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あと、9月の案内状の発送など仕事が混みますので、それと、またいつ雷雲がやって来ますか、今のうちに今日のブログを急ぎます。ところで、ブログを書いている机の前の壁に大きな鏡が掛かっています。その前につけて後から机を置いたのですから、文句はいえません。が、気がつけばいつも前に自分が居るという状態です。 手をとめて、鏡に自分と向き合うときがあります。よく見るとわたしの目は向かって右の目が少し小さいようです。昔のことですが、歌会のとき向き合った一人が、「あっ、田中さんの右目ちょっと左より小さい」といいました。そうかなと今も見ますがなるほどそのような。そういわれて何十年、よく見ますと、小さい方の目は、小さくない方の目と、何だか違ったものを見ていることに気がつきます。方向でなくて、見ているものです。でもそのものは自分では見ていないものなのでわかりません。 鏡の前にいつも坐るということはいいことです。お化粧鏡は別にありますが。 今日の一首 「肉弾になるなら九九を覚えろよお国の役に立つためだ」 「はいと答えた三ちゃんは六年生で死んだとか九九も覚えずお役にたたず」 「今だから言うけど裕子学校で 三ちゃんのお嫁さん と言われてたんよ」 山形裕子(『ぼっかぶり』から)
2007.08.31
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お昼すぎ、ちょっと嵯峨まで自動車にのせていただいて出かけました。我が家の墓地音戸山から、遍照寺山を右手に広沢池に沿って後宇多帝陵の前を通り過ぎ。ぼやぼやと菖蒲谷池方向に道尽きるまで。そして許される時間にごいっしょしたお方を化野念仏寺へはお連れ出来ず、引き返したことは残念でした、ごめんなさい。 夕刻、郵便ポストを見ましたら『鱧と水仙』(第29号・藪の会)が投入されていました。ああ嬉しと、早速拝見。短歌年鑑で見たその名の「鱧」に親しみを感じ、そしてその名に続く「水仙」に不思議を感じ、ささやかなわが『BOU』をお送りしたところ、その後、御誌を毎号いただくことになりました。今号の特集2はマイナースポーツ、バレーボールの落合けい子の「バレー」、とてもよくわかります。そのとおりなのですから。4首目の「はーい、はーい私と」など、もうそのままで。 真つ白のひかるユニホーム、ママたちは良く笑ふなり笑ひつつ走る 手を上げてはーい、はーい私と走りゐるママさんたちの声ひびきつつ 公園にうすむらさきが降りてきて人去りゆきぬ心がのこる わたしもバレーをしておりました。それで。 今日の一首 「夏菊の枯るるそばより葉鶏頭のくれなゐ深く伸び立ちにけり」 正岡子規(明治三十一年・わが庭)
2007.08.30
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何となしに、元気いっぱい、楽しい風に吹かれておりましたら、夜、お風呂を洗っているとき、手がすべって、危機一発、助かりましたが、少し唇を切って、鼻を軽くですが打ちました。明日の朝の顔が楽しみです。神様仏様の御叱責と慎み深く反省しております。ちょっと仕事がはかどって、うきうきしていたのです。でもこうして、たしなめていただけることをありがたくに思うわたくしです。 自分でお見舞いして、頂き物のマンゴーのよく冷えたのをたべました。美味しいでした。マンゴーには思い出があります。昔々、子供のとき、第二次世界大戦のとき、遠い南の島で戦っていた知り合いのお兄さんから手紙が来たとき、マンゴーの香りがするようです、と返事を書いて送ったことがありました。なんて、こましゃくれた、嫌な子供だったことでしょう。それからお兄さんはどうしたでしょう。 今日の一首 「歌をそしり人をののしる文を見ば猶ながらへて世にありと思へ」 正岡子規(愚庵和尚のもとへ)
2007.08.29
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久しぶりに、湯本喜作の『大田垣蓮月研究』を開きました。 あさ風に川ぞひやなぎ散りそめて水のしらべぞ秋になりゆく ちどり鳴くかも川づつみ月ふけてそでにおぼゆるよはの初しも など蓮月の歌を口ずさみながら、喜作が「出雲路」「中加茂」「みその」の橋を右に見て蓮月の終の庵、神光院を訪ねるために賀茂川堤を上流に向かって歩いたのはまだ京都大学在学中の秋の一日でありました。 その後、喜作が神光院を訪れたのは昭和39年11月16日、当日、光田作治、前原利男の案内で、短歌結社「水甕」主幹加藤将之とともに40数年ぶりのことでありました。当時、蓮月が暮らしていたお茶所には元大阪商船社長夫人が住まわれていて、夫人はひどい荒れ方であったその場所を、原形をそこなわぬよう修理してくださっていた事など、本文にも書かれてはいますが、そのような懐かしいことをよみがえらせてくれる本書を開くのは私にとっては蓮月のことといいますより、ふと、心を静めたいときの手段でもあります。 喜作に同道した前原利男はその後、現在の私の関係する短歌の会「BOU」の初期に尽力をいただきました。大阪商船はいささか関わるところでもありました。 今日の一首 「障子さしてあるじはあらず 蓮月が住みしままなるいほりの若葉」 「聞きなれし声はこれかとふり仰ぐ松のこずゑに 昼の風あり」 土岐善麿(神光院即時)
2007.08.28
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昼間の外の暑さはまだまだ厳しいですが、家の中に居ますと、何となくに涼風が通います。わたしの家には階下には冷房はありません。それで充分に耐えられるときになったと、しみじみ思います。恐ろしい地球の変動も、静かに暮らそうとするものには、少しくやさしいとさえ、微妙に感じられるこのごろです。 今日は一日、九月の歌会案内のための原稿つくりをしていました。前月の詠草の、一首一首に感想を書添えるのです。長年短歌と接してきて、人様の作品を見ておりますと、何となしにその方のそのときの立ち姿、お考えのようなものが見えます。そんなところから、わたしは歌の勉強なんてものでなく、なんとなしに短歌をしていてよかったなと、人様と出会えるために、そしてどなたにも日々の途次に、同じようなことを思っていただければいい、そんな気持ちで、今日もするべきことをし終えました。そうするととてもいい気持ちです。自分はやはりこの道にて生きさせていただいていることが判ります。 でももう午前二時、またあした。あしたはそれに添える小文を書きましょう。終われば、職業としてのエッセイを書きます。明日もいい日のようで。 今日の一首 「おのれから山にすみてもむささびの夜半にかなしき声たてつなり」 柳田國男(明治24年)
2007.08.27
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昨日今日、わたしどもの短歌の会、夏号の合評会がありました。場所は琵琶湖畔、旧琵琶湖ホテル。昭和初期建設の旧琵琶湖ホテルは古き時代の面影を充分に残す、まことによろしきところでございました。作品を少しくに記します。 日の丸が目を引く朝の交番所穏やか顔が立ち番をする 揺れながらベストセラーを読んでいる近鉄電車はさらに南へ なんという清い夜明けよ雲の股二つに裂きて子を生まんとす 「タリホー」を唄う甲本ヒロトには二十年かけ惹かれ続ける 紀元前二千年紀のアナトリア鉄の騎馬団ヒッタイト族 春嵐みぞれに混じるは牡丹雪それとも散り初む李の花びら 今日の一首 「見廻せばわが身のあたり草莽の冥きがなかにもの書き沈む」 岡本かの子(『深見草』)
2007.08.26
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或る女 恋知らず情け知らずのかのひとは卑し首陀羅(しゆだら)の娘なるべし やや似ると君をおもひぬ西鶴の好色庵の女あるじに 君に問ふ如月ごろの比叡おろしよりも寒きは誰のこころぞ 吉井 勇 これは、大正十三年六月、大阪市東区谷町五丁目のプラトン社から出版された『夜の心』の中の三首です。実際の本は残念ながら手に入れていないのですが、聞くところによりますと、装丁は誰の筆によるものか判りませんが、白い和紙に雪洞を黒く、その光を金で描いた図案風のもので、雪洞の台のそばには杯の伏せたのがひとつ描いてあったそうです。見返しは薄紫色の和紙といいます。 なおわたしは、いまこの『夜の心』の「或る女」を新潮文庫の『吉井勇歌集』から見ているという寒さではありますが、一見はなやかに見えて、実は沈鬱な吉井独自の上記の三首に何故今日、不意に取り憑かれたかわかりません。明日、明後日はわたしどもの短歌の会「BOU」の夏期合評会です。この気分がどう整理されるか自分でもいまわからなくております。忘れたほうがよいことはわかっているつもりです。 今日の一首 「我が行くは憶良の家にあらじかとふと思ひけり春日(かすが)の月夜」 佐佐木信綱
2007.08.24
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日本にはもともと日付というものはなかったといいます。日付がないなんていいなと思います。これは大陸から暦法が入ってくるはるか以前のお話でした。でもお米つくりはなされており、そのための祭はありました。この祭に暦法が適用され出して、日というものが各地の祭りで指定されるようになってきたと聞いています。それにしてもそのときは、全く自然を祭りの日の目標にしたものであったと思います。いまは元の目標を失っているようです。 「暦の全く見られなかった古い時代に戻って、自然を祭の日の目標にしたらよかったかも知れぬが」と『祭日考』(昭和21年)に見た、そんな言葉の片鱗が頭にきらめきます。そして日付もなんにもなかったときのことを、ちょっと想像してみています。異常の暑熱がやや納まった夕べに。 今日の一首 「陽を仰げば少しめまひすこれをだに異なるけふのしるしとやせむ」 尾上柴舟(第一高等学校校友会雑誌259号)
2007.08.22
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第4水曜日は「きさらぎ」という名の歌会の日でした。いつの間にか80回目になりましたとみんな感激。 雨のやみ車窓にのこる水滴にふくらみて映る今日の湖 我が夫もビール党なりジョッキ持つその指のくせ亡き父に似て 幼子ら白浜帰りはやしいる「背中燃えてる」「背中こげてる」 裏庭の菅草の黄の鮮やかさギヤマンに挿しわが食卓に 帰路、半世紀ぶりに誘われていた、ふるさとのお地蔵さんにおまいりをしました。皆さん次々に声をかけてくださるのですが、その方々、わたしと同年の方のお子さんであったりで、過ぎた日の記憶と繋ぎあわすことがたいへん。 ふるさとのわが町のお地蔵さん、子供のときはじっくりとお顔を拝むこともなく騒ぐばかりで失礼いたしました。わが町のお地蔵様は何と上品に慈愛に満ちたお顔であられますことでしょうか。今日の日まで、何とか無事息災にすごさせていただきましたのも、貴方さまのおかげでございます。そのとき、わが胸のとどろきに合わせるように激しい夕立、雷。写真はこのブログには間に合いませんでした。いずれ発表させてもらいます。何方からともなく、この秋に、わたしたちのふるさとの川のお祭りがあります、そのときにまたという声がありました。 今日の一首 「ああこはこれいづちの河のけしきぞや人と死びととむれながれたり」 宮沢賢治
2007.08.22
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手帳に書きとめている養老孟司さんの言葉があります。間違いがあるかもしれませんが、書きとめたままに書きます。 昔の人が出来たことが、今の人にできない。たとえば田舎では暮らせないからと過疎地 が出来る。では昔の人はどうして暮らしていたのか。いつの時代でも、根本はモノでなく 人なのである。 高消費文明は許すべきでない。なぜなら、エネルギー消費は人間の質を落とすからであ る。人はやすきにつく~~。 今日ふと新聞を見ましたら、温暖化防止のために、打ち水のリハーサルをする学生さんの写真が載っていました。それはいいことでしょう。でも何だかおかしさを禁じえませんでした。わたしの祖母は、台所で使った水の後始末、お米の磨ぎ水など、いつも表へ持っていって撒いたり、中庭の樹木にかけたりしていました。それをを見習って小さいわたしも水遊びのようにして、ぴちゃぴちゃやってました。昔の人はどうして暮らしていたのか、考えてください。おかしさを通り越してさみしゅうになってまいりますから。 今日の一首 「なにを蒔くひめひぐるまの種を蒔く君を思へと涙してまく」 萩原朔太郎(筆名 萩原咲二)
2007.08.21
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暑い日が続いて、少しずつ涼しくになる頃合、雷の予報を日々に耳にすることが多くなりました。わたしは雷がほんとうに怖く、そのあたりが暗くなってきて、冷たいような風が吹き出すと、家の外回りをしっかりと締めカーテンも閉ざします。今日も瀬戸内海で雷、突風、三角波で、漁船の方々は大変であったようです。 ところで、雷に関する本はよく読みます。特に雷除けの話しですが。大津市岩屋寺のご本尊は、雷除け観音です。東寺御影堂、愛宕神社、その他祇園祭宵山などには、雷除けのお守りが出ます。宇治白川白山権現の樫の木にはさんだお守り札、鞍馬で左義長のとき焼いたお餅も雷除けとか。根本絵巻というものには延長八年六月二十六日の清涼殿のひつじさる(西南)の柱に落雷した絵が残されています。菅原道真を祀る社には雷除け土器など雷に関するものがたくさんあります。しかしながら、雷は誰言うとなく政治的に虐げられた道真の祟りとも言い伝えます。清涼殿のことも。 なお鞍馬の竹伐りの竹が雷除けになるというのは雷神を蛇とした信仰によろものらしく、三十三間堂には、また有名な雷神の像があります。奈良市の秋篠寺には雷石として黒い石があり、宝物の中に雷のお臍があることは驚きであります。雷さんは自分のお臍のことより、わたしたちのお臍を取りに来るものとばかり思っていますが。 今日の一首 「おどろおどろ雷鳴れば比叡おろしにはかに吹き来(く)妹(いも)な脅えそ」 吉井 勇(『遠天』)
2007.08.20
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今夕、九時前、とある戸口から出ましたら、雨。知らなかったわ、思わず独り言。それが嬉しくて、借りたビニールの白い傘をしっかりさして、バス停まで。乗車したバスの窓から見ていましたら、車道が濡れて、何だか縮緬模様、そこにしとしと雨が。昨日からすこし疲れていました。もう嫌と暑さにひとりごちていたのです。こんなに雨が嬉しいと思うなんて、自分でも思わなかったです。 秋の音楽会の申し込みも済ませましたし、心静かに新しい時間に備えましょう。一九日日付のブログ記事が二度に重なりましたが、一度めは今朝書いた昨日の分のつもり、日付けはまたそのうちに直しましょう。その前の谷川俊太郎の詩も一字違っていましたし、いづれまとめて、秋ですし。 あした、午後一時から、お向かいのカフェで短歌しましょうねと、たったいま、ひとりから電話がありました。よろしく。 今日の一首 「普賢菩薩乗るといふ象のにぶき眼のもどかしき人を夫にもてり」 佐佐木信綱(『新月』)
2007.08.19
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こう暑いと、出したものの後始末ができません。書籍もそのひとつです。次から次から出して積み上げて、足元が危ない状態です。今朝はその中のひとつ『京の道標』を拾い上げました。昭和41年白川書院発行です。道標は最近、その存在状態が危険視されるもののひとつであります。東一条京都大学の石垣、吉田神社に向かって東北角に存在するそれは、通過するごとに見返っては確認していますが、思えば、今日の事は知りません。 右 さかもと からさき 白川乃道 左 百まんべんの道 寛永六年丑十一月 沢村道範 と、刻まれるそれは、書籍によりますと「白川の里と滋賀県の坂本、唐崎を示し、また、近くの百万遍知恩寺の念仏道場を教えている。」とあります。当時、道標の位置から西の加茂川べり、荒神口から白川村にかけては、美しい松並木であったといいます。坂本からは琵琶湖を船で渡り、安土城に直行したものでありましたとか。思うだに美しい光景、このごろは、そのような光景を連想させる道標そのものが危険な状態であります。 中京あたりへ行きますと、ガレージの事務所とか、飲み物の販売機の真後ろになってしまって、何を指し示しているのか、その存在すら認められない道標が多くになっております。 今日の一首 「かたこひのあきのぬまべにぽつねんと、そらみてすわるみづひきのはな。」 立原道造
2007.08.19
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高校野球はよく見ます。好きだから。今朝から一番は京都と長崎の対戦。8回裏で長崎が逆転、いい試合といいながら、やはり勝った方が勝ち、それだけの理由があります。京都は土壇場でピッチャーを代えすぎたと思います。何だかややこしかったです。どっちで終わったわからへんでした。試合は選手にやらせなくては。 高校野球と大文字と鉦叩きはわたしにとっては、三位一体、鉦叩きは虫、昨夜からベットの頭の部分の壁の中で、よく鉦を叩きましたこと。ほら、今の真昼間、つくつく法師も鳴き出して。わたしの気分もそろそろ「晩夏」のまとめに入ります。 今日の一首 「おのずから光を避けて人の棲むひとつの家にひとつの戸ある」 蒔田律子(『火の流域』1989年9月発行より)
2007.08.17
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昔、京都の子供は、町の真ん中の子供は、大文字は一つと思うていたのではないでしょうか。わたしはそうでした。中京の三条、二条そのあたりの加茂川沿いの子供たちは大文字といいましたら目の前の東山にともる大の字だけ、祇園祭といいましたら、家の前を通るお神輿さんだけ、四条あたりの鉾まで頭が回りませんでした。鉾は鉾町のお方がおしやすものでした。 目の前に起こる出来事しか考えなかった、その狭さが、その狭い京都がなんだかなつかしいこのごろです。そのかわり、祇園祭のお神輿さんは、東山の大文字は大事大事のことでありました。あくまで、これは子供の感覚です。 そうした地域を出て幾星霜。でも心が帰るところはそこかも知れません。 子供の感覚は大人から習うもの、昔の学区制がふと思いやられてならないのでした。 今日の一首 「烏羽玉の夜空の下にひそひそとせぐヽまりつつ行く男あり」 芥川龍之介
2007.08.16
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このへん 谷川俊太郎 このへんどのへん ひゃくまんべん たちしょうべんは あきまへん このへんどのへん ミュンへン ぺんぺんぐさも はえまへん このへんなにへん へんなへん てんでよわへん わからへん 左京区今出川通り東大路京都大学の北、百万遍は、外出する度にといっていいほどに通ります。この名は百万遍知恩寺というお寺の名前から来ています。このお寺は後醍醐天皇の元弘元年、疫病が流行したとき、当時の住職善阿上人が念仏を百万遍唱えたところ、たちまちに、その流行が止んだことに由来します。わたしはバスなどでここを通るとき、「このへんどのへん、ひゃくまんべん、ああありがたや、ひゃくまんべん」と唱えます。もう百万遍は通ったでしょうか。 今日の一首 「的(あて)もなく内を出でけり二町ほど行きたる時に後を眺めぬ」 中原中也
2007.08.15
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しばらくお墓参りをしていません。夕べからそんなことではいけない、いけないというより、猛然といきたくなりました。早朝3時に目を覚まし、夜が明けるのを待ちました。6時になって用意をし、バス停留場へ行きましたが、始発まで間があり、タクシーに乗りました。 我が家の先祖伝来の墓地は鳴滝の西、音戸山にあります。山頂にもと、石造五智如来像が安置されていたので、俗に五智山とも呼びます。先祖の墓は元は京都市のどまんなか河原町二条の広大な墓地の一隅にありましたが、移転して、40年にもなりましょうか。 水を汲みたっぷりと注ぎかけました。石はいくらかけても水を吸います。ああ、来てよかったとしんそこ思いました。回りの玉垣も濡らしました。蝋燭やお線香まで濡らしてしまって大変でしたけれど。一人子として、勤めを果たした思いで、帰路のバスの席にゆったりとおりました。 この文章を書くいま、蝉が鳴きしきります。蝉の声は幽冥の境なく鳴り響むもののように思われてなりません。 今日の一首 「物干のころもの袖に蝉鳴きて昼照草に日は夕べなり」 正岡子規(明治三二年)
2007.08.14
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そのままを書きますと、<『マクベス』に「きれいはきたな、きたなはきれい」という一句があった。思念が煮つまったところに発生する円環話法で、逆説性と包括性が表裏一体化している。>そんな言葉をある雑誌の中の一文に読みました。それから、何というのでしょうか、ここしばらく、水車に流し切れなかった人間関係、いいえ、自分の中の自分との人間関係が渦巻きの流れとなって流れ出る音を聞きました。 今日の写真から、最近に写した身近のものを入れてまいります。ここを撮りたいと衝動を感じたものだけのつもりです。 今日の一首 「夏びきの手引きの糸を繰り返し言繁くとも絶えむと思ふな」 古今集読人知らず
2007.08.13
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長女の長男がバスケットをしていて、靴に興味をもち、卒業後、靴屋に就職しました。本社は東京ですが、今年、京都の伊勢丹の店へ配属になりました。その子が同じ会社の関東勤務の同僚の京都案内のための一夜の宿を我が家にとってくれました。 まずその夜の食事に鱧を同僚に食べさせたいといいます。八坂下河原のさる知り合いの店に頼みましたところ、主人が鱧の料理法、鱧きりまで見せてくれ、同僚は大喜びであったといいます。しずかな店、しかしながら風格のあるその趣に、ランニングシャツ一枚に古ぼけたバイクで乗りつけた二人は、いささかあわてたと言います。その対象はわたしの企みでした。青年はそれでいいと思います。将来の糧にしてくれればと思いましたから。 同僚は、同時にいただいた生麩も美味しかったと言い、母上の土産に今日は麩屋へ買物に行きました。暑い一日のお話でした。 今日の一首 「ゆふたちのはれて涼しきくさむらは秋とやいはんつゆのつきかけ」 祗園梶女(『梶の葉』寶永三年)
2007.08.12
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京都の本日の気温、37度4分、用事がなければ出かけないほうがよいと思いました。危険です。ちょっと、ふらっと2,3回、胸が気持悪くもなりました。冷房がなくても我が家は涼しいのと、威張っていましたが、昔のつくりの我が家もさすが暑く、でも外を出歩くよりましです。夕刻は玄関から庭に水遣り、日除けの簾を巻きつけてある甕の金魚にもつめたい水をたっぷり。 そして落ち着くと、どこからか、幼いころに祖母が「極楽のあまり風」と呼んでいた風が忍び寄ってきました。心を静かにしていることですね。一日の予定の仕事だけは終えることが出来ました。そしてそして、何故だかわたしオルガンが弾きたくなりました。昔、我が家にあった小さなオルガンをです。祖母が三条の「十字屋」で買ってくれたオルガンでした。 今日の一首 「ブラウスの胸あけひろげて寝てゐる 放埓のやうな美風もある」 齋藤 史(「やまぐに」昭和22年・以後抄)
2007.08.11
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猛暑です。冷房がない我が家です。近くの喫茶店で半日、過去の短歌の整理をしました。冷えすぎて、夕刻かえりましたら、いいお誘いの電話。夜になってまたいそいそと銀閣寺まで徒歩で出かけました。大文字が目前ですが、何と静かな銀閣寺界隈。疏水北岸の知る人ぞ知る、吉井勇の屋敷あとが寂しそう。その隣は、「女人短歌」の先輩、橋本関雪のお嬢さんがお住まいだったところ。気をつけて歩かないと、出っ張った敷石につまずきそうな暗さの疏水道です。 行く先は、これも短歌のお友達一家が経営するおうどん屋さん。今日で創業四十年を数えるそうで、おめでたいことでございます。いいお付き合いにかこまれてのわが身を、身に余る幸せと思っております。 今日の一首 「せめてひとり わが身の為めに泣く女あれ さらば死なんもかひあるごとし。」 橋本徳寿(『船大工』より・大正七年刊)
2007.08.10
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昨日は確かにややハードな一日でした。「ふくろう」の会のあと、また、午後7時からの知人の関係する放送関係の親睦会に出かけたのでしたから。でも偶然、わたしの従兄弟をご存知という方と同席し、楽しいお話をすることができました。世の中は広いようで狭い、とにかく次の瞬間を予期出来ません。 以って今日はやや休憩の時間を多くし、ロッキングチェアーでぼんやり、いいことばかりに思いを巡らせていたのでした。テレビに高校野球も存分に見ました。蝉の鳴き声も目を閉じて聞きました。そうしていると何だかこの時が永遠であるような快い錯覚に溺れることができます。 冷えたお番茶は冷蔵庫にいっぱい、ごっくんごっくん飲みました。 夕刻、ちょっと、近所の町の撮影、そうなんです、わたしにだって写せるんです。壁や、水底や、海のように広い大学の自転車置き場など。 今日の一首 「秋風に吹かるるのみの生と思へニセアカシアの落葉散る道」 島田修二(「水に還る」・‘78)
2007.08.09
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お出会いの不思議から、生まれるひとつ、ひとつの人間関係を大事にして、わたしは母体の「BOU」の会をふくめて五つの短歌の会に関わらせていただいています。 「ふくろう」の会はその一つです。 神様の贈り物ですと雨の宵ちまき差し出す「岩戸山」の女(ひと) 「来ましたえ」合図に下駄をひっかけて戻り囃子の山鉾仰ぐ 一本の綱に委ねたからだごと振り出す扇に鉾の車輪(わ)ぎりり 手締め打ち鉾の巡行無事終へて麻のかみしも りりしく映る 平安京の町尻小路に相当する新町の一等地で見せていただいた祇園祭、さすが具体に写生がゆきとどいております。都がつくられたときの、なまなましい人間関係の恩讐が元をなす祇園祭、その力が、或いはそのことを具体に考えぬ人々をさえ、無明のその世界にいざなう不思議をもっていることを、改めて感じさせていただきました。 今日の一首 「京言葉ふさはしこよひ宵宮の祇園ばやしのながれくる町」 九条武子
2007.08.09
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あわただしくに過ぎた二日目。今日はちょっと事情がありまして朝からばたばた、コーヒーもいただき損ねて、お昼。 でもお昼からはうれしいこと、坐ると、きゅうっと鳴く、椅子を届けてくださった方があったからです。詳しく語りましょう。昔々、わたしの人形を坐らせておりました籐椅子がありました。でもそれは一人前の籐椅子で、近頃わたしが坐っておりましたところ、どうも危ない状態になってきましたので、修理をお願いすることになりました。我が家の緊急救助人ペーターの友人が引き受けてくださり、本日修理完了してお持ちくださったのでした。 ところが緊急、絡め編んでくださった紐が籐とすれて坐ると微妙な音を発します。でも、災い転じて福となす、その音がわたしには妙音に聞こえ、毎日の元気が湧きます。ありがとうございました、ペーターのお友達。 折悪しく我が家にきておりました娘が、それは無理や、お母さんではと申しましたが。大丈夫なのです。 今日の一首 「わが窓を仰ぎて過ぎし人のあり我がともしびを見しかと思ふ」 小野茂樹(『羊雲離散』)
2007.08.07
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一日二日があれよあれよと過ぎました。一日目、長女の大学時代の友人の母上がなくなりました。ご自宅での静かないいご葬儀でした。 何年の昔になるでしょうか、その頃のわたしの貧しい短歌を記します。 早大バリケードうちより電話せる吾娘(あこ)に告げいぬ薔薇の咲きしを 集会にいく吾娘と別れる池袋、最終新幹線にはまだある時間 暗闇をくだりて早稲田地下劇場荒き筵にうずくまりたり 投石ゲバ棒やめよ「盾にのって還れ」などとはよういわぬ 何時かの日、わたしの娘は「お母さん、今日まで心配をかけたことはなかったでしょう。でも、ごめん、これだけはやらせて」と。その理論にわたしは逆らうことはできませんでした。わたしも、そう思いましたから。 今日の一首 「あしひきの山路越えむとする君を心に持ちて安けくもなし」 狭野茅上娘子(巻十五・三七二三)
2007.08.06
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青空から、パラソルに雨粒か、雹かの音がして、ちょっと驚き。 そんな日、一(いっ)ちゃんから一枚の書中見舞のはがきをいただきました。一ちゃんとは、一郎さんという、生まれた家の隣の炭屋の長男坊主さん。小学校の後輩。はがきには、昔の町内のお地蔵盆にお参りにいきませんかとの、なんと云十年ぶりのお誘いです。生まれた町にそのまま暮らし、いま画廊をしているというN君に連絡をとっているからということ。うれしいではありませんか、行きます行きますとも。お供えのお下がりもらえるんですか、西瓜はラムネは、真っ赤のほうずきは、福引は。 わたしたちの小学校は加茂川べりの二条上がる、いま美術高校になっている銅駝校。中国の洛陽を真似てつくった「京都」の銅駝坊にあたるところに創立された小学校です。洛陽の銅駝街には銅の駱駝が建ち、賢い少年が集まったと聞いております。賢い彼らに会いたいものです。同じ町内の女の子の無二の友は三年前に亡くなりました。彼女もつれてまいりましょう。 今日の一首 「森くらくからまる網を逃れのがれひとつまぼろしの吾の黒豹」 近藤芳美
2007.08.05
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本日、夜行の帰路、ブログの文章を考えていました。残念ながら百鬼夜行ではありませんが。 橋の袂で白い白粉花を摘んで還りました。白い白粉花は夜目にもよく見えます。紅い白粉花があることはよくわかっているのですが。夜目には見えません。その部分は暗闇です。このあたり、台風の雨もたいしたことなく、川の水は音にも立たず、瀬の波の白さも、夜目にのどかです。少し蒸しますね、といえば、いや相当蒸しますが、と応えるお方といっしょでした。二鬼ですから夜行とも名付けられもせず、おとなしくに橋を渡りました。 一人のお方が、あっ比叡山に灯がついています、といってくださいました。あらほんと、ああうれし、とお応えしました。そうなんです、その灯は昔から消えないケーブル山上駅の灯でした。それが近年、早くに消えるのでわたしの機嫌が悪いことをよくご存知のお方なのです。その灯は島木赤彦夫人や吉井勇の短歌にも見られている灯でした。4,5年前から早くに消えるので、ケーブルの係りに電話しましたのですが、誰も真面目にかかわり合ってくれないので悲しく思っているのでした。 今日の一首 「君もとへ我もしのばむさきだたば月を形見におもひ出でつつ」 『山家集』佐佐木信綱校訂
2007.08.04
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早朝のテレビに台風の心配がないことを幸いに、いつもの時間に京都駅を発ちました。そのつもりでしたが、ビニールが伝線に絡まっているとかで、その除去作業のため、綾部着は30分遅れ。 いつもながら簡単には事が運ばぬ歌会。こんなわたしに誰がした、それもいいではありませんか、こんなわたしが何処にいるでしょうか、それがどんなに尊いことかとわたしは思います。 綾部市は人権学習進む町意見のないのはよい町印 手造りの巾着袋にかさね見ゆ丸髷結ひたるおきくばあちやん ありがたき友と出会いてしゃべり合いおつかれさまと頂く食事 ポトポトとのうぜんかずら咲きて落つ敷石の上にもさつきの上にも できたてを手のこぼして加減みるオーケーのサインに笑顔がこぼれる 「手のこぼして」は手の窪にのせて料理の加減をみること、こうした方言は大切にしたいものです。そのとき、「加減みる」は不用。それから、誰が「手のこぼ」したのか、誰の笑顔が見えたか理屈でなく知れたら。そしたらいいなと。大胆に日常の言葉で歌をつくりたい、そんなふうに思います。こんなわたしが何処にいる、いいですねえ、同じ人でいっぱいの歌壇なんですから。辞書もちょっと離しましょうか。この歌会は「じねんじょ」と申します。 今日の一首 「我が胸のいまだ狂はぬあぢきなさ、この秋風の音を聞きつつ」 佐佐木信綱(『新月』)
2007.08.03
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嵯峨野は雨もまたよろし、そんなことをつぶやいて、小学校の同級生と広沢の池添いの道を大覚寺のほうへむかったことがありました。雨の日はちょっと怖いような厭離庵裏の細道を抜け、化野にたどり着いたときは、付近の茶店も早仕舞いで、あちこちで戸を立てる音がしきりにしていました。念仏寺も時間切れ、そもそも出かける時間が遅かったし、でもわたしたちは、そんなことが目的でもなかったので、締めかけた茶店で一服しながら、めったにない落ち着いた時間を味わっておりました。 時ならぬお客なのに、茶店の女あるじは笑顔で、いつの間にか、二人の話に加わってはりました。いい時間です、持とうと思っても持てないいい時間でした。そんなときでした、女あるじは、この辺は早うに戸をたてまへんと、夜さりになると、戸をことこといわせたり、何やら人を呼ぶ声がしたりしますのえ~~と話してくれましたのは。ちょうど台風が来るかも知れん、今日みたいな蒸し暑い夕刻でした。もう10年余も前のさみしい化野でしたけれど。友達は、ふとしたことから三年前に、なくなりました。幼稚園もいっしょでしたのに。 今日の一首 「稲つけばかかる吾が手を今夜(こよひ)もか殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ」 万葉集 三四五九
2007.08.02
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午後は世の中の物音も平凡裡に穏やかに時が過ぎているようでありました。我が家の前の通りには、電話線の工事かなんかで、高い位置から人声がしたりでそれも、何故もなくのどかでありました。わたしは、娘がいいよ、かわいいよといってくれたCD、「take love easy」にうっとりする午後ではありました。 そのとき、何に血迷ったか鉦叩(かねたたき)の音が2,3度聞こえたではありませんか。嘘でしょ、わたしは首をふりました。でも、耳をすましてもう一度、しーっ。あら、嘘でした。自分に言い聞かせて、そう、まだまだよ。ちょっと立ち上がって、表の工事人さんご苦労さんといったり。もどって、机の前に坐りなおしたり。 と、そのとき、「ちん」が一度、しばらくして「ちん、ちん」。それっきりでしたけれど。ああ、やっぱり今年の鉦叩さんでした。きみ、きみちょっと早すぎはしません。ご存知鉦叩は秋の虫、古家の雨漏りの話そのままの我が家では、壁の中に長年、何代も巣食っている秋の虫なのです。 毎年、立秋よりは早いのは、我が家の庭訓ではありましょうが、そうですか、わかりました、きみに従いましょう、きみの時の過ぎ行きに心をさだめた今日ではありました。 今日の一首 「劇作者(げさくしゃ)に書きあやまられ二百年賊十郎兵衛に拭う名のなし」 中村憲吉(大正14年「阿波十郎兵衛)
2007.08.01
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