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わたしが玄関の戸を少し開けておく事は有名のようです。その外に小庭があり、屋根のついた門があって、生垣が家の端まで続いていますから、自分が留守のときでない限り、玄関の戸は少し開けておきます。夏はそれなりに一直線に台所を抜けて、裏まで風が通りますし、いい気になっていたのでした。長年そうでした。表を通る知人は、それを合図に在宅と思って立ち寄ってくれますし、開いていないと素通りするということでした。 ところが、ここ2,3日で長年の状態が変わりました。奥の間で、パソコンをしていましたら、台所でカチャ、カチャ食器の音がするのです。絶対に生き物が立てる音です。飛んでいってみましたら、小さな動物が玄関から飛び出していきました。鼬かと思いましたが、いいえ子猫がそれも二匹。もう、開けては置けません。でもお揃いの毛並みのかわいい子猫、何処の誰がこんなことをしなければ生きていけないようなことをしたのでしょうか。 裏塀の上から木を伝って入ってくるようです。いまもそのような音がします。困りました。わたしは玄関を開けておかないと訪問者が減ります。トマトやジャガイモ、お玉さんなどの頂き物が減るのです。わたしにはピンチです。 今日の一首 「たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ」 齋藤 史(『魚歌』)
2007.07.31
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午後5時過ぎ、ふと秋、と思う感触。そんなはずはないと打ち消しながらも。 出かける際、好きな出町柳で一旦バスを降りて歩いてみますと、青空が懐かしいばかりに加茂川の上に、乙女の頃口ずさんだ「山のあなたの空遠く」を偲ばせて北山の稜線がくきやか。 出町から河原町通りを三条まで、再びバスに。折々ビルの間に、目を開いてまともに見られないような入日がのぞきます。そして三条寺町4階のビルの一室の歌会へ。 空一面グレイの雲におおわれて 真昼の刻も 夕刻の夜似(よに) 額よせながき黒髪なであひて眠る夜しずく集合写真 ハッとして白いむくげを見入る様 雑念払い木漏れ日さやか この恋も四角く切ってひとまとめ くちどけすっぱくマシュマロのごとく 目にかかる滴を拭いしがみつく夜雨に浮かぶひとひらの虫 うたの会出て来なくてもしぼり出し心の扉こじあけるごと 表面はツルリと光りあっさりと、夢にまで見た長年の味 なかなか、きびしい皆さんの作品。この日、たまたま主催者まで提出しておいた鑑賞歌は平井弘のもの。その言葉の一部をもって今日のブログの終結とさせていただきます。 「本来、豊かな余剰性をもっている言葉というものを、あえて限定して使うことに神経をすり減らすのは無益なことのように私などにはおもわれるのである。」(「意思の持続」、『短歌の本2』) 今日の一首 「時かけて固き肉をば食いちぎる執拗に夜学までの余白を」 佐々木幸綱(「現代短歌‘78」)
2007.07.30
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観光地としての京都が賑わしくになりますと、びっくりするような質問を受けます。それはさる報道関係の一流のお方からのお尋ねでした。わたしが明日の予定につき尋ねられたことのお応えとして、そのとき「明日はお寺さんの毎月のお詣りの日ですから」とお断りしましたところ、「へえー、この時節、京都にまだ月々、家までお詣りに来る寺があるのですか。そんなことでやっていけるんですか」といわれて仰天。 いかに京都といえお寺は観光寺院のみではありません。それどころか、お寺は檀家があって成り立つ宿坊としての地道なお寺が大方であります。元々、京都の我らは、家に仏壇を持ち、先祖伝来の墓地を合わせもっているものが大方であります。それらは、決して観光関係に名をあらわすことなく、もし人知れぬ由緒があるにせよ、知る人ぞ知るべきものでしかございません。いかに観光地といえ、わたくしどもには、わたくしどもの日々の生活があることをお忘れいただきませぬようにと、思ったことでことでございました。 ところで、昨日からの写真は、モンパサです。モンパサには美しいモスクがありました。わたしは、思わず近づいたのでしたが、信者方の真剣な祈りのまなざしに、たじろぐ思いで、その場を退かせていただきました。 今日の一首 「水のうへ蜻蛉(あきつ)飛ぶなり動くものこれのみと思ふ池のしづけさ」 吉井 勇(平安神宮) 「石のうへに僧の唐沓(とうぐつ)脱ぎ棄ててある傍らの白木槿のはな」 同(大徳寺)
2007.07.29
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夏!!と感動しています。一歩出るとすごい暑さです。昨日刈り込んだ木槿の木で蝉が鳴きしきっています。この暑さの中、自分は元気だと感動しています。この夏を新鮮に思います。幸せなことです。このままの気候が順当に進展しますように。 一日、家の表と裏、横の勝手口通りを行き来して、昨日の片付け。何だか新鮮です。自分の命も。玄関横の金魚甕に日除けの簾を立てかけました。我ながらに名案。何を日除けにしょうかと、納屋を探して、これと簾に思い当たりました。あたりまえのことですが、そんなことがまた新鮮。居間には昨日、籐筵を敷きましたし。 さっき、八重子さん(わたしの身代わり人形)の傍らの壷に、木槿をたっぷり挿して完了。八重子さんも木陰に涼しげであります。そして、わたしは晩夏を静かに待つのです。ところで、夕方、「BOU」48号を、ゆえあって届けましたお家で面白い広告を見ました。トークイベント「エイリアンが京都を作った」という見出しの呼びかけ。出かけて見ようかな。「京都のやさしい風」なんていわれることより、エイリアンの話の方が本当めきます。 今日の二首 「親ゆづりのダイヤモンドを捧げたる忠良の民みな貧に落つ」 「ダイヤモンドを出さぬ者は非国民いまどこをふく大罪の風」 杉浦翠子(『生命の波動』昭和27年刊)
2007.07.28
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27日は昨日に過ぎました。過ぎるということは、どういうことなのか、もうここにない、そういうことをいくつ過ごしてわれらは、前へいくのでしょうか。前とは何処なのか、ここなのです。 ここに記す昨日は、家の外回りの樹木刈り、古廃物の整理が出来た日でありました。ペーター・パルシェが来てくれたから、出来た日でした。彼は午前8時から午後5時半まで、休んだのは昼食時だけといっていいくらい働きました。彼はドイツの人です。大学で美術を学び、日本の木造建築に興味を持ち、数奇屋建築の師匠に弟子入りしました。 彼は日本人が忘れた日本の心を持っています。ふとした人間関係から親しくなり、もう20数年になりましょうか。我が家の庭刈りからわたしの手に負えない力仕事を何でもこなしてくれます。ここにいて、昨日の彼に脱帽、感謝です。 今日の一首 「ああ今日も明日へ明日へと積み残し東海道をまた帰りゆく」 「出奔してゆきたかれども纏いつく哭くなよな僧、Entweder-oder(あれーこれ)」 福島康樹(『夕暮』)
2007.07.27
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季節の境目がわからない、今日の空模様も長年の感覚にずれるものがあります。それがどうのこうのというわけではなく、この夏にはしたいことがあります。そのための見極めがほしいのですが。 用事があるのは「晩夏」です。さっさとやつていかないと、夏は意識にないうちに過ぎる、そんな危機感があります。何度かやり過ごした晩夏でした。今年こそは逃がすまいと。意識をして過ごす日々の難しさを思っています。日々というものはそうそう意識しませんものね。それでいい、それがいいのですが、今年は捕まえたい、困ったものです。その困ったわたしを捕まえなければ、わたしが過ぎてゆきます。 今日の一首 「身は堰きて石榴声あぐ冬天のすなはち真蒼の韃靼海峡」 早崎ふき子(『桔梗追覆曲』天の片鱗より) 「スプーンの柄に彫られたる城集めひたすらアテネの春婦のごとし」 同(同・神の遺体より) 巻末の一連となった「神の遺体」は、巻頭と呼応して、作者の真面目を見せる。わが意を 得て祝福、作者はこの次の集で、更に明らかに、自分の世界を拓くだらう。ロートレアモ ンも御覧候へ。一九八八年六月一七日大和率川神社百合祭の日に(塚本邦雄本著解題より)
2007.07.26
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夜明け、近くの児童公園の樹木からカナカナの鳴き音が響いてきました。、夏、幾たびの夏のその夏のこの夏、かけがえのないこの夏のカナカナに耳を澄ますわたしがいます。 今日の日は、「きさらぎ」という会の集まり、全日空ホテルのお昼をいただいて、ありがたいことです。 父の日に娘から届くネクタイにこんなんが欲しかったんやと 電話 今日の富士駿河の海に姿映しおすまし顔で化粧直しかな 勤務地は東京という息子の声独り暮しに思い巡らす 朝とりしトマト持ち来るとなりびとみずみずしさのあふれたる手に 実はわたし、母の生家の蕎麦餅を皆さんに一個ずつ食べていただこうと持参。ところで欠席者の都合で一人二個ずつとなり、なにやら知らん当たり日とはなりました。来月を約してお別れは午後三時すぎ。外は確かに梅雨上がりの真夏の熱気でありました。 今日の一首 「山松の上にねぶれる白つるはただしらくものここちこそすれ」 柳田國男(第一高等学校『交友会誌』明治27年5月、第37号)
2007.07.25
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幾度かそのことは記しましたから、しかし、結婚式は14日、浜辺で。双方家族が一人一人、英語でご挨拶。花嫁の母、わたしの長女からの電話ですから簡略な報告。サスゲス・ジェラーの兄弟姉妹はこころやさしい10人。お姉さんの家の広い庭でパーティ。わたしからの日本のみやげのうち、鷹ヶ峰で求めた組紐が喜ばれ、首にかけて参加の人もあったとか。幸あれジェラーと新に。 わたし自身の今日は、昨日に等しく、一日のことが予定通り出来ました。しかしながら「BOU」夏号の発送、遅れている方は申し訳なく、明日発送を終えます。今しばらくのお待ちを。 今日の一首 「夏山の木末(こぬれ)の繁(しじ)にほととぎす鳴き響(とよ)むなる声の遙けさ」 大伴家持(巻八・一四九四)
2007.07.24
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今朝は一日遅れの今日を書くことになります。 今日はやらねばならぬことが山積でしたが、おかげでやりました。まず健康にさせていただいていることに、どなたともあらぬどなたかに感謝いたします。確かに一日のことは一日で足れりでございます。しかしながら、それをやることでございます。 今日は大好きの何人かにあうことも出来ました。日ごろ人を恨むわけではないながら、苦しむことはありまして、そういったことも、何人かのなかの一人の発言からすくわれることにもなりました。捨てる神あらば拾う神あるでございます。 さて、本当の今日、その今日のはじまりでございます。いまから一日のことをいたします。 今日の一首 「おのれから山にすみてもむささびの夜半にかなしき声たてつなり」 柳田国男(明治24年5月)
2007.07.23
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万里の長城を歩いてきました。もう10年も前のことになりました。万里の長城を歩いているとその段の高さなどから、長城をつくった人間の大きさがわかります。そしてその延々の遥かさに魅了されます。長城に来る前に長城を越えて中国領モンゴルにも入つてきました。父を慕って何百里の旅でありました。父はまこと偉大でした。 ところで話はかわりますが、先日、表に来る八百屋さんから「モロッコ」という隠元に似た豆を買いました。モロッコの名は映画「カサブランカ」を見た日からのあこがれ、なつかしい名前に求めた豆でした。しかしながらその映画の中に、わたしはなぜか父の影のようなものさえ見たのでした。何の根拠もありません。共に暮らすことがなかった父はいつもわたしの憧れの男性でありました。 わが短歌会「BOU」の夏号の自分の作品の題名にも「モロッコ」という詞を入れました。豆であれ何であれ、わたしにはわたしの「モロッコ」があります。わたしの「モロッコ」に触れないでください。一人の人にお願いします。 いかに貧しくても、一人の人間には一人分の神域があってもいいと思いますゆえに。 今日の一首 「明治四十三年昭和十八年おれと父とが血にまみれしは」 福島泰樹(『夕暮』)
2007.07.22
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昨夜は眠ってしまって、この時間に目覚めて記録しています。昨夜は、「BOU」と名づける歌会の夜でした。 カーテンの向こうのベッドのため息に同じ眠れぬ人を感じる もの忘れ多きを思いふりむけば暮れて薄闇駅に至る道 ばたたたと羽音をたてて鳩の飛ぶ雨上がりの空から板塀の端に 夜も更けてどこからとなく聞こへくる笛鉦の音についぞさそはれ 雨を押す祇園囃子は去年の夏この一年は響きとともに 自意識をどこに捨てんや嵐の夜に携帯メールは重なりて来る 人間というものは愛しいもの、愛すべきもの、生意気ですが自分もいっしょにさせてもらって、そう思ってしまう、わたしはそんな歌が好きです。毎日挙げさせていただいている「今日の一首」も、ついついそんなところから選んでいるかもわかりません。なるほど「係り結び」、本居宣長が『ひも鏡』とか『詞玉緒』とかの本で、係りと結びの関係を古典に見出し体系づけたといわれる、そのようなものもありました。そういうものも鬼の首を取ったようにいわんでください。いつか自分で然らば取ろうかなと思う日も。 今日の一首 「浅葱(あさつき)のみどりさみどりどろどろの一日へ発たん、まず箸を取る」 佐々木幸綱(現代短歌‘78)
2007.07.21
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やはり雨が降り出しました。菰野村から名古屋まで来て、もう新幹線に乗ったかな。次女がいま、わたしに向いて急いでいます。晩御飯食べず待ってます。 ところで、わたしたちの短歌の会の会誌(夏号)が出来上がってきました。年間2回で今回は48号、表紙の色は「朱鷺」色です。きれいな淡紅色です。朱鷺は日本では野生種は絶滅しましたが、古名は「つき」といいます。明日の歌会でお渡しします。みなさんのご協力ありがとうございました。巻頭の作品26首のタイトルは「お尻びしょ濡れ」、エッセイは二つ、「ロマンチックな理由と方法」と「遊の空間ー始まりのとき」ほかいろいろお楽しみに。 雨が止みませんね、夜の雨はこたえます。元気が出ませんね、きっとお腹が空いているのでしょう。次女が来て、美味しいものいっぱいたべたら、元のわたしになれます。あしたは朱鷺色の会誌をもって皆さんにお会いしにいかねばなりません。 今日の一首 「水の上午後の陽ざしはそそぎいて立ち去りしもの確かあるべし」 松阪 弘(現代短歌‘78)
2007.07.20
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夕暮れの松ヶ崎、城山の近くで、カナカナを聞きました。天気予報の梅雨明けはまだ宣言されていないようなのに、今日はなつかしいような自然の夏を感じてしまいました。これがほんと、そう思ったりします。 いつもの場所に、白粉花が咲いています。夏の匂いがします。少女の頃の匂いです。白粉花はほんとに多年草、待っていたわけではないのに、同じ場所に立っているわたし、おんなじことが、こんなにうれしくて、白粉花を摘みます。何故に白粉花、それは黒い実のなるころ、採ってつぶすと、種子の胚乳が白粉のようなのです。白粉をつける、どきどきする、そんなことをした昔がありました。 今年も夏が終わるまでに、何度この花を摘むことでしょう。 今日の一首 「物干のころもの袖に蝉鳴きて昼照草に日は夕なり」 正岡子規・蝉(明治三十二年)
2007.07.19
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いま、たった今、庭の桜の木で蝉が鳴き出しました。ああ、やっとわたしの夏です。ここにこの声が入らないでしょうか。録音ができたらいいなと思います。いま、もう日が暮れます。今日はこれまででしょうか。あっまた、さらに強く、あっ、そして「くちゅくつ」といいながら止みました。きっとまだ幼いのですね。 ところで、今日は記事にしたいと予定していたことがありました。我が家の擦粉木とお米を計る一合枡のことです。両方とも家宝です。その一つ、枡の方が、ここ半年ほど見えなかったのです。諦めていました、すると流しの下の物入れの奥に、きっちりと仕舞われていました。これはわが娘らの仕業です。始末の悪い母親に比べて、誰に仕込まれたか娘らは主婦のプロです。ありがとう。おかげさま。早速、清めて、お仏壇に報告しました。 摺粉木は山椒の木製の上物、枡には多分「新器検」と読める焼印があります。他に「京都製」、「一合」の焼印も見えます。どちらも減って減ってという感じ。摺粉木の頭は、本当に摺り減ってつるつる、お坊さんとかそんな人の頭のことを「摺粉木頭」といいます。祖母がお嫁に来たときあったといっていましたから、百五十年以上は経っているでしょうか。 ああよかったことでした。我が家の宝がそろいました。そして蝉も鳴いてくれました。終り。 今日の一首 「注文せる梵語辞典の支払を気にかかるとぞ来ていへるのみ」 加藤将之ー印哲学生平川応召ー(『新風十人』昭和十五年発行)
2007.07.18
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何となしに、この二,三日、三条から寺町、そして二条あたりを思うことがあって、書棚の梶井の『檸檬』にまで手をのばしてしまいました。その作品の中に、寺町二条の「(かぎ)屋」の名が出ます。作品と全く違う趣で申し訳ないのですが、そこの店のことをこうして久しぶりに思うことになりますと、思い出すのは「最中」のこと、その店の「最中」を食べたときの感動であります。わたしはいやしくも、「最中」というものを、その時、生まれてはじめて食べたらしいのです。おいしかった~です。お察しの通り、昔々のことであります。 しかしながら、幼いものが生意気に憶えていることに、母がそのとき、「ここの最中は美味しいのえ」と一言いった言葉でした。子供というものはその魔術にかかったのでしょうか、以来、最中好きになってしまいました。でも、以来、そのお店の最中ほど美味しい最中を食べたことはございません。困ったことでございます。 今日の一首 「寺寺の女餓鬼申さく大神の男餓鬼賜(たば)りてその子うまはむ」 万葉集(巻16、3840)
2007.07.17
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ときおり思います。真っ暗な中に、ついているまるい電気の珠を。きれいです。 よく考えてみると、わたしの好きなお店屋さんは、まるい電気の球の明かりのお店であったかもしれません。消えると、切れると、珠をくるくると回して取り替える、そんなことをする人の手つきもきれいです。そうでない光がついている場所のことは、あんまり憶えていないということになります。 そんな記憶のあかりのともる中には付いたり消えたりして、記憶というものは残ります。記憶は憶えているものではありません。忘れていて、電燈がつくみたいに記憶はつくもののようです。記憶は始末がよい、忘れているときは、わからない、都合のいいものです。好きな電燈がつくと、とぼすと出てきてくれます。 今宵、一つの灯をつけたいと思います。40燭光くらいにしましょうか。明るすぎても出てこない、暗すぎたら迷っちゃう。50年くらいまえのことですから。 今日の一首 「手袋を脱ぐ手ふと休(や)む何やらむこころかすめし思い出のあり」 石川啄木(『一握の砂』) 「
2007.07.16
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まあ祇園祭は何とか無事に行われそうでよろしゅうございました。台風は申し訳ないながら、京都は無事にすみました。気をもみましたが、あしたは宵山です。鉦の音がひとしおに澄みわたりましょう。 ところで「祇園祭は、神遊びと盆の供養との合一体なのであろう」ともいわれています。あのお囃子の音に耳を澄ませてみてください。なるほど神楽囃子ながら、どこかに亡魂を慰める伴奏曲が入っているとお感じになりませんか。だからではありませんが、今日の記事には知人であり歌友である亡き人の名前をあげて、瞑目したいと思います。 先に昨日の「今日の一首」にあげた中村暁子さんは前衛作家として嘱目されながら若くして逝かれたお方、名古屋の近郷のご自宅まで伺ったこともありましたっけ。本日の「今日の一首」に作品を上げます方、蒔田律子さんも実力ある短歌作家、現代歌人集会賞もお取りで、阪神大震災では大事なピアノもなくされたピアニストでもありました。 最後にお一人、田中千春さん(本年四月二十二日没)と申しますと、わたしの水甕時代の大先輩。京都の十字屋楽器店の会長であり優れた手腕をご発揮でもありましたが、歌人としては温厚で、わたしなど、よきおばさまとして随分お慕いしたものでした。明日は宵山の音にあわせて合掌いたします。 今日の一首 「そこはかとなく揺れながらしばらくは死者に見られている桜かな」 蒔田律子(『火の流域』から)
2007.07.15
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「lushlifeさん」でアルバート・ハンターの声を聞きました。以前、ジャケットでその顔を見て、この人の声を聞きたいと思ったのでした。 嵐が来る前にエッセイの資料を集めておこうとがんばって、三条まで出かけた帰路のことでした。昨日は歴史資料館へ出かけ少し無理なスケジュールで疲れていました。いいところに聞かせていただいたものです。その時のわたしには、いい励ましになりました。嵐の間、怖いので、夢中でする仕事のための資料集めにがんばっていたのでした。今日はありがとうございました。お腹に応える音声でありました。 ところで、わたしは夢見がちの老婦、今日三条へ出かけてみて、わたしの思いのややロマンに過ぎたことに戸惑いがあります。しかしながら、わたしは対象を書こうとは思っていません。対象は素材、仕上げの主人公は自分に他ならないのですから。えらそうなことをいっているのではありません、ほんの少しのお金のためになそうと思っていることです。現在、嵐の前の静けさが続きます。雨戸はすべて閉めました。 なお、これは無関係のことですが、今日から少し中国の旅の姿を出します。 今日の一首 「鉄棒に脚たわめつつ逆吊りの少女を焙る丘の夕焼け」 中村暁子(現代短歌‘72)
2007.07.14
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寺町と河原町の間の三条通を歩いていて、幼いころから見覚えのある特徴を持った店屋さんがここも、あそこもとなくなっている事に気付きます。それぞれに京都の文化を支えてきた大切な店屋さんであったはずです。 その一つに「みすや針」があります。針、それはもちろん衣服を仕立てるために必須の道具、女なれば針箱を持たないものはないはずです。「みすや針」は寛永年間の創業で、後西天皇から「美寿屋」の屋号を賜って、代々御所の仕事を務めていました。現在は誰もが針に親しみませんから、次第に衰えたのでしょうか、それでも心ある人なら見逃さぬはず、三条河原町西入る北側、別の商売の店舗の上に年季の入った立派な「御針所」の看板が見られます。このままに人知れずこういう店をなくしてしまってもいいものでしょうか。 このごろ着物が少し見直され始めていますが、うちの祖母は「着物を着るなら、お針をもたなあきまへんえ」と申しておりました。半襟ひとつ、自分で付け替えられない方が多いのではないでしょうか。絹針、木綿針いろいろあることも知りたいものです。 針山に赤、青、黄色の待針などもならべて、針箱は宝石箱のように楽しいものでございます。 今日の一首 「さみだれのあしたの雲のなごりなくはれてあふ夜になりにけるかな」 柳田國男(夏逢恋・明治25年6月)
2007.07.13
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雨です。一夜おくれの記事を書いています。 昨夜は長女一家が、その長女の結婚式のため、バンクーバーへ向いて成田を発ちました。この長雨の日本ですが、あちらはいかがか、親馬鹿は今朝のテレビに事なき如きを推察してほっとしています。ヒマラヤのトレッキングを終えたまっくろけの顔に、ウエディングドレスが似合うのかとまた心配。阿呆ですね。 ところで、昨日は歯医者さんで写真の専門家である方のお供をして、南禅寺から疏水分線をたどって九条山の船溜りへ出かけました。朝方は雨の模様であきらめていましたが、昼過ぎやや山のあたりが明るくなったので出かけました。機械は専門家からお借りしたものを使わせてもらいました。わたしは何故か大きな風景ではなく部分、部分に興味があり、水面の一部分とかにこだわっていました。でもそれもやはり風景ですね。とにかくまだ一言も発せられる資格はありません。でも色合いはどちらかといえばカラーでなくモノクロがいいと思っています。 今日の一首「とほき世のかりようびんがのわたくし児(ご)田螺はぬるきみづ恋ひにけり」 齋藤茂吉(明治43年「田螺と彗星」)
2007.07.12
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男の方は普通ですけれど、女の場合、お出会いしてすっとスムーズに名刺を出される方に対して、わたしはいつも劣等感を感じてしまいます。こんなことを書いているのはいかに時代遅れであるかは認識しているつもりですが。 先日もさる女性の方とお会いして、その方があまりにも滑らかに、魔術のようにわたしの前に名刺を出されたのに対し、それもお名前全部をひらかなで書かれた美しい名刺に、わたしは慌てふためいてしまいました。慌てればあわてるほど名刺の入れ場所がわからなくなってしまって、無様にもハンドバックをひっくり返してしまいました。名刺とはいつも、さっと出せるところに仕舞っておかねばいけないのですね。わたしは名刺そのものの必要性にあまり与しませんので、ついついどたばた劇を演じてしまいます。 その時は、ついに名刺のお返しをすることができなくて、帰宅後お詫びと、あらためてご挨拶のはがきを出したのですが、困ったものです。もうその不器用な性格は直りそうにありませんが。 今日の一首 「古きものはうしろにまはれ温室の日かげの側の枯れ草の鉢」 前川佐美雄(昭和21年出版「紅梅」)
2007.07.11
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今日と明日の境目の時間になって、今日のと思う雨がやみました。藤棚に繁る蔓のからみを打つ雨音も、樋を漏るはげしい音もやんで静かな夜とはなりました。一日がかりの仕事となった会誌の再校正を終えて、自由時間とはなりました。冷凍庫から好物のソフトクリーム状のアイスクリームを取り出して、ぺろりと舐めてしまって、いまパーソナルコンピューターに向かっています。 よくわかりませんけれど、会誌の後記に書きましたことをここにも記すことにします。「7月10日夜、ようやくに第48号の再校正を終えました。ところで、作品は一字一句が自分の作品であらねばならないのは当然、ゆえに完成度と満足度の兼ね合いには、常に苦しみますが、そこがまた愉悦の壷。そのようにしてわたしは「完全」という態勢には与しがたくなっていくようです。」ここに書いて、わからないなということがわかって、自覚されて、少しつらくなりましたが、終了いたします。 今日の一首 「これを見よ人もとがめぬ恋すとてねをなく虫のなれるすがたを」 重光大納言(和漢朗詠集巻上夏)
2007.07.10
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昔々の雑誌、洗濯機が出始めたころからの雑誌、電気冷蔵庫も掃除機も、家に運ばれてきたときは目をまんまるくした頃からのその雑誌、お弁当箱でアイスクリームをつくることを教えてくれたのもその雑誌。シュークリームのつくり方も教えてくれましたよ。子供たちの服は全部、掲載の直線裁ちを見習ってつくりました。 その雑誌といま、出町の好きなカフェで出会いました。うれしいこと。創刊時代の発行人の変わらぬデザインのハンカチが3枚1組でプレゼント用に宣伝されているのを見て、早速、申し込みました。一週間して、アリガトーウッといい声のNちゃん、こんなん好きやねんと子供の子供からの電話がありました。そばで、ブーッとかワーッとかの大きな叫びが挙がっていました。子供の子供の子供の叫びです。 昔々の雑誌の歴史のお話しでした。 今日の一首 「ありて夕星(ゆふづつ)死なば一枝の沈丁のいづれあやふきこころを遊べ」 塚本邦雄(網膜遊行‘72)
2007.07.09
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夏号の初校をようやくに終えました。私どもの短歌の会の会誌です。創めて来年で25年になります。来年の夏号である50号を記念号としょうとの企画があります。 創刊号に当時の編集長は「荒海に放り出された小舟のように、行く先も不明のままに」などと心細い後記を書いています。小舟は笹舟でありたいとわたしは、ひそかに願っていました。姿だけはそのようであったといま、思っています。すこし厚かましいけれど、その心でこれからも航海できれば悔いありません。ついこの間と思う20年記念誌に 夜目に白き辛夷のひかり生涯にひとつ無償の約束ありて こんな歌がぽつんと載っています。 今日の一首 「水の輪のかさなりあひてつかのまに木陰の椅子も濡れはじめたり」 大西民子(現代短歌‘72)
2007.07.08
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短歌はわたしにとって、独り言、そしてそれがいつしかどなたかに届いたりして、わたしが届いています。一人っ子で、家付き娘で、それでいて何となく両親に縁がうすく、祖母と生涯をともにしてきたわたしには、以ってこいの玩具でした。あるとき、ある状態のとき、結婚を申し込まれて、自然にお断りしたのも家があるからでした、その方は不幸ですねとおっしゃいました。まことそのとおり。しかしながら歌があった、それも不幸のうちの一つであったかも。 この玩具はまこと重たい玩具、ガラガラみたいに、ときには振って、鳴らして赤ん坊みたいにガラガラとあそんでも、また時として、鉄鋼のように身にも心にものしかかったり致します。それが魅力といえば魅力で、女学生時代からたのしんでまいりましたそれが、こんなときまで続く怖ろしいものとは思いもせずにでございます。 今日の一首 「日にけに光をふふむ風ふけば息なやましく夏さりにけり」 中村憲吉(自歌選集『松の芽』)
2007.07.07
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JRで府下綾部まで赴く日でした。短歌を楽しむ集まりの座に向かうためです。数えて九十余回になるようです。沿線の風景も懐かしさそのものとなりました。今日は園部駅で列車の不都合があり、到着が30分も遅れました。遅れても、無事が何よりであります。 雨上がり路傍にのびるおおばこを遊ぶでもなく引き抜いて帰る 高齢者ばかりのロビーの一隅に赤ちゃんの泣き声、みな耳立てて ぴいと鳴ききいと答える甲高く温気(うんき)残して梅雨時の夜半 ガラス戸にくの字にへばる子守宮の糧追い掴む早業見たり 日ごろの暮らしは、人間と動物の競争だそうで、いのししは、サツマイモが大好き、からすはキュウリの成り首の5センチほどは残して食べるそうで、猿は網をはっても、ごめんやすと網をまくって入るそう、洗いぐまは天井から入って、カレー粉が好きとか。まあ大変です。 今日の一首 「踏切の遠きひびきを聞きしときわが知らぬ境涯の人を思いぬ」 大島史洋(現代短歌‘78)
2007.07.06
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自分では何の気なしに思っていることですが、ふと人に言われて気がつきました。「あなたは京都から出たことはないのですか」その問はもちろん旅行云々を指すことではなく、生まれてから他所の土地で暮らしたことはないのかという範囲のことでありましよう。全く思えばそのとおりの内弁慶でありました。内弁慶とは内では威張っているが、一歩出たら弱虫ということであります。 ところで、最近は「加茂川で産湯を使ったような京美人」とはどなたも、そんないいかたをされなくなりました。そんな言葉すら知らない人が多くなったようです。加茂川はそういう川になったということでしょうか。自分のことはどうでもよろしくても、何となくさびしむ思いがするこの頃です。 今日の一首 「おりたちて朝菜あらへば加茂川のきしのやなぎに鶯のなく」 大田垣蓮月
2007.07.05
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このごろは雨の降り具合がどうもおかしいように思います。すごく降って、止んだと思ったらまたすごい降り。寺町の紙屋さんに買い物があって、持ち帰るのに苦労して疲れました。 帰りのカフェ、ここはいい音楽を聞かせてくれはります。レコードなのです。だからいいのか、わたしにはわからないけれど、この雨の中、まっすぐ帰ればいいのに寄りたくなってといったら、ご主人がお笑いでした。 立てかけてあるたくさんのジャケットのなか、いい顔の人を見つけました。名前を聞くと、アルバート・ハンターさんとのことでした。わたしと同じくらいの年齢らしい女性、でもいい顔、力ある顔、その顔に出会えたことが今日一日の幸運。もう変な雨降りの事なんか忘れました。 今日の一首 これやこの一期のいのち炎立ちせよと迫りし吾妹(わぎも)よ吾妹 幼子は死にゆく母とつゆ知らで釣りこし魚の魚籠(びく)を覗かす 吉野秀雄『寒蝉集』より
2007.07.04
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毎月或る雑誌社のホームページの1ページを書いています。7月は綺麗に忘れ果ててをり、督促をうけて、びっくり、今書き上げたばかりです。もう夜も更けて日にちもかわりました、そのページに取り上げたことを少し。 柳原白蓮をご存知と思います。彼女の略歴を記します。 明治18年誕生、生後7日目に生母から取り上げられ、父の家、華族柳原家に入籍。同31年華族女学校入学。33年北小路資武と結婚、34年功光出産。38年破婚。41年東洋英和入学。在学中佐々木信綱の竹柏会入門。44年九州炭鉱王伊藤伝右衛門と結婚。大正4年第一歌集『踏絵』刊行、続いて詩集『几帳のかけ』、歌集『幻の華』、戯曲『指まん外道』発表。同9年東大生、『解放』編集者宮崎龍介と出会う。10年10月20日二人で家出決行。12年結婚。その後、病身の龍介に代わり文筆で一家を支え、二人の子供を育てる。昭和3年自伝小説『荊棘の実』発表。太平洋戦争で男の子一人戦死。戦後、平和運動に参加、世界連邦婦人部の中心となる。昭和42年没。緑内障のため両眼失明していたという。 今日の一首 「我れはわが求むるものも忘れけりわすれて後の胸のひろさよ」 柳原白蓮『几帳のかけ』
2007.07.03
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7月になりました。蝉の声が待たれます。この場所に住んでから25年、幸い土の面積がいくばくかありますので、わが場所から蝉が生まれます。やがて現れる彼らたちが待たれるこのごろではあります。 手近に出ていた、1995年の日記を見ましたら、その年は7月14日にはじめて蝉の声を聞いています。「ジー、蝉?トイレの窓から」なんて書いています。ところで、出羽の国立石寺で芭蕉が聞いた蝉については、論争がありますが、有力説はニイ二イ蝉。芭蕉が句を読んだ時期、7月の始めと一致するからです。でも齋藤茂吉はアブラ蝉説を唱えました。アブラ蝉の群れ鳴くなかに静かさを感じ取ったところに芭蕉の句の妙味があるというのです。 わたしは正直、蝉の鳴き声の区別はそうはわかりません。小さい頃、比叡山の麓の一軒家で過ごした夏の蝉の鳴き声は、耳を澄ますと今も聞こえてまいります。アブラ蝉であったかなと思います。それより子供ながらに切なく身に沁みたのは、かわたれ時のカナカナの声でありました。 今日の一首 「はつなつの かぜとなりぬと みほとけは をゆびのうれに ほのしらすらし」 会津八一『鹿鳴集』
2007.07.02
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西陣織物の帯を織っていたというご夫婦が昔ながらの鷹ヶ峰のおうちにお住まいのところを縁あってお尋ねしました。そこは氷室にも通う鷹ヶ峰の道に沿う、なんとも趣ふかい古い構えのおうちでありました。 低い軒をくぐって入ったそのなかは、薄暗闇、目に付くのは、いま、生業にお売りの絹織物の紐のいろいろ、かたわらに昔ながらの織機がひっそりとありました。感慨深くじっと見ていますと、老夫人が動かしてくださいました。お年は召していますが、その横顔には昔の美しさがうっすらと漂っいるのでした。 わたしは必要なことがあって、数本の紐をいただき、辞しましたが、何かしら後で、コンと鳴く音があったような気がしました。鷹ヶ峰は、ほんまに、ついさきごろまで竹やぶやら畑ばかり、よおう、狐が鳴いていたものでございます。わたしも同じに若うはございません。 今日の一首 「軒の端(は)は夕べそよろと帰りたる人のあるかに風鳴りすぎぬ」 中村憲吉(大正2年作)
2007.07.01
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