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今日は籠りっきりの一日でありました。外へ出たのは、曜日を間違えて郵便局まで足を運んでしまったことでした。しかしながら籠もるということはいいこと、テレビでは蒸し暑さをさかんに訴えておりましたけれど、我が家のありがたさを、とっくりと知ることができました。 冷房はいたしておりません。ただ表から裏まで筒抜けに戸を開け放っております。二階は二階で煙突のように開けております。ごろっと昼寝をすると風邪をひきますので、かえってしゃんとしております。昔の大工さんは風の道を知っていやはったんやと感謝しています。 籠もりながら、精いっぱいの仕事が出来ました。短歌にしても何にしても、自分の力いっぱい、自分の器のことができればいいと心得ております。今日は天からいただいたようなありがたい一日でした。 今日の一首 「ほととぎす 鳴きてくぐりし 梢とぞ おもへばいとど なつかしの風」 橘曙覧(拾遺歌・新樹)
2007.06.30
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短歌の会「BOU」では、毎月歌会の案内を出しています。そこには、月々の歌会の寸感とか、いい歌の紹介、鑑賞とかを載せています。またかるいエッセイなども、仲間が代わり合って書いたりしていますが、書いている方としては、折に触れて、反響などがあるとうれしいものです。 先月でしたか、吉村明美歌集『中庭の欅』からの歌を紹介したのですが、その歌集を読んでみたい、探してもないのでと、仲間内から申し入れがありました。著者に問い合わせをしたところ、早速、届きました。申し入れした人からは、「ほんとうにうれしい」と、率直な喜びのメイルが来ました。欲しいものを率直に掴む、そんな行動のよさを思いました。わたしもうれしいです。 今日の一首 「青山の病院も必ず建て給へ且つ論戦もやめたりしますな」 前川佐美雄(斎藤茂吉氏におくる。『紅梅』1946年刊より)
2007.06.29
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何となくこのごろ「振り売り」という言葉を聞きます。それも京都の言葉としてです。相変わらずわからないことは辞書を引くことにしています。辞書には、「中世から近世、在来の座に属した店売り以外の商売、また、その商人。」と見えました。それは「物品を天秤棒などに下げ、声をたてながら売り歩くこと、またその商人。」とも見えます。 なるほど、それは知らないことではありませんでした。要はその言葉が京都でいう言葉、或いはいっていた言葉として、妙に親しくこのごろ扱われていることにあります。写真説明にはよく見かけます。 言葉そのものには間違いはなくとも、どうも聞きなれないことを聞きますと、慣れませんもので、日々の気持ちがしっくりしなくなります。昭和30年ごろからはやりました「おばんざい」はもう根つきましたが。もちろんこれも言葉として間違っているわけではありません。 今日の一首 「河骨の花は水べに昏れのこり患(うれ)ひのたまのゆれつつ点る」 佐竹弥生(現代短歌‘78)
2007.06.28
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二条城前のホテルで短歌の会がありました。少人数の互いに考えるところは違っても、それなりに、今日で78回を数える集まりです。短歌してますの、そんな気取りはない、でも集まるとそうなる会であります。 湧き上る雲の谷間に不二の山夏のすがたは黒々と雄々し 雨すぎて人なき山に時鳥初音うれしき夕べなるかな 何とはなしこの二十一世紀はあらたなる妖怪たちの時代かも知れん 雨やみて比叡の山の白き雲流れてちぎれかそかに浮きおり ねんきんの きろくもれやら よみまちがへ コンピューターの じやくてんもろに 突然ですが、古代、短歌は全国レベルの挨拶の言葉として機能したといいます。大伴家持は因幡の国の豪族と赴任の際、まず短歌をもって交流したのでした。そんなことも考えてみるのも面白いなと思います。ご挨拶、精いっぱいのご挨拶、いいなと思うのですが。わたし、いま、そう考えて納得する、真実のこころがありました。いま、見つけたものがありました。 今日の一首 「新(あらた)しき年の始の初春の今日ふる雪のいや重け吉事」 大伴家持(万葉集巻軸歌)
2007.06.27
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やはり梅雨です。今日も折々に雨でした。 ところで、「京の雨は縦に降る」といわれたものでした。山に囲まれた京都盆地に雨が降りはじめると、それは音もなく降りはじめて、糸のような水の雫を間断なく落としてゆくことから、横殴りの風もないようで、合羽を用いることもなかったので、滝沢馬琴がそういったことにはじまります。滝沢馬琴とは、ご存知あの『南総里見八犬伝』を書いた江戸時代の作家です。 最近の気候の変化で、そうばかりは言っておられないようではありますが、京都に棲んでいるなら、言葉の上だけでも知っておきたいものです。知っていることが、誤った京都感を持たないことにも繋がりましょう。もともと京都は水気の多いところです。そんな雨がまた水気を呼んで神秘の夢をかきたてます。 今日の一首 「雨ながら人の負ひ来し俵には背なかのぬくみなほのこりたり」 中村憲吉(「しがらみ」大正13年)
2007.06.26
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自宅の前の小さな喫茶店で、毎月、三人だけで開いている歌会があります。 短歌よりも、三人の生き来し方の話しが弾んだりします。夏近きといいますと、一人の方には忘れられない話しがありました。太平洋戦争のとき弟さんが召集令状を受けて、京都師団に入られたのですが、戦場へ赴く途中、広島を通過のとき、原爆に合い亡くなられました。お骨を取りにくるように隊から連絡があり、行ったといわれます。弟さんの夫人は病身でありました。とにかく記名のある白布に包まれたお骨箱を受け取り、帰路の列車の人となったのですが、どうしてもその中身が気になる、車中、そうっと蓋をとったといいます。中にはころんと黒い石が入っていたのでした。ころころ音がしないよう、布がかぶせてあったそうです。 聞いている方が泣きました。その後、弟さんの夫人は病弱の身を傷心のあまり亡くなったとか。 いま一人のはなし、もちろん戦後のこと、三条大橋の上で戦争反対の署名を募っており、その人は気持ちに正直に勇んで、いわれるままに住所まで書きました。すると後日、その署名を頼りに、或る政治団体が書物を売りに来たそうです。これからわたしは、もうだまされないとその人は語っていました。 生きることは一人一人がいいね、何事によらず、手をくんですることはよくないね、三人はそのように語り合ったことでした。 今日の一首 「あの夏の数かぎりなきそしてまたたった一つの表情をせよ」 小野茂樹(『羊雲離散』)
2007.06.25
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いちにち、激しくなったり、ふとやんだり、何だか今日の雨は退屈しない雨でした。ゆうぐれから、ちょっと出ていて、向こうへ着いて降って、うまく止み間に帰って来られたことも上等でしたが、いままた、激しい音に降りだしました。 おかしなことですが、音には思い出を伴うものがあります。今夜の降りの音、わが古家の樋をリズミカルにもまた激しくも漏る水音を聞いていますと、連想するのは、七条の三十三間堂にまつられ、千手観音の眷属二十八部衆の一体で音楽を以って観音さんに奉仕する「かるら王」の姿でした。 「かるら王」は、龍を食とし、翼は金色、頭には如意珠をいただき常に口から火を吐いていますが、ひと度声を発すれば、其の囀りは言わんかたなく美しいのでした。「かるら王」は実は鳥なのです。口は嘴ですから、とんがっています。はじめて見たときも、こんな雨降りのとき、そうだから連想的に思い出してしまうのでしょうか。ああ、また、七条へ遭いに行こうかな。梅雨が上がらんうちに。 今日の一首 「ばらばらとトタンの屋根に雨来(きた)る傘なき男駆け出せ駆け出せ」 石川啄木(明治41年23歳)
2007.06.24
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カフェで、機嫌よくクリームソーダーを飲んでいるとき、突然、「紋日(もんび)」って何のことですかと、若い一人から尋ねられました。思えば、そんな言葉を遠い日に聞いたり使ったりしたことが、確かにありました。とにかく何処で知ったの?と、問うと、出町の古いお餅屋さんの定休日案内の下に、ほれここにと示されました。なるほど見れば見るほど懐かしい言葉、さすが出町のお餅屋さん。とにかく、それは、近くのお宮さんのお祭りとか、何事かあって儲かる日のこと、また、今日は紋日やなと、特別に儲かる日をも指していうとも説明しましたが、改めて辞書を引いて、なるほどと一つ賢くなりました。 それは、まず物日(ものび)の音便、江戸時代の遊里で五節句など定められた日のことを指し、その日には遊女は必ず客を取らねばならず、揚代もその日は高かったとか。そういうところから来ましたか、なるほど含みのある、まったりした言葉ではありました。 今日の一首 「青澄みて雲一つだになき空にあれあれとんぼ飛びのぼるかな」 尾上柴舟(大正4年8月)
2007.06.23
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よくに通る夜の橋、今夜は朝からの雨に高い水音がおそろしいくらいです。この橋は幼い頃から縁があって、そのときは八瀬に棲んでおり、市中の家への行きかえりに何の気もなく眺めながら、なんでこんな田んぼの中の橋やのに、えらい立派な石の橋やなあと思っていたものでしたが、今になって聞くところによりますと、その橋を手前、東から西へ渡った小山の中に、そのころは戦争時代で、火薬庫があったのやと聞いて驚いています。 橋下は岩倉川と八瀬から来る高野川が一つになるところです。雨の日は水量も一気にふえて、橋下の瀬のところで白いしぶきをあげています。つい先日見た蛍も流れていってしまったのかしら、そんな危惧さへ抱かせるのでした。岩倉川と一つになった川は広い高野川となって、出町柳まで、そこで加茂川と一つになり、加茂川はまた大きくなるのでした。何処までも川の話しは尽きませんけれど、ここまで。今回はよく通る夜の橋のはなしのつもりでしたのに。 今日の一首 「ゆらゆらに心恐れて幾たびか憲法第九条読む病む妻の側」 宮柊二(昭和27年「短歌研究」)
2007.06.22
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梅雨の晴れ間の一日でした。京都北部の短歌の会から4人とわたし、お知り合いの京都の文学にくわしい先生の6人で、銀閣寺の白水園で食事をし、法然院へは立ち寄らず、法然院の墓地をゆるりと一回り、潤一郎、順らのお墓に合掌して、南禅寺の奥に疏水運河蹴上船溜りを尋ねました。久しぶりの船溜りです。この辺は立ち寄る人も少なく、危ないから、女の子だけで、行ったらあきまへんえと、昔から、うるさくいわれていたところです。 そのあたり、今日は大きな青鷺がゆったり舞っていたり、鶺鴒がせわしなく、水面にすれて飛び交っていたりしました。ふと見ると、疏水運河の功労者田辺朔郎の像が、かたわらに立っていました。見慣れた像でありましたが、あらためて、格好ええなと思いました。 そこから錦通りへ直通、皆さん今夜のおかずを調達、お豆腐屋さんではお豆腐と湯葉の立ち食い、ビールの立ち飲みをしてしまいました。解散。 今日の一首 「僧ひとりひる寝してをり方丈の廂のうへのふかき青空」 太田水穂「鷺・鵜」昭和8年
2007.06.21
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土屋文明は昭和19年7月6日に日本を発って中国へ赴いたといいます。この一言だけでそのことがどんなに危険なことであったかは、当時を知るものにはわかるでしょう。太平洋戦争に日本が降伏する前年のことです。山上憶良などの万葉集歌人の故地を尋ねるためなどとききますが、軍の都合が大きく働いていたことがなかったとはいえないでしょう。 大黄河ただ渡り来て沙原に伸ぶる杉菜のやはらかく見ゆ オルドスを来りし駱駝荷をおろし一つ箱舟の渡す時待つ 包頭は坂ある町に夕日さして其の後(うしろ)にうごくつむじ風あり わたしの父はそのとき、土屋の歌う包頭にいました。そこは中国領土内モンゴルです。父はモンゴルにたった一つの日本人のホテルを経営していたのでした。土屋は父のホテルに泊まったに違いありません。そんな憶測もあって、わたしは数年前モンゴルを訪れました。いまに残る包頭ホテルに泊まりました。世界が変わっています。もちろん、わたしのロマンなど通じるはずもありません、何一つご存じない若い支配人の厚いサービスを受けましたが。 たまたま、近頃お祝い事があって、クムイスというお酒を飲んだのですが、同じお酒をモンゴルでは馬乳酒と書くことを思い出してなつかしいことでありました。モンゴルでは歴史あるお酒なのです。 今日の一首 「いざ子どもはやく日本(やまと)へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ」 山上憶良(巻一・六三)
2007.06.20
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この時間、正直、眠いです。このごろの自分の現象に、自分の欲望に抗しられなくなったということがあります。先ず、いまは眠たさと食欲には抗することが出来ません。こわいことでしょうか、なんとなくそうは思えず、健康的と思ったりする極楽者です。なにかしら途方もなきものからの恩寵とさえ思えるのですから。 いま心得ることは、その欲望を満たせることができることを健康ゆえと心得て、感謝をすることであります。そしてこの健康を巡回的なものにしたいと思うわけです。巡回的なものはとどめざるがよろしきかと、銀河鉄道が見えてまいりました。眠りの中では夢に見て。 今日の一首 「稲妻はすでにしきりにはげしきに草原の上月はのぼりぬ」 宮 柊二(昭和23年『短歌研究』9月号)
2007.06.19
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父方、といっても、父は入り婿さんですから、母が大好きで結婚しましたけれど、どうも窮屈なのが嫌で、羽ばたきたくて、家を出てしまいましたが、その父のふるさとから電話がありました。「お父さんに代わって里帰りしませんか」というのです。もちろん父母の時代はとうに過ぎて父母はとうに亡き人です。わたしはこぼれる涙を電話口で拭いも敢えずにおりました。 実は京都というところは水臭いところなんです。生涯を京都で暮らすわたしには、里帰りなんて、暖かい言葉は付いて回ることはありませんでした。京都の言葉「おおきに、そうどすか、まあ、お大事さんにしておくれやす」そんなやわらかい言葉に、実は承知の上で自らを慰めて来たのですが、京都というところは一歩踏みはずしたら奈落です。 父方は徳島、山を背負い前は海という寒村、そこからの従兄弟たちの呼びかけに、それだけに、また、明日から京都に生きる力が湧きました。ありがとう熊太郎おじいさん、おふさおばあさん。 今日の一首 「ゆうふぐれは老いたる魚の起す波べにすいれんの焔(ひ)にかかるかも」 松平修文「鶴」‘78
2007.06.18
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100年ぶりの世紀末 泣けといわれて 僕は笑った 久方ぶりの世紀末 広い世界へ飛び出していく 子供の頃に分かりかけてたことが 大人になって分からないまま 偉くもないし立派でもない 分かってるのは 胸のどきどき 答えでもない 本当でもない 信じてるのは 胸のどきどき 胸のどきどきだけ かっこいいかは わからないけど 押さえ切れない 夢を見たんだ 作戦立ててじっと待つより 子供のままでぶつかっていく 宇宙の果てに旗を立てたとしても 宇宙の謎はわからないまま 偉くもないし 立派でもない わかってるのは 胸のどきどき 答えでもない 本当でもない 信じてるのは胸のどきどき 胸のどきどきだけ 「子供向けだけど、子供に伝わる歌だと思います。少し前のアニメソングですが。」と、いって、いま少し身体がつらくて歌会を休んでいる、わたしたちの短歌の会の友達が、メイルで送ってきてくれたアニメソングです。もう一度繰り返したいけれど、長いし、無理だから、けれど、けれど、やっぱり、偉くもないし、立派でもない 分かっているのは 胸のどきどき~と繰り返したいわたしではあります。信じているのは 胸のどきどきだけなんです、ほんとうに、ではありませんか。 今日の一首 「重なりて犇きてあまた帆柱の揺るる港にこころさわだつ」 島田修二「水に還る」
2007.06.17
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今夜はわたしどもの歌会の夜でありました。少しく、仲間の作品を揚げてみたいと思います。場所は大丸さんの北、高倉蛸薬師上がる地下ビデオ編集室。 冷蔵庫とテレビとラジオあるだけの真白き部屋に独り始まる 右側の口内炎に気を取られ左の頬をざっくりと噛む 白い雲映す水面に河骨の葉を揺らしつつ鯉通りゆく 友人が作ったカレーのひとくちで目の前くらみ七転八倒 鉄琴をフォルテに叩く憶えあり「万丈の山千尋の谷」 個々が個人の言葉を大切に詠んでいます。だから個人的、個性的といってもらいたいですけれど。 今日の一首 風景は白、「とにかく私にすこしでも関心をもっていただければ」 伊東聖子(現代短歌‘78より)
2007.06.16
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机の上に敷いた硝子の下に、「比叡山附近案内図」を置いています。大比叡(848,3)を中心に、滋賀、京都各方面からの登山道が一目にわかるものです。両手指をひろげたように広がる道のなかで、自分が歩いた道は、赤鉛筆で塗っています。いまではほとんどが赤く塗りつぶされています。 今は初夏、たとえば、奥比叡元三大師堂から坂本へ下る道を歩きますと、途中の渓谷に河鹿が鳴いていることでしょう。夢想家のわたしは、このへんに草庵をむすびたいと連れ立つ人にいって、笑われました。わたしは大真面目なのでしたが。 出町柳から叡山電車で八瀬まで、大原方面へ少し歩いて、山手を黒谷青龍寺まで、さらに釈迦堂までの道では大きな蝦蟇に出会いました。いかにも女人禁制といわんばかりに、前をふさいで動かなかったのでした。そういえば比叡山は修道の山、麓にはどちらへ回っても「結界」の碑が見られます。 この日ごろは暇があると、机上で比叡登山をしています。初めての道は、小学校6年生の修学院からの雲母坂道でした。この道はケーブルカーの山上終点の横に出ます。そのころから、比叡山は歩いて登るものとしか思えなかったのでした。怪我をした足も治りました。やがて歩きたいと思っています。自動車と徒歩とでは世界がまったく違うのでした。わたしはその世界を失いたくありません。 今日の一首 「おんなおみなおなごはいかがききと啼く尾長寂しき夕べとなりぬ」 福島泰樹 福島泰樹
2007.06.15
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夜明け前です。梅雨の入りと聞いていますが、縁側の戸をひらくと、まだ暗いなかに静かな雨音がします。実は昨夜から機械の機嫌が悪くて、そのせいか、早起きして触れてみましたら動きました。ほっとしています。 さて、昨夜はあわてて愚痴めいたことを書いて「修司」の字をまちがいのまま、そのままにしています。天罰のような気がします。反省、訂正。「誰が子猫を切り抜いた?」は、1979年作。寺山修司らしい不思議なストーリーと落田洋子の絵の魅力があいまって、記憶にのこる作品でした。最後は 赤糸でぬいとじられた猫を飼って 赤糸でぬいとじられた歌を唄いながら いつまでも しわせに暮らしました で、終わっています。ご安心ください。 今日の一首 「草臥(くたびれ)を母とかたれば肩に乗る子猫もおもき春の宵かも」 長塚 節(大正3年)
2007.06.14
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若い男性から、といってももう40台半ばは過ぎているでしょうから、寺山修二を知っているのですかと言われました。寺山は1983年、47歳で死んでいます。言うまでもなく生まれたのは1935年です。あなたこそ寺山が生きた時代を知っているのですか。彼の疑問と計算はわたしにはわかりません。とにかく、わたしは相当古い人間だと思われたには違いありません。それとも寺山のような人を知るはずもないということでしたか。 いずれにしても、近くの古本屋で今日また、寺山掲載の古雑誌を手に入れました。書中の復刻版・幻の絵本「だれが子猫を切り抜いた?」を発見、存分に楽しみました。 誰かがハサミで切り抜いた 18ぺージ目のきみの猫 誰かがハサミで切り抜いた さみしがりやのぼくの妻 知りませんか? 行方不明のぼくの妻を 今日の一首 「今宵ふる雨が埃にしみゆきてうるほう路を思ひつつ寝む」 半田良平『幸木』昭和23年
2007.06.13
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大豆を炊きました。差し上げたい方があって、その方が体の都合で、お昆布はだめなので、海老の剥き身を買いに行きました。今日はよいお天気、ちょっと重いものも買いましたので、疏水べりの藤棚の下で一服。かたわらのベンチにレース編みをしている美しい乙女の姿がありました。しばらく、そっと見つめていましたら、つと、わたしを見て、にっこりしてくれました。 夕刻までゆっくり大豆炊きです。平和な一日でした。なんとない、自我を消したようないい日ではありました。おいしい剥き小海老入りの大豆が炊けましたよ。匂っていません?。 今日の一首 「板の間ひろき眞中に据ゑられしひとつの膳に行きて坐るかも」 若山牧水『くろ土』大正10年3月
2007.06.12
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月曜日です。行きつけの内科医院へいきました。ここ2,3日忙しくしてドクターとの約束の日が守れませんでした。いけないことです。自分の体が第一ではありませんか。注意しなくては。しかしながら、月曜という日は何故こうも明るく、すがすがしいのでしょう。 帰路、コーヒーを飲みました。疏水の前の小さなカフェです。2階がギャラリーになっています。硝子製品の展示でした。美しい硝子器たち、ランプなど欲しいなとさえ思いました。うちの古家の薄暗がりに、こんなランプを灯したい、でもそれはわがものにするより、こうして眺めているほうが良さそうですね。ちょっとやせ我慢。 今日の一首 「おきなさび飛ばず鳴かざるをちかたの森のふくろふ笑ふらむかも」 柳田国男『遠野物語』序文の結びに
2007.06.11
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外出するとき、表通りへ出て、バスに5分でも10分でも時間がありますと足を運んで、ついそこの疏水の流れを見に行きます。疏水は自然の川ではありません。ちょっとハイカラといったら笑われるでしょうけれど、そんな気分もする川です。家に近いあたりは支流ですから川幅もせまく、親しみがあるところも好きで、バスを待ちながら、時間があると近寄って覗きます。今日、お昼に出かけるときもそうでした。 首を長くして覗きますと、琵琶湖から流れてきたのでしょう、小さな魚が泳いでいます。そんなことからも、ふっと、京都と近江の切っても切れない関係を深くに思いやってみたりもするのです。わたしの祖母も近江から、逢坂山を馬の背にゆられて、見たこともない祖父のもとへ嫁いで来た人でした。祖母は毎朝のように、近江から売りに来る「いさざ」という細かい魚を買うて、炊いていました。「いさざ」はおなべに入れられても、まだぴんぴんはねていたのでした。 今日の一首 「しんとして日が燃ゆるなりわが前の野の六月の青草のうへ」 前田夕暮『陰影』
2007.06.10
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長女夫婦が、その子供のカナダでの結婚式の準備のために、今日、わが家にやってきました。自分達の結婚式のときのウエディングドレスをとりにきたのです。子供にそれを着せようというのです。箱から出して二人は感慨深げでした。式は海辺で行うそうです。 潮が寄せるように詩人になり、潮が去るように老婆になる。 その干満は絶え間がない。それは海の性質だから。海がそのように できているためだから。 永瀬清子「蝶のめいてい」より 今日の一首 「年代記に死ぬるほどの恋ひとつありその周辺はわづか明るし」 上田三四二「甦る神々」
2007.06.09
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雨、雷、強風、雹、何と恐ろしい今日の予報でしょう。昼からが危ないと思い、予定の外出は早くに出かけることにしました。それは一人の若い女性のための或る記念品を求めに行くことでした。 彼女はブレスレットがいいらしいので、何となく自分の物をもとめるように、いそいそと出かけましたが、バスの中から空を眺めますと、なるほど東北が暗いです。東北は京都の鬼門、恐ろしいものを見た気持ちでした。でも街中へ出て、ビルの中にはいりますと安心。そして何も知らない間に時間がたち買い物も予定通りにすませ、北のわが家に近く帰ってきましたら、やはりそのあたりは雨が降り、雷もそれなりに鳴りましたとか。 ああ今日はいい雷避けをいたしました。ブレスレットも小さな光りがチカチカしていることが、まあまあいいかなと思ったことでした。ささやかながら彼女が喜んでくれますことを願いつつ。 今日の一首 「初夏の真昼の野邊の青草にそのかげおとし立てる樫の木」 木下利玄『銀』抄
2007.06.08
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先月は月まいりのお寺さんをすっぽかしました。おまいりに来た由のメモがポストに入っていました。わたし、年に1,2回はやるんです。先祖代々のお付き合いと思えばこそでありましょう、宿坊でもあるお寺さんは、しょうがないと黙って今月もお越しいただけるでしょう。でも、甘えてはいけない、と、思うこのごろであります。反省。 でもわたしは、ご先祖さんが、ちゃんと家の地固めをしておいていただけたことを、しみじみ感謝しております。何もなくても、何もあるんです、そういうことを真底ありがたくに思っております。それは先月おまいりをすっぽかした反省から湧き出る泉のような家への誠のこころございます。すみませんでした。以上 今日の一首 「昼の間にわれらをのせて来し舟は灯をかかげたり夕凪の海に」 半田良平 「野づかさ」以後抄
2007.06.07
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『森のふくろうー柳田国男の短歌』来嶋靖生が傍らにあります。扉を開けたところに、関野順一郎の装画「夜の梟」が見えます。その梟は大きな目をむいて蛇をふまえています。カバーの図案化した森もいいなと見つめるばかりの日を過ごしております。その森の中にも梟がいます。『続森のふくろう』も持っているのです。大変なことであります。 「神戸から船で横浜へ回り、一週間、神田湯島の通康(次兄)の下宿に泊まった後、船橋から印旛沼街道を馬車にゆられて布川の長兄(鼎)のもとへ行く。国男の新しい生活がはじまる。」というところを読んで、いま、わたしは、そうだ、たしかわたしが卒業した高等女学校の先輩も卒業旅行の東京行きは、神戸から船で横浜へいかはったんやった、自分も行けると思っていたら、とんでもない戦争になつたんやったと、そんなつまらないことを思っているのではあります。 今日の一首 「十七の春のわかれや惜しからぬ花の吹雪に笑みて佇つ君」 川田 順『陽炎』
2007.06.06
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先夜、四条烏丸で鉾のお囃子を聴きました。早すぎる、きっと商店のテープでしょうなど、わたしは、はしなくも言ってしまいましたが、違いました。傍らの友だちが、あれは本物の音ではと。そうでした烏丸西入る南側のお家の二階からその音はまぎれもなく響いてくるのでした。そこは函谷(かんこ)鉾の所在地、お恥ずかしいことです。既にお囃子のお稽古をなさっているのでした。 古来、鉦の響きは悲業の死を遂げた人々の怨霊を慰めるための音として、9世紀のころから始まったとされていますが、その鎮魂の意を直接表現するのが金属の音、鉦の連打でありますとか。京都が形成されるときには、その政治的の場に参画できず無念の死を遂げねばならなかった方々がたくさんおられました。祇園囃子はその鎮魂の曲とはきいております。もはや、そのときではございます。 今日の一首 「啼きもせで鴉はとほく飛び去りぬ松の花こそ淋しかりけれ」 岩谷獏哀『春の反逆』
2007.06.05
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15年前の東部アフリカ旅行のとき、わたしの肩を抱くようにして一人のマサイの青年が家の中に入るようにすすめてくださいました。お招きをいただいてお断りするのは失礼と思いました。 厚い泥で固めた家の中は、入ってすぐは真っ暗闇、青年には家のうちはよく見えるのでした。わたしには全く見えません。しばらくしますと目が慣れて来たのかと思いましたが、それは壁に穿たれた小窓から少しのあかりが射しているせいでした。家は正方形、大きさは四畳半ほど、真ん中には炉がありました。勿論一部屋。素朴な成り立ちが茶室に似ているのはどうしたことだったでしょう。 ありがとうでした、めったにマサイの方は家へ人を招き入れませんよと、そのときわたしは聞かされました。 今日の一首 「うすあかい靄のかたまりルノアールの坐れる少女乳すこし紅し」 前田夕暮
2007.06.04
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会員でありながら義務を果たさず、長年勝手ばかりしている歌人協会の研究会に今日、パネラーとして、親しくしている方が出られるので、お話を伺いに行きました。 その研究対象になった作品のひとつに、後ほどわかったのですが、安永蕗子さんの作品があがりました。 海岸にわれもしばしの浮遊感うろこひとつもなき身の軽さ というのがそれでした。終句の「身の軽さ」、この言葉は難解でありましたが、安永さんであればこそと感服いたしました。わたしは、そこに安永さんの生命観を見せていただいたと考えております。それは「うろこひとつもなき身の」でございます。 今日の一首 「山なかに心かなしみてわが落す涙を舐むる獅子さへもなし」 斎藤茂吉『暁紅』
2007.06.03
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うちの縁側はいつの間にか雑多なものの置き場になりました、ものを捨てられないということは難儀な性分です。しかし難儀な性分といいながら、そういう性分の人間は、それを楽しんでいます。 そこへ、また古本好きの友達がうちの近くで買い物をしては、ちょっと置かしておいてやと置いていくので、また溜まります。左京はそういう店が多いのですが。 金魚甕に新しい水をたっぷり注ぎたして、手を拭いて、ふと今日、手にとったのは「愛なき人々」大正12年印刷の潤一郎ものでした。縁側の読書用の椅子でその後3時間過ごしてしまいました。折にあることですが、巻末に、大正12年7月20日読了と記入して、名前が楷書で明らかに書き入れられています。この世の先輩、会うこともないその人が妙になつかしくになりました。 今日の一首 「大江山越えていく野の末とほみ道ある世にも逢ひにけるかな」 刑部卿範兼
2007.06.02
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トンネルを抜ければ渓流が見えて、またトンネルを抜ければ渓流が見えます。京都を発って北へむかうこの路線は四季それぞれに美しいことです。渓流は古来よく氾濫し、住民を苦しめたといいますが、秦氏が大きな堰を築き、下流を肥沃な田野としたことは有名。 わたしの目的地はどんどん北へ、分水嶺を越えると、下りになることが車中にいても感じられます。やがて下車。 早苗饗(さなぶり)の柏餅の葉採りにきて足踏み込めずいばらはびこり 古屋敷暇みて刈りあけ眺めいるあかきつつじは昔の色で 木彫りの仏像、顔に見入って時忘る寺の電話が遠く聞こえて 早苗饗は田植えのあとのお祭り。二首目の結句の表現、昔の色でがいい。刈りあけは、草を綺麗に刈って周辺を空けること。三首目、初句は八となるが、読点を打つと落ち着く。作者は指を折って数えんといて、という。なるほど歌はリズムである。降参。勢いのある歌会であった。 今日の一首 「はる さらば やま の しのはら ゆき とけて ただに たつべき きみ なら なく に」 会津八一
2007.06.01
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