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出町というところが、わたしは昔から好き。川の東側、柳の下にちょつとした広場があって、いまタクシーの乗り場になっているが、その前に整形外科病院の行き来に立ち寄るカフェがある。よくわからないが胸に好きと思える音楽が鳴っている。 今日は、ちょっと前にこれもその店で見て好きになって、申し込んでおいたカレンダーが手に入った。好きなものはいい。絵の具の色がいい、ぐいぐい来る筆致。元気が出るよ。カレンダーのタイトルは「働く仲間のうた」。ありがとうであった。 今日の一首 「円を描きまったき円の生(あ)れざるをたのしむ円の無限のかたち」 坪野哲久
2007.02.28
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区役所へ遅れた税金を払いにいって、何となくほっとして、川にむかってゆったりと歩いた。 その道にちいさな古物商店がひっそりと店を開けていた。軽くなった心にふとのぞいた。軽くなった財布のことはとっくに忘れている。硝子窓の向こうに小さく白く光るお薬缶があった。取っ手に網代巻きがしてある。細かいいい仕事だ。 通りの突き当たりは川、バスを待つ間、河原の石に腰掛けた。わたしの手提げには丸いちいさいかたまりがころころしていた。手ごろの重みが快かった。 気がつくとバスが走り過ぎた。お客さんに気がつかなかったらしい。次の橋まで歩いた。 今日の一首 「母売りてかへりみちなる少年が溜息橋で月を吐きをリ」 寺山修司
2007.02.27
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さりげない体験の累積が、ある一時点においてはじめて行動におよぶ。そいう累積がまたあって深みへ嵌る。何かをするってそういうことと思える。かえりみて思うこと。わたしはそれでよかったと。 今日の一首 「春はまづ雪にうもれし門川(かどかは)のある夜の水のおとに来にけり」 小田観蛍
2007.02.26
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1995年に書いたエッセイのことで問い合わせがあった。森の中に朽ちながら残っていた家のことを見たままに書いたものであった。その家には親娘ほど年齢差があったけれど、親しくしていただいていた夫人が一人お住まいであった。その家は明治時代の古くからその森の中にあったようだ。それは「そうして家は森の中にある。後ろは竹藪である。ふるえながら飛び込んだ客は寒がりである。」とその時代に書かれたことのある家であった。 わたしはその家がだんだん朽ちていくのを、目の当たりに見続けたいた。いつの間にか、夫人も去られ、無人のまましばらくにあった家は終に、凄まじい様相になって朽ちていった。後ろは竹薮であった。 今日の一首 「名は何と言ひけむ。 姓は鈴木なりき。 今はどうして何処にゐるらむ」 石川啄木
2007.02.25
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今日は一日、茶の間で書き物をしていたが、訊ねて来た人に聞くと、白いものが降っていたという。白いもの、そういう語り口をしばらく聞かなかったこの冬をふりかえる。しんしんと寒いそんな言葉も死語、小石をほうると凍った大地ににかーんとひびいて落ちたものだった。 しかし今夜は強風注意報が出ている、大屋根の上を白いものをつれて、ぴゅーんと過ぎてゆくのかな、二月は一番寒いはず。 夏はしっかり暑うて、冬はしっかり寒むないと、おいしい青い物もできまへんえ。 今日の一首 「くれなゐの血汐の池に真はだかの女亡者の泣き居る処」 茂吉「地獄極楽図」から
2007.02.24
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また、又、復、亦、またもまたまた、いろいろある。又はふたたび、復はその他、亦の字は「も亦」ともいうて、他にも同じことがある意で助詞「も」につくことが多いからやけど。わたしは、かなの「また」にしとこ。ようわからへんし。いちいちいうのはいややし。知っとればええやんか、ひとさまにいうひときらいやし。いうとるけど、ここだけのはなしどすえ。けふのつれつれに。 今日の一首 「雲に飛ぶ薬はむよは都見ばいやしき吾が身また変若(を)ちぬべし」 万五・八四八
2007.02.23
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誘われてはるか西の野を歩いた。 連れ立つ人が野の小花の名を次々に問うてくださるが、わたしはいたって不調法。帰宅して記憶をたよりに調べる。 つき合わすわけには行かぬが、記憶をたどるとカンサイタンポポ、イヌノフグリ、ホトケノザ、それからふと足元にフキノトウというところであったと思う。見ていると、ただそれぞれの生き方を見習いたくになって、頭がぼうっとなってくる。 今日の一首 「吾背子と二人見ませば幾許かこの零(ふ)る雪のうれしからまし」 光明皇后
2007.02.22
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このごろ表通りでバスを降り、ほっとして、南へ入る小道を我が家へむかうと、少し沈丁花が匂う。 道路からコンクリートの段を一段あがると、右手の狭い植え込みに低く、クリスマスローズの黄な花がうつむき加減に咲いている。その名は、ちょっと季節柄、大きな声でいえないなと思いながら、格子戸の鍵を開けてはいる。 格子戸のこれも右手の板に竹箒が二本、棕櫚箒が一本、手箒が一本かけてある。お客さんがびっくりするが、自分でも何故そんなにたくさんになったかわからない。いえることは箒を買うのが好きということだけ。箒は三条大橋に西のたもとで買うことにきめている。 今日の一首 「春山の霧にまどへる鶯もわれにまさりてもの思はめや」 柿本人麻呂歌集
2007.02.21
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松ヶ崎の山かげの道で拾ったと、「山繭蛾」を下さった方があった。わたしが喜ぶと思ったという。そのとおりである。ありがたい。枯れ枝にしっかりと、とりついた袋の口を閉ざして幼蟲がその中にいるのだ。風の強いときに木から落ちたのであろう。 わたしは玄関の壁につるした行灯の下の安全な場所にその袋をつるした。 その行灯はわたしの友人がつくったもの。ところが、今日たまたまその友人から電話があって「山繭蛾」のはなしをすると、わが玄関につるしているその人製作のその行灯は「山繭蛾」の袋をたくさん集めてつくったものという。ただいま、その下の小枝に、拾い子がつるされているのだが。「山繭蛾」のふしぎなお出会いである。 わたしは、「山繭蛾」の赤ちゃんが孵る日を、こころをやさしくやさしくして待っている。 今日の一首 「アカシヤの並(な)みたる路にうるむ影午後の汽車よりいできて踏まめ」 (北大植物園)服部直人
2007.02.20
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「身辺の平凡な出来事を日常の脈絡の中から切断すること、切断し、一現象を一現象として限りなく孤立させること。そのとき一現象は解きがたい謎となって輝く。」小池光の歌人の謎、葛原妙子・切断と孤立より。 ある日、あるいは今日、切断と孤立に繰るノートよりのささやきであった。 今日の四首 「三ちやんも兵隊さんになると言う目指すは肉弾三勇士 肉弾になるなら九九を覚えろよお国の役に立つためだ はいと答えた三ちゃんは六年生で死んだとか九九も覚えずお役に立たず 今だから言うけど裕子は学校で「三ちゃんのお嫁さん」と言われてたんよ」 山形裕子歌集『ぼっかぶり』より
2007.02.19
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京都市伏見区、伏見稲荷大社の起こりは和銅4年(711)。稲荷は伊奈利ともしるし、イネナリ(稲生・稲成・飯成)の約語で、祭神が農耕神であることを端的にあらわしている。 私どもの短歌の会は昨日今日とその場所で合宿歌評会を行った。 お昼は、名物すずめの焼き鳥、いなり寿司など。帰り道にはおみくじ入りの狐のお面のせんべい、伏見人形などの店をのぞく。この人形は古代、土師部(はじべ)が祭祀用の土器をつくったことにはじまる。 西行も牛もおやまも何もかも土に化けたる伏見街道 一休禅師 今日の一首 「かりそめの別れとききておとなしううなづきし子は若かりしかな」 九条武子
2007.02.18
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今日の夕闇は午後6時前にようやくその濃さの広がりを見せはじめた。 友人の家の前栽の紅梅はつい先日一番が開いたと思っていたのに、今日は三、四がひらき、五番がひらきそめている。夕闇のなかの紅梅、暮れゆくひと時が惜しまれる。 今日の一首 「連行されて友の一人は郷里にて西鶴の伏字おこし居るとぞ」 近藤芳美
2007.02.16
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我が家の表の生垣の枳殻に毎年、夏の晩くに黒揚羽が訪れる。去年は晩かった。蛹になったころは、もううすら寒いころ。親しい方がそうっともってかえってくださり、適当な季節にかえらせましょうと。ありがたかった。春も遠くない、飛べよ高く、そして、もしよかったら、またかえっておいで、おなかに子供を抱いて。 枳殻の木もまた茂りをましている。 今日の3首 「妊娠を告げ来る少女に卒業の二月(ふたつき)前の粉雪が舞う 七ミリに胎児が育っていることがたった一つの確定事項 芽生えたる胎児のために十七の華奢な体躯は袋となりぬ」 高校保健室勤務吉村明美
2007.02.15
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古い家で、我が家はいつも寒いので、雨降りだからと、寒さを用心していったら、世の中は、とてもとても、地球のことを心配しなければならないほどに暖かかった。 そんな中でのひとつの歌の会、75回目の会であることが魂をあつくし、その上わたしのために、不思議な臙脂の色合い、なにかしら遠い母を思わせるような色の帽子を編んできてくださったお方があって、感激で頬が紅くさえなっていることを自分で感じていたようなわけであった。 今日の一首 「くりかへす臼を搗く音・機織る音・わが血脈打つおと暗きかな」 斎藤 史
2007.02.14
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東風(こち)吹くと語りもぞ行く主(しう)と従者(ずさ) 炭 太祇 今日の天気に思う句。 今夜は遅くなる、出かける前に記す。昨日は「達人」なんて言葉つかって、やだやだ。 今日の一首 「もの書かむとしも思へど春あさく硯の面いまだ潤まず」 吉井 勇
2007.02.13
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悲しみでもさびしさでも、その中に住んでいれば、それなりの心の平衡、平安はあるのだ。そして、さびしさがなければ、かえってもの足りないという心境にもなる。 心の自然をあるじとすることが、生活の達人というべきであろう。 今日の一首 「靴裏の鋲より火を発せんよかたはらを急ぎ過ぎゆきし者は」 葛原妙子
2007.02.12
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むかし、もうそういっていいかもしれない。 深作光貞という方の言葉で忘れられない言葉がある。下記する。 日本語の詩的効果をあげる最大の武器は、「リズム」であり、とくに短歌のリズムである と考えています。リズム自体で、それだけでもって、意味ではあらわしえない別次元の表 現が可能だからです。 なつかしく思い出す。ここに記す。 今日の一首 「わらわらと天(そら)わたりゆく鴉らが風のまにまに啼き響(とよ)みつつ」 「山西省」展望哨 宮 柊二
2007.02.11
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著名出版社から贈られてきた歌集のページの間に、毛が一筋はいっていた。短い硬い毛であった。親しみがこもった。でもいつまでも愛しんでいるわけにはいかぬ。テッシュペーパーにとって丁寧に塵籠に埋葬した。 ところで「毛」という呼び方については、先ごろ、短歌の親友(わたしはそう思っている)と、髪の毛とか呼ばず「毛」だけがいいねと言い合ったばかり。場所をいうとそれは本来の「毛」の持ち味がなくなるというのだ。もちろんそれは人間ともかぎらぬし。 今日の一首 「こころよし消し去る行為消しゆきて消しあますなくおのれをも消す」 坪野哲久
2007.02.10
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六条あたりから五条をこえて北へ帰るとき、ふと松原あたりで立ち止まらされる。そのあたりに夕顔町という町名が残り、とある民家の中庭に石を寄せ集めて夕顔塚と名づける小さな石塚があるはず。いうまでもない『源氏物語』のその墓とわれわれはいうていた。 源氏とすごした一夜の明けになにものとも生霊にとりつかれて死んだ、あの夕顔の墓である。 今日の一首 「とこしえに沼なすものの夜のために黒き無数の鳥は飛びたつ」 山田あき
2007.02.09
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わが町といえ、四条から下へはめったに行かぬ。 河原町をまっすぐ今日は六条まで。このあたり古来戦場となり処刑場となった六条河原、左大臣源融の造営した六条河原院址、またひいては涙で袖を濡らしてばかりいる悲しい恋とは知りながらも、だんだん泥田の深みの中にいりこんでゆくような六条御息所のこと。 市営バスを降りるともなく次々に思いやられつつ歩く。 六条に住む知人に出版のお祝いを申すべき目的ながら、こころは六条の地にのめりこんでいた。 今日の一首 「袖ぬるゝこひぢとかつは知り乍らおりたつ田子のみづからぞ憂き」 御息所の歌
2007.02.08
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終末は突然にやってくる。それが今夜だったかもしれない。 しかしながら身体があることは生きねばならぬこと。いまわたしはこの町を走る終バスに乗っている。 今日の一首 「カフカ忌の無人郵便局灼けて頼信紙のうすみどりの格子」 塚本邦雄
2007.02.07
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二日ほど前、わが町でいま流行の町家を利用したイタリヤレストランで食事をした。テーブルは二階であった。上がって気がつくと靴を履いたままだ。 見上げると梁、壁、障子紙、その煤のつき加減、その暗さ加減がリアル。それは当然、そのままだから。壁の中から掘り出したぼろの竹網が目隠しになっている。思えば、そこに座っているわたしは幽霊。 レストランの所在地はかってのわが町家の家並みに近かった。 昨夜わたしは夢を見た。手放した町家に生きている幽霊の夢を。 わたしは幽霊になるのも、そのレストランも好きだからまた行こう。いい遊び場を覚えた。 今日の一首 「人間のおとなしさなればふかき夜を家より出でてなげくことあり」 前川佐美雄
2007.02.06
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本日思いがけなく、九条武子歌集『金鈴』初版を手にすることができた。「心の華」主幹佐々木信綱の序の日付が大正9年6月。発行が大正9年6月25日。初版である。 先に同書の大正15年12月再版のものを所持していた。入手日は(‘97、9、18、午後5時)と記入している。自ずから初版も本日わがものとなった。ありがたいことである。 初版は再版のものより0.5cmほどひとまわり大きい。紙質は変わらぬ。今日入手した初版は、どこかの書庫に静に眠らされていたらしく、再版のものより傷みがない。いづれにしてもそれぞれの出会いの妙に合掌する。 今日の一首 「尾の鰭を先づそよがせてはなやかに泳ぎ出づるを夜々に窺ふ」 大西民子
2007.02.05
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わが書棚に、奥付けのページ上に、入手した日付、時間、時には天気を書き入れた書物が多くある。その一冊、「目契」の七ページ掲載の一首を書き記したい思いのままにここに書き記す。 日のなごむ芝生にシユルツエのままゐしがベル鳴りて前川教授回診につく 全く関係ない作者の思いの一点景がわたしの一点景と重なるからである。書き入れ(1987、11、11夕刻6時)。 今日の一首 「平安のごとき孤独にわれは居り車窓は濡れてかぎりなき雪」 上田三四二
2007.02.04
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家に近い神社の、後水尾天皇宸筆、くちなし色の「疫神斎」神符は美しい。 節分にしかいただけないので、今日いただきにゆく。うつくしい色にはこころが拠る。波によって岸に近づく藻のように。神符を貼ろうとして門口の柱を拭うと白布が真っ黒になった。一年の汚れであった。 今日の一首 「推理くらく動きやまねば起きあがりざま厚き幕引き放つ」 高安国世
2007.02.03
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わが町も朝からの雪。 日本海方向に列車で。里山をひとつ越えるごとに雪が深くなる。車窓を切る降雪も量を増す。今日は帰れなくとも、そんな覚悟がだんだん本当になる。 しかしながら、到着した町は落ち着いていた。今日は短歌にかかわる集まりだが、雪も人間の肝も座っていることを感じる。なるほどとすべて、何もかも教えられての帰路であった。 今日の短歌 「ここは死を隠すしずけさひとくきの髪のかなたに響る黒硝子」 佐竹弥生
2007.02.02
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雪の匂いのするごご午後4時ころだった。黒谷墓地へ向かった。眞如堂との境の坂道を登り、会津墓地の前から入る。折からの夕焼けが墓石の群れに不思議な色合いを投げていた。秋なれば絶好の時間。 ひとまわりした帰りがけ、『祇園三女歌集』に名を連ねる歌人町女の墓に詣でる。町女は南画家池大雅の妻、夫妻は貧しさの中にも欲に囚われず洒脱に、ともに画筆をとって仲むつまじく暮らしたという。母は同じく三女の一人で歌人の百合女、祖母楫女も同じくその一人で宝永年間の歌人。歌集『楫の葉』は宮崎友禅斎の絵筆に飾られている。 町女の小ぶりの墓石はつつましく、愛らしく、夕暮れの光線の屈折のせいか、ほのべに色にも染まって見えた。 今日の一首 「昼の月紅く燃えゆくしばらくをとどまりて交す愛ならなくに」 北沢郁子
2007.02.01
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