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平野の花見に行った。平野は京都の北に展開した野の総称、内野、北野、上野、紫野、蓮台野、〆野などをいう。いまはまぼろし、野は応仁の乱はじめしばしば戦場となった。 平野に古くより存在する平野神社は、長岡京を経て平安遷都の際、この地に移されたとも。平野の桜は花山天皇(985)のころにはじまる。酒宴なかば、雷雨となる。しかしながら、はなびらは散らず、雷光にかがやく桜は艶妖、ふとここはどこ、いまはいつ、そんな気持ちになった。 花見は東の山より、気取りのない西の野がいい、ついこの間まで、このあたり、なたね、鶏卵、柿をゆたかに産出していた。 今日の一首 「アクロバティクの踊り子たちは水の中で白い蛭になる夢ばかり見き」 斎藤 史
2007.03.31
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夕ざくらをみ見ようと出かけた道辺の画廊に、若い硝子作家と出会った。作家がいはるからと聞いて、少し緊張して上がった2階の部屋、なんと「ほんま」しか知らないと思える女の人が一人ぽつんと立ってはった。「ほんま」さんは柔らかそうな大柄。わたしはその「ほんま」さんに会えたことを、今日一日のお宝とする。 一言も話さないのにわたしはそう思ってしまった。「ほんま」さんと。 作品はそう売れるものではない。食べられないときは裏の山の柔らかい葉っぱを食べたと。そうだそうだとわたしは思った。したいことがあれば、人間はどんなことをしても生きていけるものだ、わたしもそうだから、わかるわかる、と。 今日の一首 「きりもなくほぐれゆきしは何の糸醒めしうつつに矢車が鳴る」 大西民子
2007.03.30
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あるときの、ある日、わたしは一人の孫娘と山寺の境内の湯豆腐屋の古池のほとりの床机で、湯豆腐を食べていた。隣の床机でも若い夫婦と見える二人が湯豆腐を食べていた。 と、突然隣から手がのびて、豆腐をプレゼントするというらしい。英語だ。孫娘がわけを聞くと、日本語ができないので、余分に注文してしまったというわけ。若い孫娘は大喜び。それが縁で、われらは仲良しになって、もう5年か6年か。お隣さんは台湾の方だった。 いろいろ楽しいことがあって、去年末に贈られてきた台湾の「書」を、表具師さんに頼んでおいたのが、今日出来てきた。早速、孫娘にメイルを出さす。 うん、なかなかの出来と、わたしは満足である。ありがとうとわたしも、それだけ英語でいうつもり。 今日の一首 「白鷺のけやきの枝に降りむとき何かあやしく片足をつく」 森岡貞香
2007.03.29
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春、そう感じることが、こんなに嬉しいとは。今日まで下を向いていたわけではないけれど、上を向くと、さくらが五分咲き、柳の芽のかわいらしいこと。 出町、好きな町、出町は出会いの町、整形外科の治療を終えて柳の細い青い枝にそっと手を触れながら歩いていたら、すれ違いの人が、出町のお餅やさんの場所を問われた。そうですよ、ここから橋を向こう岸まで、ふたつ渡って、その突き当たりですよ。 なんでもないことだけど、出会いのひとつ、もう決し出会わない、出会いのひとつ、ありがとう。今日の出町のカフェのカレーライスは大豆のカレーだった。ありがとう。 今日の一首 「億萬の春のはなばな食べつくし死にたる奴はわれかも知れぬ」 前川佐美雄
2007.03.28
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図書館へ借りた本を返しに行った。何に付けて約束を守るということは大事なこと。どんな困難?があってもそれを果たすと、なんとさわやかなことか。今日は少し無理なスケジュールで、自分に言い訳をつくらせて、何度か自分を納得させようとしていた。誰のせいでもない何事も格闘は自分が相手らしい。 図書館の東方の美術館と動物園の間の並木の桜がほわっと白かった。 今日の一首 「海鳴りのごとく愛すと書きしかばこころに描く怒涛は赤き」 春日井健
2007.03.27
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我が家の横丁から市営バスに乗る。烏丸丸太町まで行く予定。 途中、河原町丸太町を西へいってすぐの南側に、この間まであったわたしの幼稚園の同級生の家がない。どっしりとした商家だった。その木材は大方京都の近辺の山からとったものではなかったか。土地の家は土地の土、木でつくると聞いていた。表構えは見事に紅殻が塗られていた。すべてが大きい、大きいというのは、ものの大きさではない、すべての造りの骨の太さ気骨の太さ、大きさである。それがまた美しかった。表の重そうな引き戸の擦りガラスには家名が筆太に書かれていた。 その家は今日は無い、何も無い。潰されてどこにでもある新しい建物がそこにあった。幼稚園の友達は男の子であった。毎日のように同じ自動車で通った。彼はもういないのか、遠い通園の日から知らない。長い間見続けたその家も消えていた。ふるさとの風情は急いで変化してゆくようだ。 今日の一首 「うらうらに照れる春日に雲雀あがり心かなしも独りし思へば」 大伴家持
2007.03.26
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朝、知人とカフェでお茶をいただきながら、わたしの人形、生まれたときに祖父母、両親らが調えてくれた身代わり人形のはなしをしていたら、知人が地震だといった。わたしはまったく感じなかった。帰ってお昼のテレビを見たら、能登の方はお気の毒。我が家の庭にも灯篭がある、そばにいたらと思うと怖い。それより我が家は百年近い古家、我が家のことをもっぱらお願いしている大工さんに電話して訊ねると、大丈夫ですよと、答えてくれてほっとしたが。 古いもの好きのわたし、まあ、このままいきましょうか、なるようになる、横着なのも長生きの条件の一つと心得て。 身代わり人形の名は「八重子さん」。わたしと同い年の女の子である。 今日の一首 「ひとよりもおくれて笑うわれの母 一本の樅の木に日があたる」 寺山修司
2007.03.25
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いくさありて君に会いにきいくさゆえ君と添わざりいくさかなしき 石垣純子 書棚にながく置きながら、たまたま繰った一冊の書籍に今日、見つけた歌。昭和55年12月7日「朝日歌壇」に出ていた投稿歌という。いくさの坩堝にあった青春を見つめなおして歌った歌。前川佐美雄をして「あわれにもかなしい」といわしめている。このような奥深い静けさこそ、しんじつ強い「反戦の声」であるはず。 今日の一首 「クラリネット五重奏曲イ長調 本当はわれ井のごと暮し」 伊藤一彦
2007.03.23
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この日ごろ、おかげさまで、原稿を書かせていただく機会に恵まれてありがたく思っている。何につけ、毎月の自分がかかわる会の案内状にすれ、わたしの場合、書くことはどなたかを前にして、愛することであって、終わると一度、一度に命を使い果たしたような立ちも上がれぬ満足感に蹲りはてる。 だいぶん暖かくなった。ちょっと大仕事も終わったから、これからおいしいものを買い物してこようっと。食べたい!やはり人間はその欲でがんばれるようである。何を食べようかな。 そうや、おばあちゃんは「米のめしと、お天道さんは、いつでもついてまわる」というてはったし。今日は、いっぱい、ついてまわってくれはる気分。 今日の一首 「日のくれに帰れる犬の身震ひて遠き砂漠の砂撒き散らす」 大西民子
2007.03.22
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「小柄なサトがひざまずいている後ろに、茶色の背広の龍介が立っていた。薄暗い廊下の中で、彼はいつもよりはるかに大きく見える。一分前の疑いはすべて消え、ここに男がいるのは当然と思う。」 『白蓮れんれん』の一節、京都新橋縄手の野口サト方での一光景。 世間というところは何とおもしろい。白蓮は見知らぬ人、しかしながら、その周辺に見知る人が現れる。そんな世間にわたしは、ゆっくり生きて、おりたい。 今日の一首 「鶏卵を燈に透かしつつじりじりと生温き生をたのしみゐるか」 塚本邦雄
2007.03.21
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いま、我が家は雛の在る家である。わたしは自分の雛は持たないが、家といっしょに、江戸後期からの雛を受け継いでいる。例年、旧暦で飾る雛をことしは3月からお出ししている。 わたしはこの雛の顔しか知らない。来る春、来る春同じ雛の顔を見続けて、ただいまにいたる。お出ましになっている間は灯りは消さぬ。ゆえに座敷は毎夜ほのかにあかるい。そのときわたしは座敷をのぞかぬ。いまはお二人だけの時間であるから。そっとして差し上げねば。 そう思っていると、自分まで幸せになってくる。ありがとうお雛さん。 今日の一首 「人のゆく道とわがゆくこの道と天地萬里のへだたりあらむ」 「金鈴」九条武子
2007.03.19
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ひらりと文箱からたまたま、あらわれた一枚の写真を紹介する。 わたしの母方の祖母と、わたしの母の兄である。二人ともに若い。裏面を見る。「一九二一年七月一七日 商品陳列所 五柳亭にて」と記入がある。この場所は現在の美術館の北側、動物園の向かいであったらしい。五柳亭は茶席の構え。 母の兄は若くて逝った、わたしは会っていない。記入の筆跡は誰?わたしには母の兄と思えてならない。わたしには伯父さん、こんにちは伯父さんである。 一九二一年、母はまだ父と出会っていない、もちろんわたしはまだ存在しない。 意味はない。ブログという彼らの夢にも思わなかったところに記事として紹介しあげたかった、それだけ。 今日の一首 「わが窓を仰ぎて過ぎし人のあり我がともしびを見しかと思ふ」 小野茂樹
2007.03.18
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「父のわからない場合も、母体はあきらか。」まこと母体はあきらか。 必要あって読んだ書籍の中の一行に脱帽の今日であった。 葵祭も近い、こんな話も。 下賀茂神社の祭神玉依媛は高野の御生山で上賀茂神社の祭神賀茂別雷神を生んだ。 玉依媛は川遊びをして、流れていた丹塗りの矢をとり、身籠ったと。 今日の一首 「黒衣(くろんぼ)のわれの座しいる一隅にまぎれて降れる花吹雪あり」 馬場あき子
2007.03.16
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月曜日の夜から実はダウン。悪い風邪?がうつったらしい。犯人はおよそに月曜日の人。水分をうんととって暖かくして、ホームドクターの診察も受けて。今朝からはまし。出町のコーヒーのおかげかな。いい音楽も聴けたし。やっぱし出町はいいです。やつぱし出会いの町でありました。あしたはまたあしたの仕事が出来る。することがある。しあわせです。 今日の一首 「今日も又かくやいぶきのさしも草さらばわれのみ燃えや渡らむ」 和泉式部
2007.03.15
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桜の花が開くのが遅くなったと聞いてほっとしている。自然が自然であってよかった。先に先にいろんなこと知るのもよいが、ゆっくりいこうではないか。最近まれに聞く快報であると思ったことであった。 今日の一首 「一つにし心あつめてわが居ればカヤツリグサの茎のすがしさ」 窪田章一郎
2007.03.14
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朱色の大鳥居の傍らの図書館へ行く。川端康成の『たまゆら』の貸し出しを頼むためであった。 『たまゆら』には賀茂祭のことが記されている。ちょうどわたしの従兄弟の長女が斎王代になった年の祭りで、そのことを実名で、「さち子」に語らせていてくれる。忘れていたが、機会があるので、エッセイに書き留めておこうと思う。 そして、その冊子ができたら、そっとお仏壇の抽斗へ入れておこう。お宝の抽斗がそろそろいっぱいになってきたが。 今日の一首 「晩春をましろき阪が向丘にいつもいつも見えてたそがれにけり」 宮 柊二
2007.03.13
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好きな、ABDULLAH IBRAHIMのCDを、家内で見失っていた。親切な友達が見つかるまでといって速達で送ってきてくれた。うれしい。 久しぶりに聞くIBRAHIM、深い郷愁がこみあげる。 アフリカはわたしのふるさと、何故かそう思ってしまったもの。京都と似ているというから、わかってとはいえないけど。でもいいじゃない、それはわたしのこころ。京都は昔からこんな京都じやなかったもん。もう一度ほほずりしたいその大地、赤い大地だった。 今日はちょっと緊張する仕事がある。すっきりと自分になりたかったから、こんなことを書いた。わたしのアフリカそれは赤い大地、わたしの京都それは赤い大地のはず。 今日の一首 「蓬ひけばあをきにほひ充つ光隈なき昼のしじまに」 石川不二子
2007.03.12
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娘の同級生が関係する、東山の金工、漆芸、寺院用具など美術工芸品を扱う店へいった。夕刻からは琵琶を伴奏の一人語り(山本周五郎作「青竹」)があり、たのしいことであった。 娘が彫金師にわたしの名前を彫らせて、バックにつける飾りものを買ってくれた。わたしは、思わず「あら迷子の札」と、いってしまった。そうである。幼いころは、このような金属の札に名前、住所を彫られたものを首から下げさせられたものであった。わたしは娘から迷子の札をさげてもらってご機嫌である。 今日の一首 「大学を辞(や)めたる友と笑ひつつ語りて時に高く笑ひぬ」 山下陸奥
2007.03.11
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整形外科医院の帰路である。出町の広場前のカフェに立ち寄った。12時開店だけれどまだ開いていない。三月の空は明るい。表の床机で待機する。 やがてカレーライスをいただく。コーヒーも。ところでカウンター内を盗み見た目に今日の香り立つようなケーキが入ってしまった。いただく。 なんとなく大食を恥ずかしく思っていると、隣席の学生さんらしき若い男性が、「これも食べたいなと思ったときは、おなかの中に先に入った食物が、そっと横の方によけて、空き地をつくってくれるんです」と教えて下さった。 いいことを勉強した。ありがとう。その言葉を聞いて安心したか、こんどは眠くなりました。真昼間です。わかっています。でも「おやすみなさい」と声をかけて帰りました。 今日の一首 「君を少し先に立たせて行く時のわれ山羊を追うような眼をして」 平井 弘
2007.03.09
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山鳩 J・コクトー 二羽の山鳩が やさしい心で 愛し合いました その余は 申し上げかねまする 堀口大学訳 蜂蜜いろの蜻蛉の簪は、わたしのいまの白髪によく似合うらしい。少し早いけれど、刺していると、みんながそういってくれる。母の形見の、鼈甲の蝉の簪は何時の間にか片羽根がとれた。蝉が鳴き始めたら、忘れないでまた後ろ髪に刺そう。みんな似合うって、言ってくれるかな。 今日の一首 「命より命生まれて幾かへり花より花も生れしものか」 柳原白連『踏絵』より
2007.03.08
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簪(かんざし)をもらった。うれしい。簪とは髪刺しの音便。女の髪に刺す飾り物。当然だが前に刺すものを前刺し、後ろに刺すものを後ろ刺しという。 いずれも刺す。日本髪の特別のものでないかぎり、近頃のものは大方が後ろ刺し。髪にそわして柔らかく髪にくぐらすように刺す。後ろ鏡に写しつつ、その仕草が驚くほどに女らしいことに気づく。でも、ふと抜いた逆さ手に握らすときもあるようで。 今日の一首 「春や来し春来たるらし鶯の来鳴くあしたは心ときめく」 西田幾多郎
2007.03.07
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机の上にジャングルの花の蜂蜜がある。 蜂蜜はベトナムからのみやげ物。壜詰めが2本あったが、1本が途中、リュックの中で割れたとかで、たいへん。嗚呼もったいない、何もかもべとべと。流しや洗濯場まで、その後いつまでも、あっちもこっちもぺたぺた。 机の上のジャングルの花の蜂蜜は、15センチくらいの高さの薄黄色のさりげない感じいい旧式の壜に入っている。ラベルには白い10枚の花弁をいっぱいに広げた花の中心に蜂が蜜を吸っている絵が。 机の上にジャングルの花の蜂蜜がある。ジャングルはベトナムの中部にあると。深夜、パソコンの仕事に疲れると、まるでウイスキーの壜でも傾けるようにして、蜂蜜をなめる。ジヤングルの中の花から集めた蜜は、ちょっと喉を刺激する不思議な甘さ。 今日の一首 「いつとなくわれの纏へる影に似て敏く曇りを張る銀の匙」 大西民子
2007.03.06
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夜更けて玄関の鍵がかからないことに気がついた。恐怖だ。 嘆いていても仕方がない。真っ暗な納屋へ首を突っ込んで、山で杖にするために拾い、家まで持ち帰った数本の木の枝の中から、寸法を考え、玄関の1間間口半分の寸法よりやや長いのを探し出し、戸のつっかいにした。 無事に夜があけて、鍵屋さんを呼ぶ。いいの、前のよりいいのを付けてもらって、夕刻になってお金を払いにいく。いつも散歩に通る愛宕灯篭の立つ辻を曲がって。そのときだった、ろうそくの火を消えぬように、白いてのひらで囲いながら、そっと、灯篭に火を入れていった女性。 まぼろしと、ふりかえり、ふりもどり見送る。その灯篭には「明治22年」の刻印があるのをわたしは以前から見ていた。 愛宕灯篭は遠く西にそびえる愛宕山を遥拝するための灯篭。鎮火の神への火伏せの祈りだ。車のゆききの激しいいま、そこに建ちつくして118年。 玄関の鍵が壊れてよかった、そのおかげで、わたしは夢の風景に出会った。 いまのはきっと明治22年の女の幽霊?。わたしはそれでもいい。おおきに。 今日の一首 「ありし日は神になげきし思(おもひ)なりわが歌はただ祈(いのり)に同じ」 五島美代子
2007.03.05
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午後、散歩に出たいが、自転車を返しに来る血縁を待ちつついまだしなので、久しぶりに、句集を訪ねてみた。 立風書房1974年6月刊、『橋本多佳子全句集』の付録「多佳子さんのこと」前川佐美雄を読む。 多佳子を知る人なら誰もが暗誦する句、「いなびかり北よりすれば北を見る」につき「よけいなものを省き、かんじんなものだけをきつく大胆に叙した」と書く。わたしはその「きつく」に魅かれる。そこが多佳子の心情。句をつくっていた人が佐美雄のところで歌もつくりだしたというが、句は妻、短歌は恋人だといったとも書く。 今日の一首 「この花の一弁(ひとよ)のうちに百種(ももくさ)の言(こと)ぞ籠れるおほろかにすな」 藤原広嗣・万葉集
2007.03.04
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「短歌は幻想の核を刹那に把握してこれを人々に暗示し、その全体像を再現想させるための詩型である。これは塚本邦雄第五歌集『緑色研究』の跋に見る重要なマニフェストである。 日々に記すといえ、このページはわたしにとって日記ではない。今日のことが今日とは限らぬ。愚かな見方を避けるため、上記短歌による思考の一例を挙げておく。今日接した一人のみにかかわることであるが。 今日の一首 「ひと恋ふはかなしきものと平城山にもとほり来つつ堪へがたかりき」 北見志保子
2007.03.03
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日本海方面へ向かう列車が定刻に発車した。北へ延びるレールに身を託すことは何故にこうも快い。月一回のこの旅が偶然にも北へ向かわなかったら、ここまで続くことはなかったろう。それは自分のこころの方向、それは自分ではわからない、それが自分といえる。そんなことを胸中に繰り返しながら一時間余の旅は終わる。 今日の一首 「山みちにわれの捨てたる卵の殻雨にぬれつつうごくを見をり」 山下陸奥
2007.03.02
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マーケットへいって、豆乳パック大3個、有機栽培大豆国産米天日塩仕込赤味噌、1,5キログラム、なお帰路馴染みの店で、本醸造特級濃口醤油一本(1,8リットル)を買い求め、早春の疏水道を自宅へ。これが生活、生活の重みは重いほどいい。 夜、ベトナムへ帰る血縁を門前で見送る。中天に月が高かった。いっておいで、お前の生き態だ、生き態は重ければ重いほどにいい。 今日の一首 「紅梅のさかりすぎたるくれなゐにひねもすの雨はけむりの如し」 吉野秀雄
2007.03.01
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