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深夜です。割合涼しいと思います。身体が楽でございます。 誰かが見ていてくださるとは思わないで今夜?も書くことにいたしましょう。何事もないのに何を書きましょう。書くということは考えた上の作業とも思いますが、こうして書き始めますと、何やら知らん、書けるものでございます。いえ、それは書いているのではなくその動作をしているだけであるかも知れませんが。 苦しい時はそれでもいいでしょう、休まないでと思っています。それをどう価値づけるかは自分では解らないことであります。今日の一首に教わることにいたしましょう。 今日の一首 愛ははじめアリストテレス 若者の手頸の時計死を刻みつつ 塚本邦雄(『青き菊の主題』昭和四十八年重陽)より)
2012.05.30
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十台のころから、藤原明子を追ってきた気がします。たまたま現在の住居地が明子に関係したことから、又その気になっているらしいです。 幼帝のお母さんが皇太后になった例は三例といいますが、その中の一例に明子があります。藤原明子がそうなったのは、その子供、清和天皇が十五歳で元服した貞観六年(864)でした。なんとなしに記録しながら妙な気分です。わたしは何をしているのかと、ごめんなさい明子だからです。 或いはそれが唐突ですが、わたしの中で東山三十六峰の第七峰「茶山」にかかわることになるのです。近頃、人は、「茶山」って山ですかっていうんです。 今日の一首 なにゆゑにきたるたゆたひてのひらよりものとり落すゆふべしきりにて 葛原妙子(『飛行』より)
2012.05.28
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どういう周り合わせか、わたしは藤原明子(ふじわらのあきらけいこ)という方と、よく出合います。最初は学校の教科書で、そのときから嫌いではありませんでした。「あきらけいこ」という名前の読み方が好きでありました。 この度はその方の葬らわれた土地が、我が家に近いらしいと知って、何の因縁かうれしく思っています。子供のとき始めて知って、嬉しくなったのは、その名前の読み方でした。ですから、初めてのときから忘れないで、好きでいたんですね。 なんとご縁のふかいことでございましょう。ところでふいっと思い出しまして、昔々、わが町のお地蔵さんの一つに、たしかその方の名前がついているのがありましたと。それで今日、ご苦労さんに覚えのある辺りを探しにいってきました。ありましたありました、ということで、自分の苦労好きをしみじみと思い知ったわけでございます。終り。 今日の一首 昔よりたえせぬ川のすゑなれば、よとむはかりを何なけくらん 円融院御歌
2012.05.27
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古代の終りから中世への胎動を描く、といわれても、よくわかりませんが、そのとおりを思い描いて楽しむことは楽しゅうにございます。 昨日は図書館へでしたが、今日はそのことについて、一寸出かけてみようかなと、暇ったらしく考えています。ということも、わたしはわたしの考えの及ぶところで調べなくてはならないわけですし、信じるべきはこの世に一人しかございません。 何を申しているのかわかりませんが、まあ、自分のことは自分でと幼稚園時代から言われていた通りに生きてまいりましょう。 今日の一首 きらり、きらり、ぶつかりそうでぶつからぬ蜂らは遊ぶあまき日なたに 蒔田律子(「R」より)
2012.05.25
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うっとりと、よき人の歌にひたっていますと、つい、うっかり日誌をかかねばならないことのその記憶から放たれておりますと、平和な境地であります。なぜそうなるのかという意識はありませんし、何もないから極楽であります。 忘れるっていいことですね、幸せなことであります。ほんとうにその時間はくるしい記憶からすっかり離れて真実の平和の空気でありますね。 今日もそうでありました。平和な空気でした。 今日の一首 殺したるをみなの目より耳より粟・稗みのり垂れたる神話 葛原妙子(『原牛』より)
2012.05.23
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台所の壁にあった大昔のぼんぼん時計を自分の部屋に付けてから、自分よりも時計本人の方が落ち着いていることがわかります。思えば無言っぽい、そんな気がします。今日は一言ブログになりましたけれど、それがいい、多言は無用ですね、わかりました。 今日の一首 捉われの虎が卑屈に唸る声轟きわたるあわき状況 佐佐木幸綱(『動物園抄』より)
2012.05.21
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何となく、何故かわからない、一区切りが付いた感じ、さあ、次の階段を上りましょうか、でもひょっとしたら、降ろされるのでしょうかそれはわからないこと、とにかく、歩きましょう、また同じ速度で。 あっ、ぼんぼん時計が頭の上で鳴っています。今日もがんばらないで、でも岩登りは少しづつだからが落ち着いてすこしづつだから。なにをしゃべっているのかわからない、でもわたしは何かをしています。 今日の一首 あらはれてふたたびみゆる夏草の亂射の中にみえざりしわれは 葛原妙子(「朱霊」より)
2012.05.20
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掛け時計の位置をかえました。古時計です。何となしに台所に吊るしっぱなしにしていました古時計です。わたしの小学校時代からの通学を見守っていてくれていました古時計です。古時計になつたのでしたが。 以前から思っていまして、わたしの居間へ移しました。そうしましたら、なんとどんなに居間によく似合いましたことか、長年月をくたぶれたのでしょうか、なんとなしほっとした感じです。わたしも嬉しいです。親友のように毎朝たよりにしていましたから。 今夜は居間での初夜ですね。驚かさない音に鳴ってくれますこともうれしくて。またいいお友達になり直せます。 ウインドウに寝かされてある空気銃、卑しきまでにみがきぬかれて 蒔田律子(『R』より)
2012.05.18
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ささやかな仕事、ようやくに6枚、今日は豆ご飯を炊きましょう、塩加減もよろしく薫りもいいし、美味美味ですよ。 おばあちゃんのお台所は死なはるまで井戸端でしたね。面倒があっても自然がいい、いまごろになってくると井戸水は冷たくて気持がいいですよ。6枚を仕上げるにしても、井戸端がいいですね。そんな家がいいですね。 そんな生活はもう戻ってこないのかな、絶望。だからわたしはまた6枚の仕事をしましょ。昔々、井戸水を小さな身体で汲み上げていたとき、この世が変わるなんて知らなかったな。 でも明日も生きていたい、今日は6枚に「ふじはらのあきらけいこ」が出てきましたよ。学校で習ったことを覚えています。先生のおかげです。先生の顔も覚えています。土佐先生!!もう御在世とは思えません。ありいがとうございました。お耳の下に大きな瘤がおありでしたよね。 家人に恋ひ過ぎめやもかはづ鳴く泉の里に歳の歴(へ)ぬれば 石川朝臣廣成の歌一首
2012.05.17
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こんばんは、昼頃から降っておりました雨は、気がつきましたら、この夜更けはすっかりあがっているようです。カーテンは開けずとも庭の様子がはわかります。それにやや室温も低くなりましたが、このままにガウンを重ねることにして過ごしましょう。 いまだ残花のころの歌でしたか、掲載のたのしみいささかを遅れまして。 病室のベッドのとなりに寝てという匂いがほしいと酸素マスクから ドラえもんのおまけ目当ての乙女子に連れて行かれるマクドナルドへ しがつより さらごねんせい めだまやき だしまきくるくる ままおいぬくよ 花の風巻きけるあひの見へかくれ友ははなびら黒髪にのせ 定まりてふくろうの声聞こへくる吾が眠るころの更けゆく森ゆ バスの旅笹子ぬけると甲斐の国ぶどう畑に春の日ぬくし ご主人さまを亡くされた方の、ひさびさの出席、いさぎよさとは、何と美しいことでありましょう。またそれぞれに、おさなを詠い、はなを詠み、車窓の美をめでる、のびのびと美しいことです。
2012.05.15
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こういう時間を真夜中というのかな、と、いまさらに感心しています。午前2時50分。裏庭に向く硝子戸のレースも部厚い方のカーテンもしめて、わが部屋は守りも固くでございます。でもやがては暁、思えば、日にちはもう、変わっているのです。 そんなことを感心してもしょうがないでしょうが、わたしはそういう、当たり前のことがとても大切に思えますし、また、すべてがそうではないかと思います。さて、ただいま、昨日、友達に買うてきてもらいました「おいしい 未調整豆乳」という飲み物をたっぷりいただきました。私にとりましては今日の始まりです。平凡ながら、わが非凡なる、少し変な1日の始まりでございます。 今日に一首 寺山とともに宮柊二氏訪ねゆきぬ高井戸の日ぐれ竹群さがして 水落 博(『短歌研究』より)
2012.05.13
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昨夕、やや遠方へ出かけた帰路、駅から市バスに乗りましたが、お眼もお体も御不自由そうな婦人が乗ってこられましたので、立ちあがって場所をおゆずりしたのですが、しばらくして、お降りになりました。そのおだやかに静かな様子を見ておりまして、わたしは何か尊いものを見せていただいた気持ちになりました。 わたしが、ぼんやり、ほっとしておりますと、近くにお坐りの一人の婦人が何かしら、そっとわたしにやさしい眼差しを送ってくださいました。わたしが恥かしく思っておりますと、今度はまた近くにお座りの一人の紳士が「えらいものですね、人間というものは」とそのお方の様子を見ておいでになってそう、おっしゃいました。 わたしはなんだか、ほかんとしてしいました。 今日の一首 あやまちて切りしロザリオ転がりし玉のひとつひとつ皆薔薇 葛原妙子(『原牛』より)
2012.05.12
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少しお天気がわるいようですね。あしたは北を向いて一時間ほどのところへいきますが、穏やかであって欲しいと思います。いま午前6時、裏庭はいつもながらにしずかです。なにひとつ、つくろわずに自然のままです。 つまり、京都弁でほったらかしということですが、生き物、植物の自然は、自然であるほど美しいと思います。つい雑草も雑草などと誰がいうと思ったりしていますが、又違う視線から見られましたら、主のだらしなさということになりましょう。 灯籠は蜂須賀さんの紋が入っています、父が阿波でございますから。それも引越しをするとき、あわやというところを、トラックに載せて運びました。いまにして思いますと、助かったと思います。今日は我が家のちいさな貧しい裏庭のお話しにて。 先日も書きましたが、いまは、葵が茂りほうだいでございます。 今日の一首 響(ひびき)なく天にのぼれる幾つかの音のそのあとはたそがれにけり 前川佐美雄(『新風十人』より)
2012.05.10
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時間が逆行かどうかわからないのですが、自分のペースで仕事が今日現在は進んでいます。仕事に限らず、成すということは自分がなしているようでありながら、そうでもないようであります。いずれにしましても、なすということは自分一人の力ではないらしい、その、自分でないところを叱咤激励することは非常にむつかしいところであります。 いずれにしましてみ、今日はまだ日暮れに近くなったばかり、あっ、雨がが降りだしました。この辺でキイをうつことはやめましょう。 今日の一首 いにしへのふるき堤は年深み池のなぎさに水草生ひにけり 山部宿彌赤人、故太政大臣藤原家の山池を詠める歌一首
2012.05.09
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京都市役所はわたしが生まれる少し前に出来たようです。何ですかパソコンなども扱いにくくて、遠くない時に建て直すとかの噂もききますが、いま、それどころではないような気もします。それにわたしは何かしら怖くて、心配でなりません、ふるさと京都が。 わたしは何も要らないのです、素直な優しい京都であればと思っています。作らない京都であってほしいです。昔のように井戸水をたっぷり、安心して使えるようにしてくれましたら、それでいいのです。他に何もいりません。 今日の一首 門辺には山梔子(くちなし)の花今日も咲きわびずみ心極まりにけり 吉井 勇(「洛北花鳥譜」より)
2012.05.07
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今朝のおたよりを書き始めたのは4時過ぎでしたのに、何時もながらの失敗で、もうすっかり夜が明けてしまいました。初めは閉ざしていました縁側の戸を開け放ちますと、なかなかに今朝は冷えております。さりながら、庭の自然は季節どおりで、葵の葉が地面を覆いはじめています。この葵は5、6年まえに友人の庭からもらったものでした。友人は亡くなりましたが、葵たちは生き生きと増えつつあります。 思いますと生きると言うことはそういうことかもわかりませんね。わが庭に葵が生き続けるのはこれから、或いは友人の命も生き継いでいくものかもと。 さて我が家から少し北の山に葵がたくさんに繁茂するところがあります。そこには神様がいらっして、山近くの皆様がやがての日に神様をわたしたちの町にまでお連れくださいます。だれもが葵をかざしてお迎えするのですが。 さて、その儀式以後が世にいう葵祭りでございます。 氏人のむかふ照日のみかげ山 かざす葵ぞけふは名におふ 津村淙庵(『思出草』より)
2012.05.07
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おはようございます。いつも真夜中の仕事が今日は朝になりました。朝はまことによきものに存じます。今日は天気予報によりますと、あまりよくないのではとぞんじますけれど、よくやすみましたせいか、私自身はすっきりいたしております。 すっきりといいますものは、ものが書きにくい環境で、朝のお目覚めばかり申しておりましてもしようがなく、なにかしらどっしりと精神的に来る時間はやはり真夜中でございますね。怪しいものは魅力が感じられますが、朝はそういうものがございません。自分の大好きな「森の鍛冶屋」でもかけて、立ち上がろうとしております。 「森の鍛冶屋」は日本の「村の鍛冶屋」と似ておりますが、先に生まれたのは「森の鍛冶屋」でございます。わたしは山の奥に祖母と二人でくらしておりますときに初めて耳にしました。いまもパソコンに入れて折りに触れ鳴らしております。今日もその音を一番に聞くことにいたしましょう。 今日の一首 いつの間にか放射能にも慣れにけり六月尽の雨に濡れつつ 大崎瀬都(「ヤママユ」より)
2012.05.06
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書きたいことを書き終えた瞬間に失敗?をして、書き上げた文章がすべて消えました。今日の運命のひとつでしょう。 疲れましたから少しだけ。地上に生きるものは、一人一人は、それぞれの何かに支配されて、それが天命か知らず消えてまいります。はかなさとか申しますのではなく、極めて自然にそのことを思います、ということでございました。 今日の一首 雲海の底なるひびき富士を割るダイナマイトの鈍き音きこゆ 葛原妙子(『朱霊』より)
2012.05.04
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自分のことは自分でする、幼いときからそんなふうに教えられて育った者です。わたしはその教えを楽しいと思って育ちました。ご飯を食べるのも寝るのも、日々の生活みんながそうだと思っています。当たり前のことですね。 そんなことが実行できている日々は幸せでした。いまもできるかぎりそうでありたいと思っています。なんですか当たり前のことをまた書きました。あたりまえのことをいましばらくしていたいと思います。一人で生まれてきた幸せのために。お父さんお母さんにはお世話をかけましたけれど。真夜中です、窓の外はまことに静か、何かが頭脳のなかでずーうんと鳴っているようですけれど、いいえ窓の外でかしら、木々たちの語らいかしら。 今日の一首 小草いひぬ『酔へる涙の色にさかむそれまで斯くて覚めざれな少女』 鳳 晶子 (「明星」明治34・3)
2012.05.03
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この時間に書くことは珍しい、しかし何となく今日はここに落ち着くようです。あらためて自分を眺めてみますと、私はキイを両手とも揃えて中指で打っています。改めて気がつきました。どうってことはありませんが、プロといいますかそういう方は多くにの指をおつかいになるのでしょうね。 つまらない語らずもがなのことを物語ってしまいました。 硝子戸を閉ざしていましても、雨のそぼ降る音が聞こえます。静かに聴いていますといい音です。これも自然のたまものというのでしょうか。 はてさて、やはり明るい間は神経は集中されません。雨に意識しているようでは。ところで、仕事の6枚原稿がやがて締め切りとなりましょう、なりましょうとかいっているときではありません。雨よふれふれ、そして頭のなかを洗い流したい、よく考えれば怖いようなことを書くことになってしまいました。 今日の一首 朝狩りにいまたつらしも 拠点いくつふかい朝から狩りいだすべく 岡井 隆(「短歌」昭和37年7月の作品より)
2012.05.02
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