一人ボクと同じなんだ職員室が嫌いなのさボクの好きな先生ボクの好きなおじさんタバコを吸いながら絵の具の匂いのあの部屋で劣等生のこのボクに素敵な話をしてくれるボクの好きな先生ボクの好きなおじさん(RCサクセション 『ボクの好きな先生』)。
2024.01.05
1月3日(水)昨日は、フォーク酒場に行く気になっていたから、朝からいろいろなことを前倒しで。といってもまだ三が日。家事は今日あたりからと思っている。前倒しにしたのは弓・ピアノ。結局、遊ぶために遊びを前倒ししただけ。弓は、三階射場で30射。マイルールの点取りで277。悪くない。どうやったら、「切れて」くれるかを中心にやった。押し手と引き手は、完全に直線にはならない。だが、押す力と引く力のベクトルは、バランスされ、三角形の長辺は的に向かって一直線であることが必要だ。二点照準のコンパウンドでは、照準を合わせた上でそれをやらないと、矢は中らない。まあ、そんなことを考え、どうやったらセンターに狙いをつけたまま、引いて、押してと、この4日間ほどやっていた。まだつかめない。力のバランスか、角度か。だが、最後のバックテンションが必要なことは確かで、カスケードのボタンを押す前に、バックテンションを意識し、左肩甲骨を締める方向に動かす動作があると、押した途端に「切れる」時がある。これだな、と思って続けると、次は切れない。何かもう一つ要素があるようだが、それが分からない。と、何だか「競技者」みたいだが、サンデーアーチャーでも弓は弓、やることはやらないと面白くない。ピアノは、元日に録音してみたら、演奏時間が5分と少し。あれ?エリーゼの制限時間は5分じゃなかったか、と思って去年の要項を見たら、やはりそうだった。それで、少し速くすると4分50秒くらいにはなる。しかし、たったそれだけ速めても、やっと押さえられるようになったオクターブの和音が濁る、跳ねる。8分音符で4音連続するところは特にそうなる。本当はスラーで綺麗につなげないといけない。装飾音も少し速いと左手と合わない。それで悪戦苦闘しているが、発表会は3月、エリーゼ地区予選は6月だ。あと半年あれば、いくらなんでも弾けるようにはなるだろう。『人生のメリーゴーランド』のほかに、ストピ用のレパートリーが欲しいので、『アメイジンググレイス』『赤とんぼ~ジャズバージョン』も譜読みを始めた。こちらは、まだまだ通せない。午前と午後に2回練習。昼寝は2回。最初は箱根を見ながら。次は夕方。なにしろ、いつもは寝る時間に歌いにいくのだから、あらかじめ休んでおくことは重要だ。外で遊ぶのには、気合いが不可欠だ。夕食はお節とオードブル。これですべて片付いた。今回は三が日でちょうど食べきった。お煮染めが残っているが、それも今日一度火を入れて食べる予定。夕食後、7時過ぎに出かけ、ひと月ぶりのフォーク酒場。2日は今年最初で盛況だったそうだが、8時近くに着くと、客は6人。まあ、狭い店内なので、それでも満席感はある。ライブなどではぎちぎち入れて20人くらいの店内だ。真ん中のテーブルに座ったが、左は3人の女性客、初めてだと言う。右はご夫婦。ご主人とは1,2回一緒だった。半年ぶりくらいだと。まず、拓郎。マスターと『白夜』ともう一曲(タイトル忘れた、あ、『硝子の部屋』だったかな)。次の番に、初めて岡林『山谷ブルース』『友よ』。これを知っている世代は大体70歳以上。自分も同時代に聴いたわけではない。ご夫婦の奥さんの方が、「『糸』弾ける?」と耳元でささやく。歌いたいらしい。「『糸』ならウチのが得意なんだけど、まあ、コード譜あれば大丈夫です」「もう一曲歌えたら、『なごり雪』も」。やっぱり、ギターが多いので、ピアノでうたってみたくなるらしい。それで、引き続き伴奏で2曲、ご主人のギターも入る。自分としては、もう少し何とかうまくつけたかったのだが、エラく感激され、「次、またぜひ!」と。「じゃあ、練習してくるから、リクエストしといてください」。何やかやと楽しい2時間を過ごし、10時半帰宅。フォーク酒場だが、自分は車で行くから飲まない。飲めばもっと楽しめるのだが、行き帰りタクシーとなると、お財布が大変だし、バスと電車で行って、帰りは電車の終点からタクシーという手もあるが、冬場はちょっと辛い。次は、20日に高校の同期新年会が近くであるから、その足で行く予定だ。とまあ、結局は極楽とんぼの三が日だった。
2024.01.04
1月2日(火)午前は、箱根を見ながら。本命駒沢を、青山が見事に制し、往路優勝。今日、どうなるか。昼前に、妻と初売りに。久々だ。妻はスパイクの付いた防寒ブーツが目当てだったが、自分は特にほしいものはない。帰りにケーキとお焼きを買い、一番近くにある小さな神社で初詣。おみくじを引いたら、二人とも中吉だった。まあ、これでいいのかな、と思った。めでたさも中くらいなりおらが春(一茶)というところだろうか。この歳になると、人生の波は穏やかな方がいい。大波に乗って華やかな成功を夢見てもしょうがないのだし、かといって、大波に沈んで、アンダーグラウンド、地獄巡りの旅など真っ平御免だ。ほどほどの幸せがいいのだが、日本社会からそれは急速に消えつつあるのかもしれない。一億層中流の子どもたち、団塊ジュニアは、もはや総中流ではない。「親ガチャ」と呼ばれる世代のはしりだ。幸せだとは言わないが不幸ぶるのは柄じゃない(吉田拓郎 『流星』)夕飯。残りもあと少しになったお節とオードブル。能登はどうなったかな、とテレビをつけると羽田空港でジェット機が燃えている。見た瞬間は、これは乗客は助からないだろう、と思ったが、まもなく全員無事脱出との続報が入ってほっとする。しかし、衝突したという海上保安庁の乗員は5人亡くなった。石川県に物資を運ぶため羽田を出ようとしたところでの衝突事故だという。原因は分からないが、一種の二次災害と呼んでもいい。何だか、不穏な年明けになった。地震、事故で亡くなった方のご冥福を祈りたい。今日は、気合いを入れてフォーク居酒屋に行こうかな。
2024.01.03
何となく今年はよいことあるごとし元日の朝晴れて風なしというのは、啄木のせつない歌だが、元日のきまぐれな晴れて穏やかな空に、一年の幸運を祈るほかない詩人の孤独は、今ならよくわかる。朝、恒例の雑煮を食べ、昼からはお節とオードブルを消化しないとという強迫観念。晦日から元日にかけて、1.5kgも体重が増えている。駅伝を見るともなく見て、年賀状が来て、書いてない人からが3枚あったので、それを書いて郵便局まで徒歩で。せめてもの運動不足解消。三階近射も30本通せた。インナー10にすっぽり入って10点。インナー10ラインにかかれば9点。アウター10ラインにかかってしまうと8点。それにもかからないと7点という近射基準で、272。まあまあである。さすがに5mで黄色の外にはいかない。3日目でインナー10のラインはほぼ潰れてしまった。セットアップの基礎基本、バックテンション、残身などチェックポイントもシンプルにしている。午後、妻の提案で百人一首。二人なので、読み手も札を取る。15枚差の圧勝だった。百人一首をゲームとしてしたのは数えるほどだが、44年も教えていれば、うろ覚えでも覚えている歌は多い。次は麻雀。万子を抜き、後は普通度通りのルール。こちらはハコテンを食らう。高齢者夫婦の暇潰しには違いないが、一人でテレビを見ているよりはずっといい。天鳳は今4麻2段、3麻初段。休みの内にあと一段上げたい。一人で見るのが儚い夢なら二人で見るのは退屈テレビ(井上陽水『青空一人きり』)さて、『笑点』の正月特番でも見ようかと思って、テレビをつけたら、石川県の大地震、津波の緊急速報。よりによって元日に・・・一昨年、GOTOで金沢にも行った。自分たちの旅行はそんなのばかりなのだが、いい街だった。レンタカーで足を延ばした五箇所村もよかった。観光地だから、旅先で大変な目に遭った人も多かっただろう。テレビは「津波・逃げて」の大きなテロップ。AI音声の切羽詰まった避難のよびかけ。テレビ東京以外の民放も同じで、正月特番はほぼ潰れている。まあ、どうせ録画だし、暇潰しにしかならないのだから、緊急放送に異論はない。が、せめて英語の他に、中国語、韓国語くらいはテロップで流すべきだと思う。今朝はどうなっているかなと思ったら、箱根駅伝は中継があるようだ。津波も大きな被害には至らず、震度7で輪島市を中心に火災、家屋倒壊もあったが、地震規模の割には少ない被害だったようだ。こちらはまったく揺れも感じず、津波の心配のない丘陵地。災害はいつ来るか分からないとは言うものの、のんべんだらりとした正月が続く。今日は初売りにでも出かけようかと話している。
2024.01.02
楽しい年越しだった。すき焼きは買い足した肉までは手が出ず、オードブルもちょっとずつ食べただけ。紅白も見ず、ただただ4人で楽しく話していた。今年度いっぱいで退職のCちゃん(息子のお義母さん)。来年度は旅行もいろいろ行きたいとか。娘のところにも、息子のところにもビデオ通話。いい時代になった。大晦日の宴は9時ころまで続いた。それから、自分は12時、つまり元旦まで何とか起きていたのだが、それからすぐ寝入った。夢も見ていない。一年の垢も落としていない。ともあれ、今回も楽しい年越しだった。朝、いつもより1時間遅く目が覚める。喉が渇いているので、みかん。珈琲。腹はまったく減っていいないから、ヨーグルト。朝はこれで十分だ。妻が起きてきてお雑煮を食べるなら付き合う。
2024.01.01
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