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毎日が日曜日というわけでもなく、かといって、毎日が出勤日でもないセミリタイア生活も、この3月で5年。ちょっと収入は減るが、6年目に入ることも確実だ。今週は、仕事が結構忙しい。授業自体は4時間しかないのだが、教科会が3時間ほどあり、加えて二次試験指導が三人入る。もう3年は出校義務はないから、「1時から2時間くらいね」という感じで約束して教える。それが3人だと6時間程度。その予習はたっぷり1時間かかる。なにしろ解かなけりゃ教えられない。現代文の場合、ちゃんと受験指導したことのある教師なら知っての通り、赤本と旺文社大学入試問題正解ではまるで解答が異なることがある。全体としては後者の方がましだが、誰も書けないような解答、つまり受験生は一人も書かないような解答も時々ある。そんな解答を提示したって何の意味もない。満点ではなくても、80%、悪くても70%は得点できる書き方はある。合格最低点から推すと、例えば北大の合格者平均は国語二次で60%程度。古典の方は80%は取れるから、現代文は50%でいい。そこで最も取りにくい記述で70%取れば、十分だ。その書き方を教えるのが例年2月の自分の仕事だ。マンツーマンだから時間はかかる。そういうわけで弓の方は、今週は明日夜に射場を閉めにいくついでに一度射てるかどうか。健康麻雀はお休み。金曜日から二泊で角野隼人のコンサートに妻と出かける。東大出身の才能ある人だ。
2022.01.31
4時半ころ寝覚め、昨夜途中で眠った「シカゴファイア」シーズン6を見てから、5時ころ起床。薬罐で湯を沸かし、ブロッコリー、トマト、ゆで卵、焼き豚を皿に並べ、コーヒーを淹れる。それに食パン半分を焼いてバム(バターと苺ジャム、井上ひさしの命名だ。この食べ方を知ったのは70年代、母が井上のエッセイを読んで、やってみたらやたら美味しかった)。それを食べてから、火曜日に指導する生徒の分の過去問を解く。政治社会学の文章。生徒は半分強は取れているが、これは80%に上げるのは並大抵でない。だが、そこまでいくと現代文としては十分合格点で、見込みはある。一時間ほどかかった。そして、今、二杯目のコーヒーとともに、この画面に向かっている。これから「天鵬」で半荘1回くらい打とうかな、と考えている。夕べからまた少し降ったので、雪かきが必要だ。弓は昨日は朝に50射くらい。HBCにしてから、大分ましになったが、肩が痛い。昨日の麻雀は散々。4半荘で2位が1度、後は全部3位だった。どうも「天鵬」の悪影響ではないかと思うのだが、何とかしたい。さすが「亡国の遊戯」というだけあって、少しやり過ぎている。だから、朝は一回だけにした。
2022.01.30
初段になった「天鵬」は昨日は最悪だった。大体10半荘やって、ラスを4回ほど引いてしまう。このまま、今日の健康麻雀教室に行くのも嫌なので、今朝起きがけに半荘。最後の満貫でやっとトップ。赤ドラがあると、かなり条件が違う戦い方になるのがまだよく分かっていない。後は誰かが箱割れした時点で「飛び」、終局してしまうという点。これはちょっと困る。競技はルールを熟知しないと勝てない。「天鵬」は大体同じ段級位のものでやるので、実力は初段前後では常に伯仲している。なかなか勝てないのも道理だ。さて、今日はこれからコーヒーとピザで朝食。もう一度寝直して、9時から射場。11時から麻雀教室。「健康」な一日だ。
2022.01.29
「男は黙ってサッポロビール」というCMコピーが流行ったのは80年代だったと思うが、「黙って」いたら、面接や小論文、現代文、英語、その他あらゆる試験に合格することなどできない。「黙っていても分かれ」というのは、実は典型的な幼児性の表れであり、「○○ちゃん、どうしたの、お腹空いたの?じゃあ、ミルクあげるね」という母親の庇護の下にあり続けたいだけのことだ。物事は「説明」しないと分かってもらえない。「説明」の中心は「言葉による説明」である。建築図面とか機械の設計図なども一種の言語なのだから、言語的説明には違いないが、この際それは除いて考える。言葉で「説明」できる、ということは、その説明する内容について「分かっている」ということであり、だからこそ「現代文」に限らず、まともな大学のまともな入試問題では「説明」が要求される。もちろん、説明のためには「知識」が必要で、しかもそれが体系化されていなければならない。「知識」はしかしITのおかげで、あっという間に調べられるようになった。ひょっとしたら、「辞書持ち込み可」でなく「○○というアプリだけが入ったPCを使用できる」という入試が行われるときも来るかもしれない。しかし「知っている」だけでは「説明」にならない。こんなことを書いたのは、昨日一人、今朝も一人の二次対策で過去問を一年分解いたからなのだが、現代文の中心は「傍線部を説明せよ」という問題だ。それは文脈を丁寧に辿り、傍線部がどのような思考につながるか、どのような思考と対立するかについて、把握しないとできないことだ。「指示語問題は大体1~2行前に答えがあるからね」などという国語教師がかつていたが、この人が「読解」ということについて何も分かっていない人だったことは確かだ。そんなことは、受験テクニックですらない、ただのデタラメである。まあ、生徒に教えている指示語問題の解き方は、そのうち書こう。文章を論理の体系として読めたとき、初めて「説明」が可能になる。端的に言えば「言葉を言葉で説明する」ということは「言葉を、文脈上つながる別の言葉に置き換える」という作業であり、それは読者がどの程度までこの文章の論理を把握できたかという目安になる。現代文がいくつかの小問から成っているのは、比較的簡単に掴める構造から、全体を俯瞰しないと掴めない構造までを問うているからで、従って後の設問にいくほど、難しくなる。また、最初の簡単な設問も全体的把握がないと正確な解答は書けない。まず、漢字問題を、というような指導は「ものを読む」ということ知らない国語教師の戯れ言であり、漢字ドリルに命を懸けるような指導は、完全に間違っている。だが、そういう国語教師は多い。彼らは、解答は解答集に書いてあると思っているから、自分で解かない。自分で解かないで、なんで文章を体系的に把握などできるだろうか。この時期になると、いつも思うことだ。
2022.01.28
毎年のことだが、3年生のこの時期は二次試験に向けた個別の指導が始まる。今朝も、1時間ほど「総合問題」と格闘した。英語と日本語が交互に出てくる問題文で、その内容を聞いたり、中学程度の方程式を立てて解かなければならない計算問題があったりと、まさに「総合」問題なのだが、苦労したのは数学。たいしたことはないのだが、1/5の富裕層と4/5の貧困層が現在いて、もし4/5の貧困層が、今の2倍資源を使うようになると、地球は4個必要になる。さて、一人当りで考えると富裕層は貧困層の何倍資源を浪費しているのか、という問題。まあ、これを読んでヒマを持て余している人は考えてみてね。内容は、文化人類学で、どこそこから出た打製石器が人類の手によるものか、いや類人猿が作ったのか、たまたまできたのかなどという、正直言って興味も何もないものだった。しかし、生徒は真剣でこちらに頼みに来るのだから、できる限り答えてやることにしている。
2022.01.27
このところ、一時ハマっていた「天聖」という無料麻雀サイトではなく、「天鵬」に変えた。最大の違いは、匿名個人の対戦型であり、CPU相手ではないことだ。「新人」という位置から始まって、9級→8級と進んでいくのだが、けさ2連勝して1級になった。一週間くらい要した。匿名とはいえ、人間が相手だから、やはり面白い。少し間を空けて考え、その後、鳴きが入る、というような気配は感じられる。しかも段位が分かるから、実力も推し量れる。もちろんリアルの方がもっと分かりやすいのだが、気配が希薄な分、捨て牌に十分注意するようになってきた。「天聖」のCPUは考える間もなく捨てるので、ついついこちらも相手の捨て牌への配慮がお留守になる。聴牌や和了以外では手牌が公開されることがないのも、リアルと同じでいい。よく、人が和了した後で、「あ~、惜しかった。私、こんなだったのよ」と言って手牌を開けてしまうのがいるが、あれはいただけない。リーチで上がれなかった人に「何の待ちだった?」と聞くのも、本当はしてはいけない行為だ。そういう点で、「天鵬」はリアルに近い。唯一困るのは長考できないことだ。多分5秒か10秒だと思うが、それ以上経つと、自動的に自摸切りされてしまう。今朝も、リーチに何を通して回すかを考えていたら、自摸切りされてしまった。当たらなかったが、切ってはいけない牌だった。しかし、長考することもこちらの気配を相手に伝えてしまうことになるのだから、まあ、それもいい仕組みなのかもしれない。今のところこのサイトがベストだと思う。五段くらいになったら、有料会員になってもいい。世の中には暇な人がいるもので、朝6時くらいでも4人戦東南で100人くらいが対局している。あ、そっか、オレもその一人だった。
2022.01.26
いつか書いた生徒への課題、宮沢賢治『永訣の朝』の中の『「(Ora Orade Shitoriegumo)」という一行はなぜローマ字で書かれたのか』についての、自分の解釈である。最後に書いたように、詩の解釈に正解などなく、一人一人がそれに向き合うところからしか、出発できないということを、強調しながら提示した。『永訣の朝』のこの表現についての解釈は様々だが、ここではそれを音韻論と意味論の両方の視点から考えてみよう。 これが「わたしはわたしでひとりでいくもの」という意味の岩手方言であることは疑いなく、問題はそれをなぜローマ字で書いたのかだ。 方言、特に東北方言は、母音の発音、特にイ音、ウ音、エ音の発音が不明瞭で、混じりやすいことはよく知られている。「Shitori」は「しとり」とも「すとり」とも聞こえるし、「egumo」は「エグモ」とも「イグモ」とも聞こえる。この母音の不明瞭さは、もし仮名書きをすると、表現の契機を失うことになるだろう。賢治の時代であっても、あるいは岩手という必ずしも教育の普及が十分とは言えない地方であっても、仮名文字識字率はそう低くはなかった。しかし、ローマ字となるとほとんどの人びとは読めなかっただろうし、読めても「たどたどしく」だったろう。妹の発した言葉の特徴としてのこの「たどたどしさ」と「母音の不明瞭さ」を、ローマ字で書くことによって表したかったのではないか。 ただし、同じ妹の発話でも「(あめゆじゆとてちてけんじや)」や「(うまれでくるたて……)」は平仮名で書かれている。また、妹の発話の中で、「(Ora Orade……)」のみが「段落ち」していない。この二つの疑問は、意味論的視点から考えてみた時に一つの解釈にたどりつく。 まず、「(Ora Orade Shitoriegumo)」は「もうけふおまへはわかれてしまう」「ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ」という二行に挟まれていることから、多くの論者はこれを妹が死の間際に発した言葉だと解釈しているが、私はそうではないと考える。確かに「(Ora Orade Shitoriegumo)」という言葉を賢治は死にゆく妹の言葉としてとらえているのだが、実際に死んでいく人が「私は私で一人で行くんだもの」などと言うだろうか。「一人で行く」ということを、なぜ遺される兄に殊更、言わなければならないのだろう。そこにリアリティを感じることはできない。 この言葉を、賢治の記憶の中にある、まだ病気でなかった時に発せられた妹の言葉ととらえることはできないだろうか。それは、思春期の自立の決意の言葉だったかもしれないし、幼いときに喧嘩した妹が、泣きそうになりながら発した言葉だったかもしれない。もしローマ字が「たどたどしさ」を表現しているならば、後者の解釈が妥当かもしれない。いずれにしても、賢治はこの言葉を妹の「声」として記憶していて、それを「ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ」という最期の姿に重ね合わせたのではないだろうか。だからこそ、「段落ち」せず、前後の行にこの言葉は「並ぶ」のだ。 さらに言えば、ローマ字書きと妹がキリスト教の影響を受けていたことも考え合わせたい。聖歌集の中には、現在でもラテン語をローマ字で記述しているものがある。キリスト教信者にとっては、ローマ字は「聖なる言葉」であるラテン語を想起させるものだ。そのことと、詩全体のモチーフである「あめゆじゅ」を「天上のアイスクリーム」へと浄化することによって、妹の死を(あるいは短い人生を)、清らかなものにしようとしたこととは、必然的に関連する。ここで発せられた妹の「(Ora Orade Shitoriegumo)」は、賢治にとって天使の声のように澄明なものだったし、またそのようなものとして書き表したかった。 最後の「あめゆじゅ」が「天上のアイスクリーム」へと聖変化することを祈る気持ちに沿う表現としてローマ字書きが選ばれたのである。 もちろん、詩の解釈は、まったく個人の自由に属する事柄であり、他の解釈があやまりということはまったくない。そして、この詩全体を「私」という個人がどう受け取るかは、言うまでもなく「私」の全人格的問題である。
2022.01.26
昨日は、朝9時くらいに行って、射場を開け、10時まで。そして、夜7時から射場を閉める7時半までの2回。テーマはHBCで赤を出さないために何をしたらいいか。経験的にトリガーレスの方が、ちゃんと射ちさえすれば、矢はバラつかないと分かっている。問題は、「ちゃんと」の内容である。エイミングまでの動作の一定化、というか同一化がまず必要だ。「カチッ」となるタイミングも同じでないといけない。ただ、センターについていたエイミングが引くにつれてずれていく。これに関しては、ある程度許容した方がいい。が、許容限度を越すと、赤が出てしまうが、ズレても黄色を見続けることで、少しだけ無意識の修正がされる。そのためにも「カチッ」の時点では少なくとも黄色についていないといけない。後は、最後に引き手をさらに引くのだが、この時、引き手だけでなく、身体全体が「伸びる」ことを意識するといい。いわゆる「縮こまった」射の正反対である。「のびのび」から「のんびり」は転じた語だろうが、気分的にも意識を過度に集中せず、「のんびり」と射ちたい。今週は、そういうテーマで。
2022.01.26
前回の試合は543で、その前が556、昨年最後の試合が551。後2試合、地元であるのだが、とりあえず申請点530以上、人数16名以内で、556なら大丈夫だろうと判断して、近日中に選手権の申請をすることにした。が、2月末の試合で、今回の2月20日までの「蔓延防止等措置」の期間が延びたり、それまでに感染が抑えられない状況なら、おそらく2年連続での中止もあるかもしれない。どちらにしても、一昨日最後の数エンド使ったHBCがどうなのか、今日一時間ほど射場に。
2022.01.25
昨日は、同じ総合病院内で三科の受診。一つ目は、消化器外科。2年半ほど前、胃にモルト型リンパ腫が見つかり、放射線治療。その後、寛解したが、年に一回は胃カメラを呑む必要があり、数ヶ月に一回はドクターとの面談、処方箋を出してもらい100日分の薬をもらうことになっている。この日は、5月の面談と11月の胃カメラの日程を決める。次は放射線科。これも治療の予後を面談で確認するだけで、年一回。11月の胃カメラの日と揃えてもらう。問題は最後の泌尿器科で、1月5~7日の生検入院の検査結果を聞きに。「結論をいうと、超低リスクの癌が見つかりました」ということだった。「結局、14本前立腺を採取して、その中の3本から悪性腫瘍が見つかったんですけどね。これギリギリセーフなんですよ。それから、その腫瘍が最高でも20%の部分でしか見つからず、腫瘍の程度としては非常に軽度なんです。だから、この段階では、手術等の治療には入らず、年1回程度の生検と採血でのPSA値の推移を見て、経過観察を、ということですね」要するに、腫瘍はあるが「治療未満」ということらしい。前回のモルト型リンパ腫は「ステージゼロ」、今回は「治療未満」。これを悪運が強いと言うべきなのか分からないが、年一回の胃カメラに、前立腺の生検が加わった。何だか面倒なのだが、仕方ないかな。
2022.01.25
一回目は7点など量産し、269。Mも射たずに260台は情けない。二回目は、中盤までもっと酷かったが、途中HBCに換えてみたら、中りだし、最後を59で締めて、274。まあ、それでもよくはないのだが、今週はHBCで再びトリガーレスに挑戦、である。
2022.01.24
昨日は、やはり弓は休んでしまった。というか麻雀をフルタイムでやると4時終了、5時までの弓には当然間に合わなかった。夕方になるとやはり左肩が痛み出し、試合には出る予定だが、ぶっつけ本番、試射6本だけにしないと肩がもちそうにない。「切れる射」は特に負担が大きいから、「切る射」で何とかするほかないが、それでも引きが十分でないとひどい中りになってしまう。ハンデ戦なので560を出しても、2位か3位だろうが、その見込みは薄い。どうせなら、豪華景品?狙いのブービー賞にしようかな。
2022.01.23
昨日、書いたように大相撲はここにきて俄然面白い。御嶽海は苦手でしかも好調の宝富士を一方的に押しだし、二敗を守った。これで千秋楽は照ノ冨士との相星決戦かと思ったら、何と結びの一番で阿炎が照ノ冨士を突き出し、両者三敗に。そして関脇鷹の翔を破った新入幕琴ノ若、往年の名横綱琴櫻の孫も三敗。千秋楽は、その琴ノ若と阿炎が前半戦で、御嶽海と照ノ冨士が結びでという対戦が決まり、これは目が離せない。中日スポーツに『はやわざ御免』という洒脱な文章のコラムを掲載しているが、最近は調子がよくないのか、今場所は昨日を含め三度休載してしまった北の富士の解説があれば、さらによいのだが……。自分の予想をいえば、照ノ冨士の膝が昨日の敗戦で悪化、御嶽海が難なく勝ちそうな感じである。それが外れるとこの両者と阿炎と琴ノ若の勝者の巴戦で、予想が外れた方がさらに面白い。その他に、三役を目指す宇良や大鵬の孫王鵬の勝ち越しを賭けた一番などもあり、これは目が離せない。
2022.01.23
かつて麻田哲也という小説家がいた。代表作は『麻雀放浪記』。戦後の東京で、麻雀で命のやりとりをする男たちの群像小説で、小説の中に初めて牌符が登場した。「ノガミのドサ健」や自身のことと思われる「坊やテツ」など実に個性豊かな登場人物が登場する。二回ほど映画化もされている。最初のは真田広之が好演しているが、二回目は見ていない。麻田哲也はもちろん「朝だ、徹夜」のもじりだが、この人、色川武大という別の筆名で私小説も書いていて、『怪しい来客簿』が代表作。一度、センター試験に出題されたが、弟との現実とも夢ともつかない電車ごっこが描かれている。面白い。さて昨日の麻雀教室。4半荘打って、順に28900の2位、30900の2位、48400の1位、25800の2位。配給原点は25000,30000点返しだから、そこから見ると、-1100,+900、+18400、ー4200。1位に+40000、2位に+10000のウマがつくので、最終的には+8900、+10900、+58400、+5800である。まあ、全部プラスで、上手い麻雀は打てたのだが、『麻雀放浪記』のドサ健なら「麻雀はなぁ、坊や。トップ取らなきゃ意味はないんだよ。2位でもラス引いても、負けは負けってことさ」と嘯(うそぶ)くことだろう。
2022.01.23
今朝はもう起きだして、この画面に向かっている。我が家の暖房事情は、昔ながらのFF式ストーブ。強制換気システムなので、冬に窓を開けたりしなくていい。一階は居間と、続きの6畳の寝室で一台。あとは、実質的に冬は「冷蔵室」になっている玄関奥の6畳に一台。後は二階の居間と、続きの8畳に一台ずつ、二階の昔は子ども部屋だった6畳に一台ずつ。三階にも一台。この中で、実際に稼働しているのは、一階と二階の二台、寒いときは妻の寝室の二階8畳の一台。「稼働」というのは二十四時間炊きっぱなしということで、外のホームタンクは1月から3月までは、半月に一回給油してもらっている。元来、北海道の人間はおそらく日本で一番暖かな室内で生活している。昔は、石炭ストーブで、子どものころは、一日二回ほど燃えがらの石炭を庭に捨てるのが仕事だった。その間に父が新たな一台を炊き始める。つまり、ストーブごと取り替えるのである。もう「暖かい」というよりは「熱い」というレベルで、父は半袖シャツで冬を過ごしていた。最近の密閉性の強い寒冷地住宅では、エアコンで室内暖房をとるところもあるそうだが、当時は最新式の二重サッシで建てた我が家も、あちこち外気の入り口があり、室内での気温差は結構ある。例えば、今座っている居間の食卓テーブルはストーブから遠く、自分の席は居間のドアに近いから、背中がスースーする。すると途端に鼻水、くしゃみが出始める。22℃で設定してあるストーブの温度を26℃まで上げ、なおかつ玄関のファンヒーターを点火すると、何とかなるが、それでも息子の嫁がプレゼントしてくれたガウンを羽織り、パジャマの上から暖パンをはいている。それでちょっと汗ばむくらいで鼻水はとまる。清少納言が年寄りの「しわぶき声」を老いの醜くさの代表として挙げているが、多分千年前の年寄りも気温差に弱く、鼻水をたらし、盛大にくしゃみや咳をし、痰をまき散らし、嫌われたのだろうか。
2022.01.23
初場所は、期待以上の面白い展開になってきた。序盤、貴景勝が休場してしまったし、正代に至っては、昨日早々と負け越し。大関が、関脇や小結にころころ負けて、本来なら組まれるはずだった千秋楽の横綱戦まで外される、というのは屈辱以外の何ものでもないはずなのだが、ご本人は飄々と土俵を務めている。あるいは、ちょっとふて腐れたようにも見える。優勝争いの方は二敗の照ノ冨士、御嶽海、三敗の阿炎の昨日からの「巴戦」。今日は照ノ冨士ー阿炎戦。明日、千秋楽は照ノ冨士ー御嶽海。もちろん、昨日御嶽海に敗れた阿炎が一番不利な状況だが、今日、照ノ冨士に勝てば、また混沌としてくる。千秋楽、結びの一番が終わった段階で、三人が三敗で並び、再び巴戦という可能性もゼロではない。もし、その時に御嶽海が、阿炎にも照ノ冨士にも敗れるようなことになれば、来場所の大関昇進は、いくら協会が新大関を作りたくても、無理だろう。そうなると、ムラッ気の御嶽海、来場所まで気力が保つかどうか。序盤で2敗もすると、やる気がなくなることは間違いない。正代はさすがに大関の座を維持できないだろう。今の実質的力は前頭三枚目くらいだ。貴景勝も怪我の回復が遅れれば、カド番を脱せないかもしれない。最悪の展開を考えると、5月場所は横綱が一人。後は、大関はゼロ。入れ替わった関脇や小結、という客を呼べない布陣になってしまいそうだ。これでもし、照ノ冨士の膝が悪化して、休場でもしようものなら、横綱、大関が誰もいない場所になる。そうなると十両と何も変わらない。コロナで、全員が稽古不足という状況が招いた事態だろうが、競技としての大相撲の衰退期は確実に来ている。
2022.01.22
これは、もう、いけない。昨夜もオクターブ奏法で1曲弾くと、左の肩が痛む。弓を引くマネをしただけで、首筋がズキッとなる。麻雀も実は左利き。対面まで腕を伸ばして牌を自摸るのは多分きつい。これで、自分の中では三大趣味とひそかに思っていたものが、一つもできなくなってしまった。あ~あ…………などということにならないように、昨夜はモーラステープを盛大に左首と肩に貼ってから寝た。起きてみると、痛みはあまり感じない。左腕も、まずまず上がるし、弓を引く動作も大丈夫だ。多分、一番きつかったのはオクターブ奏法で、これは2,3日やめとけばそれでいい。というわけで、本日は、健康麻雀→弓という土曜日のお楽しみコースを。
2022.01.22
「四十肩」「五十肩」というのは聞いたことはあるが、「六十肩」はあまり聞かないし、「七十肩」にいたっては聞いたことがない。しかし、明らかにそんな感じなのだ。左の肩を持ち上げていくと水平くらいから上に、というあたりから徐々に痛くなる。激痛ではないから、上がらないということはない。原因は、レフティの引き手の使い方を変えたことかもしれない。とにかく、引ききる、というところからさらに引いて、「緩み」を出さないようにしている。今週は、そこから「切れる射」を完成させようとしたのだが、昨日はさっぱりだった。多分、自分が思っているより引けなくなっているか、引いても安定が保持できなくなっている。もう一つの原因はピアノだろう。最近は左手をオクターブ奏法で、というアレンジが多い。もともと手が小さく特に左はオクターブがやっとくらいなので、これで全部を通すのはきついのだが、ベースラインをオクターブで取ると、厚みが違う。さらに一つ原因を挙げれば、PC。特にオンライン麻雀「天鵬」である。画面を凝視しないと、最善手を見逃したり、対戦相手の聴牌の気配を感じられないので、リアルの麻雀よりもよほど目が疲れる。それが肩こりなどの症状につながる。昔は七十歳といえば立派な「後期」高齢者で、天寿を全うしたと言われる年齢だったが、今はまだ働いている人も多いし、老後の趣味を楽しむ人もたくさんいる。どうも自分の七十肩は、仕事ではなく趣味に起因するらしい。
2022.01.21
昨日の健康麻雀は1回目がトップ。2回目は18000点くらいの3位。好不調の振れ幅は大きなゲームなのだが、ここのところ2回トップということがない。確率的にはトップ率は50%弱というところだが、勝負に行っての放銃が1,2回あった。「勝負に行く」ということは、危険牌だと分かっていて振るということだから、それが当たらないのは「幸運」ということだ。その時に、これが勝負に値する手なのか、局面なのか、という判断が必要だが、そこは狂っていないと思う。「天鵬」という無料サイトを見つけた。これはリアルのメンバーのサイトで、一昨日あたりからやりだして数回で「新人」から「9級」になった。CPU相手の「天聖」よりは、ずっと面白い。「天聖」のよくないところは、対戦相手を最強にすると、やたらと聴牌が速くなるだけで、これだと下手な打ち手がつきについている状態と変わらないところだ。面白くない。まあ、何だかんだ楽しんでいる。
2022.01.20
ヨーロッパ各地では、オミクロン株でコロナ感染者数は過去最高。どうやら、今回はファクターXも吹っ飛んで、日本でも同じことになりそうな感じだ。反面、重症者、死者数はデルタ株の時よりはるかに少なく、オミクロンが弱毒化していることは間違いないようだ。昨夜のBSTBSではイギリスで「エンデミック」(パンデミックの終焉)という言葉が言われ始めたという。感染学の常識では、ウィルスは変異を繰り返しながら、弱毒化するらしい。今、必要なのは、例えばインフルエンザに比べて、オミクロンの重症化率、死亡率はどうなのか、という情報だが、調べられないのか、楽観論を警戒してわざと出さないのか、皆目分からない。「専門家」は感染者数が増えれば、重症者数も増えるから、警戒が必要だという当たり障りのない見解を垂れ流しているが、そんなことなら自分だって言える。ところが、重症者数がデルタの時の10~20%であるのは、数字を見れば明らかで、それは「ブレークスルー」という言葉で脅すにもかかわらず、ワクチン接種、ウィルス自体の弱毒化、相変わらず従順にマスクをつけ、手洗い、消毒、酒類の提供の自粛などの総体的効果だろうと思う。だから、やたらと脅すのではなく、このウィルスはたいしたことはないけれど、3回目の接種、マスクなどの感染対策は従来通り続けよう、というメッセージで十分ではないか、と思う。国民の理性をもっと信頼すべきだ。
2022.01.20
昨日は朝に練習に行ったら、初心者が来ていた。火曜日とは聞いていたが、朝だとは知らなかった。これじゃ18mは射てないから、15本くらいで引き上げる。2時半ころ、再度。もう一度「切れる射」に徹することに。「切る射」に戻るのは簡単だが、「切れる射」は「次からね」とすぐにはいかない。最後に点取り。54-56-56-56-58=280。8点はなかった。10点が10本ということになる。それで思いだしたのだが、8点を射つようでは、普通は280は出ない。右で調子のよかった時は、10点数を足しながら暗算していた。8点が出ると、引き算になるから面倒だったが、めったにないことだった。10点をどうやったら10本ではなく15本にできるか、それが課題だったし、当時の全日トップはそのくらいだった。8点が出ても、60射で2,3本なら550くらいにはなる。やっとそこを脱して、レフティでも10点数を足せばいいところまではきている。275と280、550と560の間の壁は結構高い。来週も試合。今度こそ「切れる射」を通したい。10点を狙ってさらに最後の引きをした途端に切れるというのが理想型だ。ちょっと出来かけている。今日は「サービス出勤」なので、弓はお休み。午後から健康麻雀だ。
2022.01.19
昨日、連絡が入り、今日と明日は臨時休校になった。明後日は、推薦入試だったことをコロッと忘れていて、これは、採点の仕事はあるが、今週は出勤はそれだけ、授業なし、ということになった。まあ、準常勤の特権と思って連休を楽しむことにする。今日は、9時半くらいに弓に。明日は、妻の活け花なので、お邪魔しないように昼から健康麻雀に。麻雀といえば、「天聖」で打っていたが、昨日「麻雀スタジアム」というサイトを新たに見つけた。「天聖」との大きな違いは、AIではなく、4人が揃ってゲーム開始となる、つまり、オンライン対戦型という点。打牌はどうしても遅くなり、時間がかかるが、その分、もちろんリアル感は増す。上手い人も下手な人もいる。下手だけどバカづきで勝つこともある。攻撃型もいるし、守備型もいる。昨日は4半荘ほど打ち、1位2回、2位、3位という感じだった。日本中には昼から麻雀を楽しむヒマ人はごまんといるのだ。ただ、一度卓に着いた者の責任として、途中退席はできない、というか退席するとAIが打つのだが、それは顔が見えぬとはいえ、対戦相手に失礼だと思うからしない。有料のMARU雀と違い、無料である。それで明後日は推薦入試。作問者だから、当然行く。来年度からはこの業務がなくなるのが最大の違いで、その分授業は増え、収入は減る。まあ、陰で作問の相談に乗ることもあるだろう。「日本的」と言われるかもしれないが、職場は自分にとっては「場」である。つまり「身の置き所」なのだ。この歳になって、生徒にも同僚にも頼りにされ、信頼されている人間関係の網の目の中に、我が身を置けるだけで有り難いことだ。さらに「家族」という網の目があることも有り難い。「ありがたし」は元来「滅多にない(ほどすばらしい)」の意味であることは言うまでもない。
2022.01.18
昨日は今年最初の月例会。カスケード青+トライアンフで「切れる」射で通す予定だった。8点はいくら出てもいいから、一度トライアンフが本当にダメかどうかを試合で試そう、という気持ちだった。276-280=55660射のうち、1回目の最後のエンドのみ赤。しかも8点ではなく7点。シーズンベストだし、自分としては言うことなし、と言いたいが、言うべきことは山ほどある。まず、「切れる」射を通すことは、3エンド目くらいからできなくなった。一度、どうしても切れなくて、切りにいってしまったら、その後は全部そうなった。ただ、そうなると「緩み」が出て、矢は8点どころか7点、6点、Mまでばらけるのだが、それは先述の一度だけ。60射のうち1射だけが7点というのは結果的には上出来だ。なぜ、そうなったのか。あくまでも「切れる」ことを目指したからだと思う。途中何本か「切った」のか「切れた」のかが、自分でも判然としない射があり、ほとんどそれは10点だった。それが理想の射かどうか分からないのだが、280を射てたのは、そのおかげだと思う。しかし、後半は酷い射も多かった。そのまま射つと6点くらいの射を押し手でなんとかカバーして9点というのが次第に増えてきた。来週も試合だが、練習はいつでも「切れる」射で射つようにすること。試合になったら、切れなければギリギリのところで切る。今週はそういう意識で練習したい。ともあれ、昨日の556が今のところの申請点だが、これなら通るだろう。地元の試合では、545→551→556と点数は伸びてきている。次の目標は560。
2022.01.17
単なる好奇心ではなく、仕事として毎年のセンター試験は解いている。それは、共通テストになっても変わらない。解きもせずに教えるバカな教師は多いのだが、多分彼らは80%も得点できない。それでよく教師面ができるものだと思う。さすがに、ここ2,3年は新聞の細かい活字を読むのは苦しく、職場で実寸大の問題を入手してから解くのだが、今朝はちょっと頑張って、第一問【論理】だけを解いてみた。感想は、これが【論理】と大袈裟な看板を掲げるほどの問題ではないな、ということに尽きる。普通の日本語読解ができれば、誰も間違わない。といっても平均点は25点前後だろう。マクロ、ミクロという視点で言えば、ここ数年、センターの最後の方から、マクロ的読解力、つまり文章が何を書いているのかが大づかみに掴める力が必要になってきていて、今回もその路線は踏襲されている。本文と選択肢文との細かな照応だけに頼っているやり方では、解けない。内容は、「食」という視点で見た宮沢賢治「よたかの星」論と「食べるとはどういうことか」という、哲学的といってよい二つの文章。それをAさんだか誰かがノートにまとめた、という最後の設問は相変わらず生煮えで、よくないが、他は概ね妥当な設問だった。ただし、問2、3は日本語のニュアンスを含めた語彙力が必要で、今の受験生の泣き所である。いつまで、この試験を自分は解き続けるのだろうな、とふと思ったりもする。。
2022.01.16
昨夜は、弓仲間との新年会。などと書くと、こんな感染状況でけしからん、なぜ中止にしないのか、という非難が聞こえてきそうだが、別に参加を強要しているわけでもなく、感染対策は各自でしっかりとってという集まりであり、非難されるいわれなど何一つないことを、はっきりと言っておきたい。などと、大上段に構えるほどのこともない。オミクロンの弱毒性は、専門家は正面切って言わないだけで、みんな気づいているし、外出や旅行がけしからんと声高に叫んでいた自粛警察の方が、基本的人権の侵害者であることも分かってきている。「正しく恐れる」などという訳の分からない日本語で、経済活動との両立を言い始めているバカなコメンテーターが増えてきている。「正しく恐れる」などということはあり得ない。恐いものは恐いし、恐くないものは恐くない。今、大半の日本人にとってコロナは恐くないのである。居酒屋は結構賑わっていた。いつものメンバーといつもの話なのだが、半年ほど前に入ったロシア人の若者がいて、いつもとは違う盛り上がりだった。26歳の彼は、ロシアでは真ん中くらいのCPアーチャーだそうで、それでも練習で290台を連発している。押し手がまるで棒のように動かず、見ていて惚れ惚れするようなフォームだ。あれなら、中るのも当然である。2時間ほどだったが、楽しい時間を過ごせた。
2022.01.16
昨日は9時ころから1時間半。どうやったら8点を出さずにすむか、がテーマだが、最初は盛大に8点が出る。9点に入っても左右上下落ち着かない。それで以前やっていた「切れる射」に切り替えてみた。これは言うほど簡単ではなく、例えば「切る射」をやっていて、たまたま「切れる射」になってしまうことはあるが、ずっと「切れる射」を続けるには、それなりの練習が必要だ。そういうわけで、かなり苦労しながら、「切れる射」で8点に外さないところまではきた。10点率も上がる。それから矢をトライアンフにまたもや懲りずに換えた。最初はダメだったが「切れる射」だと外さないようになってきた。そうなると23の太さはやはり魅力的で、明日の月例会はこれでいこうかと思っている。もちろん、今日は昼からたっぷりと練習する予定。あ、夜は本当に久しぶりの新年会。こちらでも感染はすごいのだが、元来あまり気にしていない。
2022.01.15
昨日は妻のガン検診の結果を聞くための通院。結果は乳がん、子宮がんともに異状なし。自分の前立腺もそうだが、とにかく検診は受けるようにしている。もし癌だとしても、早期発見なら助かる可能性は格段に高い。その後、久々に外食。今年初めてだ。病院に近い中華店で「五目あんかけ焼きそば」。いつも行っていたホテルの中華がなくなってしまったが、ここの方がおいしい。それから、YAMAHAに出向いて、グランドピアノのことを聞きに。前もって妻が電話した時には、部屋に入るかどうか、実物大の布を持って来てくれるというので、それを今月末にすることにした。C3ならサイズ的には余裕だが、問題は玄関からちょっと曲がって運ぶことが可能かどうか。ダメなら以前床を張り替えてもらった大工さんに、一端張り出している収納棚を壊してもらうほかない。そもそもグランドピアノを勧めてくれた調律の方は、ちょっと体調が悪いそうで、若い弟子?を連れてくるとのこと。「交友」というのではないが、そういうふうに長いつきあいだった方が段々一線を引いていく。近所の郵便局長さん、ほぼ同期の事務長、大学の理事長、短大教授、焼き肉屋のご主人夫婦など、いろいろな方が後進に道を譲り、第二の人生を過ごしている。まあ、自分もその端くれかもしれない。角野隼人のコンサートが2月初旬。その時に、新品、中古品を試し弾きしてくることにした。さすがに札幌は専門店も多く、こちらでは展示品のなかったC3の新品も展示されており、中古も新しいのから古いのまである。2店、電話を入れて予約しておいた。新品だと210~60万。中古でも150~180万くらいはする。きちんとメンテナンスをしてあるものなら、中古でも構わないし、新品だと納品まで半年かかるというのも、ちょっと困る。あと何年弾けるか分からないのに半年待つのは長い。今回はピアノ巡りとコンサートで、孫に会う暇がなさそうだ。まだ、行くとは知らせていない。
2022.01.15
またもや、全国の感染者数がすごいことになっているが、「第6波」、「ブレークスルー感染」などいろいろな言葉に、人びとはあまり反応しなくなっている。いくら感染者数が増えても、死者、重症者はさほど増えない。全国の死者数は、このたびの暴風雪による死者数より少ない。国民的実感として、コロナで大騒ぎして、飲食店が休業したり、無理にテレワークをさせらりたりすることに辟易し始めたのではないか。マスコミの論調も完全にそうで、「専門家」と称する人たちも「ロックダウン」ではなく「社会生活を持続させた上での感染対策」と口をそろえる。以前とはエラい違いである。ワクチン、治療薬などが現れた今、コロナはちょっとタチの悪いインフルエンザ程度になったのではないか。ひと月くらい前、全道の十数人の医師の連名で一枚のビラが入った。そこで言うには、「感染症は変異を起こすたびに弱毒化していく。つまり、今度変異株が現れたとしても、鼻水等の風邪症状になっていて、まったく恐れる必要はない。3回目接種と言うが、接種の副作用の方が深刻な問題を引き起こしやすい。それを大変な感染症のように騒ぎ立てるのは、ワクチンや治療薬を作る製薬会社に莫大な利益を与える政治的思惑が働いているからだ」と。後段の陰謀論めいた内容は置くとして、確かにオミクロンは従来のものより弱毒化しているように思えるし、このまま無批判に3回目接種をしていいものかどうか、ちょっと考えている。しかし、接種証明がさまざまなことのパスポートになるのなら、副作用の恐れもさほどないし、受けた方がいいだろう。
2022.01.14
今年の初仕事は、3年は共通試験に向けた最後の演習。論理的文章。いまや、日本は外国人観光客にとって「安くてうまい国」なのだ、という2018年の【文章】。そして、2019年の介護福祉士資格を取った外国人の労働問題についてのレポート。最後に「人手不足解消への企業の取り組み」についてのグラフとその解説の短文。面白い内容で、しかも解きやすい。直前はこういう問題に限る。難しい問題だと、今の生徒はうろたえる。この内容については後日まとめて、考察を加えたい。2年の方は「永訣の朝」のまとめ。「(Oraorade Shitori egumo) 」というローマ字書きの一行について、次回までの課題とした。これも、後日、自分の考えを書くことにしたい。少し早く行ったら、校長に呼ばれ、授業評価を渡される。例年通り、評価は高く、今年は例年あまりよくなかった「板書」までがよくなっていた。元来、悪筆で、しかも直そうとしないし、整理はするが、字自体は読みにくい。2,3年と続けることが多いのだが、3年でようやく「解読」できるようになるようだ。「板書技術」について自分が無頓着なこともある。伝えたいことを、急いで書くから、どうしても読みにくくはなる。生徒の自由記述に「板書は読みにくいけど、それでいいです」というのがあって、思わず笑ってしまう。肝心の「力がつく」という実感、「意欲」の喚起、「質問等への対応」は高い評価だ。特に「質問等への対応」が高く、平均が満点。これは、小論文などの指導もあるからだろう。どのくらい授業が次年度できるかと聞かれたので、10~12時間、4日間と答えておいた。昼に、教頭ともう少し詳しく話したが、特講はやってほしいと言われ、まあ、仕方ないかということに。それ以外3日間で10時間程度ということになりそうだ。特講は疲れるので、それだけで1日ということになるかな。まあ、これでほぼ自分の想定通りの次年度になりそうだ。どうせコロナでそんなに長い旅行も行けそうもないし、遠征も全国というわけじゃない。年金の三階部分の支給が始まり、それとの相殺で年収的にはあまり変わらないか、むしろ増えそうな気もする。いずれにしてもたいした額ではないから問題ではない。
2022.01.14
昨日は、煙突掃除の後、50射ほど。ただひたすら8点を射たない射を追求した。一つの結論は、緩まないように、最後は「切る」のではなく「切れる」を目指して引き、これ以上引けないところで「切る」こと。今日は仕事帰りに寄って、その確認を。夜は理事会だ。
2022.01.13
自分の麻雀は、「守備型」といってよい。昨日はその特徴がよく現れた。3時間。1位、浮きの2位。麻雀は、より放銃を減らし、上がりを増やせば勝てる。しかし、配牌、自摸が思い通りにならないのが普通であり、余程の幸運に恵まれない限り、いつも上がれるようなことにはならない。自分でコントロールできるのは「放銃を減らすこと」、つまり、危険牌を避けつつ、何とか上がりにつなげることである。1回目の東2局は親で、配牌、自摸に恵まれ、連チャンを続け、5万点を越した。満貫も一度あったが、タンヤオ1500、役牌1500や5800の上がりが印象に残る。オーラス近くまでは、持ち点を減らさないようにほぼ降りていたが、最後に三色ドラ1の手が聴牌したところで続けざまに二人リーチ。現物で降りながら、回すとドラが三枚になり、再び勝負手になって終盤。何とかこの手をものにしてトップ。2回目も同じような展開だったが、最後のダメ押しの手がものにならず2位。これはこれで納得している。行けば、1回は1位になり、ラスはほとんど引かない。ただの偶然性で打つ一か八か的な麻雀は、性に合わない。
2022.01.13
同じく仕事をするなら、ダラダラと嫌そうにやるよりも、上機嫌で楽しくやりたい。どちらになるかは、ほぼ自分の気の持ち方次第だ。本来、自分のやるべきことから逃げないし、十分に成果をあげる。しかし、やるべきだとはいえないこと、仕事の本質から外れているとしか思えないことは断固拒否する。自分は、ほぼ一貫してそういう姿勢で仕事をしてきた。あと3ヶ月で、立場も変わり、仕事はよりその本質だけを追求すればいいことになる。さて、今日は授業2時間。久しぶりだ。
2022.01.13
子どものころからずっとそうなのだが、夏休みや冬休みは、気がつけば終わりになっている。長い休みをノーテンキに遊び暮らし、終わるころにうろたえるというのでは、何の進歩もない。だが、まあ、この歳になって、進歩などしなくてもいい。今日は、射場の煙突掃除を手伝い、それから妻の歯科医の送迎。麻雀は、明日か土曜日にでも行こうかと思っている。このところ、天聖無料麻雀では、対戦相手のレベルを最強にして、トーナメント戦をやっている。昨日は優勝した。最強の相手たちは、やたら聴牌が早く、じっと我慢の局面が多い。しかし、一度くらいはチャンスも来るので、その時はガンガン行くようにすると勝てるようになった。明日は、授業2時間。まあ、楽勝である。
2022.01.12
「連休明けは大荒れ」というニュースを見ながら、「そうか、成人の日で3連休だったのね」と気づいたが、こちらは23連休の最終盤。最大のイベントは、自分にとっては「生検入院」という冴えない冬休みも水曜日まで。昨日は妻のお伴で、新春茶会。デパートの7階だったが、思ったより人が出ていて駐車場は満杯。しょうがないから30分200円の有料駐車場に入れた。休日で、マイナーな流派ではなく、「裏」だったこともあり、茶会も盛況。さすがに初釜では、いいお茶を使っていて美味しかった。ついでに活け花展も見た。今日は、「整形始め」、などという言葉はないが、原則週1で通う整形に、6時になったら診察券を出しに行く。後は、明後日の授業の準備でもちょっとしておくかな。
2022.01.11
トップアーチャーからみれば、何を言ってるのかね、というような話だが、今の自分にとっては、8点を射たないことは重要だ。当たり前だが、8点を射たなければ最低でも270。後は10点に入った分だけ、点数は積み上がる。10本なら280、15本なら85、20本なら90……というのはちょっと現実味がなく、280前後で射てれば御の字だ。8点を出さない射にとっては、矢は23の規定ギリギリよりも、20-12の方がいい。このアルミ矢は、ちょっとのミスにも寛容なように思う。アレ!と思った射が9点の縁で止まってくれるのはありがたい。リリーサーはカスケード。これが一番10点付近に付けられ、暴発も少ないし、10点についてからカチッと鳴らすことを習慣化すれば、暴発であっても構わない。この「暴発でもいい」と思えるようなエイミング保持は極めて大切で、そうなると限界まで引ける。ということは、8点以下に外す最大の原因である「緩み」を排除できる。昨日、1時間ちょっとの練習で考えたのは以上だ。
2022.01.11
高校時代は、勉強もせず、せっせと名画座に通い、3年間で500本くらいの映画を観た。最後の方は、もう顔パスだった。その時、つきあった悪友は早稲田の二文に入り、今は日本有数の劇団の理事長をしている。その時の夢は、今で言う「ホームシアター」だった。家で、好きな映画を好きな時に見られたらどんなにいいだろうと思った。50歳くらいで、そういう夢のような時代が到来した。最初はビデオテープ、それからDVD、ブルーレイ、そして今は配信サービスである。家電店の広告を見ていたら、今は普通に「WIFI接続」機能が、どのテレビにもついている。いずれ、レンタルから切り替えなければならない時期も来るだろう。「24」には、妻も一緒にハマり、全巻見ている。他には「Bones」、「クリミナルマインド」、題名を忘れたが刑務所から脱獄する犯罪者たちの話、「ドクターハウス」等々。基本的には映画が好きなのだが、50分で1話が終わる海外ドラマは、1日1,2話見るのにちょうどよく、アメリカの文化や物の考え方も興味深いので、CBCなどのドラマはほとんど見ている。最近、ハマったのは「シカゴP.D.」、「シカゴ・メッド」、そして「シカゴファイアー」。GEOの株主優待で、長年半額で借りていたが、今度それが終了してしまった。もはや、この株を持っている理由はないので、適当なところで売る予定。今は「シカゴファイアー」シーズン2を妻と二人で見ている。実は自分は2回目で、「シカゴメッド」シーズン1~3を妻とみていたときに、こちらにも手を出した。今、自分はシーズン5まで。最近見たので、そう忘れてもいないのだが、2回目でも面白い。この3作品の何が面白いかはいずれ書くし、多分1年で300枚前後は見ているので、「海外ドラマ」というジャンルを新たに作った。まあ、とにかく普段の娯楽は、今はこれが一番だ。
2022.01.10
弓から帰って、大相撲。幕の内の全取組みを見た。昨年は、はたき込みなどでの勝ちが多く、明らかに稽古不足の感があったが、さすがに初場所。一年の最初の相撲を、引いて勝つような勝ち方はしたくなかったのか、力と力のぶつかり合いが多かった。正代は相変わらず、追い詰められての小手投げだったが、まあ、彼の勝ち方でもある。貴景勝は圧勝。いつも期待外れに終わる御嶽海も圧勝。結びの一番が圧巻だった。大栄翔が攻め立て、照ノ冨士は土俵際に二度追い詰められた。ここで引けば自滅するところを、引かない。大栄翔の「いなし」をきっかけにまた中央近くに戻り、攻めを受ける。片足でケンケンをするようにして下がるが、何とか残す。最後は、大栄翔が二本さしてしまい、小手投げを食らった。もう少しだったと思ったが、さっきダイジェストを見ていたら、照ノ冨士は案外余裕がある。「受けて勝つ」見事な横綱相撲に見えてくる。今場所は楽しめそうだ。大鵬の孫の王鵬も新入幕。眉と目元がちょっと似ている。
2022.01.10
中4日、なんて言うと、まるで投手の登板みたいだが、弓の話である。先週火曜日に練習。それ以来、久々に昨日は射場に。まず、どうだろうと思って点取りしたが、276。前半と後半で7点を2回出した。10点10本だから、8点はなかったことになる。どうもおかしい。それで、今度は、とにかくエイミングをしっかりつけて射つようにしてみたが、かえって中らない。リリーサーをSTANのトリガーレスに換えてみた。やはり、引いて切るので、引き手が真後ろに飛ぶ感じがある。ただ、狙いを保持できない。そう大きくは外れないが、10点は完全にまぐれの気がする。あれこれ迷い、トライアンフまで持ち出して、練習はオシマイ。まあ、久々に射っても、毎日射っても、弓は難しい。
2022.01.10
昨日は麻雀大会。参加費2500円。大会は3日間あって、初日の昨日が最強メンバーということだった。3卓、12名。半チャン3回。1回目、2回目はくじで、3回目は上位から順に卓につく。なにしろ、3回目で最上位卓につかなければ、優勝は無理だろうし、おそらく3位までの入賞も難しい。25000点の30000点返し。他に1位に+40、2位に+10、3位に-10、4位に-40のいわゆるウマがつく。ラスを引いたら挽回不可能だ。参加者12名のうち、女性は1名だけ。この人はかなり打てる。攻撃型だ。1回目。メンバーは冷ピタなど、すでに囲んだことがある人たちだ。小場の展開が続き、オーラスで自分は浮きの2位。首位冷ピタとの差は2千点。2役でトップ逆転。リーチドラ1の手を自摸り、何とかトップ。見ていた先生が「強い!」と一言。2回目。メンバーは今まであまりやったことがない。ここも、あまり大きな手はないが、-10000くらいの南入してで北・発・混一色で8000。これでまた逆転の芽が出たかな、と思ったが、その後、大きな手を自摸られ、雲行きが怪しくなってきた。ラス前、親でタンヤオ、トイトイの聴牌が入り、ハイテイ。自摸れずに、6.6.7となっていた索子を、何も考えず7索を切ったら、下家の混一色に放銃。親でハイテイがつき7700。これで3位に沈んだ。聴牌維持だけだから、6索、7索のどちらでもよかったのに、その選択に無頓着だったのが原因。3回目。全体5位で、残念ながら最強卓には残れず。同卓は有段者、冷ピタ、若者。1時間が経過した時点の局で終了のルールだが、ラス前の親で-20くらいに沈んでいた冷ピタが頑張り、安い手で連チャン。阻止したのが有段者で、これで自分と3000点差の首位。やっと来たオーラスの親番。時間の制限がなければ、1回だけ連チャンすればいいから、断然優位なのだが、タンヤオ、チートイツ、ドラドラのリーチをかけた。だが無情にも途中で時間のブザー。もう次はないから、これで上がるほかない。しかし、もう一局あるだろうという予想でかけたあまり上がり目のないリーチだった。流れて聴牌料が入ればという局面だったが、有段者も頑張って形式聴牌。これで最後の半チャンは2位に終わった。最終的には全体の4位。入賞まではあと1歩だった。2半チャン目の2回の放銃がこの日の放銃のすべてだったが、ハイテイの放銃は悔いが残る。やはり、腕前が足りない。まあ、気心知れたというほどでもないが、みんな顔見知りで、和気藹々、楽しい4時間半だった。今年もせっせと通いたい。
2022.01.09
痛みに弱い、という自覚はある。一昨日の生検で腰椎麻酔をしたが、麻酔医の腕がちょっと悪かったのか、神経に直接針が触れ、ピクンとなることが2,3回あった。これは、もう痛いというより、痙攣のような不随意的発作だ。「あ、ごめんなさいね」と言ってやり直すのだが、勘弁してほしかった。悲しいのは顔ではないんです悲しいのは心でもないんです悲しいのは この痛みだけ(吉田拓郎『悲しいのは』詩 岡本おさみ)「痛み」というのは、人間からすべてを奪う厄介な代物である。激痛の前では、理性も意志も感受性も、すべて無力だ。そして、それを経験すれば分かるが、痛みは誰とも分かち合えない。元来、「私」の思考や感情は、「私」の所有であり、他の誰かと共有することは原理的に不可能だと、近代個人主義者である自分は考えている。しかし、それにしても「他人の身になって」ものを考えたり、感じたりすることはある程度可能で、だからこそ「思いやり」(「思い」を「遣る」こと)が成立する。「思いやり」、「同情」は人間の善性の中で、最も欠かせない資質だ。「同情」はドイツ語でMitleid、その原義に沿って「共苦」と訳されることもある。「苦しむ人とともに苦しみ、悲しむ人とともに悲しむ」は聖書の最も有名な一説だ。だが、「痛み」となると、それが襲ってきている時は、誰に分かち合ってもらおうが「痛い」のであり、決して軽減されることはない。そこに無理に「寄り添」おうとでもされれば、かえって邪魔なのだ。激痛の真っ只中で「痛いでしょ?苦しいでしょ?」などと、傍で言われたら「いいから放っといてくれ!」と叫びたくもなる。悲しいのは私がいるために悲しいのは私であるために悲しいのは 私自身だから(同上)岡本おさみの詩は、時折、人間の本質を突いているように思える。もし現象学派なら、「痛み」こそが「私が私である」ことの根源的な現れなのだ、と言うだろう。
2022.01.08
また、4時台に目が覚め、ふるさと納税の美味いコーヒーの最後のドリップを落とし、それを飲みながら、この画面に向かう。さて、今日は麻雀大会。三半チャンでの試合である。まあ、親睦を兼ねて、ということなのだが、正式な競技麻雀だ。「競技」であるからには、勝つためには全力を、というのは、弓と同じで、そのための基礎的練習は一応してきた。昨日、退院後の帰途、道がやけに混んでいて、ああ、そうか、今日は七日だから「どんと焼き」なのだ、と思った。仙台では確か15日だった気がするが、神社で正月飾りを焼く行事だ。これで、正月も終わりである。帰ると、七草粥が用意してあったが、ちょっと物足りない気がして、雑煮にした。妻はピアノのレッスン。さすがに、迎えにはいけない。七草粥は夜にいただいたが、やはり、それだけでは、ということになり、しゃぶしゃぶに。食欲と体重は、それほど落ちていない。たった一日だが、ベッド上安静という生活だった。尿管。心電図。ちょっとしたスパゲティ症候群で、ベッドの上で起き上がることさえままならなかった。そういう不自由な状況の後なら誰しも感じるだろうが、帰ってすぐに「ああ、家はいいなぁ」と思った。こうやって、朝に目覚めてしまった時間に、まだあったかな、と思いコーヒーを淹れて、いただく。自分がやりたいことを、そう思ったらすぐできる。それが、「自由」の一つの姿だろう。病院は4人部屋だったが、個室だろうが相部屋だろうが、「不自由」極まりない生活である。隣のベッドの患者は、腹水を抜く措置をしていて、かなり楽になったと喜んでいた。自分より5歳は上のように見えた。処方された利尿剤を服用せず、水が溜まったらしい。そのことで、医師に叱責されている。「だけど、しょっちゅうオシッコが出て、仕事もできないし、ちょっとでも稼がないと、ここの費用も……」というような声が聞こえる。何だかとても気の毒に思えた。オミクロン株とかで、また「行動制限」がかかりそうな状況である。「個人の自由」はいろいろな理由で、簡単に制限されるし、日本社会の「同調圧力」がそれに拍車をかける。まだ、このことについて論ずるだけの知見はまだ得ていないが、そういう中でも、自分はできる限り「自由」を実現しようとするだろう。家で七日に七草粥を食べる、というどうということもないことが、実は「近代」が獲得した「個人の自由」という輝かしい成果なのだ、などとしみじみ思えたのは、検査入院のおかげかもしれない。老齢になればそれだけで、そういう意味での「自由」は、どんどんその幅を狭められてくる。それを何とか食い止めるために、近代医療は一定の力を持っているし、自分はそれをある程度信用している。また、残念なことだが、自由を持ち続けるためには、ある程度の経済力が必要だ。病院のベッドで、検査前に「10年後」という駄文を綴ったが、社会状況の如何にかかわらず、10年後、77歳の時点で、今、手にしている「自由」を保持していることは難しいだろう。まだ、ちょっと朝食には早いから、海外ドラマでも見ながら二度寝しようかな。
2022.01.08
思ったよりも、ずっときつい検査だった。腰椎麻酔で二、三度激痛。麻酔前の抗生剤で薬疹も出た。検査自体は、麻酔の効果で痛くも何ともなかったのだが、部屋に引き上げると。下半身が動かない。段々麻酔が切れてくるに従って、足の指、足首と動かせる。膝が動かせたのは2時間も後だった。麻酔がほぼ切れかかったころ、今度は尿管が痛み出す。そういえば、頸椎ヘルニアの手術でも同じだった。今回は、前立腺生検なので、血尿が加わる。医師の話では、1週間程度は続くこともあるそうだ。それでも痛み止めが効いて、昨夜は、断続的にだったが、かなりぐっすりと眠った。目覚めるたびに、痛みが減っていく感じだった。朝、血圧等も正常値に戻り、退院許可が出た。10時半過ぎに帰宅し、まず風呂に。一昨日朝に入浴してから、病院に出かけたのだが、それでもずいぶん久しぶりの気がする。食欲はあって、さきほど、昼食にお雑煮をいただいた。まあ、今日一日は寝て暮らすことにしよう。
2022.01.07
昨夜は、9時近くに多分いつものより強い睡眠薬を飲み、ものの15分くらいで入眠。ぐっすり、というわけでもなかったが、先ほどまで通して眠った。家ではそんなことは滅多にないから、やはり睡眠薬の効果だ。目覚めてから少しの間、ぼんやりと10年後の自分を考えていた。77歳。喜寿。平均的には生きていてもおかしくない。まあ、生きているとして、仕事はさすがに辞めているだろうが、弓は?車は?麻雀は?どうにも想像がつかない。どういう社会になっているだろう。妻は?子どもたちは?孫たちは?まあ、普段でも妻とそんな話はするのだが、今朝は、もうすでに10年後なんて考えても仕方のない年齢なのだと思った。もし、今のように、仕事も弓も麻雀もできていれば奇跡のように思える。まあ、それが目標でも悪くない。朝から絶食。昼過ぎに腰椎麻酔して、生検。その後、6時間はベッドの上で過ごし、その後も明朝まで尿管が挿入されるのだそうで、思ったより大変な検査みたいだ。それで、そんな妙なことを考えたのかもしれないね。
2022.01.06
思ったより、多い人数が集まった。総勢10数人。大体、6,7回射ったが、8点は最後の1本だけ。まずまずのスタートである。今年は、2月の選手権が当面の目標。何とかちゃんと狙って放す射をものにして、560オーバーを目指したい。土曜日からまた練習再開である。
2022.01.05
前立腺肥大の度合いを表す数値をPSAというが、確か基準値が4.0だった。それが3回連続で、4.5とか4.4とかいう数値が去年続いた。例によってかかりつけ医から専門医を紹介され、最初のところでは生検のための入院は満杯で、次のところを紹介された。そこが、今、半年に一度胃カメラを飲むところだったので、ちょうどいいと思った。しばらく様子見でいいということだったが、そこで数値がまた基準以上だったので、長期休みのうちに生検の入院をしてしまおうということにしたのである。たいした数値でもなく、人によっては10を越えても何もしないことも多いと聞く。ホントか嘘か分からないが60歳以上の日本人男性の二人に一人は前立腺癌だそうで、この癌は進行が遅く、放置してもほとんどの場合問題ないという何かの記事も読んだ。まあ、どちらにしても生検はしておこうと思ったし、基本的には「この病気は手術で寿命が縮む!!」などという週刊誌のスキャンダラスな見出しよりも、近代医学を自分は信用している。もし癌だとしても、治療するかしないか、治療する場合、どういう治療法を選択するかについては、こちらも学び、必要を感じたら、セカンドオピニオンも受けた上での判断をしたい。インフォームドコンセントは、今、普通に行われているが、実際は形式的なものが多く、こちらも勉強しておかないと的確な質問も判断もできない。「説明と同意」というのが一番正しい訳だが、医師は説明がうまくなく、患者は説明を理解するだけの能力がなければ、正しいインフォームドコンセントにはならない。退院後は「麻雀大会」である。
2022.01.05
三が日が終わると、正月用の雑煮と煮しめの鍋も底をつき、あれやこれやと使っていた食器も元の位置に納まっている。23連休の冬期休暇の何日目かも分からないほど、ダラダラと過ごしたが、正月が終わったという感じは、何となくしてくるから不思議だ。さて、今日は午前中に射場開き。9時ころ行って準備を。といっても、薪ストーブを焚いて、射ちながら皆の到着を待つくらい。午後は、健康麻雀の打ち初めの予定だったが、妻がいろいろとスケジュール調整をした結果、かかりつけ医の久々の診察を今日午後に、ということになったので、その送迎をすることになった。車を一台にして5年くらいだが、やはり送迎という「お仕事」が、少なくとも週1くらいでは入ってくる。明後日から、二泊三日の検査入院なので、ピアノの方は公共交通とタクシーで行くことになっている。7日、朝に退院できるようなら、送迎もできるがちょっと分からない。その夜に七草粥をいただいて、今年のお正月はオシマイ。夫婦二人での正月は初めてだったが、それなりに楽しく過ごした。孫が来ないのは寂しくもあったが、ラクでもあった。来年もわざわざ冬に娘夫婦や息子夫婦が帰ってくるというのは大変だろうし、それくらいなら、こちらからちょっと出向いて、4泊5日くらいの日程で、向こうで年越しをするのも悪くない。ホテルは抑えっぱなしにしておいて、31日に妻はお雑煮などの準備、自分は孫の相手などをして、一緒に年越しをする。多分、疲れるから、ホテルで掃除を入れずにゆったりする日を1日、2日作っておく。これなら向こうもラクだしこちらもラクだ。もちろん年越し費用は出してやらないといけないだろう。来年は、鹿児島に行くか。やはり遠いので孫の顔も年一回も見ていない。何なら、札幌の娘夫婦も集まればいい。それもこれも、こちらが二人で健康で元気なことが前提であり、いろいろな検査は早め早めにやって、大丈夫なことを確認しておく方がいいと思っている。そういうわけで明後日からの検査入院。
2022.01.04
元旦に、若い二人に来訪いただき、強く感じたことは「終身雇用なんて、頭の片隅にもない」ということだった。二人ともIT関係の会社なのだそうだが、彼女の方は、フルの在宅ワークだそうで、何でも車の自動ブレーキとか、そういう新しい技術のプラットホームの作成をやっているそうだ。よく理解できていないのだが、どこのメーカーというのではなく、あらゆるメーカーが汎用的に使える基本的なソフトを作っているらしい。外大卒の彼女が、そういうSEのような技術を大学で習うはずもなく、仕事をしているうちに習得したようだ。後は、もちろん英語で海外と自由にやりとりできる能力。特にインドとのやりとりが多いのだという。今の会社にもヘッドハンティングで移ったのだとか。彼も同じようなIT関係の仕事で、こちらは毎日出社するそうだが、テレワークでも一向に構わないらしい。親世代とはまったく「働く」ということの感覚が違うような気がする。「組織」に属するのではなく、「個人」の器量で生計を立てている。いわゆる人間関係のシガラミから完全に自由だ。考えてみれば、終身雇用が成り立つのは、多少能力の劣る個人でも、出世はしないが定年までは面倒を見るというメリットがあったからだ。しかし、そういう時代は完全に終わったのだな、ということを実感した。毎日、何でも自由にしていいよ、と言われれば、大抵の年金生活者と同じく、ダラダラとテレビの前で過ごすことにはならない世代が現れたのだろう。彼らは、それこそ「自由に」、「しなければいけない仕事」をこなしているのだ。「自由」がそのまま「必然性」であるのは、ニーチェが描いた超人やツァラトゥスタラの在り方なのだが、それをいとも軽やかにやってしまう世代が登場しつつあることを実感した。
2022.01.03
正確ではないかもしれないが、イギリスの古諺にこういうのがある。「子どもは現在を、若者は未来を、そして老人は過去を生きる」2歳くらいまでの幼児にとって、時間は構造化されていず、現在がすべてである。それは、動物と同じで、3年の現代文で教えた教材に『猫は後悔するか』というのがあったが、「後悔」するには、過去にあった出来事が別の在り方でもあり得た、という可能性の論理空間を持たなければならず、それには時間が言語によって分節化していなければならない、したがって、そのような言語を持たない2歳の子どもも猫も「後悔」できない、という内容だった。若者は、今ある自分から別の自分へと変わろうとする。それが、荒唐無稽な夢想だろうが、着実な将来設計だろうが、基本的に同じなのは今の自分を否定し、不安もあるが、将来の自分を信じている。彼は、「現在」ではなく、「未来」を生きている。老人は過去を生きる、というのは、ベンチに座って、静かに思い出に耽っているイメージだが、実際は少し違う。昨日、お客さんが来てお茶や正月の口取りやオードブルを出したりするたびに、一枚の皿や、茶碗、盛り付けの仕方など、一つ一つに過去の記憶が絡みついているのだと気づいた。「過去」を生きるというのは、こういうことなのかな、と感じた。それが、落としても割れないプラスチックのお椀や皿、外食産業が提供する形だけのお節料理、安手の正月飾りに変わってしまえば、そこに昔の記憶が甦る契機はなく、「思い出」を生きることはできなくなるだろう。「高齢者施設」に入居するというのは、そういうことなのかもしれない。できることなら、いくら立派でもそういう施設には入らず、ここで健康に暮らし続けたいものだ。
2022.01.02
昨日は、息子のお嫁さんのご両親と、その長男とフィアンセの4人が来てくれた。もともと、息子がこの長男が中3の時に家庭教師をしていたのが縁で、その姉と結婚し・・・というようなことだった。その長男君は、なかなかの行動派で、インドで仕事をしていたときに彼女と出会った。外大卒の才媛で、ヒンディーはもちろん、数カ国語を話す。今は二人とも東京で働いている。今回は、3月に入籍するそうで、その挨拶に来たということだ。彼女からみれば将来の夫の義理の兄の実家などといえば、相当遠いのだが、わざわざ我が家にも立ち寄ってくれてありがたい。前もっての話だったから、正月用の口取りやオードブルなどを用意して待っていた。長男君のフィアンセNちゃんはビールが苦手というので、池田町の町民還元用ワインを。めずらしがってくれて、おいしいと。値段の割には本当に美味しいワインだ。昔は本当に還元されていて、それをもらってきていた。今は町営ではなくなったから、どうなんだろう。グラスは、適当なのがなくて夏用の切り子。そういえば、昔、母が特別な日にはこれに麦茶などを入れていた。お茶も点てて、萩焼、相馬焼、琉球焼などの茶碗でいただく。抹茶は一番高いのを用意しておいた。七福神の和三盆でいただく。これは確か、以前息子がお土産に買ってきてくれて、それ以来正月には用意する。2時から2時間ほどのご接待だったが、楽しいひとときだった。夫婦二人だけではやはり正月らしくない。
2022.01.02
それまでのものを全部消し、10年以上放置していたこの場で、セミリタイアをきっかけにして、またものを書き出したのは2017年だった。以来、昨日までで2002の駄文を綴ってきたのだが、それが朝の日課になっている。毎年、元旦(元日の朝)に、ここに1年の抱負みたいないことも書いているのだが、まあ、この歳になって「抱負」でもないだろう。願うのは、まず自分と家族の無事である。今年は、孫も一人増える予定だが、同居ではないから、主として妻が手伝いに行くくらいだ。仕事は週3くらいはやるだろうし、弓も例年通りの大会にも出たい。大きな買い物と言えば、妻のグランドピアノくらいで、これもまだ未定である。車も家電も特に新しいものは予定していない。GEOの株主優待、レンタル半額が終わってしまったから、ネット接続できるTVはほしいが、今のTVが壊れない限り買わないだろう。「本年もまた昨年同様に」という年賀状の挨拶文みたいなことが、夫婦二人暮らしの新米高齢者老人の願いである。
2022.01.01
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