2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全28件 (28件中 1-28件目)
1

谷崎潤一郎の「潺湲亭のことその他」を読んで思ったことでありました。いまから千年も前にも家を売ったり買ったりしたことがあったらしいということであります。 あすか川淵にもあらぬわが宿もせに変りゆくものにぞありける これは伊勢の歌で、この「せに」は「瀬に」でありますけれど、「銭(ぜに)」の意もあるとしますと、売買は物々交換のような方法でなく貨幣で取引されたものらしく興味がもたれます。伊勢の家は五条のあたりか、それとも桂の里にも住んでいたらしいですから、売ったのはどのあたりの家であったろうかと、わが身にひきつけて思うことも面白うはございます。周防の内侍は 住みわびて我さへのきのしのぶ草しのぶかたがたしげき宿かなと詠んでいます。この家は冷泉堀川のあたりとか、冷泉はいまのほぼ夷川通り、その西北といいますから、いまの二条城の構えのなかにはいっているようにも察しられます。しのぶ草の垂れ下がる家といえば、わが宿もいま、そのような有様にて。 今日の一首 「いにしへはついゐし宿もあるものを何をかしのぶしるしにはせん」 山家集
2007.09.30
コメント(0)

京都国際インデーズ映画祭へいってきました。インターネットで行っている短編映画を紹介するものです。上映作品は次々と9編、フランス、フィンランド、韓国、トルコなど、など未知の世界(内容的に)を見せてもらいました。後ほどのトークセッションはわたしにとってはさらなる未知の世界、しかしながら知ることの大事さを知りました。一人が「世界は違ってもいい」との発言がありましたが、ハッとしました。その通りだと思います。その人の深意はわかりませんが、同じ事を無理にしようとすることは変ですね。 今日の一首 「赤の黄の花をちよいちよい摘んでゆく我はこの野をよく知っている」 石川信雄
2007.09.29
コメント(2)

わたしは、本の整理がとても下手であります。でもこれが似合いの自分ということを承知していて、一番都合のいい散らかし方をしているようです。これならどこへでも行き着ける気分であります。それで、今日も今日とて行き着いたところがありました。あっち向いてこっち向いておりましたら、『京都の大殉教』という本が目に入りました。まるで、百万遍のお寺か、糺の森の古本市にいる気分であります。狭い自分の部屋に繁茂する大木が見えたりしました。折からの風が梢の葉を鳴らして過ぎました。読み込んで半日を経ました。これを台に次の仕事を考えて見たいと思いました。京都という土地の舞台が見えるかもしれません。舞台は頑強なものがつくられているはず、それは壮烈なことがらによってであります。 でもでも今日は今日とて十月の歌会の案内書きの郵送分を発送してしまわねばなりません。整然と順次立ててという仕事もあるのですから。 今日の一首 「海鳴りのごとく愛すと書きしかばこころに描く怒涛は赤き」 春日井 建
2007.09.28
コメント(0)

おはようございます。起きてみましたら、まだ日付が変わっていませんでした。昨夜はパタンキューでございました。半世紀のお借りの罪を天主さまにお返しして、その前に行った、銀閣寺の露店の傘修理屋さんでは、夫婦喧嘩をして今日はむしゃくしゃして休みますとの張り紙に出会い、なんと生き生きした世であることよと楽しくになりました。 夕刻はお友達の主宰する陶展によせていただき、芸術作品に深く感動、なお、成る程と店主さんのお接客ぶりにも感心いたしました。何と幸せな一日でありましたことか。さてまた、ただいまから、今日の始まり、本日のお出会いのことの幸運を祈りつつ。 今日の一首 「あかねさす紫野行き標野行き野守りは見ずや君が袖振る」 額田王
2007.09.27
コメント(6)

今朝は出かけ際に服を二、三度着替えました。夏と秋とちょっと早朝は冬と一度に感じてしまいました。そういうわけで会場に着くのがやや遅れてしまいました。 春植えし庭の有り様(よう)矢筈芒(やはず)ゆれ暑さ残れる九月の風に 木漏れ日の柔らかき朝裏磐梯昨日(きぞ)より野菊色濃ゆくして かやぶきの里いちめんに蕎麦の花風になびけり車にゆけば グラナダよりコバルトを越えセビリアへ見渡すかぎりオリーブの畑 はじめての おやこ二だいの ふくだしゆそう どうのりきるか ねじれこつかい 夏の夕あれは何かと息をのむ合歓の花群うつつにあらぬ 楽しむ姿勢に八十一回目の会合、ひらがな表記の人ははじめからそれを押し通して立派。終わり近くに皆さんにお手持ちご用意のお茶を、ご馳走くださるおたしなみのお人でもあります。 今日の一首 「曼珠沙華のするどき象(かたち)夢にみしうちくだかれて秋ゆきぬべき」 坪野哲久
2007.09.26
コメント(2)

突然ですが、木地蔵さんの小さい像は、平安時代初期からたくさんつくられており、現在も多くに残されていると知りました。その一つが高雄の入り口の谷にある慰称寺の町内の保管庫にあるそうです。毎年8月の地蔵盆にしか拝ませていただけないそうです。来年の夏はわすれんといきまひょ。 友人の画家が個展をして、その作品を知らない人が買ってくださったとわたしに話してくれました。わたしはその絵がほしかったのです。「想」という人物画と「時計草」という花の絵でした。でもわたしはその知らない人が買わなくても、買うことはできなかったのですから仕方がありません。わたしはいつも欲しいものは高嶺の花です。 今日の一首 「たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき」 近藤芳美
2007.09.24
コメント(2)

江戸初期(1604~13)、ルソンからジャワ、マラッカあたりまで船を出して、西洋から来た商人と貿易の利を争った豪商角倉了以が開いた高瀬川は、加茂川の水を木屋町二条からから引き入れています。わたしは木屋町を離れて半世紀になります。現在、水はあるかなきかの深さで、平らかにつくられた川底いっぱいに広がって流れています。森鴎外の『高瀬舟』を偲ぶまでもなく、何処かしら人間の哀歓をひらめかせて流れる水です。今日はその一の舟入で行われた、高瀬川の舟祭りにいってきました。帰路、雨にあいました。秋が深くなる雨です。 帰路、出町柳のカフェに一休みしました。お隣の椅子のかわいいお二人連れに見とれていましたら、男性はタイ国の方、建築の勉強をなさっているとか、やさしく、わたしをスケッチしてあげましょうとおっしゃる、驚きましたが素直にしてもらいましたら、また、素直に今日のわたしの幸せな心情がうつされていて感動!!。ありがとう、あなたも、ご一緒のお嬢さんもどうかお幸せにね。また、会いましょう。 今日の一首 「哀しみは極まりの果て安息に入ると封筒のなかほの明し」 浜田到頌(「瞼(リーデルン)」)
2007.09.23
コメント(0)

午前中、長女と書道展にいきました。なかなかのお方ぞろいと拝見しました。好きだなと思う作品がありました。でも何も言葉は出せません。そんなにしていますとひとりの方がよってこられて、「雨」という字は点々をいくつ書いてもいいのですよといわれました。瞬間の言葉でしたけれど、わたしとってもうれしくなりました。 午後は長女が、アメリカに居るその長女のために、これからの季節の衣服を荷造りしている間にわたしは、隣の部屋でベットの下のお掃除をしました。気になっていたところなので、終了すると、すーっとしました。今夜はいい夢を見られることでしょう。早くにやすむ事に致しましょう。 今日の一首 「秋すでに蕾をもてる辛夷の木雪とくる頃咲くさまはいかに」 牧水
2007.09.22
コメント(0)

今夜はゆくりなくも、ミャンマーの女性、ノリーン キン レーニューさんのお話しを聞くことになりました。何と愛らしい美しい人でしょう。実は私の近親がベトナムで、しばらくその地方の歴史の研究をしていたということもあるので、タイ、ラオス、ベトナムと国境を接するような近さでもあり、何となく親しみを覚えて参加しました。 ノリーン キン レーニュさんは、ミャンマーの位置、気候、人種、言語、教育などにつきお話をし、掌を微妙に使うダンスも見せてくださいました。彼女は竜谷大学の学生さん。外国人による日本語弁論大会では、その流暢な日本語でミャンマーの子供の未来につき熱く語られたといいます。またその記録の文章を読むこともしましたが、その中に日本の子供のようにと夢を語られる箇所が見えます。現在の日本の子供たちがそんなにお手本になるような幸せであるのか、正直、心配するところもありますが、思えば世界中の子供たちが幸せであることを、改めて祈らずにはおられません。今夜はそのような夜ではありました。 今日の一首 「そら豆の殻一せいに鳴る夕べ母につながるわれのソネット」 寺山修司
2007.09.21
コメント(2)

うまくいえなかったことを、いってくれていることばを見つけました。「身辺の平凡な出来事を日常の脈絡の中から切断し、一現象を一現象として孤立させること。そのとき一現象は解きがたい謎となって輝く。」輝くといわれる結果は知らない、知らなくてもいい、いえ、わからないことです。結果ですから。それは自分が見ることではありませんから。死後みたいなもので。今朝、いま、ここにあるわたしをもったいなくしないために、わたしは、たったひとつ知った歌という方法によりかかって、山ほどあるわたしにつきまとう風景を語りましょう。歌、或いは人がいう、そういうことにもならないかも知れないけれど、折角の機会、ここ?にいるのだから。今朝、考えたことです。あたりまえのことだから。 今日の一首 「ゆくりなく振り向きしときわがみたり飼犬が階段をのぼりつつあるを」 葛原妙子(『朱霊』)
2007.09.20
コメント(2)

寺町三条というところ、それぞれに土地には思い入れがあります。何もありませんという人もそれはそれで当然。そういう意味でわたしにはそこに古い雨が降る映画のような、じっとりとした思い出があります。でもそれはそれの事情の中で、今日は今日の短歌の集いの寺町三条ではありますが。 でも、ちょっとだけ。昔、我が家の大世帯の台所を取り仕切っていたおばあちゃんに頼まれて、よく切り込みというお肉の細切れを買いにいった「三島亭」がそこにはあるのです。「三島亭」は明治6年に「すき焼き御料理・獣肉販売店」として開業した日本のすき焼き店の草分けでありました。その向かい、現在の「とーべえビル」で歌会はあるのですが、これまた、とーべえさんはご旧家、たしか金属のもろもろの道具を扱う品格ある構えのお店屋さんでありました。そんな昔語りいっぱい、小さな女の子だったわたしが、ちょろちょろしていた寺町三条のまんなかで、今日は「みずのわ」という歌会に参加させていただきました。それで、何かしらに、作者自身が、泣いてしまったというお二人の作品をご紹介いたします。印象的でしたから。 虹薄暮一声かけてすり抜けたおいてきぼりする時代(とき)が追い越し ここちよく ほろ苦さもまた 沁みこんでパワー回復 秘策のティラミス いつでも泣けるそんなこころでいたい、ぐっと我慢はしていますけれど、ぎりぎりの本音でありたいと願うわたしでございます。歌もそうだし、自身もそうであります。 今日の一首 「をとめ子の清き盛時(さかり)に もの言ひし人を忘れず。世のをはりまで」 釈 迢空(「地下水」)
2007.09.18
コメント(2)

9月も中旬になりますと、粒の大きな白萩の枝を、びっくりするほどに長くに切って、たっぷりと、毎年、届けてくださるお方があります。あつかましいけれど今年も実はひそかに待っています。出町の萩のお寺の蕾も大分に開いたことですし。実は萩を入れる甕は決めております。丹波で焼き物をしている知人の作品です。萩は水をたっぷりにしないと持ちません。その甕はびっくりするほどの虚(うろ)をもっているのです。今年もはや、押入れの奥の方から出してきて待っているのですけれど。 この季節、東山七条の三十三間堂廻り町の養源院では大般若経会のおつとめがあります。母が昵懇にさせていただいていましたので、一緒にお参りさせてもらったことがあります。いまはどうか知りませんが、参詣は自由でお札とお供養がいただけました。でも母が亡くなってからは何とはなしにご無沙汰しています。秋、やはり物思う季節でございます。いろいろのことが偲ばれてまいります。そして懐かしい母の匂いまでが近くに感じられてくるのです。母の匂いは、誰が袖の香でございました。 今日の一首 「かたこひのあきのぬまべにぽつねんと、そらみてすわるみづひきのはな。」 立原道造(東大時代の同人誌「ゆめみこ」より)
2007.09.17
コメント(2)

エッセイがはかどらなくて苦しんでいます。そんな時思い出す言葉があります。エッセイは母乳のしたたりのごときもの、そういってくれた一人の人の言葉でした。エッセイもそう、歌もそうでした。決して見識や知識でものをいうものであってはいけませんと。なおその人はいいます。自分はペンをすすめていて三分の一ほどはかどった時、あえて手を休めるようにしていますと。そして次の文章をいつも読み返すのですと。それは「自らのうちへおはいりなさい。あなたが書かずにはいられない根拠を深くさぐってください。それがあなたの心の最も深い所に根を張っているかどうかをしらべてごらんなさい。」という文章でありました。 更にその文章は「人類の最初の人間であるかのように、あなたが見、体験し、また失う物を言うように努めてごらんなさい」ともいってくれていると。 助かりました、いま記憶の綴じ糸を結びなおし、ピアノの上の書箱に返しました。改めてお礼を申します。 今日の一首 「つくづくと櫨の葉赤く染みゆけど 下照る妹のありといはなく」 檀一雄
2007.09.16
コメント(2)

今夜はわが短歌の会の母体「BOU」の会。出席は四人。やかましいと何時か叱られたた隣の会議室の会合が今夜はやかましい、こちらも勢いにまかせて元気に力漲らせての会とはなりました。 わが庭に遅れて咲きし鷺草の花の孤高を撮りて写メール 咲き終えしすがたのままに影ならぶ向日葵ばたけアンダルシアの丘 レジに並び前のカゴ見て垂涎す寿司にワインにハーゲンダッツ 作品は本人のもの、理解が違っても仕方がないではないですか。理解してもらうために詠むのですか、それとも言葉にならない自分の感動のために詠むのですか、わかってもらえない失敗を何度も重ねましょう。どちらかといえばわたしは後者をとります。簡単に妥協しない、その負けじ魂が大切。終結をいそがない、いつも過程の明るさでいたいものでございます。いうなれば力を失わぬことでございます。人にわかるように作り直して、わかってもらってそれであなたは満足ですか、それは自己に対する不誠実というものです。そういうことはわたしは薦められません 今日の一首 「夜なかごろ壁にもたれて立ってゐる何んといふこの静かな世間」 前川佐美雄(『植物祭』抄)
2007.09.15
コメント(2)

或る雑誌のページに、浦島太郎は竜宮城から何故帰ってきたのだろう、自分は小さいときからそう思っていたと書いてあるのを読みました。わたしは雷が嫌いで、今日の午後も暗くなってきて雨がざーっときましたから、また鳴り出すかと、やりかけのパソコンの仕事を中断し、ふと、傍らに取り上げた雑誌に見つけたのでしたが。そうですね全く、竜宮城では雷も鳴らないことでしょうに。 その人、筆者は、いまでもわたしはそう思っていると書いています。わたしなら帰らないと。しかし、もっとも帰って来ないとあの話は成り立たないとも。ちょっと考えてしまう話しでしたが、雨もやみ青空が出てきて、なんとなしに今日のブログをこうして書き出しているわけであります。思えば玉手箱を開けた太郎さんは、あれからどうしたのでありましたっけ。「浦島太郎」は、思えばつまらない話であったような気がしてきました。終わり。 今日の一首 「お母さんなぜいけないんにくてん(肉天)が 穢いお婆が売っているから?」 山形裕子(『ぼっかぶり』)
2007.09.14
コメント(2)

今日はなんとなく出町柳で半日を過ごしました。整形外科医院へ月に一度通う用事があるためでありますが、このあたりが好きなわたしは、カフェなどで時間を過ごしたりしてしまいます。でも今日は特別でした。血縁の女の子と待ち合わせがあったのです。かわいいなんて思っていませんのに、そういう心理になっているらしく、その女の子に見事に待ち惚けさされてしまったのでした。それでも怒らないこの恍惚をどうしたらよろしいのでありましょう。 さて、出町は上京区の河原町今出川の北東一体をさす地名。その名は京の出外れの意から来る名前です。加茂川と高野川がここで一つの流れになるところでもあり、護岸強化に、その橋の付近には、大昔から大きな柳が植えられていたため、またの地名を出町柳ともいいます。もう一つまたの名は大原口ともいい、京の七口の一つで、洛中から比叡、近江をこえて若狭の国に通じるところでもあります。若狭から肩に担いで一昼夜、程よい塩加減になったという有名な鯖街道にもあたります。いまもそれなりに往来が絶えず、その人々がなぜか生き生きして見えるところから、大好きな町になりました。今日の記録に意味はありません。やがてとれた女の子との連絡で、わたしはすごすごと一人家路についたのでありましたが。 今日の一首 「送別会終へし電車に次々と消去してゆく携帯番号」 大崎瀬都(「ヤママユ」21号)
2007.09.13
コメント(0)

昼間は汗ばむようですが朝夕は一挙に涼しくなりました。パソコンに触れている今、肩に薄いウールの布をかけています。今年の夏もそれなりの計画をもちながら心残りに終わったこともありました。過ぎてみると夏というものは妙に懐かしいものでございます。 雲が畑志明院へ久しぶりに行こうとしたこともその一つでした。志明院は加茂川の流れを遡ったその突き当たりともいえる山峡、水源地に近いところにあるただ一つの寺であります。650年頃、役小角(えんのおずぬ)によって開かれ、後、弘法大師により皇室の勅願所として再興されたといいます。 裏山の一帯が役小角に関係する修験場。ここは何故か女人大峰と名付けられてをり、女性が入ることが出来た唯一の行場でありましたとか。それゆえに全体に怪しげな雰囲気をかもし出すところです。わたしはこの寺の前の茶屋の一室を借りて一泊したことがありましたが、夜中、なにやら屋根の上にものの落ちる音がしたり、障子紙に光るものが映ったりしました。翌朝、宿の人に聞きますと、驚いたふうもなく、「そうどすな、このあたり天狗の雅楽とか、天狗の相撲とかが折々にありましてなあ」とこともなげに話してくれたのでした。 暑い夏、扇風機もいらんように、身も魂も冷やされるところでございます。いまは変わりましたかも知れません。 今日の一首 「もろともに秋の滑車に汲みあぐるよきことばよきむかしの月夜(つくよ)」 今野寿美(『星刈り』より)
2007.09.12
コメント(2)

昼間、一つの姿勢に疲れると、表の庭に面した縁側の椅子に深く凭れかかり、その前に置いた小さな椅子に足を上げて目を閉ざします。お行儀の悪い姿ですが、それはそれとして、深くもたれた椅子には深く頭を沈めます。そのときふと自然に天井裏を見てしまいます。 思えばこの家を手に入れたときから25年、その前にこの家は60年経過しているとお世話してくださったおじいさんが言われましたけれど、ひょっとして70年として、この家は95年、100年近いということにもなります。眠りの姿勢に眺める縁側の天井裏は、庇の屋根裏に続いており、その境、鴨居には一本の太い丸太棒がいかにも任せときとばかりに頑丈に通っています。縦には同質の細い丸太が幾本も縁側から庇へのび、縁側の天井裏と同時に庇の屋根裏を支えています。ああこの家は以前住んでいた下鴨の家と同じやな、そんな様子を眺めながらいつの間にか眠ります。 でも、しかし、しかしながら、さすが百年近く経過した家、丑三つ刻ではありませんのに、ただいま、その庇が下がりつつあります。うちの大工さんが、自分が住まっている寺の沙羅双樹の木と太い竹で支えをしてくださっています。その景色がまた、わたしは好きでならないのですが。 今日の一首 「わが庭の桐のひともとたかければまづ秋風にとはれけるかな」 柳田国男(明治25年10月)
2007.09.11
コメント(0)

短歌雑誌に掲載の「国つ罪あはれ」岡野弘彦を読んで身震うものがありました。 八十(やそ)すぎてわれは苦しむ。憎みつつ人を殺せり。若き二十に 常(とこ)闇に 魂消(たまぎ)る声をひびかせて わが殺したるものら 苦しむ 天皇(すめらぎ)の軍(いくさ)といへど 人間の生き肌を断つ罪 のがれ得ず 街川の流れにうかぶ泡沫(うたかた)の 漂ひやまぬ 科(とが)ふかき身ぞ 九月号のそれを読み終えいま、また、宮柊二の作品を思い出しています。 おそらくは知らるるなけむ一兵(いっぺい)の生きの有様まつぶさに遂げむ 碩(かはら)より夜をまぎれ来(こ)し敵兵の三人(みたり)迄を迎へて刺せり ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声もたてなくくづをれて伏す 胸元に銃剣受けし捕虜二人青深峪(あおふかだに)に姿を呑まる 自己弁護のような作品は一首もない柊二の物語るリアリズムは、いまどきにいう戦争反対などの生温(なまぬる)さは微塵もありません。事実だけを述べることによってその悲しみがとめどなくに零れるのでした。 今日の一首 「野のひろさ吾をかこめり人の世の人なることのいまは悲しも」 片山広子(『野に住みて』)
2007.09.10
コメント(0)

けだものを 自分を見失っているときは、それがわからないのが当然です。だって、見失っているのですもの。そう思うと怖いです。また見失っていないと自分のことを思うことも同じ気がします。自分はいまどちらにいるのでしょうか、とにかくゆっくり歩いて、見えるものは見えているか確かめていきたいなと思うこのごろであります。 ところで、今日は気に入りのパラソルの修繕のために半日歩きました。町はかわりました、尋ねる傘屋さんの家は二軒ともぴたりと戸が閉まり、ガラス戸にはカーテンまでかけてありました。軒にはたっぷりとした墨書で「傘屋」と書かれた看板がずり落ちそうに傾いています。町はかわりました。これでいいのでしょうか。今日もささやかなわがことから、わが町のことが心配になりました。 一蓮托生という言葉があります。わが町のいまと一緒に、わたしはそうなりたくありません。見えるものは見ていくつもりです。 今日の一首 「ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし」 前川佐美雄(『植物祭』抄)
2007.09.09
コメント(2)

また幸せひとつ。土曜日午後、図書館へ出かける身ごしらえをしていましたら、以前、わたしの歌集の装丁をしてくれた、友人の画家さんの、例によって、明るい訪問を受けました。友人は女性、彼女が訪れると門口がぱっと明るくになります。「わたしこのごろ、だんだん、自分の勝手しか考えんと行動するようになって、ごめんね」というんです。「どういたしまして、それでええんと違う。わたしも、いいひんときはいいひんし」と応えるわたしでありました。 「お土産は田舎の花よ」といいます。「そして田舎が自慢やねん」というのです。それは一本の鶏頭と名も知らぬ野花。彼女は大原から途中峠をこえた志賀にいます。蝮がいると聞いています。こちらの教室の授業があるときとか病院のお父さんのお見舞いとかのときに、たまに来てくれますが、今日は、個展の準備のためであったらしいです。彼女はがんばっています、わたしも負けたらあかんと思いました。 今日の一首 「ゆきはぐれとっぷり暮れた夜の時雨 肉太の葉は毛羽だちておる」 蒔田律子(『火の流域』)
2007.09.08
コメント(4)

関東方面への風雨のこと申し訳ない気持ちで、京都駅を定時に発ちました。綾部の歌会「じねんじょ」へ行く日です。見慣れた風景がまるでふるさとへ帰るように窓外に飛びます。でもなんとない連日の暑さの疲れ、お結びを一ついただいて眠ってしまいました。 「夏たけて入日やさしと感じた夜ガラス戸閉めて靴下を履く」この真実の素朴さには打たれます。自分のままで、自分らしく、こころにこみあげるものを、自然に歌にする~そんな心情をかかげて歌会やっているつもりの私です。「濃紫と茜の雲がだんだら縞、川面にも端から闇がおりくる」、先の作品と同じ作者。「敬老会親らのことと思いきし吾にも案内もう三年目」「夫のるす子等と稲田を守らんと一反半は黄金色となる」この二首も作者は一人。作品は自己主張ともいえるが主張は過ぎない方がよろしいようにて。「天辺より蘇鉄は新葉吹き出せり暑く渇ける夏の最中に」天辺よりがいいなと思いました。 お土産にいただいた鈴虫が啼いております。表の縁側のくらやみで。 今日の一首 「目の前に居れる妻には大凡に思ひ及ばぬことを思へり」 山下陸奥(『冬霞』昭和27年・抄)
2007.09.07
コメント(0)

秋の夜というには早いという人もありましょう。しかしつけっぱなしの扇風機にふと足元が涼しいと今宵、感じたことは事実。秋の夜はやはりもの思うとき、しっかりその壷に嵌るのもよろしいと思うわけでございます。 書棚から引き抜いた『花の肖像』、この書籍には物語があります。初恋といってよい昔、親戚のようなお知り合いのお兄さんだったお方から、20年近く前に突然、郵送されてきた書籍であります。「この本は花の名をおぼえるためのものではありませんし、画集でもありません。花の名をおぼえるためでしたらそれに相応しい本もあります。これらの肖像からそれぞれの花の性格を知り、私たちの心を花に通わせる手段を学び取ることだと思います。」送られてきたとき、即に開いた著者の前書の中のその言葉を読んで、わたしにはわかりました。昔々のその昔、そのお方は花の名ばかり知りたがるわたしに、同じ意味の言葉をいわれました。そのときのわたしにはわかりませんでしたが、いまならわかります。一文字の手書きの文も添えられていないその小包、それはは奇跡に近いものではありました。 今日の一首 「痛矢串(いたやぐし)白きが鹿の胸に立てし峰の杉むら霧吹き止まず」 長塚節(「鍼の如く」其六草稿・「吉本隆明歳時記」より)
2007.09.06
コメント(1)

河原町御池、京都ホテル内に於ける歌会「ふくろうの会」の日でありました。月に一度、今月で105回を数えます。のびのびと忌憚なく心のうちを歌うところの明るい集まりです。その内から少しくを記します。 君がいてカンパリソーダー喫む午後のカーテンの向こう、三十六度 生き様を額に刻み空仰ぐカンカン帽の遥かな視線 暗黙の契約たがえたかのごとく自然の報復止むこともなく 入道雲蝉の鳴く声炎天下汗を拭きつつ六道まいり 用事ひとつ忘れ残暑のつよき日に灼かれてまたも歩みつづける 意味もなくある日心が柔らかく愛しいものがつぎつぎ浮かぶ 泣きました、百円持って帰りなば友子は逝きぬ「はだしの ゲン」 終会後の喫茶に人々はみなカンパリソーダーを飲んでいました。一人の人の作品に見えていた飲み物です。わたしたちは、一つのことを指に触れ、目に確かめるように貪欲なのであります。 今日の一首 「深谷の鹿の血潮の滴(したた)りをかなしき雨はあらひすぎにけり」 長塚 節(『鍼の如く』其の六草稿)
2007.09.05
コメント(2)

今朝6時のわがめぐり、蝉はぴたりと啼き止んで、夜からのこおろぎの音が低い位置から引き続いて。わたしは二階に就寝。空は青空。無風。三方の窓を全開しても昨日の朝より暑く感じます。また暑くなったというべきで。向い家の高みに、のうぜんかづらの残り花が。 6時半階下へ降りてもろもろの朝の家事。階下はおかげさまで涼しい家でございます。表、裏の庭と外の街路の水撒きも終えて、甕の金魚にも水をたっぷり、餌の麩をやって、自分の朝ごはん。表の木箱から新鮮な牛乳を取り入れて、パン、青物など。 いつもの電話が遅いなと思っていたら、電子時計とやらが8時45分で止まっている、電話はわたしが聞こえない場所に居るときに、すでに鳴っていたようです。仕方がありません。台所の古時計の螺子を巻いて、OK。ぼーん、ぼーん、ああ、いい音が時を告げてくれます。私はこの音を聞いて小学校へ通っていたのです。螺子を巻くことには確かな信頼が感じられますす。 今日の一首 「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」 伊藤左千夫(『左千夫歌集』大正9年刊より)
2007.09.04
コメント(0)

静かな日差しになりました。つい先日まで、帽子をかぶって、パラソルさしてという姿、それでもたまらない焼けるような日差しでしたのに、今日はパラソルだけで、それもゆっくりと歩くことが出来ました。バスを待っとき木影に入りますと、すっとするような気持ちよさも味わえました。 今日は河原町二条東入る北側、善導寺というお寺にお尋ねしたいことがあってでかけました。そこは幼い時から知っていました、小学校時代は毎日その前を通って学校へいったものですが、門をくぐるのははじめて、門の様子から黄檗山とも関係があるのかと思っていましたが、浄土宗とは、ちょっと意外でした。ここに、わたしが生まれた町のお地蔵さんが預けられております。そのことについてお尋ねするためでした。 わたしは京都の一雑誌社から出版の「京の暮らし」と題されたエッセイを隔月に書きつづけて10年余になります。「京」という大きな題ではよう書きませんので、わたしとしては、編集者の了解も得て「わたしの暮らし」を書かせてもらっているつもりです。その一つとして、今回は町のお地蔵さんについて書くための訪問でした。お地蔵さんは一番民衆に近いところにおいでの位の低い仏様、日々にお世話をして、町内を守っていただくようにしなくてはとのご住職の言葉が身にしみたのでした。 今日の一首 「妹を思ひ寝(い)の宿(ね)らえぬに秋の野にさを鹿鳴きつ妻念ひかねて」 万葉集(巻の十五・三六七八)
2007.09.03
コメント(0)

この日ごろはやくに、でもそっとそっとに、あい互いに代わり合ってゆく季節を感じています。手をのばしても、どこもとらまえようもなくにでございます。思い出して、一つの誌を本に繰ってみました 緑の夏はかくも静かに なり果て さらに余所者の足音(あのと)が 銀(しろがね)の夜を縫って響く。 蒼き野獣はその踏みし小径と、 己が心の歳月のよき響きを思えかし。 そこには「静かに」とは音がほとんど耳に達しないことであると我々は思い勝ちである、しかし「静かに」とはゆっくりということである、そんなふうに書かれてあったことを読み返しました。そしてゆっくりとは「滑ってゆく」ということに他ならないこととも。静かなものとは、滑り落ちるもの、夏が滑り落ちてその挙句に秋となる、そんな風にもでありました。すなわち、歳次の夕べとなるのであるとも。 今日の一首 「馬追虫(うまおひ)の髭のそよろに来る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし」 長塚 節
2007.09.02
コメント(2)

先日来とくらべますと、すっーと涼しくなりました。温度計は決してそんなに下がっていないようですが、余程にわたし達、やられていたようでございます。そんなわけもありまして、ここ暫らく日の下を歩いていないことを、おもんばかり、鹿ヶ谷から銀閣寺、我が家までいつもながらの疏水の道をゆるりと歩いてまいりました。これからはさらに自分を大切に、そんなことを幸せのうちに思いながら。 このブログのために、手馴れない写真を写すことも日常となりつつありますことも、自分が撮りたいと思うところに視点をあわせてと無理なくしておりますと、この上なくに楽しゅうにございます。みんながそうでありますと、もう戦争も起こりませんね。何でも一つのことがよくなると、こわいようでございます。 今日の一首 「日の下に妻が立つ時咽喉長く家のくだかけは啼きゐたりけり」 島木赤彦(『切り火』抄)
2007.09.01
コメント(0)
全28件 (28件中 1-28件目)
1