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『現代短歌・作家と文体』これはあるお方の評論集です。わたしには懐かしい書籍、懐かしいお方です。時は過ぎ日は年は過ぎてゆくものですね。 近くの大学の先生、久しぶりの、最後となりました出合いは大学の北側のバス道、そのとき珍しく、いえ、初めて喫茶店にさそわれて、その書籍をもらいました。二人は同人誌でいっしょでしたが、二人では特に話をしたことはなかったので、なんとなく珍しいことだなと思いつつ、コーヒーを付き合いました。それが最後でした。 そしてその本をもらって、今日に至ります。時折、不思議と思い出すことです。 今日の一首 われに似るもものは容さぬ壜に蟻を飼う少年の孤りなる眼も 平井 弘
2012.09.29
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今日の写真は細長い机の最北端に位置する私の電話器です。私の電話器はこれしか持ちません。りーん、リーンと鳴って、ハイモシモシ、何百回何千回体験してもこの電話はいいです。この電話器は電話局から借りているらしい、わたしだけでなくこういった電話器は誰もがそうで、決して貧乏だからではないようです。もう何十年、借り代いくらはらったか、私は知らない、気にいっているのだからそれでいい、わたしのただ一つの贅沢であります。 携帯電話などこのごろは誰もが持っている、私の全く知らない世界のできごとであります。 今日の一首 中共の女兵行進を見し日より古きアジアはすでになかりき 加藤将之(昭和24年9月号『日本短歌』短歌年鑑より)
2012.09.27
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レールは幼いときからの疑問でありました。レールは何であるかは判っていました。そういうことではなくて、わたしには不思議なもの、怖いとさえ思ったものでした。近寄ると列車に轢かれるとかではなく、どこかえ連れていかれるとかでもなく、昔から妙に魅力的で見つめていたものでありました。 父が遠くに居たせいかもわか知れません、そのことはとにかく、わたしの恐怖は、ともにまた避けられないレールに対する魅力でありました。素直に言えば、ふとそのかたわらに立っていたいそんな気持によくなるからでした。 父の故郷は徳島県のうんと南より、太平洋が見えるような海へ向かって広がる三角形の村でありました。レールは怖いけれど、父はいないけれどレールに乗って行きたいです。やっぱりレールは好きだから。 今日の一首 イロンナ事ガアリマシタ マタ幾年ガ過ギマシタ 茶色ノ戦争アリマシタ 中也の詩を出鱈目に呟いていると汽車がひとつ大きく揺れて、 どこやら名も知れぬ田舎の駅にとまった模様であるーー イロンナ事ガアリマシタ イロンナ事ガアリマシタ ・・・・・ 『黒衣の短歌史』から
2012.09.25
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或るところにある人の名を見つけて、書いておく気持になりました。以下です。 「『詩歌』の深作光貞が渡仏した。銀座十番館の壮行記念会は若い連中の気勢で中々のものだったらしい。二度と帰ってくるな、戦争が始まったら向うで外人部隊に入っちまえ、という壮行会の辞もあった由だが、これはさびしい言葉だ。老人には通じないさびしい祈りだ。またひとりがいう。オレの青春歌集を印度洋の真上で放りこんでくれ。 これは侘しい。むしろ哀しい智恵といおうか。 肝心の飛行機は丁度夜に印度洋を飛ぶ由で、折柄月明りでもあればお誂えの詩が完成する。重く滑らかな熱帯の海は異様に青白く輝き、そのうえに夜目にも白く頁を羽搏かせながら落ちてゆく宮柊二のーーおっと、歌集より先に口がすべった。だがこれは実話であり、深作光貞は一巻の『郡鶏』を抱いて出発したという。」 まこと古い話しです。しかしながら後日、ご縁があったお方の面白いお話、一筆しておきましょう。 今日の一首 人は死に吾はながらへ幾世経て今も親しくいともしたしき 片山広子
2012.09.24
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夜の予定のテレビジョンが今夜は狂っている、理由はわかりません。多分自分の失敗でしょう。そんなところで今宵はややリズムに欠けている自分です。しかしながら何故にして日々にこのようなところに、物語りをしているのでしょう。 今宵あたりから、なんとなく冷えをも感じるようになりました。それもいいなと思っています。暖かいより冷えるほうがいい、まさに負けず嫌いのようですが、そのへんから思想が湧く気もします。思想なんてやすやすいうものではない、恥かしさを強めながら、これにて。 今日の一首 わが側に人ゐるならねどゐるやうに一つのりんご卓の上に置く 片山広子(『黒衣の短歌史』より)
2012.09.23
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秋になってまいりましたね、ではなく、秋でございますね。今夏の暑さについついそのままの夏景色でおりました家のうちの衣替えをあわただしくにいたしました。座敷には、桂月の書く秋の詩を、玄関には「富」の印の見える版元尾張屋の高雄の紅葉絵をなどなどに、大至急で懸けかえました。ああことしもようやくの秋でございます。えらいおそなりましてすみません。 と申しておりますうちに、また、慌しく冬となる運命ではございますが。おばあちゃん!ありがとうございます、いろいろ、お大事さんに遺しておいてくださいまして。いまの我が家では求められないものばかりでございます。 今日の一首 破れ鈴のやうにひびかぬ君にして音(ね)を聞かむとし待てるさびしさ 柳原白蓮(「踏絵」)
2012.09.22
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いつの間にか、この日記を書く時間がきまってしまったようです。自分できめたわけでもない、人間は、自分で動いているようであるが、そうでもないらしいですね。少しいまはメランコリー、わがままなものです、でもそれはそれなりに自分だけのもの、人様にはわからぬようにしているつもりです。 今の時間、柱時計のカチカチがよく聞こえます、昼間は忘れているのに勝手なもの。じっと聞いていますと、いいものですね、ぴりっとも変わらないリズムが、狂気よりもむしろ正気に叱咤してくれるようでもあります。 そして久しぶりに、中井英夫著『黒衣の短歌史』を開いてみたくなりました。 今日の一首 眠られぬ母のためわが誦(よ)む童話母の寝入りし後王子死す 岡井 隆
2012.09.20
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深更です。まだ暑いので、縁側の戸はあけています。何か音がしますね、何の音かわかりません、深夜の音と名づけておきましょう。そして今夜は友達の詩「わたしの好きな」の一連を書かせてもらいます。何か突然そうなりましたから、そのような気持になりましたから、でもちょっと試してみますと、詩を書くのはむつかしいです、その段取りが、だから止めて、どうしましょう、次回までに詩の書き方を考えておくとして、といたします。でもでもと思いつつ、書けそうなのをと書きました。 山田美妙 「しるれるの作 野辺おくりの歌の解」第二節 杖にすがりながら 落ち込んだ暗い目でよろめき歩く人は誰、 もまれた胸から絞り出されたやうに ただ一つの唸き声が 深い静けさをやぶる! 鉄のやうに無情な「運命」につぶされて 柩に生涯の最後の力を籠めたやう で、聞けー 「天父?」をつぶやくその冷な唇 失望に肉の噛み取られた骨をも透かせば 怖しさに銀髪もさわぎ立つ。 明治二十二年九月「いらつめ」(二七号)
2012.09.19
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しいんと暁、4時半、氷水をコップに少しすすりました。時間のなかの今になりました。わたしの瞬間をつなぐ瞬間を重くに考えつつも、柱時計のこちこちにまかせるしかない不甲斐無さでございます。 人生には何事かを行う方と見守る方の二面に分かれるようにも思います。行う方は汗をながすようでもあり、見守る方は冷静、知的です。自分はどちらか、あまり真剣に考える必要もありませんが、時にはふと省みるときもあります。 自分はどちらか、どちらにあって満足か、なんても、時には考えます。でも性分というものはどうしょうもございませんね。以上。 今日の一首 白球は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 吾し知れらば 知らずともよし 『万葉集』巻六 元興寺の僧
2012.09.18
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今日の写真はちょっと古い写真です。このような子供向きの店がまだ残っていた時代であるからです。一度このページにも出したことがあります。ご記憶の面々もありましょう。それから、それほども経ちませんと思いますのに社会も子供も変わったということでございましょう。 いいのか悪いのかわたしにはわかりません。あまりいいともいえませんし悪いとだけではないでしょう。子供の世界がなくなったという表現はいくらかは出来そうであります。もちろん、時代に関係なくこういうところを知らない子供もございましたから。 このおばさんはとてもいいお方でした、わたしは大好きでした、自分は買物がなくても折々に顔を出して、このおばさんとお話しをしました。たのしいことでした。 今日の一首 まひなたに見えざる炎燃やしをりわれは眞黒きかうもりに行く 葛原妙子(『葡萄木立』作品「穀倉」の旅より)
2012.09.17
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午前四時四十五分です。割合に蒸します。九月も十七日になりましたがとややに考えながら、自然はいたしかたもなく、冷たいお茶をいただいています。これもわたくしの人生の日のひと時、ひと時とも思いながら。 そのように思いますと、すべてが嬉しくて、自分に与えられた時間を今日も大事にしてと神妙なふうに考えたりいたします。 円卓をとびかふ会話に訛りあり耳かたぶける そにゐる我は かけごえと太鼓の合図聞こえきて「鳥居形」燃ゆなつの夜ぞらに ご先祖の墓石のくぼみに雨蛙、飛んだよ飛んだとをさなごの追ふ 送り火の鳥居形(とりい)の上の西空に星ひとつ光る嗚呼わが亡夫(つま)の たけしまや せんがくしよたう もんだいに のんきなにほんに したたかなりんこく 夏の海テント十張の茅ヶ崎に波音聞きつ朝餉の支度 私たちのお仲間のそれぞれの夏の幸せが、それぞれに心ゆたかに語られていると思います。暑いのは当然の夏ながら、今年は今年の夏でございました。これからの季節をまた大切に、夫恋いに、孫との遊びにたわむれつつ、等しき仕合わせでありますことを、祈ります。
2012.09.16
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もう一度、写真を入れて、日記を書いて見ます。今夜はむし暑いことですが、やいやいいわなくても、もう秋だということはあちら、こちらに見えます。聞こえます。 こういったブログ作業もいいですが、わたしは、やはり自然にもどろうかなと思ったり、弱音でしょうか。 わたしには、ひとつの大切な表現方法を身内深くにもっています。よく考えてみましょうと思っています。この文章にも、わたしとしては写真をいれましたが、いかがなりますか、とおもいます。ありがとうございました、またお目に、お心に、ふれることができましたらと。 今日の一首 ありて夕星(ゆふづつ)死なば一枝の沈丁(ちんちやう)のいづれあやふきこころを遊べ 塚本邦雄(『青き菊の主題』より)
2012.09.14
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今日の写真にはわたしが生まれる前からの昔のご近所にあります硝子屋さんの看板写真を出しました。 それはあたらしいものですが、話は古く、我が家にありますわたしが生まれたときからの人形を蓄えたケースは、随分と古くになっております。 一人っ子のわたしには、次から次から溜まりますものは、人形などのお土産ものでありました。 それらを大切にするために、硝子ケースを、そのお店へ注文したのはおばあさん、おばあさんありがとうございました。 後へ戻りますがその硝子屋さんの、いまなおご盛業で新しい看板の撮影をさせていただいたのでした。終り。 今日の一首 ドイッチェ・アルゲマイネ紙贈られ来(き)よむとなしもなく國にかかはる 加藤将之(「花の概念」寂照、より)
2012.09.14
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懐かしい写真の陳列です。九月も半ばになりました。ささやかなでも熱い、当方の或る会合の日も明日となりました。一歩一歩あるいてまいりました、いえ歩いております我等が会合のよろこびの歩でございます。 楽しみつつ、苦しみつつ、それが喜びかと思います。これからもそうして歩いて行こうと思っております。ありがたい仲間からの便りもございます。遠くにいてもいらっしてもいい、あなたも、あなたものお幸せを祈ります。 今日の一首 銀座まで行き帰りして読みさしの本読み了へしことが収穫 大崎瀬都(『朱い実』蒼き芯より。)
2012.09.13
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涼しくなったようでございます。今朝は虫の音はいたしません。虫の音がありませんとこんなにも静かなものでしょうか。虫は自らのゆえを何処まで知っているのでしょうか、思いますとわたくしも同じ、今日を自然に己のままにでしょうか、自ずからの一刻一刻になされるがままに、それでもそのことに懸命に生きてまいるしかございません。それを幸せと思うか、限りなく不幸、不安とするかは、それぞれの考え次第でございましょう。 わたくしはかぎりなくしあわせにではないかと、またこの自らの一筋しか自分には無いものと思われますが。 今日の一首 天球図に蝶を泛(うか)べて画工ありき うつそみはあえかなる青とおもひき 山中智恵子(『みずかありなむ』夏鎮魂より)
2012.09.13
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さて、ありがとうございました。今日からまたブログが書けそうです。ここに書きますことはほんとのほんとかも知れません。こころに逆らわず書いてまいりましょう。そうしていますと、書いているのではなく、書いてくれる自分の真実にいつか気がつくのです。自分の本当って、自分で解らないものだと思います。ほんとうにお久しぶりでした。 今日の一首 キリストは青の夜の人、種(しゅ)を遺さざる青の變化(へんげ)者 葛原妙子(『原牛』より
2012.09.12
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