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テレビでは、今日は早や暑かったと盛んにいっています、そうかなとわたしは思っています。一日を大方、家の中で過ごしたせいからでしょうが、わたしの家は木と土と紙の家です。床の下はがらんどう、風がすうすう通っています。兼好法師は家は夏向きにといったそうですが、とにかくわが家は涼しいなと思っています。 このごろは冷暖房装置は当然のことで、そういうものがありませんと、えっとかいわれてしまいます。もちろん夏に涼しい家でも、寒さに対する過ごし方の知恵はもっています。 だんだん時代遅れになりそうです。でもそういう遅れ方はわたしはいいと考えています。見ていてください、きっと時代の先端をいくことになりかねません。何かそんな気がするこのごろです。 今日の一首 「五十年生きて増えたる顔のしみもつと汚くなりしは心」 大崎瀬都
2007.04.30
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お母さんの違う弟が死にました。肺癌で2月までは持ちますまいといわれながら、この月の27日まで命ながらえました。東京に住んでいましたので、隅田川の桜を見て死にたいというのが念願でしたが、それが叶えられてありがたいことでした。 弟は日本と中国が戦っていたころ、内蒙古包頭で生まれました。弟は母の顔を知りません。引き揚げ後、よく勉強して、慶応義塾の学生になりました。京都の舞子さんが好きで、初恋は舞子さんであったようです。小さいころはわたしの母を母と思っていた心情を哀れに思います。 弟よ、やがて、また会いましょう。アフリカの赤い花をお前に捧げます。内蒙古の野にはこの季節、一面にマランホォワの花が咲いていることでしょう。 今日の一首 「包頭(ほうとう)は坂ある町に夕日さして其の後にうごくつむじ風あり」 土屋文明「韮青集」より
2007.04.29
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今夜も橋から振り返る空に金星が、夜空に一箇所、白い大きな光りの電灯をつけたようでありました。わが友は、あれは星ではない、なんて言うてはりましたが、困ったもので。 伊豆も見ゆ伊豆の山火も稀に見ゆ伊豆はも恋し我妹子のごと はなしは短歌のはなしになって、こう思うたらこう歌う、なんの遠慮会釈もいらない、それをそのまま臆せずいってのける、短歌には何の制約もないのとちゃうか、細かいこというてたら、あかんで。のびひんで。そんなはなしを耳に終バスに乗りました。 今日の一首 「灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり」 斎藤茂吉
2007.04.28
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幾忠の「後記」から。「洋子は、自分の日日の心に起こる極く尋常なひらめきを、極く尋常なことばに移して一首にしてゐたのであって、彼女は、その「尋常」のために心を砕いてゐた。才能で組み立てる歌は、彼女のよくするところではなかった。」 人にお貸しして、20余年、それは20余年前にも、この言葉に感じていた自分の証拠に薄い鉛筆で傍線を入れています。わたしはどういう20余年を生きてきたのであったでしょうか。 今日の五首 昼寝する夫が口ずさむ鼻歌の今日は琵琶歌ではなくて蘭蝶 折詰にすれば喜ぶその弁当提げて夫と来たる花の下 子の下宿に子のジャンパーを著て眠る炬燵の板を風よけにして この嵯峨にこやみなく降る今日の雨わが家の井戸の水になるのは何時か いろは習ふわれにのの字の書き方を教へ夫は便所に入りぬ 早川 洋子 9
2007.04.27
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少し短歌に関係して苦しいことがあって考え込んでいた矢先、たまたま、貸したことすらも忘れていた本が、今日不思議にも戻ってきて、よい慰め相手になってくれました。 それは早川洋子遺歌集「蝋梅」(昭和五十八年刊)でした。早川洋子は、歌人であり画家であり、篆刻もする早川幾忠の夫人でした。 幾忠の序には「これはわたしの妻、この二月二十二日に永眠した、洋子の遺歌集である。(中略)妻は歌を作るといっても、巧むことは出来もしなかったし、ことばづかひは遠慮がちである。それだから妻の歌は、全体としてナイーヴである。さうして妻は、自分は何もかも下手である、と思ひ込んでゐて、それが妻の歌の姿になってゐる。(後略)」と見えます。 勿論、洋子は生前、表に立って自分の歌を発表した人ではありません。 「自分は何もかも下手である」わたしはその言葉に、ノックアウトをくらった思いがいたしました。わたしは、しばらく倒れていようと思います。 今日の三首 山に降りやがて屋根をば過ぎてゆく雨繰り返し一日終はりぬ おしめ洗ふ川の対岸つつじ終はり滝ある山の山吹咲けり いつ持ちてゐたるか街をゆく時に背中のわが子がラッパを吹けり 早川 洋子
2007.04.26
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暖かくなったり、また寒くなったりの日々ですけれど、晴れた日の夕方、西の空にひときわ明るい星はいうまでもなく宵の明星、一番星ともいわれる金星。 理由があって、夜の道を北から南へ、次いで角っこで西に向いて帰ることが多いのですが、そのとき、いつも見つづける星はその星、太陽、月に次いで明るい星ですもの、西洋では美の女神ヴィーナスと呼ばれていることも嬉しい星です。 夜空を見上げてあれはこれはと幼いときからよく誰となしに聞きました。お空はかわらないものですね。わたしのお友達、それで閉口します。知らんもんは知らんのだそうで。なるほど。 ところで、本日掲載の写真、わたしのカメラケースを持っていってしまったお猿。やっと返してもらいましたけれど。 今日の一首 「山姥はみな山ふかくかくれけむをりをり桃など流したまへり」 「雹」 前 登志夫
2007.04.25
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今朝、目覚めのそのとき、何か本能のような理知が働いていたことを感じました。そのとき、ああこれをブログに残そうと考えながら、今、正確に文章になりません。しかしながら、本能を先んじて動きをすべし、自分の本能とは何か、そのときはわかっていたはずのもの、いまは感覚でしかわからぬながら、それを大事にしていこうと思ういまです。 本能、やはりそれは自分にとって一番正直なことであるようなことと納得していたような感覚でありました。 今日の一首 比叡にのぼりて、かへりまうできてよめる つらゆき 「山たかみ見つゝわがこしさくら花 風は心にまかすべらなり」
2007.04.24
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遠慮会釈なく日は進みます。これが現実というものでしょう。 少し疲れています。こういう日は、深く物事を考えず、やらねばならないことを、むしろ無感覚に義務的にすすめましょう。義務、それはあるときは疲れる、でもあるときは救いです。そしてこんな日のおわりに好きな人に会える約束を救いといたしましょう。 今日の一首 幹部候補生志願をを再三再四慫慂せらるることあれども 「おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様(ありざま)をまつぶさに遂げむ」 宮 柊二 (これはわからん。反戦意識よりももっともっと深いもんですよ。香川進談)
2007.04.23
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25年前に今は亡き短歌の大先輩からいただいた白山吹、庭掃除をしてくださった誰かさんが、他のものもいっしょに、きれいさっぱりに刈ってしまって、涙も出ない或る夏の終わりがありましたが、それから、かれこれ5、6年、この春の終わりにようやく再び伸びて、花を見ることが出来ました。ちょうど我が家の遅い桜が散るのといっしょで、白と白、花びらがまぎれます。 今日の一首 「瓦斯ひとつともれる下に君もありわれもありけりふと驚きつ」 前田夕暮
2007.04.21
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久しぶりに、お針箱を開きました。待ち針が針山に待っててくれました。五色の糸は糸巻きにしっかりと絡んで。指貫がぽろりと。鋏は鈴のついた掴み鋏です。 ちょっと若いお友達に着物をお着せしょうと思って、半襟を掛けるためでした。自分への反省もこめながらその方にお話しました。あのね、着物を着ようと思ったら、お裁縫ができんとあきませんのえと。 昔、祖母にどれだけいわれたことでしょう。わたしは祖母の期待には応えられませんでしたが、こまかい針目の継ぎ当てのついた紅絹の胴裏などは、我が家の家宝となっております。 「木木の木の葉 まだいとしげうはあらで わかやかに青みわたりたるに 霞も 霧もへだてぬ空のけしきの なにとなく すずろにをかしきに」清少納言
2007.04.20
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昨日、掲載の夫人との抱擁の温もりがまだ身体に残っています。彼女はスワヒリ語、わたしは京都弁なのに、なのにです。子供たちとは、また会おね、きっとえ、そんなこといったみたい、彼らは、こっくりこっくりうなづいていました。わたし、京都をふるさとと思っておりますが、もっともっと大きいふるさとが地球にはあることが、そのとき、わかりました。いまではアフリカと聞くだけでなつかしいのです。 今日の一首 「生きものもなき赤肌の山見ゆる この北のくにに航(わた)り来しかも。」 (シベリヤの旅)石原 純
2007.04.19
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ふるさとのことを書かせていただいて、お仕事になることはありがたいことです。ご先祖さまに手を合わさねばなりません。その書き出しを少し。 「わたしは京都で生まれ育ちました。氏神様は八坂神社、お祭は祇園祭でした。祇園祭といえば、あの鉾の巡幸や、コンチキチンのお囃子の音を思い出してくださる方も多いことと思います。でも後年、下賀茂へ引越し、氏神様は下賀茂神社、お祭は葵祭となりましたが、葵祭はほんとうに音のない静かなお祭であることを、京都にいながらあらためて感じ入っております。 土地の人々は、口々に葵祭のことを、加茂祭(かもさい)と呼んでいます。親しみ深いいい名です。わたしは、その呼び名がすっかり好きになりました。」 今日の一首 「ある時は毒薬のごとおそれつつ人の涙をぬぐはでありけり」 九条武子
2007.04.18
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2日ほど肌寒い日が続きました。ついつい裏庭と親しくすることもしなかったのですが、洗濯のときに見た藤棚の上にはもう紫の花が咲き始めていました。ついこの間は干し葡萄のような黒い粒々でしたのに。それに今年は自然の桜草、すみれも狭いところによく咲きました。なお、今日はひとつの仕事の書き物も仕上げて、ほっとしています。いま真っ赤な大きな苺をひとつ口に含んだところです。 今日の一首 「動くことなかれと言ひし我が茂吉わが床のへにものを食ひ居り」 (病床)島木赤彦
2007.04.17
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昨夜は、短歌の友人のお仕事の躍進を期待させる、素敵なスペース開きの集まりに参加しました。みなさんいいお仕事をそれぞれになさっている方ばかり、貴女はととわれれば、はい、短歌やってます、としかいえないわたしでありました。 ところで、昨日掲載の写真はマラ河のほとりにひらく一輪の小花。今日の写真はマラ河に浮かぶカバたちです。この河を周期ごとにタンザニア側からヌーの大群が渉ります。 今日の一首 「生きものもなき赤肌の山見ゆる この北のくにに航(わた)り来しかも」 (シベリヤの旅)石原 純
2007.04.16
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祖谷美人という言葉が父の故郷、徳島にはあります。訪れるのも厳しい山間の村ですが、平家の末裔といわれる人がいまも暮らしているとか。ゆえに祖谷の女性はみやびの流れを汲むうつくしいひとが多いそうです。 若くして、父と遠くにいた、母を、いまにして、ふと祖谷美人そんな言葉でよんであげたくなります。 アフリカにも川のそばなどにはやさしい花を見ることができました。 今日の一首 「ゆりかごの中に小さき身を置きて夢をのせたる日もありしかな」 柳原白蓮 「白蓮は藤原氏の女なり」信綱
2007.04.14
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印象的なあの諫早湾のしめきりから、早や10年といいます。いろいろな都合はあるでしょうが、「失った宝の海はどうなる」という人の声がわたしには、自然なこととして、何か底知れない恐ろしささえ伴って心に残りました。 今日の一首 「生きてゐて聞くべくもわがかつて思わぬその言を君は易く宣(の)らせり」 原 阿佐緒
2007.04.14
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長引いた風邪が、ジンジャーエールで治りそうであります。ジンジャーをうんと入れました。それはわたしの大好物なのですけれど。 さくらのころ、その散るころまで、年毎によくこうなります。ああこれで今年もすっきりです。予定のことが捗ります。がんばらなくては。ありがたいことです。 今日の一首 「世を絶えてあり得ぬひとにいま逢ひて、うれしきおもひ湧くも。ひたすら」 (アインスタイン教授)石原 純大正十一年刊歌集に
2007.04.13
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上掲のものは、宿泊所の近くに歩いているとき撮った映像、餌食になったものを、誰かがお行儀よく置き直していったものでしょうか。最近ある雑誌の写真に、山羊による「完全埋めこみ式人工心臓」の地下実験室に、既に人工心臓を埋め込まれた直後の山羊の目を見ましたが、そのとき、ついこの映像の抜け殻の目を思い出してしまいました。山羊の目は抜け殻ではありませんでしたが。 今日の一首 「あるときは 小さき塵のひと粒に眺め入りけり。狂者のごとく」 石原 純
2007.04.12
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さくらさくらと言っていたら、裏庭の自然生えの藤が花の蕾、くろい干し葡萄のような蕾のかたまりが、棚の上のあちこちに見えます。まだ小寒い日もあるのに季節はときを待たないのですね。 この小文を書くために、いま立ち上がって、藤の蕾の姿をよく見てきました。庭に電気をつけて。自分で見ると言うことは気持ちがいいですね、自分の力いっぱいの確かなことですから。確かといえるかそれももちろん自分が見えたというだけの範囲に過ぎないことですが。一生懸命に目をむいて見たことは気持ちがいいです。 今日の一首 「足立たば北インヂヤのヒマラヤのエヴエレストなる雪くはましを」 正岡子規
2007.04.11
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昔々のことでした。お話は昔々ほどロマンチックになります。わたしの父と母はお互いが大好きになって結婚しました。 父は徳島から京都に来た人でした。母は京都の生まれです。一人子が生まれて、いつも、ふところに入れるようにして溺愛した父だったといいますが、志をたて、母と子を残して、はるか西の国、モンゴルへ旅立ってしまいました。 母はわたしにその国を地球儀に指差し、お父さんは偉い人と何度もいって聞かせてくれました。わたしは母から教えられるとおりのむつかしい宛先の字を懸命に封筒に書きました。電灯のコードを長く低く下げて、手紙を書く母とわたしはとても幸せでした。 あるとき父から送られてきた手紙に父がモンゴルの自室でくつろぐ写真が入っていました。部屋の壁には難しい字の額があがっていました。「基地を西に望む」と母は読んでくれました。わたしは、そんな父と母が大好きです。 今日の一首 「うつり来て麦原(むぎふ)広原たヾなかに、夜もすがら燭(あか)す庵なりけり」 折口信夫
2007.04.10
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また、少し風邪気味です。こんなときこそ大事にしなければ。早くやすもうと思っていまから今日のブログを書いています。あしたは楽しみな会があることですし。 実は我が家の前庭の少し奥手のさくらが、今を盛りです。二階の窓から、ちょっとお行儀が悪いけれど、ベットからの眺めが一番なのです。天に桜が咲いてるみたいで。下枝はご近所さんの邪魔になるので落としています。早くに今日は二階へあがって夕桜の花見といたしましょう。 今日の一首 「あさみどり いとよりかけて白露を たまにもぬけるはるのやなぎか」 「古今和歌集」仮名序
2007.04.09
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昨日に続く写真をかかげています。このところのことを少しく説明しておきたく思います。 やがて日暮れ、この日の宿泊場所に至るべく車は走っておりました。突然、ボンネットから白い蒸気があがり、車はオーバーヒート、周辺は果てないような原野、手馴れたはずのマサイの人の運転手さんの表情をみて、わたしたちも不安になりました。水がないのです。誰かが言いました、さあわたしらはここで野宿だよと。極端ですが、死はどこにでもありました。 そのときでした、どこからともなくあらわれたのが写真に映る青年でした。何のためであったか、手に提げていた水を黙ってわたしたちの方へ差し出してくれました。それだけで足りたかどうか知りません。しばらく停車の後、車は走り出しました。 ありがとう、そのとき個人的にいえなかったありがとうを、今頃ですがいわせてください。ありがとう、もう15年もたったけれど、どうか元気で、そして、幸せでいてくださいねと。 それから、一昨日掲載した短歌たち、みんなちっぽけな個人の不安なんかでなくて、わたしたち生きてるこのまるい大地の上のことを心配して歌った作品ばかりでありました。念のため。 今日の一首 「歳月はさぶしき乳を頒てども復た春は来ぬ花をかかげて」 岡井 隆
2007.04.08
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突然だが「人は世間で生きなければならない。それなら世間を無視できないのは当然である。でもだからといって、世間が正しいわけではない。」今日はこの言葉に出会った痛快を幸せとするわたくしです。 今日の一首 『ただ一度生れ来しなり「さくらさくら」歌ふべラフォンテも我も悲しき』 島田修二
2007.04.07
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最近の歌会にあらわれた不安というか、自ずからにあらわれる、今を生きる人間の戸惑いのようなものを、刻む作品を記しておこうと思います。 ひさしぶりの知人の電話ふいに遠のく、フィルムの切れた映画館の闇 よそ見する間にまた満月の巡りきていつもの原をやっぱり照らす 桜咲くきれいな里は遥かにかすむ昨日は黄砂今日は雪降る 咲き初めし桜ゆさぶり打つ霰どうしたらええ季は逆もどり 春嵐みぞれに混じる牡丹雪それとも散り初むすももの花びら これらは知らず知らずに美しい、しかしながら、知らず知らずに不安、戸惑いを隠しえていないものがあることを思わないわけにはいきません。 今日の一首 「ゆくりなく拗切(ちぎ)りてみつる蚕豆の青臭くして懐しきかも」 長塚 節
2007.04.06
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日本をはなれると、そんなに、さくらのこと思うのかなあ。他国に住む孫娘から、さかんに、さくらが恋しい、恋しいとメイルが入ります。新婚の夫といっしょなのに、夫より母国のさくらがいいのかなと、いささか心配になります。 といいながら、自分は朝に夕に、更けてまた月の夜に、裏の疏水の桜を見に行っています。琵琶湖疏水分線も我が家の裏あたりまで来ると、独り占めという感じ。幾つかかかる小さな橋はさくらに埋もれています。歩きながらふと頬ずりすら出来るんです。 今日の一首 「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」 大江千里 新古今集
2007.04.05
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昼前、市営バスを河原町二条で下りました。家を出たときから異常に寒いでしたが、バスを待っている間に黒い雲が広がって雨が降り出しました。冷たい雨でした。でも下りるときは小止みになってほっとし、用事のある京都ホテルまで一走り。 ところで、いまその京都ホテルは京都ホテルオークラと呼ばれています。いつでしたか、不審に思ってホテルの確かな人に聞いてみましたら、筆頭株主がオークラですので、という簡単な答えが返って来ました。納得。それは有為転変は世の常、また元にもどる日もありましょうと、思っていましたら、その人はしっかりと、京都ホテルオークラでありまして、京都、ホテルオークラではありませんといってくださいました。 子供のときから両親とともに縁が深かった私はほんとうにほっとしたことでした。 また、いつか、きっとね。 今日の一首 「山鳥の道に出でゐて おどろかぬところを過ぎて、なほぞ かそけき」 折口信夫
2007.04.04
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長女と出町から加茂川の西岸を丸太町橋まで下りました。桜が程よい華やぎを見せています。府立病院の川沿い出入り口から医師らしいひとりが白衣の姿のままに河原へ降りて、くつろぐ仕草に、いまは亡き、若き日の上田三四二を思ったりしました。 長女は丸太町橋からあがって帰路へ、わたしはそこから引き返し今出川橋まで。途中、荒神橋の下に心地よげな棲家を見つけましたが。北山から比叡はおおらかな眺め、ふと京都が太古、みずうみの底であったことを思い見たりしたものでした。 昨日の「書」はお豆腐のご縁に台湾の友人からいただいたもの。いましばらく陰翳礼讃にて。 今日の一首 「実験室にもの言はず今日も暮れしかなドアの名札を裏返し出づ」 上田三四二
2007.04.03
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お豆腐のご縁のお話をもう一つ。わたしは楽しい短歌の集まりを、いくつかしています。先日、その一つの集まりに、ひょこんと若い男性がいらっしゃいました。風貌から推量してアーチスト。お話しによると音大を卒業、楽しい音楽教育を志すお方。 ところがお名前を聞いてドキドキ、もしやと思いくわしく聞き直したら、当たりでした。そのお方のお家はお豆腐屋さん。わたしがチビだったころ、竹で編んだ四角い籠のなかのお鉢にお豆腐を入れてもらい、真直ぐに持ってお帰りやすやといわれながら、チョコチョコ通っていたお豆腐屋さんでした。 でも、くわしく聞きますと、わたしの記憶のそのお豆腐屋さんは、その方の、曽祖父さん(ひいじいさん)がなさっていたお店、しかし現在もそのご子孫、場所は違うがそのお方のお家はお豆腐屋さんなのでありました。おわり。 今日の一首 「硝子戸の春の埃をあらはむと雨は頻りに打ちそそぎけり」 長塚 節
2007.04.02
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2007年も早や4月、今日はそのはじめの日、わたしの身代わり人形八重子さんを紹介させてほしくなりました。一度どこかで、同じお話をしたような気もします。でも、もう一度させてください。 八重子さんはわたしと同い年、わたしの身代わり人形です。わたしが生まれたとき、父母、祖父母らは、裸の市松(いちま)人形をもとめ、特に祖母は着物や帯をみずから縫って着せ、わたしの災難を身代わりしてくれるよう祈りをこめてくれました。身代わりさせるというより、わたしが災難にあいませんようにとの切なる気持ちからでありましたでしょうが。 おかげでわたしは大きな災難にも出会わず、今日に至りました。ありがとうございました、父母、祖父母らへの感謝とともに、八重子さんへの愛と感謝は尽きるものではありません。 これからもよろしくね、八重子さん。お雛祭りもすんで、いま八重子さんはお玄関口に立っています。しばらくお外が見たいそうで。 今日の一首 「春雨にぬれてとどけば見すまじき手紙の糊もはげて居にけり」 長塚 節
2007.04.01
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